「なあ、待て!! まず、さっきの蹴りの話からじゃ! 見えたんじゃろう!?」老人の声の位置が低まって、 砂利の擦れる音がした。ゴランはつられて足を止めるのだった。「……何を言う。このありさまだぞ」ゴランは自 らの双眸をふたつの指で差した。老人は座ったのであろう。彼の目も、自分の目もどこにあるか分からない。 「目でなくても視える時がある……。知っとるか、人は五感のどれかをなくすと補おうとする」「誰が」「本能が じゃ」「ふん、それくらい聞いたことはあるが違うな。逃げると見せかけて襲いかかってくる、ありふれたちんぴらの 考えなぞ、シャーズの子程度でも想像がつくだろうことを想像してみたらどうだ、年寄りの知恵でさ」 「そんな児戯の話などしておらんよ。よいか、見えんのは自分の姿じゃ。しかしその図はこれから起きることなん じゃ。さしづめ、お前さんは蹴り飛ばされるわるもんの背中でも見たかな? どうじゃろう? お前さんの身体 はうまく隠れられとったかな?」唐突にあたり一面へ降り注いだのはけたたましい鈴の音だ。「……何を言う。 俺は行く」出港の合図に向かって、ゴランは足を踏み出した。「おいおい危ないっ!!」老人は再び砂利と擦 れて大きな音を発した。盲人のつっかけは桟橋のないところを踏み抜く。 「あ、あああ」老人の恐怖と困惑の声が続く。声が迷っているうちに、盲人の足は不幸を避けた。大股になっ たが、しっかりと桟橋にたどり着く。 「や、やはり見えておるのじゃな!」「ああ、見えてきた!!」ゴランは薄目で快哉を叫んだ。 「元気になったら仕事に行かなきゃならん。要領を得ないじいさんは置いてく。じゃあな」 「やめい! 本当にやめい! そっちこそらしくないぞ、ええと……お前さん、名前は言ったか? あっ」 ブルガンディのいかつい薬売りは不吉な予言をいう老人の視線からさっと逃れて旅人となった。 ごった返す港。ヒューマンに率いられた多数のゴブリンの盗賊団と、一羽のハーピィまでおまけについた大騒 動。それもただの時間の無駄であって、群衆は人生を消化していく。 船に乗り込むとすぐに人だかりというより押すな押すなの塊が目に入った。客の群れに相対しているのは船 員であろう。めいめい首から数字の書かれた札を下げているので、ゴランは舟券を確かめた。目は近くの字も 判別できるようになり始めている。 券の表記に従い列に並んで一人の船員に近づけるまで待った。 彼は、先程の英雄の功績と、眼を気づかう言葉をかけてきたので、ゴランは無言を返してやった。そして鍵 を受け取った。 ただの客のゴランは自室を目指す。無理にでもくつろぐと心に決めたが、自分の体験と老人の言葉が心の つっかい棒みたいになって忌々しい。と、地面が揺れて、部屋の捜索という同じ冒険に就いていた同志の客ら が声を上げた。 (出発を急いでやがるな)船長の判断に文句はない。エルセアの仕事に遅れればこの身がどうなるか。 (いや、仲介人はいつも男だぞ)心にふたつの赤髪が浮かび上がったのを消し去りたい。女の長い髪。(それ だけでどうしろってんだ、くそじじい)心にこびりついてしまっている。(鵜呑みにしすぎじゃないのか、ゴラン) 壁の柱へ頭をぶつけた。「いて」(やれやれ、隙だらけだ。ここで頭を砕いて死んでおくか?)あらためて目を 気づかうが、もうほとんど意識していなかったのだ。本調子と言っていい。 視力を確かめていると目当ての表記を発見したので、ゴランは割と単純に溜飲を下げた。 (つづく) |
|