「撤退信号です!」「我々は全力で従いますが、よろしいですか!」シャーズの水兵ふたりが訊いてくる。 「あ、ああ、やってくれ」ピルリムは波の向こうに行けと手振りをして漕ぎ手ふたりをうながした。「さ……さっき聞 いた通りなのだろう?」 小舟が動き出す。「はい、我らの母船がこの海域に攻撃を加えます」ピルリムの従者たちは言葉を口に含 んだ顔で主人を見つめている。 「それで……片がつくかね」「つきます」「つきますから奴らも必死なんです」言われて後方を眺めれば猛然と 追いすがるセイレーンの姿。 「モンスターも花火の意味がわかるのですね」「美しい頭をしているからな」「しかし、一匹しか追ってこないよう に見えるのですが」従者に言われてピルリムは前方に向き直る。 「いえ、海中のほうが速いですから。敵の増援の可能性も頭へ入れておいてください」「一匹が頭を出してい るのは砲をいきなり撃ち込まれないため、自分らの位置をわざと示しているのでしょう」 「ではまだ襲ってこないのは仲間を集めているのでしょうか」「短艇を海中へ引きずり込まれたら砲も撃てない のではないかと、わたくし考えてしまいました」ピルリムとマクネイルの従者が不安な面持ちを突き合わせてい る。 「ええい、落ち着かないか」ピルリムの胸は先程から早鐘のようになっている。 「そうだ。我々も漕ごう」 「あっ、お待ちを」漕ぎ手がふたり同時に顔をこわばらせたのをピルリムは見逃さなかった。(おのれ、キルギル・ ゾラリアの民が海に不慣れだと思っているな)当たっていることを見透かされているようにピルリムには思えた。 「では舟を軽くするのはどうか」ピルリムは銛のための巨大《クロスボウ》を指差した。 「なるほどぜひ壊してください!」存分に八つ当たりができることになってピルリムの心は少し快哉を叫んだ。 しかし彼の身体は動きを止めた。反射的なものであった。「おい! 救命具を投げられないか!?」シャー ズの兵たちは怪訝な顔になった。 「いいから!」「はい! 《クロスボウ》で射出できます!」「救命具は床を開いたところです!」 「浮き輪か……」(しっかり硬いが水に浮かぶんだろうな?)「まっすぐ飛ぶようしっかり置いて!」 (どちらだ……。くそ)ピルリムは目標を探し巨大な弩を回転させる。従者たちは主人にぶつからないよう青い 顔で下がる。(人魚どもに舟底を鉾で突かれればおしまいだものな) 弦の、割合軽い音が海に鳴り響いて浮き輪は飛ぶ。舟の乗員すべてが行方を見守った。海上に頭を出す 役を務めていたセイレーンもまた首をもたげた。敵の女は急いで魚の尾をひるがえした。そして潜水。 「こちらが変わったことをしたので海中へ報告に行った模様!」「時間が稼げます!」 「そ、そうだろうそうだろう!」さすがはピルリム様よと従者たちにも賛辞を浴びせられる。 砲撃音。「なぜだ!!」シャーズ艦の左舷がこちらを向いて煙を散らしており、小舟の五人は宙に浮かぶ 鉄塊の姿をそれぞれの瞳に入れることになった。 「敵が潜ったのを攻撃開始と解釈した模様……」「全速退却!!」シャーズの水兵たちは形相を変えて猛 然と漕ぐ。(人の腕では無理があるだろう……) 「お前たち! 早くこれを海へ落とすぞ!!」ピルリムは《ロングソード》の柄で《クロスボウ》をひたすら殴り、従 者たちもひたすら倣う。 「くそ! くそ! おのれ!」ピルリムたちの奮闘が蹴りに変わっていた。留め金は不正規のやり方で外されて 舟の巨大な荷は海中の廃材になった。 「弾着します!!」「伏せて!!」 ピルリムたちはもはや人智が及ばなくなった自らの運命を、目にも耳にも入れまいとするかのように縮こまっ た。 「にゃん」という遠い叫びが海のどこかでしても聞けた者はいなかった。 |
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