「何してる」 「ん……この土地な、べつにコボルトとノームのもんではないんやろ?」メアリは足を崩して宿の壁の手触りを 味わっているようだ。 「うん。奴らが嗅ぎ回っているというだけだ。本来の根城であるハッシュバッシュはもっと北東の奥にあるはずだ」 「こういうとこはもっと天幕がならんどるかおもっとったわ」メアリは壁を触ることに没頭している。 「ガイデンハイムの公園の、ゾール信者の集まりみたいなものか」「うん」 「確かに言われてみれば移動せねばならん野営地にこんなものをよく建てられるものだ」「うん」二人は石造り の壁を探る。 「でこぼこ気持ちええな」「軽石か……。ノームはドワーフと繋がりがあるからそちらの工芸かもしれんな」 部屋の石の扉が深夜に控えめに叩かれた。シーフの少女は思わず飛び上がった。低い天井を気にしなが ら。 「はい、はい」ゴランも低い天井を気にしつつ膝を使って扉ににじり寄り返事をした。 「お風呂の支度ができました」石造りの向こうからノームの女将の声がする。「温泉ですよ。お膳の用意をし ておきますから、上がってからお召し上がりくださいな」 「へえ……。それはどうも」女将の足音は下がっていった。 「なるほど、温泉があるとわかって軍が居座っているわけか。ならば俺たちもゆっくりしてやるか」 「いつもおもうが、正気か? 出たとたん、槍でぶっすーやで」 「ノームのおばさんの足音な、廊下に邪魔な奴らが詰めているかどうか知らせてくれたと思うが」「うぬ……」 「また血まみれにされる前に自分の血の匂いを落としてもらわないと困る。ノームは気づかなかったんじゃなく て、気を利かせてくれたんじゃないのか」「うむ……」 「コボルトに殺る気があったら今までいくらでもやられていたろうよ。休めるならたっぷり休むんだ。人生舐めてか かったほうがいい時もあるのさ」 メアリは黒い長衣の片膝に手を置いて立った。「どっこいしょ。風呂ひとつはいるくらいで大げさなんや」 ゴランは声を潜めてくる。(まあ万が一ということはある。やばいと思ったなら裸でも飛び出せよ。先に裸のコ ボルトと戦ってるんだ、平気だろ? 俺のことも置いてきぼりにしていい。互いに気にしないということだ) 「……」「心配なら一緒に入るか?」「あほか」「だろうな」 「おらんおらん♪」 「めす犬がようさんおったらどないしよおもたわ♪」 野営地はコボルトの女性兵士も多く抱えているのか、女湯とその内部の岩の湯舟はヒューマンの小さな女 の子には広大に感じられた。 (こんな野っぱらにいきなり温泉をほり当てさせたのが黒幕のドワーフっちゅう連中なんか? たいしたもんや な) 誰もいないのも女将の気配りだろうか? メアリはただ一人に用意された空間に気を良くした。 「あつ!」みなし子のシーフの少女には熱い風呂自体慣れないことで、熱をこうむった片足に顔をしかめた が、いい気分を壊したくなくて一息に身体を沈めた。 「……」自分の四肢が湯に溶けていくような快感をしばらく享受する。 しかし油断をせずメアリは生業に没頭し始める。(壁がたかいわ) 四方の木組みの壁はコボルトの脚力に合わせて作られているようだった。メアリはコボルトの斥候にさらわれ た時のことを思い出し眉をしかめたが、自分を取り巻く暖水はその行為を触媒として睡魔を作り出す。 コボルトも、ゴランも、ガイデンハイムの者たちも、敵も味方もいない。 メアリは久方ぶりに独りであった。 (どのうちが一番ましなんやろか?) 注意すべき物も儲け口も見当たらなくて、残る空を少女は見上げた。 (森んなかではなんも見えへんかったのにな) マーアムルとブルガンド。二つの月の二つの色がメアリを迎えていた。 |
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