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1月2日(火曜日)
急に静かになった
兎に角息子の世話は食事が大変だった。美味しく+大量にがセットだ。3食食べるので、僕は四六時中食事を作っている感じだった。そんな不満も今朝息子を空港に送って行ったあとは消えてしまったと同時に、騒音も消えてしまいひっそりとした田舎家に戻った。そして寂しさがぶり返してきた。こんなのにつぶされては大変。忙しくしよう、先ずは年賀状作成。レシート記帳。風呂わかし。それからプール。プールではたぶん50才位だろうと思われるおばさんに追い上げられて、必死の体で1.5km泳ぎ切った。多分この人は、ここのプールのマニアだろう。僕が泳ぎ切ると、追随するのも止めて常連の人と話をしていた。車の運転でもこのような人がいますね。併設の風呂ではあまり洗わず温もるだけ。長く泳ぐと体の脂成分が抜けて痒くなることを発見した。息子と軽トラックに乗っていると窓が曇る。若者はそれだけ発散が多い。老人はそうはいかない。スーパーで買い物をして帰り、自宅で食事。風呂の中で「カメラマン」を読んで上がると、9時半だった。後は布団の中に入り本を読むだけ。単調な生活に戻った。

1月1日(月曜日)
お正月は映画三昧
お正月の食事はカレー。友人も交えて、僕の手作りのカレーを食べた。最高の評価は貰えなかったが、それでも旨いと食べてくれた。息子の喰いっぷりを見て、元旦の料理(おせち)ではとてもじゃないが足りないなぁと思ったのが一つ。もう一つは、自分でもこのカレーは旨いと思うので、朝昼兼用の食事にパワーのある食べ物が欲しかったから。食事の後、僕だけスパイダーマン/ホームカミングを見る。(息子は映画館で観ていてもう見たくないとのこと)この映画は主人公の少年が余りにも若く、おじさんにとって、全体的に少しひねりが足りないような気がした。このディスクの返却を兼ねて息子とコンビニまで散歩。ついでに海岸でコーヒー。石割りを教えてあげたが馬鹿にして、あまり真剣でなかった。帰ってLA・LA・Landを見た。これは感動だった。特にエマ・ストーンが実らない恋を演じた。結局人生とはこんなもんだというのを実に豊かな表情で演じた。この役にぴったりの性格だった。監督は彼女を起用したことを大いに自慢したことだろう。アカデミーを受賞しただけの事はある。息子は全然つまらないと酷評。30分見てつまらない映画は最後までつまらない持論を展開した。LA・・は4Kだった。冒頭のシーンで車の上で踊るが、上に乗る車は、塗装が褪せて、いかにもつぶしてください的な車だった。それがはっきりと見えた。夕食は稲庭うどん+野菜炒め。3束をぺろっと食べた。冷蔵庫の食材が目に見えて減っていく。さすが男の子だ。食後は「怪盗グルーの大脱走」4Kで大変綺麗。いつの間にかグルーが悪事を働かない正義になっていて、グルーを逮捕した女警官が妻になっていた。ダイヤ泥棒を捕まえる活劇だ。映画はテンポよく展開して休む暇もない。綺麗な映像。マドンナ他の音楽も多用して、音の収録も完璧。息子はこれを絶賛。私は娯楽として楽しめた程度。

12月31日(日曜日)
The Last Jedi
息子の提案で今日はスターウォーズ「最後のジェダイ」を見に行く。朝7時半出発、マクドでメガマフィンセット。車の中で食べながらゆく。仕事の時と同じだ。イオンモールのシネマ館を探すが案内表示がなく、結局レジのおばさんに聞いて分かった。田舎は知っている人のみ、知っているが多い。映画は多分4Kクラス。透過型液晶だと思うが黒浮きが凄く、僕の部屋にあるPX10のPDPよりも多い黒浮き。宇宙が都会で見る星空だった。今回は最初の案内の文字(例の英語の文字が画面手前から奥の方に流れていくのを原文で読んだ。時々翻訳を見たが何とか理解できた。もう少しゆっくりだったら、解るぞ。そりゃそうだろう。この英語はディズニーが子供も楽しめるように制作してあるのだから。息子の理解度も同じ程度のようだ。この映画は酷評を与えよう。息子も同様。息子の意見は登場人物の顔が悪い、夢見るスターの顔じゃない。特に「フィー」や「中国人の女」(おばさん顔)、「カルロ・レイン」。僕の方は、塩原での戦いに地表が赤く染まるが、なぜ「赤色」なのか?映画では語られてない。ペンギンのミニチュアみたいなものが登場するが、その意図はなに?不明だ。フィー達はペテン師にまんまと騙されるが、そのペテン師の落ちがない。宇宙で物は燃えないだろうとか、爆発音は聞こえないだろうとかの突っ込みはいろいろあるが、今回は脚本に違和感ありだ。夜は、友人が年越しそばを食べようと言ったので、北海道産のソバを打った。これは凄く評判よくて、友人も息子も店で食べるような味だと絶賛。息子曰く、お父さん見直したわ。少し酒を飲んだが、この日仕上げなけばならない資料があり、2時間ほどを要して完成。ホントは1時間で仕上がっていたが、眠くなって誤操作し、誤ってファイルを消してしまったためだ。

12月30日(土曜日)
役職手当を辞退する
朝5時からレポートに取り組み、7時半に仕上げて8時にメールした。後は勤怠の承認を待って総務にメールを送るだけだ。息子と朝食。今日の予定を打ち合わせした。僕は家の片づけがあり、午前中は動きが取れない。家の片付けの主なものは先日行った母の法事の片づけだ。僕が死んだとき、息子がこの作業をしなければならないので、覚えるためにもいいだろう。10時過ぎに承認メールを確認し、年内の仕事を終えた。同時に、上司に電話をして、今の仕事の一部である、マネジメントの仕事を辞退した。多分このことで月20時間くらいの負担が減って、100時間くらいの残業にとどまるのではないかと期待である。仕事はますます難しくなり、多分このままでは100時間を越し120時間くらいが見えて来た。この負担は過労となり、車の運転がやばくなりそうだ。小さな事故でも100万円程はかかる。月20万円の給料じゃあわない。要望はあっさりと受理された。1月は120時間くらいの覚悟をして、2月から楽になることを夢見よう。3万円の収入源だけど、それでも良いと思った。午後、息子と自転車で安芸市に出かけた。母の法事の支払い、寺尾で鯛を買う、ツタヤでお正月映画を借りる。この3つの要件だ。自転車は嫌がっていたが、雄大な太平洋を眺めると少し嫌気も緩和されたみたい。夜はタイの塩釜に挑戦した。これが絶品で、息子は父を見直したと言った。夕食後、ワイルドスピード8を見た。4kのBDだった。音は良いし画像は鮮明だ。つじつまの合わないシーンも多いがドンパチは確実に諸事忘却の世界に連れて行ってくれる。

12月29日(金曜日)
刺身で舌鼓
昼まで自宅で書類を整理した。お正月休みにすべきことが山積している。しかも、今晩に仕上げなければならない大きな仕事もやって来た。今朝は4時半から散歩もなく仕事をして、昼まで要した。それから外勤。得意先では最近顔を見ないね。と言われた。そうですね、月に一度の訪問ですから、代理を立てているのです。ああ、この間合いましたよ。まぁこのような会話があるほど、忙しいのです。今年のキーワードは「北」だが、僕のキーワードは「忙」だ。午後4時に切り上げて、自宅に帰った。息子は、玄関のひだまりで寝ていた。風呂を沸かし、食事の支度をした。夕刻友人がやってきて、頼んでおいた「寺尾」の刺身で舌鼓を打った。息子は酒を飲まないし、僕もコップ一杯のビールにとどめた。後片付けの後、風呂に入って仕事を始めた。午前0時に完成してサーバーに資料を上げた。報告書の仕事は明日の朝に回そう。

12月28日(木曜日)
一つの山場を越えた
今日は報告書の提出日。走りながら仕上げていった。メンバーからの報告書は須崎の車の中で受け取った。スーパーの駐車場で最後の文章を仕上げて、送信した。これで、取り敢えず月末の一つの山は越した。もう一つ山があるが、それはこの外勤仕事を終えてからだ。宿毛市と四万十市はもう時間的に無理だから、不可抗力でできないことを明記しよう。そして、一難去ってまた一難が降りかかって来た。昼過ぎ、息子が明日の朝9時に帰って来ると言うメールだ。明日もまだ仕事で、もう一つの山を控えている。仕方ない、明日は僕の仕事につき合わそう。でもせっかく帰ってきてくれている。友人に電話をすると明日は仕事が休みという。これ幸いと、息子の世話を頼んだ。少し楽になった。朝、「屋根の上のがちょう」(日高町のコーヒーショップ)でモーニングを食べたのに、昼は一つの課題が片付いたためか空腹となって、一番船でお寿司をいただいた。まさに絶品。土佐市の「いわごう」でおいしい食パンを買った。ちょっと余裕が出てきたかな。夜10時、本日のレポートを書き上げ就寝。

12月27日(水曜日)
全部投げ出したくなる
9月以降凄い激務が続いていて、月に換算すると80時間くらいの残業が続いている。気がつけばこの部屋のカレンダーは9月のまま12月を迎えてしまっていた。この日も朝6時前に起き出してPCを開き、少し散歩した後、食事を摂ってから9時過ぎまでPC処理。それから出かけた。今まで出張中はiPadで処理し、最後にPCに転送して加工していたが、今週は、もう直接PC入力を行って時間短縮している。と同時に、少しでも時間があればPC処理を進めることにした。家に帰っても風呂と食事以外はPCに没頭して、10時過ぎ、睡魔に耐えられなくなって寝た。寝る前に、過労で自殺をした人の事が思い浮かんだ。そして「もう全部投げ出したい」気持ちを理解した。だが、来年の12月に辞める計画を前倒しすれば解決するが、自分としては達成感無しの逃避で終わるような気がして、どうもこのシナリオは自分用ではないと思う。かと言って、根を詰めて、頑張った挙句、2018年に燃え尽きてしまって、2019年からの人生は腑抜けの廃人のようになるのも怖い。もし、そんな兆候が出たり、本当に投げ出したいと思った時には即刻辞めるつもりだ。多分その境は見つけられにくいものだろうと思うが。先日の母の一周忌の時でも、近所の人から忠告を受けた。もっとゆっくりしいゃ。じたばたするのは仕事の所為でもあるが、自分の性格でもあるから、反省すべきこともあるにはある。

12月26日(火曜日)
たれもつう
仕事が「後手後手」に回ることを、高知では「たれもつう」と云う。まさに今の私はこの状態なのだ。他の人はもう休暇に入ろうとしているが、私の場合は、月の始め内勤業務を終えてから、他の人と同じ仕事をスタートするので、内勤業務が少しでも長引けば、どうしてもスロースターターとなってしまう。今月は3,000kmの走行距離を越えそうだ。外勤の仕事に3度も確認事項が含まれるため、何度も足を運ぶことになった。だから今月はやたらと、拘束時間が長いのだ。それで、クリスマスもあっと言う間に過ぎ去ってしまい、街で流れる音楽だけに季節感を感じた次第。こんな生活をしていたら、精神のよりどころがなくってしまう。それに負の思考は精神を蝕む。高松への移動中このことに気がついた。この仕事の正の部分だけ見て生きよう。大黒摩季の唄のように「プラス思考でないと生きられない」。そう思った矢先、今日の活動はやっぱり時間が不足するなぁ、昼飯はマクドで買って運転中に食べよう。どうあがいても、無理があるなぁ。

12月25日(月曜日)
一周忌
今日は母の一周忌、早いものでもう一年が過ぎた。死んだ人の事は時間と共にドンドンと風化する。時々夢に出て来るが、回数も減って来た。忘れ去ってはいけないと、母のアルバムを開いて、カメラに収め、法要の時は、その写真をスライドショーで上映した。大きなお祭りはこれで最後なので、Amazonでズワイガニ8匹を購入して提供した。主婦連中には好評だったが、ご主人連中には不評。身を剥くのが邪魔くさい。体の調子が悪かったので、酒は口にしなかったら、最後まで飲まずにやり過ごすことが出来た。食べたものをどんどん片付けながら控えていたので、今日は9時には大方の片づけが終わり定刻の10時半には寝ることが出来た。法要と言っても故人の事を話すのではなく、ナスとピーマンのことが話の中心。まぁ僕らも現役の頃酒を飲むと、会社のことを肴に酒を飲んでいたので同じようなことだ。明日から激務が予想されているので、祭壇とかの片づけは、年末に回そうと粗方の片づけで終えた。

12月24日(日曜日)
結局今日も仕事
五月みどりの歌に、「コロッケの唄」がある。「今日もコロッケ、明日もコロッケ♪」今の僕はこれと同様の気持ち、「今日も仕事、明日も仕事」。一周忌の準備は午後2時半までで目途をつけて、出発の準備。高知の店に調査に出かける。帰ってレポートを書いて報告すれば22時半。読みたい本が山積している。寝る前布団の中で少しページをめくるが、疲れで5分位しか持たない。2週間連続で自分の部屋の掃除もできなかった。ホント、それくらい余裕のない生活をしている。寝ている時間以外は仕事をしているイメージだ。電通の社員さんが過労で自殺をしたが、小規模経営の私の場合は法の保護もないので、自己管理に頼るしかない。ここまま行けば、1月1日も調査資料のまとめをしなければならない。5月の連休は全て仕事に費やしたし。後1年頑張れるかどうかどうも不安だ。モチベーションの問題ではなく、体力と思考能力がついていくかだ。PC画面を見続けていると、左目がぴくぴく動く、これがPCを見なくなってもなかなか症状が取れない。背中の痛みはPCとは関係ないだろうが、どこかに疾患があるかもしれない。一寸不安だ。

12月23日(土曜日)
母の一周忌の準備だが
報告書作成に午前8時半から取り掛かった。食事なしで午後2時半に終えた。仕事とはいえ大変な過負荷だ。簡単な食事の後、気にかかっていた竹垣ねを刈揃えた。この小さな竹は、秋に成長する。ぼうぼうに伸びた竹は屋根を覆いつくす。お客さんに来てもらうには少し恥ずかしいので、刈揃えた(虎刈りだけど)片付けると丁度5時だった。風呂を沸かして、食事を献立て一人で頂く。食事も簡単に済ませ、「スターシップトゥルーパーズ2」を見た。前回は、昆虫退治。今回は人の口から入り込んで、人を支配するゾンビのような展開。少しホラーじみて来たが、最後まで見てしまった。今回から低域が増え、腹に響く重低音が時々再生される。結局今日は仕事に忙殺され、母の一周忌の準備は明日となる。

12月22日(金曜日)
金曜夜のゴールデンタイムはPC作業
徳島県で仕事、朝いちばんでホテルを出発した。津田の松原で、強烈な睡魔。10分間の爆睡で回復。寒さが緩んできて、だんだんと汗をかき始めた。思った以上に時間を食って1軒目を終了。昼抜きで2軒目を終了した時は3時だった。これから昼食。牡蠣飯。飯を食べながら報告書作成。4時。計画では3軒目があるが、それをすると、帰りつくのが9時頃になる。深夜の運転はご法度だ。どこに魔物が現れるかしれない。これから帰っても午後7時の勤務時間を越えてしまう。阿波のパーキングで2回目の爆睡。午後7時南国インター下車。ながおか温泉に浸かって帰宅。報告書作成したら、午後11時。もう限界だ。

12月21日(木曜日)
つけ麺
広島の名物は?お好み焼き。昨晩は、ベトナム料理の店で生春巻きとホーを食べた。二千円近くかかった。ベトナムでは20円そこらでもっと美味しいのが食べられる。しかしベトナムに行くには7万円位はいるだろうから、安いと思わなきゃ。そして今日は、名物のつけ麺を紹介されたので、「ばくだん屋」でピリ辛のお汁の広島麺を頂く。年老いて麺を食べるのが不得意になっている。お汁が飛ぶのだ。お箸を口にうまく運ぶことができなくなっている。野菜たっぷり、ネギたっぷり。やみつきならないわけがない。お汁はゴマたっぷり。濃いお汁は、キャベツなどの野菜を茹でたままだったのをうまくこなした。広島のお寿司も隠れた存在らしいから次回の挑戦だ。2007年頃尾道ラーメンを浜松町で食べてから、広島方面の麺の店は侮れないと常々思っていたが、地元の人は美味しいどころを知っていた。これだから、日本の農家には申し訳ないが、米の消費が落ちているのを防ぐ手立てない。それに、動きの少ないサラリーマンにとって、米はカロリーが多すぎる。小麦程度のカロリーで十分なのだ。腹があまり減ってないから、刺激のあるお汁で流し込むのも良い方法だ。唾液でご飯を流し込むのは結構しんどいものがある。こうして、昼を軽く抑えたので夕刻には空腹がやって来た。今晩は、宇多津のホテル。今回新幹線を使ったので、2時間も要しないで帰り着いた。このホテルの屋上で、ご飯ものを頂いた。本日の万歩計は18、000歩を超えたので、ご飯だ。香川県なのでうどんもあるが、夜の食事はうどんではパワー不足なのだ。

12月20日(水曜日)
広島
昨晩の「山の神様」お祭りは、思いがけず飲みすぎて膵臓がやられた症状だ。無理はきかない体だから、気をつけようと思いながらツイツイ。寒い夜になると心細さがこみ上げて来て、調子の悪さと相まって、悪い方に悪い方に考えが進んで行く。自滅しそうだ。そんな時、ちょうどと言うか、神の思し召しと言うか、今日の宿泊しているホテルは「リーガロイヤルホテル」。最高のおもてなしのホテル。26階の部屋から眺める広島市内は、芸西村の夜景とは全く違う。エアコンの音と、時折、広電がレールをまたぐ時発する金属の鈍い音以外は聞こえてこない。風呂も180cmクラスで僕は足を延ばすと、ズルッと滑り頭が水没してしまう。肩まで浸かるには風呂のヘリを掴んで滑らないようにしないと。まぁこれはこれで豊かな気持ちとなる。硬さと柔らかさがミックスした気持ちの良いベッドがあって、この体調には最高のプレゼントだ。そもそもなぜ、こんな状態で広島まで来るのか?それは、仕事でどうしても見届けて置かねばならぬ事が発生したからだ。ここを守る担当者への助言を兼ねてもいる。従って、これは必須な急な要件なのだ。たまたま当日予約をしたため、高級ホテルが軒並みディスカウント価格だ。ANAホテルも同様の価格。せっかく来たのでタワーレコードでクラシックとジャズを1枚づつ。聴く暇が無いのだが。

12月19日(火曜日)
師走は忙しい
午前中は、担当商品の展示台を作った。普通はこんな事をしなくても良いのだが、少しでも販売成果を上げようと少し無理をした。それでも癒されるのは、高知で仕事をするのは良いことがあるからだ。それは、どこで昼を迎えるかで、其々に美味しいレストランに行けるからだ。逆算の法則で、そのためには朝起きてからの散歩を、村の中心を流れる和食川に沿って行く6、600歩コースを取る。これで、朝食が昼を迎える頃にはすっかりと消化され万全の体制となるわけだ。今日は須崎方面だったので、「1番ぶね」さんで握り寿司。目の前が漁港だから、味は言うことなし。ほんの一瞬の快楽後、ハードな仕事も難なくこなし帰宅。風呂を沸かして、近所で開催される「お客」へ。今晩は「山の神様」のお祭りだ。これは当番制で、2019年は我が家の番。一回の出費に5万円程かかる。それが3回。みんなよく飲みよく食べる。すっかり酔って帰った。熱いお湯を汲み出し、洗い場にお湯をためて風呂場を温めた。それからシャワーを浴びて体を洗った。寒い夜に中々良い入浴方法だ。

12月18日(月曜日)
今日は長かった。
明日、「山の神様」のお祭りがあるので、予定を変更して宿毛、四万十方面に出かけた。往復350kmの行程で、片道3時間半を要する。どんなに簡単に仕事をしても、8時間以上の勤務時間となるわけだ。まぁ毎日が超過勤務だから、格別騒ぎ立てることはないが、老人の限界ってものもあるだろうと思っている。今日の慰めは、LPレコードが聴けるようになったことだ。レコード棚から適当に選んだ一枚に針を落とす。当時の思い出と共に熱演が目の前で繰り広げられる。今日はマーラーの第7番「夜の歌」をかけた。カラヤン指揮ウィーンフィル盤。今、検索すると名盤には挙げられてないが、当時はなんらかの書評を元に買っているはずだから、悪いわけがないと思い込む。多分岐阜に住んでいた頃、寒い部屋で聴いたことがある。あの頃は、SB-M1のスピーカーと、SL-1000MK3だった。これも良い音だった。今のシステムにも不満は無いが、プリ部をAVアンプに変更して、部屋の特性をフラットに調整すれば、どんな音が出てくるだろう?と言う欲望が出てきた。もしもの話だが、あまりにも良くなると、手持ちの音楽資産を全部聴き直さなければなる嬉しい問題も控えている。相当長い時間運転するから、この様ないいアイディアも思いつくわけだ。


12月17日(日曜日)
97kmと1000km
とうとうここまで来た。だがこの先難関は待ち構えている。まずは19日、この日は「山の神様」で、近所5軒が集まって「お客」がある。皆農業だから、飲む量が半端じゃない。だから、泳ぐのは20日も難しい。25日は母の一周忌で、この前日は準備で泳ぐのが難しい。高知市の競泳用プールは26日に終了する。わずか3km。気張れば一日で何とかできる数字、だがその日が取れない。今週の間に1.5kmを無理やり押し込むしかない。そして、年末の30日にながおか温泉で1.5kmを泳ぎフィニッシュが一番確実なライン。万歩計は結構さぼっていたので、累計1000km。高知は1月8日まで朝が次第に暗くなっていく。今でも午前6時は真っ暗だ。それに寒いので、どうしても布団から出るには勇気がいる。この朝のぐずつきが、散歩コースを縮め、万歩計を少なくさせる。あまり無理して運動しなくても良いではないか?と別の自分の声もする。それもそうだが、運動しない=食事の量を減らすのと、運動をする=食事の量に制限をかけない選択をしろと言われば断然後者なので、まぁ自分を叱咤激励しているわけだ。

12月16日(土曜日)
プロの心意気
修理に出していたプレーヤは、角に打痕ができて届いた。まぁ音が出るから我慢しようかと思ったが、取り敢えず、修理元の檜和田さんに相談すると、ヤマト運輸さんに一度は相談すべきだとの事。そして、話し合いの結果修理をすることになった。それが今日帰って来た。打痕はすっかり治り、どこが打痕だったの?という迄に復活した。木目だが、木目も描いたとのこと。車の修理と同じように、きちんと治るのだ。感動。もう一つ、母の寝ていた部屋のガラスが割れたままだった。少しだったので我慢していたが、やっぱりガラスの割れたままは気になり、修理することにした。ガラスを切ってくれれば自分ではめることが出来るが、あいにく高知県にはガラスやさんがない。そこでネットで調べると、巡回のガラス修理屋さんがあった。高そうだが仕方ない。30分でやって来た。価格は8,000円。断ろうと思ったが、せっかく山に上がってきてくれたことだし、お願いすることにした。仕事を終えて確認すると、少し隙間があるではないか。まぁよく見ないと人は気づかないからいいかなと思ったが、取り敢えず、その修理屋さんに言った。そうすると、こんな下らん仕事をするのは恥ずかしいと、言ってもう一度やり直した。僕は無理しなくても良いと言ったが、その人は、意地でも修理はさせてもらうという。そして完成。今度は一分の隙もありません。また、隙のない工法を今回編み出したので勉強になったと言って帰った。なかなか気持ちの良いにいちゃんだった。プロとはこれだ。と思いましたね。その夜、スターシップトゥルーパーズを見た。色々と突っ込みがある。でも最大は昆虫をやっつけるには殺虫剤であり、マシンガンじゃないと言うこと。二つ目には、続々とやって来る昆虫を鉄砲で倒すには、めいめいが勝手にガンを撃ってはだめ。一直線に規律よく撃つこと。それが根本的なマネジメントなのに、どのリーダーもこの手法を発揮しなかった。そんなことを思いながら歯がゆく見た。途中で1作は終わり、次に2作目が録画されていた。続けて見なきゃならん落とし穴に入りました。これぞ監督の描いた心理作戦。参りました。

12月15日(金曜日)
部下指導
今更、部下指導もないだろう。とはいうものの、求められることの多さについて行けない人の引き上げができないと、結局は自分の身に降りかかって来る。僕かて、モチベーションが高いわけでは決してない。増してや契約でアルバイトしている老人に、モチベーションを保てと言うのは無理だろう。だが、頭からこんな考えでは、前に進まない。まずはコミュニケーションだ。ということで、今日は自分の担当をお休みして、他の地区に出かけた。モチベーションは低いと言っても、プライドは高いから、強く言うことはご法度。かと言って、そんなら自分の良いようにやってみいや、では、チームで統一した動きに水を差す。そんなことに気を使いながら話し込むと、意外と素直。でもこの素直は理解できているのかどうかは疑わしい。今日は理解でも、明日は忘れている可能性もある。人を見る目のない僕でさえこんな見方をするから、見る目を持っている得意先は見抜くだろう。いやだな、我が身内をそんな目で見られると。かと言ってその得意先で僕が出しゃばっても、僕は軽いから、先方は同類とみるだろうな。僕の良さは少し時間をかけないと相手に伝わらないのだ。てなことで、普段使わないような頭の部分をフル回転させて一日を終えた。5時に車を止めたところまで引き返してもらい、そこから瀬戸大橋を横風に飛ばされながら、高速で駆け抜けた。2時間で南国インターに到着した。ながおか温泉着19:30。50分かけて1.5kmを泳ぎ94.8km。夕食は高速道路の手前にあるロイヤルホストでイタリア料理を食べていたが、水泳ですっかり消化してしまった。疲れて帰り、10時半まで報告書を打ち込んで、倒れた。

12月13日(水曜日)
やっと完成
調査資料がやっと完成した。昨日は朝の5時から、夕刻の23時まで頑張った甲斐あって、今日の午後7時に一応の完成を見た。明日の朝早く起きて、数字の精査を行えば提出だ。資料の基となるデーターがなかなかできないので焦っていた。しかも、皆から送られてくるデーターも欠如があったりして、自他ともに未完成の状態から築き上げたのだ。力任せにデーターを整理した部分もある。かっこよくはなかったけど、最終の形は出来たのだ。お風呂は16時に焚いていたので、今日は先にお風呂に入ってからの食事となった。アマゾンが10日に大拡売saleを行い、その中で僕もワインを買ったが、それが今日到着したので、それを飲むために、先の入浴となった。ワインは白の辛口で、今日開けたのはオーストリアワインだった。少し下にピリピリ感が残る。日本酒よりも酔いが少なく口当たりがよい。今日の食事は時間が無かったので、冷蔵庫の残り物野菜をレンジで温めた「湯で野菜」。味付けは、庭にある「橙」の酢と、「麺つゆ」のミックス。濃くない味だが、ワインの酸っぱさがこれを補いなかなかの味となった。薄味なのでお客様にはお勧めできないが、自分で酒を飲むには丁度の「アテ」だと思う。

12月12日(火曜日)
今日が正念場
内勤仕事はなかなか厄介な業務で、プライベートな時間を食いつくす。この仕事の意義は?僕的にはどこへ行こうとしているのか目的のないまま、ずるずると生きているような気がする。かと言って、貯金を減らして生きてゆく勇気もない。しばしの清閑モードか。PCを見つめていると肩が凝る。30分位周りを散歩すれば解消する。肩が凝るのは姿勢が悪いからだ。だけど、知らない間に画面に入り込んで熱くなっている。とにかく、資料作成のデーターベースをしっかり構築しないと次のパワーポイントに移れない。太陽のある間、毎日働く農業従事者とどちらが良いのか?比較してみる。近所の人を見てて思うのは、果たしてどっちとも思えない結論だ。農業は体がしんどいが、この寒さの中でもビニールハウスの中で汗を流し、美味しいご飯を食べ、酒を流した汗の分だけたらふく飲む。PC作業は汗を流さないので、体に老廃棄物は溜まる一方だし、お酒はまずい。近所の年老いた人たちが死ぬ間際まで元気なのは、このビニールハウスの中で冬の間汗を流し続けるのが役立っていると思う。少しばかりの休憩に、こんなとりとめのない事を考える。PC作業は深夜まで続く。11時に切り上げて熱い風呂に入って就寝。髪が濡れたままだったので、頭が寒いが寒いが、兎に角休まないと。

12月11日(月曜日)
93.5kmまで来た
残すところあと2週間。この間に6.5km行けるのか?水泳の距離の事です。今年の夏に友人から高知市にある本格的な50mプールの存在を教えてもらい、年間100kmに挑戦する気持ちになった。そこから60km位泳いだ。最初の頃は、週の間は1km。週末に1.5kmと遠慮していたが、だんだんとエキサイトしてきて、1,5kmと大幅に上げて距離を伸ばしていった。もう最後に仕上げに入った11月からは、2kmに上げたが、今月は2,5kmも辞さないだろう。振り返れば二十歳頃から泳いでいる。あの頃は500m泳げば十分だった。30才後半になってから3kmや4km泳がないと、妙に充実感が無くなった。あの頃は、走ろうか?(15km位)泳ごうか2者択一の日々だった。これに、自転車(80km位)が加わったのが40才代。50才代は、遠距離の自転車旅行が加わった。その頃丁度チームリーダーの仕事がやってきて小人な私には精神的な負担が重く、精神の「逃避と刷新」を兼ねて長時間のスポーツが必要となったためだ。今までの運動はいかに短時間でエネルギーを放出するか?が焦点だった。長時間少しづつのエネルギー放出は、少しだけ考え事の時間もあり、何よりも疲れが激しいのが良かった。このおかげで、ノイローゼとは無縁の仕事生活が送られた。家族には尽くさなかった反作用もあるが、これが私の生きる道だったんだろうと今思う。

12月10日(日曜日)
残りの時間は仕事に回そう
今日も仕事。期日までの仕上げにはどう見ても、今のままでは遅すぎるからだ。でも、それにも限界がある。家の掃除、片付け、少しの間だけの読書時間。自分の持てる時間合計から、必要事項を引いて、残った時間だけ仕事に当てた。今月は母の一周忌があり、垣根の竹垣を刈る作業も、近所への案内も、お寺さんへの日程調整、宴会の準備手配、お返しの品物選択、祭壇づくりといろんなことがある。簡単にできる事は済ませたが、ほとんど手付かずだ。それに今日は休みだ、少しだけ息抜きの時間もいる。この時間調整がなかなかできない。貧乏性かもしれない。仕事を辞めると、こんな分刻みの仕事をしていて、時間はたっぷり状態では困惑が多いのでは、どうしようか?頭がボケるのでは?友人は、僕の事だから何かをするだろうと言う。7つの趣味はいまだに温存している状態。まずはここからでしょう。もう一つ追加して英語。ラジオ英会話を毎日聞いているが、だんだんと理解できなくなっている。話している言葉が頭の中で文字に変換できていない。明らかに後退している。どこかで、もう30分位時間を確保して、阻止しなければ。オーディオラックにつりさげたカレンダーは9月のままだった。9月以降忙しさが激しくなり、カレンダー捲りもないまま今日に至った。

12月9日(土曜日)
今日も仕事
来週12日までに仕上げるめどが立たないので、朝から内勤仕事。夕刻調査があるため高知に出かけた。ついでにプールで2100m泳いだ。前回の事例があるので今日はスピードを上げずゆっくり1時間かけて泳いだ。スピードを上げてもゆっくりでも、このくらいの距離を泳ぐと充実感があって体が軽い。累計91kmだ。泳げば疲れるが、この位の距離ならば反って元気が出る。もう少し距離を延ばせばぐったりと来るはず。出かけたついでにお寺さんに寄って、一周忌のお願いをしてきた。聞くところによると、三周忌が来年あり、亡くなった年を含めて3年続けて法事を執り行わなければならないらしい。2016年には4回、2017年にも4回。2018年に2回となるようだ。日本は儒教の忠誠心、仏教の行事を旨く取り入れたと書籍には書いてあるが、旨くかどうかは不明だが大変なことだ。帰って来るとまたメールの山。今日はゆっくりとお風呂につかって明日作業をしよう。

12月8日(金曜日)
懇親会
今週も忙しくて、野菜の摂取が少なかったので、朝一番でカッパ市場で、食料を仕入れてきた。しかし、こんな材料、手をかけて作ったら一人じゃ寂しくて食べられないじゃないか!と。そこで友人を呼んだ。午後6時からの懇親会の予定が立った。かなり本格的な料理ができるようになると、前菜や、酒や、メインディッシュ、デザートなど、かなりフルコース的にできる。友人が来てくれるというので助かった。昼飯の間に、鰈の仮調理を行った。午後に野市にある得意先に行った。30分もあれば終わる要件だった。そのまさに30分目に、来店されていたご年配のご夫婦の旦那さんが店で躓き倒れた。しばらく起き上がれなかった。店の人は大丈夫ですか?と繰り返すばかり。僕は父の介護の経験があったので、店の人に手伝ってもらい、先ずは椅子に座らせた。次に手押し車をもって来させ、それにお客さんを乗せて、駐車場に向かった。もう一度お客さんを抱えて車に乗せた。まぁ余計なことかもしれないが、店の人が何もしないので放っておけないし、奥さんも何もしないし、言わない。この時、年老いた夫婦はどちらも助けにはならないと思いましたね。と言うことで、随分とこれに時間を食われたので、懇親会のメニューの一つ、炊き込みご飯の材料不足のまま始まった。しかし、丁度友人は山芋を持参してくれたので、まぁ何とかなった。友人が結構いい加減なニュースを言うので、僕はいちいちそれに噛みついて是正をした。と言うのが今日の話題だった。飲めればそれで良いと言う感じになっている。

12月7日(木曜日)
気を張って
徳島の訪問。日帰り。かなりのハイテンションじゃなければくじけてしまう。65才にもなってこんなに気張るとは。まず最初の訪問先は鳴門。徳島道でも高松道でも同じ距離。速度の上げられる高松道を選択した。今日は巡航速度を時速120kmに引き上げた。軽四としては頑張っているほう。この車は25年前の車で、運転席の下に車軸があるので、ぶつかった時に弱い。その上、エアバッグもない。車の借金の為に仕事をするのはあほらしいので、この仕事を終えるまでは車は買わない。7時過ぎに出かけ、到着したのは10時20分。220km走破。今日は店長がおいでで、皆さん話し相手をしてくれないので、私も早々に作業を終えて退散した。次は徳島市の店。今度は社員さんが少なく私が接客をする羽目に。それでもどうにかこうにか12時前には仕事を終えた。王将で食事。徳島は何を食べてもまずいが、全国チェーンの王将でさえまずい味だ。この県はどうしようもない。吉野川市、美馬市の訪問を終えて午後5時。これならプールに間に合うぞと、帰りはスピードを上げるつもりはなかったのに、つい力が入った。遅くなる予定で風呂も焚いてなかったので、プールとお風呂を兼ねた。このプールで僕は後ろから追い上げれれて、結構急いだから、心臓の調子がおかしくなった。無理は効かない年齢なのに若いころと同じ調子で泳いでしまった。夜心臓が騒いで、なかなか寝付けなかった。470kmの高速走行も心臓に悪かった。

12月6日(水曜日)
粉雪と熱いお風呂
今日は宿毛、四万十市へ出かけた。朝の気温は4.7度。須崎市を抜けると、久礼坂があって、四万十町(旧名窪川)を通過する。この街は標高200m位。わずかな高さだが、昔から寒いと言われている。道路標示の気温は0度だった。ここから下ると四万十市があり、そこは8度だった。その寒い窪川を通過中に粉雪を見た。この冬最初の雪だ。車の装備を変えなければとおもった。今日は一日中寒かった。芸西村に帰って来ると、あの寒さは何だったんだ?となる。もちろん寒いが、まだワイシャツだけで車の片づけものができた。お風呂も沸かした。お風呂は多めのお湯と、多めの薪を使って、高い温度に焚き上げる。お風呂に行き、洗い場の排水溝を塞ぐ。次に、チンチンに沸いたお湯を10杯くらい汲みだす。タイル一面がチンチンのお湯で満たされます。少しすると、このお湯も冷めて、その上に座り込むことが出来るようになります。このタイミングで体を洗い、その頃には水で薄めたお風呂の本体に入れるようになります。熱湯で暖められたタイルは、体を洗う間だけは温度を保っています。お風呂の本体は水で少々薄めすぎた程度が丁度です。釜に残っている熾火でホンの少しづつですが温度が上がって来るからです。浸かって本を読む間にゆで上がり、汗の1~2滴したたり落ちると上がります。寒い夜には、汗を流す程度の入浴タイムが最高だと思います。

12月5日(火曜日)
仕事の不満はあるが
近々の文章を読み返すと勤務時間が長い不満が多い。その不満をたどっていくと、2つの理由に行き着く。一つは、本が読めない事。外食時はiPhoneで読んでいる本がとても面白くもっと読みたいが、時間的な制約があること。もう一つは、寝る前にシンバルの効いた抜けるような音楽が聞けない事だ。要するに趣味の2つに制約があることだ。もう嘆いてもらちが明かないから、受け入れるしかない。前の前の会社が、また人を集めていると情報を得た。そんなに不満があるんやったら、あんたもどうかね?「いやいや、とんでもない。もう僕はこの仕事を最後にしたい」、「そんなら空いている時間を使ったらよい」。世の中は新聞に言われているように人手不足なんですね。不満はあるが受け入れるしかないだろうと言うのが結論。今日は、1本のレポートが完成したので、プールに行けた。無理して1.5km泳いだ。その間、隣のレーンでは大人のための水泳教室が開催されていた。形を追求しているから、講義の時間が長く、泳ぐ時間が少ない。僕の500m泳ぐ間に、100m位しか泳がせてもらえない。これじゃいくら早く泳げても面白くないわと思いましたね。今日の水泳は日曜日ほど疲れてなく、帰りの車も難なく運転できた。今日は寒く、車から降りると寒さがぐっと来た。期限付きの仕事があるが、メンバーの2名は積雪地方担当なので、天候の具合によって、期限内に終えるかどうか不明と連絡があった。もうこんな時期です。南国高知ではただ寒いだけなのですが。

12月4日(月曜日)
もう大変な日々
昨晩は午後9時から寝た。今朝は7時に起床。随分とお疲れだ。少しだけ楽なっていた仕事が急に立て込むようになった。朝の散歩を取りやめてラジオ英会話を休んで、ゴミ出しついでにカッパ市場に買い物。白菜が半分で200円だった。奇妙な野菜があったので買った。ブロッコリーと同じようにして食べるとの事。戻ってすぐに仕事を始めた。一日10時間業務体制で臨まなければ、この仕事は完成しない。そう決意してメールを開けば、今週中に完了報告が欲しい案件があった。この要請は外勤の仕事なので、僕としてはとても難しいので、あらかじめ内勤の仕事が遅れる旨メールを入れた。無理に無理を重ねてもできない事もある。私生活を投げ打っての仕事。続けるには無理がある。いつかは楽になるだろうと思っていたが、そうは問屋が卸さない。それにまた背中が痛む。すい臓が悪さをして無ければ良いのだが。夕刻母が懇意していた田村のおばさんから電話。「あんた、どこにおるぞね」と僕の母屋の玄関から電話が来た。僕は離れの仕事部屋だったので、出てゆくと、「土佐山田のネギを一袋」持ってきてくれた。ネギがピンと立っている。今日はこのネギを使って鍋にしようと決めた。一人で鍋を囲むのはわびしいが、こんな新鮮なネギを放置するのは申し訳ない。冷蔵庫に残っていた鶏肉と一緒に煮込んだ。少し味噌を入れた。だしは、高知の市場で買って来た袋入りと、日高昆布を5分に立てた。そうすると、何と甘いお汁ができた。このネギは少し甘味があったのだ。いい事はこれだけ。食事の後また仕事に取り掛かり9時過ぎまで。今日は朝の8時40分位から仕事に取り掛かったので、食事の時間を含むが12時間勤務だ。帳簿には8時間しか記載されないけど。

12月3日(日曜日)
大変なことが発覚した
11月は仕事が忙しくて、その上行事も多くて泳げなかった。その結果、本年累計83kmで記録が止まっている事が判明した。年間100kmを達成するには、12月に近々では未踏の17kmを泳がなければならない。現役の2008年頃は、20km/月が普通で、最高25kmまで行ったことがある。しかしそれは若いころの話で、しかも時間が十分にあった時代だ。現在だいぶ衰えた体で、しかも時間的な余裕ない(現役の頃よりも勤務時間が長い)中で、17kmは一寸難しいのではないか。しかし、100kmの目標を立て未達と言うのは哀しい。取り敢えず、1回の泳ぐ距離を、1.5kmから2.0kmに上げ、それを週に最低3回はこなそう。その第一回目が今日だった。昼間は出来るだけ昼寝を長くエネルギーを蓄えた。今日は丁度良く晴れていて、窓を閉め切っていたら25度を超えてしまい、暑くて汗をかいたので目が覚めた次第。部屋の温度管理がもう少し旨ければ、もっと眠れたかもしれない。2km泳ぐには睡眠で体力を蓄える。これは、30才頃からの僕のノウハウだ。まぁ完璧とは行かないまでも、準備は出来たので出かけた。プールは丁度1コース空だったので私専属に使った。ここまでは計画通りだった。当てが外れたのは、食事をしての帰り道「眠くて眠くて」。手持ちエネルギーをわずか2kmの水泳で使い果たしたと言う事。もしくは昼寝が足りない。

12月2日(土曜日)
今日も一杯のスケジュール
疲れで不覚を取って起きたのが7時半。急いで食事。掃除。メール作業で午後2時完了。電話があってエアコンの工事に今から来ると言う。ケーズデンキさんでエアコンを買った。ここでなければ買えないダイキンのエアコンだ。エアコンは断然ダイキンが良いと評判。本当は、意を曲げて日立のヘルパーさんと懇意にしてたので日立を買うつもりだったが、その人は辞めてしまったのだ。工事は丁寧で商品には10年保証がついていた。僕はその間、西の畑にこもり、溝堀にいそしんだ。今日のノルマの2mを掘り進んで、工事やさんから電話があり完成したとの事。それから軽トラックに自転車を積んで、安芸市の寺尾に出かけた。刺身を買うつもり。この刺身でおじさんと一杯飲むのだ。車はおじさん所に置いて、帰りは自転車のつもり。刺身は平アジと太刀魚を注文した。どちらともコリコリの身。メインは鍋だった。自分用に安芸虎の酒を買った。50%の吟醸だが、ここの酒はとろりとして甘い。なかなか美味しい夕食だった。帰ると、僕の家の付近で寒風が温風に変わった。それだけ暖かい。早速エアコンを入れた。風呂から上がると、部屋がまんべんなくほんわりしている。まだ暖かい程ではないが、快適な環境となっていた。

12月1日(金曜日)
ホント大変
昨日の報告書は完成度が低いと指摘があった。時間ぎりぎりの切羽詰まった仕事をしているので、見直す余裕がなかったのも原因。全ての原因は当方にあるが、家事と仕事の両立もあるので、無駄な時間は一切ないように動いての結果だから、自分でも納得の指摘。これ以上家事は削らない決意で12月も仕事をしよう。家でできる仕事は明日に回して、今日は外勤で今月の活動を補足しようと出かけた。街はもうクリスマスセールが始まっていた。お店の客数も多くなっていて、年末が近づいて来た実感。いつも自分の体内時計は遅れていて、12月はギリギリの年末になって「おお12月が終わりそうだと」と気がつく次第。今日から宣伝が始まる担当商品のPRを行った。帰りに夕食を取った。もう弁当は飽きた。帰り着いてメール作業。12月1日報告が今週から追加された。まとめ終わったのが22時半。もう限界状態にある。

11月30日(木曜日)
時間制限
不覚で起床は6時半。それから1時間散歩。朝食を摂って、出発。今日は午後3時には出発しないと、帰ってからの報告書に支障を来す。結局3軒の訪問。これでもかなりの無理があり、自分に甘くなっているわけではないと言い訳をする。お弁当を買って帰り、7時から報告書作成、まとめ、費用精算を行った。その他に別のメール処理もあり、終了したのが深夜の1時半。本当は12時までに終いをつけなければと算段していたが、PCのメール調子悪く、少々遅れ気味の作業だった。夕方焚いたお風呂はまだ熱く疲れを癒した。

11月29日(水曜日)
徳島の夜
何度も書くが、今月は活動不足で得意先の全部を訪問し切れてない。それで月末の報告書も控えているが、自分自身の受け持ちを完遂するために出かける。出発が遅れるのはメールが集中しているため。社内では人身事故も起きて車の運転に注意する喚起があった。とは言え、遅い出発は訪問件数の減少につながるから、どうしても右足に力が入る。年間200万円の収入だから、ひとたび事故を起こせば飛んでしまう。事故だけは避けなければならない。年と共に鈍くなる反射神経も応援者だ。この仕事どこかで区切りを付けないと。と言うことで、右足の力を少しだけ抜いて、香川県に向かった。途中で蠅が窓ガラスにあたりつぶれた。その蠅は、牛の血を吸ったのか、窓ガラスの半分が赤く染まった。不吉だ。ワイパーで拭いきれない。少しづつ雨が強くなってきているのが拠り所。坂出市で雨が足が強くなり流された。この日は結局高松市で日が暮れたので、ここで仕事を終えた。宿泊地は徳島市。高速道を走ると、高松西インターから道が違った。ここからは対面通行区間となるが、増設していた道路が完成したらしく、1車線だが、対面通行は終了した。走り慣れない道で、しかも夜で暗い。後ろからは車がくっついてくるし、緊張を強いられた。藍住で降りた時にはホットしましたね。渡辺貞夫/パーカーズムードの名曲が流れていたのに、全く耳に入らなかった。ホテルに投宿し、食事を考えたが、まだPC作業が1時間強残っていることを考えると、行きつけの居酒屋に足を延ばすことは不可能だった。ホテルのビュッフェ形式の夕食を頂いた。iPadで日経新聞を見ながら、笑いも会話もない夕食。

11月28日(火曜日)
商談疲れ
私が最も不得意としている内容。25年間営業を経験してきたが、この仕事は今なお慣れない。まだ現役の頃は心の準備をする時間があった。メンバーの皆で作戦を練る機会もあった。相談する上司もいた。今は、ぶっつけ本番だ。旨く行ったり行かなかったり。それで、出来るだけいいことが起きるように祈りながら出かけることにしている。得意先の玄関をくぐるのは本当に気が重い。ところが、今日はたまたま旨く進展した。時にはこんな拾いものの日があるから、何とかやっていける。とはいえ、勤務時間を大幅に超過しているから、帰宅して食事を準備していただくのは9時頃となる。とにかく一刻も早く寝ることが大事。だが、仕事で興奮し、家事をてきぱきとこなすと高揚するので、なかなか寝付かれず布団の中で悶々とする。睡眠薬代わりの読書も何だか目を通すのもおっこうだ。今のよりどころは、「終わりが見えているので頑張れる」だけだ。

11月27日(月曜日)
月の中でいちばん重たい日
毎月27日は活動日報を纏める日。中四国のメンバーから報告書が届く、もちろん僕自身も報告書を書く。私の場合、今月は会議に5日費やし、娘の帰省で2日費やした。土日の2日間全部を仕事に当てたが、差し引き5日間が足を引っ張って、報告書の内容が薄い。兼業農家と同じで、僕の場合はもう一つの仕事を請け負っているから、フットワークが重いのだ。今月はそれに行事が多かった。6日間も家を空けたし、村の行事も2回あったし、幹部も来た。手一杯の所にいろんなプラス要素が入り、ついさっき10月の報告書を書いたばかりなのに、もう11月分かよ。的な感じになってしまう。本来なら、今日は内勤と行きたいわけだが、活動日数が少ないので、無理して出かけた。人間の活動には3つの要素、資金、活力、能力が必要で、今日の場合は、「活力」に不足が生じている。活力を増やすには、資金が必要で、これは(こんな時は)ケチってはいけない。と言うことで、現代企業者の提供するレストランで和風定食を頂いた。見た目にもきれいな料理で、味と共に、目も楽しませてくれた。日の暮れない間に慌てて帰宅し、風呂を沸かし、再び報告書作成に取り掛かった。6時から7時まで食事。頭のフル回転が必要なので、良質タンパク質としてアジの干物を焼いた。これにナスを茹でたものとセットして、ポン酢で頂くのは、きわめて健康食で深夜に及ぶ作業の為に腹こなれもよろしい。22時の針を見て、作業が完成し風呂に行った。だが、普段はもう布団に入って寝る準備をしている時間帯。少し寝る時間がずれてしまうと、なかなか寝付けない。多分0時頃から寝たのではないか?

11月26日(日曜日)
iPhone X
今日は忙しい。日記をサイトアップする。13・67の本を読む。井戸の屋根に積もっている笹を取り除くとともにタヌキの糞を始末する。石油ファンヒーターのタンクを満タンにする。マツヤデンキに行って、注文してあったジューサーの歯を購入して来る。プールで泳ぐ。iPhone Xの機種交換をする。中でも、携帯電話の交換は重要事項だ。取り敢えずは世の中で話題になっている機能を使ってみる必要もあるし、写真機の性能が向上しているとのことだが、どこまで暗いシーンで通用するのか確認したい。色々あったが一通り済ませ、最後のプールと機種交換だけは午後3時から行動開始となった。まずはプール。2km程の時間はなく、1.5kmでも危ない。それで、今日はクロール1本に絞って45分で仕上げた。熱いシャワーも浴びず、着替えてauショップに向かった。約束時間ぎりぎりに間に合った。待ちに待ったXは意外と小さかった。契約を済ませ30分の待ち時間があるので、隣の店で夕食。食事の時間は13・67の次の章を読み始めた。クワン上級警部の物語だが、物語の進展は読むにしたがって、章の時代は遡ってゆく。通常とは逆の書き方だ。さて、iPhoneXだが。スワイプでスタート。これが、ホームボタンに慣れている身としては意外と難しい。アマゾンのキンドルも同じスタートだが、こちらはサイズが大きいのでまだ使い勝手が良い。取り敢えず今日は13・67の書籍をiPhone7PulsからXにバトンタッチして読んでみた。液晶は黒が沈まないので、黒バックの白文字の文章が、OLEDは、黒が完全に沈み、文字がくっきり。こんなに違うものか!画面サイズがやや小さくなった。でも重さはずっしりとある。146200円。次のiPhoneは6.5インチらしいが、20万円の購入は厳しいと思う。ドンドンと値段が上がる、客は無理をしてでもついてくるのだろうか?僕はiPhone6で十分だが、話題の為に買っているだけ。カメラ性能比較は別の機会に。

11月25日(土曜日)
野良仕事の再開
朝4時起床。風呂の中で本を読んだ。香港の刑事物語で、B級だが読み始めるとその章は読み終えないと気分が悪くなる代物。風呂の中ではスマホで読んだが、帰ってからはiPadで読んだ。昨日の酒も残り午前中はこうしてだらだらと過ごし、昼からメールを開いた。3時間くらいで終わり、畑に向かった。我が山沿いの畑は、全てが水っぽい。田にすればいいのだが、管理が難しいので水は貯めてない。なぜ水っぽいかと言えば、山に降った雨が畑に沁み出て来るからだ、だから、山側の岸にはいつも水がコンコンと湧いている。そこで、全ての畑は、山側の岸に水はけ用の水路を掘る必要がある。(おじいさんの時代は、この部分を一段高くして、いつも水をためていた)僕は、それをトラクターで均したため、水のコントロールが出来なくなったのだ。そこで、これから3月にかけて、土曜日の午後は、水路を掘る仕事に専念しようと思っている。このような水路を掘る畑は他にも4枚くらいあり、来年1年かけての作業となりそうだ。蚊やマムシが出て来る5月から10月の間は作業ができないので、完了時期はずれるかも知れない。これが、一つ。もう一つは、こちらも寒くならないとできない作業で、近所の人から教えていただいた山に生えている竹の伐採。こちらの竹は直径が20㎝くらいある巨大孟宗竹。竹の勢いが強くて杉が成長してない事情もあるし、隣の土地に光が当たらない問題もある。切るのはそんなに難しくはないが、切った後、短くして、枝を折り積み重ね、邪魔にならないようにする作業が大変だ。生の竹は相当に重いからだ。今日が僕にとって巨大プロジェクトが開始されたようなもの。

11月24日(金曜日)
経営者
僕たちの会社のトップが高知にやって来る。僕はついでだから夜の食事会だけには呼ばれた。夕食は「十刻」さん。結構高級な店。やっぱり「高知はたたき」と結論付けられた店。ここのたたきは、大葉、ニンニク、大根おろし、ネギ、玉ねぎ、茗荷。これをカツオの上にのせて頂く本格的なもの。クジラの尾のみや、囀りも頂いた。仕上げは、土佐巻。来年高知で開催するマネージャー会議の下見も兼ねていた。僕としては、会議は東京。最先端の街を見たいと述べたが、汲んでくれなかった。それには、根底としての理由があった。大の高知ファンだったのだ。昔の職場では高知に要件が上がった時は率先して訪問したと語った。弟さんが危篤状態らしいが、それでも強行して今回の訪問となったと言うから、本当に高知が好きなのだ。説得何て箸も棒にもかからないようだった。僕が現役時代は会社のTopと話すことはまずなかった。定年後はその機会が増えた。まぁ小さな会社だからと言うこともあるが、その前の職場は、結構大会社だったが幹部と顔を合わせた。庶民の知らない情報が気軽に聞けるので経営者との語らいは結構楽しい。

11月23日(木曜日)
格差
午前中内勤をして午後出かけた。休日の量販店を視察する目的。高知駅前のケーズデンキと高知の東部にあるヤマダ電機だ。似たり寄ったりの店格だが、入っている人の入りは全く違う。こんなにも差があっていいものだろうか?ヘルパーの数も全く違うし、レジには行列ができて、高額の買い物客の契約書作成待ちは4人くらいいる。年末商戦の走り。アメリカではブラックフライデーが直前に迫る掻き入れ時。GFKデーターでは前年を割る市況だが、この店に限ってはどこ吹く風だ。デジタル時代はオセロゲームと同じで、白黒がある時点で急激に反転すると、昔の職場で習ったが、まさに高知の量販店はこんな状況だった。アジアの市場でこの黒側となり辛酸をなめた経験があり、競争は容赦ない時代になったと痛感した。それが、今ではあらゆるところに満ち溢れている。これからは一生に仕事を変わる経験を最低でも2回しなければならない時代が来ていると本で読んだが、あながち先の事ではないなぁと思いましたね。

11月22日(水曜日)
トンネル
朝の散歩に娘を連れだそうかと思ったが、普段深夜まで仕事をしていることを思い出してそっとしておいた。ローソンで牛乳を買って帰ってもまだ寝ていた。近所のおばさんに貰った大根を調理していると、ぼさぼさの髪で起きて来た。椅子に座り食事が出来上がるのを待っているだけだった。きっと向こうでもこのような状態だろう。朝食はリンゴジュースに、パン、大根の葉をかつおぶしで炒めたものに、お醤油をたらしたもの。おろし大根に、昨晩寺尾で買った高価なちりめんじゃこを乗せたもの。四万十海苔と納豆。かなり豪華だったが、瞬く間に食べてしまった。食後僕は少しの時間を使って、法事で頂いたお包みを整理した。それを食後の散歩方々JAバンクに預けに行った。娘もついてきた。帰るとクロネコヤマトからプレーヤの修理が上がって来た。SL-1015。重いので半分持ってもらいセットした。低音が締まっていい音がした。雨がやって来たが、ゆずの収穫を行い、台所で絞った。高知のお土産はこうして出来上がった。出発の準備をして、高知市にある「お披露目市場」に行った。「明神丸」のかつおのたたき定食を頂いた。これもペロリ。若いことはいいことだ。その後高知歴史博物館へ行って坂本龍馬の直筆の手紙を見た。下手な字で書いてあるが、歴史上の人物がその中に登場するから、凄い。今日は本来なら、宇佐にある地中海風のホテルに出かけ、撮影をするはずだったが、時間切れ。代わりにスタバでお茶にした。友人がWiFiルーターを買ったがセット方法が分からないと電話をかけて来た。僕が説明をしていると、目の前で娘がiPhoneのアイコンを指示して、操作方法を先導してくれる。それを僕は電話口でそのまま伝えた。役立つ人間に仕上がっているとおもった。時間が来て空港まで送って行った。また、一人寂しい時間を迎えることになる。家にはまっすぐ帰らず、ながおか温泉に行って泳いだ。体を動かしいろんなことを忘れた。それでも、浮かんでくるのは、娘のご帰還はこの対応で良かったのだろうか?帰って、娘の居た部屋(僕の仕事場)に行くと、布団はトンネルのままだった。こちらが悩むまでの事はないのかな?

11月21日(火曜日)
父の役目
娘が帰省する。なかなか休みが取れないらしいので、ご帰還は年に一度だ。僕は休みを取って付き合うことにした。本社から視察に来る人の対応をしなければならないのだが、重要度は娘に軍配が上がった。もし、逆の事をしてたらメンバーの皆からヒンシュクを買うことは必須だ。とはいうものの、15:30に野市の駅に迎えに来るようにとのメールなので、午前中は自分の事に使った。先日持ち出したTVを元の所に返し、アンプを入れ替えてた。この部屋で常用のアンプSU-V100Dはリレーの接点が不具合を起こし、雑音が出ている。ヤマハCA1000Ⅱに変えたが、ビクターのSX500のスピーカーはじゃじゃ馬で、このアンプでは旨くなってくれない。はやり、元のSUV100Dに戻す必要がある。強力なアンプで制御しないといけないスピーカーだ。次にNASの設定を行った。写真用のサーバーとして新設した。iPhoneから、自動アップロードできるように設定した。家に帰り、WiFiの範囲に入ると、iPhoneからの写真をこのNASの中に取り込んでくれるのだ。畑に除草剤も散布した。先週の土曜日にどうしても回り切れなかった部分のフォロー。そんなことをしてたら娘の帰って来る時間が来てしまった。娘を拾って安芸市の寺尾に行きサバとムロ鯵を刺身してもらう。多分こんな新鮮な刺身は食ったことがない筈だ。フグも買って鍋にすることに。鍋は一人で食べるには味気ないが、仲間がいるとこれほど良いものはない。こんなにフグが美味しいものだとは知らなかったと感想をもらした。まだ若いのでいくら食べても大丈夫だ。片づけが終わった後、BD300枚の中から選んでもらった「映画コナン」を一緒に見た。もちろん100インチスクリーンで5.1chサラウンド。今日はこれで良いか?「いいよ」と言うことで父の役目を終えた。

11月20日(月曜日)
まだ迷う
昨晩は何度も目が覚めて、電気毛布の目盛りを少しづつ上げたが、結局朝まで寒かった。真冬並みに冷え込んだ感じだ。青森の友人からは雪の便りが届いた。今年は、暖房の手当てが遅れている。まだこの部屋には暖房がないままだ。6時起床、朝の散歩。iPodに入れた音楽もおおかた聞き飽きた。入れ替えが必要。今日は仕事だが、朝は残務整理があって午前中内勤(土曜日も残務整理をしたが、まだ残っていた)。昼から出かけた。土佐市で仕事を終えたのが午後4時。それから高速で高知まで帰り、そこで仕事を終えたのが18時30分。結構忙しく過ごした。帰って音楽を聴く暇もない。でも、仕事がないと、時間はあるから結構酒を飲むことが多くなるだろう。そうすると、音楽を聴く機会も減る。結局忙しい合間を縫って音楽を聴くというのが一番楽しめる聴き方ではないかと思ってもみる。読書も、映画も同じかもしれない。決めたはずなのに、まだ仕事を辞めるのか続けるのか迷っている。高知で給与だけで暮らせるのは夢のような世界でもあるのだ。それを投げ打つのか?先日懇親した友人は、朝の6時半から勤めに出て、夜も7時ごろまで帰ってこない。それでも12万円位だそうだ。ゴルフ代を稼いだらよいと明確なので不満はないそうだ。20才のころ、小田急のナショナルショウルームで女の子に囲まれて好きな音楽を聴いて、お客様とオーディオ談義をして過ごす生き方は果たしていいのかどうか、随分と考え込んだことがあった。同じ職場のパナレディにも生き方を聞いた事がある。結局は聞く耳を持たない自分は、結論が出せないまま、会社の組織に巻き込まれて営業で20年間もまれた。それはまずくはなかったが、自分の生き方だったんだろうか?仕事を始めてから46年目。今でも同じ事を考えている。自分で結論を出せず、何かに誰かに巻き込まれれるのを待っているようでもある。今度の何かは「死」ですけど。

11月19日(日曜日)
芸西村の行事
今日はあわただしい日になりそうだ。こういう日に限って目覚めが遅い。7:15起床。国道のローソン迄散歩がてら牛乳を買いに。朝食が8時からスタートとなる。それから掃除。この掃除がないとどうも落ち着かない。9時。芸西村役場の放送があった。芸西村フェスティバルの案内。午前10時から開場だと。1時間ほどの空き時間を使って洗濯と、日記を追記。10:30に自転車で出かけた。我が家は村の西の小高い山のふもとにあるが、このフェスティバル会場は東の小高い丘にある。お客様が多く結構車が駐車されている。目当ては屋台。僕の思惑通り、屋台は役場の社員さんやJAの職員、農家の奥さんたちで構成されていて、なんでも100円。安い。最初にフランクフルト、同級生の理恵ちゃんに会って、芋の天ぷらが旨いと案内を受け、そこに並ぶ。伝承館はサトウキビのサービスがあった。サトウキビを絞って、窯で炊いて水分を飛ばしたあと、飴状黒砂糖をサトウキビの茎に巻き付けて提供していた。僕の家の敷地に、この設備はあったので、小さい頃はそれを貰って良く食べたものだ。懐かしい味がした。もう父も祖父もいないので、懐かしさと寂しさが同時に襲ってきた。牛肉のバーベキューも頂いた。トン汁も。もう腹いっぱいで動けなくなった時、11:30の時報が鳴った。急いで自転車を引き出し帰宅した。草刈り機を車に積み込んで、西分の集会所に駆け付けた。今日は集会所の掃除当番だ。草は20㎝位あり、草刈り機の出番だった。近所の部落の人たちもやってきて、1時間くらいで終了した。芸西村の行事に3時間くらいを要したので、日曜日のスケジュールがずれ込んだ。洗濯物にアイロンをかけて風呂を沸かし、買い物に出かければ日が暮れた。寒い一日だったが、ここは山の懐にあるので、暖かい。その上日光が部屋の奥まで入るので午後3時までは暖かい22度となる。まぁ何ということはない田舎の一日がこうして終わった。

11月18日(土曜日)
お茶の影響
昨夕、三豊のスシローで軽く摘んで、仕事をつづけた。夕方腹が減ったのは、お昼にうどんしか食ってなかったためだ。まぁそれは置いといて、昨晩は香川県観音寺市で仕事を終えた後、高速をぶっ飛ばして帰らなければなかった。でも、お寿司の所為か喉が渇いてたまらんので、ペットボトルのお茶を買った。運転中に少しづつ飲んだが結局500ml全部飲んでしまった。その影響なのか、昨晩は疲れているにもかかわらず、全く眠くならず、布団に入っても眠れないのだった。その上、割と暖かったので、電気毛布の目盛りを下げて寝たら、夜中に寒くなってせっかく寝付いたのに目が覚めてしまったと言うアクシデントがあった。結局今日は睡眠不足で何ともならないのか?と覚悟してたら、割と元気で家の掃除や、メール作業や、親類のおばさんに近況報告や結構精力的にこなしてしまった。その上、友人をまねいてオーブンで焼いた鶏肉に舌鼓を打った。どうしても今日は鶏肉を食べたかったのは、先日訪問した徳島での夕食で頂いた鶏肉が余りにも旨くて、これをどうしても再現したかったのだ。前菜にはシイラと塩昆布。ショウガの甘煮。野菜の付け合わせは大根とパブリカのピクルス。お酒はシークサワー割(ホンモノのシークサワー1個を全部使う贅沢版)。結構本格的だったと思う。お茶のカフェインで昼間も興奮していたのかなぁ。

11月17日(金曜日)
うどん
高松市のホテルは満杯で、丸亀まで来て宿泊した。仕方なく予約したホテルなので朝食がない。ここはうどん県なので、朝起きてホテルの周りを散歩した。しかし、探せなかった。仕方なく、セブンイレブンのサンドウィッチ。その代り昼食はおいしい店でうどんを頂いた。まぁ何年も担当すると、自分のお気に入りのうどん屋さんが見つかるもんです。1玉のかけうどんにトッピングを多くした。この日の仕事は家電量販店7店を訪問するもので、移動距離も結構ある。アクシデントが無ければ良いがと思っていたらやはり1つだけ発覚し30分位ロスした。その上、東芝のヘルパーさんに捕まった。東芝は昨日テレビの商売から撤退すると表明したばかり。不祥事の代表格のような会社だからイメージ悪い。そんな会社が社員以外にも販売応援者を採用している訳だから、相当なやりて?60歳前のおばさん。東芝のエアコンは開発力も自ずと低くなり、大した商品ポイントもない。そんな商品を、堂々と自信をもって進めてくるわけだ。僕は余りの旨さに感動しました。そして、一生懸命に仕事をすると言うのは何て美しい事なのか!と元気をもらった。労働時間が長いとか、本社からの報告指示は多いとか不満はたらたらある。でも、この人からそんな不満を一掃するパワーを貰ったのは何よりも今日一の収穫。メンバーの一人に、僕の受け持ちのカバーをお願いして、1店訪問件数を減らし帰宅の途についた。南国インターの近くにある「ながおか温泉」で1300m泳ぎ、お風呂に入って帰宅。メールをチェックして、報告書を書き上げたのが午後10時半。まぁ何とか最後に時間は計画通りに収まった。


11月16日(木曜日)
今日は会議
中四国のメンバーが全員集まって会議をする。地域会議です。僕らの会社の本社はあるモノの、本社に行くことはない。家が事務所で、会議は年に1度東京のホテルで開催される。マネージャーは3カ月に一度、これまたホテルで開催され、社員さんは、3カ月に1度、地域の交通の良い場所で開催される。それが今回。自分が車で移動することもあったので、アクセスが可能な岡山に会場を設定した。昨晩の宿泊は徳島だったので、2時間強で到着することを見込んで9時に出発した。四国の高速道路と中国の高速道路はまったく事情が違う。車の量が圧倒的に多い。一般道も3車線が一杯になる。渋滞も凄い。でも岡山は本州の中では田舎の部類だからこそ僕の腕でも行けるのだ。車で行ったのは理由がある。プレゼンを行うディスプレイを持って行った。42型のPDP。結構重い。でも色は鮮明。仲間とのやり取りにはやっぱり図面と言うか画面で確認したほうが伝わりやすい。前回はプロジェクターを準備したが、これは発色が悪く用をなさなかった。共有する事項を確認しながら議題を進めていった。これは正解だった、と私は思った。口頭ではどうも心持たないからだ。会議を終えて、近くの居酒屋で懇親会。結構おいしかった。それに安かった。岡山のメンバーの紹介だ。やっぱり地元の情報は違う。7時に解散。そこから僕は車で丸亀市のホテルまで。瀬戸大橋は行きと違って、帰りは微風となり、時速100kmで走行出来た。

11月15日(水曜日)
徳島2日目
今日のスケジュールは4件で、割とゆっくりできる。滞在時間を長くして丁寧に作業を進めた。ラウンダーの仕事は本来こんなものだが、僕は他のメンバーと違い余計な仕事を2つ抱えていて、月の内半分が内勤に食われるから、どうしても1日の訪問件数は多く滞在時間は短くなる。徳島は、車の飛び出しが多く、気を抜けない。普通の常識が通用しない県なのだ。吉川英治の「鳴門秘境」を読んでいる。江戸幕府の時代に、幕府転覆を計画している蜂須賀家(徳島のお殿様)を探るのが目的の物語だ。この時代から、徳島は少し異色の地域だったのだ。それを県民は今でも引きずっているように思えてならない。それに、閉鎖的だったため、味の文化が乏しく、徳島の味はおいしくないのが定説だ。今日は「岡村さん?」と声を掛けられた。Philipsのセールスマンで、僕が3年前やはりここで仕事をしているときに、仲良くなった人だった。彼は、あんたは熱心に仕事するから、よく覚えていたと言った。彼は今でも同じ仕事だが、嘱託の身分となったとのこと。徳島でもいい人は居ますと、イメージ挽回。それに夜は行きつけの居酒屋さんで、鳥のもも焼を頂いた。これは絶品。ここでもイメージ回復。

11月14日(火曜日)
雨音で目が覚めた
晴耕雨読の生活が目前に迫っている。そんな予感を呼び出す雨だった。残念ながら散歩は出来ず、倉庫で車に積み込んだ荷物の整理と、宿泊の準備を整えた。先週も3泊したが、今週も3泊の予定だ。今回は全て仕事。今日始めた気がついたが、今月に入り根を詰めて仕事をしたためか、歯が痛む。それが、レポートの提出が終わるとともに、痛みは引いて行った。PCとにらめっこはどこかに無理が祟っていたのだろう。別に苦ではないので平気でこなしていたつもりだが、体は拒否反応を起こしていたのだ。今日から徳島県を訪問する。徳島県は無理な車の飛び出しがあるので、本当に腹立たしいとともに、気を付けないと衝突する。ここではタイ式に突っ込んだもの勝ちなので、遠慮をすれば反って怖い。昨日の水泳が効いたのか眠くって、2度休憩した。やっと吉野川に出た。眠い時はホント「やっと」の言葉が適切。一仕事終えると1時半。これからお昼。ラーメンが食べたかったが、カレー屋さんが先だった。この吉野川沿いの飲食店は昭和がそのまま残っていて、飲食を兼ねた喫茶店が多い。大手資本が出て来るには、都心からのアクセスが悪く、しかも人口が少ないので市場が小さい。渋谷の乗降客の総数が全県民と一致する位だから。その店の造りも、1970年代のままだ。そういう割にお客様は5組くらいあり多かったがね。その店の看板であるカレーを注文。おばあさんが伝票に書く、辛さは、量は?「中、中」伝票はこれだけ。IoTの時代だが、こちらはその上をゆく簡素化が進んでいる。田舎のカレーだから、ボンカレーみたいものを想像していたが、出てきたのは本格的なカレーで、僕が無水カレーを作ったのと同じような濃さ。田舎とは思えない味。外見は昭和だが、中身は最新の洗練された味が漂う。このため、僕として少々食べ過ぎた。少し残そうと考えていたからだ。あいにくの雨で、動きも少なく万歩計も進まない。夕方を迎えた時、まだ腹の中にはカレーの肉が残っていた。これはまずいことになった。ネットで検索すればホテルへの帰り道にプールがあった。水深1.4mの本格的なものだ。500mを平泳ぎで体を慣らし、200mバタフライと背泳。300mクロールで仕上げた。これで昼間のカレーは腸の彼方に行ってしまった。ホテルは夕食とセットなので、美味しいバイキングが頂ける。トランプさんではないが、今日はすべてうまくいった。

11月13日(日曜日)
休日の一日は早い
昨晩は23夜。それで村人と遅くまでお寺さんで酒を飲んだ。それが祟って今日は午後になるまで酒が抜けなかった。食べ物の持参がなく、酒ばかり飲んだためでもある。頭の中に霞がかかって本を読んでもあまり内容が理解できなかった。早めにお風呂を焚いて、食事を済ませ、「美味しんぼ」を4巻見て寝てしまった。

11月11日(土曜日)
23夜
掃除洗濯、メールのチェックで午後4時。急いで買い物。風呂焚き。5時半にお寺で23夜の集まり。お供え物の供養をしてもらったものを袋に詰めて各家庭に配る。その後宴会。父が部落の人たちと旨くやってくれていたから、僕がこの集まりに参加するのも何ら問題ない。村の行事は年6回。これに、近所の先祖様が3回あるので、合計9回。全部案内してあげると言われた。田舎暮らしは、来ている人の昔を知っていて、その人の両親の事も記憶にある。そんな前提となる知識がないと、「こんにちわ、寒いですね、暑いですね」だけでは、入り込めない。それにある程度のお金が必要。今日、皆の話はコンバインの耐久性。コメの生産性。僕から話すことはない。ただ聞くだけ。田舎の人は田舎の人で、生きるのに一生懸命だ。しかし、この集まりの人たちで儲かった話は聞いた事がない。家もお金がかかっているような造りではない。それで僕のように、地震で倒れるのを楽しみにしている。しかし、昔の家は倒れないから注意しなければならないと変なコメント。2時間が限界だと自分で決めていたが、やっぱり4時間。酔いすぎた。酔いを醒ますのに散歩をして寝たのが12時だった。

11月10日(金曜日)
オーディオセッション
最終チェックをして資料を発送した。今日仕上がらなかったらオーディオセッションに多少食い込んでも仕方ないと覚悟していたが完成できて良かった。開店は10:30から、それまで大丸を見学。紳士服売り場は30-40代の人たちが対象の洋服。高齢者が増えている日本では少し違うのではと思った。しかし、このビルにも中国人は多く訪れるので、まぁいいかなと納得。下に下がって寝具。店は暇そうで、店員さんに詳しく話を聞けた。この業界では2-3年に一度買い替えを進めている。それが常識だとか?テレビは7年がサイクル。それは知っているが、まだ見えるので使っているブラウン管テレビ。知っているのと知らないのでは、同じ使用でも大きな差。そういえば、昨晩は熟睡した。ベッドが良かったとこの時思った。店員さんの言うことは正しい。会場となるホテルの前には行列。誰か知った人がいるのでは?と見渡すと、一人だけ。元ジョーシンのオーディオフロア長。ここにヘルパーさんを派遣しているときに、毎週訪問したから、顔なじみだ。多分彼のフェイスブックには僕の写真が掲載されている。順番に見て行った。レポートを書き上げる程メモを取った。LPレコードがLPレコードだと思わせないような音で鳴っていたのがオルトフォン。以前石丸で気持ちの良い音を出していたJBLを、もっと進めたマジコS3MK2のスピーカー感動の音。JBL66000はこのホテルでは無理な感じ。LINNもいい音がでていたがDSDにこだわりがあって惜しい。ソーナスファーベルはひずみっぽい。アンプの選択(オーディオリサーチ)がまずいような気がする。東京のダイナミックオーディオではいい艶が出ていた。2時半。後ろ髪を引かれる思いで退散。後2時間は欲しい。

11月9日(木曜日)
Woong San
朝一から9時半まで食事を挟んでPC作業。ほぼ完成。サンダーバード16号で大阪へ。移動中は「ワーグナーニューべリングの指輪、タンホイザー」を見た。ワーグナーは少し勉強しないと分からない所があると思い、厚い書籍を買ったがまだ読んでない。取り敢えず映像を押さえておこう。ストーリーは肉欲の神の世界から逃げ出したタンホイザーは、現世に戻り、騎士になろうとするが、騎士の仲間を侮辱して追放される。その帰りを待つ清き娘エリザベートとの恋を描く。歌詞の随所に哲学的な言葉が出て来て、それは宗教と密接しているから、字幕で見る物語の背景に何が潜んでいるのか理解できない。書籍の力を借りよう。このオペラは有名ではないが、登竜門としてのがせない長編オペラ。途中で電源を切って心斎橋へ。ここのホテルで明日オーディオフェアが開催されるから、今回はここで宿泊10,000円。ホテルでPC作業を終えると、出発ギリギリだった。まずはDoctorAirのショップへ行き、商品説明を聞く。この商品を販売しているが全く知識がない。プロの販売員の説明はどこを押さえているのか?30分ほどかけて教えてもらった。あわただしく大阪駅へ。ここで仲間と待ち合わせ。ミスターケリーの店でライブがある。そこへお誘いをした。まずはステーキで腹ごしらえ。200gを平らげた。価値ある2,500円。ライブは韓国人の歌手。天上が低いので低音がどうかなと心配したが、そこそこ出ていた。何よりも、今回はノリが良かった。多分彼らも何回かこなしているライブでも上出来の部類じゃないかと思う。JAZZは間違ってもJAZZで、そこそこ楽しめるが、引き込まれることはない。だが、今日はぐいぐいと聴衆を引っ張っていった。ドラムスがメリハリを利かし、ボーカルが、弱音部分を更に低くして聴衆の耳を引き付けた。仲間もライブはいいなぁと言ってくれたが、こんなことはめったにない。快く高価なライブに付き合ってくれた友人達にも感謝だ。いいご案内ができた。この興奮は納められず、ホテルに帰り、石川さゆりのDVDを見た。NHKの番組だが、普段あまり聞かない小唄端唄を披露した。石川さゆりと坂本冬美は挑戦する歌手であり好きだ。それから都都逸に移っていったが、こんなに難しい唄だったんだと改めて深さを知った。今日も感動の物語で一杯だった。

11月8日(水曜日)
かに
サンダーバード15号は満席だった。そう、今はカニのシーズンで、大勢の観光客がカニに向かって移動した。僕は「ビゼーのカルメン」を見て行った。ホセは昨日見たアレクサンドルス・アントネンコで、こちらはぴったりのはまり役だった。このオペラは最初からいきなり有名な曲から始まるので、一瞬たりとも見逃せない。オペラの中でもTOPの人気だ。闘牛士が歌う場面では感動で胸が熱くなった。これで判ったのは、オペラでも結構楽しめる。仕事を辞めた後でもこれだけで生きていける自信が湧いた。午後1時から会議。夕刻6時半から宴会。このためにやってきたようなものだ。蒸したカニの甲羅。石川港のタグがあった。タグをつけるというのは、かなりの自信。言葉数も少なく黙々と頂いた。カニの甲羅を焼いてその中にお酒を入れて飲む。これは、今一だった。焼きガニ、刺身。まぁ感動の食事ですね。地元の社員さんの交渉で割引価格でも25,000円コース。宴会を楽しんだ後、部屋に帰り、購入したCDを聞く。ムターが弾くSchubertのマス。これは絶品だった。ネットで調べるとハイレゾもあった。CDでも凄い音がしている。ジャケットのAnne-Sophie Mutterはいくぶん年老いた顔つき。若手美人バイオリニストが世界中を闊歩しているので、熟年の重みを発揮したと言うところか。少しメリハリを利かし、元歌からは違う印象があるが、楽しさはこちらが数倍上だ。今日はとても良い一日だった。

11月7日(火曜日)
おじさんには無理がある
午前中数字の検証をしていると、かなり大きな間違いがあるのに気がついた。Excelシート一枚やり直し。手打ちだとどうしてもこのようなミスがある。計算式で検証できないモノか?考える。しかし考える時間が惜しい。えぃ!手打ちを2回検証して確かなものするのが早いみたい。取り敢えず午前中はこの謝りに気がついただけで、移動だ。午後2時半のくろしお鉄道ごめん奈半利線の駅に向かう。途中に喪の立て看板。妙に気になる、自転車を引き返し確認すれば、この夏まで話をしていたおばさんだった。夏以降は見かけなくなったので、家の中で寝込んでいるのではないかと思っていたが、死への旅立ちの準備をされていたのだ。92才。それまでは、家の近隣の畑で野菜を作っていた。いい人生だった。僕は時間ぎりぎりに移動していたので、お悔やみには行けない。香典は友人に頼んだ。移動時間は「プッチーニのオペラ、オテロ」を見て行った。この旅では、オペラにどれだけ近づけるか、定年後は音楽三昧のつもりでいるから、オペラ鑑賞は自分にとって楽しいか?肥やしになるか?の検証が必要だ。LDはプラシドドミンゴの熱演で素晴らしい出来だったから、メトロも負けてはいられないはずだと期待。だが、アレクサンドルス・アントネンコは声が甲高くて、小物の印象。司令官のオテロ役には少し違和感があった。岡山までで見終えた。岡山からの新幹線ではiPadで仕事の続き。大きなファイルだが、iPad-proは何とか応えてくれた。今日の難題は、ホテル。自腹なので少し安めを予約したら、何とカプセルホテルだった。ホテルでの作業は少し無理みたい。取り敢えず食事。食事のついでにタワーレコードでCD購入。ホテルではロビーでPCが使えそうだった。夜10まで作業。風呂、就寝。眠れないのではと心配したが、このホテルで来たばかりで客が少なく、5時半まで眠れた。宿泊客は若い人たちばかりで、おじさんはいなかった。今回は僥倖で、日常としては無理がある。

11月6日(月曜日)
かなり決死の覚悟
ラジオ英会話もなし、散歩もなし。7時からPC作業を始めた。昼がやって来た。少し先が見えて来た。目途の付かないまま出発するのだけは避けたかった。昼飯も軽めに、午後5時一応の完成を見た。買い物風呂を済ませ、これでいいのか改めた。もう少し改定と追加の必要があると判断。午後9時まで作業を進めた。もう限界だ。明日の午前中いっぱいを使って検証。

11月5日(日曜日)
大忙しだ
昨夕、庇の修繕は中途半端に終わったので、今朝はその続き。高知の友人が来て1時間作業中断。壊れたカラートタンを村の粗大ごみの集積所に運び処分。簡単に食事を済ませ、お葬式へ。お葬式では昨日頼まれたお棺を持った。ここの葬儀屋は蓋に釘を打たなかったので、死臭が少し臭った。霊柩車へのお見送りが終わったのが午後2時半。急いで、PC作業に入った。午後4時まで集中した。それから買い物。食事。お風呂。ホントあわただしい一日だった。売れっ子タレントのように分刻みでスケジュールをこなした。それと言うのも、PC作業がなかなか進まないからだ。明日一日、明後日半日を使ってどこまでできるか?残は電車の中(2時間)、ホテルの中(3時間)、どう頑張っても5時間が限界。仕上げを9日に延ばせば、ホテルで更に5時間使える。この仕事は重いので、プライベートを全てぶち込んでもまだ足りない。ホントは会議を欠席すればすべてがうまく回り、部落の宴会にも出席できるのだが。

11月4日(土曜日)
お通夜
近所の奥さんが無くなった。80才位。昨年、母がショートスティを繰り返していた時には、我が家にやってきて、話し込んでくれたこともあった。その後、旦那さんには、様子をうかがっていたが、心臓の手術ができないくらい良くない状況にあると聞いた
。それは我が母も同じ状況だったので共感をされた。それで、自宅に帰ったが、今度は肝臓だか腎臓だかが悪いと言うことで、芸西病院に再び入院し、一進一退を繰り返していたと聞いた。近所なので、夜、家の電気が消えているときは、病院に詰めているかなと思った時もある。今日がお通夜で自宅で執り行われた。本当は安芸市にある葬儀屋さんで執り行う予定だったが、ご主人が暴れて、葬儀屋を返してしまったらしい。温和なご主人で、酒の飲み方が実に様になっている人だった。よっぽどショックだったらしい。近所の人達は、葬儀屋を帰させたと面白おかしくかたったが、この人は悲しみを分散させる方法を知らなかったのだろう。自分の中に籠って爆発したと推測する。お通夜の席では、お坊さんが、「ご詠歌」を歌った。先日聞いた、日本で指折りの方のとは格段の差があり、今日のはお経の一種だと感じた。先日のは、「歌」だった。お坊さんにはこのことは言わないでおこう。

11月2日(木曜日)
人殺し
仕事をしていると、前を通りかかった近所の人が声をかけてくれた。今から、先祖様の掃除に行くところだ。と言う。僕は、まだ喪中なので、拝みには行けないと答えた。行かいでもえけんど、お客だけには来いや。と話は決まった。そして、観音様の掃除の時間を確認した。すると、困ったことが起きたと言う。なんぜよ?。まぁ掃除をしてきてから言うわよ。そして、僕は再びPCに向かった。しばらくすると、彼は山から降りて来て(僕の家は山の登り口にあり、先祖様や山の神様がこの山にある)、困ったことと言うのは「おていちゃんが亡くなった」と言う。「えっ!えらい元気やった人が急にかよ」それで、多分、明日がお通夜だろうから、観音様の宴会はないことになった。と言う。「おていちゃんは、お母さんを亡くしたのは昨年じゃなかったろうか?偉い不幸が続くねぇ」と言った。そのおていちゃんのおやじが、酒を飲んで病院で暴れたらしい。僕は妙に話が違ってきたような感じを受けた。おていちゃんは独身だったし、親父はもっと前に死んでいる筈だと言った。そこで、はっきりした。おていちゃんは、近所のおばさんだった。あぁそれは知っている。もう時間の問題だとご主人から聞いた事があると、始めて話がすっきりと通った。その夜、先祖様の宴会におていちゃんが来た。「あてぇ、おまんを殺してしまいよった」と言った。そうするとおていちゃんは、言った。名前も同じだが、漢字も同じで、住所はだいぶ違うのに、郵便が間違えって何度も来たと言った。「あたしゃ、まだ死なんでぇ」とおていちゃん。大変失礼なことをした。すっきりしたところで3人で1升を空けた。酔いすぎた。

11月1日(水曜日)
お葬式
父のお世話になった農協の社員さんのおばさんのお葬式に出席した。ここの娘さんは介護師で、母もお世話になった。今日のお葬式は自宅で執り行われた。近年自宅で葬儀するのにお目にかかったことはない。奥様に伺うと、一番頼りにしていた野町さんが、台風で屋根が飛び対応できない、その隣の白川さんは、申し込みが殺到して対応できない、など、台風の被害は意外な所に飛び火して、このお宅にも及んだわけである。家屋が小さいので、一般の焼香客は道路に置いたパイプ椅子に座り、かすかに聞こえてくるお経を聞いた。風は冷たいが太陽は強く中和されて丁度の気温だった。お葬式から帰りに芳江ちゃんにあって、「おまん、もう帰りよるかよ、葬式はいまからやろうが」と言う、話が合わないのでよく聞けば馬の上の人のお葬式と間違えていた。こちらは、近所の英夫さんの娘さんが嫁いでいった先。日中と朝晩の気温差が激しくなり、亡くなる人がめっきり増えた。帰って、食事をして仕事に取り掛かった。2本の報告書の内1本を済ませたので、少し安堵して、買い物に出かけると、「まさたかさんじゃないかえ?僕、高橋です。」「まさあきさんかえ?」この芸西のスーパーはよく同級生に逢うが、「まさあきさん」も同級生だ。赤野に住んでいるから、先ずは会うことはない。赤野の親類の話しで、彼は、お父さんを亡くした噂を聞いたので、伺うとやはりそうだった。芸西村は死亡の話しで持ち切りだ。3日の夜は先祖様、4日の夜は観音様と連続して部落の人たちと飲む機会がある。ナスとピーマンの話題がベースだが、今年は台風の話と、亡くなった人の話が加わるだろう。そういえば、朝の散歩のとき挨拶だけするおじさんと、話したら、台風でハウスが2回飛んで、もう死にたいと嘆いていた。このおじさんは見るからに実直そのもので、気持ちがひしひしと伝わって来た。自殺と言えば、テレビでは自殺願望者を殺害したニュースがメインだった。

10月31日(火曜日)
イノシシ出現
完全な秋晴れ。昨日の変な天候は、関東や関西の木枯らしが吹いた余波。高知は雨降らず、時々厚い雲に覆われるだけ。やっぱり温暖だ。まだ暖房はいらないが、エアコンを早く手当てしておかなければ、寒い冬となりそうだ。今日は風呂を焚こうと、枯れた竹を取りに敷地の中にある藪(我が家の敷地は森と混然としている)に入るとそこら辺にイノシシが掘り返した跡がある。昨晩は人ではないが、何か変な音がすると思っていたが、これが原因だった。夜中トイレに行った時鉢合わせにならないか不安。昨年は畑の手入れができてなかったので、そこにいるミミズを堪能したのだろうが、今年は畑を頻繁に耕し、除草剤も散布、草がないのでミミズも少ないだろう。それで、我が庭に出没となった次第。チョット怖いので武器(草刈り鎌、稲束を串刺しする先の尖った棒)を準備しておかねばと思った次第。自然の脅威や、生物の棲み分けとか、ここは街と違って幾分ワイルドな感覚が必要だ。この村の中でも、我が家ほど森と接している家屋はないから、この村の中でも特異な存在だ。そういえば、お墓に除草剤を散布したら、マムシがいた。たっぷりと濃いめの除草剤をかけてあげた(マムシの骨が溶けるとか聞くが定かではない)。厳しい田舎住まいだが、嬉しいニュースが届いた。娘が11月の後半に帰ってくる。蚊には弱いがもう減る頃だから問題ないだろう。

10月30日(月曜日)
妙な天候
晴れるでもなく、曇るでもなく。今日から内勤の日。PCと睨めっこは結構疲れる。目も痛くなる。時々散歩で気を紛らわす。確かPCばかりに携わる仕事には、法律で休憩時間があった筈。まぁそこまで行かなくても、体が耐えられない。今日の1番のニュースはYAMAHAから、マイクでリスニングの調整ができるプリメインアンプ(R-N803)が登場した事。この部屋のプリメインアンプが壊れてしまったので、グットタイミングだ。壊れたことに関しては、この部屋のエアコンも壊れた。早く注文しないと、この寒さの中で凍えなければならなくなる。この夏からの現金預金を計算すると、均衡だ。生活費は給料の中で回っているが、調理器具や思いつきの家電を買ったのが災いしている。iPhonexを注文し、エアコンを買えば、預金が減る。仕事をして給料をもらっている身でこれだから、仕事を辞めるとどうなるか考えただけでも怖い。天候が悪いと考え方まで後ろ向きになる。

10月29日(日曜日)
ラタトゥイユ
ラタトゥイユ、ラタトゥユ(フランス語: ratatouille [ʁatatuj])とはフランス南部プロヴァンス地方、ニースの郷土料理で夏野菜の煮込みである。今夜はこれに挑戦した。挑戦と言っても、材料を買ってきて、鍋に放り込むだけで完成する。シャープのヘルシオクッカーは優れものだ。台風22に号がやって来た。雨も少し強くなり、風も吹いて来た。私の部屋は玄関がなく、吹きさらしの階段にスリッパを脱ぐ。風が強くなった10時、トイレに行こうとしたらスリッパがない。遠くまで飛んで行ったのだ。雨に濡れながら裸足で取りに行った。こんなわけで、今朝は散歩もなくただただ家の中にじっとしているだけ。それでも、無性に腹が減ってきて、昼を待たず昼飯を調理した。これでは肥満と高血圧の道を目指していると思い、夜は自粛するつもりで、上記のメニューに挑戦したのだ。材料は、トマト、玉ねぎ、きゅーり、ナス、セロリ、パブリカ、ニンニク、ベーコン。味はコンソメの顆粒をつかう。レシピによると塩も記載されていたが、おじさんにとって塩は厳禁だ。風呂を沸かしながら入浴した。窓を全開にして、まだ吹いている風の音を聞きながら入った。笹が飛んできて掃除するのに往生したが、気持ち良さには代えられないので窓は開けたままだった。風呂から上がると、美味しいにおいが漂ってきた。昔母が健在なころはいつも台所にはいい匂いが立ち込めていた。あの頃を思い出した。今は機械がそれを醸し出してくれる。味はぴか一。寸分の批判の付け入る間もない完璧だ。塩が無くても、コンソメとベーコンで十分な味があった。調理に少し白ワインを使ったので、そのワインを飲みながらの食事となった。非の打ち所のない夕食だった。でも、これは危険だと察した。今日の運動は極めて少ない。インプットとアウトプットを考えると明らかにインプットが多い。気休めだが、1,500歩程度この近所を散歩した。

10月28日(土曜日)
2.5km
午前中はいつものごとくメール作業。午後からは2件訪問が出来てなかった先へ訪問活動。ついでに昨日取りこぼしたiPhoneXの注文。256Gグレーを注文した。携帯の店はどこも横柄で売ってやるぞの姿勢が変わらない。規制で守られているからユーザーは我慢して従っている。今に見ていろ吠えずらかくぞ。Xにマスコミは期待した記事を書くが、安くても11万円。だれもが簡単に手を出せる金額ではないと思う。アップルは思い切った賭けを行ったと思う。高価格が軌道に乗れば、一段と飛躍するだろう。しかし相場と言うのはある。車業界は高価格が功を奏した。(これから電気で動く車になるからそうはいかないだろうと思うが)。果たして携帯電話の行方は?午後3時半に仕事を終えてプールに向かった。今日は丁寧に2.5km泳いだ。昼飯に行きつけのラーメン店さんで、多めの食事をしたからだ。あと500mで3kmだった。しかし外は台風の雨で暗くなりかけていた。暗くなると家でお風呂を沸かすのが至難の業となる。(暗い所で薪を切る、雨で薪が濡れる)それでギリギリの2.5km。東京や仙台時代にはこれが当たり前で、3kmが2回に一度の距離だった。さすがに2.5kmはエネルギーを使うのか、腹がへこんでズボンのバンドが1段深くなった。腹が出て来たなと思ったら、2.5km泳げばよい。腹の皮を背中にくっつけようとすれば3km泳げばよい。

10月27日(金曜日)
何とも厳かな歌を聴いた
今日は報告書の締切日、iPhoneXの注文開始日、土砂加持法要の日。何と大変なスケジュールである。まずは、仏壇とお墓に花を添える。次に報告書の作成に取り掛かった。こちらは毎日訪問の度に仕上げていると楽だが、まとめて書こうとすると結構前のメモ帳を開いたりして面倒だ。それに書こうとすることがなかなかまとまらない。現象の羅列ではなく一本の筋が必要だが、なかなかそれが見えてこない。荷物を送りに行ったり、お風呂を焚いたりしたが見えてこない。時間が迫ってきて、とうとうiPhoneの注文には行けなかった。取り敢えず報告書は羅列しかできなかったが体裁を整えて完了。少し遅れて土砂加持法要に行った。田舎でこれほど豪華で厳かな行事が行われているのは注目だと思う。真言宗の僧侶が16名も集まる。1時間半ほどの法要が営まれ、故人と自分の名前が呼ばれると焼香に出る。芸西村の30名近くの家族がここに集まってお参りを行った。最後に説法があるが、今回は35番札所の住職がお通夜の席上で歌う「ご詠歌」を歌った。もちろん意味も説明してもらった。こんな厳かな歌を聴いたのは初めてだ。西洋のアメージンググレースに匹敵する。その後、ここの住職に言った。「あんたからはこんな歌を聴かなかったぞ」。住職曰く「ちゃんと歌っている、抜かりはない」。そこからは突き詰めなかったし、僕の方もお通夜の席上は混乱でそれどころでなかった事情もある。しかし、ご詠歌のみクローズアップすると、凄い。歴史が紡ぎあげて来た文化とはこのようなものであったかと、感慨深い夜だった。その後宴会。途中で抜け出して再び報告書。メンバーの報告書を読む。一人だけ9月の報告書を送って来た。やり直しのメール返信。この人から送られてくるまでは、当地区の報告書が完成しない。大変な夜を迎えた。

10月26日(木曜日)
今日から内勤
毎月決まったスケジュールを1週間分前倒しで動いている。11月8日と9日はマネージャー研修が開催されるため、内勤業務が滞る。その為、この日までに定型の業務処理を終えるつもりで、10月の末の今日から開始となった。当然、データーもこの日までに揃うようにみんなの協力があったからこそできる。朝から快晴の秋日よりと言うよりか、初冬に近いような冷え込みと、秋空の抜けるような青空。カッパ市場にお昼の弁当を買いに行った。天然物のハマチがあったのでついでに買った。1/4身だが210円だった。都会で頂くお刺身定食の刺身よりは倍くらい量が多い。昨日もこの半分ぐらいの刺身だったが1200円だった。VLOOKUPの使い方がこなれてきているので、作業は非常に早くなっているし、定型フォームが出来上がっているので、それに当てはめる作業も多いので、結構はかどって、パワーポイント用のエクセルデーター加工はほぼ完成した。今日のお相手はPCだったので、誰とも話してない。このままではまずいぞ。と言うことで、安芸市の銭湯に出かけた。帰りに、中華料理の店によって八宝菜定食1,400円を頂いた。料理はおいしかったが結構塩分が強かった。銭湯で汗を流し分取り戻した感じだ。

10月25日(水曜日)
今日も未だエンジンは全開ではないが、仕事だから出かけなきゃならない。その前に、食事だ。安芸市の外れにある安芸漁港に隣接した食堂。「安芸しらす食堂」に寄った。料金は高いが、絵になる料理がある。食事で満喫した分、やっと得意先を訪問する勇気が出て来た。最初の訪問先は気負い込んだ割には呆気なく仕事は片付き、次の訪問場所へ。少し気が抜けたのか、5km走って見晴らしの利く赤野の高台で急激な睡魔。慌てて停車し、爆睡。日差しがきついが、風が冷たく少し窓を開けるだけで丁度の気温。それから、野市へ。それから高知市へ、結構計画通り進んでいる。このぶんなら、家に帰ってお風呂を炊く時間があるぞ。ところが、最後の訪問先で、展示の拡張を了解していただき、僕的には大改装。2時間半も要して仕上げた。何処に置いても良いぞ!とお墨付きを貰い、一等席を確保した。外は真っ黒。お風呂は諦めるしか無いが、少し満足の行く仕事だったので、完全に活力が復活したのを認識した。食事はスーパーでお惣菜を買って済ました。自炊する気分ではなかった。一昨日放映の谷村新司ライブを見ながら頂いた。谷村新司は歌手であるのはもちろんだが、結構国際親善の騎手として活動をされているのには驚いた。今日は良い日だった。一時は枯れてしまうのではないかと心配した。


10月24日(火曜日)
足腰が痛む
昨日の作業は無理な姿勢だったので、今日は体が痛む。それでも、一日遅れた仕事を取り戻さなければならない。だが、今日はもう一つ問題を抱えている。今日は妙に気が乗らないのだ。いわゆる活力が湧かない。昨晩はお酒を飲んで大騒ぎするわけでもなく、ぐっすりと8時間寝た。それなのに気持ちが重い。僕の外勤仕事は家電量販店へ行き、担当する部門の折衝だ。先方も忙しい中を縫って相手してくれるわけで、そのタイミングを掴んで折衝事を行う。実際はかなり高いテンションで飛び込まないと短時間の間にやり取りは出来ない。この高いテンションの位置にどうしてもたどりつけないのだ。今日一番先に訪問するところは、成績もよく折衝よりも「御礼」が先の店舗だが、それでも気分が重い。普段なら、昼食時には働いて、訪問を終えてから食事だが、今回はこんなことで、訪問前に食事をした。それも、飛び切り上等な食事。まぐろ三昧。親がマグロ船を持っていて、息子はそのまぐろを料理しているお寿司屋さん。これで少し元気をもらい、営業活動が始められた。次の訪問先に移る前に、有名パン屋さんでおいしいトーストとコーヒーを飲んだ。やけ食い。これで先ほどよりも、もう少し元気が出て来て夕刻まで保てた。仕上げはプール。利用料金が300円から500円に上がったが、温水の温度が28度から30度に変更となり、気分良く泳げるようになった。今日で累計73km。今年累計100kmのゴールが見えて来た。

10月23日(月曜日)
自民党圧勝だが
昨晩まどろんでいる時間に、カランと缶詰の缶を転がしたような音がした。外にはそんなものを置くはずがないのに。風はうるさいがそのまま寝てしまった。朝起きて散歩をすると、ビニールハウスがあちこちで破れていた。今回は被害が多い。散歩から帰ると、仕事部屋に使っている家の屋根が、剥がれているではないか。あの音は瓦が飛んだ音だったのだ。会社に突然の休暇申請を出して、屋根に上り状況確認。分かったのは飛んだのは一番上の中央部の瓦を積み重ねてある部分(棟)。この瓦は、大きく飛んだものと、すぐ近くに落ちたものとがあって、近くに落下したものは、その衝撃で、敷いてある瓦の方も、飛んだものも両方が割れていた。大きく飛んだものは、畑の柔らかい土がクッションになり無事だった。まずは使える瓦、使えない瓦の分別をして、種類ごとに不足数を数え、安芸市にある瓦屋さんで、購入し、ついでに修理の方法を聞く。次にDIY店で、瓦のボンド、金属ブラシを購入。まだ使える瓦は、漆喰が残っていて、今回購入した、シリコン入りの漆喰とは合わないだろうから、取り除くためのブラシだ。僕の腕ではプロの左官のように漆喰だけで瓦を止めるのは無理だろう。それで8割がたの処理をして、後は瓦のボンドの力を借りようともくろんだ。それでも所要時間4時間。材料の調達1時間。合計5時間を要した。材料費が12,000円。すぐには来てくれないプロの左官さんに頼むと10万円位はするだろう。今回は竜巻ではないか?隣のヤマモモの大木が倒れていた。仕事部屋の瓦は銅線で飛ばないような工夫がしてあった。僕の西隣の倉庫もトタンの屋根が飛んだ。我が家のすぐ裏は竹藪で母屋をすっぽり包むくらい覆っている。ここには風は吹かないが、隣の家の裏は元はと言えば大きな竹藪があった場所、そこを開墾して民家にした。それで、東からの風が抜けるようになった。その上、僕も家の東側にある大きな梅の木を切った。百日紅も切った。それで風当たりは増した。いろんな要素がまじりあい、山のすそ野の我が家の近くで竜巻が発生したと言う事だろう。高知の人は選挙の分析にかかる暇がない。

10月22日(日曜日)
凄いものを見てしまった。
台風接近で朝から雨。部屋も暗く、これならと言うことで、昨晩録画した東京JAZZを少し見た。川口千里のドラマーは涙が出て来た。24才だと言うが、アメリカ人のベテランジャズ・マンと互角に渡り合っている。若いからエネルギーがあふれていて、仲間の年老いたジャズ・マンもそう言っていたが、見ているほうもエネルギーを貰えた。昨年の東京JAZZは余り良くなかった。それは自分の心境の影響もあるだろう。今年は心も軽く、JAZZに入っていけたような気がする。それに、この映像の鮮烈なことは余りにも凄すぎると報告しよう。こんなすごい感動が空から降って来ている。すごい時代だ。BDプレーヤーをいじっていると、ネット接続でAmazonが出て来た。Premiere会員なので機器のメンバー登録を行うと、映画が無料で見えた。映画はアマゾンのタブレットで見慣れているが、何と!配信の中に4Kの番組もあった。そして最新版はレンタルだ。「ワイルド・スピード・アイス・ブレイク」はツタヤで先週の金曜日借りられなかった最新版だが、Amazonでは399円で借りられる。ツタヤと同じ価格だが、返却の手間がない。「君の名」もある。台風の雨模様の中、わざわざ車を出して借りに行く必要もない。私が属している家電業界も通販に押されて苦戦気味だが、ツタヤさんも大変だなと思いましたね。そして極め付きはベルリンフィル。15,000円払えば、一年間ベルリンフィルの演奏が楽しめる。こちらは音の方が24ビットのハイレゾなのだ。同時中継もある。ヨーロッパに行って生演奏を見に行く必要性が失せた。この先はメトロポリタンのオペラも配信されるのではないか?昨晩はVHSに録画した映像を見て楽しめた、と喜んでいたが、まだまだ楽しめる方法が見つかった。そして、時代がどんどんと変わって行き、ビジネスの姿も大きく変わっていくだろうなと思った。そして勝者は少なく、淘汰されるのは多いのが現在ビジネスの特徴。大変な時代がやって来た。

10月21日(土曜日)
天井が落ちていた
母の寝ていた部屋の天井の一部が落ちていた。修繕が必要だが、メール作業が残っている。割と早く始めたのに、午後3時まで要してしまった。ホームセンターに行きタッカを買い、取り敢えず仮止めして、その後桟を渡して、応急手当をした。大工さんを呼んで修繕しなければならないが、地震が来る地で必要以上の投資はしたくない。見かけは悪いが、自作で行こうと決めた。雨の中洗濯したが、夕刻になると少しは渇いている。それをもってコインランドリーに行った。今日は村の中で唯一賑わっている場所だった。乾かしている間にスーパーで食材を買って帰り、お風呂を沸かした。雨でなかなか薪が燃えてくれない。結局この夜は温まるほどの温度にならないお風呂に入った。ぬるま湯。この言葉は、新聞報道なんかでもいい意味でつかわれません。実生活でもダメですね。自分の部屋に引きこもり、VHSで録画した音楽ソフトをポータブルDVD+デノンポータブルDAC DA10に接続して観た。モントルージャズは余りにも音が良すぎて、楽しみのために次回に回した。NHKで録画したベートーベン交響曲2番。クルトアズア指揮ライプチヒケイントハウス楽団。1988年12月1日サントリーホールでの録音。左側の弦楽器が綺麗な音で奥まで広がってゆく、この綺麗さ、心地よさはどう表現すれば視覚化できるだろう。2番は余り聞かず馴染みが薄いが、それでも結構楽しめた。もう1本、井上陽水1993年版。傘がない、氷の世界を聞く。まだ若く声量のすごさがきちんと録画されている。福岡で陽水の生演奏を見たが、あの時も声量に感動して、日記に書いたことがある。

10月20日(金曜日)
香川県の綾川で仕事が残り、僕は9時半にホテルを出た。お酒と仕事でNHKニュースを見てないから、台風のすごさが実感できないがすごいのが来るらしい。讃岐富士も雨でかすんでいた。綾川で仕事を終えたのが午前11時。ネット検索では台風はどうやらやってきそうなので、影響のない今のうちに遠方の地を済まそうと、急きょ宿毛市へ向かった。行程310km。軽自動車、それも古い形式のマニュアルミッション車。これで、この距離乗るのは結構パワーが必要。四万十市で仕事を終えたのが、午後5時半。もう暗い。3時間を要して高知かなと思っていたが、雨なのかどうか不明だが道が空いていて、時速70kmの巡航速度。暗い雨の道はこの速度でも結構スピード感がある。窪川で高速に乗れば、皆110kmで走るので、僕もそれに乗った。何とカーナビを見れば、南国インター迄7時過ぎに到着するではないか。これなら、今晩は家の冷たいシャワーで無く、南国市のプール温泉でゆっくりできるぞと喜んだ。7時半プール着。1km泳いでお風呂で体を流した。今日は合計500kmを走ったので体がこわばっていたが水泳とお風呂で十分ほぐれてしまった。通常マッサージは不要な体。でも、仕事はマッサージ器を販売しなければならないので、今日はその一つを買った。「マッサージロール」使った感じ、確かに効く、足の裏なんかいい感じだ。


10月19日(木曜日)
香川県は凄い
島国根性というか、なんでも四国の中で、ああだこうだと考えてしまう癖がついた。このグローバル時代において、そんなのばかげている。とお思いでしょうが、住むとそうでもなくなるから不思議。(ちなみに九州に行っても同じ発言がある)今日は、同じ地区を担当している僕たちの会社のメンバーと、兄弟会社のメンバーと丸亀の「一徳」さんで飲んだ。一人だけ若手がいたが、後の4人は会社を定年して再就職したメンバー。みな電機業界にいた人ばかりなので、昔の話も通用する。まぁプロフィールは置いておいて、ここは魚屋さん。大きな「いけす」が玄関を入ると2つある。予約者を入れておいたので、2階にあがり、座敷ではなく、椅子に座って畳の上で飲む豪華なんだか、場違いのようだかわからないが、結構高級感ある場面設定だ。乾杯の後出てきたのは、大きな船に乗った刺身。タイにハマチに、ながれ子(アワビの小さいもの)。都会で食べる刺身と種類は同じだが、この船の大きさが全然違った。別注でハゲを注文すると、大きな肝が出て来た。これはおいしかった。結論は、こんな豪華な料理を出す店は高知にはないと言う事。やっぱりそこの経済が大きくないと、落ちるお金も少なく、おのずと店の格が落ちるのだ。と言うことで、昼飯はサンドイッチだけで済ませて腹を空かせた甲斐あって、美味しくいただけた。お酒は、中辛の熱燗だった(ぼくだけ)。おじさんたちは、もう仕事に目くじら立てることはなく、時間を費やしたらよいだけの境遇なので、楽しいお酒となった訳。

10月18日(水曜日)
昨日の七転八倒はよそに、今日は香川県、徳島県を訪問している。四国山脈を越える時は標高が450mまで上がり寒くなり、暖房を入れた。JAZZを聞きながら気分爽快のはずなのだが、体の調子はおかしくないのに気分が乗らない。昨日のダメージがあるのだろうか?食事は控えめにと言うことで、丸亀市の「渡辺さん」と言ううどん屋さんで頂いた。味は、これは格別とはいいがたいもので、あの行列は何だ?と思った。それとも、僕の体調がよろしくないために感動する味が分からなかったのか?今日は坂出市から、徳島県の美馬市へぬける国道483号線を選択した。1級河川の土器川を遡ってゆく。雨が降らない香川県の1級河川はかわいい小川だ。道は険しくなく、大した登りなく、徳島県側の吉野川に抜けてしまった。途中は紅葉あり、温泉ありで、ゆっくり来たらよい所。この温泉場に物産展があった。県内の農作物が販売されるならいいのだが、北海道産の山芋や青森のリンゴなどがあって、ちょっと場違いではないか?と思った。雨が降りだして、暖房を入れた。氷雨だ。飲ませてください、もう少し、今夜は帰らない♪というようにお酒でも飲んでゆっくりくつろぎたいところだが、到着したホテルでは、緊急に報告書を送ってくれとの電話が道中にあり、のんびりするわけにもいかないのだった。

10月17日(水曜日)
調子に乗りすぎた
昨晩は、重い仕事を終えて、肩こり解消にプールに出かけた。1.1km泳いだ。バタフライを150m位入れたので、結構筋トレにもなった。爽やかな気分でプールを出た。腹が余りにも減りすぎていたので、自炊は諦め「CoCo壱番屋」でカレーを食べた。普通盛りを注文したが、結構多い。満腹で帰ることになった。30分くらいは散歩をしたかったが、あいにくと雨でできない。それでも今朝はうまい具合に空腹だった。雨で散歩はなし。バナナと白菜みかんのジュース。食パン。昨日と同じメニュー。10時前またもや空腹感が襲って来た。禁断のコーヒーでも飲もうかと思っていたら、次第に腹がおかしくなって七転八倒し出した。電気カーペットをいれて、毛布を被り少し寝た。次第に痛みが酷くなり、医者に行った。膵炎だと言う。痛み止めの注射を打ってもらった。薬の副作用で頭がクラクラするので、30分ばかり休んで欲しいとベッドで寝た。もう帰って良い許しが出たので、車に乗ると凄い目眩。酔っ払っている時よりも凄い。慎重に運転をした。脂汗が吹き出た。帰り着いて再び寝た。今度は酷い吐き気が来た。指を突っ込んで戻そうとするが、朝から食べてないので胃には何も残ってなかった。これ以上は無理だ。再び横になる。16時ごろになって少し収まって来たので風呂を沸かした。19時まで仕事をしていると症状が収まって、元の通りになった。軽く食事を取った。食後3時間後がもう直ぐやってくる。これを乗り越えれば、もう安心だ。検診で膵臓に弱点がある事は指摘されていたが、最近は食欲が戻り、調子が良すぎた。それですっかり安心し、100km水泳に邁進していたのだ。もう若くはないとは知っているが、だからこそさみしい思いがして、つい昔の振る舞いをしてしまう。明後日は、会社の仲間と飲み会だ。

10月16日(月曜日)
雨。
長雨だ。今年の梅雨は夜降って昼間は太陽が出ていたので、梅雨の実感はない。この秋は一日中降り続いている。それに雨が冷たく、ユーミンの「冷たい雨」を思い出す。ハイファイセットが歌った方に思い出が深い。岐阜に住んでいた頃だ。SL-1000 MK3を「借り出庫」で持ち帰り聞いていた頃だ。このプレーヤだけは格別な音がした。それでこのプレーヤで演奏したLPをせっせとカセットに録音していた。その時にかかった曲だ。スピーカーはSB-M1で、中々いい音が出ていた。βのビデオレンタルが始まり、ソニーのプロフィール(モニターテレビ)で観たのもこの頃だ。オーディオの他にAVにも投資をしなければならないと、これからの出費の大変さを思った。あの頃録画したβやVHSのテープは、この下の倉庫に長い事放置して雨の湿気でやられてしまった。父も母も家の事に構っていられなく、大雨が降ると、北の排水溝があふれて、倉庫に溢れて来ていた。コンクリートに直置きでなかったが、びっしりと積んだダンボールは湿気を追い出せなかったのだろう。それと、台所の床が濡れていた。天井を見ると雨の染みた跡がある。瓦が割れているかもしれない。晴れたら交換だろう。風呂の焚き物を積んである倉庫も、雨が吹きこんだり、トタン屋根に穴が空いたりして、結構濡れている。この家はあちこちが古びて修繕が必要になっている。後1年待ってくれ。仕事をやめたら、自分で直すから。朝の散歩もできず、夜プールで1.1km。

10月15日(日曜日)
友人を招いて食事会をしなければ、今日は誰とも会話のない日だった。
「病院で名前を呼ばれるのが唯一の社会参画」と笑えないジョークがある。今日はまさに、そのものの直前だ。薄眼を開ければ、6時前、村の時報が鳴れば起きようと思っていたら、いつまでたっても時報がならない。それに目を閉じていても分かるほど幾分明るいようだ。はっきりと目を開ければ、7時を過ぎていた。村の時報は聞き逃していた。昨晩プールで丁寧に泳いだ結果、深く疲れていたのだった。でも目覚めはスッキリだった。朝のスタートが遅れたぶんだけ、日曜日のルーチンワークも遅くなり、日記のサイトをアップしたのは11時だった。郵便物の整理をしたのち軽い昼食をとって、読書タイムに突入した。先週から読み始めた「人生100年」の本だ。著者はイギリスの経済学者。安倍さんも何かの組織発足式に招いている。まだ4割しか読んでないので、全容が見えないが、年金や少子化の関係で、生涯現役とまでは行かないが、最終年収の4割で定年後の生活をしようとすると、死の直前10年までは働かないと、定年後の生活が維持できないと指摘する。それは、死が100歳になるからである。60歳定年は1945年頃生まれの人たちの話だと。そして生涯100歳は、多くの経験に遭遇し、スキルも学校で習ったものだけでは不足し、一度や2度の退職を経て、スキルを磨き再度舞台に登場するパターンを描くだろうと言う。企業や職場の寿命も短くなり、多様性のある人間が求められると言う。そして、多様性のある人間には、有形の資産(お金)無形の資産(友人関係)活力の資産(主に健康、メンタルの健康)が求められると書く。正に今私が体験していることが全て当てはまり、この先生は遠くイギリスにいて、芸西村のおじさんの事を、ようくご存知だと思った次第。てな事で充実した日曜日だったが、誰とも話してない。独り言で1日を済ますのは良くない事だと思って友人を招いた。蕎麦を打ったが、不味いとの酷評。お汁は好評。

10月14日(土曜日)
老年太り解消
どうも最近は食べ過ぎの為か、腹が出て来ているが、特に今日は空腹でも腹が出ている。ホンの数週間前は、空腹で風呂につかった時水圧で腹が圧迫を受けて、腹の皮が背中にくっついてしまったのに。「何でだろう?」よくよく考えると、昨晩の食事に原因があるようだ。昨晩は居酒屋でビールを2杯。つまみに野菜炒めと、ケンサキイカ、牛筋を頂いた。この店のお客様のメインは、芸西村の農家なので、味が濃く塩辛い味付けだ。ビールのつまみにはよく合うのでおいしい。だが家の中にいて汗をかかない私には、この塩分の高い食事が水分を吸ってなかなか体の中から水分を出さなかったのに原因があるのだと気がついた。もう老人の体だから、呼吸をするだけではエネルギーを消費しないようになっているのだろう。この腹の出っ張りは気になるので、昨晩はプールでじっくり時間をかけて1.7kmを泳いだ。だが、これくらいの運動では腹の出っ張りが解消されなかった。やっぱり3km程必要だろう?しかし今となってはこの距離はかなりむつかしくなってきている。それは体力は残っているのに膝やひじが痛くなってくるからだ。水泳の速度は手の水掻きによってもたらされる。手をできるだけ伸ばして手のひらで水を手繰り寄せることにある。そうすると、筋肉が衰えた腕は、骨のつなぎ目であるひじに負担がかかるようになる。その限界が1.5km位なのだ。意欲も気力もあるが解消できない。プールからの帰りにレンタル屋で「UNCLE」を借りた。昔のナポレオンソロのリメイクですね。BDソフト。4K24P。ラブシーンあり、アクションありで100インチスクリーンは迫力満点。サブウーハーのボビンが底を打っていた。突っ込みは原子爆弾のデーターを入れたメディアが100円ショップの巻尺を少し大きくしたような形状だったこと。1963年が舞台設定だから、今の不揮発メモリーとは訳が違う。5インチフロッピーディスク登場は1971年。マイクロフィルムは1935年から。映画製作者としては、マイクロフィルムを巻いたものをイメージしたものか?映画の最後でこれが燃えていたので、やっぱりフィルムかと思った次第。イリヤ・クリアキンが大男なので、ちょっとイメージが違った(もとのデビット・マッカラムと比べて)

10月13日(金曜日)
当てが外れた
安倍さんは、選挙を有利に戦うつもりだったが、緑の党が突然出て来て面食らった。前原党首は全員を受け入れてもらう事で、安倍さんを倒そうとしていたが、思わぬ小池氏の反撃に会い、党を分裂させた。小池さんは、前原氏の提言を丸呑みして打倒安倍を狙おうとしていたが、少し欲が出て天狗になった所、世論の熱が冷めて「打倒」の掛け声が霧消してしまった。ここから自分の事、データー整理に2日間も費やせば資料は出来ると踏んでいたが、3日かけても、まだ先が見えない。天気予報は雨が降ると予測するが、今日は大物のシーツを洗濯しても、乾いてしまった。今日の万歩計は15,000歩行けるはずだったが、資料作成の進捗が遅く、10,000歩止まりだった。別件の報告書作成の件。午後7時なってもメンバーからまだ届かず、夕食に酒を飲んで、その間にメールが届き、それをまとめて報告する計画を立て、近くの居酒屋で一杯飲み帰って来てメールを開ければ全員の報告書が確認でき、報告書を仕上げた。最後の最後に計画通りに事が運んだ。

10月12日(木曜日)
金木犀が一斉に花開いた
日曜日から微かに漂っていた。1日留守をした。今朝、庭にある木を見ると一斉に花が開いていた。ジャスミンは香水のような匂いがして(ほんとは逆だが)けばけばしい。その点金木犀は奥ゆかしい。朝晩冷え込みが強くなった時に咲く花だが、高知はそんなの関係なく咲く十分に暑く、まだツクツクボウシも鳴いている。第二の研究テーマ「ツクツクボウシは金木犀を見るのか」はあっけなく解決した。ニュースは選挙のことばかりだ。僕はマスコミに対し肝心なことを忘れていると指摘したい。もし、自民党政権が変わるなら、日本は大きな地震に見舞われる可能性があると報道すべきだ。この前の大きな地震で、新政権は、ただおろおろするばかりで、何の解決策も見出せなかった。村山氏は阪神大震災では初動の対応に不味さがあり、東北沖地震では、菅さんが福島の原発に対する対処の不味さで、後々事態を困難にさせた。もし、今回安倍政権が倒れると、僕ら住民は真っ先にすべきことは、東南海沖地震への対応策だ。非常食。谷から自宅まで水を引くこと。薪で調理できる設備を整えること。バッテリーの充電で夜を明るくすること。布団の点検。トラクターの燃料油の予備。寒さ対策の灯油。数えればきりが無い。でも、政権が変わるとすれば、1ヶ月以内に対策を講じておく必要がある。今となっては守るのは自分だけだから、何とかなるだろうが。

10月11日(水曜日)
安倍さんはパンドラの箱を開けた。先進諸国の事例を対岸の火事と見ていた安易さがある。社会が成熟化した先進諸国はなぜ、既存政権ではダメなのかを今回は考えさせられる良いきっかけとなった。一つには閉塞感だ。二つ目には中間層の減少と併せて収入の格差拡大。この2つは関係している面もあるが。このきっかけとなったのは、やはり、1989年のベルリンの壁崩壊だろうと思う。この時をきっかけっけに、世界は平和になり、グローバル経済になった。地球規模で商売(あるいは経済)が回るから、75億人の大部分は、経済の土俵から転げ落ちてしまう。それが貧富の差を生んだ。いわゆる中間層の撲滅ですね。こうなると、大車輪はぐるぐると回転を始めて、持てるものは更に巨大化していくがその数は少ない(韓国のサムスンみたいなものです)。数の上で圧倒的に多いのは持たない最貧そうだから、閉塞感が漂い選挙のたびに、既得政権は表を失う。もし仮に政権が変わったとしても、同じことが次に起きるだろう。





10月10日(火曜日)
今日と明日は香川県と徳島県を訪問する。どちらを先の訪問先に選んでも良いわけだが、香川県よりも徳島県の方に海の幸が多い。香川県は昼のうどんだけで十分だ。それで、いつも右回りの訪問パターンで徳島市の宿泊だ。この会社は、ホテル代は現金精算。夕食代も現金精算できる。現役時代は一流企業に勤めていたが、食事代は持ち出しだった。海外出張の時も、シンガポールやバンコクのように、治安に問題なく、自由に歩ける街だと、庶民の食事ができて、収支はトントンだったのに比べると、素晴らしい会社だ。今日はホテルのレストランが休日で、駅前の繁華街の居酒屋さんに行った。サラリーマンが多く集まりそうな店に入る。カウンターの客は、下を向いて黙々と飲み食べている。僕も、スマホで小説を読むつもりで入ったが、ここのおばさんが面白く、食べ物の情報を聞き出しながら、いろいろと話して飲んだ。話すと食べるのが止まるので、黙々と飲む両隣のおじさんたちは早々に引き上げていった。そんなのを見ていると、出張で来て、黙々と飲むのは余り体に良くないなと思った次第。でも一元さんで、いきなりおばさんと話始めることが出来るのは、やっぱりそれなりのスキルが必要だし、こちらのテンションも高くないと話が弾まない。昼間もそれなりの折衝を必要とする仕事だったので、夜ぐらいはのんびりとすればよい、と言うわけには僕の場合いきませんね。

10月9日(月曜日)
国民の祝日が定年以降頓挫してしまっている。僕が就職した小さな会社は土日は休日だけども、国民の休日はカウントされないからだ。年間休日は96日。不足分は有休で補ってくれだ。しかしながら、期限の限られた仕事をしていると、この有休もなかなか取得できず、もし取得しても電話やメールが絶えずあるので、休暇にはなりづらい面があって、今までに1日だけ取得したのみだ。そして今日は、報告書のデーターまとめに当てているが、データーが大きいのでExcelは時々計算したデーターが一度に飛んでしまい、又元からやり直すこともしばしば。そんなことを繰り返しながら今日一日、ディスプレイを眺めながら過ごした。まぁ自宅で過ごせるわけですから、勤め人とは違った楽さがあるのは事実です。朝車で出かけて、仕事をして帰る。帰ってご飯の支度をして、風呂を沸かしてはいる。慣れてしまえばどうってことは無いが、比較をすれば雲泥の差がある。お昼には、浜辺で弁当を食べた。こんな気楽さもある。我々の会社は建前はともかく、内容を問う小さな会社なので効率が一番重要視される。メール、SSN、電話、宅急便で会社が回る仕組みだ。効率が良いので定年後の仕事と言えども、給料だけで食って行けるだけの賃金がある。東京で住むにはいささか不足するだろうが、高知で住むには全く問題がない。休日に仕事をしながら、少し慰めているわけです。

10月8日(日曜日)
Bouillabaisse
フランスの地中海沿いプロバンスの海鮮料理。今日はこれに挑戦。玉ねぎ、セロリのみじん切り、トマトの4つ切り3個。マッシュルーム、ムール貝、エビ、白身魚。芸西村のスーパーにはムール貝はなく、エビさえも無い。ムール貝の代わりに、アサリの剥き身。エビの代わりに、イカ。イカは5cmの小さいのしか無い。脚と内臓を除いて胴の部分のみ使う。塩は小さじ一杯。コンソメの固形1個。白ワイン100cc。調味料が少ないのでは無いか?でもヘルシオクッカーは1時間後に見事なブイヤベースを仕上げてくれた。味は絶妙。トマトの酸味が全体を引きてる。玉ねぎとセロリは溶けて、少し見場が悪いが、スープの中に存在があって、野菜スープの滋養がしみるような感じ。パブリカは黄色を使ったが、赤も必要だなと思った。手前味噌だが、こんな豊かな夕食が出来るとは感動ものだった。音楽の用意がなかったのは残念。お酒は頂き物の「竹鶴」をロック。こちらは絵に描いたようないきさつだ。少しだけ酔ったが、満足を得た。誰かに披露したくなるような味だった。その他にも感動はあった。モーツァルトのピアノソナタだ。仲道郁代の全集の一番から聞いていたが、今日は七番くらいから始めた。ここからは今までの殻を破ったような成熟度が出て来て、13番くらいでピークに達したような感じだ。あの天才にも、未成熟な部分があるとは、少し人間的でいいではないか。もう一枚、ジェフリーテイトと内田光子の27,28番を聞いた。こちらは、日本の禅の文化に通じるような繊細さと静寂を見事な一体感で演出していて、「円熟」を感じた次第。いい一日でした。

10月7日(土曜日)
Google home
昨日電気店を訪問するとさっそく入荷した商品を展示していた。値段を聞いたら安かったので、ついでに買うことにした。15,120円。新聞で話題となっている。スマホに変わるこれからの商品だという。今朝、朝食後セッティングした。土曜日は、台所と廊下の清掃。昨日やり残した仕事の仕上げ。食事の後いつも腰が重い。何かきっかけがないと動けない。今日は良いきっかけが出来た。セッティングは面倒だ。まず、googlehomeアプリを入手する。このアプリから機器のセッティングをする。ブルーツースによるセッティングだ。機器そのものはwifiで動作する。機器にはスイッチがないので、スマホのアプリから操作するわけだ。グーグルアカウントも必要で、普通の人が買ってすぐ使うというにはハードルが高い。無事セッティングが終わると音楽を命令してみる(命令は、ねぇグーグルと呼びかける)が、これはグーグルミュージックのフォルダー(クラウド)にアクセスする必要がある。もしくは、980円のグーグルミュージックの契約が必要となる。いずれにしても簡単ではないし、iTunesmusicの契約をしている以上、メジャーではないグーグルミュージックなんかとは契約したくない。てなことで、音楽再生はあきらめた。他に何ができるのだろう?ニュースはNHKのらじるにヒットする。では同じサイト(らじるらじる)の基礎英語3はアクセスできるのだろうか?「すみません、勉強しておきます」ピーターガブリエルについて教えて?「すみません、よくわかりません」ビートルズについて教えて?「すみません、わかりません」。今日の料理は?「芸西村には魚のレストランがあります」。ほうれん草の調理方法は?これもダメ。ほとんど使い物にならない。もう少しメンテしてくれればよいのだけれど。音質は良い。夕刻、仕事のついでにプール1.8km。

10月6日(金曜日)
少し冷えたかな。朝散歩に出かけ、村を半周して帰ると、我が家に近づくに従って風が暖かくなる。西分郷は高知の温暖な中でも特に暖かいところだ。今日はレポートを1本あげた。もう一本が難題だが、今月は商品の導入があるので出かけなければならない。車を運転中に次のレポートの構想を練るとしよう。僕の場合、他のメンバーと同じ位の走行距離だが、半月余りは内勤しているから、言って見ればかなり過酷な訳だ。そんな中、本部よりメンバー全員の健康問題の報告書が届き、部下の健康問題は重要である旨の内容が明記されていた。僕は、こんだけ負担の重いマネージャーこそ、健康問題の課題があるのではないかと思うのである。この仕事は適度な刺激もあり、ソコソコの給料もあり、福祉は大企業並みに整っている。いい会社だ。しかし、過酷だ。これさえ無ければ、もう少し続けても良さそうだが、100時間を超える奉仕残業の継続は無理だろう。寝る、食べる、排便する、料理する。風呂に入る。この基本以外の時間は仕事なのだ。お寺さんから催促の電話があった。「土砂加地(先祖供養)の申し込みをしてないろう。こっちも段取りがあるので、はようにしちょいてよ」。昨年は父のぶんを申し込んだ。今年は母のぶんだ。仕事に囚われていると、あっという間に時間が進む。気がつけばもう秋も進んだ。8月のカレンダーから(9月は使わず)10月のカレンダーに変える。昨年一杯収穫のあった柿は、亀虫が取り付いて、身の半分ほどが食べれない。まぁ収穫する時間も無いからいいけどね。

10月5日(木曜日)
外勤の日。高知の11ある訪問先を2日間であげなければならない。ネックは宿毛市と四万十市。往復で340kmあり、7時間が車の運転で費やされてしまう。そのため今日は13時間勤務だ。昼飯はスーパーの駐車場で、そこで買った弁当を10分間で仕上げ、移動にかっかった。時間を惜しんでもやって来るのは睡魔。来たと思ったら、強いのがドンと来るので、早めの対策が必要だ。今日は少し我慢して四万十町の道の駅までたどり着いた。明らかに途中で一瞬だが気を失っていましたね。危ない危ない。最終佐川町で午後19:00を迎えた。これ以上の仕事は無理だ。帰宅した。車庫には、仕事で使った段ボールの空箱がいくつか転がっている。2個を持って風呂の焚き付けとした。これだけで十分熱くなり、水で薄めて入った。資料作成の13時間と外勤の13時間では何方が厳しい?今日の勝負は互角だと思いましたね。頭をひねる苦しさと、睡魔と戦う苦しさは同じ量の苦痛だ。今日の慰めは、夕刻5時ごろから雨が降り始めたこと。雨が降ると心が安らぐ。

10月4日(水曜日)
この頃は体の調子が良いが、それはそれで困っていることもある。空腹の問題だ。すぐに腹が減る。一人前では足りなく、大もりを注文したい気がはやる。この年で食べ過ぎは、着実に寿命を短くする、身近な運動はやりすぎると支障が出る。前は食べすぎたなと思ったら5,000歩くらい余計に歩けば、何とかなった。今では日に15,000歩を越えると膝が痛むので、翌日に支障が出る。と言うことで、散歩はご法度。だから、その気になっても食べないことが一番だ。だが、次の食事までの間、空腹感で頭が一杯になっている。だがアダムと同じで、ついつい誘惑に負けて摘んでしまう。そんなときは、体の一部に負担のかからない運動、つまり水泳でカロリーのバランスを併す。30分1km位で食べ過ぎ分は消化できると踏んでいる。夜車に乗って無料の高速道路を走ってプールに行く。帰ると9時半。そのまま就寝。翌朝は空腹になっている。今日もそのパターンだ。

10月3日(火曜日)
一昨日注文しておいた、山形県のそば粉、北海道のそば粉が届いた。両方で3,500円もする。スーパーでは300円程度だが、曰く付きのそば粉は高い。今日は北海道幌加内産の「匠製粉しんそば粉」は石臼引きを頂く。そば粉を200g日清製粉の小麦粉を50g。博多美人のコシというよりは、日雇い労働者のおばさんの腰のような、硬めが残る麺だが、芯はない。蕎麦の風味はあるのか?それはない。でも、ソバの味がなんとなく感じられる。それと、ゆでているときに短く切れてしまう。混ぜないほうが良いが、それだと鍋の底にくっつく。お汁は4倍濃縮の麺つゆを使った。ネギは、高知県産の奴ネギ。前回白ネギを使ったが、ネギが強すぎてソバが負けてしまった。白ネギ使用の場合は刻んだものを一旦冷蔵しておく必要があるようだ。これと「とうやくの刺身」+「油揚げを軽く炙ったものを馬路村の三杯酢」をかけて頂く。全て良しだが、2人前では量が少なかった。




10月2日(月曜日)
朝から雨。雨の日はいいね。何だか落ち着く。もっと降ってくれたら良いのに、午後は上がってしまった。高知の雨は強く降り、すぐに上がる。人の性格もこれに似ていて激しやすく冷めやすい。女はこれに輪をかけたような人が多い。今日は資料作成のデーター周りの整理をする日。早めに整理が終わったので、6時からプールに出かけた。今朝は朝の7時から仕事をしているので、バチは当たらないだろう。9時に帰って来た。ところが明日は、幹部会議で、僕のまとめている資料の速報が欲しいようだ。それからまとめに入った。0時15分。プールの疲れと、遅い時間でクタクタだ。酒でも飲まないと眠れないと思い、日本酒を飲んだが、益々目は冴えて、布団の中でまんじりともしない夜を迎えた。体は疲れているのに眠れないのだ。寝酒は良くないと聞いていたが確かにそうだ。鎮静はするが催眠はしないと言うことだ。

10月1日(日曜日)
昨晩ビールを2杯飲んだだけなのに、すごく酔っ払ってしまった。それで、今朝は何と6時まで寝てしまった。酒を飲むと朝が早い体質なのに。この頃、起きるのが遅くなっている事がある。最近の異常気象と同じようなもんだ。今日は、ロストロポーヴィチのドボルザークチェロ協奏曲をカラヤンの指揮で聞く。シンフォニーに素晴らし演奏があるカラヤンだが、外部の客演ともできるこの一体感は何だろう?安全地帯のII片面と朱里エイコの片面は部屋の掃除をしながら聞いた。面と向かって聞かなくても良い音楽を選曲したが、懐かしさのあまり掃除の手を止めてしまった。ジャズメッセンジャーズは、いつ買ったのか全く記憶にございません。でも素晴らしい演奏だった。LPレコード棚には素晴らしい宝が埋まっている。まぁ普通の人には価値ない代物だが。プールへの道中は、ケイコリーのアルバム。今日は自由な時間がいっぱいあったので、手当たり次第に聞きまくった。いい滋養になった。今日の一番の出来事は、フィリップのヌードルメーカーだ。近くのスーパーでそば粉と、片栗粉を買った。説明書によれば、小麦粉(強力粉)175gに、そば粉75gとあった。僕は小麦粉を減らして、片栗粉を増やした。塩水90gを練る時に入れる。5分後に麺が、小さな穴から出てくる。至って簡単な仕組みだ。味はどうかな?びっくりだった。こんなコシのあるそばを食べたのは初めてだ。蕎麦つゆは取り敢えず、濃縮4倍を薄めたのを使った。この機械の問題点は、後片付けが大変な事。レシピに一杯料理方法を掲載してあるので、当面はこれに頼った献立を作ってみよう。

9月30日(土曜日)
角出せ槍出せじゃないけど、朝一から資料の催促があって、食事の後取り掛かったら11時半までかかってしまった。それから台所と風呂への廊下の掃除。(これがしっかり出来ていると、心が安らぐから欠かせない拠り所)。そして、再び資料の提供。
今日と明日は晴れ予測なので、草刈り。トラクターで叩けないほどの草が伸びている。まずは、草刈機で刈って、それからトラクターを入れた。3枚の畑に4時間かかった。1枚は先日の雨でぬかるんで、4輪駆動でやっと抜け出せた。朝は冷えるようになったが、昼間の太陽は鋭く容赦ない。トラクターにのっているだけでも汗が吹き出る。トラクターが入れない他の畑は、頻繁に草枯らしを散布していたので、問題ない。今の段階で30cm以上の草は無くなった。そろそろ寒くなって来るので、これからは草の伸びようも幾分収まるだろう。毎週土曜日の半日が草退治というのも週休2日のサラリーマンには厳しい話だ。夕刻6時。芸西村の「観月の宴」が浜辺で開催された。友人と出かけた。村は高齢化の真っただ中にあり、ライブショーは「婆さんたちの大正琴の演奏会」だ。昭和初期の流行歌を演奏していた。この「観月の宴」は、高知県の尾崎知事に言わせると、オリンピック並みの開催と揶揄された。今の季節は台風と、秋雨前線による影響でめったに開催されないのだ。実際、僕たちが佇む広大な砂の海岸は、大しけが来れば波にさらわれる場所だ。波打ち際から50m以上も離れているのだが。友人は、ブラタモリを見たいと7時になると帰った。今回は高知の特集だから。この浜辺の少し西の海岸が撮影されている。

9月28日(木曜日)
昨晩の雨も大したこと通り過ぎてしまった。今朝NHKのニュースを見ると千葉県では100年に一度の雨が降っている。今年は100年に一度を何回聞いたのだろう。月に2度から3度くらい聞くから、20日に一度と訂正したほうが良いかも。NHKニュースついでに、衆議院解散。イギリスのメイ首相はEUとの交渉に臨むために選挙に打って出て敗北をした。フランスは野党新人が大勝し大統領が生れた。ドイツではメンケル首相が自身の政党議席を減らし、連立に苦慮している。トランプ氏の例を取るまでもなく、先進国の選挙の行方では保守大敗、新興勢力に傾いた結果が出ている。これは、その国の政治の在り方とか、その国独自の事情とかに拠るのではなく、一つの基盤の上に立った世界的な流れであるような気がしている。その根底となるのは、世界経済が一本化されてきて、どの国もグローバル経済の土俵に足を踏み入れてしまっている。もう一つは、人材の流動化が進み、人は希望すればどこにでも行けるし、あるいは住むことさえも可能になっている。こうした垣根が取り払われた結果、物価の上昇はおろか、賃金の上昇もなくなってきている。いわゆる中間層の撲滅ですね。こんな現象が先進8か国のどの国でも共通しているから、おのずと選挙をすれば、同じような結果が出るのだろうと思われる。小池さんが首相になるかもしれないのだ。話は逸れたが天候の話し。今日は秋晴れで馬肥ゆる日だった。まだツクツクボウシが鳴き、前回の研究テーマでツクツクボウシは彼岸花を見ることが出来るか?「Yes」だった。そして次の研究テーマができた。それは「金木犀の匂いをかぐことが出来るか?」。朝から誰とも話さず、エクセルの関数と格闘して、気分を晴らしに外に出て蝉を聞く。曼珠沙華も末期になり、黒ずんできているのもある。百舌は電線の上で鋭く鳴き秋の到来を告げる。気分を癒された後は、再び関数と格闘。手打ち入力すれば思い煩うこともないが、2800行の入力は気分がめげる。合理的な関数を探して四苦八苦している。

9月27日(水曜日)
朝飯の支度をしていると、おじさんがやって来て、今日がお通夜だと言う。このおじさんの奥さんの姉が亡くなった。寿齢83歳。このおばさんは8人の子供を産んだ。妹のほうは子供がない。神様はもっと平準化しては如何なものかと思った。天気予報では今夕は大雨との予報で、万歩計が進まないので、ご飯を食べた後直ぐに散歩に出かけた。膝が痛むのと散歩は関係あるのか?少し心配なものの、歩くと体の調子が良くて、朝も6時前までは寝ていられる。ここにも体調と膝の痛みのバランスの問題が潜んでいる。この1週間PCをいじらなかったら、いろんな整理すべき事が山積しているのが分かって、端から片付けている。これに結構時間を食われて、今日のメインの仕事(報告書の作成)がじわじわと後ろの方にやられているのが分かり、慌てて軌道修正。内勤と外勤のバランスが崩れると、元の状態まで復帰するのに時間がかかる。「まとめて後からやるわ」は今の仕事には禁句だと思いましたね。夕食は遅くなったのでスーパーで買って来たお弁当とお惣菜。魚と海藻の組み合わせ。食事のバランスは最も重要だと。つまり今日はバランスについて考えて見ました。

9月26日(火曜日)
午前中と午後の一部は内勤業務。午前中は主にメール作業。午後はスケジュール調整。やっと自分の仕事に取り掛かれたのが午後2時。午後3時には安芸市に向かって出かけた。ここで仕事をしたのち、少し気になっていたPhilipsのヌードルメーカーの価格を調べてみると、先日行ったベスト電器さんでは39,800円の提示だった、今日の店は13,000円だった。これなら、買いですね。と言うことで、麺が作れる器械を買った。この機会はパスタ、うどん、ソバができる。うどんやパスタはともかく、高知にはおいしい蕎麦屋さんはない。それじゃ、自分で打ってみようという気になるではありませんか。まずは材料探しだ。そば粉は、コーヒー豆と同じように材料がモノを言うはずだ。取り敢えずアマゾンで北海道の幌加内石臼引きと山形県村山市のそば粉を注文した。そして問題はお汁だ。クックパッドで見れば簡単そう。高知のかつおぶし、日高昆布と手間を掛けなくても、だしパックを使えとある。果たして結果はどうかな。

9月26日(月曜日)
宿毛市まで出かけた。昨日の1.5kmの水泳が効き、夜9時半には寝たが、6時までしっかりと寝てしまったのに、10時半、コンビニの駐車場で爆睡してしまった。復路でも同じく爆睡して、今日はなんだか寝るのがメインで、起きているのがサブのような感じだった。どうも、水泳が体力を蝕み、起きている時間を少なくしているようだ。50代前半の頃は、土日の水泳は体力に影響を与えず、しかも平均5kmを泳いでいた。その分よく寝たが、寝ることで回復していた。今は、土日の連続はちょっと難しく、間を1日空けないと無理だし、距離も3kmに落ちている。この10年間の変化は仕方ないとしても哀しい話。370kmを運転して帰宅すると7時だった。真っ暗な中で薪を割って風呂を炊くのは危ないので、安芸市にある銭湯へ久しぶりに出かけた。腰湯で15分。大汗をかいて気分を良くした。帰りに中華料理店で麻婆どうふ定食を食べた。麻婆どうふの中に、アルミにタワシの破片が入っていた。もしそれを食べていたら、夜中に七転八倒する羽目になる。多分、他に混入はないだろうとして、途中で食事を終えた。中国人の料理人に伝えた。お代はいいですと言われたが、僕としては、それだと気分が悪いので支払いをする事にした。そして、この店にはもう2度と行かない事にした。(今後、安芸市には夜開店している店が2軒しかないので、これからは残りの1軒のうどん屋を利用する事になる。田舎生活の悲しさかな)

9月24日(日曜日)
午前中に日記をサイトアップして、午後は読書。読書に移る前に、洗濯物のアイロンがけ。アイロンをかけながらLDで「ウッドストック」を見た。ヒッピーと呼ばれる人たちが、あまりにも素直なので驚いた。こうして、だんだんと自分の描いていた定年後の生活を始められるようになって来たぞ。午後3時に切り上げてプールへ。1.5km。再び大きな疲れが襲ってきた。今日も高知市にある競泳用プールは使用できず、南国市にある長温泉のプールだ。ここは水温が幾分か高いと言うかかなり暖かい。入る時に躊躇なく飛び込めるが、その分疲れが激しいのでは?と疑ってみる。若いころに気づかなかったほんの些細なことでも、結構体力に影響するようになっているのでは。ホンの少しだけ勾配がある坂なんかでも息を上げることがある(いつもそうではないけど)。帰って倉木麻衣の2017年のLIVEを見た。この映像はカメラを振らないので何とかおじさんの目に適合している。音の幅が結構広く、映像だけではなく、音質も楽しめた。9時が来て、エネルギーが枯渇し、布団に倒れ込んだ。

9月23日(土曜日)
今朝は再び脱力感に襲われた。体もしんどいが、気力がわいてこないのだ。この気力の減退は初めての経験だ。しかし、土曜日にはすることが山積している。休みながら少しづつ片付けて行って台所の掃除を終えたのが午後3時。途中で昼寝もしたが、ペースは3時間ほど遅れている。その後、先週の台風で倒れた竹藪を刈に出かけた。1時間ほどで終えた。竹は5月にタケノコで生えるが、今の時期も5月と同じように大量に生えて来るから大変だ。風呂を焚いて、夕食の食材の買い出しに出かけた。今日は白菜と豚バラの煮つけ。先週に引き続き、無水で調理する方法だ。シャープのヘルシオホットクックで調理する。何とプロの腕前の料理が出来上がる。添え物に、かぼちゃと、ニンニク、ニンジン、シイタケの野菜蒸しをレンジで調理したが、こちらも出来が良くて、感動ものだった。気分の良いついでに映画を見よう。アップルシードを見た。4Kのような精緻な画像で、のめり込んでしまった。寝る前に、オピニオンB/シェリルサンドバークを読む。逆境からの立ち直りノウハウを書いた本。FacebookのCOO。

9月22日(金曜日)
徳島県吉野川市で仕事を終えた、さて帰るにはいつもの高速道路で帰ろうか?それとも山を横切る国道136号で帰ろうか迷った。今日の仕事は終えたから、どの道でもいいのだ。カーナビで見れば結構難所が多い。と言うことは面白いはずだ。弁当、水、燃料補給を済ませてこの道に取り掛かった。途中で1車線になった。徳島県で嫌な思いをするのは、車のマナーが良くないことだが、この道でも、徳島ナンバーは必ず突っ込んできて、僕の方がバックで退避となる。この道は酷道として有名なことがネットで検索して分かりました。峠の見晴らしの効くポイントで弁当開き、ネットサーフィンをしたからです。当初電話は通じないだろうと思っていましたが、同僚が仕事の要件で電話してきて、ネットもつなげると分かった次第です。この道は、一旦川又と言うところで峠から降ります。ここに小さな集落があって、開いていた店でドリンクを買ったついでに見せのおじさんに少し質問しました。雪は降るか?年内は降らない。寒いので(実際、車は暖房を入れて走った)生活は厳しいでしょうね?いや、徳島まで仕事に行っているからそうでもないよ(僕は寒さの厳しさを質問したが、おじさんは収入の厳しさと誤解したみたい)。これ以上誤解を重ねてもなんだから先を急いだ。途中にいくつかの立派な滝があり、モミジのトンネルがあり、ここは秋くればすごいだろうなと思った。3時間かけて那珂川にでて、195号線を走った。雨が降っていたので危険だと思いながらスピードを上げると、案の定カーブで横滑りした。2度ほどこんなことがあり、速度を落とした。もうタイヤ交換時期だから、スピードには気を付けようと思っていた矢先のことだ。やっと高知に帰りプールで1.5km。泳いでいるときは何でもなかったが、上がると急激な疲労と空腹が出て来て、ここで夕食となった。ガストで肉でも食べようと計画してたが、動けそうになかった。しかし、食事をしてもその疲労は取れず、その後コンビニで甘いクレープを食べた。食べ終わると急に元気が回復してきた。こんな疲れと、急激な回復は初めての経験だった。

9月21日(木曜日)
パナソニックのテレビに、UN15TD6K(15型のテレビと、BDレコーダーがセットになった)がある。これが処分で、ヤマダ電機では42,800円。ケーズデンキでは48,000円で提供されている。寝る前に少しだけライブを見たいときに、机の上に置いて見るのに最適だ。今は、ポータブルDVDプレーヤを取り出し、DACをつなぎ、AKGのヘッドフォンをつなぎ見ている。準備が大変なのと、これ用に、DVDーRWの録画をするのも大変になってきた。DVD全盛期のころはDVDも安かったが、今では一枚150円もして、BDより高価になったのだ。そんなアイディアを考えている間に、PCモニターとBDプレーヤーとの組み合わせはどうか思った。これなら、4Kが実現できるし、ヘッドフォンアンプを入れて14万円。最初のプランからは、3倍強の価格になるが将来性がある。一方で、ディスクトップPCでこれを実現すると、フルHDDだがNECで同じ価格の提供がある。ただ、PCの場合はアップデートが頻繁にあり、繰り返すことで、重くなって、結局動かなくなる危険がある。画面サイズは23型。さてどうしたものか?


9月20日(水曜日)
今日は香川県と徳島県への出張日。今月は少し空いた時間で仕事を進め、来月の過密さを緩和しようと計画している。ハードさにはあまり変化が見られないが、自分の対応力が高まってきたのか、余裕がすこし持てるようになった。PCの日本語辞書も使い込むに従ってヒット率が高まり文字変換の速度が高まったし、単語登録も増えてきて、同じような文章は簡単に呼び出せるようになったのも関係あるかも知れない。で、個人的にはこの余裕をどう使うか?先週の休日は久しぶりに映画を見たし、平日には、「美味しんぼ」を見ているし、もしくはLPも1枚の片面を聞いている。CDだと、途中で止めなければならないが、LPだと終わりまで聞ける。LPは現代の生活事情にマッチしているような気がする。今年の夏は、蚊が少なかった。汲み取り式のトイレに石油を巻いた影響もあるが、それ以上に、耳が聞こえなくなって来ていて、蚊の羽音が気にならなくなった。夜中にトイレに起きて、スズムシの綺麗な超高域が聞こえなくて、単なる夜の虫の鳴き声になったのも経験した。それで、20khzまで伸びているCDでなくても良くなった。ただ、もっと高域が伸びているハイレゾは別物。編集が違うので、LPやCDとは違う音作りになっている。話しが逸れたが、7つの趣味の復活が近づいているのではないかと予感がする。(カメラ、海外旅行は時間拘束が大きいので5つの復活)もしかして、今年の後半はかなり充実した時を過ごせるのではないかとワクワク感もある。

9月19日(火曜日)
今日は密度の濃い仕事をした。ほとんど休む間もなく、仕事をした。食事もコンビニでパンを買って車の中で走りながら食べた。高知市にある家電量販店9店を全て訪問した。仕事を終えたのは午後7時半だった。水泳をした後ととは違い、体にのしかかる疲労は重く、何よりも頭が疲れていた。年を重ねてきているわけで、昔と比較にならないが、仕事でこんなに疲れたのは現役時代を含めて数えるほどの負荷だった。夕食はスーパーで弁当を買って家で食べた。美味しいものを提供できる店まで足を運ぶことが面倒に思えたからだ。
この面倒と言うのは高齢者には極めて危ないのではないかと思っている。多くの高齢者は歩くことが出来ないようになる。病気や怪我を除き健常者が歩けなくなるのは、歩かなくなるからだ。と思う。歩かなくなるなると、歩けなくなる。どうして歩かなくなるかと言えば、面倒だからだ。寝ているほうが楽だからだ。と思っている。今日は17,782歩。全国で万歩計のカウントが一番少ないのが高知県。5,800歩。確か一番は埼玉県じゃなかったか?3,000歩近くの差があった。僕の場合はビジネスマンとしては最高レベルの数値だ。この時元気の回復はJAZZのシンバルの高域を聞く事か、「美味しんぼ」を見る事のどちらか。今日は「美味しんぼ」

9月18日(月曜日)
昨晩の台風は少し吹いたかな?程度だった。しかしこの家は、西と東に大きな竹藪があって、風が遮られる構造になっている。大したことは無いと思っていたが、朝散歩に出ると、ビニールハウスのビニールが破れるとか、フレームそのものがつぶれるとか、かなり大きな被害がでている。どうも竜巻が発生したような感じ。稲穂は所々で倒れているが、全般には起きているのが多い。つまり、この竜巻さえなければ、台風は大したことは無かったと言う事。そして、竜巻は芸西村で発生しやすくなっている。これは、ビニールハウスと関係ありそうだ。僕の見立てでは、ビニールハウスが高層化し、昔のビニールハウスに比べて背が高くなっている。都心で言うビル風のようなものが、強い風の日に発生するようだ。この偶然が重なると、竜巻となるのではいか。もう一つ。今年の研究テーマであった「ツクツクボウシは彼岸花を見ることが出来るか?」答えは「Yes」。今日を解禁日のように彼岸花が咲き始めた。一方ツクツクボウシは、今朝は夜が明ける5時前から鳴きはじめ、夕刻はうるさい程の合唱となった。

9月17日(日曜日)
台風の日
台風の雨が来ない間に散歩に出た。コンビニまで行ってパンを買った。コンビニのすぐ南は海で、台風の余波があるかと思ったが全くない。潮霧も飛んで来てない。低気圧よりも影響力がない。食事を終えた後、アニメのバイオハザードを見た。アニメだが、CGでファイナルファンタジーのような人物だ。実際のところ、ファイナルファンタジーの登場人物と見分けがつかない。それから、日記のサイトアップ。太陽が出るほどの陽気で、蒸し暑い。余った時間、本を読もうかオペラを見ようか?オペラを半分だけ見ることに。「オテロ」の続きだ。いかに感情移入して歌い上げるかを見るポイントとした。それから、料理に取り掛かる。今日は「ヘルシオ ホットクック」でカレー。ニンニクをひとかたまりとか、高知の赤牛を300gとか、メニューに無いものも一切合切を切り刻んで投入して、65分後に蓋を開ければ、カレーができあがっていた。友人を招いて食事をしたが、このカレーの旨い事何の。これなら店に出せると言わせた。食事の間は随分と風が吹き、雨も降ったが、解散する頃はもう雨も上がっていた。食事の時に丁度雨が通り過ぎたのだった。後片付けをして、部屋に戻ると友人2名から電話があった。「台風どう?」

9月16日(土曜日)
台風の雨が降り出す前に風呂を炊いた。薪が濡れると火がつきにくい。我が家の風呂は12時間程度だったら温度を保っているから、午前中に炊いても大丈夫だ。メール作業も少なく、割と早く終わったので、部屋の掃除をして、洗濯機を回し、午後からプールに出かけた。高知のプールは休みだった。代わりに今まで使っていた長岡温泉に行った。湯温が高いので、今日のように肌寒く時には丁度かもしれない。1.5km。今日は早仕舞いして映画でも見よう。丁度そんな決断の時に高知の得意先から呼び出しを受けて、一旦自宅に帰り再び高知市まで出かけた。やれやれ。まぁ土曜日はほとんど仕事なので、苦にはならない。それで、ついでにシャープのカレーができる調理器具を買った。この店が一番安い。明日は台風が来るので、友人と海岸で波を見ながら酒を飲む予定なので、つまみにカレーは最適だ。友人はホテルの送迎バスの運転手を始めた。お客様の他に、安芸市に住む従業員の送迎も含まれているそうだ。勤務時間は朝の4時間と、夕刻の3時間で、昼の休憩が3時間ほどあるとの事。結構大変だと言った。自分のスキルを活かした仕事ができるのはいい事だ。洗濯物は雨が降らず乾いてしまった。台風は本当に来るのだろうか?映画は「X再起動」と「バイオハザード(アニメ)」。大画面で楽しむアクション映画は実に楽しい。

9月15日(金曜日)
昨晩飲みすぎて、眼が覚めると6時半だった。爆睡で、喉が痛かった。まだ酒が残っていたが、取り敢えず散歩に出た。内子は何かがあると思ったが、やっぱりあった。もう上映してないが、映画館があった。高倉健さんも来たと書いてあった。パン屋さんもあった。山崎のパンを売る店で、普通ならコンビニだが、ここは個人商店だ。行き交う女子中学生に挨拶された。蔵かと思ったが、旅行代理店だった。昔の街並みがそっくり残っている。ここは昭和か?この街並みを地元は保存したいが、いかんせん、高齢化で人口減と、消費は中央に取られているから、保存も覚束ないのだ。いくら街をあげて頑張っても流れには逆らえないだろう。ホテルで食事の後、目の前にある家電量販店(個人経営)を覗いた。今時こんな店が残っているのも不思議だ。おじさんが対応してくれたが、品揃えが乏しい。この街はいずれ消滅する運命にあると言っても過言でない。それから大洲へ向かった。ここはやっぱり明るい、店もあるし、平野も広い。トヨペットクラウン(おそらく50年ほど昔の車)を見かけた。僕は、通りすがりのビジネスマンだが、じっくりとカメラを持って構えると、もっと深い何かが発見できそうな感じだ。宇和島でお昼を迎えた。一番美味しそうな寿司屋さんへ向かったが、携帯のナビでも、車のナビでもその店は見つからなかった。結局マクドでダブルチーズバーガーを買って走りながら食べた。一本松で「河内晩柑」を大量に買った。四万十市で仕事を終えたのが16:00。今日はこれで仕事は終わりだ。帰って、シャワーを浴び9時から10時まで報告書を作成して、本当に仕事を終えた。

9月14日(木曜日)
愛媛県の訪問。当地区を担当するメンバーの応援。自分のことで精一杯なのに、メンバーのお手伝いとはお人好しにも程がある。とは言え、地区マネージャーとしては、カバーしなければならない事もあるのだ。以前、四国一周の仕事だったので、カーナビがなくても行けるから、これについては楽だ。とは言え、訪問を終えると、車の中でレポートを書き、次の訪問先へ向かう。その繰り返しで、結構ハード。土地感が狂っていたのは、今治の半島を回る海岸通りをショートカット出来る道を選択せず、ゆきすぎてしまった事だ。時間を15分くらい損したのではないかと思っている。仕事を終えて内子のホテルに入ったのは、午後7時を幾分か回っていた。ここでメンバーの一人と落ち合って、居酒屋さんへ食事に出かけた。値段は幾分か高い。新橋なんかで呑むようなわけには行かない。まぁ、周りには何にもない田舎なので仕方ない。店の奥さんは娘のピアノ発表会で、国内のあちこちに出向くらしい。それで旅費が高くつく。あちこちを行かれている方なら、安くゆく方法を知っているのでは?と聞かれたが、仕事で回るときは、旅費よりも時間優先だった。海外は安全優先だった。個人旅行と違うのだ。内子の酒を2種を飲んだがどうも甘くてだめだった。この日は随分と歩いたから、お酒が甘かったのかな?



9月12日(火曜日)
最近の日課は、朝起きると6時前に散歩に出かけ、約1時間かけて村内を半周し帰ってくる。この間、ブルックナーの交響曲全集を聞いたし、マーラーも全集を聞いた。この冬までは何とも無かった散歩が、丁度1時間で腰に、足に痛みが出て来て、これ以上は無理だとなっている。今年の2月から、散歩の代わりに、畑の土を移動したり、木を切ったりして散歩の代わりをしてきたが、運動量が少なく、やっぱり散歩に限るとなって、切り替えた。つまり半年前は何でも無かった運動が今では支障をきたすようになったのだ。体力は上がり下がりがあるが着実に落ちているようだ。負けたくないと、今日は夕刻プールに出かけた。1.5km。今日は12,000歩を歩いていたので。それで午後10時に覚醒しているのはかなり厳しい状況だが、最後のだめ押しに「美味しんぼ」を見る。ヘトヘトになって見ているが、このアニメは元気をもらえるので欠かせない。新聞記事だが、休息と休暇の違いを書いていた。休息とは体を休めることで、休暇とは精神を休める事で二者択一の関係にある。僕の例で行くと運動は休息でアニメは休暇だ。

9月11日(月曜日)
アメリカがテロによって攻撃された日。この日以降世界の平和がどこかに行ってしまった。昨晩ほんの触りだけどオペラのオテロを見た。戦争の指揮官「オテロ」がイスラムの国と戦いを終えて帰って来るところから話は始まる。時代設定は15世紀。既にこの頃からも、イスラムは戦いの相手だったのだ。崇高な宗教なのに、なぜイスラムだけが特出して戦いに挑むのだろう?草木も生えない不毛の土地で育った人々があがめた宗教。攻撃性はこれに関連性があるのではないかと思っている。まぁ大きな話は置いといて、今日も内勤の日。ツクツクボウシと虫の声以外は聞こえない。あまりにも静か。人里離れた一軒家のような静けさ。そこで、PCの蓋を開けて扇風機で冷やしながら、PCと格闘している。20,000個の関数書き換えのスタートボタンを押せば30分位待ち時間が発生する。重たいファイル処理だ。Intel i5 じゃ少々役不足な感じ。今日はデーターの整理。明日はこれを元にパワーポイントを作成してゆく孤独な作業。トトロの物語に田舎家でお父さんが仕事をしている。丁度あんな感じかな。

9月10日(日曜日)
草の手入れを休んだことと、メールを見なかった事で、時間のゆとりが出来た。iTunesで確認しておいた、ダニエル・バレンボエムのブルックナー交響曲全集のハイレゾを買った。AACと比べて、flack48khz24bitの音は、広がりと音の粒の細かさにおいて、やや優れていた。もっと残響のある部屋で聞けば、さらに静かさの凄さを感じられる事だろうが、この部屋では無理。iPhoneにハイレゾを取り込んでオンキョーのHFプレーヤーとDENON da10との組み合わせで聞けば、やはり静けさを感じる。PCのfoober2000+DENON da10との組み合わせでは、少し音が濁ったような感じ。DENON DNP2500とビクターのヘッドフォンHAMX100との組み合わせでは、ブルックナーの本筋である壮大なオーケストラが頭上に広がる。久しぶりのハイレゾで十分に楽しんだ。ポールマッカートニーを取材した、「The Life」も少しページを進めた。この本は、700ページ2段書きの大作でビートルズに関する事を詳細に綴った物語、歌や歌詞についても詳細を極めているので、都度、iPadを広げて、歌詞の確認や音楽の検証をしながら読み進める事になるから中々先に進まない。インターネットの普及で読書スタイルが今までとは全く変わった。午後3時が来た。赤野の親類に届けものがあったので、徒歩で向かった。50分。「まぁやん」と呼ばれる、おばあさんに会いに行った。92歳。口も達者だし、車を押せば歩く事も出来る。「さじが呼びゆうきに行きたいけんど、なかなか行かしてくれなぁよ。」と言う。さじは僕の母の事。「そんな事言わんと、庭の草むしりでもしより。」と僕。ここにあきこと呼ばれる娘がいるが、知恵遅れで、役に立たないから、家の中が一杯。少し手厳しく指導すれば、何とかなるのではと思うが、そこまで立ち入るのはどうか?と思い止まった。夜のスタートが早かったので、オペラ「オテロ」に挑戦。

9月9日(土曜日)
ネット上ではiphone8もしくはXの話題で持ちきりだ。期待通りか外れか。いずれにしても僕はこの新製品を買うつもりだ。5時半に目が覚めて簡単な朝食後、おじさんの家に手伝いに出かけた。今日は花の苗をハウスに植える日だ。近所の有志一同が集まっての作業。6時から8時半までの間。始めは苗を配っていた。若い人は中腰で、苗のケースを片手、片手で苗を畝のくぼみに配っている。ぼくは、苗のケースを畝において、そこから、1個の苗を取り出し、くぼみに配る。2人の速度は倍以上違う。次にこの配った苗を土を掘り起こし、畝に深く植える。これは、80才近いおばさんも参加していたが、僕の1.5倍程早い。僕以外の皆は農業を何十年と営んできた人。自分もある程度器用な方で、作業については直ぐに要領を心得て早いつもりだが、プロにはかなわない。今夕懇親会があるので「来ぃや」これが一番の楽しみ。何故かと言えば、今日参加した人とじっくり酒を飲めるから。知らないことが聞ける。今の仕事を辞めて毎日何をするのか探っているが一つの見識が得られるかもしれないと思った。結論は「葉にんにく」の栽培がいいのでは?売り先だけ見つかればなんとかなる。サトウキビはどうも趣味の範囲に収まりそうだ。オクラはベトナム人の労働者が来て大量生産を始めたので合わないとのこと。ベトナム人は冬の間促成栽培の花やナス、ピーマンの収穫を手伝うのを目的に来ているが、夏の間は仕事がなかったので、農家の雇い主は頭痛の種だった。そこへ、夏のオクラは作業量と言い丁度の仕事量なので、多くの農家がこの栽培に飛びついたわけだ。そのおくら畑は、見ると収穫時期を逃した規格外れの大きなものが一切ない。日本人の農家が片手間でやっているオクラは、通路が見通せない程葉が茂り、その下に大きなオクラが隠れている、あきらかに手入れ不足だ。まぁそんな情報を取り入れて、ワイン1本、日本酒半分程を飲み干し退散した。徒歩で30分かけて帰った。帰り着くといつの間にか寝ていて、午前3時に目が覚めた。

9月8日(金曜日)
毎晩倒れる寸前まで資料作成したせいか、今日の完成日までに仕上げることが出来た。数字の裏付けを一個ずつ確認して提出した。同じ仕事をしている別の部門の同僚から、あまり根を詰めて仕事をするとどんどん仕事が増えるから注意するようにアドバイスがあった。そうだな、今では全く余裕のない生活を送っている。例えば洗濯物は取り込んで部屋にぶちまけた中から探して着替えをしている。下着はアイロンをかけると気持ちが良いとここ数年来守ってきたが、最近は床から探して着ることが多くなった。ずるしている訳ではなくアイロンをかける暇がないのだ。だが、午後からは、一段落ついたこともあり、丁度高知の得意先から訪問してほしい電話があったので、出かけることにした。久しぶりにのんびりした午後だった。用事を済ませたのは午後4時。帰り道にあるプールに寄って1.5km。お弁当を買って家で食事をした。

9月7日(木曜日)
どうしても今日中にはめどを付けたい。資料の完成の件だ。それで、熱くなってしまい午後5時半、これは大変だと気がついた。夕食の食材がないのでスーパーまで買い物に出かけなければならない。朝の散歩だけだった万歩計は8000歩止まり。この2つを解決するのに徒歩で出発した。雲行きが怪しかったので、帽子とカッパを持参した。家を出て10分もすれば雨が本格的に降りだしてカッパを羽織った。スーパーにつくと猛烈な雨が襲ってきた。こりゃ帰れないな。いいことがあると不安が募るが、こうして悪い事が起きるとなんだか安心する癖がついた。買い物をしている間に遠くで鳴っていた雷が頭上にやってきて、スーパーの窓から外を見上げると、天上から地上へ一直線に光が走った。大雨と落雷は嵐そのもの。しばらく待っても雷鳴と雨は止まず、帰ることにした。外は既に暗かったが、雷さんが矢継ぎ早に光るものだから、夜道は結構明るかった。昨日は満月の中夜道を歩いて帰って来た。状況が違うが昨日と同じ明るい夜道だった。

9月6日(水曜日)
一人でPCに向かって2日目。この閉塞感は息がつまりそうだ。今夕は基礎資料にあたるデーターベースが一応完成したので、お祝いに外食をすることにした。芸西村に唯一ある魚屋さん「藤」。この村にしては出来過ぎの感ある居酒屋だ。18:00徒歩で向かった。30分ほど歩いて丁度ビールの分量だけの余白ができる。料理と一緒に「たっすいがはいかん」を持ってきてや。美人のアルバイトがメモして帰ったが、通じているのか不明。しばらくすると、ちらしずしセットとキリンラガーがやって来た。話は通じていた。iphone片手に、ibookを読みながら飲み克つ食べた。半分ほど食べた後に豚の生姜焼きがやって来た。逆なんだよ。まぁ腹が減っているので、ちゃんぽんしながら喰った。自分で作る料理よりも味が濃いのでビールが進む。帰りは満月。300ルーメン×2灯のライトを点けて歩いて帰った。自転車用としては常識を超えるものすごい明るさと、月明かりで、夜道でも寂しさはなかった。

9月5日(水曜日)
鬱陶しい雨
今日から内勤が始まる。資料の完成日を迫られているから、集中度が求められる。にもかかわらず、相変わらずメールは容赦なく、資料作成の足を引っ張る。それに窓を開ければ鬱陶しい雨が降っている。友人が新しい仕事を始めたのでExcelを教えてと訪ねてきた。2台のパソコンを使って説明したが、ちょっと難しそうだった。昼飯は鬱陶しい雨を何とかしのぎたいとお弁当を買って海岸に出かけた。波もなく、少しだけならいいだろうと、砂浜に車で乗り込んだ。ところが、4輪駆動車なのに、這い出ることができなくなった。海岸から雨の中歩いて家に帰り、トラクターを引っ張り出して、先ほどの友人を連れて海岸に向かった。ロープで軽自動車を引っ張り出した。トラクターはデフロック付きの4輪駆動なので、流石に砂浜でも強い。これで友人と貸し借りなし。何て馬鹿なことをしたのだろうと反省した。雨は一日中降り、夕刻上がった。夕食の後、少しだけ散歩した。帰って資料作成。途中で眠くなってまろどんだ。そして資料作成。瞼の限界が来て、今日の作業を終えた。その限界を少し我慢してジョーパスのアルバムを聴く。

9月4日(月曜日)
新製品が導入された。僕が営業をしていた頃は、店に新製品を導入するのは至難の技だった。でも今は、商品力も手伝って、導入は日程通りに行われる。それで、いち早く展示に行く必要がある。僕にとってはPCを使った作業が月初の最優先事項だが、それを差し置いてまでの重要事項、高知は済ませたので徳島まで行ってきた。小松島に訪問先があるので、室戸岬周りで行った。室戸のお鼻を回ると地図には表示されてない高速道路がある。一般道だが、交通量が少なく80km位は巡航できる。それで、徳島市で仕事を終えたのは13時前だった。急いで高知に引き返した。工程は380km。古い軽四ライトバンなので、運転は厳しくこの仕事の辞め時を示唆している。未だ600km位は走れる自信はある。だが来年はどうかな?今日は6時に切り上げた。朝6時から働いているので十分だろうと、判断した。だがメールを見ると急ぐ要件がゴロゴロ。結局9時半まで作業を行った。寿命を削って仕事に捧げている感じ。ゆっくりすれば良いと周りで言うが、ゆっくりできる性格でも無いが、今は異常。来週には、応援で愛媛県をフォローする必要が出てきた。そのぶんだけ、着実に自分の時間に食い込んでくる。まぁ愚痴を言えばキリないが、一日12時間勤務と、週休1日、月の残業に換算すれば100時間ではどうだろう。5月からもう3ヶ月も続いているから愚痴もでる。

9月3日(日曜日)
ケチケチの私は、昨日の残りの除草剤を捨てるのではなく、一番遠くの畑に満遍なく撒いた。ついでにそこに行く小道に覆いかぶさってくる木や竹を切り倒した。数十本。都会では、2軒ぐらいの生垣に相当する量だ。ここではただ切って捨てるだけだ。それから朝飯。昨晩何も準備してなかったので、うどんと果物。果物は完熟葡萄。木から落ちそうな時に切り取った葡萄。その場で食べるしか時間的な余裕のない果物。びっくりする味だ。最初の一口目は咳込む。あまりにもみずみずしく、甘いからだ。1971年守口の「眠みん」で青山班長と大城さんとで食べた餃子も咳き込んだ。思わずステレオ事業部生産技術課の事を思い出してしまった。ホームページを仕上げて、少し本を読んでまどろんだら、2時間ほどメール作業。今日1日の作業を全て終えてプールへ。金曜日の疲れが残ってない。どうした事だろう?でも、今日は1.5kmがやたらと長く感じた。45分でタイムは悪くないのだが。隣で女子中学生の水泳部が泳いでいたが、まるで高速道路の坂道で、僕の25年物の軽自動車を、ベンツのS550がサッと追い抜いていくような圧倒的な差を感じた。あなた達のどれくらいが50年後、僕の速度で泳げるのか想像したことがあるか?などと自分を慰めた。体の各パーツが満遍なく均等に、疲れた。歩くにも、車を運転するにも、体全体が重い。だからといって、動けない程ではない。ちょっと動作が緩慢になっただけ。

9月2日(土曜日)
8月は草の世話が一切できなかったので、先週は沖の畑を叩き、今日は家の周りの草に除草剤の散布。毎月1ボトル使用の筈だった除草剤が2カ月持った。つまり消費が半分だったから、草は2倍伸びたことになる。畑の横の竹も畑に覆いかぶさっているし、もうすることが山のごとく残されている。夕刻4時に切り上げた。それから風呂を沸かし、一風呂浴びた後から食事の準備に取り掛かった。近所の友人を招いて夕食会だ。献立は朝のカッパ市場にある素材にゆだねられる。今日はトマト料理。芋の蔓炒めの2品。デザートに完熟葡萄、河内晩柑。このミカンは愛媛の友人曰く、河内晩柑はまがい物が多く味のまずいのがあると言う。僕が買ったのはその味のまずい方。この友人は起業家で、毎日折衝、折衝で気の休まるところもないと言う。しかも毎年赤字。5か年計画を立てて仕切り直しをしていると言う。河内晩柑の話はそのついで出た。話は戻り、近所の友人との語らい。貝のコレクションの話し。高いのは35万円もあるので、この仕事はもしかして当たるのではないかと期待していると言う。確かにきれいだ。しかし、当たれば周りの人も黙っていないだろうから、商売は難しくなる。当たらなければ告知の為にサンプルのバラまきが必要。いずれも苦しい話。テクニクスのSP-10に新製品が出るニュース。来年は商品化するそうだ。LPに凝っている私としては購入しなければならない。軽自動車1台分の負担が必要だろう。

9月1日(金曜日)
昨日の夕刻、電話があり、PCの荷物が届いたので倉庫の中に入れておくと運送屋さんから電話があった。大変便利な仕組みだ。この仕組みのおかげで不在通知にお目にかからなくなった。今朝はその設定。午前中いっぱいを要した。午後は外勤。簡単な仕事だが、訪問先では時間を食い、予定の半分を仕上げて作業を終えた。普段なら、時間を延長して、めどがつくまで仕事をするのだが、今週は疲れた。疲れをいやすプールの時間も欲しい。と言うことで、帰りに1.5km泳いだ。今日は15.000歩を歩いているので、かなりのオーバーワークとなっている筈。疲れは来週の月曜日頃から2日間にわたって出て来る。水曜日からすっきりした元の体調に戻る。

8月31日(木曜日)
光陰矢の如し
あわただしかった8月の今日で終わり。ツクツクボウシも一層力強く鳴きはじめ夏は終わりだよと告げている。ツクツクボウシが聞こえなくなる頃、彼岸花が咲きはじめ、虫の声が一層高まる。今日は月末なので、精算関係の締め切りと、報告書の提出日。安芸市で仕事もあった。でも、深夜22時に仕事を終えて、お風呂につかると過ぎて行った日々が、あふれて流れるお湯のように簡単に流れ去った。一日を大事に生きてみても、生きなくても通り過ぎるのは瞬間だ。今日の事に関していえばPCの故障が重なり、自分のPCにメール設定するなど結構余計な作業が時間を短くした感じがする。PCを何度も組んだことがあり、設定作業は当たらずとも遠からずなので今までの経験が活かせたので集中度が上がり浦島太郎化した。毎日バッテリーを使い切って倒れるようにして寝る。寝ている間にフル充電する。こんな生活を送っているが、朝起きると十分充電ができてないことがある。

8月30日(水曜日)
出張から帰ってまた日常が戻ってきた。東京は刺激があってよろしい。でも田舎の空気はさらに気持ちがよく、季節を感じる。時々都会の空気を吸うのが一番だ。定期的な会議はいつも東京で開催して欲しい(今度は山陰で開催するというが)。午前中は昨日決まった内容への対応。組織の中枢にいるので、重い仕事だが、何をするにしても方向性が見えて良い。午後は動かなくなったPCの修復。結局、代わりのPCを用意してもらう。3時間を要した。このままでは仕事がタレもつれる。今できる事をしよう。外勤だ。遅めの出発だったので終わったのは20時。私生活は頓挫した。しかしこれが日常となりつつあるのは危険。夕食はジョイフルさんで。安かったが、腹が膨れなかった。明日の朝補充しよう。忙しいのに、たくさん買い込んだJAZZのアルバムを一枚づつ聴き込む時間を確保する必要がある。今晩は、Norah JonesのDay Breaks。割と最近の録音で180gの重量版だ。ノラの歌は抑揚がなく聞き込んでやらないと、歌の上手さがわからない。一方ベースなど楽器陣営は素晴らしい演奏で、窓のガラスが震えている。田舎では昼夜を問わず大音量で再生出来るので、寝る前に素晴らしいひと時を過ごすことができる。ノラをBlue Note東京で聴くには最低10.000円。飲み物をウイスキー1杯に制限しても13.000円。ここでは、チャージ料無料で毎晩呼び出すことができる。ライブのように音のキレはないが、気持ちの良い高域が楽しめる。喫茶メグの寺島靖国氏じゃないが、「高域のチャリーンを聴かないと寝られない」その気持ち良くわかるぞ。
8月29日(火曜日)
昨日は他にも良くないことが有った。懇親会で、仲間に絡まれ、這々の体で逃げ出した。逃げなければ喧嘩になっていた感じの剣幕だった。内容は、報告書の書き方が悪いと、その人の上司に伝えたが、本人は直接自分に伝えなかった事を根に持つ逆恨みだ。そんなら、「しっかりとした文章を書けよ!」まぁレベルが低いから絡むので、可哀想な人だと思ってあげよう。しかも酒の力を借りて。人は色々といるなぁ。今日は分科会。その後メンバーの面談と矢継ぎ早のスケジュール。面談では、メンバーにやり過ぎだと慰められた。僕は早いうちに辞めるから問題ないと回答した。僕が面談をされているようだった。浜松町本屋DANで、無印良品と、富士フィルム、ジョブの論理の書籍3冊を買った。読む暇はないが、買っておかなければならないと思った本だ。浜松町でウロウロしていると、昔の仲間が「何している」と現れそうな既視感に襲われた。オムライスの食事をして、空港に向かった。普通電車のモノレールに乗ると田舎の電車のようにガラガラだった。昔はこれしかなかったが、快速が出来たため、皆そちらの混み合っているほうに乗るのだ。空港の待合室でこの文章を書いていると、備え付けてあるTVで北朝鮮がミサイルを発射したニュースを放映していた。貧乏な家だが、奥さんが見えを張って子供にいい服を着せ、新車を買って見栄を張っているのと同じ様に思えた。その人の家は、ドアを開けると家の中がいっぱいで、足の踏み場も無い家庭だった。とは、良くある話。北朝鮮はまさにそれとおんなじではないかと、可哀想に思えた。日本の異常気象は北朝鮮にも発生し、今年は凶作だろう。

8月28日(月曜日)
朝早く起きて出発の準備を済ませた。それから食事。6時半に出発。7時半の飛行機に乗る為だ。出発の1時間前に家を出れば十分に間に合う。今日は、昼から会社の会議だ。だが、丁度の時間の飛行機がない。それで朝一番便となる。9時に東京へ着いた。まずはホテルに荷物を預けて、御茶ノ水に向かった。目指すは郵便局。家を出るとき1、000円しか持ち金がなかった。ICOCAに1、000円程残っていたので、御茶ノ水までは十分だった。お金をおろしてDISKUNIONへ行った。JAZZのLPレコードを買う為。沢山選んで、不安なものは視聴して外す。全部で14、000円9枚購入。これだけあれば、当分の間楽しめる。一人で楽しく生きていく以上音楽は外せないし、最近は寝る前の充実の時間に、LPレコードは必須になりつつある。アンプの熱が酷いので暫くは控えていたが、夜が一段と涼しくなり、もう解禁しても良いかなと判断した。会議は、結構夢のある会社の方針。一方で、高齢になる問題点を病気(ボケも含めて)、財政、の面から話を聞かされ、ますます不安になった。組織に所属している限り同じ境遇の仲間がいるのは、一つの安心感か?何にしても、一人で死ぬ問題点を十分に教えてもらった。宿泊は会社が準備してくれたが、明日も会議だから寝不足が予想されるツイン部屋は苦痛だから、近くに自費でホテルを予約しゆっくりしようと計画したのだが、懇親会の時、携帯電話を忘れてしまい、そのことをホテルに入ってから気がつき、探しに舞い戻って探した(と言うのは、iPhoneを探すで検索すると、道路の茂みに電話機が放置されているように見えるからだ)。結局見つからなかったが、会社の誰かが保管しているだろうと判断し、引き上げた。それで寝るのは12時前となり、しかも、iPhoneで寝る前に音楽を聴こうと計画してたのが実現できず、ホテルを予約したのは何のため?となった。

8月27日(日曜日)
なるほどそう来たか。今度の会議ではあまりにも僕に役割を押し付けて来るので、分科会の司会をお断りしたところ、「まとめる力量がないのは残念だ」と来ましたね。「はい、力量がありません」と返したいところだが、まぁ大人の判断で黙っておこう。力量があっても無くても、給料は違わないからだ。定年後の腰かけなのに、何で現役の時のような評価を気にするのだ。何度も書いてきたように、健康とのバランスで、早く見切りをつけた方が良いのではとも思っているから尚更だ。と言う気分の悪さはここまでで、今日は本当に感動したことがある。夏の暑い盛りはJAZZと決まっている。そのきっかけは1971年門真にある松明寮で、隣の同期生が、いつもきまって土曜日の朝ハービーハンコックの「処女航海」をかけていた。特に夏場は、クーラーがないので、部屋のドアは開けっ放しで、その前を通るたびに音楽が耳に付いた。その同じレコードを今日は昼間汗を流しながら聞いた。ロンカーターのベース演奏が実に多彩で、強弱があって、ここまで表現しなければならないの?と聞きほれてしまった。ハービーハンコックのリーダーアルバムだが、聴き馴染んでくると、もっと細かなテクニックも気づく。やっぱり世界中に芸術を届ける人はこうでなくてはとも思った。そして、アルバムは聴き込んでやるリスナーの責任もあるし。更に言えば、それが表現できるオーディオ装置は常識だとも。僕のオーディオ装置は古いが、それなりのグレードなので、演奏者の意図は伝わって来るだけのレベルは出ていると認識している。(装置のグレードなのか、クリーンな電源の影響なのかは不明)
8月26日(土曜日)
朝5時に起床して報告書をまとめ書き上げた。9時までに送信し今日の作業を終えた。掃除、洗濯を終えると午後1時。修理依頼のLDプレーヤが届き、セッティング。カシオペアとMJQのLDを見る。音声はデジタル信号でアンプSU-V100DにPCM信号を送り込む。実に気持ちの良い高域がでている。LDはオペラが多い。しかし時間が無い。楽しみは先だ。沖の畑を見れば、草が限界の高さまで伸びている。これ以上伸びれば、トラクターでは無理だ。プールの予定を変更してトラクターで叩いた。小さな虫が湧き出て来て、鼻に入るわ目に当たるわで大変なトラクターの運転だった。来週はこの周りの草に除草剤散布が待っている。風呂に入ると、もう何もできず就寝。

8月25日(金曜日)
朝4時に起床して、制限時間一杯の10:00までに、会議用の資料や、メンバーのプレゼンを監修した後の資料を送付した。もう1本は昼までに仕上げた。寝る事、食べる事、風呂に入ること以外は、全て仕事に費やした1週間であった。早く普通の生活に戻りたいと思っているが、メールでは全体会議当日のPC操作は全て私が担当し、懇親会でも私が司会するなど、ますます要件が積み重なって来る。ツクツクボウシの声が高くなり、もうすぐ夏が終わる。日が暮れるとあれほど暑かった気温が下がり、虫の声が大きくなった。風呂に入っていると、ふと流れ込んでくる風が冷たく感じたりして、因幡晃じゃないけど「これから寂しい秋です」が始まろうとしている。どうしたもんかなぁ。

8月24日(木曜日)
昨晩宿泊したのはリゾートホテルで、風景はまことに素晴らしい。値段は5,000円でリーズナブル。朝近くの公園を散歩した。公園と言っても、野球とサッカーができる規模で一周1400mとあった。今日は2件の訪問を終えて、高知に帰り、法事に行く。忙しい時に限って、たくさんの要件が舞い込んでくるのはいつものパターン。法事ではあまり酒を飲まず、帰ってからPC操作があるのだ。そんなつもりだったが、結局酒の量は控えたが、疲れで何もできず、9時には寝てしまった。

8月23日(水曜日)
今日から香川徳島県を訪問する。ホテルに夕食付のプランを申し込んだから、終わりの時間も限られている。今日の昼食もマクドの簡単なものだ。走りながら食べた。しかも、こんな時に限って、高松~徳島の高速道路が事故で通行止めだ。いろんなことが重なり、終了したのは午後7時過ぎ。ホテルの夕食は時間切れで無しと言うことに。朝8時~休憩なしに頑張ってこの報いだ。悲しいではないか。王将で夕食。徳島の王将は大阪のようにおいしくない。ホテルではプレゼンの監修。

8月22日(火曜日)
週末にレポートを1本。その為の訪問活動で、23の訪問先の粗方終えないと書けない。今日は遠く宿毛まで。往復350km。朝7時過ぎに出かけた。昼飯は走りながらパンを野菜ジュースで済ませた。もう若くはないのに、若いころと同じ事をしている。昨日は左耳が痛かったが、今日は頭の後ろが痛い。血圧が158もあった。脳の血管が切れるのではないかと思う程の痛み。家に帰るとメンバーのプレゼンする資料の監修。ちょっと体を休めないと、取り返しがつかなくなる。一方で仕事を辞めると腑抜けになりそうで、それが怖いのでこの過酷な仕事を続けている。今日の痛みは真剣に今後のことを考えるきっかけとなった。

8月21日(月曜日)
朝飯を食ってから彼らは帰省の途についた。僕はメール作業を終えて、仕事の訪問活動に切り替えた。今日は休みを取っているので、車に乗るとおかしなことになるので、取り敢えず、勤怠をごまかすと人事に相談して出かけた。太陽が強く、エアコンの効きが悪い。僕は車のエアコンが無くても大丈夫だが、汗で濡れたまま店に訪問するのが失礼なだけ。仕事を終えると7時だった。もうこの時間で眠い。早く帰って寝よう。

8月20日(日曜日)
多数決で四国カルストに決まった。バルミューダのトースターは、芸術品のようなパンの仕上がりだった。これにモロヘイヤを含む野菜ジュースが朝食。四国カルストはうねった道で、僕は車酔いをした。頂上の素晴らしい風景がゆがんで見えた。むかし、祖母を連れて来たことがあるが、祖母も車酔いした。あの頃の祖母よりも僕は年齢が上だ。車酔いはこんなに苦しいものか、初めて知った。ここまで自転車で上がってきた人がいる。話を聞いてみたら、四国のあらゆる山に登っているようだ。自転車は6kgの重量。まぁ重い洋服を着て歩くみたいなものだから、思ったほど厳しくはないだろう。その証拠に500mlのコーラー1本とのこと。自分もやれるか?と聞かればYesだろう。ただしこの仕事を辞めて、少しだけ練習を積んだ後からね。と言う条件付きだ。山頂の空気はひんやりとして眺望がよく、来た価値があったと喜んでくれた。帰り道は須崎をパスした。あの曲がりくねった道中は耐えられない。代わりに峠の茶屋(海沿いにある)で海鮮料理とした。焼き貝は確かに名物で旨い。旨いが高い。高くて量が少ない。午後2時だが、まだお客様があったので、確かに名物なのだろう。昼間は魚だったので、夜は肉。土佐の赤牛。美味しんぼにも登場する位だからおいしいのは当たり前。すき焼き。サブ料理(前菜)に、ナスのから揚げに、鯵の干物を振りかけて、薬味を散らしたものを準備した。メインのすき焼きをつくってテーブルに乗せ、さぁ先ほどのナスを食べようとしたらもうなかった。人気の品だった。すき焼きは味が薄いとか文句を垂れながら1.2kgを食べた。話も弾むので、味はそこそこでも何とかなるのだろう。良く呑み良く食べた。今日は11時に寝ることができた。

8月19日(土曜日)
昨晩から早朝にかけて送られてくるデーターを纏めて加工しクライアントに送付するのが9:30。毎週10:00までに送付する予定だから時間内だ。掃除も洗濯も何もできないまま、飛び出した。今日から3日間、今度は大阪の友人たちがやって来る。受け入れのインフラみたいなものは内勤業務をやりながら済ませていただので、残るはこまごまとしたものだけだ。ケーズデンキ高知駅前店で待ち合わせをした。トースターを買う予定があったのだ。丁度知り合いの門田さんを捕まえることができて、バルミューダーの水蒸気で焼き上げるものに決めた。その後みんなと合流。もう何十年来の付き合いだから、高速道路の本流に合流するような感じで打ち解ける。お披露目広場で食事をする。ここは中国人で一杯。いや、中国人に占拠された感じ。閑古鳥が鳴く帯屋町商店街に活気が戻ったから、良しとするか。僕は炊き込みご飯、彼らはカツオのたたき定食(明神丸さんの)。家で炙ればもっとおいしいのが食べられるのだが、この雰囲気はここでしか味わえないのだ。次に「高知歴史博物館」。新設で僕も行ったことがなかった。坂本龍馬の直筆の手紙がある。維新を動かした偉大な人物の文字はひどくて読めない。筆まめであったのに読めない。同時期の高知城の勘定方の備忘録は、達筆で、とても筆一本で書き上げたとは思えない「作品」だった。まぁ世の中とはそんなものだろう。皆が待つので、僕は出口に急いだ、ここはじっくり見る必要がある。それから、彼らは龍河洞にでかけ、僕は自宅に帰った。風呂を沸かし、食事の準備をして、注文して置いた皿鉢料理を取りに出かけた。皿鉢はカトリ。ウナギは藤。法事で事前に味を吟味したものだから自信をもって推薦できる。近所の友人も呼んで、合計6人がテーブルを囲んだ。こんな賑わいは久しぶり。料理と皿洗いで座る暇もなかったが、これで結構楽しい思いをしたのだ。家は古いが、日常触れるところは全て清掃済みなので、僕としては「ひがみ」がない。

8月18日(金曜日)
朝の散歩で万歩計を進めておかないと、一日15,000歩は到底達成不可能。それで、今朝も散歩に出たら、同級生の理恵ちゃんに会った。彼女も今は農繁期なので体を動かさないといけないと考え、ビニールハウスまで散歩しているという。あちらもお盆に子供たちが帰り、疲れ果てたと嘆いていた。帰って来るなとは言えないからと僕にこぼしたが、Me Too.。昨日ハイレゾを聞いているときに解決方法を思い付いたのは、CD(CDP-X7ESD)の音のみがどうもさえない。もしかして、CDからハイレゾプレーヤー(DPN-2500NE)
にデジタル信号を送り、こちらで再生してみては?このアイディアをさっそく試すと、CDのまったりとした音が、ハイレゾプレーヤーでデコードすると、シャキッとするではないか。多少楽器の艶も出て来る。クラシックは、この楽器の艶や、演奏会場の広さなどが感じられたらもう最高と思っているので、それが実現できてうれしい。使い倒したと思い込んでいるオーディオ機器もまだまだ盲点を持っているようだ。

8月17日(木曜日)
関東地方は日照不足が続いているが、高知は連日のカンカン照りだ。息子たちが汚したものは今日ですべて洗濯し終わった。相変わらずここは静かで、クマゼミも朝方煩いが、午後はアブラゼミにとって代わり、ツクツクボウシの鳴き声も心持力強くなってきた。夏が終わりを告げている。表面的には静かだが、僕の心の中は騒いでいる。一つは週末に友人たちを迎える準備があり、一つは明日までに調査資料の完成。更に月末の会議には、30分ほどのプレゼンを行わなければならないのでその準備、ついでにメンバーがプレゼンするのでその監修。おまけに、この作業の為、徳島県と香川県の訪問活動が全くできてない焦り。そんな心をなだめて、田部井淳子さんが言ったように、「一歩づつ確実にすすめば、ゴールに届く」を支えとして行かなければならない。4月以降急激に忙しくなって、だんだんとそれがエスカレートしてきて、毎月ピークが高くなっている。頭の中がワンワンとうるさくなっている。村上春樹が「遠い太鼓」を執筆した時と同じ心境だ。夜8時から9時までの入浴タイムだけが、無の時間。この時ばかりは他の音が聞こえない。今日は、寝る前の定番となった「美味しんぼ」を止めて、この暑い時期にこそシベリウスを聞こう。サイモンラトル式ベルリンフィルのハイレゾ192khz24bit。とても暗い音楽だ。どの部分を聞いてもシベリウスが匂ってくる。この雪原を思わせるような閉塞感がシベリウスの魅力だろうか?音楽の深さは分からなくても、音の良さは分かる。楽器の艶がはっきりとわかる。

8月16日(水曜日)
朝6時の時報を聞き逃す程眠ってしまった。疲れていた。扁桃腺がまだ腫れている。今日から内勤の日。内勤の時、体は楽だからこの間に体調を回復させよう。資料作成は、温めてめていたアイディアがあったので、割と楽だった。やっぱり数日間仕事から離れると、新鮮な目で仕事を見つめられる。60歳以降、今までなかなかまとまった休暇がなく、休息の価値を見直した次第。内勤を始めると途端に胃の調子を崩すので、家の周りの散歩とかを頻繁に繰り返した。ある程度のめどがついたので仕事を切り上げた。買い物に徒歩で向かうと、空が真っ黒になり、今、流行りの「何十年に一度の雨」がやってきそうな空模様。急いで帰った。でもやって来なかった。誰とも話さず、数字だけを見つめ、数字が語る言葉を聞きながの仕事。この静かさ(蝉しぐれとコジュケイの鳴き声はうるさい程だが)が芸西村の良さだ。

8月15日(火曜日)
本格的に扁桃腺が腫れてきているのがわかる。夏風邪の兆候もない事から、過労が原因だろう。子供たちは7時半の飛行機で帰るから、6時半までに朝食を済ませ空港まで送って行った。また年末に帰ると言う。僕にも休暇が必要だとは言わなかった。一人で静かに暮らしてたいのだが。乱された家をまずはリセット。午前中掃除をした。一通り拭き掃除をすると片付いた気分になる。それから洗濯。彼らの使ったシーツ、掛け布団など全部洗った。午後は、自分の部屋の改造。前に買っておいたパイオニアのチャンネルディバイダーD-70に入れ替えた。音の輪郭がすっきりとして、高域が伸びて、バイオリンなんかに艶が乗って来た。アナログLPレコードの音が格段に良くなった。次にHigh-Resolution Audio。こちらも実によろしい。聞きほれてしまう。CDは妙に低域のバランスが良くない。チャンネルディバイダーは低域と高域はそれぞれのVRで音量をコントロールできるが、高域はフルボリュームで、低域のボリュームはLPの時に午後3時の位置で、CDの時は午後2時の位置にすればバランスが合うことが分かった。クロスオーバーは320Hzが一番良かった。次はシアターシステムの設定。オペラが楽しめるように設定しなおした。この2つの設定が唯一僕のお盆休暇だった。わずか4時間の事。夕食は簡素にあまりもので済ました。息子とその友人が最も驚いた、浴槽に一杯お湯を張って、あふれるお湯につかる入浴方法で寛いだ。

8月14日(月曜日)
計画では四国カルストへ行くつもり。だが、マリさん(母)の情報によって、中止となった。代わりに、桂浜水族館へ行くことになった。お盆休暇で、混み合っていて、駐車場に入るのに15分ほどを要した。水族館は、「変わった」と聞いてはいたが僕の記憶では余り大きな変化はなかった。亀のプールが小さく感じられたのは、、僕がちいさかった頃の記憶の為か?兎に角僕は疲れていて、桂浜の坂道の登り下りが随分とキツかった。この体調だったら、山に行かなくて良かったと思った。心なしか扁桃腺が腫れているような痛みがあり、帰りのプールも中止。彼らは昼飯にパンが食べたい希望があり、「コミベーカリー」(高知で一番の店)に連れて行った。息子の友人曰く、今までかつてこんな美味しいあんなパンを食べたことはない。紹介して良かった。スーパーで買い物をして帰宅。少し時間があったので、西の畑に通じる、竹藪を刈るのを手伝ってもらった。ハサミで小枝を摘んで貰ったら、散髪をしたように、道がすっきりした。一汗掻いた後、食事の準備。トマトとオニオンのサラダ。鶏肉ときゅうりの三杯酢漬け。きゅうりパブリカ人参のピクルス。鳥のレバー塩煮。ヘルシーな夕食だが、これまでのカロリー十分な食事の後で、バランス的にはマッチしていると思う。昼食後3時間後だが、彼らは問題なく食べられる。彼らの採点を聞けば丸だが、料理屋を開くまでには至ってないとの事。今夕は映画も無く、彼らは駄弁って夜を過ごし、翌朝早く帰ると言う。僕も、少しだけ自分の時間ができて嬉しい。

8月13日(日曜日)
朝飯に、ご飯を用意した。でも足りなさそうだったので、パンも準備した。野菜ジュースに味噌汁。ニライラメ。滅茶苦茶なメニューだがぺろり。食べ盛りの男2人は冷蔵庫のあまりものを食べつくす。今日は、息子たちは友人に預け、エビ取りに行ってもらった。その間僕は先週の日記を書き上げようとしてたら、電話があり、エビをたくさん取ったのでレストランで食事をしようと。ラジオ英会話はとん挫し、日記も、読書も。自分の生活パターンは完全に放棄の状態。まぁ今は奉仕の時間だから仕方ない。帰ってから、彼等には映画を見てもらった。彼らは、高知の休暇に映画を見ようとたくさんのBDを持ってきている。それに漫画の本を。まずは、事始めに「シンゴジラ」。僕の最初の部分を見たが、4kの精細感は100インチくらいでは衰えずものすごい画像が目の前に広がる。人の顔がアップになるが、至近距離なので、ちょっと大きすぎって感じ。僕は途中退散して、西の畑を叩きに出かけた。草が伸び、縦と横方向に叩き、やっと収めた。この畑はまだ岩がごろごろあり、それを拾いながらだったので、1枚しかできなかった。これが終わると午後4時。安芸市の魚やさんへ出かけた。タイの刺身を考えていたが、ハマチが良いと言う。大きなのを1匹。3,500円。一寸多いかな。サブメニューはそうめん。昼間の食事がまだこなれてないと言いながら、食べ始めたが、なんと全部ペロリ。僕は刺身を少し食べただけだったし、そうめん6束も一束程度食べたのみ。食後は「ブロークン・アロー」核を盗むジョントラボルダをクリスチャン・スレイターが追跡する内容。疲れていたので途中で止める予定だったが、とうとう最後まで見てしまった。彼らの厳選した映画は凄い面白い。

8月12日(土曜日)
朝から炎天下。よさいこい祭りにはぴったりの天候だ。息子達を、高知市に送り出す。帰りに、「軍鶏の肉店」へ寄るも、閉店中。方針変更で、三谷ミート(高知で一番有名な肉店)で牛肉1.5kg13,000円購入。帰ると、きまさごの畑を叩き、廊下と台所の清掃。これで時間の限界。今度は高知市に迎えに行く。途中、得意先から電話の問い合わせ。運転しながら、電話をかけまくり問題解決。この仕事は土日も関係ないのだ。待ち合わせには少し遅れたが、息子達も少し遅れた。すき焼きの材料を買って帰り、風呂を焚きつける。薪を割るのは若者二人に任せた。昨日と同じ友人達を招き再び大宴会。中国の指導者習近平の話題となった。僕は両面からの見方が必要だと訴えたが、大勢は西側諸国の視点が正義だとの持論を変えなかった。酔いも覚め、今度はシアター(100インチ映画館)。オペラと懐かしの音楽のさわりをみてもらい、シアターは良いもんだと、解散した。息子達は、深夜まで映画を見たかったようだが、操作に問題があるので、今夜はこれでお開きに。

8月11日(金曜日)
帰省する息子達を迎えるための時間を逆算すると、午後2時45分には出発しなければならない。それまで内勤。レポートをしあげ、身の回りの整理(データの整理と、メールの整理)。PCと取っ組み合いをすると時間を忘れるので危ない。と云うのも洗濯は終了したのに干すのが2時間後のトイレ休憩の時とかになってしまうことがしばしば。今日は目覚まし時計を使って時間を守った。安芸市の訪問仕事を終え、高知市のはずれで仕事をして空港に向かった。息子によると17:45着とメールにあったが、空港に着いて確認すれば17:35に機は到着している。でも「着いた」と連絡が無いのは何故だろう?此方から電話をすると、「やっと着いた」と言う。妙な話。まぁそれはともかくとして、100円ショップに急いだ。スリッパを買う為。次に仕出し屋。高知の「サワチ料理」を取りに行った。息子と友人には高知の名物を食べてもらわないと、親心。これに、近所の友人とその兄を加え、合計5人で食卓を囲んだ。久しぶりの賑わい。おじさん達は、酔うとやっぱり説教になるのは致し方ない。二人の若者は、背筋を伸ばして話を聞いていた。今日の主役は日産自動車を退役した、友人の兄さんの話。特に海外生活が長かったので、如何にグローバルが重要なのか吹き込んでいた。僕がいくら口を酸っぱくしても理解してもらえなかったが、今回はインパクトがあったようだ。

8月10日(木曜日)
朝、友人に朝風呂を使わせ、朝飯を食べらせ、お帰りいただいた。それから掃除。今日はスケジュールが詰まっている。と云うのは、週末までに仕上げる仕事があり、自分も訪問活動を終えてしまわなければならない。半日内勤で、半日外勤。ところが、この外勤は大変だった。高知市内では「よさこい踊り」が街の随所で繰り広げられて、通行規制が多い。その上、地方車(踊りの音楽を流す大型トラック)と踊り子さんたちの移動バス。これらが道を塞ぎ、市内の走行は渋滞。通行規制で抜け道がない。しかし、訪問先はこのど真ん中にあるのだ。這々の体で、燃えるような暑さのなか訪問を終えた。帰ると報告書。食事はお弁当。「美味しんぼ」を2巻見て就寝。

8月9日(水曜日)
今日は、友人のお母さんの納骨の日。夕刻から、近所の人が集まって懇親会。僕も、高知市の友人も呼ばれ、午後5時に訪問した。今日は午前中内勤、午後から訪問活動と多彩な仕事を抱えていた。焦りがあるのか食べ物が喉を通らず、昼食はマクドナルド。iBooksを読みながら、コーラで流し込んだ。量は要らない、ゆっくりできるレストランで食べたい。こんな要望に叶ってくれるのは、コンビニの食堂か、ファストフードしかない(高知では)。仕事は予定通りに進んだが、真っ黒な雲が湧いて来て、土砂降りに突入。訪問先を屋根のある方に変更した。本来なら、明日混雑しそうな、高知の中心部にある得意先を訪ねたかった。だが、そこは屋根がないので、濡れてしまう。高知の常識として多少濡れるのは問題なしだが、びしょ濡れ訪問するのは、常識外。少し余裕を持って行動したはずだが、結局、法事開始時間の5分前の訪問となった。懇親は進み、6時半頃、僕にとってまずい人が来た。その人は、公の道路で車の修理を始めた人。僕は最初この修理工に親近感があった。しかし、すぐ近所の評判を聞いてから、妙に嫌悪感を抱くようになった。飲み会の席上でついそんな気持ちが出てはいけないと思い、この人の登場で、僕は退散した。今晩は時間があるから、ゆっくりできるわと思っていたら、高知の友人が夜の9時ごろ訪ねて来て、泊まらせろという。もちろんそれは大丈夫だが、それから1時間クダを巻いた、もちろんそれもいつものパターンで大丈夫だ。しかし今回は同じ話の繰り返しだった。

8月8日(火曜日)
台風一過の秋晴れ。清々しい空気が秋の気配。台風を追った風が吹き、扇風機なしでも随分と部屋の風通しが良い。朝の散歩で、よしみちゃんに会った。旦那さんが長期入院中で、自分一人分のご飯を作るのは嫌になってついつい適当に済ませてしまう。と嘆いていた。あんたは自炊をしているから偉い。僕は好んで自炊しているから訳じゃない。店では野菜が食べられないし、味が濃いからだ。自ずと自炊するようになるようなことを言った。そんな事で散歩の時間を食い込み、ショートカットで帰って来た。今日は根を詰めてレポートを完成させ、明日は外勤するのだ。と言うのも、明日はよさこい前夜祭で、夕刻からは高知の街はお祭りに突入するからだ。主だった得意先の訪問を終えておきたい思いがある。酒を飲んでないのに頭がボワァンとして計算ミスが多い。何度も振り返りながらの表作成なので、時間がかかるが、ついに午後5時完成。プールの支度をして出かけた。1.5km。今年からの累計では40kmを超えた。今月は行事が多いので、10kmを確保する事が結構大変だと思う。毎日夜は布団に倒れこむような寝方をしているが、今日もそのパターン。

8月7日(月曜日)
雨は50mm位降っただろうか?テレビ放送が余り脅かすので、雨戸も閉めて、厳重に備えたのに肩透かし。ゴミを捨てるついでに波を見に行った。車は4駆なので、少しだけ砂浜に入った。普段より幾分陸側で波が打っている感じ。しかし全く迫力がない。昔の台風はこんなんじゃ無かった。台風が近づく前から大きな波が打ち寄せ、その振動は我が家の風呂の窓を揺るがせ、僕の部屋からは、水門に当たる波が見えたものだった。波が増幅される赤野の港にも行ったが、こちらも、こんなものか程度?栃木の昔の仕事仲間、K氏からお見舞いのメール。「子連れ狼」だと返信。わからないようだから、解説も入れた。「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん」つまり梅雨のような雨という事。ついでに、この歌詞に疑問ありと気づいた。小さな子供に、「刺客」の意味わかるのだろうか?仕事は内勤。昨日の疲れが出ていて、何度もこっくりを繰り返した。自宅勤務はこう言う点が良いですね。昼間サボった分だけ夜頑張ったが、9時半に限界。倒れるようにして布団へ。

8月6日(日曜日)
台所から風呂場に続く廊下は幅1.5m×8m。ここに箪笥が3個並び通路を半分にしていた。父と母の衣類は処分したので、今日はタンスをゴミ処分することにした。昔の箪笥は重く、引き出しを除いても手に余る。それで、のこぎりでタンスを3分割~5分割し、小口とし軽トラックに積み込んだ。車1台分あった。これで、廊下がすっきりとして見晴らしが良くなった。他にも部屋の掃除や、気になる草の除草などを行うと一日が終わってしまった。読書には至らず。まぁ仕方ない、息子が友人を連れて帰って来るから、あまり見苦しいのは避けなければならない。ぼろ家はぼろ家なりに清掃が必要だから。結構クタクタに疲れてしまい、映画も見ず、9時過ぎには就寝。

8月5日(土曜日)
朝から昨日の仕事の続き。今週から、全国集計の業務があらたに加わり、余計な時間を要求される。午前中を要した。昼ご飯に、カッパ市場で買った弁当を持って砂浜へ。一昨日の高波は防波堤まで届いていたが、今日はいつもの波打ち際で波がチョロチョロしていただけ。今回の台風は、レーダーで見ると大きな目が明確で、いつもは点レベルなのに、今回はその数倍もの大きさ。異常気象は確かに起こっている。気象庁は、50年に一度の豪雨だと奄美の雨を評価してたが、何十年に一度はもうやめたほうが良いだろう。福岡の豪雨でも数年前に一度起きている。何十年ものの豪雨が5年後にやって来たのだ。奄美は何度も行き土地勘があるが、ここも、僕の記憶では大雨災害で国道が寸断される豪雨が発生している。50年も経過してない。8月の雨量としてはとか条件付きの言い訳をしているようだが、そんなことはどうでもいいではないか。台風が居座ったからだとかの理由よりも、1時間に120mmも降る雨の異常さを何故深く追求しないのだろう。気象庁へのツッコミはそこまでとして、今日は快晴で洗濯。布団も干した。だが、布団はどうだったかな?我が家は海岸から1300m以上は離れているが、目で感じない塩霧が飛んで来ているみたいだった。本格的な台風シーズンだと窓がべっとりと塩で白くなるから、今後は要注意。5時まで仕事をして、畑を叩き、高知市のプールに行く。2kmを泳いで打ち止め。二日連続だと少ししんどい。高須の飯屋さんで夕食を食って帰宅。雲行きがあやしいが雨は降ってない。「美味しんぼ」を2本見て就寝。

8月4日(金曜日)
吉野川沿いを登りながら、訪問先を訪ねる。このルートの魅力は沿道の農産物直売所だ。もう、桃がある頃だと踏んでいたが、ぶどうと、桃があった。パック売りなので、袋に詰めて持ち帰るだけ。桃は2つで480円、ブドウは巨峰一房が560円。デパートの半額ではないかな?ついでに弁当を買って馬立の反対にあるパーキングエリアで食べる。徳島県は快晴。山一つ越す高知県側は雨。台風の風が四国山脈にぶつかり、風向きによって雨となる。そのパーキングは丁度、雨雲が抜けた後で快晴だった。外は暑いので、仕方なく車の中でいただくことにした。須崎、佐川と回って、お風呂やさんへ。1.5km泳いで食事をして帰ると20:00。そこから、23:00まで報告書やら承認やらで随分と時間がかかった。限界が来て、ダウン。残りは明朝処理することにしよう。寝る前に、アマゾンビデオで、「美味しんぼ」を1本見る。話がストレートなので、鬱屈が晴れる。

8月3日(木曜日)
香川県、徳島県へ遠征だ。月明けから仕事を詰めてやってきたので、少々お疲れ。そこに、例の南国インターから馬立パーキンエリアまでのノンストップ運転が立ちはだかる。このルートの国道は根引峠を越えると言って、字のごとく急な坂で、高速道路も同じ高度を取るから、正にハードルが高いと言うわけだ。今日は、濃いお茶を買って、眠くなる直前にチビリチビリ飲む事で難を回避した。坂出で仕事を済ますと、もうお昼だった。普段だと、ウドンとなるわけだが、妙に今日はその気分でなく、マクドナルドでフィレオチキンセットとなった。暑さのせいで、冷たいコーラーで流し込みたい気持ちが優った。高松で仕事を終えて鳴門に向かった。もう梨の直売がある頃だ。国道の出店を探していると、1軒だけあったが、仕事済ませて、帰りに寄るともう在庫が無かった。残念台風の影響か徳島は澄み切った空気にジリジリと照りつける太陽が痛かった。何もかも焼きつくすような気がしたが、道路標示の気温は31度だった。これから10度下がると、結構寒い。この暑いのにエアコンはご苦労さんだ、大丈夫かなと心配したが、機械物はこの程度の気温では変調を来さないだろうと思った。今日のホテルは徳島はグランドホテル。格の高いホテルだが安い部屋が空いていた。冷房がキンキンに効いて誠に気持ちが良い。惜しむらくは、インターネットが使えないこと。夕食のセットメニューがあれば良いが、無いこと。それで記憶を頼りにワインの店を探したが、見当たらず、普通の居酒屋さん。徳島は鳥料理が有名。もも焼きを注文したが、これは凄かった。ケンタッキーが赤面しそうな味とボリューム。ちなみに四国のケンタッキーの店数を調べると各県3店。高知のみ2店。まぁ徳島に限らず、四国は各県に地鶏があって、住民はケンタッキーが割高だと思っているようだ。


8月2日(水曜日)
胃の調子が冴えない。内勤業務の日はいつもそうだ。夕刻買い物に出かけるだけでは、食事と消化のバランスが良くないかも知れない。7月のお盆の以降、料理の余り物を冷凍してそればっかり食っていたのも原因だ。ここらあたりで、船の傾きを復元しておこう。取り返しがつかなくなったら元も子もない。と言うので、今日は久しぶりにカッパ市場を訪れた。赤飯と、豆腐の和え物を買って昼食。夕食には、とうやくの刺身を買った。さらに夕刻スーパーで、トロガツオとホタテのヒモを買った。白菜のサラダには、ヒモを。黒ウリにはトロガツオ。とうやくには、自分で漬けたキュウリを添えて、まぁ野菜が多い夕食となった。でも、一人で食べると直ぐに腹が膨れ作ったモノは半分冷蔵庫にしまった。こんなもんかな、年老いたおじさんの食事は?後1年半で簡単な農作業をするつもり。毎日体を動かせば、胃もたれは回復するかも知れない。それまで、なんとか身体を動かす時間を作り健康を維持しなければと思う。台風接近で波音がここでも聞こえるようになった。風もそよ風より強い感じで、扇風機は不要だった。最高気温は31.4までだった。

8月1日(火曜日)
ピーカンの晴天
誰もこないし、電話もない。耳をつんざく蝉の声と、場違いな鶯の鳴き声。遠くからキリギリスが聞こえる。昨年は家の前の草ぼうぼうの畑から聞こえたが、今年は、我が家の近辺草が生えている畑や岸はないから、遠くの放置された畑でしかキリギリスは働けない(キリギリスは働かず遊んでいるか)。抜けるような夏空に一人で向かい合っているこの感じは実にいいなぁ。仕事は窓を全開にして扇風機を回すと十分な涼が得られる。PCも横の蓋を開けて扇風機の風を直接当てている。大阪時代に暑さを我慢してエアコンを入れず、PCを使っていたら突然パンクした。あの過ちは2度と繰り返してはならない。今日は、データと孤独な戦い。メールには一つだけ朗報があった。ボーナスが支給される。気も狂わんばかりのデータ処理作業に、会社は報いてくれた。約1ヶ月分の支給だ。民間企業の今夏ボーナス平均は368千円だから、定年後の余暇で働いて、そこそこもらえるからありがたい。何を買おうか?ウォークマンかな?それとも、カレーを作る調理器かな。全部使うと両方買えるぞ。などと、夢を見ながら過ごせるのが楽しい。この夏空は良い兆しだ。

7月31日(月曜日)
一事が万事
今日NHKの番組で「栄和人」の特集を見た。女子レスリングのオリンピック金メダル獲得者を複数名にもたらした功労者。女子寮の部屋まで覗く。布団が畳めない子に、技なんか覚えられない。というのが持論。実は今日は同じ事を経験した。ある量販店を訪問したのだが、この店はいつ訪問しても、なかなか話を聞いてくれない。忙しいならまだしも、コンピュータを見て紙の伝表をくっている。いつもそうだ。今日は大事な話があったので待っている事1時間。その間来店客はなし。それでも話を聞く時間がないらしい。まぁそれは相手様の事情だし、何にも文句を言うことはないが、1分や2分、今日は忙しいからダメだとか、後、何分とかあっても良さそうなものだと思うのだが。実は、この店は、私の担当している商品が非常に不振なのだ。店の展示も荒れている。私の担当する商品だけでなくて、他の商品もきっと悪いのだろうと漠然と思っていたが、今日のテレビを見てそれは確信に変わった。他のメーカーさんからもいいアドバイスは与えないだろうし、多分訪問頻度も極端に低いはずだ、ジリ貧の悪いスパイラルに落ち込んでいるのだろうと思う。販売不振は、結局値段でもなく、展示方法でもなく、ただただ、そこに働く人の態度や気持ち(おんなじ事か)だけの問題なのだろう。なぜ売れないのだろう?多分こんな問題は、この店に限らず、あちこちで起こっている問題かもしれない。それは、でもどうして、そうなるか原因を突き詰めると、高齢化に関係しているかもしれない。高齢化はフットワークが悪くなるし、気持ちも積極性が落ちるし、余裕もなくなる。いずれ自分も高齢化の一翼を担う時が来る。気持ちが萎えてきたら潮時だ。

7月30日(日曜日)
午前中に家を掃除すればあとは読書の時間。日曜日の午後は読書の時間に当てられる生活習慣がついたようで嬉しい。読書は、音楽を聴くのと同じで、一ページづつページをくらなければ先に進めない。だが、今週で2回目でまだ身体が馴染んで無いのか、何度も居眠りしている。まぁいい。いずれこの半日で本を読み切る日も来るだろう。今日は一日中暑く、汗だく。Kindleだからページめくりで汚れる訳じゃないので安心。若いころ夏の海辺で本を読んでいた。その本はサンオイルと汗でベトベトだった。椅子の背もたれが、汗でべっとり濡れる。窓全開で32度。エアコンなしの限界温度。夕刻に買い物に出かけて、1万歩を稼いだ。重量のある塩を買ったので、自転車を押して行った。お盆の7月14日、庭の草は全滅していたが、あれから2週間で大きなものは20cmまで成長している。草枯らしの代わりに塩を撒く。除草剤は3200円、塩は4kgで480円。今夕は雨かもしれず、除草剤の散布は難しいし、庭の草は力草という名前で、葉が小さく、除草剤の液が定着しそうにない(除草剤は、液が葉に付着して、葉からの栄養分を根に下ろす、この栄養分に除草液が混入し、根から枯らすのが除草剤のしくみだから、葉っぱに液が付くのが重要)のも理由だ。風呂を焚いて、食事の用意をして1日を終えた。今日は人が訪ねてくるわけでもなく、電話が鳴るわけでもなく。蝉時雨と海風に吹かれて1日過ごした。定年後の理想的な生活みたいだ。早々に自分の部屋に引き上げて、アマゾンプライムのビデオで、マルタ・アルゲリッチとリカルド・シャーイのシューマン・ピアノ協奏曲を観た。ヘッドフォンで聴くと、床からの振動をマイクが拾い、チョット2流的な音。

7月29日(土曜日)
今日も仕事の日。午前中メール作業。午後資料作成。暑いが過ごせるのは風があるからだ。汗で下着のシャツが濡れる。それが渇く時に気化熱を奪い、結構涼しく過ごせるのだ。僕の過ごしている小屋の屋根を張り替えたためか、こちらも33度から上に気温が上がらなくなった。ここは山の中にあるので、風が通る。昔はクーラーなどなしに快適に過ごせた土地なのだ。(夜は虫が来るので戸を閉めてクーラーが必要だ)。6時にプールに出かけた。今日は芸西村の納涼祭。どちらを選ぶべきか正しい判断が必要だが、泳いだ後の気分良さを優先した。今月は12.8km泳いだ。本格的に泳げるプールが見つかったから、記録が延びるのも励みになる。帰って、CDを聞く。先日購入したB&Wのヘッドフォンの音質的な位置づけを探る。AKGのヘッドフォンは低域が出ないが、空間が再現される。B&Wは空間はないが、おゃと思わせる低域が出て来る。解像度は低い。ポータブルのCDから3Mプラグでデノンのポタアンに接続し聞いている程度の低い聞き方。光入力を持ったポタアンを購入することがポイントだが、何が良いのか不明。今度東京行きがあるので、その時購入か?夜は何かをするとしても30分程度なのでこのままで良いのかもしれない。

7月28日(金曜日)
来月は期日を決められた仕事があり、少しでも進めておこうと、宿毛市、四万十市へ出かけた。以前樹立した自宅から2時間ポイントを5分早めに通過して順調に距離を伸ばした。宿毛市で仕事を終えたのは12時半。帰り道にある、有名な焼肉レストランでカルビー定食。燃えるような、灼熱の、炎天下。スタミナが必要だった。四万十市で仕事を終えたのは15:30。帰宅の時間。3時間半の所要時間だから、これが仕事の限界。だが、どうも昼の食事が良くなかったのか、腹痛を起こし、ビオスおおがたでトイレ休憩。窪川で爆睡の10分。でも、高速道路は集団で100kmの巡航速度だったのが功をそうしたのか、18:30に帰ることができた。それなら、今日はおじさんところでご馳走になろう。帰りに寄って、その旨伝え、自宅に帰り車を置いて、自転車で出かけた。旧幼稚園のところで、いつもの女の人がいた。不気味なのは、深夜明かりなしに、この女の人がいる時もある。そんなこともあって、自転車には330ルーメンのライトを2個取り付けてある。これだと、かなり周囲も明るいので、急に女の人が現れることも無い。おばさんは、退院して順調に回復しているようだ。しばらく訪問してなかったから噂話を聞く。聞いて得になるようなことはない。単なる酒のあてだ。

7月27日(木曜日)
昨日の続きで資料作成とメール作業を昼まで続け、軽い食事の後、高知に出かけた。取引先が増えて、今では25店。以前この会社でラウンダーだけの仕事をしていた時でさえ26店だった。今では、同じ店数に、資料作成が2件。臨時が常時1件で合計3件、これだけでも半月くらいを要するのだが。と言う事で、今では寸刻の間も無く働くようになっている。先週の日曜日に、アナログプレーヤーSL-1015とレーザープレーヤーLD-919を修理に出した。昔一緒にテクニクスで働いた仲間にだ。技術はあるが、日程があやふやで、半年位は覚悟しなければならないのがキズ。でも、まぁ良い。僕がこんな状態だから、治って来ても使えないのだ。それに、梅雨が明けたのに突然の豪雨で除草剤が効かない、庭や畑の草取りに土曜日は忙殺されているから、余計に時間がない。寸暇を惜しんで出かけて、帰ってはメール作業。(昔、大阪担当のセールスをしていた時は、こんな感じだったが、あの時は若かった)特に月末は報告書が目白押し。僕らの仕事は報告書作成にかかっている。今日は中四国のメンバーのまとめもあり、9時まで要した。昨日と同じで昼間焚いたお風呂に入り疲れを癒した。身体がワタのような疲れを示している。こんな疲れは翌日まで持ち越す。

7月26日(水曜日)
ぐっすり眠ったが、お酒を飲んだ翌朝は、眠気が残っている。かと言ってお酒を飲まない翌朝は、眠さはないが、血圧が低いのか、体がだるくて、エンジンがかからない。どっちにしても、朝はくつうだ。食事をして早く高知へ帰ろう。でも、そんな訳にはいかない。青森の仲間が、少し重い課題をもって電話して来た。「詳しい説明がないものをどうやって理解すれば良い?各自が独自に勉強しろと言うのか?」確かに言い分は正しい、こちらは、いろんな機会があり、全容がわかっているが、地域に住む各人は、全容はおろか断片だって知らされてない部分もあるのだ。そんなやりとりが45分くらいあって、重い気持ちで食堂に上がった。ビュッフェ形式なので、主に野菜、卵焼き3切れを選択し、ロールパンを3個焼いた。ビュッフェ形式の食事は難しい。ついつい食べ過ぎてしまう。だからタンパク質系のものを抑えているが、あまり少なくすると、早い時間に腹が減る。それで、昼を普通の量頂くと、夕食時空腹でない状態になる。腹のゆとりが少なくなって、昼食はシビアに量をコントロールしなければならない。良く言う、歳をとるとあまり食べれなくなる状態だ。四国の高速道路は空いているから走りやすい。観音寺市付近で睡魔がやって来て、10分間休憩で爆睡。だが、少し行くとまたもや睡魔。今度はトイレ休憩でごまかす。自宅に帰るやいなや、夜遅くまで資料作成とメール作業。お風呂は帰った時焚いてあったので、ぬるめのお湯に頭まで浸かって疲れを癒した。
7月25日(火曜日)
今日は広島で会議。中四国のマネージャーだから、定期的な会議も必要だとの本部要請で行った。開催は13:00~17:00.朝早く宇多津からJRに乗った。広島駅に到着したのは9時半だった。取り敢えず会場に荷物を置いて、デオデオ本店へ、大原さんがいたらヘッドフォンを買おう。それから、タワーレコードでCDを買おう。時間があればBOOKOFFに行こう。と計画した。まず、デオデオ本店は場所が移動していた。試聴室が2つあり、一つはスピーカーの位相が狂った接続だった。デオデオにしては?もう一つの大きな試聴室ではB&Wの803D3が、エソテリックのCDプレーヤーとアンプで鳴っていた。音は太く、地に足が着いたような音だった。そこに大原氏登場。ヘッドフォンの要件を伝えるとパイオニアのヘッドフォンを紹介された。クラシックを聴くヘッドフォンを要望したが、デモ演奏はTOTOだった。低域の切れが良かった。次にB&Wを紹介された。こちらは艶があるが、低域の切れは良くなかった。しかし大原氏がお勧めするので、こちらに決定。次はタワーレコード。受付でクラシックの音楽はどこですか?「クラシックは扱っていません」との返事。仕方ないから探しているとコーナーはありました。バッハを探していたが見つからなかった。そこへ先ほどの店員が来て、「やはりクラシックのレコードは扱っていません」「ここがクラシック音楽のコーナーですよ」と教えてあげたが、理解できなかったのかそのまま去っていった。彼女はアルバイト風ではなかった。格差拡大の時代がやってきている。日本もこの大波に飲み込まれている。矢沢永吉じゃないけど、「這い上がらなければ死ぬよ、ホント」の言葉を伝えてあげたかった。彼も広島の出身だし。そこで、時間切れ、駅前のツタヤ家電に行って店舗を見た。おじさん向けではない。BDレコーダーコーナにBDのレンタルやセルが置いてあって、何が何だか。どれが、最新ソフト?それにメーカーPOPがないので、どれがどんな特徴なのか?4KでHDRはどれ?ちょっと見るだけは分からない。ニコンもキャノンもソニーも混在展示。ミラーレスとかは関係ない。結局ミーハー的な商品を雰囲気で売るやりかたなので、店のコンセプトと、売りたいものが一致してない感じを受けた。早晩この店は閉店する筈だ。ここを出ると、会議まで15分前だった。急げば5分。だが、大雨がやってきてコンビニに飛び込み傘を。しかし傘ではしのげない程の大粒の雨。時間ぎりぎりに到着。会議は、だらだらと意見交換し閉会。日ごろの不満もあってスムーズではなかった。お好み焼きで懇親会を計画したが、目当ての「よっちゃん」は5時半から、隣は予約が一杯。結構盛況なのだ。それで居酒屋で開催。3名が飲んで、3名が話を聞いた。少ししんどかったが、香川県まで戻ってホテルに投宿した。

7月24日(月曜日)
今日は先週訪問しきれなかった徳島の得意先の訪問。車の燃料が半分を切っていた。150kmは走らないと行けない。高知のガソリンは@136円。徳島だと126円以下。少々運転を抑えて徳島入りを果たす。ところが、徳島の田舎はガソリンの表示価格が無いので、さらに我慢を重ねて、都心に近づいた段階で価格表示あり、やっと飯にありついた感じだ。ところがこのモービルのスタンドは、給油に際し車の方向を指定する。ガソリンの注入口が右側だと言っても聞いて聞こうとしない。取り敢えず、向きを変えて、店員さんが来るのを待った。そして、こう言った「車の向きが反対です」だから、「さっき言ったでしょう、口はこちらにあると」。再び車を動かして、ホースの届くところに車を移動させた。普段なら、こんな店で給油はしないが、あいにくと燃料が底をついていた。僕として腹立が収まらない。「満タンですね」と店員「10リットル入れて下さい」と私。10リットルあれば、香川県までの山越えも出来る。向こうで給油しようと決めた。二度とこの店で給油はしないだろう。午後3時を過ぎると空が急に暗くなって、しばらくすると大粒の雨が来た。香川県境に近づくと雨は止み、香川県に入ると雨の痕跡はなかった。もう一つ徳島県で書く事を忘れる所だった。丁度昼ごろに徳島入りをした。腹が減った。うどん屋さんに入った。香川県なら、250円のうどんが500円。まぁそれはいいではないか。許せないのは、全く不味い味だ。店主さんが余りに低姿勢で愛想よく接待するので、食べる前には信用していた。もう二度と来ないぞ。今日の宿泊は宇多津駅前。夕食をホテルで摂りたいと計画していたが、一般はお断り。近くの居酒屋さんは閉まっていた。仕方なく回転寿司。時間が遅かったので、いい食材は品切れ。味は良かったので、取り敢えず満足。不都合が多い中で、小さな幸せを見つけた。昔、落合恵子が「スプーン一杯の幸せ」の著書を発行したのを思い出した。あの感じ。

7月23日(日曜日)
6時に起きて、昨晩最後まで観れきれんかった「海賊と呼ばれた男」の後半を見た。小説は時系列に書いてあるが、映画では1945年の終戦からの描写で、戦前は回想シーンで捕捉される。つまり時代が行ったり来たりする。だが、この小説を読んで満腹感があったので、映画での端折りは我慢の範疇に収まった。国岡鐡造演じる岡田准一は、店主の役割を無事こなしたが、実際のモデルである出光佐二のオーラは出てないようだった。松下幸之助とは直接話した事はないが、ビデオで何度も見せられた事がある。松下氏と遜色の無い大きな「器」の出光氏。これほどの器の人物を演じるのはやっぱり難しいと思いましたね。小説を読んで膨らましたイメージは、映像とぴったりだった。原作の描写力が凄いという事だろう。少し朝食が遅れたので、日記のアップデートも1時間遅れでスタートしようとしたが、友人が来て頓挫。結局スケジュールは2時間遅れで進行。午後2時に日記のアップデートが終わり、寝転んでジョージオールエェルの「1984」を読んだ。1/3までは退屈な体制の細かな説明で占められていて退屈そのもの。だがそれを過ぎると、躍動感に富む内容に一変する。Kindlle版で読んでいる。午後3時から、LDを梱包して、ヤマト運輸で発送した。少し時間のゆとりが出て来たので、LDのオペラを見るためだが、果たして時間があるのか。4時半から6時までプール。2km。大阪にいた頃、用事があって2kmで終えた時は何だか悪い事をしているようで後味が悪かった。あの頃は、最低2.5km。土曜日は3km~3.5kmだった。もうあの頃(58歳)には戻れない。今晩は酒を飲んで無いので、明日は血圧が低く、午前中はしんどくて動きが悪いだろう。

7月22日(土曜日)
食事の後ラジオ英会話を聞いて、台所を掃除し、メール作業を終えると12時だった。これから、除草剤を背負ってこの周りの我が土地に散布。午後4時に終了した。安芸市にお盆のお金の支払いと、夕食の懇親会用のお刺身を買いに出かけた。むろ鯵と〆サバを買って帰った。風呂を焚き友人を待った。友人は遅くやってきた。今日の議題は映画と本とどちらが楽しいか?本に決まっていると言うのが共通認識。結構これで盛り上がったので帰ったのは10時だった。風呂に入って出たのが10時半。実は今日「海賊と呼ばれた男」をレンタルしてあったので、それを見るつもりだった。原作は百田尚樹が本屋大賞を受賞した作品で、何度も感動した。だから、映画ではどこまでその感動が描かれているのか興味があった。1時間だけ見た。結構見せ場があって、見続けると興奮して眠れなくなるなと思い、途中で断念した。全く関係のない話を一つ。生れてはじめて、蝉の幼虫が成虫に脱皮するシーンを見た。子供が生まれるのと同じ神聖な感動があった。残念ながら、風呂に通じる廊下のガラス窓の向こうでのシーンで、このガラス窓が汚れていて、綺麗に撮影できなかった。

7月21日(金曜日)
朝起きると雨が降っていた。今日一日雨なのかな?ホテルの傘を借りてセブンイレブンへ朝食を買いに出かけた。ホテルを出発するときには雨が上がり太陽が出ていた。10時前訪問先の家電量販店がオープンする頃には夏の太陽が天上で燃えていた。何のことは無い、昨日と全く同じ天候だ。車のエアコンで流れる汗は出ないモノの、水気は体から抜けていくのが解るほどの蒸発だった。今日は帰ってからの作業があるので、ぎりぎりまでここで仕事をするのは得策ではない。午後3時過ぎに仕事を終えて帰途についた。藍住インターの手前で道を間違えて、15分ほど回り道をした。この時間帯は絶対に警察が速度取り締まりをしていると踏んで、高速道路で警察の潜みそうなところは速度を制限していった。2台のパトカーが見つかった。僕のノロノロ運転に業を煮やして追い抜いて行ったBMWは、僕の車との距離が十分でなく、パトカーは飛び出すことが出来ずこのスピード違反を見逃してしまった。残念。高知でひと泳ぎして、自宅に帰った。ひと仕事を終えて0時に就寝。

7月20日(木曜日)
まるで昔の1980年代に帰ったようだ。今日の宿泊は徳島市、白水苑さん。いつも宿泊する徳島サンシャインホテルは空室が無かった。このホテルは繁華街の真ん中にあり、飲みに行くのは便利。まずは宿に入ると、四角い棒の先に鍵がついたルームキーを渡される。懐かしの風景だ。部屋を開けると畳の部屋。ちゃぶ台があり、お菓子があり、湯のみがある。布団は敷いてある。ちゃぶ台の上には灰皿とマッチ。僕はここで、PCを開いてメール処理や、報告書を作成する。(この部分だけは昔と違うところ)そして、お金と携帯電話をもってフロントに降りる。ホテル支配人に食べどころを聞く。ホテル備え付けのパンフレットを開いて、案内してくれる。僕はパンフレットを手にその店を探す。こうして、80年代松下の勤務時代に地方に出張して、地方のホテルに宿泊した時と同じことを行っている。店は直ぐに見つかって、あまり大したことの無い魚と、グラタンのような店オリジナルを頂いた。9時過ぎ、その居酒屋を出ると、スーツを着た二人連れと出くわした。一人は早速タクシーを捕まえて乗った。一人は頭を下げてお見送りした。え、今時、飯食った後、タクシーで帰るのかよ?景気がいいんだな。そして、お見送りしたもう一人は、信号を渡って、ビルのエレベーターに乗り込んだ。4階までのビルで、そのエレベーターは4階のラウンジで止まった。え、これから一人で飲んで領収書をもらい、先ほどの食事代と一緒に処理するのかよ?(推測だが、目で見ているようにわかる)今でもこんなことが起きている。それって、30年前に僕らがやって来たことそのものだった。

7月19日(水曜日)
夏の太陽が顔をだした。朝はどんよりとした曇り空だったが、10時前から直射日光が照りつけた。地中に溜まっている先日の雨が一気に蒸発を始めたのか、水蒸気のサウナ風呂の状態になった。じっとしていても汗が吹き出る。歳のせいなのか、それとも異常気象なのか、暑さに体が耐えられなくなって来ているようだ。少々まではOKだが、我慢の限界が低くなって来ているようだ。車のエアコンは快調に冷気を吹き出し、エンジンも調子よく回る。それでも、太陽の熱波が車の屋根から抜けて来るようだ。都会なら、喫茶店もあるが、田舎はそれさえもない。駐車場の広いファミリマート(飲食できる店)を探すしかない。でも高知はローソンがメインで、ファミマは少数なのだ。こんな陽気のために、芸西村には海岸の松林の下に車を止めて、海を眺めながら昼寝ができる場所がある。運転中に、同じような環境地がないのか、よそ見運転で物色中。

7月18日(水曜日)
賭けにでること2つ
一つは、65歳を迎えて年金を止めませんか?通知に応じた事。止めると、70歳からの年金が増える事。年率8パーセントの運営をすると聞いた。82歳で転換点を迎える。それまでに死亡すれば、年金機構の勝ち。それ以降生き延びれば僕の勝ち。どうせ、今までも、年金をまともに貰った事がない。少々危険が伴うが、自分の生命力に賭けることにした。もう一つは、いつもの如く朝風呂に入っている。昨晩の残り湯は水で薄めないと入れないくらい熱さを保っている。つまり、12時間はお風呂のお湯は熱いままだ。と言うことは、今日も帰りは9時過ぎになるから、帰ってからお風呂を焚くのはしんどい。それで、朝出かける時にお風呂を焚き夜帰ってからでも、熱いお風呂に入れるだろうと試すことにした。昨日から、年間100kmプログラムに取り組んでいる。年間に100km泳ぐ事だ。それで、疲れ果てて帰るのに熱いお風呂は必須。昨日はお風呂のあるプールだった。今日はシャワーしかないプール。それでお風呂の温度はどうだったか?午後9時に帰り着き、熱いお湯が待っていてくれたのだ。あまりにも上手く行ったので怖かった。一方、昨日もだるくてどうしようもなかったが、今日も同じ。このだるさ病院で点滴が一番効くが時間がない。精力剤は心臓の負担がある。対処は仮眠しかない。山越えの道中で1回。目覚めた時は幾分スッキリしたが、少し運転をするとまたもや睡魔。仮眠の次策はマクドのシェイクが一番効くと思うが、高知でマクドを探すのは至難の技。それでスーパーに寄って、アイスティーと最中アイスを買って誤魔化した。不思議なことに30分後、幾分スッキリしてきた。

7月17日(火曜日)
月曜日はいつもの如くしんどい。今日は宿毛迄の往復340kmコースだ。車に乗るだけでも炎天下でしんどいのに、出先で仕事をして来るのだ。月1度の訪問なので、こちらとしても、相当パワーを入れてかからないと、弾き飛ばされてしまう。出発が電話で遅れたので、2軒しか回れなかった。それにしても、今日の太陽は凄い。行きに2度仮眠をとって、帰りに1回。それでも、帰りの高知市手前で睡魔が襲ってきてなかなかごまかせなかった。顔が張れるくらい引張叩いて、なんとか南国インターを降りた。遅くなったので、お風呂とプールを兼ねて、ながおか温泉へ。1km泳いでお風呂に浸かった。右の腕が妙に回転しにくくなっていたのは、草刈り機を振り回した影響だろう。今晩から、音楽を再生する機器を変更。SU-V100D+ビクターSX-500の組み合わせ。メインのSE-A3のシステムは熱が酷いので当分の間敬遠。ヂュトア+モントリオール響のロミオとジュリエット。1989年の録音。CDなのに、結構音が伸びて、コンサートホールが想像できそう。

7月16日(日曜日)
お盆も終えたので、父と母のタンスを捨てた。と言っても10数個ある内の一つ。日常使っていた布団も捨てた。これで風呂へ行く廊下がやや広くなった感じ。ついでに、この廊下はネズミが毎日出没し糞を垂れる道なので、この廊下に通じる天上付近の隙間を鉄板で塞ぐ作業を行った。しかし、それで完璧なのか不安。他にも、抜け穴があるかもしれない。根気よく穴を潰していこう。納屋の方のネズミは、ネズミの嫌いなバルサンを焚いた後、ピタッと止まった。多分真相は、それでネズミが逃げ出したのではなく、ちょっと住処を離れたタイミングに、ちょうどその頃から家に時々居座るようになった、猫に出くわし捕獲されたのではなかろうかと推測する。昨日も疲れ果てた、疲れたので、寝相が悪くなり、付近に置いてある布団掃除機を蹴飛ばしていた。寝相が悪いのは母からの貰い物で、娘にもきちんと遺伝している。そして、今日も昨日と同じように疲れている。布団の周りには何も置かないようにして寝よう。今日の音楽はオールマンブラザーズバンド。The 1971 Fillmore East 。これは名盤だ。レコード会社の意思に逆らって、ヒット曲に流れることなく、間奏を中心においた演奏だ。この間奏とは、全くJAZZと同じ感じがする。全曲聴くと6時間。マリファナなどを吸いながら聴くことを前提としているかもしれない。中心メンバーのデュアン・オールマンが亡くなる前のアルバム。これ以降、オールマンブラザーズは変わる。ピーターバカラン氏がNHKーFMで残りのメンバーの死をきっかけに特集を最近組んだ。その時初めて、オールマンブラザーズのすごさを知った。日本にも多くのファンがいるようだ。

7月15日(土曜日)
1週間かかって準備したお盆の準備を午前中に片付けて、昼からメール作業2時間。それから4時間を要して、沖のハウスの草刈り20アールを一気にやった。終わると手と腰がこわばって、車に乗るのが一苦労。帰ってお風呂を沸かす。汗でドロドロだったので、竹、中心の燃料とした。火力が強いので割と早く風呂に入れるのを期待して。洗濯物を取り込んで、お風呂に入った。その間わずか10分でモノになった。風呂から出るとどっと疲れが出て来て、昨日の残り物をビールで流し込んだ。腰も、指もこわばったままだが、布団の中で横になったままで、kindle8のミッションインポシブルローグ・ネイションを見た。どっちを向いても体が痛いが最後まで見てしまった。

7月14日(金曜日)
まだ完成してないお盆の準備。なすときゅうりを買って、お供えのメロンを買って、国際コンクールで一位に輝いた、芸西村の日本酒を買って帰り、父と母のお供え物を作り祭壇に上げる。このタイミングでお寺さんが来てくれた。セミが鳴き、お経と鐘の音が響くと、これが日本の正しいお盆だなと思う。近所や、赤野の親類がやってきてお参りをしてくれる、彼らは赤野で夜、お盆の催事があるので、こちらは昼間の訪問となったのだ。お盆は、亡くなった人の為と言うよりか、近所や親類の定期的な行事の様相が濃いので、できるだけ華やかにしなければならない。懇親会用に200リットルの冷蔵庫一杯に70本のビールをギンギンに冷やしている。まぁまぁの評判の皿鉢料理を10皿注文した。今回の料理は、ウナギのメニューを入れておいたので評判が良かった。自作の料理も出すつもりでいたが、仕事が忙しくて到達できなかった。日本酒はゴールドのラベルを貼ったままにしてあった。
方が旨いと評判だ。味なのかラベルなのか?酒を飲むといろんな話が聞ける。アル中の話は、逃げ場のない人がなりやすいと言うのは結構教訓。僕のハウスの北側に立てているビニールハウスは反5000万。この内補助が3割だとか。どうやらこの辺りの猫のボスは黄色と白の紋のある猫だとか。

7月13日(木曜日)
晴天。夏空が広がり、気温は高いが、蒸し暑さはない。汗をかくと下着が濡れる。それが、そよ風が吹くと気化熱を奪い結構寒く感じるのだ。芸西村は、平野部が少なく海洋性の気候だから、どんなに暑くても、海風の所為で気温はある程度に抑えられる。もちろん直射日光下では全然違う話だが。回りくどい話をしよう、今日は内勤仕事の仕上げの日。結構緊迫した時を過ごしていたが、体や頭も結構冷えていた。でも、お年のせいでしょうかね、それとも、長時間の緊張が緩んだせいでしょうか、今日は午後8時がやってくると急にこれ以上は無理と信号発生された。ここで無理をすれば、精神のリカバリーが難しいのは過去の経験から学んでいた。8時半に仕事を終えて、お風呂へ。急に透明になった井戸水は不気味だが、ぬるめのお湯にして、潜る。しばらくすると、下からお湯が沸いてくる。外に出て体を洗った後、再び熱いお湯の中に浸る。とまぁこれを繰り返し、気持ちの良い時間を過ごす。気持ちの良いぶんだけ疲れもあって、10時前に就寝。仕事は98%完成しているので、気持ちよく寝られる。

7月12日(水曜日)
Kindle Fire8にぞっこんだ。あまりにも刺激的で、日記を書くことも出来なかった。と言うもの、音楽の聴き放題は、Apple Musicですでに体験済みだったので、今更アマゾンでもないだろう。ところが、ビデオも見放題となると話は別だ。マルタ・アルゲリッチ「チャイコフスキーピアノ協奏曲」がプログラムあった。全曲見るには時間が遅すぎるので触りだけ見た。閉じる前に、アマゾンらしく、候補のプログラムがどわっと出てきた。ヘレン・グリマウドの「ラフマニノフP」もある。これはたまらんわ。しばらくは、仕事が遅く、寝る前に少しだけ生活だが、月半ばには解放される。そうしたら、読書時間を放棄しても、見てしまいそうな予感がする。梅雨時なので草は生えるし、除草剤は効果がないだろうとしばらく中断していると、沖の田はとんでもないことになっている。墓に行く道は笹が溜まっていて、その上を歩くと滑る。ここも清掃しなければ。「仕事、アマゾン、草、」忙しくて、どうしようもない程だ。更にもう一つ、CDは金ラベル、赤ラベル、緑ラベルを貼ってクラス分けをしていたが、車に積んだままのCDに緑ラベルのジョージアダムス・ナイチンゲール盤があり、下らんと思いながらも、繰り返しかけている間に、少しはいいかな?とおもいだしてきて、更に聞いていると、結構な演奏じゃないか!などと評価が変わってきた。こちらの心境もあるだろうし、繰り返した回数も関係し、下らんCDもチェックすべしとなった。我が家のメインのステレオは、最近音楽を演奏すると、語りかけてくるような再生をする。聞き流しができないような緊張を生むのだ。それで緑ラベルCDをチェックするとなれば、演奏時間だけの時間が必要だし、心構えも必要になり時間管理については、もうどうしようもなくなっている。

7月11日(火曜日)
Kindle Fire8が届いた。\12.000円。寝るときに電子書籍を読んでいるが、これが実によろしく、眠りに誘われる。と、言っても、毎日倒れるようにして布団に入るから、本を読む時間は少しだけれど。今は、ホワイトペパーの5インチ。モノクロ。カラーの書籍を買うときもあるだろうし、アマゾンプレミア会員の特典を試して見たい興味もあったので購入した。びっくりしたのは、WiFi設定をすると、あなたは岡村さんですか?と聞いてくる。Wi-Fiのナンバーがアマゾンに保管されていて、それで認識をしたと思う。とにかく設定不要だった。後は、英語で色んな設定などを問いかけてくる。中に入ると、日本語の説明になる。概要は英語とはっきりしている。まぁ辞書なしで読める英語しか使ってないのだが。それで、「007」少し見たら、なんとステレオスピーカーで、結構サラウンド感があり、びっくりだ。午後9時半メールも届いた。8月は、さらにもう一つ、仕事が増える。僕は担当地区も持っているので、事務に使える時間は限られている。会社支給のノートPCは遅いので、自作のディスクトップPCで作業をしている。結構余裕のない世界にいるのだ。それにもう一つ押し込もうと言うわけだ。暑い8月になりそうだ。話は戻るが、読書は趣味の一貫で、Kindle を買ったが、見る時間がさらに少なくなりそう。1日10時間以上働いて土曜日はない。手取りで22万円。年金は年間70万円のカット通知が届いた。いつまで続けるべきかな?

7月10日(月曜日)
だるい。いつまでも寝続けていたい気分。だが、そんなわけにはいかず、起きて雨の来ぬまに、お盆の水棚のテントを張る準備を行う。テントは雨対策よりも、太陽で、檜の葉が焼けないようにする目的のもの。プラスティックの棒を数本づつ納屋から取り出し庭に持ってきた。ここで、シマヘビに遭遇。昼の休憩時間にお金をおろしに行った時にも、黒い蛇にあった。今年は蛇の当たり年だろうか。だるいのは朝だけかと思っていたが、昼飯を食べても一向に変わりなく、お風呂を焚く元気も、夕食を作る元気もなく、車で安芸市の中華レストランへ、風呂も。いつもは風呂の中で歩くのだが、とても今日は出来そうにない。このだるさは、一昨日の水泳の影響だろうか?それとも、先祖様の懇親会で酒の飲みすぎだろうか?メール作業も本日は9時で切り上げ、自分の部屋に引き上げた。寝るまでに聞く音楽は、気分が高揚しない、Karl Böhmのモーツァルトを選んだ。黄金の取り合わせ。昔、ショウルームで働いていた時、結構な年をお召しになった、おばさん社員さん(今考えれば40才位で女盛りだが、僕にはおばさんに映った)が、こう言った。「グラムフォンのレコードは難しいよ」この言葉は、ずっとそれ以来、僕につきまとった。それと決別できたのは、定年も過ぎて、高知に腰を落ち着けて、マルチチャンネルが一応の完成域に近づいた時の昨年辺りだ。それまでの1年半に最高の音響ルームでテクニクスの最高の音を聞き続けたので、耳が肥えて、マルチチャンネルの設定ができたからだ。いまでは、ウィーンフィルのキレの良い音が響いている。別の日にサイモンラトルが、最近モーツァルト交響曲を吹き込んだので同じ曲を聞いたことがあるが、力強く、最新のCPUでバリバリと情報処理をするPCのような感じ。電卓と手書きの表書式との差を感じた。

7月9日(日曜日)
本来ならゆとりのあるはずの日曜日。でも結局本を読む時間もなかった。原因はお盆の準備にあり、そのために疲れた。今週末はお盆だ。父の火揚げと母の初盆。親類や近所の目があるので、家の周りは疎かにできないし、家の中は更に隙のないように入念に清掃や片づけを施してないと、「やっぱりね」と烙印を押されそう。庭木、垣根の手入れから、雑草の処理、自宅の駐車場から見える田畑や岸の管理。入念に行えば行う程、見栄えは良くなるが時間は過ぎてしまう。早めに作業を終えて、夜ゆっくりしようとしたが、スーパーで買い物をするときに近所の人にあって時間を食われた(今は農閑期なので、彼らも時間があり、下らんことを話す時間があるのだ、もちろん奥さん連中だけど)。いつもの時間に食事を終えた。シアタールームはお盆の宴会用に変更したので使用できず、自室にこもって雑誌をめくるも、数ページで疲れのためにダウン。

7月8日(土曜日)
あきひら君がトラクターを借りに来るので、僕は慌てて、西谷ときまさごと西の田6枚を叩いた。叩いている途中によしみち君が来て、4駆を確認してくれた。彼は、太陽が出て来たので、今日の仕事はやめたと言っていた。ビニールハウスの中で仕事をするには50度の温度に耐えなければならない。僕も昨年ビニールハウスの片づけを行ったが、3時間で2リットルの水が必要だった。昼までに終えた。梅雨に入り、草木の伸びが一段と活発になったので、田畑の草木には早めの対応が必要だ。午後から、メール作業。各種申請もある。6時半に止めて出かけた。高知のプールへ。2km泳いだ。もう少し頑張りたかったが、8時45分閉館なので断念した。年間100km目指して開始だ。プールから上がって柔軟体操をしようとしたら、管理人のおじさんが話しかけて来て、ここはお客が少ないからねぇのこぼしていた。習志野の国際プールでも50mはこんなもんだった。と伝えてあげた。色々と他にも病気の話しや歯医者の話が出て来た。僕も帰りの都合があるので、途中で話を切らしてもらった。レストランはラーメンとハンバーグと焼き肉。選択肢は限られている。スーパーに寄ってお惣菜を購入し、自宅での食事となった。夜遅くなったので、腹が減っていても、量は少な目で我慢した。もうこの年で人生に我慢は不要だが、食事の我慢は必要だ。

7月7日(金曜日)
先祖様のお墓掃除
近所の岡村さんが集まって先祖様のお墓掃除。今年は僕が除草剤を何度も蒔いておいたので、非常に楽だった。集まったみんなは早く終わるかもしれないと、おしゃべりが多かった。新参者の僕はひたすら清掃に勤めた。特に落ち葉はすごく、手でかき集めても、地面にへばりついている葉は取れない。来年の作業を軽くするために、落ち葉をかき集める道具を探しておくべきだろう。ここまで書いて思い出した。午前中は眼科医へ行ったのだ。検診の結果、緑内障の予備軍ではあるが、一年ほど様子を見てから判断しましょうとなった。近眼の人は、緑内障と判断されがちでもあるとの事。取り敢えず安堵した。墓掃除は、体の中の水を搾り取った感じ。この辺りのお百姓さんは、そんな事でこまめな水分補給などしない。これが終われば大量のビールを飲むからだ。僕も同様。2時半に終わり、3時半から宴会が始まると言う。今回の幹事はよしみち君だ。その人の家に上がり込んで、サワチ料理をつつきながら酒を飲む。この宴会で僕は大いに笑われた。トラクターの4輪駆動の話になり、ウチのトラクターは2輪駆動だから、「きまさご」のぬかるみでスタックする。と言ったら、「何言うがぜよ。おまんくのトラクターも4駆だ。切り替えは左の下にある」と詳しく教えてくれて、ついでにデフロックも。「そうかよ、全然知らんかった」。「耕す時は4駆にしちょかんと怖いぜよ。爪の回転でトラクターが走るかもしれんから」。「そうそう、変速機が壊れたと思った時がある」。と、トラクターの講義を受けましたね。百姓さんは利害が一致しない限り親切。そのあと、利害の絡む、ややこしい問題を言い出したのは、としあき君。下のしゅんすけの息子が道路で車の修理を始めた。ありゃ違反だ。視界が遮られ危ない。僕もそうだと思うと同調した。そうしたら、よしみち君が、そう目くじらを立てな、お互い様じゃ。少しスピードを落として、出れば、問題ないろうがえ。と言えば、僕もそれもあるな。僕はそんな二人の間でフラフラして酒を飲んだ。その後、よしみち君の個人的な話でて。娘が、仕事が辛いらしく、帰ってくると仕事の愚痴ばっかり言う。「それは聞いちゃり。解決策はいらんきに、聞くだけでえいきに。それが親の勤めでよ」。と僕。「あては、聞かんばっかりに大きな失敗をした」。と言ってあげた。まぁ5時間も飲めば、いろんな話が出て来る。一旦家に帰り、万歩計が10,000歩をカウントするまで学校までの夜道を歩いた。帰って風呂。お昼にお風呂を焚いておいたが、まだ水で薄めて入った。

7月6日(木曜日)
報告書が完成する日。それで、少し早く仕事を終えて飲みに行こうと計画した。昨日出来なかった、誕生日のお祝いもしようと。息子からおめでとうのメールだけじゃ寂しすぎる。ところが、世の中は上手く行きませんね。報告書の修正が出かける前に届き、それを行なっているうちに、更に修正が届く。結局これを仕上げていると、外は暗くなっていた。プロは的確に応えてこそプロだ。と気をとりなおした。冷蔵庫のあるもので、夕食を作り、先日買った、チリのワインの残りで仕上げた。明日は休みを取って、と言っても先週土曜日の代休だが、眼科へ行って来よう。緑内障の疑いがあると検査で出ている。ところが、同僚から電話があって、会長の指示の仕事を手伝ってくれと催促。ゆっくり休んでいられない。仕事から離れられない泥沼に入って行くような気がする。それに明日は、先祖様の墓掃除と大塚様のお祭りを近所の5軒と執行わないといけなし、夜はその打ち上げで、大酒を飲む。どう時間をやりくりしたら良いか?いま考えられるのは、医者では待ち時間が多いはず。その時間を利用してiPadで、同僚の依頼の構想を練り、Numbersで概略を作る事だ。寸刻の猶予もありません。

7月5日(水曜日)
今日は、いろんな事があった。まずは誕生日を迎えた。年金の受給を遅らせるのかどうか選択するハガキが届いた。受給を遅らす事で、金額が増えるらしい。何年先が分水嶺だろうか?次に、以前一緒に酒を飲んだことのある人のハウスの前を通り、挨拶の後に水耕栽培を見せてもらった。話ぶりから非常に難しいバランスの上に成り立っているようだ。特に、肥料のやりかたは成分の配分がポイントだが、神業で調合しているみたいな感触を得た。木を見せてもらうと、ビックリするような実のつき方だ。父もピーマンの栽培では、相当な腕があったと思うが、そんなの比じゃない実が付いている。しかも、床がフラットで土ではないから、スリッパで作業ができる。農作業の汚さは全くない。木そのもにダイレクトに栄養が行き渡るから、木が強く、消毒なんかは、3ヶ月に一度位だとか。土を作るのは必要がないので、経費は土壌栽培に近いところにあるとのこと。ただし、彼自身が相当器用な人で、ハウスや、水耕栽培の器具などを自作しているようなので、普通の人が行うと、かなりの経費高になってしまうようだ。なかなかマネのできる事ではない。企業が水耕栽培で赤字を重ね退散している記事を多く見かけるが、ここに鍵があるようだ。こういう話を聞くと僕は燃える、「僕でも出来ない事はない」、と。しかし、今、興味が多方面に及んでいるので、これ以上時間を食う興味や仕事はご法度だと思った。又機会があれば、こんな人とお酒を飲みたいものだと思った。次に、福岡の友人の事。彼の家は福岡県と大分県の境にある山国川のほとりにあるので、被害が及ぶ一歩手前だ。国土交通省のレーダーサイトと、川の水位をライブカメラで見る方法を教えてあげた。この2つをチェックしておけば、まず間違いのない判断が出来るはずだ。彼の住んでいる山の方は、紫色の雨マークが長時間付いている。高知は、一雨1000mm以上降らないと被害は出ない地区だから、少々の雨では問題ないが、他の地方はそうはいかないだろう。更にもう一つ、井戸水が濁ると地震の兆候。土砂崩れの兆候だと言われるが、我が家の井戸は、今日から突然に、井戸水が澄んだ。いつも緑茶のような水が、水道水のようになった。これは、どう判断したら良いのだろうか?

7月4日(火曜日)
朝日に始まって夕陽に終わる
朝は太陽が出ていた。朝の太陽は北の窓から光が差し込む。もちろん冬は南の窓から太陽が差し込む。庭木を剪定して7時の朝食の時は、もう空が真っ黒になった。大雨の前兆だ。急いで風呂の屋根に登り詰まったトイの掃除を行なった。掃除が終わる頃には雨が来た。僅か10分の間の出来事。それでニュースをつけると、北朝鮮のミサイルと台風情報を交互に放映していた。北朝鮮は崩壊するだろう。最後のあがきをしているようだ。国を守るための地に足をつけた統治を行ってない。ローマ時代の昔から、民に向かった政治をしなかった国が栄えた記録はない。9時前に職場に向かう頃には雨は止んでいたが、芸西村にも緊急避難情報が携帯に飛んで来た。風もなく雨もない。これで避難しろとはちっと早すぎではないか?1時間後、安芸市、その1時間後香南市と続き、携帯が鳴りっぱなしの感じだ。昼飯を食って昼寝をしてから再び職場。やっと雨風とも酷くなり、台風が来た。30分で通り過ぎて夕刻は太陽が顔を出した。あっという間の出来事。確かに1時間も降り続ければ、50mm程度の雨だったろう。しかし土砂降りは10分位。雨の被害は出ようがない。買い物に行って、風呂を焚き、メール作業を行なって7時半に仕事を終えた。カレー粉だと思っていたルーのパックは、クリームシチュウのパックだった。賞味期限が今年の1月だった。半年ばかり遅いが。丁度牛乳を買って来たばかりだったので、決行した。ハゲの身が3割引だったので、これはこんにゃくと人参、生姜を入れて圧力鍋で煮込んだ。コンニャクは圧力鍋だと味が付くのだ。たっぷりのお湯で入浴。ヌルめのお湯で本を読んでいると、じわじわ温度が高くなる。これが実に気持ち良い。

7月3日(月曜日)
今日から午前7時までの早朝、家の周りの雑木を整理し始めた。切り倒した木を風呂釜の焚き口に入るように短く切って、コンテナの箱に詰める作業だ。小さな枝は腐るが、大きな幹は腐らないので、畑に放置したままだと風景がよろしくない。1時間の作業だが、汗でびっしょりになる。朝食の前に風呂に入る。昨晩焚いた風呂はまだ熱く、十分役目を果たしてくれる。風呂から上がるとグッタリと疲れている。新聞を開く前にネットのチェック。過って、レコード芸術のページを開き、昨年のアカデミー賞のページが出て来た。モーツァルトのツィーマーマンが録音賞を獲得してたのに目が止まり、ハイレゾを購入。(eオンキョウ)WAVファイルなのに、アットワークが付くのを初めて知った。それで、取りあえず少しだけ聴いたら、これが当たりで、バイオリンのトリオの緊張した息のあった演奏を楽しめた。聴き込めば、もっと奥深い演奏が込められていると思う。音楽も映画と一緒で、1回目と数回目の音や演奏は違って聞こえる。それで、夜。今度は本格的に聴き込んだ。実にいい。目を閉じると、彼らが一生懸命に目でコンタクトをとって演奏しているのが見える。濃厚な演奏だ。音の襞はやはりハイレゾでなければ再現出来ない部分もある。ある程度聴き込めばCDでも、音に想像の演奏を付加して雰囲気を味わう事は出来るだろうが、ハイレゾはいきなりかなり深いところまで到達できる。

7月2日(日曜日)
朝から友人きたる
7:30ですぞ。食事は終えたがまだ新聞は読み終えてない。ラジオ英会話もまだページすら開いてない。用事はないから、よもや話をして9時前に帰られた。この時、高知にも習志野でお世話になったような本格的なプールがあるらしい情報を持ってきてくれた。しかも料金は500円だとか。昨日は部屋を徹底的に磨き上げたから、今日は日記のサイトアップだけだ。食後2時間だけメール作業をして、プールに出かけた。料金は330円。50mプールで、深さは140cmに底上げしてあったが、底(仮)を外すと220cmもの深さになる感じだ。水温は27.5度で入るには勇気が必要。しかし、利用客は少なく、水は澄んで泳ぎ易い。今日は抑えて1,500mだったが、次回から2kmに上げよう。今まで通っていた長岡温泉プールは水温も高く疲れも激しかったし、レーンが狭くスピードが出せなかった。ここなら思い切り泳げる。年間60km、半年で30km位がせいぜいかなと諦めていたが、100kmも夢じゃなくなる。僕の生活の安定は、音楽を聴ける環境と、本を読む椅子と、通えるプールがある事が基本だから、高知での本格的なプールなしは片翼飛行みたいなもんだった。(安芸市の海岸に消波ブロックで区切られた海があり、ウエットスーツを買ってここで泳ごうかとも計画をしていたところだった)これで完璧になった。やっと高知に根を張った感じだ。太陽が出て来て気温はぐんぐんと上がったが、それ程暑いとは感じず、車もエアコンなしで十分だった。おばさんのお見舞い。来週退院との事。病院は飽きたと言っていた。何もせず同じ景色ばかり見ているとそうなんだろう。母も帰りたいと何度も言ったが、晩年は対応しなかった。と言うか出来なかった。でも、その気持ちを汲んであげる事が出来たら良かったのに、お世話の大変さが先に立って、そこまで入って行けなかった。回復しない病気とは言え、母の死には大きな後悔を持ち続けている。帰り道、外食。ウドン。激しい運動の後うどんか?疑問もあるが、肉と野菜のバランス良い食事が出来るので、良しとしよう。夜9時から1時間だけメール作業。
7月1日(土曜日)
昨晩の激しい雨で何度か目を覚ました。夜中に目を覚ますと寝付けないことがままあるが、雨の音ばかりは関係ないらしく、いつの間にか寝てしまっている。朝目が覚めると、前の畑や母屋の下の岸からは、地下水がほとばしっていた。炊事場に通じる廊下は雨漏りがあり、昨夜の雨量を物語っている。他の地区での200㎜もの雨は災害になるが、高知の200㎜は普通の出来事でよぉ降ったなぁて程度になる。今日も仕事。太陽が顔を出したので、裏の山道の笹の葉の片付け。濡れた笹が積もると、上を歩く時に滑って危ないからだ。またメール作業に戻り、データーがないのでこれ以上は進めず中断。今夕も友人を招いて食事会。枝豆。黒瓜とおくらの塩麹あえ。ポテトと黄色い芋(名前不明)のポテトサラダ。メインはタイの塩釜焼。タイを塩で包んで140度のオーブンで25分焼き上げる料理。これは実に旨くて二人で舌鼓を打った。食事の後、ディープパープルを大画面で堪能。部屋の音響設定をマイクで拾い補正してあるので、音楽は実に快適に聞こえる。画質はVHS程度のものだが、実によろしく堪能できた。

6月30日(金曜日)
今日は代休日だが、月末の締め日。それに、報告書の提出が7月5日に迫っているので、朝から仕事を始めた。電話は頻繁にかかるし、大量のメールも届く。致命的ともいえるほどの衝撃の内容もあった。これは、僕にさらに負担がかかるもので、秘密裏にVBAを勉強して、PC業務の負担を激減させなければならないかも。体のだるさが火曜日ぐらいから始まり続いている。昨日12,000歩と1,500mの水泳がこれに拍車をかける。その為か体のエンジンがかかるは昼前からとなる。それに、昨晩はチリのワインが美味しかったので、少し過ごしたのも原因だ。村上春樹によるとイタリアのトスカーナのワインが旨いと紹介されてあった。この人は、音楽に造詣が深いと思っていたがワインについても、魅せられる文章を書く。そごうでイタリアワインを探したが、チリのワインに「当店お薦め」のPOPがあり、迷ったがチリ産を買った。これは正解だったのだ。かなり個性のある辛口で、酸っぱさがあるにもかかわらず、コクがカバーしている。濃い味の料理に合うはずだが、僕の薄味料理にもいけたのだ。何回かの昼寝の後、体が戻り、メール作業。夕刻買い物、食事、風呂、メールといつもの作業で一日を終えた。眠る前に、もう一度増える仕事の負担を考えた。

6月29日(木曜日)
走らない車と、対面通行の高速道路は厳しい。いつも徳島道を走る時は緊張する。それで、帰りの時間のある時は、室戸岬を回って帰る方法や、吉野川沿いを遡るルートを選ぶ。今回は後者だ。徳島県人の車の運転は飛び出しが日常茶飯事で、少しでも車間距離があれば、わき道から車が飛び出す。「何考えてんの」と思う程無謀だ。その車の後部は大概追突された跡があるので、懲りない面々だなぁとも思う。まぁそこさへ我慢すれば、国道192号線は田舎道で、渋滞もなく気持ちよい。高速道路で1時間の工程を2時間かけて通り抜けた。途中JAの特産市があり購入。梅雨時でも時々の晴れ間と気温の高さで、いろんなものができる。見知らぬ「緑色のナス」があった。店員に聞けば、炒めても、天ぷらでも良いとのこと。高知に入り、近所のラーメン店で「ニンニクラーメン」を食べた。このラーメンに病みつきとなり、困っている。味が強烈でお腹を壊すが、強烈なにんにくの味は捨てがたい。昔名古屋でよく食べた、「みせん」の「台湾ラーメン」に似ている。(「みせん」は今でも健在だが、2年前に食べた時、あの強烈な味はマイルドになっていた。)帰り着いて、メール作業。風呂、食事、そして倒れるまでメール作業。自宅勤務は、間に自分の時間を挟む自由度がある点だけは、非常に評価。そうでなければ、この長時間勤務は続かない。

6月28日(水曜日)
徳島県
風が吹けば桶屋が儲かる話で、一人の課題を解決するのに、別の一人が当たり、解決に向かったその人のために、僕の仕事が増えた。それがこの徳島行きとなった。吉野川沿いに点在する家電量販店を訪問するのだ。ここに来ていつも思うのは、この川のどちらが裕福なのだろう?購買力があるのだろうと言う事。多くの小売店が川の左側にある(海から川向かって)。しかし、脇町は右側にマクドも消防もあるし、下流の藍住は右側で、徳島市よりも購買単価が高いと言う。徳島人は嫌いだが、この町は活力が感じられる。相変わらず阿波踊り一本しか表に出ないが、鳴門金時(芋)や、鳴門わかめや、スダチ(柑橘)は名産で、サブにはレンコンや梨、桃がある。橋が繋がった関係で関西との交流が活発だ。四国88箇所参りの起点でもある。途中で止める人も取り敢えず徳島だけは巡る。何もかも寂れて、活気を失った高知と比べると、月とスッポンくらいの差がある。今後ここは都会化され、発展する(寂れる度合いが少ない)商談しても、結構反応がある。と言う事で、今日は夕刻まで隙間なく一杯働き、ホテルに帰り着いた。メールを見て、緊急の要件がないので、食事に向かった。そごうでチリのワインを買った。そこで、急に思い出した。徳島は食事の拙い県だった。外食は急きょ中止、急いでホテルに帰り、ホテルのレストランで食事をした。バイキング(海外ではビッフェ形式)で2,500円。食事にしては高いが、味は保証されているし、野菜を中心に選択できるから、まぁいいやとなる。雨の心配もない。12,000歩だったので、少々のオーバーは大丈夫だと踏んだ。食後、階上の風呂の湯船で400歩歩き満腹を調整した。だいぶ疲れて部屋にたどり着き、今日のまとめを打ち込んだ。程よさを上回る疲れで1日を終えた。

6月27日(火曜日)
いつも、この仕事の意義について書いている
まぁそれしか考えることがないからだが。この10日間余は、内勤で資料のまとめがある。全国から送られてくる報告書に全部目を通して、大枠を抑え、拙い文章を修正して格納する。今日思ったことは、この報告書の内容だ。定年を過ぎて、言わば、人生の一仕事を終えた人達が多くを占める僕たちの会社だが、文章を拝見すると稚拙な文を書く人も結構多い。語彙が少なく、一文がすごく短い方もいる。この人は人生で何を掴んで来たのだろう。多くをつかむことのできない握力だったら、どんな世界観だったのだろう?と考えさせられる。もちろん、僕も、別の人から見れば、何て視野が狭い人なんだろうと思われるかもしれない。でも自分の器はどれくらいだろうか?と斟酌すれば、この年になれば大体このくらいだろうと測る事が出来るようになる。多分、僕以外の人もそのことは分かっている筈だ。その上で、あえてこの文章だ。何をか思いますね。今言えるのは、仕事は、いろんなことを考えさせてくれるし、多分スキルも磨いてくれる、器も少しは大きくできるのじゃないか?とも思える。仕事の魔力ですね。話は変わるが、それを支える食事は重要な事で、カッパ市場で買った珍しい野菜を中心に、クックパッドで調理を調べて献立ている。結構これにハマり、毎日違った野菜を中心とする食事にありついている。この問題点は、野菜中心だとエネルギーが蓄積できない事で、結構疲れやすい。朝起きた時からグッタリとしている。全身が綿のような感触だ。朝食の後、10分位寝てから、やっとエンジンがかかる。仕事の魅力に取り憑かれても、エネルギー不足で脱落する可能性を秘めている年齢でもある。どこかに分水嶺がある。まだ見えないが。

6月26日
なかなかやって来ない梅雨
天気予報は雨ばかりを強調するが、今日もほぼ一日中薄曇り。午前中布団を干した。昨日おばさんのお見舞いで、お風呂の事が話題になった。今日日(きょうび)、馬路でも五右衛門風呂に入る人はいない。馬路と言うのは、ユノ酢の産地で、山奥の典型的な土地。要は、山奥でも、近代的な風呂に入っていると言いたいのだ。世の中の流れに反して意地を張るのは、僕の得意とする所。我が家は五右衛門風呂なのだ。まぁ僕としてはその恩恵に属しているのでここでは何も言わなかった。見舞いの若い夫婦は、僕が父の古い軽四ライトバンで松江に行ったことに対し、今は安くてもっと快適な車があるのにと言った。僕は、マニュアルシフトで、窓が手動で開け閉めできるのが最高の車と思っているから、それに対しても何も言わなかった。カーブの手前でシフトダウンし、コーナリングはアクセルを踏んで抜ける後輪駆動の快適さは、オートマで味わえないだろう、とも言わなかった。僕は、もう完璧に、世間からズレている。今日も夜の9時半の限界まで業務。疲れた。瞼が落ちている。ぬるめのお湯にして、足の裏からじわじわ暖かいお湯が登ってくるお風呂に浸かると、本当に疲れが飛んで行く。梅雨が来ないと言っても、少し前の豪雨で井戸水が汚れ、お湯の色が、濁っているのが少し傷。気温の上昇でダニや蚤が復活し、痒くてたまらん。

6月25日(日曜日)
今日は本ぶりの雨の予定だったが、10時過ぎから晴れた。急いで洗濯をした。ゆっくりしようと思っていたが、メールが飛び込んできて、その対応に1時間ほどを食われて、終われば午後1時だった。体がだるくて、午前中に昼寝したこともあって、活動が遅くなったのだ。それで、午後はすっきりして、激しい運動をしたいなぁ。となった。プールの2km水泳か、高知市の病院に入院しているおばさんのお見舞いか、どちらかの選択肢となったが、天候が夕刻まで持ちそうだったので、後者に決めた。片道で21km。自転車で1時間15分。フルマラソンの女子の記録タイムくらいのスピードだ。自分としては、かなり頑張ったつもりだが、橋とか、列車を越える高架とかは、徒歩より遅いスピードになるので、こんなもんだろう。おばさんは股関節の手術で、歩けるようになるようだ。それでリハビリ中。赤野の親戚の人たちも来ていて鉢合わせとなり、結構にぎやかなお見舞いとなった。子供が3名いたのが原因。病院の中でも元気いっぱいだ。おじさん、おばさんたちは、この元気さに助けられる。お盆が近づいてきているので、そのことについても教えてもらった。行事については、来週の休日に、水だなを覆うテントの準備を始めなければならない。今年は庭の草木の手入れを怠ってないので、訪問客に対してあまり恥ずかしくない思いをすることなく、執り行えるはずだ。もう一つ先祖様と、大塚様のお祀りがある。こちらは、祠のある、付近の草刈りが中心だから、梅雨に入る前にたっぷりと除草剤を散布してあるから何とかなる。夜のお付き合いだけ(と言っても、大量の酒を飲まなければならない)だ。今日の激しい運動は、帰ってきても何の疲れもない。お風呂に入った後でも激しい睡魔もやって来ない。若いころに戻ったようだと安心するのは禁物だ。明日、もしくは、明後日の火曜日に一歩を踏み出す力さえでない脱力感が待っている。若いころと比べて、着実にこの点は変わりましたね。

6月24日(土曜日)
まだ来ぬうちに
今日から本格的な梅雨入りとなる天気予報。雨が来る前に、掃除。トイレの前に積もった笹を取り除き、門から玄関までの道(アプローチと呼ぶらしい)横にある溝に積もった、木蓮の葉を集めて、前の畑に撒き、一連の作業を終えた。こちらの雨は半端じゃないから、しっかりとした雨対策が必要だ。ヤマダ電機のエアコン工事の方が来て、工事を始めたのが午後1時。今回は富士通のエアコンを買った。高知の店にとても気の良いヘルパーさんがいて、暇を持て余していたので、応援してあげた。とても喜んで、最上位機種を値引きして税込158千円だった。14畳タイプだ。エアコンは絶対にダイキンが良い。次はパナだ。しかし、プリウスと、アテンザが同じ価格なら、アテンザを選ぶのと同じことだと思う。リモコンも液晶画面上で選択するスグレモノだ。これで、夏の夜も、映画が楽しめる。お盆も涼しく迎えられる。工事は丁寧で時間が2時間半を要した。それで買い物に出かけられなくなり、晩のメニューに狂いが生じた。と言うのは、今晩も又、友人を招いて懇親会だ。お互い一人暮らしなので、一人で食べるよりは2人の方が美味い。今日は、「生ハムでキュウリの浅漬けを巻いたもの」。(乾杯用の前菜)「ネギと、烏賊のヌタ和え」「キャベツの浅漬け」「鯛のアラで炊いたお汁」「鯛めし」(メインディッシュ)「夏みかん」(デザート)。足りないと不満が残るので、玉ねぎとカエリ(おじゃこ)のサラダ、オクラのネバネバトリオも調理はしないが、控えていた。今週の出来事を中心に飲んだ。近所の友達は実にいい。

6月23日(金曜日)
代休
と言っても、何度かメールを覗き返信を行い、手配も含めて、半日位は仕事をした。週末なので仕方ない。でも、半分は除草剤の散布や、畑に転がっているビニールの回収や、先日の嵐で倒れて来た竹や木を取り除き、排水溝に詰まった木の葉を取り除いた。田舎暮らしは、都会の人から見れば、癒しに映るけど、実際は日々のメンテナンスが強いられる。それは、半端なものじゃ無い。放置すれは繁殖する竹(笹)の対策も必要だ。今の所除草剤で何とか繁殖を止めてはいるが、枯れるまでには至って無い。夕闇迫る6時まで取り組んで、買い物、食事の支度、風呂沸かし。とルーティン作業をこなして、夜のメール作業を2時間。午後9時に終えて、やっと解放の時間がやって来た。映画「マグニフィセント7を見た。これは4k24P仕様のレンタルで、さすがに綺麗。お盆の電照があるので、黒つぶれしてチザムの帽子の下の顔が見えない不満は残るものの、西部劇の雄大な草原を見事に再現していた。フィルムは風景の背景にある実写の邪魔者を、CGでカットしているのだろうと思う。これほどの平原はもう現代社会には存在しないじゃ無いだろうから。この映画のストーリーは、黒沢の「7人の侍」そのものだ。昔から西部劇には疑問がある。その時代頃は牧畜か、農業栽培でがメインだ。そんな時代に、昼間から、男たちは集まり酒を飲んで、女は、子供の世話をしている。昼間街に人が集まるのはあり得ない。子供も女も働かないと食って行けない時代だったはず。こんなツッコミが、この映画にも当てはまる。

6月22日(木曜日)
カメラ雑誌
毎月21日はカメラ雑誌「カメラマン」が発売される日。南国市の蔦屋書店に継続購読を申し込んでいて、ラジオ英会話の書籍とまとめて購入している。この雑誌は、新製品の触りと、性能比較が割と参考になりずっと前から購読している。そして、この雑誌に登場するカメラマンで、語り口が横柄な並木隆氏と下手にも関わらずプライドだけが高い内田やすお氏がいる。前者は花のクローズアップだが、写真がマンネリ化しているにも関わらず、お前らに教えてやっていると綴る文面が好きになれない。特に花芯を撮影するのは何時も同じだ。後者は、スナップ写真が専門家だが、どの写真を見ても共感を呼ばない。スナップ写真では木村伊兵衛が有名だが、彼の写真は、どんな一枚を見ても、語りかけて来るものがある。対して、内田やすお氏は解説を読んで写真を眺めても、意図が分からない。素人が思いつきでシャッターを押しただけじゃないか。としか思えない。荒木経惟氏もデタラメな写真を撮影するが、時々ハットするものがある。内田氏はどれを見ても光るものがない。ページをめくっていてこのシローと写真は誰だ?と思ったら、内田氏のものだ。そういう面では、つまらない事に一貫性があるのは凄いかもしれない。今日は、写真家の批評をするのじゃなく、この雑誌の付録につてだ。先月と今月に、少し身のある写真の付録がついたが、それが、先月は並木氏で今月は内田氏だ。ぱらぱらとめくってそのままもゴミ箱へ。何でセンスの低い写真家に依頼するの?と疑問に思ったが、よく考えれば、売れてないから、仕事を受けてくれるからだ。10名くらいのメンバーと連れだって飲みに行くと、まずい人気のない店しか席がないが、これと同じですね。今月のカメラ比較は、連写でソニーα9、暗所でキャノン。色乗りでパナGX8。カメラ購入は来年に伸ばすとして、やっぱりフルサイズのキャノンを第一に。後2年くらいすれば、フォーサーズが実用になるだろう。サブはこれだ。ただ、パナは一貫性がなく、撤退する可能性があるので選択肢はオリンパスしかないだろう。

6月21日(水曜日)
山陰
仕事は全国の調査集計を行なっているのが一つ。もう一つは中四国地区の担当者のマネジメント。今日書くのは後者の仕事。前者を請け負っていると自分の担当エリアが全国に比べて進捗が良いのか悪いのか一目瞭然に分かる。そして、中四国がどうやら最後尾を走ることになりそうなのだ。これは一大事と、事情を述べて、松江に行くことにした。400km。岡山までは何度も行ったが、そこから先は総社を経て吉備高原を超えて米子に入るルートで、途中中国自動車道も通る。高知は汗ばむ陽気でエアコンが必須。中国に渡ると窓を開けていたが、寒くなり窓を閉めた。気温は21度だった。山陰は遠い。松江に到着したのが午後6時半。仕事を終えたのが午後7時半。ホテルを予約して、メール作業をして、食事に出たのが8時半。店前で焼き鳥を焼いていたニイちゃんの案内で入ったのが地元の居酒屋「是是」。刺身5品の内1品だけ知らない「まとう鯛」があった。モチモチ感のある身。たっぷりとお醤油が乗るので、端だけお醤油に浸して頂く。ビールは1杯だけにして、熱燗。「弁慶」辛口で最高。仕上げに出雲そば。ここで止めておけば良かったものの、「たたら侍」のポスターと酒があり、酒を注文した。一緒に働いているメンバーに島根の人で、たたらさんがいて、何か関係あるのか興味が湧いて、このお酒を注文した。東京から帰省しているお客さんが、ベラベラと解説してくれた。この人は、自慢したい性格で、地元では裕福でないとみなされていたが、母を高級な養老院へ入れたので、近所の人の目が違ったと話していた。(僕には嘘だと映った)。「たたら」というのは、砂浜にある砂鉄で作った金属の製法。これで刀を作るとよく切れたという。たたらには、多々良と鈩があり、メンバーは後者なので、砂鉄の製造と関係があるかもしれないとわかった。そして、この酒は妙な甘さで、不味かった。もう一つ、ここに来ているお客様はフレンドリーで、店のおばさんも含めて、話しやすく会話が進んだ。

6月20日(火曜日)
朝起きてメール作業を行い、沖のハウスの廃材を取り込んだ。午前7時に作業を止めた。梅雨の雨が来ると言うので、取り込めるだけ取り込んでおこう。昨日の水泳が効き、腰痛は治ったが、疲れが激しい。それに今朝の作業だ。おまけに、食事中、送ったメールに誤りがあると来た。朝食もそこそこに、データを確認。出発までの時間では見つけられない。見切り発車で出発。今日は桂浜を通る道を選んだ。音楽はパティオースティンのライブ。おしゃべりの多いライブで、早口の英語はなかなかついて行けない。英語の勉強だけは中断する訳には行かない。止めると、すぅーと頭から消え去ってしまうからだ。突然インドの事が思い出された。綺麗なレストランではなく、販社のセールスに連れて行って貰った、汚い食堂の事が。バナナの葉っぱに乗ったプリンのような大量のご飯の山に、少量のカレー2カップ。水は飲めないから我慢したが、よう考えたら、バナナの葉っぱは水道の水で洗っていたのだ。インドの水道は歯磨きにも適さないと言われるが、しかしこの時は何でもなかった。あの時は嫌で嫌でたまらなかったインドが妙に懐かしい。体にある程度の抵抗力のある年齢までに、もう一度インドの旅を実現したいと思った。運転中に眠くなり、木陰を選んで休憩。凄い深い眠りだったので、携帯電話が鳴った時は、此処は何処?と面食らった。昨晩から続くクレームの続き。何でもかんでもいろんな問題がやって来るので、気のおさまる時も無い。でも、少し慣れたかな。昼飯に、土佐市の洒落た日本料理店へ入ったら、主婦で一杯。隣の魚屋さんで、お弁当を買って、近くの見晴らしのきく土手で食べた。魚屋さんのお弁当は美味い。

6月19日(月曜日)
母の思い出
朝から怠い、だが今日は仕事で出かけにゃならん。しかも明日は雨だ。まずゴミを捨てて、浜辺の松林に松葉を拾いに行った。それからご飯の用意。エンジンのかかからない体を動かして、やっと7時までに此処まできた。怠いのは、昨日のサイクリングがじわじわと効いて来たのだろう。朝のメール作業を終えて、出発。土佐PAで睡眠。四万十町で睡眠、帰りにもう一度四万十町で睡眠。やっとこれで生き返った。車のシートはフラットでないので腰が痛む。今日は宿毛市と四万十市に出かけた。晴れの夏日で、遠くの景色は水蒸気で霞んでいた。これでセミが鳴けば、夏本番だ。母が庭に水を巻き、祖母が、臨時にこしらえた庭の涼み台にご飯の支度をする。父は、草を燻し蚊を追い払う。ひぐらしが鳴き、夏の夕餉が始まる。夏の日の思い出はいつも此処に帰結する。車から見る四万十市の風景に、昭和30年代の我が家がフラッシュバックした。なぜ、急に思い出したのだろう。今日は疲れていて頭の回転はそんなに余裕のないはずなのに。帰りには右腰にキリキリと痛みが出てきた。これは大変。普通はマッサージやハリが対処だが、僕はプール。1km程特に腰をクネクネする泳法で泳いだ。体が軽くなった。車に乗ると相変わらず痛むが、幾分軽くなった感じ。帰宅し、父もいない母も居ないこの家で、何もせずに、貯金だけが減ってゆく老後を考えるとゾッとした。計算では後2年でリタイヤだが、気持ちの上では、後5年くらいは頑張るぞ。

6月18日(日曜日)
朝、6時半頃村内放送。今日は村をあげて、掃除をする日。ぼくはあいにく、ビニールハウスの廃材の回収で、参加できなかった。食事の後、ラジオ英会話を聞くと強烈な睡魔がやってきて、しばし中断。1時間後、自分の部屋に戻って、一週間の出来事を書き始めた。だが、12時前に中断し、野市アジサイまつりに出かけた。夜須のスーパーで弁当を買って、ヤッシーパーク(高知県一番の海水浴場)で海を眺めながら頂いた。自転車のツーリング仲間5名が前方を走っていたのでついて行ったが、離されるばかり。体力と言うか、自転車の性能差によるものと思いたい。アジサイは旬を少し過ぎていたように思う。それに高知の灼熱の太陽光の下では、ちょっと似合わない気がする。高知のアイスクリンを買って暑さをしのいだ。帰りに良心市で130円のキャベツ1個購入。たぶん食べきれない程の大きさ。親類のおじさんから、ハガキが来て、耕運機の引き取りをしてほしい。27日までに返事がなければ約束はなかったことにしてほしいとあった。この方は元裁判官だったから、手紙の文面もキツイ。それで、回収してきた廃材を倉庫へ降ろし、耕運機を貰いに駆け付けた。バッテリーで動く家庭菜園用だ。我が家には乗用トラクターがあるので不要だが、友人が使うかもしれない。万歩計は1万歩だが、自転車の2時間を加えると、相当な運動だったのだろう、眠くて9時に就寝。

6月17日(土曜日)
朝一のメール作業の後、除草剤を散布。7時に終えて食事。すると、はや電話で、資料の修正作業。午前中いっぱいかかり、昨日積み残した自分の作業を終えると午後4時だった。フルタイム勤務とはこのことだ。今晩は、友人を招いて、食事会を開催する。料理のリクエストは天ぷらだ。天ぷらは部屋が汚れるのであんまり好きでないが、もともときれいな台所でないから、まぁいいか。野菜は持ってくるとメールにあったので、肉系の買い物に行った。天ぷらのお汁は、うどんのお汁でごまかそう。これに「あごだし」のパックを加え「みりん」と、「そうめんの汁のもと」を入れると、完成度の高いものができる筈だ。だが、出来上がったのは、何かが足らないとの酷評もの。しかし、これしかないので、「食べろ」。こういう点、友人はいいですね。我慢して食ってくれるから。肉の天ぷらは、味付けしてない肉を揚げても旨くない、とこれも評価ゼロ。でも、一人で食べるとまずい食事も、二人で話ながら食べる食事は、味付けがまずくても、それなりに美味しい。それに、僕は作る方で、友人は食べるほうだったので、「熱いうちに召し上がれ」を実現し、まぁ何とかなった。食後音楽を聴く予定だったが、取り敢えず「コナン」を見てみようと、さわりだけ再生すれば、これにはまって、終盤近くまで見てしまった。芸西村の夜は、またたくまに過ぎて行ったのである。

6月16日(金曜日)
レポートの提出上、どうしても優先順位がある地区がある。それが、今回の徳島、坂出ルートなのだ。400km近い走行距離で普段なら宿泊するところを、日帰の強行スケジュールとした。なぜなら金曜日の夜は、承認と報告で忙しいのだ。一方で、高速道路の運転は睡魔との闘いでもあり、キタと思ったらすかさずパーキングエリアで睡眠をとった。今回は3回、合計で45分。ありがたいのは、停車して目を閉じるとすぐに夢の中に入れることだ。非常に効率的。午後7時半に帰り着いた。まだ何とか明るい。急いで風呂に水を張り、お風呂を焚いた。9時にメールを送り、風呂につかった。ゆっくりする間もなく、10時のメール作業。これで、何とか本日の業務は終了した。興奮を冷ますため、もう一度風呂に入り(2度目の風呂は、熾火で熱くなっていて、またもや水で薄める)、上がってビールを飲んだ。1週間の御無沙汰だったのでおいしかった。

6月15日(木曜日)
やっと仕上がったレポートの最終承認を貰い、僕は外勤の仕事にシフトした。高知市に向かった。今回はぶるぶる振動する台の上に載って揺さぶられると、10分間くらいでシェイプアップできる機器の設置だ。訪問すると商品性格柄、女性従業員に関心が高い為かずっと付き添ってくれた。組み立て後、乗ってもらったが、思った以上に振動が激しいので運動になると感想を頂いた。今日から1週間で家電量販店に設置のために訪問する予定だ。帰りにプール、食事。午後8時帰宅。それからメール作業。疲れの為、睡魔に敗けて、途中15分程度居眠り2回。10時半すべての仕事を終了して、床に就いた。計画通りに事が進んだのは良かったが、それで興奮したのか、なかなか寝付けなかった。疲れているのに眠れない。原因は後で考えるとどうも昼間飲んだお茶のカフェインにやられたようだ。

6月14日(水曜日)
梅雨に入ったが、雨が降らない。物部川(飛行場の隣を流れる大河川)は取水制限に入ったとのこと。気持ちの良い天候が続いていて、太陽は強いがカラットした天候。朝方は冷えて電気毛布のお世話になっている。野生の王国のように、あちこちで鳥が鳴いている。鶯をベースに、うるさいおしゃべりのつばめ。カッコウとスズメ。時々カラス。澄んだ青空。新緑が生えて実に気持ちが良い。ところが庭にある松が急に元気をなくしてきた。よく見ると大きな毛虫がびっしりと付着している。それが、新芽を食って松を枯らしているのだ。取り敢えずキンチョールで、スプレーペンキで色を塗るように、毛虫に吹きかけ殺虫した。一缶つかった。他にも、スズメバチの殺虫スプレーがあったので、これも残りの液を噴出。それでもまだ付着している。こんなに多くの鳥がいるのに、なぜ食ってくれないの?今度は、父の使っていた農薬を手吹きスプレーに入れて噴霧。もう20年以上の前の薬品だ。効果の程は未定。自然との闘いはまだまだある。巣だった燕が、僕の寝ている窓の上で夜休んでいる。それは結構なことだが、大量の糞をする。だから窓の外のひさしは糞だらけ。燕には悪いが、暗くなってから、長い棒を使って追い払っている。タヌキとも鉢合わせした。ボロ布をまとったタヌキだった。何かを加えていたが、友人曰くビワらしい。先日叩いた畑は真っ黒な蛇が横ぎっていた。

6月13日(火曜日)
資料のまとめが、ほぼピークを迎えるようになってきた。2台のPCにご活躍願っているわけだが、一台はOne NoteのUPデイトを要求して来る。煩わしくてかなわん。プログラムの削除では反応しないし、Webで探しても対策が当てはまらない。残念ながら僕の手には負えない。夜は別の業務で、午後7時から1時間間隔で、送られてくるデーターを加工し報告する作業が待っている。午後10時に報告を終えると、この日の作業終了だ。6月20日ごろまでこの作業は続く。それ以降深夜届く報告書は朝の6時に加工し、報告する。この作業を始めて一切の私生活が頓挫した。風のある日には、竹の葉が飛んできて、庭とトイレの通路に積もる。庭掃除、トイレ掃除が必要だが、もう随分と放置しっぱなしだ。食事は冷凍食品かお弁当で済ませている。これって普通じゃない。

6月12日(月曜日)
従兄の娘婿が、我がビニールハウスを改造し、本格的な農業をする計画を立て実行中だ。それで、沖のビニールハウスに使った木の廃材が出ている。父の時代には木にビニールを打ち付けて固定する方法だった。今は、波型のワイヤで、ビニールを金属フレームに止める方法に変わった。それで木の廃材が出たわけだ。これを車に積載できるように切断して、持ち帰ることにした。これだけの量なら半年は風呂のたき物になる。裏の竹藪の竹を一部燃やしているが、後1カ月くらいでこれは涸渇するはず。梅の木はまだ十分に乾燥せず、使用できるのはまだ先だ。この部落で、山の中に家があるのは我が家だけ。焚きつけの材料は事欠かないが、生木の事を考えると、1年位の長期スパンで燃料を考えたほうが良い。それで、すぐに燃やせるビニールハウスの廃材は利用価値が高い。湯船一杯に張ったお湯に飛び込む爽快感は何とも言えない。その為の燃料確保は、必須条件だ。この燃料確保について回るのが、のこぎりで切断する作業。のこぎりで木を切る前に、息が切れていたが、最近では汗こそふきでるものの、息は上がらなくなった。それに、最近ののこぎりは刃先だけ交換できるタイプが多いので、今日から新しい刃先で作業に取り掛かった。朝5時半から6時半の1時間で軽トラック一杯に切断した廃材を積み込める。15回くらいの工程で完成するだろうから、来週の週末までには完了するだろう。作業をしていると、農家の人が通り過ぎる。挨拶をする人もいる。今日気がついたが、通り過ぎる車は老人マークを付けたものが多い。もうリタイヤが迫っている人ばかりだ。僕も、30分位要する風呂焚きは、いつまでできるか予想がつかないが、まぁ気持ちよさを優先してできるところまで行きたい。

6月11日(日曜日)
忙しかった仕事も峠を越して、今日は身辺の整理(仕事の分野だが)。午前中を費やしてやっと完成。5月のゴールデンウイークから、ほとんど土日無しの生活が続いている。やっとあり着いた仕事なのでまぁ少しは我慢するしかないだろうが、自分の死亡推定年度を計算して、貯蓄を減らす計算をすれば、今18年分の貯蓄がある。つまり83才で死ぬなら、今スグ仕事を辞めても良いわけだ。親父と同じ87才くらいまで生きるとすれば、後4年間は頑張る必要がある。仕事を辞めて自営農業でいくらかの仕事をすれば、85才くらいまで収支は何とかできる。つまり、今の仕事は厳しいが後2年間くらいを我慢すれば、87歳までの軍資金が出来るわけだ。万歩計を記録しているが、ここ1カ月半は5,000歩止まりが多かった。これでは健康を蝕む。午後7時にメール発信の後は、2000歩くらいは歩き、87歳までの健康を保たなければならない。夜はおじさん所で、飯。近所の若手が「黒むつ」を持ってきて「タタキ」にしたのを頂いた。これは有無を言わさず旨かった。ぼくは塩で頂いた。

6月10日(土曜日)
7時前に、メール作業を済ます。掃除洗濯、メール作業。トラクターで前の畑2枚を叩き統計の仕事に取り掛かる。今日は母を亡くした友人を招き、夕食を共にし、映画を見るのだ。スターウォーズ・ローグワン。逆算のマーケティングで学んだ手法を使い、午後7時スタートとして、買い物に出かけた。鯖の刺身とマンボーを買った。キュウリの献立を考えた。何と友人は、キュウリ尽くしの料理を持参した。おじさんの考えることは図らずも一致した。ビールを飲みながらしばし歓談。ジャガイモの明太子和え、マンボーの煮つけ、マンボウーの揚げ物。これらは作りながら食べ飲むから、下手な味付けもカモフラージュされるわけだ。さて、映画はどうだった?二人とも寝てしまい、最初と終わりだけ堪能した。そして、大画面はいいなぁ。中身はよくわからなかった。4KのBDを買って見直すべきだろうな。終わってからメール作業。

6月9日(金曜日)
結局また晴れて、梅雨入りは先延ばし。今日は週末なので、報告が集中する。メールさ魚の他に、別件の全国集計の作業が始まった。膨大な量の計算をするため、ノートPCに搭載しているInteli7では遅く、ディストップのInteli5で処理を進める。こちらが幾分早く、計算がシートの上で見える(ノートは表示されない)。激しい業務はどこかを蝕むのだろうか、今日は心臓がキリキリと痛む。定年後の仕事は価値あるものだし、労働は素晴らしいものだと思う。それに、収入もあってキャノンのカメラが買える喜びもある。しかしながら、一日12時間ほどの労働と、土日もほぼメール仕事に費やされ、個人の時間は皆無に近い状態は、労働の価値とは少しずれるのではないかと思うようになった。弱音を吐くようになった。これはきついぞ。と。かと言って、パソコンを使わない仕事も何だか面白みに欠けるし、いかがなものなのか?と思案している。11時前に仕事を終えて風呂で癒した。だんだんと外気温が高くなり、風呂から出て体を冷ますにも時間がかかるようになり、結局だらだらとテレビを観て、睡眠時間を削ることになる。


6月8日(木曜日)
昨晩は徳島のホテル泊まり。夕食はホテルのレストランで。雨が降るし、1時間ごとのメール作業があったため。それで、今日は雨が上がったので、少し散歩して、昨日の運動不足を取り戻そうとホテルを出ると、バイクの転倒事故。警察に電話をし状況を説明するので10分ほどを要した。他の人は、この人を助け起こし救急車を呼んだ。その場にいてくれますか?「No。早く高知に帰れなければならない」。携帯電話やコンピュータの問い合わせには、ナンバーディスプレイがあるにもかかわらず、電話番号を聞かれるが、警察は、後で電話しても良いかを訪ねるが、番号は聞かない。結構親切だ。さて、散歩時間は減ったが、腹も減ったので豪華な朝食を頂き出発。高速への道のりを間違ったが、10分位の遅れで高知県入りした。問題はここから始まった。クライアントから、わが社の社員の誰かが、何かの行動をされて、誰なのか調べて欲しいとの依頼が来た。車を止めて電話作戦。やっと明細が分かり電話で回答。メールも欲しいとのこと。車の中でエアコンをつけてこの作業。まるでモバイルオフィスだ。結局午後2時に帰り着いた。食事の時間もあったが、5時間を要した。

6月7日(水曜日)
今日は...梅雨入りか?
最悪の日々が続く。クライアントにメール報告は深夜22:30まで続き、風邪は鼻水、咳が止まらず、今日は250kmを超える運転を伴った訪問活動で、冒頭のメール作業は夕刻18:00から始まった。電話対応もある。それに、万歩計は7、000前後で張り付いたまま。そんなこんなで、体の調子はすごく悪い。今朝なんかは、目が覚めたのは7時半。起きても、体が動かない。動いたとしても、緩慢だ。サボっているのじゃ無いが、出発は10:30。他のメンバーはとっくに活動している時間だ。それに生憎の雨。寒い。冷房と暖房を入れて頃合いを見計らった。健康診断の結果が届き、体調の悪い上に打撃を加えた。1、脳こうそくを起こしているので、次に控えなければならない。2、やっぱり、すい臓も良くない。コーヒーと酒を断念しなければならない。運動は必須だが、その時間が無い。特に今日なんか、外を歩くわけにはいかない。3、緑内障の初歩で検査を要する。これじゃ元気も衰える訳だ。

6月6日(火曜日)
深夜到着のメール処理。体が動きが鈍い。やっと動き出したのは9時45分。葬儀場と仕事の調査先が同じなので、先ずは調査。そして葬儀。葬儀の内容は昨日と同じだった。仏式は違った内容だから、結構簡素に感じる。12時半出棺し、僕はいろんな用事を済ませて、火葬場に向かった。焼き上がる前に、友人の息子や、友人の姉と話した。彼らは、讃美歌をオルガンとウクレレで伴奏した。それを褒めた。あの会場で楽器を弾き、悲しみを盛り上げた功績だ。それはとても立派なものだった。それは、故人の生前からの要請でもあったとのこと。式の始まる前日から練習に練習を重ねたとのことだった。友人の職業は楽器販売だったので、この一族には彼の影響が沁みわたっている。1時間ほどで焼き上がり、仏式の要領に従って骨を拾った。(骨壺は十字架がついていた)大きな交通事故を経験したとのことだったが、20㎝ほどの大きな金属片が、骨の中から出て来た。92才のおばさんの生涯がこれで終わった。その足で、僕はネクタイを交換して、土佐市、高知市へ調査に向かった。お弁当とお惣菜を買って帰り、昨晩と同じパターンで就寝は12時半。

6月5日(月曜日)
今が一番忙しい時、全国から送られてくるデーターをまとめて、クライアントに報告する作業の傍ら、自分自身も担当地区の調査がある。友人のお母さんの葬儀の関係もあり、先ずは遠隔地から攻めようと、宿毛へ行った。高知県は田舎だが、東西に長い。東に住んでいる私が西の果てに行くのに片道170kmくらいある。帰りに四万十市、宿毛市、佐川町へ寄って仕事をし、5時半までには帰り着くつもりだった。ところが、友人が受付をしてほしいと直前に電話があり、運転を急いだが、到着したのは予定よりも10分早い17時20分だった。350kmを運転して所定の時間内に到着するのだから、運転技術も調査技術も褒めてあげなければならない。キリスト教の前夜祭(仏式で言うお通夜)は、歌を歌ったり、牧師さんが教会の出会いを通じた故人の思い出を語ったりして、仏式よりはわかりやすいものだった。いつもお世話になっているお寺さんも、袈裟をきてキリスト教の儀式に加わっていた。葬儀場の社長もキリスト教で賛美歌には参加した。僕にとっては珍しく落ち着かないモノだった。訳が分からんけど、お経を唱えてもらう方が安堵感がある。弁当とお惣菜を買ってメール作業。食事。メール作業。シャワー。メール作業。午後11時に終了した。しかし、高ぶったままだったので、名探偵コナンを見た。12時半就寝。いつもは夜中の時間。

6月4日(日曜日)
晴れていたから、梅の木の残骸を片付けよう!そうだ、昨日トラクターで叩いた畑の横に鎌を忘れていたなぁ。まずはその回収。帰り道、竹と藤が道を邪魔しているなぁ。少し道を広げよう。早朝だが、太陽の光は強く汗が噴き出た。そこへ、友人が来て、「時間知っちゅう?」「何の時間」「おまん、知らんがかえ、K氏のおふくろさんが亡くなったががよえ」「ほんなことはないろう、まだしばらくは大丈夫と木曜日にも電話があったところやきに」。そこで判った。昨日の霊柩車はそれだったのか。友人の困難を放置していた不束者だった。早速作業着のまま駆け付けたら、親しかったおばさんは、白い布を掛けベッドに横たわっていた。友人もあっという間だった、と言う。腹に溜まった水を抜いたら容態が急変したとのこと。ぼくは医者じゃないから明確なことは言えんが、水を抜くのは良くないと聞いた事がある。だから、父や母は、利尿剤や、透析で水を抜いていたと思う。けど、まぁそれが運命と言うものだろうか。とにかく、僕と高知の友人は、K氏の墓に行き、周りの草や木を刈って、清掃した。取り敢えずできる事はここまで。昼と朝が一緒の食事を終えて、今度は父母の墓や、先祖様の墓に除草剤を散布した。お盆が近づいているので、雑草の手入れは少し前からかなり本格的にやっておかないと、直近ではどうしようもないし、もうすぐ梅雨入り。雨だと作業もできない。洗ってからまだ2日目だがシーツも洗濯した。

6月3日(土曜日)
掃除の後、メール作業。除草剤散布。トラクターで畑を叩く。こちらも石がごろごろで、石を取り除きながらの作業。いつまで、同じことを繰り返せば、普通の畑に戻るのだろう。いったん休憩し、メール作業。この激しい仕事にはメールは必須。それで、携帯電話の店にモバイルルーターの申請に行ったら、もうそのルーターは使えませんと言う。新規だと4500円位かかります。これがソフトバンクの話し。auは携帯電話との割引で、12G限定で5000円。ドコモは、7000円。随分と値段が違う。もう一度ドコモへ、光回線とセットでどれくらい割引してくれる?800円。どうしようもないな。皆さんデザリングで対処されています。それはブルーツースなので速度が遅いだろう?いいえ、WiFiだと速度は速いですよ!えぇ、それは知らなかった。どうするの?ふむふむ。自腹でルーターを考えていたが、会社の電話をルーターに使えばよい。それは許可を取っている。ただ遅いので使わなかっただけだ。1時間半ほどを要したが、いろいろと聞きまわるうちに、鉱脈を掘り当てた感じだ。帰ると、霊柩車が道を塞いでいる。しばらくすると、通行で来た。近所の物知りに訪ねると、だれも亡くなってない。それなら安心。今日はメール作業と、資料の作成で時間を要するのだ。風呂を焚いてから、深夜23時まで、作業を行った。それから風呂に入り、気分転換にズートピアを見た(吹き替え版)これはよかった感動した。テンポの良い会話が凄く良い。アメリカ文化をたっぷりと感じた。

6月2日(金曜日)
今日は...大変な日
疲れているのか、一旦起きて食事をしたのち、ゴミを捨てると、又強い睡魔。再び布団に潜り込む。どう言う訳か未だに朝は寒く電気毛布を入れている。暖かい布団に入るともう夢の世界。そこへ友人が上がり込んで来る。まだ8時過ぎ。要件はなく、「早う梅をちぎりや」。と声をかけに来ただけ。深い眠りだったので起きられず、適当に返事をして再び夢のなかへ。友人は帰った。9時前に目が覚めて、スッキリ。そこから激しいPC業務が始まった。どんなに激しいか?エクセルシートを串刺しにして、一気に計算式やコピーを同時計算させて、結果をパワーポイントに貼り付ける。数字の検証は、同じ計算結果を別のファイルで求め、2つのシートに矛盾がないかを確認する。(大いにあったので、どこに問題があるのか突き止めるのに時間を要したが、問題は回避)体の調子は悪くは無いが、右肩が凝ってロキソニンを貼る。膝の悪かった父が愛用していた湿布薬。強烈なやつ。今日から深夜にかけて、メール作業がある。コレは前からの決まり事で、欠かす事が出来ない。昨日はこの為に点滴で回復させた様なもの。最終発信は23:00だった。先方からも23:30にお礼が来た。

6月1日(木曜日)
今日は...最悪
朝起きると喉が焼ける様に痛む。唾さへ飲み込むのに一大イベント。一昨日の栃木の仲間、近所の友人から風邪を貰った。朝食はいちご、オクラ、トマトのジュース。ジュースを飲んでいる時は痛みを忘れたが、しばらくするとぶり返して来る。体もだるい。休暇を取るには仕事は山積している。かかりつけの病院へ。先生は何ともないの診断。僕は「トンデモナイ。苦しい。点滴を打ってや」。「何ともないのに保険は適用できん」。「ご飯も食べれんがぜよ」。「ほいたら、食事が出来ないと言うことで、点滴をしようかね」。結局喉は診断しなかった。約1時間、だるさは消え、喉の痛みは殆ど引き、元の状態に復帰した。思えば、疲れているところに風邪をひいた友人に近づいたのが原因。それにしても、風の症状の初期に点滴を打つと効果てきめんですね。風邪で伏せったのは5時間程度だった。その後は帰って、22時までPCを続けた。もう大変な日々が続いて久しい。

5月31日(水曜日)
今日は...月末
経費の締め日なのにメンバーからメールが来ない。結局22時にようやくまとまった。何度注意しても同じミス、転記もれ、ホント高齢者のメンバーはお世話が大変。管理手当が3万円支給されるが、この為に20時間弱の時間外作業を強いられるので、収支は合わない。会社には前に大きな迷惑をかけているので、黙って奉仕中。夕刻から妙に喉に異変。でも元気印のわたしは、自転車に乗って10km離れた夜須のスーパーに買い物に出かけた。一昨日のホテルでは満足行く刺身が無かったので刺身を。このスーパーは直ぐ東500m離れた漁港からの魚が並ぶ。新鮮さにおいては都会の比じゃない。「とうやく」\256円を買った。淡白な魚で酢味噌が似合うが、面倒な時は、塩で頂く。急いだのでシャツが濡れた。濡れるとさむく、何度もくしゃみ。風呂に入って暖をとった。その後は前述の締め作業。

5月30日(火曜日)
今日は...イビキで
鹿児島から来た人と一緒だった。彼は僕が昔40年位前、鹿児島ナショナルを担当している時の現場のセールス。鹿児島は、ステレオの詰めに全然力を発揮してくれなかった。彼はその筆頭だったのでよく覚えている。向こうも、懐古の念か、懺悔の念か?よく覚えている。訛りの強い鹿児島弁は未だ変わらず。と言うことは、彼はその後のCE時代、全国に行っているはずで、言葉は通じたのだろうか?会っている時は別の話しかしできなかったので、これは帰ってから思った事。いびきで睡眠不足、寝るに寝られず、ホテルの前を散歩した。7時前に電話。宮崎の仲間から。要件は中四国のメンバーの旦那さんから、宮崎のこの人にメールが有り、妻の負担を減らしてくれと訴えが来た。との事。何とかしてやってや。これは少々厄介。でも対処しなければ。朝食はビュッフェ形式。栃木の仲間が僕を見つけて呼びに来た。帰り駅まで乗せてって。了解。同席の総務責任者は高松まで乗せてって。「ウドンを食べたい」。鹿児島の同室者を電話で起こし、「出発するから早くするように」伝えた。そうして出発。お客さんを乗せているから、瀬戸大橋はゆっくり走った。うどんは宇多津の「こがねや」さんで。ホテルの朝食をたっぷり食べたので、二人はぶっかけを注文。僕はザルウドン。彼らと別れた後は、最初のパーキングエリアで爆睡。高知に着いたのは昼前。あんなに喰ったのに、もう空腹。これはおかしいぞ、と我慢。友人の家に寄り道し、お母さんの様子を聞く。友人は風邪をひいて面会に行けてないらしい。帰宅して、PCとにらめっこする事6時間。眠くて倒れる前に就寝。

5月29日(月曜日)
今日は...研修会
マネージャー研修会と言って、年に数回開催されているようだ。研修を名目に僕にとって東京に出る機会が増えればありがたいのだが、会場は岡山県の玉野市。瀬戸大橋を渡って直ぐだ。ちょっと残念。社長に、東京で開催をお願いしたが、地方を回る方針だと言われた。2時間半で着く。会社は4つで構成されていて、その責任者が集結する。前に1年半ほどいた会社なので、別の会社の人も知っている。首都圏の人とは交流が無かったが、地方の方は好奇心で近づいた事も有り、旧知だった。社長から経営の話が有り、内容はまるで高度成長期、若しくは、インド経済のような調子の良い話が出る。世の中は、色々とあるんだなぁ。高知の片田舎では分からない事。次に取締役に話が移った。コンプライアンスの話。松下時代にも沢山聞かされた。うんざりする内容だが、実例を聞けば恐ろしい話。もう一つは、シニアの健康診断問題。癌、痴呆、前立腺、歳を重ねると医者の様に病気に詳しくなる。次は分科会。こちらは、人材確保と言うか、採用の問題。人が足りなくて困っている。会社拡大の為と病気で欠員の為。小さな会社なのに、色々あって経営も大変だなぁ。懇親会は、瀬戸内海が一望できる座敷に、椅子とテーブルが用意され、さすが老人の為の宴会の配慮があった。しかし、座を囲む様な打ち解けた雰囲気は醸し難い、膝は痛くないが。夜も更けて、個人の部屋に集結し2次会に流れ込んだ。

5月28日(日曜日)
今日は...日記を書き上げた
溜まっていたサイトへアップロードを行なった。午後4時まで要した。忙しかったので、日々完結して無かった。溜めると大変だができなかった、意思の問題ではなく、体力の限界の問題だ。今日は全く運動がなかったのでレンタル返却ついでに散歩。ローソンで見知らぬおじさんに、母の死去について声をかけてくれた。「おまんも頑張りよ」。「ありがとうございます」でも誰だろう?両親は農業一本で、他の活動をしたわけではないが、浮沈もなく正しく百姓を一生行った。目立ちはしないが、安定感と言う存在感があったのだろう。この村の百姓は多いが1/3が赤字だ。赤字の人にはそれなりに理由があるから、安定感のある百姓は尊敬もされたのだろうか。スーパーで買い物、帰りも歩いてたら、友人が車で声をかけてきた。僕はエグザエルの3代目を聴いていたから、知っているかと尋ねると勿論と返事。道端で音楽談義。けさ病院から電話があってびっくりした話もしていた。彼は電話に怯える生活をしている。僕も昨年はそうだった。当時は景色に色が無かった。友人も、きっとモノクロ映画を見ているような感じだろう。

5月27日(土曜日)
今日は...草退治
先週に続き今日も草との対決。先ずは掃除。次に、洗濯物にアイロン。その次は、お見舞い。いとことおじさんの奥様。このおばさんは、高知の「はちきん」代表格でキツイの何の。長崎家と岡林家の中心的存在。知識(しきたり)豊富、采配的確。丁度昼飯時で弁当を買って海辺で食べた。太陽は強いが風も強く暑さはない。食後、そのまま昼寝。顔が焼けそうになり目がさめる。帰宅しトラクターを引き出し、西谷の田を耕す。次に、トラクター道を塞ぐ竹、木、藤を切り開き、西の田2枚を耕す。ここは簡単に行かない。石がゴロゴロ転がっている為、それでトラクターの爪が石を叩くと、その都度トラクターを止めて、石を探して取り除く。この作業の連続で、2時間ほどを要した。最後に、またグワで土を掘り返し、石が残ってないか確認して終了した。万歩計は6000歩だが、物凄く疲れた。最後に、安芸市に向かう。家電量販店のチラシ分析の為だ。自転車で行く。帰りに夕食をとり、一杯飲む為だ。この街にはレンタルがあるので、バイオハザード・ファイナルを借りる。酔っ払って潮風に吹かれて自転車専用道(車道とは全く別の道で芸西村まで続く、バイクも通行禁止)を帰る。バイオハザードはUHDの表示が有り、いわゆる4k画質。HDR処理され、明暗がきつくて目が痛い。両方の規格に対応した機器なので、自動的に再生された訳だ。今をときめく最新規格の画像はおじさんには、合わない事が分かった。エッチングカットの追っかけに限界を感じた次第。さて、今日は随分と疲れたので寝ようか!その時に青森の知人から電話。散々愚痴を40分繰り返し聞かされた。「僕もそうだけど、あんたも、それだけ興奮したら、夜眠れんぞね」と言って電話を切った。

5月26日(金曜日)
内勤業務だが
ここ2週間出っ放しが多く、じっくりとPCに向かってなかった。精算と承認と報告を片っ端から処理して行ったら、何と午後5時。ほぼ一日ですね。慌ててお風呂を沸かし、買い物をして食事をすれば、8時。再びメール作業再開。まだ一人報告の来ないメンバーがいる。催促のメール。10時過ぎにメール届く。チェックして地域を1フォルダーにして報告。この時間ですよ。今度は会社から統計業務の追加指示。その作業に1時間半。今日は仲間からの問い合わせや、PC操作についてとか、クライアントとの打ち合わせとか多種多用な件名が多かった。23時半コンピュータの電源を落とし、職場(離れの事)の照明を落とすと、今日もよく頑張った。と満足感があった。夕刻沸かしておいた風呂はまだ熱く、窓を開けて風で竹が擦れる音を聞きながら浸かった。このお風呂のおかげで癒されている。約50万円を要した風呂だが、それだけの価値がある。

5月25日(木曜日)
朝一からメール作業。中々クライアントとは連絡取れない。中断し、家電量販店の訪問。日高村に感じの良い喫茶店があるが、妙に気持ちが落ち着かずパス。太陽は強いが窓を開ければ風が入り何とか過ごせる。よく回りよく走る25年前のホンダストリートだがエアコンを入れると途端にシリンダーが一つ死んだような力強さを欠く。僕と同じですね、元気よくしているが、病気や怪我でのダメージは思った以上に身に応える。それで寒いのは不得意だが、暑いのは我慢出来るので、この夏もエアコンなしで過ごそうと思う。寒いのに関してだが、未だに電気毛布が手放せない。夜中に寒くて目が覚めて、スイッチを入れて朝まで一直線。朝ごはんを食べている時も、足先が冷えて、食べ終わった後、つま先を風呂の残り湯で温めているくらいだ。急いで帰宅しメール作業。目処がついたのは6時半。徒歩で、レストラン「藤」に向かった。豚肉炒めでビールをのみ、海鮮丼で仕上げた。明日は深夜作業が待ち受けているし、土曜日は私用で忙しく、飲めるのは今日しかない。

5月24日(水曜日)
今日は...プール
高松市、徳島市、高知市で仕事をして、プール。今回の健康診断で年間100km程泳がないと、内脂肪は燃えてくれない感触が掴めた。今年はまだ25kmだ。忙しく、深夜の仕事も多いが、この運動は健康の元だと信じて優先しよう。

5月23日(火曜日)
一日休むと山のようなメールとその処理作業がある。朝から頑張っても午後3時になる。それから高知市に出かけ仕事をし、坂出に向かう。もう急がなくて良いので時速90km。カーナビとの誤差は5分。頑張れば5分短縮できるからプラマイ10分。急ぐことはない。午後8時半仕事を終えてホテル探し。8000円しか残ってない。1500円のマイナス。食事の後、24(中古着店)へ。ワイシャツ500円とネクタイ300円運動靴2300円を購入。


5月22日(月曜日)
今日は...健康診断の日
一年に一度。それまでに具合の悪い時があり、年に数回は病院のお世話になっている。その度事なきを得たが、いつまで続くやら。体脂肪検査ではチョット異様な数値が出た。水泳の効果あり。骨密度と血管の詰まり度合いは平均以下。血管は薄皮一枚の詰まり状態で、動脈硬化は問題なし。腎臓に石。肺に病気の痕跡。今月の激務は影響無かったのが不思議。病院から出ると早速矢継ぎ早の電話の嵐。今晩は、この処理に、相当遅くなるかも。クライアントから直接メールが来始めた。(今までは本社が一枚噛んでいたが)。取り敢えず、
結果に安心してお披露目市場でちょっと一杯(今日は代休の日)。思えば今が一番良い時かも知れない。こんな時何時迄も続く訳がないからだ。午後は脳の検査。これが終われば、もういっぱい飲んで帰る。どうせ、今晩はPC作業で飲めないのだ。高知唯一のスタバでユックリして本文を書く。スタバから見える通行人は少なく、先日行った表参道と風景が全く違う。第一外国人は通行しないし、店内の客もいない。Macを拡げている客もいない。でも、強い日差しと、近くに海がある暮らしはなかなか良い。

5月21日(日曜日)
今日は...草退治
桃太郎は、猿、犬、キジを連れて鬼退治。僕は、トラクター、草刈機、もも太郎(除草剤の噴霧器の名前)を携えて、沖の田へ。掃除、洗濯を済ますと10:30。暑い。先ずは除草剤散布。柿の木の下の雑草は、草刈機で丹念に切除。帰って昼飯。大きな睡魔がやって来て、30分昼寝。ビニールハウスを貸してある人は、前に貸した人と同じように、不要物を田に散らかしている。それを拾ってゴミ処理袋に詰める。今度は田をトラクターで耕す。一面の草は、一掃されて、後1ヶ月は安心(次は梅雨期で、耕運は今日の様に簡単でない筈)ここで、5時の時報。急いで帰り風呂を沸かし、夕食の買い物。下のシゲオさんの犬の散歩に出会い、犬を撫でる。と言うよりか、犬に舐められてベトベト。デカイ犬なので大変。夕食は雑炊。明日は健康診断なので、かなり構えている。

5月20日(土曜日)
今日は...移動日
昨日は疲れ果ててホテルに宿泊したので、今朝は目覚めと共に移動。感じの悪い今治アーバンホテルは、鍵を返却しても、「ハイ」の返事で「有難うございました」の声は聞こえず。強い日差しの中、松山道、高知道へと時速80kmで進行。音楽はケニードリュー/欧州紀行。ピアノよりもベースが魅力。調べると、ベースはニールス・H・φ・ペデルセン。この人はチャーリーパーカーとの共演もあるとの事だがあんまり有名でない。密閉型のスピーカーで再生すると更に良い。ヘトヘトで帰り着いて、メールを開き報告書の作成。終われば午後4時。夕食の食材を買って風呂を沸かし1日の疲れを癒した。映画を2本。「白鯨との戦い」の後ろ半分。「コナン」。「コナン」は、いつの間にそんな情報の進展があったのか?的なツッコミ多く、シャーロックホームズと似た様な展開。圧縮での録画だが、アニメは原作が12コマなので、圧縮率が高くても、100インチスクリーンでも破綻がこない。結末がわかっているから安心してみていられる。疲れているときには丁度良い。

5月19日(金曜日)
今日は...山口県で仕事
同僚が腰痛で動けず、しかも今週中に目処をつけなければならない。中四国の責任者でもある私は、昨晩自分の仕事を終えて山口県に入った。今日は朝からその仕事。マッサージ器の展示作業で結構手間を食うのと、設置場所を確保するのが大変。一店で1時間半。結局最後の店を終えたのが午後6時。近くの王将さんで夕食。今食べないと今夜は食べるところがなくなる。高速道路に乗って、今治まで280km。到着時刻は22:30を指している。
中国道は車の量が多く、片側車線はほぼトラックに占拠されている。トラックは80kmの走行が多く、追い越し車線は120kmオーバーが多く、25年前のホンダストリートには荷が重い。だがよく吹き上がるエンジンに助けられて、定刻通り到着。今治アーバンホテルだ。電話で場所を聞くと、「フロントまで来てくれると説明します」???フロントが分からないので電話をしているんだけど。要領を得ないので、自分で探すことに。新館を見つけたので、ここで聞くと「名前は?」先ずは、私の質問に答えてくれよ!。今度は電話で確認を始めた。同じ系列なら、駐車場を共用するのと違うのか?しかも23時に近い。これ以上沢山の客は来ないだろう。と思った。こちらでも拉致が開かず、駅前に車を止めて、ホテルを探した。ホテルの部屋は清潔で静かだが、従業員がまるでダメ。ホテルはハードの競争からソフトの競争にもはや突入しているのだが。田舎では新しい風を感じないらしい。村上水軍が滅んだように。

5月18日(木曜日)
今日は安芸で仕事。近くで安心感がある。でもこの仕事は時間を食う仕事で1時間半を使って作業を終えた。ゆっくりご飯でも食べて帰るのがいつものパターンだが、今日はそんなわけに行かない。帰って資料をまとめ、山口県まで移動だ。電車でも車でも6時間の行程だ。覚悟を決めてハンドルを握った。カーナビでは午後11時の到着予定を示している。夕ご飯はコンビニでパンとおにぎりと野菜ジュース。今治市で2度目の給油。さすが山陽道の交通量は半端でない。ホンダストリートは6000回転を回して、追い抜き車線を走る。登りもこの回転だと速度が落ちない。たぶん最大トルクがこの付近にあるからだろう。そして燃料計がみるみる減って行く。カーナビの到着時間は余り変わりない。時間通りに山口県湯田温泉に到着。風呂の中でibooksを読みながら疲れをいやした。風呂から上がり、ワンカップ大関を飲みながらシベリウスの交響曲6番を少し聞く。シベリウスの音楽はどこで再生しても、あ!シベリウスだとわかる痕跡を残している。名探偵コナンでなくてもすぐに証拠をあげられる。

5月17日(水曜日)
忙しい日々はまだまだ続く。今朝は、朝食もそこそこに6時半に出発した。東京で会議開催だ。会議は12時からだが、丁度の便がない。それで始発の飛行機だ。当然時間が余るわけで、秋葉原へ寄って、LED懐中電灯を買った。350ルーメン。四国にはこんな化け物は販売してない。陳列を見ていると、700ルーメンや、1000ルーメンもあった。流石にここまで来れば、自転車には装着出来ない。次に向かったのは竹下通り。ネクタイを締めたおじさんが行くところではないが、今日の会議室が表参道ヒルズだから、仕方ない。ロッテリアで早めのハンバーガーを食べたが、1,030円もするのに、マクドのメガマフィンに比べて貧相で、値段はほぼ倍。しかもまずい。コーヒーも普通のサイズでまずい。しかしここにもメリットはある。余りにもひどい内容なので、人の集まるメッカなのに客がいない。静かに食事を頂き、荷物を放置したまま洗面所で歯磨きまで出来た。竹下通りの出来事ですよ。今日の会議はフナイテレビの発表会。4Kテレビを発売する。パナもソニーもシェアを食われるだろうとのこと。3TのHDDが初めから内蔵されているのが特徴。パネルの供給元が、どこのメーカーも同じなので、エンジンとなるソフトウエアを変えるだけでは、大きな差がつきにくいと思う。今ではソニーもパナもテレビに腰がひけていたタイミングなので、多分被害は少ないはずだ。その後、池袋のヤマダ電機に寄った。有機ELのテレビを見るため。黒の沈みと動画応答は素晴らしいが、明るさと発色に難あり。ソニーやパナが6月に発売する有機ELはどうなんだろう?有機ELの欠点は黒が沈むが、黒の階調がでない点にある。そこを改善しているはずだが。ダイアナミックモーションのヘッドフォンを尋ねたが、扱いはなし。隣のビッグカメラにあってGet。ついでにソニーのヘッドフォンセット34万を聞かせてもらった。腰を抜かしそうになった。佐渡祐のベートーベン5番。一目瞭然という言葉があるが、これは瞬間に良さがわかった。ニコンD750、D5、キャノン1Ds、D5mk4を触った後なので、優先順位はカメラだろうなと、泣いて馬謖を斬るのでは無く、泣いて電源スイッチを切った。こうして時々趣味の情報を充電すると元気が出てくる。高知空港午後9時。プールに行って風呂だけ入った。

5月16日(火曜日)
背中が痛い。芸西オルソニックの診立ては慢性膵炎。薬を貰った2ヶ月目。一向に効かない。先生は、痛みを訴えると「分かっちゅう」と怒る。来月になったら、医療センター(高知で一番有名な病院)でCTを受けるように手配するという。もし癌だった取り返しがつかないじゃないか。それで、父の入院していた病院へ診断を申し込んだ。その診察日が今日。早速CTと血液検査。この病院はフットワークが軽い。診断の結果は、膵臓は正常だ。CTでも散見出来ない。痛いのは「筋かも」と言う。道理で合点がいったのは、あまりひどい時は、湿布を貼ると和らぐし、プールで泳ぐと消えていたからだ。兎に角、痛みが始まったここ1ヶ月は酒を止めて、コーヒーもやめた。良くなった時もあるし、変わらない時もあった。とにかく万事解決した。それで、昼からは俄然元気が出てきて、少々厄介な仕事も楽々とこなしてしまった。4時過ぎに自宅に帰り、突然依頼されたPC業務を午後7時まで一気に片付けてしまった。食事をして、8時から1時間半、資料の検証を行いメール送信。5月に入ってずっと深夜までの仕事が多かったが、一応山は越えた。と思う。

5月15日(月曜日)
今日は、宿毛市、四万十市の訪問。昨日の晩、急な仕事の依頼が来たので、急いで帰り作成しなければならない。とは言え、150km先の仕事は結構時間を食って、四万十市を出発したのが午後4時。どんなに急いでも、3時間半は要する。お世話になっているおばさんから、黒潮町の塩を買ってくるよう要望されているし、時間はそれ以上かかる。夕食はホカホカ亭のトンカツ弁当。7時過ぎに帰宅。9時までPC作業。30分で食事。11時一応のメド。送信すれば、意味不明と送り先から電話があった。原因は、ファイルを間違えて送信した事。慎重に進めても、慌てているのだろう、それに頭が朦朧してもいるから。もう一度職場に行って正しいファイルを送信し直した。フラフラで風呂に入って元気を回復。

5月14日(日曜日)
今年は本を読もうなんて妄想は捨てて、とりあえず今年は、仕事。田畑の管理ぐらいで、仕事を辞めてから、読書や映画、カメラなどは取りかかろうと決断した。それで、幾分気分は楽になり、除草剤の散布に取り組んだ。この家の周りにある田畑に施した。夕刻5時まで要した。忙しい、忙しいと嘆いてはいるが、僕の忙しさは強弱をつけてない事に原因がある。一本の線上(時間軸)に、すること(To Do List)が羅列してあり、メール作業も、台所の掃除も、その線の上に載っかる。それを順番に処理していくわけだが、どれにも何かしら想いがこもり、予定時間をオーバーし時間がいくらあっても足りなくなる。それで、ある時間で区切りとつけて、次の項目に移るわけだが、時間内にめどをつけるために、食事の時間を節約して、車のスピードを出し、歩く速度を速め、会話には主語を端折り、メモは判別できないほどの走り書きをし、焦る。焦るから余計時間がないと感じる。これが原因だし欠点だ。もし時計をなくしたらどうだろう。座禅を組んだらどうだろう。いずれにせよ今の生き方には問題がある。と思う。

5月13日(土曜日)
昨日は深夜まで頑張ったが、それでも足らず、今日の午前中を作業に充てた。午後、いつも母のことを気にかけてくれたおばさんの旦那さんが急逝した。お葬式は今週の月曜日だった。全く知らなかったが友人が教えてくれたので、お悔やみに行った。奥様もそんなつもりはなく、まだまだ大丈夫と思っていた矢先の事で、どうにもならなかったと言う。結局先生も死因を特定できずじまいとのこと。この旦那さんは、木から落ちて入院3年目でなくなった。年を取っての骨折は再起不能だと見なければならない。おじさんところで、花の出荷を手伝い、これで終わりと聞かされた。残りの花(スターティス)をもらい、祖父母、両親の眠る墓に添える。これで今日は終わり。映画「白鯨との戦いを」(原作ナサニエル・フィルブリック)を半分見る。「白鯨」(原作ハーマンメビル)とは別物。白鯨は重く暗い小説だったので、買ってから読み始めるまでに3年くらいを要した。鯨との以心伝心があって、ヘミングウェイの「海と老人」に一派通じるところもあった。この映画も、その片鱗を少しだけちりばめてあったし、虎と少年が海を漂流する「ライフ・オブ・パイ」で飢えと渇きとの戦いも、この映画にはあり、海洋冒険てんこ盛りの映画だった。だからと言うわけではないが、漂流の場面が少なく、とても厳しい想いをして、生き延びた感じは伝わってこない。つっこみは、動物は、生き物を襲う、それは食べるためであるのだが、いろんな映画で、ビルを襲ったり、戦車を襲ったり、船を襲ったりする恐怖の場面は多い。それは絶対にないと思う。どんなことがあっても、鯨は船を襲うことはない。

5月12日(金曜日)
今日も昨日と同じ作業。どんどん時間短縮できて、帰りにプールに寄って帰った。どうせ、今晩は報告やら、承認やら、その他の作業が目白押しで深夜になるから、お風呂と食事を先に済ますためにもプールは必須だった。エネルギー保存のため、1kmで押さえた。10,000歩と1kmで大体その日の僕のエネルギーは枯渇する事が経験でわかってきていた。背中の痛みも消えない。もし重い病気だったらと思うと背筋が凍る想いでいるのも憂鬱だ。泳ぐと背中の痛みは消えるから、少し気分が楽になる。

5月11日(木曜日)
今日は高知県で同じ作業。ただし、今日からは、電動ドライバーを持参し、カッターの刃を新調し万全の体制で臨んだ。つまり、今までの作業の結果何かのこつをつかんだのですね。2時間半の所要時間で作業を終えました。それからは、とんとん拍子に訪問先で作業を終えて太陽のある内に帰宅できました。めでたしめでたし。この作業に椅子の組み立てがあるのですが、仲間に聞くと25分くらいを要すると言っていました。僕はそれを10分くらいで終えていますので、ずいぶんと早い作業だったことがわかりました。1971年松下のステレオ事業部で製造ラインの実習をしたときの事、一日目は、皆さんに迷惑をかけたが二日目からは、作業が早くなり、前の人から送られてくる商品を待っている時間ができるほどになりました。ところが、別のラインでは僕よりもっと作業が早い人がいて、たまたま同じ寮だったので、その人と仲良くなって、アンプやカメラのことを教えてもらった事があります。岡山出身のひとで「おえりゃせん」を言っていたのが記憶に残っている。当時は長門勇の「おえりゃあせんのう」が流行語だったから余計印象深い。この人清水君と言って、非常に器用だったが、そんなに社交家ではなかった。一方僕は誰にもくっついて行ったので、結局ステレオ事業部の職場から飛び出て東京に転勤を決めてしまったと言う腰の据わってない人だった。そんなことを思い出してしまった。畑の草刈りも、田の溝掘りも、「おまん百姓をしやぁせんに上手にするねゃ」と言われるのには、こうした器用さがあるのだ。だから貧乏なのだ。

5月10日(水曜日)
今日は香川県で、自分の担当する家電量販店での仕事。結構手間を食う仕事だが、一人の作業となれば、昨日までの2人組の時間と比べて、単純に2倍の時間を要するのだった。結局ここで仕事を終えたのは午後5時。それから坂出市の店に向かい同じ作業を行った。何と終えたのは午後8時過ぎ。昼飯を喰ってなかったので、マクドナルドでハンバーガーをかじる。コレじゃ体をこわすな。それに胃が荒れた感じがあり、食べてもおいしくない。更に豊浜SAで焼きそば(550円)水で流し込んだ感じ。家に着くと午後10時だった。疲れをいやすお風呂はなくシャワーで済ます。きつい仕事だ。

5月9日(火曜日)
朝6時半に朝食、7時過ぎ岡山市へ向かう。今度は岡山の担当者と合流して、昨日と同じ作業を行う。岡山の家電量販店は10時半始まりだと知らなかった。知っておけばもう少しゆっくりできたのに。仕方なく、駐車場に車を止めて、コンビニで買ったお茶を飲みながら担当の方と雑談。この人はナショナルクレジット出身なのでいくつかの共通話題がある。家で酒を飲んでても仕方ないから仕事を始めたが大変だなとこぼしていた。10時半から店内に入り午後2時まで作業。30分移動して、別の店で同じ作業。結局終えたのが午後5時前。それから「昼食」。この担当者は、「王将」と「丸亀製麺」しか候補に挙げてくれなかった。岡山でしか食べられないレストランはあるのだろうに。食事の後別れて、坂出に向かった。途中のパーキングエリアで爆睡。瀬戸大橋は大風で速度制限50km。僕の軽自動車は旧くて、風にあおられる。時速50kmでも怖いくらいだ。車線からはみ出しそうになるから結構怖い。陸地になって両サイドに1mくらいの防風壁があるところは全く問題ないのだが。とにかく無事に渡ってホテル着。メール作業をして、雨の中散歩と言うか夕食に出かけた。宇多津に大きなモールができていて、その中にケーズデンキがあった。パナの4400円もする懐中電灯があった。330ルーメンの明るさがあると明記されていた。先月自転車用のランプを秋葉で購入した。300ルーメンで感動する明るさだったので、それを上回る明るさだったので飛びついた。家電店を散策するのは本当に楽しい。夕食はこのモールの中にある、海鮮ご飯やと言うのがあった。野菜と刺身の夕食で栄養をつけた。

5月8日(月曜日)
三原市から広島市へ。広島市では三越の駐車場に入れるように指示されたが、それは車線の反対側で、広島市は右折ができない車道設計で、どうしようもなく目の前の駐車場に入れた。今日は家電量販店でマッサージ器の設置応援だ。当地のわが担当者は女性なので、力仕事が必要なため男性社員として私が訪問した。100kg近いマッサージ器を移動して展示場所を確保する作業で、大変だった。しかも、片付けたモノは梱包してくれと依頼される(他社さんの機械ですよ)慣れない椅子の組み立て作業もあって、作業は難航、結局終わったのが夕刻の5時。それから、もう一軒訪問して同じ作業を行った。エネルギーを使い果たした感がある。どこかで一眠りしたい。しかし、これから岡山方面に向かって移動しなければならない。でも、とても岡山市への180kmは無理だ、ホテルは福山市を予約した。しかしコレでも110k高速をぶっ飛ばす必要があった。結局9時半過ぎに到着した。カーナビがあるので、迷わずにいけたのは行幸だ。レストランはなく、「すき家」で牛丼を食べて夕食とした。コレじゃ命を削って仕事をしているようなもんだと思いましたね。入浴の後の音楽を効く暇もなくダウン。

5月7日(日曜日)
早朝、更にもう一度の修正に応じて午前中に資料完成。ゆっくりする暇もなく、着替えてすぐに車に乗って出発。行く先は広島県。車の運転に自信がないので、宿泊は手前の三原市とした。地図上では、高知からはどう見ても「しまなみ海道」を渡る方が近いと思うが、カーナビは瀬戸大橋を渡れと指示する。時間はあるので、しまなみ海道を選択したが、今回はカーナビの案内が正しかった。「四国の高速道路」と「しまなみ海道」はつながってなく、今治市の地道を結構走るのだ。(でも時間は余り変わらない)245kmを走破して三原市に到着。早速ヤマダ電機に行ってマッサージコーナーで、フジ医療器さんの機器に15分ばかりお世話になった。三原市を散策して、魚のおいしい店で夕食を考えていたのだが、途中にご飯屋さん(南森町食堂のフランチャイズ)があり、ここで野菜の小鉢を多めにした食事を頂いた。風呂の後、iPodで音楽を聴いたが、どうも音が良くないし、楽しくない。DENONのポタアンも使ってはいるのだが。最近は体調に依って音楽が良かったり、良くなかったりすることがある。きっと今夜は疲れているのだろう。

5月6日(土曜日)
最終のレポートに大幅な修正要望に応えるため、早朝から23時まで作業を行った。もうくたくただ。一応の完成を見たので、気持ちとしては落ち着いた。だが、遅くまで興奮状態だったので、なかなか寝付かれない。酒でも飲めば眠れるだろうが、年取ってきてからの寝酒は良くないだろうと何も口にせずに寝たのだが。

5月5日(金曜日)
もう力任せにぐいぐいと資料を作り、強引に完成に持って行った。Excelでかなり長い時間をかけてグラフにやりやすい素地を作っておいたらから、パワーポイントでは、そのデーターをコピーしてグラフを作れば良いだけだった。金曜日は早めに切り上げて映画でも。これが今までのパターンだったが、最近は金曜日はメンバーの報告数字があがってくる日であり、訂正したり、修正をお願いしたりしてまとめて、本社に報告しなければならない。それがまとまるのがほぼ午後10時。もうこの時間から何かをする気にはなれず、お風呂に入ってひたすら寝るだけ。もうご飯を作る暇もなく、お弁当の日々だ。このままではたぶん体をこわす。仕事が激しいだけ酒も飲まず、間食もせず(できず)、夜更かしもせず、結構健康的生活なのだが。

5月4日(木曜日)
世間ではゴールデンウィーク真っ最中だが、僕は仕事の真っ最中だ。5月5日は一応の完成予定を目指しているので、早朝から深夜まで睡魔が襲ってくるまで没頭している。ところが、こんな時に限ってトラブル。午後1時頃だ。集計が1枚目のシートと2枚目のシートで合わない。その差「2」。黙っていれば誤差の範囲。しかし、それでは僕のプライドが許さない。一枚目は基礎データーで、2枚目はそれから抜粋した1班~6班までの分散の集計だ。その合計が一枚目と合わない。Excelの計算式を疑った。行も列も数えなおした。冷静にならないと解決方法は浮かばない。もう一枚シートを作って考えられるあらゆる計算を試してみた。画面を見ながら電卓で計算もした。だめだ。だが、ここまで思い詰めれば通じるのか、解決策をふと思いついた、1枚目のデーターと2枚目のデーターを同じ列に加え、ソートをかければ、同じモノが2個づつ並ぶはずだ。これが解決の道につながった。同じモノが2個並ばないところが一カ所だけあった。これでわずか「2」の差異は解決した。所要時間3時間。でもこの大作業を終えて、少しだけ数字に対する自信が湧いてきた感触を得た。それは、間違いやすいポイントがどこにあるか嗅覚が働くようになったことだ。だからどうなんだと言われると。実生活には全く関係ないですね、と答えざるを得ない。

5月3日(水曜日)曇り
6日までに仕上げる資料の先が見えない。毎晩9時まで頑張っているがまだまだだ。午後8時過ぎると眠くなって、気がつくと何をしていたのかわからなくなっている。Undoで元に戻し、もう一度、また睡魔。少し眠る。15分ばかり眠ると覚醒する。こんなにハードな仕事になるとは思わなかった。さらには、いろんな依頼がやってくる。正味この資料のために費やす時間は、稼働時間の中で半分くらいだ。まぁ自宅なので、とことんやってから倒れるようにして眠るのも可能なわけで、現役の頃、事務所で遅くまで仕事をしていたときのようないらだちはない。もう一つの救いは、風呂だ。晴れていると自宅の風呂で、水の掛け流し入浴ができる。おしりから熱いお湯が立ち上ってきて、上から冷たい水が降り注ぐのは実に気持ちがよい。雨だと、安芸市の銭湯でサウナに入る。今日のトピックスは、昨日前の畑の溝掘りを終えて、2月中旬から土の移動から始まった一連の畑の改革は終わった。ホント骨が折れるような激務だった。はじめ頃は指がかじかんで、しばらくポケットの中で暖めたが、終わりの頃は、大汗を流し、作業が終わると着替えねばならなかった。今日から、切り倒した梅の木の処分に入った。短く切ってコンテナに入れて、役半年ほど寝かすと、風呂の焚き物になる。伐採した梅の大木は7本くらいあり、たぶん2ヶ月ほどを要して完成するはずだ。

5月2日(火曜日)
鉢合わせ
朝、起きると、すぐ倉庫に行って道具を取り出し、1時間ほど野良仕事をする。その時のこと。僕との鉢合わせで、野鳥があわてて屋根の上に飛び上がり、口にした何かを屋根にたたきつけている。野鳥もせっかくの獲物を放したくないようだ、咥えたモノはまだ動いていて、飲み込むわけにはいかないらしい。よく見ると、真っ黒な立派なムカデだった。僕にとってはこの鳥は益鳥だ。先日から蚊の大群におそわれて、あわててバルサンを焚いた。トイレではあまりに多くの蚊の大群で歩くと顔や手に当たる。仕事は山ほどあって、職場から自宅に帰る15mの夜道は真っ暗だ。懐中電灯で下を照らし、動いているひも状のモノはないのか気をつけている。それはまむしだからだ。この家の西側にまむしの巣があるそうだ。コレには当たりたくない。納屋では、ネズミが動き始め、どういう訳か階段の登り口に大量の糞をしている。その上ではツバメが卵を暖めているから、バルサンを焚くわけにも行かない。まぁとにかく人間以外は賑やか。できれば遭遇したくない。背中の痛い病名はどうやら慢性膵炎とのこと。激務と病気が仲良くしてくれれば最良だが。

4月29日(土曜日)晴
三豊郡の農協が主催する青果市場で買い物。タラの芽(120円)西洋パセリ(80円)知識にはないミカン6個(250円)、兎に角ここは安い。次、観音寺の酒屋さんマッキーに寄ったがここはまだ開いてなかった。帰りの高速道路は全然眠くない。何で車が多い?そうか、世間では今日からゴールデンウイークなのだ。帰り着いてメール作業。おじさんの花卉出荷手伝い。従兄が脳梗塞で入院している情報を得る。メール作業。友人のお母さんのお見舞い。声が細く、聞き取れない程弱っていた。夕食の食材購入。ここで親戚の求君にあい、親父の様子を聞く。歩けるようになったといい話。風呂を沸かすのと夕食の準備を同時。その後メール作業。それから食事。生活のほとんどにメール作業が侵入。でも、仕事で自分の時間が削られたとか、仕事の区切りがつかないと安心できないなどと言った、30~40才代営業をしていた頃の自分とは明らかに違う精神状態にあると思う。とぎれとぎれでも、十分に休養できる時があるのだ。それが今週ずっと続いた。これは行幸。今日は終わったなと思ったのは午後9時。さぁこれから趣味の時間だ。まず「ガンダムCU」のビデオを開いた。10分後。これ以上我慢できなくてダウン。

4月28日(金曜日)晴
苦痛の南国~馬立て間。南国インターから高速道路に乗る。根曳峠の高速道路版。傾斜角6度。古い軽自動車では速度が70kmに落ちる。これが、終わり標高300m~450mの山間道路に入ると、ほとんどがトンネル。ここが問題だ。突然睡魔に襲われる。どうしようもない睡魔、何をしても(ほとんどすることはないが)瞼が落ちる。最後の笹が森トンネル4300mを抜けると馬立てパーキング。この間30分余り。どんな対処の方法も見つからない。それを止めて国道に切り替えると2時間は必要。月に2度はこの道で苦戦している。今日は徳島から高松、坂出と訪問したが、結局今日も最後の最後に、品物未着で問題を抱えたまま退散する。気を張って出かけたが、うまくクールダウンできない。なかなかスムーズに事が運ばない。ホテルに帰りメール作業。夜8時、食事に出かけた。まだ最適な食事処は見つからない。王将で夕食。散歩方々、近くを歩くと、コの字型に囲まれたマンションの一廓が、居酒屋街だった。次回訪問予定。帰って23時までメール作業。昼間出来なかった分だけ、夜に加算される。

4月27日(木曜日)晴
今日から3日間外勤。3日間の外勤だが、2日間で片付けて、余った時間を書類作成につかうつもり。それで、気を張って出かけた。6軒の訪問予定で、4軒目までは旨く行った。よしよし。ところが5軒目で、手渡しする書類がない事に気がついた。4軒目で忘れて来た。探しに取りに戻るがどこにもない。家に帰ってプリントアウトして、5軒目、6軒目を済ませたら7時になっていた。暗がりでお風呂を焚いて夕食を作った。その後メール作業で午後10時半まで。最悪な一日は、これだけではない。友人のお母さんが調子を崩し入院となった。もう家に帰って来ることはない重い状況なのだ。そのお母さんには頻繁に会っていたが、この2週間でぐいぐいと調子を落としていたのが気になった、季候が良くなったので盛り返すと思っていた。それがさらにひどくなり、自宅では生活できなくなったと言う。お見舞いに駆け付けたいが、動きが取れない。「大学の道は明徳を明らかにするにあり、古の明徳を天下に明らかにせんと欲するものは、まずその国を治む。その国を治めんと欲するものは、先ずその家を整う。(本当はもっと長い詩)」僕は、父が危機に瀕した時に思い出したのはこの言葉。自分をつつしまなければ、家は崩壊すると思い、ぐらぐらしていた生活を一新した。僕に効果があった言葉は、友人には効かないかもしれない。だが、これしか友人を支えるものを持ち合わせてない。


4月26日(水曜日)雨
いやぁ毎日毎日事件が起きる。一つの指標に向かってなどと思っていては務まらない。メールでの指示はころころ変わるし、スケジュールは立て込んでくる。一日10時間働くのも苦ではないが、それでさえ整理できないことが多い。飛んでくるメールに都度反応していたらメンバーも困惑するだろう。他の地区は、メンバー全員に転送しているみたいだが。僕は、ぎりぎりの情報を電話で伝える。おじさんはメールでは理解できないのだと思っている。以上は全て仕事の話。それに雨だ。肩が凝るし目が痛い。風呂を焚くには雨で焚きつけが悪い。夜6時過ぎだというのに、夕食の食材も買ってない。定時の7時まで仕事をして、安芸の銭湯に駆け付けた。ここはおばあさんと、息子さんがのんびりと構えていて、少し話をするだけで気分が落ち着く。風呂屋の職業にぴったりな人たちだ。冷えた体を温めた後、サウナに入った。サウナは体に良くないと聞くが、肩こりには最適だ。僕は肩こり症ではないが、これだけ長時間のキーボード操作をすると、どうにもならない。焼けるような熱いサウナに入ると随分と楽になり凝りを忘れてしまう。それから、いつもの中華料理店に寄って定食を頂く。安芸市にレストランが2つしかないので、交互の利用。食べ物が偏ってはいけないと自覚しているが、選択肢がない。これが田舎だ。

4月25日(火曜日)曇り後雨
土を移動している畑には、雨水が溜まる。一つは、降った雨の量の一部。もう一つは、山に降った雨がこの畑に湧いて出て来る。雨水は倍加する。畑は洪水になる。それで排水溝を作っている。毎朝1時間、鍬とスコップで畑を掘り下げているが、これが結構重労働で、昨日までは汗がぽたぽた程度だったが、今日は、汗が滝のように滴り落ちた。こうなると、着替えが必要だ。暑くなる前に仕上げようと思ったが、4月に入り結構雨の日が多くて作業が遅延している。5月の連休中には終えると思う。さて、仕事は大きく2つあって、一つは統計業務。一つはマネジメント。わずか4人ばかりの組織なのに、4つの方向のベクトルがあって、我がチームはある商品の販売では最下位を走っているのだ。これを何とかせなあかんのだが、まぁ定年後の暇つぶしのような職場でもあるので、ベクトルは一つにならない。今日なんか、プリンターのインクが詰まった相談だ。取説をWebで開いて、読みながら当たっていくと、マゼンタのインクが2種類あるタイプのプリンターで、そのインクの品番が違っていたのだ。こうして職務とは全く関係ない所から仕事は始まる。もう一人は、朝早く、7時半ごろに電話があった。老人は早起きだからだ。もう一人は、電話は全くなくメールのみ。急ぎの用事もSSNだ。この人は若く、デジタル的。デジタル的だが文章はアナログ的。池戸潤氏小説「陸王」のように、メンバーがまとまってスポーツシューズを世に出そうと、社長が従業員の共感を得てぐいぐいと引っ張ってゆくのとは、全く違った世界にある。でも、小説よりも面白いのは、アクシデントが無数に転がっているのに、正解がない事が多い。いろんな事象がどちらに転ぶのか予測できないことである。早めの対処のみが最良と信じている。こちらも、暑くなる頃までには、お互いの性格が分かってきて、仕事もこなれて来て、少しスムーズにいくのではないかなと思っている。そうは行かないかもしれない。なかなかスリリング。

4月24日(月曜日)晴天、曇り、大雨
仕事は大変だ、と嘆いていたら、給与明細が届き、給与が上がっていた。ざっと一日1万円。定年後に高知の田舎で暮らしてゆくには申し分のない給与である。感謝。この文章を書いていると、部屋が揺れている。地震みたいに揺れている。ガラス窓がガタガタと音がし、床が震える。真上で雷が鳴っているからだ。こんなに近くで鳴られると不気味だ。天の邪悪が感じられる。宗教はこのような状況から生まれたと想像に難くない。この家の周りは背の高い木や竹があるから、果たして雷はここをよけてくれるのかな?古い家なので、落雷があれば、かなりの損傷を負う。全壊してくれれば一番良いが一部損壊だと、大金を払っての修理となる、それだけは避けてもらいたい。話がそれたが、再びお金の話し。問題はこの給与と年金は両立しないのだ。増えた分だけ年金は減る。結局貰えるお金は一定だから、ありがたくもなんともないのである。しかし!だ。7月以降は事情が変わる。年金カットが無くなるのだ。つまり、給与と、年金は両立し始めるのだ。本当の昇給は7月以降にやって来る。EOS5Dmk4。OMD1mk2。GH5。TX2。α9など、この春は魅力的なカメラが目白押し。この秋はこのうちどれかを買っているだろう。そして、このカメラで撮影した写真と動画を、100インチのプロジェクターで楽しむ。もちろん4K。給与はこのために使われる。

4月23日(日曜日)晴天
定番
申し分のない天気。洗濯をして、本を読んだ。この一年なかなか本にありつけなかったが、やっとの事で少しだけだが時間が持てるようになった。本とお酒は相性が悪い。昔々、結婚当初の数年間はお酒の量が増えた。あの当時失った読書量はいかほどばかりか。人生の損失であったと今にして思う。そして定年後、子供たちの学費の為にがむしゃらに仕事をした。その3年間は、忙しくて本を読む暇がなかった。学費の支払いが終わると、やっと読書が戻ってきたのもつかの間、今度は両親の介護と家の片づけで時間を食われた。それも、やがて過ぎ去って、やっとたどり着いたって感じが今かなぁと思う。今の仕事にマネージャーの職務が追加されて、めちゃ忙しくなったし、おじさんの体調不調で、花卉出荷の手伝いもあって時間を取られるが、それでも努力すれば読書の時間は確保できる。今日は読みかけの本を読み上げようと頑張ったが、慣れない読書の所為か急に眠くなり目的は果たせなかった。それに、いつもの行事である水泳も復活したので、読書は切り上げざるを得なかった。でも、とっかかりは出来た。本を読んで身に付ける野心なんてものは何もない。音楽と同じで、読んでいる(聞いている)だけで幸せな気分になれるだけだ。最近読書で発見したのは二つ。Kindleで「陸王」を読んでいる。ページをめくっていくと、「108人の人が感動した部分」なんてところが、行間に波線を引いて案内してくれる。なるほど、この本を読んでいるほかの人は、ここに感動したのか!と解る。これなんか、書籍では味わえないところ。もう一つは、アリス・イン・ワンダーランドの英文物語も、Kindleで読んでいる(こちらは寝る前)。この英文は結構優しいが、中に理解できない単語がいくつか登場する。その単語の上に小さな英字で、別の言葉を使って意味を説明してくれる。つまり、あまり英語力が高くない人のために、英英辞書がついているのだ。結構これがいいタイミングで割り振ってあって、読む速度が上がる。この2つには作品とは別な面で感動しています。

4月22日(土曜日)
草との闘いの日。先週は一応除草剤の散布を行ったが、それでも、効きの悪い草や、散布ムラ、この1週間に生えた新芽これらが緑のじゅうたんを保っている。もう一度、除草剤の散布。たぶん2回も散布すれば効き目はあるはずだ。来週の土曜日は仕事なので、次は5月5日の散布となる。ヤマダ電機の価格と同じで、今年の僕は、草に対して「徹底的に対抗」するつもり。この間に、早朝、顆粒の除草剤を散布する必要もありかな?と思う。と言うのは、1回目の除草剤で、イタドリと、つゆ草には全く効果が無いようだった。午後3時に終えて、おじさん所の花卉出荷応援。4時に帰宅し風呂を沸かして、次の為に風呂用の薪を切って、竹林でタケノコを切り倒し、買い物に出かけた。ご飯がないのを思い出し、うどんとそばを買ってきて今夕のメインとした。昼に、「きら効」のお弁当を海で食べて、まだお腹に残っている感じがあったから。風呂の後、部屋の明かりを全て消して、「スターウォーズ/フォース」の覚醒を見た。2度目なのに全くストーリが記憶にないので新鮮味をもって見られた。さすが100インチの映画館には感動。レイア姫やルークが中年太りして、少しがっかり。ハンソロは、意外にも年を食ってなかった。

4月21日(金曜日)
朝飯を食べていると、友人がやって来た。この友人は毎朝3時に目覚めるので、僕ら凡人と周期が合わない。それで、彼は遠慮(?)して、7時半に来たのだ。僕は飯を食べながら、話を聞いた。今日はゴルフの日で、スタートが10時半からとのこと。それで、時間つぶしに来た。格別要件のない話だったが、今「めひかり」旨い季節になったとのこと。浦戸湾の漁港で販売しているとの情報。早速行ってくる必要ありかな?9時過ぎにもう一人の友人がやってきて、この朝来た友人を連れて行った。今日は魔の金曜日。なぜ魔と言えば、週末にメンバーの報告書をまとめて発送しなければならない。ところがなかなかこれが揃わないのだ。それで、深夜までメールを待ってチェックすることになる。今回はこれを見越して、5時から銭湯に行き、サウナに入って、夕食の食材を購入し7時に帰宅した。食事をして、再びメール作業。きっちりと予定通り22時に終了した。目がしょぼしょぼで、映画も見ることはなくそのまま寝てしまった。

4月20日(木曜日)曇り
雨の降る前に、海岸にある松林で松葉を拾いに行った。昔は、松葉も需要があり、簡単には集まらなかった。今では、風呂を薪で炊く家庭は皆無に近く、松葉も簡単に米の袋一杯になる。その足で、カッパ市場で買い物。旬の姫イチとイタドリを買った。姫イチは唐揚げでも良いとの事。イタドリは塩で揉むと良い。取り敢えずイタドリは皮をむいて、ビニール袋に塩と一緒に入れて冷蔵庫で冷やした。半日冷蔵庫で保管してもしんなりせず、こりゃ鍋で塩抜きのついでに、相当湯がかないかんと5分間煮立てた。蓋を開けると、何とイタドリは溶けて、どろどろになっていた。完全な失敗。一方姫イチは、から揚げし、馬路の柚子醤油で頂いた。これは大正解で旨かった。いずれも高知の旬だ。昨晩購入した11.2MhzのDSDはエラー表示で再生できず、DENONに問い合わせると、サンプル送れとの要望。1GBだと連絡すれば、結構です。当方で購入するとのこと。次に来たのはサーバーとNASの品番。こちらは伝えたが、回答がない。音楽ソフトは\4,000円もしたので、早く聞きたいがどうしようもない。

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4月19日(水曜日)新緑が目にしみる晴天
生活する上で一番の課題だった寂しさがだんだんと薄れて行く。時間の経過で、父と母の事を忘れているのが一つ。もう一つは、マネージャーの仕事がやって来て、昼夜を問わず多忙になった事だ。現役の頃はストレスにもなったが、今となっては、お世話することが一種の楽しみになっている、メンバーとの会話は慰みになっている。早朝1時間畑の土を移動しながら、寂しいと嘆くのはやっぱり贅沢だ、甘えだと思うに至った。と言うのは、高知に住む人々にとって、1番の心配事は、自分の健康を除くと、地震がいつ襲ってくるかわからん事だ。住む家を失い、なけなしの財産で家を建てて暮らすには、老後の生活はあまりにも悲惨だ。皆そんな思いだ(地震で死ぬなんて思ってない)。ところが、その心配は僕にはないからだ。父が財産として残してくれた地震保険を毎年払い続ければ、倒壊した家屋は元にもどるからだ。だから、僕の心配は自分の健康だけなのだ。畑の土を移動している時、畑からいろんなものが出てくる。百姓にとって神聖な土地に、肥料とならないビニールや、瓶や、薬缶などを捨てるのは何てザマだ、と両親を恨んだ。でも、そんな事は問題にならないくらい、両親の残してくれたものは大きい。だから、今夜も少し悩んで、決断したのは、東京キネマジャズトリオの11.2Mhzのハイレゾ購入だ。些細な悩みしかないのだ。ちなみにこの音楽は1曲で1GBあります。

4月18日(火曜日)曇りから晴れ
家の前の畑は、昨晩の大雨で、山からの湧き水が吹き出し、水浸しになっている。(湧水は透明、一方我が家の井戸の水は大雨の後茶色に濁る)6時に起床した私は、この畑の周りに深い水路を作り、溜まった水を逃した。1時間の作業だったが、大汗をかいた。気温が高くなっているのだろう。先日までストーブを焚いていたのに、もう汗の季節。朝食は、バナナをベースに、近所から頂いたキャベツと、カッパ市場で販売していたクロトマト(ミニトマトの一種で、紫色)これに、紀文の豆乳を加えたジュース1リットル。先ほどの汗で流れた水分はすっかり補給したつもり。ホタレの目刺しに食パンの組み合わせ。ホタレは5cmくらいのイワシのような小魚。焼いて頂くが、少し苦い。安価であるが、あまり美味くない。塩気が強く汗を流した後はこれくらい辛くても良しとするかな、程度の物。仕事開始。メール処理。先週は外勤だったので、沢山のメールが溜まっている。昼飯は、カッパ市場で弁当を買って海辺の砂浜で頂いた。波は大きく、風もあったが、気温が高くお弁当には最適。昔、浜松町で昼飯に皆んなでつるんで行った昼食のダイナミックさは忘れられない(みんな若く、大食いだった。僕は自転車で通いエネルギーを使ったのでみんなと歩調を合わせられた)が、一人波を見ながら呆然と食べるのも良い。食後、友人から貰った夏みかんを食べた。水分が多く、食後の飲み物の代わりとなった。べたついた手は、波で洗った。午後再びPCと格闘。休憩の時、松山の友人に電話を入れると、かなり苦戦の様子だった。その様子を京都の友人に伝えたら、応援する気がありそうなそぶり。僕は、坂本龍馬じゃないが、薩長同盟みたいなものを実現できれば良いなと思った。裏のタケノコは、先日そぶりも見せなかった所に、30cm級が数本聳え、昨日の雨は実に有効に効いたと思った。明日は、もう一度チェックして、根絶やしにしないと。竹の子林を歩くと、食べ頃の蕗を踏みつけてしまうが仕方ない。今晩も9時に目がしょぼしょぼ。万歩計は僅か5,000歩なのにエネルギーが枯渇している。

4月17日(月曜日)
雨。台風のような雨。昨晩はどうしたことか、8時過ぎると急に眠くなり、今朝は10時間も寝てしまった。所が、今晩も、9時過ぎからどんなにあがいても瞼が垂れ下がって来ている。今日はどんな事があったのだろう振り返ってみよう。先ずは雨が来る前の朝一、友人に送る蕗を刈り取った。そして、畑の土の移動に約1時間。丁度雨がやって来て作業を終了。食事を済ませて、出勤。昼前に緊急連絡。昼飯は軽く押さえて、郵便局へタケノコの発送に行った。大雨となった。帰って緊急連絡の対処。そして再びPC処理。文章の訂正作業だ。今でこそ、報告書には慣れたが、会社を卒業するまでは幼稚な文章しか書いてなく、大会社であの程度の文章でよく通用したなと反省。そして、今私は、自分の定年前の頃と同じレベルの人達の文章を訂正している。本人達は文章を書くのに随分と自信を持たれているが、僕に言わせれば、話し言葉を文字に置き換えただけで、ビジネス文章ではないと指摘したい。そんな事を考えていたら、メンバーから電話があって、文章の指摘に対する不満を述べられた。淵の深さを知らなければ、単なる水をたたえた水溜りと同じような感覚でしか受け止められないのと同じ。美味しい京都の懐石料理を正装で頂かなければな、日本食の本当の深さは理解できないのと同じ。B&W203とアキュフェーズの組み合せで、ハイレゾを聞いた事がなければ、いい音の善し悪しが分からないとの同じ。てな、感想を持って、お話をお伺いしましたね。もうこの年では説得はしませんよ。お年を召しますと向上心はありませんから。しかし、こんな事に振り回されているから、寂しさが消えた。いい事だろう。

4月16日(日曜日)
一人の友人は花見に行こうと誘ってくれたが、忙しいので断り、もう一人の友人は訪ねて来て、竹を切りに行こうと誘ってくれたがそれも断った。この友人は裕福、暇、音楽好き。なので、僕が狙っているボブディランのCD(トリプリケイト)を勧めて買ってもらった。CDは我が家に届けられ、録音して、僕のPCに収まった後、友人に返却する仕組み。ホント、有難い友人だ。これは、全曲ボブディランのオリジナル曲はなくて、アメリカのスタンダード曲ばかり歌っている中々しぶいアルバムだ。ボブディランが嫌いな人も聴ける音楽だ。何故、今この音楽を出すのか?ノーベル賞と関係あるのか?興味深いことだ。Apple Musicは当初楽曲を限定していたが、今ではフルバージョンが聴ける。洗濯の後、ホームページをアップデートし、タケノコを掘っておじさん宅に届ける。その足で散髪。夕食の食材購入し、畑の土を移動し、風呂を沸かし、DBレコーダーから、ディスクに録画番組を焼き、夕食をとっていると、「よしえちゃん」(近所の人だが500m位遠方に嫁いだ。75才くらいのおばあさんだが、彼女の娘時代の呼び方がずっと今まで残っている)がタケノコを持って来てくれた。「芝の山に生えちゅうあんたくの土地のタケノコぞね」。芝の山に土地があるとは認識があるものの、行ったことがないので何処がそうなのか不明。茶が森山 に畑が何段(7段か8段位)もあるのは記憶がある。今年の冬は探索に行って見よう。昨日から土地にまつわる話がやって来る。そう言えば、先日役場から、自分の土地であるが、木は自由に切る事を許さないとの通達があった。保水のためだそうだ。勿論、切るなんて出来ないから、通達は尊重するつもり。親父が存命の時、もう少し土地の事を聞いておけばよかった。毎土曜日は土地に関する事に時間を割くようにしている。もっぱらは草との戦いだが、次が明確になったような気がする。と言うことで、タケノコは豊富だし、忙しい一日で、友人との付き合いが出来ないのだった。

4月15日(土曜日)
マーフィーの法則
もう草がコントロールできない所まで来ているはたけがあった。朝食の後、急いで除草剤の散布を行った。ひどい所は液体と、顆粒の2面作戦で立ち向かった。一つだけよかったのは、近所の人が、僕が除草剤を撒いている2枚の畑は、あなたの土地と違うと指摘してくれたことだ。これで次回からの作業は大幅に減ることになる。この後すぐに、おじさん所で花卉出荷のお手伝い。そして、雨。僕が除草剤を散布すれば必ず雨がやって来る。どうして?日中あれだけ晴天だったのに。まぁいい。来週もう一度挑戦だ。除草剤の散布は自宅の周りもくまなく行ったので、自宅の周りの草木の状況も良く分かる。それで、気がついたのはもうタケノコの季節だと言う事。あちこちにタケノコが芽を出している。

4月14日(金曜日)
何もかも逆風
今朝は、ジューサーでリンゴを絞るとき、材料の入り口に投入するリンゴが、ことごとく外れて溢れた。何でだろう?ご飯を食べる時も、お箸で上手く掴めず、口にお惣菜が上手く入らない。一方、仕事では、訪問先で面談する人が、結構棘のある態度か、言い草である。何でだろう?一人だけなら、相手の都合も考えられるが、今日は会う人が全員そんな感じだ。最後に道を間違えて、高規格道路に乗ってしまい、訪問先の順序を後先に入れ替えた次第。こんなに、あちこちでぶつかるのは初めてだ。僕の運命の歯車が一つズレたのかな?こんなんだから、帰り車の運転は慎重に運ぼうと決意した。そのとたん、横を走っていたトラックが、僕の車線に割り込んでくる、意地悪ではないが、そのまま速度を落とさず走った。そのトラックは結局僕の後ろから、高速道路に入ることとなったが、ぴったりとくっついてきて、凄い圧力。仕方なしに、僕はスピードを上げた。でも今回に限って、その離れた車間距離に、インターチェンジから入ってくる他の車両はなく、前の車が速度を落とすと、元の木阿弥に。又しても、後ろにピッタリ付かれ追い上げられた。上手くいかない日は、ことごとく上手くいかない。何だが最近はその差が顕著になってきた。それって、年齢のせいなのかなぁ。それともそんな宿命を背負っているのかなぁ。

4月13日(木曜日)
昨日は200kmだが、今日は350km。25年前の軽ライトバンはよく頑張っている。父の残してくれた財産だ。この仕事をしている限りこの車のお世話になろう。エンジン乗せ換えの費用は15~50万円。古い中古車の方が安くつくかもしれないが、記念の品だから、当然エンジン乗せ換えで行くつもり。日産ノートに面白い車があり、マツダのディーゼルエンジン搭載車にも興味があるが、車まで趣味を拡大すると、僕の生活が成り立たない。そんな中九州の友人から電話。熊本の黒川温泉に行ってきた。一人一泊10万円する。でも、それは一寸言葉で表せないくらいの感動があった。板前さんも4人いた。飲み物は注文して少し時間がかかるが、たっぷりと時間があるので、気にならなかった。「いつか一緒に行こう」とお誘い。僕は即座に「No ,Thank you」と答えた。いい気分にはなりたい、だが、一晩でそれが消えてしまうとなれば、僕はもったいないとかではなく、その深みを味わえないセンスに問題ありだと判断したのだ。例えば、Mahlerの交響曲2番。今まで小澤征爾のボストン盤で聴きまくった。そして、運命のズービンメーター、ベルリンフィル盤に遭遇したのだ。その、成熟度には脱帽した。こうした体験があったからこそ、ホンモノの味が理解できたのだ。僕は旅館代に、相当つぎ込んだあげく、この10万円を体験すれば、きっと深い感動があると理解できる。でも、この「そうとうつぎ込んだ」は僕には無理なのだ。生活が破たんする。チックコリアのリターンツゥフォエバーのDSDが発売されたと聞いた。早速購入。テープヒスから始まるこのアルバムは、聴き慣れた音楽だ。でも一粒一粒がやはりハイレゾの風味を持っている。僕の買い物はこんな範疇だろうな。

4月12日(水曜日)
やっと晴れた。徳島からの帰路は、高速道路を使っても、一般道を走っても30分以上の差が出ない。それが、高知の道路状況なのだ。高速道路を出て、街中の道を通り目的地に行くには1時間ほどかかるし、一般道は、人が少ないので高速道路並みに速度を上げられる。それで、いつも一般道路を使っている。室戸岬を回ると、吉良メッセがあり、地元の特産品を販売している。芸西村のカッパ市場と同じくらい繁盛している。40kmの距離があり、同じ高知でも特産物は違っている。昼飯用のお惣菜を購入し、小夏(ミカン)を買った。海の見える海岸で昼食をいただいた。いい風が吹いてきて、食事に風味を与えてくれた。今週は外勤で、メールを書く時間が無いので、自宅に帰りその作業をしていると、もう10時。外の職場と違い、自宅なので時間の概念が無くなり、結構長時間の仕事をしてしまうはめに。熱い風呂が気持ち良いが、ほてりを冷ますのに時間を要する季節になった。

4月11日(火曜日)
今日は遠く香川県まで出かける。いつも苦労するのは、南国インターから、馬立PAまでの区間でものすごい睡魔が襲ってくることだ。そしてこの間は休憩するポイントがない。今までも、今回も同じだ。2kmのトンネルなら息を止めて通過できるので、それに挑戦とか、眠気冷ましの方法で対処しているが、それでもなかなか効かないのに閉口。今日は、香川県の仕事を済ませて徳島県まで移動し、それでホテルに宿泊。昼飯は、坂出のうどん屋さんで頂いた。うどんは安くてうまい。高松市を西に行くと少し味が濃くなる。坂出は西側に当たるので、パンチの効いたお汁だった。徳島のホテルは、以前僕が宿泊していた頃よりも値段が上昇している。そして、空が少なくなっている。今回は繁華街の真ん中にあるホテル。レポートを済ませて、ネットに引っかかったレコードショップを訪ねると、さびれたCDショップだった。店主に聞けば、中古品は扱ってないと、プライドを持って答えられた。5坪程度の店で、プライドを持たれても困るが、昔はこの面積でもそこそこの商売をされていたんだろうな。僕が高校生の頃、高知で通ったトクヒロレコード店もこれくらいの大きさで、繁盛していた。夕食は、前回訪問した八兵衛さん。前回は気がつかなかったが、今回冷静な目で味わってみると、やっぱりおいしくない。繁華街は焼き鳥が多いが、3年前に食べつくし、どこも味がまずかったので、これは敬遠している。高知も高松も旨いのに、何で徳島はまずいのだろう?

4月10日(月曜日)
またしても雨。朝はまだ曇っていたから、1時間だけ、ミカン畑の小枝を片付けた。お寺の7時の時報と共に作業を止め、朝食。今日は外勤の日だが、高知市内なので、午前中内勤業務。ドロップボックスと言うcloudを使う作業を始めた。新dropboxを立ち上げて、仲間に招待状を送る作業だ。作業の共有化ができるので非常に便利。メールなんか送らなくても良い。我が家も共有サーバーを置いて、僕の部屋からも、仕事場からも同じファイルが見える。これを全国的にしたのが、dropboxだ。iOSは、icloudと呼び、こちらは個人的に写真の共有をして、iPadやiPhoneや、個人のPCで共通して今撮影した写真が見える。icloudは130円で+50GBが使えるので、申し込みをしている。今日の昼飯は「寿し一貫」さんで頂いた。高知の寿しは本当においしい。先日父の一周忌の祭にも、皿鉢料理を4枚注文したが、これに載って来る、寿しもおいしかった。気が緩まないうちに移動し、次の仕事にかかった。iPadに報告書を記入し作業は完了。少し時間があれば、雨に煙る国分川をスケッチしたかった。iPadのお絵かきソフトは、WACOMのタブレットとほぼ同等の機能を持っているとWebで紹介があった。昨日使ってみたが、絵心が無くてもある程度は描ける。帰ってもまだ雨は降り続いていた。家全体が湿っぽい。

4月9日(日曜日)
朝起きると一面の霧。レンタルの返却とパンの購入に近くのコンビニまで徒歩で。霧でメガネが曇る。都会と違って徒歩の往復所要時間は1時間。今日はのんびり過ごそう。新聞やネットを読みながら朝食。途中居眠り。朝の散歩の疲れは気持ち良い居眠りを誘ってくれる。それに、鶯はいい子守唄だ。僕が子供だった頃、家の前が田圃だったので、蛙のゲロゲロがいい睡眠薬だったが今は聞こえない。目が覚めると太陽が燦然と輝いていた。急いで洗濯。その間会社から連絡があり、大至急データーから、あるセルを抜粋して、一覧表に貼り付けてくれと依頼があった。VLOOLUPを活用すれば簡単に出来上がる。ただし、データーの選択範囲が広がるので、セル名を置換する作業が必要だった。30分ほどで完成して返信した。それで昼時間。簡単な食事を済まし、友人のお母さんに、美味しいコンニャクを届ける。「みどさん」と呼ぶ、だんだんと気弱になってきている。まぁ年齢が93才と高いので仕方ない面もあるが。30分程話して、おじさん所へ行き月曜日の応援が出来ないことを伝える。帰りにカッパ市場に寄って夕食の食材購入。それを背負って、憩いヶ丘公園の桜見物。丘と言うだけあって結構きつい坂道で、大汗をかいた。桜が遅かったので、同時につつじも咲いていた。酒盛りの花見は一組だけ。後はお弁当組。この村は百姓が多いので、日曜日だと言っても、昼から飲む人はいない。帰って1時間だけ「陸王」を読んだ。午後3時半に風呂を沸かし、ご飯を炊いて5時に夕食を終えた。台所のiPadで、村上春樹の「遠い太鼓」を1時間ほど読む。それから、Bruno WalterのBeethoven4番を聴きながら散歩。今日の休みはのんびりできたぞ。それにしても周りは老人ばかり、いつその日が来るのかやっぱり不安だ。昨年は我が家がそうだった。携帯電話はその情報を聞く為に持っているようなもの。携帯が鳴る時はびっくりする。今までもそうだったが、いまからもそうなのだ。

4月9日(土曜日)
今日も雨。でも土曜日は草の手入れの日。沖のハウスの周りの田を2反耕し草を一掃した。これで当分大丈夫だろう。帰ってトラクターを洗っていると、日通さんが来て、スクリーンと、プロジェクターを持ってきてくれた。早速セッティング。取り敢えず、ディズニーの「ティンカーベル」を見る、綺麗、大きい。感動。世の中にはこんな面白いものがあったのか?目を見張る。「クラプトン」も見た。「ケミストリー」も見た。しかし、音楽物は50型テレビの方があっているように思う。そこそこでいったん終了、おじさん所で花卉の出荷お手伝い。帰ると、僕のおじいさんの兄の息子。春さんと呼ぶが、この人のお見舞い。その息子に乗せって行ってもらった。MINI。足回りは硬く、すぅ~とスピードが出る。軽の20年前の車にしか乗ったことの無い私はすごく感動。彼は、毎日農業に明け暮れているかと思っていたら、こんな趣味を持っていたのか。55才。なかなか人は分からんもんだ。春さんは、きちんと話すし、顔色も良かった。しかし、入院で寝たきりを少し経験したので、歩けなくなった。そのリハビリのための入院。30分ばかり話した。帰りに息子さん曰く、「あんなに長く話したことはめったにない」。そうなのだ、我が母も、僕には何も言わないが、見舞客にはきちんと話した。入院中の老人は同じ傾向をたどるようだ。帰りに食事に誘われたが、強引に断ったのは、スタートレックを100インチで観るためだ。目の前に広がる宇宙は広く、ステーションを撮影したシーンでは目が回って倒れそうになった。いやぁすごい。こんなに凄いとは。音楽物は、プロジェクターの後ろから見た方が良く、5m程度の距離が必要。しかし、映画は3m位の距離が良く、見るコンテンツによって距離が違う。しかし、ここは、映画用にソファーを設定すべきだと思った。

4月8日(金曜日)
昨日の反動で今日は腑抜けのような脱力感がある。しかし、午後からは、何だかいっぱい要請が来て、再びエンジン始動。中四国のメンバーの勤怠まとめは、なかなか大変。結局修正とか、返信待ちを含めて午後11時まで要した。途中、銭湯に行ったし外食も含めてですが。それで一段落ついてから、「シン・ゴジラ」を自分の部屋の42型PDPで見た。映像の角が立ってすごい画質の映画だと思った。官僚や閣僚を経験していると、この映画はもっと楽しく見られたのではないかと思う。あいにく僕は民間企業だったので、この映画の芯がつかめない。突っ込みは沢山あるが、第一は、動機の問題。ほとんどの映画がこの動機を欠いている、もしくは理解できないような些細なことが多い。何で東京に上陸して、ビルを倒すのだろう?動物は食べること以外に関心ない筈。第二は、動物の生態とゴジラの動物性とが一致しない。例えば水の中に長い時間いることが出来るのに、陸に上がれるとか。大きな口を持っているが、何にも食べない、そのエネルギーはどこから来るの?映画ではウランがそれだと指摘する。だったら、あの大きな口は不要だ。動物は不要なものを持つようには進化してないのだ。などなど突っ込み多数。第三に、役者さんがセリフを「噛みそう」聞く方はハラハラしながら聞いている。明らかに演技不足。なんで、三流映画並みの出来なのか?多分に早口が原因かもしれない。役者さんも高齢化して、早口にはついて行かれないのかもしれない。

4月6日(木曜日)
早起きして、畑の土を移動した。今日は雨になるからと言うことで作業を急いだ。後正味14日間あれば、この作業は終えることが出来る。しかし、今日から当分の間は雨だ。雨だと、土を掘り返すのは重くてできない。それに、草木は伸びるし、除草剤を散布することが出来ない。余計な仕事がまた増える。作業の後とうとう雨がやって来た。僕の部屋から離れの仕事場は直線で5m。(HiFiが届く距離)。しかし徒歩では、20m位ある。そのわずかな距離を歩いて出勤?している時、ごぉーと遠くから音が迫って来る。ものすごい雨音だ。僕は走って仕事場に向かった。だが、底のつるつるな草履をはいていたので滑って転んだ。もう少しで大けがをするところだった。雨の日は、庭に落ちる雨粒を見ると落ち着く。だが、今日は時間との戦いで、夕刻19時にはレポートを上げなければならない。2台のPCをフル活動して、仕上げた。レポートを作るのは割と簡単にでき始めたが、その数値を精査するのは時間がかかる。どの数値もきちんと裏付けをとって間違いがないかチェックするのは大変。特に計算式のコピーは、セルの位置が微妙に違っていたりして、入念なチェックが必要。チェックのための別の計算式を書いたりもしている。19:05完成。メール送信。大雨の中急いで車に乗って安芸市の銭湯へ。サウナに入り肩の凝りをほぐした。帰りは中華料理の店で青菜炒め定食。会社のスマホしかもってなく、読み物がなかった。SafariでNewYorkTimesを開くと、シリア爆撃のニュース。オバマ氏の批判が多かった。

4月5日(水曜日)
昨日も今日も、先日の「お客の」残り物を食べているから、買い物に出てない。今週の仕事はパソコンと格闘だ。と言うことで誰とも話してない。独り言が多くなると聞くが、さもありなん。声を出さないと、一歩の足が前に出ないのだ。掛け声は実に有効だ、「せいのぅとか、どっこいしょ、よいしょ」それに、黙々とキーボード打ち込んでいると、睡魔に襲われる。その時幻聴が聞こえてくる。夜は夜で、難しい計算式を考えていて、もう解けないから止めよう、どうせ夢だから、と思うものの、それに固執して目を覚ますことなく永遠と取り組む。前にも書いたが、夢から覚めた朝は、どっと疲れている。人間の脳はカロリー消費の20%を消費する、それで、人間はエネルギーを蓄える機能を身に付けたと、ある本で読んだが、確かに、頭がいいとか悪いとかに関係なく、頭を使うと、腹が減ることは確か。でも、それは、体を動かしたときのような健康な空腹でない。やっぱり適度に体を動かして、少しだけ頭を使う生活が一番だと思う。片よりはあんまりよくない。人類600万年の歴史の中で、基本的に備わった動物としての人間にとって、今僕が体験しているようなことは普通ではないはずだ。普通でないことを長く強いると、きっと歪んでしまう。もともと性格は歪んでいるが。体調とか、思考についてです。

4月4日(火曜日)
メールが山のように来ている。昨日は法要で無理だと言ってあるのだが、関係ないようだ。4月6日までに書類の完成を要求された。先週の土曜日に緊急の違う案件の処理を行ったのが、ボディブローのように効いている。4~5時間の遅れが発生している。かと言って昨晩の疲れもあり、徹夜は出来ない。それに、今日は昨晩の日本酒の回し飲みの影響で、頭がぼんやりしている。ピーンと反応することがない。エクセルシートで計算をするのだが、700ファイルの集計は、インテルコア7でも、3分位待たなければできない。いくつも集計する要素があり、先月分の計算式をそのまま使い、計算式の中に含まれる2月と3月との置換をすれば、これも3分待ち。何かをすれば3分待ち。この間スマホを見たり本を読んだり、そんなことをするには少し時間が短い。計算が終われば次の命令を出さなければならない。遅れは取り戻せないまま夕刻7時。終業時間の頃には、農作業をした時のようなカラットした疲れではなく、肩が凝って重い、どんよりとした疲れがのしかかって来る。熱い風呂で解きほぐす。それとは別に、一日机の前で動かないから空腹でもなく、取り敢えず腹に何かを入れておこう的な夕食となる。つまり、すかっとしないのだ。体を使う仕事は事故の危険が付きまとい、机の前の仕事は、不完全燃焼が腹に溜まる。なかなかうまくいかないものだ。

4月3日(月曜日)
お供えの花を買って法要の準備は終えた。宴会用に、料理は注文してあるが、自分でも3皿作った。ナスの揚げ物。トマトのサラダ。豚しゃぶ。午後3時から法要は始まった。お坊さんは飲み仲間だから、気安いし、お経が終われば、そのまま宴会になだれ込む。お坊さんの為に日本酒を準備。「南」「司牡丹超辛口」「桂」いずれも高知の酒だ。近所の連中も目ざとく見つけて、「南」に集中砲火した。近所の僕のオーディオの教え子は、少しだけ岩崎宏美を見たいと要望。プラハコンサートを上映した。午後4時から飲み始めて午後9時半に終了した。「まぁたか(僕の事)、おまんも、ちっとゆっくりして飲め」と言うのだが、僕は使い終わった食器の片づけとか、食べ残しなどを片付け、黙って帰る人にお返しの品物を渡すとか、結構忙しくしていた。(座って飲むと、この人たちの相手をしなければならず、僕の酒量能力では太刀打ちできないこともあるし、もともと、じっとしていることが出来ないのだ)後片付けは、1時間半を要した。完全じゃないが、残りは数日をかけて処理しよう。11時30分。飲みつかれと、労働の疲れとが合わさり、倒れるように寝る。

4月2日(日曜日)
法要の粗方の準備は終えた。天気が悪いのが邪魔。今日はゆっくりとHPのサイトアップと、自分の部屋の片づけ。郵便物が一杯溜まっていて、その整理とスキャナー作業。全部は終わらないまでも、机の周りがすっきりした。片付けてすっきりするのが好きなのだが、いつの間にか明日にしよう、明後日にしようと延ばし伸ばしで、身の回りが一杯になるのが、いつものパターン。不要なものは捨てる、今日は粗大ごみの日だが何もできない。だが、せっかく空いた時間。ゆっくり過ごそう。イギリスの読書クラブの人のインタビューがあり、雨の日の午後は本を読んで過ごすのが最高の幸せと書いてあった。僕もはやくその域に達したい。我が家の分家に一周忌の案内に行ったら、耕運機を差し上げるから取りに来なさいと言う。今や家庭菜園の耕運機はバッテーリで動く仕組み。夕刻が近づくとお風呂を沸かさないかん。メンバーからメールが届く。電話もある。性格もあるだろうが、なかなかゆっくりできないのである。


4月1日(土曜日)
疲れて目覚めた。しかし今日は、父の法要の準備、それが終わるとデーター処理。2つの大項目が待っている。当初の大項目の仕事はしばらく休眠だ(勝手がわかっているので安心感もある)。大掃除や、法要の準備や、その後の宴会の準備などなど。万歩計を付けていたら、家事だけで5000歩だった。いかに大変かお分かりいただけるだろうか。だが、体を動かすことと、昨晩の夢の中での苦悩とが混じって、各シートにある3項目を集計用紙にリンクする方法がぼんやりと浮かんできたのだ。それは、集計シートにある項目に、シート名に近い文字があり、これをリンク無しで別の列にコピーし、不要な言葉を置換で消してゆく、そうするとシート名が、各セルに残る。この文字列に、計算式の数字を、セル連結で追加する。そうすると、計算式の入った文字がセルに残る。後は、このセルにカーソルを当てて、f2キーを押した後、リターンキーを押せば、計算式に早変わりで、集計用紙に3項目の文字を引き込めるのではないかと。次はこの文字を1もしくは0に変換するだけで完成だ。13:00アイデアを実際に試してみた。「為せば成る何事も」だ。もっといい方法があるかもしれないが、処理の方法は分かった。膨大なデーター処理も、関数が解れば作業は早い。指示だけだ。15:00におじさんの花卉出荷の手伝いのあと、再び作業。19:00銭湯と夕食。20:30帰宅。21:30無事完成。やった!と思いました。

3月31日(金曜日)
「また、一つ仕事が入った♪」。キロロの「長い間」。僕は父の法事の為、休暇に入っている、しかし仕上げなきゃいけない仕事を抱えて毎日少しずつ進めている。計画通りだ。だが、今日の夕刻、それに、おっかぶせるように、大きなデーター処理の仕事が飛び込んできた。13MBのデーター量だから相当でかい。
これは大変、夕刻は映画を見る予定を返上して、エクセルの関数に取り組んだ。(映画よりこちらの方がよほど、スリリングで面白いこともあったが)。だが、どうしても越えられない問題は、一つのファイルに30枚くらいのシートがついていて、その内の一枚だけは集計用紙になっている。だから、記入シートに記入すれば、集計用紙に自動的に連結されるのだ。だが、各シートの3項目だけは、自動連結が施されていない追加の項目だった。さて、この3つの追加項目をどんな方法で、集計用紙に引き込んでくるのか?もちろん手打ちすれば可能ですが(集計用紙は手打ちで完成させている)、膨大なシート数の名前を手打ちするのは敵わんし、間違いもある。関数に頼るほかないのだ。Webで調べるとVBAの推薦があった。だが、まだ僕の実力ではこれは使えない。「こすに、越せない、田原坂♪」だ。22:40。一歩も処理ができないまま匙を投げた。さて、問題はここからだ。この日は、銭湯に行っていたので、自宅での風呂はない。ざぁっとシャワーを浴びただけで、寝た。ところが、夢の中で、出て来るわ、出て来るわ、Excelの画面。長い計算式を入れた後、保存せずに消してしまったとか、連結するファイルを間違ってほかのファイルに入れてしまったとか、トラブルばかりの夢。頭を悩ましている間に、亡くなった母が呼びに来る。翌日朝。ほんと!疲れ果てて目覚めた。

3月30日(木曜日)
今日の天気予報では雨になるというので、今朝は畑の土の移動と、梅林の伐採した木の処理を行った。午前10時まで作業を行った。太陽が燦燦と照り、汗が目に入り目が開けられない。天気予報は外れたみたい。それで、お昼はお弁当を買って海岸の波打ち際で頂いた。何にも待つ人は居ないし、待つものもない。いつまでに何かをしなければならないモノも事もない。(近視的には仕事が4月7日までと期限はあるが)個人的なものはない。
結局このまま、死の訪れを待つ日々を待って暮らすのだろうか?趣味はいっぱいあるが、全てを堪能しきるものではないことも分かった。そんなことを先日友人に話した。
すると、定年後の人生はそんなものだ。と言う。
僕は、それでいいのだろうか?何かをやり残しているのでは?と焦燥感だけは募る。でも、何にもない。そのギャップにイラつく。
忘れ物がないのかメモを見る。思いついたことは、携帯電話のToDo Listに書き込むようにしているが、な~んにもない。
それに、今日も何も収穫物はない。慰めは、畑の土と梅林は見た目、昨日と確実に違う事だけだ。

3月29日(水曜日)
定期購読している書籍は、日経エレクトロニクス、HiVi、カメラマンの3冊。だが、土日の休日はどちらか一日、田畑の草対策に費やし、もう一日は、日常の整理に追われて、読書時間が一時間程度しか確保できない。雑誌は1冊当たり3時間ほど要するから、どんどんとたまってゆくばかり。PDF化しているから、本棚は増えないのだが。iPadにどんどんとたまるわけだ。一方、街に出て時間があれば、評判のCDやLPを買いこんでいるから、こちらもたまる一方だ。音楽は一通り聞くのは何でもないことだが、これらには、きちんとした意図があって録音されている、もしくは物語がある。その神髄に触れるには、聴き込んで、聴き込んで初めて、例えば玉ねぎの芯である、ラッキョウが現れるような感じ。それでやっと音楽が自分の糧となる。そのためには、やっぱり時間が必要だ。読書に回せる余裕がない。もう一つ、映画だ。来月の14日までには、100インチのスクリーンとプロジェクターが届く。映画一本見るには2時間必要だ。益々読書は遠のく。結局は読書と、音楽と、映画は相いれないと言うことが分かった。分かったが捨てられない、切れない。長年付き合ってきた友人を切れないのと同じだ。

3月28日(火曜日)
春が来るまでにしなければならないことは梅林に放置された、梅の枝の処理。家の西側にある、竹林の伐採。「べび」と「蚊」が来るまでの時期前までである。もう田畑の草は成長エンジンに火が点き、一枚だけ手付かず放置された畑は草が50㎝伸び、草刈機のお出ましとなった。それ以外は、結構こまめに除草剤を散布したので、まだ草の緑は遠慮しているようだ。除草剤は雨が降っては効果ないのだが、僕の休日は必ず雨もしくは、翌日に雨で、タイミングよく除草剤を散布する日がないのが問題だ。今年は草と竹に負けないぞと意気込んでいる。もひとつ気になっているのは、草が生えてないから気づくことだが、石ころ。田畑にころがる石ころが結構多いのだ。気がつけば拾っているが、かなり本格的に拾った方が良いみたい。石ころはおじいさんの頃からあったのだろうが、おじいさんの頃は、牛が引く鋤で耕していたので掘り返す土が浅かった。いわば田畑の表面を使って農業をしてたわけだ。だから目立つ石はなかったろう。ところが僕がトラクターで深く耕すもんだから、地中の石ころが地表に顔を出すのだ。父が放置したビニールと併せて、石拾いの日を設けなければならない。

3月27日(月曜日)
鶯は泣き、晴天だし、もうこれ以上望むものがない高揚した気分。だが、胃の奥と背中の痛みは依然残っていて妙に気持ちが良くない。先生に診てもらえば、慢性膵炎だとして、ひと月薬(フォイパン)を飲んで効果がなければ、医療センターでCT撮影しましょうとなった。慢性膵炎をWebで調べると食欲不振とあった。昨年からこの食欲不振が続き、5kgの体重が減っていたので、これしかないかな?と自分でも納得した(まだ決まった訳でないが)。もう一つは耳鳴りだ。特に右側が酷い。ベートーベンは晩年この耳の病気に悩まされたが、いつの間にか僕も同じ症状を患うようになっていた。それで困るのはヘッドフォンを装着した時だ。左右の位相が違っているんではないかと疑ってしまう程、試聴フィーリングが悪いのだ。シュアーの「1840」を最後のヘッドフォンとして購入しようと思っていたので、少々がっかりだ。(シュアーとゼンハイザーとAKGのヘッドフォンを聞き比べると大変面白いのだ)自分は今まで体をいたわってきたつもりだが、あちこちにほころびが出始めた。腹は出てないし、腹には縦線がまだ走っているし、プールで泳いだり、自転車に乗ったりするのは、50才代のころと比べても遜色ないと思っていたのだが。もう一つ、長年寝る前に楽しんできたkindleが急に使えなくなった。僕の体と同期しているみたいだ。だが、こちらは、新製品を注文して対処できるから良い。今度は、セルの一つが白か黒に反転する仕組みのEink社のディスプレイを使っている。今までの液晶と比べ、透過光を見るのではないので、目が痛くならないのと、ディスプレイの表面が紙のようにざらざらしている点で感触が良い。話がそれてしまったが、後、何年この体が使えるのだろう。

3月26日(日曜日)
今日は西分郷西部落の総会が午後6時から開催された。いわゆる飲み会だ。高知の飲み会だから、たっぷりのビールと日本酒と焼酎がある。半端な数ではない。と言うことで今日の午前、午後とも落ち着かない時間を過ごした。ホームページのサイトアップデイトしただけだった。小人な私は、気がかりなことがあるとずっとそれにとらわれて、何も手に付かなくなるのです。何もかも割り切って、音楽だけ聴けば良かったと一日が終わった後に思ったもんです。さて、総会の件。会計について報告があり、全部が「異議なし」しゃんしゃんだ。会計監査の一人が、先般の飲み会で話していたように、一部を定期に切り替えたいと提議したのだが、どうしたいのかは言ったが、「何を?」が抜けていたので、僕はあらかじめ話を聞いて知っているが、他の人はちんぷんかんぷんだったろう。他にも、街灯を点けたい、この間も年寄りがこけて怪我した。電気代は部落のお金になるが構わんろうか?これも、「どこに?」が欠けているので、さっぱり理解できない。こんな議題が次々に上がって来る。だからみんな異議なし。理解できない話で、僕はポケモンで遊んだ。やっと終わった。弁当を開いて飲み始めた。周りの人はピッチが速くて、僕は注ぐのに忙しく、食べる暇がない。少し経過後、部落長さんに挨拶に行った。矢継ぎ早のビールの交換。今度は一気飲みを5杯。まぁこの地区でみんなと付き合うには、「意味不明の話を聞いてあげて」、「ビールをどんどん飲んで」、「話し手本人が正義の話を繰り返し聞き、その通りだと相槌を打つ」と言う我慢が強いられるのだ。それが芸西流だ。

3月25日(土曜日)
晴。僕は割と晴れ男。ホテルの前を散歩した。夜はやばいが朝なら問題ないだろう。ジャンジャン横丁を抜けると、動物園前商店街。これが随分と長いアーケード。昼間は開いているのかどうか不明な感じの古びた商店街。横方向にもアーケードが伸びている。西成の看板があった。そうか。ここが俗にいう「西成」なのか。東京の「山谷」と同じ種類の住民が住む(昔は)。大阪の天王寺動物園が上野動物園程人気無いのは、このやばい地区の隣に立地しているからだろう。朝6時半にオープンしているスーパーがあった。人で一杯だった。その名は「玉出」。いかにも大阪って感じの店名。ホテルに帰り朝食を頂き、部屋でレポートの編集。9時15分天王寺動物園前乗車し、三宮まで。エキナカパン屋さんで、紅茶でパンの朝食兼昼食。30分遅れでバスは到着し、一路高知向けて走る。道中は全てレポートの編集。高知は雨だった。自宅に帰り、都会との落差を実感する。この落差がいい。夕食は「にろぎ」を軽くあぶって、酢に漬けたもの。ミマセのすり身と鳴門のわかめのスープ。芸西のナスと塩昆布の和え物。と高知ならではの食べ物。風呂に入って、ブルックナー交響曲第9番に針を落としたが、寝入ってしまって気がつくと終わっていた。

3月24日(金曜日)
大阪の朝も快適なめざめ(顔は昨日の飲酒で腫れぼったいが)。メールのチェック。レポートの作成。9時を回ってホテルを出発。目指すは通天閣。「通天閣高い、日本橋安い」。の通天閣だ。ここの東横インにチェックインし、荷物を預かってもらった。日本橋を散策。「千石電気」、秋葉原は一杯の人だが、こちらは閑散。LDディスクの販売店を見つけた。LPのクラシックとJAZZの店も見つけた。次回大阪訪問時に買おう。今回はBill EvansのDVDと、チェリビダッケ指揮ブルックナー9番、バント指揮ブルックナー4番のCDを購入。ブルックナーは、壮大と言うか雄大というか、兎に角スケールの多きな交響曲を書くが、曲とは反対に気が小さいらしく、演奏会の後批評があると、すぐに訂正を行ったらしい。それで、ブルックナーのCDを集めても同じような演奏がないので面白い。特に、チェリビダッケは、最近評価が高まっている。シマ無線に寄って、鈴木さんに挨拶。KEFのLS50を狙っていることを伝えた。「ダリでも良い」とのアドバイス。少し検討し来年購入。友人と待ち合わせ、上新電機でエプソンプロジェクターとスクリーン購入。フロア長の親切な説明でスクリーンはマット調を注文。制作に2週間くらいかかるらしい。サイズは画面酔いを心配して、100インチにやむなく選択。その後じゃんじゃん横丁「だるま」さんで、昼食。ビール一杯とハイボール。腹が膨れたところで、星乃珈琲店。味がいいのかどうか自信がないが、もう少しパンチの効いたセブンのコーヒーに明治の「おいしい牛乳」を入れた組み合わせが好きだ。心斎橋まで歩く。北風が寒い。「24ストリート」があってセーター購入。568円。そういえば、下に来ているシャツも700円の中古着。JAZZバー「COMODO」は大丸の東隣のビル4階。バーボンを飲みながら聴いた。ドラムスは、六本木で聞いた方がよかった。でもボーカルがあって、結構楽しめた池田杏理のボーカルとピアノトリオ。椅子が硬く、体を捻って聴く(椅子はバーカウンタでウイスキーの並んでいる棚を向いているが、演奏は120度の方向にあるフロア)ので疲れた。帰りは歩いた。道頓堀の賑わいは尋常でない人通り。大阪の担当になった、1990年の様相にどこか似ている。とにかく、人で通路が一杯。店はお上りさんの若い人で行列。原因は中国人。ネットや口コミで店を見つけ、彼らが席巻し始めた。何処にも溢れているので、日本橋から恵美須町に歩く夜道がさみしくなかった。

3月23日(木曜日)
村の駅「和食駅」発8時15分の電車に乗って高知駅へ。朝はリンゴとキャベツのジュースだけだったから、駅のパン屋でサンドイッチとセブンイレブンのコーヒー。バスの中は、報告書のチェックと編集。今月はタイトなスケジュールだから、まぁ寸暇を惜しんで前に進めている次第。僕の仕事の半分はPCとネット接続が出来れば何とかなる内容、だらか場所はどこでも良いのだ。大阪では、テクニクスのショウルームに寄った。チックコリアのリターンツゥフォエバーをLPで聞く。ダイナミックオーディオで聞いたSACDにも感動したが、ここでも良い音。でもLPでここまで解像して良いの?まったり感も欲しいな。ヨドバシカメラの4KのOELDも良いが至近距離だとキツイ。東芝とLGの商品が並んでいた。値段は倍ぐらい違うが、映像はほとんど同じ。買うんだったら、やっぱりプロジェクターがいいかな。店員さんは、120型はピンボケすると言った(僕は意味が把握できなかった)。このクラスは、やっぱりアバックさんに相談かな。18:30待ち合わせの「牛太さん」へ。皆んなと会うのは久しぶりだ。メンバー名はファジー会。話題は退職、セキュリティー、パソコン買い換え。肉の量が多過ぎて、チョット多すぎかな。単なる日本酒の熱燗だったが、抜群に美味い。やっぱり気の合う仲間との懇親が、いい風味を加えているのだろう。手料理を一人で味わい飲むのは、味気ない。それで、酒の量は減ってしまった。美味しいお酒の為に大阪まで来なければならないのか。大阪まで来るのはチョットしんどかった(東京から帰って来た翌日なので)。でも思い切って出かけて来て良かった。

3月22日(水曜日)
朝は昨日の雨が信じられないほどの快晴。すこし散歩、風つよく寒い。途中のセブンイレブンでサンドイッチの朝食。お台場から、天王寺アイル乗換えて羽田空港。意外とアクセスが良い。待合室と機内ではレポートの編集。ここで、空港での突っ込みがある。高知行きはバスでの案内。優先搭乗の案内があった。窓際の席の人を先に案内。僕は中央の席なので、最終の案内になった。でも同じバスに乗った。どこが優先なの?地上係員に聞いた、するとバスの中の混雑を避けるためも含まれていると意味の解らない説明。2つ目。機内の突っ込みはコレだ。ドアが閉まると普通は出発するが、今回は次のアナウンスがあった。人数確認をしますので着席になってお待ちください。(どこがつっこみなのか、理解できないだろうと思われますので詳しい説明を以下に)通常、飛行機のドアが閉まる頃は、最後の客が搭乗してしばらく後。それで、客の多くは着席し、シートベルトを締めているタイミングだ、それに、多くの人はメールや電話をしているほど時間が経過している。そんなときに、「着席しろ」とはおかしいではないか、しかも立っている人がいるかどうかは見れば分かる。何で、こんな事を言うの?「マニュアルに書いてあるから」だ。調べるとANAのキャビンアテンダントの給与は平均年収で500万円。若い人は200万円少し。僕と変わらんではないか。それじゃいい人は来ない訳だ。高知空港からは追い風で自転車でも瞬く間に帰宅。溜まっていたメールを片付け、資料の作成に取り掛かった。明日は早朝に出発だから、今日中に片付けてしまわなければならない。午後9時半にやっと完成。布団に横になって、今日中にKindleを開けばバッテリー切れ。

3月21日(火曜日)
東京は雨だった。お台場を1時間散歩して、埼玉に向かった。「りんかい線」が池袋まで通じているので、ここで「東武東上線」に乗り換えれば一発だ。集まったメンバーは1/3が懐かしい。幹部は殆ど旧知だった。来月は父の法事があり、統計資料の提出の期限が短く、しかも、今月のみ2本控えている。しかも、4月1日から本格稼働する。そんな中での会社発足式だった。でも、久しぶりに、パワーポイントの説明を聞くのは懐かしく、そのパワーポイントも半分は私の制作だ。会議は、5時に終了して、土砂降りの中、池袋に向かった。あまりの空腹に駅ナカで大江戸ソバを食べた。渋谷に向かった。湘南新宿ラインに乗れば10分だ。渋谷駅は大工事中で何が何だか分からんカオス状態。やっと感覚のつかめる大通りに出て、六本木方面に向かう。目指すは、「ボディ アンド ソウル」(ジャズクラブ)。看板は7時にならないと開店しない表示。まだ、1時間もある、雨の中で待つのはつらい、近くのミニストップによって「三国志」を読んで時間を潰す(この本は我を忘れる)。開店から演奏開始まで1時間。アーリータイムズと豆腐のサラダ。生ハムのピザ。ライブハウスにしては結構美味い。演奏会形式は、ピアノトリオ。ハイレゾ録音が行われ、配信があるとか。編集者に聞いた。形式は5.6MhzのDSD。ストーリーミング形式とのこと。あの激しいドラムスも全て収録出来るのか?「Yes」ハレゾはここまで来たのか。生音はダイナミックレンジが広くCDにはない音。音質はもう少し艶が欲しいなぁ。天上が低いので無理かな。音質はCDで、迫力はライブかな。ステレオの音ばかり聴いているとこういう不満を言うようになる。一種の病気を患っている。

3月20日(月曜日)
晴れた。晴れると、空港まで自転車でいける。最寄りの交通機関を使っても、自転車を使っても家を出るのは差がない。不便だ。バス会社が権益を主張してこの前を走る電車道を少し海沿いに走らせなかった。もしそうすると空港に電車が接続でき利便性も大いに上がるし、時間も読めるのだが、不便な田舎では自分の首を絞め、人口流出に歯止めをかけられない。まぁ自転車でも50分で到着するので問題なし。その半分以上の道中は、自転車専用道路を通行するので安全だし。今日は明日の会議に向けて東京への移動日だ。会議の前後は休みを取って、自由にできるように設定してある。今日の目的はまずは秋葉原。この街は衰えないなぁ。まずは、自転車のライトを買った。300ルーメンが3500円。こちらでは200ルーメンが4200円。300ルーメンは6500円もするのだ。2GのCFカード。980円。高知では4000円。iPhone7Plusのシリコンカバー。高知では手に入らない。PCは完全にVRの方向に向かっていた。ゲーム用に曲面ディスプレイも発売されていた。GPUは15000円位で十分だとのこと。ダイナ4階ではソーナスファーベルのリリウムをマッキンのアンプに繋ぎ、ベートーベンピアノ協奏曲3番を演奏。きちっと固めた音で余裕がない。正座して聞く音だった。雰囲気も音色もいいが、厳しいな。清澄白河のブルーボトルコーヒーは随分と歩いて訪ねたが、行列で入れず断念。テクニクスショウルームは松葉さんの当番。リファレンスを再び聞かせてもらい、解像度の素晴らしさに驚くが、低域のスピード感が足りない。出てない訳ではない、弾んでない訳でもない。ふわふわ感がある。C700はぴしぴしとなっていた。いい艶も出ていた。ホテルはワシントンホテル。サイゼリアに向かおうとしたら、レストランの従業員に引き留められ、今日は価値ある食事だと誘われた。それにサイゼリアはいつでも食べられると言った。(サイゼリアはいつでも食べられないぞ)


3月19日(日曜日)
午前の早い時間は、母が懇意にしていたおばさんがベーコンを持ってきてくれた。1時間ほど話をきいた。昨日の友人が再び来てトラックに乗っていった。竹を切って帰って来た。それで、再び懇親した。一人で飲むビールは味気ないが、二人で飲む酒は旨い。今日こそは本を読もうと思っていたのに頓挫してしまった。でも、人が訪ねて来てくれるというのは有難いことで、本はいつでも読めるのだ。午後、赤野の親戚に父の一年供養のお知らせに行った。母の従兄にあたるおじさんは入院しているとのこと。旅行から帰ると見舞にいかないかん。大阪の修君が彼岸だと言うことで帰省していた。「おまんは、仕事をせんでも食って行けるろがよ」と言われた。「そんな訳にいくかよ、それに一人だと寂しいし」「そやなぁ」と急に大阪弁になった。近くのスーパーで買ったお寿司を晶子に渡したら、「おんちゃんは、そんなことをせんでも良いのに」といっちょ前のお世辞を言った。晶子はダウン症状の娘なので、僕としては会話を避けていたが、そこそこは行けるかな?と思った。今日、懇親した友達が赤野の土手に桜が満開との情報をくれたので、ついでに撮影に行った。残念ながら桜はもう散りかけだった。この土手は、草いきれが凄くて、もう春を通り越していたから、桜も早く咲いたのだろう。この土手の下では、グレが釣れるらしい、修君は暑いから魚釣りは堪忍やと言ってTVを見てたようだ。それ解るわ。異様な暑さだった。帰ってから、先週訪問した先に手紙を一本書いて、レポートを一本本社に送った。このレポートの補足は、明日の飛行機の中で書き上げて、東京の名物コーヒーを飲みながら清書して発送するつもりだ。昨年は、一進一退を繰り返す父を先生に頼んで東京に帰り、仕事の後始末をした。電話の呼び出しにハラハラドキドキの時期だった。

3月18日(土曜日)
田圃の草がそろそろ出始める。この週末が耕運機で耕す丁度の時期。よその田圃をみても、大体が耕運を終えている。一方僕には資料の作成がある。両立は無理だ。そこで、友人に電話をかけて「へんしも手伝うてくれ」。やって来た友人は、「代わりに竹を焼いてくれ」。「造作もない事、持ってきてや」。彼が竹を切りに行っている間に、田を見に行くと、目的の田の2枚は、近所の人が耕してくれていた。奥の一枚だけが残っている。これだと友人も負担は少ないだろう。竹を切り終えて帰って来た友人と、小豆島のそうめんを食べながらビールを飲んだ。トラクターは我が土地で乗るから、飲酒運転は関係ないのだ。耕し方を伝えて、僕は再びPCに向かった。友人がトラクターで帰ってくる頃僕は資料作成のめどをつけた。明日もう一度見直し送付すればよい。友人と別れておじさん所に花の出荷を手伝いに行った。ついでに、その花(スターティス)を貰い、父母の眠る墓地に添えた。彼岸の日には東京に行くので、今日しかないのだ。熱い風呂を焚いて、入浴した。今日は頑張りすぎで腰が痛い。風呂に長く浸かるが一向に効果がない。新聞を見ながら夕食。食後のデザートは、イタリアで栽培されているミカン。このミカンは高知の農家が栽培したもの。葡萄色で、味も葡萄の様に濃い。夜の音楽は、ベルリンフィルの野外コンサート。いつ聞いてもベルリンフィルの演奏は力強い。(多分、これが受け入られる人とそうでない人とがいる)バシバシと決める演奏は見ていて気持ちが良い。
もひとつ別件があった。先般訪問した九州の友人から電話。孤独死してないか?「寂しいと言っていたので、生きているのかどうか確認の電話」とのこと。内容はどうであれ、嬉しい事だ。僕は2月後半の九州旅行で蘇ったのだ。その大半は彼のおかげだった。ありがたいことだ。

3月17日(金曜日)
報告書は24日までに仕上げる要請があって、来週は報告書を書く時間が無いので、今日中にめどをつけておかねばならない。そう思って取り掛かったら、夜の7時半までみっちり要してしまった。おまけに、新たな要件が入り、明日の朝調整しましょうとなった。休みの日も働くのは、寂しさ解消は果たせるが、個人の生活が無くなった。これってどっちが良いのかな。本来金曜の夜は映画でも見ようかとなるが、疲れて寝てしまった。

3月16日(木曜日)
昨日休みだった野市の店へ出かける。15kmで安芸市とほぼ同じなので自転車で行く。行きも帰りも向かい風だった。何で?と思うが自然には勝てない。夜須のスーパーで弁当を買って、ヤッシーパークで頂く。海風は陸の風と違って止むことがない。ベンチで風に吹かれて頂いた。そんなに寒くはなかったが、止むことの無い風で結構凍えた。帰宅後、レポート作成。午後9時まで。でも、明日から休みなので、きちんと片付けておかないと、気持ちよく休めない。

3月15日(水曜日)
徳島から、室戸岬を回る国道55線で帰宅した(170km)。その昔、1時間でここ、2時間でここと決めたポイントがあって、今回はどうかなと試したが、5分ほど早くポイントを通過した。でも、通行量が少ないと言ってあまりぶっ飛ばすのはよそうと思った(急ぐ理由がないからだ)。安芸の店で仕事をし、芸西のローソンでカップヌードルとサラダを食べた。この組み合わせの食事はお台場勤務の時よく頂いたものだった。お腹の調子が復活して、今日もおいしく頂ける。役場で税金の申告(今日が最終日)。続いて野市の店へ。あいにくと今日は定休日。帰宅して、事務処理を午後8時まで。結構ハードな仕事が続いている。それに、お風呂のお湯が少なくて、疲れが十分に取れない(気分的なものかもしれないが)でも、まぁ、岡山県や小豆島に出かけるのは今回が最後だからいいとしよう。久しぶりに机の上にポータブルDVDを出して、クルセイダース+ナンシーウィルソンを聞く。いい音楽だが、ナンシーが口をゆがめて歌うのは妙にいただけない。気になりだすと、その所ばかり見てしまい、音楽がどこかに行ってしまう。チックコリアは、絶妙な伴奏をする。もうこの頃から、センスが光っていた。今では押しも押されぬアーティストだが、そんなフィルターなしでも、彼の演奏は一頭抜けている。

3月14日(火曜日)
小豆島に始めて行った。日本の離島は交通便の発達で、離島らしさの地域性が荒廃し、本土に居ても、離島に居ても、何ら変わりのない買い物ができる。そんな面では豊かになったのかもしれないが、旅行気分は台無しだ。唯一有名な、お醤油と、ソーメンは買えた。だが、オリーブ油は店になかった。店に並んでいるのは日清製だった。もしくはイタリア製。土産物店でもオリーブ油は見つからなかった。オリーブをモチーフにしたお菓子しかない。まぁこんなもんだろう。フェリーを追いかけて来るカモメがいたので、船の売店でパンを買って投げるが、空中キャッチは残念ながらできない。(松島のカモメは出来たのだが)。まぁいいか。高松に戻り、坂出の店を経由して、徳島県のみよし市に行った。昔の阿波池田だ。猪鼻トンネルと言う結構標高の高いトンネルを抜ける国道を通過するまで、くねくねの道を上っていく。後ろからぴったりとクラウンクラスの車がついてくる。少し車間距離を開けてくれたらよいのにお構いなしだ。僕の軽四輪ライトバンはもう25年位前のものだから、坂道にも弱い。速度も出ないが、カーブでも速度を落とさないで曲がる技術はある。そうすると、カーブのたんびに、後ろの車が離れていくではないか。まぁこんなもんです。みよし市でいい情報を仕入れて、今度は小松島に向かった。徳島道を走る。ここは70km規制だ。後ろからパトカーが来る。追い越し車線で追い抜くと、何とサイレンを鳴らさないパトカーは時速100kmで走った。皆、その速度で追従した。こんなもんかな。小松島で仕事を終えた時は6時半くらい。徳島のホテルに帰ると7時を回っていた。午後8時までレポートを済ませ、繁華街に食事に出かけた。徳島は寒い。スーツしか着てない私は凍死するのではないかと思った。昔盛岡で、2月に同じ経験がある。体の芯まで冷えたとはこのことだった。今回もそれに近い。徳島の居酒屋さんはやっぱりおいしくなかった。美味しくはないが量が多いので文句はない。今日も良く動き、昼飯は控えめだったので、丸く収まった。

3月13日(月曜日)
今日は仕事で岡山県まで出かけた。岡山は、3年前に仕事をしていた時に隔週出かけていたので、土地勘があり戸惑うことはなかった。友人からもらった、古いカーナビもまだいい仕事をしてくれいて、キチンと目的まで案内くださった。備前まで行った。ここは備前焼で有名だが、訪問先の目の前に、陶芸センターがあり、お猪口を一つ、友人のお母さんにようにお茶碗を一つ買った。あまり愛想の良くない店員さんだったが、客が誰もいなく、販売が上がらないと思ったのか、いやいやながら相談に乗ってくれて、いい買い物ができた。次は総社市(岡山県の端から端まで移動するイメージ)。この街は、40年位前、高松に住んでいた頃、松江に旅行するために通過した街だ。舗装が悪く、しかも初めての道だったので、妙に苦労した記憶がある。これで岡山県の仕事は終わった。会社の看板を背負って尋ねるから、相手も安心して口を開いてくれる。少し前、取引開発の仕事をしたときは、見知らぬ店でケンモホロロの対応をされたことを思うと、天国と地獄の差だ。残るは後一軒、香川県に引き返し三豊郡高瀬町に向かった。仕事を終えると、4時55分だった。この近くにある高瀬農協の販売店に立ち寄り、ミカンを購入。この店は四国の売店の中では一番品質価格とも優れている。芸西のカッパ市場も果物類では負ける。更に急いで宇多津のホテルに向かった。ホテルでレポートを書き上げる。午後7時半(結局今日も12時間働いた)。食事は、「はまずし」(回転ずし)。日本酒を注文したら、ハイと言って店員はレジに戻った。普通は冷か熱燗か聞くのだが、不思議だなと思っていたら、出て来たお酒は、常温だった。酒を知らない店員。
日本のサービス産業は効率が海外に比べて悪いと言われるが、日本の飲食店や物販のサービス度は、海外の旅行客がうらやむほど親切で、おもてなしが出来ている。それを、海外並みに効率を上げろと来たら、先ほどの馬鹿店員の様に、言われたものを単純に持ってくるだけとなるだろう。まぁ海外からの効率の圧力よりも先に、雇用からあぶれた人たちが、この流通や飲食店に集中するから、自動的に効率は上がるだろう。日本の雇用も、アメリカの雇用も、スキルを持たない人は、サービス産業従事となり、低賃金で中間層とはなりえない。今や、製造業は相当高いスキルがないと従事できないのだ。常温の日本酒提供と、日本の製造業に関連性は薄いが、僕にとって重要な問題だ。

3月11日(土曜日)
午前4時、胃がきりきりと痛むので目が覚めた。薬が効いて回復しているのではなかったのか。先日来、医者からの再三の問い合わせもあって、心配になり、病院が9時に開くと同時に、看護婦さんに駆け寄った。この前診ていただいた先生の病人に行くので胃カメラ検査ができるかどうか問い合わせてほしい。実はこの病院は整形外科の病院で、内科はよその病院からの応援で賄っている。簡単な内科は、父が対応し、息子さんは整形の先生だ。しかし、地区の性格上内科は必須で、外部の力を借りて運営している。OKとの返事をもらったのでさっそく安芸郡安田町に出かけた。ここから東に30km。清酒土佐鶴の地元だ。先生は「胃カメラを飲むのは初めてかね?」「そうでもないが、とても苦しいので、前の病院ではすべて麻酔を使ってもらった」。「今回もそうするかね」。「できればそうしたい」。点滴が始まった。いつ落ちるのだろうかと気を張っていたが、今回も落ちるポイントには気がつかなかった。「終わりました」と言われて初めて気がついた。隣のベッドで休んでくださいと言われる。前の病院では車の運転はご法度だったが、ここの病院は可能だ。というのも、麻酔を取る点滴を始めたからだ。その間も、いつのまにか寝てしまっていた。やっと気がついてから、階下に降り、先に精算をしてくださいと言われた。その後、看護婦さんやスタッフが全員帰宅し、先生と二人差しになって説明を頂いた。「胃潰瘍でもなんでもありません。胃痛は治まりましたか?」そんなこと言われると、病気が飛んで行った。もしかしたら、昨年の胃潰瘍が悪化して癌化してないだろうか?と心配してたのだ。急に腹が減って来た。だが、ここまで来て帰るのはもったいない。友人が「南」の酒を飲みたいと言っていた。ここでしか買えない酒。日本の銘酒。医院からあるいて5分。酒造元。「色々種類があるが、どれが欲しいぞね」。「この間新聞に載ったやつ」。「どの新聞?」「わからんけど1週間前」。「そんならスポーツ新聞や。その酒はこれぞね。」と2本出してくれた。病気が収まって太っ腹になった。帰って、車のタイヤを冬用からノーマルに変更。再び車に乗っておじさん宅へ。花の出荷を手伝った。帰ると、西の畑をトラクターで叩きに行くと、誰かが耕してくれていた。犯人はだれだ?めぼしい家を訪ね、奥さんに聞けば主人が朝やったと。御礼をして、家に帰りビールを持参し、本式の御礼。「そんなことせんでもえいに!」「そんなわけに行くかよ」。(僕が畑を2枚叩くと1時間もかかるのだ)「おまんがえいように言うちょういて」。今日はいいことばかり。本来なら飲みたいところだが、今晩はぐっと我慢。

3月10日(金曜日)
今日は早めに出発して宿毛まで出かけた。3時間半。朝ジューサーでミカンを絞り、ペットボトルに詰め、途中のローソンで卵サンドを買って、食べながら飲みながら走る。片道170kmは確かに遠い。何度か休憩をして、何度か居眠りをして到着。宿毛に着いた時は体がこわばっていた。次は四万十市。高知県の長距離運転は地元の人間だから、見慣れた風景で何とか耐えられるが、よその人には退屈な風景が広がっていると思う。この街道は漁港が多いので水産関係のトラックの往来が激しい。(確か、それをテーマに漫画連載があったはず)そのトラック運転手は誰もが限界一杯までコーナーを責める。ついてゆくには軽自動車でもシフトダウンをしてアクセルを踏み込まないと、離される。カーブでブレーキを踏まないのが鉄則だ。時々踏むトラック運転手がいるが、これは下手。この後は危ないのでついて行ってはだめだ。カーブの手前でブレーキは踏み、カーブではアクセルを踏む。今も昔も基本は同じ。帰り着いてPCメールを確認して、依頼のあった資料をPPTに書き起こす。20:45に終了した。午前7時から車に乗っていたのでよく働いた。こんなに長く仕事をしたのはASOMで海外イベントの設営の時以来だなぁ。この時の徹夜の原因は業者さんが什器の寸法を間違い、パネルを作り直した。その展示台が出来上がるまで僕たちは何もしないで待つしかなかったのだ。転がって寝たいが寝ると危ないからダメだと言われた。この資料を終えメールすると、今度は幹部に、別の資料を完成するように催促があった。明日も時間を見つけて作業を進めなければならない。

3月9日(木曜日)
昨日行った病院から突然の電話。調子はどうですか?一晩薬を飲んだだけなのに、調子はとは?これまた性急な話。明日の朝、返事します。それでは食事を摂らずに電話をしてくださいと言う。妙に脅すではないか?そんなに悪いのだろうか?今日は昨晩の薬で妙に胃のあたりが軽くなった感じだった。一粒の薬がこんなに効くものだろうか?安心していた所だったので、梯子を外されたように不安が大きくなった。気分的なものかもしれないが、胃が重くなった。今日は仕事で出かけた。出かけるとレポートが必要になる。以前は手書きのメモを夜ホテルでエクセルに記入。すぐ最近はipadに付属のNumbers(IOSのExcel互換)に記録し、帰ってエクセルにコピー。今日はipadにインストールしたExcelに記入。以前PC用に、クラウドのオフィスを申し込んだことを書いたが、これは2つのPCにインストールすることが出来る得点が付いている。一つはWindows。一つはIOSにインストールが可能だ。パッケージ版だと、どちらかに限定されるが、クラウドだとこんなことが出来る。そのExcelだが、ipadの画面上でWindowsPC版のエクセルと全く同じことができるのには、正直参った。レポートは訪問先の車の中で済ませ、次へ移動。この繰り返し。帰宅すればそのままPCへUP-Dateできる。移し替える必要がないのだ。知らんかったなぁ。行った先は佐川。ここは有名な「司牡丹」があるところ。道中は桜が満開だった。川津桜。今日は、良いことと、悪い事があった。

3月8日(水曜日)
4月になれば(映画のタイトルみたい)。今日より20分だけ日の入りが遅くなる。今日、午後7時に仕事を終えて自宅に帰る(と言っても20mだが)道のりはもう真っ暗だ。以前、携帯電話の明かりで帰っていたら、塀にぶつかり、携帯電話を落としたこともあった。(ガラスに少し傷が入った)。でも、4月になれば、午後7時でも明るい。真っ暗なしんと静まった我が家に向かう道は、否が応でも、もう父も母もいないんだと思い出させる。明るいとそれが無い。過ぎてしまったことは仕方ないと、心にしまい込むにはまだ時間が足りない。昨晩は夢の中で母が呼びに来た。まだ逝くわけには行かない。まだ、僕にはやりたいことがいっぱいあって、それにまい進しているのだ。ところが、ここ2週間ばかり胃の奥が痛み、もしやと思い膵臓の検査をお願いしていた。その結果を聞きに行った。胃潰瘍かも知れないと医者は言う。とりあえず薬を飲んで様子を見ましょうか?調子の悪いのには少しばかり思い当たるフシがある。一つは、夕食時、普段飲まなかったお茶を飲んでいるからだ。自分で煎じたお茶だから、少し濃いめだった気がする。もう一つは、4月に会社発足を迎えて、急に忙しくなってきた。当たり前のことだが、結構密度の濃い仕事内容となっていて負担が増えた。定年以降の仕事は日々完結だったが、今は、3~4日で一つの山を完結するみたいな感じだ。それで、エクセルの関数をどう使うのかと悩む夢をよく見るようになった。などなど体はストレスを感じていたかもしれない。食事を終え、入浴も済ませ、再び暗い庭を渡って自分の部屋に帰る。

3月7日(火曜日)
北風が強くなり少し寒くなりはじめた。とは言っても3月だ。日差しが力強く、寒さもたじろいでいる。太陽がかげる夕刻になるとやっと本来の寒さが戻る。木々にとっての季節はもう春。桜の花が咲き、モクレンの花が開きかけている。いい季節が廻って来ると期待してたが、なかなか世の中うまくいかないものだ。一番懇意にしているおじさんの膝が痛み歩行が困難になった。しばらくすれば治るだろうと言うのだが、加齢による軟骨のすり減りで痛む膝は、治りようがない。父も晩年は苦しんだ、苦しんだ挙句、亡くなった。おじさんは父の弟だから、いずれ同じように歩けなくなる。おじさんの面倒を見るには、仕事を手放さなければならないかもしれない。今の仕事は、寂しさを紛らわしてくれて、おまけに想像力を掻き立ててくれる。折角つかんだチャンスなのだが、覚悟は必要だろう。でも少し猶予はあるだろう。そう期待したい。お寺さんと、仕出し屋さんに父の一周忌のお願いや手配をしてきた。今度の土曜日は、畑の除草剤と、墓に除草剤の顆粒を撒く仕事がある。一家で死者が出ると、その後もいろいろと行事が重なり大変だ。田舎は、これがあるから、重い。フットワークを軽くできないのだ。

3月6日(月曜日)
もう3月。真冬のような寒さはない。ちょっと寒いかな?程度で、動いているときは薄着でも過ごせる。曇っていたが、今日のお昼はカッパ市場で弁当を買って海辺の砂浜で頂いた。あいにくと飲み物は買い忘れ、水気の多いミカンを3個ほど食べてのどを潤した。小学生の頃、父方の実家に遊びに行き、おばあさん(父の母)に浜弁当を作ってもらって、従兄と一緒に食べた。おかずは卵焼きで、卵に砂糖を入れる焼き方で、美味しかった。それに、醤油も、甘かった。自分の家では料理に厳格な祖母が、それは本当の卵焼きでないと認めてくれず、甘い卵焼きは食べさせてもらえなかった(その代りネギが入っていた)。ましてや醤油は自家製なので、ただただ辛いだけだった。だから、今自分の作る卵焼きは、砂糖が沢山入って、ネギも入った(二人のおばあさんの思い出が入っている)豪華焼だ。そんな昔のことを思い出しながら、弁当を頂いた。父は晩年、毎日ここの浜に来て海を見ていた。少年の頃から育った海だから、その頃の思い出と共に海を見ていたんだろか。母の作った浜弁当を思い出していたのだろうか?潮風に吹かれて、弁当の味が幾分増した感じだった。広大な海を見ながらの昼食は格別だ。自宅から自転車でわずか5分位だから、この浜を第二の台所として使ってもおかしくはない。国道を利用するビジネスマンは、この松原の駐車場で弁当を食べたり昼寝したりしている。昼食時、自宅の台所で、iPadを見ながら、鶯を聞きながらの、ながら食も悪くはない。鶯は、この付近には2羽いて、山の方で鳴いているのはまだまだ練習が必要だが、南の竹藪で鳴いているのは、パーフェクトに近い。どちらにしろ、ひるめしの環境は凄いのだ。

3月5日(日曜日)
今日は何もしないぞ。と決めて、朝食をゆっくり摂って、新聞を見てたら11時になった。さすがにこれはまずいと、先週の旅行を撮影した映像の編集に取り掛かった。アプリを購入する前に、付属のアプリで編集できないか試してみた。iMoveだ。音楽の入れ方をマスターできなかったが、取り敢えず1本仕上げた。さすが4K映像はiPad-proの大画面で見てもきれいだ。当面はこのアプリで行こう。携帯電話の能力はもうここまで来たのか!と感慨深いものがあった。昼から洗濯物にアイロンをかけ、本を読んだ。本は読むよりも買う方が多いので、どんどんたまってゆく。寸暇を惜しんでページをめくる時が来ていると思う。この一年、いろんなことを理由に本を棚上げしてきた。避けられない理由もあったし、言い訳にしかならない理由もあった。例えば寒いこととか。だが、今は気持ちの区切りはついたし、その上、これからの季節は、本を読むのにも最適な時を迎えている(居眠りに丁度良い時も迎えているが)。それで、今日は「村上春樹の騎士団長殺し/1部」を読み始めたら、ちょっとこれ厳しいのではないの?と思った。字が小さくて読むのがしんどい。ここ2年ばかり紙の本を読んだことがなかった。iPadに取り込んで見ていたから、文字の大きさは問題ではなかった。寝転んで読むときのKindleは7インチともっと小さな画面だが、文字だけ拡大できる機能が付いているので、これも問題ではなかった。おじさんになって、読書がいかに大変なことか改めて気がついた次第だ。今仕事で、拡大鏡を販売していて、結構成績が良いに合点がゆく。来週、「騎士団長殺し」は裁断して、PDF化して見よう。それまでは、「遠い太鼓/村上春樹」(PDF化済み)を読もう。
 
3月4日(土曜日)
畑の土移動。食事、清掃。いつものルーチンワークだが、午前中がつぶれる。日経新聞。Japan Timesを読み、ラジオ英語を聞くと、どうしてもこの時間になる。英字新聞はこの3月一杯で止めるつもり。読む速度がまだ極端に遅いので、ためておいて、時間をかけて読み込むつもり。10,000語位の語彙を覚えなければ新聞は読めないと思う、iPhoneの英語アプリで検定すれば僕の今の実力は5,000語位だ。弘前の友人は、なごり雪が降っているとメール来たが、ここは春の風が吹き、あたたかな日差し。一気に成長した草の為、今日の午後は、沖のハウスに除草剤散布。まだ枯れてない木にドリルで穴をあけて除草剤の原液を流し込む。家に帰り、この周りの畑に除草剤。夕刻5時の時報が鳴り、まだ散布する田畑は残っているが、今日はこれにて終了。風呂を沸かして夕食を準備して、早めに一日を終える。今晩はスガ・シカオのコンサートだ。我が家のシアターはフロントがマルチ・チャンネル・アンプシステムなので、低域が叩きつける様な音を発する。トドの腹の様にぼよょ~んとはしてない。それが、実に気持ち良い。スガ・シカオは村上春樹が超お薦めのアーティストだ。聴いていると、歌詩に意味深いのが登場する。村上春樹は多分この語彙の使われ方に反応したのではないかと思う。村上春樹で思い出したが、2月24日高知に行ったついでに、彼の新作を購入した。徹夜で並んで買ってその場で読み上げたハードなメンバーもいると新聞報道。僕はまだ読んでない。元に戻るがスガ・シカオのコンサートは新アルバムを紹介すると言うので、ステージ後方のスクリーンに歌詞が映し出された。普通の人がCDを買って初めて聞くシーンを想像して演出したと解説した。なるほど。

3月3日(金曜日)
ゴミの日。先週からの分をまとめて供出。ついでに、かっぱ市場へ買い物。お弁当540円と、少々の野菜を買った。毎週金曜日は安芸市のお風呂へ行く予定だが、今週は仕事がタイとで、ちょっと心の余裕がないため、自宅のお風呂。併せて夕食もお弁当と付け合わせの野菜を少々、短時間で調理できる献立。午後8時半にめどがついた。今週は3日間しか働いてないが、密度の濃い仕事だった。3食を自炊したので、指がガサガサになった。精神の解放に食後映画を見る。「ターミネーター2」私はこのシリーズの映画の中で、これが一番傑作だと思う。バイクをトラックが追いかけることが出来る、通常あり得ないシーンも「良しとしよう」と思うほど、骨格がしっかりしている。LDでもDVDでも見た。今はWOWOWのハイビジョン録画で見ている。サラのノーブラはお乳が垂れているのは少し見苦しいが、設定では少年(ジョン・コーナー)の母親役だから、これも良しとするか。このサラが起伏の激しい動きをする。主題とは離れるが、盛り上げのためには脇道も必要だと思う。シュッワルツネッガーがI’ll be Back(アメリカでは流行語となった有名な言葉)を言うシーンを確認できた。普通なら「戻ってきてよ」「OK」もしくは「Sure」となるところを、このセリフで決めた。日本酒「船中八策」を飲みながら見たので、所々に、既知の映画なのに新鮮なシーンが登場した。満足して眠りにつくことが出来る。

3月2日(木曜日)
今日はきちんと6時前に目を覚ました。6時まで布団の中で本を読み終えた。Googleを取材した書籍で随分と分厚い本だった(と思う)電子書籍なのでどの程度の厚さなのかは不明。Googleと言う会社は、アルゴリズムを開発した会社だ。アルゴリズムとは、世の中の現象をデーター化してとらえ、その量によってある傾向値を得る手法だ。車の自動運転なんかもインターネットの検索エンジンと同じ考え方でできると踏んでいる。僕の仕事はこのずっと初歩だが、統計に拠ってある物事の傾向値を導き出すもので、大くくりでは同じ範疇に入る。傾向値を得るうえで仮説の参考となるものは哲学だったり、自然の摂理だったり、人類の歴史だったりして、関連図書も幅広い範囲が含まれる。この年になって、こんな大きな金鉱を掘り当てるとは思いもしなかった。6時起床、前の畑を掘り返そうとしたところで、遠くの方から大きな音がやって来るのがわかった。空を見れば真っ黒だった。慌てて小屋の中に飛び込んだ直後、大雨がやって来た。しばらく雨宿りをした後、畑仕事は断念して、散歩に出かけた。今回の休暇で憑きものが落ちたように、頭も体も軽くなった。今まで背負っていたものは何だったんだろうと思うほどの爽快さなのだ。先月は丸3日間かかった文章校正も、今月は2日で仕上がりそうだし、良い事ばかりだ。まだ幾分寒いが、もう冬のような寒さはない。すっかり緩んだ。春と言っても良いくらいの気候になった。蓮華も咲いた。この仕事をしてて当面困っている問題は、液晶画面を見続けると、1時間で頭が朦朧としてくることだ。休憩をはさんで再び1時間。こんなパターンでしか、できない。昔の様に、頻繁に電話があるわけでもなし、会議があるわけでもないので、仕事の中断がない。1時間と言うと本当にみっちり1時間なのだ。ありがたい事には、休憩のための庭は広いし、敷地の中で散歩ができる。鶯も鳴いている。これが田舎の良さだ。

3月1日(水曜日)
朝一、友人にお土産を届け、お世話になっているおばさんにお土産、その足でカッパ市に寄って夕食のお弁当と食材を購入。朝のラジオ英語はお休みで、仕事に取り掛かった。今月は少し早めのスケジュールで動かなければならない。少ない活動日数の内、会議で3日間つぶれるからだ。更に3日間、今までと違うところの訪問がある。その内の一つに小豆島がある。今まで行ったことの無い島だ。24個のオリーブそうめんを買ってくるつもりだ。と言うことで、急ぐのだが、昨日までの疲れがどっと出て来て、眠くてたまらん。昨晩は9時間半就寝だがまだ不足しているようだ。今日の仕事は文章の校正だから、余計眠気を誘っているかもしれない。食事外にも休憩したので、夜9時まで根を詰めた。大阪の友人は今夜、元職場の同窓会があるので向かうと言う。僕も大阪に住んでいればこれに参加するのだが、残念かな一度出席しただけだ。非日常の休暇を取って心はリフレッシュ出来、元気が出て来た。新しい視点も出来た。先日会ったボクサーの若い兄ちゃんが自分発見の旅をしていると言っていたが、その気持ちが良く分かった。今まで、取り掛かったものはめどがつくまでがむしゃらにやってやるのが自分の流儀だったが、方針変更して、途中で休憩を入れるやり方に変えることにした。なんて楽だろうと言うのと、視野が広がるのが分かった。出費を伴う休暇となるので、普段の倹約が必要だ。でも、次の休暇を考えると倹約も苦にならず、倹約の工夫もあるから楽しくなる。今の季節になると、「贈る言葉」があちこちで流れる。「♪人は悲しみが多い程、優しくなれるかぁら」僕のは、そうではない無かったなぁ。「非日常の休暇が多い程、優しくなれる」だ。

2月28日(火曜日)
窓の外の景色は氷が張り、一面の霜で真っ白。冷たい風呂に入り、朝食。8時半に出発。余裕があるはずだが、ギリギリに大分駅へ友人を届ける。ここから、列車でお帰り頂く。僕は、佐伯港へ向かってぶっ飛ばす。ギリギリセーフで切符を買い、乗船。舟の中で、ハンズ・ラビリンス。少女が主役のかなり厳しい悲劇。でも感動。死後の世界へ旅立ってゆく楽しさを描いている。母も、苦しい病気だったのに、安らかな眠り顔だったのは、死後に祖母に逢えたのだろうか。そんな想像を膨らます映画だった。残りの時間、この非日常の物語をiPadで書き上げ、船は無事宿毛港に到着。今回はしっかりと、音楽にも触れたし、カメラでも遊んだし、友人にも大変なお世話になり、勇気を貰った。この充電で再び日常の平凡な生活に戻れる。この旅行で脳裏を掠めたのは、「何故だろう?僕の友人は余りにも真正直な人が、かくも多いのだろう」という事。僕の性格は、どちらかと言えば卑屈な方。類は友を呼ぶと、なってないのが不思議。僕の芯の中に、「真正直な人に注意されたい願望があるのだろうか?それとも、生き方の感化を受けたいのだろうか?」それとも、自分の事はさて置き、「卑屈な人が嫌いな為だろうか?」帰りの一人旅は、JAZZ。太陽のある間に高知市に入った。これで一安心だ。いつも買い物をするスーパーに寄って、お弁当、明日の朝食のパン、牛乳を買った。自宅到着は薄暗くはなっていたがなんとか景色が判明できる状態。主なものを部屋に放り込み、食事の支度。この数日間は食事の準備や後片付けの無い生活を送ったので、手の荒れはすっかり潜んでいたが、今晩から復活だ。風呂はシャワー。もう9時だ。眠くてたまらん。

2月27日(月曜日)
快適な目覚め。友人の奥様の手料理で純日本食の朝飯。矢沢永吉のWOWOWライブを見ながらだ。3名が共通して支持する歌手だ。食後先ずは、中津城を訪ねた。撮影ポイントは一旦場内に入り、再び出てからお堀を跨ぐ橋の上から。次に、福沢諭吉の生家。15石の家。現在の価値にすると、120万円。質素なとは言え、中流の生活が出来たと僕の算段。次は赤壁。黒田官兵衛の門下が、反逆者を皆殺しにしたお寺。白い壁が血で染まったので、赤く塗り替えたとの伝えが残る。友人は(幼年の頃)この壁に釘を刺し、中の構造を調べたとか、その修復の後も残っていた。次は鶴瓶さんが紹介した、JAZZの店。アルテックA7がマッキンのアンプで鳴っていた。ご主人はJAZZの会議があり、宮崎に出張だとか。耶馬渓で写真を撮り、深耶馬渓でお蕎麦を頂く。ここの蕎麦が実に美味。山形で食べた時以来の感動。この辺一帯はお蕎麦屋さんが多い。九州の山奥に意外な食。次は、滑り台のある滝(龍門の滝)。まだ明るく、スローシャッターが切れなかった。これで本日の訪問先は終了。旅館、みやこさんに向かう。到着すると、先ずは靴下を脱いで、足湯。足湯の中にはドクターフィッシュがいた。気持ちが良かった。ネットで調べるととんでもない感染の可能性があるとか。全く知らなかった。風呂は緩く寒い。温まることが出来ない。理由は、源泉。加温すれば「源泉かけ流し」の看板を取らなければならない為。夕食は量が多く、3時間をかけて頂いた。それでも、肉は残してしまった。焼酎は、「朝日」。奄美大島の黒糖酒。「魔王」、「伊佐美」、「明るい農村」もある。どれでも一杯500円。ロビーで飲む焼酎は無料。まぁ酒には不自由しなかった。ヨレヨレで、布団を敷き、友人は、僕の軽トラックを運転したので腰を痛めたと散々罵倒され、お詫びに腰を揉み帳消しに。

2月26日(日曜日)
快適。高台にあるこのホテルは冷えていた。自転車で近くのコンビニへ朝食の買い出し。指が凍った。日経新聞を読みながら食事。10時、車は置いたまま自転車で出発。スターバックスで1時間のお茶。目指すは、水族館。別府-大分マラソンのコースを走る。水族館は道路を挟んで向かいは高崎山の猿公園。入場するといきなりドドのショーが始まった。静止画よりも動画が面白そう。iPhoneで4K録画(この日のために、256Gのメモリーを搭載したバージョンを買ったのだ)。ドドは口笛も吹く。知らんかったなぁ。終わると魚見学。暗くてキャノンパワーショットS90とEOS20Dでは撮影できない。水槽にレンズをくっつけて撮影。手ブレや写り込みの問題は避けられるが、被写体ブレは対処できない。動きの少ない魚を中心に撮影。時計を見れば、もう14:30。急いで自転車に飛び乗り、駐車している大分運動公園に引き返す。この時点で16:00。友人宅到着をセットすれば17:41。とにかく、急ごう。遅くなると迷惑がかかる。高速道路をひたすら北に進む。宇佐IC下車。これから下道。信号停車の度に現在地を友人の携帯へSSN。近づくと、iPhoneのマップに切り替えて、家近辺までたどり着く。電話では結構交信していたが、会うのは10年ぶり。上がり込んで歓談後、お風呂に行くと言う。近隣にある金色温泉。日曜日の午後7時でもあり、一杯の人だった。露天風呂2個入り、内風呂で身体を洗って汗を流した。夕食は、博多地鶏の鍋。刺身。近隣の有名な奈良漬けをアボガドの上に乗せたもの。鳥の軟骨。おさけは、米の焼酎で、「耶馬美人」。1万円相当の銘酒。酔っ払って、ダウン。

2月25日(土曜日)
朝3時に起床。3時半に出発した。宿毛発8時のフェリーに乗る為だ。ゆっくり走っても間に合う時間に出発したのに、窪川を少し過ぎたあたりで、後続のトラックにえらいぶっ飛ばすのがいて、それに合わせたおかげで、1時間半も早く到着してしまった。早起きは三文の徳とと言うが、僕は妙に熱っぽいし腹痛もある。港を散歩して紛らわす。ここは芸西村と違ってものすごく寒い。ようやく到着したフェリーは大きく、揺れなかった。2等船室一区画貸切で少しだけ眠り、DVDで「リバー・ライン」を見た。今まで、この手のような、ストーリーが緩やかに進行する映画は、かったるくって見るに耐えず、ドンパチにしか興味がなかった。やっぱり旅行に出て心落ち着け、こんな映画も見られる余裕を持てて良かった。 大分は、街の外れにある高台の研修施設に宿泊した。ここに車を置いて、自転車で街に出かけた。目指すはLPレコードの店。気のいい、にいちゃんが対応してくれた。LPは超音波洗浄でパチパチ音が結構消えますよ、いい情報を貰った。後はジャズ・ライブまでする事がない。だが、だんだんと熱っぽくなって何処かで休まないと体がもたない。県立美術館を見つけ、まず小学生の書道展を見た。6年生ともなると、立派な字を書く。見学者は名前を書いてくださいと、退場の時、受付のおばさんに言われ、書くことは可能だが、とても恥ずかしくって書けないと伝えた。自分はとても器用な方だと自認しているが、字だけはどうにもならない。PCを買ってワープロの一太郎に1986年から走ったのはこう言う理由があった。当時はソフトウエアが5インチのフロッピーディスクに入っていて、キーボードを打ち込むと、カタカタと検索していた。プリンターはドットプリンターで、黒のインクの染み付いたリボンがドットの前で巡回していた。もう限界で、ロビーの椅子に倒れこんで5時半まで休んだ。ゆっくりと街を見物するつもりだったが、どうも体調が許さない。相当悪い。今日のライブは無理だろう、と、断りの電話を入れた。それから、夕飯に近くの居酒屋で関サバを食べて焼酎を飲んだ。すると、身体が熱くなって汗が出だした。お酒で汗をかくなんておかしいな。ところが、これで熱っぽさが消えた。つまり復調したのだ。しかしもうコンサートはやめにして帰ろう。宿泊施設は高台にあるので、1時間ほどかかり帰り着いた。熱っぽさは自転車に乗っても平気だった。今日は移動の他には、関サバ位しかニュースがない。何か脳に刺激があったんだろうか。風呂に入って、10時に就寝。

2月23日(木曜日)雨のち晴れ
今日は外勤の日。かなりハードな計画を組んだので厳しかったが、拾いモノもあった。iphone6pulusのスピーカーフォンが効かなくなっていた。ヘッドフォンからは音楽聞こえるのに、スピーカーからはでない現象。ネットで調べると高知にも修理屋さんがあちこちに存在する。仕事の帰りに寄った。30分で完成するという。昼飯を食べてなかったので、丁度と思いコレに充てた。原因はヘッドフォンが差し込まれたままの状態になっている検出が働いているとのこと。基板一式交換で6,800円。安いのか高いのか判断つかないが、その場で直るというのは魅力。話を伺うと、湿気やほこりでこの現象は多いとのこと。iphone7がヘッドフォン端子を止めたのはこの理由。6時に帰り着き、レポート作成。8時半に完成して送信。それから食事。結局この日の就寝は23時。強行したのは、明日から休み。明後日は九州へ出かけるので、その準備に充てるつもりだから、翌日まで引きづりたくなかったのだ。

2月22日(水曜日)晴れのち雨
東京への出張があって、会議の後、その日に帰宅できず、東京でLIVEを楽しむ計画を立てた。ブルーノートもピットインもビルボードも全部ちょっと好みでないものばかりで、それなら普通のジャズクラブと言うことで「ボディ・アンド・ソウル」を予約した。翌日高知に帰り、その翌日からは休日を取って大阪に向かう。友人たちを懇親をするためだ。せっかくだから、もう1泊して大阪でライブを、こちらもビルボードは好みでなく、心斎橋のクラブに行くことに決めた。どうせこの日は日本橋でうろうろするつもりだから、心斎橋で丁度なのだ。昨日は刺激について書いたが、3月末はかなりの刺激の週間となる予定だ。今月末は九州の友人宅に寄るついでに、大分市でケイコリーのジャズライブを聴く。動きが激しくなってきた。それで思い出したのは、もともとじっとしているのが嫌いで、あちこち動き回っていたのが僕の人生だった。高校生の頃からの癖で、そんなに深い仲ではないのに、いろんな人の家に上がり込んで、両親にも挨拶をした。男も女も分け隔たりなく行った。晩年、仙台に赴任して、いきなり見ず知らずの家電店を訪問し契約を取る仕事を始めたが、十分な成果は出ないにしても、ストレスにならなかったのは、こうした下地があったからだろう。昨年は少し縮こまっていたが、今年は本来の自分を取り戻せそうな気がする。4月からは四国3県を回る仕事が追加となる。徳島県と香川県だ。高知市にはジャズライブハウスがなくなったが、徳島市と高松市にはある。これらを組み合わせると、とぎれなく刺激に包まれそう。そしていよいよ来年から海外も含める予定だ。仕事が山場を迎える頃には、宿泊出張もいいなぁ。宿泊先はすぐ前の家だが、キチンとした一軒家なので、トタン屋根の倉庫で暮らしている今とは格が違うし雰囲気も違うので、宿泊の雰囲気は味わえそうだ。僕の部屋からはWi-Fiも届く。アンテナを建ててないのでTVはだめだが母屋のBDレコーダーからお部屋ジャンプリンクで見ることは可能だ。ホテルのようには行かないが、それなりの刺激はある。

2月21日(火曜日)晴れ
ややもすると2日連続で誰とも話さない事態に陥りそうだった。朝の散歩は中止して、畑の土移動。朝食の後は職場である離れの家にこもりっきり。ところが、昼になり、猛烈な空腹となり、自炊をやめてレストランに出かけることになった。ここではメニューの注文だけ。まぁ会話とはいえないが、とりあえず口は開いた。帰り友人宅の前で、おばさんが草いじりをしてたので声をかけてやっと普通の会話になった。「あてぇ、おまんに聞こうと思うちょったが」 と始まった話は葬儀の話。このおばさんの姉の周忌の話かと思いきや、本人の死語のことについての話だった。まだ元気だし、「そんなこと言うたらいかん」とたしなめた。先週から娘と孫が帰省していることでもあり、弱気になっていたのだろう。もっと励まさなぁいかんと思った。その後、今度は母の懇意にしていたおばさんがネギを持ってきてくれた。山田(香美市の土佐山田町のこと。ここにはアンパンマンミュージアムがある)のネギは旨い。とこの人の持論。ネギの葉先までピンとしていて、少し炒めるだけで甘みが出てきておいしい。そうだ、このネギを持って明日、友人のおばさんを励まそうと思った。自炊の夕食を摂りながら考えたのは、この村は気候も温暖で、空気もよく、海は近いし何の文句もない。そう思いこんでいたが、ここに暮らす人々は、何の刺激もなく、何の楽しみもなく、永遠と毎日同じ事の繰り返しで日々を過ごしているのだなぁ。苦痛もなければ喜びもない。そんな生活がここの生活なんだ。はたと気がついた。僕もそろそろここに住んで1年。ぬるま湯の蟻地獄に堕ちる寸前である。ちょっと難しいが仕事を始めて良かったと思う。と同時に、先のおばさんも蟻地獄のど壺にはまっているから、余計なことを考えるのだろうと気がついた。もうそんなに選択肢がないから、できる範囲で刺激を持って行ってあげたいと思っている。

2月20日(月曜日)曇りのち雨
今日は誰とも話さない一日だった。買い物にも出かけず、ひたすらPCとにらめっこ。食料は母の供養の時に用意したものがまだ冷凍庫に残っている。風呂は薪で焚くし、水は井戸からだ。自給自足とは言わないまでも、かなりの隠遁生活だ。外とのつながりはネットのみ。ここのところ立て続けてAppleStorから、写真編集ソフトを買って、iPhoneで撮影した写真を加工している。食事の後、撮影した写真をいじっているといつの間にか時間が経過している。誰とも話さなくてもいいわけだ。夕食の後、久しぶりにベルリンフィルのDVDを見た。ズービンメーター指揮、チャイコフスキーピアノ協奏曲。ピアノはダニエルバレンボエム。??バレンボエムは指揮者じゃなかったっけ?ピアノも弾けます。この多彩度はやっぱり見習うべしだ。もう70歳前の人がこの激しいピアノ曲を弾き、汗が飛び散っている。ブラボー以外の言葉は出てこない。感動をもらえたコンサートだった。そのバレンボエムのブルックナーがハイレゾで発売されている。12,000円。全曲アップルで聞き、悪くなかったので買おうかと思った。その前にネットでブルックナーの名盤はどうなっているの?調べると、ジュリーニとヨッフムが良いとの評判。appleにヨッフム盤があったので視聴すると、びっくりするほどの躍動感がある。これはハイレゾはない。CDのみだ。自宅のCD棚をあさると、ハイティンク盤が3-7-9とあった。ジュリーニの7番もあった。3番はLPでカール・ベームもある。なぜ、ここのところブルックナーかと言えば、曲目が壮大であるからだ。大きな心を持って、豊かに生活したいと最近よく思うからだ。(実際のブッルックナー氏は気が小さく演奏会の度に世評が気になり、結構な頻度で完成した楽曲を書き換えていたそうだ。そのため、同じ3番でも、バージョンが多くあり、どのバージョンで演奏しているのかもチェックポイントらしい。)まあそういう細かなことは置こうとしよう。

2月19日(日曜日)晴れ
来たぁ~
3つやってきた。一つは心地よいウグイス。今日が解禁日で鳴き始めた。解禁日にしては結構旨いこと鳴いている。これから5月にかけて練習を積んで立派な谷渡りができるようになるのだぞ。もう一つ来たのは蜘蛛。僕の部屋に入る框に立派な巣を張った、しかも2カ所。夕べトイレに立ったとき妙なモノが顔にかかったなと不愉快さがよぎったが、やっぱり蜘蛛の巣だった。ほんの少しの気温加減を自然は知っている。木や竹の伐採を急がなければならないが、ここのところ畑の土の処理に追われている。今日から朝の散歩はやめた。散歩の1時間を土の処理に回した。万歩計は4,600歩を刻んだから、散歩の時と比べて5~600歩少ないが、手には重い土を持ったのでエネルギー的にはチャラかな。そう思いこんで朝食を摂った。朝食の後はラジオ英会話。ところがこの頃から眠気が襲ってきて、台所の椅子で少しまどろんだ。自分の部屋に帰り、日記のwebアップデートを始めたら再びものすごい睡魔。強い太陽光があったので、そのまま横になった。昼食の後は読書。グーグルの密着取材記事だ。グーグルの理念は「邪悪になるな」。ベンチャー企業にしてはすごい理念で動いている会社だと感心した。ところが再度の睡魔。結局今朝の1時間の土処理は体にものすごい疲労を及ぼしているのがわかった。慣れない筋肉を使ったので疲れが倍加してやってきたのだろう。それで、今日のプールは中止をして、早めに一日を終えた。浮いた時間は音楽を聴こう。久しぶりにハイレゾに火を灯そう。広帯域の音楽は現実に近いだろうが、ここ最近LPやDVDばかり聞き続けていたので妙な違和感があり落ち着かない。一旦休止をして、JDサウザーのLP You are only lonlyに針を落とすと、ほっとした。ナローレンジの音がしっくり来る。世の中にはアンチハイレゾがいるが、まさしく僕が今日感じたことを指摘しているのだろう。我が家はマルチチャンネルなので、ハイレゾ用に音の設定をすれば、この違和感は消えるかも知れない。選択肢が多いことはいいことだ。3つめは、ベルリンフィルからのメールでサイモンラトルのモーツァルトが届いた。AppleMusicへのリンクが張ってあったので再生。記憶の中のモーツァルトとは違う演奏。ずいぶんと力強い。カールベームとウィンフィルのようにもう少しなよなよ感がほしいなぁ。モーツァルトにはブルトーザーは似合わないと思う。

2月18日(土曜日)晴れ
ほぼ半日家の清掃につぶれる。それから、親類のお墓に花を持ってお参り。ついでに、おいしい漬け物をもらう。安芸市に行き、先日の近所の奥さんへ、お返しの品物を購入。寺尾に寄って今晩の刺身(鯵とイカ)を購入。魚をさばくのを見ていると、片身を切り取るのにわずか5秒。僕は5分以上も要している。この差は何だ?包丁の切れ具合か?包丁の刃の長さか?それとも力のいれ具合の力量の差か?いずれも僕が今後克服すべき課題だ。帰って、畑の整地。父と母がせっせとこの畑にいろんなモノを捨てて殆ど片付けたのだが、一つだけ残っているモノがある。土だ。畑の隅の方に不要な土を捨ててある。これを畑の全体にばらまく作業だ。土木工事用の機械があれば1時間くらいだろうが、何もない素手で行うと2週間仕事だろう。耕耘機で耕して、土にスコップが入るようにし、すくった土をスコップで運び全体にばらまく。とても骨が折れる仕事。2時間で腰痛激しく断念。風呂を沸かして腰をいたわる。浴槽の中で海野和夫氏の昆虫撮影のノウハウ集を読む。(シアターが終わればいよいよカメラだと計画を練る)。汗を流した後ビールを飲みながら、買った刺身を頂く。半分は刺身醤油で、半分はこの浜で取れた塩で。美味ですね。食後は、NHKクラシックハイライト2016。昨年は世界の有数な指揮者が日本を訪問した。サイモンラトルはベートーベン全曲を振っているし、ダニエルバレンボエムはブルックナー全曲(レコードはシュターツカペレだが、公演はウインフィル)。なかなか興味ある番組だが、僕は結構録り逃しているし、作業の疲れで半分は寝てしまった。

2月17日(金曜日)雨
1週間の5日は相当長い。今まで休み癖がついているので、長期勤務は疲れる。それに、今週は500kmほども走った。タイムマネジメントの本がよく売れていると聞いた。僕は仕事については、しっかりこのタイムマネジメントに基づいて仕事をしているから、どうしても、予定をこなすためには、プライベートな時間に食い込んでしまう。するとストレスがたまるわけだ。つまり謹直な人はタイムマネジメントをすべきでないという結論に達するのだが如何が?結局今日の最終は19時を回った。今日の19時オーバーはいささか問題を含んでいる。安芸市の銭湯の閉まるのが20時だから、コレに間に合うように行くためには19時出発が望ましいのだ。今日は頼み込んで入らせてもらった。顔なじみになっていたので助かった。帰りに「ハドソン川の奇跡」をレンタルした。アクションモノだと期待したが、機長の判断が正しいのかどうかの裁判がメインストーリーだった。なぜなら、飛行機が鳥を吸い込んで飛行不能になり不時着するまでの時間が208秒と短く、アクションの展開をしようがなかったのだ。それを96分まで伸ばして感動の物語に仕立て上げたはの監督の力量。ただし、機長にトムハンクスを起用したのはミスキャスト。このシーンで機長を裁く裁判官の方が役としては合っているように思えた。映画の焦点は左のエンジンが航行可能か不能かによるが、最初は可能だったので、物語が機長に不利に働いた。最後の最後に不能と判明された。この辺は、物語の盛り上げに旨く機能している、実際はどうだったんだろう。ともかく最後に機長の正しさが証明されて万事めでたしめでたしとなった。最後の質問に副機長に質問が飛んだ。「貴方は、このような事態が再び発生すると、川への不時着を判断しますか?」副機長は「そうします、ただし、7月の事故なら良いが」と結んだ。僕はこの笑いが理解できなかった。

2月16日(木曜日)晴れ
母の四十九日に近所の人を招待しなかった誤解は解けた。結論は僕が悪い。近所のリーダー的な存在の奥さんに四十九日の日程を伝えたが、「来てほしい」と言ってなかった。僕は日程を伝えることが来てくれと同意語と思っていた。近所の奥さん連中は、「招待がないのでやきもきしていた」とのこと。しかし、「催促をするのは悪い」からしなかった。僕は、二度言うのは妙に相手の不手際を指摘しているようで控えていた。結局、今日、当の奥さんが訪ねてきて、事の全容がわかり、「次回からはっきり言おうね」となった。とりあえず、僕がけちって招待をしなかったという誤解だけは解決できた。訪ねてきてくれたとき、「浜幸」のお菓子を持参されたので、僕はお返しをしなければならない。今週は仕事で動けないので、週末になる。これを抜かると、修復した関係が崩れる。ガラス細工の近所付き合いだ。今日は関数のSUMIFを使いこなし、フィルター作業で集計をしていたのが、ぐっと楽になり、抽出した数字が残るようになった。暖かくなり、春風が吹き、睡魔がやってきて、休憩にまどろんだ。自宅勤務だとこの午睡が取れるのがありがたい。Excelとパワーポイントで資料を作成しているが、グラフや表はExcelからコピペしてた。するとファイルサイズが鬼のように重くなり、パワーポイント内でグラフや表を作成するようにした。少々煩わしいがサイズのことを考えるとしかたない。日本語変換に今までATOKを使っていたが、新PCからIMEを使っている。誤変換があるので、結構シビアに変換文章を見ている。一方プライベートなPCはATOKが入っているので、変換ミスはないが、結局それを信じてタイプミスをし見逃している。どちらが正しい変換をしているのかを問えば、ミスのあるIMEの方が正しい変換をしている。便利なことが却って不便だと言うのがわかった。まぁ今日の結論をまとめて言えば、早とちりは怪我をするってことかな。

2月15日(水曜日)晴れ
昨日までは朝早くから夜遅くまでの仕事だった。12時間勤務、残業換算すれば4時間。でも中小企業だから残業はない。成果は求められるけどね。それが今日締め切りの、統計データーをまとめて報告する日。半日はフィールドワークで出払っていて、午後に帰宅しねじを巻いた。日差しは暖かく、風の当たらない日だまりに椅子を置いて読書でもしたい状況だった。心を鬼にして資料に集中した。午後7時ぴったりに終了できた。PCとの親和性が高まり、先月に比べ作業は格段に早くなった。明日は数字を検証して仕上げとする。今日はiPadにキンドルアプリをインストールした。キンドル・ファイヤーにため込んだ書籍がそっくりiPadで見られる。iPad-proは13型で、雑誌の閲覧も楽々だ。ところがオックスフォードの英英辞典が見られないので、メールで問い合わせると、キンドル・ファイヤーでは見ることのできないアプリであり、購入の金額をそっくり返金いただいた。(もちろんiPadでも見えない)なかなかやるでないか。JapanTimesの購読が始まってからこれにかかり切りとなり、日常生活のルーチンワークが滞っている。運動量も減った。3月までの限定だと割り切っている。めいっぱい自分の時間をつっこんでも、まだ読める記事はわずかな量だし、果たして正しく理解できているかどうか不明。日経新聞の木曜夕刊に英語のページがあるが、これはどうにか読めだしたので、少しだが実力は上がっている感じ。先日娘と話をしたが、殆ど生活臭のする事を知らない。これでは友人とのつきあいは聞くだけになるだろうと質問すると「そうだ」と回答があった。僕の生活もExcelと英語と音楽に特化されていて、かなりいびつな状況にある。私がこんな事(いびつな関心)、娘に教える訳がないが、キチンと同じ事をしているようだ。価値観が似通っている。

2月14日(火曜日)雨のち晴れ
今日は土佐市から高速道路に乗って南国まで帰ろうとしたところ、ヒッチハイカーに出会った。南国サービスエリアに行きたいとカードを下げていた。同じ行き先なので乗せてあげた。それでいろいろと聞いた。19歳でボクサーだ。試しに聞いてみた。もし、僕があなたを殴ろうとすると、よけられるか?全く問題なし。貴方は殴れませんね。とさ。殴る前に既によける準備ができていると言う。彼は、今自分発見の旅行中。見つかったら仕事をするつもり。ITは得意か?全くだめですね。英語はなせるのか?ぜんぜん。何ができる。人と話せる。僕はスキル不足だと思った。(まぁ我が息子も同じレベルだが)。映画は好きか?余り見ない。本は読んでいるか。全然。旅行中、暇なときは何をしているのか?人と話している。どんな仕事をしてみたい?営業。1対1?P2P?1対1を望む。僕は短時間だったが、彼がつかめなかった。もちろんボクサーだから、よけられたかも知れない。南国インターで降りて、いつものプールに向かった。夜の時間帯は水泳教室があり1レーンしか空いてない。4人が泳いでいたがその中に割り込ませてもらった。1km。今日は7時から移動して宿毛市まで出かけた。2年前にも同じ所を目指して仕事をしていたので、カーナビに出発後2時間のマーカーが残っていた。自宅から119kmの地点だ。今日は同じ場所を2時間2分で通り過ぎた。運転技能としてまずまずかな?西の方は雪が残っていて、先日山陰地方に大雪をもたらした雲は高知の西部まで及んだ事になる。東部に住んでいる私は雪を見たことがない。車の中は暖房を強にしても肩が冷えた。すきま風が吹き込んでくるからだ。とあきらめていたら、反対側の扉がキチンと閉まってなくて、そこから風が来ていたのだ。キチンと扉を閉めたら暖かくなった。やれやれ。

2月13日(月曜日)晴れ
朝は観音様の掃除にかり出された。標高300mたこの山の山頂にある。車で芸西村の考える村まであがり、そこから山道を4駆で少しばかり降りる。そこから徒歩だ。芸西村の山はどこからでも海が見えるので遭難はない。清掃も終わり、そのすぐ南に展望台があるので見ておけと言われて見学に行った(僕が一番年下なので)。芸西村が一望でき、遠くは室戸岬まで見えた。足摺岬も見えるはずだが今日は霞んでいた。村の行事が終わると、メールチェックと今日の下調べを行い仕事に出かけた。月に4日の出張日の一つだ。日下村に現代企業社の経営するレストランがあり、ここで昼食。この村はオムライスと蒸し寿司の立て看板看板が目立つ。鍋焼きラーメンが隣の須崎市でヒットしたので、負けてはならんと発憤しているのだろうか?2つはまずいぞ、一つに絞るべきだと私は思う。レストランでは蒸し寿司定食を頂いた。おいしいと言うよりは綺麗な印象。僕の作る料理はどうしても飾り付けがまずく綺麗ではない。料理は芸術だから、見た目も大事だと思う。今日の仕事は一件当たり2時間近くを要し、帰途についたのが午後7時半。よく頑張った。いったい誰のために、何のために仕事をしているの?とか思う、父も母も病院に放り込まれてあれよあれよという間に最期を迎えた。こんなつもりではなかっただろ、さぞかし無念だっただろう。僕もこのまま、朽ちて父母のように逝くのかと思うとなんだか全てのモノが空しくなって景色の色が消えた。寝ているときに見る夢はカラーだからあべこべだ。車を運転しているととりとめのない事を考えてしまう。思い直して今を楽しくでなければ立つ瀬がないではなか。いつものことだが堂々巡りの最後はここに至る。それからJAZZのボリュームを上げる。家に着くと真っ暗。まだ月も出てない。まずは風呂を沸かし、冷凍庫に詰め込んだ法要の残り物を暖める。日経新聞を開きトランプ氏の話題を見る。いつものパターンだ。食事が終わる頃に風呂が沸き熱いたっぷりのお湯に浸かって一日を締めくくる。斬新さはない。

2月12日(日曜日)晴れ
今日は朝の散歩を取りやめ、昨日の片付けを行った。まだ暗く、宴会で使ったテーブルを納屋に入れるのは難儀した、座布団を押し入れに入れるのは手がかじかんで思うように動かず、子供たちの使った布団を干すのは重くて寒くて指が布団を強くつかめず艱難疾駆の末7時半に終えた。今日は朝食を作るのも止めだ、マクドで新聞を読みながらと車を出したが、高速を使って15分ほど走るのがおっくうになり、ローソンでサンドイッチとコーヒーを買って自宅で頂くことにした。ところが、帰り着くや否や携帯電話が見つからない。途中車から取り出し、梅を撮影した事だけは覚えているが、台所に持って帰ったサンドイッチと新聞の中には携帯電話がない。ちょっとした間隙を縫って意識の空白時間があり、そこに携帯電話が落ち込んだ訳だ。もう一つのiPhoneで電話を探した。確かに車の中に在ると表示されるが見あたらない。車は軽トラで、内装はシンプルで隠せるような所はないにもかかわらずにだ。結局シートとサイドブレーキの間に落ち込んでいて、ケースが紺色だから暗がりに溶け込んで見逃していたわけだ。昨晩の酒が意識の空白時間を作り出したのだろう。今日は酒抜き。近所のおばさんから電話があり、明日8時に観音様清掃とのこと。ここは標高が300mほどあり、日の当たらない蔭にあり寒いだろうな。今日はゆっくりするぞとの決意もむなしく、洗濯や懇親会の支払や、お返しの返品やらで、結局3時半まで走りっぱなし、それから風呂を沸かして、スーパーに買い物に出かけた。徒歩で往復1時間半。NewYorkTimesに、ブルックナーの全曲演奏を評価した記事が掲載された(見出しだけ読んだが余りよい評価でなかったように理解した)。早速AppleMusicで検索すれば全曲のアルバムがヒットした。今日の散歩はそのダニエル・バレンボエム指揮シュータツカペレ・ベルリン演奏で交響曲第5番を聞いた。演奏は緻密で、普段聞いている曲と比べると少し楽器の種類が多いかなと思った。このどこに評価を下げるポイントがあるのだ?いいではないか!僕自身がブルックナーをよく聞き込んでないから(悪さ加減を)見つけられないかも知れないし、生演奏ではないから録音版は完璧だったかも知れない。ダニエル氏は、前どこかの演奏会のビデオで指揮棒を落とした事があり、ちょっと間の抜けた指揮ぶりだったことがずっと記憶の中にあって、僕の中では比較的評価の低い人だが、この全曲は全部を聴いたわけでないが、円熟味を増した演奏だと思える。今の録音技術は客の咳を取り除く事もできるらしいので、CDはいくつかの演奏をくっつけて完璧版を作ったかも知れない。(下種の勘繰りかな)スーパーからの帰りは日没近くになり、夕日がきれいだった。

2月11日(土曜日)
今日は冷え込んだ。夢の中ででも寒いと感じた。朝6時部屋の気温は1.1度。今年一番の冷え込みだ。ナショナル電気カイロを背負って散歩に出かけた。自然と鼻水が垂れた。寝不足で耳がキーンと鳴っている。7時散歩から帰ると太陽が出た。ずいぶんと早くなった。しばらくすると娘も起きてきて朝食。ジュースとパンと「芸西村特産めざし(脂が多く焼くと部屋に煙が充満した)」。ジュースは青汁に水菜を使った。彼らの前で「粉末の青汁を飲んで健康になったなどの、宣伝はまやかしだ。今日のようにナマこそ価値がある」と述べると、息子が一言。「僕は毎日それを飲んで健康です」。あれぇ!娘に窓清掃を依頼し、息子と二人で墓への坂道を清掃。笹とドングリが道を覆い、年寄りがそれに乗ると滑るおそれがある。昨夏は一人で清掃した。これだけで大汗をかいた記憶がある。昼飯に近くのラーメン店へ。高知にこんなおいしいラーメン屋さんがあるとは知らなかった、との感想。ついでに高校生時代によく行った、住吉の灯台に案内した。足摺岬の眺望に良さに喜んでもらった。そこからは海の底も見えるのだ。高知の海は特産物だねと娘。四十九日の法要は、(厳かに始まったのではなく)騒がしく始まった。お寺さんがお経を唱えても、銘々勝手なおしゃべりをしている。終わると墓にお骨を埋めに行った。埋めた後、靴で踏みつけろと。この時ばかりは許されるとお寺さんが言った。昨日買えなかった水桶とひしゃくは今朝自作したが、みんなから旨くできていると絶賛。それで、墓に水をかけた。帰ると、届いた料理を残っていた婦人たちが並べた。それから宴会の始まり。もう故人の話をする人はいない。なすとピーマンと花卉の話が充満した。いつもビールばかり飲むが、僕は日本酒を飲みたかったので、「船中八策ひやおろし」「しらぎく吟醸」を準備したが、これにみんなが集まってきて、結構な人気だった。やっぱり高知は酒だ。こういう宴会に準備がないのでビールだけになっていたのだ。今回の失敗は近所の人の参加がなかったことだ。近所のリーダーを務めるY君の奥さんに伝えたが、この人がすっかり忘れて伝えてなかったようだ。さて、問題は、近所の人は、僕が近所に声をかけず四十九日を営んだと噂することだ。明日か明後日にはこの奥さんに誤解があることを説明しなければならない。「嫌みにならないように」。みんなが帰った後、皿鉢料を片付けて、コップやお皿を洗い、残飯を処理して片付け。1時間半を要したが元通りになった。2時間後シャワーを浴びて自分の部屋に帰って、「これで終わった」と安堵の胸をなで下ろした。まぁ私としては精一杯がんばったつもり。子供たちにも、この頑張りは通じたのでは。(期待)

2月10日(金曜日)晴れ時々雪
もう一度台所の片付け。お供えの花の手入れ。帰ってくる息子たちの布団干し。お客様の座布団干し。宴会用のテーブル清掃。お墓参拝用の水桶とひしゃくの購入。子供たちの夕食の食材に三谷ミートの牛肉1kg。ピックアップすれば山のごと出てきて、メモ用紙に控えて順番に処理していった。ついでに息子たちを野市の駅で拾ってくる。帰りにディスカウントストアで母のお供え用の食材購入。家に帰り着くやいなや、僕は風呂を沸かし、娘にはご飯を炊くように頼んだ。だが、残念ながら娘はご飯を炊くことを知らない。母はどんな教育をしたのだろう?ご飯をセットし、今度は子供たちにシーツカバーを渡し、暗くなる前にセットしてくるように指示したが、何とそれすらも混乱し、二人でしばらく要し帰ってきた。僕は夕食の準備とお風呂の釜のチェック。やっと支度ができて食卓を囲んだ。いつもは新聞を見て黙々と食べていたが、今日は食事をしながら会話がある。賑わいのある食卓はいいねぇ。息子からは、いきなり経営の話。息子がケーズデンキの「がんばらない経営」についてすごく感化されていた。お父さんは、その経営者のNo2と一緒に仕事をしているんだよ。へぇすごいんだ。(今頃気づいたのか?)次はトランプ氏の政策について。次は北朝鮮の今後、これは娘から。久しぶりに会うにしては、結構真剣な話だ。池上彰氏のわかりやすい経済教室の様な感じ。ずいぶんと高価な肉料理を奢ったつもりだが、話に夢中になり、風味がどこかに飛んで行ってしまった。それでも、すき焼き鍋2回のお代わり。若いのはよく食べられる。夜も更けて娘は風呂に、私は後片付け、息子はテレビに流れ解散。

2月9日(木曜日)雨のち晴れ
今日は肉の日。だが肉は食べない。なぜなら明日は肉を食べる計画だから。なぜ、明日肉を食べるのかと?言えば、明日息子たちが帰ってくるのだ。彼らは肉を好む。好み方が異常だ。僕も若い頃はそうだった。「城北」(大阪で一番旨い焼き肉の店)へは接待以外でも通ったし、城北以外で(寝屋川)もよく食べた。お年寄りでも牛肉を食べている人は割と元気があると言われる。で今はどうかといえば、極力食べないようにしている。コレステロールが血管内に蓄積するのを馬鹿の一つ覚えのように唱えているからだ(本当は因果関係がないらしい)。それで、今日の夕食はサーモンの焼き魚だ。実は魚料理でも十分釣り合うほどのカロリー消費だった。午前中台所の清掃。四十九日は親戚のおばさんたちが台所を使うので、キチンと清掃できてないと恥ずかしい。ダイソーで売っている、白いスポンジで磨き上げた(手間は食うが運動量は少ない)。午後は沖の田んぼをトラクターで耕やした。背の低い草だが一面が緑の絨毯を敷いた様になっていた。トラクターの上は風が吹き冷たい。エネルギーを使うとすれば、体の震えくらいのもの。太陽が傾く5時に終えて、風呂を焚き食事となった。食事の後、運動ない、酒なしでも、眠くて9時に就寝。この疲れは何者だ。

2月8日(水曜日)晴れのち曇り
今朝6時の時報が鳴るまで夢を見ていた。山手線で東京駅から品川に行く電車に乗ったつもりが、特急電車であって、品川を通り過ぎて岐阜高山に向かっているのだ。約束の時間に遅れてはいけないので、一番最初の駅で降りた。その駅はトンネルの中にあって、渋谷駅の感じだった。そのトンネルは山からのわき水が滝のように流れている名所であり、すぐ近くには底が見えるほど澄んだ海がある(高知の海のイメージだった)その海は何度も夢に出てきた海で、見知らぬ駅で降りたが、よく知っている海であってほっとした。そこで、元居た会社の同僚だった人が刑事になっていて、僕にいくつかの諮問を始めた。そこで目が覚めたわけだ。余りにも鮮明すぎて現実に戻るに時間がかかった。何で刑事の諮問を受けるのか?起きてからよく考えたら、昨日友人が詐欺にあったことで警察に行ったと聞いた。このことからの連想で、僕が詐欺師ではないかと疑われていることにつながった訳だ。近所の友人は夢が面白く、毎日寝るのが楽しみだと言っていた。僕もこんなにリアルな夢ならずっと見ていたいわと思った。話は変わるが、トランプ氏もフランスのルペン氏もずいぶんと昔の夢を追いかけているようだ。格差拡大の是正のため製造業のブルーカラーの地位を復活をすると意気込んでいる。大卒生が製造業に従事する希望は先進国では激減している。我が国も同様だ。併せて製造はロボットに変わってきている。その証拠に製品の故障が少なくなった。ロボットが生産すれば偏差がすくなくなり故障が減るのだ。僕がずいぶんとお世話になっている草刈り機もロボットが造っているので、殆ど故障しない。生前、母に飲ませる薬の錠剤を入れた袋もロボットが挿入してくれるので間違いがなかった。その上、世界中の人々が同じ舞台で競争するようになった。国籍を問わずがんばる人が日の目を見る。当然ながらがんばる人は国籍に関係なく、結果、格差は人によって生じる。先住民や国籍、宗教に関係ない。格差是正は富の配分で補うのか、底辺層に合う仕事を提供するのかどちらかだろう。だがそんな仕事はこれまたロボットがやってしまう。格差拡大は、仕方ないことなのだ。

2月7日(火曜日)晴れ
人生3つの坂
どうも昨晩の食事は失敗したようだ。朝目が覚めると猛烈な空腹で、これでは散歩に出れないわ。先に食事、後で散歩と順序を入れ替えた。前にも書いたが太陽が昇ってからの散歩は挨拶が大変(小学生はみんな挨拶をするし)。午前中は太陽がなく寒い。高知は太陽のおかげで暖かく過ごせるのだが、太陽がないと大阪や東京と同じ寒さだ。今日はExcelのHLOOKUP関数に#N/Aのエラー表示がでてじゃまになるので、消す方法を勉強した。IFERRER関数を使う。つまり関数の2階建てだ。Excelは奥が深い。習得すればするほど他のソフトは使えなくなる。これぞ、マイクロソフトの戦略だろう。友人から電話があり、見知らぬ所から請求書が送られてきたと言う。契約書に署名をして入金をしないと国から訴えられると言う。どうすればよい?「何もしなくて良い、するとすれば警察に行ったらよい」と伝えた。彼は警察に行って、送られてきたメールの電話番号に電話をしてもらったら、警察からの電話は出ず、彼の携帯からの電話には出たとのこと。それで、「こちら亀有警察署です」と言うと、電話はすぐ切られたとのこと。彼曰く、「こんな事がまさか自分に降りかかるとは思わなかった」。「だから言ったでしょう、人生には3つの坂があると」。(僕には4つも5つも在るような気がするが、まぁそれは置いておいて)詐欺の手口は巧妙化してきている。よほど気をつけないとだまされる。人類の歴史を読むと、ホモサピエンス以外の人類(例えばネアンデルタール人)は、何万年も同じ事の繰り返しを営んできたようだ。頭を使って進化したのはホモサピエンスだけとのこと。この動物の特徴は、だます、罠をかけることで、動物の頂点に立ったらしい。だから、他の動物や他の人類の絶滅に大いに関与していることは否定できないとある。だから、現在においても人間はだますのを基本としているのだ。だまされる方が悪いのだ。

2月6日(月曜日)晴れ
差し迫った四十九日
今週の土曜日は母の四十九日を迎える。法要は自宅で執り行う。家屋に手入れが行き届いてないとむさ苦しい。男やもめの家は特にむさ苦しい。日頃から快適に過ごせるように、清掃と片付けはかなり念入りに行ってきたつもりだが、どうしても一人の目線では抜けがある。それに、両親の残した家材は膨大でこれを処分すればかなりシンプルになるのだが、それは法要が終わってからのこと。とにかく現状で整理整頓するしかない。昨日は田畑の不要品を捨てた、今日は家の周りに除草剤を散布した。昨日の雨ですっかり雑草が伸びていた。前回父の法要の時に好評だった父の若いときの写真のスライドショー。今回は母の分を上映しようと思う。42型のPDPで上映する。父に比べて母は女学校の時からの写真が豊富にある。PFUスキャンすれば最高だが時間要するので、アルバムをカメラで撮影する最も安易な方法を採用するつもり。次に暖房だ。田舎の家は天井が高く暖房が効きにくい上に、南海地震で戸がキチンと閉まらない構造の家だからすきま風が吹き込んでくる。ストーブの換気は必要ないのだが、お客様に寒いと言われるのが困る。とりあえず2台準備予定。父の時は準備にとまどいがあったがかなり周到にチェックした。今回は少しなれているせいか(こんな事に慣れなくても良いが)、準備に横着をしている。今一度チェックの必要ありだ。一方で今回は仕事を抱えていて、水曜日が締め切りだ。食事も、新聞も切り詰めて仕事に回している。分析の仕事は抽出してみなければどんな結論が出るのか想像つかないので、10本位ののストーリーを造って7割没ってところかな。その10本程度のアイディアが旨く湧くのかどうかが一番の課題。ユニークなアイディアが浮かびますようにと祈るしかない。もう一つ。インテルコア7i/RAM8Gメモリーを搭載した東芝製PCだが、ソートや、置き換えの処理が重くなると、1分くらい待たなければ次の作業に移れない問題も抱えている。とにかく、こちらのめどが立たなければ、法要の準備にかかれない。この行事が終わると、友人から電話があった九重の温泉でゆっくりできるプランが待っている。

2月5日(日曜日)雨のち晴れ
天気予報通り雨になった。朝の散歩は雨の中傘を差して1時間。毎朝の散歩が欠かせないのは、腹の中が空っぽになり、朝食がぐいぐいと腹の中に収まっていくからだ。それに、味も濃厚。この味覚のために散歩をしている。昨日は農作業があるので散歩を控えめにすると、朝食の味が落ちた。だから朝の散歩は正しい行為なのだ。新聞を読みながら頂くのはいつものこと。今週の記事に65歳からの筋トレが特集された。ジムに通い、トレーナーのアドバイスを受けながら背筋やふくらはぎと言った普段使わない筋トレの紹介があり、体重の変化や、体脂肪の変化が紹介されてあった。田舎にはこうしたジムはないので、農作業と散歩とプールの組み合わせで代行している。プラスαもある。買い物は自転車だし、標高40mの山の裾野にある自宅まで自転車で登るとしっかりと足の筋肉が鍛えられる(と思う)。風呂の薪を切ったり運んだりも生活の中の運動。なかなか定形外の運動はカロリーが計算できないので、記事にはならないが、黙々と機械と格闘するよりか飽きがこなくて良い。それに、今日は畑を片づけた残骸を粗大ゴミとして出した。軽トラック一杯あった。まぁよくもこれだけ田畑に放置したもんだと驚く。この荷物の上げ下げ。その足で、今度は村の役員ばかりがかり出された忠魂墓地の清掃。日露戦争、日清戦争、大東和戦争の戦死者を祀ってある。こんな事をして運動を補完している。一旦帰宅し汚れた雨具を洗濯し、プールに行って泳いだ。今日は上級コースしか空きがなくて、きつかったがピッチを上げて他の人の迷惑にならないようがんばった。プールから出ると監視員のおばさんに、「無理したら後で疲れるぞね」と忠告を受けた。今日はかなりの運動量だ。帰りに新聞屋さんへ寄ってお金の支払いを済まそうとしたが、奥さんでは料金が不明なため支払できず。ここの飼い猫が奥さんに甘えるので、少し猫談義。猫はいい。すっかり遅くなって帰宅。母のお供え物を準備し、自分の食事に取りかかったら早速強烈な睡魔。台所の椅子で少しまどろみ再挑戦。昔と違ってスタミナが減っているのは確か。


2月4日(土曜日)晴れ時々曇り
赤いトラクター
ここ2週間は本格的な寒さはなく、昼間は春を思わすような陽気になっている。特に今週は日差しが強く春の気配が感じられる。だが、私にとって、高知の春は心ときめく春ではなく、いよいよ草との戦いの幕がが切って落とされた覚悟の時だ。今日は家の前の畑をトラクターで叩いた。1979年ヤンマーディーゼルのCMで小林旭が「赤いトラクター」を唄った。都会に出た若者が夢破れて田舎に戻り、ひとりぼっちで寂しく、トラクターを擬人化して仲間にした歌だ。これ以降トラクターは赤くなり、我が家にあるクボタGL25も赤いトラクターだ。(父は昔からヤンマー派だったが、酒飲み仲間の谷岡さんが農協に入って以降クボタ派に鞍替えした)畑を叩いているとコオロギが出てきた。目の前を五月蝿く飛ぶ小さな黒い虫は運転のじゃまをした。畑を叩きながら放置されているビニールの残骸を拾ったので時間をずいぶんと要した。父も母も農家としては人並みの生活をしてたはずだが、どの畑や田んぼも、ゴミ袋数杯分のビニールやホース、鉄パイプなどなどが放置され普通の畑や田んぼとして使えない状態だった。それを少しずつ僕が元に戻している。(何度拾ってもゴミ袋一杯のゴミが今だに出てくる)昨日友人二人がたまたま同じ話を僕にした。それは、これから先余り長くない人生を銭にならない田畑の管理に費やすより、街に出て、貴方の能力を活かした仕事をして、もっと楽しんだらどうだ!と言う内容だった。だが、十分ではないが、たまたまここに居ながらにして、できる仕事が見つかったのは、几帳面だった祖父の繁直さんが、僕に田畑を昔のように戻してくれ!と言う意志が墓場の陰から働たような気がして、せっせと戻しているのだ。だが、雑草、竹、蔓は手強く、昨年は劣勢に立たされていた。今年は、最初から戦えるので負けない戦をするためふんどしを締め直した。

2月3日(金曜日)晴れ
War Craft
ゲームを知らない人がこの映画を初めて見て、ストーリーと全体の構成を理解したとすれば、大変なIQの持ち主だといえる。今日は金曜日。明日から休み。仕事を終えて安芸の「元気温泉」浸かった。本当に元気をもらい、TUTAYAで首記の映画をレンタルした。全編CGで構成された映像はグロテスクだが動きが速くドンパチが楽しめる娯楽作品だ。だが、冒頭紹介したように登場人物(怪物も含む)の名前を覚え、正義か邪悪かを見極め、物語の立ち位置を理解するには、ちょいと難しい。それに、私にとって登場する怪物は、今の若い女の子と話すのと同じで、名前が覚えられない。ストーリーを単純化すれば、怪物と人間の戦い。そして怪物にはリーダーに従う派閥とリーダーにアンチな派閥がある。だけはわかる。どんなにしてCGを創り込んでいくのかは、BDの特典の中にある。人物が抜き出せるように、背景は青色バックのスクリーンが張ってあるとか、人の顔に怪物のポリゴンを付加するので、顔にはコンピューターが判読できる印を貼り付けているなど仕掛けが施されている。逆に言えば、登場する俳優は、スタジオの中で緩慢な動作を短いカットで演じるだけだから、たぶん面白くないだろうし、映画を撮り終えた達成感がないと思う。達成感はCGを操るエンジニアの手中にあると思う。今回のつっこみはロード・オブ・ザリングと同じで、人を乗せる鳥の胴体が大きく不釣り合いなことだ。蜂の様に高速で羽ばたくならこのバランスも許容できるが、大きくゆっくり羽ばたく羽根にしては、胴体が大きすぎる。あれじゃ飛べないよとCGの兄ちゃんに言いたいですね。だが待てよ。毎回つっこみを感じるハリウッドの映画作品は、そんなにいい加減に制作してあるのだろうか?それともアメリカ人がキチンと考察して議論して作り上げているのではなかろうか?昨年11月まではいい加減に軍配を上げていた、12月からは「これはアメリカ人の常識に照らし合わせても違和感がないのだ」に変わった。というのもトランプ氏が登場して、まるで映画のようにつじつまが合わないことを、次々とアメリカで行っているからだ。


2月2日(木曜日)晴
梅は咲いたか桜はまだかいな
夕べはよく眠れなかった。それで不覚にも6時の目覚ましに気がつかず6時半まで寝てしまった。この頃だともう明るいので散歩も苦ではないが、散歩から帰る7時半くらいには、農家も方もビニールハウスに出勤する時刻。対向する車のナンバーを見て、知っている人なら頭を下げねばならず結構煩わしい。今日はピーカンの晴天で、我が家の梅の木を撮影した。もう旬を過ぎていて、花は散りかけだ。朝の寒さは依然変化はないが、昼間の暖かさはもう冬ではないから、梅も咲き、水仙も満開だ。ここは山の懐みたいなところだから、少しだけ季節が早い。それで問題となるのは草だ。沖のハウスの横では、まだ萱(ススキ)は枯れたままだが、ここではもう芽吹いている。先々週に根元へ除草剤を散布したが、今週末は再び除草剤の散布か、耕運機で耕さなければならない。一年の内で、2カ月くらいが草から解放された時か。花はいいが草は困る。今日は昔一緒に仕事をした仲間が名古屋で仕事を始め、話を聞いた。モチベーションは高く、この年になってこんなに燃えるとは思わなかったと言った。いいことだ。田舎にいては、どうしても比較対象がじじばばとなり、まぁこれでいいかなぁ?的な安堵感がぬるま湯につかることになる。もちろん誰とも話さない時もある。これではいかんと仕事を始めたが、PC相手だから、結局トランプ氏のように自己中となってしまう。時々は街に出て刺激を貰わないといけないなと思った。いよいよ日本経済はトランプ氏の横やりによって破局に向かい始めている。高齢者の年金や医療費や、消費税などの問題が吹き飛ぶくらいの大きな危機が押し寄せて来る。ベネズエラのマフィアなんかが、トランプ氏の暗殺を企てているかもしれないが、それに期待するわけには行かない。土地の管理のための除草が大変だと、甘ったれたことを言っているが、この土地で作物を栽培し生活の糧にしなければ食っていけない時が来るかもしれない。花見なんてあったもんじゃない。となるかもしれない。それくらい最悪を考えておくと、何があってもうろたえることはない。
2月1日(水曜日)曇り時々晴れ
東京
久しぶりに東京に出る機会が訪れた。東京は入社して一年少しで転勤した街だ。今では九州に行くよりも安価でいける。昨晩九州の友人から電話があって、どうせ来るなら私の家で泊まれと来た(2/26九州旅行を計画)。九州の旨いもの巡りをする目的だったが、家庭の味もいいかなと心変わりした。その九州(大分)は新幹線を使うと片道17,000円。東京は飛行機で片道14,500円。ロンドン、パリ、ニューヨーク、Tokyoは世界の街。その東京は世界旅行をせずとも世界が味わえるし音楽も豊富だ。日本人の一人当たりのGNPは34,000ドルで世界4位。だが音楽興業市場は世界2位の規模を誇る。東京はブルーノートの他にコットンクラブやビルボードライブなどあり、夜の楽しみは事欠かない。今回1晩だけ機会があるので、どこかのクラブで沈没しようと思っている。少し慌ただしさがでてきて、寂しさが軽減できそうだ。それに、寂しさ対策を講じている。それはJapanTimesの購読を始めたからだ。空き時間この記事を読むのに精一杯で、音楽を聴いたり本を読んだりする時間がないほど追いまくられている。これが第一のポイント。次に風呂や食事の時間を少し早めて明るい内に済ますことにした。暗くなる頃には自分の部屋にいるのだ。これでずいぶんと違った。最後に朝食はミキサーではなく、ジューサーにして胃の負担を軽くした。それが快調に効き、元気が出てきた。この元気と相まって、先日購入した27型のLCDモニターで資料を作成し、従来の17型モニターに比べ横に広く、Excel画面では、スクロールが減って作業効率が増した。ぐっと作業が楽になった。いいことばかりなので一寸怖いが、これを記念して昼食は海の見えるレストランへ行った。天候は曇っていたが見通しの良い海岸を見ながらフランス料理を箸で頂いた。飲み物はお茶と、エスプレッソ。随分と前向きで寂しさと対抗できるようになった。話は飛ぶが、芸西村で一番おいしいコーヒーを飲むには、缶コーヒー「ジョージアのブラック」に「ひまわり牛乳」(高知のみ)を入れて飲む。残念だがこれしかない。東京には新しいコーヒー店がいくつか誕生している。

1月31日(火曜日)晴れ
菜の花が咲いた
朝の散歩で堤に菜の花が咲いているのを発見した。まだ暗くiPhoneのストロボを焚いて撮影した。今朝は冷え込んだが、日差しは強く、再び寒気がやってきても、太陽さえ在ればたじろぐことはないだろうと思った。もう気候は変わったのだ。再び活力あふれる春がやってくるだろう予感がする。気候変動がなければ、いつもの春がやってくる。ところでトランプ氏は、気候変動に関しても否定的で、アメリカではこの分野の職員をカットしているらしい。彼は大変な施策を発表し続けているので、世界が混乱を来した。一時日本も民主党政権になって鳩山氏が党首となり、日本も混迷の時期を迎えたことがあった。東日本大震災で東北は被害を受けたが、日本はこれを契機に政権が変わり復元力を取り戻した。我々はアメリカの嵐が収まるのを待つしかないだろうか。たぶん2期連続と言うことはあり得ないだろうから4年間だけじっと我慢の子。もしかして、彼の性格は人から信頼されないタイプなので、自家中毒で自滅してしまうかも知れない。中国の周氏といい、ここへ来ておかしな政治家が現れた。小競り合いはあるが大きな戦争がないので人類は刺激を求めて膿んでいるかも知れない。いや、そうではなくて、平和が続いたので競争の舞台がグローバル化し、格差拡大に結びついたためだ。イスラム圏はねたみで暴動を起こし、先進国は、落ちこぼれの平民が過激な党首を選ぶようになったのかな。Excelがつかえない。データーの打ち込みに四苦八苦している。日本もG20各国も事情は同じ。こんな人たちが、既存の政権を嫌って投票した。しかし、世の中努力しないものが報われることはない。どんな政権がこようが、落ちこぼれはますます落ちこぼれていくだけの非情な世界。例えば米車メーカーのフォードがトランプ氏を使って日本の車業界に揺さぶりをかけている。そんなことをすればするほど、フォードは利益を出しやすくなるし、日本の車メーカーは苦境に立たされる。日本の車メーカーは蟻のように最善の努力をするだろう。4年後キリギリスの立場だったフォードと日本の車メーカーとの格差は拡大する。そしてフォードは2020年終焉を迎える。たぶんそれに近い状態になる。その時のキーワードは環境問題だと思う。

1月30日(月曜日)晴れ
葉、根、実
今日は休日。今日こそは読書をと計画してたが、突発的な用件ができて、仕事に対応した。昼過ぎまで要した。それから、広報を近所に配布。顔を合わせば、一言話もあるし、結構時間がかかる。先日の集会所の清掃は欠席者には1,000円の罰則がある。僕が班長なので集金しなければならない。だが、顔を知らない僕としては誰が欠席したのか不明。ところが、これをチェックしてた人がいる。そして、僕に集金したのかと聞く。僕はそこまでしなくてもいいだろうと思っていたが、潔癖症の人はそうはいかんらしい。キチンと名前を挙げて集金してくださいと言った。もとより僕は集金するつもりはないので、僕は立て替えの支払を行うつもりだ。高知生まれの人ばかりだとこうはならないが、よそから来た人はここの空気が読めない。結局は浮くが浮いていることさえわからない。それでも生きてはいける。(たぶん楽しくはないだろうと思うが不明)。午後2時過ぎここからは僕の時間。WindowsXpとWindowsVISTAはセキュリティーの関係でネット接続はやばい。それにアプリケーションも時代遅れのソフトだ。一方、自分の資産管理やパスワード管理などのエクセルは、守られて環境とは言え自宅のネットワーク環境におくのはやばい。それで、私なりの結論は、この2つと、この2つに共通するサーバーを立ち上げて、インターネットに接続できない閉じられた自宅LANを構築してしまえば良いと考えた次第。これなら完全にプライバシーが守られるし、ウイルスソフトも不要だし、PCは共有ホルダーを解放できる。てなことを考えて今日の午後を費やした。午後4時半が来ると風呂を沸かして、母のお供えを準備し、食事の支度をして入浴。最近気をつけている食事は、人類の歴史から学んだことを実践している。今のように食が豊かでない数百年前は何を喰っていたか。それは、葉っぱ。根菜類。木の実、穀物。たまにはタンパク質も有っただろうが、主に植物だ。感化されやすい私はこれを実践している。それが原因なのか不明だが、最近パワーが盛り返してきた気がする。プールの1,500mも苦ではなくなったし、最後の200mはバタフライも可能になった。泳いだ後10時までは起きていられるようにもなった。

1月29日(日曜日)晴れのち雨
やっとこの部屋に戻ってきたWindows VISTA。PCの筐体が調子悪く、昔のボディーに入れ直した。廃熱の問題があるが、動き始めたことは歓迎したい。その後AVアンプのセッティングを行った。パワーアンプにA3,ミッドのパワーアンプにA5mk2、ハイのパワーアンプにA2000。SB-M200Dを駆動するには十分な性能を持ったアンプだ。こちらも無事動くことが確認できたし、前回と比べて格段に音が良くなったのでオペラ「アイーダ」見た。メトロポリタン歌劇場のホールトーンの雰囲気が良く出ていてこれまで以上に楽しめるようになった。これで、大画面が来たらもう十分だろう。実はこの作業は自分一人ではとうて無理だ。パワーアンプのA3や、WindowsVISTA用の21型CRTの移動は出来ない。高知の友人を呼び出して手伝ってもらった。ただこれだけのために来てもらった。ありがたいことだ。お礼と言っては何だが、32GBのUSBに音楽を入れて渡した。彼のRoadstarはUSB-audioを認識するのだ。何とスロットルも2口あるから凄い。高知唯一のPCショップに寄って、新調したPCにGPUを追加しようとしたら、要りませんよと言われた。でも、今のままだと解像度が低いよ。ドライバーを入れてないのですか?入れてません。それは無理でしょうと馬鹿にされたように言われた。映像がそのまま出たので不要かと思っていたのだ。でも、GPUの1万5千円程度が浮いた勘定になり良かった。ETCカードの購入でイエローハットによると、こちらも馬鹿にされたように接客を受けた。要はクレジット会社に申し込めばよいと言うことをわかりにくく説明されたので、こちらの理解が進まなかった。店員の話はこうだ。三井住友のクレジットカードが必要だと言う。VISAカードをもっているので大丈夫だ。と言ったが、銀行系のカードが必要ですと言い張るのだった。まぁいいけど。その後プールへ行って1,500m泳いだ。帰ると筐体を入れ替えたPCがまた動かない。どうも筐体のスイッチに問題があるのではなく、電源トランスについているスイッチの調子が良くないみたいだ。僕は間違った判断をしたかも知れない。

1月28日(土曜日)晴れ
今日は大掃除。母屋の仏壇の部屋、母の遺骨を祀った部屋。自分の部屋も、窓を開けて布団を干しても部屋の温度は19度。父の眠る墓も、ついでに付近に跋扈している竹を刈り取った。山の土手で風はなく気温は高くトレーナーとシャツだったが、大汗かいた。先日までの寒さを忘れてしまった。インドからシンガポールに帰ってきて、出発まで20時間ほどあり空港から一端街に出てホテルで朝寝、昼過ぎに起きてカラン川沿いのカフェでビールを飲んで時間をつぶしたのを思い出した。炎天下で飲むタイガービールは誠にここの風景にとけ込んでいたような気がした。2月初旬で日本に帰れば寒い思いをしなきゃならない時だった。寒中暖でふと思い出した。自分の部屋は絨毯を洗った。とても気持ちが良くなった。アマゾンで27型ディスプレイを購入した。今度制作したPCに接続する為。沖のハウスを貸すように計画しているので、その書類に記入。父の契約書があったので、それを参考にした。青森の友人から雪が10cmも溶けた連絡。どれだけ嬉しいのやら実感掴めず。夕食は、カッパ市で買ったナマ食用のブリを鍋にした。味付けせずとも食べられた。今日も何の変哲も無い静かな土曜日。昔のページをめくると、毎日刺激のある日を過ごしていた。あの世界に戻りたい。今ならまだ出来る。でも静かに過ごしたい気もする。一体どっちなんだろう。

1月27日(金曜日)晴れ
午前中は、資料の修正要望が飛んできたので、休日を返上して対応。昼からは、母の葬儀のあとそのままになっている香典の整理。哀しいかな、統計の仕事をしているのでついつい、父の葬儀の香典と母の葬儀の香典を各人ごとに比較してしまう。いけないと思う反面、興味がつのって人の心を斟酌してしまう。田村のおばさんから電話があり、「おいしい肉が手に入った、取りにきぃや」お返し出来ないでいるのが心苦しいが、この肉(鶏肉)の旨さにはつい心が揺れてしまう。農協からは車の車検が終わり返却があった。いろいろ部品を交換したようだ。すきま風も直してもらった。足の神経は鈍いと言いながらも、長時間右足のふとももだけが冷えるのも困りものだった。今日はこれだけ。ジャパンタイムスの購読が始まり、余った時間は辞書を片手に新聞を読む。一日に出来ることが極端に減った。英字新聞の良さは、写真が素晴らしいことだ。ついどんなことを書いてあるのかと読み始めてしまうことだ。写真に関しては、休憩してた趣味を復活するつもり。この新聞のような興味を引く写真を撮影したいと思っている(本当はカメラじゃなく腕なんだけど)。カメラはEOS5DmkⅣを狙っていたが、先日LUMIX、GH5が発表され動画性能がずば抜けて良い記事に接し、心が揺れている。暗部撮影は絶対にEOSだが、その他では差が出ない。値段と重量が半分に納まる。特に主さに関しては悩ましいところだ。画質に関してはシグマのカメラが凄いことになっている。

1月26日(木曜日)晴れ
何の変哲もない週末。統計の仕事を始めて2ヶ月になろうとしているが、この仕事はおもしろい。数字の中に隠された真実を掘り出すからだ(グーグルも説得力よりも数字が優先するマネジメントだ)。世はまさにIoTの時代を迎え、big-dataとかdeep-leaningとかがもてはやされているが、これには莫大な投資が必要となる。しかし、ランダムサンプリングとエクセルで、少々の誤差を認めれば、投資額は1/1000以下に抑えられるのも判った。エクセルの凄さをいま改めて感じ入っている次第。昨年までは最新のエクセルも、90年代によく利用したロータス1-2-3の機能も、さほど変わらない利用方法だった。iPadのナンバーズ(付録ソフト)でも充分だった。OSとともにエクセルもバージョンアップしていったが、僕には恩恵が感じられなかった。が、やっと今になって理解できた。昨年一年間は音楽の深みについて知り、今年はエクセルの深みについて知った。知らないことだらけだ。話を戻すと、日常の私生活の一端でも記録をすれば、それは一つの傾向値を示し、新たな発見になる(特に健康関係に於いては)。万歩計などは最たるモノだ。明日から休日に突入するので、風呂は安芸市の銭湯に行った。深い風呂でゆっくりと過ごした。明るい時間帯だと太平洋を眼下に眺めた入浴が出来る一寸した銭湯だ。平凡な一日に重要な締めくくりがあるとすればそれは入浴だろう。自宅でも外でも入浴については結構こだわっている。帰りツタヤで「13時間」を借りてきた。リビアでアメリカのCIA拠点が暴徒に襲われる実話。音や映像の凄さはないが、引き込まれる。後で振り返るとかなり激しい戦闘シーンだったが、実際の役者さんのアクションはあまりない。それでも激しい印象を与えるのはスタッフの力量だと思う。この映画もストーリーの盛り上げに、敵と正義。正義の陣営にも些細な敵。それで正義は割れるが、後で合流する黄金のストーリー構成だ。アクションムービーはこれに限る。

1月25日(水曜日)晴れ
今日は少しだけ日の出が早くなったのか?と体感した。散歩の途中堤を歩いている時に2両連結の電車が通る。その瞬間、今まで暗がりだった堤の道がもう先まで見えているではないか。ネットで調べれば毎日20秒日の出が早まっている。20秒も積もれば山となるごとく、1分になりやがて1時間になる。朝飯を食って、仕事の前にかっぱ市場へ。大根の葉っぱと名前は知らないが、平たい赤身の魚を買って来た。今日も仕事で遅くなりそうなので買い物に行く時間が遅くなる。遅くなれば、車を温める時間が長くなり、近くのスーパーとはいえ、時間を要するのだ。昼間、農協のトシ君が来た。中学の同級生。車の車検の催促だ。彼は定年後も農協に勤め、今は車のセールスを行なっている。25年物の車には眉をひそめるが、車に投資するつもりの無い私にはどんな言葉も馬耳東風だ。だが、後で車を回収に来たエンジニアがデストリビューターの危険性を指摘。一気にエンジンが停止し一切動かなくなるので遠出は禁物だと言った。僕としてはそうなったときに対処だと思った。車を買うより安価なら、デストリビューターの部品を購入しても良い。今週3日を要して、やっと別の集計業務を終えた。明日からこの分析に入る。今日はエクセルのセルを素早く横移動する方法を覚えた。Alt+PageDownで可能となるのだ。調べれば簡単なことだけど、この2日間は、→キーを何度も押してスクロールさせていた。作業効率が全く違うのだ。だがあまり集中すると肩が凝るので痛し痒しだ。今日は多めの薪を焚いて風呂を熱くした。疲れを取るために、一杯のお湯を溜めて30秒ぐらい潜るのだ。お湯があふれてでも、水を足せばよい。これを3回くらい繰り返すと、大量の汗とともに不思議と疲れが取れる。と、まぁ何の変哲もない一日を過ごした。所で、アメリカの車が日本で売れないのは輸入障壁が高いためだと本当に信じている人がいるのだろうか?西側諸国の良識のある人に聞くよりも、シリアに住むISに聞く方が正しい回答が得られると思う。彼等の選択は命が係っているからかなり正確なはずだ。

1月24日(火曜日)晴れ
寒いが氷は張らず。寒気は去った。親類の子から電話があって、要件は訪問したいとのこと。今度ビニールハウスを貸す子だ。契約書を持ってきて、農機具の下見に来た。僕は農業をするつもりが無いので、全面的に支援するつもりだ。どれくらいの収穫を計画しているの?「1、200」と来た。僕にはそんな覇気がない。サラリーマンで年収200万行けば上等だと思っていた。若い子の意欲を聞いて、頭を一発殴られた感じを受けた。若い人とこんだけ精神面で差がついていたのか?その後、青森の友人をこの会社引き込む誘引を行なってwin-winの関係になった。同じ年齢で、意欲も僕ほどで、年相応だ。これが平均なのだと思い聞かせた。そこへ行くとトランプ氏は偉い。あの意欲はどこから来るのだろう。若い妻をもらうだけまだ勢力が余っていると言うことか?新聞や経済界、政界の面々も大体彼の性格は分かって来たことだろう、彼については想い出がある。僕も昔、営業をしていた頃、月末ぎりぎりだが1、000万円は固いと踏んでいた得意先にすっぽかしを喰らい、会社のメンバーを大いに失望させたことがあった。その人には、どんな約束も無効だと分かった。それ以降、こちらは二股かける方向に進んだ。好事も2又。世の責任ある人々は、僕以上に賢明だろうから、いろんな方策を模索しているだろうが、信頼という関係にもつれ込む事はないだろう。多分、彼のブレーンもそう思っているだろう。だから閉塞感打破のため技術革新が一気に進むかもしれない。トランプ氏が大統領になって良かった点は、極めて英語が分かりやすい事。オバマ氏の就任演説は和訳を見ても、どの単語が相当しているのか理解出来ない。簡単な辞書には掲載されてない意味もある。午後9時に自分の部屋に帰ると室温が12.5度あった。寒気は去ったなと思いニュースを見れば、鳥取県で大雪。北海道でマイナス32度。やっぱり高知はいいな。

1月23日(月曜日)晴れ
朝6時に起きたときの室温が5.9度。まずまずの寒さだ。ナショナル暖房ベストNQ-HV30を着て散歩にでた。1月8日が一番日の出遅く、17日間経過してやっと4分ほど日の出が早くなった。体感的にはほとんど変化無しで、まだ真っ暗。防寒対策はこのベストだけ。問題は、寒さを感じてない足指だ。親指、人差し指、とうとう今日は中指までしもやけに罹った。紫に鬱血し、足先に感覚がない。自分自身寒さを感じてないのが問題だ。今日は仕事で外回り、車の暖房を足下に設定して出かけたが、温度が上がるに従って、足指が痒くなりどうも困った。暖房を切ったが、少し暖まった室内は、今度は太陽の力でぐんぐん温度があがり、窓を開けると今度は寒い(窓からの風だけだとそれほどでもないが、この車は古いので、窓を少しでも開けると右太もも辺りからすきま風が大量に吹き込んできて寒くなるのだ)。どうしようもない状態だった。久しぶりに営業に出ると、少し顔見知りになった方から声がかかる。少し立ち話。昔の感覚が戻ってきた。誰とでも気軽に話せるのが僕の得意技だったのだ。そんなことも忘れていた。ついでに接客のお手伝いまでやってしまったので、少々時間を食ってしまった。でもきびきびと動くのは気分が良かった。近くのスターバックス(高知にも4軒あるのだ)で報告書をまとめる。女子大生と女子高生で占められていた。僕ら学生時代の喫茶店はタバコを吸うためにあったのだが、今は非常に健全で勉強していた。東京では当たり前の風景も、高知では特別にめかしてゆく社交場だ(マクドのコーヒーは普段着になったが)。帰りにツタヤ書店に寄って取り置きの雑誌を購入した。在庫が薄くて、品揃えの少ない書店だ。高知で最新の書籍を買うには、新聞書評でリストアップして、アマゾンで電子本を探し、無ければリアルを買う。これが地方における書籍の購入経路だ。車のラジオを付けてNHKのニュースを聞いたら、何と2度目の寒波がやってきて大雪だそうだ。四国も、芸西村の北に位置する吉野川流域では40cmの積雪があったと報じられた。血が騒ぐ話ではないか。しかし時刻は遅くもう暗い。それに仕事の帰りだ。一旦家に着くまでは勤務時間内だ。録画したNHKニュースを見てはやる気持ちを抑えた。

1月22日(日曜日)
晴れ時々曇りだったが計画を挙行した。父が残してくれたビニールハウスは返却に相当苦慮したが、昨年夏前我が家に帰ってきた。今年の5月からは、次の使用者が決まっている。その間空き家だ。先日ビニールが飛ぶなど被害が出たが、修復出来た。その時思った。この暖かい空間を放っておくのは勿体無い。そこで友人に声かけた。昼間ここで一杯やろうと。外の気温は10度。この中の気温は28度。Tシャツ一枚になってビールを囲んだ。音楽はモントルー・ジャズ・フェスティバル。オスカーピーターソンのピアノトリオ演奏だから、相当昔の録画だ。いきなり南の国、ジャカルタに行った気温でビールが飲める。ビールはそんなに飲まない方だが、今日は500mlを2本空けた。もちろん暑いので、汗になってトイレにも行かない。先日僕なりの寂しさ解消法を書いたが、友人も僕と同じ事を考えていて、この前の浜辺を通るお遍路さんの宿泊を世話する案だ。宿泊はもちろん無料で、話を聞かせてもらうことが条件だ。彼はいろんな経験をしてきたので、それなりに話題はついて行ける筈と言う。そんなに悪い人はいないだろうと言う前提。今日はそんな夢みたいな話をしながら酒を飲んだ。ビニールを空かして青空が見えて、流れる雲がやけに早いねゃとたわいもない事も言いながら呑む。最後にコンロでお湯を沸かして日清焼そばUFOを食べた。もう夜飯は不要となった。午後3時、太陽光線の力が衰えてきて解散。友人はこの企画を気に入ってくれて、次回は、他の2人も呼んで、居酒屋でなく、ココで開催しようとなった。七輪を持ち込んで干物を焼きながらも一緒に加えたい。

1月21日(土曜日)晴れ
昨年末の母の死去から未整理のままとなっていた郵送物をチェックしながら保存して行った。確定申告に関する郵送が含まれていて、良いタイミングに整理したと評価。今までは両親が郵送物を受け取っていたので、大事な書類が不明になることが多かった。腹が立ったが、それも今では思い出の出来事となった。朝、不覚にも6時の村の時報で目覚め、散歩は大幅に遅れた。それが良かったのか、同級生の理恵ちゃんに会うことが出来た。彼女はもう20年近くの寡婦で嫁入り先の両親の面倒を見ている。彼女曰くやっと、一人の寂しさが分かった?「うん、十分以上に身に染みた」と僕。友達の誘いがあったら何はさておき出かけな行かんよ!一人だと話題が少なく、聞くだけになるがそれでも行かなきゃ。「そうやなぁ、高知新聞も読んでないし、テレビも見ないから、話題について行かれんと思う」。夜寝れる?「十分に」私は眠れんで薬の世話になっている。理恵ちゃんは結構大雑把な性格だから、毎日薬飲むのを気にしてない。仏様のお供えも1週間に1度で良いと大胆に言う。それだからこそ、一人で耐えれたのか?最後に、もうちっとしたらあんたも馴れるよ。多分僕は彼女のようには行かないだろうと思う。トランプの就任に合わせてジャパンタイムスの購入を申し込んだ。寂しさ対策は、息つく暇もなく忙しくすることだと思った。それに、旅行記事は、まだ当分の間海外旅行の出来ない身としてはこの覧で楽しむしかないと思った。今日はカリブ海に浮かぶフランス領の島グアデループ島特集だった。ドミニカの下にある。英語の辞書はウイズダム(検索が早い)とリーダーズ英和辞典(語彙が豊富)の2本を使う。もう一つグーグルマップも立ち上げて風景確認。iPad,iPhone,iPodと3台立ち上げると旅行記が楽しめる。もう一つ寂しさ対策として、毎日違う食材を口にする工夫をすること。今日は「四川児菜」と呼ぶ野菜。売っている人に聞けば、油とよく合うと言う。それで豚肉と炒めた。苦い味だ。旨く工夫すれば、この苦みを楽しめるかも知れない。それから3時間後、腹痛がやってきた。かなり強い野菜だったのだ。

1月20日(金曜日)曇り後晴れ後時雨
今日は本を読んで過ごそう。そう思いこんで掃除洗濯もせず机に向かったが、本を読む間に、アップルミュージックから録音しようと欲を出したばっかりに、12時までこれにとらわれてしまった。二兎を追う者は一兎をも得ずだ。昼飯は、干物を焼いていただいた。その魚は「にべ」。ピンと来ませんか「にべもない」(そっけないふりをする、と言う意味)その語源となった魚がこの「にべ」。カッパ市場では、この大きなのが2枚で150円。味は、こりこり感がある。噛みごたえがあり濃厚、そっけなくはない。話を戻すと、それでも、昼からは読書にとりかかれた。読書のスピードが落ちている、iPadで読書をしているからだ。本を読むとどうしても、疑問や関連の事が気になる。それで、もう一つのiPadでそれを調べながら読む。音楽雑誌では、その音楽を取りあえずは聴いてみる。昔はページをめくるごとに克服を感じたが、今は、知らないことが明確になることで充実感を得ている(すぐに忘れてしまうのだが)。だが、かなり克明に読むので疲れる。そんなとき、少し移動して、カウチに座り、LPレコードを聴く。今日はこの組み合わせの繰り返し。今日のLPはユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団。チャイコフスキーバレエ全集から、白鳥の湖。大編成の楽団を、スピード感のある指揮ぶりでグイグイと引っ張ってゆくのが気持ちよい。オーマンディーとはこんな人だったのか。カラヤンやバーンスタインの影に隠れて僕の目には映らなかった。日が傾くと途端に風が出てきた。軽トラを引き出し西に向かった。西は「空が堕ちていた」(キャロルキングに同名の唄がある、唄はこころの有り様を唄ったもので天候と関係ない)、こちらの意味は、雪雲が雪を降らせて、空と地面が一体になった様を表現したつもり。こちらは晴れていたのでそれがよく見えた。プールで1.5km。帰りサニーマートで母のお供え物を買った。外に出ると雨が降っていた。暖かいので雪が雨に変わったのだろう(山下達郎の唄とは反対の現象)。暖房をがんがん効かせて窓を開け風に吹かれて帰ってきた。自宅に着くと穏やかな空気だった。スーパーのある南国と比べると更に2度くらい気温が高い。

1月19日(木曜日)曇りのち晴
昨晩は雨だった。今朝も曇っていたが、10時を過ぎると晴れてきた。妙に疲れていて、NHK英語ラジオを聴いていながら寝てしまった。暖かいせいもあった。これだと春の曙は眠ってばっかりだろう。この時期から本格的な仕事が始まるというのに。最近妙に体調が変わってきているのがわかる。昼からは、親類の家にお土産を持って行った。先日ビニールがはがれた時に相談に乗ってもらったお礼も兼ねて。帰りにカッパ市場で野菜を購入。きんかんがあった。しもやけに金柑が効くのを思い出し買った。沢山入って110円。皮ごと頬張ると甘みが口の中に広がる。皮の渋みはない。午後の余った時間はPCの組み立てに費やした。SSDが3.5インチのHDDベイに入らないまま中断していたのだ。アダプターは560円だった。SSDもBDドライブもSATA接続で、IED機器の接続と比べると結線も簡単になった。電源を入れてバイオスの設定をBDドライブに変更した後、OSのDVDを挿入する。後は自動的にWindows10がインストールされていく。Win98から組み立てているが、あのころと比べると格段に楽になった。マイクロソフトにアカウントを登録してあったので、PWを打ち込むと名前が出てきた。オフィス365をダウンロードし、ウイルスバスタークラウドはVISTAから変更し設定は終わった。後は、昔からため込んできた単語登録の辞書をインストールすれば良いだけ。2時間一寸で終わった。前は一日とか2日とかを要していた。何が楽になったのか考えると、いろんな接続機器のドライバーをインストールしなくても良くなったことだ。昔は、なかなか接続機器が認識できず、インターネットで捜してセットアップしたことだった。PCは自作よりも買った方(NECや富士通ではなく、DELLやHPなどと比べる)が安いのは前に書いた。しかし自作は難しいことは一切なく、HDDの追加(今回は6TBを計画している)や大したCPUでないがメモリーは8GBを使うなど自由度が効くし、昔の使えるモノはそのまま活用できる。(今回はマウスとキーボード、筐体、ディスプレイ)。ボディーは転勤(大阪→東京→大阪→仙台→高知)で傷だらけだ。それが何だか勲章のように見えてくる。

1月18日(水曜日)晴
4月からは正社員で良いかの確認があった。もちろん迷うことはない。昨年3月までは息子の大学支援の目標があった。それ以降は目標が無く、しかも両親の介護で仕事は辞めていた。しかし、父が亡くなり、母の病気が進行し介護の手を離れた段階で、時間が余るとなれば、時間に規律が無くなり、生活がだらけてくるのだ。それで家の周りの修繕や田畑の管理のため結構計画的に活動したが、それでもやっぱりだらけてくるし、人と話すことが無くなれば寂しい。それで、今回は生活のためではなく、寂しさ回避と規律ある生活のためと、少し知的な作業で頭の活性とを目的に仕事を始めた。フルタイムでも良かったが、会社は4月に発足するというので、それまはパートタイムの仕事になった。それでも、これから先どうしたいのか?確たる目標はないので、強制的に自分に課すことが求められる。密かに暖めていた趣味の充実は今年中に全て着手すべきだろうと思う。でも、7つの趣味を充実したからと言って満足が得られるわけではないと思う。それは昨年中にとりあえず取り組んでみて経験したことだ。まずは、地歩を固めてその上のステップを練らないと空疎な時を過ごす事になるかも知れない。そのステップの第一候補はNPO法人の立ち上げだろうと思っている。まだ、具体的なものはないが、活動するには充分広い田畑と、必要な農機具がある。これを利用できないか?これが挫折すれば、インドやアフリカを貧乏旅する案もある。それもダメなら、次のアイディアはない。定年後はこんなはずじゃ無かったんだが、実際経験してみれば思ったようにはいかない。

1月17日(火曜日)晴
不覚にも午前7時まで寝過ごしてしまった。我が家の裏にある森は豊かな森で、野鳥の楽園だ。なぜ暗いのに鳥が啼く?と自問自答しながら目を開けると外は明るくなっていた。昨日は仕事日だったから格別疲れることはしてないのになぜ?起きると太陽がまもなく顔を出した。今日は暖かくなるぞと予感がした。予感は的中して、先日までのあの寒さは何だっただろう?と思わせる陽気。暖かくなると困ることが2つある。一つは蚊が出てくることだ。嘘ではない。二つめには午後になると足指先がかゆくなることだ(しもやけにやられている)。小学生じゃあるまいしと思うが、いつの間にか罹ってしまったのだ。かゆいのなんの。今まで忘れていたのに今年から復活だ。血圧が低いのと関係しているのだろうか。今日は年明けから取り組んできたレポート仕上げて発送した。一つ肩の荷が下りた。尚念のため発送する前に、散歩して頭を冷やした後見直しを行った。散歩はぽかぽか陽気で、トレーナーと下着の2枚で充分だった。気分が良かったので今日の夕食は少し時間をかけて作った。大根と鶏の胸肉に青唐辛子を入れて煮込んだ。キャベツとかにかまのコールスロー。この沖の浜で上がるジャコともやしを、前の畑で取れた「だいだい(酢蜜柑)」の酢で炒めた。もうクックパッドのお世話にはならなくてもよい。夜は久しぶりに音楽NASを立ち上げてビルエバンス、エミールデオダード、リチャードクレイダーマンを聴いた。ハイレゾは帯域が広く、ベースとともに窓ガラスが震える。真剣にこの共振対策を考えないとハイレゾはまともに聴けない。ココは田舎の一軒家なので夜でも大音量で再生するからですが。大音量に関してはもう一ついいことがあります。早朝のジューサーが気兼ねなしに使えることだ。

1月16日(月曜日)晴
庭の瓶に貯めた水が凍ったのは結局15日だけ。もう寒さのピークは過ぎてしまった。北風に乗って雪雲が流れてきて、時々太陽を遮るが普通の冬に戻ったようだ。今日から3日間は又仕事日。以前はパワーポイントを作成時、このベースとなるエクセルシートは、パワーポイント名の捕捉資料と名前を付けておけば、すぐに呼び出すことが出来たのだが、今となっては、エクセルシート名を忘れてしまい、どのファイルだったんだろうか?と捜すのに時間がかかる。そこで、今回、パワーポイントのシートの片隅に小さな字で、エクセルのシート名を書くことで対応している。1時間前の事は70%忘れると言うが、まさにその通りである。この倉庫の僕の部屋に、PCが3台、仕事部屋に2台とそれぞれ目的は違うが合計5台を動かしている。それぞれのHDDにファイルを保存すれば、もう何が何だか?と言う状況になるので、2番目の自衛策として、保存は共通に使えるNASに行っている。これだと、一カ所にデーターを保存することになるので、混乱はないはずだ。だが、まだ落とし穴があった。NASの電源はPCのアプリで切るのだが、これを忘れて朝まで電源ONのまま寝てしまう事が多々ある。この対策には寝る前の作業手順を書いたメモを作成した。それもこれも、全てが自衛手段。備忘録のためのメモが必要になった。午後7時に仕事を終えて近くのスーパーに夕食の買い出しに行く。車が暖まるまでに到着する。小さなスーパーなので選択肢は少ない。車から降りると真っ暗な我が家に懐中電灯の力を借りて入る。昼間は暖かかったが夜は寒い。寒いと寂しいは同意語。併せて暗いも仲間だ。夕食を献立ル前に、母のお供え物を作る。今日はゴボウだ。今朝収穫のごぼうをレンジで前加工して、ポテトフライと同じように処理するとなかなか旨い。塩はこの間、四万十市に行ったついでに途中にある有名な天日干しを購入したもの。それから自分の食事を今立ててiPadで新聞を読みながら食事。風呂上がりの音楽は「シネ・ジャズ」中村八大がリーダーをつとめるバンドで高校生の時に良く聴いた音楽。哀しい想い出がいっぱい詰まっている音楽でなかなか針を落とせなかったが、今日は久しぶりに聴くと、「死刑台のエレベーター」や「危険な関係のブルース」はイメージ通りだったが他の曲は全く印象が違った。あれほどなじんだ音楽だったが記憶が流れてしまっていた。新たに擦り込むか!そのままそっとしておくか?

1月15日(日曜日)晴時々雪
昨晩の雪はお情け程度だった。車のボンネットに少しシミが残っている程度。今日は集会所の清掃日。僕が当番だから午前中は落ち着かない。今日こそ本を読むぞと思っていても、文字が目に入らないのでLPレコード聴くことに切り替えた。J・S・BACHのブランデンブルク協奏曲を聴いていたらいつの間にか眠ってしまっていた。それほどパイプオルガンが気持ちよかった。それに、暖房を止めても力強さを増した太陽がぽかぽかで眠気を誘った。ねすごしてはいかん。慌てて食事をして食器を洗っていたら、窓越しに沖のハウスの隣の方が声をかけてくれた。「あんた所のビニールハウスがこっぽり破れちゅう」。お礼をいって、集会所の清掃が終わると見に行った。15mほど完璧な穴が空いていた。今日はこのままにしておいて、明日ビニール屋さんに注文しようと計画を親類のおじさんに伝えたら、俊平君に相談するわと電話を切った。そしたら、取りあえず見に行くわとのこと。俊平君曰く、どうせ張り替えるので、お金はかけたくない。応急処置をしようとなった。破れたビニールを引っ張れば、大部分は再利用可能だった。破れ口のみ、別のビニールを当てて雨漏りを止めようとなった。我がビニールハウスは古いが、それでも波形のビニペットスプリングが使えるコの字型のアングルが使われており、古いビニールと新しいビニールをこれで固定した。驚くほど簡単にビニール張りが終わった。もちろん一人では出来ない作業だ。ビニールの資材やテープやら持ってきてくれて大変お世話になった。もちろんお礼をするつもりだが、田舎のこうした援助は実に涙ぐましいものだ。そんなことで、本を読む計画は費えてしまったが、芸西村の新たな面を見た。

一日中雪がちらつく。でも太陽は燦々と天上にある。風は冷たい。早々に風呂を沸かし明るい中に入浴し、食事をしてから部屋に引き上げた。7時のニュースは、母屋で録画したDIGAにDLNAで接続PS3で見た。これだと暖める部屋は1コでいいのだ。

1月14日(土曜日)晴
しっかりと冷え込んで、午前6時の室温は5.9度。昨日やり残した仕事を終えると8時だった。食事をして、掃除をして、母の祭壇の花を交換、自分の部屋の掃除、仕事部屋の掃除、洗濯。これで11時。除草剤を買って、父の墓の隣(母が眠るところ)へ散布。明日の集会所の清掃のために事前に草刈り機で長い草を一掃。午後1時。やっと今から休日は始まる。昼飯は酒を飲んだ。今夜は寒いだろうから、多めに薪を焚いて長風呂を楽しみたい。風呂と酒の相性は良くないのでどちらかの選択になる。日中暖房のない部屋の温度は19度、午後4時までPCを組み立てた。いつも失敗するのは、マザーボードにCPUやスイッチ、LEDの配線を行ってから、本体にマザーボードを組み込むのが正しい方法だが、私はいきなり本体にマザーボードをビス止めしてから配線をしてから失敗に気がつく。そして面倒くさいのでそのまま進めるのだ。手が入らないところがありいつも難儀している。組み立てはSSDがアダプターなしでは、3.5インチHDDベイに取り付けできないことが判明し休止。風呂を焚き、買い物に出かけ、母のお供え物をしてから、集会所へ。忠魂墓地の清掃日程調整。2月5日に決定。村に住んでいると行事が多い。尻から沸いてくるお湯に水を足し長湯を楽しんでやっと自分の部屋に引き上げてきた。庭を渡るとき雪がちらついた。いつもはこれから音楽だが、どうも今日は疲れたのか9時半には就寝。

1月13日(金曜日)晴
昨日よりも一段と冷え込んだ。0.5度室温が下がり、7.5度だった。北国の人には叱られる寒さだ。朝の散歩を簡単に済ませ、食事も簡単に。昨日のまとめにとりかかった。11時が来ると、今日もまた調査に出かけた。近くなので自転車。自転車の問題点は、体が熱くなること、ジャンパーの前は外し風を入れることができるが、腕の部分だけは熱がこもる。かといってジャンパーを脱ぐと一寸寒いのだ。腕だけ汗で濡れて、いつもの「しらす丼」屋さんへ着いた。本当に旨い。仕事は短時間で終えたが、レポートを作成せねばならず、普段は車の中で作成するが、今日は喫茶店に入った。田舎の喫茶店はコーヒー1杯が450円。これじゃお客さんは来ないよな。

帰りにツタヤで「ミュータント忍者タートルズ」を借り、「寺尾」で鯖一本を刺身にしてもらった。帰り着いて、レポートの作成。VISTAに接続したマウスの調子が良くないので時間が倍かかる。他の人のレポートも入ってきて、午後8時半まで頑張ったけど終わりが見えず今日は作業を終えた。母のお供えを作らなければならないし、食事もしたい。仕事を終えても、職場から徒歩で帰宅すぐに個人の事に取りかかれるのが良い。毎週金曜日のお供えは、永正寺のしきたりに沿ったやり方で5品が必要だ(他の日は3品)。鯖の刺身は誠に美味。同じ所で取れても大分に上がれば関サバだ。高知県の漁師にかかれば清水鯖。価格は天と地も違う。今日は試しにお醤油もなにも浸けずそのまま食べてみた。「いける」。おいしい刺身とはこのことを言うのか。後は自家製の「だいだいの酢」と醤油のミックス。付け合わせの野菜はカリフラワー。これも新鮮でゆでるだけで甘みがある優れもの。30cmの鯖を一人で食べてしまった。街ではこれだけで3,000円コースだ。お酒は安芸虎の生酒。2杯。1,600円くらいの内容(街の居酒屋さん価格、ただし希少な酒なので何処にでもない)。高知は食べ物が旨いと言われるが、多分素材の良さであって料理の腕ではないような気がする。

映画はアメリカ大統領選挙を意識したのかどうか不明だが、団結がテーマ。正義の亀4匹が団結して人類を救う。悪は宇宙人。人類は悪に対して手が出ない。この辺りのストーリーはゴジラやウルトラマンと同じ筋立て。夜は更に冷え込んできて、酒の効果が消えてしまった。

1月12日(木曜日)晴
出逢いの予感
今日は仕事で宿毛市まで出かけた。宿毛市をご存じない方に説明すると、高知県の東部に住む私は、高知県の西部の外れにある宿毛市まで行くには、170km程運転しなければならない。芸西村から高速道路はあるけど、途中の窪川からは、平道だ。道路の拡張がなされ、混雑しなければ少しは速度を上げられるけど、いつも車がつながって走っている状況。3時間ちょっとを要する。高速バスでは高知からだと神戸まで行ける時間だ。高知は日本の僻地ですが、更に宿毛は僻地ですね。だから東部の私とは全然言葉が違い、同じ高知県人とは思えないのだ。その宿毛市に行く道中でいつも気になっている中古店がある。1年半前に四国一周をする仕事を請け負っているときからの店だ。それで、今日は思い切って寄ってみた。するとどうだ。パイオニアのチャンネルデバイダーが鎮座しているではないか。何かあると思っていたがやはりあったのだ。チャンデバは、アンプがゴロゴロしている私には、利用価値が高いのだ。

その後須崎市、佐川町、土佐市と訪問を終え夕刻6時前に仕事を終えた。朝7時から車を運転しているので11時間。いささか疲れた。肩のこりも凄くなった。固まった体をほぐすのにプールが一番だ。1km。すっかり体がこなれ楽になった。運転は大変だが、仕事はいろんな出逢いがあるので楽しい。それに車の運転は毎日ではない。時々なのだ。

青森の友人から消息が届いた。お正月まで雪ゼロだったが、急激に雪が積もったと写真を送ってきた。雪は楽しいなぁ(現地の人には叱られるかも知れないが)吹雪もいいなぁ。3年前東北で仕事をしてた頃を思い出す。ローラー訪問はつらい。ほとんどが反応してくれないから。でも断られても、断られても時間まではローラーをする。そして時間が来れば止める。そして一日が終わる。吹雪いている程、終わった後の喜びが大きかった。吹雪いているので、すこしだけ、ずるして早く終えると、どうもすっきりとしなかった。悪い性格だ。


1月11日(水曜日)晴
まだ、寒さに耐えられる
幾分冷え込んできたが、朝起きると気温は7度。芸西村の中でも海辺から自転車で帰ると我が家は暖風がどこからか漏れているのではないかと思うほど暖かい空気が流れる。寒いが、それなりの寒さで、アンダーの下着とトレーナー一枚で我慢できないほどでもないのだ。

午前中事務処理をしてから、営業に出かけた。やっぱり人と会って話すと、なんだか活力が沸いてきますね。田舎の自然でのんびりとするのも格別だが、そればかりだといささか退屈だ。せっかく街に出たので、ついでに仕事で使うエクセル2003の解説本(200円)とホームページビルダー13(100円)をブックオフで買ってきた。先日友人からホームページが見にくいと指摘があり、取りあえずの修正を行ったが、本格的に取り組んでみたいと思いノウハウ本を買った。古い本でも、基本的な機能は同じなので全く問題ないのだ。

ついでにWindowsVISTA機はOffice365を使えないので、PCを新調することにした。古いXp仕様のPCを持ち込んだが流用できるのはケースのみとの判定だった。そのケースも廃熱に問題ありとの指摘だった。冬は問題なしなしだが、夏にはファンの増設が必要かも知れない。CPU、マザーボードとパーツを合算すると、店で販売している組み立て商品のほうが安価だった。でも、挑戦は大事だ。PCはやはり自作に限るのだ。メモリーの相性とかSSDの相性(HDDはこんな事なかった)とかいろんなリスクがあるが、何事も経験だ。アキバや日本橋で買えばもっとおもしろい選択が可能だろうが、ここは高知。一軒しかないPCショップ(PCデポ)で選択肢は少ないのだ。ある友人に、今度の仕事は結構難しいよと伝えると、PCを使って遊んでいるのだろう!と一蹴された。それもある。

1月10日(火曜日)晴
北国では猛吹雪と積雪の注意報が出ている。名古屋の知人は毎朝氷がはっていると言っていた。芸西の最低気温は7度だった。ストーブの石油が切れていたので補給に行って帰ってくると部屋の温度は8度になっていた(ほんの僅かな間だ)。今日は窓を開けて布団を干した。それでも部屋の温度は18度だった。寒気が張り出してこない限り、そして太陽の出ている限り高知は暖かい。明日からは寒気の影響で寒くなるらしい。水道管の防寒対策も行ったので万全だ。
今日も仕事。今月は前半に仕事を詰めて、月末に休もうとしている。だが上手くはいかないもんだ、部落の役員から、週末の土曜日役員会をするので集まって欲しいとの連絡があった。集まると、すぐに帰れない。その上日曜日は、集会所の清掃日。前半は一切休みがないぞ!
今日のエクセルの学びは、文章の中から、頻繁に登場する語句を拾って、それがどれだけ登場するかカウントする関数をモノにしたことだ。エクセルの関数はホント無限大にある。これにVBAが加わると鬼に金棒となる。ただしこれはハードルが高い。どんな価値があるか見極めよう。
大阪の友人は、洋服を買いすぎたと反省していた。お金があるとついつい買ってしまうとのだと指摘。まぁ人のことは言えない。2016年僕も娯楽のために88万円もつっこんだ(一面精神のよりどころの為、一面定年後の趣味の為計画的な購入の為)。最高はパイオニアのAVアンプ。最低は新習志野のプール入場券。
ついでに昨年の事をまとめると税金で100万円払っている。車の車検も含めての話。食費も88万円。葬儀にまつわる飲食代が大きい。観た映画は44本。読書は29冊。プールは49km。今年は相当頑張らないと、貯金が復活できない。一人では寂しいから、慰めのためお金を使うから計画通りに行かないかも知れない。

1月9日(月曜日)晴
天津甘栗に教えられる
人類600万年史を読むと、人類は雑食で生きてきた。その内訳は圧倒的に植物が多く、タンパク質は少なかった。そして、植物は木の根や、木の実もその内の一つだった。「一日30種の食べ物を」これは、人類の歴史から導き出された格言だ。そこで、高知県でも比較的いろんな物を売っている南国市のスーパーで、普段食べてないもの、特に木に実ものを中心に買ってくる。今回は天津甘栗と赤米3種だ。70才までは薬のお世話にならないで生きたいと僕なりの工夫だ。その「栗」である。昼食後、少し食べることにしている。なかなか包丁でむくのは難しい。手を切らないように刃を手前のほうに向けて剥いている。底のほうは、刃で切り取るので一部であるが捨てることになる。なんか旨い食べ方があるはずだとYouTubeを覗くと、何と簡単にしかも刃物を使わないで剥く方法が掲載されていた。こんなに簡単に剥けるのか。要は底になく、腹の部分。ここに爪で線を入れて、横から押しつぶすように力を加えると、パクッと開くのだ。なるほど。今日は仕事でグラフを作成した。正面のPCはエクセル2010、横のPCはエクセル2000。右手で検索し、結果を左手で入力する。あたかも、ハービーハンコックが左側に置いたピアノと正面に置いた電子キーボードを使い分け一つの音楽を紡ぐのと同じやり方だ。本当は、エクセル2010だけでプログラムを組めば操作出来るんだけど、複雑な処理よりも、2つのPCで力任せにごり押しするのが僕のやり方。僕の生き方と同じだ。もっと楽でもっとおもしろく生きる方法もあるだろうが、どうも僕は包丁で栗を剥くように生きてきた。今日の昼は栗と、新鮮な黄色いトマトだった。

1月8日(日曜日)雨
高知の気性
夜中は相当強い雨が降っていた。プールで疲れていたので目が覚めなかったが、夢の中で強い雨音を聞いた。朝起きるとまだ雨が降っていた。それで暗かったから、先に食事をしてから散歩に出ることにした。今日の散歩は雨合羽を着ての散歩だ。雨は冷たくなく散歩も苦ではない。エンリコ・ラヴァのJAZZを聴きながら。初めての音楽は取っつきにくく、少し我慢して聞くことになる。しばらくするとこなれてくる。音楽のほうがすり寄ってくるのではなく、僕のほうがすり寄っていくのだろう。しばらくすると、この音楽はただ者ではない印象を抱くようになった。家に帰って早速AIFFで取り込んだ。そして又聴いた。音楽は手あかが付けば付くほど自分の物になる。カセットやMDの時代には、気に入った音楽はケースが傷だらけになった。それは勲章みたいな物だと思う。多分人間関係も、僕と音楽との関係と同じだろうと思う。ただなじむには音楽のジャンルと同じで、すぐにうち解けるJAZZのような物から、しばらく時間のかかるオペラのような物もある。これまた人間関係と同じだ。つまり、ここではあまり人と会うことがなく、音楽ばかり聴いて孤立しているように見えるが、実は疑似人間関係のような物を朝の散歩の時から寝る前に至るまで体験しているのである。雨は夕刻まで降り続いた、村にあるスーパーまで徒歩で買い物に出かけた。今度は傘をさして。でも帰るときはもう明るくなっていて、とうとう太陽が顔を出した(まだ、芸西村は雨が降っているが)。この余りにも激しい天候の変化は、ここに住む人間の性格に大きく影響を与えているだろうと私は思う。所謂白黒がはっきりした人が多いと思うのである。音楽で言えばJAZZを聴くようにすぐノレる音楽と、これはどうか?と思うものと2つに大別できるのと同じ。オペラのようにしばらく噛みしめてみるような気性の人はいないのである。(いや、いるかも知れないが、僕が気がつかないだけかも)

1月7日(土曜日)晴のち曇り
X-MANアポカリス
今日はけっこう忙しかった。久しぶりの休日なので掃除洗濯が溜まっていたのだ。私しか生活してないのに、1週間も経つと結構汚れる。母が健在な頃は3日に一度の清掃だったが、一人になると一寸遅おろそかになる。休日の朝には掃除洗濯は定番で、これを終えると、気分まで良くなる。もっといい加減にのんびりしたらという声もあるが、どうやら、僕にはこのようにこまめに動いているのがストレスなく良い良いようだ。Avreviewを読むと推奨音楽の紹介がある。AppleMusicに登楼されているかチェックしヒアリングし、良ければiPhoneにダウンロードしておく。そんな作業を今週はしていたが、今日はいよいよその取り込みだ。AIFFのファイル形式でADコンバータを使ってPCに取り込む。この作業でアップルとの契約が切れても、この楽曲は僕の物になるのだ。昼飯は海の見えるレストラン於て。次に、ソニーのノートPCから、ディスクトップPCへホームページの移管を行った。ソニー製品はご存じのようにソニータイマーが今の機器でもきちんと動作していてもうそろそろ次期だと思ったわけ。ソニー製品はデザインやコンセプトも良く大好きだが、3年位しか使用できないのが欠点だ。その点パナはデザインが野暮ったいが、きちんと10年以上は動作する。このデーターの移管は2TBのNASを経由して行った。これで午後5時。南国市のプールに出かけた。今まで住んでいた近くのプールと言えば40分とか30分かけて自転車で行けるところだったが、今では車で30分かかる。昼が短い冬場だと自転車ではとうてい無理な話。今日のプール上級者コースは結構レベルが高く、僕もギアチェンジして1.5km泳いだ。所要時間40分で、いつもより5分ほど短縮だった。帰りにツタヤに寄って、SMAPと大黒摩季(前向きな唄が多いから大好きだ)のCDとX-MANアポカリプスのBDを借りた。映画制作者にとって黒澤明監督「七人の侍」は映画の定番だ。いろんな能力のある人間を7人集めて、周到な準備をして悪と戦う。この筋書きは今でも盤石で、この映画にも適用されている。少し捻って、悪のほうも能力のある人(ミュータント)を集め、善のほうも能力ある仲間が集まった。そして決戦。槇原敬之ではないが「愛は勝つ」ので安心してみていられる。隣に母を祭ってあるので音量を上げず見たがそれでも素晴らしい音響効果。映像もキレイ。ストーリーよりも美を観賞するには最適。この映画を観ると、七人の侍(非の打ち所がない映画だが)には音と美が欠けていたと思えるほどだ。

16日(金曜日)晴

結局昨日Web上で買ったMicrosoftoffice365は、僕のPC WindowsVISTAでは使えないことがわかった。2年間分(28,000円)も購入したのだが。トホホ。取り敢えずExcelは必要なので、昔買ったOffice2000を引っ張り出してインストールした。メインのPCExcel2013なので、互換性がなく、前のバージョンに落として保存し互換性を保っている。高度な関数は使用しないのでOffice2000の機能で十分なのだ。購入したソフトはMacにもインストールできるので、使い道はないが、こちらにダウンロードするしかないかな。VISTAは古いPCと言えどもIntel i7が入りGPUも別仕立てで追加してある、21型の1gun3beamの三菱製CRTだが、画面としてビジネスには十分な広さがある。さて、取り敢えず仕事面の環境は整った。机の手当は必要だが慌てることはない。粗大ごみの時拾ってくるつもり。ゴミの管理人は知人だから頼んでおく手もある。朝6時の散歩はいよいよクライマックスを迎えている。18日は日の出が一番遅くなるのだ。真っ暗な中散歩に出かける。1km離れたローソンに着いた時でもまだ暗い。真っ暗な中ヘッドフォンを装着するのは問題ありだ。右か左か不明なまま聴くことなる。今週の散歩時はずっとショスタコービッチの弦楽四重奏曲/エマーソン弦楽四重奏団を1番から聴た。10番まである。最初はつまらないと思ったが、2番くいから面白くなってきた。弦楽四重奏と言えども、大編成のオーケストラのような雄大なセッションが含まれている。たぶん昔は今ほど楽器が良くないので、こんな素晴らしい音楽が演奏できたのかどうかは不明だ。とにかくこの曲は、どれが良いと言うことではなく、全部聴きおえてどうだ!てな感想を持つのが正しい評価だろうと思う。今日は金曜日。食事→風呂→映画+お酒のゴールデンコースに突入。午後9時前自分の部屋に戻るが、気温はまだ14.5度で、エアコンの力を借りるだけで暖かく過ごせる。居間に設置したBDレコーダで取り貯めた映像を、僕の部屋のPS3で取り込み、24型のPCモニターで見る(お酒を飲むのでどうしても机が必要なため)。


15日(木曜日)晴

今日も本部から時間のデーターベース管理をする仕事が飛んできた。Vlookup関数は連結セル下段には効かないことを知っていたので難なくこの問題を解決できた。次の課題は、10月からのデーターをPPTにまとめる仕事だ。これはエクセルとパワーポイントを同時に扱う必要があるので、もう一台のPCを引き出した。その為の机の準備に戸惑い(卓上飯台を2段重ねで応急処置)、このPCにはOfficeが入ってないので、購入したが、これが厄介な問題を含んでいて、エックプスローラのバージョンが低いとダウンロードできないのだ。僕のPCVISTAで、最適なエックスプローラー9はエラーが発生してダウンロードできない。これに時間を取られ、Office365の購入に戸惑った。名前にメールアドレスを登録するのだが、途中で英語に切り替わり、Outlookのメールアドレスを付与される。再びメールアドレスを問われるのだが、登録したメールアドレスもOutlookのアドレスも受け付けてくれなくなる。なんだかんだで、このための時間に随分と費やしてしまった。結局田舎のスーパーが閉まる直前に仕事を切り上げて買い物に走った。暗い庭を歩いて自宅に帰った。毎日仕事を終えると、寂しい、つらい、苦しいと嘆いていては何事も進まない。克服する手段が必要だと思った。一つは目標を持つことだ。「今日から始めよう150ページ」もしくは「今日から読む、New York Times」明日までに結論だ。



14日(水曜日)晴

今日から仕事。データーベースを扱う仕事が飛んできた。最初に一番効率の上がる関数は何かを考えた。次にショートカットの多用でどこまでできるか実験した。最後に足りない部分をWebで検索し補った。半日で仕上げた。かなり集中した。この時間亡くなった母の事を完全に忘れていた。仕事は神聖なものだが、同時に貴重な存在だと思う。これで当分は逃げ切りたい。のだが、緊張が収まると、だんだんと意識が故人のことに行ってしまい、あんなことも、こんなこともしてあげられなかった、後悔が募る。葬儀の席上ある人から、『後からどんと重いものが来るぞね』と言われた。母の生前は認知も患っていたので、死去の時は今ほど悲しくなかったし、むしろ苦しい病気から解放されたので良かったのではないかと思っていた。しかし日を追うごとに、自分を責める言葉が頭の中を去来して、つらくそして寂しくなっている。特に夜がだめだ。酒は物忘れを助長するので危ないし(先日のiPhoneのこともある)、映画は目が冴えて眠れなくなるし、読書はすぐ睡魔に襲われてしまう。いったいどうしたら良いのだろう。答えは分かっているのだ。49日までは自重し耐えるしかない。分かっているが、どうしようもないのだ。



13日(火曜日)晴

フラッシュバック

休日最後の日、いつものように散歩をして新聞を読みながら朝食をとって部屋に引き上げた。太陽が強く早くも室温は14度近くになっている。ホームページの整理をした。2005年から掲載しているが、2011年から2013年が抜けていたのだ。僕の人生の中では非常に辛かった時代だ。そしてそれは今でも続いている。それは全て自分の選んだ人生だ、と友は言う。その通りだろう。2006年ぐらいから兆しはあったような気がする。つまり、掲載中のHPにその全てが込められているのだ。夕刻3時から西の田と沖の田に草枯らしを散布した。帰って夕食の買い物に徒歩で向かった。頭の負荷が少なくなると、正気の時の母の思い出が蘇ってくる。重くてしんどい。買い物を終えて風呂を焚く。食べることが好きだった母のお供え物は魂を込めて作っている。遺影の写真は、母がまだ患って無い若い時のもので余計につらい。今年は本格的に読書を復活させるつもりだが、気分が重いので当分はダメだ。今日の音楽は、NHK-FM。東京JAZZ20166時間40分に渡って放映された。FM放送でもそこそこは楽しめる音が出る。映像はDRモードで抑えたが、FM放送はアンテナ設備が十分でなく、前回は取り逃した。再放送で完璧に押さえた。

 


12日(月曜日)晴

朝は残念ながら6時に起きられなかった。妙に眠く7時まで寝てしまった。昨日の自転車疲れが残っていたようだ。息子を連れ出し散歩。沖のハウスの場所確認。ついでに僕は雑草の成長の把握。息子は朝飯に僕の納豆も食べてしまい、いい正月だったと感想を述べた後、来年の年末年始は高知だなと一言。僕は食事賄や、名所旧跡案内と下僕に徹した。僕と会話のない時は、テレビを観て笑っている。彼の生活を見ていると、生活常識の知らなさに気がついた。気がつけば都度教えた。素直に聞くのも、又、不思議な感じ。今日は千葉へ帰宅の日で、昼飯は一緒に買い出しに行き、焼肉。さっきの朝食後3時間で、焼肉とは恐れ入りやの鬼子母神。付け合わせの野菜も多く準備したが、それも食べあげた。息子と先日プールで泳いだ時、少し肥満気味かなと思ったが、この食事だと、あの体型は納得性があった。空港へは妻の兄が送ってゆくことになっているらしく、昼過ぎ僕はそこへ息子を届けた。帰って、布団を干し、シーツを洗い、部屋を掃除して、風呂の薪を切ったら5時になった。少し散歩をして、母にお供えのお祀り、風呂に入った。この3日間で冷蔵庫の中は空になった。かろうじて、息子が手を付けてない、餅とサトウキビの砂糖を取り出し、夕食とした。体も疲れたが、毎日肉ばかりで胃も疲れていたのだ。食後、録画しておいた紅白歌合戦をシアターで見た。歌がうまいと評判の島津亜矢の「川の流れの様に」は、一瞬音程を外した。センタースピーカーがあるので、ボーカル帯域だけがシビアに聞こえ、その辺りが分かってしまうのだ。絶対音感のある美空ひばりの歌を歌うのはやっぱり難しいのだ。Miwaの「結」とX-JAPANが非常に良かった。企画不足はスモークの多用で、明るいシーンでカメラレンズがフレアを起こしたようなコントラスト不足の撮影になってしまったことだ。照明を落とし、PDPは輝度を落とし鮮明画面音なっているので、その辺辺りを克明に描き出したのだ。番組プロデューサーは責任を取らねばならない。僕が総合責任者だったら、彼は降格か左遷だ、問答無用で!ついでに、石川さゆりのシーンはカメラワークが下手。今回の天城越えは元歌から大きく編曲してあるから、黒バックのシーンを長めにして撮るべきだ。カメラをこれ見よがしに上や周り込みを多用し品位を落とした。これじゃ、普通の天城越えだ。音楽を全く理解してない。この2つをもって、左遷を飛び越えて首だ。NHK徴集料はボイコットだ。


11日(日曜日)晴

元旦は暖かい晴天。海岸で日の出を拝み今年はいい年でありますように!帰宅して、朝食。ホットケーキとリンゴ、白菜、ピーマンとミカンの生ジュース。お正月にパンを食べたのは久しぶり。これ息子のリクエスト。家の周りの田畑に除草剤を撒きながら息子に我が土地の案内、関心なし、岡村家の事は姉に託するようにとのこと。(がっくり)昼食は街に出ようと言うので再び自転車。1時間ほど西にある野市(香南市のいち)。ここでケンタッキー・フライド・チキンの昼食。若者はいつも肉寄り。折角ここまで来たのだから龍河洞に行くリクエスト。でも、途中で「アクトランド」に目が留まった。龍河洞に行くのは少ししんどいこともあり(7km山奥)、アクトランドに行きたいと言い出した。その中に「龍馬歴史館」があった。入場料@1,500円。一寸高いのでは、すると係りの兄さんが、「絶対に損はさせません」ときっぱりと言い張った。とにかく見てください。それではと言うので入ると、28シーンの見せ場があり、それぞれの解説を読んでいくと、龍馬の歴史、強いては日本の幕末の歴史が、一目瞭然に解る。よくここまで資料を集めたものだと感心した。司牡丹で有名な「船中八策」の意味もきちんと理解した。館を出ると丁度先ほどの兄ちゃんと出くわし、「どうです?後悔しなかったでしょう?」と聞かれた。確かに価値があったと「握手」した。姉思いの弟は、写真を撮りまくり姉に見せるのだと。今日の夜は親類の新年会に行く予定だったが、息子は恥ずかしいと言い出し中止、自宅で食事。軽く、刺身の夕食。それでも相当な量を食べた。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ながら、少し語り合った。僕は自分の部屋に引き上げ、彼は風呂に。