「速いな。すごいものだ」猫人間たちには舌を巻かされてばかりだったが、こちらも助かると思った。水兵たちが 褒めていた見事な髪がゆらゆら水中で揺れ動く。 素早く泳いでくるあれを引き揚げてやれば終わり。船の上と比べものにならないほどの寒さが敷き詰められ た海から帰ることができる。(なるべく優しく手を牽いてやろう)とピルリムは思った。 「ピルリム卿、どちらを向いていらっしゃる」「何を言っているんだ。あっ、舟こそずれているじゃないか。これでは ノーラ嬢に手が届かなくなるぞ!」 「武器が伸びてきます!!」「お前も何を言っているのだ」ピルリムは自分の従者をたしなめた。と、言われた 通りの運命が訪れた。 海中から棒が伸び、貴族の外套が主人の代わりに突き通された。 ピルリムは肝を潰しつつ、自分の身体をずらした高波の幸運を味わった。 「鉾! セイレーンです!!」シャーズの水兵が呼ばわる。敵の武器が真っすぐするすると海へしまわれてい く。「モンスター!! 本当に罠だったのか!?」ピルリムは自分が見ていた海中の女の髪を確かめようとし た。 「覗かないで! 突かれます!!」「わたしどもが撃ちます!! お下がりあそばしてください!!」「ひい」ピ ルリムはシャーズとヒューマンに言われるまま四つん這いで、《クロスボウ》と従者の足の間を通る。 「駄目です!! 小型のやつには無用の長物です!」「お三方は刀を抜いて!」 「い、言う通りにせよ」ピルリムらは《ロングソード》を構えて背中合わせになった。狭い舟の中、ヒューマンたち の足音が集まって鳴った。(しかし剣が届くわけなかろう……) 大きな音がした。「こっち! 乗っかってきました!!」水と木の音だったらしい。「器用な!!」ピルリムが振 り向くと、セイレーンが目の前に《立って》いる。 美しいヒューマンかエルフのような顔立ちと上半身。そしてまったく魚のような腰と脚(のあるべきところ)。兜と 鎧で美麗に装っていても、えらで息をする者が陸の者とまともな言葉を交わすとはピルリムには思えなかった。 想像した通りに女が鉾を振り回せば、従者ふたりは海に落ちぬようかわすので精一杯になった。 「うおおおっ」ピルリムは周囲の四人の小者の手前見栄を張った。自分でもぞっとするような行いだったが、「ど うだ!!」――長物ニハ懐ニ入リテ対スベシ。剣術の基礎に思い当たっていた。 海の女はそれを笑った。肉薄した陸の剣士を少しかわすと、剣とともに突き出していた腕を掴んできたのだ。 敵の意図がわかったピルリムは顔を青ざめさせた。 「やめろっ!!」「離せっ!!」気持ちを強く代弁したかのようなふたりの従者がセイレーンに逆に掴みかかっ た。 と、セイレーンは自らの魚の部分を躍らせて舞い上がった、そう思ったうちに海中へ消えていく。 「き、器用な……」と水しぶきを置き土産にされたピルリムが呟いた瞬間、短艇の真ん中の底が突き上げら れた。 「素早い!!」 「違います、お三方の反対側から来ました!!「敵、二体を認む!!」水兵たちが報告する。 「おのれ! ひとりは後ろに行って漕ぎ手を守れ。お前は右舷、わたくしは左舷を守るぞ」 しばらく波以外の沈黙が流れた。二体のセイレーンは奇襲をやめたようで短艇の周回を始めていた。 「敵、三体を認む……」「わざわざ姿を現し始めたのはなぜだ……」ピルリムは前方の一体のモンスターから 目を離さぬようにしながら訊く。女は鉾を構えながら魚の半身で悠々泳いでいるようだ。 「おそらく優位を誇示しているのでしょう」 「黙っていきなり舟を沈めるのがやつらにとって一番ではないのか?」 「我々の母船が見えているからでしょう」「ああ……」(この舟が木っ端みじんになれば軍艦の砲でこいつらを 一息に打ち払うことができるわけだ。心置きなく)ピルリムはシャーズたちではなく自分の叔父の顔を思い浮か べた。 |
|