「さっさと出立しないとさ。道草をずいぶん食べちゃった気がする。ん?」ノーラが隣の老人の様相を覗き込 む。 「そ……そうじゃな……。わしもすぐ消えねば」不吉な予言をいう老人の蒼白な顔があった。 「じいちゃん、厠にでも行きたいの?」 「この港もとんでもないことになるぞ。わしゃもう御免じゃ」 ノーラの顔も同じくこわばった。「いっ!! そっちを先に言いにゃ! あたいの遭難より一大事じゃにゃいか よ!」 「い……今の今、お嬢ちゃんが言い出したんではないか!! ち……違う、これから言うことじゃ……落ち着 け……落ち着け」老人はまるで何かを払いのけたいみたいに手を顔の前で振る。 「あ、あたいがこれからなんか言うってえの? くそう、どこまで行っちまったんだ」ノーラは港の管理者の姿を探 して得られない。まばらにいる他のどの作業員に伝えるべきか悩んだ。(一体なにを?) 《本当だ!》《ハーピーだ!》「お嬢ちゃんはこう言った。絶対に言うんじゃ」 「ほんと!? この前やっつけられたハーピーがまた来るなんて」 「シャーズの軍隊がろくにおらんままじゃ」「うむう」港のありさまはノーラを黙らせた。少女がそれ以上に説得力 を覚えたのはおびえる老人の姿であった。目に見えるほど身体を震わせ、首の水晶のどくろは砕けそうなほど 鳴り、杖まで不安定にしていた。 「い、いつ来やがるのさ。言ってるあたいのことしか見えないの?」 「お嬢ちゃん一人じゃが、この港で間違いないようじゃ。視点は変わっとるが、風景は変わらん。天気も空の 様子も今と同じ……」 「あたい、すぐ出港するしにゃあ……。何も起きないうちから騒いだって誰も聞いちゃくれないよ」 「わ、わしは逃げるから、構わん、お嬢ちゃんも逃げてしまえ。こないだはヒューマンの若いのにやっつけさせた が、二度は無理じゃ、あんなこと」言うが早いが老人は長衣の裾をまくってできる限り走り始める。 「ああ、うん、わざわざ知らせてくれてあんがとねえ」シャーズの子は遠ざかりみるみる小さくなっていくヒューマン の老人の背に手を振った。 (どうにも確かめなきゃあね。シャルンホルスト家の名折れってもんだ)ノーラは片手で顔にひさしを作って晴天 の空の下で港のたった一人の歩哨となった。 何かが起こるまでの間、どきどきする胸をひたすら抑え、ノーラは空白の時間をただ歩かされている気分で いた。 「本当だ!」「ハーピーだ!」シャーズの猫の目は空中に目標を捉えた。 それはまさしく鳥の模様をしていた。ただし非常な大きさだった。 (モンスター級だ)空と海しか視界にに入るもののない地中海で目視訓練を繰り返した小さな海兵は判断す る。 しかし風に乗っている、というより流されるような運動状態にすぐ疑問を感じ、ノーラは観察を続けた。 次に笑い声を上げた。 「凧」長大なひもが陽光を受けてきらめき、このブルガンディ島につながっていた。 ハーピー避けに揚げられていた、ガルーダを模した囮凧にすくみ上がっていた皮肉を感じてノーラは笑う。 (でも、じいちゃんの話を聞かなかったらあたいはなんて言ってたんだろうか) (本当だ)(ハーピーだ)と思い込むことはなかったんじゃないか。ノーラは不思議に思った。 |
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