くんと鼻を鳴らせばきな臭さが入る。 号砲は最上階をかすめてとうの昔に天上へ飛び去っている。もはやマクネイルの周囲には何者もいない。 (疑っていたが、寄る辺はここにしかないのだ)シャーズどもが打ち立てた水の柱はもう嘘だったように深い海に 消えていて、マクネイルはただ途方もない四海を見下ろす。 彼は長衣の懐中を探って嚢を取り出す。中にはさらに小さい木箱があって、顔をしかめながらそれを開け る。 老人は咳き込む。とめどなく香ばしい。 最初に猫どもが嗅ぎつけるのを恐れた。(しかし号砲を打ち上げ終えたのだから、哨戒員は早晩やってくる のだ)どうせなすすべはないとマクネイルは思う。 甲板のものとは比べものにならないほど狭い展望台に匂いのもとを敷き詰めた。マクネイルはやりたくもない ことをやり終えてしまうとただ待った。運命と穀物の品のない香りに身を任せて。 使者が突然出てきたように思えて、老人は心の臓がひねられる錯覚をおぼえたが、彼(もしくは彼女)も機 を伺っていたのだと思い直す。この豆の撒かれたところへゆけと、鳩は手なずけられている。シャーズの船に乗 ったわずかなヒューマンの手に、海を越えた使いが乗った。 (期日通り)マクネイルは小さな鳥の爪の食い込む痛みを受け止める。すると鳩は片足をすこし挙げた。 審判は老人の眼の前にあった。骨そのものの鳥の脚にマクネイルは指を伸ばして極小の珠を受け取った。 ルビー。包んでいたわずかな布をほどくとそれは転び出る。 老人はそれを見るというより眼の前に摘み上げたまま動かなくなった。血塊のような鈍い煌めきの意味する ところはもうわかった――。このままシャーズの兵に見つかって自分の国ごと窮するのだが、それでも目に入れ て知りたかったこと――。 全身からいっぺんに力が失せていった。 (終わってしまえばこんなものか)(取り返しのつかない愚行だ)マクネイルの心は大別された。 ともかく、これからやらなくてはならないのは(追い払った者よりずっと長く生きながらえること)老人はとても眠 くなった。 将来の皇帝の意識は闇に沈んでいく。 「わたくしだって驚いているんです!! だから会って話をさせていただきたい!!」 「まず調査が必要なのですよ。不明瞭な点が多すぎる」 艦内にヒューマンとシャーズの押し合いへし合いが続く。 「……ならば立ち会いましょう。公正な事情聴取をお願いしたい」ピルリムは無理に医務室へ入ろうとする。 「おやめください。危険も隠れているかもしれない」 ヒューマンの若い貴族に辟易したキマールは船医をうながす。「マクネイル様は昏睡あらせられておりますの で……」 「なんだと!! ならば尚のことお入りする」ピルリムは水兵たちの手のひらで強く押し留められた。 「どうして重篤の同胞をお守り奉ることがあたわぬのか!! 立ち会いのもとでの治療を至急要求する!! このまま叔父に何かあればシャーズを疑うものが現れるであろうな!!」ピルリムの後ろに控えるヒューマン の従者ふたりは主人の剣幕に泣き出しそうになった。 「い、いえ、マクネイル様はお眠りあそばされているだけで」言った船医がキマールに睨まれる。 「……なんと? なら上空で何があったと言うのです」 「ですからそれをお聞きしている」キマールの目つきがピルリムへ向けられた。 「わたくしの言い分など無いと言ったでしょう。初めに叔父を介抱した者は?」 「お助けさしあげただけです。当然のことですから特に何も」「その者をこちらへ」 「いえ……鳥の餌や糞がどうのと、普段の自分らのなぐさみの話をするばかりですので。しかしカスズに対する のと同じくキルギル・ゾラリアに忠誠を誓う者たちです。お疑いめされるな」 「ならば叔父も、空から毒やいにしえの魔法を撒いたわけではないということでよろしいですか」 「では、残ったどのような意図で御老体が長い梯子を昇ることになったのでしょうな。いえ、ピルリム様の見解 を知りたいのです」 「それは……。そうだ、わたくしの海の窮地に居ても立ってもいられず空からよく眺めてくださったに違いないの です。しかし高所に耐えかねて昏絶してしまったということですよ。きっと」 「いやそんな馬鹿な」キマールが失笑する。 「もう、いくらでも調査してください。何もしなかったのですから誰にも害がなかったのです。叔父も無事なので すから落ち着いたらわたくしどもが部屋に連れて帰ります」 「いえ、大事を取って兵を数名差し上げますよ。船医と給仕もお部屋につけましょう。このキマールはついてい きませんが」 「……そうですね」 (つづく) |
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