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24    20070121『ラウル・ワレンバーグ(2)』

『ラウル・ワレンバーグ(2)』

ラウル・ワレンバーグ(2)
 
 
ロンドンにあるラウル・ワレンバーグの記念碑。
その像の背中にある、青銅らしき壁の裏側に回ると、
この壁の正体がわかります。
 
壁はすべて、高く積み上げられた書類の束。
足元にほどけた書類の一枚には
『シュッツ・パス』と書かれています。
……スウェーデン保護査証。
これが、ラウルが考えだした、救いの手段。
十万ともいわれる命を虐殺から救った、
ラウルの偉業のひとつです。
 
西暦1944年7月9日。
実務経験ゼロの、にわか外交官、
31歳のラウル・ワレンバーグは、
ナチスによるユダヤ人強制連行が進むブダペストへ
着任しました。
 
ハンガリーにいる70万人のユダヤ人のうち、
すでに40万人が強制収容所に連行されており、
一刻の猶予もない状況だったといいます。
 
中立国スウェーデンの外交官という肩書きを利用して、
ラウルがとった手段は二つ。
 
そのひとつが『シュッツ・パス』。
パスの所有者を「中立国スウェーデンの保護下にある」と証明する、
たった一枚の紙切れ。
ラウルは、スウェーデンの外交当局から許された発行枚数をはるかに超えてパスを増刷、
ユダヤ人に配布します。
 
なぜかナチスドイツの官憲は、日頃から
お役所発行のハンコつき書類に弱いことを
ラウルは知っていました。
その盲点を突かれたナチスたちは、
『シュッツ・パス』を見せるユダヤ人の
強制連行をためらいます。
 
次の手段は『セーフハウス』。
市内三十数ヶ所のアパートを借り上げるや、
スウェーデンの国旗とプレートをかかげ、
ここには中立国スウェーデンの、
大使館なみの外交特権があると宣言して、
ナチス官憲の立ち入りを拒否。
連行寸前のユダヤ人を何千人も収容保護して、
生命を守ったといいます。
 
ラウル自身も命がけで、救出に駆け回りました。
ユダヤ人を満載して、死の強制収容所へ向かう列車が
ブダペストを発車するとき、
ラウルはナチスの威嚇射撃にも屈せず、
銃弾をぬって駅のホームを走ると、
『シュッツ・パス』を車内に投げ入れました。
それからすぐ、国境の駅へ先回りして、列車を停めると、
パスを持つユダヤ人を取り返すといった、
生死すれすれの救出活動を繰り返します。
 
素手で、ただ言葉と気迫でナチスの銃口に立ち向かい、
あるいはアメリカ資金の札束で買収し、
とにもかくにも戦争終結まで、
無辜の人々の生命を永らえさせるために、
ラウルの八面六臂の死闘は続きました。
 
しかしラウルの活動は、
身の毛もよだつ危険をはらんでいました。
救いの妙案『シュッツ・パス』も『セーフハウス』も、
国際法上の根拠はなにひとつなかったのです。
スウェーデン政府が公式に認めたわけではなく、
どちらも、いかにも公式らしく装った、
偽物のパスと偽物の大使館施設。
ナチスが「ウソつけ!」とパスを破り、
ハウスに踏み込んでも、
文句は言えず、それでおしまい。
その事態はまた、
保護されている人々の命の終わりを意味していました。
 
ラウルひとりのハッタリと信念だけに裏打ちされた、
死と紙一重の救出活動。
いつ、そのことが理由で身柄を拘束され、
拷問され、殺されるかもしれません。
剃刀の刃の上を素足で走るような、
生きた心地もない日々は、
翌1945年1月、ソ連軍がハンガリーへ入り、
ブダペストからナチスを追い落としたことで、
ようやく終わりを迎えます。
 
前年7月の着任から、わずか半年。
この間に、ラウルに救われた命の数は、十万……
 
アメリカの資金援助があったとはいえ、
彼は奇蹟をもたらしたといっても過言ではないでしょう。
 
1945年1月17日。
ラウルはこの日、市内を占領したソ連軍のもとへ、
今後のユダヤ人保護について話し合うため、
笑顔で出向きます。
 
そして、消息を絶ちました。
 
一説には、アメリカ側からのスパイとみなされて、
ソ連軍に捕らえられ、そのまま数年後に
いずこかで獄中死したとも言われますが……
正確なところは、まだ明らかではないようです。
 
ただ、推し量れることは、偶然の事故などではなく、
何者かがラウルを拉致したであろうということ。
真実を知る者はいたはずなのに、
だれひとり語ることなく、
戦後、各国に有志が設立した国際ワレンバーグ協会の
懸命な捜索努力にもかかわらず、
やがて西暦2012年には、この世にラウルが生まれてから
百年が過ぎようとしています。
 
かくも小さな一人の力で、かくも多くの命を救った人物に、
人類は、あまりにもむごい仕打ちを返しただけであり、
このたった一人を救い出すことすらできなかった。
 
20世紀は、この悲しい事実を、未来に残しました。
 
 
更新日時:
2007/01/23

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Last updated: 2010/1/11

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