COLUMN

      作品世界の補完
9    20000705▼作品設定『シリー・ウォーへの道』(5)その戦い
20000705▼作品設定『シリー・ウォーへの道』(5)
 
 
 
シリー・ウォー、理由なき戦い@
 
 
 
 シリー・ウォー、無邪気な戦争。
 SILLYとは、愚かさ。精神上の欠陥はないが、常識に外れた行動のこと。
 なぜ、この戦いは無邪気であり愚かなのか。
 なにひとつ戦う理由のない戦争だったからだ。
 
 ペリペティア事件以後、回廊星域・四十九王国の王族同士の争いは沈静化し、フリースラント市民共同体、カレリア共和国にトランクィル廃帝政体も加わって国際平和機関が設立され、恒久的な平和を模索する活動が端緒につこうとしていた。回廊星域には友好的なムードが漂っていた。
 しかしそれでも戦争は勃発した。各国はそれと知らぬまま、ふと気づいたときには残虐な戦乱の渦中に投げ込まれていたのである。
 起こるはずのない戦争が、起こってしまった。
 もともと、起こる理由のない戦争だったからである。
 ジルーネ・ワイバーというひとりの無邪気な少女が、まるで手袋でも買うように、さりげなく始めた非情の大戦。
 それが、銀河の存亡をゆるがすシリー・ウォーである。
 
 戦争とは、なにか。
 戦争勃発の、表向きの原因は、突き詰めると単純だ。
@迫害への復讐……強い相手国から迫害され、被害を受けたことに対する復讐心に起因する。そこから相手国への嫉み、恨みや不公平感など怨恨の連鎖が始まり、戦火が拡大する。
A 正義感による介入……相手国のあやまちを正すために、軍事力に優る国が世界平和のため鉄槌を下す、といった、正義感や懲罰心に起因するものである。
 力の弱い者が強い者の傲慢を憎み、力の強い者が弱い者の愚行を憎む……という弱者と強者の間に生じがちな感情の齟齬が拡大し、戦争に至る。私たちの日常の喧嘩と、さほど変わりない。世界史の戦争当事国を個人に置き換えれば、わりとすんなり理解できる。
 しかし原因はどうあれ、戦争行為は次の一点に集約する。
 「資源の収奪」である。戦争を始めた理由がどんなに高貴な理想によるものであったとしても、やっていることは、相手国の人命・領土・生産資源の収奪に尽きる。ゆすり、たかり、ひったくり、窃盗、居直り強盗、放火、強姦、殺人といった犯罪となんら変わりはない。開戦の理由がいかなる美辞麗句で飾られようと、その行為は巨大な泥棒にすぎないのだ。
 戦争の結果は、勝った国と敗けた国、という関係でとらえられがちである。
 しかし戦争には、勝者も敗者もない。スポーツではないのだから、勝ち負けを判定するレフェリーはいないのだ。
 戦争にあるのは、奪う者と奪われる者の二者だけである。
家族がひとりも戦場に行かず、安全に生活し、戦争によって富を築き、豊かになった一族。その一方、出征した家族を失い、戦災で財産を失い、貧困と不幸から立直れない人々がいる。
 勝った国の中に、奪う者と奪われる者がいる。
 敗けた国の中にも、奪う者と奪われる者がいる。
 当事者ではない中立国でも、奪う者と奪われる者がいる。
 国家ではなく個人レベルで戦争をとらえれば、他人に戦争をさせて利益を得る個人と、他人に戦争をさせられて、生命まで奪われる個人がいる、ということだ。
 ここに戦争の恐ろしさがある。もしあなたが、奪われる側ではなく、奪う側に立てるとしたら、あなたにとって戦争は、まことに魅力的な収益事業と化してしまうだろう。戦争は投資の対象となり、その残虐性は霧のようにかすんでしまうのだ。
 手下のポケモン同士を戦わせてその戦果をゲットし、自らは戦いのリスクを負わないマスターは、ひょっとして::?
 では、人類全体をまとめて戦争をとらえると、どうか。
 どの国が勝とうが敗けようが、そこに残るのは資源の浪費だけである。巨額の戦費を出費した結果は、人命の殺傷、自然の破壊、生産資源の蕩尽のみであり、ただ巨大な「消費行動」があるだけなのだ。
 人類は死神のデパートへ出かけ、そこで財布の底をはたき、さらに借金までして、死と破壊を購入しているのである。
 戦争を始めるのは簡単だ。しかし終わらせるのは大変で、その後始末はもっと大変だ。
 戦争中のある時期だけをとらえると、当事国の生産性が向上したかにみえるが、戦後の後始末の期間も通算すれば、人類の経済収支は大赤字のはずである。戦争によって科学が発達し、人類はより豊かになった……といえるのだろうか。二十世紀の百年を決算し、戦争に起因する死傷者数や難民の数と、生活が豊かになった人の数を比較してはどうか。この百年に戦争に消費した資源とエネルギーと人材を生産に振り向けていれば、今ごろ月面にホテルが建ち、別荘が分譲されていただろう。戦争がなければ、人々の関心は教育や旅行や不動産購入に向き、新しい産業が科学の発展をリードしていたはずなのだから。
 
       
                        
 ま る で 手 袋 を 買 う よ う に  
                        
 さて、目を未来の銀河系に転じよう。
 戦争の起こる原因は、未来の銀河でも大差ない。
 恒星間航行に使うエネルギーと資金を弱者救済に振り向ければ、戦争の原因の多くを取り除くことができる……ということも、たいていの国家は理解している。ほんのすこしの理性があれば、星間戦争は容易に回避できるのだ。戦争をするのを面倒がり、新しい惑星の開拓を面倒がらなければ、はじめから戦争をする理由などないのである。
 それでも、戦争は起こった。なぜか。
 戦争が人類の巨大な「消費行動」であることに、ジルーネは注目した。経済的に人が豊かであることは、より多くのものを消費できることにある。つまり、贅沢の追求。電気・水道・ガスといったエネルギーインフラの消費。高価なグルメ、宝石、邸宅、居城、広大な庭、島の所有。酒池肉林の饗宴。自家用機に自家用ヨット、自家用航宙船……私たちが夢み、より豊かになるための消費行動。エネルギーと資源の野放図な蕩尽。それを極限まで拡大すれば……。そう、つまり、最も無意味で最も贅沢な消費行動とは……戦争。
 裕福な支配階級にあって洗練された人々が望む、より豊かな消費生活を、さらに深く、さらに大きく追求した先に「戦争を楽しむ」行為があることを、ジルーネは見抜いていた。
 そしてジルーネは、望むすべてを手に入れ、銀河で最も豊かな支配階級にあることを運命づけられた少女だった。
 だから、当然のように、ジルーネは「洗練された人間が楽しむ、最も贅沢な消費行動」に手を染めた。
 まるで、手袋でも買うかのように。
 彼女にとって、お買い物と戦争は、まったく同列の消費行動だったのである。
 かくして、シリー・ウォーズが幕を開ける。
 ときにジルーネ・ワイバー、十六歳。
 フレン、十九歳のときである。
 
 シリー・ウォーズは過去の人類のすべての戦争と同様に、戦術的勝利が戦略的勝利に直結するとは限らない。正義の少年少女が戦闘に勝って悪を滅ぼせば、それでめでたしとはならないのだ。
 華々しい戦闘の陰に、歴史の重要な局面が描かれぬまま、埋もれている。それらに目を向けてみよう……
 
         
              
 正 義 な き 戦 争  
              
 作品としてのシリー・ウォーズは、戦争を描くスペースオペラである。つまり、人の死ぬ話である。
 題材が戦争である以上、きれいごとではすまされない。生死のリスクを承知した戦士とか魔導師だけが戦って済むことはない。敵兵士だけがロボットや怪獣で、いくら殺しても良心の呵責はないという都合のいい状況もありえない。現実の戦争がみなそうであるように、犠牲になるのは無辜の一般市民であり、家族や恋人が敵に回ることもありえるのだ。たまたま人が殺されずに済む戦いがあれば、それは単なる僥倖でしかない。
 シリー・ウォーズは過去の人類のすべての戦争と同じように醜い戦争なので、正しきヒーロー・ヒロインは存在しない。
 そこにいるのは、過ちを犯す人間であり、個々人の差は、犯した罪を償うか、償おうとしないかという差だけである。
 勇敢な艦長と臆病な艦長。謙虚な将軍と傲慢な将軍。温厚な領主と狡猾な領主。抵抗する革命家と迎合する革命家。挺身する看護婦と毒を盛る看護婦。我慢強い尼僧と蹴っとばす尼僧。木を植える庭師と焼き払う庭師。真理を追う学者と私欲におぼれる学者。信念の芸術家と権力に媚びる芸術家。哀れむ者とあざける者。天使と悪魔。善と悪。条理と不条理。
 それらの要素が錯綜し、なにが賢く、なにが愚かなのかは、賢明な読者の判断に委ねられる。
 
       
                  
 水 面 下 の 開 戦 工 作  
                  
 戦争は、開戦前から始まっている。緒戦を有利に進めるための経済戦に情報戦。国家を戦争の泥沼に引き込む謀略の数々。各国の大使館で、王宮で、そして宇宙の星間航路で、秘密裏にして非合法の、沈黙の戦いが幕を開ける。
 大使が、王女が、諜報員が、企業が、科学者が、そして騎士や魔導師たちが、各国の思惑を心に秘めて静かに動き出す。
 戦うからには、勝たねばならない。戦う前に、敵を凌駕する戦略兵器を手にしておくことだ。そして対立する二つの国が、互いに相手に勝てる自信を持ったとき、双方の死神は国境で握手をかわし、相手国に斬死の鎌を降りおろすだろう。
 シリー・ウォーズ本編の前にある物語、『葡萄園のフレン』は戦略兵器としての酵母菌をめぐるジルーネの謀略を、そして『吹け、南の風』は開戦前の通商破壊をもくろむトランクィル廃帝政体の秘密作戦を背景に、開戦前夜の冒険を描く。
 
       
                
 激 突 す る 軍 事 力  
                
 開戦劈頭、《連邦》の大無敵艦隊は大挙して回廊星域に殺到し、怒涛の進撃を開始する。
 不意を衝かれて混乱する各国艦隊。それらを支援する立場になるトランクィル星海艦隊は、いかにして《連邦》の大艦隊に対処するのか。
 互いの軌道を交差させて、何日も何週間もかけて射ちあい、離れ、また射ちあう艦隊戦。戦場空域に近い惑星からは、晴れた夜に双眼鏡で、その全貌をながめられる。天球の端から端まで、雄大な円弧を描きつつ、高エネルギービームを交錯させる無数の戦闘艦艇。戦艦の防御バリアをかいくぐって肉薄する艦載爆撃機。猛射する軌道要塞砲。夜空の美しい星々を圧して爆光が瞬けば、戦闘艦とともに数百数千の人命が消え失せる。かたずを呑んで見守る人々。もし防衛艦隊が破れれば、敵の攻城砲がこの惑星に向けられるのだ。一方の戦力が尽きるまで、ひたすらに激突するミリタリー・パワー。
 スターウォーズ型スペオペにつきものの、華麗な艦隊戦。しかし勝敗を決するのは、かならずしも兵器の性能と艦長の精神力だけではない。この戦場につながる情報網と補給網、メンテナンスとロジスティックスの力も重要な役割を果たす。補給物資を生産供給する惑星やコロニーの工場、輸送する商船隊、船大工(シップビルダー)のつわものたち。人・物・金・時・情報、それらを総合した戦略マネジメントの力が結集してこそ、大規模な艦隊戦に勝利することができるのだ。
 
       
                  
 戦 場 空 域 の 跳 梁 者  
                  
 艦隊戦の終わった空域。暗黒の宙に漂う遺棄艦艇。そこに死の静寂を破って活動を開始するのは、遺体を回収する葬祭法人ヨミ・クーリエ社、遺棄船を解体するサルベージ業者、そして優秀な遺体のDNAをかすめ取る医療法人ゲルプクロイツ社のジーンハンターたち。
 死と破壊の空域を跳梁跋扈するかれらは、いわば戦争の後始末屋だ。生命も物質もひっくるめて、戦争というばかげた消費行為がゴミのように残したものを片付け、あるいは盗み取っていく。良心的な人々もいれば、悪徳業者もいる。遺棄された艦艇の自爆装置が生きていれば、それは死の罠だ。しかし重要な軍事機密や戦略物資が隠されていることもある。危険なお宝を狙って、星域犯罪組織ギンバエのエージェントが忍び寄ってくる。戦闘の終わった戦場空域は、死者の亡霊とともに、生きた悪霊もさまよう、不気味な空間でもある。
 遺体は別にして、この空間から回収された物資の多くは、中立国の市場に流れ、取引の対象となる。軍事機密を秘めたベテラン軍艦の電子脳が、船籍未登録の非合法船舶に流用される、といった事態も生じる。戦場空域は船の墓場だが、死んだ軍艦の魂がここから抜き取られ、めぐりめぐってポンコツ貨物船に宿り、その乗組員を守ることもあるという。人間だけでなく、船にも独特の魂があるという伝説は、古参の船乗りに信じられている。かならずしも迷信とは言い切れない。船を動かすのは船長だけではなく、乗組員の集団意思が影響する。長年のうちにその集団意思が船の電子脳に宿り、船の運命を左右していくというのだ。
 
       
                    
 武 器 な き 人 々 の 戦 い  
                    
 圧倒的な敵に包囲されたとき、その国家は苛酷な決断に直面する。あくまで戦って滅びるか、降伏して屈辱に耐えるか。小さく、弱く、平凡な国々は、常にこの恐怖にさらされてきた。これは私たちが、街角で突然、いわれのない暴力にさらされたときと同じだ。武器もなく、警官も見てみぬふりをするとき、私たちになにができるのか。この問題は事態のスケールが銀河規模に拡大したとしても、本質は変わらない。
 《連邦》の巨大な軍事力に蹂躙される回廊星域の諸国。抵抗か屈従か。友邦とともに戦うか、裏切るか。国家と同時に個々人の人生が、そこで選択される。
 開戦の瞬間に孤立した小国フリースラント。元公女レイティアは航行中の自国客船を守り、主力艦隊を亡命させるために、大公家の艦艇に悲痛な命令を下す。
 戦うのは軍隊だけではない。武器を持たない民間人も、切実な戦いに巻き込まれる。帰るべき国家を滅ぼされて、宇宙をさまよう民間船。交易を断たれるコロニー。爆発的に発生する難民。迫害される人々。そうした人々の、戦場からの脱出と生命の安全を確保するために、だれに、なにができるのか。
 殺すための戦いではなく、救うための戦いに参加する人々。 失うものすらない天涯孤独のフレン。償いの日々を送るキャルとティック。トナカイ艦隊を率いて、機雷除去に生命を張るケルゼンやガーラント。じゃじゃ馬商船隊(フラッパーズ・コンボイ)を指揮して封鎖を突破するソアラ・ファラウェイ。ボランティア活動で大損する義勇海賊ラシルの息子。舳先舵手をつとめる子供たち。クラリス記念病院やララ基金病院の看護婦たち。非武装で航宙灯台の燈をかざし続ける灯台守……
 そして、どこにでもいる普通の人々。かれらはごく普通の日常を守るために戦う。職場に出掛け、学校に出掛け、働いて、学んで、報酬を得て、知識を得て、友人たちと冗談を言い、家族で食卓を囲むというあまりにも普通の生活を守るために。これは戦争がなくても十分に大変なことである。
 かれらは戦うが、その相手は敵国の人々ではない。「戦争という現象」そのものが敵なのだ。かれらの戦いは地道で泥臭く格好悪くて、ときには滑稽ですらある。それでもかれらの行動は、戦争という巨大な消費行動に対抗して、人類の収支を黒字にする努力であり、かれらが守るのは軍や国家というちっぽけなものではなく、人類のプライドそのものなのだ。歴史の陰で脚光を浴びることのないかれらこそ、シリー・ウォーの真の主人公である。
 
       
闇 に ひ そ む 悪 魔 製 造 計 画                   
 ゲルプクロイツ社がひそかに進める『生命樹』計画。天使に準じる生命体である救世主を探し出し、そのDNAから天使の遺伝子を抽出して、悪魔を創りだそうという。文字通り悪魔的なプロジェクトだ。その開始後数百年を経てなおも、計画は着実に胎動している。神や天使でなく悪魔(ルシファ)を創ろうというのは、悪魔なら人間との契約関係が成立し、ゲ社の顧問なり相談役に迎えることができるからだ。
 この計画はシリー・ウォーに並行して、年令不祥のバケモノ学者スカーリア・キルシュバウムの指導で進められている。スカーリア女史は、殺した人間から脳を抜いてゾンビ軍団を組織し、抜き取った脳味噌を自分の魔的能力に活用し、この世に死者の王国をつくる、という趣味に取りつかれている。相当にマッドなおばさんである。身内が《連邦》の情報相に抜擢されて、ジルーネ嬢との関係も深いらしい。
 この手の悪魔製造計画を荒唐無稽と笑うのは簡単である。
 しかし、悪魔の存在を笑うならば、戦争をはじめとする人類の数々の悪業をどう説明するのか。ときとして若者を支配するカルトな狂気や、魔的としかいえない残虐な犯罪は、なぜ起こるのだろう。「魔がさす」というように、私たちの日常社会に悪魔的な気≠ェ潜んでいないといえるだろうか。ある一瞬、それまで理知的だった人々を狂暴な殺戮へと走らせる、戦争という名のフィクションの正体は何なのだろう。ひょっとして、人間こそいかなる悪魔よりも残酷ではないのか。
 悪魔の研究は人間の精神の解明に通じるものがある。悪魔の正体をつかみ、人の心に宿すことができれば……いかなる正義の人々も悪におとしめて、もて遊ぶことができるだろう。
 ジルーネにとって、このシリー・ウォーは、人間の良心に悪魔を出現させる、科学的実験の場でもあるようだ。実際、彼女は十代の少年少女を集めて、ジルーネ・ユーゲントとでも呼ぶべきエリート部隊を組織させ、非常識な作戦に活用する。
 ジルーネの少年少女部隊は、まともな大人なら顔をそむける残虐な戦闘を、もうひとりの自分≠フささやき声に命じられるまま、平然と行なうのだ。おおむね十四歳から十七歳の特殊能力を持つ少年少女は人型ロボット戦闘機のパイロットに最適のようで、かれらは心の中の悪魔に命じられるままに、敵……とくに弱い一般市民を虐殺する。その戦いぶりは、トランクィル星兵隊の古参兵をして、「人を殺さずに戦争できるのはゲームの中だけなのに、あいつらはゲームみたいに人を殺す」と言わしめるほどにもなる。
 ちなみに《連邦》では少年法の罰則を強化しているが、戦争は犯罪ではないため、かれらには適用されない。
       
                      
 ヨ 社 と ゲ 社 、 裏 の 戦 い  
                      
 ゲ社に対抗して『生命樹』計画を阻止しようとするのが、銀河最大の葬祭社団ヨミ・クーリエ社だ。いかなる場所、いかなる時のご不幸でも即応して葬儀葬祭を執り行う葬祭事業体であり、各種の宗教団体はヨ社に従属すらしている。
 ヨ社がゲ社に対立する理由は明白だ。人体部品としての人間クローン生産、クローン肉の売買、遺伝子の窃盗、脳なしゾンビ軍団の製造などを公然の秘密として手広く行なうゲ社を野放しにしておくとどうなるか。人間の生死があいまいになり、他人やクローンの生命を犠牲にして自分の延命をはかる、死に損ないの不老長寿人間が闊歩してしまう。自助努力と不可抗力で長生きするならともかく、他の生命を奪い、その魂を踏みにじる長生きは許せない……というわけだ。脳を他人に奪われた死体がゾンビになって出勤するようでは、いったいお葬式はどうすればいいのだ。ゲ社はヨ社にとって、葬祭業の根底を覆しかねない宿敵なのである。
 両社の敵対関係は、ペリペティア事件の十三年前、惑星トゥリアでスカーリア女史が起こしたゾンビの反乱『永遠の黄昏』事件で決定的なものになった。
 ヨ社は死者を弔う葬祭業のかたわら、人命救助ボランティアを積極的に行なっている。人道的見地に加えて、人が自然に生きて天寿を全うし、子孫をつくらなくては、葬祭事業も成り立たなくなってしまうからである。地域紛争に介入して救助活動を行なうため、私設の武装集団『救世旅団』を組織し、ゲ社が死体を仕入れるために引き起こす数々の邪悪な事件にも対処している。
 『救世旅団』の中でもとくに先鋭的な戦闘集団は『黒水仙』という尼僧軍団である。ゲ社から救助されたクローン女性も含めて、特殊訓練を積んだ怪力尼僧たちは、ゲ社の『生命樹』計画を打倒するために、敵……とくにゲ社のジーンハンターを成仏させる(つまり、殺す)ことも視野に入れて、日夜戦い続けている。
 悪の医療法人ゲ社は、あまりに巨大なので、悪業に励んでいるのは一部の事業部であって、全社すべてが悪のかたまりというわけではない。子会社のスタミナドリンク『巨人の星』『巨人の星スーパー』は銀河規模のベストセラー精力飲料として、お疲れOLに愛飲されている。真面目に稼いで家族を養うゲ社のサラリーマンもいるわけで、対立するヨ社の救世旅団としても、ゲ社の本社を爆破したところで一件落着とはいかないことを承知している。世の中はまことに複雑であり、悪だからといって安易には滅ぼせないのだ。
 《連邦》とトランクィル廃帝政体の戦いが表の戦いならば、ゲ社とヨ社の戦いは裏の戦いとして、シリー・ウォーの裏面史を飾ることになる。
 
更新日時:
2006/02/15

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