「私たちエルフは滅んでエサランバルの魂魄にかわろうとも同胞を信じ続けるものですが、あなた方オークはそうではないご様子。そして我がはらからの矢はすぐに降り注いで、ここをエルフの矢の咲く死の野原へ変えることでしょう。こんな時はエルフは友の矢に中ることを恥とはしません。そうそう、わたくしどもはこの薄闇でも耳目の力をもて矢を放つことはたやすいですが、あなた方は鼻が効くのですよね。これはちょうどよい。先程はオークの屯田がままならぬ、とガーグレン殿はおっしゃいましたね。ほうほうのていで地に顔をまみれ、ぶうぶうと食糧を探しながらブルグナへ帰りつくことをお祈り申し上げておきます。我が神ユリンにね。再び着席しても?」 巨魁のオーク――おそらく、ロリエーンから名前を聞いた、ガーグレン将軍。(貴族の子弟だからエサランバルの蔵書に若い頃の似顔が小さくあったけれど、それだけ。なんの役にも立ってないわね)長命のエルフは思った。壮年のオークの腕はぶるぶると震え、手の先の《グレートソード》がびんと跳ねた。刃で椅子を差し示されたサーラは座った。 (ふん)小さくひとつだけ聞こえたのはオークの鼻息だった。闇に満たされはじめた天幕の奥を、エルフの目で覗けば若い旗持ちは長い旗を抱えたまま憮然と腕組みし、さがな口を並べ立てたエルフをじっと闇から見つめてくる。 「あ……あんた、さっきから暴れたり、変なことばかり言ってらっしゃる! 人質を取り戻しに来たんじゃあないんですか!?」旗持ちとはまた別のオークが恐慌をきたしたみたいに早口を並べはじめた。オークにしては腰が低くて、サーラは彼の身分を掴みかねている。 (ふん……いまシグールドの味わっている気持ちのほんの少しでも理解すればいいのに)だが、囚われの身の仲間を危うくしているのもまたサーラの言である。 「我々は齢を重ねすぎて生に倦んでおりますから、非道に立ち向かうためなら母なる大地に身を投じるなど軽いもの。私の屍はあなた方の居座るこの足元に再び花木を咲かすでしょう。これこそが生命の環」(ごめんなさいねシグールド。私は、目の前のこいつらを全て消し去ってやりたい気持ちのほうがどうしても強くなる) 「そ、そう、別にただで返す必要なんかないんです。返しやすいように安全な場所を選んで軍をそこまで進めてゆっくりと返しゃいい。人質を煮るなり焼くなりするのと変わりゃしません。わかったですか、エルフさん!」サーラは心の中で舌を打った。(この男、知恵をつけようとしてる)人質を口実にし土地を刈り取られ居座られるわけにはいかない。 ガーグレン、旗持ち、饒舌な者。あと残りひとりのオークは、今の発言と将軍、それにサーラの顔をきょろきょろ見比べるみたいにしてその色をうかがっては刀に手をかける真似までしてみせる。(彼はあきらかに焦っていて、危なっかしい) 「帰れ」声を聞かされて、サーラの思考はぶつ切りにされた。 「なんですって?」サーラと、喋った男の声が混ざる。「使者の話は聞いてやった。帰れ」 「お待ちを! 将軍は、いくさを有利に進めるのが兵法だとおっしゃられたじゃないですか!」 「兵法は道理に基づいて出来ておる。いくさに犠牲を払って勝ち得た俘虜をなんで返してやらねばならん。この女の言うことには道理が欠けておるわ。大道芸で誤魔化すことのできなかった間抜けなエルフは生き恥をさらして帰れ」ガーグレン将軍は大きな口を下弦の赤い月のようにして笑った。 「しかし、国際法によって人質の虐待は」サーラは《道理》を持ち出す。 「黙れ!! 戦勝国が一方的に決め、我らが神バランの聖なる文化を辱しめる法など法ではない!」 「なにが文化ですか! 生命を尊ぶエルフには到底受け入れられない!」サーラは色をなして立ち上がった。 「はっ! エルフはいつ死んでも構わぬと言ったではないか。じゃあ我らの手にかかり無様に死んでもよかろう」オークの将軍は声を立てて笑いはじめた。サーラの気丈な顔は歯噛みする。 「うむ。そうだ。そのまま踵を返して去るといい。貴様が無事なら我が軍も無事なのだろう? 命の大事なエルフ」ガーグレンの口の月は悪意によって歪み続ける。 「ブルガンディの法廷で争いますか?」「なに……」オークたちは一瞬動きを止めた。 (戦場がなんで海の真ん中に変わるんだよ)(あんたは黙っててくださいよ)旗持ちたちの声がした。 「島で肥え太るシャーズどもに言いつければいくさが済むとでも思っているのか? 書簡が地中海に届く前に全ては終わりだ。口を動かすしか能のない者は全て死ぬ」ガーグレンは両手で《グレートソード》をしっかと構えた。振りおろせばサーラの頭は割れる。 サーラは大剣の影から声を出し、「国際法は大陸すべての国が締結しているんですよ。コボルト、ゴブリン、ドワーフもです」(そしてあなた方もです、敗戦国の戦士たち)とまでは言わなかった。サーラには方策があるので、エサランバルの地を双方の屍で満たすことは避ける。 「だから問い合わせます。エサランバルの南を攻めるヒューマンの軍に」ガーグレンの顔はぐしゃっと歪んだ。 「ヒューマンだってあんたらの敵だろ!?」耐えきれなくなった旗持ちは叫ぶ。 「あなた方よりはましです。それに、先にヒューマンを宿敵と憎悪していたのはオークでは? そして、屯田に苦戦するオークがここまでやってこられたのはケフル城を中継したからですよね。同盟者を刺激してもよろしい?」 「馬鹿なことを……。向こうもすでに開戦しているに違いない」 「どうでしょう? 距離もましですね。ブルガンディへ船を漕ぐより遥かに楽な仕事。さいわい我が同胞には足の速い者もおりますから。さあ、エルフは無事に帰るとしましょう」 |
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