最新の地図。羊皮紙の上に平たく広がっている。 上、下、左、右、奥、手前。眼前の洞穴はありとあらゆる方向へ広がり伸びているが、少年は『双方に違いなし』、と別の羊皮紙に書き入れた。本能は正しく働いていると彼は自負する。少なくとも担当地区においては。 彼の先輩かつ同胞たちは、この堅苦しい地肌と毎日喧嘩しており、汗を搾っては岩肌を引っ掻いて酒を飲む仕事に明け暮れていたが、その功績が新しい地図を入り用にする日は果たして到来するのか。少年はときどき気が遠くなる思いがする。少年の将来まで見えてしまうようで、自分の置かれている危機的状況さえ忘れさせる。 未来への空想より現在の危険に目を向けたくなって、少年は手元の滑車を繰った。暗闇の中に置かれた孤独な少年の隣人たる機構は、油を欲しがる情けない声をあげながらも少年を奈落に近づけてくれた。 少年は日々成長するドワーフの力よりも、つい《死すべき者たち》共通の五感に頼ってしまう。「子供じゃねえって」彼は暗闇に向かって声を出した。危険に身を投じていないとかえって眠ってしまいそうだ。直接触れてもいない石の冷たさに抱かれて心地よくなるのがドワーフの本能なのか? 誰でも出来るつまらない仕事だと指導者にぼやけば、「誰もやりたくない仕事だからダルトや石がもらえるんだ」と単純な話を聞かされる。 仕事を始めた時は底さえ見えない恐ろしさに、ガルテー王国は正気の沙汰でなかったことにことさら恐怖が重なったが、底も見えないことが、すぐに敵の座を恐怖から居眠りへと交代させていったものだ。今日もまた、暗闇に本当に溶けて転がり落ちる前に適当に切り上げて帰ろうと思った。だいたい、大勢の先輩が綺麗に片付けていった後をちょっと見回ることに何の意味があるんだ。こんなブランコに吊り下げられて暗闇でぼんやりするのが大人の仕事か。 「よう、ニムレム。一生懸命働いたな」 「ふざけんなよゴルボワ。いい加減昇格させろ」上がってくると指導者が待ち構えていたので、ニムレム少年は癪に障った。 「この前偉くなったばかりじゃねえかい」ゴルボワは怒りに応対してにんまり笑う。髭が動いた。ニムレムには白い《ブーメラン》に見えた。「鉱脈の監視の監視なんて最初から必要ねえだろ……。何が独り立ちだ」 「若えやつは時間がたっぷりあるのに焦ってばかりってのは不思議だな。俺くらいになると逆になってくる。ははは」 「……面白くねえぜ。採掘でも鍛造でもやらせろよ。人手が足りねえってみんな言ってくるんだぞ」ニムレムはブランコから身体を外し終えた。「ぼやくのも仕事のうちなんだぜ。気にすんな」 「あのなぁ……。ノームの使者が何度も注文にやってきて、ついにコボルトの使者まで珍しくご到来ときてがうがうきゃーきゃー騒いでたらおれにでもわかるんだよ」 「ふうん……。じゃあ、客人をのぞき見するような才気煥発な天才ひよっこ君の所見を拝聴するか」ゴルボワはニムレムを近くの簡易休憩所まで手招きし、腰を下ろした。 「……ガルクがハッシュを追い落としてコボルト王に復帰した」「ええ!?」少年の驚きは夜遅く寂しいドワーフの洞窟にこだました。ニムレムの顔は落盤を恐れたこともあり暗闇の中で青い。 「兄が弟を倒したのか!?」「いや、無事さ」指導者は年若い者を落ち着かせた。「軍部の動きに慌てたノームの文官たちが俺たち親戚に助けを求めてきてたわけだか、国内があっという間にまとまってしまったというな」 「無血革命だったので、ノームたちもそれならまぁ……という形をとってしまった。さらに、臥せっていたガルクはイリスの啓示を受けて完全復帰したのだと言っている」 「よくわからんがすごいことをいっぺんに教えてきやがるな……。ガルクは身体がでっかくてコボルトキングにふさわしい英雄と謳われていたんだろ? でも《ハッシュバッシュ》の地名は」 「そう。周囲や、あとガルク本人の期待がでかすぎて一度先王の遺言に背いてしまったんだよな。見た目通り軍事費と軍人ばかり増やしていってすぐ過労で倒れてしまった。結局は気が小さくてみんなでがうがうきゃーきゃー話し合って決める、とてもコボルトらしい弟のハッシュにこころよく譲った形にさせられたわけだ。現在のハッシュは補佐王というよくわからん地位だ」 「全然知らなかったなあ」「ヒューマンのベング国よりもちっちゃなところだからな。誰も知ろうとしないし漏らす者もいない」 「でもまあ、ヒューマンとオークが手を組んでエルフと争うわけのわからん乱世だからな。ちっちゃな国じゃまずいって気持ちくらいはわかるぜ。無血だったんだよな?」 「ほーっ、天才君は英雄殿の気持ちがわかるって言うんだな」ゴルボワはまたにんまりとした笑みを顔に浮かべた。「しかしよ、なにか浮世離れしているな。ちっちゃな国でも乱世の中心になることはあるし、お前さんもこの乱世とウルフレンドの一部なんだぜ」 |
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