シャットはぼんやりとしていた。この退屈な海の上。 茫然とした視点は、水平線に沈みはじめた夕陽を通り越し、華麗で豪放で危険極まりないシャーズの少 女に注がれる。 ノーラは海の向こうを覗いていた。片目に長い筒を押し当てて。 (遠眼鏡を自分で持ってやんのか)シャットは学校の備品を思い出した。倉の掃除当番を楽しくさせ、将来 のシーフの生業の中での使い道をよく夢想したものだった。 「なんだよ、嵐でも来んのかい」 「来るわけないだろ! こいつより眼が良くたって雲は見つからにゃいよ!」遠眼鏡の中のノーラの眼が少年を にらんでいる。(あんた以外に見るものがなんもないってことかよ) (じゃあなにをやってんだと聞いたら怒るんだろうな)そう考えていると、ノーラはようやく遠眼鏡から顔を離し、シ ャットの次なる退屈しのぎに変じてくれた。彼女が次に力を借りようとしているのは図形を複雑に組み合わせ たような道具だった。 (六分儀かなぁ)算術の授業を思い起こさせる。シャットは航海や水夫についての数少ない知識を動員し た。ノーラは夕闇色に染まりつつある道具の、文字や数字に対する文句を言い立てている。 悪態がやんで、少女船長は帆を固定する縄の調整に取りかかったようだ。両舷へ頑丈にゆわえ付けられて いたそれを片方ずついじる。 「うわっ」舟は覿面に反応し、乗客の少年もまた驚かされた。 「あっ。悪い悪い。転覆はしないよ、落ち着きな」シャットの退屈は一瞬で吹き飛び、帆の受ける風の意外な 強さを知った。 大洋は先程からノーラの悪口を受け止めている。 ノーラは風と戦っていた。彼女は真摯に海を急いでいたつもりであったが、素人の少年と同じだったかもしれ ない。長らく退屈に倦んでいて、風力にたかをくくっていた。横着して帆をたたまずにその角度を変えようとした のが運の尽き目であり、海神メーラがばちを当てた。 両舷の綱を腕で抑えたり、脚をからませて解決しようとしてもゆるめた綱を留められない。風が強くなるのだ から。(尻尾も役に立て!) ノーラは苦しい中に空腹まで覚えはじめた。(腹ごなしにちょっと働くつもりだったのに!)メーラの息吹は強ま り、航行ますます順調、ノーラの全身は苦しめられる。 「なあ……何か手伝うかい?」声が背後から聞こえた。ノーラと少年の付き合いは短いものだったが、らしくな いと感じるほど小さな声だった。 「にゃ、何がお前に分かるってんだよ。素人が立ち上がってたら振り落とされるぞ! あたいに心配かけるひま があったら寝てにゃ!」ノーラは精一杯首だけ回して言う。(両手両足が塞がってたら指図もできないよ!) 「だ、大丈夫かよ。見てるとオレまで疲れてくるんだけど」「じゃあますます寝てなって!」 ノーラは孤軍奮闘を続けた。(くそ、風が弱まらないと。弱くなれよ、弱くなれ!)風は強くなった。当初ノー ラが予測し、航海の予定を立てた通りであった。しかし風はノーラの予定になかったものも運んできた。 「おい!! 本当にぐっすり寝るんじゃにゃい!!」 「うわぁっ!! 退屈で堪えてたんだよ。……不意に眠れるのはすげえ気持ちいいな!!」ノーラの怒鳴りつ けた背後の安らかな吐息の主が飛び起きる。 |
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