さっきから耳に入れられているのは、自分を呼ぶ声だ。 「うるせえなあ糞親父!!」言い放っておいてから、枕元に置いてあるはずの《ラウンドシールド》を暗闇に探 った。 「……寝ぼけてんなぁ、俺」呼ぶ声は女のものだとさっきから分かっていたはずだった。 攻撃を受けることがないと分かったので上体を起こしたもせず寝床にい続けた。部屋の緞帳の隙間から差 し込む朝日によって、茶色の瞳がいつもの視力を取り戻しつつあった。 寝間着からさっさと着替えようと寝台から飛び降りれば全身を引き締める感覚がある。 「稽古のあとすぐ寝ちまったのかよ」と子供用の鎧姿で振り返れば寝台は土くれと小石が見事に散りばめられ ていた。 自分の名を呼ぶ声は止まらなくて次第に大きくなっている。 「これで怒られんのか……」ヒューマンの少女ラクーナ・メルバは褐色の顔をしかめ、金色の長い髪を掻いた。 「ちぇっ、二人そろってやがる」言葉を受けた父は笑い、母は娘と同じしかめっ面になる。 「なに言ってんだい。今日は父ちゃんの出発だってのに」 「えっ、今日かよ。……眠くねえのか? 昨日まで滅法しごいてくれやがったじゃねぇか」 父は母の側を見た。「だから、起こしてやるなと言ったんだ」「闘技場に出かけるみたいに平気に旅立とうって のかい。そういうところは好きだけどね」 ラクーナは両親からわざと目線をそらした。「ちぇっ、かっこつけんない。俺が眠いわけじゃねえんだよ」 「またあんた。少しは素直に可愛い顔になって、父ちゃんの見送りをしたらどうだい」再び父は笑い、母は怒 る。 「じゃあさっさと行ってくるか。おれは別に女房と娘にいい顔してもらいたくていくさに行くわけじゃないからな」 「社会正義のためなんだろ? 勝手に応援しているよ。ほら!」母は娘にずんずんと近寄って背中を叩いてき た。 「まあ、正義のためなら悪くねえな」ラクーナの幼い顔がにやと笑って、「頑張れよ親父」と自分が力を溜める ような格好をした。 「おう、ありがとうよ」父はラクーナに応える。「なにせ、あのオークどもが味方という珍事だ。安心してろ」 「親父が負かしてきた連中だろ」「お前より遥かに強いぞ」父はラクーナの頭をはたいた。娘は嬉しそうに笑う。 「あんた、帰ってくるとよくオークを褒めてるからね。敵をほめるなんてわたしにゃ無理だ」 「ああ、奴らは粘り強い。ウルフレンド中もオークをもっと尊敬すべきなんだ。そう思うからおれは味方する」 「ちぇっ、俺だって試合さえ出来りゃなぁ。オークの奴らも引き揚げちゃったしよ」ラクーナは天を仰いだ。青い鉢 巻の後ろに垂らしたところが金の髪に触れる。 「前座の曲芸をやらせてもらえるだけありがたいと思いな」「可愛いなんて言われたくねえんだよ。試合で震え 上がらせてやるんだ」「観客にいちいち怒鳴るのをやめな。逆効果じゃないか」 「だったらシュラに話してみろ」父親は母と娘に割って入った。「興行師は完全に聞く耳持たないんだろ?」 「シュラは商売に関係ねえだろ?」ラクーナは拳士の珍しい戦いぶりを思い浮かべる。 「やつが納得すればそっちに話を持っていくかもしれねぇ。人のつながりってのは大事だぜ、ラクーナ。おれもエ サランバルでグラックスに出会えりゃいいな。一度くらい酒に付き合わせてみたい」 「あのオークの剣闘士か……。仲良くできんの?」 「自信はないなぁ」父が母を抱き寄せた。そしてラクーナのこともいっぺんに。 「おれは意気地がないからな」ここブルガンディで王者となった、一流の剣闘士の筋肉が母と子を包む。 「いててって!!」ラクーナは父親の不必要な力に驚いた。 母親はと見ると、ただ静かに父を抱き返していた。そして口づけ。 (なんだよ……。いつもみたいに仲良くしやがって) |
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