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9    20060305『女たちも〈大和〉』

『女たちも〈大和〉』

女たちも〈大和〉
 
あの映画を見てその気になったニッポンの女たちが
「私を守って戦ってね!」と、にっこり笑って、
(もちろん、遺族年金の受取人は自分にして)
男たちを戦争へ送り出すようになったら、
この国は、けっこうおしまいじゃないかと思う。
 
 
 
【本文は以上。以下は蛇足】
 
あの映画を見てその気になった、戦争を知らないおじさんたちが、
「彼らの尊い犠牲があって今の日本があるのだ」と
感極まって悶え賛美し涙する。
それはそれで否定はしませんが。
 
しかし、そもそもあの戦争のスタートは、
日本軍が宣戦布告前に、不意にハワイを空襲したのであって、
誰からみても卑怯な“ダマシ撃ち”という不名誉ぶり。
そんなつもりじゃなかった……と姑息な言い訳したところで、
汚い手口で戦争を仕掛けたのは、私たちの側なのですよ。
 
戦争を始めたのに、終わらせ方がわからなかったのか、
敗戦が確実になっても、責任を取る人がいなかったのか、
ぐずぐず降伏をしぶっているうちに、
東京や各都市の市民が空襲で焼け死に、
沖縄や満州で民間人を見捨て、徴用して戦争の巻き添えにし、
広島、長崎に原爆が落とされて、
三発目は東京か……となったとたんに、
なぜか突然命が惜しくなったみたいに、手の平返して、
あわてて無条件降伏したけれど、
それまでに二百万人以上の日本人が死んでいた。
そのうち、純粋プロの軍人は一部であって、
大半は徴兵された普通の人や、女性や子供だったはず。
 
もしも当時の戦争指導が賢明で合理的であったなら、
民間人の死者は、何十万人も少なくて済んだだろうし、
もちろん〈大和〉の沖縄特攻はなかったはずであり、
それ以外にも、組織的な自殺攻撃は行われなかっただろう。
客観的にみると、〈大和〉の特攻は戦術的にも戦略的にも
惨めな“無駄死に”以外のなにものでもなかった。
 
時代遅れの大艦巨砲。戦争の役にすら立たない無用の長物。
そんな鉄クズ戦艦〈大和〉とその乗組の犠牲によって、
だれかの命が救われたのか。
無益な特攻へ追いやって千人二千人と死なせた、その引き替えに、
だれか一人でも(特に沖縄の)民間人の命が救われたのか。
結果は非情であり、その現実から目を逸らしたくはない。
おろかなことは、おろかだと認めるしかない。
 
戦争というものの、愚かさと虚しさと惨めさと悲しさが
二百万の屍となって積み重なって、その後悔ゆえに、
生き残った日本人の中で、歴史から賢く学んだ人々が、
戦争を避ける努力を懸命にやってきたから、
今の日本があるのだと、考えたい。
 
戦争で殺された人々を、“尊い犠牲”と崇め奉って、
それだけで終わりにしたくない。
なぜ殺されたのかを考え、歴史を冷静に見つめれば、
多くの人が殺されずに、
生きる方法があったはずなのだから。
 
 
更新日時:
2006/10/01

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Last updated: 2010/1/11

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