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山門

 
泰応和尚代 明和4年(1767)秋上棟 外装は朱塗り。
 棟梁 会田久太郎
 大工 庄兵工、弥兵工、重次郎、喜惣治、庄太郎、十次郎、堤匠、堀江善助、武助善五
 郎
 『高寶山』の山号の額は、大龍寺住職白瑛和尚様の書であります。
 山門二階には、正面に観音様。両脇に16羅漢像を安置しております。16羅漢像は寄木作りで、
 一体一体に色彩が施されています。作者・年代については不明です
 内部は外装と同じように朱に塗られ、天井には絵柄や文字がえがかれています。
本堂

 大幢和尚代 元禄13年(1700)夏上棟
 棟梁 村山郡新庄領小国下村 久作
 過去、2回の火災に合い現在の建物になった。
 内陣には、御本尊お釈迦様・達磨大師・臨済禅師をお奉りしております。いずれの仏像も作者は不
 明です。
不動堂

 大幢和尚代。享泰3年(1718)初夏完成。現存の建物では最古の物であります
 お堂正面に不動明王・両側には33観音様が奉られています。
 毎月24日に観音講中の方々が、数珠回をし、御詠歌をお唱えしています。
弁財天

 七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は、智恵・福徳・
 諸芸能上達の神として広く信仰されている。
銘木(海門の松)

 第1世海門和尚(1670年寂)のお手植えの松。妙心寺派に転派した時の記念の松であります。
 龍が天に昇っていくような幹をした赤松です。大変珍しい松ですので一度ご覧になってください。
境 内 紹 介
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御本尊 釈迦如来

 釈迦は現在のネパール国境付近の釈迦族の出身であります。釈迦は紀元前5世期頃、現在のネ
 パールのルンビニで誕生。父はシャーキャ族の王で、王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で
 出家した。35歳で覚りを開き、仏陀となりました。

達磨大師

 禅宗の開祖。(中国禅の開祖)。お釈迦さまから数えて、28代目にあたるかた。南インドの王国の
 第3王子として生まれる。5世紀後半から6世紀前半の僧。 


妙心寺開山無相大師(関山慧玄禅師)

 関山慧玄(1277〜1360)禅師は、信州・中野の城主・高梨美濃守高家の二男としてお生まれにな
 りました。徳治2年(1307)建長寺で大応国師(南浦紹明)のもとで修行され、慧眼(後に大燈国
 師より慧玄と改名)という名をつけられました。国師亡き後、京都の大徳寺を開かれた大燈国師がわ
 が国で最もすぐれた禅僧であると聞き、急ぎ京都に旅立ち大燈国師に参じ、ついに悟りを開かれまし
 た。開山さま53歳の時です。
その後、美濃国伊深の山里で「悟後の修行」に8年間も専念されまし
 た。大燈国師が示寂されると、花園法皇は関山慧玄禅師を捜されます。はじめは固辞された関山
 慧玄禅師ですが、都へ上られ妙心寺の開山となられました。その後、弟子の指導に明け暮れた関山
 慧玄禅師は、弟子の授翁宗弼(じゅおうそうひつ)禅師を伴われて、開山堂側にある風水泉(ふうす
 いせん)の前で最後の法を説かれ行脚姿で立ったまま亡くなられました。後に、明治天皇より無相大
 師と諡されました。


開山 大江和尚

 弘安9年(1286年)寂。鎌倉建長寺で御修行された禅僧であります。村山地方の禅寺は勝因
 寺をもって嚆矢とする。この地において、自主体得の深遠な臨済禅を弘通しようとした開山大江和尚の
 熱意がうかがわれる。『中世禅宗史の研究』に勝因寺開山和尚を法燈派の渓雲至一としている
 おそらく1253年来朝し、建長寺に住寺した宋朝禅の蘭渓道隆か、1269年来朝した大体正念の
 弟子であっただろうと思われます。
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