「悲しくねぇのに涙がとまんねえ! 痛ぇ!!」 「ざまぁみろ。あたいは笑いが止まらん」 シャットが頭の穿通からようやく解放されようとする頃、ノーラがまた何かを持ってくる様子が少年の猫の耳 に入ってくる。 「大丈夫か? 生きてるか? だったら、ほれ」彼女は両舷で音をさせていたようだった。 「なんだよ。素人のオレがやっていいのかよ」シャットは二本の櫂を受け取る。 「ああ。つまんない素人の舟幽霊くんのせいで航路がずれちゃったら軌道修正すんのは当たり前だろ?」ノー ラは手ぶらになると踵を返して帆をするする畳み、櫂を眺めるシャットの脇を通って舟の最後部に腰を下ろし た。 「あいって」彼女は手をつくと顔をしかめた。「うえっ。《ポーション》塗ってもらわなきゃだ」少女は夕闇の中で両 手のひらを見つめ寝そべった。 「ずいぶん長いな」少年は二本の棒を抱えた。「当たり前だろ。一人乗りの特注品さ。落っことさないようしっ かり留めな。二人とも途方に暮れちまう。へへ」ノーラはシャットのふらつく様子を眺めた。 シャットは櫂の凹凸を舷に合わせはめこむ。ノーラが怒り出さないのでこれでいいと思った。 「こんなのいつまで漕げるかわかんねえけど」聞いてノーラは眉をしかめた。「お前はあたいを笑わすのが好き なのか? やる前から音を上げやがって。船が惰性で進んでる間に針路を変えてくれりゃいいんだ。あたいが 指示してやっから」 ノーラは遠眼鏡を取り出している。「もう暗いぜ」「目標物はでかいんだ、なんとかなるなる。見えるまではあ たいの頭ん中の海図頼りだが、大丈夫さ、たぶん」 「へいへい」シャットも腰を下ろし、ノーラと向かい合う形になって両手に長い櫂を取った。 「どっちに行きゃいいんだ?」「針路、西北西」「いまどっちを向いてんだよ」「じゃあ、面舵五度」「それどっちだ っけ?」 「くそ、がっこ入りたてのあたいかお前は。右だよ、右にちょっと進めろ。そうそう、こっちを向いてるから右手を回 せば船は右に行くってわけだ。よくできました」「馬鹿にしすぎだろ」 シャットの疲労困憊は何重にも積み立てられていた。肩は重く、二の腕は張り、手だけでなく舟を踏む足と 腰まで痛みに襲われていた。 「おい……このままでいいのかい……」シャットは問いかける。「……」闇は返事をしない。 シャーズの眼と耳を凝らせば、少女が静かに船を漕いでいるのがわかった。 「おい!!」「うわあああ!! ……目をつむってただけだってば!」ノーラは遠眼鏡を構え直す。「あーっ、よ く寝た……」 ノーラの声ははずんだ。「見ろ見ろ、ここまであたいは待ってたのさ!!」 「見えるわけねえだろ……」あえぎつつシャットは暗闇を振り返る。 「まあね。細かい岩がたくさんだからな」「なんだよ……。島があるんだと思ってた」ノーラがへっへっと笑いながら 近寄ってきてシャットをどかした。彼女は帆を張り直す。 「ふーっ」シャットは風を受けて手足の熱を冷ました。「夜霧で風邪引くなよ」 「おっ」言われてみると白いもやが舟の周囲を流れていくのが見て取れる。いや、自分自身も、横柄な船長 ももやの中にいるのだろうと少年は思った。シャットは手すりにつかまってよく眺めようとして手のひらの痛みを知 る。 「不自然に濃いだろ? 岩礁に風が複雑に流れ込んで冷えて霧を起こしてんだってさ。よいしょ」ノーラは帆を 再び畳んだ。 「どけどけ。こっからはあたいがやってやる。一本だけよこしな」ノーラはシャットから櫂を受け取って立って漕ぎ 出す。 |
|