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26    20070127『カティ・サーク』

『カティ・サーク』

カティ・サーク ……海駆ける魔女
 
 
昔むかし……おおむね『世界昔ばなし』の時代。
英国はスコットランドの片田舎に、
タム・オ・シャンタという名前の農夫が暮らしておりましたとさ。
 
それは、嵐の前触れかのように、暗雲がたちこめた真っ暗な夜のこと。
市場で楽しい日を過ごしたタムは、年取った愛馬メグにまたがって、
パカポコと、一人寂しく家路をたどっておりました。
しかし、とある古びた教会にさしかかったとき……
タムは、不気味な歌声を聞き、奇怪な炎の輝きを目にします。
 
教会といえば、お墓がセットになっております。
背筋が寒くなるような気もしましたが、恐いもの見たさに
教会の敷地をのぞきますと、なんということでしょう。
そこには、恐るべき魔女たち、ウィッチとウォーロックの一団が、
地獄の業火みたいな焚火を囲んで、
墓場のダンスパーティに興じていたのです。
 
あまりの恐怖に、凍りつくタム。
シャル・ウィ・ダンス……どころじゃない。
足がすくみ、息を殺して、ただながめていると……
踊り狂う魔女たちの中に、若くて綺麗な、美少女魔女が
いるではありませんか。
タムの視線、釘づけになります。
察するに凡人のタム、ごく平均的な助平おやじ、いや失礼
ロリコンおっさんだったかと思われますが……
ともあれその瞬間、美しき魔女に
心奪われてしまったのでありました。
 
(いわゆる、萌へでしょうか。ま、しかしこの場合は
よろしいではありませんか。かの『もののけ姫』でも、
アシタカは唇が血だらけのサンに一目惚れするのですから)
 
この美少女魔女は、ナニィという名前でしたが、
もちろんタムは存じておりません。
そのかわりナニィは、スコットランドの古語で
『カティ・サーク』と呼ばれる下着(おそらく、
丈の短い袖付きスリップのようなものと想像されます)を
身にまとっておりました。
この種のファンタジーのお約束として、彼女が着ているのは
その下着一枚きりという設定でありましょう。
 
さて魔女たちの踊りはいよいよ激しくなり、
手振りが、ステップが、奔放にして妖艶このうえなく、
なまめかしくも荒々しきエロスの世界。
透けるような下着姿の、注目の美少女魔女は
人間の男に覗かれているとも知らず、
あられもない媚態をタムの前にさらします。
生唾を呑んで凝視するタムも、ますます興奮の境地、
ついに感極まって、ファンコールを送ってしまいました。
「いいぞ! カティ・サークちゃん!」
 
よせばいいのに、自業自得。
突如、ふっと炎は消え、一斉にタムを睨み付けた魔女たち、
「見たわね!」と言ったかどうか、おぞましき叫びを上げ、怒り爆発。
タムめがけて襲いかかります。
取って食われるのは間違いなし。
一目散にダッシュ、逃げ出すタム。
 
なにせ相手は本物の魔女。馬だって魔女は恐いはず、
老馬メグはタムを乗せて必死に走ります。
逃がすものか! と追いすがる魔女たち。
しかし哀れなタム。
一枚の薄衣“カティ・サーク”をひるがえして駆ける
美少女魔女ナニィは、馬よりも早く、
風のようにすっ飛ぶことができたのです。
 
(危うしタム。とはいえまあ自業自得なので、
同情する方はあまりおられないでしょうが)
 
無我夢中で逃げるタムと老馬メグ。背後に殺到する魔女たち。
そのとき幸運にも目の前に河、そして一本の橋が!
魔物たちは、水を越えて渡ることができないのです。
追いついた! とばかりに、腕を伸ばして馬の尻をつかむナニィ。
その刹那、まさに脱兎のごとく、老馬メグとタムは、
橋を渡り切ったのでした。
 
恐怖のチェィスは終わり、ラッキーなタムは
どうにか命拾いすることができました。
ただ、ラッキー! ともいえないのが、かわいそうなメグ。
老馬の尻尾は橋の上でぶっつりとちぎられて、
魔女ナニィの手に奪われてしまったのでありました。
 
英国の詩人ロバート・バーンズが記したこの物語は、
ともあれ、ひとつの教訓をもたらしてくれます。
ダンスの会場は、みだりにのぞいてはいけません。
とくに、下着姿の魔女がいる場合には。
 
さてはて、時は流れて……
馬よりも早く走る魔女ナニィの下着“カティ・サーク”を
名前に戴いた快速帆船が進水したのは、1869年のことです。
これが日本船だったら〈腰巻丸〉ってところですね。
当時、英国はインドから大量の紅茶リーフを輸送していました。
お茶を運ぶ帆船たちはティー・クリッパーと呼ばれ、
女王陛下の国へ一番茶を届けるべく、
それぞれが足の速さを競っていました。
 
最優秀のティー・クリッパーとして期待の星、
〈カティ・サーク〉は、美しき快速魔女にあやかって、
その船首像フィギュアヘッドは、
馬の尻尾をほうきのように握った、下着姿の魔女ナニィなのです。
加えて、金属板で下着のカティ・サークをかたどった、
いわばメタルなランジェリーを、
メインマストの頂上付近に打ち付けておくという、念の入れよう。
 
〈カティ・サーク〉は、本当に足が速く、
諸般の事情でインドよりは、中国やオーストラリアに
旅することが多かったのですが、
あまたの航路で輝かしいスピード記録を樹立し、
その韋駄天ぶりを存分に発揮。
ついでながら、スコッチウイスキーの銘柄にもなりました。
 
美少女魔女ナニィを船首に掲げ、風に乗って
世界の海を疾駆した名帆船〈カティ・サーク〉。
現役を退いて、いっときは荒れるに任せられたといいますが、
いささか下着フェチなこのお船は、
フィギュアになったナニィとともに、
ちょいと助平な海の男たちにこよなく愛されたとみえて、
黒いドレスのシックな装いも鮮やかに、見事に復元されました。
今はロンドン近郊、グリニッジの乾ドックに船体を休め、
その蠱惑的にして優美なお姿を、だれもが見ることができます。
 
写真は1999年の〈カティ・サーク〉号ですが、
撮影の向きが悪くて、フィギュアのナニィのお顔が見えません。
ぜひ、ご想像ください。
ニッポンのキキのことを話題にしたら、
「ふん、あたしは宅急便よりも速く走れるわよ!」と
意地を張ってくれるんじゃないかと思います。
 
それにつけても英国は、つくづく
魔女と妖精の国だと思います。
 
 
 
更新日時:
2007/01/27

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Last updated: 2010/1/11

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