ノーラは頭をかいた。 (海の上で飢え死にしたら家の名折れだけど) 商売相手にして商売敵となったティアラに貸しを作るわけにいかないと思ったのだ。 あの子供、シャット。思わぬ儲け話として転がりこんできた少年がノーラの財布を目減りさせている。 弁当は思わず分け与えてしまったが空腹は我慢するまでもなかった。忘れるほど操船に大忙しになったか ら。想像よりも減っていたのは真水である。 (なんでお茶なんか沸かしちまったんだ! 上等なカール茶を!) それと舟の損耗である。暴走した際の船底の損傷と、帆柱の湾曲。 「いったい何をやったの」とこの要塞の整備兵に先生が生徒を見る目で訊かれて、「はあ、一人で綱を張りま した」と見習い水兵は偽りなく述べた。 それは先の「この島まで単身やってきました」という報告と合わせてその場の整備士らを一斉に沸かせた。自 分の発言を信じたのか信じなかったせいかはノーラは識別しなかった。 「一人でなんでもできる、これがあたいの実力さ!」とシャットに向かっていばるような気持ちになれなかった。 ノーラが基本修理だけを依頼したことも周囲を苦笑させた。「板の継ぎ足しはあたいがやります」と。 見習いとはいえ軍人同士、うまく言えれば修理代も不要で済んだろうが「時間がにゃいんだよ」 ノーラは装甲板と時間にお金を出して買った。自分の脚にちょっと気合いを入れればティアラの店を避けて 通っても必要なものを揃えることができた。 しかし疲れた。「あーっ……」ノーラは貴重な時間を使って船底へ倒れ込んだ。 (でもこいつに乗っていけるだけ楽なもんさ)ノーラは船体をさすった。(あたいはこの手のひらばかり怪我したつ もりだったが、こいつにも同じく無理をさせてたんだ) 大事な舟に頬を当てていると響き渡るものがある。ノーラは飛び起きるべきか迷った。 (け、憲兵さんか!?)けたたましい足音。このシャーズ海軍の要塞で異物となるのは自分ともう一人しかい ないはずだ。 (その本人じゃないかよ!)不意にノーラの舟に上がり込んで、なんだかんだで従者にしてやったが、すぐに暇 をやった少年。起き上がろうとする貴族の少女に彼は飛び込んできた。 「にゃ、にゃんだよ、お前。悪さして追われてんだな!」 少女の猫の耳は少年につねられた。「痛ーっ!! にゃろっ!」下敷きになっていたノーラは身体ごと回転、 その力でシャットを投げ飛ばす。「シャーズ柔術、どうだい!」 宙を飛んだ見習いシーフは体勢をやや崩しつつ着地する。 「おお。怪我したらどうしようかと思ったけど、いいねえ」ノーラはシャットの才を称賛する。 シャットは汗みずくの顔から荒い息を吐き出し、「はあ、逆だ、逆、このやろ……」 「港だって遥か向こうじゃないか? あたいらは迂回してこの島へ入ってきたんだから。それに、よく昼間の停泊 所までたどり着いたもんだ」 「はあ、はあ、道順くらい全部覚えろって……がっこで言われてんだ……。窓を閉められたって、曲がりくねった って……」 「なに言ってんのかもうわかんにゃいな。しかし、ゆうべの夜中もそんなこと言ってた気がするな」 「ん。あたいの投げがさすがに効いたか。待ってな」立ってこちらを睨みつけるのもつらそうな少年の様子を見 て、ノーラは舟の備え付けの槽へ歩いていく。 「買ったばかりだからね、冷たいぞ」シャットはひしゃくになみなみ湛えられた真水を奪うように飛びつく。 「はあ……。返せよ、オレのエリアルの実!!」飲み干したばかりの冷水を吐き出さんばかりに少年は吠え た。 「えー? あっほんとだぁ」言われてノーラが懐を探れば二人の目的の品は確かにあった。 |
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