「ガートルードよ……。信じられない、自分の良人を。うう」女は自分の顔を両手で覆う。溢れる波のような 見事な赤い髪が白い肌の腕にかぶさった。 女がやんごとなき者の名を叫び始めるのではないかと男は危惧して、思わず自分の声を低めてなだめた。 年の頃は若く痩せ形で頭に灰色の髪を蓄える。 「なら他の誰がやったの。教えて、教えなさいよ!」女の長く長く赤い前髪の隙間に片方の目が覗く。「あなた も喜んでいるんでしょう。魔女と王子の醜聞が消えてなくなったと思って! あああ!!」ディオシェリルは自分 の吐いた言葉に向かって眼をかたく閉じた。 「そんなこと思うものか! 兄さん……兄とは違う」壁際に立ち、今までディオシェリルをただ見守っていたモン ドールは反駁した。「ウルフの話はしてない!」女の言葉が鋭く返った。 「気にしないでやるよ。飲みすぎだ」モンドールは舌打ちしてからそう言う。 「一滴も飲んでない! あんたが持ち込んだのでしょうが!!」ディオシェリルは卓の盃を手で思いきり押しや り、中身もろとも木張りの床に破壊させた。 モンドールは危ぶんだが、卓の上に置かれていた札は汚れていなかったので、彼女はまだ冷静であろう、と 彼は自らへ言い聞かせた。 慰みに給仕役として呼ばれたグレムリンは床から、赤ワインにまみれた盃だったものを拾い集め、捨てに行く 顔をして宿の扉を精一杯開き、出ていった。 (『給仕』は君が呼んだのだろう)青年は女の気まぐれに腹を立てた。 「一匹は始末したけれど一匹は……うう。こうなったら責任を払わせてやらなきゃ」 「なに? 何!? ここでしばらくおとなしくしていないと駄目だ!」モンドールは立っていたが体勢を崩した。女 の赤い髪の下から漏れ続く言葉は看過できないものだった。 「出ていって。考えがまとまらないじゃない。大逆人の言葉は聞かないほうがいいでしょ」 突如、ガイデンハイムの酒場に似つかわしくない声が上がり、二人の魔術士は扉の外に鋭く注意を振り向 けた。 グレムリンの悲鳴だった。 次いで部屋の扉が外から叩かれる。 「お客様、大丈夫ですか。ご無事ですか」 モンドールはディオシェリルのほうを見やった。(モンスターが出たから、従業者が客の安否を確かめにやって 来たんだ) グレムリンの主人は口をつぐんだままうなずく。モンドールも扉をわずかに開けることにした。部屋に籠って素 知らぬ顔をすれば必死になって鍵を開けてくるだろう。 外気が入ってくるとモンドールは顔をしかめた。ディオシェリルも小さく声を出した。 扉の隙間に二人の予想とと違う顔つきが覗いていた。髪をくまなく剃り上げた僧侶だった。 「ああ、ご無事でしたか。見てください、我が足の下を」モンドールは禿頭の者に言われるがまま、開けた扉の 下を眺める。 そこにはグレムリンが囚われていた。モンドールの背後のディオシェリルは黙ったままでいる。きっと前方のすべ てを睨んでいるのだと青年は思った。 「まだしっかり生きていますよ。しぶといですね」禿頭の者は自分の脚に力を込めた。グレムリンは再び悲鳴を 甲高く上げる。 モンドールは自分の表情をどう作るべきか考えあぐねたが、少し顔をしかめることになった。唐突に魔力の発 散を感じたからである。 「消えた、消えてしまったぞ。馬鹿な」禿頭の者が脚を持ち上げ小悪魔の姿を探している。 「死んだか、帰ったんじゃないの。魔界に」ディオシェリルは卓上に頬杖をついていた。 「馬鹿な。唐突に完全に消え失せた。貴方がたは何もしていらっしゃらないのに。そんな馬鹿な」モンドールは 卓上に置かれていた札もまた失われたことを確かめるのだった。 |
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