老人は手拭きで額をぬぐった。剃り上げて頭頂にのみ残した髪さえ汗に濡れていたから拭く。あごひげも気 になったので髪ともども櫛を入れようと思った。 「ええい!」櫛を奥深くしまい込んだほんの少し過去の自分を呪う。しかもどの行李に入れたものか。 (下手にがちゃがちゃ掻き回したら、瓶やアイテムを壊してしまうなぁ……)老人は長い整頓の末に我に返って 途方に暮れる思いに浸された。 「騒がしいのう」開けてあった扉からもう一人老人が顔を出した。とんがり帽子にたわんだ長いひげ。 「うわぁ! うるさくして申し訳ないです! なんだ、ザルサイ師ですか」 「なんでわしだと安心するのじゃ。まぁ、わしは師匠たちの中の穴扱いでも構わんがの。音はあまり立てとらん かったが、その魔力の発散のしかたはどうなんじゃろうな、ブライド」魔術士ザルサイは生徒に声をかけた。 続いてザルサイは荷だらけの個室を見渡す。「しかしご苦労なことじゃ。普通に使い魔どもにやらせりゃよか ろう」 「そっちのほうが疲れてしまいますよ!」ブライドは答える。「何匹も使って魔力を与えていたらすぐへとへとで す」 「なら何のために使い魔がおるのじゃ!? 落ち着いて魔力を食わせてゆけばお主でも問題なかろう。掃除 で自分の魔力を失っていくほうが問題じゃ!! ……このわしに真面目に指南させたのは面白いがのう!」 ザルサイは自分の白いあごひげを軽く引く。「そういうわけじゃないですが……」生徒はまた汗をかいた。 「ならばあれに手伝うてもらうのはどうじゃ」壁の向こうから大きな音が聞こえてきて、魔術士の師はそちらを指 差した。 (今日も始めたのか、学院の中庭で)とブライドは思うが、「モンタズナ殿は人を手伝う気質ではないでしょう」 「そんな根性は先輩が叩き直してやったらええではないか」 大きな音が鳴り響く。「いや……頼みを無理強いする話を偉そうに言ってもですねぇ」ブライドは音の正体を 想像した。(また金属が石畳を踏みしだく音だろうけど)機動学のモンタズナ。天然のモンスターであるゴーレ ムに金属を混ぜ込んで意のままにすることに彼は没頭していた。痩せぎすで薄青の髪を持つ秀才。 「新入生に負けるでない! 『《アイアン・ゴーレム》が正しく歩行できるようになるまで、諸師は偉大な破壊 力の航跡をお歩きくださいませ……』」ザルサイはモンタズナの口真似をした。 「そうじゃ、やつの師はどうじゃ。ダヌンチオ」 「もっと気難しいではないですか。引っ越しの手伝いなど、かけらも芸術的ではないでしょ」 「構わんじゃろ。ディオシェリルにふられてから寂しそうで暇そうじゃ」 「え、両師はそんなお仲だったのですか」 「まあ、そうでもない。彫刻のモデルを頼んだが、すぐ『暇ね、飽きた、忙しいの、じゃあね』とほうきで飛んでか れたそうじゃ」とザルサイは笑い出し、生徒ブライドの失笑を誘った。 目の前の皺の刻まれた顔が笑い声を上げるのをやめている。 (!)同じく老いた魔術士のブライドは、遥か昔の修業を思い出す。一つのりんごが置かれた。ただそこに在る 果実から全てを悟ることになる、強く記憶に留まる教えであった。 身体を離れた心が満たされる。二人はその体験を再びいまこの場でしている。 「なあ、訪ねるかね」 「でもしかし」 「山を下りる支度なぞ、いつでもできよう! 魔術士らしくするほうが楽しいではないか!」言いながら魔術士 たちは思わず足で駆けていた。彼方および自らの心にはっきり形作られている、人の魔力に向かって。 「しかし大したものじゃ、わしの魔力に気づかぬブライドほどの者が察知できるのじゃから!」 「お褒め……なのですか……? はあ、はあ」 「馬鹿正直に走らんと《クイック》を使えばよかろう? 基礎から話してやると、《バイタル》は効かんぞ。いや、 わしが《バイタル》をかければええか」 ザルサイの詠唱のために二人は止まる。止まると、ブライドの耳に《アイアン・ゴーレム》の動く音――動くた めの音とモンタズナは言う――がまた入ってくる。 《バイタル》を受けてブライドの呼気は穏やかなものに変わる。「……ザルサイ師やモンタズナ殿を感じられない わたしが感じられるとは、どれほど大きなものなのですか、彼女の魔力」(あの人は静止しているようだが、別 のものを操っているようだ)ブライドはそう感じた。 |
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