「すこし席をはずすから、しばらく待っていてくれないか」エルサイスはサーラ、ナーダらを手招きした。 「おう、好きなだけ小細工しろ。オークはしっかり待っているぜ」ガルーフは足を止め会議所にとどまった。 「余裕してると吠えづらかくよ! べーっ」ロリエーンはオークの前を通って舌を出した。 「小間使いはお客の応対をなさい」エルフの参謀がロリエーンを押しとどめた。 「はあ!? オークと二人っきりに!? いま刀を持たせちゃったのに! ナーダ、助けて!」三人のエルフは部屋から出終えた。 小間使い兼突撃兵のエルフはサーラの悪口をしばらく部屋中の空気にまき散らした。やがて観念しオークの使者の見張りを始めた。二人は互いに所在なげに部屋へ立ち尽くしている。 ガルーフはロリエーンをちらと見た。彼女は暗い目つきをしてこちらを見据え、時折これみよがしにわざと聞こえぬくらいの声を発して口中で弄んでみせてくる。ガルーフはさすがに耐えがたくなって部屋の木椅子をひとつ引き、おとなしく座ってみせた。 と、ロリエーンの暗い目が不意に紅く染まった。あれよと言う間に滂沱の涙となってこぼれ落ちる。「ぐすっ。うっうっ」 (なっ!!)ガルーフは声を発しなかったが、この上なくたまげた。(嫌味な演技じゃなかったのか!)「ど、どうしたんだ。大丈夫か」しかし、この小さなエルフがここで大きな悲鳴をあげたら? (あの背の高い参謀が飛び込んできて、俺を両断するだろう)ガルーフはオークの陣営でひと暴れしたサーラの大胆な手管を思い出した。「と、とにかく落ち着け、なあ」ロリエーンは何かに抵抗したいみたいにいやいやと首を振り、流れる涙は雫となって空中へ散っていく。 そこへ天幕が厚い布の音を出して開けられたので、オークの心の臓は胸の痛みを覚えるほど縮みあがった。 戻ってきた三人のエルフの眼差しは若きガルーフの心胆を寒からしめた。(葬列かよ) 「そちらの《式》が終わり次第、ぼくたちのシグールドはすぐさま迎えにゆく。そちらは時間を必ず厳守すること。すぐに迎えにゆくから」エルサイスとガルーフのかたわらでロリエーンは泣いた。 「なんだと!!」ガルーフは怒鳴りつけたが、自らの息は氷を吐いているかのようだった。 「同胞をただ見捨てるってのか!」そしてかたわらを指さして、「この女もお前らの仲間なのに、泣かせやがって!! もう俺は何に怒っているのかわからねえが、ひたすら腹が立つんだよ! 敵に全力で斬り込んで味方を助ける、それだけのことがなぜ出来ねえ!!」 ガルーフの立派な体躯は息を切らした。「今度こそ脇目も振らずに帰る! 長居をしたら俺の心の中まで穢れそうだ……」ガルーフは立ち上がるとかすかによろめき、天幕を開け部屋を出ていった。上げた片腕を振ったが、エルフたちへ振り向きはしなかった。 「じゃあな。今度会うのは戦場だが、なるべくお前たちは首を引っ込めとけよ。俺は心置きなく殴り倒してやるからな」 「……」ロリエーンは何をか思って静かにガルーフのあとを追う。 そして暗闇をひとり歩き続けるオークの背へ向かって弓を構え矢をつがえて、射る。 「よしなさい。気づかれるわよ」サーラの声を聞いて、ロリエーンが心に浮かべた弓と矢は霧消した。 「意地になって振り返らないんだもん。可愛いね」乾いた涙の貼りついた頬がにんまりと笑った。 「ロリちゃん、お願いごとがあるんだけど、聞いてくれるかい」 「もちろんだってば!」ロリエーンは踵に勢いをつけてエルサイスの方へ振り返ってみせた。「シグちゃんを助けるのは、このロリちゃんだ!!」 「ごめんよ、時間がなくて荒っぽい作戦しか考えられなかった」 「いいよいいよぉ!」ロリエーンはとびきりの笑顔を見せた。「落ち込んでたから難しい任務のほうがやりがいがあるし、なにより責任はロリちゃんにあるんだ」 「確かに当然よね。やってごらんなさい」「と……当然だよ。やるよ。当然だからね!」「前面はロリエーンに任せるとして、後背はいかように?」参謀は突撃兵を尻目に指揮官に訊く。 「それはサーラの言っていた通りに。オークとヒューマンの仲を裂くことはダムドらへの助けにもなる」 「……ありがとう……エルサイス」 「ナーダ!! さっきから、元気がないよ。これはみんなの命を守ることなんだ。あんたがオークに言ったことと同じなんだから、気にしなさんな! それに、悪党は思いっきり騙して、叩き伏せられるから楽しい。ふふふふ、ふふふ」 「なんで作戦を聞く前に勝った気になれるのよ」 「ふ。参謀がなにを言ってるんだ。ロリちゃんわかんなーい。まあ、豚の丸焼きは出来上がってしまうかもしれないけど、仕方がない」ロリエーンはうつむき加減なナーダのほうを見やった。 「大泣きしていたくせに、よく聞いてるのね」とサーラ。 「思いっきり泣くとすっきりする」 「鼻水もちゃんと拭いときなさい」「本当に!?」ロリエーンは慌てて桃色のハンカチーフを取り出した。サーラはロリエーンの話し相手の任から逃れて、 「南に使いを出すとして、フェリオンはもう発ってしまったけど」 「うん……。それで頭を悩ませている」 「あの、わたしで良かったら。さもなければ、モルガンを」ナーダはエルサイスに申し出た。 「いや、弓隊はこのまま数を揃えておきたい」 「ナーダ、ダムドやラスィのところへ駆けつけたいでしょうね。さっきは強く言ってごめんなさい」 「そ、そういうわけじゃないけど」ナーダは慌てたようにロリエーンの方を向いた。「ん?」と小さなエルフは応対する。 「ロリちゃん。ロリちゃんはいつから嘘泣きをしていたの」「ん、そんなことどうでもいいじゃない! おしえないよ!」 「南へ向かう有志一名をすぐ募ろう」エルサイスは会議所を出て、とっぷりと暮れた空を見上げた。南の方、漆黒の幕が遥か伸びる向こうにはキルギルの峻しい山脈が待ち構える。 |
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