(やりたくないが、やっている) ゴランの嫌う言葉だ。 天より下った光は彼の光を凌駕した。その直前まで、ゴランは視ていた。 髪は逆立ち双眸には憎しみの皺が幾重も深く刻まれていた。ゴランの顔もいかついと自認しているのだが、 このモンスターの女には文字通り(顔負けだ)と若者は空に舞いながら心に感想をこぼした。衝突するのはこ ちらの意志であり意志ではない。常人の倍はあるかと思われる巨鳥人の貌は迫った。 (くちばしはないのだな)意に沿わぬ接吻を交わすことになっても俺の口は裂けずに済むと思った。ヒューマンの 弱い首が音を立てて折れるだけだ。 ゴランが死にに行った時、相対する死神の顔つきは歪む。ゴランは見逃さない。(もっとおびえろ! おびえ ろ! モンスター!!)《スリング》の狙いは定まった。 (やりたくないが、やってやる!) 風雨吹きすさぶ中、天の雷雲から光が下されたのはその時だったのだ。 「何!!」ゴランの心は氷結した。視界は七色に塗りつぶされ、輝く幕が垂直に現れてゴランの目の前に貼り 付けられた。 「ぐっ、ぐっ、ぐう!!」舌を噛まぬよう固く閉じた口から悲鳴が漏れたのでゴランは自らを恥じた。七色の幕は 身体の回転と一致して舞い踊る。 ドワーフの神へフスの、固太りした胸や腹の感触。空中に体勢を崩したゴランは港の大地に転げ落ち、土 の硬さをしこたま味わわされた。こすれた全身は熱い痛みに包まれてきしんだ。利き腕はまるで抜けてしまいそ うな痛みが充満している。 船客はみなハーピィに立ち向かった勇士から引きずさっており薄情さを感じさせたが、それが体術をもつゴラ ンに安全な結果をもたらしてくれた。 「どうなった!! どうなったのかと聞いている!!」ゴランの眼には訊く相手が入らない。彼は天に向かって叫 んだ。雨が開いた口、鼻にすこし入ってきた。両眼にも入るが、《幕》は洗い流されない。ゴランは水流を知覚 したが、それが光か肌触りによるものか判然としなかった。 「ぎゃーっ」答えたのはモンスター自身だ。縦に回転するような、奇妙な羽音がゴランの耳に入れられてくる。 ゴランは身を硬くした。靴の音が迫ってきて、袖を捕まえたからだ。背中がぽんぽんと叩かれる。 「す、すごい、縦回転じゃ。見てみい。み、見えんか」はあっ、とゴランは老人に向かってため息をついてみせ た。 「命中したか」「あんたのおかげじゃ。ほれ、あの馬鹿もあんたと同時に落っこちたぞ。ほれ……」ゴランの利き 手が取られどこかを示す体勢にさせられた。「痛えな」しかし、さすがに自分で投げた《スリング》で致命傷を 負う真似はしなかった。利き腕は激痛にさいなまれても異常な症状ではない、と判断した。他の部分が重篤 なのだから。 「これから仕事だってのに」もう片方の手で顔をいくらぬぐっても目の前の輝きは取れない。 「な、なに、おかげできゃつも見えんようじゃ。世にも珍しいハーピィのクラーケン踊り。だが、そんな身体でまー だ海の向こうへ行くんかい?」 「余計な世話だ……いや、こんなずだぼろなら辞めさせてもらえるかもしれん。はは、ははは」ゴランは口を歪 めてから開けて笑い出した。笑うたび、見えぬ視界に火花が散る。 「おまえさん、変なところで前向きじゃな」老人の声は響く。周囲の有象無象はこの自分の症状について勝 手な憶測を大声小声で飛ばしているのがゴランにもわかり、ひたすら忌々しく感じられた。 「しかし、ほんによくやったよ。そんなに照れるな。偉い、偉い」「舐めるなよじいさん。これはゴブリンどもの安 酒のせいだ。しかし、酒でも飲まなきゃやっていられんことになっちまった」しかし、口に出してみるだけでも頬は 熱くなり額は明るい気分に変わり、全身の痛みに少しだけあらがってくれる。主人が気難しい若者であって も、人の体というものは単純にできている。 「ま、まだモンスターが空にいる。か、隠れよう、な?」「痛いぞ」老人に支えられていた腕が引っ張られたので ゴランも共に座ることにした。空をつんざくような鋭い針の音がひっきりなしに響き始めて、老人はそれに心をこ ごめているのだろう。 「ん? 弓矢か」「お、おう。船乗りどもがようやっと攻撃を始めたわい」「人間には当てんよ。もう俺はここで働 かなくてもよさそうだな。ハーピィはどっちに追いつめられてる?」 「や、山に向かっとるわ」ゴランにも矢音の指す方角は分かった。 「だろうな。住処にお帰りいただくのが一番楽だ」ヒューマンの船乗りはあわよくば討伐を狙っているのだろうが、 (こういう場合も冒険局は払ってくれるのか? カスズ軍の褒美ももらえるのか? それとものろまなガルテー 軍かキルギル軍の責任になるのかな) 「そらそら、早く逃げんかい! 見よ、モンスターめ、あっちへふらふら。奴も見えなくなったようじゃ!」「やれや れ、哀れなもんだ」誰にともない言葉がゴランの口から出た。死の運命は港の人間からモンスターにすっかり 移し変えられたのだ。 老人に支えられていない、もう片方の手が握られゴランの安息はそこで止まった。 「おい!!」ゴランと、もうひとりが同じく声を出して衝突した。塩辛い声だった。 |
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