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“未出版”作品
 


 8    19920703★連載『地球防衛艦隊1945』(3)
更新日時:
2006.10.14 Sat.
 
地球防衛艦隊1945 (3)
 
 
 
〈大和〉発進す。
 
 
 
 
 早春のみぞれ混じりの雨が、二人の肩をさらさらと濡らしていた。
 三月十四日。地球防衛艦隊、出撃の朝……。
 ここは横須賀の軍港に近い岸壁に接した、記念艦〈三笠〉のブリッジである。
 四十年前、あの奇跡のような一九○五年、ときの司令長官・東郷平八郎が指揮する日本連合艦隊はこの戦艦〈三笠〉を先頭に、日本海へ北上してきたロシアの強大な艦隊を打ち破った。それを記念して、のちに〈三笠〉の船体はコンクリートで岸壁に固定され、旧連合艦隊の威信と栄光を後世に伝えるモニュメントとして保存公開されている。
 この艦の、屋根のない、外気にさらされた艦橋にたたずむ二人の男は、占領日本の首相・平田と元連合艦隊司令長官で、現在は地球防衛艦隊名誉顧問となった尾北だった。〈三笠〉のブリッジ甲板には、ロシア艦隊を撃破した日本海海戦のそのときに東郷長官や〈三笠〉の艦長が立っていた位置が真鍮のプレートで印されている。もちろん尾北は、当時東郷長官が立ったその場所に直立し、軍刀を腰に下げたまま、正装して厳かに正面の湾をながめている。冷たい霧のような雨に打たれっ放しでも、まったく意に介していない。それどころか彼の豊かな顎ひげは、感動に心なしか震えていた。
 尾北ならずとも、眼前の湾に展開する光景には、何かしら胸を打つものがあるにちがいない。
 集結した連合艦隊、いや、地球防衛艦隊・日本残存艦隊の雄姿である。
 
 中央にひときわ大きく灰色の巨体がもやっている。もちろん戦艦〈大和〉である。基準排水量六万四千トンの鋼鉄の城は、世界最大の口径四十六センチの三連装主砲塔を前部に二基、後部に一基を配して、霞にけぶる海のかなたへ無言の威圧を送っている。〈大和〉はその重厚な姿がそこにあるだけで「ああ、日本はまだ無事なのだ……」と尾北に神秘的な感慨をいだかせる魅力があった。だからといって、本当に日本が無事でいられるはずはないのだが。
 〈大和〉の脇に控え、今にも前に飛び出しそうなほど勢いよく二本の煙突から蒸気を吹き上げているのは高速戦艦〈榛名〉である。時速三十ノット、すなわち時速約五十五qの速度で海面を疾駆できる高性能艦だ。ほかに三隻の同型艦があったが、大戦で次々と沈められ、戦後に生き残ったのは〈榛名〉ただ一隻である。それでも三十六センチ主砲八門の威力は、第一線で十分に通用する。
 この二隻を中核に、湾の中に集合しているのは、重巡洋艦の〈高雄〉〈妙高〉〈足柄〉〈羽黒〉〈青葉〉そして後甲板をフラットに改造して、攻撃機十機を搭載できる航空巡洋艦に変身した重巡〈利根〉。いずれも二十センチ砲を八ないし六門ずつ搭載している。一部の艦は主砲を二門減らして、かわりに対空高角砲を増やしていた。いずれも約一万トンの大型艦だ。
 このほかに、軽巡洋艦、防空駆逐艦、護衛艦などさまざまな小型軍艦がひしめいて、ざっと眼に映るだけでも三十隻は下らない。これでも半分くらいである。瀬戸内海の柱島泊地から出航して、外海で合流する別働隊も合わせたら、小型の護衛艦も含めて百隻近くの大艦隊になるはずだ。
「まあ、これだけのフネがどこに隠れていたんだか……」と平田も丸ぶち眼鏡の中で眼を細めて感慨にひたっている。「ほんと、台所のゴキブリよりも多いなあ……尾北さん。よく温存して下さいました。あれだけ海の職場があったら、何十万人の雇用が促進できますよ! 日本はいつか、かならず経済大国になれるでしょう」
「うむ……地方の港に疎開して、ひたすら臥薪嘗胆。甲板や砲塔を樹木で覆い、島のように偽装していたのが、今に役立っていますなあ。これだけの艦隊を見るのは、私でも正直いってミッドウェー作戦の出撃以来のことですよ……ただ、今日の感激も、みんなが生きて帰ってこれればのことだが……」
 ふと本音をもらして、尾北は唇を噛む。この地球防衛艦隊がこれから太平洋に出て撃滅しようとしているエイリアン艦隊は、ほんの一ヵ月前までかれらをこてんぱんにやっつけてきたメリケン艦隊の空母や戦艦なのだ。たとえ勝つことができたとしても、相当な損害を覚悟しなくてはならない。いったいこのうちの何隻が再び日本の港に帰ってこれるのだろう。
 それも、何千、何万人の戦死者を海のもくずとして……
 それは誰にもわからない。
 しかし、これしか今のかれらに選べる道はない。エイリアン……アンドロ星人が操る旧米国艦隊は、すでにハワイのオアフ島に艦砲射撃を加えるところまで接近していた。野放しにしておけない。誰かが徹底的に退治しなくては、地球の平和は訪れないのである。
 おそるべし、アンドロ星人。かれらの目的と正体はいかに?
 
「こうやって出撃できるのも、新憲法のおかげです」と平田は嬉しそうに言った。「旧憲法に言う“軍”のままだと、私たちの連合艦隊は勝手に出掛けることはできません。統帥権の問題がありましてね。だから昨日、旧憲法を廃止して、新憲法を公布し即日発効させました。すばらしい憲法です。九条でわが国は戦争を放棄したのですよ」
「?」政治にはまるで無関心だった尾北にとって、これは青天の霹靂だった。戦争放棄とは、尾北みたいな人間の完全失業である。あわっ、と口を半開きにしてから、あわてて問う。「と、ということは、この、目の前の地球防衛艦隊の出撃を、どう説明なさるおつもりなのですかな?」
「だから、これは、戦争ではないのですよ」平田の声はあくまでも明るく淡々としていた。「新憲法で、わが国は“戦力を保持しない”と決めました。そこで旧軍の兵器はすべて原材料名で“金物”と呼ぶことにしたのです。戦車も戦闘機も戦艦もすべて、兵器ではなく法律上は“金物”なのです。武器ではなく“金物”を使う行為は、法律上は戦闘になりません。ですからわれらが地球防衛艦隊が征くところは、必ず非戦闘地域となるのです」
「むふう」条文の解釈によって黒を白と言い包めるテクニックに慣れていない尾北は、目を白黒させて黙って聞くしかなかった。
「もうひとつ、新憲法では“国権の発動たる戦争”を放棄したのですが、我々の相手は国家ではなく、エイリアンです。エイリアンは人間でなく、害虫と同等なのですから、もちろん国権なんかありません。いくら殺しても戦争ではないのです。まさに害虫の駆除そのもの。相手が地球人ではなくエイリアンならば、この地球上のどこへ出撃して、エイリアンを何匹“殲滅”しても合法であるというのが、地球防衛艦隊の上部組織である地球防衛機構の正式な通達なんですよ」
 平田の言葉はするするとよどみなく、黙って聞いていれば納得させられそうだった。しかし、眼前に大砲を並べた大艦隊が、武器弾薬を満載して、まさに出撃しようとしているのである。尾北は素朴に、疑問をのべた。
「しかしこれは、戦争と同じことだぞ」
「まったく、その通りです。それがどうしたというのですか。たいしたことじゃない」
 あっさりと、平田は認めた。戦争というものは、こうやって始めるのだと言わんばかりに。尾北は背筋に冷たいものを感じた。じんわりと確認するように尋ねる。
「議員たちは、みんなそれで納得したんですかな」
「たいしたことじゃない! と怒鳴ったら、みんな黙りましたよ。一人残らず」
「黙認か」
「特攻を黙認し、褒めたたえた国民です」
平田は歴史的事実を、静かにのべた。それで、おしまいだった。平田が自分個人の独断を、国民の総意にすり替えてしまったことは尾北にもわかったが、尾北は反論することをやめた。ふっと、平田の真意を悟ったのだ。
 なりゆきまかせ。
 平田だけではない。この国の国民すべてのことだ。なにもかもが、もしかすると世界全体が、先のことを考えるのをやめて、その場のムードで、なりゆきまかせに走りだしているのではないか……
 漠然とした、あきらめにも似た思いが、尾北の胸中に漂い始めた。
 
「にしても、空母の姿が見えませんなあ」
 呑気な声で平田が言った。現代の海戦の主役は航空母艦である。空母なしでは出撃しても意味はない。敵艦に大砲の弾が届く距離に近付く前に、敵空母の艦載機によってこちらが沈められてしまう。それは平田だけでなく、太平洋の戦闘を経験した者なら誰もが身にしみている戦訓であった。
「いや、空母は湾の奥で最後の出航準備です。なにしろ、進水しても資財欠乏で艤装ができず、たとえ完成しても載せる飛行機がないというので、鉄クズ同然に放置してあった空母ですからな。徹夜で整備を終わったはずです。もう、出てくるころですな……ほら、あれを!」
 尾北が指差すと、左手の方、湾の内奥から平たい飛行甲板を備えた空母が静かに進んできた。岸壁に群がった見送りの群衆が歓声を上げる。降り続ける氷雨をものともせずに、群衆はどよめき、手にした小旗を打ち振っている。その旗が日章旗や軍艦旗でなく、メリケンの星条旗であるところは、ご時勢であろう。なにしろ日本は目下メリケンの占領下にあるし、この艦隊を修理して燃料や食糧を補給してくれた、親切なスポンサーもメリケンなのである。もともとメリケンのものだった艦隊を撃滅するために、民主主義の敵であった日本帝国艦隊をまとめて雇うという皮肉なめぐり合わせになってしまったのではあるが、これで全国の失業少年少女に職場ができたことは事実だ。この際、メリケンに素直に感謝してもよいだろうというのが、人々の心情であった。
 空母は舳先に白いさざ波を立て、群衆の前の海をゆっくりと横切っていく。
「あ、また一隻!」
 群衆の誰かが声を上げた。二隻目が岬を回って姿を見せたのだ。
「少尉、二杯になりました……あ、また一隻、……三杯になりましたよ」
 一隻のことを「一杯」というのは、船乗り流の、船の数え方である。その声の方を見下ろすと、旧海軍を退職した若手の水兵であろう。足元に置かれた担架に横たわったままのもと上官に、空母の隻数を報告している。
 担架に寝たままの年配の男は、前の大戦で傷ついた身体が癒えていないらしく、両足と額に包帯をまいたままの姿だった。おそらく本日の地球防衛艦隊の出航を新聞で知って、健在な旧連合艦隊を一目見ようとやってきたものだろう。
 空母は美しい航跡を引いて進む。かつて軍艦乗りだった二人の男の胸中はいかばかりであろう。あれほど敗けて敗けて敗けて、敗けぬいて、南太平洋を敗走し続けた旧連合艦隊がこの日に備えて……いたつもりはなかったのだが、ともかく、最後に残しておいた底力が、これでもかとばかりに、二人の前に披露されているのである。
 岸壁の記念艦〈三笠〉の甲板に整列した軍楽隊が、軽快な「地球防衛艦マーチ」を奏で始めた。若手の映画音楽家・伊副部昭の新曲である。スポンサーであるアメリカに配慮したため、旧海軍で定番の軍艦マーチ……正確には行進曲「軍艦」……というわけにはいかないのが残念だが、その演奏の勇壮で東洋的なパーカッションは、いやが上にも聴衆をもり上げてくれる。
「あ、また!……少尉、大型が全部で五杯、いや六杯です! それから小型の空母が三杯……連合艦隊は……私たちの連合艦隊はまだ敗けちゃいません!」
「そうか……」
 担架の男の目に、うっすらと涙が浮かんだ。無駄ではなかったのだ、おれたちの戦いは……その証拠に、これだけの艦隊がおれたちの仇を討ちに行ってくれるじゃないか。彼の目の涙はそう語っていた。
 
 人々の前に勢揃いしたのは、ぴかぴかの新鋭空母、〈天城〉〈葛城〉〈笠置〉〈阿蘇〉〈生駒〉である。痛恨のこるミッドウェー海戦でよく孤軍奮闘して、敵空母ヨークタウンと相討ちになった空母〈飛龍〉の設計図面をもとに改良を加えたタイプの艦で、いずれも同型艦だ。一万七千トンで空母としては中くらいのサイズだが、五隻あわせて三百二十機の搭載機戦力は、旧連合艦隊の最盛期にミッドウェー島攻略に向かって全滅した正規空母四隻の搭載機数を上回る。その上さらに、大戦生き残りの大型空母〈隼鷹〉、小型の〈龍鳳〉〈海鷹〉〈鳳翔〉がしたがっている。これは真珠湾攻撃以後、大戦の全期間を通じても実現できなかった規模の一大機動艦隊なのだ。
 さて、空母艦隊が全容を現すと、軍楽隊の演奏はしばし、行進曲「海底軍艦」に変わって、空母に続くイ号潜水艦部隊に敬意を表した。空母に比して小粒とはいえ、こちらもかなりの注目を集めた。潜水すれば排水量六千トンにおよぶ巨大潜水艦イ400型三隻が主力となっている。巡洋艦なみの大きさである。行進曲「海底軍艦」のBGMがこれほどふさわしい潜水艦はない。しかもこの潜水艦は司令塔の下に、攻撃機三機を搭載できるペイロードベイを備えている。しかし今回は飛行機ではなく、何か新しい秘密兵器を搭載しているとの噂だった。その実体は? 観衆の憶測はさまざまである。
「いよいよ、〈大和〉が行きますぞ」
 尾北が感動にうるんだ声で告げた。〈大和〉が抜描したのだ。がらがらと錨を引き上げる音が、〈三笠〉のブリッジで見送る二人の耳に響いてくる。
「乗りたかったんじゃないですか? 尾北さん」
 平田の、本心をついた指摘に、尾北はしかし、戸惑うことなく答えた。
「わしは歳を取りすぎたよ。わしみたいな老いぼれがいつまでも若い者に発破をかけていては、人材が育たない。〈大和〉はもう、若い世代に託すべきものだ。それに〈大和〉に乗っている連中には、生きて帰ってもらって、人類の未来を築いてもらわなくてはなりません。そんために、おいどんは……残りますたい……あいつらが帰ってきたとき、心おきなく社会復帰できるように、この日本で新しい職場を準備しておいてやります」
「尾北さん……」
 同情を引くための目薬涙は毎度の得意技だが、心底からの涙には生まれたときから縁がない楽天主義者の平田は、どう言ったものか困惑しながら、それでも老いた尾北の肩に手をかけた。
「大丈夫です。みんな、うまくやって帰ってきますよ……地球防衛艦隊に志願したのは、まあ、調子のいい連中ばかりですから。それに、この艦隊の司令官もなかなかの親日派だそうです」
 残念なことに、〈大和〉のブリッジで艦隊の指揮をとるのは日本人ではなかった。だがメリケン人でもない。〈大和〉に座乗するダウ・ガルスター大将の国籍はスイスなのである。各国連合の地球防衛艦隊のトップに立つのは、やはり各国に中立な国の経験者を、というマッサーカーの人事だった。
だが、山国のスイス出身の男に、このような海軍部隊の指揮ができるのだろうか。まあ、そういったところにいたって鷹揚というか、手が回っていないのが、マッサーカー元帥の性格でもあったが……つまるところ実戦ではガルスターはリーダーシップを発揮できずに、現場の日本人が好き勝手にやることになるのは火をみるよりも明らかである。そこまで読んでいるのなら、マッサーカーもあれでどうして、日本の若者に相当な信頼を置いていることになるだろう。
そのような職場に旧日本海軍の元長官である尾北が出しゃばって若い者の判断にあれこれと指図したら、せっかくのマッサーカーの親心を覆すことになる。尾北はそう考えて自ら顧問に身を引いているのだった。
「うん、心配ご無用だよ。平田くん。マッサーカーも言っていた。私もそう長くはないさ。老兵は死なずただ消え去るのみ≠セとね」
 そこで尾北ははっと目を開いた。いよいよ出陣する〈大和〉に信号旗がかかげられたのだ。マストにはためくその信号を、尾北は口にした。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、地球防衛艦隊ハタダチニ出撃、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレド波高シ……」
「でも」と平田は寒くわびしい雨空を見上げ、靄の中におだやかにたゆたう海面をながめる。「天気は晴朗じゃないし、波もないですよ」
「いいんだ……」そうつぶやく尾北の頬を熱いものが伝った。「あれは、日本海海戦の直前に東郷提督がこの〈三笠〉から発信した歴史的な電文なんだ。あの、スイス人のガルスターという男、けっこうわかってるじゃないか……わしたちの世代の気持ちを。こういうとき、先人の縁起をかつぐのが習わしだってこともな……」
「尾北さん。あなたは……泣いておられるのですか」 平田も切ない気持ちに引き込まれて尾北を見た。雨に打たれてわからないが、その頬を濡らす彼の熱情を……戦艦のブリッジにしか、居場所を見付けることができなかった孤独な武人の心を、平田は垣間見た。
「いや、いいのだ。おはんは何も見なかったのだ。何もな。おいどんはこれで満足しちょるよ。〈大和〉の晴れ姿をこの目でみれたのだ。〈大和〉はもう昨日までの大艦巨砲主義の遺物じゃない。みんさい、ヒューズ・エレクトリック社の三次元対空レーダーを花魁のかんざしみたいにブリッジに飾って。役に立たない副砲は全部降ろして、ボフォースの40ミリや英国製ポムポム砲ではりねずみのようじゃ。あれならグラマンが何百機きたって射ち落とせるぞ。それに四十六センチ砲を見ろ。ジョンソンのワックスであんなに美しく磨いてもらって……あれだけ可愛がってもらえたら、わしは本望じゃよ」
「あれが、〈大和〉の本来あるべき姿なのですか」
「そうだ」見送る尾北の目がどこか遠くを……おそらく未来をさまよった。
「そうだ……生まれかわった姿だ!」
 そして尾北は、ブリッジの下に待機する部下に手を振った。
「Z旗をあげろ!」
 〈三笠〉のマストにZ旗がはためく。青、赤、黄、黒で対角線を分割したその旗は、日本海海戦の勝利のシンボルである。続いて手旗信号が〈大和〉に送られた。
『地球の興廃この一戦にあり。諸氏の奮闘を祈る』
 〈大和〉は蒸気タービンを全開して動き始めた。湾口に向けて舳先を回す。そのとき〈大和〉のマストに一旒の旗がひるがえった。異様に横に長い旗である。平田は尋ねた。
「あれは……何ですか、尾北さん」
「やるな……Z旗を横に2枚つないだ旗だ。勝利の決意を倍にして返してきやがった。亜室くん、あの旗の意味は?」
 尾北は後に控えた秘書に聞いた。ちぢれ毛のまだ少年の面影を宿す秘書は、すでに信号表を開いていた。
「いきまーす! という意味です。それだけです」
 後世の軍人たちがZZ(ダブルゼータ)旗と呼ぶことになる出撃の旗が使用された、歴史上最初の瞬間であった。
 やがて岸壁の人々の間に、歌声が広がっていった。〈大和〉の歌である。巷で流行る作者不詳の歌だったが、それは独特の哀愁を帯びて、見送る人に〈大和〉が笑顔で応えたような、ノスタルジックな印象を抱かせるのだった。
  さらば日本よ 旅立つフネは
  不沈戦艦〈大和〉……
  かならずここへ……
「帰ってこいよーっ! 生きて帰ってくるんだぞ!」
 尾北は大音声を張り上げ、軍帽を取って、頭上高くゆるやかに左右に振った。〈三笠〉の艦上にいたものすべてが帽子と手を振って、去りゆく〈大和〉に別れを告げた。
「〈大和〉よ永遠に!」
「さらば〈大和〉!」
「アリベデルチ・ヤマト!」
 見送りの中に、イタリア人も交じっていたようだ。
 この、同じとき、〈大和〉の戦闘艦橋では「機関出力百二十%! 波動エンジン始動よし!」との報告にガルスター大将が重々しくうなずいていた。
改造を重ねて新生した〈大和〉は、従来の蒸気タービンに加えて、強力な電磁コイルでつくりだした磁場で海水を押し出して進む“波動エンジン”を試作搭載していたのである。ガルスターは満を持して命じた。
「〈大和〉発進!」
           *
「で、これからどうします?」
 すべての艦の出航を見送ってから、黙して記念艦〈三笠〉のブリッジを降りる尾北に、平田は尋ねた。
「そうさな、郷里に帰ってさつまいも畑でも耕すさ。今の日本に一番必要なのは食糧の自給だ。いつまでもメリケンさんの善意にすがっておれんだろう」
「おっしゃる通りですが、尾北さんの郷里って……もしかして、九州ですか」
「そうだ、坊ノ岬というところさ。海がきれいだ。沖縄まで見通せるぞ。ま、わしは疲れた……田舎でしばらく眠らせてもらうよ」
 そして、尾北はしみじみと、心の目で南の海を望見して、ひとりごちた。
「ふるさとか……何もかもみななつかしい」
           *
 ところで、見物人もおおかた家に帰って、人影もまばらになった岸壁に、猛スピードで走ってきた一台の高級車があった。
 高級も高級、六輪駆動の特注ロールス・ロイスである。しかも現実ばなれしていることに、その車体は春の薔薇を思わせるローズピンクで塗装されている。かとって決してけばけばしくなく、あくまで上品に見えるところがさすがロールス・ロイスである。
 その車内で、広々とした後部シートに座っている少女が、前の運転手に向かって、これまた上品な仕草でぼやいた。
「もう、ハロルドったら。いくらハワイへ行くといったって、最初からアロハシャツなんか着ていくものではないことよ。しかも紅白の浮き輪まで肩にかけてしまって、サンダル履きで。いいこと、これは戦場への出撃なんですからね……潮小路家の執事として、威厳を持った身だしなみを心得てもらわなくっちゃ。……あらあら、着替えているうちにすっかり遅れてしまって、見送りの下々の者たちが、閑散としてしまっているわ」
「は、申し訳ございません。お嬢様」
 黒いフロックコート姿で、すまなそうに答えた執事は、ハロルド・コンウェイという名前の英国人である。ちょっと目が大きくて、額は半分はげ上がっているが、後席のお嬢様のボディガードをも努めているだけあって、運転と武器の扱いにかけては世界一流のプロでもある。
「ですが、小春お嬢様」
 ハロルドはお嬢様のぼやきにもまったく表情を崩さずに、一言だけ反論した。
「いつもお嬢様は、戦争は貴族のたしなみとおっしゃっておられたもので」
「それで、何なの?」
「要するに、高貴な身分のお嬢様にとって、戦争とはレジャーであり、またリゾートであると思ったのでございます。それならば最初からリゾートウェアでと」
「まあ……」
 お嬢様はこれまたお上品に眉をひそめた。怒ろうが泣こうがわめこうが、戦争しようが、何をやっても優雅とはこの少女のことであろう。つややかな黒髪を豊かなポニーテールにまとめたこの少女の名は潮小路小春、世界に並ぶものなき潮小路公爵家のご令嬢なのである。おん歳十七歳。まさに薔薇の花のごとく、華麗に咲き誇る歳ごろであった。お嬢様は自分がいつも口にしていた戦争観をそのまま使って反論されたので、ただこほんと小さなせきをして、かすかに口もとに笑みを浮かべた。ピンクの飛行服に純白のマフラーというお姿が、りりしい。
「いいわ……ま、出航して一週間もしたらかなり暑いところまで南下するのだから、そのときは空母の甲板で日光浴するくらい、許してあげる」
「そうおっしゃると思いまして、トランクにビーチパラソルをご用意しております」
「うふふ、早手回しなのね。……あ、そろそろ海よ」
「存じております。では水上モードに」
 岸壁に残っていた数人の一般庶民があっけにとられる前を、ピンクのロールス・ロイスはそのまま海にジャンプし、やはり上品な波しぶきを立てると海面に浮かび、水中翼を出して航走し始めた。
 そして……口をあんぐり開けたまま、唖然として動くこともできない人々の前に一隻の小型空母が、海面を滑るように出現したのである。空母の横腹にロールス・ロイスが接近すると、甲板のクレーンが動いて車体を海中から吊り上げ、そっと飛行甲板に降ろした。 この空母〈伊吹〉は旧連合艦隊の新造空母で、〈改鈴谷〉型重巡洋艦の建造中の船体を流用して空母に改造し、進水させたものだ。例によって戦局悪化で港に保管されたままになっていたのを、敗戦直後に潮小路財閥が買取り、昨日、小春お嬢様の自家用空母として就役したばかりである。排水量一万三千トン、二十九ノットの高速で航行でき、二十七機の搭載能力を有する。小型とはいえ軍艦の船体であるから、実戦に投入しても何ら問題はない。ただ一般的な地球防衛艦隊の船と違うところは、完全に個人所有の空母ということである。ちゃんと艦尾の艦名表示の下に“(自家用)”とペイントしてある。
 もちろん、地球防衛艦隊に、個人的なボランティアで参加していけないという法はないし、それにもまして、台所事情をメリケンの援助に頼っている現在、地球防衛艦隊にとって、こうした形での個人参加は大歓迎であった。なにしろ軍艦の数が極端に不足している。〈伊吹〉の二十七機は喉から手がでるほど貴重な艦隊戦力であった。
「すぐに出航なさい。さっきの本隊に追い付かなくてはいけないわ。せっかく潮小路家の船らしく模様替えしたのだから、味方の艦隊にも、それから敵のアンドロ星人にもきちんとご披露してさしあげなくてはね」
 〈伊吹〉のブリッジに昇った小春は、ダイヤと真珠をちりばめたシャンデリアが輝く司令所で、ロココ調の猫足ソファの前に立つと、優しい表情でそう命じた。全速で追えば、夜までに十分に追い付くことができる。
「では、お嬢様。出撃命令を」
 〈伊吹〉の艦長が小春に一礼すると、ブリッジのマストにするすると、ティフアニーブルーを基調とした地球マークの防衛艦隊旗が掲揚された。ほかの艦と比べて旗の光沢がまるで違うのは、二十畳ほどもある巨大旗が、すべて極上のシルクにスワトー刺繍を施した超々極上品であるからだ。
「ごめんあそばせ」
 小春は意気揚揚とほほえむと、操舵士に席を譲らせて、ほっそりした白い指で純金の舵輪を握った。
 小型空母〈伊吹〉の外見も、小春のセンスを反映して、ごく上品なカモフラージュを施している。つまり船体の全面にわたって、潮小路家の人々がこよなく愛するブリリアント・ローズのピンクの花びらが描かれているのである。お嬢様の装飾過剰なご趣味の一端ともいえるが、「戦争はファッションよ!」と玉をころがすようなお声でささやかれれば、「あ、そうでしたね……いやあ、そうですよね。はっはっは」と迎合してしまうオタク紳士の間だけで育ってこられたわけであるから無理もない。
 いずれ、この〈伊吹〉はその可憐な外観ゆえに地球防衛艦隊の艦長たちから、本名の〈伊吹〉よりも「薔薇の女王様」とか「花柄ねえちゃん」、そして某老舗デパートの包装紙で包んだように見える箱型のシルエットにちなみ「中元空母」といった愛称を奉られるのだが、そんな呼び名も、潮小路小春の優美にしてあでやかな空戦プレイの腕前の評判をなんら損ねることはなかったのである。
 靄にけぶる東京湾を、太平洋へと急ぐ薔薇模様の航空母艦を発見して写真に撮影した民間人も何人かいたようだが、この時代はまだカラー写真が普及していなかったこともあって、どこの新聞社も現実のことと認めようとはしなかった。そのため不覚にも、このうるわしく、かつ豪華な空母の存在は歴史に名をとどめることができなかった。
 それもそうだろう。霧の東京湾をさっそうと走る、全長二百メートル近くの薔薇の花束である。
 しかも、まことに残念なことに、些細な理由によってこの歴史上貴重な空母は、この戦から帰ることなく太平洋の荒波に呑まれる運命だったのだ。花の命は短くて、とはこのさい言いえて妙である。
                                            【つづく】
 

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