(殺すつもりか!)『来ないで! 近づくんじゃないよ!!」 (しかし)ゴランは先ほど完全に負けたのだ。彼はここまで命を長らえてきたが、その経験を完全に凌駕する何かをあの赤い髪の女は携えていて、撥ねた男を気にも留めず乗り越え、この短い間にもう彼の手の届かぬところにいる。今のゴランはこの外国の都の昼間の陽光を思い出すことはできない。 アンジェリカは今度は叫ばずに白刃をきらめかせた。《ショートソード》だがどこに隠し持っていたかと思うような早業。妖しさを湛える鋼の曲線は海の外の気質によるものかもしれない。 (確かに二人の手に負えない相手かもしれない)自分たちが生きることが最も優先なんだ。(しかし) 「アンジェリカ、逃げろ!!」 逃げるどころか彼女はもう一人の女と接触する。赤い髪のほうから近寄ったのか? 深夜にぼんやり屹立する燭台たちはゴランに明確な答えを教えてはくれない。ただ、そうなったことをゴランの眼は映す。 紫の髪がちょっとの間ふわりと宙に浮かんだ。そしてこうべに付き従い地面に被さった。 「馬鹿にしていたけど、ウルフ!! 素晴らしいじゃない!!」一人立つ女がけたたましく笑った。 しかしすぐにゴランの側へ向き直る。男は夜風に吹かれながら全身の肌と体の中が熱く脈打つ感触を味わわされる。 「アンジェリカ!!」「あっ」ゴランは立ってひた走って赤い髪の女をのかせて仲間に駆けつけた。横たわる女は返事をしなかった。男が触れるほど風のような冷たさを伝えてきた。 「あんた……腹が立つわ。全然気が晴れないじゃない!!」「うっ」 ゴランは飛び退いて後じさった。目の前の女と交差することだけは避けなくてはならないとともかく判断した。どのようにすれば生き長らえるのかは分からない。見えない盾を使う女。 「一枚足りないじゃない!! ウルフに協力してあげようってのに!」(人の名なのか?) 女が走ってきた。走、盾、死。ゴランは敵の手札を思い浮かべた。 確証はない。考えてもいない。ただここまで生き延びてきた経験がゴランの勘となって全身を動かす。そしてアンジェリカのように懐刀を構えた。 女は表情をぴくりと変えた。ゴランは前に出る。女は再び異常な速さを出して、二人はすれ違った。 ゴランは生きている。(そもそも盾で轢き殺せるだろうに)躱したが挑発にならないようだ。 (盾が使えなくなっているな) 「ああ! この! 待て!!」ゴランは植え込みの間を縫って駆け出した。刃に恐れをなす女に追われようが気に留めない。 「卑怯者! 卑怯者!!」ゴランは女の顔を一瞬間思い浮かべた。 「ならもういい!」女は口中につぶやきを始めた。それは夜風を切って進むゴランに聞こえない。女の掌中にどこからか一本の矢が現れている。 女の肩を掴むもの。 「あ、あなた、なに!? 悪ふざけ!? もう……どういう!」女はひたすら大声を出して表情を変えていったが、赤い髪の下の両眼はただ濡れるばかり。 いつの間にか黄の光が静かに燦然と夜を満たしていた。中天にマーアムルが昇っている。 (なんだと、なぜ!!)ただならぬ歓喜の声色にゴランは振り向き足を止めていた。はるか崖の上、仲間の仕留めた標的が女の手を引いて去ろうとしている。 |
|