3月15日(日曜日)
ニッチとメジャー
私はPCM派だ。もっと過去をたどればDVD-AudioがSACDよりも好きだ。別に松下に勤めていたからではなく、PCMの方が音が良いのだ。こんなことを言うと、オーディオの片隅にも置けないと指摘する人もいるだろう。そのPCM派の私が、DSDも良いかもしれないと思い始めたのは、今日来られたお客様がiPhone6にDSDの音源を持ってこられたのだ。この弦楽が意外と良かった。iPhoneでハイレゾが聞けるのはもはや30-40才代の人には常識化していて、このあたりのセンスは持っているつもりだが、音質は今日になって開眼したと言うわけ。この方は、Astell&Kern AK240も持っていて、ゼンハイザーのHPを併せると、40万円弱うらましい。だが、こんなニッチな世界のことを知っていても何にもならないが、今日ビッグサイトに女どもの集団が起こした行動についても、何にも価値がないと思うのである。朝の出勤時から、国際展示場駅は大変な混雑だった。それも女ばかり。それも、大きな荷物をトランクに入れて引っ張っている人ばかり。それも、全員が?ときている。神は、よくぞ、この世の中の?ばかりを選択してここに集めたものだと感心するくらいだった。鼻の形が南方系の末広がりが多く、うりざね顔よりも、丸顔が。指摘すればきりがないほど。しかもその数や、万人の規模だ。何のあつまり?アニメのコスチューム展。今やアニメは文化に昇華したが、おじさんにとってはニッチで価値がない。

3月14日(土曜日)
テクノポップの音楽性
電子楽器を使った少々騒がしい音楽。メロディーがないので、これで心休まるのか?の疑問が常に付きまとっていたが、今日来られたお客様に教えていただいた。テクノポップは小説だ。ストーリーがあって、中心の幹があり、それに枝が展開していくが、また、幹の部分に帰って来る。「その展開方法とか回帰が聞いていると結構シリアスで、聞き方がラフになれば迷ってしまうが、きっちりと戻って来るのが確認できると楽しいと言う」。「へぇ~!そんなに複雑な階層を持っていたんだ!」彼曰く「それに比べると、JPOPは週刊誌なので、深みがないですね」、「でもメロディーがないと無味乾燥では?」「フランス料理の中にある野菜みたいなもので、少しは含まているんです」。私はそれを聞き取るだけも大変な集中力が必要だと思った。かれは、僕のアドバイスを受けて今、都内の喫茶店めぐりをしているそうだ。道玄坂にある「ライオン」を紹介してくれた。教会のような造りの純喫茶だとのこと。Webサイトで調べると、少々古い造りで、自作の低音ボックスと中高音のホーンが吊るしてあった。私は、訪ねるべきところは多く、聞くべき音楽も山のように果てしなく、整理する音楽(BDやカセット音源)は超大で、何から手を付けてよいやら取捨選択に迫られている。

3月13日(金曜日)
どんな人?
今日はHiViで有名な評論家の山本浩司さんの取材を受けた。結構鋭い記事を書いているし、リスニングルームはここと同じで石井式だ。表現もノーマルでコンピューターへの造詣も深いので尊敬する人だ。その方が取材に来られた。あいにくと、設計者は出張できなく、私の対応となった。私の発言が記事になるわけだ。結構緊張しますね。今日はこの前に、大手カメラメーカーの幹部の試聴があり、なかなか詳しい方だったので気が引き締まり、さらには、クライアントの役員でもあり最終責任者でもある方の同席で、雑誌社に商品説明をし、ぐっと引き締まった後だったので、旨く行った。ただ、機器は旨く反応してくれず、ノイズが出たりしてトラブルがあった。今日試聴した音源にベルリオーズの幻想交響曲があった。この譜面は従来私たちが聞き馴染んでいる譜面と全く違った。誰のだろう?質問が多くて、こちらからの質問はできなかったが、彼の文献を読めばすぐわかることだから調べてみよう。
<昔Technicsの顔と言えば薬師丸ひろ子。今はこの人>

3月12日(木曜日)
ジャズの巨人創刊
小学館からジャズの巨人が創刊される。今月末から発売されて全26巻。一覧表を見ると24巻分24人が鬼籍に入っている。まだまだ登録してほしい人がいるが、マイナーになると売れ行きが心配となるだろう。スイングジャーナルが無くなって、ジャズの情報誌から遠ざかっている。まぁジャズは70年の後半には終わったようなものだから、これ以上どんな情報が必要か?となるかもしれない。それに、CDレコードが世界ではもうほとんど売れなくなってきている。後5年の寿命だと雑誌には書かれている。そして有望なのは、LPだそうだ。アメリカでもイギリスでもLPレコードの売り上げが伸びてきているようだ。日本は売れたり売れなかったりと傾向値がつかめないそうだ。それで、今後は、ハイレゾとLPのセットでBOX化した音楽パッケージが発売される可能性があるそうだ。まだ日本はその中にCDが含まれるようだが。定年後音楽三昧を計画している人は、近いうちに最後のCDプレーヤーを購入されるのが良いかと思われる。できれば2台。2040年頃まで生きるとしてのバッファーも含めて。逆に買ってはいけないものは4Kテレビ。HDRがこれから搭載されるので、未対応のテレビはつまらなくなる。BDレコーダーも同様。4K録画再生の対応機が今後発売されるためだ。AVアンプはdtsの天井スピーカー規格が発表となったので、この規格搭載機まではだめ。テーマから外れてきたが、言いたかったのは老後に楽しむAV機器が僕の生き方の根幹であるから、JAZZはすでにクリアーしているので手を打つ必要がないが、他はこれからと着手すると言うことだ。

3月11日(水曜日)
困ったことに
田舎に2日帰っていた。その間少し空いた時間だけ音楽を聞いた。田舎のオーディオはマルチチャンネルアンプで自作のスピーカーを鳴らしている。ウーハーは46cmもある。いわゆるこのショウルームに来るお客さんと似たり寄ったりのシステムです。そして、今日聴き慣れた音楽を演奏すると、妙に元気がない。PCMの音源に対してDSDを再生するようなものだ。どこか調子が悪いのか?と調べてみるものの、設定に変更はない。要は私の耳がおかしくなっていたのです。マルチアンプのスピード感ある音になじんでしまっていたのです。テクニクスの音はバランスよく低域から高域まで余すところなく再生する。田舎のシステムはどこかにピークを持った音で特徴がありすぎる。しかも、スピーカーのネットワークを通さないのでそれが強調されて再現される。高知弁で曰く、「たっすいがはいかん」。その差は大きく、今日一日は違和感のある音で過ごした、初めてのことだ。たぶん、来場者の多くの人が私と同じような気持ちを抱いているかもしれない。彼らの戸惑いがなんとなくわかるような気がした。早く田舎の匂いを払しょくせねばとプールに行った。あまりにも冷たいので監視人に水温を尋ねたら27度。今日は一段と低いので寒いですよと。芸西村のプールと7度も違う。ちなみに芸西村のプールはもう少し温度を下げたいようだが、お客さんの大半が老人で、彼らの声が大きく水温を上げざるを得ないとのこと監視の人がこぼしていた。

3月10日(火曜日)
雪模様
爆弾低気圧は去ったが、寒さがやってきた。何と、芸西村にも少しだけだが雪が舞った。台所の掃除、居間と廊下の掃除。父の昼飯の買い出し。友人への荷物の発送と手紙。キースジャレットの音楽のチェック。音楽については少々驚いている。CDが3,000枚ほどあるが、レコード棚を見ているとどれも記憶にないCDばかりとなっている。確かに自分がお金を出して買ったのに、すべてが新鮮だ。まるでCDショップに行ってレコード眺めている状態になっていた。そこで、目についたキースジャレットのCDを少しだけ昨晩チェックしたら、なかなかいい演奏だったので、今日はこのディスクは最後まで聞いてやろうと思った次第。それに、ポータブルDVDプレーヤーとゼンハイザーのヘッドフォンが絶妙な組み合わせでいい音を出してくれて、離れがたくなってもいたのだ。このアウトプット端子にポータブルアンプをくっつけて聴けばどんな音だろうと夢も膨らむ。これで、高知は終わり。友人のお情けで、飛行場へ送ってもらう。途中でうどん屋さんへ寄って昼飯。これが彼のお勧めのうどんで、なかなか旨い。高松のうどんとも違う味だ。飛行機を待つ間、1時間ほどあったので、ビールを飲んだ。飛行機でひと眠りすると着陸前だった。こちらも雪模様で寒かった。船橋駅前のお寿司屋さんで早目の夕食。友人からもらったミカンが重く、自宅までの20分は一苦労だった。



3月9日(月曜日)
高知へ
報告書を仕上げて、バタバタで出発した。こんな日に限って忘れ物が多くなるのだが、意外と今回はしっかりしていた。飛行機も順調良く出発した。珍しいことだ。高知はあいにくの雨だった。その雨が、飛行機が着陸するころは最大限に吹き荒れていて、友人の車まで走る間にも随分と濡れてしまった。高知の雨は半端ではない定説通り、すごいの一言。まるで台風並み。今夕はこの友人宅で懇談会だ。家に帰りさっそく自分の部屋の掃除をして、必要なものの手はずをして、プールに出かけた。準備体操を屋外で頑張ってみようと思ったが、この寒さでは心臓麻痺を起こしそうだった。プールの温度は34度。ほぼお風呂なみ。この温度で45分間泳いだ。これは疲れる。やっぱり勇気はいるが、千葉の競泳用プールの温度が最適だ。アマゾンで申し込んでおいたCDが届いていたので、少しだけ再生した。ショウルームのハイレゾ音源の再生と比べて、幾分中域の解像力が悪く、低域のスピード感はこちらがあるなど、評価は一長一短。まぁ一生この装置で行くつもりなので、これで構わないのだが。5時半に友人が迎えに来た。ついでに文旦を持ってきてくれたので、5個だけいただいた。今日の懇親会は高知のK氏が仕事なので少し遅れての合流となる。まずは3人だけで始めた。相変わらず話題は高校生の時の話。それと、夜須のY氏がトヨタに就職していた頃の話。思い出に浸ってお酒を飲んだ。高知のK氏が漬けた梅酒が飲み頃を迎えていたので、みんなで賞味した。友人のお母さん(もう90才になったとか)も少し飲んだ。チョーヤの梅酒とそん色ない味。「今年はもっと漬けて!」とみんなでK氏にリクエスト。8時前K氏の奥さんが迎えに来て、この会は解散となった。まぁ呑み助にはこのあたりでの切り上げが最適だろうな。

3月8日(日曜日)
アニメの勉強会
今日は二度目のお客様がやってきた。今回は音源持参だ。音源はほとんどがアニメ。ほとんど知らない世界。河合健二さんについて教えていただいた。「機動警察パトレイパー」の作曲家だ。音楽が雄大でまるでブルックナー交響曲のようだ。現在でもこのような作曲できる人材がいるとは、日本の音楽業界も捨てたものではない。アニメと言えばジャングル大帝や鉄腕アトム、巨人の星、あしたのジョーなど、私のルーツは大体が少年マガジン系。僕が社会人になると少年マガジンにとって代わって、少年ジャンプ系の漫画が席巻し始めた。少年ジャンプはメロディーのないリズム優先音楽のようで、意味がつかめず遠ざかった。一時期、日経新聞で400万部/週の発行部数を誇ると言うのが話題になった。そして、その頃にはもう完璧にアニメの世界から足を洗っていた。福井晴敏氏は大のオーディオマニアでJBLのエベレスト66000(1本300万円)で5.1chを組んでいるトンでもマニアなのだが、彼がガンダムを書き始め、庵野秀明のエバンゲリオンが話題を集めるころは、アニメに大きな溝を感じた。入っていきたくても入れない遠い存在だった。ドンドンと遠ざかるアニメの世界にやっと戻れたのは、宮崎駿監督の一連のアニメにからだ。最近のアニメ音楽は150トラックなど、普通の音楽では考えられない程のマルチ録音なので、サンプリング周波数もCD並みで、基本的に音が良くないのだ。このあと、今日はアニメじゃないがテクノポップ大好きなお客様が来られた。「赤い夜」のCDを持参された。ネットで調べると中古でも13.800円の価格がついていた。オーディオも深いが、音楽も深いと感じましたね。

3月7日(土曜日)
世の中のおばさんたちはいい音が聴けないので困っている
お客さんから、こんなご意見をぶつけられた。伺えば、やっとスマホで音楽をダウンロードできるようになった。だが、iPhoneで聞く音楽は音が悪い。解決にはHigh-Resolution Audioがいいと聞いてきたがどうなんだ?なるほど、音楽が好きなのは男ばかりでなく女もいたし、それも良い音で聞きたいのは男女同じ思いなのか?そこでハイレゾの紹介に入ったが、やっぱりITの世界の話となると少々ハードルが高いようだ。ご主人も聞きかじりの知識で奥様にサポートするのだが、断片的な情報なので説得力がない。結局このお客様には、ご理解いただけずにお帰りいただくこととなった。この奥様が偉いのは、ご主人が何と言おうとちゃんと聞くことだ。それと、高校生の息子を従えて行動していることだ。昭和の初期ならいざ知らず、平成生まれの息子と一緒に行動とはすごい統率力だ。おっかさんとは、かくあるべきだと知らされた次第。次にお越しになったのは熊本からの若者。熊本にはエベレストを鳴らす喫茶店がある。ここのご主人の話が良く分からないと訪ねてこられた。ネットで調べれば、「ジャレット」さん(これはキースジャレットから来ていると思われる、東京には喫茶ベイシーもある、これはカウントベイシーから来ている)HPにはJBL66000とマッキンのMC1201×4(たぶんマルチチャンネルだろう、バイアンプだったら店主の技量が見下げられるだろうな)の写真が掲載されている。私も熊本は長かったので、いろいろとお話をさせてもらった。ついでにこちらでは稲毛の「キャンディー」さんが同じスピーカーを置いて喫茶店を開催していると教えてあげた。

3月6日(金曜日)
少ない語彙で
今日はドイツからのお客様を迎えた。「グーテンモルゲン」(おはようございます)で挨拶をすると、強いグリップで握手が来た。グロープのような手だ。こちらのグリップは弱くて通じない。さっそく下手な英語で、商品と音楽を紹介する。クラシックやジャズをデモした後、あなた方はBeatlesを知っているだろうか?と切り出したら、bit と来た。彼らもユーモアがある。Scorpions/Virgin Killerなども準備をしてたが、時間がなくて、ちょっと無理だった。最後にDany boy/Jacinthaを照明を暗くして演奏し、終わった後、暗いままJacintha, Where are you gone?は受けた。(目の前で歌っているような臨場感があるので、演奏を止めると、ジャシンタが消えることを意味する)次回も使おうと思うギャグだ。夜もんじゃ焼きの店に社長と行った。おっさん二人が入る店ではないが、駅から近いこともあったし、後ろから来る女の子も誘って入ったが、彼女たちは向こう側に座った。焼き方を知らなかったので店の人に伺ったら、若い店員がえらく親切に教えてくれた。社長は「大阪マラソンのストラップ」を渡していた。大阪弁だったら若い子とも自由に話ができるだろう。こちらも語彙力の問題だ。夜9時過ぎ、南船橋駅に到着すると雨が降っていた。自転車でそのまま漕ぐと相当濡れた。

3月5日(木曜日)
これがオーディオの世界だ
今日はカートリッジの針のクリーナーを製造する社長様がお越しになった。話を伺うと、何と面白い事実が解ってきた。針のクリーナーは一見埃を取るためのものだとお考えだろうが、今の技術はそんなところに収まらない。埃を取るのは当然のこととして、音質をよくすると言うのだ。それは、科学的根拠に基づいていて、スタイラスの表面にきれいな分子構造を持った保護膜が生成される理屈とのことだ。針はこすれているので、いつかは保護膜がはがれるはずだが?と質問。音が悪くなったら掃除をしてくださいと言われる。数枚は可能だそうだ。そしてこれだけではない。CDの表面にも別の液体を使って保護膜を生成すると、CDの音質が向上すると言うのだ。実際テレサテンのCDでその体験をさせてもらった。明らかに中高域のメリハリが増すのだ。このシステムで、録音状態のあまりよくないCDを演奏すると、眠い音になるのだが、それがない(テレサテンはまさしくそれだった)。今回試したCDクリーナーは開発中とのことでまだ販売されてないが、既存のクリーナー(5.000円)よりも価格は上がると言う。ところで、針のクリーナーはアメリカが一番のお客様だとか?アメリカ人はレコードを手でつかむので、盤面も汚れるだろうとのことか?アメリカ人がそれほど繊細なのか?反対に日本では針のクリーナーはあまり売れないとのこと。ちょっと信じられない現象があるのがオーディオの世界だ。
<囲いの中のツグミは、パンを空中でキャッチ>

3月4日(水曜日)
デジタルデバイド
春の陽気に誘われて、食事のついでに有明近辺を散歩した。そうしたら、なんと桜が一本咲いていた。幹の直径が5cmほどの小さな木だが、木全体で桜の花をまとっていた。ここまでするか?と言うほどの花をつけていたので、この一生懸命さには心を打つものがある。だから日本人は桜が好きなのだろう。JRでは、北国の桜のポスターが今週から貼られている。秋田、青森とかつて行ったことのある場所のポスターだから懐かしい思いで眺めた。大阪の友人に電話をすると、「お前も、俺にも春は来ない」と漏らしていたが、その言葉の重みはしかと受け取っている。今日の夕刻のお客さんは、年齢がほぼ10歳ずつ違う男達だった。伺えば、オーディオ仲間とのこと。オーディオの仲間は意外と拗ねている人が多いが、このなかで一番の若手は結構素直だった。なぜ?と聞きたい位の素直さ。そしてオーディオと音楽知識は深く、いい話し相手になったのだ。このような人生を送ってきた人の環境を知りたい。また、来るとのことだったので、次回伺おう。一番の年配者はアキュのアンプにはもう飽きたと言う人。70才前なのに、デジアナ両方に造詣が深い。CD音源もFLACに変換してUSBで持ってこられた。こちらは、オーディオマニアにありがちな早口だった。もう一組は、ハイレゾに取り組みたいがスキルの関係で断念せざるを得ない老人の夫婦。僕の言うことをしっかりメモを取られたが、ネットワークの設定でひとたび躓くとどうしようもない経験が僕にもあるので、無責任なお勧めはできなかった。デジタルデバイドが仕事の上だけでなく、趣味の世界にも及んでいる実態が、ほんと浮き彫りになってきた。

3月3日(火曜日)
おっかけ
私の知人の一人に、おっかけさんがいる。その人は、ユニコーンのドラマーを追っかけている。今日来られた母娘さんは、イギリスのOne Directの追っかけだった。ネットで調べると、確かにこの人たちは見たことがある。甘いマスクのイギリスのロックアーティスト達だ。CDを持参されていたので、再生すると帯域は広くないものの、非常に低い低音がかすかに入る録音がされている。ROCKファンの所有するオーディオは大体がチープなものが多く、このような超低音を再生できるシステムなど持ってないはずだ。それにLIVEでも、このような超低音は、アンプやスピーカーへの負担が多く、一クラス上の機器を使わなければならない筈だ。それはともかく、このアーティストのために福岡から出向いて、昨日埼玉でコンサートを聞き、今日はその余韻をこの部屋で確かめて帰るのだと言う。お母さんも、こんな若者のファンになれると言うのはとても若い(気が)。YouTubeで訳詩つきの映像を見れば、詩は結構意味深く、行けるではないか!イギリスはROCKの本場だから、ここから羽ばたくからには、相当な洗練があったとみる。だから、変なアーティストは誕生しないと言うことか?なるほど、おっかけの価値はある。

3月2日(月曜日)
脚部
毎週病院通い。今度は膝と、かかとが痛む。膝は、先月はじめ、板の間で懇親会を開催して以来だ。かかとは、1月からで右や左が非定期的に痛む。ひどい時は電車で立って居られない程だ。それで先週の休日に病院に行こうと決めていたが、その日に限って全く痛まないのだ。それで伸ばしてたら、この一週間はとても痛かった。プールサイドを裸足で歩く時は痛くて痛くて爪先立って歩いた程だ。それで、今日は決意して、少々遠いが心臓の病気でお世話になった病院を再び訪れた。先生曰く、かかとは問題なし。膝はレントゲンを撮りましょう。結果、軟骨の問題ではなく、お皿の内側が炎症を起こしてますね。と言うことで決まり。かかとは?もう一度尋ねた?先生は無視していたのだ。あぁそれね、クスリ出しときます。結局かかとの問題は、皮が薄くなっているので痛むとのこと。面の皮も薄いがかかとの皮も薄いのか!。まぁとにかくこれで一安心。どういうわけか、先週くらいから自転車を止めておくとよく倒れている。支えるスタンドの角度が悪いのだろうとばかり思っていたら、今日病院で自転車を止めようとしたところ、スタンドがない。I understand。つまり、先日来からスタンドは折れかけていて、今日少し遠い距離乗ったから、その振動で折れて落下したのだ。偶然にも脚の問題が2つ発生したわけだ。そして、今日中に一応の解決を見た。めでたしめでたし。
<舟橋のほとりに咲く河津さくら>

3月1日(日曜日)
加齢とインターネット
ここの試聴室はハイレゾ音源で音楽試聴を行っている。お客さんもそれが目当てでお越しになる。ご自身はハイレゾの取り組みがないが関心は高いからだ。そこで、先ず聞かれるのはCDとハイレゾの違いだ。どれだけ音質が違うの?これは当然ながらハイレゾは素晴らしいとなる。それで、次にそのハイレゾはどのようにして入手し、保管するの?ここで年配者は狼狽する。年齢と共にインターネットが苦手になるが、購買力はあるので、何とかならんのか?。オリーブ(HDDを内蔵したCDプレーヤーで自動取り込みを行う機器。今は完了)のような簡単な機器を求めておられる。だが、ネットの世界は決済が絡んでくることなので、自動化とは縁が薄くなるのだ。グラフにすると、右肩上がり(購買力と関心)と、右肩下がり(スキル)の2つの直線で表現できそうだ、横軸は年齢、縦軸は可能性。僕が自由に動けるのなら、お伺いして設定やら方法などを教えてあげられるのだが、効率や経費の関係でそうは行くまい。結果、やっぱりアナログの音が一番。真空管アンプで演奏するのが一番となる。それも賛成だ。例えば、最新の録音は音楽の解釈も違い、昔の人には合わないのだ。フルトベングラーとまでは言わないが、グラモフォン録音のカールベームのMozartはおすすめだ。聞き馴染んだ指揮者の演奏が良いのだ。それに老い先短いのに、残る時間を全部合わせても、聴ききれない程の音源を持っているはずだ。首都圏では中古LPの市場も活発で、新たな音源探しに苦労は少ないのだ。かくして、取り残された人々は、益々昔の名演に浸ることとなる。悪くはない人生の選択だ。


2月28日(土曜日)
暇だった
今日は予約のお客様にキャンセルが出て、1枠空きがでて暇だった。暇だと、どうしても余計なことを考えてしまう。その第一が、友人と離れどうして俺一人がこうして仕事で頑張らねばならぬか?とついつい悲観的になってしまうことだ。それは「息子を卒業させねばならない」使命感があるからだが、誰か人としゃべってないと、それが(一人で頑張ること)走馬灯のように巡ってくる。でも結論は決まっていて、辛いが頑張ろうだ。それで、あまり頭を使わない事だが、これがなかなか難しい。巡りの悪い頭でも、瞬時にそのことに到達する。こんな時に限って忘れっぽさは微塵もない。そんなこともあり、今日も終わってからプールに駆け込んだ。ハイピッチで泳いでいると、余計なことを考えないのだ。最近は大会が多く、メインの競泳用プールが使えない。一般用のサブプールの使用となる。サブプールも50mあり、まぁ贅沢を言わなければ、ここでも一般用のプールよりは遥かに優れている。1kmだが、普段よりも5分早く泳ぎ切った。結構疲れたが体が軽い。布団に入るなりバタンキューの睡魔に堕ちた。
<いつも通勤時にきれいな風景だとみている江戸川河口と東京湾>

2月27日(金曜日)
早く死んでしまいたい
何と今日は、自分のお葬式に流す音楽を持って来られた。その音楽が上手く聞こえれば、ステレオを購入したいご希望だ。伺えば、60曲ばかり選曲した後、さらに厳選した19曲を持参された。その最後の4曲を聞かせてもらえた。ご試聴の感想は、こんないい音楽を聞けるなら早く死んで皆に聴かせあげたいと言われた。最後の曲はRockで、曲名は不明。きっと心に残る機会があったのだろう。私はてっきりMy Wayだと思っていた。このようなフェイントは随分と音楽に深く関わって来た所以だろうか。アメイジンググレースが含まれていた。ナナムスクリだ。この音楽に関しては、白鳥恵美子が一番だと信じている私は、楽曲を変更されることを提案した。奥様は始終無口だったが、白鳥恵美子を提案した時、ぱっと目を開いた。工事屋さんの女将さんに多いタイプと見てたが、名刺を交換すれば、まさしく建設会社の奥様だった。夕刻ララポートにある東急ハンズに寄った。シャープペンを買う為だ。日本人は勤勉で、この開発し尽くされたペン業界に技術革新を持ち込んでいる。「クルトガ」がヒットしていたが、今度は、「オレンズ」だ。シャープペンの芯が折れない特徴がある。サービスカウンターで問い合わせると在庫を確認してくれた。それだけ売れているのだ。英単語帳を作るためだけのシャープペンだが、やはりこだわりのある商品を使うのは楽しい。伝えられる所によると、iPadに新製品が出るらしい。こちらも待ちきれない。死ぬのはまだ早い。と思うのだが。

2月26日(木曜日)
EOS5Ds
キャノンから一眼レフカメラEOS5Dsが発売される。5,000万画素オーバーのカメラだ。本体45万円。雑誌の情報では、連写や暗い所には弱い。とある。暗いところではソニーα7sが一番だ。人間の目では見えないところでも撮影できる。連写ではEOS7D2。EOS5Dsは、ただ画素だけが特出しているカメラだ。今日は取材があり、プロカメラマンがきていたので、この新カメラの評価を伺ってみた。最近は、大きな画素を求めるクライアントさんがいないので迷っているとの事だった。確かに一枚で100MBほどの容量は扱いにくいだろう。印刷は350dpi精度なので、いくらサイズの大きな雑誌と言えども、1,000万画素もあれば事足りるのだ。それに連写はともかく暗いところに弱いのは、新製品として魅力にかける。ニコンが3,200万画素を選択したのは、いい選択だったと今更ながら感心する。それとシャッターフィーリングにつても語っていた。このカメラマンさんは、4年くらい前まではニコンだったとのこと。ニコンのシャッターはカチと決まる。キャノンはグニャだ。カメラの腕が十分でない私はせめてシャッターだけでもプロ気分を味わいたいと思うのだ。一方で、体力が落ちている身としては、重いカメラを振り回すには限界があるとも感じている。オリンパスのマイクロフォーサーズのカメラがもう一踏ん張りして、暗い所でも強くなったら、キャノンやニコンに想いを馳せないのだが。そんな話をカメラマンさんと話した。随分と乗ってきてくれた。



2月25日(水曜日)
メナヘム・プレスラー
ライモン・ラトル指揮ベルリンフィルのモーツァルトピアノ協奏曲23番をNHK-BSで見た。ピアニストは上記のメナヘム・プレスラーさんだ。何と91歳。舞台を歩くのもヨボヨボだが、何と(憧れの)ベルリンのフィルハーモニアホールで弾いているのだ。演奏は円熟味が増してと言った表現が当たるのかどうかわからないが、メンケル首相も客席に映っていたので、このピアニストは一聴の価値があるのだろう。このホールは世界で一番と言われるだけあり、TVの音声なのに響きの良さが伝わってくる。ここで演奏できれば音楽かとしても本望だろう。ピアニストは指が勝負。この年で滑らかに動いている。90歳で演奏するのは、20歳でデビューするよりむつかしい事だと。この音楽家は美を感得する心が大事だと。この年でも追い求めているものがある。その原動力はなんだ?体力か?友人は体力がなければ気力も生まれないと嘆いていた。体力さえ有れば、高齢でも夢を追いかけられるのか?演奏が終わると、サイモン・ラトルトと長い間抱き合った。メンケル首相も立ち上がって拍手を送った。なかなかの感動コンサートだった。今度は、ドボルザークのスラブ舞曲だ。曲が激しくなるためか、指揮者は指揮棒を持って登壇した。5.1ch音声だ。田舎のシアターでチェックしたくなる演奏だ。それで、今日も体力のためにプールに行った。今月は11km。昨年の2月は28km泳いでいる。半分以下に落ちている。気力も半分か。



2月24日(火曜日)
開放感
やっぱり休みの日はいい。心身共に開放される。本を読んでいて、眠くなればそのまま寝て、目が覚めれば気付けの音楽を聞いて。音楽については新たな一ページが加わった。AKGのヘッドフォンを購入した。K550。ヨドバシカメラでいろいろ物色するが、これが一番ピアノの音を明確に叩き出していた。約3万円と高価だったが、ものすごく気に入ったので購入した。同じメーカーでも、ここから値段が落ちれば、同じく音質も落ちてゆく。それが顕著だから、面白い。候補にシュアもあったが、こちらは別の機会に購入しようと思っているので、今回はAKGのみに焦点を絞った。ソニーのXBA30に比べると低音の量が少ないが、中高域の立ち方は背筋が伸びている感じだ。いままで聞こえなかった楽器が聞こえるのも、面白い。JAZZやPOPSはソニーで。クラシックとデジタル化したカセットテープ音源は、AKGだ。こんな事に時間を忘れて今日の昼間を全部費やした。これが精神の為に一番良いのだ。カメラ業界も活発になっているので、いずれ手を染めなければならないと思っている。もう少し身辺整理が進んでからだ。

2月23日(月曜日)
大阪へ
朝4時起床。大阪から届いたレポートを仕上げて、食事をして普段よりも少し早く自宅を早く出た。船橋駅前のマクドでメガマフィンを注文して2階に上がると、そこは昨晩から宿泊している、若者の巣窟だった。ここはビジネスマンの朝食場所ではないな。こんなところにも、マクドナルドの不信は忍び寄っている。大阪に向かった。総武快速は殺人的な混雑で、しかも過密ダイヤのため速度が遅く、東京駅に出るまでに体力を使い果たした。今日は大阪で会議。少し体制の変更がある。体制と言っても数名の組織だが。サラリーマンにとっては人事の動きが一番気になるのだ。ここで、1個が1,300円のミカンを頂く。風味、身の濃厚度、袋の厚み、甘みとも文句のつけようがない。だが一袋100円。もったいなくて食べられない。その後、梅田のテクニクスショウルームで意見交換。3人の情報を持ち寄れば、新しい発見がある。お客さんが視聴中だったが、お客様も巻き込んでいけん交換した。その後、ヨドバシカメラへ。シュアとAKGのヘッドフォン試聴。瀬川冬樹さんが言ったと記憶しているが、ヘッドフォンは値段と価格が比例している。スピーカーは、好みの問題で価格と音質がうやむやになるが、ヘッドフォンは高いだけいい音がする。AKG購入。
<普通のみかんより少し大きいかな>

2月22日(日曜日)
AriaKe Bay (ありあけ湾)=AKB
今日は東京マラソン開催日。それで有明近辺もあわただしい。私が貸切の事務所の隣は特別招待客臨時の控室。AKB48とあったので、ARIAKE(有明)に関する参加団体だろうと思っていたら、本当のAKB48だったとか。私は控室にずっと居れば彼女たちに会ったと言うわけだ。昼休み。多くのテントが出ているのでぶらついたら、なんとアンゴラの出店があった。なんで東京マラソンとアンゴラが関係あるのか不明だが、出展者にアンゴラとはどんな国だと聞いた。最初は日本語で話していたが、詰まると英語になった。それ以降は英語で話を伺った。危険ではないか?「周りの国は危険」首都は?どこが観光に良いか?「Huambo(ウアンボ)が東京より少し寒い位で過ごしやすい」。暑い国なのに、どうして?「標高が3,000m」あるとのこと。なるほど。記念写真を一枚。それから、どういうわけか岩手県がそれに続く。三陸海藻スープがあり(250円)いただいた。旨かった。太鼓のパフォーマンスもあった。英語のPerformanceは演じると言う意味だが、日本語だと「特別な技を持って演じる」となる。この3つのつながりは不明でしかも、マラソンにも関連がない。一体これは何だ?



<インドからアフリカまで、カメラを構えたらみんなかしこまってこのように起立をするという面白い特徴がある、いったいこれはどこから来た習慣でしょうね。それともう一つ、非常に親切なことも共通している。>

2月21日(土曜日)
Marathon
明日東京マラソンが開催される。それに先んじて、今日は外国人のお客様対象にプレマラソンをお台場で開催する。その会場の控室にパナソニックのショウルームを全面開放したものだから、ここが人でごった返した。そのお客様は外国人1,000名が対象で、グローバルマラソンだった。国際的な選手は黒人が強いが、こうしたジョギングに近いマラソンは金髪の人が俄然多い。眺めているだけでも随分楽しい。耳をそばだてると、全く不明な言語が聞こえて来る。いろんな言葉が解れば、この世はもっと楽しくなるだろうと思いましたね。夕刻、このマラソンにボランティアしている人が試聴に訪れた。その人は、マラソン選手に棄権を通告する人だった。4時間を超える人に棄権を通告するとのことだ。「走らなくても早歩きで行ける時間だろう」と聞くと、それが違うんです。トイレに行ったり、足にマメが出来て、止まったりするとの事例を紹介された。そういえば、江戸時代の飛脚は一日に何キロ走ったのだろう?調べてみると、江戸から京都まで492kmを3~4日で走ったとのことです。4日としても一日当たり123km。その頃の事ですから、スニーカーではなく草鞋で走ったのでしょうね。一日10時間として、時速12km。結構な速足です。調べてみると、まだまだ上がいた田中陽希氏(30)は200日で、7800kmを走破し、更に日本の100名山を踏破した。しかも累計標高は10万メートルだ。それでも一日約40km歩いている。私は膝が痛いし、かかとも痛いので体重がかからないプールでわずか1km泳ぐだけ。今月はまだ累計7kmだ。

2月20日(金曜日)
The WHOとSade
いずれもWOWOWで最近放送があったばかり。帰宅後、業務報告書を作成しながら、バックグラウンドに流している。The WHOはむさくるしい長髪のボーカル(ロジャーダルトリー)で、映像的には面白くない。それに、海外の映像にしてはやたらとカメラを動かす。だが、いったん映像から目を離して耳だけで集中すると、コンサートがだんだんと熱気を帯びて来るように設定されていて、最後に最高潮に達する綿密な計算がされていることに気がつく。やはり後世に残るだけのことがあるROCKバンド。話は飛ぶがH氏にアンプの修理を依頼してもう半年になるが治ってこないので、今は、TVのスピーカーで聴いている次第。音は少々甲高いが、それでも雰囲気はすこぶるく良い。一方のSadeはカメラワークも最高で、しかも更に音が良い。TVの小さなスピーカーでも感じられるのだ。Sadeは不思議なグループで、活動期間が長い割に、アルバム数が少ない。少ないが、悪いアルバムが一つもない。調べると32年の活動でアルバムは6枚だ。Sadeのメッセージは残念ながら僕の英語力では聞き取れない。日本語訳の字幕力を借りるより仕方ない。The WHOの方のメッセージは「Fuck you」の言葉が頻繁に挿入されるので、こちらは聞き取る力よりも、Fuck youをあれだけ挟む言語体系の理解が必要だ(どのタイミングで挟んだら最適なのか?)。この映像は5.1chで録画されているので、アンプの修理を待つよりも、AVアンプを新調する方が手っ取り早いかな?と思ったりしている。

2月19日(木曜日)
当たりクジを引く
友人に電話すると、今日は久しぶりに調子が良いとの返事だった。僕も、かかとが痛いだけで、体が軽い。こんな日が毎日続けばよいのにと思った。気分が良いので、「ローソンでコーヒーを買って飲んだ」昼食時、メモ用紙が無くなったのでTFTの中にある100金に行き、その近くにある「美味しくない高松風のうどん屋さんで、油っこいナスと野菜のかき揚げのうどん」を頂いた。ほんとまずいし高い。今では高松が懐かしい。椅子もない立ち食いだったので、事務所に帰り休憩した。喉が渇いたので、「買い置きの水を飲んだ」水は2リットルで、もう5日位経過している。午後3時、喉が渇いたので、「コーラー」を買って飲んだ。そして、午後6時、作業終了時から、吐き気を催してきた。それを何とかこらえて自宅に帰り着くや否や、今度は激痛の腹痛。先に掲載したものの中に、一つだけ当たりくじが混じっていた。コーラーは意外と古いのが混ざることもあり、インドで大腹痛を起こした経験もあったのでご用心だ。近年国内の活動ばかりだったので、久しぶりに傷んだ腹をさすっている。その後は空腹になったが、ぐっと我慢して何も口に入れず寝た。

2月18日(水曜日)
寒かった
朝起きた時の気温が7度。室温が外気と同じ家には住みたくないと、以前友人が言っていた。今日来たお客さんも、雨が降るし寒いし、行こうかどうしようか迷ったと言っていた。話をすると僕と同じ年齢だった。オーディオ歴は同様に中学生の時からで、話がぴったりと符合する。1時間の時間が瞬く間に過ぎていった。あったこともない人なのに、商品を通じてたくさんの接点があった。そして、これからアスレチックジムに行くと言う。それも一緒だ。彼は、体を鍛えているから、先日も焼酎を750mlを一人で空けたと言われたが、それは違うのでは?と否定したが、本人さんはいたって上機嫌だった。今日は無理してきて良かったと喜んでくれた。現役の人らしく、仕事で日本を飛び歩いていると言われた。久しぶりにエネルギッシュな人と会い力を貰ったような気がする。その夜、雪になりそうな小雨の降る中、自転車でプールに出かけた。メインプールが使えると言うので、そちらで泳いだ。このプールは水温が低く、入るのに相当な勇気を必要とする。150m全力で泳ぎ何とか水温になれる感じだ。この勇気は年齢と共になくなるのではないかと思う。昼飯に栄養のないものを食ったから、夕食はご飯屋さんで頂いた。630円。僕の手料理と比べると価格対応力が違う。帰って熱い風呂。やっと暖かさを取り戻した。

2月17日(火曜日)
今日はゆっくりだ
不覚にも午前8時まで寝てしまった。重い荷物を下ろしたような開放感があった。こんな感じは久しぶりだ。東京で「世界のらん展」が今週末までの予定で開催されている。楽しみにしてたが、この開放感に何かを詰め込む行動が起こせなかった。今までは、即行動だったんだが、これが年齢を取ると言うことでしょうね。それで、今日は一日本を読むことにした。溜めこんだニュヨークタイムズの記事や、オーディオ誌や、小説アリス・イン・ワンダーランドなど、読みくさしの本や記事を片っ端から読んでいった。音楽を聴くことと、映画を見ることと、本を読むことは時間と1対1の作業で短縮ができない。それだけに、この時間は豊かになれると言うことだろう。今月はこの2日だけが連休で、後は仕事に食われてしまう。溜めこんだことに関して、もう一つ溜めこんだものがある。それは、買うべきCDリストだ。ショウルームでお客さんの持ってくる自慢のCDを逐一控えているが、どれもこれも素晴らしいものばかりだ。それを、少しづつ買い足しているが、買う速度が溜める速度よりも遅くて、リストがドンドンとたまるばかりだ。候補曲はもう一度YouTubeでチェックして買おうなどと、自分に言い訳してずるずると後に伸ばしている。この仕事に就くまでは、もうこの世の中には素晴らしい音楽なんてない。なぜなら出尽くしたからだと思っていたが、存外そんなものではないことが分かった。ちなみにYouTubeはVIERAで見てチェックする。PCよりも画質が良い。Panasonicの技術陣の仕業だ。

2月16日(月曜日)
アクセル全開
休みの日。かと言ってもゆっくりはできず、掃除洗濯、クリーニング。そのあとに病院で最後の心臓チェック。足の動脈硬化のチェックだ。前回貰ったニトログリセリンを舐めた結果も伝えた。確かに効いたのだ。しかし、慌ただしい朝に舐めたので、痛みが直ぐに収まる経験からして、薬の効果が限定的との事を伝えた。先生は薬が効くのはおかしい。との見解。血管が詰まってない以上痛みはあり得ないというのだ。取り敢えず、今回の検査では問題と指摘される部分は発見されず、当面は様子を見ましょうとなった。「万歳」記念に何を買おうかな?先ずはプールだ。病院は高根木戸にあり、近くには新習志野の「船橋総合体育館」がある。ここで泳ぐ。このプールの水温は幾分高く、気持ちを引き締めなくても、飛び込むことができる。ここで2km。まぁアクセル全開ですね。帰り道BDディスクを10枚購入。SeeQVaultの規格が固まった。この規格により、HDDに映像データーを貯め込むことができる様になる。つまり、BDに撮りためた映像をHDDに戻すと、タブレットの端末操作で、どの機器からでも映像を楽しめる。今はハイレゾの音楽信号がこの様な操作を可能とさせているが、映像までものが可能となる。音楽は絶対に映像があった方に楽しさの軍配は上がると思う。3年後には20TB位でサーバーを構築したい。話はそれたが、それも含めて、NHKのBSとWOWOWで音楽番組をせっせと録画し、BDに残しているのだ。夕刻随分と冷え込んできた。一杯やりながら、早めの夕食を作り、大きな睡魔の訪れと共に寝てしまった。
<梅は咲いたが桜はまだだ。船橋>

2月15日(日曜日)
外国のお客様
業務で来られている外国のお客様は前持って連絡があるし、通訳もいるから助かる。それにアバウトな価格もその国の通過レートで紹介できる。しかし、通りがかりのお客様はそうは行かない。そして、訪問はどういう訳かムラがあり、集中する日は半分以上がこれに相当する。どこから来た?食べもは何が美味いか?いろいろ聞きたいことはあるし、彼らだって聞きたいことは多いはずだ。だが、まだまだ僕の語彙力では自由な会話とまでにはいかないのだ。昔、出張で行った時は、1週間ほどあるので、耳も馴染むし、言葉も出てくるが、ここはに日本だから、なかなか英語漬けとまでには行かない。朝のラジオ講座。電車の中の新聞。帰って風呂に入っている時単語カード。だがこれだけでは、僕の頭は日本語から離れられない。今日は時間が無いので少しだけと言うアメリカ人2人は、短時間と言うこともあり、問題なく対応できた。それ以上ではボロが出るのだが。その後、タイ人が来た。甘い英語はタイ人特有の話し方だ。彼には、次回予約をするようにお願いした。新聞が読めるようになったのはつい最近で、このまま行けば、会話の方は、夏頃には何とかなるのではなかろうか?と思うのである。アジアを訪問していた時も、今も、同じ現実があるのは、その国の経済や文化程度に関係なく、AVとカメラについては、皆同じようなことに関心があり、似たような質問をするから、何とかなると思うのだ。その次は雑談への挑戦だ。

2月14日(土曜日)
団塊の世代とROCK
今日のお客様から強い指摘を頂いたのは、この部屋を利用されるような、おじさんのためにROCKが準備できているか?という事。あいにくと「ビートルズ」、「ローリングストーンズ」に「クイーン」しかありません。絶対にギターは必要だよ。Exactly!それで早速その晩、TSUTAYAの門をくぐった。取り敢えず、Eagles/hell freezes,Donald Fagen/nightly,Deep Purple/machin head,ToTo,aerosmith/draw the line,Bob Dylan/desire,おじさんの年齢には切っても切り離せない音楽ばかり。他にも候補はあったが、なかなか探せなかった。早速PCにセットするも、問題が。盗難防止の大きなバーコードを貼り付けてあり、これが重量バランスを壊し、高速でピックアップできないのだ。軸がぶれると音も良くない。再びTSUTAYA。そのバーコード外してよろしい。えぇ本当かよ!じゃ何で付けるのだ?兎に角問題は一個づつ解決だ。1970-80年代のROCKは体型的に集めてなかったので、これを機会に整理しようと思う。そしてうまい具合にいいサイトが見つかった。毎日音楽に触れているので、音楽知識の上でもかけたパズルが埋まるような気がする。僕の頭には壮大な音楽地図が出来上がる筈だが、この仕事を外れると忘れないか心配である。

2月13日(金曜日)
自炊
昔、40年前の事。僕が上京してからの父や母は、農協の人や、園芸組合のメンバー、農機具のセールスマンなどを自宅に招き、頻繁に宴会を行っていた。父の弟の家は今でも村の居酒屋と言われるほど若い連中がやって来て酒を飲んでいるが、その走りを我が家で行っていた。材料の野菜が自宅にあるから、肉や魚を買えば事足りる。それがあるため母は料理の腕を上げた。父の弟の奥さんも同様に料理が美味い。まぁそんなこんなで、昔から、私の高知の環境は酒飲みには最高の料理が供される状況だった。年に数回帰省するので、料理の味は舌に残った。私は料理などしたこともなかったが、2年前、高知に帰り両親の食事の賄いをするようになって、環境が育ててくれた料理の才覚が花開いた。それで、こちらにやってきても、ほとんど自炊だ。近所にはご飯屋さんが3軒もある。「大江戸」さんのように、かなり上級のご飯屋さんもある。そして、そちらが安い。にも拘らず、私は自炊をする。15分もあれば出来上がるし、何より野菜が多くて美味いのだ。それに味が濃くない。ご飯屋さんで他人の食べるのを見ていると、結構味が付いているのにお醤油やソースやドレッシングを大量にかけている。あれが信じられない。まぁ人のことはほっといて、自分のこと。動脈瘤や、脳溢血などで倒れるのは、自分の人生設計が崩れる。だから塩分は何があっても控えている。塩分が少ないとおいしくないが、一日15,000歩けば、空腹で、料理の味が薄くても十分美味しい。それに料理の腕がとても良いときているから、自炊に優先権が生まれるのだ。料理の献立に困る時は、NHKの今日の料理か、スーパーで旬の野菜名と魚か、肉の名前で検索をかけると、いろんな料理がヒットする。その中で一番おいしそうな写真の料理に挑戦するのだ。大体において、写真のようにできる。この問題は美味くて食べすぎることだ。
<左:NHK今日の料理より、右:自炊料理>

2月12日(木曜日)
ユニゾンとJPOPS
もう木曜日だ。水曜日が初日だと随分と月日が早く過ぎて行くようだ。これが私にとって正常な休日の姿だが、3月からはまた、週6日稼働に戻る。今日は世界のコンサートホールを網羅したお客様がご夫婦でこられた。CESにも行くらしい。ベルリンフィルの会場の音質のことを言われ出したら、反応のしようがない。この仕事を終えるとベルリンとウィーンは行くつもりだが今は我慢だ。アムステルダムにもいいホールがある。このお客さん曰く、ベルリンフィルの醸し出す低音はドンとでる。激しく低く。その音を目指して「ウィルソン・オーディオ」のスピーカーを買ったと言われる。その気持ち分かるぞ。パワーアンプは「ダンダグスティーノ」がいいのではないですか?と薦めたが、気に入らないとのことだった。そこで、やおらテクニクスに注目された訳だ。なるほど、その気持ちも分かるぞ。「MAGICO」と「ウイルソンオーディオ」のスピーカーが今のところ世界の頂点にあると思う。これらとテクニクスは直接の比較試聴の経験がないので、何とも言いようがない。雑誌の発売を待つしかないのだ。関係ないが、「ユニゾン」と「ハーモニー理論」があると記事を読んだ。日本人の音楽文化はユニゾンだった。同じ歌詞を同じ音程で歌う。一方西洋音楽はバッハが開発して以降、教会音楽を中心にハーモニーが中心だ。この歴史の差は当然スピーカー設計にも現れてくる。と先ほどの理論に僕は結びつけた。日本のスピーカーがことごく海外のスピーカーに駆逐されたのはこうした背景もあるかもしれない。ひるがえって、最近の若い人はJPOPS志向。ビジネスの世界でも海外に行きたがないとか。人事の課題はさて置いて音のこととなると、日本のスピーカーはJPOPSに最適ではなかろうかと思うのである。ユニゾン向きなのですね。


2月11日(水曜日)
まずは普通の週明けの出勤日
朝、目が覚めると6時だった。普段は4時半ごろに目が覚めるので、随分と寝過ごした。昨日は格別な運動はないが、家事で疲れたのだろう。今朝も深々と冷え込んでいた。だが、出勤時の太陽はとても強く、寒い冬もこれで終わりだろう。今日は先の震災でスピーカーが倒れ、ボロンのスコーカーとツイターをダメにしたお客様の復活方法について相談に乗った。スピーカーはダイヤトーンDS20000。とても高価な商品で手放せないと言われた。その気持ち分かるぞ。ウーハーは生きているようなので、小型スピーカーを中高域に使い、マルチチャンネルで駆動する方法を提案した。私も且つてSB-MX200D+M10でこれを試したことがあるので問題ないと思う。いまでは、ボロンのスピーカーを作るところがないそうだ。マグネシュームはフォステックスにあるが。DS20000はスピーカーの塗装がとても綺麗な仕上げだ。家具としての値打ちもあるだろうから、活用されることを期待している。WebでTechnicsがヒットし始めて、試聴室はフル稼働だ。今日はプールの日。仕事を終えると一目散に新習志野へ。少し水温が低めだが、競泳用のメインプールより、一般客向けのサブプールは水温が少し高い。何時もの通り1km。盛大に水を飛ばして元気良く泳ぐ人がいる。若いのはいい、無茶な泳ぎが出来るから。おじさんはいかに水音を立てず、エネルギーを使わないか常に気を配った泳ぎしかできない。ピッタリと後ろをついて来るおばさんがいたので、ピッチをあげた。少し心臓が暴れ出した、もう少し離してピッチを下げよう。それにターンで差がつくからと思いきや、離せない。このスピードでは大概リード出来るのだが、結局最後まで行ってしまった。プールから上がる時に顔を見たら、まだ30歳前の女性だった。離せないわけだ。帰りはヨーカ堂で買い物をして、レストランで夕食をと考えていたが、結局材料を買って自分で作った。普通なら、楽な外食に傾くが、普通人でない私は自炊に傾く。

2月10日(火曜日)
マイケルブレッカー
昨晩寝る前に、録画してあったDVDで、マイケルブレッカー2004年ブルーノートライブを見た。ポータブルDVDプレーヤーDVD-LS90。画素は粗く色乗りは悪いが、音はそれなりに再生されるので、酔っ払った後、机の上で再生するにはピッタリだ。マイケルの演奏は始めチョロチョロ、中パッパッパ。とナショナル炊飯器の宣伝文句のようだ。演奏の核心触れるのは中盤以降だ。だからイントロで曲の判断してはいけない。中盤のノリのある演奏はMJQのルー・ソロフ並。昨夜は全部見きれなかったので、今朝は途中から30分だけ浸る。午前9時が来た。石油を購入、切手を購入、ホームセンターのコーナンで日用雑貨。カッパ市で、今日の昼飯のホウボウと里芋を買った。〆て450円。東京では信じられない価格。洗濯物を取り込みプールへ向うが相肉と休日。引き返し、風呂の清掃と、釜の掃除。これで時間切れ。友人に頼んで、空港まで送ってもらう。空港での待ち時間が多いが、友人の仕事の隙間を頼むのでこの時間しかない。午後3時45分の飛行で東京に向う。おっと書き忘れるところだった。夜須の友人に貰った土佐文旦。とてもとても美味い。重いが、殆どを鞄に詰めて持ち帰る。うまい理由は、土地の水はけが良い。水を与えない。塩霧がかかる。との事だ。お礼の言葉も無いほどの味だ。物凄く重い。今日の結論を書くのも忘れた。高知で暇になったら、思う存分音楽を聞きまくるぞ。と言うことだ。


2月9日(月曜日)
寒い
船橋の自宅は室内気温が7度。新記録。慌ただしく準備をして羽田空港に向かった。ところが、飛行機は30分の出発遅れ。浜松町の書店DANで、少し本を見たかったんだが、それも飛行機に遅れては、と急いだ結果がこれだ。高知は友人に迎えに来てもらい、申し訳ないと思いながらお世話になる。自宅に帰り着き雨戸を開ける。朝から太陽を取り入れておくとこの部屋は、20度近くの室温となるが、今日は冷え切ったままだ。郵便物をチェックして村役場に向かった。税金の申告だ。ここは、書類を持ち込むだけで、記入などを全部やってくれる。ホント便利だ。一部欠けた書類は後日父が持ってくることで了承してもらえる。ここで、いとこの娘に会う。姪と言うのだろうか?両親に何かあった時は彼女から僕の携帯に電話がかかってくるようになっている。東京の飛行機便の手軽さを教えてあげて、東京に来るなら部屋を貸してあげる。と日頃のお返しを伝える。帰って薪を燃やして風呂を沸かした。これで、午後4時45分。急いで先ほどの友人宅へ。5時に仕事を終えた友人と今日は高知に向う約束をしている。夜須で、もう一人の友人と合流する。彼はミカンを栽培していて、ビニール袋一杯頂いた。時価にして5,000円相当。高知市の、昔からの友人宅で今日のメンバー全員が揃う。62歳のおじさん4人だ。近くの居酒屋で新年会開催だ。今年の正月は不幸が重なり開催できなかった。外を歩くわけではないから、薄着で出かけて来たのがまずかった。この店は暖房がないのだ。しかも板敷で、下からも寒さが忍び込んでくる。お店の人に暖房をお願いするが、お客さんが増えれば暖かくなるという返事。これには参った。日本酒の熱燗を頼むが、今日に限って利かなかった。またもや昔話になった。やはり、時代は1969年。高校2年生の頃だ。あの頃は多感で、行動範囲が広く、友達の友達は皆友達的なサークルで、僕は随分と記憶が無かったが、高知市在住の友人が名前と特徴をスラスラと思い出し、僕ら3人は、そうか?と相槌をうった。そして、1970年5月、大きな事件が発覚する。森山加代子の「白い蝶のサンバ」が流れていた頃だ。これを記に僕達の幅広い活動は収束を迎える。夜須の友人はバイクに、近所の友人は東京に、高知市の友人と僕は相変わらずつるんだままだったが、その頃の話題は出なかった。ところで今日の話の続き。一体、事件の犯人は誰だ?と言うことに話題が向かった。犯人像は、僕には記憶のない人だった。今日の宴会は寒いのに良く盛り上がった。夜須の友人は車で帰る道中飲み足りないのでスナックに行く提案をしたが、電話予約できず休みと結論を下した。僕は早く寝たかったので、ホッとした。沸かしておいた風呂は熱いままだったので、やっと温まることが出来た。
<帰りの飛行機で富士山が見えた>


2月8日(日曜日)
冷暖
うかつだったが今日の雨は予想してなかった。暖かいショウルームの中から、雨の歩道を眺めていると気持ちが良くて時間を忘れてしまう。今日は、前回お友達リクエストしたお客様が再び登場。僕のHPを見て、掲載している内容が違っていると指摘があった。あれぇだ。寒くても汗が流れました。耳で聞く、うろ覚えで書きなぐる。これでは間違うはずだ。つい先日もB&Wの105をお持ちのお客様の接客を行った。どんな格好のスピーカーだろうと検索するもヒットなし。そうだよな。記憶にないもの。そこでふと聞き間違いかとおもい、805で検索しヒット。「いちとはち」を間違えたのだ。まあこんなんだから、外国の言葉はもっとミスがあるのだろうな。ところで、今日の昼食はマクドナルドに行った。雨が降っていたので遠くには行けないし、TOCが休館日なのだ。驚いたのは、マクドの経営不振が新聞を賑わしているがホントなんだと思いました。12時15分の有明駅前のマクドは行列さえもなく、5人程度が食事をしているだけだった。他のコンビニは行列があるのにも関わらずだ。ここには冷たい雨。夕食は、帰り道にあるだんらん食堂だ。ノウハウは南森町食堂にある。この3日間はおかず半額で、どんなに頑張っても500円で済ますことが可能だ。これでは自炊が高くつく。ここは、熱気でむんむんだ。


2月7日(土曜日)
元設計者
テクニクスの元設計者が現れた。旧知の中だ。まずは雑談。彼はClassAAのアンプ設計者で、オーディオマニアで耳が良い。会社のリストラで去って、いまでは小規模の会社の社長さん。税金だけで息子の年収を超えると言っておられたから、松下で稼ぐ金額の倍以上の年収があるだろう。商品説明をしろと言われたので、最高レベルの詳しい話をするが、全く躊躇なく理解される。当たり前といえば当たり前。彼はマニアを捨てていないのだ。260万円のスピーカーを買うつもりとのこと。試聴ディスクがこれまた懐かしい「亘理Special CD」なのだ。このディスク一枚あればすべてのオーディオ機器の評価が出来てしまう幕の内弁当的なCD。Cantate Domino: Oscar's Motet Choir(有名な音楽だ。オーフェリオ♪と歌い始める)は、どうやら低音が少ないとの評価。私もそう思ったが、別の機会にこれと同じ音楽を聴く機会があったがその時は包み込まれるような低音が出てきたので、この編集したCD固有の問題かもしれない。まぁ旧知の仲とのオーディオ談義は楽しくて尽きない。

2月6日(金曜日)
たかが一本のケーブルだが
今日の最後は、雑誌社の取材があった。前回に続き、取材のネタは私の口頭からとなる。チョット不思議な気もするが、まぁ知識は十分にあるし、彼らの雑誌に目を通しているので、おおよそのレベルも分かる。視点の共有もできる。という事で、今回も怯まず、臆せず臨んだ。今日は新しく届いたCDプレーヤーの試聴も行ったのだが、まず最初にえらい音が悪い指摘だ。まるで前に聞いたAACの音源のようだった。私も、後ろで聞いていて、これはまずいと思いましたね。試作品としては逃げにくい。チョットケーブルをつなぎ替えて見ましょうか?と私。それまではオヤイデ電気のPR510(15,000円)を使っていた。それをSAECのDIC4000(28,000円)に変更し、接続端子も同軸2から、同軸1に戻した。そして試聴。ハイレゾになりましたね。と評論家先生の言葉通り、音がまとまったのだ。よほど相性が悪かったのでしょう。それだけ音が変わったのだ。僅か1mの同軸ケーブルに3万円の費用投下も何だか気が引けるのだが、これがハイエンドオーディオの面白さなのだ。「オーディオアクセサリー」という名の雑誌があるが、この本には様々な部品が紹介されている。そしてそれぞれに評価があるが、本当の事なんだと思い知ったわけ。この経験はいろいろと使えそうだ。

2月5日(木曜日)
celine dion
ケベックでのコンサートが収録されて放映された。英語の歌を歌う人だからアメリカ人だと思っていた。所が、コンサートで流暢なフランス語を喋る。英語に比べフランス語は更に洗練された印象がある。知的な感じがする。この人は凄い。とwikiで調べると、何と出身はカナダのフランス系でケベック出身だとか。成る程合点が行った。ラスベガスのコンサートと比べて幾分ぶっちゃけた感じがするのは、地元だったんだ。だがバックコーラスや、演奏者はネクタイ着用だから、ある一線を越さない規律は守っているという事か。めちゃ美人でもなく、そこまで上手くはないが、この人には「華」がある。エンターテイメントには華が必要だと思う。今週は音楽番組がWOWOWで目白押しだ。TOTOもある。このグループにほれ込んだ会長さんは自分の会社の商品名に同じ名前を使った。爽やかな音のするRockバンドだ。話は戻るが、女性歌手の長い髪をまとめずに、舞台出演するケースが増えている。セリーヌディオンのこのコンサートもそうだ。これはBeyonceが始めた。特許に近いアイディアものですね。暑いのを冷ますのと、髪が前に垂れてこない、風に吹かれてスポーティ風。一石三鳥。そういえば今度のBeyonceはすごいいいCD。SB-R1では地を這うような低音が聞こえる。お客さんと一緒に聞きながら、お互いにうなった。


2月4日(水曜日)
英語の危機
一日2時間。英語の勉強にこれだけ時間をかければ、少しは進歩する。時々英字新聞の全文が全く理解できてしまう程のサエを示す時がある。まぁ、普通の頭を持っていれば、時間をかけると何とかなると言うのはホント。(僕の師匠である棚橋さんは10万時間かければその道のプロになれると言う)今日なんかは、あまりもスラスラと読めたので、新木場で下車するのを忘れてしまって乗り越してしまった。でもコレが危機に瀕しているのだ。休日が危ないのだ。第一週が帰省で両親の世話と、納税申告。二週は、心臓の検査。三週目の休みは大阪で会議。なかなか世の中上手く行きません。何とかして時間を確保し、レベルダウンは絶対に避けなければならない。風呂はもちろんのこと、トイレの壁にも単語表を貼ってある。床に就くのを22時15分と決め、15分だけ寝る前に英語版の書籍「アリス・イン・ワンダーランド」を読む。これは少しだけ進歩があり一日一頁だ。

2月3日(火曜日)
今日は調子が悪い
踵が痛くて歩けない。前々から少し痛かったが、今日ほどのことはなかった。足をぶつけるとか、何にも悪いことをしてないのにかかとが痛い。ネットで検索すれば、どうやらアキレス腱に問題があることが分かった。毎朝、毎晩足裏を両手で引っ張りアキレス腱を伸ばす運動をしていたのが悪いのかどうかは不明。とても痛く、試聴タイムもずっと腰掛けていた。こんな日に限って、予約客で一杯だ。今日のお客様は面白い事を言われた。「パナのテレビの音が悪いのに、ステレオの音が良い訳がない。」成る程、そう来たか?一般的にはそうだよな。同じ会社が作る同じ分野の商品は違うはずがない。そう思うのが一般的だろう。事業部が違うので当然音も違うとは、メーカーの言い分だ。こんな不満は、普段笑で誤魔化せるのに、今日は足が痛くて顔がゆがむ。一日8回講演。毎回いい顔ばかりしておられない。終了と同時に施錠して、逃げるように退社した。新習志野の駅前のプールで1km。体重さえかけなければ、大丈夫だから、泳ぎで運動不足を補った。30分ほどで泳ぎ切るので簡単なものだ。通常の帰宅時間と比べて1時間程度の遅延で済ませる。

2月2日(月曜日)
いろんなことがあった
まずは、週報と今月経費の清算。洗濯物のアイロンがけ。クリーニングの回収。日経新聞を読むと後藤さんの記事。英字新聞は、イスラム国の戦士の給料は2-300ドル/月とあった。彼等と戦う西側戦士の募集は1-1.500ドル/月で、彼らはイスラム国になびくと辛辣な記事。私は思うのだが、イスラム国と並ぶレベルで、世界的なリスクである、エボラ出血熱が上げられるが、この2つの組み合わせで、莫大な費用を投下せずとも、イスラム国にエボラ菌を導入すれば、彼らに対抗できるのではないかと思う。何故、西側は行動を起こさないのか?人道的行動に欠けると言うのだろうか?人質を取って脅迫し殺害をするのは人道的な事だろうか?これは、いいアイデアなのだが、そんなことを考える人はいないのだろうか。トラブルのあったJCOMからは連絡なし。JCOMは実にいい加減な会社だと思った。KDD傘下で何とか生き延びるを図ろうとしているが、社風を変えるのは大変ですね。やはり欧米式のマネジメント手法を採用しなければ、会社買収は上手く機能しないと言うのがよく分かる事例です。次に「ニュースで英会話」。これは、見続けていると、聞く力が出来てくる不思議な番組。新しい単語もここまで解説されれば身につく。ピケット氏が来日している。「21世紀の資本主義」が売れている。この本の購入を検討している。日本語訳で買うのか?原文を買うのか?今日はピケット氏の話をNHKで聞くが、フランス語なのか英語なのか判別がつかない。僕の耳では無理だった。どちらにしようか?他にも衝撃的な連絡があった。友人に相談している。月末には結論が出る。ホント休日は忙しい。


2月1日(日曜日)
命の値段
イスラム国で人質となっている後藤さんが殺害された。日本は外国に出た日本人を守ってくれないのは、昔から言われている事だから、国際社会では不思議とは見られてないだろう。それに、後藤さんだって、危険を犯して行ったわけだし、文句はないだろう。危険にはお金もついて回るのだ。それに、アジアや中東ではそんなに命に重要な価値はないようだ。道端に死体が転がるインドや、2万円程度で殺人を引き受けてくれるフィリピン。マニラだって3万円程度だった。イスラム教は、目には目をが基本だから、殺人の報復は当然のこととして殺人だ。命なんて安いものだ。マクロ視野でみれば、地球上には65億人が暮らすわけだから、棲み分けるという訳には行かなくなってきているのが実情だと思う。数が増えれば値段は安くなるのは、世の常。サンマでも取り過ぎれば安い。人間だっておんなじだ。グローバル化が始まったのはベルリンの壁崩壊時とすれば、人々が棲み分けを模索し始めてからたかだか、25年しか経過してない。まだ、人間は人智を超えた所で、平和を見出すのは難しいのかも知れない。今世紀をかけて成熟化への模索が起こるかもしれない。それに、人は殺しあっても、まだまだ増えるから、なかなか平和の実現は難しいかも知れない。それにしても不思議なのは、イスラム国は日本人を標的にすると言われるが、どうやって見分けるのでしょうか?私が4年前アジアを歩いた時でさえ、お前は中国人か?と聞かれた。あの頃と比べるともっと中国人は出かけているのだ。このことに敏感に反応する日本政府もおかしい。

1月31日(土曜日)
そこまでやるか?
今日は鹿児島からわざわざ試聴のために来られたお客様がいた。家を新築しているので、実際に購入した場合どんなイメージになるのか確認にきた。4Kのテレビはもう設置した。久しぶりに聞く鹿児島弁は懐かしかった。何処で買えば良いと聞かれたので、オーディオ専門店の馬場電機や明照堂にご相談なさっては?そんな店なんか無いよ。僕が鹿児島を担当したのは1997年位だから、もう20年程昔の事だ。成る程、時は流れるのですね。そして、次のお客様はアニメが専門のお客様。アニメと言っても今は凄くいい音楽もあるし、録音だって凄いのがあるので、一概にアニソンとは馬鹿にできない。だが、今日持ってこられた音源は、音の悪い音源が何処まで気持ちよく再生出来るか?などと言う凄い試聴のとなった。選曲も31曲目とか、普通のCDの楽曲としては異様な曲構成だ。この際だから、この若い兄ちゃんにアニソンの状況を教えてもらった。アジアへの進出は当然の事として話してくださった。試聴は全曲アニメソングばかりだった。そう言えば、マニラのSM(日本のヨーカ堂みたいな店)では、日本のアニメがDVDとなって、200円程度で販売されていた。クアランプールでも同じだったから、海賊、正規問わず進出しているのは、今も同じだろう。今は通信速度も上がったので、Youtubeに移行したかもしれない。


1月30日(金曜日)
取材
いつも読んでいるHiVi氏の取材があった。どんな音楽を聞いてどんな評価をするのか大変興味があった。演奏曲目は、HiVi誌をくまなく見ている私は、おおよその見当はついたが、不明な部分もあった。わかった所ではまず、丈青氏のピアノ。申し訳ないがこのピアノは全然面白くも何ともない。むしろ苦痛でさえある。自分ヨガリのいい演奏だろうと言うおごりが言外にある。だが、業界ではDSD音源として注目されているのだ。2.6Mhz。5.2Mhz。11.2Mhzと3つのサンプリング周波数で提供があるのだ。そして、この11.2Mhzは、他のサンプリング周波数と比べて圧倒的に音が良いのだと言う評判をHiVi誌によく投稿される和田博己氏が書いたのだ。これで一気に盛り上がった。残念ながらチップには11.2MhzのDAコンバーターはあるが、DDコンバーターはなく、テクニクスへの搭載は困難。Jacintha(ジャシンタ)は良かった。私も前のアルバムは持っている。顔が悪いのがヒットしない原因だが、歌は抜群だ。日本の白鳥恵美子だ。次にオリコンの取材があった。ここのカメラマンはしっかりしている。ストロボもAC電源仕様の本格的だ畳一畳のレフ版も用意。EOS5Dmk3と70-200 f2.8で全編通した。通常は広角も使うのだが、このカメラマンはプロだ。しかし、残念というか、今日の被写体の小川さんの服装が、緑とブルーとの中間色。モニターを拝見すれば、青の洋服を着ているのだ。この色をデジカメで出すには、シグマのカメラのFOVEONと呼ばれるセンサーしかないと思われる。キャノンではうんと頑張ってLAWデータを加工しても難しいと思うのだが。(もしかして紙面がモノクロだったりして)そして、インタビューアーもよく当社のことを調べていた。取材とはかくあるべきとの見本を教わった。ただ残念ながらこの素晴らしい人材は、オリコンと言う化石の書籍会社で埋れてしまっている。オリコンとは、レコード売り上げランキングを集計し公表する会社だ。しかし、今ではネット配信が主となり、CDの売り上げを調べたりしても何ら意味がない。しかも、私達が日常扱っているのはハイレゾ音源で、主には日本発の配信だが、1/3は海外からの購入楽曲となるのだ。


1月28日(水曜日)
たまにはいいことも
今日のお客さんは、自分で焼いたCDをプレゼントして下さった。いいお客さんだ。CDをくれないお客さんは悪いお客さんだとは言えないのだが。ネットワークオーディオを楽しんでいる人は、HDDにWAVファイルで録音しているはずだから、そこからいい音ばかりを抜粋してCDに焼くのは何の造作もないのだ。そのファイルを見て、お客さんのオーディオ度が解る。このお客さんは、JAZZの造形が物凄く深く、アーティストの活動を年代を追って記憶されている。ピータバカランにも匹敵するような方だった。私が一押しする、スティーブ・ガットも認めておられた。名古屋の人で、滅多には来られないだろうが、もう少し話してみたい人だ。もう一組は、ナショナルの販売店がお客さんを連れてきた。昔のショウルームで経験した事と全く同じシーンだ。店主の発言に沿った内容で商品を紹介する。始めてのコラボだが息のあった説明となり、購入決定だ。ショウルームに感謝の電話が来たとのこと。これはうれしかった。もう一つ良い事があったぞ。受付の女の子がこの部屋にやって来て、要件を済ませた後一言。「インフォ(受付のこと)の女の子の間では岡村さんは評判良いよ」。そうなんだ。おじさんは、嫌われてないのだ。臭いと言われてないのだ。


1月27日(火曜日)

心臓の検査結果は、血管に詰まったようなものはなく、正常ですとのことだった。しかし、痛くなるの症状を伝えると、ニトロをくれた。痛むときこれをのめば楽になるはず。楽にならないなら、心臓の問題ではないと、面白い検査方法を教えてくれた。心臓の弁が閉じてないことについては、今は検査機器の性能が上がったので、少しの逆流も検出するのですと言う。先生も逆流している。先生曰く、臓器がそれほど正確に動くはずがないと。でも、心配なので、足の血管を検査すると言う。そして、もう一度エコー検査をすると言う。エコー検査は血の逆流を調べられるのだ。動脈の血液と、静脈の血液は、酸素の量が違うので、ある色のフィルターを通すと色で逆流を表現できると前の病院で教えてくれた。たぶん、今回もそのはずだ。話は変わるが、イスラム国の話題が浮上している。アジアでもそうだったが、先進国でもイスラム教徒は社会の低いほうの位置づけだ。だから、経済苦境となるとたちまち窮するのだ。それが、イスラム国を樹立することになり、アルカイダの躍進を許すことになる。新聞には書かないが、アジアで見てきたイスラム教徒は、勤勉で無いと言うことだ。いい表現をすれば、ものすごいエコである。地球にやさしい。砂漠で何もないところで生まれた宗教だから、エコなわけである。しかし、人との競争がグローバルで問われることになると、状況は変化した。競争に取り残されるのだ。だが、そこからの脱出に努力する人は少ない。アジアでは、同じところに中華系の人たちが住んでいるが、どうしてもその二つが比較となる。そして二者択一で中華系の人が重んじられる。たぶんこの状況はヨーロッパでも同じだろう。日経新聞しか見てないが、そんな記事を見たことがない。

1月26日(月曜日)
対応について
JCOMさんがインターネットの工事に来てくれた。工事はテキパキだが、接続ができない。電話で確認するとIDとPWを求められるが、それは必要ないと言われる。マニュアル通りに接続しても動かないので再び電話。PCの設定が違っていると言われる。それは有償で対応するとにべもない。これがJCOMの実態だ。つながらないのはユーザーの責任でと一言も書いてないが、要はそういうことだ。パソコン固有の問題と言うのだ。OSの設定方法かも知れないが、そのサポートはない。先週もKDDIがらみでトラブル。この会社は二流会社だ。対処はWindows8.1の本を読み下し、もう一冊ネット接続の本を理解すると、たぶんこの問題は解決できると思うが、それにかける時間がない。時間と言えば、貴重な休日の5時間を費やして先輩のTさんと、同じくTさんの同期でKさん。松下電器に昭和36年入社組の人たちと懇親会。本郷三丁目の中華料理店で開催。ものすごい料理が運ばれてきた。もうこの年では食えない量だ。話題は決まっていて、昔ばなしの自慢話。日ごろ職場でこの手の自慢話は聞き慣れているとはいえ、もう何度も聞いているので新鮮味が薄れている。後輩の前で訓話を垂れるのは自分への戒めにしよう。他人の自慢話を聞いても何ともうれしくないのだ。その点、うちの親父は偉い。昔の話は退屈だろうと言うのでほとんどしないのだ。話も出尽くしたので、解散した。大阪の友人にJCOMの設定方法を尋ねた。深夜にもかかわらず電話でいろいろと指示くださったが何ともならない。もうあきらめるかないのだ。NTTの対応は腹立たしいのでKDDIに変更したが、同じだった。

1月25日(日曜日)
Specialist
何と今日は自作スピーカーの兄ちゃんがやって来た。だが自作と言ってもあなどれない、市販のスピーカーのように綺麗な仕上げで、ウィルソンオーディオのスピーカーのような造形美もあり、とても自作とは思えない仕上げ(写真拝見)だったのだ。自作スピーカーの設計はアメリカのLinkwiz LABと言われる個人のものだそうだ。スピーカーの後面が開放で、音の回析についての漸減は、イコライザーで補正するとのこと。今は振幅の取れるユニットがありますので。と言われた。Facebookのアドレスを持っているとのことで、友達リクエストを送った。なんとも器用な人がいるもんだ。次にやって来たのは、テクノポップスの作曲家。YMOに代表されるコンピュータミュージックの分野。大音量で演奏した。この手の音楽は、低域もバリバリに入っていて、高域もガンガンだ。メーターは300Wのところを指したまま、楽曲が終わるまでおりて来なかった。さすが、テクニクスだ。これ程の音量でも音が明確で、それにトラブルがない。他の音源に細野晴臣とピンクフロイドを持ってきた。どれも、同じ音楽かと思った。この若者に質問した。こんな音楽を聞いてこころ休まりますか?「これがいいのだと」。その晩、初音ミクの放送を録画したのを見た。何処がいいのやらさっぱり。このコンサートはものすごい人が光る棒を持って、音楽に同調していた。多くの人が幅6mの画面に釘付けだった。ミクの衣装は、有名なデザイナーに依頼するし、ミクはゲームのポリゴンで形成するらしい。ミクの元の動きは、中森明菜とか小泉今日子をキャプチャーするとのことだ。だから、ロボット(ゲームの)のような動きはないと言うのが自慢だそうだ。その映像はぼやけていた。チケットも7300円。生身の人間と変わらんやんか。それも熱狂には関係ない。訳がわからん。訳が分からんついでに、ファイナルファンタジーを買った。PSPで演じるソフトだ。操作方法も、ストーリーも頭に入ってこない。どこが楽しいのだろう?
<この写真がlinkwitzlabによるもの>



1月24日(土曜日)
誓いを立てる
レクサスに乗りたい。それも一番いいやつに。しかし、サラリーマンをしてては、到底無理だ。世界経済は最低の状況にあるし、日本も同様だ。こんな中で、今日来たお客さんは考えたんですね。人と違ったことをすれば儲かると。まず強い円で外貨を買いました。リーマンショック時、1ドル85円程度。例えば、8500円で10ドル買ったとしましょう。安倍政権に代わり、ドルがグット上がりました。1ドル110円程度に。この時の10ドルは、11,000円になっている。差額は2,500円。税金を払っても2,000円残る。ここで株を買う。当時、日経平均株価は8,000円程度。ここで仮に日経平均株価を1株購入。今は、17,000円程度だから、差額は税金を払っても7,200円残る。つまり、この二つの組み合わせで、この人は9,200円儲かったわけだ。もちろん株は特定銘柄を選ぶ必要がある。リスクを考えて銘柄の分散をするだろう。サラリーマンで思い切って投資できる金は50歳くらいだと1,000万円くらいは可能だ。こうして、このお客さんは、家の借金を返済し、車を買い。次にオーディオを買う予定だと言われた。ソニーのハイレゾウォークマンZ2(12万円)も早速注文したとのこと。変革期には何処かにこんな人が居るとは思っていたが、やはり実在したのだ。あまり、私が聞き耳を立てるので、俺は自慢話をしに来たのではない、とうれしげに謙遜された。

1月23日(金曜日)
るーちんわーく
毎朝、ショウルームに行って、リスニングルームの鍵を開けて、床の拭き掃除を行う。商品はダスキンで拭く。それを約30分で終えて、お客さんと一緒に音楽を聞く。これって、田舎に住んでいる時の休日の過ごし方にそっくりだ。その間に両親の食事の世話が入るものの、ほぼ同じ(掃除と音楽の部分)。つまり、毎日が休日のすごしかたなのだ。それでお給料が貰えるなんて、なんて素晴らしい事でしょう。それに、ただ音楽を聴くだけでなく、オーディオ談義もできる。(世の中にはオーディオが好きな人が居なくなったので、話をするには仲間を訪ねて遠くに出かけなければならないのが今の状況だ)。その上僕には得意技がある。お客様の持っている情報を聞き出すことだ。それでちゃっかりノウハウを貯めてゆく。ノウハウと言っても、アンプとスピーカーの組み合わせの妙味とか、安価に買う方法とか。いいCDとか。音楽との付き合い方などだ。つまり、僕がこの仕事をやめて糧になる情報ばかり。おもろい話は、ここにも掲載するし、受付の女の子にも教えてあげる。いつも新鮮な話題なので彼女たちも聞き耳を立ててくれる。毎日がこの繰り返しなのだ。ルーチンワークと言ってしまえばそれまでだが、刺激がたっぷりと含まれていて、飽きないのがいい。ネクタイを絞めてなければ全く休日の気分なのだ。こんなことが許されていいのだろうか。そう言えば、2008年から部下も無くなり、自分一人で勝手に企画してアジアを歩いたのも、今でこそ言えるが、遊びでしたね。そんな意味では、遊びながらお金をもらうのは、僕の生き様かも知れない。


1月22日(木曜日)
内定者
パナソニックの内定者が試聴に来られた。新人はいいですね。すなおで。何でも真剣にハイハイと聞いてくれる。こちらも、余計熱が入ってしまうのです。帰国子女だから、Where come from? おぉー。中国とは。世相を反映しているではないか。スモッグのこと聞きたかったが時間切れでおしまい。随行の社員さんが偉いかっこよかった。と、ショウルームの女の子に伝えてあげたら、名前チェックしとこう、と。彼女たちも未来の旦那を見つけるとすれば、お客様からの当てにならない指名を待つよりか、将来が明るいPの社員を捕まえるほうが余程いいだろうな。僕が年頃の女ならそう思う。このショウルームはPの男性が極めて少ない。殆どが僕の様な派遣社員で占められている。派遣では?食指が湧きませんわな!ここには綺麗な女がわんさといる。銀座のママにしたら良い様な場違いの美人もいる。だが、滅多にいい男がこないので、イキオイ彼女たちも希望をなくしますわな。そんな覚めた目で彼女たちを見ると、死んでますわ。いくら美人でも死んだ目をした女はきれじゃないなぁ。綺麗な時は短い、はやくここから飛び出ろ!と小声で声援を送る。でも、よく考えてみたら、小田急ショウルームに務めていた40年前にも、パナレディとお茶を飲みながら同じことを話していた。「神田川」と「学生街の喫茶店」が流れていたころだ。話がそれてしまった。元にもどると、前に新人をお世話する仕事を6年間も頂き、随分と勉強させてもらった。大学を出てない私としては超一流の大学で学んできたものがなんであったのかを見つけたかった。勿論考える技術だとは分かってはいるが、他に目立つようなものはないか?それが英語だった。と僕は受け止めた。それ以降、英語にシフトし、アジアへ出かけることができたのは、新入社員のおかげだ。


1月21日(水曜日)
アラブの住人
とうとう来ました。イスラム国に日本人の人質が取られました。中東と北アフリカは無法地帯なので、彼らはやりたい放題です。身代金も莫大です。しかし、彼らとて、これを覚悟でシリアや、イラクに行ったわけで、外務省は渡航を推奨しているわけでない。自業自得ですね。もしも、イスラム国側に身代金を払うような事があれば、世界からはブーイングの嵐でしょう。なけなしの税金を彼らのために使うことは私も個人的に反対です。首都圏では、千葉県の湯川さんの事でした持ちきっりです。何時のまにか、まるでヒーローになりました。やってはいけないことをしておいて、ヒーローになるなんて、こんな事が許されてはなりません。本人たちには申し訳ないですが、責任は自分で取るべきでしょう。政府は各国のアドバイスの通り毅然とした態度で臨むべきです。また、味をしめることわざもあります。しかし、思うに、彼らの出資金は何処から出ているのでしょう。油田を押さえて、そこからの上がりで賄うとしても、この原油安の中、危ない橋を渡ってまで買う人は更に価格を叩くはずですから、儲けは出ないはずです。また、イエメンにしても、反対派が活動できる資金はどこからでしょう?結局イスラムがおかしくなったのは、中東が石油で儲けたからに他なりません。そのお金が何処とは申せませんが、回り回って、アルカイダや、イスラム国の支援となっているはずです。コーランの教育もまともに受けてない人らが、軍事費のお金を稼げるわけがないからです。しかし、もっと歴史をたどれば、これは今に始まった事でないのです。その昔、シルクロードの時代に交易の中心となった、バグダッドや、イスタンブールは、余りある富を結局イノベーションに使えず、隣国との紛争に使った訳で、イノベーションはイギリスの産業革命に持っていかれて、結局はシルクロードの富まで失った訳です。


1月20日(火曜日)
もし間違ってたらごめんなさい
と、見知らぬおじさんに声をかけられた。そして「ハーマンギガ?」と聞かれた。分からない顔をしてたので、失礼しましたと去って行った。朝の新木場駅のホームでの出来事だ。多分このおじさんは、僕が英字新聞をよんでいたので、もしかしたら、故郷の人かな?との思いで声をかけたのだろう。その故郷とは、先の言葉はGoogleでヒットしなかった。が、中央アジアの国、最後に「スタン」が付く国じゃないかと推測する。そこには日本人に顔が似ている人が住んでいるからだ。今日の新聞は中国がアメリカの戦闘機の情報をスパイしたと書かれてあったし分かりやすかったので、周りを振り向くことなく没頭してしまったのだ。この話はこれでおしまい。今日は最後に仙台からのお客様がこられた。太白区砂押南町の以前住んでいた近辺の情報を教えてくださった。震災復興の拠点となっているらしく、大きな病院と、ショッピングセンターと住宅が長町駅東に建って、以前とは全く違う風景になっているとのことだった。そして、僕が住んだ2012年は雪が多かったが、今年はまだ雪が積もったことがないと言う。厳しい仕事と、厳しい環境に気勢を吐いていたあの頃が懐かしい。しかし、間違ってもあの頃には帰りたくはない。

1月19日(月曜日)
検査
心臓の調子が良くないので、検査を受けることになった。血液の中に造影剤をいれて心臓を撮影する検査だ。機械は東芝製Vantag Titan。価格は13億円。一日8時間とすれば、最大で16名。検査料金は7830円だから、3割負担として実費は26,100円。つまり、一日最大で417,000円の収入。病院の稼働日はおおよそ300日なので、収支トントンにするにはフル稼働で10年を要する。これでは、ペイしないので、7-8年のリースとして、半額で売却出来る時期に新規に入れ替えるのが経営でしょうね。検査の方法は、先ずは、マスクをされ、酸素が流れてくる。鼓動を遅くさせる液を注入。息を止めると55回位に落ちた。戻すと60回。その後、血液の中に造影剤が注入される。頭からお尻まで熱くなると言われたが、成る程その通り。それにもう酸素は止まったまま。MRIだが、レントゲン波も出ているでしょうね。先生たちはこの部屋から退出したから。まぁ40分で検査は終えた。ふらつくこともなく、自転車で帰った。病院は新京成線沿いで、駅に隣接するスーパーは、結構魚が多い。次の駅近くにあるスーパーも同様だったので、この沿線は魚好きの人が多いのかもしれない。銚子沖で獲れたサバが今日のメインだった。スーパーも、その前で営業する魚屋さんも同じだった。大きなサバの塩焼き550円を買った。付け合せの野菜に、熊本産の大トマトと地場の玉ねぎと高知の茄子。玉ねぎとナスは唐揚げにしてポン酢。トマトは、鯖の身をサンドイッチの様に包んだ。検査結果が分かったわけじゃないが、気分が晴れた。水分を多く取るように指示があったので、夕食に水500ml。食後の散歩時にコーラー500ml。これだけ飲めば、夜中のトイレが大変なのだが。



1月18日(日曜日)
どうにもならない
病院の診察券が、財布に一杯になった。名刺入れにも分散している。おじさんは、病気と親類関係にある程親しくなっている。同じように増えたのが、PWとID(パスワードとアイディ)何でもかんでもこれで固められている。その他に親しい友人や、小学校の先生や、ペットの名前など、登録させられる。昔の言い方をすれば、尻の毛まで抜かれる。英語の勉強を頑張っているが、よく使う電子辞書が調子を崩してきた。まぁ新たな4万円の投資も有りかな!そんな矢先に、待てよ、電子辞書よりも大きな画面の携帯電話があるぞ。この中に電子辞書をインストールしてはどうかな?それはいい考えだ。料金も2,900円だ。早速アクセスするも、先程のID以外の質問があり答えれない。結局Appleのサポートに電話するも、物凄くややこしい話で、随分と時間がかかった。それはこちらにも問題がある。メールアドレスの登録をプロバイダーのハイホーに設定してあるのだ。ところが、このアドレスは、エロい勧誘ばかりのメールが飛び込むので、PCのメールソフトには未設定なのだ。ところが、色々な設定変更の情報はこの見えないメールアドレスに届くから、何とも進みようがない状態に陥ってしまった。1時間程を要してやっと繋がった。もう忘れないようにノートにメモをして、クラウドにも登録した。だが今は良いが、その次の問題が発生する。1年後位に、このような窮地に陥った時、一体何処に保管したのだろう?と探し回らなければならないことだ。対処の方法は、大きく壁に貼っておく事しかない。田舎の両親に、この4日ばかり電話が通じない。ヘルパーさんが毎日来てくれているし、看護師さんが更にくる。何か在れば連絡がくるはずだ。でも、心配。親類のおじさんに電話して確かめて貰ったところ、受話器が反対になって置かれていた、との事。もうなにもかもが、老人モードに移行している。


1月17日(土曜日)
オーディオセミナー
何も情報がなく、スケジュールも不明のままだが、ここで評論家先生を招いて、視聴会が今日突然開催された。ちょっとおかしなことだが、What do I ?。これを評論家先生と打ち合わせした。本来ならクライアントから指示が出るべき内容だが。まぁいい。事がうまく運べば問題ないのだ。Y先生は今回も沢山の知らない楽曲をお持ちくださった。それにコメントをつけて、お客様にお話くださる。一字一句仔細もらさず聞きいる。理解できる分野だから、頭にすぅ〜と入って行く。2回目は僕でもできるぜ。だが、さすが先生だ。2回目は別の音楽をセットする。でも僕のレパートリーは溜まる一方だ。4回の視聴タイム終えた時には20曲あまり。そしてそれは、ここのNASに記録されているので、後から試聴も、抜くことも可能だ。先生の話には欧州のコンサートホールの話題が多い。僕はヨーロッパでの経験がないから、コンサートホール名や、その位置関係がイメージできない。だが、朧げなに分かってきたのは、ベルリンのロイヤルシンフォニーホールが世界で一番素晴らしいことだ。又、ドイツ人はコンサート中は相当真面目に音楽を聞くらしい。それで、たま〜に、何年か一度に名演が生まれるそうだ。聴く人が居るから、演奏者も頑張る。そんな良い循環だ。こうしてオーディオを愉しむいい話が無料で聞ける。1976年の録音のJAZZもハイレゾで紹介された。オクタビアレコード。昔の録音でもいいマスターテープは、ハイレゾの器一杯になる程の能力を秘めているとのこと。また、この音源は聞く客も演奏者に対してそれなりの反応で(手拍子とか)、相当客もレベルが高いのだ。これが歴史のフィルターでしょうと紹介。ふむふむ共感できるぞ。人を引き込む話題はこう言うものか?それで聞いてみた。先生は楽曲を買うのに失敗しないですか?「一杯ある」。好きなことをしてお金を稼げるのはいいですね。「みんなからそう言われる」との事でした。わかるぞ!


1月16日(金曜日)
やってはいけなこと
朝はJCOMに兄ちゃんが来てインターネット回線の手続き。ついでにiPhoneのメール設定方法を教えてもらった。スマートバリュの申請をしてくださいと言われたので、KDDIに電話をすれば、それは工事の後だといわれる。「それはないぜ」担当者は菅原さんだ。「じゃJCOMさんが間違っていたと私があの兄ちゃんに電話をするの?、それはおたくの問題でしょうが。きちんと明確な返事をください」と言うと「それは自分たちの仕事ではない」と言う。唖然としましたね。今時こんな仕事をする担当者がいるとは。「上司を出せ」きちんと結末をつけろと叫びました。その後は、サポートセンターのベテランから何度も電話。菅原の対応が悪いとお詫びも含まれていた。大量に人を採用をすると菅原さんのような人がどうしても含まれる。面談では見抜けないのだ。身なりも、振る舞いもスマートだから。しかし、気分的なぶれが大きく、それが態度や言葉に出てくる人材だ。上司は彼を諭す。だが、諭しきれないのは、この事例の場合、次のような接客をしろとノウハウを伝えようとするからだ。だが、この場合はノウハウじゃない。「哲学、生き方の問題だ」。そこにメスが入らない限り、菅原さんは何度でも違う場面で同じ様な間違いを起こす。もぐらたたきですね。そうして、烙印を押される。「失脚」だ。菅原さんは失意の底でまた新たな仕事に就こうとするが、今よりも収入は落ちる。そして同じような人間関係の間違いを犯す。本人はテクニックで覚えようとするので、違う場面で失敗をする。そして社会の下へ下へと落ちてゆく。そんな人を何人も見てきた。気分直しにプールへ出かけた。プールは心臓が痛くなった原因のスポーツだが、今日は調子も良いので行った。少し調子は崩したが、気分良く泳げた。1km。19日精密検査をするので、この結果を見て本格的な取り組みについて判断しよう。

1月15日(木曜日)
女友達
幅広い友人関係を築き、40年前、初めて仕事らしい仕事をした高松時代の友人もいるのに、女の友人はこの2名しかいない。今日はその二人とも新橋で懇親だ。職場のある有明から新橋まではユリカモメがある。他の路線もあるが、結局乗り換えをしない方が早いのでこれで向かった。雨も小ぶりとなり問題はなかった。ところがレインボーブリッジの上で電車が突然止まった。集合時間には完璧に間に合わない。メールを打つと、電車はドアの故障で停止していると情報が帰ってきた。しばし遅れて、新橋に到着。雨と霰になっていた。傘を持たない私は近くまで行ったが、店がわからない。電話で聞くにも電話番号がわからない。冷たい雨と霰の降る中、メールの返事を待って立ち尽くした。やっと再開できたのは5分後。一気に熱燗で行きたかったが、お嬢さんたちはワイン派だから、ビールで始めた。普段外で酒を飲まないから、少しセーブ気味に。一人は派遣で職場を変わり、年収が落ちたと嘆いていた。にもかかわらず歯の矯正を行ったとのことで、昔から美人だったのに、もう一段とギアが上がった。私も今では分かるが、派遣は仕事分野の範疇が明確で、職場の理解が少ないとモチベーションが上がらない。という事で、新職場ではギアが噛み合わず、少しさみしそうだった。もう一人の姉御は、ゆったりと過ごすのが信条で、慌てず無理しないと会話の端々にこれが顔を出す。ブレーキを踏まなければならなくなった私は、この生き方もありかなと思う。時が瞬く間に過ぎてワイン一本が空に。姉御は酒に強い。毎晩晩酌で鍛えているからだ。温和だけど過激派だ。美人は奔放な様で慎重派だ。


1月14日(水曜日)
NSX
アメリカのモーターショウでホンダがスポーツカーを発表した。3500ccターボチャージャー。3モーターのHB。1800万円。今日は、この車に最も近いホンダのお客様がやってきた。車も好き、オーディオも好き。詳しくは聞かなかったが、多分カメラも好きじゃないかと推測する。燃費の話になったが、そちらはあまり考慮がなく、結構食うのでは?と言う。HBなら良く走って、経済的を実現してもらいたい所だが、今のアメリカ市場はそんな風潮がないので、HBも走りに加担したのだろうと思われる。フォードモータは燃費を稼ぐのにアルミを多用する。おかげで、当方のアンプに使うアルミパネルが高騰して、高価な価格にはフォードモータの影響が多いにありなのだ。NSXのようにカーボンファイバーを使ってくれると、うまく回ったのだが。それはさておき、今朝出勤時に、ランボルギーニが千葉の郊外を爆音と共に駆け抜けて行った。確かに車高が低くクイックな車線変更でも安定した走りが見えた。あのアクセル人踏みで、僕の部屋の暖房1日分使うだろうな。貧乏人の私はスポーツカーのコンセプトが描けない人間になってしまった。フルタイム4駆、ミッドシップエンジンのホンダアクティーで十分満足してたから、見る目がなくなったかもしれない。

1月13日(火曜日)
かつてのJBLのゆくはては
このショウルームでテクニクスを興味を持って聞かれる方は、オーディオマニアだ。それで、こちらも一応お客様の自慢の持ち物を伺うようにしている。それがわかると話をしやすいのだ。スピーカーと言えばJBL。僕はこれが一番多いかと思っていたが、あにはからんB&Wが一番だ。インフィニティが2番。だが結構ばらけている。JAZZと言えばJBLとは行かなくなった。元気のあるのはヨーロッパのスピーカーだ。小さな工房で、デザインを磨き、木の箱に入れれば、一丁出来上がりだ。飲食店並みに粗利を加味して、各国の代理店に十分なマージンを上げれば商売ができる。粗っぽい書き方だが間違ってない。そして大会社のスピーカもこれらと比べ遜色のない音を出しているから、商売ベースで負けてしまうのだ。そして昔のスピーカーでも十分な音を醸し出すことができるから、競争はさらにややこしさを増す。群雄割拠だ。大会社は豊富な人材と資金を投じて、イノベーションを起こす必要がある。自作のスピーカーでも堂々と胸はれる分野は、工業製品としておかしいのだ。まぁそんな業界話は置いて、JAZZに元気がないのも寂しさを感じる。田舎には、マイルスのLPが仰山あるが、JAZZはマイルスで進化を止めた。後は開発され尽くした手法の組み合わせで彩りを添える。この路線を外せば前衛的になり、ぐっと客足は遠のく。そこで、人間的な魅力で勝負するには、美顔を持った女の登場しか方法がない。という事で、何とかこちらは美人で持ちこたえている。スピーカーにはこれが無い。


1月12日(月曜日)
美人のねぇちゃん
不謹慎だが、フランスでテロを起こし逃亡をしているHayat Boumeddieneはすごく美人だ。ジャパンタイムス紙に大きく掲載されたからびっくりした。これほどの美貌なら、テロに身をやつさなくても、もっと面白い人生を歩むことができただろうに。もったいない。それにしても、いつから、イスラムの国々はおかしくなったのだろう?僕は3案あると思う。ことの始まりは、アフガンにソ連が侵攻して、アメリカが支援した。ソ連が撤退したあとはアメリカも撤退した。疲弊したアフガニスタン人は、西欧の富を妬むようになった。これが1案。次に、イランのホメイニ氏が革命を起こし、アメリカ大使館籠城を行った時、アメリは汚い手でアラブの人たちを翻弄した。これが第2案。最後に、アラブの石油目当てに西欧諸国がデタラメなビジネス案件を持ち込んだ。莫大な富が転がり込んだが、それでも国民は西欧諸国よりは貧しい生活を強いられた。その妬み。これが第3案。イスラムは砂漠で生活した民族だからお互いに助け合うのが彼らの流儀だった。基本は穏健なのだ。なんでこうなったのだ。話は変わるが、アラブの「Yes」(OK)は首を横に振るのだが、インドも同じだった。中東とインドは交易も含めて人種や習慣が混じっている。半数以上がトイレのない生活をしているインドは曲がりなりにも平和だ。インドの北の方の人と、アラブ人見た感じもよく似ている。宗教の違いはあるが、元は同じ民族なのだ。どこで、彼ら(アラブ)は道を間違えたのだろう。

1月11日(日曜日)
都会と田舎
私の勤めるショウルールは防音室でオーディオを聴かす設計になっている。その部屋の入口には、分厚い扉があるが、15cm平方のガラス窓が付いている。僕が安全かどうかガードマンが確認するための窓ですね。この窓に太陽が当たり、光が午後3時50分になると差し込んでくる。それが、ちょうどスピーカーのSB-C700にピッタリと当たるのだ。それを毎日スケッチして、太陽の動きを観察しているが、12月の冬至の頃にはこのスピーカーの上辺に当たっていた光が、もう下辺になっている。20日間で20cmほど動いたわけだ。もう来週一杯で太陽は、このスピーカーに当たらなくなるだろう。寒さに変化のないような毎日だが、春がそこまできているのが分かる。12月にはよくない聞こえてたメジロの鳴き声も聞こえなくなった。高知では山に入ると春の匂いが溢れているのも今頃だ。昼飯に久しぶりにカキフライ定食を食べた。香川県や愛媛県で食べた大きな牡蠣ではなく、小さな匂いのキツイ牡蠣だった。東京には全国から美味しいものが集まってくるはずだけど、この空気の中で味がスポイルされてしまうかも知れない。
<近所の神社のお祭り。iPhon6で撮影、やはり暗いところは苦手>

1月10日(土曜日)
絵画の話
今日のお客様は、絵もそろそろ飽きてきたので、オーディオでも始めるか!そんな方だった。その絵画の話を少し伺った。オークションで落とすらしい。銀座で買うよりか幾分やすい。との事だったが、オークションの最初の価格を見てびっくりだ。だいたいが、50万円〜なのだ。150万円もあった。最低価格がこれだから、推して知るべし。人気があると価格が上がるんだよと。それに比べたら、500万円はやすいものだ。そんな絵が自宅に12畳の倉庫に2段で埋まっているという。そんなら、勿体ぶらず買ってよ。と言ったら。「少々決断が要りますね」との事だった。金持ちはケチだ。ついでに絵の鑑賞をお伺いした。絵は、見る時間によって色と、奥行きが違ってくる。もちろん、こちらの心理状態によっても変化する。特に赤色は変化が激しいと言われた。なるほど、僕の生活の中に、これだけは存在しなかった。絵画の購入は無理だから、自分で描いたモノを鑑賞するしかない。器用な私だから、一枚ぐらいは傑作がかけるかもしれないと思っている。自己流の名画を描く手法はもう開発済みだ。この楽しみは先に取っておこう。

1月9日(金曜日)
まぁ、なんとか、やっていけそう
昨年末から、急に心臓が痛み出した。痛みが収まると、心臓が妙な雑音を出すようになった。この繰り返しだ。気味が悪い。このままでは、耐えられそうにもない。とにかく安静にすることだと決意したのは、12月も終わりに近い25日。この週は1日置きにプールに行っていたのだ。プールに行けば体は軽くなり気持ちが良い。しかし、心臓は妙な挙動をする。それを強行したのが悪かったのでしょう。父がいつも言っていた。もう若くはないから、無理したらいかん。と。それがやっと身に染みたわけだ。しかしもう遅い、取り返しのつかないようになっているのでは?と思った。お正月も調子は変わらず、はっきり言って、朝起きると「生きているわ」と感謝した次第だ。芸西村ではプールも再開したが、怖くて行けなかった。1月5日。こちらに帰ってきた。早く病院に行こう。しかし、この頃から調子が良くなってきた。そして今日は病院で見てもらった。紹介状が無かったが、前の病院からFAXで取り寄せてもらい、状況を先生に伝えることができた。ずいぶんと待って、検査にも時間を要したが、結果は多分問題ないだろう。という事だった。次回造影剤を使ってさらに検査する。それで、先生に聞いた。水泳は構わんでしょうか?OKとの事だった。先生から、どんな時に調子が悪くなるの?と聞かれ、水泳の後と答え、今はどうしている?との質問にやめていると伝えると、「もったいない」と言われた。真意は不明だがこの先生は水泳の支持者だろうか?気が楽になったので、記念に、Auショップに立ち寄り、非常に親切な店長の対応で携帯電話を変えた。携帯電話ショップで始めて親切な人に出会った。SoftBankに切り替えの電話をいれると、30,000円のクーポンをくれた。ショップでは対応してない作戦だと言う。だが、僕はこの親切に一票入れた。SoftBankのやり方もすべて教えてあげた。新年心機一転頑張れそうだ。


1月8日(木曜日)
寒いのは嫌
寝ている時に肩口が冷たく、電気毛布のメモリを一つ上げた。小さい頃は湯たんぽ。成長してからは、電気毛布。岐阜時代は、電気毛布を上下でサンドイッチしてた。流石にこれは効いた。寒いのに弱い私は2009年〜2011年まで毎年、1月と2月はアジアへの出張を熱心に企画したが、これは僕にとって生涯最高の企画だった。2月のアジアは猛暑なのだ。それで、この仕事を終えた暁には、マレーシアに移住しようと考えていた。ところが、マレーシア行きは暗雲が立ち込めている。航空機事故だ。昨年は3機が墜落した。洪水の被害も深刻だ。洪水は人災的な要素が強いと何かで読んだ。同感だ。前の話になるが、クアラルンプール空港に着陸する手前は、大きなジャングルを切り開いて、ゴム園かヤシ園に開拓していた。飛行機で数分間見えたから、広大な面積だ。そこが水を吸わず流れ出すと、そりゃ洪水にもなるわな。というのが僕の感想だ。今ではもっとそれが進んだとある。つまり、僕の計画が頓挫しそうな気配である。それとも少々危険だけど、知人の多いフィリピン行きかなぁ。それともスリランカの大統領選挙で知日派のシリセナ氏が当選したので、ここでも良い。ここだとインドへのアクセスも良い。インドは住みたくはないが、何度も訪ねたい所。中央から下半分が行きたい所。インドも北は寒い。とにかく、避寒は定年後の重要なテーマなのだ。

1月7日(水曜日)
AKB48とFull HD考察について
AKB48。他にもこれに似たグループがあります。要は大人数で歌う人たちです。僕の時代はフォーリーブス(4人)やザ・ピーナツ(2人)だった。これら歌手グループの人数はどうやらテレビの解像力に関係があるのではないかと、いのが僕の研究テーマです。14インチのモノクロブラウン管時代は、どう頑張ってもせいぜい2名位しか表情が表現できなかった。ザ・ピーナツの時代ですね。和田弘とマヒナスターズ(6名)や鶴岡雅義と東京ロマンチカ(6名)は大勢だけれど中心人物がいた。その後カラーとなり、21インチくらいにブラウン管サイズが上昇するとグループサウンズ(これとて、6名以下)が登場した。ブラウン管は2000年まで続くが、歌手の人数は精々5〜8名までだった。つまり解像力が映る人数制限をしてたんですね。そして、2005年には42型、2008年には50型が主力となりいよいよ地デジもハイビジョンが見えてきた。2Kは、多くの人たちを映しても顔が鮮明だ。だからAKB48はFull HDテレビが生んだ申し子なのだ。そして今年は4K元年。来年は4Kテレビももう少し普及するだろう。この事から、もうすぐもっと多くのグループが生まれるかもしれない。「48」の次は、当然「96」ですね。これは2進法の数字の成長なのだ。オリンピックの開催される2020年には「128」か「192」か?この冠ぶせたグループが登場するのは必然だ。これって、High Resolution Audioの世界で先行している数字と一致しません?。果たして僕の研究成果はどう言う結末を迎えるのだろう。誰か賭けませんか?

1月6日(火曜日)
一番むつかしい商品説明
今日の午後は初めて難題に取り組んだ。お母さん2名と娘2名。娘は小学5年生位だ。彼女たちにHigh-Resolution Audioを教えて、NASを紹介して、iPadコントロールの使用概念を話すのは、外国のお客様に英語で商品紹介するよりも難解だ。大汗をかいた。テンポよく話さないと、しらけるので、最高のパフォーマンスを演じなければならないのだ。そして質問。「何で歌手の声が真ん中から聞こえるの」。それは素晴らしいステレオだから。では、答えにならない。算数の勉強を復讐する形で理解してもらった。db(デシベル)やbit(ビット)Hz(ヘルツ)の単語を使わないで、これらを説明するのは随分と難しいことだと思いましたね。お帰りになるとき、ドアを開けると大雨だった。僕の体も同じように汗で大雨状態だった。こんな日は、おなかが空いているから、調理も選択肢が広がる。湯豆腐が頭に浮かんだ。きっちりと出汁をとっておいしい湯豆腐を頂こう。まずは鶏がらだ。105円の冷凍物があったので、まずはこれを買い物かごに。それに、利尻昆布。春菊は高いので、セリで代用し、馬路村のポン酢は650円と高知で買うよりも100円高いので、安価な「昆布ポン酢」に等々で、一式1,500円。調理にかかると妙に出汁に茶色の灰汁が出る。おかしいなと鶏がらのパックを見れば、豚がらだった。あれぇ。なかなか思うように事は運ばないと言う一日でした。

1月5日(月曜日)
いろいろあって疲れました
役場に行って、住民税を払った。昨年から急に上がって、月に16,000円も払っている。大阪のN君が僕のゲットしたCDが欲しいと言うので、コピーした。これも郵便局で発送した。故障したSE-A100も一人で梱包し、ヤマト運輸さんで送った。余った時間で、西の能動を覆う竹藪を切り開き、トラクターが通行できる空間を作った。昼食の買い物も済ませた。丁度、その市場では、水ナスを売っていたので買った。味噌をつけて食べれば、マナで食べられるナスだ。土佐分担も買った。大きなイチゴが550円であったので買った。これは私の昼食の代わりとした。それくらい大きな量だった。友人が再び空港まで送ってあげると言う。ホント申し訳ない。僕はあげるものがなかったので、Priscilla Ahnのnatural colorsをCDに焼いてプレゼントした。カーステレオで大音量で聞くと楽しい音楽だ。夕刻の18:20に高知龍馬空港を飛び立った。羽田では予定してた滑走路が使えず、15分ばかり空港内を走り、20:00にやっと到着した。総武線は新日本橋で列車が故障して15分遅れ。船橋では、乗り換えの電車が出たばかりで15分待ち。てなことで、自宅に帰り着いたのが22:00だった。一人だけの簡単な食事を作って食べました。一人だけの食事を作るのはホント楽ですね。ひょいひょいとできてしまう。振り返れば、ずっと包丁を握っていた休暇だった。






1月4日(日曜日)
葬儀と墓参り
岡村家の先祖様の墓の掃除をして、お参りしてきた。本来なら、近所のみんなで掃除をして、夕刻は大酒を呑む予定だったが、先に書いたように、死者がでたので宴会は中止となった。それで、墓参りの後は、葬儀に出かけた。「おていちゃん」(亡くなった方の娘さん)にあうと、昨日まで元気だったので心構えができてなく大変ショックだと話していた。92才だったので、僕は大往生だと思ったが、あまりの悲嘆に、そんな慰めの言葉が愛想にならないように感じた。葬儀は火葬場に併設する開場で開催された。酔ってろれつの回らない状態で(僕じゃない)しか話した記憶のない「お寺さん」が荘厳にお経を唱えていた。こんな塞ぐ日には買い物しか気を晴らすものはないと言うことで、帰りにローソンに寄ってiTunesのプリペイドカード3,000円を買った。帰って早速アクセスすると、おもしろいのが見つかった。クッキングと科学の教養講座だ。そしてそれは0円だった。1時間50分の番組だ。難解な英語が飛び出すので少しずつ理解していこう。

1月3日(土曜日)
寒かったので
西分の団地に住んでいるS氏が亡くなったと葬儀の看板が出ていた。S氏は父に言わすと、僕の同級生らしいのだ。僕の方は、部落の同じ先祖様の仲間の一人のお母さんが亡くなったので、明日の葬儀に行くつもりなので、同級生の方は出られないなと思っていた。ところが、今朝になって、父曰く、あれはおまんの(僕のこと)同級生ではなかったと訂正。今朝早くその本人と会ったとのことだ。同じ年の人が亡くなるのは非常に心細かったので、それを聞いて安堵した。そんなことで明日はいろいろとあるが、今日は自由に使える日だ。新聞を読んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、太陽を浴びて昼寝したりと、まったりと一日を過ごした。寒い一日だったが強い太陽のおかげで室温は20度。暖房は不要だった。高知はこれだから冬でも過ごしやすい。まだまだ寒い日がやってくるだろうが、これから太陽が日ごと強くなるので、太陽がある限り春を感じられる。次は2月9日に帰ってくる。

1月2日(金曜日)
感動はたったの一度だけ
昨晩の「アナと雪の女王」には感動した。実際BDの音質がここまで来ているとはびっくりだ。この感動は友人にも伝えてあげなければと、招待するも、この夏に修理したばかりのアンプSE-A100が、今日電源を入れた途端に動作不能となってしまった。修理基のH氏に連絡をとってもう一度修理をお願いする。臨時にAVアンプのパワー部を使ったが、あの突き抜けるような高域は望めなかった。でも、友人はいい音だと言ってくれた。酒を飲みながらなので、少し感覚が鈍っていたかもしれない。この映画の後、「MISIAの星空のライブ7」を見た。前評判では凄く良いとのことだった。実際カメラワークも良く、音質も凄く良かった。低音が気持ちよかったのだ。私は常々、SB-M200Dのスピーカーは低域に問題があると思っていたから、こんなに気持ちよくなってくれて、このスピーカーを見直さなければならないと思った。きちんとしたスピーカーケーブルを使い、接続を見直し、スピーカーベースを追加すれば、鳴るのではないかと思った次第。夜寝る前に、Wallman”WM-EX20”にZennheiser HD598を接続し、ソニーのカセットテープHF-PRO90に録音したスティービーワンダーを聴いた。スゥ~ト伸びた低音と、カンカンと弾くシンバルの音に陶酔してしまった。世はハイレゾだが、LPレコードを録音したカセットも結構楽しめるではないか!と自分の持ち物に改めて感じ入ったわけ。こちらも、早く楽しんでおかないと、早晩ダメになるだろう。

1月1日(木曜日)
驚きのBD
おじいさんの墓参りと、トイレの掃除を忘れていた。それで、まずはこれを済ませ、お正月をしようと父を待ったが、母がだだをこねて、病院行きのバスに乗らなかったとのことだ。それで、父は母を自宅に一旦連れて帰り、なだめすかして、午後10時過ぎ病院に送っていった。その帰りを待つ間に、これら2つを仕上げた。作業中に「ぐいみ」と呼ばれるトゲのある木のトゲが刺さった。小さなトゲだったが大量の血が流れた。そして、血が止まると、指は紫に腫れ上がった。なんと凄い毒を持ったトゲだった。この実は、少し酸っぱいがおいしい。鳥の罠をかけるときによく使った餌だ。昼前に父とお正月を済ませた。昨年と一昨年は父が急に歩けなくなったので、負ぶって高知の病院を駆け回った。父はそのことを感慨深げに話しながら酒を飲んだ。まるで井上陽水の「人生が二度あれば」の歌詞のようだ。食後酒の勢いを借りて寒風吹きすさぶ中散歩に出かけた。散歩用の音楽は「Mt’Fuji Jazz FesをFMエアチェック」したもの。メディアはMD。ソニーWalkmanに装着した。ポータブルMDプレーヤーは、この他にパナソニックMJ240を持っているが、こちらは主にラジオ英会話のモニターに使っている。散歩しながら思ったのは、ポータブオーディオで音質ランキングを付けるとすれば、アイリバーのハイレゾは一番良い音だろう。その次はポータブルCD。その次にポータブルMDだろう。次がiPod。この音は、AIFF(PCM)で録音してもこの地位だ。最後に、カセットの元祖Walkman。これはiPodといい勝負をする。食べ過ぎだったので夕食は軽くして、映画を見た。「アナと雪の女王」これは、アマゾンで買ったBD。凄く色がキレイ、その上音が誠に素晴らしい。素晴らしすぎる程だ。ハイレゾ音声なので、突き抜けたような高域があるし、雪の女王が氷の扉を閉じるときの音は地響きのような低音があった。低域はYAMAHA YST-1000Wを使った。BDの音質がここまで来ているとはびっくりした驚きだ。80インチのプロジェクターで楽しんだ。

12月31日(水曜日)
料理の天才
大晦日だ。お正月の料理を作らなければならない。材料を書き出し、安芸市に買い物。車では上原ひろみの「ALIVE」を聴いていった。ショウルームではこのアルバムの中にある「Wallior」をハイレゾで演奏している。この車に搭載のカーステレオはKenwood製で、高域に輝きがある。それが擬似的に高域はハイレゾ的な音を出して気分が良かった。メモの通りの買い物だから、素早く済ませる。夕食を作る傍らで、お正月料理を作った。この辺の手際の良さと料理を作り上げるのはホント天才的な味付けであっという間にできあがる。ただ、味は安定してないので、家族専用と条件が付くのだが。お正月には少し贅沢させてもらおうと、アマゾンで買い物をした。CDは評論家の和田博己が推奨するディスクArturo O’Farrill。彼のセンスはどうかと試しに買ってみたが、全くダメだった。評論家にはたまにこんな人がいる。口は立つがいい大衆受けする音楽が分からない人。もう一枚は、評論家の鴻池氏が推奨するPriscilla AhnのNatural colors。これは良かった。書籍は「オーディオ風土記」全国のオーディオマニア探訪の特集もの。もう一冊は、「リスニングルームの音響学」これは石井伸一郎氏の著書だ。彼は松下電器のOBで、僕も現役のころは石井部長と呼んでいた人。今でも交流はある。専門書は高く2冊で6,000円もする。この連休は料理と映画と、音楽と書籍。書き出すと、随分と偏っているが、いつもと違うのは料理が加わっただけだ。

12月30日(火曜日)
高知は暖かい
昨晩は友人が空港まで迎えに来てくれて、午後7時過ぎには自宅に帰り着いた。空港から自宅までは20分弱だから、車があると芸西村はホント便利なロケーションだ。朝起きると、天候は晴天。こちらに溜まっていた衣類の洗濯。次は、年賀状の住所録の整理、年賀状の購入、印刷だ。これだけで一日が暮れた。多分久しぶりだろう風呂を沸かすと、風呂の釜が傷んでいて、随分と水盛りしている。焚き口は水没しながらどんどんと薪を投入して、何とか風呂が沸いた。今日から3日までヘルパーさんを断ったとのこと。と言うことは、少なくとも2食は買い物から食事まで全部僕が賄いをしなければならず、年賀状を書き上げただけと言うのは随分と立派なことだった。こちらで家事をすれば、何かと時間がかかる。でも、寒くはないから、サンダルにトレーナーだけの軽装で作業が出来るのは、身軽だった。酒のもまず、夕刻は午後9時半に床についた。少し本を読んだだけで夢の中へ。


12月29日(月曜日)
大晦日
今日で、都会の生活は終わりだ。昨晩のNHKニュースを見れば(録画で朝見た)、ヨーロッパでも東京でも雪、マレーシアでは洪水、インドネシアでは飛行機が行方不明。地球環境が激変している。ところでインドネシアのガルーダ航空に乗ったが、この飛行機はすごかった。離陸後すぐに機内食を配った。ジャカルタからスラバヤなので、1時間もない飛行だが、それでも機内食はでる。何と水とパンだ。だが、飛行機が揺れている。歩けないほど揺れている。だから、パックの水とパンだけかもしれないが。一般の旅客機ではまずはこんな状態ではシートベルト必須で飲み物は配らないだろう。これがインドネシアの飛行機運行の実態だった。事故の起きた飛行機も上昇したらさっそく食べ物を配っていたのではないだろうか。あれから2年。少しは改善されただろうか。中国の2015年は2000万台の車が販売されると言う。1500万台の米国を凌ぐ。飛行機は20,000機が運行されている。こんだけ化石燃料を燃やせば、そりゃあ地球もおかしくなるわ。事故も起きるわ。て言うことで、今年は締めくくろう。今から、その飛行機に乗って高知に帰る。

12月28日(日曜日)
いいお客様
ほんと、世の中にはいい人もいるのですね。今日最終のお客様はCDを持参された。自分で編集されたCDで、いい音源ばかりを、一枚のCDに焼いたものだ。結構聴かせる音楽ばかり。お帰りの際に、最後の楽曲は誰ですか?MJOです。なるほど。「良ければそのCDあげますよ」。「え!」本当ですか?大変ありがとうございます。「ハイレゾ音源を超える音楽ばかり入れてありますから」、「ほんと良く高域が伸びていますね」。と言うことで、今年は3枚のCDをGETした。この仕事は何というか役得がおおいので楽しみだ。それに来場する人は、品物を貰ったから尻尾を振るわけでないが、上品な人ばかり。こちらの品位が低いので対応に戸惑う感じすらするのだ。午前中に来た大学生もしかり、大学のサークルでオーディオを研究していると言う。活動内容を聞くと、スピーカーボックスの組み立てだと言う。長岡哲夫氏を尊敬し書籍を読んでいると。このおじさんと話が合うではないか。僕は「スピーカーシステムと各国の事情」を簡単な論文風にして、話してあげた。彼はサークルのリーダーらしく、部員を連れてまた来ますとのこと。大学生で身なりは汚いが、人格が良かった。ついでに、隣のビッグサイトで開かれているイベントについて聞いた。アニメフィギアの販売をしていて、コミックの登場人物のコスプレをしている人の写真も撮影できるらしい。僕にはとても興味の湧くもので、行ってみたい気持ちが上昇した。50万人の人出予想だ。彼はコミックとオーディオの2本に懸けているとのことだった。
<写真は早朝のビッグサイト前、ものすごい人々が集まっている>

12月27日(土曜日)
カナダからのお客様
手紙じゃなくて(このギャグはおじさんしか通用しないだろうな)、お客様。日本人だがもう10年もカナダで仕事をしている若者。日本のように経済が厳しくなくて、商売は難しくないですよと言っていた。そうだろう、失われた20年は、平均がマイナスだから、いいところと悪いところの差は、かなり極端な差があるはずだ。松下を離れて、他の仕事に就いたこの2年間は、そんな厳しさを目の当たりにした。自ずと、管理が厳しくなり、精神的なストレスを溜めこむことになる。私がいた企業だけでなく、日本全体がこのような状況だろう。安倍政権で少しは光が見えてきた感じだろうか。このカナダからのお客様は、鷹揚に酒を飲んで気持ち良く聴けるステレオが欲しいとの要望だった。今までのお客様は、どちらかと言えば音を厳密に聞く人ばかりだったので、僕もハット目覚めた。そうなのだ、音楽はリラックスして聞くものなのだ。何を勘違いしていたのだろう。日本人はこの失われた20年の間で、音楽の聴き方も何かしらを管理するような聴き方に変わってしまったのではないだろうかと思った。僕の受け止め方だけかもしれないが。帰り際に、日本の寒さはどうですか?と聞くと、ホント暖かい。暑いくらいだと言っていた。そうだろう、そうだろう。

12月26日(金曜日)
クリスマスの後も
一昨日は、半袖でクリスマスの衣装を着た女性が、夕刻「このケーキを売ってしまわなければ帰れないので、お願いします」と声をからしていた。現在はもう今日ではケーキの売れ残りはない。在庫管理がどの流通も旨くなったのだ。Japan Timesで今年の出来事ランキングの掲載があり、読んでいるが、写真用に短く文章をまとめているので難解な単語が多く、写真がなければ全く理解できない。これを読む限りは、後戻りした感じを受ける。そして、その次の記事は、戦中に義務教育を受けられなかった大阪の住人が、中学校に再度入学した内容。こちらは、日本語のように意味の欠落もなくすらすらと読めた。このように、英語力は不安定ながら少し前進しているかもしれない。もう2週間余り酒を口にしてない。酒を飲めば単語がぼろぼろと頭の中から落ちていくからだ。自宅にいるときはすべてが単語の習得に費やしている、クリスマスの時も後も。一寸ストレス溜めすぎかな?

12月25日(木曜日)
17km
今月の水泳の距離。先月は風邪や帰省があり、2.4km。10月は16kmだった。こちらでの生活もやっと落ち着きを取り戻し、パターンも決まってき
たので、水泳が復活したのだ。会社を終えて南船橋に着くのが18時45分。ここから自転車を飛ばして、隣駅、習志野駅前に、千葉県の競泳用のプールがある。そこに通っている。競泳用のプールは水温が低いので、入るのに結構な勇気が必要だ。そして100mは凍えながら泳ぐ、心臓麻痺をおこしそうな冷たさだ。そして200mからは体も馴染んで、寒さを感じなくなる。クリスマスの日でも、結構お客様がいて、元気に泳いでいる。(都会の寂しい人たちだろう)。市民プールは、でっぷりと肥満な人がいるが、こちらは水深2mなので、途中で立ち止ることができないため、普通の泳ぎができる人では入ってこない。そんな人はサブプールに行く。サブプールは水深が1.2mで立ち止れる。ここで泳ぐ人の多くはスタイルが良い。僕はここで1km泳ぐ。他の人はもう少し泳いでいるようだ。僕にとってこの1kmは丁度のバランスだ。体力的にはもっと泳いでもいいのだが、この時間が絶妙なのだ。帰りにヨーカ堂に寄って夕食の材料を買うのだ。(8時半に閉店するので)その時には、刺身が大体半額になっている。お弁当も半額、お寿司も半額。めったにお弁当屋らお寿司は買わないが、刺身の半額や、鮮魚の半額は魅力でよく買っている。今日はかつおのたたきと、メキシコ産のかぼちゃを買った。友人の勧めで、「たたき」はネギと、大根おろしと、大葉と、しょうが、があれば旨く食べられるとの言いつけを守って、たたきに盛り付ける。かぼちゃはレンジで10分、おいしく煮上がる。水泳の後なので、極上の味となっている。

12月24日(水曜日)
Christmasの日
小学生の頃はこの日が待ち遠しかった。クラスの仲間を読んでケーキを食べて、缶けりをするのが決まりだった。缶けりは、鬼が子供たちを見つけると、鬼の仲間に編入され、一緒に子供たちを見つける動きをする。その間に、子供たちに缶を蹴飛ばされると、鬼になった子供たちはリセットされるルールだ。丁度ゾンビが人間の血を吸うと、吸われた人もゾンビになるのと同じだ。今の子供たちはこんな遊びをしてないが、僕たちの子供の頃はこれが定番だった。この時は、男の子も女の子も混じっていた。さすがに中学生になると、こんな遊びはしなくなったけど。これが、クリスマスで楽しかった想い出でだ。社会人になっての想い出は、名古屋に住んでいた頃が一番よかった。週末にはスキーに行ってたので、土日がクリスマスに重なると、スキー場でクリスマスの音楽を聴いた。ところで、Jingle Bellの歌詞を読むと、Oh what fun it is to ride in a one horse open sleigh.とあり、訳は「一頭立ての橇にのるのは、何て楽しいんだ」となる。ここの「Horse」(馬)が不思議だ、なぜ「Reinder」(トナカイ)ではないのか?ところが、この歌はもともと、Thanks givingの日のためにつくられた歌なので、クリスマス用でないとのこと。だから、馬でOKなのだ。簡単な歌にも、背後がありますね。

12月23日(火曜日)
インドのお客様
昔通った、インドはニューデリーの隣町であるグルガオンに位置するPインドの社員さんがやって来た。伺えば、私の知っている方はまだまだそちらで頑張っているとのこと。来られた方は、僕をご存知の方で、たぶんベトナムでお会いしたと言われる。インドは喧騒と熱波と、ひどい体臭。カレーしかない食事。それでも、あの人懐こさと、巻き舌の分かりにくい英語は、なぜか引き付けられるものがある。この仕事から解放された暁には、誰かを誘っていきたいが、誰もこの話に乗ってくれなかったとしても行きたいと思っている。インドの空港ロビーを出ると、なんでこんなところに来たんだろうと思うくらいひどい。チェンナイのような第二の街でもだ。人ごみの中タクシーを探して、荷物をべとべとする手の運転手さんに手伝ってもらって積み込み、快適な冷房の効いたホテルに着くとホッとする。このホットするところの格差がいい。そして、匂い。たぶん害虫駆除用の燻煙だと思うが、安価な香水の匂いがどこにも蔓延している。嗚呼ここがインドだ。って感じです。この方とあまり話す時間はなかったのですが、インドの香りを運んでくださり、記憶の底から、インドを引き出すことができた。帰りにプールに寄って、夕食にカレーを食った。(ハウス食品の日本風の旨いカレーだ)


12月22日(月曜日)
計画性がない男
週休5日は1週間がとても速く回って来る。これなら疲れなくてよい。やはり週1日休みは厳しい。朝起きてレポート提出。掃除洗濯、JCOMの有線テレビチェック。それで、昼を過ぎる。突然ながら、明日提出のレポート要請がきた。先々週のイベントについてだ。なぜ今頃?上司が要求するから!。トホホ。昔から変わっていません。その作業を少し進めて、クリーニング店と書籍の購入。息子の生活費振込み。そこで、気がついた。生活費振込みは2か月間分を一度に行っているので、50万円だ。財布を見れば、お金がない。銀行で下すべきだろうが、一日の限度額が50万円なので、これは不可能。と、言うことで、今晩と明日の朝の食事代がない。ホント無計画な人だ。こちらも昔から変わっていません。それで、昼は抜くことにして、夜は冷凍庫にかすかに残っていた、ひき肉と、買い置きの野菜をいためて、パスタをゆでた。味付けは、かろうじて残っていたトマトケチャップ。もう滅茶苦茶な味つけ。明日の朝は、蕎麦の買い置きがあるので、ざるそばにしよう。ネギはないから、玉ねぎで代用しよう。なんだか山で遭難して、持参の食糧が底をつき、野山で調達できるものを食べて凌ぐみたいな感じだ。小銭入れに残る数百円でマクドの手もあるが、早朝レポートの仕上げがあるので、こちらの選択しは無しだ。来週は高知に帰るので、友人たちと旨いものが食べられる。


12月21日(日曜日)
就活大学生
就職を控えた大学生が試聴に訪れた。音響の仕事をしたいそうである。新入社員に会社のあらましを伝える仕事は数年取り組んだから、僕には彼の立場を踏まえて話ができる用意があったのは幸いだった。彼は、パナソニックとソニーとヤマハをターゲットに活動しているそうである。理工系の学生さんで、リニアフェイズスピーカーの説明にフリーエー関数の話をしたが、きちんと理解されて、さすがだなと思ったわけ。最近は文系の学生が多くなり、しかも海外に出ていきたがらないとのこと。海外では、頭のいい人が一杯いる。そんな人たちに混じって、自分を磨くのも一手だと激励した。30-40代で先の見えない、しかもスキルを要求されない仕事をしている人を見かけると、それでいいのかよ?と聞きたくなる。だが、自分も昔はそうだったかもしれない。浜田省吾の歌に、もしもやり直せるなら、それでもお前と一緒に歩きたい的な、内容の歌詞があるが、もしも僕が若さを取り戻せるなら、やっぱり怠惰に過ごしてしまうのだろうか。あのころはまだ焦点が定まってなかった。いろんなものに手を出して、中途半端に終わってしまった。「グリーン・マイル」のトム・ハンクスのように一つの事に集中することができたら、なんぼか幸せだったろうにと、当時は思っていた。そうして、虻蜂取らずで、なにも獲得できず結果は怠惰な生き方となってしまった。彼には、そうならないで、まっすぐ頑張って欲しいなぁ。そういえば、我が息子も同じ年だ。思うところがあると聞いたが、本当はどうなんだろう。

12月20日(土曜日)
ソニーの人
若い兄ちゃんが聴きに来た。堂々とソニーのWalkman(会社の管理カードを貼り付けたもの)を持ってきた。音楽を聴きながら素直に感心している。こういう若者はすごいと思う。狭量で対抗意識丸出しの人は、こうは振舞わない。話し方も爽やかだ。JEENA LODWICKのCDを持ってこられた。ネットでは90,000円のPremium価格がついているとのこと。XRCD24ビット仕様で、CDだが録音工程が違っていい音がするのが特徴。聴くとさすが、言われるだけのことはあるな。その後、宇多田ヒカルのFAST LOVEのハイレゾが手に入ったとWalkmanで演奏したが、これが全くの不作だった。彼はこれ音が悪いですと即決だ。録音エンジニアはここに来てミキシングの音を確認すべきだとも言った。なかなか面白いことを言う人だ。いま会社は大変な時にあるだろうが、こんな自由闊達な人がいるのを見ると、この会社どう変わるだろ、予測がつかない。

12月19日(金曜日)
立ち止ることができない自転車操業
1月28日は出勤ですよね。今日は予約の受付する女性から、こう聞かれた。普段話したことのない人です。彼女は法人関係の受付をする部門の人。えっ?どうして?岡村さんが出勤だと勤怠表から見せてもらい、外国人のお客様をショウルーム見学の一つに組み入れました。とのことだ。まだよちよち歩きの英会話だが、いよいよ活動が定着しそうな状況になってきた。先日買った「日本人の英文・TDミルトン」によると、勉強法は文法を覚える事ではない。「多読だ!」分からなくてもとにかく読む。こう書いてあった。僕の勉強方針も全く同じなので、取り敢えず新聞を読み、風呂で英語の辞書を読みしていると、先日放映のあった「アメリカン・ミュージック・アワード・2014」が何と、字幕なしでも、何とか解るではありませんか。あの早口の英語がですよ。まぁアーティストの名前と、楽曲の名前は無理ですが、どうにかこうにか行けそうなのだ。こうしてくると、俄然面白くなってきている。一時はあきらめかけていた、マレーシアで余生を送る話が一歩実現に近づいてきた。ただ、少しでも立ち止るとたちまち元の木阿弥に戻るスキルだから、休憩が出来ないのが問題である。

12月18日(木曜日)
懐かしい人々
今日は全国のFAさんがやって来る。FAさんと言うのは、パナソニックで量販店さんの営業をしている人だ。主に現地採用の社員さんだ。僕は現役のころ、この人たちと親密に会話をしたので、ほとんどが顔なじみだ。前日の大雪のために、北海道の方は欠席だったが、あとは九州からも来られていた。山形からもお越しになったが、彼はこの雪では帰れないだろうな。とため息まじりのことばを述べた。福島から分岐する山形新幹線は不通とのこと。取り敢えず仙台まで行き、そこからバスだろうな。3時間ほどかかるか?僕の受け持ち時間は1時間。できるだけ興味深い話題を伝えてやろうと、勢い込んで話したので、ちょっと話に飛躍が多かったかな?の反省がある。まぁ先方も顔見知りなので、自由に聞いてくるので、にぎやかに楽しく過ごすことができた。この会場を昔の仲間が来て、ドアの外で見てたらしい。そして、あぁまた吹いているわ!と感想を述べられて彼は帰られたと後で聞いた。そうやなぁ、得意のパターンは一つだから、きっとそこに行ったんだろうな。

12月17日(水曜日)
よく、冷えました
なんと今朝の気温は9度。部屋の中の温度です。仙台でも良く冷えて6度だったので、ちょっと冷え過ぎだ。幸いなことに、今年は石油ストーブをかってある。これにエアコンを併用すればすぐに温まる。暖かい部屋は幸せを感じますね。雪の生活は一年経験しましたが、寒いとはいえ、やっぱり興奮しますね。寒いのが大の苦手なんですが、激しく降れば降るほど興奮度が高いですね。これは台風の襲来時と同じ感覚。まだ、土日休みの感覚から抜け出せてないから、今日が今週の仕事始めで月曜日の感覚である。ショウルームに到着して、開店準備をしているときにやっとこの現実に気がつく。今日は男から見てもほれぼれする美男子が試聴にやってきました。甘いマスク、身長は190㎝は越える、話し方も穏やか。俳優さんでしょうかね。今の俳優さんは顔だけでなく、強い個性が必要とのことですが、さて彼はどうなんでしょう?アランドロンがハリウッドで成功しなかったのは、この強い個性が足らなかったとウキに書いてありました。あれほどの男でも無理だったとは。ショウルームの中も寒かったので、私は待ち時間の間も、試聴室の扉を閉めて、エアコンの温度設定を27度にして過ごしました。この部屋は相当な量の防音材(断熱材)が使われているので、エアコンでも良く温まります。加湿器もナノイーが入ってますので、完璧な状態で冬を過ごせます。

12月16日(火曜日)
記憶について
英語の勉強を更に一ランク上げた。が、僕の頭にとって英単語はそんなに簡単に記憶できるものではなく、quiteとquietは綴りが違っていることにやっと気がついた次第。今まで、同じ発音なのに、なんで使う場所によって、こうも意味が違うのか?漠然と疑問に思っていた。よく見れば「e」の位置が違うのです。まぁこんなのが永遠と続いているのです。こちらは害がないのですが。もう一つの記憶には害があるので、自分なりに注意をしている。それは、食べ物だ。一つの料理が旨くヒットすると、毎日それを作り続け、飽きるまで食べることになりがちだ。そうすると、体が食べ物を覚えてしまい、生活習慣病に直結するのだ。それで、この体には、食べ物を覚えさせなように、毎回違った食べ物を食べるように心がけている。しかしながら一人暮らしでは一回買った材料はいつまでも長持ちするし、一度に多く使えば、冷凍して、これも又毎日食べ続けることにもなるのだ。少量でたくさんの種類。これがなかなか難しいのである。シンガポールのように外食が一般化されている社会なら、食事代が安いが、こちらではそうもいかず、一回の食事は1,000円が基本となる。それで事務所からの帰りは、今日はどんな献立をするのか、かなり真剣に考えることになる。献立の基本は見た時に決まるので、買い物をするスーパーをいろいろ変えて、目先を変えて、献立を変えることに傾注している。スーパーは近くはないが、自転車で漕ぎ出せばいくつか回れる距離にはある。こうして、頭には記憶力を増進させ、体には記憶させない努力をしているのだ。

12月15日(月曜日)
ララポート
今日は晴れだが明日はひどい天気になるとの天気予想。大急ぎでレポート仕上げ洗濯に取り掛かった。取りためたBDレコーダーは満杯近くとなり、BDに落とす作業を始め、傍らで、カセットからデジタルに落とした音源にレコードジャケットを貼り付ける作業を行った。大忙しの休日である。午後、通帳の記載に行くと、引っ越してきたダメージがあり、少ない預金が減ったままだ。3月頃には復活する予定だが、ここに息子の最後の授業料振り込みが発生して、一気に100万円もダウンする。預金もいよいよ底をつく。予測の上とはいえ全財産が200万円以下となる。漸減方向の銀行口座を眺めるのはつらい。再来年の3月についに預金残高が100万となり、僕の奉公はこれで完了する。夕刻、たいしてお金がかからないささやかな趣味のプール(一回500円)を楽しむのだが、今日はあいにくの休みだった。振り上げた拳のおろし場所がない。仕方ない、外を散歩するにはいささか寒すぎるので、帰り道にある大きな商業施設ララポートを散歩しよう。この大きさならば、散歩としての歩行が十分稼げる。GAZAやGAPもあった。オール50%OFFだった。その他知らないブランドがたくさんあった。DON’Qのパンがあった。久しぶりだから買った。TowerRecordもあった。なんとマクドも2軒もある。高知では車で30分走らないとないのに。

12月14日(日曜日)
夜中に寒くて目が覚めた。トイレに行って布団を点検すれば、足元と、肩が露出する寝方だった。昨日はこれという運動をしてないので、布団の中で暴れてないはずなのに、どうやら夜中に相当運動をしたらしい。そういえば、昨日から今年一番の寒気到来で日本海側は大雪だとか。このマンションはしっかりしてないのに結構暖かいのかなと思っていたが、そうでもなかったのだ。今日は選挙もあり、来客が少なかった。職場に行って仕事がないと、おじさんの世代は妙に申し訳なくなるのだ。今日は仕事を終えて、疲れたところにだめ押しのプールで水泳をともくろんでいたが、一日燃焼できんかった上に、帰りがけには雪も降ってきて、ちょっと自転車で習志野のプールまで遠征するのは気が引けてしまうのだった。夕食も気分が乗らず、冷蔵庫のありもので済ませた。全ては今日の仕事が旨くいかなかったことに原因がある。仕事が旨く行った上に私生活の充実があると言う僕の考え方は古いかもしれない。そして何でも受け入れられるのにこればかりはどうにもならない。体がついてこないのだ。燃えてくれないのだ。

12月13日(土曜日)
BOOK-OFF
ララポートの近くに大きなBOOK-OFFがある。虜になっている。先日は1200円の革ジャンを買ったが、今日は靴を買いに来た。Walking shoesがすり減ったので交換用だ。4980のRegalもあったが、これはサイズが少し大きかった。3980で新品のゴアテックスを使ったWalking Shoesが見つかった。持ち主は買ったけど「小さすぎてはけないから売りに出した」的な品物だ。靴は、大体歩行距離5万キロ位は使える。まぁ車のタイヤと同じくらいの走行ができる。この靴もトラブルがない限り3年間は安泰だ。ついでに英語の辞書も買った。960円。英字新聞を通勤の電車の他にも風呂の中で読んでいる。読んでいると言っても、意味の解る部分のみの飛ばし読みだから、正しく読んでいるわけではない。ここまで来たら、いい加減でなく、正しい単語を理解して、正しい英文を覚えないと、これ以上新聞を深く読むことはできないだろうと思ったわけ。それで例文が出来るだけ多い辞書を買って、風呂の中で毎日一ページだけは読もうと決意したのだ。この例文程度の短い文章は結構英語の検定試験などに使われるので、英検定に挑戦出来るかも知れない。

12月12日(金曜日)
趣味の一日
今日は、いろんなお客様が来館された。朝一番は無線と実験誌だ。この雑誌は少しだけスキャンして残してある。1968年位だ。オーディオ誌ではこれが一番古くて今も残っている。昔は全国の電気店探訪の特集があり、全国の電気店のオーディオ担当が掲載されていた。もちろん日本橋の電気店のオーディオ担当者も写っていた。栗林さんや、実盛課長なんかみんな若かった。もう亡くなられた小池さんも載っていた。そんな話を編集長にすると、私が生れた頃だと言われた。今日随行されたのは評論家の小林先生だ。聴き慣れない音楽を試聴ディスクに使ったのでお聞きすると、リミッターをかけずに録音したとか。小林先生は、年に一度試聴ディスクを決めると一年間それを使用するそうだ。随行の雑誌社のかたも良くそのあたりの事情を知っていて、解説してくれる。この随行の方は、ホントいろんなことを良く知っていた。世の中にはこんな方が少ないけどよくいますね。気のいい人で口が軽い人。重要なことも、不要なことも全部しゃべってくれる人。重宝しまんねやわ。小林先生には、試聴に使ったディスクのリストをお願いした。郵送してくださるそうだ。僕としては、趣味の延長でこの仕事をしているようなものだから、個人的にもその立場を利用させていただくのだ。その次に来られたのが一緒に仕事をしていた先輩の江本さん。相変わらずダンディーだ。一緒に昼食に行くことを約束してある。そのすぐ後に、大阪の僕とペアを成す澤野さん。この3人で食事だ。江本さんはコンサートがあるので重いギターを担いで来た。ベンチャーズが演奏するときに使っているギターと同じものだそうだ。ひとしきり昔ばなし。その後、僕らの職場のTOPが来られ音のチェック。そのために明石さんが大量のCDを持ってこられたので、9枚ピックアップして借りた。帰りに、プールに寄って1km。金曜日の夜プールで泳いでいる人は少ない。寂しい人々だ。若い女も、もう少し年老いた女もいた。おじさんは僕を含め二人だった。なんだか、今日は自分の趣味を広げるために用意された一日だったような気がする。

12月11日(木曜日)
また雨
よう降りまんな。友人に今日社長が来ると電話したら、「飯でも連れて行ってもらえや」と言う。僕は「いくらなんでも、そんなことよう言わん」。友人は「そんなの構へん、言わんかいな」。この人誤解しているのとちゃうか?と私。それで「社長と言うのは、P社の社長やで」と言ってあげた。「なんやNさんやないんかいな」。「Nさんやったら、僕かて言えるで」てなわけで、今日はもしからした、社長が来るので控えておいてくれと連絡が来た。終了時間後のことで、時間は5分程度だから、ダイアナクラールの曲を選曲した。この楽曲はバランスが一番良い。彼女はもう49歳だが、これは32歳の時の録音だ。声に張りがあり、ベースシストも胴にヒビが入っているにも関わらず、ブンブンと引く元気がある。もしもクラシックの要望があった時は、ベートーヴェンのピアノコンチェルトで行くか?と思案していた所、今日の予定は中止との連絡が入った。雨が降って予定が流れたのだろう。帰りが1時間遅くなったが、私用時間を切り詰め、10時半に就寝。


12月10日(水曜日)
錯覚
私にとって、今日が普通のサラリーマンの月曜日みたいなもの。昨日は、休日なのに何故夕刻車が混雑するのだろうと、一瞬疑問に思ったが、すぐに謎が解けた。週の真ん中が週明けだ。今日は東京で8年間過ごした組織のメンバーに、商品勉強会を開催する日だ。懐かしいと思えるメンバーはもう2名しか残ってない。みんな転勤か卒業してしまった。一人で企画する研修会は、海外マーケを担当していた時と同じで、資料の作成からプレゼンまで一人でこなすのだ。資料は日中の空き時間にKeynote(iPadで使えるパワーポイントと互換性のあるもの)を使って書き込んでいったものを流用した。できるだけ英語で表現した。海外の人と共有するためだ。日本人には日本語で補足説明をすればよいので問題ないだろう。黒板の代わりはインドで行ったプレゼント同じように、お絵かき帳にマジックで書いた。総勢8名。いつも実演している音が人によって吸収されて、ハイレゾと言えど、あの輝きが出てこない。まぁステレオは、個人の趣味で、大衆が一堂に楽しむものではないから、これはこれで良しとしよう。昔、セパレートステレオを片チャンネルに10台並べて公民館でコンサートを行ったことがある。あれはまだステレオが普及する前のことで、全然いい音でなかったと思うが、大音量だけは確保できた。それでも、その時は客の気持ちをつかめたと思う。もう今は、そんな子供だましは効かない。

12月9日(火曜日)
当面の問題
徳島ではまだ孤立している村があるとか。東北では少々の雪では全く被害がないが、南国では少々の雪で被害が出てしまう。反対に少々の雨では被害が出ない。今回の村でも、先の台風の時はこの村でも1,000mmクラスの雨が降ったにもかかわらず、被害なしだ。逆に東北は200mmクラスの雨で直ぐに被害が発生する。まぁ開けた土地に住んでいる人にとっては関係のない話だが、今度は地震の問題が立ちふさがる。東南海の地震は、いよいよ切羽詰まったものになってきた。2050年までには確実に発生するようだ。津波と家屋倒壊がある。わが高知の家は、津波は問題なしだが、家屋倒壊は可能性大だ。高知に帰ると少しリフォームも考えたいが、この地震のことを考えると、何も手につかない。昨晩中断した読書を敢行。一年半に及ぶ積読状態だったAV雑誌も、後半分程度になってきた。この一年半の間にAV業界は様変わりして、High-Resolution Audioや4Kやアトムスが出てきた。商品はほぼ全面的に新製品に入れ替わっている。明日は、私が昔いた職場のメンバーがテクニクスの研修に来る。私がこの2ケ月間に学んだ新しい出来事を紹介するつもりだ。昔は、資料もプリントできたが今はそんな設備もないので、iPadに書き込んだものをお見せするだけだ。Keynoteと呼ばれるソフトを使う。すべて英語で表現し、ヨーロッパの販社の人たちにも共有できるようにした。

12月8日(月曜日)
少し無理しすぎたかな
待ちに待った連休。このところ、週1日の休日で、家事を済ますともう夕暮れだった。今日は違う、2日間を使って休日のプログラムを行えばよい。家事とレポートに午前中を使い、プールへ行った。今日は競泳用のプールが空いていた。このプールは水深が2mもあり、一般客に解放されているものの、泳ぎに自信のない人はやってこないから空いている。ただし、1時間に一度の休憩タイムがあるので、遠泳は難しい。まず、1,500mを45分で泳ぎ、休憩ののち、更にもう一本。計3km泳いだ。3kmは久しぶりだ。気分爽快。このプールは水温が低く、汗をかかないので疲れが少ない。水温の高いプールだと、3kmで3kg近く体重が落ちるが、ここは200g程度だ。帰りの自転車はペダルが軽く、すごいスピードが出てしまう。今日は体への労りに、ステーキを奮発した。食後に読書を予定してたので、晩酌は無しだ。ここまで計画通りだったのに、風呂に入っているとき、急に心臓が痛くなった。ちょっと無理しすぎたかな?取り敢えず寝よう。

12月7日(日曜日)
3Dと環境問題
今やテレビの情勢は4K。3Dなんか誰も言わなくなった。こうなれば、天邪鬼の私は断然3Dに傾注することになる。先日WOWOWでスタートレックが3Dで放映されたので録画した。あいにくと、日本語吹き替えだったがここは我慢。放送の3Dは横の解像度が半分になるとは言え、字幕が十分に見えにくい視力の私としては、この3Dの迫力で十分である。とりわけ、エンタープライズ号が傾き、通路が階段となり下に向かってぶら下がるシーンでは、3Dならではの遠近感で楽しめた。こうでなけりゃ。今年の3Dの一番のBDは「Life Of Pi」だそうだ。虎と太平洋を漂流する物語。さっそくBDをアマゾンで注文した。アマゾンには他にも、ショウルームで紹介された素晴らしい音楽があるので、同時注文だ。ショウルームでは土日に時々3Dプリンターの催事を行っている。一般客は、これに参加すれば、フィギアを作成し、自分で色付けして持ち帰ることができるもので、アキバのオタク系に受けそうな催事だが、親子連れの方が多いのはやはりパナソニックだ。今や、3Dで家屋まで立ててしまうおうと言う進化ぶりだ。この行く先は大量生産の終焉が待ち構えていると報じられている。高知の友人からは、氷が張ったがトンボが飛んでいるとメールが来る。フィリピンの知人には台風の被害はないかとメールしたら、まだマニラは雨だけだと。これから先は新しいビジネスついても環境の問題についても一筋縄ではいかない困難が待ち受けているようだ。

12月6日(土曜日)
普通の日
今日の予約客は少なく、また厳しい一日を過ごさなければと思いきや、日中に次から次へと予約が入り、結局水を飲みに行く時間の数分が確保できただけだった。運動バロメーターの万歩計は5000歩止まり。毎日13,000歩をキープしている身としてはずいぶんの不足だ。それで、帰りにはプールに寄った。メインプールは競技のために使用できず、サブプールで泳いだ。サブプールは水深が浅いが、長さは50mある。客が多く、水は少し濁っている。ここで1km泳ぐ。帰り道、寒風の中で髪を乾かす。そういえば、昨日は、伊予三島と阿波池田を結ぶ国道192号線が積雪で車の立往生が発生したと今朝の新聞にあった。この道は随分と通ったものだ。木陰が多く、夏はこの木陰でよく休憩したものだ。一年半、この道やほかの山岳道路を通行したが積雪はなかった。4輪駆動、ミッドシップエンジン、スタットレスと最強の組み合わせで臨んだが拍子抜けした。しかし、仕事を変わるとこのざまだ。好奇心的には残念で、運命的にはついている。と言うのがこの評価かな。プールの後は気持ちよい体の疲れで、食事の後の風呂は、体が綿のようにふわふわとした。何もせずに寝ようとメールを開けると、やや!

12月5日(金曜日)
まずますの一日
今日はスケジュールが立て込んでいるので引き締めてと思っていたが、朝一番のお客様はチェコ人だった。一応ドイツ語なまりの英語が通じたので、何と1時間も英語で対応することになった。妻がピアニストで、演奏した上原ひろみのJAZZに感激していた。作曲者は誰かと聞かれたので、同じ人だと答えた。楽曲のWalliaの曲の知識を入れておいて良かった。2chのステレオ音楽なのに、自分の持ち物である5.1chのサラウンドよりも奥行きがあるとほめてくれた。彼らの持ち物であるPCをつないでの操作は、ちょっと面食らったが、Windowsベースだったので、ドイツ語みたいな文字でも、操作場所が分かったので大体の感覚で操作案内できた。最後に握手をして帰った。その後大手企業の会長さんや、家電量販店のバイヤーさんなどが訪問され、それぞれ一家言を残された。マイレコードを持たないで、評価できるとはすごい耳の持ち主たちだ。随分と冷えて来て、コートなしではちょっと厳しくなった。自転車に乗るときはカッパで間に合わせていたが、ホームで待つときはそういうわけにもいかず、コートを買わなければならないと決断(お金を使いたくないので、これまで我慢してた)。革のコートを買った。革ジャンのLサイズを買えば、私にはコートとなりうまく使えると判断した。なぜ革ジャンかと言えば、これが一番安かったからだ。何と1,200円だった。(清水の舞台から飛び降りる決断をしましたね)暖かくなると気持ちも落ち着く。正しい投資をした。

12月4日(木曜日)
旧知のメンバーと懇親
今日は展示商品を最新バージョンと入れ替える。事は単純ではなく、入れ替えと共に音色が変わるので、スピーカーの設置場所も変更せざるを得ない。これは、70kgもあるものをああでもない、こうでもないと試行錯誤するのだ。そうして決まった場所で聴く音楽は、以前よりまして良いものとなった。小音量でもさらに楽しめるものとなった。一段と販売に拍車がかかるだろうと思われる。この作業中に大阪からU氏が訪問した。作業が早く終われば、一緒に夕食をとの計画だった。他に元上司S氏とT子が居た。場所は谷中の商店街にあるお好み屋さん。何で谷中と思ったが、ここは有名な商店街。土日は人があふれんばかりの繁盛を見せる場所。S氏の紹介だ。何でこんな場所を知っているの?店に入ると自ずと答えがあった。野球の色紙が店の壁一面に張り巡らされていた。親父さんに野球はするの?と尋ねると、No。近くに野球選手の寮があったから、と言うのが野球選手と付き合いが始まるきっかけだったと言う。料理はS氏が焼き、僕らはひたすら食べた。話題はゴルフと野球。僕にはもっとも遠い話題だった。酒の充てに聞く方側に回った。やはり、話したい情報はあるから、みんな親切に教えてくれる。僕にもう少し質問の引き出しがあれば良かったのだが。話は盛り上がり午後22時半に解散。ここから帰るのは遠い。南船橋に23時半に到着した。

12月3日(水曜日)
日本人とは
ざっくりくくると日本人の演奏家と欧米の演奏家の2つに今の音楽は大別できる。そして、演奏を聴くと、すぐに日本人の演奏は分かる。奏でる音楽がたんぱくなのだ。技巧は十分なのに淡泊なのだ。演奏に心がこもってないように聞こえる。こういっては身もふたもないが、心を込めた演奏でも、そう聞こえるから仕方ない。これはどこから来るものなのだろう。それで、日本人ジャズアーティストなんかは、アメリカ人の演奏家を多数混ぜてコンボを構成している。こうすれば、心がこもったように聞こえ、技巧が冴える。今日は音大の先生がCD持参でお越しになった。たぶん仲間内の演奏を録音したものだろう。旨い演奏だったが、「あなたはこの音楽を聴いて楽しいと思いますか?」ときかれれば答えは「Noだ」。ノーマルすぎて面白くない。この傾向は実は楽器演奏だけでなく、スピーカーにも当てはまり、欧米のスピーカーの音質はそれ程でもないが、何か艶があるものが多い。こうして、事例を並べてくると、もしかしたら、日本人の持つ耳の特性が、どうやらこんな音を生み出しているのではないかと思えてくるのだ。それは良いとか悪いとかの問題じゃなくて。耳の持つ機能の問題だと思えてくるのである。

12月2日(火曜日)
テクニクスReference
500万円もするオーディオ機器。毎日これを聴き続けている。お客様がいない時は、iPhoneに入っている自分の持ち物である音楽を聴いている。昔FM放送を録音した貴重な音源も入っている。カセットからの音源もある。そして、どれも、これ以上の情報は入ってないぞと言わんばかりの音を再生してくれる。カセットの音源でも(カセット→256bps MP3)でもこんな素晴らしい音がするのか?と聞き入ることがある。艶と、普段は気が付かない細やかな音が聞こえてくる。聴いていると時間を忘れる。定年後時間が出来たら、音楽を聴いてい過ごしたいと言う人にはぴったりのオーディオシステムだ。

12月1日(月曜日)
DNA
週一の休みで、洗濯物は前日に済まし、掃除、クリーニングとあわただしく行事を済ませ、午前中にひと仕事を終えた。午後は休憩して、夕刻プールに出かけた。大雨が降ってきて、京葉高速道路の下でカッパに着替えた。多くの主婦もここで雨具を羽織っていた。プールの水が幾分暖かく感じたのは、外気が冷え込んできたからだろうと思った。1800m泳いだ。先日も泳いで間がないので、今日はバタフライが結構長く続けられたが、片道の50mはまだ無理だった。夕刻母と夕食の時を持った(日本語としてはおかしな表現だが、この表現を使うと英語に変換しやすい)。娘は携帯電話の仕事なのに、電話のことをあんまり知らないのは私と違う部分。その代り、友人から変わっているねとよく言われると、こぼしていた。私は娘への影響を一切与えてないつもりだが、しっかりと変わり者の父の性格を受け継いでくれている。変わり者の父が話を聞いていても、関心を持つ部分が不通の人とは少し違う。まぁ栄枯ひいきもあるが、面白い娘だと思う。私の職場には、この娘とよく似た年齢の御嬢さんが大勢いて、話をするが、非常にまっとうな感じで、我が家の娘のような視点はない。父も親しい友人からも、そうでない人からも等しく同じことを言われ続けていると伝えた。来年はハワイに行くと輝いて言った。英語は全く分からないが、と自慢していた。トホホ!。


11月30日(日曜日)
とうとうやって来た
今週やってきた海外のお客様に触発されて、英語を猛勉強したが、これではいかんと、その後は英字新聞を通勤時に読み続けた。そして、昨日くらいから、記事のおおよそがつかめ始めた。政治と宗教のタイトルはちょっと理解できない面もあるが、気候に関する記事はかなり完璧に近い状態となった。そして、今日は世界を徒歩で歩いた女性の探検記事特集を読んだ。理解度は40%~50%程度。これくらいだと、記事のユーモアも分かるのだ。言語は幼児が少しづつ大人の会話に入っていくように、ほんの少しづつ広がっていく。急に視界が開けることはないと思う。それで、英字新聞は辞書を片手に読んでいたのだ。しかし、昨日から、電車の中で辞書なしに読んでみると、結構読めるではないか。ホントにこれはうれしかった。家には英字新聞の読みくさしの新聞がたまっている。なかなか捨てきれないのは、記事に添付してある写真が見応えあるため、いつかは読めるようになると、読んでみようと思って蓄えてあるのだが、やっとのことで手が付けられるようになってうれしい。家に帰って、夕食時にワインを飲んだ。酔ったので頭の回転が落ちたかと確認のために再び英字新聞を読むが、やっぱり理解できる。これは、夢ではないと確信したわけ。

11月29日(土曜日)
プール於て
本日の新聞によると、Thanksgivingのアメリカ東海岸は大雪。オーストラリアのブリスベンでは30年に一度の台風が来たと報じられていた。災害の英字新聞はほぼ理解できるようになっている。日本語の新聞とそんなに違わない速度で読めるのは、難しい言い回しがなく、語彙が限られているからだろう。ここ千葉でも随分と雨の日が多い。そして今日も雨だ。まるで秋雨前線がやってきているようだ。カッパと、水泳用具をリュックに詰めて出かけた。これでリュックが一杯だ。「一体どこへ行くと言うのだ?」と知人会えば聞かれそうだが必要最小限だから仕方ない。南船橋の駅から15分の所にプールがある。会社帰りのサラリーマンが多いと思ったら、今日は土曜日だ。あれ?今日も結構仕事している人がいるんだ。明日のこともあるので今日は800mで打ち止め。ここは50mプールだから、泳ぐ人も限られていて気持ちよく泳げる。そして泳いだ後の体の軽さは何とも言いようがない。

11月28日(金曜日)
High-Resolution Audio
この音源があるので、ハイファイオーディオの世界が活性化してきた。テクニクス復活もひとえにこの音源にかかっている。昨日バックアップのためにクライアントから音源となるデーターを送ってきたが、一ファイルが500MBもあり、7GB上限のモバイルルーターを使い切ってしまった。大変なデーターだ。しかも、これでも圧縮データーなのだ。High-Resolution Audioは音がいい代わりに、ものすごく大きなメモリーを食ってしまう。どんなにメモリーが安価になっても、どんなに通信速度が速くなっても、これでは一部の方のためのもので、普及はしないと思いましたね。とは言うものの、8K放送は一秒間に10MBのデーター消費となると言われているので、High-Resolution Audioなんて、ものの比ではないのだ。いよいよ大容量時代の到来のような気がする。サムスンが半導体メモリーの向上に大規模工場建設を決意しましたが、分からんでもない。そういえば、昨日韓国LG電子の幹部が来られた。幹部は片言の日本語を話す。もちろん英語も。

11月27日(木曜日)
反省を込めて
英語をもっと勉強しなければ。と、今朝はJapanTimesを買った。電車の中で読んでいった。ST版は難しい語句には日本語訳が付くが、一般紙はそんなサポートはない。意味不明な言葉が連続する。状況が前と違っているのは、意味不明だが一つの文章はできている。そこに単語があてはめれば一応文章になるところまできたのだ。だから所々記憶に残る単語が出て来ると、すぅーと意味が通じる。それにニュースの予備知識もあるし。しかし、全く歯が立たなかったのはアメリカで黒人が射殺されて、暴動になっている事件だ。何で、そんなに騒ぐのか根本が理解できてないので、知っている単語を連ねるだけでは意味が全くつかめない。今後は、一滴が石に穴をあけるがごとく、日々の積み重ねが重要だと、通勤電車での新聞は続けようと思う。もう一つの教訓は雨対策だ。昨日は雨で、ショウルームのある建物から、すぐ近くの駅の蕎麦屋さんに行くにも随分と濡れてしまった。雨対策にはカッパを持っているが、まさか至近距離でカッパを着るわけにもいかず。傘を用意しなければならないと思ったわけ。引っ越しの時、こちらには傘を持ってきて来てなかったのだ。

11月26日(水曜日)
言葉が通じる幸せ
今日も、外国人に対するプレゼンだ。このオーディオ商品こそは、語ることがいろいろとあるけれども、なかなか短時間でその細かなニュアンスを英語で表現することができないのは残念だ。時間があれば、ノートに図を書いてという説明も可能だが、1回あたり15分で回さなければならないのはちょっと僕のスキルでは不十分だ。外国の方は男女とも強い香水をつけているので、久しぶりに嗅ぐ外国の匂いは、初めての出張の時、関空から国際便に乗った時のことを思い出した。今日のお客さんは中南米。スペイン語とか、ポルトガル語の人達だ。説明商品の価格をドルとユーロで紹介したが、やはり現地通貨で紹介すべきだったと後で反省。彼らが去った後は、台風のような雨が降っていて、来場客も少なく、遅い午後は暇だった。家に帰り今日の反省を込めて、友人から頂いたウィスキーで一杯やった。また、明日から日常の日々が始まる。日本語で話すことができる。なんて幸せなとこだろうと思う。

11月25日(火曜日)
待ちに待った日
今日は、海外のお客様に英語でプレゼンするのだ。ヨーロッパからアジアまでが本日で明日は南北アメリカ大陸。だがこんな日に限ってスムーズに事は運ばない。まずは故障したアンプの入れ替え作業。実演の間隙を縫って、アプリのソフトウエアの入れ替え等、数分単位で物事が進行していった。本日の成果は60点。イタリア人にフランス語で音楽タイトルの紹介をすると、それはイタリア語ですとたしなめられたした。アジアは旨く説明できて拍手が来た。アラブは、カメラで撮影された。マイクロフォンを装着したが、うまく話せなかった。High-Resolution AudioとCDの違いが分かるかと聞かれたが、「わかります」としか説明できなかった。日本人にはもっとましな説明をしているのだが。本日の反省点をKeynoteにまとめて、明日は、これをつかって完成度を高めよう!久しぶりに挑戦意欲を掻き立てられている。「燃えるぜ!」

11月24日(月曜日)
あれもしたい、これもしたい休日
また、週休1日が始まった。今度は長く、3週間出勤が続く。一日の休日は、報告書を書き上げ、洗濯、掃除、クリーニングと忙しく過ごして、やっとプールの時間が確保できる。今日は、生乾きの洗濯物を取り込んで、乾燥機に入れるも、間違って洗濯のボタンを押してしまい、せっかく乾いた洗濯物を再び濡らしてしまった(何をやっとるんだ)それで、2時間半ほどをロスしてしまった。結局書物を読んだのはわずか10ページ程度で、新聞はJapantimes STを一ページ読んだだけ。今日のトピックスは録画してあった「TVで英語ニュース」を見た。英語字幕入りのニュースだと、あの速さもの英語もだんだんと理解できるようになってきたぞ。後、5,000語位の単語を覚えると何とかなりそうな感じがする。休日に2時間ほどを英語の勉強に割り振ることができれば何とかなりそう。高価なお金を払って英語教室に通わなくても、何とかなる。そんな持論を完成させるのだ。


11月23日(日曜日)
首の振り方が違っている
休み明けの25日は、英国のお客様に英語でプレゼンが待ち構えている。一人芝居の架空練習ではどうにもならず、通行人のインド人夫妻を捕まえて、リスニングルームにご案内し、プレゼンの練習を試みた。むろん先方も全くオーディオに興味がないわけでないので、質問が来る。質問は大体が分かる。だが、語彙が浮かんでこない。ましてやそれを言葉にもできない。インド人の英語は巻き舌でRの発音に特徴がある。懐かしくもあった。今日のところは大汗をかいて、歯が立たないってところだ。向こうの日本語に助けられた感が大きい。ところで、Yesに対し、インド人は頭を横に振る。日本人のNoのしぐさをする。これは慣れてないと面食らう。僕は免疫があったので、これでも話がスムーズに進んでいるのだと理解した。Thank you very much definitely.
<楽器フェアがビッグサイトで開催された>

11月22日(土曜日)
オタク系
僕が前回、東京にいたころ、アキバにはリュックを背負った、小太りのジャンクフードを片手にしたオタク系がぎょうさんいた。アニメとかフィギュアとかの熱心なファンで、PCマニアやオーディオマニアも少し含まれていた。1990年にバブル経済がはじけて、2000年頃から就職適齢期に達した人たちがなかなか職につけず、難民化していったころだ。親元で暮らしバイトで食いつなぎ、精神のよりどころとして、先の趣味に特化していった。「アキハバラ」のことばが浮上してきたのはこのころだ。そして、2014年東京ではそろそろ経済が復活してき始めた。あのころの人たちは果たして、この景気の波に乗ることができたのだろうか?25歳+14年=39歳。早い人は、40歳を超えた、遅い人でもそろそろ40歳の声が聞こえてきている。一方企業としてはスキルのある人もしくは、これから色を染められる新人が欲しいと思います。どちらにも合致しない、あのフリーター達はどうなったのでしょうか?僕そんな感じの人が今日は来ました。音楽談義に花を開かせ、その辺の事情にはたちいりませんでしたが、心境はどうなんでしょう?


11月21日(金曜日)
怒ったお客様
多くのお客様は紳士の方が多い。しかし中にはそうでない方も来られる。喧嘩になるようなトラブルはないが、随分とお怒りになるトラブルはある。今日がその例だ。CDプレーヤを買おうと思い聞きに来た。だがあいにくとCDプレーヤはまだ展示されてないのだ。しかもお客様は福島県はいわき市から宿泊で来られているのだ。怒らない方がおかしい。平身低頭のお詫び、しかし振り上げた拳の下ろす場所がなく、顔はこわばったままだ。しかし幸いだったのは、私は東北時代にいわき市を1週間かけて開拓にあるいたのだ。当時は車がなかったので徒歩で、本当に歩いた。それで、あの辺の事情が良く分かっていたので、地震の話題を持ち出したら、反応を頂いた。僕はそれ以降のいわき市の事情を知らないので、車で行ける範囲とか、国の補助の話などを伺うことで欠けている知識を補うとともに、向こうのオーディオ事情も伺った。いわき市にもオーディオ専門店があったのだ。まぁ満足できる内容ではないようだった。12月に入れば、CDプレーヤは展示ができるが、お客様の所有している商品があまりにも良いので、買い替えても効果が出るのか疑問だと応対した。パナソニックの10万円クラスのBDプレーヤを持っているとのことだった。BDプレーヤーは最新のデジタル技術が投入されているが、CDプレーヤのデジタルはそれがない。それで、デジタル信号をネットワークプレーヤに伝送し、いい音に変換する仕組みをとるのだ。単品だけ買えば失望すると素直に伝えた。

11月20日(木曜日)
上原ひろみさんに聞きたい
JAZZピアニストの上原ひろみさんの「ウォリアー」をここで演奏している。いい演奏だがミキシングが良くない。お客様からもそんな指摘があった。(このシステムは定位が良いので、ミキシングの良しあしが良く分かる。)今日はJAZZ専門誌の取材があったので、雑談の間に編集長に訪ねた。質問の内容は、「彼女のアルバムはピアノも、ドラムスもみんなセンターに定位するのは何故か」編集長は彼らの音楽はまるで洪水のような奔走がある。それをパッケージに収めるには、この方法しかないのでは?と教えてくれた。彼らのデレクターとプロジューサーは同じ人なので(それぞれどんな仕事をするのか不明だ)、サウンドポリシーは明確なはずだ。しかし、今度会うので確認しておきますとの事だった。続いて、「NHKで放映した東京ジャズでの「ウォーリア」は、CDのような緻密さが無いのは何故か」「NHKと言えども、上原さんの意図する音を拾い上げるマイクセッティングができなかったのでは?」とこちらも一つ返事で答えて下さった。やっぱり専門誌として、飯を食うだけの知識を持っているなぁと感心した。スイングジャーナル誌が廃刊となり、ジャズの情報が途絶えていたが、ここにきて雑誌が見つかったのは嬉しい。同行の女性カメラマンはEOS5Dを使っていた。僕からすれば少し構図に工夫が足りないと思った。水平も気にしないようだった。だが、人物撮影は随分と会話をしながら撮影し、緊張を和らげた手法はさすが。今日の心の収穫は大きい。

11月19日(水曜日)
冷え込み強くなる
おお寒。本格的な冬の到来だ。一昨日買ったストーブを点ける。昨日はガスストーブを物色するも、燃費が電気代と同じだと聞き、石油を買う面倒臭さもあるが、石油ファンヒーターしか選択肢はないと判断した。幸い10リットルだと、ポリタンクを片手で抱え自転車に乗る事ができる。小型石油ファンヒーターでも2部屋を温められることが解った。朝の時だけ暖房機にはお世話になろう。さて、今日は全国のナショナル系列店の総会があり、その流れで、ここに立ち寄られた。東北でナショナルの系列店の切り崩しを図っていた私としては、今度は別の立場で支援する方に回る。まるで戦国時代の腰の軽い弱小基盤の殿様みたいだ(「信念はないのか?」「ありません!」)。専門用語をできるだけ使わないように平易な言葉で説明すると、中にはよくわかっている人がいて、スット専門用語で切り替えしてくる。まぁそんなこんなで、汗をかきつつ説明を終えた。こんな懇切丁寧な説明をするのは何年ぶりだろう。名古屋時代以降だから、30年ぶりか?演歌が受けるだろうと「そんな女ひりごと」を演奏すれば大受け。やっぱり音楽はTPOだ。これで寒さも緩んだことだろう。健さんが亡くなったのを知ったのはその後。なかなかあの人のようには生きられないと、何人の人が自己批判をしただろう。

11月18日(火曜日)
一気に運動モードへ
11月の暦と共に運動が途絶えていた。バランスの良い食事と過激な運動が健康の秘訣だと信じている私が運動を控えざるを得なかったのは、田舎の行事と、風邪のためだ。運動がないと空腹で腹がなることもないし、ご飯がそれ程うまくないし、濃い味の料理を好むようになる。しかし、ようやく休暇2日目にして風邪もピークを超えたようだし、ここらで奮起しておかなければ立ち上がるのに苦労すると思った。新聞の夕刊には、高齢者の運動についての記事が増している。少し息を切らすような運動で無ければ筋肉は衰退すると書く。ある記事は、断続でも良いから一日1万歩を推奨する。(電車通勤だと一日8,000歩止まりだった)そこで、今日は思い切ってプールに行くことに決めた。習志野のプールは競泳用で、水温が低い代わりに、利用者が少ない。一往復100mだ。今日はこと始めなので、1,600mで止めた。辛うじて筋肉は残っていて、速度の微調整が出来た。ただし、バタフライは片道50mを泳ぎきれなかった。その後の夕食の味は格別で、久しぶりに美味しいご飯を食べた。食後の読書は疲れで殆ど記憶に残らず、午後8時にはそのまま布団の中へ。


11月17日(月曜日)
何とも素晴らしい演奏会だった
昨晩NHK教育テレビで録画した、アルゲリッチとダニエル・バレンボエムの「春の祭典」ピアノ版は感動した。かつて美人だったアルゲリッチさんも、白髪のおばあさんになっていたのでびっくりしたが、ピアノタッチの強さは相変わらずだ。特に「弦でダンダンと引く恐怖を感じるシーン」をピアノで再現したが、それは見事なものだ。隣に座っているバレンボエムさんと目くばせして、演奏してた。バレンボエムさんは今年の正月の番組で指揮(ピアノ演奏だけでなく、指揮者もできる)する際、指揮棒を落とすなど、失態があり、コリャダメダとの印象だったが、ピアノを弾くのはなかなか鋭かった。DRモードで残したかった映像だ。続いて、東京JAZZの録画番組の内、上原ひろみを見た。ウォーリアと言う曲で、テクニクスの試聴室でも演奏している曲だ。High-Resolution Audio版とは演奏内容が異なり、大雑把な演奏と映った。サイモンフィリップスのドラムスはもっと緻密にピアノに絡んで欲しかった感想だ。一方アンソニージャクソンのコントラバスギターは、アルバムよりも更に上原のピアノと密接に絡んでいた。たぶん距離が近かったので目くばせが利いたのかな?差引しても素晴らしい演奏だった。これでは、High-Resolution AudioとAVとの価値観の違いを説明するのは大変難しいと思いましたね。

11月16日(日曜日)
貯金通帳
計算上予測はしたものの、預金残高が400万円を切った。来年早々に吉崇くんの学費を払うと300万万円を切る。寒い冬を暖かく過ごしたいが、出費は抑えたい。今年の冬は寒い冬になりそうだ。とはいうものの、一応計予測の範囲に収まっているのだが、安心は出来ない状況。まぁ身の丈で生きてゆけということでしょうね。出費の誘惑はいっぱいある。特に評論家先生が持ち込む音源はすばらしく、SACDとは言わずともCDでは揃えたい。リストアップすると計6枚になった。雑誌で紹介される映像方面のBDはリスト作成のみで楽しみ、せめてCDだけは許そうか?などと、葛藤している。朝、早めに国際展示場駅に到着し、駅のドトールショップでコーヒーを飲むのも今週から止めた。2週間でCD一枚買えるからだ。ペットボトルの水は水道水に変えた。一ヶ月でCD一枚買えるからだ。夕食は100%作るのを止めて、弁当と3種の野菜を買ってトータルの金額を下げた。100%自炊は弁当を買うよりも金額が張る。などと節約はしたものの、今週は風邪を引き、ドラッグストアで薬を買えば、こんな節約が一気に飛んでしまった。夜は医者も開いてないし仕方のない事だった。

11月15日(土曜日)
冷え込んできた
朝肩口が寒くて目が覚めた。一気に冬の足音が聞こえてきた。北国から南国へ、再び寒い北へ。これが本来の日本の冬だろう。ここ数年随分と動いた。大阪時代は、冬になると暖かいアジアに出かけていた。それはともかく、高知は条件が良過ぎた。1月でもサンダル履きだった。寒さには人一倍敏感な私でさえも高知の冬は身構えなくて良かった。石油ファンヒーターを買ったが、わずか2回給油しただけだった。転じて千葉のこのマンション。部屋の外壁6面のうち、3面は人が住んでいる。3面は熱が逃げる外壁だ。仙台では車が雪に閉じ込められて一晩車中で明かさなければならなくなった時の為に、防寒服を買った。普通の洋服の上から着込めるようにLサイズを買った。それをここで着用すると、カーペットだけで暑くなった。ここは暖かいのかな?着々と冬の備えを行っているが、肝心の通勤服にコートがない。高知から持ってくるのを忘れた。いつも肝心な事を忘れるのは私のDNAだ。しかし、年末までは我慢出来ないだろう。MrMAXで安価なコートを買うのか?BookOFFで古着を買うのか?2つは近くのモールの中に大きな店を構えている。寒いのとひもじいのは我慢できない。

11月14日(金曜日)
不幸を背負った人
田舎の知人でいい仕事に恵まれず、未だに世帯が持てない人がいる。僕は何とかしてあげたいと、心当たりのドアを叩くも、高齢者の雇用にはスキルや経歴がものをいい、縁故だけでは難しい事をその会社から教えられた。世の中の雇用は多少緩んできているとは言え、一気に北風が止み、太陽が顔を出したわけじゃない。回復したかに見えた、風邪は僕の友人関係のように居着いてくれてるようだ。それで、夜は10時が来たら寝ることにした。布団の中で少し本を読めば、一気に夢の世界に突入だ。その少しの間、読んでいる本が、「原因と結果の法則」だ。「人は自分の望んだように人生を送る」というのが、この本を貫く基本だ。厳しいようで、言い当てている。そして「自己犠牲の代償を払わずして、果実は実らない」とも書く。これも、間違ってない。読んでいて痛い本だ。そんなフィルターを通してみると、先の知人は、この事態を不幸と思っているわけでなく、それで良しとしているかもしれないなと思ったりしている。詮索しすぎないように自分を戒めた。


11月13日(木曜日)
今日は休み
昨日の頑張りは、今日休めると思えたからこそ、頑張ることができたかもしれない。とにかく、今日は完全な回復に努めて、明日からに支障を来さないようにしよう。と、朝遅くまで寝た。洗濯、掃除、アイロンがけ、クリーニングと一連の家事を済ますと、やっぱり一日かかってしまった。少し見え始めた英語の勉強もそのままだ。話は変わるが、先日買ったJapan Times STが随分と読めるようになっているので驚いた。もちろんこの新聞は中学生用に編集した新聞なので、自慢はできないが。それに映画を見ても、わかる部分がある。字幕を見て、この会話はこのように約するのかと余裕のある部分もある。休日に後2時間ほど英語に時間を割り当てれば、もう少し高みに上がれるかもしれない。一昨日は会社に対して、英語圏のお客様は受け付けることを申し出た。少し自分を追い込まないと進展しないだろうとの気持ちもあった。今日はそんなはやる気持ちを抑えて昼寝もした。夜は9時半に布団に入った。

11月12日(水曜日)
意地でも回復せねば
昨日は、風邪薬も買い家に這う這うの体で帰り着いた。体に震えがきて、関節が痛かった。だが、交代要員のいない職場では休むわけにもいかず、これは大変なことになったと思った。熱い風呂に入ると、震えは治まった。取り敢えず、薬を飲んで寝ることだ。夜中にトイレに起きると、ずいぶんと楽になっていた。朝はまだ体が重たかったが、震えはなかった。関節の痛みも治まっていた。もう一度薬を飲んだ。どんな時でも薬は絶対飲まない信念で生きてきたが、今回は信念を曲げた。幸いに午前中は来客の予定がなく、マスクを着用して過ごした。昼食時にもう一度リポビタンと風邪薬を飲んだ。そして、10分ほど休憩室でうとうとした。すると、なんだか元通りの体に戻った感じで、蘇った。午後からの仕事は普段通りにこなすことができた。要は1.5日風邪に伏せったが回復した。休みなく働き続けるといずれこういう事が起きるとはわかっていたが避けられなかった。でも回復できてよかった。

11月11日(火曜日)
8時間寝るも
重い疲労感を持って起きた。最近夜の食事は随分と気を付けて量のコントロールをしているので、内蔵系のどっしりした重みはない。だから、体のだるさだけなんだが、体重が2倍になった感じだ。脚がむくんでいるような違和感がある。パンを齧るのも味気ない。リンゴと柿とミカンのジュースに、森永マミーを加えたジュースも何だか変だ。話は変わるが、高知にはセブンイレブンがないことを前にも書いたが、高知では「森永マミー」が入手出来ない。同じ乳酸系の2リットル紙パックはあるが、値段が200円近くする。マミーは88円だからお買い得だった。携帯電話は控室の机の下に転がっていた。確かにカバンにいれたのだが、リュックサックの横にあるファスナーが少し開いていて、そこからこぼれ落ちたのだ。ここで落下して良かった。もし、他の場所なら大変な事になっていた。ショウルームで早速音楽を実演したが、何と音が随分と荒れて聴こえる。昨日からこの部屋の設備は誰もいじってないはずなのに。そして、幾分か音圧が高い。私の耳か、器機の変化か不明。こんな日に限って、休憩の時間がない予定が組まれていた。昼飯はコンビニでパンを買い、その前の公園で齧り、電話があれば試聴室にかけ戻ることで済ませた。その後の休憩でリポビタンDを買って疲労回復を図ったが全然効かず。これは寝るしかないと知覚した。

11月10日(月曜日)
大阪へ
今日は月に一度の会議の日。大阪の会社でこの一ヶ月の運営について、大阪と東京の情報を持ち寄って情報交換を行う日だ。これにより、私の休日は消失する。疲れが溜まっているのがよくわかる。このままでは体力が持たない。リカバリーを何処かでしなくては。新幹線の往復は寝るだけ。大阪のショウルームを訪問するも、あいにく接客中で、メンバーに会えなかった。会社は、締め日を迎えごった返していた。我々は別室で打ち合わせを行った。一ケ月を過ぎ、我々は一つ階段を登ったような感を受けた。半年もすれば、又違った立ち位置にいる事だろうと思える。纏める情報を打ち合わせ解散した。社長に許可もらい、今週一日の休みを貰った。梅田大丸の地下で弁当を買った。家に帰ると9時を回っていた。全く記憶にございませんがもう一つ残っていて、ICOCAのカードが何時の間にか紛失していることがわかった。帰り着いて探しまくると、洗濯したズボンのポケットの中で見つかった。明日は、携帯電話を探さなければならない。

11月9日(日曜日)
全く記憶にございません
雨模様の日曜日はお客様も少ないのに、なぜか昨日と今日は、朝一番の国際展示場駅は相当な人出だった。若い娘たちは何をいれているのか分からないが、大きなボストンバックにタイヤが付いたものを引いいている。それで、構内を歩くのにも邪魔でおじさんは転げそうになる。バック業界は突然の大需要に驚いた事だろう。今日はお客様の音源で、「ラフマニノフピアノ協奏曲2番」を「ツィーマン」のピアノで聞かせてもらった。今まで頭の中にあるアシュケナージの演奏とは随分と違い、早速このCDは購入しなければならないと思ったわけ。自由奔放に弾くピアノは珍しい。取り敢えず、家に帰ってiTunesを立ち上げて同名の音楽を検索すれば、何とこの購入せねばと思ったCDが、既にリッピングされてHDDの中に在ったのだ。明日は仕事で大阪に行かねばならず、レポートは本日中に仕上げて発送しておかねばならず、レポートの仕上げに勤しんだ。さてメールをとモバイルルーターを探すもカバンの中にも机の上にも何処にもない。大変だ。電話も一緒に無い。とにかく大阪の仲間はレポートを仕上げ僕宛に送るから、それをクライアントに変更するよう連絡のため、近くのセブンイレブンに出かけた。公衆電話をかけるためだ。私の分はFAXで送るとクライアントに連絡もお願いした。しかし、よりによって、この大事な日にモバイルを何処かに無くするとは何たる不覚。だが、記憶のどこを引っ張り出しても、この電話の件は情報がない。最近数日間隔で頭がキリキリと痛む。脳に何か異変があるかも知れない。

11月8日(土曜日)

かつて、営業をやっていた時期、土曜日の雨は、ビジネスも、電話も止まり心安らぐ日だった。朝風呂に入り本を読んで、さてこの2日間は何をしようかな?このひと時が一番楽しかった。時は過ぎて、土曜日も仕事をする事になり、カッパを羽織って自転車に飛び乗り出かける。しかし昔のような仕事に出かける時のストレスは無い。それは、色んなものに無感動になってきているためもある。風景に色彩がなくなり、楽しさと苦しさの山が平準化されて、平たく感じる。自分の事も見えるようになったが、相手の事も見える。だがそれで人付き合いが楽になったかと言えば、「変わらない」。職場では、相当な美人のアテンドさんが「岡村さぁ〜ん、お客様をご案内しました」と黄色い声をかけてくれるのだが。色彩の欠如は今に始まった訳ではない。3年前くらいから256色が、250色になり、245色になるような感じで、少しづつ色を失ってきているのだ。昔は雨が降っていても色があった。多分、VIERAのカラーマネジメントのように、記憶色が補っていたのだろう。今は雨景色だと更に色が抜けてモノトーンになってしまっている。友人は白内障で色が落ちたと言うが、僕の場合は気力の衰えだろうと思っている。

11月6日(金曜日)
朝一番は台所の拭き掃除。千葉で食するミカンの収穫。部落長への挨拶。友人宅の皇帝ダリアの撮影。叔父さんところへの近況報告。購入したCDをダビングして友人にあげる作業。そして、空いた時間で、昨日申し出てくれた農道の竹やぶの切り崩し。この竹には藤のツルがまとわりつき、こんがらがった釣り糸状態でどうにも手が付けられない。竹を根元から一本一本切り、次にその竹を途中から切断して糸口をつける方法で、ひと固まりの藤のツル一家を処理するのに30分を要する難作業だ。手と目に軽い 怪我を負いながら2時間格闘し、1/3ほど片付けた。後はお正月休暇だ。再び友人が迎えにきてくれた。高知空港に送って頂くためだ。今回もいつものことながら本当に申し訳ない程友人にお世話になった。僕は何もしてあげられない。飛行機は無事羽田に到着した。重い荷物を抱えて(ミカンと柿を大量に持ち帰ったため)いたので最寄り駅の大神宮下(伊勢神宮の支社)駅まで乗車した。駅に近い住居は誠に都合が良い。住み慣れた?住居に帰ってから気がついた。今回購入したCD全てを高知に忘れてきたことを。たまった新聞を読みながら、冷蔵庫の残り物で夕食。高知で栄養を蓄えたので、暫くは粗食だ。


11月6日(木曜日)
先祖様のお祭り
友人が駆けつけてくれた。まずは、買い出し。朝取れの茄子があった。これと、ピント張ったネギ。カラ揚げにして調味料にニンニクを加えて味付けしよう。これは、自家製の添え物だ。スーパーフジでお惣菜の買い物。一応メモってあるリストに基づき購入。重いので友人の応援は助かる。帰ると、もう一人の友人と合流。彼は午前中仕事だった。昼飯に海の見えるレストランへ。ビールを飲みながら歓談。昼間の飲酒運転は僕らの間では日常茶飯事だ。自宅に帰り墓掃除。秋は、幹事の家のみが墓掃除とのこと。友人に手伝ってもらって、短時間で片付けた。そのあと、母屋の宴会する座敷の清掃。これも友人の手を借りた。大変お世話になった。先祖様のお堂は家から30m程山に入ったところにある。お堂の中の落ち葉を取り除き、周りの落ち葉も熊手で取り除いた。これも友人の手を借りた。今回は本当に友人のお世話になった。父が刺身を取りに行ってくれるので、僕は夜のお客(宴会)が始まるまでに30分程空白の時間が生まれたので、ジミースミスの「CAT」のLPレコードをかけた。随分と聴き込んだLPなので、針音が少しうるさいが、ノリの良い演奏を奏でてくれた。上原ひろみの「ALIVE」(CD)で音を追い込んだので、少し高音が優っていた。ウーハー用のアンプボリュームをあげると丁度の音になった。今後が楽しみの調整が出来た。土佐の「お客」は、いきなりガブガブと飲み始めるので、直ぐに酔ってしまう。それに日本酒と同じようにビールでも「返杯」がある。コップ一杯の返杯は辛い。それにビールはギンギンに冷やしてあるので、一気飲みは腹に堪える。どうしたわけか今日は普段にも増して帰るのが遅く夜の9時過ぎまでいたから、帰ったら後の片付けは酔っているし大変だった。だが、近所づきあいはメリットもある。我が家の西側には畑があるが、その西側には山に登る狭い農道がある。今は竹に覆われて道の半分が塞がっている。僕がこの竹を片付けることで、この農道の終点にある我が家の畑をトラクターで耕してくれると申し出があった。次回帰った時には、早速取り掛かろう。

11月5日(水曜日)
田舎へ
明日の先祖様のお祭りの為に高知に帰る。東京に出てくる前に、近所のヨシミチ君にお祭りの日程を伝えてあったが、全く記憶されてなく、ウチの父に日取りを聞きに来た次第。高知の人は、普段から酒量が多いので、年齢の割に老化が激しいかも知れない。友人のT氏に迎えを頼んだら、ボラを釣ったから食べようと返事がきた。ボラは海底の泥を漉して餌を摂取し、泥が汚いと味も臭い。しかし冬になれば、泥にも臭いがなくなり、身の臭みも取れる。これが一般的な話。芸西村から赤野にかけての川と海は、夏でも冬でも底が見えるほど透明度が高く、ボラの臭みは関係ないのがポイント1。さらに気温が下がりボラに脂肪が付き味覚が向上するのがポイント2。という訳で、今夜は仲間と酒盛りにとなる。高知への飛行機便は、楽天で予約し、34,000円で往復できる。ホテルで2泊付きだ。年末年始は24,000円で往復できる。飛行機業界も大変だ。人を運ぶ他に付加価値をつけることが出来ない以上価格競争しか手がない経営者は、見えない部分での合理化しか打つ手がない。そうこうする間に高知龍馬空港に到着。友人は早速波を見に海岸に連れて行ってくれた。台風の波は幾分収まるも、海岸には打ち寄せる白い波が長く伸びる。昨日の様な水平線を超える大きな波はもう来ないと言う。台風の余波は消えた。帰ると村役場からの通知があり駆けつけた。健康保険の要件だった。次は、安芸市の警察。免許署の住所変更。大阪からの変更となる(仙台在住時は変更しなかった)。待ち時間に掲示板のポスターを見ていると、凶悪犯人の情報求むとある。顔写真はみるからに凶悪だ。この人相なら殺人もさもあらんと思いましたね。徘徊老人の行方不明。チョット目を離した隙に疾走。失踪先は高知の場合、海の可能性が高いと思う。友人宅で久しぶりに歓談。あっと言う間に9時がきた。空を見上げれば今夜は、「13夜」「十五夜お月さん」も見たので、片手落ちとならないようにと13夜も愛でた。

11月4日(火曜日)
夫婦のデフレ価格
今日は疲れ果てて目が覚めた。起きた時から疲れているとはおかしな話だが、確かに重い疲労感がどっしりと体の中に残っている。プールへ通って無茶苦茶やっているほうがむしろ疲れが少ない。まぁ今日をつつがなく過ごすと、明日から休みだと自分をだまして、リポビタンDを飲む。面白い傾向があることを発見した。私が一生懸命商品説明している商品は、セットで500万円。アンプ一つとってみても、160万円と高価だ。しかし世間はこう言う商品をいとも簡単に買える人もいる(特に首都圏には)。そんな人たちと話をしていると、どうやら奥方には、とてもその価格を伝えることが出来ず、ずいぶんと安価な価格で伝えているとのことだ。そういえばAccuphaseはそんなことも含めて、MarkⅡ的な商品はデザインを変更せず商品企画をするとのことを聞いたことがある。奥方に買い替えたのが発覚しないためだとか。なるほど。ここから先は推測だが、百貨店の外商なんかは、奥様に服飾とか宝石とかを販売するが、奥様だって旦那さんにそんな高価なものを買ったとはいえないから、安いバーゲン品だと価格をごまかして購入しているだろうな。かくして、オーディオマニアのいる家庭は、結構なデフレ価格が幅を利かしていることになる。

11月3日(月曜日)
世間ズレした人間の作り方
一週間に6日働くと、ホント休日の有難さがわかる。一日が早く終わらないように、朝早く起きて家事を済ます手もあるが、お疲れなので、ゆっくりと体を休めることにした。いつも夢の中で聴いている、午前7時前のカツカツと、いかにも「私はビジネスをしてます」的な鼻っ柱の強いOL(本人を見たことがないのだが)の靴音が聞こえない。はてな?。そうだ今日は休日なんだ。昨日Japan Times STに桑田佳祐氏が秋の褒章を受章する記事が出ていたのを思い出した。起きた以上はゆっくりとしていられない。レポートを発信して、掃除、洗濯、アイロン掛けと家事が山積している。クリーニングの回収を終えたのが午後5時前。今日はスタートが遅れたので、プールの時間がない。そういえば最近はテレビをつける事さえしてない。日曜日の朝は、この一週間の出来事をまとめて放送する番組もあるが仕事のためノーチェック。これでは仲間とお酒を飲んだ時についていけない。その上、すべての関心ごとをデジタルオーディオ一本に絞っているから、片端者になっている。益々世間が遠くなる。



11月2日(日曜日)
倒れそうなほど疲れを押して
疲れている。運動の疲れとは違う。睡眠不足みたいな重い疲れ。昼間2時間ほど横になれば取れるような疲れ。40年間土日休みの生活を送ってきたので、週休1日では疲れがほぐせない体となってしまったのだ。それでも客が来れば笑顔で楽しく明るく対応する。結構面白いからだ。今日は富山から来た親子がいろんなことを教えてくださった。父は、近くの電気店でTechnicsの100万円するアンプのカタログを貰い、毎日それを眺めてはオーディオを所有する夢を見ていたとか。それを息子に伝えたくて、連れてきたと。偉い!。息子はiPadに入ったお気に入りの音楽を選曲した。こんな父と子の関係もあるのだと感心することしきり。もう一人はヘッドフォンを極めた男だった。ヘッドフォン再生だけで100万円の費用を投下し、この世界は分かったと言う。SENNHEISER(ゼンハイザー)まで行き届いたと言う。それで給料も上がったのでスピーカーに向かうと言うのだ。なるほど安倍政権の政策がしっかりと実現されているわけだ。お金をためて老後に備えろと言う僕の教訓は言わないことだ。今日は夕食を作る元気も出なかったので、「すき家」で牛丼を買い、野菜サラダを添えて晩飯とした。映画も見ることなく床に就いてしまった。
<東京で見る高知のよさこいは、なんだか色あせて見えた>

11月1日(土曜日)
夕食について
夕食の献立は、スーパーのお惣菜コーナーで食べたいものを物色して、その材料を買い求め、創作料理を作っていることは、前回紹介した。今日は傑作ができたのでこの紹介。マカロニサラダだ。ずいぶんと簡単ですねと聞かないで!まずマカロニを茹でる、おじさん料理は塩分ご法度だから、塩は使わない。一方で、ジャガイモ2個をむき、4つ切りにする。玉ねぎも4つ切り。ベーコン6枚。これを調理カッターにかけみじん切りにする。フライパンに軽く油を引き、炒める。炒める時間は4分程度。切り刻んでいるので火の通りがよいからだ。火を止めてこの上に茹で上がったマカロニをふりかけ混ぜる。マヨネーズを上から絞る。程々に美味いが、お醤油を垂らせば、最高になるが、これは確認の為で、お醤油は使わない。塩分控えめと言うか、味気ない調理だが、食べられないことはない。と言うのは、今日は大変なショックを受けた。また一人知人が病気になったと連絡がきた。年が年だし適齢期に差し掛かったんだな。病気は食べるインプットとエネルギーを出すアウトプットのバランスが崩れていたからだろうと推測する。それに塩分が引き金となったのだ。もう少し生き延びて、高知で音楽三昧の日々を過ごすためにも食事は自制するぞと誓ったのだ。

10月31日(金曜日)
如何に笑いを取るか?
今日は大企業の幹部が来られた。どこの会社も取り巻きが多いのは、江戸時代からの日本の風習だ。こうした会社のTOPは普段緊張した仕事をしているから、リラックスできそうなオーディオの試聴でさえも厳しい顔を解くことができない。真面目に商品を紹介しながら、如何に笑いを取るかは重要な僕の役目だ。取り巻きはメモを取ったり、TOPの発言を固唾を飲んで見守っている。この会話に笑いを入れないと、印象に残らないのだ。だが、視点を変えれば、普段接している「ただのおじさん」だと思えば、そんなに難しいテクニックで笑に持ち込む必要はない。下手なジョークで十分だ。おじさんを乗せるのはそんなに難しい事ではないからだ。だが、いろいろなタイプの人間がいるので、こちらは、質問を聞きながら、表情を見ながら、どんな手が通じるのか吟味するのだ。一旦定年を迎えて、仕事への使命感は消えたから、緊張感は無い。現役の頃は、野望もあったので、きっとその頃は自由にモノが言えなかったかもしれない。それに現役の頃は、こうした大企業の幹部にそう頻繁に接することもなかった。今は日常茶飯事になっている。

10月30日(木曜日)
毎日違う人と1時間
毎日顔の違う人が1時間、この部屋をキープして、僕との濃密な時間を過ごす。いろんな人がいるが、それなりに接して満足感を持って帰ってもらわなければ困る。それでは、這いつくばって平身低頭かと言えば、それは客が望んでない。どんな客でも少しは聞く耳を持っているから、こちらも主張が必要なわけだ。それに自分に多様性があるとはとても思えない。そこで、いくつか心の余裕のために逃げの手法を使っている。それは、客のプロフィールを聞くのだ。大概この手で言いたいことを言い放ってくれる。ガス抜きですね。次の手法は、お客様の持っているソフトを演奏する。この部屋は基本的に準備した音楽しか演奏できないしくみだから、私の手法は社内ではご法度だ。しかし、お客様が差し迫ったら対応せざるを得ない、と言う規定を積極利用するのだ。自分の好みの音楽を演奏できれば、自分の普段聞いているステレオと比較できるわけで、帰る時の満足感は高くなる。それに、自分が知らなかった音楽と出会えるサブメリットもある。ということで、厳しい週6日勤務に耐えているのだ。

10月29日(水曜日)
アナログ音源は
現在Technicsの試聴室はハイレゾ音源の帯域の豊かな音源を使っている。ではこのシステムでアナログ音源(アナログレコード)を聴けばどうかな?これは普通の人間が寄せる興味である。そこで、まだ誰もお客様がいない開館前にiPodに記録したアナログ音源(MP3 256Kbps)を500万円強のReferences systemで再生してみた。この録音はカートリッジにDENON103 アームにTechnicsEPA100 プレーヤーにSL1100 プリアンプにSUA200ろ使い、オンキョウのADコンバーターでMP3 256bpsに変換したものだ。全部で54曲もあるので、未チェック曲もあるが、ZARDの「君に逢いたくなったら」スピッツの「渚」は結構行けるではないかと思う。レンジは少し狭いが、ハイレゾ音源と比べると楽しみは半分以下か?全くそんなことはありあせん。って感じ。やはり高級品はこんな音源でもそれなりに奏でてくれると言うことを知った。いろんな音源で楽しんでみよう。

10月28日(火曜日)
品番と価格とお国
高級オーディオの世界はパーツや、アンプメーカーや、音楽家と音楽など、覚えなければならないことがあまりにも多い。そして出身国も。最近は日本のメーカーも英語名だから、ネットでしっかりと調べておかないと客の話についていけない。音楽家についても、コンサートホールの音響についても論議がされた。ほんと多義にわたって知るべきことは多い。昔のように、週2冊の雑誌読破に習慣を戻し猛勉強中だ。それに、新たな発見をしたのは、インターネットでいろんな調べ物をしている間に英語の理解力もずいぶんと進んだように確認できたが、今日は前日買ったJapan Times STを電車の中で広げたら、辞書なしですらすら読めた。STと言うのは中学生のためのもので優しい英語で表現されているので、まだ十分な力があるとは思えませんが。ま、とにかく英語を日本語に変換することなく、英語のままで理解する方法ですね。これで読めたわけです(これを極めると日本語がおかしくなるのですが)。とにかく、久しぶりのオーディオワールドにどっぷり足を突っ込むわけですから、この6年間に抜けていた知識を取り戻さなくてはなりません。

10月27日(月曜日)
人の仕事している間の休み
メールや電話は来るので、やっぱりこれは、異常だと思いますね。日曜日はやっぱり休みリラックスすることですね。交代要員が確保されるまでは我慢の日々が続く。風邪をひかないようにうがいと手洗いは必須。これから寒くなるので、手洗いに問題が出て来る。手洗いをまじめに行うと、油成分が抜けて指先が荒れてくるのだ。若いころはこんなことはなかった(まじめに手洗いもしなかったが)ニベアは必須だが、試聴室にニベアを置くわけにいかず少し頭を巡らせなければならない。それでまた業務の話。耳の仕事をしているので耳鼻咽喉を訪ねた。耳の周波数特性のチェックだ。どうも右が良くないような気がするからだ。検査の結果、年齢からくる耳鳴りはあるが、特性も揃っているので問題ないと言う。良かった。健康増進のためにプールに行った。平日なので、プールは空いている。曇り空で少し肌寒い。プールに入るには相当な勇気が必要だ。100mも泳げば体が馴染み寒さは忘れる。夕食の買い出しもスムーズだ。日曜日の特だしはなく、日常の品物と価格だ。「その平凡が幸せだと思わなければ~」なんか聞いたことあるぞこの歌詞。Roadだ。




10月25日(土曜日)
職場の完成
この部屋で、毎日お客様を接待するのだ。天井が高く、ホールほど大きな部屋ではないが圧迫感は全く感じない完全遮音の部屋が完成した。残響特性、周波数特性も一般の家屋や、販売店の店頭などと比べても、全く問題にならないくらい優れた部屋だ。それに部屋の構造は左右対称だ。ここで演奏する音楽はCEATECで使用したのと同じ。しかし、僕としては少し気の利いたことをしゃべらないとと思い、楽曲の下調べをした。有名な人は日本語での紹介記事があるものの、そうじゃない人は英語バージョンしか検索にヒットしない。仕方ないから英語版のwikiを読むと、辞書なしでも読めるではないか?「えっ!」いつの間に?まぁ今回は時間がないから、自己分析はさて置き先を急いだ。案の定、お客様は音楽の事を聞いてきた。調べておいて良かった。とにかく、自分の持つものすべてを、使って仕事をしている。なかなか、引き締まるぞ。

10月24日(金曜日)
つかれるぜ
注意に注意を払っても、睡眠時間は削られる方向にあるのが、今回の仕事だ。今日は、オープン前日でマスコミ対象の事前お披露目会。ものすごい大勢の人たちが見えて、その人々にオーディオのデモを行う。15回公演だ。午後9時終了。急いで帰ったが、もう近隣のスーパーは閉店している。近所にある24時間のローソンに向かい、100円均一のキャベツとソーセージを購入。キャベツとソーセージを刻んでいただく簡単な夕食。空腹のまま寝る。ここで腹いっぱい食べると明日の朝はもたれて食えないだろう。朝、空腹で目覚めるのが最高だとは、スリランカに行くとき学んだ教訓だ。当時は関西を午前10時に出発して、コロンボに日本時間の午前3時(日本時間午後23時半)に到着するのだ。こんな時、腹が朽ちていては明日の朝はどうなるのか分からない不安から学んだ教訓だ。食事の時間を削っても、床に就くのは午前0時だった。

10月23日(木曜日)
今週は長い
この3週間は月曜日の休日だけで、連続6日出勤を続けなければならない。元気が取り柄のおじさんにとってもつらい。しかし仙台での仕事はもっときつくて46日連続出勤となったこともある。さすがにこれはエネルギーが切れて、風邪をひき1日休暇を頂いた。今回の仕事は代わりがいないので、健康には注意が必要だ。睡眠時間だけは厳重に管理しなければならない。夕刻の6時にショウルームは閉館し、急いで鍵を閉めてチェックの上、鍵の返却をすれば、6時20分の国際展示場出発の電車に乗れる。新木場で乗り換えの電車は6時30分だ。6時45分には最寄り駅の南船橋に到着する。「ららぽーと」を通り過ぎ、次の交差点を渡ると、生鮮市場がある。ここで夕食の材料を買い求め、自宅に帰りつくのが、午後7時10分。つまり、夕刻のNHKニュースが見られる時間には帰り着いている。定年後の仕事としてはこれ以上望めない時間だと思う。今晩はひじきとレンコンと豚肉を油で炒めたものがメインだ。お惣菜コーナーで眺めて食べたそうな料理を、自分で献立てるのだ。多少の味の違いは問題なし。食事の後急いで風呂に入り、雑誌を眺めながらの風呂は40分。ここまでで午後9時。熱気を覚まして10時には布団に入る。こうしないと、6日出勤の仕事には耐えられない。

10月22日(水曜日)
大雨
今日は朝から大雨だ。カッパを着て自転車で南船橋駅まで行く。高知で言えば、西分の自宅から、土佐電鉄の旧西分駅に行くよりも、少し距離が短い程度かな。10分で着く。妙に今年は雨が多いような気がする。京葉線は東京行き普通電車と、東京行き快速電車と、武蔵野行き普通電車とが停車する。そして、東京行き快速電車と、武蔵野行き電車は電光掲示板の表示がよく似ている。そして、今日は間違えて、武蔵野行き電車に乗ったのだ。電車はすきすきで快適だが、南船橋から武蔵野線に入り、総武線の西船橋に着くことになる。総武線では、新木場に行けないから、再び武蔵野線東京行きに乗ることになる。この電車は、ぎゅうぎゅうづめの電車だ。しばらく、こんな電車に乗り慣れてないので疲れてしまった。田舎者まるだしだ。事務所に到着して、今日は一日中新リスニングルームへの搬入だ。疲れの上に、疲れを重ねる。今月になって搬入と撤収を何度も行ったが、今回が最後だ。搬入というのはパナソニックセンター東京の建物の中に、テクニクスの試聴室を別途つくり、その中に機材を入れることだ。この試聴室はドイツの展示会から一貫して同じ規格で作られてきているので、スピーカーの設置場所とかは㎝単位で決まっているから、淡々とそのマーカー下部分に置いてゆくだけの単純作業だ。こんな高級システムが、短い間にセッティングできるなんて夢のような話だ。ショウルームの閉店時間までに完了した。

10月21日(火曜日)
就任
新しい職場を訪問した。本来ならクライアントと一緒の訪問だが、今回は一人で訪問した。知らんところじゃないし、まぁいいわ。でも、ビルの通用門を知らないぞ。と現場についてから思い出した。昔、確かここを通ったことがある。その時、丁度窓口の方が現れて無事私を案内してくれた。いくつかの手続きと打ち合わせを行った。そこには、二人の知り合いがいた。そして記憶はないが一緒に仕事をしたことのある人がいたと申し出てくれた。その人は、テクニクス横浜で働いていた人だ。私が、小田急ショウルームを離れて四国に転勤した後に勤務された方だ。どうやら一緒に会議に参画したこともあり、横浜のショウルームを訪問したこともあった。手続きは午前中で終わり、午後は銀座に出かけた。銀座にはパイオニアとソニーのショウルームがある。有楽町で下車してまずはパイオニア。筋を1本間筋を間違ったが、iPhoneの地図があるので問題なし。この地図で東北の名もない販売店を正確に訪ねることができた。ホントに優れものだ。パイオニアはTADの試聴ができた。一本が300万円超のアンプやスピーカーなどだ。何かと比較しないと、この音を正しく評価できないのは、こちらの耳の衰えだ。漠然とではあるが、モニタースピーカー的な音の出方だった。録音のチェックには向くだろうが、音楽を楽しむにはちょっと違うぞと言う感じだが、確証はない。次にソニーのショールームを訪問。何と銀座4丁目のワコービルの正面にHairの大きな電照看板があった。時代は変わったのだ。ソニーのショールームでは、お出かけ転送について教えてもらった。DHCP-IPの緩和で、ソニーの端末で無くてもお出かけ転送が可能とのこと。iPad買い替えの時期が来たのかな?と心の片隅を購買意欲が横切った。

10月20日(月曜日)
秋祭り
朝遅く起きて、洗濯を済まし、松下健康保険代金の支払いに出かけた。するとどうだ、目の前の神社で相撲大会と秋の収穫の奉納祭が執り行われているではないか。特に奉納祭は今まで見たことのない、厳かなもので、神主さんと巫女さんがお面をかぶって、神に対し御礼の踊りを披露するのだ。多くのアマチュアカメラマンが来ていた。踊りの速度は遅いが、表情のないお面でもうまく収めようとするとやはり連写が必要だ。LUMIX GF2で撮影した。このお祭りはもっと昔は華やかだっただろうと推測する。それからクリーニング店へシャツの回収。なくなって困っていた郵便局のキャッシュカードがワイシャツに張り付けてあった。なくなったと気が付いたのは1週間前で、ずいぶんとのんきに構えていたが、無事だった。自分はいい加減な人間ではないと思っているが、やっぱりいい加減もまだずいぶん持ち合わせていると思った。それから、プールへ。今日は夜に1本レポートがあるので、1.5kmに抑えたが、プールまでの往復80分が利き、眠たい目をこすってレポートを書き上げた。

10月19日(日曜日)
今日は本格的にいただいた話
毎日の接客は疲れると言えば疲れる。それに、CEATECは美人のMCが居て商品紹介をしてくれたが、今回は私のような不細工な男が話をしなければならない。しかし、美人のMCにはできないおじさんなりの話をしようとと思った。例えば、単なる音楽の紹介ではなく、音楽の背景や、演奏者の演奏の仕方や音楽の聴き方なども、含めて、個人の趣味の延長線上で話をした。すると2回に一度の割合で拍手が来るのだ。どうして2回に一度かと言えば、二回目は疲れていて三回目には元気が回復するのでしょうね。もう一人MCの男性がいるが、向こうは拍手の回数が少ないが拍手の音が大きい。よぉーし僕も次回は大きな拍手を貰うぞと頑張る。これは結構疲れるのと、喉が渇く。MCは連続だから水を飲む暇もない。そんなこんなで、この3日間は終わった。この仕事に値する興奮を納める方法は、一つしかないと思った。酒を飲んで映画を見ることだ。そして、何て!タイミングよく届いたのだろう!友人がBallantine’s17を送ってくれたのだ。それに、ウィスキーは頭が冴えるので映画を見るには最適のお酒だ。映画はまたもや1945年当時の映画だ。「連合艦隊長官 山本五十六」「ラストスタンド」楽しかった。

10月18日(土曜日)
いろんな個人の事
普段は木工でお盆を作っている。ところがこの社長さんは趣味が高じて、木工技術を駆使して、スピーカーボックスを作ったのだ。丸太をくりぬいてだ。カネキン小椋製盆所さんだ。服装も陶芸家のような和服を着ている。小さなスピーカーで、結構堂々とした音を出している。何よりも木工製品の美しさが目を引く。奥様も、会場におられて、お盆を作る苦労話をされる。長野の田舎に、クラシックの試聴ルーム、JAZZの試聴ルームといくつもの部屋を構え、オーディオを楽しんでおられるとか。まだ若いのに、楽しむのは少し早いぜ!とは言えないのような幸せぶりだった。オーディオ評論家の麻倉怜二さんも来られた。インターナショナルオーディオフェアで先生のネタを使って商売してますと2点ばかり紹介した。「本来ならお金を払わないけないのに」と申し上げると、うれしそうに、それだけ利用してくれていると噺家冥利に尽きると喜んでおられた。こちらは、雑誌で顔を何度も拝顔しているので親しそうに話しかけたが、先方は当方を全然知らないのだと、後で気が付いた。他にも、元Hi-Vi紙編集長の山本浩二さんや潮晴男さんとも、親しそうに話した。が、向こうは初対面だ。でも感心したのは、私のいるコーナーから帰るとき、私は他の人と接客していたが、私に向かってきちんと手を上げてあいさつをして帰ったことだ。なんとなく、この世界のネットワークに足を踏み入れた感じがした。

10月17日(金曜日)
自慢話が中心の音展
来場者の多くは老人だ。リッチな老人だ。若い人はオーディオに関心がない。その老人たちは、ここに来て新たな情報を仕入れるのか?と思えばそうではない。ここに来て、メーカーの人に対し自分の考えや持ち物のオーディオ機器を披露するのだ。中には、写真まで撮影してきて、見せてくれる。ほめると調子に乗って腹の中の臓物まで見せてくれる。アナログレコード聞くから、最新のハイレゾ音源に興味はない。また、あってもハイレゾ音源をネットを使って入手する方法が分からないだろう。外国サイトにも多いのである程度は英語の理解力も必要なのだ。それに、第一、最近の演奏者による音楽は聞きなれてないので、耳になじまないのだ。僕だって、ベートーヴェンの3大ピアノ(月光、熱情、ワルトシュタイン)は、アシュケナージで刷り込みされているので、ほかの人の演奏はだめなのだ。アシュケナージさんは、今は指揮者で演奏はしてないのだ。たぶん、アナログレコードを聴く人と言うのは、愛着もあるだろうが、耳馴染みの要素も多いと思う。そんなことで、今日も一日中、来場者の話を聞き続けた。聞き方としては多少失礼ながらも、こちらとしてはどんどんと話の腰を折って、話を違う方面に振るのだ。そうするとまた話し出す。そして、また振る。すると、その人の大方のプロフィールが分かってくる。そして、話す方もだんだんと疲れて来る。それは自分の話したい事以外の話もしなければならないからだろう。そうしてお帰りになる。「ありがとうございます」これでもwin-winの関係だ。

10月16日(木曜日)
今度は音展
正確にはAudio&Home Theater Exhibitionと呼ぶ。お台場のテレポートセンター前のTime24で開催される。今日はこちらの準備だ。CEATECと違い、特別な試聴室は作らず、会議室での実演だ。測定すると会議室は相当なデッド(吸音が聴いた状態)。200Hzに大きな落ち込みもあり、なかなかコントロールが難しく、あるところで妥協をした。これ以上改善の方法が見つからないためだ。隣は、ビクターさん、その隣はNHKさん。音のデモはNHKさんが大きく、通路を隔てたこちらまで響いてくる。デモは8K映像だ。世の中のTVは4Kにシフトしているが、本命は8Kなのだ。2016年には試験放送が開始されるので、慌てて4Kのテレビを買わなくても良い。と理屈ではわかるが、65インチ程度ならもう4Kで十分に楽しめる画質だ。85インチでも4Kで十分と思わせる説得力がある。話がそれた、オーディオの事に話を戻そう。高級オーディオ市場は推定、全世界で400億円程度だと言われている。ところが、こういう世界の統計に乗らない小さなメーカーが一杯あって、それらが今回のフェアに出展する。つぶさに見れば、なかなか魅力ある商品の出品もあるのだ。たぶん企画台数は一桁くらいのメーカーだろうが、これらを合計すれば、もう少し大きな市場ではないかと思うのだ。目で見る映像は優劣がはっきりするが、耳で聞くAudioは優劣がつけにくいので、気分や体調によって善し悪しが変わるから、難しい反面、意外と健闘できる余地もあるのだ。そこが、オーディオ商売の妙味だ。

10月15日(水曜日)
偶然にも
この間から立て続けに、大東亜戦争のあった1945年近辺の物語に触れている。今日はたまたま録画済みの番組「ホワイトタイガー」を観たら、これまたソ連がドイツに攻め込んで戦争終結となった時の映画だった。これで4連休に4つの終戦前後の事件に触れた。こうも偶然が重なると妙に気持ちが悪くなる。たまたま今の時期はそういうものがありふれている時なのだろうか?読書と映画でこの4日間を過ごした。2年半ぶりに僕の本来の生活が戻ってきた。まぁ今日は朝から雨だったので、どこかに出かける気持ちはなかったのだが。これだけは欠かせないので出かけたのが夕刻のプール。この50mプールが気に入っている。体重を測ったが、2kmでも100g程度だ。普通のプールは1km泳ぐと1kg体重が落ちる。これは汗をかくためだと今日わかった。だから、3km以上泳ぐと風邪をひくのは理解できた。競泳用のプールは相当水温が低いので、泳いでも汗をかかないため、体重が落ちない。次回は体力の限界4kmに挑戦してみよう。

10月14日(火曜日)
台風一過
夜中に何度か窓をたたくような雨が降ったが、それっきりだ。朝起きると晴天が広がっていた。芸西村も被害なしとのメールが届いた。今日はANAのマイレージが切れるとのメールが届き、何とか現金化せなぁあかんと七転八倒、それはパスワードを忘れたためだ。そしてiPhoneのメモ帳に記録したパスワードのページがすべて消えてしまっているのだ。それで、パスワードを思い出す作業に午前中かかり、やっとのことでANAのサイトに入ることができた。調べるとANAの航空券に変換するのが一番お得とわかり、10,000マイルを使えるような作業を行った。午後は、昨日の書籍の続きを読み、再び昨日と同じプールへ。今日は50mを開放してくれていたので、オリンピック選手になった気持ちで2km泳いだ。このプールは2mと深く、一般人もここで泳ぐのは少なく、一レーンを占有することができるからなかなか快適だ。それに、利用者が少ないので水が澄んでいる。これで3日目。6kmだ。台風一過の風景と同じく僕の体も爽やかだ。

10月13日(月曜日)
いよいよ台風来襲だ
ニュースでは盛んに報道されるが、こちらは一向にその気配無く、本当に無風状態だ。先日、映画「永遠の0」を観て大東亜戦争がずいぶんと頭を占領したが、今日読み始めたのは「海賊と呼ばれた男・百田尚樹」だ。この本も昭和の男が登場する感動の物語で、終戦から物語が始まる。いずれも戦争が生んだ男の生き方を描く。もし、戦争と言う悲惨な出来事がなければ、こうしたヒーローは生まれなかったかもしれない。などとうがった見方はいけない。昨日買ったThe JapanTimesには、昭和天皇のメモが一部英字で公開されている。この文章は、昭和20年6月30日と8月2日に戦勝祈願として、神社に祈願をさせている不思議から書き始めている。日本人作家なら、時代を追った文章の中に、こうした不思議を書き込むのだが、やはり外国人の見方は少し変わっていることを感じた。こうして、CEATEC終了後は、たまたま終戦前後の物語が頭を満している。これから起こる何かに関係するだろうか?田舎の友人に台風消息を尋ねるも返答なし。国土交通省のレーダーでもその気配無く、今回の台風は言うほど迫力がなかったかもしれない。それで、台風はあきらめてプールに出かけた。千葉県の水泳競技場だ。50mプールを横に仕切り、25mとしてたくさんのレーンを開放していた。公認の競泳プールは深さが2mあるので、足が着かない。ターンのスピードが遅いと、結構深く沈むので、水面に出るのに時間がかかる。本日は無料開放日だったが、お客様も少なく、自由に泳ぐことができた。オリンピックなどで水泳を見ると、プールが小さく見えるが、実際はとても深く、下のタイルは流れるようには進まない。バタフライで真剣に何度か往復したので疲れ果て、9時に就寝。

10月12日(日曜日)
プールでリフレッシュ
ぐっすりと寝て、昼寝をすれば疲れは飛んで行った。目覚めに玄関チャイムがなり、出るとNHKの集金。絶対に引き下がらない。とうとう2600円払う羽目に。それで玄関のチャイムの電源を切ってプールへと向かった。嫌なことも、いい時もプールは頭と体のリフレッシュで40年以上の付き合いだ。芸西のプールはレーンが小さいので長時間水泳は控えていたが、こちらは泳ぐレーンがたくさんあるので、1時間程度は問題ない。明日のこともあるので今日は2km泳いだ。2.5kmの水泳は帰りのペダルは思いが、2kmは爽やかそのものだ。プールから出て自転車の鍵を開けようとしていると、大きな犬を連れた婦人が来た。少し話を聞けば、主人と娘が犬を飼うと始めたが、主人は倒れ、娘は手を出さなくなったので私が世話をしているという。セントバーナードは45kgの体重で、怒ると噛みつき、骨折をする大けがを負ったそうだ。こんな大型犬を飼う人はめったにいないのでヒアリングは重要だと聞き込んだ。台風ではリフレッシュできなので、ほかの事で埋め合わせだ。

10月11日(土曜日)
Facebook
この刺激的な5日間はFacebookに掲載した。掲載すると瞬時に反応があるので面白いですね。掲載内容はすべて英文とし、フィリピンとベトナムと、シンガポールにいる知人が読めるようにしている。日本でも海外で一緒に仕事をした人は読めるので反応がある。皆既月食の写真も反応あったし、僕がテクニクスで働くことに対しても反応があった。海野和夫さんにリクエストしたら友達になる承認が来た。これで、プロのカメラマンは中井誠也氏と2人がいることになる。アメリカのプロ歌手はジェニファーロペスさんだ。有名無名を問わず、Facebookは交流サイトですね。ほとんどが英語ですので、もう少し英語力は強化しなければと思いながら、毎日の疲れを理由にあまり進展はありません。今日も家に帰り「ニュースを英会話」の録画を見るはずのものが、「永遠の0」が隣に録画してあり、こちらをついつい見てしまったのです。少し演技過剰な部分もあるが、原作がしっかりしているので、それなりに引き込みがありましたね。風吹ジュンがお母さん役として登場。永遠の美女も年を取ると言うことです。ユーミンの録画番組も少し見たら、いつの間にかユーミンはおばさん顔になっていたのでびっくり。
<5日間で昨年の15万人を上回る来場者でにぎっわった>

10月10日(金曜日)
疲れもピークに
またもや台風がやってくる。都会では台風の楽しみはない。ニュースで見るだけだ。CEATECも4日目、そろそろ疲れもピークに達してきた。疲れには牛肉だ。スーパーで買い物をして、ついでににんにくをと物色すれば青森産に混じってスペイン産が並べられていた。アジア産なら理解できても、スペインからわざわざ日本に持ってこなければならない理由は何かな?頭をひねる。このスーパーは「OK幕張店」。ビールは冷やしてないが、500mlのサッポロムギホップが135円と非常に安価だ。リンゴはヨーカドーよりも一回り大きいのが138円。四国ではついに、おいしいリンゴは買えなかったが、東京ではリンゴの大きくて安いものが大量に出回っている。都会は高く田舎は安いとは昔のことですね。CEATECでの仕事は接客と、オーディオ試聴時の機器操作をする事ですが、この試聴時、たったままほんの瞬間ですが寝てしまった。

10月9日(木曜日)
ハイレゾ音源とアナログレコード
Hi-Resolution。高音質音源の意味で、CDの16bit 44.1khzの音を超える音源を示す。昨今これが配信で広がってきた。Technicsのリスニングルームでもこれを再生した。家庭用の据え置きステレオ用の音源だ。だが、昨今はポータブルにこの機能が搭載されている。今日は仲間と飲みに行った。その席上でポータブルのハイレゾ機器にCOWON PLENUE P1-128G-BKとヘッドフォン(こちらはヘッドフォンの品番不明)の組み合わせを聞かせてもらったが、これも凄いの一言に尽きる。歩きながら聞けるような代物ではないが、電車の移動とか、喫茶店とかの一服とかに取り出して聞けば、心が洗われること間違いなし。まずいのは、音楽に没頭して下車する駅を忘れてしまうことだ。音響から少し遠ざかっていたが、再び帰って来て、昔とは全く様相を異にしていると感じましたね。そうとか思えば、CEATEC会場でオーディオの好きな客は、いまだに愛好中のアナログレコードの良さと、真空管アンプの音の素晴らしさをひとしきり語るのだ。約10分間くらいの聞き役としての我慢必要。両極端かと思えばそうでもなく、会場でちらっと見るだけの客の反応は、スマホで十分だと言う。音は深くて広い。

10月8日(水曜日)
懐かしい人々
昔の職場に戻った訳だから、全国的に知っている人がいる。そんな人たちが、CEATECにやってくる。Technicsへの思いを寄せる人たち同様に、懐かしい人々は僕の復帰を喜んでくれる。「おまえでなければ」とか「岡村級の人を探していたんだ」とか言ってくれる。求職活動をしているときは、厳しい状況を相当経験してきたが、あれがあったので、今回のことをありがたく受け止めることができる。今回も前職場同様に、市場の声を見える形で報告書にまとめようと考えている。声が多いほどデーターの強みはあり、傾向値がつかめる。現場の人間は、この声を傾向値に変換する作業が一番重要だと気付いている。会場で販売する弁当のまずさと価格の高さは昨日勉強したので、昼食休憩は、自転車に乗って幕張イオンモールに足を延ばした。サラダやパンや弁当などが、その日に売り切れない程の量と種類が安価な価格で並べられている。マルナカ同様に、買ったものをその場で食べる飲食コーナーもあり、じっくりと優雅な昼食を頂いたわけだ。
<ソニーサイバーショットはここまでの画像が限界>

10月7日(火曜日)
CEATEC
いよいよオープン。天候にも恵まれ、多くのマスコミと、業界関係者が駆け付けた。接客業は慣れているとは言え、結構シビアな質問やけんか腰の客など千差万別で、少し辟易した時もある。一緒に仕事をするMCの女性は綺麗だ。だが真剣にシナリオを覚えようとしているので、空き時間に声をかける隙もない。就職状況は厳しく、真剣に仕事をすることが求められているのだ。こういう点はアメリカの状況に似てきている。映画「コーラスライン」でオーディションのシーンがあるが、あの真剣度合が日本にも持ち込まれたというわけだ。Technicsへのお客様の評価はおおむねウエルカムで、真剣に音を試聴された。部屋は天井が4m程あり、残響計算もきちんとできているので、実は普通のミニコンポでも十分な感動が得られる、そこに、作り込んだ機器を持ち込み、吟味した音楽を演奏するわけだ。悪いはずがない。もちろん音の好みに合わない人はいるかも知れないが、それは、自分の目指す音とは違うと言う評価をして、悪いと言う評価はしない。そして、回を追うごとに音が馴染んでくる。エージングが効いてくるのだ。

10月6日(月曜日)
やってきました台風とCEATEC前夜
電車は半分ほどが動いている。昨夜からの雨は相当降ったが、まだやむ気配はない。自転車で出勤。昨日の雨より大量で先が見えない程の雨が降っている。道路は一部冠水ししぶきを上げて走る。ペダルが重くなる。帽子のひさしから垂れる雨粒がメガネにかかる。速度は上がらず所要時間45分。ゴアテックスのカッパは雨の浸透もなく洋服は濡れず無事仕事ができる。準備はほぼ完了し、最後の音決めに入る。音の評価と部屋の測定を繰り返すから、やることが早い。設計者に聞けば、iPhoneのソフトウエアに部屋の測定するものがあるが、低域はともかくある程度の測定ができるそうだ。そういえば、iPhone6のCPUの速度は既にPlaystation3の性能を超えているとのこと。携帯電話の進化は目を見張るものがある。マスコミ対象のプレオープンも中止された。雨は午後に上がり、太陽が出てきた。今日は早く終えることができたので、自転車道の新たな開発をしようと、横道にそれると、なんと千葉県国際総合水泳場に当たった。ここは、正式な競技用プールがあり、空日は一般客でも50mプールの使用が許可されるとか。南門真にあるプールと同じ仕様だ。ここは船橋アリーナよりもずいぶんと近くで、僕にとってはプールに2つのストックができたわけだ。

<テレビコーナーのテーマは4K。NHKとSHARPは8K。(僕の仕事は3K)。アメリカ人のモデルさんと日本人のモデルさん2名が商品を紹介している。大きな人で、僕への目線は下向きになっているのが分かります。(残念ながらアメリカ人のモデルさんは取り逃した)前日のリハーサルの時に撮影>




10月5日(日曜日)
今日から準備
いよいよ台風もやってくるが、CEATECの開催も迫ってきた。それで今日は準備だ。自宅から幕張まで自転車で40分の距離。西分から安芸へ行くような感じ。国道55号線と同じく、こちらも海沿いを走る。交通量少なく道広く快適。一車線分に相当する、余裕の歩道と自転車道がある。雨に対してはゴアテックスのカッパと野球帽で完全武装。Technicsの新製品はとにかく重いので、主に運送屋さんが運んでくれるから、僕らは楽だ。それに、試聴室は、あらかじめ吸音板をはめたべニア一枚のボードの組み立てだから、設置も早いが、音響特性が始めから計算できているので、音決めが楽だ。昔は、ああでもない、こうでもないと、開催前夜は徹夜の準備だったのがうそのようだ。午後9時にめどが付き、帰り着いたのは10時過ぎだった。この組織のTopのO氏と帰り際少し話をする機会があった。何と高知に友人がいて、高知に来る機会も多く、地元の事情をご存じだった。それは四国の中でも一風変わった人種がいるとの理解だった。一風変わった人種のその中でも変わり者が私だから、そのフィルターをもっておられることは有難い。冷蔵庫の残り物で簡単な夕食をつくり、とにかく早く寝る事を心がけた。

10月4日(土曜日)
台風
どうやら、台風18号は来るらしい。そのためか、こちらも天候が悪くなった。昨日の洗濯は正解だ。今日は新しい仕事は勤怠表の作成とか、報告書フォームの作成とかいろんな事が待ち受けていて、この2日間は本を読んで知識の充電をするに至らずだ。高知では部屋の窓から海を見ていると台風の状況を知ることができるが、こちらは手掛かりがないのでTVを点けることになる。そうすると、御嶽山の被害の状況が次第に明らかになっていく。最初は気にも留めなかった先週のYahooのニュースが、あの時点ですでに多くの方が亡くなっていたということになる。山に登らない人は、なぜ?と思うが、山のぼりにはそれだけの魅力がある。高知でも、信仰深い神社の太夫さんに石鎚山に登らないかと誘われていた。今回の事がなければこの秋は一緒に登っていたはずだ。台風のニュースから思わず話がそれてしまったが、高知の楽しみはこの台風の波を見ることだ。今回の台風でも波を見に行った米兵が亡くなった。波は山と同じで神聖なものだ。きちんとした場所で、お酒を飲みながら波の評価をして、楽しむべきものだと思う。

10月3日(金曜日)
充電
今日と明日は休み。今月は変則的な休日だ。大きな展示会が2つあるのでそれにフル対応するためだ。天候も良く、溜まったものを洗濯。今度の洗濯機は、もし乾かなくても、夕刻取り込んで乾燥機にかければ30分程度で完了する優れものだ。これは天候に左右されず自分のスケジュールを押し通すことができるので便利。よく決断したと自分をほめる。それにドラム式は時間がかかると思っていたが、10kg一杯いれても30分以内だ。ホント、パナソニックのNA-VX7300はよくできている。洗濯機のシェアは日立に押されているが、日立製は乾燥機能がいまいちで手が出せなかった。今日はそのほかに旅費精算やレポートを書いているとたちまち夕刻が近づいてきた。暗くなる前にプールに行った。この出張でずいぶん体力が落ちていて、2kmがきつかった。同じレーンにとても速い人がいて、僕の2往復に1回は追い抜いてゆく。その都度僕はプールの端で彼が追い越すのを待っていたが、この兄ちゃん、最後に、これで終わりましたと私に挨拶をした。とてもさわやかな青年だった。その後1km泳ぎ、僕も終了した。エネルギーのほとんどを出し切って、更に40分自転車を漕いだので、放電は完了した。後は寝て回復を待つだけだ。

10月2日(木曜日)
旧知のメンバー
一緒に仕事をしていたメンバーも現れた。懐かしいとともに、応援するよと心からの声援を頂く。若いころは、なかなかそういう心からの声は出なかっただろうが、この年になればよこしまな心が消えうせる(と思う)。大阪フィルの指揮者も来られた。さすがに耳が良くて、音源のことについては結構うるさかった。小澤さんの音源を演奏したので、少し気に障ったのかもしれない。アメリカ人も来た。ハイレゾ音源のヘッドフォンを聞いて「ビニールの音源がもっと良い」。What is vinyl? しばらくの会話で、やっと理解。I understand. 30㎝LPの事をアメリカ人はビニールと呼ぶ。It is analogue recording plate.この部屋の中にはハイレゾが楽しめる音響システムがあるが、予約が必要だと説明した。アメリカで販売するのか?Yesと答えた。この試聴室は日本語オンリーだが、飛び込みには対応する。英語はわかる部分だけ聞けばよいとの気持ちがあるので、全く問題ない。無料の英会話教室だ。(しかし、インド人の英語はお手上げだ)。その後、食事をしていると友人が来ていると言う。K氏現れる。しばらく歓談。仲間のS氏はK氏と同級で旧知の仲だ。夕刻はマスコミを招いたパーティーが開催されるので、これを機に東京に退散した。腹が減ったが船橋まで我慢して、駅前の中華レストランで野菜炒め定食を頂いた。久しぶりのホテル宿泊で疲れた。

10月1日(水曜日)
開店
梅田のグランドフロントにオープンしたショウルームは一般のお客様にはご遠慮願って関係者のために部屋を予約していたが、その合間に一般客を少しだけ入れる不定期的な運用となった。客は僕のようなおじさんばかりで、年代が合うので、自作をしていたと聞けば当時のスピーカーや真空管の品番を言えば話が合致する。パイオニアのPAX-16Aのスピーカーユニットの品番を知っていた人がいたのは驚きだった。この人も私と同じでコーラルのスピーカーは選択肢にあったとのことだ。グレースのカートリッジF8Lは今でも僕同様に持っているとのこと。なんだか趣味の昔ばなしでこの世界では飯が食えそうだ。息をつく暇もない接客で、時間があっという間に過ぎてゆく。昼飯は、このビル9階にある従業員用の食堂で。価格は780円。まずまずの味だがエネルギーが少し不足。午後も途切れない来客に追われ、気が付けば午後8時。ショウルームの閉館と共に退社。みんなで一杯飲めば午後10時だった。

9月30日(火曜日)
開店準備
世話になった人、知人にはメールを送った。まだ漏れはあるかもしれない。今日は明日オープンするテクニクスのショウルームの開店準備だ。僕らの仲間は全部で3名いるが、だれもまだこの新製品の音を聴いたことがない。いい噂も悪いうわさも流れて来るが、これは自分の耳で確かめないと何とも言えない。だが、なかなか準備作業はなかなか進まず、僕たちはとりあえず事務所のある南森町に移動した。ここで、事務手続きについての説明を受けた。小さな所帯なので、結論は早く、その場で即決だ。13時半には東京からクライアントが到着するので、飯も近くで済ました。そのめし屋さんはカレーうどんの店。カレーが飛び散ることを除けばなかなかいい店だ。午後は、設計者も来てて、いろいろ話をきけた。単品コンポの世界にも車のイノベーションが訪れていて、ハイブリットカーに使用するDC-ACコンバータに使うガリュームを使った素子がアンプに使われているとのこと。この素子は、日経エレクトロニクスで何度も何度も進化が取りだたされたていたので、違和感はなかった。最後の最後にやっと試聴で来た。鳥肌が立った。ハイレゾのすっきりと伸び切った音は、今までいろんなメーカーのデモを聴いてきたが、こんな伸びのある音を聴いたのは初めてだ。デジタルアンプ特有の締まりのない低音もなく、500万円はなるほどの価格だった。

9月29日(月曜日)
パブ当日
今日はテクニクス復活の日だ。マスコミは200社が参加するという前代未聞の動員数だ。高級オーディオ商品にこれだけのマスコミを集められるのは、話題性と、今まで築いてきたP社の発信力だろう。今まで手薄だったマスコミ対策を、事務所を東京に移して活動し始めたのは2000年からだ。15年もすれば定着するのだろう。オーディオ部門のTOPがJAZZピアノを弾いて催事はスタートした。いろんなプレゼンがあるが、これは異色だ。スティーブジョブスとも違う。テクニクスはこうでなくちゃ。この人が小川理事だ。商品説明に音楽の話が混じるので説得力がある。松下には今までこんなスタイルはなかった。マスコミ連中は写真やビデオをとりまくった。最後の写真撮影会には私も参加した。まるでモデルの撮影会の様相だ。少し違うのは、あまりにも多いカメラマンに応えるためにマイクで目線を指示する方法だ。セレモニーが終了すると、隣のホテルに設置したリスニングルームで試聴だ。リスニングルームも、きちんとした吸音板の部屋を作った。部屋の残響に悩まされなく、一発で理想の部屋ができるのだが、すごい費用が発生するようだ。この部屋は、CEATECや音展にも使用する特別バージョンだ。当日はすごい行列で私は試聴できなかった。一応これで終わりと目途をつけて、大阪に移動した。大阪の知人にメールを送ると、病気でしばらく休んでいたので、まだ飲むことができないと返信があった。それで気兼ねのない天満の雑踏の中で一杯飲んだ。これも好きな大阪の空気だ。

9月28日(日曜日)
就任
今日から仕事始めだ。手始めに、明日パブ(新製品発表会)が開催されるので、その準備だ。今回のパブはサントリーホールで開催する。大阪のシンフォニーホールは行ったことがあるが、サントリーホールは行ったことはない。それは六本木にある。六本木ヒルズなど大きな建物が群で立っている。会場は、正面の大ホールではなく、入って左にある小ホールだ。正面のフロアには過去のTechnicsの名機を展示した。この商品についてはすべてカタログなしに語ることができる。まぁそれが今回この仕事のオファーが来た理由だが。新製品は、今回初めて見る。2機種ある。プレゼンの机に立ってみた。7インチのPPT画面。大きなデジタル時計。目線を左下に移せば、50インチのPDPでセリフが流れている。これは話しやすい。僕でもできそうだ(資格がないが)。関係者がいっぱい来ていた。ほとんどが顔見知りだ。僕が知らなくても向こうが知っている。僕の就任をみんな知っていたのでやりやすい。午後11時32分。取り敢えず今日は終了。六本木まで歩き、秋葉原にでて帰ったが、後で考えると溜池山王まで歩き新橋まで出た方が早かった。興奮で疲れが出てない。

9月27日(土曜日)
年相応
こんなことをしてて良いだろうか?この年になって単身赴任して自活している。それだけでも体に負担がかかっているのに、休日は前からとずっと続けている水泳を2.5km。こちらはプールまで自転車で40分を要するので、ミニミニトライアスロンだ。体の変調は感じないが無理はしてないだろうか、この運動は年相応だろうか?と不安に思うことがある。自分の気持ちが良いからそれでいいではないか!と考えた方が良いのか。どうもわからない。おじさん臭は出てきたがおじさんらしくの振る舞いではないのだ。マクドナルドでビッグマフィンの朝食を食べながら、片手でPCに打ち込んでいる。どこかで大きなひずみが発生してないだろうか?発生しているとすれば体のどこだろ?朝起きた時は前日の激しい運動の所為か手がむくんでいて指が曲がらない。手がグローブ状だ。布団の中で、kindleを開いて少し本を読んでいるとなんとなく普通に戻ってくる。これでいいのだろうか。健康のことに関しては分からないことだらけだ。何も予兆がないので心配だ。日記の原稿をサイトUPするときにYahooニュースに御嶽山が噴火したニュースが掲載された。こちらも予兆なしの噴火だった。あまり気にも留めず、プールへ。

9月26日(金曜日)
災害におびえる
こちらに持ち込んだAVC(オーディオ、ビジュアル、コンピューター)はすべて高知でのサブシステムだから、メインは当然高知にある、手ぶらで帰っても、向こうで全く支障なく楽しめるようにしてある。映像ソフトはこちらへ持ち込んでないが、おいおいにBDレコーダーに記録していくので、楽しむのには問題ないはずだ。オーディオは高知のソフトそっくりコピーして持ち込んだので、昔のように楽しんでいる。アンプが故障したので、とりあえず、PCからNuforceのDACを通じて、BOZEのMusicMonitorに接続して聞いている。小型スピーカーだが、それなりの音が出るので音楽の飢餓感は発生しない。問題は、高知で災害発生の可能性が非常に高いことだ。それで、HDDは離れに、ディスクは母屋に残してきたが、火災が発生するとひとたまりもない。NHKの番組で「巨大災害第3集」をみれば、高知の地震は時間の問題だ。しかも、東北沖地震よりも大きくなることが、地層の分析から予測されている。首都圏の災害も直下型地震と、大雨の災害だ。今の住居は、少しだけ高台で、浸水することはないのだが、とりあえず持ち物すべてを失っても何ら問題ない。自分だけ助かる方法を考えればよい。

9月25日(木曜日)
まとめ
この2日間のメモをレポートにまとめている。最初の記事と最後の記事は取材能力が変化しているので比べ物にならない程情報量が違うのは仕方ないとしても、定年後訪問の仕事を続けていて、結構現場の状況を拾うのがうまくなったなぁと思う。これなら、仕事につかえるわと自画自賛。ただし、時間を要するのが問題だ。それで家にこもりきりでは体に良くないと、夕刻プールに出かけた。雨雲が垂れ込めていたが、昨日の事もあるので、雨具を持たずに出かけた。2kmを泳いでリフレッシュ。暗くなっていたので、プールへは遅くとも午後3時には向かわなくてはと昔を思い出した。ところがこの暗さは厚い雨雲のためで、途中から土砂降りとなった。自転車でこぐのに前が見えない程の雨だ。信号待ちをしていると、僕の前に女子学生がやっぱり濡れそぼって自転車でやってきた。信号が変わるとこの雨にも負けず、元気に漕いで行った。若い時はこうでなくちゃ。もう体の芯まで雨が通ってきた。この自転車は前からの雨と、後ろからタイヤの跳ね上げる水と両面からやってくる。家に帰り着くと、まずは服を着たままシャワーを浴びる。服についた泥を落とすためだ。そして洗濯機へ。今度の洗濯機は静かなタイプなので、いつ洗濯しても気兼ねがないのでよろしい。

9月24日(水曜日)
二日目
昨日に引き続き、インターナショナルオーディオフェアに行った、試聴していると後ろから岡村さんも来ているの?と声をかけてきたのはシマ無線の浜岸さん。わざわざ大阪から
出て来てはる。僕は音の各社の音のイメージをつかむのと、音楽の傾向を知る、評論家の面白いネタを拾うのを目的としてたから、1ブースの滞在時間が長く、早々に別れた。エレベーターの中でも、テクニクス復活の話題が交わされていた。日経の記事はパイオニアのAV撤退と対照的だったので、話題が増幅した感がある。PCの世界は新技術がどんどん出てきて目を離せないが、オーディオの世界はそんなに技術の進歩がなく、まだA級アンプやスピーカーの内部損失の話で事足りるみたいだ。コメントは都度iPhoneのメモに書き込むと同時に時刻を記入した、後で写真の時刻と照合すれば、同期ができる。以前はこのメモはどこのブースだったんだろう?と首をかしげることが多かったので工夫したのだ。会場を出ると大雨だった。そうだ台風が来ているのを思い出した。船橋駅まで自転車で来てたのでそうと濡れるのを覚悟したが、真っ黒い雲に覆われながらも雨は降ってなかった。真っ黒い雲と大雨は四国の天候だが、こちらは持ちこたえるのだなぁ。



<高知の友人から月下美人の写真が送られてきた、40年ぶりとのこと。もう少し早く咲いていれば、私のカメラで撮影できたのだが。一晩で枯れてしまったとの連絡である。「華麗で儚い花のいのちかな」>


9月23日(火曜日)
1591年と2014年
今度の仕事に丁度タイミングよく開かれる展示会がインターナショナルオーディオフェア。今まで、結構外すことなく参加してたが、定年後は疎かになっていた。今も昔もMonitor audio とKEFとELACの3本のスピーカーメーカーに興味があるが前者2社の参加はなかった。それにJBLも今回参加はなく、寂しい感じだ。久しぶりのハイエンドオーディオは様変わりしてて、何と、LPレコードが全盛期となっていた。「ネットオーディオじゃないの?」「ハイレゾじゃないの?」「No、No」今や音源の主力はLPレコードだよ。これが各社の回答だった。その音質はいかに?数年前、試みとしてのLPの音はCDに比べるとパンチ力で負けて、低音の量感で不足が目立ったが、今回はどのブーストも、CDと何ら変わらない音を出していた。ダイナミックさにおいてもそん色なく、高域の切れ込み具合も全然差がない。ディブブルーベックの「Take Five」なんかは、聞き飽きるほど聞いた音楽だが、LPだとは思わせない音質だった。まぁレコードプレーヤーだけで280万円、カートリッジは30万円、トーンアーム90万円だから、いい音がして当たり前か。今週は小説、山本兼一の「利休にたずねよ」を読んでいる。当時の戦国の武将は、茶の器に、美を求めて、大金を出費して、お茶のための器を買いあさったと。大の男が、たかがお茶の器に血ナマコになるのはいささか滑稽だと、イエスズ会の宣教師たちが書き残している。この器は高麗の窯で焼いた品だから云々と、利休が一言付け加えれば、たちまち値段が吊り上がった。今のオーディオも同様で麻倉怜二が一言、今回は欧米で有名な評論家も招いて、一言付け加えて、いい品だと紹介している。どこか似たような雰囲気なのだ。茶の器から発展して、掛け軸やお菓子なども、一家言があったと同様に、スピーカーケーブルで90万円なども登場した。このスピーカーケーブルは模様が不気味で、最初蛇がいるとびっくりした。巷では携帯電話の片隅に搭載した機能で音楽がそこそこのクォリティをもっていて聴くことができる。文明の成熟とはこんなこっけいな現象を言うのだろうかと思いましたね。


9月22日(月曜日)
口出し
先日ネットで買った洗濯機が洗濯機置き場に入らない問題は、大家さんのご理解でリフォーム屋さんに柱を外してもらうことになった。その工事が本日行われた。少し要領のよくない大工さんだったのでつい口出しをしてしまった。それで、結局はドアのストッパーの役目をする桟はノミで切り崩してしまい、新しい桟と交換することになった。少し価格は上がるかな?後日の請求を見よう。昼頃に終わったので、少しだけ今度の仕事資料を作成した後、谷津方面に散歩に出た。京成の谷津駅前には、昔風の商店街が駅を背にして海側に伸びていて、野菜などを売っているのを昔見たことがあるので出かけたのだ。店はあったが新鮮でも安価でもなかった。人参とリンゴを買って、谷津の干潟に向かった。東京湾としては結構広い面積を誇る潟で、この周りを多くの人がランニングしていた。一人だけ干潟に来る野鳥を撮影していた。聞けば、シギの一種を撮影しているとか。鳥も動くがこの人も動くので、結局はいいシーンが狙えないような気がしたが、もう余計なことは言うまい。徒歩で半周して帰途についた。今夜こそAVシアターを楽しもうと思っていたが、どうもCA1000-2の調子が良くなく、左チャンネルから盛大なノイズが出始めたので、就寝。次から次に問題が降りかかってくる。


9月21日(日曜日)
気がかりなことは
やはり田舎に残してきた両親の事だ。田舎では家事をすることが多く暇を持て余すことはなかったので、両親への対応もなおざりだった。だが、こうして自分一人の生活になり、することもなく時間が余ってくると、やっぱり両親のことが気にかかる。何であんなことも、こんなこともしてあげられなかったのだろうと悔やむ。風呂も沸かさないだろうから、土日は風呂に浸かってないだろうな。ヘルパーさんは夕食を作ってくれるが、昼は自分たちで作らなければならない。父は買ってくるとは言うが、果たしてどうか?などなど、考え出したら切がないほど心配事項は募る。芸西村は先の台風でプールに被害が出て、プールが使用できなくなっている。それで、9月に入ってから水泳がなく、体がぶよぶよしてき始めた。それに街の生活は動くことが少なく、もう相当体重が増えただろう、このままだと病気になるかもしれない。今日は何をさて置いても、まずは水泳だ。と言うことで、以前通った船橋アリーナ総合体育館に出かけた。ここから自転車で40分。2007年は、ここで50分で2.5km泳いだ。大阪時代は60分に2.5kmだった。今日測定すると、50分で2.1kmだった。60分で2.5kmだった。2008年の大阪当時の体力が残っていることを確認できた。と言うことで体調は問題なし。田舎の事だけだ。
<行列のできる店=まるは商店さんの豚そば>

9月20日(土曜日)
奮闘記
なかなか思い通りにならないのは世の常。田舎に少し長く暮らしたために、始めて目にする都会の仕組みに戸惑うこともある。そのための奮戦記を書こう。このマンションは南西向きで、日照時間は冬になると少ないと踏んだ。それで乾燥機付きの洗濯機を購入した。「@家電」でパナソニックNA-VX7300LWを125,000円、室内設置料を含め131,000円だった。洗濯機のパンはあらかじめ調べてあったので問題なかった。ところが、いざ運送屋さんが到着して気が付いたのは、洗濯機を置く脱衣場への入口のドアが狭くて入らないのだ。大家さんに電話して、リフォーム屋さんを紹介いただき、入口のドア枠そのものを取っ払ってほしい相談を行った。ダメ元の交渉だ。どちらとも気のいい人ばかりで相談に応じてくれた。9月22日に訪問してくれる。次にAVのためにオットマン付の椅子をイケヤで買おうと決めていた。北欧の一生ものの椅子を。ところがイケヤは、北欧家具を安く提供する店だったのだ。いい椅子でも15,000円程度。まぁ体にフィットするので今回はこれでいいや!店員さんを呼び、これください。店員さんは、注文は自分で注文用紙に商品番号を控えて、1階にある倉庫に取りに行くのですと説明してくれた。あれぇ!椅子は4つのパーツに分かれていて、巨大な倉庫から、その品物を探すのです。えらいものを買うことになったなぁ。そして、そのパーツがなかなか見つからない。レジで聞けば、倉庫の中にあるインフォメーションで聞いてくれ。そこで丁寧に説明を受けるが、やっぱり見当たらない。店員の力を借りてやっと見つけた。それは、自分で組み立てる方式だった。レジは自分でスキャナーを当てて支払を済ます。そこから50m奥にある宅配便業者へ依頼して家具の買い物は終わり。広い倉庫を3500歩。それで価格が安いのか、合点がいった。普通に買えばその倍くらいはするかもしれないと思いましたね。次はBS受信のためのアンテナ設置。ホームセンターが安いだろうとビバホームを訪ねた。BSアンテナ、3C2VのF接栓、アンテナベランダ金具、冊子窓越えケーブル。少し疑問があったので係りの人を呼ぶがなかなか来てくれない。仕方ない、とりあえずこれでいいだろうとレジを済ますと、係りの人登場。何とホームセンターなのに、親切に教えてくれて、アンテナ金具不要と、3C2Vではなくて4C2Vの接栓を。田舎の親切な電気屋さんのような対応だった。ガスレンジは、駅前のビッグカメラで購入した。大きなものなので、自転車には詰めないため、配送をお願いすれば、当日配送してくれるという。街の電気屋さん並みの対応だ。当日配送はいつからですか?先週からですと言う。これでは街の電気屋さんも生きていきにくいだろう。と言うことで、照明器具は東芝の電気屋、「半田電気」さんに寄った。これと同じ照明器具を3個ください。今時、きちんと店舗があって、商品展示がある店はめずらしい。よく頑張ってますねぇ。「おかげさまで」。夕刻若い無口な青年が取り付けに来た。工事が丁寧で頼もしかった。こうして街の電気屋さんは生き残っていくだろうと思いましたね。
<取り敢えずAVシステムが完成した>

9月19日(金曜日)
引っ越し
職場はお台場だから、京葉線沿いが良かろうと、南船橋近辺で住居を探した。この街は大阪の寝屋川と同じように、開発がランダムで、大きな道が一本貫くことなく、狭い曲がりくねった、行き止まりの多い道に住宅がひしめいている。大阪と違うのは神社仏閣が多いことだ。それで、道の混迷に拍車をかけているが、住むにはまことに清閑な所だ。自転車で10分もあれば船橋駅近辺の大きな商業施設にたどり着ける。ららぽーとも同じだ。大阪から移動して昼前に到着して、鍵を受け取り、部屋を開けると、同じタイミングで引っ越し屋のトラックが到着した。荷物は少なく、あっという間に搬入が終わった。荷物の取り出しも、あらかじめイメージしていたので、この日におおかたやり終えた。冷蔵庫の電源がまだ入れられないので、夕食はご飯屋さんへ。「南森町の食堂」はまだこの街にはないが、「大江戸」風なご飯屋さんがあって、そこで夕食を頂いた。820円だから、自分で食材を買って作るよりかは安い。これからお世話にならなければならない大切な店だ。
<究極の卵かけご飯>


9月18日(木曜日)
上京
数十年前、西本のおばさんにつれられて生まれて始めて大阪に向かった。西本のおばさんの息子が大阪の南海沿線の初芝に住んでいて、そこに一旦宿泊して、翌日枚方の体育館に案内してもらう手はずを取ってもらった。「あれから40年」(綾小路公麿じゃありませんが)。再び高知の生活から都会の生活に向かう。まずは大阪へ。土讃線は速度が上がり、岡山まで2時間で行ってしまう。昔の上京時は高松まで3時間だった。そこから連絡船で1時間。宇野から大阪まで、急行で3時間かけて大阪に着いた。そう、当時はまだ新幹線がなかったのだ。当時の大阪駅前の歩道橋は人があふれていた。向こうが阪神百貨店、左が阪急百貨店と紹介された。今回はその歩道橋とは反対側のグランフロントに向かう。右がヨドバシカメラ。それは、現在人ならみんな知っている。こちらも昔同様人であふれていた。グランフロントにPセンター大阪があり、ここで会議が開催された。会議は9階の休憩室にあるテーブルで行った。何とこのフロアは窓の外に庭園が広がり、都心に居ることを忘れさせてしまう憩いがあった。仕事で会う人たちは面識があったり、先方が私を知っていたりして、古巣に帰った安らぎがあった。会議は長く6時間ほど。そこで私は9月28日から勤務と決定された。しばらく東京でぶらぶらできる。

<芸西村の海ともしばらくお別れだ>

9月17日(水曜日)
祈願
昔源氏が慣れぬ海軍を組織して平家と戦ったとき、愛媛県の三島神社に祈願をしたそうな。それで、兵士たちは戦に負けないと精神的なよりどころを得たらしい。私も、「東京に行くからには何が何でも勝たねばならぬ」なんだか王将(餃子のあれではない)のような気分になっている。おりしも、スィーツで有名な辻本さんの講演を録音で聞き、仕事が人間をつくる的な内容を聞かされたので自ずと気分が盛り上がっているかもしれない。もう頑張らなくても良い年なのに、自分をコントロールできない。たぶん、こうすることが気分的に楽なんだろうなと思う。長生きに向かない性格であるが仕方ない。できる事は全部した。近隣の人へのあいさつも、先祖様に帰省するので日程は予定通りとか。前部落長への挨拶とか。母の透析後の歩行困難なための車いすの購入とか。バックアップのHDDとDVDディスクを保存場所を分けるとか。役場の税担当者に今後の税金の支払い方法の打ち合わせとか。
<見事な朝焼けは天候が崩れるとか>








9月16日(火曜日)
引っ越し
ヤマト運輸単身引っ越しパックをお願いした。1m四方のコンテナに2個。合計67,000円。仙台から引越し屋さんを使って帰ってきた時は33万円もかかった。これでは大変と自分で梱包したのだ。それが、この価格。もちろん荷物の数は違うし、距離も違うが、宅急便で送っても良いように梱包を自分で施すとこの価格なのだ。年に一度の引っ越しをしているので、だんだんと要領がわかってきた。今回は調理方面を充実した。両親のために作った料理は50種類を超えるから、レパートリーが広がったのだ。食材を見れば、約15分で最適の調理ができる自信もついた。今度の単身は大いに食文化を楽しもう。AV用には3Dの設備を送った。ディスプレイは42型のPDPだがこれで我慢。引っ越しの荷物を送りだした後、祖父が眠る墓の掃除にいった。笹竹と萱が多い茂り、たどり着くまでに大量の汗をかく。まぁ掃除をしたと分かる程度の草刈りを行った。明日は水と花を持っていこう。疲れで早々に就寝。

9月15日(月曜日)
送別会Part3
朝すぐに高知在住のK氏の訪問があって、僕の持っているオープンテープの最後を回収に来た。ついでにミニコンポのスピーカーも。T氏が仕事から帰るまで我が家のAVでなんとなく過ごして、T氏が帰宅すると、みんなで昼食に行った。「得々うどん」うどん屋としては結構高価な価格設定の店で、香川県には存在しない。クルマだったがここでビールで乾杯。昼間の取り締まりはないとの設定だ。うどんを食べながら、昨日は楽しかったねや。と昨日の話の寸分の一も記憶が残ってないのに思い出だけの共通話題でビールを飲む。帰り着いて、T氏からネクタイと貝殻を貰う。貝殻はプレゼントに最適な細工が施されている。そこへ、「あけみちゃん」が現れた。「おぼえちゅう?何年振りだろうね」と聞かれたが、名前は知ってはいても顔は全然記憶がない。自宅に帰り、書籍のスキャナー。まだ本箱には最近購入した書籍が残っていたのだ。「海賊と呼ばれた男」「村上海賊の娘」や「HiVi」の今年分だ。今回の引っ越しには荷物の大半を占める、書籍や音楽がないのでコンパクトだ。準備に手間はかかるのだが。
<これがうどんに見える?>

9月14日(日曜日)
送別会Part2
高校生の仲間が集まって送別会だ。芸西村唯一の居酒屋「藤」で開催された。ここは、カラオケもあり、従業員だって若い娘が働いているのだ。いつもの仲間に、夜須のY氏が加わった。いつものように、自分の言いたいことを言うだけの飲み会で自己発散するのがいいのだ。テーマなんてありゃしない。その中で一つだけ私にとっては謎が解けた話があった。この前の浜では、よく魚が釣れる。魚を貰うときに、どこで釣ったかと聞くが、その時「柿の下」と聞くことがある。芸西村の海岸で柿の木が植わっているところは、昔も今も記憶にないので、ずっと謎だった。そして、判明したのは、柿の木は、僕たちが飲んでいる隣に、さえない喫茶店がある。それが「柿の木」の名前だった。つまり、僕たちが飲んでいる海岸は魚が良く釣れるポイントだったということだ。そのほかには、あの時(高校生の)は、何をしてたのかが、それぞれの見方によって少しずつ違う事実が見えた。記憶違いもあるし、記憶が美化されていることもある。そして、その話の結末は、「よう見ちゅうねや」ということだった。お酒の量はすごく進み、一人ビール5杯位は行きました。日本酒は3合だった。それで、今日は酔いには余裕があって、自宅に帰るまでの間、自転車はきちんと運転できたし、酔い覚ましに、芸西村を1周半した。

9月13日(土曜日)
彼岸花はツクツクボウシを聞くことができるか?
今日から荷物作りの最終仕上げに入る。向こうでは買い物は出来ないだろうから、カサの張る荷物はこちらでは準備して持って行こう。イメージは、一部屋はAVルームと机にPC。一部屋は、寝室のみ。台所には、調理家電一式と、食器、テーブルに洗濯機。向こうでの足となる自転車は折りたたんで梱包しよう。しいれぇ(彼岸花)とツクツクボウシは共存できるか?の疑問は解けた。彼岸花が咲き、ツクツクボウシは鳴いている。両方とも勇気を与えてくれるものではないが、過ぎ去りし夏の面影と、深まりゆく秋の気配の丁度中間を見事に演じてくれる。高知を去る一抹の寂しさを、ツクツクボウシは倍増させてくれる働きがある。こまったもんだ。


9月12日(金曜日)
最後の仕事
今の仕事は今日を持って終了する。僕としては完璧なマニュアルを作成し、後任者に引き継いだつもりだ。清算を終えメールすると一抹の寂しさがつのる。人間は何かに繋がってないと不安を覚えるものだとおもいましたね。前向きに生きるのも大事だが、それは、それで、デメリットも伴う。♫「ジョニーへの伝言」にあるように、「崔はなげられた・・・」のだ。気持ちの整理は出来なくとも進まなければならない。薬局の佐和ちゃんに別れを告げに行くと、息子2人が東京と京都の大学にいて大変だとこぼしていた。事務所理に一日を費やし、夕刻フィニッシュのプールを目指したが、何と設備不良のため休み。友人がそのプールの近くで魚釣りをしてたのでしばらく付き合った。瞬く間に、海の中からヒラアジが上がってくる。いとも簡単に魚がバケツの中に収まる。少しだけ竿を貸してもらったが、「コツ」の振動を感じることが出来ず、巻き上げの時、逃してしまった。神業とは彼の為にある言葉だ。魚を持って帰るか?いや、昨晩んも頂いたので、今日は遠慮するわ。ここでは生きのいい魚が、溢れている。「こんな贅沢は街では出来ないよ!」「都会の喧騒が心地よい」と私。帰ってマキ風呂を沸かす、手間はかかるが下から沸いてくるお湯に水を足しながら入る風呂は、正に温泉のような極楽。出ればドット疲れが出てきて9時前に寝てしまった。今日は映画の日だったのだが。

9月11日(木曜日)
送別会Part1
友人からメール。「スズキとシマアジが釣れたきに、今晩来ぃや」上京のための切符の購入もあったが、なにはともあれ、仕事が終わると駆け参じた。と言っても170km離れた香川県と徳島県との境にある白鳥からだ。頑張れば2時間だが、長丁場で無理をしては事故の元。時速80kmで2時間半かけて帰り着いた。道中はラジオ英語(録音分)を聞いて行った。今日はNHKの英語ニュース(アメリカ人のネイティブ英語)が何だか頭の襞に絡みつき少しだけ脳みそにしみた。きっと、あの単語、この単語が分かれば、こんなストーリーじゃないかな?と想像した。頭の調子によって英語はずいぶんと理解度が違うので、ここで自慢できることじゃないが、何だが、リングの片隅をつかんだような少しうれしい気持ちだった。その余韻をもっていただく、シマアジのフライは絶品。身が固い。フライの片身を持っても先が曲がらないのだ。特製のソースをかけてかじるとパリッと甘味が口の中に広がる。スズキの刺身は甘い。お醤油を少し漬けるだけでOK。べっとりつけるとスズキには申し訳ない気がする。気分が良いのでうまさもひとしおだった。東京で食べれば5,000円は固い刺身定食の送別の宴だった。ごちそうさま。

9月10日(水曜日)
プリウス
トヨタの低燃費車。引き継ぎ者はプリウスに乗って高松にやってきた。彼のクルマは駐車場に置き、僕のクルマで案内した。そのうちに気が付いた。彼のクルマは低燃費車で市中でも一リットル当たり20kmは走るという。駐車場の代金はこの2日間で1500円。つまりガソリンに換算すれば10リットル。走行距離200km。あれぇ、この2日間で20kmも走らないぞ。と言うことで、途中から2台の車で走ることになった。物価は同じ種類のものと比べて高いとか安いとか判断するが、全く違う土俵で比較をすれば、全然違った費用の浮き方があると知りましたね。これは、便利になったデジタル時代に陥りやすい罠と利益の典型的な事例だと思いました。マクロの視点で見ることができるか。ミクロのマメさがあるか。と言う普遍的な価値観に通じるところがあります。夕刻、PCショップで3TBのHDDを購入。東京へ書籍と音楽を全て持ち出す為の容器としてだ。ここにも、なんだか教訓がありそう。だが、格言は浮かんでこない。
<坂出の4,980円、朝飯付のホテル>

9月9日(火曜日)
同じ釜の飯を食う
松下に勤めているころ、同じ職場で働き、同じ所へ出張して、同じ酒を飲んだ仲間が香川県にいる。今回が訪ねる最後のチャンスだと思い連絡をとると、今日会ってくれると返事が来た。高瀬にある「夢タウン」で待ち合わせをして、レストランへ案内くださった。Ta蔵(タクラ)と言う予約制のレストランで、地元の人しか知らない店だ。雰囲気がよく、もちろん応対も抜群だが価格はリーズナブルだ。ジョンコルトレーンのJazzが流れていた。メニューは8つの種類から選ぶハンバーグ定食だ。僕はトマトソース味を注文した。ウエイトレスの娘の対応がなかなかよろしい。ハンバーグに添え物のサラダの説明をくださったが、とても覚えきれない。写真を一枚パチリ。彼は、無職だが散歩と野菜作りと、松下を辞めたOBの人たちの集まりに参加しているとのことだった。野菜作りは60%成功し40%不作との事。三豊市の市政のアドバイザーに当たり、市長と直接懇談できる立場であるとか。市長は50年先をめざし若者が集まる街づくりを画策しているとのこと。そのアドバイスを行うと言っていた。なかなか革新的な市長さんらしい。それに今度、県が主催する大学に入るとかで、なかなかゆっくり暇がないとも言っていた。すごく元気で定年後の生活を謳歌しているようだった。なんだか元気をもらえるバイタリティーを感じた。ごちそう様。




9月8日(月曜日)
満月
昨日は友人が鯵を持ってきてくれた。フライが旨いと教えてくれたので、なれぬ手つきで3枚におろし衣をつけてフライにししたところ、ものすごく旨い。友人はソースが旨いと言うが、お醤油でも決して引けを取らないうまさだった。この浜で捕れだちの鯵だ。新鮮さも加味している。昨年は友人とこの浜辺で催される「観月の宴」を見に行った。芸西村の恒例行事だ。満月ではないが、大きな月が浮かび、舞台では大太鼓が演奏された。こちらは、催事の開始前からビールを飲んでずいぶんと酔っぱらってからなので、ショーの素晴らしさの記憶が薄いが、多くの若者(農家を継いだ)が出演していた。芸西村は純農家がメインの村なので、若者も多いのだ。だが、今年の催事は残念ながら参加することができない。それで、せめて満月を迎える今日、高知ではないが坂出の温泉ホテルから撮影した。ホテルのおじさんに伝えると「え!知らなかった」と、一寸見てくるわ。といそいそ玄関から出て行った。多くの客はチェックインしたし、近くのスーパーで買った食事持参だし、誠にのんびりとしたホテルだ。高台にあるので月が真正面に見える。僕は、ここから20分ほど歩いて飯屋に行った。タクシーの運転手さんが立ち寄る飯屋で、昔風の飯屋だ。ここのおじさんとは顔なじみなので、TVも点いていたが、おじさんと話をしながら飯を食った。今日の話題は、もう都会には住めないと言うことだ。大阪で40年すごしここに帰ってきた。先日大阪に行ったが、景気は良いかしらんが、あんなせせこましいところはもうこりごりだ。と言う。都会に住めるのは40才までだと言う。??僕は今から都会に向かうのだが!そのおじさんは、田舎しか住めない話を散々したので、絶句!


9月7日(日曜日)
出発の準備
昨日と今日で主な出発の準備ではできた。日常のこまごまとしたものは引っ越しの当日詰め込むとして、完成域に近づいた。向こうの住居はイケヤが近いので、椅子はここで買おうと思っている。一生使える椅子を購入するつもりだ。机は板の部分のみ送り、足の部分は本箱で代用する。この椅子で本を読むのだ。前回買った椅子はAVルームで使っている。いい椅子は長く使える。書籍はこの一年頑張ったため4,000冊の蔵書を持っていくつもりだ。音楽の16,000曲の音楽アルバムも持っていく。2TBのHDDに2個。手持ちで移動だ。仕事道具のスーツも梱包した。友人たちは定年しているので、これから会う友人には高価なネクタイのみを無心して貰おう。そうすれば、数年は粋にしのげるはずだ。PCはソニーノートVAIOを手持ちで持っていこう。BDは1台のみ。4,000枚のBDディスクは持たず、高知に帰った時の楽しみに置いておこう。向こうで録画すれば良い。住民票はそのままで芸西村民。洗濯機は現地調達。深夜洗濯すれば、休日にずいぶんと楽になるはずだから、乾燥機能付きのものにするつもりだ。梱包できない冷蔵庫と自転車を運送屋さんに相談だ。

9月6日(土曜日)
IFA
ドイツで電子見本市が開催されている。ここ2年ばかり、関係のない職業についていたので、見落としがちだったが、今年はしっかりと見よう。と言うことで記事を拾ってみた。ドイツはビールの本場なので、フランクフルトをかじること、ポテトを食べながらビールを飲むこと、Berliner Philhamonikerのモーツァルトを聴くことなどが今後の予定として控えておりとても興味のある国なのだ。サムスンがギャラクシーの新製品をアップルに先立って発表した。湾曲画面を使って、湾曲した部分にガジェットを表示させるなどアイディアがあるスマホ。私の携帯はずっとiPhoneだったので、ここらあたりで乗り換えてもいいかな?と思わせる充実ぶり。ソニーからスマホに取り付ける一眼カメラが発表された。カメラにはモニターはなく、WiHiでスマホに飛ばして、モニターはスマホの画面を利用する方法だ。これだと、スマホの高精細画面を利用できるメリットがある。無線で表示するので、シャッターチャンスはつかみづらい欠点があるが、携帯には便利だ。パイオニアから、ネットワークプレーヤーが発表。ハイレゾが定着してきて、先進国ではCD音源は過去のものとなりつつある。ポータブルでもハイレゾが聴ける機器がソニーから発売。テクニクスも復活するが、音源はハイレゾだ。8kも出てきた。日本ではオリンピック前に試験放送を開始しようかと計画している。当たり前だが8kは4kの2倍ではなく4倍だ。3200万画素なので、現在のデジカメの写真は能力不足。まるで写真のような動画が見られる。ますます楽しみの広がるAV界であるが、ずいぶんと機器にお金がかかるようになるのが問題だ。

9月5日(金曜日)
臭い話
軽トラックの狭い室内におじさん二人がずっと乗車していると、車の中はおじさん臭で満喫されている。ドアを開けると悪臭が漂ってくる。自分のおじさん臭はわからないが、2つのおじさん臭が交わると、互いに切磋琢磨して協力し合い、より強い臭いに成長するのを初めて知りました。そういえば、我が家も年老いた老人2人がいるが、母屋のドアを開けたところから臭いが始まっている。前は、おいしい食べ物の匂いが染みついていたのだがいつの間にか変わってしまった。もう一つ臭い話は、どうも今度の就職はあやふやな部分が多くて、今勤めている会社から「やばいのでは」とのニュースが飛び込んでくる始末。どうやら、まだ固まってないようなのだ。しかし、僕の方はそれを当てにして列車は走り出している。実際、切符も買ったし、家の契約も済ませた。荷造りも半分程度は済ませた。今更戻りようがないのだ。

9月4日(木曜日)
内輪の声
松下に居るころは、自分の会社の事しかわからなかったが、別の会社に勤めると、電機メーカーの他社の人と同じ会社に勤めることとなり、いままで見えなかった内幕が見えてくることがある。今回引継ぎをする方は、F社を退社し、たまたま一緒の職場で働くことになった。と言っても2週間だが。それで引継ぎをしながら、前に勤めていたころの心境の意見交換をしている。これがなかなか面白い。昔は定番がありながらゲリラ戦法も有効化してたので、その武勇伝はとても面白い。自社にも武勇伝は数多くあったが、他社にも負けず劣らずあるのだった。とりわけ、マーケティング戦略は大きく異なり、ブランドがない会社は、一発商談が基本だから、国内外に面白話がころがっていた。電機業界の別の角度から見た歴史を教わったような気がした。小さな会社とはいえ上場会社となり、株式公開で億万長者が数名出たとか。急激な億万長者は誰でも同じで新地で豪遊したとか。そんな人は早死にですねと、貧乏人の悲哀を共通事項で締めくくるのは、サラリーマン人生の上手な会話の鉄則。

9月3日(水曜日)
またしても、雨
どうしてこんなに雨が降るのだろう。8月に入ってからずっと雨だ。じめじめしてて、布団もじっとりと湿気を吸い込んだままだ。その上、おじさん臭が漂い最悪の状態で床に就くことになる。寝ると朝まで直行するするには、寝る前に水を飲まない。一日をかけて適度な運動をする。それで、今日はプールに行った。30分で約1kmオーバー。OKこれで上手く眠れるぞ。と思いきや、寝る前にその日のレポートを書きあげると目が冴えてしまい、それで、睡眠薬代わりに布団の中で読書をすれば、余計に興奮してしまい、なかなか眠れなくなった。起き出して、母屋まで8mを歩き、酒を食らうと言う手もあるが、体に悪そう。眠たいが眠れない苦しみを味わった。雨だと体の調子も狂うのでしょう。

9月2日(火曜日)
中村市にて
高知県人はそう呼ぶが、正式には四万十市。ここで宿泊だ。今日は引継ぎの方と一緒に夕食を食べに出た。ホテルで聞けば四万十料理は「ちか」が良いと言う。そこを訪問すれば、私の友人K氏が昔、連れて行ってくれた店だった。K氏はこの町に赴任しており、彼が中村にいる間に、安芸郡芸西村から自転車で訪ねた。自宅から150kmを10時間かけて到着した。その時は精根きていたから、店の名前を記憶してなかったが、今日訪問すると店構えから、昔の記憶がよみがえってきた。物忘れの激しいこのごろなのに、これだけはしっかりと覚えていた。塩タタキが旨かった。青のりのてんぷら、これは前の記憶ではもちもちしてたはずだが、今回はぱりぱりだった。後任者はさんまの刺身を注文した。さんまは北海道産だと思うがいかがだろう。焼き鯖寿司もおすすめだったが、ビールを飲みすぎて帰る前の仕上げにいただく予定がとん挫した。二人で4300円。ちょっと安すぎではないか?ところが、どうやら中村は安くてうまい店があるので有名だとの事。沖縄のリゾートも良いが、中村リゾートも結構いけるではないか?と思いましたね。
<ちかの店内、これと同じレイアウトが2階にもある>

9月1日(月曜日)
また、雨かよぉ
今朝は朝から雨、高知の家を出るときはまだ降ってなかったが、野市を北に入るところで雨が来た。後ろの荷台のプラスティックボックスの中にこれからコピーを取らなければならない資料が入っている。雨の中取り出すと、資料が濡れてしまう。困ったぞ。最初の予定地は観音寺。駅前のミニストップに到着したころには雨が止んでいた。やれやれだ。今日から引き継ぎ。今まで何度引継ぎを繰り返したことだろう。大雑把な私は引き継いだ人にいろんな迷惑をかけてきた。最悪は1990年に名古屋でI氏に引き継いだ時だ。あの時は誠に申し訳ないことをした。私もわけのわからないまま、名古屋で業務を広げすぎ、わけのわからないまま引き継いだので、I氏もいくらベテランとはいえ当惑をしたことだろう。その人は、僕のことをあまり悪くは言わないが、腹の中は煮えくり返っていただろうな。今頃になって、本当に恥ずかしく思う。あれは僕のプライドが許さない仕事ぶりだった。雨は昼まで降り続き、狭い軽四トラックの中で引継ぎの話をした。彼もまさかこんなところで?と思ったことだろう。


8月31日(日曜日)
繰り上げの防災の日
携帯電話2台ががなり立てる。今月は大雨で何度も緊急避難メールが鳴った。ここでも1500mm程度の雨は降った。とりあえず何もなくてよかった。9月1日に防災の行事があるのだが、今日は日曜日だから、繰り上げで防災の日になった。昨日NHKで地球的災害について報道があった。温暖化が問題だとズバリ直言し、石油を燃やすのを制限しなければならないと指摘しなければならない。そうしないと人類の滅亡につながると。だが、景気が上向き人々の生活が楽になるためには、石油を燃やすことは避けられないと政府は考えるだろう。だが恐竜が死滅したように、人類も死滅への道を歩んでいる。日本は原子力発電を止めて、火力発電に切り替えたが、これは人類にとって命とりに近いような自殺行為だと後で知るだろう。中国で年間2000万台の車を販売するのも自殺行為だ。このしわ寄せをどこに求めるつもりだろう。しかし後20年は持つだろう。その後はどうなるかわからんと思う。

8月30日(土曜日)
荷造り
7月の夏休み前になると、「にぃにぃゼミ」がもうすぐ夏休みだぞぉと鳴き始める。夏休みに入れば「シャオシャオ」が、夏が来たぞ、早く川に泳ぎに行けと、がなり立てる。昼からは「アブラゼミ」けだるい午後だ、昼寝をしようと誘ってくれる。夕刻になれば「ヒグラシ」が、森の涼しさを送ってくれる。そして、8月の後半ともなれば、「ツクツクボウシ」が宿題は終わったか?宿題は終わったか?と寂しげに問いかける。荷造りをしながら、寂しくツクツクボウシを聞く。キリギリスも心持ち鳴き声が弱くなっている。ここを離れるとなれば、虫たちの鳴き声が妙に気にかかる。「やっぱり行くのか?」と。でも華やかな都会に出れば、そんなセンチメンタルな気持ちは飛んで行って、心地よいコンクリートジャングルの片隅で喧騒にもまれた生活に舌鼓を打つようになる。決して疲れはしない。今は丁度その気持ちの移行期だ。荷造りを行っている傍らで、夜、80インチシアターでスタートレックを見た。スポック副長が亡くなるシーンシリーズだ。色が悪く、音も良くないが、大きな画面と大音量は魅力で没頭できる。

8月29日(金曜日)
チヌとシマアジ
友人から写真付きのメール。「チヌが釣れたきに、取りに来ぃや」これを貰って(友人の母に)、友人が釣りをしている現場へ御礼に向かった。すると今日はシマアジが豊作だと、釣れたのを2匹もらった。背中のリュックの中で動いていた。これをもって、父の弟の家を訪問。旅立ちの前に一献しようとおもっていたので、ぼっちりの肴(魚)が手に入った訳だ。友人の技術は捨てがたい価値がある。広大な海を眺めながら時間を釣るのは、ここでしかできない老後の楽しみの一つ。気持ちもおおらかになるというもんだ。とは友人の弁で、僕はそんなことをしていればいらいらするから、かえって精神的によくないと返す。魚は貰うが一番だと。さて、魚の味だが、シマアジは刺身。身がコリコリでお醤油につけるとパァ~と油が広がる。チヌの刺身はたんぱくだった。半身はオリーブオイルでハーブを使って炒めたもの。こちらは抜群の味。スズキを使ってもできそうな調理方法だ。これでビールが進まないとすればどこか体の調子が悪いだろう。と言うことで今日は満足の一日でした。

8月28日(木曜日)
困ったことに
今の勤めを辞めて東京に出ることにしたのだが、後任に指名された方が何と緊急入院で、後任者を私が探すことになった。さて困ったぞ。スムーズなフェードアウトをイメージしていたのだが、東奔西走、悪戦苦闘の日々が始まりそうだ。人探しと言っても仙台で経験があるが、できるだけ信頼できる知人をまずは探して、その人の縁故、知人に当たる方法がもっとも適格だが、靴の下から足を掻くようなものだ。だが、幸運の女神はいるもんですね。今日はばったりとその信頼できる人にであったのだ。事情を話すものの、なぜ私が辞めるのか話さなければならない。条件面での話、業務内容。だんだんと相手の乗る気が募ってきたのが分かった。うまく説得して欲しいと心から願った。話が前後するが、今日は高瀬にある小野うどん屋さんを訪問した。前回で感激したうどんを食したので、最後の食べ治めだと訪問した。ごみ溜めに鶴のような、どえらい美人が食べていた。芸能関係の人だった。こちら方面に疎いので誰だか不明。困ったことに描くものを持ち合わせてなかった。

8月27日(水曜日)
ディスカウントチケット
今日は宇多津のサンルートホテルに宿泊した。5,000円で朝食食べ放題。部屋は少々汚いが、この価格で朝食食べ放題は魅力だ。ネットもできる。民宿がリーズナブルな価格を打ち出してお遍路さん客を勧誘しようとしているが、大手のディスカウントにはかなわない。さて今日はよく動いたので夕食にビールをと思っていた矢先、ホテルのフロントで、11階レストランの20%割引券を発行され、いかがですか?と来た。メニューを見れば1,000円で食べきれないような豪華内容。しかもディスカウントが働く。もう外に食べるのはやめてここに腰を下ろそうと決めました。瀬戸内海と本四連絡橋が一望できるレストランで、祝杯をあげました。まず、手始めに大川町のハマチ。何のことはないここは京阪神市場への養殖のメッカだが。まぁ細かいことは言わないでおこう。次に京風料理セットを注文したら、これが何と3月の雛祭りの如く立体的な飾りつけに小鉢が乗っている仕掛けで、見た目すごくきれい。メインの腹持ちする炭水化物は、もちろんうどん。ここはうどん県だから、このような時に出されるうどんも、都会で頂く高級割烹でのうどんを凌駕する味と量だった。うどんに腰があり、薄味のおつゆも、チンピラがカツアゲするのに通りがかりのおっさんに絡みつくように、密着してた。割引券を使い2,400円は確かにリーズナブルな価格だった。

8月26日(火曜日)
にっこり電気
突然、僕の携帯電話に、大阪のナショナル販売店「にっこり電気」の社長さんから電話が来た。いきなり「伊荻ですが」速度の低下した僕のコンピューターはフル回転して、検索した。検索の結果「車の運転中で、すぐにかけなおすことにヒットした」。その数秒後、確かな情報をヒットした。何と20年前にステレオの販売で、いろいろと商談を重ねお世話になった店だ。なかなかの人格者だから、松下の偉い人との付き合いで名前が残っている人もあるだろうが、主事職の私の名前もしっかりと彼のシナプスの襞に刻まれていたわけだ。懐かしいね、一度大阪に来たら遊びに来てくださいと鹿児島弁で招待された。旅行が好きで、毎年海外に出かける1週間前からは生の食べ物は一切口にしない方だった。今年も海外旅行は2月にオーストラリアに行ってきたとの事。暑い中ゴルフをされたと。声は現役バリバリの声だった。あの店の近くに旨い蕎麦屋があった。今度訪問した時はそれをごちそうしてもらおう。
<エグザエルの講演関係者が宿泊?>

8月25日(月曜日)
ヘルパーさん
父と母用にケアマネージャーさん、ヘルパーさんがそれぞれいて、しかも、芸西村のヘルパーさんが廃止になり、新しいヘルパー会社さんに引き継ぐこととなり、何と7名もの方が、私の父と母の為に来てくれた。そして、私はその立会いだ。転居に当たりこちらの要望も隈なく汲んでいただき、それを文章化して、現と後任とに明確にする打ち合わせは、40才前後の女性のケアマネージャーとしてはずいぶんとよく仕事をされると感心した次第。今では、私もこれくらいのまとめ方はできる自信があるものの、40歳の頃はここまでまとめきれなかっただろう。彼女たちの仕事ぶりに脱帽。松下退社後、毎週レポートを書かされて、毎月まとめを書かされると、それなりに体裁の良い語彙が浮かび上がり文章化できる能力がおのずと備わってくる。彼女たちも、こうした訓練のたまもので、一軒一軒レポートつくり、村内の決済あるいは国の決済を仰ぎ、お金を引出し、傘下のヘルパーさんに動いていただく仕組みを作り上げるのに磨かれた。ヘルパーさんの仕事は想像できるし、ネットにも書き込みがあるが、ケアマネージャーさんのご苦労はまだ見たことがない。この仕事は女性ならではの配慮が必要で、女性の管理職がこれから大いに拡大される前兆みたいなものだと思いましたね。



8月24日(日曜日)
物悲しい、ツクツクボウシ
今年もまたツクツクボウシが鳴き始めた。夏休みの宿題がたまり心穏やかでない時に、このセミが毎年鳴いた。セミは比較的捕まえやすいこともあり、宿題をそっちのけで捕まえに木に登ったこともある。それでますます宿題が遅れた。その苦い思い出が蝉の鳴き声とともに蘇ってくる。毎日雨が続き鬱陶しい日々が続くが、雨が降ってもツクツクボウシは鳴く。何か心配事があるわけでもないが、なんとなく気がめいる。それに台所の椅子の足や背もたれにカビが生えている。連日の雨で、部屋の湿気が取れないからだ。幸いな事に昼間は太陽が出てきた。早速布団を干した。汚れ物を素早く洗濯し干した。引っ越しのリストを作成し、一部は、荷物送り出しルーム(シアタールームの隣)集結した。余計な物は持たないつもりだが、AVが出来る確認が取れたので、TVやトールボーイスピーカーが加わることになった。東京行きの衣類、布団は日干しをしたいのだが、昼過ぎから天候怪しくなり断念した。


8月23日(土曜日)
家探し
船橋の不動屋さん「エステートリンク」はなかなか親切だ。商売は上り調子とか。都会は景気が良い。4つの候補を上げてくださった。一つは僕の要望で南船橋駅前にある若松団地。後の1つはアパート。2つはマンション。アパートが一番綺麗だが、隣の音が心配で決断出来なかった。1つのマンションは形成電車横で、電車の音が気になった。一番目当ての若松団地はあまりにも機器が古く、窓も風でガタガタなるし、排水管が室内を通り、この音が響きはしないかと不安になった。それで、消去法で残されたマンションに決めた。1階で日当たりに問題あるかも知れないので、良い洗濯機を考えなければならないかもしれない。2KでAVルームと寝室が確保出来そう。契約を済まし、船橋の以前行ったことのあるお寿司屋さんで昼食。ときわ書店で書籍購入(この店のオススメは間違いがない)。帰りの飛行機にまだ時間があるので秋葉原ヨドバシカメラへ。オルトフォンE-Q5は17,100円だった。洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ物色。ここは配送料が発生する。だいたいのメドは付いた。まだ時間があったので駅の反対側のソフマップへ。パワーPCのMacはあるか?探したが、無しだった。もっとレアな店を探さなければならない。次回にしよう。次回があるのがいいね。大阪もいいが、ここでも着慣れた洋服を着るように空気が馴染む。1時間半後、真っ暗な高知龍馬空港に降り立った。またもや雨。物部川の川上(北方面で土佐山田町付近)で花火大会。川下からみれば丁度川の真上に赤い花が咲いていた。一方、東の方(安芸方面)では盛大な青の稲光。花火の「どぉん」と、「ゴロゴロ、ドカン」が同時に又は別々に聞こえて来てナカナカスペクタルな夜だった。今年の夏の雷の特徴は同じところで長く鳴るのでなかなか良かった。


8月22日(金曜日)
超多忙
ウイン企画の事務所を借りて報告書を書き上げた。今日は休みをいただいているので、大阪に居る。週報は毎日メンテをしてても、提出時に修正をすると2時間ほどはかかってしまう。それから、日本橋に出かけた。高知の田舎で毎日虫の声を聴いて夜を過ごし、昼は蝉時雨。これも決して悪くはないが、僕にフィットしているか?と聞かれば、少し違和感があった。ところが、日本橋のデンデンタウンを歩けば、水を得た魚のようにピッタリくるのだ。アスファルトの照り返しが懐かしい。まっすぐに歩くと人にぶつかる。ケバイ音楽が街中を流れる。いいねぇ。シマムセンに寄って携帯電話を充電させてもらった。その間に鈴木さんに面会。彼の音のセンスは素晴らしい。資格制度があれば、マイスターの称号を持っているだろう。僕でさえ、インドでは「グル」と呼ばれた。彼の紹介でオルトフォンのヘッドホンE-Q5を13,000円で購入。低音は不要、中高域の充実した音が欲しい要望にピッタリくる。充電もできた頃退散した。ここから、新大阪に住んでいるN氏にメール。時間があればお茶でもとお誘い。OKとの事でお茶を奢ってもらった。この方とはオーディオとモバイルの話。僕が選ぶ人は少々お宅っぽい。女子高校生の話と同じでたわいない話だが、心地よい時間が過ごせる。それから、東京へ。こちらで友人と懇親だ。だが約束の時間になっても来ない。いい加減な人ではない筈なのに。15分待ってメール。もう店にいます!「あれぇ」入り口で待ってたのに!何時パワースライドしたの?まるでスタートレックだ。スポック副長のようにとんがり耳ではないが。


8月21日(木曜日)
「それでも生きている」のだと反論したいところだが
広島が大変な事になっている。ここに友人の実家があるはずだ。と、気付いたのは今日の昼過ぎ。生憎と忙しく電話をする暇がない。夕刻開放された時には、相手は出ない。まぁ夕刻はいつも飲んでいる人だから問題は無いかなぁ。とギアを一段緩めたら、返事の電話があり、何ともなかったと。本当に安堵しましたね。あれは人災だから憤怒に耐えない思いをしなくちゃならないからだ。NHKはまだ100年に一度の表現を使っている。誰も、
この異常気象を100年に一度とは考えてない。日常茶飯事となった。誰か、何で、こうなるのか誰かが語って欲しい。話は違うが、中学生から高校生にかけて、僕は今でいうところのイジメに随分と遭った。いじめやすいタイプなのだろうと今日気がついたのは、気の置けない友人仲間と呑んだのだが、どうしても話題が私への攻撃に傾くのだ。僕たちの周りには別の話題が一杯あるのにだ。不思議なことに、言い返す言葉もなく、立腹もしないのは、何となく自分と言うものが分かってきたかただ。もう一人の私が別にいれば、やはり同じことを言うのだろと思えるようになったのだ。

8月20日(水曜日)
エネルギーが枯渇すれば
今日も忙しく仕事をして、ずいぶんと身体を動かした。それから200km運転して高知に帰り着いた。帰り道は随分と急いで運転してプールの閉館前に辿り着いた。プールで1,200m泳いだ。まだ行けると思ったが、従業員が帰りたいようなそぶりなので、早めに切り上げてあげた。帰って台所を片付けてから、自分の食事をつくった。もうこの頃から瞼が重くなっていた。風呂にはいる頃は、一歩が凄く重くなった。急速に疲れが出てきて、残りのエネルギーがもうほとんどない状態になった。携帯電話でもバッテリーを使い切ると、直ぐに充電が始まりません。あれと身体は一緒でして、疲れているのに眠れないのです。これはキツイ。眠ったと思えば、鼾が凄いのでそれで目が覚めて最初からやり直しです。年老いた身体はコントロールが難しくなってきている。1,600m泳がなくてよかったと思ったのと、ぎりぎりまでエネルギーを使い切るのはよくないことを知った。


8月19日(火曜日)
18円の姿勢
昼にコンビニで簡単な食事で済ましたのは今日で2日目。エアコンもいれずにいるからこれでは体が持たんと、今日の夕食は「徳島そごう百貨店」の地下に夕食を買いにいった。松花堂弁当(閉店間際で半額)と、f1/gでサラダ2種。最後にビールを。デパ地下で酒を探すのは結構難しい。広いのでコンビニとはわけが違うし、定位置があるわけでない。やっと探し当て、レジに持参すれば、今時珍しい、背中が腹側に反った立ち姿勢のおばさん従業員にあった。今では、100金でもスーパでもレジ清算の後、両手を前で揃えるマニュアル指導は進んでいるが、みんな猫背姿勢だ。昔、JALのスチワーデスとデパートは女性の憧れだったが今ではどうだか。だから昔教育を受けた姿勢の良いこのおばさんは、化石的価値がある。ここで買ったアサヒスーパードライは338円だった。帰ってホテルの自動販売機を見れば320円だった。このおばさんの姿勢は18円だとは、ちと哀しい話ではないか。
<高知県大方町の海岸、ここから徳島に向かった>

8月18日(月曜日)
「しかたない」の話
今日もよく頑張った。心地よい疲労感がある。父も先日、田んぼの溝を鍬で掃除をして、自分の回復ぶりに驚くとともに、久しぶりに体を動かして気持ちが良かったと言っていた。今日は気を張って急がなければ、時間が足りないと今までの経験から分かっていた。高知〜松山〜大洲市を抜けて四万十市までの移動だ。移動だけでも凄い距離だが、この間に商談もあるのだ。商談タイムは1時間がリミット、食事は運転しながらパンを齧ろう。時間は節約するが睡魔がやってきたら、車を止めて爆睡しよう。こんな献立だったが、思わぬ伏兵が潜んでいた。一つは豪雨。あまりの強さに速度を抑えなければならない事態に。軽トラックは、雨に叩かれると天井がドンドンと煩く響き、ラジオもCDも全く聞こえない状態だ。その上、冷房を効かせば窓の外側が曇る、冷房を入れなきゃ窓の内側が曇る。泣き面に蜂状態だ。二つ目は通行止め。国道441号線は台風の影響で通行止めだった。「急いでいるんだよ」「それは、あなたの勝手でしょ」という訳で迂回路を進んだ。何と四万十川の沈下橋を渡るルートで、少しハンドル操作を間違えれば、流れの早い四万十川に「沈下」する。運転には自信ありだが、これは緊張しましたね。三つ目は、2ヶ月に一度しかないクレームが、今日に限って2件。運転しながら、携帯電話で丁々発止。対向車も滅多にこない山道だから運転だけ気をつければ問題なし。その艱難辛苦を乗り越えて、19:05にホテルに到着しました。PCを開いて1時間、その日のレポートを作成。緊張時間13時間。定年後のおじさんは、そこまでしなくてもよいのではないですか。ブルースウイルスの心境ですね。その心は、行きがかり上、仕方ないではないか!
<写真を撮影するのは必死>

8月18日(日曜日)
電源プラグのプラスとマイナス
随分昔のことになるが、ウイン企画の前川氏に電源極性をそろえると音の定位が良くなると教えてもらったことがある。電源プラグをコンセントに差す方向によって、アースとシャーシー間の電圧がずいぶんと違うので、低いほうに統一すると言うのだ。作業は簡単だが、接続しているピンコードを全部抜いてからの作業であるのが前提で、これは結構時間がかかる。ついでにピンコードの清掃も兼ねての作業である。今のテスターは非常に内部抵抗が高いので、微妙な電圧が測れるのだ。僕が真空管アンプを作っていた頃のテスターはこうはいかなかった。その結果、見事な定位がスピーカーの前に実現した。この部屋のシステムは相当大型で、スピーカー間も3m程ある。その真ん中にテレビを置いてある。テレビの丁度真ん中にPanasonicの文字がある。この文字の上に、調整後はマイルスのトランペットがピタッと張り付いた。岩崎宏美のボーカルも同様だ。当たり前だが、これがステレオだと感じさせるのだ。ローマは一日にして成らずで、ここまで来るのにずいぶんと時間を要した。リスニングポイントは1か所で、そこに座椅子をセットしてある。時間を忘れさせる魔力を持っている。

8月17日(土曜日)
友人たちと
朝早くK氏が現れた。寝込みを襲わないだけでも感謝だ(この友人は朝早く3時ごろから活動を始めるので、少し前には朝の6時前にドアを叩かれたことがある)。βのビデオEDV-9000EDと、テクニクスオープンデッキU38と、ソニーカセットデッキTCK-555ESを進呈するので引き取りにきて欲しいと伝えておいたのだ。雨の中を来てくれた。雨がやむまでしばらく歓談。高知では昨晩雷が酷く眠れなかったと言う。こちらも鳴ったが一回か二度程度だった。雨が止んだ所で車に積み込んだ。それでもテープは全部積み込み出来ず。その後T氏宅へ乗り込んで昼食に行こうと誘った。隣町のラーメン屋さん。ここでビールを飲んで一頻り近況を語る。と言っても、先週も飲んだばかりで、話の繰り返しだ。酔いを醒ましがてら海岸沿いの道を進むと、台風11号の爪痕が随所に現れた。大きな波は防波堤を超えたので、港や、民家にも被害があった。次回の台風の時はここの多少波をかぶるような場所が面白そうだ。と結論。「高知県香美市海岸で波を見にきたお年寄り2人がさらわれて死亡」と報道されれば、僕たち2人の事だ。西分港で珍しい岩を紹介してくれた。1億3000万年の昔に隆起した岩石とのこと。隣の岩との差異は不明だが、岩石を語れば3日でも語る大学の先生に言わせると、非常に貴重な岩だとか。それは、もしかしておしっこをかけていたかも知れない岩だ。と言うのは、むかし、ここでボンボンベッドを敷いて本を読んでいたのだ。丁度この辺りで、港ができる前、砂浜も綺麗で、景色も良くて、風が抜けたので丁度良かった。この頃は井上ひさしや山本周五郎を読んでいた。

8月16日(金曜日)
シアター完成
離れの部屋の音響システムはシアターと決めていたが、色々と用事が重なり今日まで手がつけられずにいた。今日は道具や機材はすべて揃ったところで一気にシアターを完成へと追い込んだ。入口のBDはパナソニックBWZ600。プリアンプはテクニクスSU-A200。チャンネルディバイダーはSH-D1000×2台の3Way構成。低音用アンプにテクニクスAE-A3、中音用のアンプにテクニクスSE-A100、高音用のアンプにテクニクスSE-A5。スピーカーはテクニクスSB-MX200D。スーパーウーハーにヤマハYST-SW1000。まだ2.1CHだ。AVアンプとプロジェクターとスクリーンは2年後に購入予定だ。一応の調整を済まし、夜スタートレック2009を見た。外は、大雨が降りだして映画のサラウンドを大いに助けた。プロジェクターとスクリーンの距離が3m程あり、ピントに余裕がないものの、80インチスクリーン(布を張った)はそれなりに楽しめた。雨の合間を縫って離れからこの部屋に帰り着いた。スタートレックは2本見たが、どうもこの映画は「スポック副長」が重要な役目をしているようだ。


8月15日(木曜日)
寒風山トンネルを抜けて
2つの四国山脈を貫通する西条と伊野町を結ぶ国道194号線は、標高の最も高い地点でこのトンネルを抜ける。トンネルの長さは5km位あって、山の向こうとこちらとでは全く天候が異なる。灼熱の太陽が頭上にあった西条市では、冷房を入れてない僕の車は信号の停車毎、一汗流した。増水した加茂川で沢山の子供達が遊んでいた。(今時珍しい傾向)。この道を125ccのバイクが僕を追い抜いて行った。660ccの車は負けてはなるまいと、僕はこのバイクを追いかけた。途中片側通行の信号が2つあり、無事追いつくことが出来たが、トンネルの長い登りで見失ってしまった。小さなバイクと言えども、やはりバイクだ。山道のカーブには強い。しかし、小さなバイクだ。追いかけてるとどこかで追いつくだろうと踏んでいた。執念深くコンスタントが僕の持ち前だ。ところが、このゲームは意外にも簡単に決着がついてしまった。それは、このトンネルを抜けると高知県側は大雨だったのだ。若い兄ちゃんだから、雨に濡れてもいいだろうが、この雨では目が開けられないので休憩しかないのだった。四国の雨については何度も書いてきたが、粒が大きいので当たると痛いのだ。腕や顔ならこの痛みは我慢できるが、目の玉は辛抱できない。800kgの車体を抱えた鈍重な660ccとは言え屋根のある車は雨に強い(当たり前か)。彼をぶっちぎり勝利を収めた訳であります。今日のフィニッシュはプールで30分。

8月14日(水曜日)
伊予三島
今は四国中央市、川之江と呼んだり、地名の多い街だ。高速道路からは煙突が林立するのが見え、工業の街だというのが一目瞭然だ。日本の製紙工場がここにある。そして、鼻にもこの街は訴えかけてくる。幾分弱くなったと思ったが、まだ十分臭うのは、木のチップが工場に剥き出しで積まれている。これは十分匂いの元になるだろう。製紙メーカーは中国製の安価な紙に押されて減益だ。その上デジタル化による紙の使用量減少に対処してる姿は見えない。ジリ貧の傾向はこれからも続くだろうと言う先の見えない街だ。少し時間があり、街の中心部を車で通ったが、アーケードを張った商店街があり、一軒も店が無かったのには驚いた。閉塞的なこの街で青春を過ごさねばならぬとしたら、大きな苦痛だろうな。息が詰まってしまう。匂いでも息が詰まるからダブルパンチだ。それで人々は死んだような目をしている。


8月13日(火曜日)
四国流
夜のガストは混雑している。これは景気を反映したものなのか、それともこの店の安さに客が集中しているのかは不明。秘密を探ろう。その一、流石に夜の食事にマクドナルドは選択肢として存在しないから、先ほどのガストかジョイフルかデニーズとなる。四国は店の選択肢が少ないので、みんなこの店を回しているのだろうか。そのニ、ビッグボーイもあるが少し高めの価格で客はいない。その三、南森町食堂チェーンが四国にもあるが、食べ終わると直ぐに退散しなければならないのは、若い人たちに人気のない理由。王将も寿司店も同じだ。その四、四国はうどんが有名だが、夜のうどん店は無い。あってもまずくて高い。こうして外食チェーンを眺めると、昼食はともかく、夕食はただ食べるだけでなく、酒は飲まずとも少しゆっくりしたいコンセプトの店は意外と少ないことがわかった。四国は小さな経済圏で日本全体をマーケティングする時、視野から外されてしまう。中四国で纏められるマーケティングでは中国に隠れてしまう。岡山には再々行くが、四国とは全然違うスケールの違いを感じる。少ない選択肢で生きるのが四国流だ。
<香川県高瀬町で凄いうどん店を発見>


8月12日(月曜日)
iPod
約1年半だが高知に帰って40年間の貯めていた、音楽と書籍を全てデジタル化し終わり、定年後の一つの区切りが出来た。これからは少し余裕の有る生活に戻れるから、その記念としてiPodを購入した。毎日ホテル生活だから、慰みとして音楽はピッタリだからだ。大体宿泊するホテルは都会にあるから、夜食事がてらTSUTAYAに行ってCD5巻ほど借りてきて録音する。翌日はそれを聞くと言う豊かな音楽生活を計画している。のんびりする時は、2012年10月以来久しぶりだ。この年は退職が決まり、就活で精神的にぎりぎりの生活を送っていたので、音楽は蚊帳の外だった。2013年は就職できたものの、東北での仕事は厳しく気候も厳しく、それに、6畳一間の生活だったので、音楽に触れる程度に限界があった。これからは、本をたくさん読み、音楽を聞き込んで、英語を勉強に力をいれよう。英語は2012年9月以来外国人と話してないが、上達はせずとも低下もしない程度の維持だった。2016年からは海外に出かけるので猶予は2年だ。iPodにはPODキャストもあり、これでも勉強出来そう。するかな?


8月10日(日曜日)
よさこい
開催が危ぶまれたよさこいは、一日遅れの本日午後から開催と決まった。今朝の3時には台風が上陸して暴風雨だったから、この決定は英断だ。今回の台風は強かった。いきなりの突風がやってくると、この鉄骨の家はぐらぐらと揺れた。相当太い鉄骨が入っていて、地面にボルトで固定してあるにもかかわらずこれだから、木造の家屋は相当だったと思う。雨も強かった。夜中に起きて気象レーダーを見れば、高知から徳島まで雨の強さを示す色が赤もしくは紫色で、もう3時間も続いていた。被害が出てもおかしくないレベルだ。携帯電話は昨晩から鳴りっぱなしだ。安芸市を含む芸西村は避難勧告が地区ごとに発令されるので、その受信だ。トイレに起きた時は、傘もスリッパもなかった。風が持って行ったのだ。歴史に残る台風だ。日経新聞では、温暖化による異常気象は大きな問題で無いと杉山大志氏は書籍で述べている。このおっさんをこの台風の時、この家に泊めてあげたい。それでも、同じことをほざくのだろうか?さて、よさこいだが、日ごろは1ℓ程度の水を飲む猛暑だが、今回は500mlの水半分で事足りた。僕が撮影していると、隣のお婆さんが踊りだして、うちわを振りまわるものだから、僕のカメラにかかる。あんた一人が楽しんでいるのではないよ!とたしなめた。年寄りの元気にも別の問題がある。夕飯にK氏を呼び出して、寿し一貫で夕食。二人はビールで、僕はお茶。帰るとツクツクボウシが鳴いていた。8月終わりに鳴く蝉だ。

8月9日(土曜日)
こんなの初めてだ
昨日と同じ時間帯。再び波を見に行った。今度は波の見えるレストラン。さすが、この店はキャッチフレーズ通り、こんな台風の時でもオープンしていた。少しだけ海に突き出ているので、12mの打ち寄せる波を横から見ることができるのだ。全面ガラス構造なので、3方向、自由に撮影できる。昨日と比べると今日の波は一段とモンスターに成長していて、大きなうねりがゆっくりと打ち寄せる。大きな水の塊が破壊的な力を伴って打ち寄せる。岸辺の岩が木端微塵になるのではないかと思うエネルギーが炸裂する。水平線を超える波頭は次から次へといくつも現れる。海側に突き出ているこのレストランは、凶暴な恐竜を間近にみられる特等席だ。雨漏りがして従業員はその手当に忙しい。雨は大粒で視界が効かない降り方に変わった。大丈夫かな?

8月8日(金曜日)
今度は11号
大きな台風だ。波が大きくなり、芸西村健康プールは臨時休業となった。友人が大潮の満潮時に波を見に行こうと連絡くれた。僕はカメラと、洗濯ものを持って出かけた。途中コインランドリーによって洗濯物を乾かすためだ。健康プールのすぐ隣に野外劇場があり、この建物から波を見ることができる。屋根もあり、雨にも濡れない。友人はビール、つまみ、椅子を用意していた。本格的に「波見」を決め込んでいた。水平線を波の波頭が超えるのが来れば、大きな波だと目安を教えてくれた。目を凝らせば、遠くで波頭が高すぎて崩れて白くなっているのが見える、「おお、あれだ」とビールを一あおりして待つ事5分。それは大きなボリュームを持って押し寄せて来ました。僕らのいる建物の手前まで触手が伸びてきて一面真っ白に。広大な砂浜は一面波で覆い尽くされた。そして、つまみ一口にビール一口。こうして2時間あまり、波とビールのおいしい時間は過ぎていった。




8月7日(木曜日)
大雨の被害
沢山の方々からお見舞いのメールや電話をいただいた。青森の友人からも電話が来た。「こちらも降っているから頑張って」。と。なかなかウィットに長けているではないか。12号でこれは大変だと思ったのが8月2日(土)の大雨、それからNHKが報道を開始した8月3日からは峠を越した。8月4日以降は喉元過ぎれば熱さを忘れるで、あまり豪雨については感じなくなっていた。当面の問題は、高知に帰るためのルート確保だ、香川県からのルートは国道32号線。大豊町で通行止めとなっている。マップでは、抜け道があるが果たして山林の道は通れるのかどうか?判断に迷う。しかし、暗くなってからでは難しいため「当たって砕けろ」の精神で、国道32号線を走った。途中の電光掲示板2つに通行止めの表示。う回路の表示はない。徳島県に入ると一か所だけ、小さな立て看板があって、う回路は高速道路を無料で通行できる表示だった。それだったらもっと手前に表示をしろと言いたい。ECTカードを外し、通行券を発行して池田インターから大豊インターまで高速道路を使わせてもらった。1,300㎜を記録した繁藤も通過した。ここでは、学生時代の仲間が亡くなったと思っていたが、先日の懇親会で死んでいないぞと聞いた。これで、繁藤のイメージはずいぶんと良くなった。

8月6日(水曜日)
疲れ
ホテルはサッカーの合宿で来た高校生と一緒だった。スポーツ選手らしくなかなかマナーが良い。あまり背が高いのでバレーの選手かと聞いたほど大きかった。サッカーは人気が高く、野球は人が集まらないかもしれない。甲子園が間もなく始まるが、若者にとって野球の「入魂」は今時ではないかもしれない。サッカーは所得の低い国に人気があるのも、今時の若者に共通しているかもしれない。つまり、裕福な家庭の子は野球。貧困とまでは言わずも、年収500万円以下の家庭の子はサッカー人気。レポートを書き終えると飲みに出ようと計画していたが、眠くなり風呂に入って寝てしまった。軽トラックで100km以上を走るのは体力を酷使しているのかもしれない。それに、今日は休憩を取らなかったし、晴天と豪雨を潜り抜けたので、体も驚いている事だろう。





<徳島は何を食べてもまずいので食欲も落ちる>

8月5日(火曜日)
まだまだ続く雨
昨夕はこの民宿の位置関係が分からなかったが、朝起きて散歩をすれば、すぐ目の前に海水浴場がある。粒の小さな砂が一面に敷き詰められてある。その砂の上に、たくさんの流れ着いた芦の茎が一面を覆っている。とても海水浴場の雰囲気ではないが、天候も不順だ。夏の家を経営するおじさんがいたので、話を伺ってみた。休みの度に雨が降り、今回は台風だ。来週の週末も台風が来るので、もう浜辺の芦の枯枝は放ってあるとのこと。シーズン中10万人が訪れるというこの海水浴客に賭ける期待は大きいので、ずいぶんと嘆いているだろう。エアコン商売は残暑が続くと、いったん落ち込んだ客足が帰ってくる、しかし海水浴客は帰って来ない。残暑の頃はクラゲ発生で泳ぐことができないのだ。店構えから判断するのは申し訳ないが、こういう事のためにリスクを取った経営をしているとは思えないので、かわいそうだった。いつまでたっても上がらない雨の中仕事に出かけた。

8月4日(月曜日)
台風12号
これで三日三晩振り続けた。天気図が変わらない。低気圧と高気圧の位置が変わらなければ、同じ所に雨が降り続ける。夜中に、何度も豪雨の列車が通り過ぎる。遠くから大粒の雨が降りながら近づいてくる。まるで列車が来るようなものすごい移動音だ。これをサラウンドと呼ばずして何と呼ぼう。この迫力を記録できないのが残念。その雨の中を出掛けた。県外には国道も高速道路も寸断されていて出られないので、高知県内での仕事だ。その雨も、須崎市に入ると上がり太陽が出ている。真夏の盛りの太陽だ。瞬く間に気温が上昇し、汗が噴き出る。ところが、須崎市から高知に向かってトンネル1本越しただけで天候は一変し、厚い雲に覆われ、高知市に入ると大粒の雨がやってきた。丁度昼時で、店に入るわずか10秒でずぶぬれになってしまった。すごい雨だ。COCO’Sの夏野菜カレー1,280円をいただいた。高知市で仕事をした後徳島県は阿南市に向かった。国道55号線は通行止めのニュースだが、う回路有りとの報道だったので、決行した。う回路は高速道路だったので助かった。今日の宿屋は民宿「脇の宿」さんだ。食事はないので、阿南市の少し手前にある「豚太郎」で食事をとった。隣にはおばあさんと娘さんの二人ずれ。今日は動きが少なかったので料理を少し残す形で食事を終えて宿屋に向かった。まるで小説に似ているが、この旅館の玄関をたたくと、出てきた女の人は、先ほどのラーメン屋さんで隣に座って食べていた老婆と、娘さんだった。レストランでは僕より後に出たはずなのに。一本道なのにおかしいな。そこから物語は始まるが、現実はもっと下世話な話に移行する。この旅館は昔イセエビやアワビを提供する料理旅館だったが、もう奥さんは料理ができなくなったので、素泊まりの旅館のみの営業を続けているとか。素泊まりとは風呂がないこと。そこで案内されたのは、市内にあるロイヤルガーデンホテルの別館にある風呂屋さん。大きな風呂で露天もあり、なかなか豪華だ。クルマだと5分だと言われて15分かけて到着したのがこの話のオチ。

8月3日(日曜日)
チャネンルディバイダー
SH-D1000は、結局クロスオーバー周波数の変更が出来なかったので、AVシステム(離れ家)の方に戻すことにして、こちらのオーディオシステムの方用にTRIOのMF-5010を買った。ハードオフで13,000円だった。性能を心配したが、高域にハリがないが、中低域はなかなか元気がある。2WAYではなく、もう一個スピーカーを足して3WAYにすれば問題解決となるかも。そこで、昨夜はトムクルーズの不思議な映画を見た。タイトルは「オブリビオン」。どうも、ヴィクトリア・オルセン役の女性はCGのような振る舞いをしている。もしくは、CGに描かれるような人物が最近は出現したかもしれない。ともかくCGも進化し、水の表現も旨くできるので、もう何が何だかわからない。ストーリーは裏の裏があり、ちょっと表現しにくいが、地球がエイリアンによって破壊された。人類は土星の惑星であるタイタンに移住した。トムクルーズは、地球の見張り番として、派遣されてきている。ここで使われる電子機器や乗り物は、スターウォーズの頃と比べて随分と進化しているので楽しめる。これは完璧にCGだ。まぁ空気のない宇宙で低音の重低音の効いた爆発音や、炎が上がるのは、同じだが。46㎝のウーハー2発なので、十分応えてくれる。この買い物は正解だった。


8月2日(土曜日)
台風の雨
よく降ります。高知は出会った人と、「暑いねぇ」、「冷(ひや)いねぇ」の他に「よう降るねぇ」と自然環境をあいさつにできるほど、都会と比べて厳しい環境下にある。まぁ自分の体はそんな環境で育ったからなじんでいる。が、今回の雨はちょっと異常だ。雷を伴って降る。それも24時間ゴロゴロ鳴っている。以前コロンボでモンスーンにやられたが、これも一日中雷が鳴っていた。あれと同じである。昔はこんな長雨はなかった。変だ。国土交通省の雨レーダーでは24時間前まで雨のデーターを遡れるので、芸西村の雨量は危険かどうかが良く分かる。今回は徳島の阿南市と高知県の西部に豪雨が続いた。こちらはもともと雨の多い地区なので、少々の事では被害はない。少量の雨は上から降ってくるが、豪雨になると何故か風が出てきて横殴りの雨となるのだ。窓にどっと水が吹き付けられる。それは迫力ある。母屋とこの部屋は離れているので、往き来にずいぶんと雨に濡れてしまう。トイレに行くにも雨に濡れるので、眠ってて目が覚めた時降ってなければトイレ、降っていればそのまま眠る。こんな生活をしている人は今時あまりいない。

8月1日(金曜日)
身辺整理
昨日は月末の報告書をしあげ、今日は週報を仕上げ、なかなか月末と週末が重なる日には事務的にも大変なのだ。普段は出先のホテルで行っている作業も、今日は自宅で行う。月に2回は事務処理日として自宅での作業が認められているのだ。それで、余った時間を使って今まで書いてきた報告書の原本となる大量のメモ用紙をスキャンして電子ファイルに収めた。これで本棚の一角を占めていた棚が空くことになる。そして、スピーカーの周りにあった最後の本棚を外すことができて、本当にすっきりした部屋になった。昨年の3月から始めたこの部屋の整理も終わりが近づいてきた。βのビデオテープのダビングは日曜日には終わるはずだし、オープンテープのデジタル化も8月9日には終わる予定だ。後は、入社以来あちこちに書き留めてきた日記やメモを日付ごとに一つのファイルにして、自分の半生がいつどんなことを考えていたのかわかるようにするつもり。これは、PCファイルが多いので一番大変な作業となるはずだ。しかし、こちらはどうしても高知でなければできない、と言うのもでもない。ずいぶんと計画的に身辺整理を行ってきたものだ。

7月31日(木曜日)
台風12号
またやってくる台風。潮騒も海岸から1km離れるも、我が家はストレートに海が見えるのではっきりと聞こえる。もっと大きな波の時には、波の振動で窓ガラスが震えるが今回はそこまではない。プールで見たときはそれほどでもないが、この部屋に戻るとよく聞こえる。普段よりも幾分陸地側で打っているかもしれない。プールでも台風の話題。台風が来て波が大きくなるとこのプールは臨時休業となる。常連の皆さんは夕刻ここで疲れてぐっすりと休む毎日を送っているので、休業は困るのだ。だから、台風は話題になりやすい。家にはF氏からのお酒が届いていた。父と飲んだが、濃厚な味だった。旨い。台風と言う肴がある。旨いからたくさん飲むのはよそう。そんな風格を持った酒だった。酒は飲まないと価値がないが、飲めば減る。酔って布団に横たわれば、遠くから潮騒が届いてくる。この音を枕に寝るとしよう。ここは眠るのにいろんな音の楽しみがある。コオロギは春ごろから冬直前までの定番だ。雨の音(高知の雨は粒が大きく大量に降るので、雨が近づくのがわかる。まるで波のように雨がやってくる)。昼寝の時はキリギリスかクマゼミ。蝉の鳴き声がうるさい時ほど、海からの風が部屋を吹き抜けて気持ちが良い。

7月30日(水曜日)
寝不足で
幽霊は出なかったが、なんとなく朝早く目が覚めてしまった。PCを開いて報告書を仕上げた。それと当面のスケジュールを立てた。大阪と東京へ行くので飛行機の手配も行った。すると丁度良い時間に、髪を後ろに束ねた美人のおかみさんが食事を運んできてくれた。何と、ここは、食事は食堂に行くのではなく、運んできてくれるのだ。一緒に愛媛新聞も持ってきてくれた。幽霊の出る地獄でなく、天国にいる感じだ。眠気も吹っ飛びはつらつとして旅館を飛び出した。だが寝不足は体が覚えていてくれて、ものすごい睡魔が運転中に襲ってきた。早速スーパーの駐車場で爆睡。目が覚めたときここはどこだ?と目をうろうろさせた。これを今日は3回も。

7月29日(火曜日)
埋もれていた美人
今日はおなかの調子が悪い。おなかの調子が悪いと栄養が取れてないのか、ものすごく疲労感がある。豊浜の海の見える道の駅で休憩した。木陰で涼むベンチには先客がいて、割り込ませてもらった。「暑いね」80才前のおじいさんは、その言葉に返さず「年は取りたくないね」と。どこから来たんですか?「香川のうどんを食べに行くところ」と全く会話が成り立たない。しかし、うちの父もそんなとことが少しあり、『ホント年は取りたくないね』。と言うところで話はかみ合う。クルマは頑張ってエアコンを入れず、40度近い車内で汗を流しながら運転。走っているときは吹き込む風で問題ないが信号で止まるときついですね。だが夜のビールのためだと思うとそれも我慢できる。今日は伊予三島で宿泊することになった。ここはすごく高級なホテルか、安価な旅館しかない。ネット探していると、一軒だけ、まともな旅館があった。地図を見れば静かそうだ。カーナビにも登録はある。行けば、まぁ筆舌に尽くしがたい美人のおかみさんが出てきた。こんなこともあるんですね。部屋は6畳2間を貸切。僕は早速荷物を解いて、報告書の作成に取り掛かろうとしたが、「寂しかったらお布団をこちらの部屋に移動してもいいですよ!」と言われた。もしかしたら、古い旅館なので、「幽霊が」といらぬ詮索をしてしまった。それほど由緒ある旅館だった。
<透き通った豊浜の海岸、ここで休憩>

7月28日(月曜日)
ずいぶんと変転する人生について
僕の、人生の後半はいろいろと決断することが多くて、安穏と暮らす老後とは無縁の世界に突入してしまった。むしろ若いころが、安定した人生が送れていた。「原因と結果の法則/ジェームス・アレン」によると、人生に奇跡なんかあり得ない。自分の選んだ人生を着々と生きているのであると言う。と言うことは、これが私の描く人生の姿なのか?そういえば、定年前に海外で働きたいなどと言う暴挙は、僕は人生を波乱に満ちたものにしたい願望が心の奥に潜んでいたせいかも知れない。もう負うものは自分だけ(子供も成長したし)となった時、それが一気に吹き出てきたのだろうか。この変化が流されているのではなく、自分の選択だと思うと、ぐっと僕の魅力は増す(と自分で思う)。と言うことで、今日は愛媛県の西条宿泊で、ホテルの隣にある「寿し一貫」(高知が本店のお寿司屋さん)を訪問し、土佐鶴の熱燗を飲みながらしみじみ人生を考えましたね。ところが、何が悪かったのか、おなかを壊してしまった。もっと安い「はま寿司」がすぐ近くにあった。あちらにしておけばよかったかも。


7月26日(土曜日)
納涼祭
芸西村挙げての行事納涼祭が執り行われる日。会場の近くにあるプールは午後4時で終了だ。それで、今日は午前11時にプールに行った。普段見る顔ぶれが違っていた。プールの長話もなく35分みっちり泳いだ。夕刻泳ぐとものすごい睡魔がやってくるが、今日はプール後何ともない。昨日村役場に行き、住民税が4倍に跳ね上がった理由を聞くと、年収が上がったためとのこと。企業年金や、生命保険で年金としての受け取りが所得なる説明を受けた。今度仕事は住居費や帰宅手当が給与として支払われるので、年収が一気に引きあがる。そのため住民税も更に倍増する可能性がある。給与の半分が住民税で持っていかれることとなって、今いただいている給与と違わなくなる。そんな、こんなを含めて、今日の納涼祭では友人と話し合おうと思う。昨年はこの部屋から花火を見たが、今日は海岸で撮影しながら花火を見る。

<あいにくと風下で、花火の煙が残ってしまった。ついでに火薬の燃えカスをずいぶん浴びて、髪がゴワゴワになってしまった>


7月25日(金曜日)
プールでの話題
一週間留守にしていると日本の中心地からずいぶんと離れた芸西村でもNHKのニュースには乗らないが動きはある。その一つは、いつも話をするおばさんの病気だ。風を引いて安芸の津田病院に通ったこと、整形でもらった風邪薬は効かないが、内科でもらう風邪薬は良く効く(当たり前だと思うが)。別のおじさんが、明日は納涼祭でプールは早く閉まり、しかも、近くまで車の乗り入れができないで「来たらいかん」との事。そういえば、日曜日はお宮の清掃作業がある。忘れずに参加しなければならない。プールへ行く直線道路の両端に、天満宮の大きなのぼりが立った。それで思いだした。一週間ぶりのプールなので体をほぐそうと思っていたが、プールの中で話し込んだため体が冷えて、泳ぐ時間が減ってしまった。それでも、家に帰りついて、洗濯ものにアイロンがけをしていると疲れで眠くなり、映画も見ずに寝てしまった。少し本でも読み勉強を始めなければならないところだが。

7月24日(木曜日)
顔のケガ治る
先週酔っぱらって自転車で倒れた顔の擦り傷は、やっと今日になって完治した。傷跡がかゆいが、これは我慢。痛いよりましだ。顔はよく見れば、右も左も怪我しており、確か2度転んだはずだ、と記憶の通りだった。今日は徳島から吉野川を遡って帰ってきた。川沿いの道は涼風が吹き、さぞ気持ちいいだろう!と思いきや、何のことはないこんな山奥にも熱波が押し寄せてきている。日本全国夏なのだ。昨日買った2リットルの水が半分なくなったので、この道で1ℓ分は汗が蒸発したのだろう。今週は月報と週報と4本の報告書を提出しなければならず、喉も乾いたことだし、水分補給を兼ねてマクドナルドへ忍び込んだ。話題のチキンナゲットは確かに売ってなかった。誰も調子が悪くなったとは言ってないから問題ないではないか(と中国人は言いたそうな雰囲気)今週は心が動揺しているせいか、なかなか文章がまとまらず、とうとう午後7時を回り薄暗くなってしまった。これでは、せっかく傷が治ったのでプールでリフレッシュしようと思っていた計画が頓挫。

7月23日(水曜日)
困りますね
8月の始めに全国の会議が開催される。一泊二泊の合宿だが、実質懇親会的な要素が強い。しかし会社人間はまじめだから、少しの時間だけは会議をしましょうと、情報共有の会議をする。その事例発表に、又指名がかかった。みんなと平等にして欲しい。「そのほうがみんなと付き合いやすいので」と申し出をするも、幹部が決めたことだから取り消しができないとにべもない。「80%の完成度」が僕の能力で、なんでも要領よくてきぱきとこなすので使いやすいのだ。だが、今回僕の事例はITを駆使して、きめ細かな調査を行うことを発表するつもりなので、誰もが共有できないのだ。会議の席上、誰かが、「ちょっと採用するのは難しいですね」と言う声が聞こえてきそう。「だから言ったでしょう」とは言えないのだが。難しいところだ。


7月22日(火曜日)
熱中症にはならない
車のエアコンは切ったままの運転。耳にNHKのシンプル・エンジョイ・イングリッシュ、右手に太平洋、左手に四国山脈。ズボンに汗でジュクジュクになりながら。室戸岬からの海岸線を時速70kmで駆け抜ける気分は爽快。エアコンを入れないのに慣れると、エアコンを入れて窓を閉め切るのが反って暑苦しく感じるのはなぜだろう?会社は燃費節約を言うし、まぁそれなら大きく燃費向上に貢献しようではないかと始めたエアコンなしも、変な癖がついてしまった。水の消費も激しい。いや、水ではなく、「白湯」ですね。その代り、夜のビールはきっとうまいだろうな。と言うことで、今日は徳島の山手にあるプチペンション「やすらぎ」さんへ。鮎喰川を遡って山の中腹にある。標高が高い分だけ幾分涼としい。おかみさんにビールを注文して夕食を始めた。お遍路さんが泊まる宿で、カロリーが多めの食事。今日は新しい仕事のオファーが具体的にやってきた。心積りはしてたが動揺して、知人にメールを送った。励ましのメールをもらい、少し落ち着く。


7月20日(日曜日)
好々爺の知人
今日は忙しい。まず、朝9時過ぎに粗大ゴミを村の集積所に持ち込む。その足で夕食の食材を購入し、夕食の準備。太刀魚のツメ切りの酢づけ、キュウリと魚の卵の煮つけ、キス子のから揚げ、ニラ卵。こちらではニラがたいへん安く、腕の大きさ程度の束が80円。午後は集会所の片づけ。4班のメンバー全員と、郷西部落の役員全員、監査全員。おばさん連中は台所回り、男性は倉庫回り、大勢がかかっても午後3時までかかった。それから風呂を沸かして、汗を流して、HPのアップデート。それから、友人たちと懇親。先にも書いたが、今日はY氏を交えての懇親だ。3人は近くなので自転車だが、K氏は高知市からで、奥様が運転手とK氏の酒の監視に付き添った。話は1970年にさかのぼるところから始まる。通学の事、就職の事、趣味の事、老後の設計の事、話は尽きないが酒を飲みながらなので、酔ってしまってお開きに。Y氏は高知の風土がそうさせたのか、自身の選択なのか、好々爺になっていた。お互いの携帯電話の入力も僕が設定する次第だった。話題が飛んで飛んで(主に僕が変えたのだが)いろんな事を話し合った。全員が同じ年なので時代背景は説明がなくてよい。訃報もあった。会場はしゃれたレストランだったが、Y氏が合わなくて、徒歩で50m離れた居酒屋へ。この村にも酒が飲める店が3軒だけ集中して営業している。日本酒を呑んだので、いささか酔ってしまって、自転車で倒れてしまった。それも2度も。どうしてか、頭から落ちて、メガネが割れて顔を切った。もう酔っ払い運転はだめですね。
<レストランからの眺め>

7月19日(土曜日)
久しぶりにのんびりと過ごす土曜日
本当は家の片づけも道半ばでこちらも進めなければならないが、明日の作業の事もあり、何もしないでおこうと決めていた。それに、昨晩カセットテープからのダビングも終えて、大きなデジタル化の山を越えたのも、一つの安ど感だ。残りの作業としてのオープンテープからのダビングを行った。オープンテープはほぼすっかり昔の音が再現されるのでびっくりするほど良い音が出てくる。モニターはRX-PA7の大型ラジカセだが、これでも奥の深い低音がでてくる。テープは70年代のアナログレコードからのダビングだが、最高のアナログプレーヤーとカートリッジを使った恩恵が生きている。昔の録音は特に低音が違う。ボワァーンと長引く低音だ。CD時代になり低音がスパッと切れるものに変わったが、どちらかと言えば低音は昔の方が気持ちいい。音楽のダビングの歴史を紐解くと(私の場合)70年代はオープンテープ。80年代はカセットテープ。90年代後半はMD、DAT。2000年になってHDD。少しは重複するが。物心ついて以来音楽とずっと接してきた。それでは音楽に対する造詣が深いの?全然です。音楽をためる(ダビングすること)に興味があっただけですね。

7月18日(金曜日)
3連休を控えて何事もないまま突入したい
そんな思いで迎えた金曜日だが、こういう日に限って伏兵が待ち受けている。クレームの電話だ。帰り道急きょハンドルを切ってクレーム先に駆けつけた。先方の怒りを抑えるのは、こちらの得意とするところだから、ちょうど暑いのも手伝い汗を流してこの件に対応した。「異論はあるがあなたの熱心さは分かったし、お客様に迷惑をかけない姿勢も理解した」と一件落着だ。これで安心できて週末を迎えられる。だが、そうは問屋が卸さない。その後またしても同じ所から留守電話。「納得したんではなかったのか?」これに対応する電話するものの先方様もなかなか忙しくて出てくれない。結局通じたのは午後7時半(それまでイライラを抱えて)。そしてやっとこの件から解放された。プールでそのストレスを洗い流す。150km近い運転をしてのプールは1,200kmが精いっぱいの僕の体力。帰って布団に掃除機をかける。先週の日曜日どうやら布団の中にダニがいたらしく、皮膚の柔らかいところはことごとく噛まれて痒いのなんの。田舎生活は虫との戦いだ。

7月17日(木曜日)
今日はとても大事な一日
ソニーの直下型バックライトの4KテレビKD-85X9500Bが店頭に並ぶ日だ。今度こそソニーの威信をかけて直下型のBLに挑戦だ。見ると一目瞭然。ソニーのセールス曰くやっとプラズマの黒が出せるようになった。高知に送りましょうか(僕が高知からきていることを知っている)200万円は僕にとってはゼロが一つ多いぞ。MicrosoftからタブレットPCのSurface3が店頭に並ぶのもこの日だ。iPadでは限界があると感じていたので、次回のタブレットはこれで決まりだ。ワードもアクロバットもiPadでは亜流のソフトを使うがSurfaceはPCそのものだから、ワードもアクロバットもPhotoshopもそのままインストールする。そしてもう一つPanasonicからLUMIXのDMC-FZ1000。やっと1インチサイズの素子を使い本格的なコンデジだ。なんで7月17日なのか私にはわからないが、今日は興奮する一日だった。大体の感触を確かめて、プールに向かった。今日のプールは出先の高松市の市民プールだ。宿泊するホテルのすぐ近くにある。芸西村とは違い若い男と女が泳ぎその速度は、とても速い。最初の1kmは彼らを追い越させて自分のペースを徐々に上げて行った。最後の500mは少し遅れはするものの彼らについて行った。もう若い人たちについていくのは相当骨が折れるようになってきている。ただ、彼らは力任せに泳ぐのでそれ以上の速度が出ないので助かる。私の場合はきれいなフォームで無駄がないのでエネルギー効率は高から、泳ぐ時間が長くなれば差が縮む。1500mで終了。
<ちょっと気になる看板。ほかに何があるの?>

7月16日(水曜日)
一日頑張って、温泉で疲れをいやそう
そんなホテルが見つかって今日で3泊目だ。ホテルは瀬戸内荘。坂出北高速道路の入り口にある。今日は岡山に行ってきたが、このホテルはアクセスもなかなか便利なのだ。価格が安く(4,500)で朝食が食べ放題で、立派な温泉がある。露天ではないが窓を解放し、目の前に山の斜面を利用した庭園が広がる。お風呂に浸かってこの庭を見ていると心が癒される。ぬるぬるするアルカリ系だが、温度管理がとてもよくて気持ちよく入浴できる。午後6時40分までにこのホテルに入り、荷物を置いて、すぐに裏山の常盤公園までのミニ登山に向かう。片道20分。それでもこの時期だと大量の汗をかく。往復で4,000歩の距離だ。なんだか休暇に使えそうなホテルのような感がある。ものすごく気に入った。支配人も私の事をすぐに覚え、車で帰ると、名前を言わなくても部屋のキーをくれる。出張してこんなにいい目にあって申し訳ないと思うほどの豊かさをいただけるホテルなのだ。今日は先ほども書いたが岡山に行った。せっかくだから岡山のビックカメラに寄った。東京に住んでいたころはビックカメラでよく買い物をした。ヨドバシカメラとそん色がなかった。だが、岡山のビックカメラは、品ぞろえも展示もビックカメラらしさはこれっぽっちもなく、あれも買いたいこれも買いたいと思わせるものが見当たらない。店内でこんな放送をしていた。「コジマの価格とビッグの価格が万が一違うことがあればお申し出ください」同じ会社だろう。どうして違う価格を付けるの?とむしろ店の弱点を放送しているようなものだった。ソニーのRX100Ⅲの説明を聞いた。さすがにこれはこなれていた。一インチの撮像素子でボケを楽しむ方法を見せてくれたからだ。


7月15日(火曜日)
今度の日曜日、飲み会の設定について
友人3人は、学生時代に結構頭が良くて人気のあったY氏は頭の片隅に置いてそれとはなく付き合っていた。田舎の学生に新しい風をY氏から常に吹き込まれた。と言っても今思えば、高知の最新情報はしょせん日本の片隅の話ではあるのだが。そのY氏(土佐カントリーのすぐ近くに住んでいる)と会って一緒に飲もうと言うことになったメールがK氏から飛んできた。私はT氏に希望日程を伝えて、T氏とK氏は話し合い、K氏はY氏と調整を行った。ややこしいが、こちらの3人は一体なので、何の問題もないのだ。そこで今度の日曜日。眼下に太平洋を見下ろすレストランで会食が決まった。急げば自転車10分。徒歩でも40分の距離だ(東京駅~浜松町or難波~淀屋橋)。Y氏の頭は冴えていたので、田舎のおじさんになったとはいえ、今回でも切り込みは鋭いだろうな。これを書きながら思い出したのは、Y氏は萩原健一に似ていた。さてどんな飲み会になるのか楽しみだ。好々爺にだけはなってほしくない知人だ。

7月14日(月曜日)
Windows95
どうしてもこのOSが必要だ。と言うのはSH-D1000と言うプログラマブルプロセッサー
をコンロールするためのソフトがWindows95でしか供給されてないからだ。そのソフトは手に入れたが、自宅にあるWindows95がインストールされているNEC9821nr166はいつの間にか電源が入らなくなっていた。もう一台のNEC9820Xa13は立ち上がるもののSH-D1000と通信できず。思い切ってWindowsXpにソフトウエアをインストールして接続するも、通信できず。結局SH-D1000のカットオフ周波数を変更したくてもできない状態が続くことになる。やりっぱなしが家電メーカーの音響に対する姿勢だからまぁ仕方ないとあきらめるしかない。かくなる上は日本橋か秋葉原を歩いて中古パソコンを探す方法しかないのだ。なぜ、SH-D1000のカットオフを変更しなければならないのかと言えば、もう一台のSH-D1000が暴走して、パワーアンプを壊してしまったのだ。それで別のシステムで使っていたSH-D1000を持ってきたが、接続するスピーカーが違うためにカットオフの周波数変更が必要なのだ。また、チャンネルディバイダーを新たに購入したとしても、また元のシステムにSH-D1000を戻す時に変更を加えなければならない事情を抱えている。なんで、チャンネルディバイダーを使ってマルチシステムにするのかと言えば、低音が違うからだ。叩きつけるような力強い低音は、シングルアンプでは不可能だ。コンサートでも必ず低音は低音専用のアンプで駆動していることからもこのことは裏付けられている。それに、田舎家なので、大音量が可能だ。大音量の迫力はマルチアンプに限るのだ。最近オンキョーのAVアンプにプロセッサーを使ったマルチチャンネルアンプ駆動に変更できる機種もある。良い音の行きつく先はマルチアンプしかないのだ。

7月10日(日曜日)
もう少し
カセットのデジタル化がもう少しで終わる。後5巻を残した。βのテープは後50巻で終わる。オープンテープは後90巻。いよいよデジタル化の終わりが見えてきた。高知に帰り1年半を要した。家の倉庫や納屋の片づけは今年中に終わるだろう。老前整理は大変だが、どんなに物持ちの良い人でも取り組めば2年くらいで終えてしまうと分かった。さて自分のかけがえのない大切なものはデジタル化して元を捨てているから、データーの保管はとても重要だ。一つはDVDにバックアップを取ってファイルする。そのバックアップは倉庫の冷蔵庫の中に。二つ目はHDDにバックアップを取る。この2つの方法で対処している。映像はバックアップなしだ。これだけ頑張ってきたので、それが終わると次は一体何をするのだろう?腑抜けになるのかな?そういえば、今朝7時に友人が来た(この友人は朝がやたらと早い、もう一人の友人宅は5時に訪問している)。井上陽水と吉田拓郎のCDを持ってきてくれた。さっそくリッピング。音楽は簡単に増やせるので聞くのに時間がかかる。これから先もこんなのでいくかな。

7月9日(土曜日)
快晴
この田舎家の家屋は広く、庭も広い。家の裏にある庭は、風呂場に通じる。井戸もある。この近辺は父が漬物を漬けるために大きなプラスティックの桶を大量に買い込んで、その後始末もせずに放置したままだったし、かなり広さのある庭に樹を植えて、その木が大きくなり庭を塞いでいる。僕の記憶の中にある昔の庭にすべく、枯れかけて価値の出てきた梅の木を切り倒し、柵の向こうからこちらに伸びている柿の木の枝をバッサリと切り、プラスティック類はすべて切り刻んでごみ袋に捨てた。こうして広い裏庭が完成した。大量の汗をかくのでビールを飲みながら作業を行ったので少々酔っぱらった。休憩にヤマハのCA1000ⅡとビクターのミニコンポのスピーカーとソニーのVAIOと、NUFORCEのDACを接続して、NASの電源と無線ルーターの電源を入れると、NASに保存した音楽が再生できた。定年後こうして音楽を楽しむのだと絵に描いた餅が実現した。スピーカーに問題があり、高域の切れがいまいちだ。ビクターのスピーカーはCA1000Ⅱと木の色目がぴったりで、しばらく使ってみようと考えている。将来はKEFのQ300かな。

7月8日(金曜日)
台風8号その3
結局私への被害はなかったが、全国ではあちこちで被害が出た。山形県は自然災害の一番少ない県だが、今回は水没した。水没したところは行ったことがある。山形市から、一山超えた南に位置する広い盆地だ。その南に牛で有名な米沢市がある。長野県のように100年に一度の雨が降ったところもあるが、そこは数年前も災害に見舞われた。5年に一度と言い換えたがよいだろう。これから100年に一度が多用されると思うが、何を基準に100年に一度というのだろう。松山市で「ナマステ」の看板を見つけた。丁度日理時だったので懐かしさのあまり寄った。インドを訪問していた時、いやというほどカレーを食った。何しろ朝、昼、晩と3食を出張中は毎日ですから。しかし、インドでカレー以外を食うと食中毒を起こす。そして、インドのカレーはおいしくないのだ。何というかコクがないのだ。ゆでた菜っ葉にお醤油でおいしいですか?これにかつおぶしをかけて、お醤油をたらすと、味が蘇ってきますね。それと同じで、何かが足りないのだ。それは、スリランカを訪問した時にわかった。牛の油分が足りないのだった。インドでは牛はご法度だから、カレーに使われない。隣のスリランカは仏教だから、牛を食べるので、牛の油分が入ったカレーをいただくことができる。だからおいしい。話を戻そう、ここの(ナマステさん)カレーの味は。旨い。東京で食べるのと何ら変わらない。たっぷり動物性の油が浮いている。インドのとは全く違う。店の匂いも違う。授業員の強烈な腋臭もない。インドのダンスのDVD(画角4:3を無理やり16:9にして上映している無頓着さ)は同じだった。紅茶の香りが全くなくなるまで目茶目茶砂糖を入れたインディアンティーは無かった。松山からの帰りに久万町に「おくまばあさんのまんじゅう」があって購入した。由来を書いたパンフレットがあったが何の後利益か不明だった。高価なまんじゅうで、滅茶苦茶あまい。お遍路さんに振舞ったというが、分からんでもない。帰りに芸西村のプールで汗を流した。体が綿になる前に上がったが、お風呂に浸かると綿が溶けてしまったようになって回復するのにしばらくかかった。豚の塊肉を買って、圧力鍋で炊いたが、豚の角煮とは程遠い出来具合だった。やっぱりマニュアルのように、一度煮てから圧力をかける必要がある。眠いが映画「GIジョー2」を見た。このように単純に楽しめる映画が一番ありがたい。

7月9日(木曜日)
台風8号その2
とうとう高知にも台風8号は接近する。足摺岬沖30kmまでだ。台風に関心の強い私は丁度四万十市に出かける予定だった。渡りに船とはこのことだ。猫に小判かな。高速道路が不通では大変だと少し早く出かけたが、雨風とも穏やかでこれが騒いだ台風?。学校は臨時休校で、家電量販店は家族連れで賑わっていた。昼過ぎにもっとも近づいたが、その前の大方町から晴れていて、午後は大洲から松山に向かったが、道中は曇りか晴れだった。今日はどうゆうわけか眠くて眠くて途中3回昼寝をしたが、依然として瞼は重いままだった。愛南町で河内晩柑を購入。見かけの悪い小ぶりの安価なのを買った。友人のOさんは、これには猛反対だが、私にはこれしか口にできない。夜の宿泊は奥道後温泉。改装したとのことで、それはそれは広い露天風呂があった。ご飯茶わんの超特大のような風呂(一人しか入れない)が気持ち良い。弁当箱の超特大版もあった。地上3mのところから落ちてくる温泉の滝が3本。泡の出るのが2個。地元の人が来てたので伺うと、「ここは昔から変わってない。いいお湯のままだ」と言えば、東京からきた客は、「いいお風呂でも会談がチープだ。ちょっと仲間には薦められない」確かに、前回来た時も違和感があったが、裸になってから長い階段を上ったり、下ったりする。滑ったら大変だ。このホテルの客室は昔入居した寮の匂いがするので懐かしかった。しかし、一般客は古臭いカビの匂いだと言うだろう。

7月9日(水曜日)
台風8号
徳島県は藍住にでかける仕事があった。台風が来ているが、まだ影響はない。それにしても今年は台風が来るのが早すぎるではないか。例年なら中国の方に逸れていくコースをたどる。これも温暖化の影響だ。原子力発電を停止することで、マスコミや住民たちは鬼の首を取ったように喜んでいるが、石油を燃やすことによる温暖化の進行は加速がついている。日本は世界で2番目に石油を燃やしている。地球への影響は大きいはずだ。マスコミは台風のニュースと共にこのような観点で少し警鐘を鳴らしてはどうかな。アメリカではおりしも北極海の氷の解ける速度が速まっているレポートが出された。温暖化により雪の粒が大きくなり、そのため空気中の埃を吸って「黒ずみ」それが太陽光線を多く受けることにより、氷が早く溶けるというのだ。話は逸れたが、台風8号のために海は大荒れかと期待したが、太平洋の波は多少荒れてるかな、程度だった。海岸の向きによって潮霧が国道全体を覆う。車のフロントガラスはすぐに真っ白になり見えなくなる。塩水をかぶった車は寿命が短くなるが、明日の大雨で洗車できるだろう。

7月8日(火曜日)
アンプの修理
檜和田さんに頼んでアンプを修理したのが帰ってきた。TechnicsA3,A3Ⅱ,A100の3台だ。この内、A3Ⅱはトランジスタの入手が困難でパワーが300Wの保証はできず。A100はICが壊れ、ずいぶんと費用が嵩んだ。〆て131,000円。まぁ200Wオーバーのアンプを3台新調しようと思えば安いものだ。それで、とりあえずは、オーディオシステムの中にA3Ⅱを入れ替えた。やっぱり、46㎝のウーハーはこれくらいのパワーを持ったアンプで鳴らすと締まりますね。本物のバスドラムとは行かないが、それに近い面積を持つウーハーは、本物と同じようにたたきつけるような低音を再生する。200Wオーバーで鳴らせば音楽の神髄が目の前に広がる。近所は遠く音量の加減は不要だ。取り敢えず音楽を楽しめる環境が整った。夕刻、役場の堀川さんにも就職の件で相談した。彼女は父の方の介護の窓口だ。老人の介護は支援と介護で受け持つセクションに違いがある。村が提供できるいろんな支援を案内くださった。まぁ何とかなるかなという感触を得た。
<高知には訳の分からん看板がある>

7月7日(月曜日)
大塚様
岡村家の先祖の墓掃除。岡村の先祖は6軒ある。この人たちが集まって先祖の墓掃除をする行事が毎年7月7日に実施される。そして、岡村家の先祖様が大変お世話になったと言われる「大塚様」の墓掃除もする。一番の長老はうちの父だが謂れはしらない。その次の長老派よしかずさんだが、もちろんこの人も知らない。この人の親父が知っている時代の事とのこと、だがもうこの人は鬼籍だ。結局我々は理由を知らずにお守りをしている。もちろんこの人のめかけさんの墓も含めて。まぁそれも理由はある。墓掃除の後持ち回りで宴会をするのだ。会費は1,500円。実は料理に7,600円。親類のおばさんに料理の提供をしてもらう代わりにビールの差し入れ2,500円。ビール10,000円。日本酒3,000円。刺身5,000円。〆て収支は約20,000円の真っ赤かだが、各家庭に珍しい飲み物があり、大酒が飲めるので止められないでいる。プールでよく話をするおばさんに尋ねると、数年前まではやっていたがもうやめたと言う。近所のコミュニケーションは大切だが、賄いが大変だと言うのが理由。今日の酒盛りの話題は、マグロの購入。高知県の海でもマグロは時々上がるらしい、それを購入して酒を飲んだ話だ。60kg級で110,000円。やっぱり冷凍してないマグロは旨いとのこと。豪快だ。その費用はイノシシと鹿の捕獲で役場から補助金が出る。それをためての購入とのこと。こちらのおじさん達はスタバもセブンイレブンのない田舎でそれなりに楽しんでいる。酔った後の片づけは更に大変だった。

7月6日(日曜日)
役員総会
午前中は納屋の片づけをしていると、狂ったように母が捨てたいかんと騒ぎ出す。もう何もできないのに、置いときたがる。仕方ないとは言え、納屋がごみの捨て場所だったから、まぁ相当昔からおかしかったわけだ。それを振り切って、焼くもの、ごみ、金属ゴミ、ガラスゴミと分類して整理をしたら、この納屋は僕が小さいころ日向ぼっこをした昔に戻った。梅雨の間少し夏の風が吹き抜けた。この納屋は夏は家族の涼み場だった。次は土間と倉庫だが、母の居ない時に整理をしよう。昼からエアコン工事の設置業者さんが来た。その工事を見届けて、買い物に出た。途中で大雨。今日は午前中に片付けで大汗をかき、洗濯をしたが、午後は雨に打たれて又洗濯した。台風の余波で大きな粒の雨が降っているので乾きにくい。両親の夕食を作り、出かけた。西分郷西部落の役員会だ。僕は会計担当だが、留守が多いので会長から降りてくれとの要請で降りた。後任はやしきたかじんだ(勝手に命名したがよく似ている、本当は岡村さん)。今後のスケジュールを打ち合わせした。20日に集会所の清掃と什器の搬出。27日にお宮の掃除、28日に本宮の行事と、結構な行事だ。28日の欠席は伝えた。8月3日選挙の後、集会の撤去が始まり、以降頻繁に招集がかかるかも知れない。次の就職の件もあるが、とりあえずできるものは前向きに受けよう。

7月5日(土曜日)
こころ落ち着かず
小人な私は心を決めたと言っても、やっぱり動揺している。それで、ほかの事は考えずとりあえず片づけだ。丁度スターダストさんも、来てくれた。金属はどうしても自分で処理ができない。こうした専門の業者さんは本当にありがたい。私の見積もりでは家じゅうの金属ゴミの半分近くが処理できたのではないかと思う。大きなスピーカーボックス(箱のみ)も焼いた。これは高校生の時に自作したスピーカーボックスだ。昼寝をしてから、月曜日に宴会をする場所の清掃を行った。食器も洗った。宴会用のテーブルも出した。友人に料理を運んでもらう手配もした。それでも何かを見落としているようでそわそわしている。プールでひと泳ぎしてさっぱりしてから考えよう。だが今日は腰痛があり、思う存分に泳げない。木曜日から調子がおかしい。報告書を送信するついでにネットを開けた。そこで。鈍感な僕はやっと気が付いた、モバイルルーターの表示がLTEになっている。今まで軒先から物干しざおでモバイルルーターを吊るし、何とか3G subbandでしのいできた。雨の日は国道まで出なければ通信できなかったが、今日からLTEだ。速度を調べると11mbps程度の速度は出ていた。FBのお知らせが届いていたので、開けると安達さんから誕生日おめでとうだった。丁度NTTの大きな鉄塔は本日から通信開始したので、対抗としてのソフトバンクの動きだった。競争はいいことだ。

7月4日(金曜日)
友人に相談-2
高知に帰り、今度はこちらの友人宅を訪ねた。上京の相談だ。友人も友人のお母さんも行けと言う。父の弟(おじさん)もGoだ。その返事を持ってプールで咀嚼しながら泳いだ。このプールは海水で、水があったのか、肌がすべすべになる。最初は風呂上がりのローションのせいだと思っていたが、どうやら原因はこの塩水のようだ。毎週3回、1時間ほど浸かっているのが効いた。もしこのプールが減れば僕の体は老人の体に戻ってしまう、いやだな。体が綿になった状態で帰宅。この快感は何とも言いようがない。両親にも話した。心は決まった。次に正式にオファーが来たとき、条件を詰めよう。もし決まれば家の片付けものの速度を上げなければならないし、βテープからのダビングも急がなければならない。やること山積だ。今晩は心を鎮めるために映画を一本見ようB級映画の「ファインド アウト」。誘拐されたことのある娘は、警察から精神障害の烙印を押されている、妄想癖のある注意人物としてだ。誘拐が警察によれば妄想と判断されているのだ。ところが、妹が突然失踪した。姉が出かけるとき、妹のクルマと入れ替えたためだ。そのことを警察に訴えるが取り合ってもらえない。それで、姉は独自に犯人捜しを始める。姉は自分を誘拐した犯人が間違えて妹を誘拐したのだと判したのだ。自分が誘拐された時の記憶をたどりとうとう犯人を突き止めてしまう(あまりにも簡単すぎるのが突っ込みどころ)。ドラマは、姉の妄想なのか現実に起きたことなのか見ているほうは判断付かず、ふらふらしながら見ることになる。

7月3日(木曜日)
リゾートホテルにて
こんな価格(5,400円)でこんなきれいなホテルに泊まらせてもらってよいのだろうか?と思わせるのが、鳴門イセリゾートホテルさんだ。レストランも併設している。こんなのだったら、ハローズでお弁当買ってホテルで食べようとは考えなかったのだが。ここなら、事務書類の処理もはかどるわ。と思っていたら、思わぬ伏兵が潜んでいたぞ。新しく仕事のオファーが友人から届いた。うわさは聞いていたが、まさか僕に白羽の矢が当たるとは寝耳に水だ。少し雨模様だが、近くの海岸を散歩しながら考えてみるが、堂々巡りだ。ここは友人に相談するしかない。メールを送ればさっそく返信。その僕の悩みとは、両親を高知に置いたままでも東京で仕事をするほうが良いというものだった。友人たちの返事は、自分の思いを貫けだったのだ。後悔しないように(若いほうの友人から)。少し不安があるものの心は傾く。





7月2日(水曜日)
ピッチを上げて
5日間の仕事を4日でこなそう。それだけ密度を上げれば、仕事もきびきびできる。少々厳しいが、頑張ろう。そうすれば、報告書作成が土曜日に食い込んでしまうのを避けられる。報告書はパソコンが必須だが今回の出張には何と電源を忘れて出てきてしまった。省エネモードでノートパソコンをだましだまし使ってきたが、もう限界。家電量販店で相談すれば、何と東芝の電源アダプターはバッファローから発売していた。悩むことなんかないのだ。悩み代は3,500円で解消。バッテリーの消耗激しい時間のかかる入力作業はiPadのスプリットシートを使っていたので、能率は上がらず、普段の倍時間を要していたのだ。深夜の11時までかけて、今週分の報告書をPCのエクセルに変更した。先が見えてきたぞ。

7月1日(火曜日)
岡山は遠い
肇の頃はそう思ってなかったが、岡山に行くのがしんどくなってきている。もう高知からダイレクトには行きたくはないなぁ。だから昨晩瀬戸大橋の付け根である坂出市で一泊した。どういうわけかわずか10km弱の橋を渡るときにすごく眠くなる。途中与島のPAがあるが、螺旋道路回って下に降りるのが面倒だ。それでついここを通り過ぎると地獄の苦しみが待っている。ところが岡山に渡り、国道2号線を走るときには眠さが飛んでしまっている。国道2号線は岡山市から見れば東を走るバイパスで速度制限は70kmだ。だから追い越し車線を走る車は90km近くの速度を出している。かなり快適な道だが、これがよりによって道路工事ときた。大渋滞だ。今日は心理的にさらに遠くに感じる。梅雨時だが晴れで暑い、熱いが冷房は入れない。34度なら吹き込む風でしのげる。岡山にも丸亀製麺がしっかり進出していて、本場とは少し違う讃岐うどんを食べた。帰りも国道2号線は渋滞で、「遠いに拍車がかかる」。それで、ここの訪問は月に度の申請をしたら、了解がでた。

6月30日(月曜日)
だるい一日
月曜日の憂鬱はないが、体がだるい。高速道路に乗れば大きな睡魔が襲ってくる。何とか我慢して馬立のPAに車を止めて10分の睡眠。車から降りると、顔は知っているが名前は知らない人がにこにこしてこちらにやってくる。ばやい!至近距離になるまでの数秒で思い出さなければならない。頭はフル回転して、やっとのことで間に合った。父の弟の家で何度か酒を飲んだことがある人だ。この人のお父さんは「すっち」と言って、日本酒を呑んでわかりにくい方言で話す人だった。このお父さんとも飲んだことがある。しばらく話した後、彼らは車に乗って広島に向かった。彼の名前は「ゆうき」わが娘と同じ呼び方をする。だるさをこらえて、一日仕事をした。こんなしんどい一日だが、疲れがとれない感じのする安価なホテルを予約しておいた(自己負担だからしかたない)。ところが、何とここは極めて良質なホテルだった。窓の外には木が茂り落ち着くし、床は白の大理石で部屋は明るく、WiFiもある。そしてなにより、風呂が良い。天然の温泉で、露天風呂だ。山の斜面を切り開いて、白い砂利を敷き詰め、日本風の庭園を模してある。体がぬめぬめになるアルカリ温泉だった。疲れで瞼が閉じるまでレポート書いて一日の終わりとした。

6月29日(日曜日)
金属回収業
会社の名前は「スターダスト」実に親切な好青年で、そして話好きな人だ。彼の経歴は、若いころ、関西に旅行して、そこでとび業のような仕事をしたらしい。その仕事ぶりが親方に認められて、京都でコンクリートの基礎工事を3年ほど行って、高知に帰ってきたとのこと。そしてぶらぶらする間もなく、すぐ鳴門のわかめ取りの仕事に就いた、そこで死ぬほど苦しい仕事を経験したとのこと。どんなに厳しいかと言えば、船べりでわかめを取り込むと、そのわかめは自分の後ろに積み上げる、どんどんとつみあがっていき、後ろのわかめと、船べりとの間で身動きできなくなるとのこと。もし船が転覆でもすれば一巻の終わりらしい。こんなことをしていてはダメだと、トラック運転手になった。しかし、しばらく勤めて上役になったところで、トラック会社の親方と人事方針が合わなくて退職し、この仕事を始めたという。金属を回収する間に彼の一生を話してくれたのだ。回収業者と言うと世間では低く見られているが、私はこの仕事に誇りを持っている、なぜなら、顧客に喜んでもらえるからだときわめて明確。今回回収できなかった残りは来週にまた来るという。元気をもらえた。彼なら固定客がつくのではないかと思う。

6月28日(土曜日)
トウモロコシ
友人宅に7月7日の件でもう一度お願いに行った。そしたら、この友人、先日収穫したトウモロコシを食ってみろと出された。いただくと滅茶苦茶甘い、「砂糖水で湯がいちゅうがかや?」いや、塩水。でも甘すぎる。トウモロコシは収穫して数時間のうちに湯がくとこんなに甘いとのこと。時間の経過とともに甘味が落ちるという。なるほど。しかし、この甘さは尋常ではなかった。食べた後、殻をグラジオラスの花壇に捨てた。甘いのでアリが来るとのこと。帰って東の納屋を片付けた。この友人から金属を回収できる業者を紹介いただいたので電話をかけると明日きてくれるという。それで、金属物を特に優先的に探し出し、集めて積み上げた。がらくたばかり軽トラック2回分くらいあるのだ。

6月27日(金曜日)
大阪は都会だ
田舎にくすぶっていると、都会を忘れてしまう。ヨドバシカメラを覗いてびっくりした。僕の知らないカメラがもう並んでいるし、期待のLUMIXのFX1000もカタログが完備されている。4Kの映像はすごく気になる映像だったし、4Kで見る3Dは非常に迫力のある映像だった。都会には若い女の人も、きれいな人も多い。四国で爺さんと婆さんを見続けていると、都会の女は新鮮だ。老臭の代わりに香水の匂いも嗅いだ。今日はクライアントの会議。クライアントはメーカーなので、視点が昔その立場だったので、すいすいと頭に入っていく。やっぱり業界で働くのはいいですね。帰りの電車は4時半。少し時間があったので今度はタリーズで月報を書いた。隣も、その隣も少し早目に新大阪に来て、帰るまでの列車の時刻に課題をまとめておこうとするビジネスパーソンばかりだった。リタイヤしたつもりの心境だったが、こうした中にいると、いやいや俺も現役だ、もっと頑張るぞと言う気持ちが沸々とわいてくる。「やるなっちゅうに」と声が聞こえてきそう。

6月26日(木曜日)
「岡村さんやりすぎだ」と叱責される
今日は会社の会議だ。その前に、W企画を訪問した。Oさんが机に向かっていた。何でこんなところに?「ここで仕事をしているからだ」。四国の仕事を拡大するために、ここで指揮を執るつもりだという。私はSH-D1000のチャンネルデバイダーのソフトのコピーに寄っただけなんですが。つい、話に巻き込まれて長居をしてしまった。この会社は拡大のためにいろいろと布石を打っているようで、興味深い要件もあった。午後から会議だが、集合場所の新大阪に1時間ほど早く到着して、マクドナルドで昼飯を食いながら、月報を仕上げ送信した。後、2本あるが、これは帰りの電車の中で加筆しよう。会議はいつものメンバーだからなんとなく気楽であるが、会議の始まる前の懇談の時、社長から、「岡村さんやりすぎだね」。取締役からも同じ叱責。意図はみんなと差がつくことをすればまずいとのこと。杭が出るのは避けなければならないのだ。「よぉくわかってます」。それで、自分としては、日ごろの活動を抑えて、時間内にレポートも仕上げるようにして、結構手を抜いているつもりなんですが、どうやらもう少しレベルを下げる工夫をしなければならないようだ。低速飛行だと飛行機は失速して墜落するのと同じように、僕も手を抜き出せば、今度はちょぼが発生する可能性がある。この仕事は別の意味でさじ加減が難しい。

6月25日(水曜日)
「お前ほど好き勝手して生きてきたのはいない」と叱責される
そうなんか?大金の張る車は買わず、小金で事足りるPCとカメラにお金と時間を使っただけなんだが。それでも、僕を知る友人にはそう映るのだろう。カセットや書籍をスキャンしながら当時を思い起こし、自分の人生はどうだったんだろうかと反省している所だから、わからんでもない。しかも寝ていてハット起き上がり、あれはまずかったと思うことも多々あるのだ。しかし、もうこの年になって反省はすれど人生を変えるとこはできず、生き方も変えられない。このままいくしかない。修正はできないが、叱責する仲間がいるだけでもありがたい。JAZZピアニストに世良譲さんがいますが、彼のレコードの演奏者名は、いつも「世良譲&His Friends」。「S」が格別にいいですね。「S」は複数を意味して数名となる。僕もFriendsを持っている。
<この列車に乗ればかごんまに行ける 大阪にて>




6月24日(火曜日)
鬱陶しい梅雨空
それでも、なかなか雨は降らず、雨対策でトラックの後ろの荷物を手間でもビニールで包装するが、杞憂だった。今回で今治市のホテルで5泊して、いずれもホテルを変えたが、妙に違和感がわくばかりでしっくりこない。この街には仕事はないが、隣の街で仕事がある。しかし隣町にはホテルがない。今まで松山で宿泊していたが、朝早く出発しなければならないのは苦だ。おじさんは夕刻の内に移動したほうが楽なのだ。松山は暗中模索だ。今月は報告書のフォーマットの変更があり、エクセル関数を使ってメモデーターから報告書データーへデーターを変換しなければならないので、結構な時間を要する。手打ちすれば簡単なのだが、そこはPCオタクの意地で慣れぬ関数を使うのだ。それでゆっくりできるはずの宿泊も瞼が重くなるまでフルにレポートに専念なのだ。仕事だけど、半分自分の興味本位なのだ。<やっと夏が来た 愛媛県新居浜市>

6月23日(月曜日)
月曜日の憂鬱
英語でBlue Monday.もうこんなのとはおさらばして久しい。ウキウキ気分で出発だ。土日の片付け物はごみ袋10袋と決めているから、それを車に積み込んで集積所で下すのが厄介なだけだ。今日は大洲だ。高速道路で須崎市まで行ってこれから山道を走る。昨日録音したNHKのラジオ英会話を聞きながら。新緑と鶯と森の清澄が車内に吹き込んでくる。まぁ一種のドライブですね。今日は、昨晩寝る前に映画を見たため(ジャッキーチェンの香港警察)興奮して寝つきが悪く寝不足で、体がだるく途中2回ほど休憩した。ロスタイム回復に昼飯はローソンのサンドイッチで車を運転しながらいただく。その代り夕食は、松山にある食堂で、きちんとバランスの良い食事とした。そこから車で1時間ほど走り今治市のホテルに投宿。今週は週報と月報の提出があるので、ホテルでも寝るまで結構頑張っていた。

6月22日(日曜日)
芸西村の生活について
休日は大概天気が良い。1階の倉庫の残りの片付けをして東側半分は一応完成。ホントよくもこれだけ後始末をせずに過ごしたものだと思う。両親はそれなりに仕事はしたのだろうが、結末みたいな区切りなしでやりっぱなしの仕事だったんだろう。農業は週の縛りや月の縛りがないから自ずとそのあたりがルーズになったのだろう。昭和生まれの百姓の仕事とはこんなものだ。だから政府が躍起になって農業の生産性云々を言っても、最終的な受け皿がこのような人たちばかりだから改革が進まないのだ。わが両親は芸西村でどん尻の農家だったわけではない。中から上の部類の成績だった。それでもこんなのだから、他の農家も推して知るべしなのだ。午後日記をアップロードしてプールに出かけた。プールではいつものメンバーが声をかけてくれて、この一週間の出来事を話してくれる。父が車に乗れ始めたというのが一番多い。あんたも楽になったねぇと言ってくれる(よくわかっているのだ)。プールは社交場化しつつあり、泳ぐ時間がだんだんと減っているのは赤信号。ウィークデーは芸西村を離れ、週末村に居る生活がぼっちりだ。ここに居つくと息が詰まってしまう。これからも。

6月21日(土曜日)
駐車場
家の駐車場の隅に転がっていたいろんなものを片付けて広くなったが、ひろくなれば油断するのか、父は車をこの広い駐車場で車をぶつける。それで、さらに分別ごみを入れてあるコンテナも整理した。これで駐車場には何もなくなり、トラックだって方向転換できるようになった。ついでに車を入れてある倉庫の整理も行って、車は2台収納できるスペースが出来た。来週は気を緩めることなく、さらに片づけて、さらに車が一台駐車できるようにしよう。毎週ごみ袋が10袋一杯になるだけの不要物がある。片付けがいのある仕事だ。いずれ「老前整理」は多くの人が耳にするようになると思う。その先走りをしているのだ。私は子供たちに迷惑をかけないように、趣味のものはすべてHDDに入れておくつもりなので、スーツケース1本にすべて収まるはずだ。

6月20日(金曜日)
段取り
土日は雨予想。それで洗濯や家の周りの片づけをおこなった。太陽があり、汗だくなった。近所のおばさんが訪ねて来て、お金を持ってきてくれた。集会所の掃除当番に欠席すると1,000円の欠席料金を徴収されるのだ。それを部落の金庫に入れるのだ。今年は私が金庫番だから、こうしてお金を預かるのだ。そのおばさんが「片づけをしゆうかね、ものが多いから大変じゃねぇ」友人宅を訪問した。7月7日は先祖様で宴会(こちらでは「おきゃく」)をしなければならないので、昨日マルナカでお惣菜を注文してきたから、引き取りに行ってほしいとお願いをした。そうしたら、お母さんがでてきて、家がだいぶ片付いたねと言ってくれた。夕刻、おじさん所に出かけてゆき、晩飯をご相伴になりながら、7月7日の先祖様の宴会にどんな料理が良いのか相談してたら、つくってやると言ってくれた。飲みながら、ちっと家は片付いたかねと言われたので、ほんのちっと進んだだけと答えた。宴会をする部屋にエアコンの取り付けも注文したので一応段取りを終えたが、ずいぶんと出費が重なるもんだ。5年前には父が開催したので、簡単に言うが、何もかも一人でやるには結構大変なのだ。

6月19日(木曜日)
トラビアータ
ベルディーの歌劇。日本名は椿姫。映画にもなっている。それが、βテープからのダビング時に出てきてモニターのついでに見てたら、非常に秀作なのだ。音楽はいつかどこかで聞いたことのあるものばかりだ。有名なプラシード・ドミンゴが出演している。指揮はジェームスレバイン。演奏はメトロポリタン歌劇場管弦楽団。いわゆる黄金コンビですね。一生の内に、これを見なければ死ねない3大ポイントは、アメリカの、ビレッジバンガードでJAZZを聞くのと、メトロポリタンオペラを見るのと、ブラジルでリオのカーニバルを見ることだ。だが、行くまでに事前にやっておかねばならならぬことがいくつかある。一つはある程度の英語が扱えるようになること。一つは、オペラは100本程度見ておき、事前にストーリを頭に叩き込んでおくことだ。メトロポリタンでのオペラは英語が多いのを知ってはいるが、それでもストーリーが分かっていると内容もスムーズだ。課せられた猶予期間は学費の仕送りが終わるまでの後2年半としておこう。

6月18日(水曜日)
メニューの変更
徳島ではいつもサンシャイン徳島に宿泊している。このホテルは寒いのが欠点だから、冬場の利用は控えなければならないが春から晩秋にかけてはなかなか良いホテルだ。第一に駐車場に屋根があるのが良い。その上、駐車場からエレベーターまで10mの至近距離だ。そしてここの朝飯はなかなかエキサイティングだ。その和食がこのたびメニュー変更で良くなった。湯豆腐が、奴に変わった。この豆腐、スーパーに売っているのとはちょっと訳が違い、手作り風の豆腐なのだ。タレと薬味を加えていただく本格的な薬膳料理のような感じなのだ。ホテルではマイビーチサンダルで過ごしているので、レストランもこれで行くが、この味に対してはちょっと申し訳ない服装である。まぁお遍路さんたちの中には、スリッパと寝間着で来る人もいるから、僕のサンダルも許されるのだが。

6月17日(火曜日)
強盗(ごうとう)店
こんな、名前の店があったら怖いだろうな。本当は郷東(ごうとう)店。香川県高松市の西に位置する。一般的には鬼無(きなし)と呼ばれる地区。この地区の地名は結構ドラマ性に富んでますね。40年ほど前に高松市に住んでいた僕の記憶では、ここを通っている道が国道11号線だった。今は、遥か南を3車線の国道11号線は通る。それで車の流れは変わったが、地元民は便利なので人口が多い。なぜ、今回この地区を取り上げたかと言えば、ここに四国最大のイオンモールがあるからだ。巨大な四角の建物が聳える。それはすごい。(四国としては)。田舎に住んでいると、大きな街を見るのは若返る(そんな気がする)。訪問すると都会の風を感じる。ただ長いはできない、海岸の埋め立て地だから、津波が怖いのだ。そこに、ケーズデンキとヤマダ電機がある。いわゆる日本を代表する他の小売店もこの周辺を固めている。パチンコ店が最近不振で潰れているのをご存じだろうか。その跡地に大きな商業施設が出来ている。香川県は四国で一番発展している街だ。


6月16日(月曜日)
日本食
高知市と須崎市の間に土佐市がある。昔は春野町。中学生の時サボテンを集めていて、春野町に大きな栽培家があって、父にサボテンを買いに連れて来てもらったことがある。今は家の駐車場となっているが、昔は畑だったので、ここにサボテンのビニールハウスを建ててもらって、サボテンを栽培した。サボテンは乾燥地帯の植物だが、水をたくさん与えると、毎日朝起きてみればわかる程度に大きくなっているので、楽しみが大きかった。その上、接ぎ木を覚え、ベースとなる木にどんどん接ぎ木をしていった。接ぎ木で大きくなったら、切り離し鉢に下ろすのだ。何でこんな趣味を持ったのかと言えば、かっこいい友人の小松啓二君がサボテンを収集していて、彼に引き込まれたからだ。彼の家は今でも私の家からも見える。見えるが遠い。芸西村を囲む山の頂上にあるからだ、一応芸西村の住民だが、道路は隣町の安芸市から山の尾根を登っていく。中学生の頃一度自転車で訪問した。一時間ほどかかった。印象が強くて今でも時々この道は夢に見る。話はそれまくったが、この土佐市にしゃれた日本食の店がある「稲月」さんだ。東京にあってもおかしくないたたずまいだ。お昼の定食を注文した。1,000円。高知県民としてはちょっと高価な昼食だが、この雰囲気と魚のおいしさを考えれば、許せるかな。刺身の醤油は、かつおだしが効いていて、それに柚子を少し混ぜてあった。料理のレパートリーを増やしたいと思っているので、これは参考になった。

6月15日(日曜日)
大掃除で浮いた時間
今日は村を挙げて掃除をする日だと聞いていたが、僕の近所はどうするのか?近くの人に聞けば、この部落はここ数年大掃除をしたことがないという。それなら助かった。先週に続き駆り出されると大変だと思っていた所だ。それで、一先ず、日記をウェブサイトにアップして、父の弟であるおじさん宅に訪問した。父が歩けるようになったことの報告だ。母は相変わらずだが、母の送り迎えができることを伝えた。回復を喜んでくれた。おじさん夫婦も来年いっぱいで農作業をやめようかと話していた所だと言う。ただ、たくさんのお客さんが来るので農業をやめると接待が出来なくなると嘆いていた。この家は芸西村でも有名な居酒屋だ。ただで飲める居酒屋だ。今日はご相伴にあずからず早々にお暇した、両親の夕食の準備があるのだ。帰りに父の兄が見えたので声をかけた。「おまんにようにちゅう」とあいさつをされた。そりゃぁ本人だから。この奥さんは健在で、トマトとナスを鞄に一杯くれた。帰りにスーパーに買い物に行くつもりだったので助かった。ここには彼の息子、つまり僕の従兄がいて、その娘もいて、なかなかにぎやかな一家だ。ひっそりとした我が家と比べると、うらやましい感じだ。鯵の開きを二枚焼いて、ナスを輪切りにしてゆでた上に乗せていただく、全く単純な料理だが、なかなかうまかった。新鮮さが味方してくれた。

6月14日(土曜日)
巣立ち
倉庫に一杯糞をまき散らし、その世話も大変だった燕一家は今朝巣立った。最近の糞の量は半端でなくなり、親もひっきりなしに餌を運んでいた。それを撮影したが30分の一秒のカメラシャッターに映らないほどだから、餌を与えるのは瞬間だ。糞を見ていたら昆虫の目玉が消化されず糞の中に混じっていた。燕の狩りもかなり大雑把に行っているようだ。取り敢えず糞のお世話はこれで落着だ。巣の下に駐車した車にも新聞紙の覆いは不要となる。もう一つの巣立ちは、父が何とか車に乗れるように回復したのだ。それで土曜日の母の通院のために車で送る必要もなくなり、父の通院への送り迎えも不要になる。試しに今日の夕刻の母の迎は行ってもらった。やれやれだ。これで、主な家事は風呂焚きと、土日の夕食となる。この半年よく耐えたと思う。本当によくやった。偉い!。
<燕一家、昨年の子4羽+今年の子4羽+親2羽)


6月13日(金曜日)
NHKラジオ考察
土日のNHK第二ラジオは、なかなか有意義な番組が多い。先週の日曜日はカルチャー番組として、中村めい子さんの「父の教育」を聞いた。それまでの4週は、「海賊物語」を聞いた。土曜日は英語の番組が目白押しだ。「英会話タイムトライアル」は英語会話のカラオケだ。最初講師とアシスタントが話をして、今度は講師の部分が空白となり、こちらが返事をしなければならない。一度きりなので、返答は自己流となるが、なかなか刺激的だ。「ワンポイントニュースで英会話」は、あまりにも早いネイティブの英語だ。耳慣らしだけの価値だ。「エンジョイシンプルイングリッシュ」はレベルの低い英語物語で、5つの違ったストーリーがある。6割程度解るので、こちらは書籍も購入している。「入門ビジネス英語」は一つの単語をあらゆる場面で使う用例を教えてくれる。「英語で読む村上春樹」は、繰り返し聞かないと全く英語がつかめない難解だ。しかしこの番組のみ英語の後ですぐ日本語訳があるので、繰り返し聞くことでだんだんと英語の単語が見えてくる。ICレコーダーにラジオから丸取りして、聞いている。


6月12日(木曜日)
片づけものについての考察
「両親の家の片づけもの」については、介護と同じく厄介なものであるとラジオで放送している。その講座がたっぷり1時間。それが14本ある。たまたま、9回目にこの番組に行き当たり、10回目と2回真剣に聞いた。僕には兄弟はないから処分についても相談することはなしだが、「もったいない」時代に育った両親と考え方の差異は大きく私は常に頭を悩ましていた。それもそのはず、これは大きな社会問題になりつつあるというのだ。大体田舎の両親の場合一般的にトラック2-3台分はあると言われているが、確かに言いえている。私の家の場合は農家なので、その3倍位あるだろう。その片づけだが、生前に片付けるほうが絶対に良い、とラジオは言う。それは、片付ける立場の本人が動けなくなってからではどうしようもないと言うのだ。その手の専門業者もあるとのことだが、どうしても一品一品吟味して取捨選択とは行かないと言う。納得。この問題で一番厄介なのは、当人が現地に住んでないことらしい。幸い私はいいタイミングで両親の家に帰ってきた。カセットのスキャンが終わる7月後半から、1年をかけて片づけをしようと思っている。それまでにこの貴重な番組を聞き終えることができる。

6月11日(水曜日)
万歩計考察
万歩計で一日の運動量を測っている。大阪時代以前は一日15,000歩オーバーが基本だった。仙台に行き、一時7,000歩程度だったが、直に15,000歩に戻した。高知に帰り6,500歩程度が長く続いたが、やっと10,000歩を超えるようになった。万歩計はケーズデンキで780円のタニタPD-635。僕の場合15,000歩が気持ちの良い眠りにスッと入り、朝もゆっくりと眠られる。10,000歩は朝5時に目が覚める。8,000歩は4時半。歩数が少ないほど朝が早く、その日は眠い。正しい眠りのためにはある程度の歩数が必要なことは分かった。だが、この不足する5,000歩は1時間ほど一の中で割かなければならず、今の僕にはとうていこの時間がない。でも、この2か月余り結構10,000歩を超えていたのだ。それなのに、どうも朝が早いので不思議に思っていた。疲れがたまっているのではないかとも心配をした。だが、問題の核心が見えてきた。燃費向上のために、軽四トラックの空気圧を5月中旬くらいから、3.5気圧にしたのだ。それまではスタッドレスの2.5気圧だった。結論は車の振動で万歩計の歩数を稼いでいることが判明したのだ。つまり、この間の万歩計は全く当てにならない数値が出ていたというわけだ。乗車中は万歩計を外し、歩く時は装着するような器用なまねはできない。ここはアップルが開発中の健康をチェックする機器を発売するうわさが流れているが、これを購入することしかないようだ。

6月10日(火曜日)
うどん考察
今日は朝からとても疲れている。やっと日曜日の無理が出てきた。なんだかこれで自分の体に戻った感じでうれしい。丁度今日は高松市内だけの仕事だったので、うどんを食べてゆっくりとした。香川県はうどん県と言われるくらいうどん店が多いが、全部がおいしいわけではない(当然ですが)。うまいところは限られていて、しかも旨いと+安いはセット(Aセット)であるのが面白い。まずい+品数が少ない+高い、のもセット(Bセット)だから、車の駐車数で明確にわかる。うどん店を選定は実に簡単だ。高松を中心に西に行くにしたがって味が濃くなる。こう書けば当たり前ですが東に行くにしたがって薄くなる。丸亀製麺は丁度真ん中の高松市の味付けだ。香川県にもあるが、あまり人気はない。Aパターンだが、うどん玉の選択が画一的だ。高松のうどん通は3玉の注文が出来なければうどんではないと言う。丸亀製麺は1.5までだ。また、セルフとそうでないのと2種類ある。セルフは自分でゆでるのを含めるのもあるが、多くはトッピングを選択できるのをセルフと呼ぶ。セルフはAパターンが多い。選択できないのはBパターンにおおいが例外もある。

6月9日(月曜日)
お遍路さん考察
昨日はへとへとに疲れていて、コンサートから帰るとそのまま寝てしまった。だが、朝起きれば疲れがどこか飛んで行って活力がみなぎった。何でこんなに簡単に復活するのだ?と不思議。今日は室戸岬を回って徳島に行くからこの復活は都合が良かった。宿泊は高松で270kmを走った。高松は空港のアパホテル。付近には何もないので、徳島県の脇町のスーパーマルナカでお弁当とビールを買った。徳島の道は車の急な飛び出しがあるので要注意だ。それも相当な無茶な飛び出しだ。それが香川県に入るとぴたりと止む。こんなこともあり、徳島県民は嫌いだ。それで、できるだけ徳島では宿泊もしないし、食事もしないつもりだが、今日は仕方ない。アパホテルはお遍路さんで一杯だった。大きなホテルのお遍路さんはバスめぐる旅なので、廊下でも大声で話しマナーも悪い。ビジネス客にとっては天敵だ。小さな旅館に泊まるお遍路さんは歩きなので、人柄もマナーも良い。徒歩はお金持ちしかできないので、この違いは単に収入がもたらす心の余裕の差だろうか。それに目が光っている。バスツアー客は目が澱んでいる。

6月8日(日曜日)
コンサート
朝から両親の昼飯と晩飯の用意をした。今日は昼に村の行事で忠魂墓地の清掃作業があるからだ。村の代表9名による作業だ。この内の一人、谷山修一さんが同級生で、こんな行事の時には何かと声をかけてくれ、いろいろと教えてくれるのでありがたい。カンカン照りで清掃作業を行った。一番の年配者に、聞けば日露戦争(明治34年)支那事変(昭和12年)大東亜戦争(昭和16年)の戦没者たちと伺った。みんな20歳前後で亡くなっている。これを見れば追悼の意は必然的に湧き上がってくる(関係ないが日本マイクロソフトは中国に遠慮してか、支那事変と大東亜戦争の漢字の熟語登録がない)、この作業はずいぶんと疲れた。帰って両親のために風呂を沸かして、炊事場で汚れた食器と残飯を処分して出かけた。今夜は友人3人で井上陽水のコンサートに行くのだ。コンサートテーマは「氷の世界」今から40年前に発売したアルバムの通りに演奏をすると言う。当時このアルバムは良く聞き込んでいたので、曲が終わると次の音楽が頭の中に出てくるが、コンサートはその通りに進んでいくのでまことにスムーズだ。時々陽水のオカマ風の喋りが入る。陽水の父は高知県の出身なので、小学生の頃は結構高知に来ていたようだ。だから、高知にまつわる音楽も多く披露してくれた。高知は彼の中で大きなウエイトを占めているようだった。アンコールではご当地ソングとして歌った御免(本当の地名は後免)は受けた。ここからおばさん、おじさんが立ち上がって体を振り出した(踊らないが)。 ♪なんにもないけど 水でもどうです せっかく来たのに なんにも ないので 「御免」 いつぞや手紙と 家族の写真 笑って見たけど 返事を出さなくて 「御免」 よく 来てくれた僕の家に ありがとう ありがとう♪最初は御免と後免が結びつかなかった。感動の2時間だと3人で確認しあった。企画したK君はまた行こう。「年に一度なら」と僕。出かけるのは大変だから。







6月7日(土曜日)
燕に慰められる
僕の土日は休日でもなんでもなく、朝から夜まで仕事なのだ。家事と介護だ。仕事なら朝も日が昇ってからだが、こちらは遅くとも午前6時前から始業開始だ。だから、いささか気持ちも荒んでくるが逃げることができない。かなりいい加減だった燕夫婦にも子供が孵り、僕の寝ている下では薄暗い5時前から燕は餌を子供運ぶ仕事で大わらわだ。雛たちは遠慮会釈なく、親がやってくると泣き叫んで餌を要求する。ほぼ2分に一回の頻度だ。こんなにまじめに尽くす親鳥もいないだろう。夜もまだ何とか見える午後7時半過ぎまで餌を運んでくる。一心不乱なこの尽くしように少しだけ慰められる。今日はこの燕の巣の近くで、納屋の2階から、不要なものを1階に放り投げて片づけ作業をしたが、大きな音も、大きな空箱が飛び交うのも気にすることなく、餌を運んできていた。時々、電線に止まり休んでいるので、目が合うと「ごくろうやね」と声をかけてやる。なんだか仲間意識を共有できたような感じだ。

6月6日(金曜日)
新しい遊び
昨晩は窓をたたくような雨がずっと降っていた。建物は立派だが、窓の立てつけの悪いこのホテルは、外の音がもろに入ってくる。だが、雨の音以外なにもない。車の音も皆無。まぁ雨の漏らないテントを張って寝ているようなもんです。雨の音はどんなん大きくても妙に気が休まる。今年の梅雨は割とはっきりと雨と晴が分かれている。こんな雨の日でも渦潮遊覧の船は出るのですね。ホテルの前は鳴門海峡だから、朝起きると遊覧船が目の前を通る。ずいぶんと大きな船だった。これなら大きな渦潮にも巻き込まれないだろうと思った。徳島で仕事を終えて帰るころには雨も上がり晴れてきた。徳島で仕事を終えると、以前は高速の徳島道から高知道に入り帰っていた。約3時間弱だ。今では国道55号線で室戸岬を回って帰っている。時間は4時間弱。冬場日没が速い時は3時間で帰ることもできるが、夏場の明るいうちは速度を抑えるから時間も余計かかるのだ。いつものように、室戸岬のスーパーで魚を買って帰る。室戸港で今朝揚げた「うるめ鰯」を買った。こちらには圧力鍋の味方があるので、鰯の料理は得意なのだ。家に帰りガスにセットして、レポート書いた。半分煮立ったと思うところで火を止めて、プールに出かけた。いつものコースは若い女性が独占してたので、別の場所にある強い水流が流れる出口で、水流に向かって泳いだ。少しテクニックを要するが、一定場所で泳ぎ続けることができる。顔面に強い水流が吹き付けてくるので、息を継ぐタイミングを旨くとらないと大量の水を飲むことになる。それに少しでも力を抜けば、放出口から遠くに流されてしまうが、なかなか面白い水泳コースを見つけたのだ。これはエネルギーをものすごく使った。昔、台風の後、大水の出た川で泳ぎ疲れがひどかったのを思い出しながら、食事の後すぐに寝てしまった。

6月5日(木曜日)
雨と晴と
愛媛県から徳島県へ
朝起きた時から頭がはっきりとしている。体も軽い。思い返してみるに、結局、土日の水泳の疲れは、月、火、水とひきずって、4日目に回復ということが分かった。精力的に動いているとは言え、着実に年齢を重ねてきているということを実感だ。死ぬまでのスケジュールを綿密に計算しなければと思いましたね。昨晩は四万十町で500ミリの大量の雨が降った。高知県は雨慣れしているので、これくらいの雨では被害が出ない。愛媛県の雨はたいしたことはなく、徳島県の吉野川に向かって移動した。吉野川は四国で一番大きな川で、阿波池田では、相当な川幅となる。この街には大きなダムもある。徳島県はこの川をどこで渡るかによって、移動時間がずいぶんと違う。今日は脇町から、鴨島に向かうのに川の左岸の道を選んだ。これは早い上に、有名な蕎麦屋があるのだ。「橋本」さん。蕎麦は山形と思い込みがあったが、ここも東北に比べると70%位の味で追随している。四国はうどん、そうめん、ずいぶんと落ちてラーメンだ。蕎麦は肩身の狭い思いをしているが、吉野川沿いは祖谷蕎麦の流れを汲んでなんとか生息している希少価値のある麺だ。ざるそばを注文した。東北の蕎麦屋さんを思わせるような容器で提供されて満足。朝にどんぶり飯を食っているから、昼はこれで問題ないのだ。夜はスーパーHALOWSでお寿司とサラダを買い込んで先週宿泊した大谷壮で宿泊した。今回も宿泊客は僕一人。

6月4日(水曜日)
ボリュームたっぷり
天気予報通りに今朝から雨だ。それでも瀬戸内側は小雨で、汚れた車の洗車には程遠かった。昨晩から宿泊した旅館は、朝飯付きだが、このメニューが一風変わっていて、大きな出汁巻き卵があるのに、生卵があって、卵かけご飯をたべろと言うわけだ。普通料理を生業とする人たちは同じ材料を出さないのが常だが。まぁ、ここはお遍路さんのための旅館でもあり、炭水化物を多く摂取するメニューが必要なんだろうと判断。このように朝飯は腹いっぱい食べたので昼飯は抜いた。丁度昼時東予港を通りかかったのでトイレを借りるために寄った。お客様待合室があり、船は深夜の22時に出発するが、何とこの食堂は営業をしていた。港湾労働者の人たちのためらしい。メニューをみれば今日の定食は牛肉炒めとサラダ、奴、味噌汁、どんぶり飯だ。料金は670円。値段の割にボリュームが凄い。もし空腹でもこれだけいただくと、夜は難しいだろうな。と思わせる量だった。いつも変わらぬ人達に、おばさんが賄をする。半場の飯屋の感じだ。見知らぬ人が飛び込んで食べられる雰囲気でもなかった。おばさんたちは、何の変哲もない日常が続くのにうんざりしているかもしれない。食べているおじさんたちも、繰り返しのメニューで食傷ぎみかもしれない。そんな雰囲気が開けっ放しのドアの外から見えた。午後2時、軽い昼飯の代わりにマクドナルドで、ポテトフライを食べた。PCをたたきながら片手でポテトフライを摘む。まっことマクドは、IT用にメニューを考えているぞ。夕食は11号線沿いにある、国領食堂(南森町食堂のFC)で正しい食事をした。メインディシュと言うほどでもないがカレイの煮つけを選んだ。秀逸だった。ごぼうのサラダ、キュウリの酢もの、白菜の煮つけ、コンニャクの油いため。昼を抜いたので夜はボリュームを増やした。雨であることもあり万歩計は8,500だった。完全に喰いすぎだ。<どこが本場や?>

6月3日(火曜日)
今治於て
梅雨入りしたそうだが、一日中晴れていた。四万十市から移動、愛南町の物産展で「河内晩柑」を買った。このみかんは友人が栽培している。友人の農家に行けば分けてもらえるが、値段が非常に高い。この物産展では大きな袋に入ったのが700円で買える。姿は悪いが味は変わらない。農家泣かせの価格だと友人は言うが、僕ら庶民にはこちらの価格でないと買えない。宇和島を経て大洲で仕事をして、松山で仕事を済まし、スーパーFujiで弁当を買った。朝ホテルの朝食で十分したためたので、昼は軽いパンで済ました。だから夕食は少し豪華な弁当にした。この弁当を今治に向かう「玉川の湖畔」で頂くのだ。案の定この湖畔は静かな公園だった。遠くに松山大学のボート部がカヌーの練習をしているが、声は聞こえない。この「弁当ディナー」を侘しいとみるか?豪華とみるか?気持ちの持ち次第だ。今晩のホテルは大島フェリーが目の前で発着する港の真正面にあるホテル海舟さん。お遍路さんがずいぶん多く宿泊している。四国は旅館やホテルが結構充実しているのは、年間何万人と訪れるお遍路さんのおかげだ。リーズナブルな価格で宿泊と食事が供される。お遍路さんはお金持ちだが、毎日は豪華版では過ごせないからこの程度のホテルとなる。それは僕にとっても丁度の価格になる。それにこのホテルに限らず、お遍路さん相手をしているので、宿屋の主人が好人物だ。明日は大雨だと言う。

6月2日(月曜日)
中村市於て
四万十市(旧中村市)に来ている。今日はこれ以上走れないと、中村市に宿をとった。万歩計も12,000歩を超えていた。せっかく中村市に来たのだから、同じ高知県とは言え違った文化であるここで、東部の安芸とは違ったものを食べたかった。仕事を終えたのは暗くなる直前の午後7時過ぎ。ホテルで四万十料理の店を聞けば、ホテルからは少し離れたところだった。さっそく自転車を借りて出かけた。iPadがあるので、地図は現在地を常に確認できるから迷うことはない。ところが問題は、雨がぱらついてきたことだ。国土交通省のレーダーを見れば、雨が来る直前だった。今夜は四万十料理を撮影し、友に送るはずだったが、これでは帰りに濡れてしまう。雨に濡れるのは問題ではないが、パンツの着替えを持ってないのだ。残念だが次回にしよう。ということでホテルの隣にある「八犬伝」で夕食と相成った。日経新聞を見ながらビールを飲んだ。隣に開高健によく似た人が座っていた。四万十川と開高健はよく似合いシチュエーションなので、思わずこの人を見入ってしまった。日経新聞には「魂を売ったスカイライン」の見出しがあった。スカイラインにベンツのエンジンを搭載するのだ。開発費が安く抑えられるとはゴーンさんの肝入りだ。日産のクラフトマンシップは一体どうメンテするのだろうか?好調な日本の自動車産業界で、日産だけが脱落しそうな気がする。


6月1日(日曜日)
圧力鍋
これに凝ってしまった。日曜日は昼も夜も食事を作らなければならない。その食事は、すべてこの圧力鍋を使って調理した。手羽先を塩水で煮込んだら、軟骨の部分はそのまま食べられた。かぼちゃとこんにゃくを15分煮込むと、こんにゃくには十分味がしみていた。サーモンのアラを買ってきてウロコも一緒に煮込んだら、うろこは溶けていた。オコゼの骨は溶けなかったがウロコは溶けていた。キャベツの芯はとろけるようだった。何でもかんでも圧力鍋で調理だ。来月は岡村家の先祖様の墓掃除。近所の人たちを私が接待しなければならないが、その料理はこれだ。圧力鍋でいろんなものをこしらえてみよう。墓掃除と言えば、来週は、忠魂墓地の墓掃除を村の代表としてしなければならないようだ。ところが、この日、友人と井上陽水のコンサートに行く約束がある。はて、このスケジュールをどう調整したものやら。

5月31日(土曜日)
解放の時
両親の介護の送り迎え。家の掃除、洗濯。これだけで一仕事だけでけど、今日は昨日書き上げたレポートの仕上げと、さらに3本のレポートが控えていた。全精力を傾けて、午後6時過ぎに終えた。朝6時に起きてからずっとレポートはつかず離れずの関係で取り組んだので、10時間ほどは使っている。書き上げて気分のすっきりしたところで、汗を流しにプールに行けば、顔なじみのおばさんがコースを独占していた。僕が割り込もうとすると、おばさんは泳ぎをやめて、少し雑談になった。やばいと思いながらも話を伺った。プールで立ち止って話をすると寒いのだ。ある程度の速度で泳がなければ凍えてしまう。それで、このプールはすぐ横にジャグジーの設備がある。プールで歩く人は、時々ここで暖を取っている。その話というのは、健康のことだ。気管支炎を患い泳ぐのがしんどくなったというのだ。それで距離を600mに抑えたと言う。僕は、速度を抑えて距離は元の1kmに戻されたらどうですか?とアドバイスした。このおばさんは70才になるというのに、なかなかスタイルもよく、胸の曲線もきれいなままだ。その後、凍えていたので、僕は幾分速度をあげて、思う存分泳いだ。昨晩は遅かったので、プールから帰るとすぐに寝てしまった。スイッチをOFFにしたみたいに。

5月30日(金曜日)
圧力鍋
徳島からの帰り、太陽のあるうちに室戸岬を回れば、室戸のサンシャインに寄って魚を買っていこうと決めていた。室戸のサンシャインは地場の魚がいろいろと並んでいて、割と楽しい買い物ができるのだ。牟岐を過ぎれば海岸線を走る道はまるで高速道路だ。それで、うまいこと間に合った。今日は室戸港で朝とれた鰯が並んでいた。さっそくこれを買って、ついでに安芸市のホームセンターで、圧力鍋を買った。鰯が骨ごと食べられるって本当?これを試したかったのだ。うろこやひれはそのままで、内臓だけを抜いて取扱説明書の通りに調味料を量って加熱した。約15分。10分待って圧力が下がるのを待ってふたを開けると、まっこと骨の柔らかな鰯がとろりと出来上がっていた。説明書の通りだった。結構感動した。

5月29日(木曜日)
国民宿舎大谷壮
鳴門市の海に突き出た半島の先に、このホテルはある。定宿としている徳島サンシャインホテルが一杯なのだ。そこでネットで調べると同じ値段で夕食がついているとある。これだ!さっそく訪れると目の前にきれいな海が広がり、海の向こうには淡路島が見える。付近は避暑用の別荘も建っている。最高のロケーションだ。ところが、玄関をあけると古びた国民宿舎だった。昔は観光バスが押し寄せてきたはずだが、今は見る影もなく建物の裏は草ぼうぼうの空き地だし、客は僕一人しかいなかった。母と息子の二人で経営しているようだった。大部屋を覗くとシーツにアイロンがけしている作業を途中で放り出してあった。鍵をもらったが、とにかくこの大きな建物に3人しか人がいないから鍵の必要性はない。夕食はご飯屋さんでいただく700円相当の定食だ。自動販売機で380円の一番搾りを買って、ご飯と一緒に流し込んだ。でも、静かだし、気候は暑くも寒くもなくモバイルでは4Gが入るし満足だ。この景色と自由さと静かさを考えると+の方が勝っている。8畳の和室でPCが2台使えるテーブルもある。あくる日に息子さんに話を聞けば、最近父を亡くしたので、2人で切り盛りしていると言っていた。積極的に使ってあげよう。

5月28日(水曜日)
パスタの店
坂出市から高松市に入る11号線沿いにパスタの店がある。この「うどん県」に於いてだ。なかなか勇気があるではないか。興味深いし、昼時は過ぎていたので入ることにした。やはり女性が多い。ということはまずい?。案の定、運ばれてきたパスタはガーリック味だが、ゆで方が少し硬く、しかもゆでる塩の按配(塩梅)が高すぎてしょっぱい。主にうどん県の人が対象なので、しょっぱさは仕方ないとしても、この固ゆでは難がある。そして味付けは油がおおくべっとりだ。野菜が多いので水気が多くとなるとはいえ、このべたべたは考え物だ。野菜はスパゲティーとは別に炒めておいて最後に混ぜることをしないとだめだろう。飲み物付サラダバー付で910円だから、それだけの手を下してもよい。しかもうどん県で店を構えるにはそれだけの工夫が必要だと思うのだがいかがだろう。でも、味覚のセンスのない女どもを店の雰囲気で呼び込む手法が成功しているので、味はどうでもよいと店主は思っているかもしれない。店の名前はDearさんだ。

5月27日(火曜日)
自転車を引く
今日は今治から、西条経由して、観音寺から宇多津へと行動した。国道11号線を東進するルートでお遍路さんの道もこの道を通る。観音寺から宇多津に至る道は2車線で広くはないが交通量もそれほど多くない。途中にそんなに高くはないが鳥坂峠(とっさか)がある。このくだりに差し掛かったとことでどえらい早い自転車を見つけた。追いついてどれくらいの年齢なのか確かめたら、30歳前後といったところ。速度を合わすと50kmでていた。後続車には申し訳なかったが、しばらく50kmをキープすると、この自転車の兄ちゃんは横から、僕のクルマの後ろにぴったりと張り付いた。つまり風の抵抗をなくするつもりなんですね。これでは僕も速度をキープするしかなく、時速50kmを保った。するとこの兄ちゃんはずっとついてきたのだ。この速度となれば少しののぼりもきついが、ものともせずについてきた。いくら自転車の性能が優れているとはいえ50kmは相当きつい。心臓が飛び出るほどの状態だったろうと推測する。丸亀市に入る手前で車線は片側2車線となり、信号があるので、ここでこの兄ちゃんとは別れた。信号で停止した僕のクルマを追い抜くとき手を挙げてあいさつした。なんて気持ちの良い青年だろう。彼は、あのおじさんは自転車のことを知っているのだろうか?とブログに書くかもしれない。

5月26日(月曜日)
今治市
今治に来ている。有名なタオルの雰囲気は街にない。今治市の中心地のホテルに泊まった。4,000円。工事関係者のクルマが多い。ホテルで夕食のことを伺うとこの街は焼き鳥店が多いという。ホテルの隣はアーケードの商店街で、ここを歩けば交差する道際に飲食店があるはずだと踏んだ。アーケードはどこにもある「銀座商店街」だ。だがまだ明るいのに店がみんな閉まっている。閉店したのとは違う。そこで後片付けをしているおかみさんに聞いてみた。この商店街は午後6時に終わるんです。何と!東京の銀座はこの時間から商売が始まるぞ!かろうじて開いていた本屋さんを訪ねた。本屋大賞を取った「村上水軍の娘」を大きく扱っていた。「売れてますか?」「なにせ、本場ですからね」なるほど。今NHKで海賊の話を聞くのが楽しみだ。主にイギリス海賊の話だが。だから、水軍にはすごく興味がある。この本はすでに買ってある。わりとこぎれいな焼き鳥店を見つけた。この店も他の外食店と同じく、若い細顔の女の子が口先だけであいさつをして注文を取りに来た。生ビールとサラダと焼き鳥を注文した。メニューの写真と現物とが大きく違っていた。串に刺した肉が離れなくて、これは昨日少し焼いて準備したが売れなかったのでそのまま冷凍し、再び焼いたものだろう。当然おいしくない。ホテルに帰り、おかみさんにこのこと伝えると、「あそこはね」と一言。「早く言えよ!」(とは言わなかった)


5月25日(日曜日)
インターネット回線
田舎では苦労が多い。まず、IDSN回線しかない芸西村では、もっぱらモバイルで事を進めているが、電波は微弱で日によっては使えない事が多い。電波は西の畑までは3GDATAが来ているのが確認できている。しかし畑からは30mありほぼ真横なので窓から見通しが悪い。そこで、部屋の窓から長い竿を出して竿の先にモバイルルーターをくくりつけて高く上げるのだ。そうしてインターネット回線に接続している。これでやっと7Mbpsが確保できる涙ぐましい努力をしているのだ。雨の日には、ここから1km先の国道に近い消防署の広場に車を走らせて、車の中から通信している。最近部屋から見通せる所にdocomoの大きなアンテナが立ったので、次回のiPhon契約はドコモにしてデザリングの通信だろうな。

<裏のビワが食べごろを迎えた、少し酸っぱいがなんとか食べられる>


5月24日(土曜日)
後片付け
畑から納屋まで、両親が放置したものを片付けている。どれだけパワーをかければこれは片付くのだろう?一方でで両親の病院への送り迎えもある。来週は家にいないから、1週間の買い物もある。等々フル活動だ。納屋の片付けではオケから猫の子が出てきて、ここで産んでいたのだ。まぁこれだけ放置物があれば、猫も自由に使わせてもらっていいのだと判断するだろう。何にも捨てずに生活をすればこれだけ臓物が溜まるんだと思いましたね。余り腹を立てずにぼちぼちとやろう。トラックに4台分は相当時間がかかる。


5月23日(金曜日)
Hi-Ho開通
申し込みをしてたハイホーのプロバイダー契約。申し込んでから随分経つが中々接続できず、とうとう電話で聞くことに。インターネット回線の契約は無く、プロバイダーだけ契約するのはホームページのためだ。もう3つも契約がある。2つは容量が一杯になり、新たな契約が必要となっていたのだ。ハイホーは100MBのホームページサービスがあるが、申請をしなければ開通できないことを知った。ホームページには新しくホームページビルダーも購入して取り組んでいるが今度のホームページビルダーは難解度が高くなかなかものにできない。夜を徹して取り組むつもりだったが、帰りにプールに寄ったので、疲れで早々に寝てしまった。


5月22日(木曜日)
バラ園
快晴。余りの快晴に日差しが強すぎで冷房なしでは火傷しそうで、やむを得ずエアコンを効かせた。今日は岡山だ。訪問先の手前にRSKバラ園がある。少し寄り道して薔薇の撮影を。東京と違い、こちらにきているおじさん達のカメラはいずれも暗いチープなレンズを装着している。東京ではキャノンの70-200F2.8をよく見かけたのだが、こちらでは皆無。やっぱり所得が低いデスね。薔薇は丁度良いタイミングで強い匂いを放っていた。紫の花はやはり綺麗だが、どうしてもこの色はカメラに収まらない。RGBの分解では不可能な色だろう。各フィルターの端境で、それはお前の領分だ、いやお前だとやり取りをしているうちに記録されてしまうのだろう。岡山で仕事を終えたのは午後4時。丸亀でもう一仕事と車を走らせた。またもや大きな睡魔で粒江PAで休憩。目が覚めるとすっかり景色が変わり、ここはどこだ??寝ぼけたのではない、暗くなり今にも雨が降りそうな感じで景色が一変してたのだ。やっと粒江で寝てたんだと思い出し、急いでビニールシートを広げ、荷台の荷物に覆いをした。丸亀で大雨。仕事を終えて、丸亀食堂で夕食。ご飯やでの夕食は最近結構おおい。その後、丸亀チサンホテルに到着すると、ハーレーを磨いていたおじさんたちがいた。どこから?長野!400km位ですか?700!雨はだいじょうぶだった?名古屋で降られた!そうか今日は全国は天候悪く、岡山だけが僕のバラ撮影のためにOKだったんだ




5月21日(水曜日)
健康診断
高知日赤で健康診断を受けた。先月もレントゲン撮影したばかりだから、被曝は無いかときくと、5,000回位までは大丈夫とのこと。それに最近の機械は光線が非常に良いので、更に被曝が少ないと。ピンスポットの周波数が得られるからということだろう。逆を言えば昔は、撮影に不要なスペクトラムもあって、人体に影響があったかもしれない。聴力検査は昨年はダメだった。どんな音なのか判断がつかなかったが、今回は要領を憶えていたので大丈夫。1時間ほどで終わり、病院の喫茶店で朝食。100円の割引券があり、
300円でモーニングが食べられたのだ。品物は300円相当だった。折角高知に来たのだから、車を止めてキタムラカメラで中古品を覗いた。ニコンD300sが69,800になっている。もう少しの我慢だ。帯屋町はさみしくなっている。大丸裏のレコード店は名前が変わっていた。入って店主に昔この店は「トクヒロレコード店」だった。と言えば、私が徳弘です。息子です。今はカラオケのカセットテープを販売する店に変わっていた。店は幾分狭くなったと言うと、昔のままですと答えられた。今の僕にはタワーレコードが基準にあるからだろう。大橋通りの竹崎でだしパックを買った。休みだったが、この足で高知で仕事を片付け帰宅。



5月20日(火曜日)
ラジオを買った
パナソニックRF-U150A。僕がこのラジオを販売していた時は、Aがなかった。Uが付くと高感度の意味だ。芸西村では電波の状況が悪い。高校生の頃ラジオを聞いていた時には、
真空管ラジオを自作して聞いていた。真空管ラジオは感度が良く、このラジオは数台製作し、友人にもあげた。文化放送で落合恵子を聞いたのもこの頃だ。その後就職して彼女の書籍「スプーン一杯の幸せ」を読んだ。「続」も。今回買ったラジオでNHKの放送を丸録りして、英語会話の部分のみ聞くのだ。「ビジネスコミュニケーション」「英語で読む村上春樹」「エンジョイシンプルイングリッシュ」などだ。ほとんどが理解できないが、「エンジョイ〜」が辛うじて半分。それでもこの早さに慣れないと英語は理解できないと、聞き流している。そして、時々すんなりと解る時がある。その時は、早いが、単語が理解できているので、早い英語も日本語で通常話される速度なんだなと思える。今までRF-ND150で録音してたが、このラジオは1時間半で自動OFFが働き、連続ものには弱かった。これで一日1時間は英語を聞くことができる。録音はオリンパスのICレコーダーのマイク端子から減衰コードを使ってマニュアル録音。オートだと、英語をユーザーが読み上げる空白タイムに録音感度をあげてノイズが増える息継ぎ減少が発生するからだ。


5月19日(月曜日)
すき家
月曜日は眠い。今日は須崎に行ったが、途中で一回の睡眠。帰りに一回の睡眠。今日の昼飯はすき家で牛丼。それなりの味だが、それよりも無性に眠くなった。それで、今日の午後の睡眠はすき家の駐車場でとった。暑いから窓を開けて眠った。隣に駐車する車の出入りがあり少々煩かったが、それでもよく眠られた。すき家の牛丼に睡眠薬を盛られたような眠りの深さだった。プールの疲れが出ているのだろう。こんなに寝ても帰ってレポートを書き始める8時ごろは、眠くて目に白い幕が張っている。我慢してPCにデータを打ち込み9時に床に就く。


5月18日(日曜日)
切り刻んで
両親が後半の20年間で家にため込んだガラクタを整理している。捨てることをしなかったし、家屋は相当広いから、多分4トントラックにして3-4台分はあるだろう。今日は鉄分の解体を行った。金ノコで切っていたが、疲れる割に作業が進まない。それで、充電式の電気ノコギリアースマンDN-110Li(9,800)を買ってきた。鉄パイプも約5分位で切断できる。ガラクタの山も一時間で片付いた。金属ゴミの袋につめて完了だ。ほんの序の口のこの作業。でも整理の糸口がつかめた。このノコギリは歯の交換で木材も、プラスチックも切り刻める。一回の充電で出来る作業量は限られているが、僕の体力と丁度見合っている。


5月17日(土曜日)
月月火水木金金
私には休みがない。朝6時に起きて洗濯を開始してから、午後7時過ぎ炊事の片付けをするまでほとんどが両親のお世話に明け暮れる。途中2時間のプールがあるだけだ。この忙殺はだんだんエスカレートして来ているようだ。食事の世話は、土曜日の昼、夜、日曜日も同様だ。食材の買い出しも含め相当な時間が必要だ。それで、食事を作りながらツイツイ酒を飲むようになった。ストレスで肥える人が居るが、そのストレスの殆どが人間関係によるものと新聞にあるのはよぉく納得出来る。酒ばかり飲むのは良くないから、夜開放されてから、映画を見ている。映画は一生見るだけのディスクがあるが、問題は、映画を見終えた後中々寝つきにくいことだ。それで、最近は、英語のイソップを読むことにしている。Kindleで買った英語の文献は、解らない単語にカーソルを当てると、簡単な意味が表示され、「更に読む」をクリックすれば、本格的な英語の辞書が開く。布団の中で読んでいると、天の声が英語で聞こえてくる。意味は理解できないが、この段階になれば直ぐに眠れる。


5月16日(金曜日)
本の背表紙
スキャナーは書籍の文章をモノクロで取り込む作業だった。これからは表紙をカラースキャンして、一ページづつタイトルを付けてファイルにして保存し、文章の最初に結合させる。これはむつかしい事でないのだが、厄介なのは、表紙のカラースキャンスキャンは非常に高い頻度で、埃がCCDにくっつき、取り込んだ表紙に縦に白や紫の筋が走る。コレはスキャン中には分からず、取り込んだあとPDFファイルを開いてチェックしなければならないのだ。そして、この埃を取り込んだページ以降は、すべてやりおなしなのだ。また、うっかり見落としたページがあった時、その表紙をページの束から探すのだが、これがまた厄介。そんなことで、カセットのスキャンを行いながら、表紙の整理を毎日行っている。この日は、大事件が有ったと後日友人から聞いた。中嶋氏がゴルフ中に倒れたそうだ。救急車で病院に搬送されたとのこと。


5月15日(木曜日)
日本が注目されている、本当か?
日本は今憲法9条の解釈変更について揺れているが、欧米のメディアはこの行方に注目していると日経新聞にあった。それでとりあえず、NYタイムズとワシントンポスト紙とUSA Todayを開いて検索したが、記事の片鱗も見当たらない。もう欧米にとって日本の存在はすごく小さい。経済が停滞した90年以降は注目値する国ではなくなったのに、未だに日本は世界の中心にあるような記事にお目にかかる。もう身の程を知った記事に変更するのはいかがだろうか?中国の横暴が目を奪う状況にあるが、歴史を振り返れば、イギリスだって、18世紀の産業革命以前は、中国と似たり寄ったりの行動だったと、ラジオで放送されていた。この話は結構面白く聞き入ってしまった。映画「パイレーツオブカビリアン」の背景を探るタイトルで話が展開して行ったから、僕にも理解できた。何で、イギリスは産業革命が出来た?と来た。産業革命でイギリスは世界の覇者になるのだが、突然産業革命は発生しない。大きな資金源が無ければ革命が起きようがない。「そう言わればその通りですね」なるほど教科書の歴史はつまみ食いだという事。産業革命の原資は3つ。貿易、海賊、自力。構成比は1/3づつ。このパイレーツオブカビリアンは、18世紀の海賊を描いた物語。誰を海賊したのか?スペイン。だから、中国の横暴もいわば歴史に沿った行動だったのだ。(これは放送しなかったのですが)NHKラジオは面白い。NHKラジオを聞きはじめると老人の始まりだ。


5月14日(水曜日)
接客トーク
いつの時代も商売の秘訣はキラートークだ。いかに人の心に響く言葉を見つけられるのか?電機業界の商売を続けてきてそう思った。そして、このキラートークは中々興味深い。今日はその一つを。海外家電がドンドンと侵食してきている。掃除機や、シェバーは大きな地位を確立した。冷蔵庫も洗濯機も小型タイプはほぼ日本のメーカは食われてしまった。その海外家電は主に中国で作っている。四国は日立のヘルパーさんに優秀な人が多いので、聞いてみた。日立の冷蔵庫は中国製に価格で太刀打ちできないが、どう接客してますか?性能では難しいので、感情に訴えます。「中国のベトナムへの横暴は目を覆うものがありますね」これでおおかたひっくり返せますよ。多分最初は意識なく口から出た言葉だろうが、意外に効き目があり、商売道具に昇華したトーク。


5月13日(火曜日)
コピー機
コピーをする機会が結構多い。それもコンビニの機械を使って。多くはローソンだが、これは遅い。急いでいる時はイライラする。そしてこちらがまごついていると、設定が元に戻ってしまう。セブンイレブンは速度も操作も快適だ。ここに強敵がある。ミニストップだ。モノクロが他店の半額の5円だ。カラーは30円(他店は50円)。ところが、この機械は慣れないと操作が難しい。モノクロ選択ボタンを押してからカラー設定に入って行くのだ。そして、コピー品質が極めて悪い。特にカラーはやはり値段に比例しますね。面白いのはスーパーのマルナカ。ここは、従業員も使うのか鍵をつけたままだった。もちろん無料でコピーさせて頂いた。明屋書店もモノクロ5円だ。品質も比例。


5月12日(月曜日)
森永マミー
大阪でも、仙台でも森永マミーの2リットルパックを買って飲んでいた。安い時は98円。ところが四国に帰って来て困ったのは、これを売ってないことだ。かろうじて香川県のマルナカで100ミリリットルの紙パックに入ったのを見つけた。これではヤクルトジョアでも遜色ない。森永マミーは安価なのが特徴だ。明治のブルガリアヨーグルトよりも、こちらの乳酸菌が僕の体にあっているようだ。全国を担当している時、四国は中国の付属品だった。それだけ市場規模が小さいのだ。四国で声を張り上げても本部には届かない。ところが四国に住むと何とか本部に声を届けたい欲望が湧いてくる。それで、森永さんに手紙を書いた。果たして行方は?


5月11日(日曜日)
共同作業
昨日、友人に電話をいれといた。「もう梅が食べ頃で、これ以上は落下する」と。それで、今日は高知の友人と近所の友人とで梅取りだ。一本の木だが、3人で掛かっても中々攻略できず、1時間を少し回る時間を要した。手っ取り早いのは、梅の木に登り、枝ごと取り込む方法だ。来年はもう少し取り込みやすいように梅の枝を剪定しておこう。梅の加工は高知の友人が一手に引き受けてくれる。梅酒は今年の秋に海岸で宴会をする時に頂こうと決めた。昼前に解散。それから両親の昼飯の準備。この頃は、日曜日は、昼も夜も食事を作らなければならない。一方、僕の方も食事を作ることについては、レパートリーが広くなり、同じ献立はまずは無いのだ。全てが違うメニューだ。その上作るのが手際良くなった。商売でもできそうな速度だ。適当に味付けをするが、味もなかなか良い。近い将来は、この友人たちとの作業の後は、僕が食事を賄い、一献という形に持ち込みたいものだ。


5月10日(土曜日)
母のぼけ具合
ほとんどボケの回った母は、ゴミも生ゴミもわからなくなり、昨晩は家に帰るとゴミ袋から異臭。冷蔵庫にしまったお惣菜からは直接食べるので、冷蔵の下段や、床は食べ物の汁で汚れているし、もう感極まった感じだ。ヘルパーさんによると痴呆老人は食べ物派と、徘徊派に別れるらしい。どっちの介護が楽か?両方とも大変、甲乙つけ難しらしい。それで一日に6回も食するので、夜中に食べられないよう、冷蔵庫の中身をそっくり台所から、倉庫の冷蔵庫に移したところ、ただ一つだけ移動するのを忘れた味噌で食った形跡があった。もう、こんなことは止めよう、好きなだけ食べたら良いと思いましたね。それに加え、先週は、体の痛みが激しく、父に当たりまくっていたので、入院して、体の痛みの治療と、透析とを一緒に見てもらおうと、病院に相談するも、母は病院には行かないと言い張って、結局痛みを持ったままで治療なしとなった。そして、僕らの前では身体が痛い、痛いと口癖のように言う。どうして良いやら路頭に迷う。


5月9日(金曜日)
寒いやら、暑いやら
丸亀のチサンインで夜中寒くて目が覚めた。昨晩はエアコンを冷房に切り替えていたから、起き出して暖房に切り替えるのも面倒だし、布団の中で丸まって夢の続きを見た。天気予報によれば、関東以北は-24度の寒気団が降りてきて不安定な天候になると報じられていた。ホテルを出発する頃には丁度の気温となり、高速に乗って新居浜に向かう頃には少々暑くなった。新居浜のローソンで飲み物補給の時は暑いと感じた。12時前に新居浜を出発する頃には暑くて冷房を入れた。川之江では暑くてだるくて、スーパの駐車場で仮眠した。ついでにスーパーでアイスクリームを買って食した。元気を取り戻して、仕事を終えて午後3時に阿波池田に向かった。日差しが弱くなったが峠を越える所では、車の窓を閉めた。吉野川を登る国道33号線は窓を閉めたままでもOKだった。根引峠を降りて南国市に入ると蒸し暑くて窓を開けた。帰り道マクドナルドでレポート書いた。マクドナルドは冷房が入っていた。プールに寄って泳いだあと、サウナで一汗流した。体力があるうちはこうした環境変化に打ち勝つが、いつに日にか耐えられなくなくだろう。


5月8日(木曜日)
Skyline Japan Technics
1978年3月限定車として発売された日産の車。当時福岡に住んでいて、早速自転車を漕いで見に行った。僕の身なりはみすぼらしい格好だし、若かったので店員は相手にしてくれなかったが、真っ白な車体に色真っ赤なストライプが2本走り、天井には大きなTechnicsのカーステレオが取り付けてあった。当時も今もカーステレオはフロントのインテリアに取り付けられるのが常識。この非常識に僕は参ってしまった。アイスクリームを買うように、これ頂戴と言って注文した。店員は他の来店客には一生懸命説得して販売しようとしてたから、拍子抜けだったろう。若い新米のセールスマンが僕の担当となった。収入は十分あったから購入に際しこのセールマンは何の苦労も無かった筈だ。何でこんなことを急に思い出したかといえば、今カセットテープをデジタル化しているが、その中に「山口百恵の曼珠沙華」のカセットが出てきたのだ。これは1978年12月に発売されたアルバム。これを録音したカセットテープをスカイラインテクニクスで再生して九州中を闊歩していたから強く記憶に残っていのだ。阿蘇山の民宿を予約して、溜まった朝日新聞と電波新聞を静かな環境で読んだものだ。この車は、その後岐阜でスキーに行くのに活躍してくれた。この間彼女らしき人はいなかったので、もっぱら一人で音楽を楽しんだ。1991年残念ながら妻の兄が事故を起こし廃車になった。


5月7日(水曜日)
眠い
昨晩は十分に眠った筈なのに、今日は一段と眠い。車の運転中に眠くなるのが問題だ。眠さがやってきたと思ったら、その数分後にはもう耐えられなくなるほどの睡魔がやってくる。息を止めても、大きな声を出しても顔をひっぱたいても全く動じない。一体これはどういうことだろう。机の前で眠くなると、ちょっとした仕草で眠気が遠退いてしまうのだが。と、言うことで今日は午前中に一度、午後に一度車の中で睡眠をとった。若い頃は昼寝をしても夜はきちんと眠れたが、年取ってくるとよる眠れなくなった。そしてもっと年取った今では、また、若い頃と同じように昼寝に関係なく夜眠れる。それも午後8時を過ぎると急に睡魔が襲ってきて、何とか堪えても午後9時までが限界。床に就いてしまう。一体これはどういうことだろう。


5月6日(火曜日)
部屋の整理
約1年ぶりに何かをしなければならない焦燥感に駆られることの無い休日だ。本のスキャナーを終えて、大きな山を越えたからだ。次はカセットテープのデジタル化。こちらは余り手を食わないので、気楽だ。整理できてなかった部屋のレイアウトを変更して、LPレコード、LD、MD、CD、録画済みBDを一箇所にまとめた。大型の本箱が7個万杯となったが、部屋は一気に広くなった。やっと見た目にすっきり感のあるMy Room完成だ。この一年乱雑な部屋で落ち着かなかった。残すはオープンテープとそれを収納している本箱。カセットのダビングが終了すれば、これに取りかかれる。それが終われば、この部屋の整理は完成する。一年半くらいかかってやっとここまでたどり着いた。


5月5日(月曜日)
これからは風景を変える
本のスキャナーを終えたので時間が浮いた。その時間を使って家の周りの片付け作業に突入する。変わったと思える風景にするのだ。先ずは、前の家にある庭木。ここは本来畑のはず。そこに住人の婆さんがせっせと木を植えた。婆さんがなくなった後も木は成長し大木になった。今日はそれをすべて伐採した。切った材木は隣の畑で燃やした。随分元気良くも煙を吐いて燃えてくれたのでヘリコプターがやってきた。気のおけない村ですね。木を伐採してて気がついたのはこの木の下にいろんなものをしてていることです。婆さんも、父も、母も。農家の財産と呼べる土地に、何の躊躇もなくものを捨てると言う行為が、僕には解せない。両親の仕事に向かう姿勢はどうだったんだろう。その上、この畑には余りにも小石が多い。これではトラクターを入れるにもちょっとまずい。肥やしにならないビニールや鉄パイプ、生活雑貨の廃品をビニール袋に詰めたら、何とゴミ袋8個になった。もう一回見直し、本来の畑に戻すつもりだ。


4月27日(日曜日)
やれやれだ
友人からラーメンを食べに行こうとお誘い。彼らは魚釣に行ったが、不魚で急遽予定を変更してラーメンだ。ヤッシーパークあるこのラーメン店は味が良いので近所では評判だ。東京と同じく並んで30分くらい待って食べた。生ビールに丁度の味。気持ちの良い風が海から吹いてきて、初夏の陽気。港に中ではディンギーが来る夏本番に向かって練習してた。今日は、デジタルものの整理だ。せっかく取り込んだ、書籍やミュージックカセットはバックアップをとっておかねば大変なことになる。DVDとHDDに取り込んだ。ディスクのバックアップは、一階にある米の冷蔵庫で保管するつもりだ。地震や火災に一番強いのは冷蔵庫の中だ。βテープのダビングは順調に進んでいて、秋風の吹く前に終えるだろう。再生のデッキはソニーのEDV-9000だが、この画質はちょっと驚きだ。DVDのSPモードで記録するのが申し訳ない画質だ。80年代のMTVをダビングに差し掛かっているが、42型のTVで全く破綻がない。夕刻村の広報を各家庭に配った。近所とは言えロクに話をしたことがなかったので、丁度の機会を得たと前向きに理解。それから、風呂を沸かし、食事を作り、後片付けをしてやっと開放されたのが午後8時。今日も3時間ほど家事に費やしました。



4月26日(土曜日)

母を病院から来るバスに送り出し、台所の掃除をして、父を高知の病院へ連れて行った。帰りに友人宅に寄って、梅の実を渡した。梅干しを作るのが上手いらしい。帰って父の食事。少しうたた寝をして、母を病院から迎える。父のための風呂を沸かし、洗濯物を取り込みやっと開放。朝の6時半からみっちり詰まったスケジュール。プールに向かう。今日プールで多いに盛り上がったのは、僕の付けているソニーのウォークマン。おばさんが私も欲しい。年金を貯めて買おう。音楽を入れるにはPCが必要だよ。と言うのは無視。また余計な事に時間がかかりそうだ。泳いだあと外に出れば雨。自転車には厳しい雨。先ほどのおばさんが乗せて帰ろうか?またここにこなければならないので断る。少し待っても止みそうになく、雨に濡れてかえった。さっきまで水の中にいたから同じだろう!そんなわけにはいかない寒さだった。帰って父の食事を作り、僕も食べた。その後本のスキャナー。午後9時にその作業も終えて、アニメ「パリのモンスター」を見た。照明を落としPDPでみれば、誠に豊かな色彩の世界が目の前に広がる。モンスターとは、拡大する薬をかけられたノミのこと。労働のねぎらいにピッタリだ。


4月25日(金曜日)
寒風山を越えて
今回も愛媛県からの帰りに国道196号線を選んだ。寒風山トンネルの手前に採水場がある。車の後ろに積んだペットボトルに詰め込む人達がいる。僕は、この水で歯を磨いた。磨いたあと、とても気持ちが良い。水道水はかくも味覚を損ねてたのかと驚く。このトンネルは5.4km。一般道としては相当長い。このトンネルの向こうは高知県。一気に日差しが強くなり気温が上がる。下ったところで仁淀川に合流する。今日はカヌーの練習している集団を見かけた。結構頻繁に水の中に沈をしてた。ちょっと寒いような気もするが、その気持ちわからんでもない。この広々とした川で泳がないと言うのは冒涜のような気がする。この忙しさから抜け出せばウエットスーツを購入し飛び込むつもりだ。今年は春がなかった。寒い冬が明けると、一気に夏が来た。夜にはもうコウロギが鳴き、カメムシが窓に張り付き、みかんの花が匂う。一番良い季節がやって来た。高知県では、サイクリングとバイクのツーリングも見かけるようになった。都会からはちょっと遠いが、ここにくれば夏がある。


4月24日(木曜日)
ボブディラン物語
NHKのラジオでえらく深く広くボブディランを取り上げている番組がある。前回はサイモンとガーファンクルだった。アメリカの社会背景や、政治やイギリスのビートルズの影響とかを扱っていた。今回も風に吹かれて(Gone in the window)から分析が始まった。この歌は、ラジオで紹介されたとおりPPMの方が有名で、高校生の僕はこちらがオリジナルだと思っていた。ボブディランはスカだった。アメリカでもヒットチャートに乗らなかったとのことで、高校生の僕の感覚は正しかった訳だ。下宿生活をしていた土佐清水のK君が下宿のわびしさの慰みにこの歌を弾いていた。弘田みえ子も日本語訳で歌っていた。作家の吉村昭氏の訳。この歌を聞いて思ったのは「答えは風に吹かれて?」と歌っている。原文はanswer is gone in the window直訳は「答えは風の中」だが、タイトルに「風に吹かれて」と付けたので、やはり歌詞もそうせざるを得なかった苦しさがある。今週は英語のニュースや村上春樹の英訳小説を普通のスピード(当たり前のことだが)で聞いたので、歌について行けたのだ。ラジオはボブディランが音楽の上で常に進化していると紹介し、フォークにエレキギターを持ち込んだりして、ひんしゅくも買うが、アーティストからは、先駆者と崇められていたと。その点ではマイルスデイビスとも同じ。研究対象になり得る。先のサイモンといい、ボブと言いユダヤ人だ。頭の深さが違う。



4月23日(水曜日)

昨晩はよく寝たためか、今日は朝から爽快だ。レストランで朝食を撮る時横に座った外国人の英語も何だかわかるぞ。何処から来ました?と僕は日本語で尋ねる。「カルフォルニアから」。軽はずみに英語を使えばあとが大変だから、ここは日本語で。それはさておき、先々週検査に出した心臓の測定結果は不整脈に関しては問題なし。弁膜症は治療する。と薬を処方された。薬は血圧を下げるもの。僕の血圧は全く問題なく120-75だ。しかし、ここから圧力を下げて弁にかかる負担を落とそうとする処置だ。それから、酒とコーヒーが良くないとのこと。これは少し問題が大きいが、生きるためには仕方のないことと割り切るしいない。まぁこちらも片付いたことで一段落。あとは、左の奥歯が痛むだけとなった。


4月22日(火曜日)
朝からぐったり
体がだるい。いつも元気はつらつなのに、物凄く体が重い。まるで2時間ほど泳いだ後の感じなのだ。昨日は普段歩かないような12,000歩を歩いただけ。日頃は8,000歩位。たった4,000歩の違いがここまで効くか?もしそうなら、これが年齢か?普段は昼飯は軽く済ますのに、今日は空腹で、うどんをたらふく食った(高松に来ているので)すると、どうだ!腹が重くて歩けない。まるで蛇がネズミを飲み込んだあとのようだ。こんな調子で高速道路に乗ればやばいと思いながら仕事のため仕方なく乗れば、物凄い睡魔がやってきて、いくら顔を引っ叩いても眠気が覚めない。かといって次のパーキングエリアは20kmも先だ。顔が腫れ上がったところでやっと到着した。車を止めて1分後には眠ってましたね。夕刻ホテルでPCに向かって報告書を書いていたら、意味不明の文字が並ぶようになり、これは重症だと布団に潜り込んだ次第。この急に襲ってきた疲れは一体何だったんでしょう?
そして、これからも何度かあるのでしょうか?


4月21日(月曜日)
深読み
私の頭は深く物事を探求できないので、大体において表面を撫でているようなものである。先日内田光子(ロンドンで活躍するピアニスト)の録画テープを見ていると、モーツァルトのピアノコンチェルトK591の後でK593はとても弾けないとジェフリーテイト(指揮者)に伝え、モーツァルトピアノコンチェルト全曲演奏会の曲目を変更してもらった。と話していた。この二つの間には、モーツァルトの心情の変化があまりにも多すぎると言う。プロはそこまで譜面を読んで演奏するのか。もう一つ、村上春樹の小説を英語に訳して放送しているNHKの番組がある。この訳を巡って、外国人が翻訳した原文と、大学の先生が訳した文との対比で番組は構成されている。今回は「森の小人」で、小人が主人公に語りかける部分を取り上げていた。小人が主人公にこう話す「貴方とはいずれ近いうちに会うだろう」この会うの扱いの違いに解説がある。翻訳では運命的な力によって会う訳し方なのに、先生の方は、単純にまた会う訳し方だと。どちらも村上春樹の文章の意味は日本人にとって同じに理解できるが、英語圏の人たちが村上文学を理解する上では、先生の訳は本意が伝わらないというのだ。ネイティブでなければ書けない英単語が使われているようだ、と先生の評価。いずれも僕が到達し得ないレベルの深さの話。でも、こうした類の話には大いに関心がある。


4月20日(日曜日)
村の掃除
芸西村郷西部落の清掃日だ。私が班長で皆さんに集まってもらい、集会所の掃除をするのだ。男性は、外の草を引き、女性陣は集会所の中の拭き掃除だ。今日は7名が集まってくれた。欠席者は1,000円の罰金が科せられると言うのが効いたのだろうか?しかし不参加者は知らない人なので集金のしようもなく、結局私が立て替えて一旦落着となるしかない。案内のはがきに520円もつかい、班長はなかなか金銭的にも厳しいのだ。さて清掃だが、前回の班は外回りの清掃をあまり行ってないらしく、今回の草引きはなかなか厳しかった。私は北側の一番面積の多いところを引き受けて大汗をかいた。それでも50分で一応のめどがつき解散した。集会所のカギを持って次の班長の家に訪問した。地元の人は簡単に言うが、その人の家を知らない。訪ねていった先は、僕と同じで両親の面倒を見るために、息子が都会から帰ってきている人だった。簡単に引き継ぎしカギを渡した。その人も不安らしく、僕に質問されるが、僕だってわからないのだ。みんなの為とはいえ、結構しんどい。班長の外に、部落の会計を担当しているので、今度は子供会の為に相談があるとのこと。やれやれ。今朝早く起きて本のスキャナーを行い、完全ではないが、一応の終了宣言を出すことができた。こちらはうれしい出来事だ。


4月19日(土曜日)
豊かな食卓
今日はカッパ市でカツオの腹の肉(こちらでははらんぼと呼ぶ)と心臓がセットになったあらが売りに出されていた。うれしいことに毎週毎週違うネタが並んでいる。それと韓国かぼちゃを売っていた。かぼちゃといいながら、ウリのような姿で、たぶん食べ方も瓜と同じでよいだろう。いつもの友人2人が訪ねてきた。昼飯はどうか?久しぶりだ。気持ちは山々だったが、父の昼飯、母の病院からの迎えを考えると、断らざるを得ない。もう、自由な身ではなくなっているのだ。井上陽水のチケット代を払って別れた。こちらは日曜日なので、まだ時間が何とかなる。それで話は戻るが、今日の昼飯は父と一緒にこれを食べた。カツオは焼いて。味付けをしなかったがそれでも十分いただけた。かぼちゃのほうはゆでて、塩もみし、酢味噌で食べたら結構いけた。かぼちゃらしく瓜と比べると少し甘みがあった。こうして、初夏の食卓は温かさとともに次第に豊かになってきたのだ。スキャナーのため金曜の夜水泳を抜いたが、たった一回のことなのに、今日泳いだときは体が水と遊離したような感じだった。水になじむのに30分程度を要した。


4月18日(金曜日)
春の嵐
昨晩は伊予の保養所に宿泊していた。風呂が道後温泉のような設備で、なかなかくつろげるのだ。おばさんたちの団体が来ている。僕は10畳の和室に大量の書籍を持ち込んでスキャナーだ。眠くてダウンするまでスキャナーを行った。風呂は烏の行水で済まし、またもやスキャナーだ。一晩で40冊をスキャンした。午後11時たまらずダウン。夜中に雨の音で眠りが浅くなった。相当降っているな。でもこちらは電気毛布で温められたぬくぬくの布団で眠りをむさぼっているので気持ちが良い。朝起きてレストランに行けば娘たちがたくさんいた。おばさんたちも旅行に来て入るが、娘たちは研修の為に宿泊だ。ここは料金も安く、朝食はフリーバイキングなのでなかなかの穴場なのだ。高知への帰り道に西条から伊野に抜ける四国山脈縦断の196号線を選んだ。道路は直線がないが、2車線で時速70km程度は確保できて、高知まで3時間で帰り着いた。標高の高い峠には相当長いトンネルがある。瀬戸内海側と高知県側では全く天候が違う。北風は瀬戸内海側で雨を降らせ、南風では高知県側で雨が降ることがよく理解できるトンネルだ。高速道路を使う場合と比べて50分程度のオーバーで帰り着く。


4月17日(木曜日)
春の陽気Ⅱ
今度は四万十川で春の陽気に包まれている。吉野川と違い、風そのものが温かいと言うか、それを通り越して少し汗ばむ陽気なのだ。今朝もその前の日も朝方は車で暖房を効かせていたのだが、昼間は冷房に切り替えだ。まだこの川で泳ぐには早すぎるが、ウェットスーツがあれば可能かもしれない。旧中村市から江川崎の方に向かって20kmほど遡れば、水はきれいで流れも丁度良い具合になる。(カヌーのメッカ)今年は本のスキャナーで全般的に時間がなかったが、来年は挑戦できるかもしれない。川の流れに乗って下るは良いが、車までの帰りはどうしよう?そこの問題を考えてからの挑戦になる。もう一つは海と違い浮力が少ないので、泳ぐに差支えない程度の浮力を確保する方法を見つけなければならない。海だと沈むために鉛のウエイトを付けるのだが。その逆だ。10km程度の川下りとなるので、浮袋に着替えとか靴とかリュックとかを詰め込んで、腰に巻いたロープにつなぐ方法が今のところ有力だ。足のフィンと水かきのついた手袋の入手はもう決めてある。


4月16日(水曜日)
つばめ
我が家で新しく巣作りをしているが、なかなか巣ができない。木の桟に土がつかないのだ。それでせっかく運んできた燕の口で練った土が、ぽたりぽたりと、その下に止めてある私のクルマに落ちる。あまりかわいそうなので、木の桟の下に少しだけでっぱりをつくり、土が落ちないようにしてあげた。燕は巣をつつかれると、もう来なくなると父は言ったが、この燕は夜もこの家に泊まりに来ているし、関係ないようだった。考え方がいわゆる現在風なのだ。まぁこの燕夫妻は私が家にいるときは四六時中顔を合わしているので、危害を加えないおじさんとして馴れっこなったのかもしれない。生まれは芸西村でも、半年は南の国で過ごす半外国鳥なので、果たして日本人の感覚をこの燕たちは理解しているのかどうかわからないが。


4月15日(火曜日)
春の陽気
吉野川の左岸の堤をさかのぼっている。丁度食事時だったので、道中のコンビニで弁当を買って、堤に腰かけて吉野川を眺めながらいただいた。上ではひばりが警戒心を露わに鳴きまくっている。ひばりは地面にある巣の上にホバリングして鳴くので巣がどこにあるのか見え見えなのだが彼らは気が付かない。教えてあげるにも方法がない。弁当を食べると途端に眠くなった。車の中で昼寝。時間は止まりそよ風が流れる。


4月14日(月曜日)
スメタナと言えば
「わが祖国」。今話題になっている東欧の国のはなし。この演奏はラファエル・クーベリック指揮チェコフィル管弦楽団か、ノイマン指揮かどちらかが定番だ。昔はNHKずいぶんと頻繁にクラシック番組の放送をしていたので、91年11月2日にサントリーホールで録画した映像がβテープで残っている。そこでダビングしながら映像をチェックした。演奏は話題になるだけの価値のあるものだった。クーベリックさんは時折笑顔を見せながら指揮をしている。楽譜を見てこの音楽の深さを理解できない私としては、演奏の山をうまく乗り越えたという譜面部分がわからないが、クーベリックさんの笑顔はそんな時に出ているようだった。そして、映像もさることながら結構いい録音なのだ。抜けるような高域がしっかりと録音されている。テレビのスピーカーで聞くのが申し訳ないほどだ。


4月13日(日曜日)
日曜日も忙しい
朝から雨が降り続き、日付が変わるころ止んだ。家の裏にはタケノコがあちこちに生えてきて、早く頭を切らないと大変なことになるとは思うものの、雨に濡れるのが嫌で本のスキャナー作業を続けた。一昨日タケノコご飯を炊いたが、少々固く失敗。カツオなどだしになるものを入れるのがポイントだろう。それで魚屋さんに行くが今日は生憎とカツオは魚屋さんに売ってなかった。ニュースではカツオが不魚との報道があったので、村の魚屋さんも、カツオは高くてリスクを伴うので買えないと言うことだろう。スキャナーの後は雨音を聞きながらアイロンがけ。そのあとラジオ英会話、昼寝。ホームページの原稿書き。プール、買い物、夕食、風呂沸かし、βからのダビング。と休む暇なく駆け回り今日のスケジュールを終えた。もう少しでこの生活パターンが変わる。と思う。


4月12日(土曜日)
サバ
朝、カッパ市場(村の運営する農家直売市場)へ行くと、アジとサバが大量に並んでいた。サバは2匹で200円だ。早速買ってきて、一匹は刺身に、一匹は焼くことにした。最近は魚の3枚おろしもだんだんと上手になってきて、真ん中の骨にあまり身が付かないように下すことができるようなった。皮をはぐこともできるようになった。片身の真ん中に小骨がありますね。これは、ラジオペンチで抜きます。以前は毛抜きのようなものを使ったが、これだと旨く力が入らず、滑ってしまう。てこの原理を使ったラジオペンチなら間違いなく骨をつかんで引き抜くことができます。それを昼飯に父と食べた。こりこりとした触感があり旨かった、これなら食あたりになることはないだろうと確信した。もう一匹はこれも3枚におろして焼いた。真ん中の骨の部分も焼いた。上手になったとはいえ、まだ少し身がついているので焼けば食べられる。こうして、昼は豪華なサバづくしとなった。プールで2km泳いだあと、再び本のスキャナー作業。だんだん終了が見えてきて、4月28日をめどに終わることができそうだ。そのあと午後10時から映画「ドライバー」を見た。意味ありげな主人公のクールな笑いが魅力だが、その割に最後は不用心で交渉相手に刺されてしまうし、6万ドルのお金も残したまま去って行くのが解せない。


4月11日(金曜日)
つばめ
この家には僕の留守の間にもいろんな人が出入りしている。多くはヘルパーさんだが、看護の人も来ている。それから僕の仕事の関係の荷物を持ってくる宅急便屋さん。問題はこれらの人びとは律儀な人たちばかりで、倉庫のドアをきちんと閉めて帰られる。ヘルパーさんにはドアは閉めないでと頼んでいるが、どうも徹底されないようだ。倉庫のドアがきちんと閉められると燕が入ってこられないから問題があるのだ。今年も昨年の番(つがい)だろうか早々に来てくれたのに、ドアが閉められているので、見かけなくなった。昨年子供を孵した巣は11月の燕がいなくなった頃ぽたりと床に落ちた。今年はどうするのだろうか?もっと古い巣は後一つ残っているのだが。遠いところから旅してきて高知県のとある一軒をどうやって見つけるのだろう。ともかく、よその家ではもう巣をつくっているところもあるから、我が家のほうも急いでもらわないと。夏の間に2回雛を孵すから、早くしないと僕みたいに定年後も子供を育てなければならなくなるぞ。


4月10日(木曜日)
100点満点
話は少し古くなるが、今週の月曜日の朝。1週間遅れのラジオ基礎英語3の昨年度の最終版を聞いた。毎月最終の日は聞き取りと書き取りのテストがある。それが、何と今回はパーフェクトだったのだ。こんなこと初めてだ。毎日英語に費やす時間は30分程度。疲れてないときは風呂の中で読む英語の本の15分程度を足しても、45分。毎日1時間も時間をかけてないのだ。でも、この6年間ラジオのリスニングを続けてきた成果か。なんだかすごくやりがいみたいなものが湧いてきた。本のスキャナーが終わる5月からは英語の為に毎日1時間程は使えるようになる。何とか映画だけでも字幕なしでわかるようになりたい。これも先日の話、車の中で英語の「ナイチンゲール物語」を聞いたときは、よくわかった。使う単語の難しさ程度によって理解は違うが、時々このように不思議なことも起こるようになった。それで自宅に帰り、気分を良くして内容をよく知っている先日も上映した映画007「カジノロワイヤル」を見たら全く理解できなかった。それとは関係ないがボンドガールの「Eva Gaelle Green(エバーグリーン)」と萬田久子は似てますねぇ。


4月9日(水曜日)
24時間心電図
不整脈の検査に体に張り付けた心電図。昔は記録媒体にカセットテープを使っていたが、今はメモリーだ。軽くなり、寝ているときにこれにより目が覚めることはなくなった。こちらの分析は来週になるとのこと。超音波検査をして判明したことは、心臓の弁がうまく機能しなく、血が逆流しているとのことで、心臓の4つの部屋の内、一つがこの逆流を受け止めるために大きくなっているとの事だ。また、ポンプをつかさどる1つの部屋は異様に筋肉が厚い。これが運動によるものなのか、別の原因なのか不明とのことだった。病名は弁膜症。競輪選手に多いそうだ。??水泳と自転車は僕の得意とするところだ。4年前は週に2回ほど往復70kmを自転車で通っていたのだ。最近は月に30km弱を泳いでいた。もうおっさんの年を過ぎているのに、こんなにスピードを出して大丈夫かと心配していたら、実は大丈夫でなかった訳だ。年と共に体も衰えていたのだ。


4月8日(火曜日)
また一つTechnicsの火が消えた
朝、友人の訃報を聞いた。病気で臥せっていたから、生きているうちに家に来てくれて、お好み焼きのパーティーをしようと誘われていた。大阪に出る3月の会議が4月に延期になり、その会議は日帰りとなって訪問できなくなった。それで、また訪問が伸びるので、友人には言い訳をしなければならないと電話したのだ。それが、今朝なくなったと奥さまの弁。大阪の日本橋担当していたころ、この人は月に2,000万円ほど販売してくれた。一人でこれだけのステレオを個人の客に販売するのだ。飯を食う暇がないと嘆いたこともある。そうだろうな。土日は一日に15人の伝票を書くとのことだった。デモ用のカセットテープか、CDを一枚持って販売していた。もっと多彩な音楽が必要だろうと思ったが、全く問題ないとの事だった。プロの販売員はそんなもんだろう。その後、僕が大阪の営業を担当している頃は、ほんとあちこち行ってもらった。あちこちに行ってもらっても全く安心してお願いできた。行く先は量販店だろうが、個人のナショナルのお店だろうが関係なく販売してくれた。彼の半生は僕の半生とダブル。仕事の関係が切れてからも付き合いは続いて、僕が大阪に帰ってきてからは難波で飲んだ。先にも書いたが僕はソフトに固執したが彼は仕事を離れても頓着なかった。テレビ放送はレコーダーに記録して、見るとすぐ消しているとの話。僕は録画したものは全てディスクに残している。いろんな面で違っていたので、酒を飲んだ時はずいぶんと主張の食い違いを議論したものだ。最後のお別れを言えずに終わったことが恨まれそうだ。

4月7日(月曜日)
お弁当
最近昼を食べると夕方まで胃がもたれてしまうから、昼食はパンとミカンとか。サンドイッチと野菜ジュースとか軽いものにして、夕食を重くしている感じだ。しかし、テレビかラジオか忘れてしまったが、パンの中に不活性材が入っていて、これをたくさん摂取すれば、体に変調をきたす旨の情報を得た。生活習慣病を言われるが、これは毎回同じものを食っていることから起こる病気。だから僕の昼食は大いに問題ありだった。そこで今日は心機一転、軽い食事を物色すれば岡山のスーパー「ハローズ」に揚げ物を使わない弁当298円があった。398円は揚げ物たくさんで重量もずっしりしているが、こちらは持っても軽い。これならと買って食べた。なかなかヘルシーだ。だが、どうもこれだけだと物足りなくなって、またスーパーに出向き「キャラメルコーン」と「スプライト」を買った。なんのこっちゃ、普通の昼食をすれば良かった。バカなことをしている。時にこの「キャラメルコーンとスプライト」は同じころ発売されて、門真の寮の屋上で食った。昭和72年の頃5月の話だ。なんで記憶が鮮明かと言えば、この日はストが発令され、会社に行ったがすぐに帰らされた。それで、門真のダイエーでこの新製品を買ったのだ。初づくしだったので覚えている。

4月6日(日曜日)
YAMAHA CA-1000Ⅱ
新居浜のハードオフで見つけてきたこのアンプ。27,000円。マルチチャンネルの高域側のアンプを飛ばして、とりあえずのプリメインアンプでしのいでいたが、やはりきっちりとしたアンプで演奏したいと思いこのアンプを購入した。このアンプには思い出がある。まだ20歳前後の頃、小田急ショウルームに勤めていた。お客様に呼ばれて自宅を訪問したのだ。確か音響システムを見るためだった。イレギュラーな判断だが、カメラも趣味だと言う大学生に惹かれて訪問したのだ。車で迎えに来て下さった。車は赤のアルファロメオ。住所は世田谷区だった。いわゆるお金持ちのボンボンですね。そこにでんと鎮座していたのはヤマハのCA-1000だった。スピーカーのサブにTechnicsが使われていたと思う。この部屋は天井のロールシートを下せば、人物撮影用のバックパネルになるスタジオでもあった。見るもの全てが感動の嵐だった。それで、このアンプはいつの日か手にしたいと長い間思っていた。ヤマハはナチュラルサウンドが特徴で、低音はともかく高域に爽やかな抜けの良さがある。早速試聴した。AUX入力では、どうも低域のウーハーとのつながりが悪かったが、メインアンプダイレクトにすれば、あの爽やかなナチュラルサウンドが聞こえてきた。いつまで経っても聴き止められない麻薬のような音だ。古内東子「魔法の手」をかけて腰を抜かした。これは誇大でもなく素直な表現だ。これぞ、46cmウーハーを持つ大型システムでなければ聞けないすごい音だ。我が家にお越しの節はこれを聞かせてあげよう。

4月5日(土曜日)
PS3
どんなに要領良く家事をこなしても、開放されるのは午後4時過ぎ。友人がみかねて、明日の昼食を誘ってくれた。母のボケは進み、台所を歩くスリッパで外も歩くから、台所の汚れが激しい。雑巾がけは真っ黒になる。雑巾は裏表を使い一回こっきりで捨てている。ダイソーさんが安価なタオルを提供してくれるので助かっている。本のスキャナーの終焉が見えてきたこともあり、自由に使える時間のすべてはスキャナーに投入。午後10時まで。風呂に入った後映画「カジノロワイヤル」を観た。途中でBDが再生できなくなり、プレイステーション3からDIGA BZT600に切り替えた。びっくりした。プレイステーション3とDIGAでは全く映像の切れが違うのだ。画質は圧倒的にPS3に軍配だ。一方DIGAでは問題なく再生できたので再生能力はこちらに軍配だ。テレビが古いのでHDMI端子がなく、両方ともD端子ケーブルで見ているから、DIGAには不利だったかもしれない。疲れているのにこの作業ですっかり目が覚めてしまった。PS4が発売されてるが、画質はどうだろう。


4月4日(金曜日)
不整脈
ここ一月ばかり不整脈に苦しんでいる。コーヒーやコーラーを飲めば余計ひどくなる。そこで香川県の病院を訪ねた。高知にはいい病院がおおいが、土日は両親の面倒を見なければならず病院へゆくことは不可能だ。それで仕事の合間に通院できる病院へ行った。あまり綺麗な病院ではないが、消防署の目の前にあり救急指定病院だから、まぁ良しとするか。レントゲン撮影では心臓が普通より大きいとのこと。通常人間の横幅に対し50%以下だが、私は52%もある。スポーツ心臓はこれくらいあるから断言はできないと言う。その後血液を採取した。心臓疾患は血液でも現象がでるそうだ。心臓が疾患を守ろうとホルモンを出すからその値を調べれば疾患の度合いがわかると言う。不安を抱えながら帰宅し、プールで軽く1.2km泳いだ。泳いだあとは、やはり気分が良い。


4月3日(木曜日)
船乗りの兄ちゃん
西条と新居浜の間に港がある。大型のフェリーが停泊している。昼間通過する時いつも見かけるので、今日は国道から少し逸れて確かめに行った。フェリーは大阪に深夜に向かい、翌朝南港に到着するものだった。料金は6,000弱で、高速バスの方が安くて早い。果たして需要は如何ほどか。そこへ、このフェリーよりずいぶん小さいが力のありそうな船が到着した。船長は40歳前の働き盛りの兄ちゃんだ。声をかけてみた。この船は大型船を引っ張り港に着岸させる働きをするとのことだ。瀬戸内海から出ることはないだろう?と尋ねれば、そうでもなく、外海にも出かけるとのこと。このタイプの船は船底が浅いので、外海はしんどいだろうが、この若さがあれば、随分と無茶もできるだろうと思いましたね。港は風が強く声が途切れ多くは話せなかったが、気持ちの良い若者だった。そう言えば、先々週も室戸岬でお遍路をしている大学生に会った。こちらも元気を貰えた。この夜、三豊市の海沿いの旅館に宿泊した。まるでペンションみたいなムードを持っている。僕の他には、気品のあるおばさんが2組。やっぱり洒落た作りは女性がやってくる。目の前に大きな鳥居があり、トイレの便器がこれに向かって放尿する造りであり、少し閉口だ。ここで本のスキャナーを


4月2日(水曜日)
道後温泉
松山に宿泊する時は、いつもこのホテル中川さんを利用する。婆さん一人だったが、今日は高校を卒業したばかりの美少年が従業員として働いていた。僕の荷物を持ちましょうとか凛々しい働きぶりだ。若いのはいいね、腰が重くなくて。食事はなく、風呂だけが取り柄。なんせ、「もののけ姫」に登場する湯屋から、50mと離れてない立地条件だ。すこし部屋はきたなく布団も怪しいが、電気毛布持参なので寒さ対策は十分だ。この電気毛布では弘前の共同浴場併設の旅館で-10度の室温でも耐えることが出来た保証付きだ。この6畳の和室で例によって本のスキャナー。和室での作業は腰の負担が大きい。もうこれ以上耐えられなくなった段階で煎餅布団に横になる。柔らかくない布団が返って有難い。


4月1日(火曜日)
空白の時間
ローソンでコピーをとった。コピーが終わると、「原稿、コピー、領収書をお忘れなく」と、コピー機がしゃべる。その通りにチェックしたのだが、今日は切手を買うことに頭が向かっていて、すっかりコピーを忘れたまま店を出てしまった。目的地に着いてからコピーが無いぞと騒いで、ローソンに電話をかければ忘れ物があるとのこと。何ともはや。信じられないような失態だ。そしてこの事は2度目で、財布を忘れた事を含めると3度目だ。忘れ物につては意識をしているのに、何時の間にか無意識にことが進んでいる。この空白が恐ろしい。本をスキャンしているが、同じ本を裁断しているにもかかわらず、スキャンする時に気が付く始末。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」はまだ僕が20代に読んだ本だが、これも2巻あった。年老いて物忘れが激しくなったとは言えない年齢の話である。記憶が飛ぶのは今に始まったことではないのだ。この先、基本的な資質に、年齢が加算されれば、一体どんなことになるのだろうか?不安だ。