「こん悪党、変質者、おっさん」メアリは部屋の中を逃げ惑う。「誓いはどこへやったんや」 自らの豊かな髪をかばって走るには無理があって、いま同じくらいの財産と考えていた歯ブラシと剃刀は指間からぽろぽろ床へ逃げていく。 「守ってるさ。寺院に入れば一生食いっぱぐれないんだからな」ゴランは狭い部屋の中をゆっくりメアリに近づく。「町の不良や衛兵とやり合う必要がなくなるから罪を重ねることもない。日々の慈善で心が洗われてくだろうよ」「いいいい!」深夜に音を立てぬ重い足取り。少女は恐怖させられた。 本当の住まいも、生業も、名も分からない得体のしれぬ頑強な男。メアリはとにかく視界に入れたくない思いだった。首をそむける。自らの長髪が跳ね上がり隠し通すのが難しくうとましくなって、情けない気持ちになる。高級宿からせしめたお宝もますます両手からこぼれ落ちる。 「あっ」転回された彼女の視界に救いの手が二条。 「雨、あがっとるやん」夜の晴天からブルガンドとマーアムルの二つの月光が部屋にまっすぐに舞い降りていた。メアリはもう逃げ出すことしか考えられない。 「おい」「ひいい!」出来るのは悲鳴を返すのみ。 「また散らかしやがって。片付けていけ」「はい、はい、はい、はい、はい、」目を回しながらメアリは歯ブラシと剃刀を拾い集めた。 「よし」許可をもらったと見るやメアリは中庭に面する縁側へ駆け出した。青白く黄色い二筋の光明の中へ飛び込み、短い時間に月明かりの照らす平らな地面を見定め、そこへ目がけて跳躍した。 着地の音がよく聞こえなかったので、ゴランも縁側へ出た。建物の隙間へ目を凝らすと、赤く長い尾を引いて駆けていく子馬のような少女の姿がしっかりあった。赤い頭と黒い服が二色の月に見下ろされてできた影法師とともに去っていく。 (怯えていても度胸と技術は忘れないか) ゴランは窓際にランタンを置いて、部屋の隅に椅子を見つけてそこへ座った。煙管を取り出して火をつける。 (惜しむらくは馬鹿すぎることだな。俺のことを探っていたらお互い危なくなるのに。忌々しい奴)男は煙を吸って口内の刺激を味わった。果たしてこの騒ぎを嗅ぎつけた輩はいるだろうか? 煙を長く吐き出す。(なんでも楽しくやれると思ってる奴なんだろうな。巻き込まれる方はたまったもんじゃない)紫煙は上手く窓の外へ流れていく。 それからようやくの寝支度にかかろうとして、「ん?」 (しっり全部持っていきやがった)床を探しても歯ブラシと剃刀は一つも残っていなかった。 疲労と睡魔にいっぺんに襲われることになってゴランは降伏を決めた。(昼の鐘まで寝てやる) 意識が落ちる前に思い浮かんたのは紫の髪であった。 (あのおっかさんに小言をこぼされそうだ) |
|