ノーラは《シミター》を手に戻った。 「平民ならがっこで叩き込まれると思うんだけど、切り捨て御免は知ってるだろ? シャット、お前は我が家の 名誉を思いっきりけがした」 少年は眼を見開いた。昼間のシャーズが瞳孔を開いている。 「謝らなくていーよ。腹が立ってるあたいにゃ聞こえないし、舟底を血でたぷたぷさせたって沈んだりはしないだろ うさ」シャットは素早く後じさった。船材の木の音を大きく立てたが、同族の強力な少女からひたすら最長距 離を取りたがっている。 「ああ、海に首を出そうとしてくれてんのか。いいって言ったろう? あたい得意じゃないんだ、斬った首が海に 逃げちまうよ。いま誰も証人がいないからあたいは罪に問われるだろうけどさ、裁判所には正々堂々出るから 安心しな」シャットは鳴き声も出さず後じさりを続けた。少年の腹と腰が不格好に上下するのは尻尾が下敷 きになっているからで、ノーラは舌打ちした。 「あたいは甘っちょろいお嬢様だけどさ」ノーラは《シミター》を肩に担ぐ。「だから居心地いい世界をはっきり知 ってるんだ」額の汗をぬぐう。地中海の青ざめた陽射しに影を作りたがって、自身の頭巾を引っ張った。青い 布地はとうてい役目を果たせずに元の形に戻っていった。 「嘘っぱちのお芝居だろうと、そこにしっかりあって、感じた気持ちは本当だ」 「きみ……シャット君だっけ? 平民の気持ちが分かるかーって演説をぶったけど、あたいは全部を知りたい んだよ。そういう腹の立つ言葉でも耳に入れたい。みんなと仲良くして上に立ちたい。それが貴族で、提督 で、船長なんだ」 「だからすでに仲の良いあたいの家の名誉をこなごなにして突き崩したい奴はぶっ倒す!」シャットはいっとき 黙ってノーラの顔を見つめていたのだが、縮み上がった。 ノーラは再び額の汗をぬぐう。 「ああもう、冗談だよ!」ノーラは《シミター》を海へ放り投げた。 「あ!」シャットはようやく叫んだ。 ノーラから灰色の何かが伸びて、《シミター》は舟の上へ戻った。「へへへ、尻尾は上手く使わないとねえ。つ いさっきまでは冗談じゃなかったんだけどね、演説したらすっきり頭が冷えるもんだ。そうだよ、あたいから仲良く しなきゃいけないんだ」ノーラはシャットの手を握って助け起こす。 「お前みたいなまるで知らない奴の世界をあたいは見てみたいって思う。だからこうやって船を作って漕いでん のさ」 「べ……別に見せもんじゃねえよ。勝手な姉ちゃんだな。一人でべらべら喋って納得して」シャットは手を引っ 張られて立ち上がった。 「そうさあたいはわがままさ。平民君のことは時間をかけてわかってやるよ。お前のほうがただのわからず屋だっ たらこいつのさびにしてやるさ」少女は舟底に転がした《シミター》をことさらゆっくりと拾い上げた。シャットはたじ ろぐ。ノーラは笑う。 「へへ、いつでも得意の水練で逃げちゃえばいいじゃないか。でも、思いつかないくらいびっくりたまげてたから 哀れっぽくなっちゃった。あたいの舟に追いついたのはすごかったのにさ! 泣くなってば」 「泣いてねえって」シャットは額をぬぐった。水練達者な少年の身体はすっかり乾いていたが、暑さと怖さに苛ま れていたようだ。 「それと、速力と重量とお茶だ。一人乗りの船にただで乗っかってくんのはしゃれにならないかんね。覚えとき な」 (つづく) |
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