「ノーラ。お前や私は主人で、彼らは下僕だ」 「にゃ、にゃんだよ。そんなの分かって遊んでるんだから」 「シャーズは彼らを使うのが当然だ、と思う者のほうが多い。お前一人の気持ちでブルガンディの世は変わら ん。彼らの心は傷つき、社会という傾斜で地滑りし、手を伸ばしてくる愛情がゴブリンの眼には欺瞞や驕慢の ように映る」 馬車は往く。 ノーラは、父に想起させられた。優しく慎ましい召使いたちが心にしまっている表情を。 《死すべき者たち》すべての解放を唱えるヒューマンの一派が現れて運動を起こした時、シャーズのほとんどは 苦い顔と不安をあらわにしたが、ノーラは密かに喜んだ。 しかしその活動はブルガンディの騒乱と西方のエルフの窮地を生み、シャーズの下級貴族の左遷をもたらし た。 そして父シャルンホルストはゴブリン討伐の命を奉じてノルド河をさかのぼっていった。 父は凱旋の花吹雪を受け、帰宅し、隠れて黙って酒をあおるようになった。家に波風が立つことはなかっ た。母も夫の酒を止めなくなったから。(なんでだ……)娘は思った。 (父ちゃんだって昔は楽しくやってたじゃないか!!) 馬の蹄と石畳が噛み合って、いつもの音をブルガンディに立てている。 ノーラはドワーフたちと過ごしたさっきまでの楽しい気持ちをなくしていた。そういえば、いつまでも鐘の音が鳴 らない……と思った。自分の猫の耳が聞き逃すなんてあり得ないのに。 シャーズの子は鼻を鳴らす。ノーラは自分のために気付け薬を探していた。それはすぐ近づいてくるものだ が、彼女は一刻も早く欲しがった。 (あ)かすかに鼻孔に入りこむものがあり、希望の考えた幻想だったかもしれないが、それに輔けられて馬車は 進んだ。 香気はすぐに払いきれないほど強まってノーラと馬車を包む。 焼けた薫り、陽射しは強く、石畳は塩水に洗われ、苔むした海の幸が絡む。 「へへ、臭いね!」機嫌を取り返したノーラは馬車で港に入る。 ノーラちゃん、お嬢ちゃんとすぐに馬車は声をかけられるようになった。シャーズやヒューマン、そしてゴブリン。 魚河岸のさまざまな人々。 「ようノーラ、おやつが欲しいのかい」 「へっ、いらないよ。あたい、今日は遠洋航海なんだから」ノーラは馴染みの面々をいなした。 「ノーラちゃんの商談は鋭いからね! お手柔らかに!」 「だから今日はやんないってば! みんなの仕事納めより遅く帰るかもよ!」 「だって、その長い釣り竿を使ってくるんでございましょう?」 「ちぇっ! いいから通しなよぉ! 馬がひっくり返っても知らないよ!」少女は群衆をどかすと埠頭へ向かう。 「舟も馬車もすぐ片付けて出帆するからさ、いっちゃん安いところをもっと安くして!」ノーラは車上からシャーズ の管理者に声をかけた。 「本当にお嬢様のくせにせこいな!」管理者は見上げた。 「商人と泥棒はシャーズの仲間で敵。財布の紐をぎゅっと締めろ」ノーラは標語を唱えながら馬車を目当ての 場所に近づけようとする。 「いいよ。ノーラの言う通りにしてやる」 「ありゃっ。にゃんだよぉ、上手い話やめてよ」 「違う。軍艦の席がたくさん空いてて仕事が楽なんだ。ノーラは分かってくれるだろ?」 「そっか」ノーラがあたりを見渡せば、作業員があちこちにまとまりなく歩いていた。このブルガンディには大陸中 から富が集積され、各種族の軍が持ち回りで警護することとなっており、この小さな島に専用の軍港は存在 しない。 ノーラは上手い話に飛びついて自分の舟をいそいそと下ろした。進水の鮮烈で心地よい音が少女の猫の 耳に響いた。 「お嬢ちゃん、一人なのかい」「そーだよ。海で一人でなんとかする訓練さ」ノーラは老人の声に振り返って応 えた。「だから心配しなくていーよ」 「そうか、やはり舟幽霊か」 「……にゃに?」ノーラはヒューマンの老人を眺めた。禿頭、手には杖つき、首からは水晶のどくろを下げてい る。 |
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