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23    20070121『ラウル・ワレンバーグ(1)』

『ラウル・ワレンバーグ(1)』

ラウル・ワレンバーグ(1)
 
 
1999年、英国・ロンドンに数日滞在したとき、
投宿したホテルの前で、この記念碑に出会いました。
 
ラウル・ワレンバーグ。
半世紀あまり昔、第二次世界大戦当時の、
スウェーデンの外交官。
 
ただ1人で、十万人のユダヤ人の命を救った男……。
 
彼のことは、1994年に放映されたTV番組で見ており、
彼に関する本も読みました。
無理なこととはいえ、もしもかなうならば、
いつか、遠くからでも、一目お会いしたいと
願っておりました。
 
ロンドンのこのホテルの前で立ち止まって、
像の名前を読んだとき、偶然のありがたさを知りました。
ラウル・ワレンバーグは、
まるで街角でバスでも待つかのように、
ずっと、ここに佇んでいたのです。
 
聞けば、ホテルの隣にユダヤ教の礼拝所
シナゴーグがあって、
そのゆかりで、ここに感謝の碑が
立てられたという……
 
1912年8月4日、スウェーデンの首都ストックホルムの
資産家一族に生まれたラウルは、
生まれたときから、実の父に会うことができませんでした。
母が彼を出産する三ヵ月前に、父は病死していたのです。
 
そのかわり、外交官の祖父グスタフの愛を受けて育ち、
19歳から米国の大学へ留学して青春を謳歌し、
国際派のビジネスマンをめざして就職。
1938年、26歳で、ハンガリーの首都
ブダペストに本社のある
貿易会社に勤務することになりました。
 
翌1939年、ヨーロッパにて第二次大戦、勃発。
独裁者ヒトラーに率いられて
欧州の大半を占領支配したナチスによる、
ユダヤ人迫害は日ごとに激しくなり、
各地で強制収容所への大量連行、すなわち
大量虐殺が始まります。
 
ようやく1944年、米国が公式にユダヤ人迫害を非難し、
本格的なユダヤ人救出組織が活動を始めました。
アメリカの資金力をもって、隠密裏に、
日々、万人単位で抹殺されてゆく
ヨーロッパ各国のユダヤ人を、非道な死から救うこと。
 
ナチス側の敗色が濃くなるとともに、
大量虐殺の生き証人を消し去る意味もあって、
「死人に口なし」とばかりに、ナチスがユダヤ人の
虐殺規模を急速に拡大していった時期です。
 
ヨーロッパ中が恐怖と殺戮のるつぼと化している中、
スウェーデンは数少ない中立国として、
かろうじて平和を維持し、
ナチスドイツに対しても、
ある程度の発言力を持っていました。
 
ユダヤ人救出を目的とする、アメリカ戦時亡命者委員会は
ストックホルムに事務所を置きましたが、
たまたま、その建物の下の階に、
ラウルが勤めている貿易会社の事務所があり、
また、その貿易会社の経営者が
ユダヤ系の人物であったという、
もろもろの偶然のなりゆきによって、
ラウルに白羽の矢が立つことになります。
 
その依頼とは……
当時まだナチスに占領されていた
ハンガリーのブダペストへ、単身で赴き、
虐殺の危機に瀕しているユダヤ人を、
一人でも多く救うこと。
 
常識的には、喜んで引き受けたとは思えません。
TV番組によると「あまりに危険すぎて、
他に、なり手がいなかったから」と言われています。
 
戦争で敗けが込んで、ただでさえ
殺気立っているナチスを前に、
かれらが強制連行するユダヤ人を
素手で取り返そうというのです。
いつ、どのような理由で殺されても不思議はありません。
単なる名誉欲や金銭欲では、こなすことのできない
心底、恐ろしい仕事だったはずです。
 
ラウルが引き受けた条件は、
中立国スウェーデンの外交官として、
身分を保障されること。
 
そのとき、ラウルはまだ31歳。
プロの軍人や諜報員どころか、外交官の経験もなく、
ビジネスマンといっても経営者でなく、
どこにでもいる、ほぼ普通のサラリーマン。
ニッポンのファンタジーに登場する、
“選ばれた勇者”なんかではないのです。
 
「そんなこと、私にできるはずないじゃないですか」と、
堂々と断って当然の立場だったにもかかわらず、
なぜ、ラウルは引き受けたのでしょう。
 
写真や、立像となったラウルの姿を見るかぎり、
ナイーブで線の細い、誠実な風貌の青年です。
この危険な仕事を「引き受けた」というよりは、
「断りきれなかった」という方が納得できてしまいそうな、
優しい義理堅さを感じてしまいます。
TVでは、ラウルを知る人が、
「彼は子供のころ、恐がり屋さんで……」と
話していました。
 
断っても不名誉ではなく、平和な中立国の市民として、
戦争の恐怖を免れて、
幸せな生活を送れていたはずなのに、
なぜ、ラウルは引き受けたのでしょうか?
 
1944年の夏、
十日ばかり前に発行してもらったばかりの
外交官パスポートを手に
ストックホルムからブダペストへと、ひた走る列車の中、
地獄の死地へのぞむラウルの胸中に
どのような決意が秘められていたのか。
何度想像しても、答えは見つかりません。
ただ「何かがあった」としか思えないのです。
 
 
更新日時:
2007/01/23

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Last updated: 2010/1/11

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