「目の前のちびシャーズが鮫に勝って帰ってきました、なんて吹きやがってさ」 「小さいって言うなよ。言い争うのも面倒くせぇや」シャットは大あくびをした。良い歯並びと鋭い牙が海上の陽 光を湛える。 「もう寝てもいいかい」 「凍え死ぬからよしな」「飲ませるから眠くなっちまうんだよ」シャットはノーラからまた熱い茶をもらった。シャーズ の少年はノーラより紅茶碗に口を向ける。別に説得の必要はないのだ。極度の疲労の末、見つけておいた 漁船かなにかに上がらせてもらうと、海の上で暇を持て余した漁師かなにかはたいてい優しい声をかけてくれ るので、物のやり取りはせずにいると海に返してもらえるのが常と少年は信じていた。 身体と態度の大きいシャーズの娘が一人で切り盛りする舟に乗り込んだことは初めてであった。 それを怖がる気持ちは少年に発生していない。内在していても抑え込まれていたのかもしれない。 急いで海から上がる際に口唇から引き込んでしまった海水。苦しみそのものの味わいを押し流して忘れさ せてくれた滋味。一息に飲みくださず口中に転がしたくなる茶葉の驚くほどしっかりした感触。「もう一杯くれる かい」 「あいつ……鮫の亡骸が上がってこないじゃないか。追ってきたら責任とれよなぁ。……あいよ」ノーラは喋りな がら紅茶椀を受け取る。シャットは彼女の言葉をぼんやりと受け止めた。 「それ、すげぇ美味ぇな。眠くなるくらい美味いよ」 「ああ、カール茶だよ。銘柄までは知らない」ノーラは鉄瓶を椀に傾ける。 「カール茶!? 姉ちゃん、金持ちか、やっぱり……親分?」シャットの頭は急速にはっきりして、渡された椀 と渡してきた娘を繰り返し見比べる。 「まぁ、飲め飲め。舟の上で焚いた薪のぶんちゃんと飲めよな。こんなに気前がいいのは金持ちだからだぞ!」 「そうかもなぁ……そうかも。海賊ならオレに親切にしない、その前に高価なもんは開封しない。値段に瑕がつ くし、証拠になって足もつくってもんだ」シャットは待ちかねた茶をすする。喫茶にまるで縁のない少年でも耳に する、ブルガンディでも最上の茶の温かい流れが胃から全身に通っていく気持ち。 「おっ、詳しいんだ」 「将来は仕入れ商になるからな」 「はははは! シーフだろぉ!」ノーラは手を叩いて笑う。「提督を目指せよ。シャーズっ子の将来の夢といった ら提督だろぉ」 「ああ、姉ちゃんはそうだろうな」「うんまあ……そうかもにゃ」ノーラは自分から持ちかけた話をばつ悪そうに受 け流すのだった。金の髪をばりばり掻く。 「オレは才能があるってさ。学校でも褒められるんだぞ」 「うそつけぇ。一体どんなんだよっ」ノーラは鳩首になって問いただす。 「隠れる才能さ。かくれんぼどころじゃないぜ。このまま背があまり伸びなかったら一流も目指せるだろうって評 点をもらったんだ」 「はは、確かにそうかもしんないね。なるほどねー」 「笑うなよ! 声まででかい姉ちゃんだ」 「んん、そんなに大声だったかにゃ。いやいや、腑に落ちたから感心したってことさ。あたいは身体がおっきいから 強いってのも才能だね。学年で優勝だぞ」 「えばりんぼだなぁ」 「でも、小さくて強いほうが上等かもしんないね。ドワーフは強かったなぁ。てぃやっ!」ノーラはいきなり腰を上 げてそのまま飛び蹴りを放った。彼女は海に落ちるはずもなく舟の縁になんなく立つが、シャット少年は傾いた 舟の挙動に悲鳴を上げるほど翻弄された。 |
|