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17    20060922『魔橋・日本橋(2)』

『魔橋・日本橋(2)』

魔橋・日本橋(2)
 
欄干の中間点と四隅、合わせて六ヶ所に、
ガーゴイルの霊的防衛ポイントを配して
強力な結界を形成する日本一の魔橋、
『日本橋』。
 
その結界は何を守っているのか。
妥当な推論としては、まず、
日本橋が日本全国の道路の起点であることだ。
 
日本橋。
ここは全国のあらゆる道路の起点。
ニッポンのヒト・モノ・情報が行き交う
流通の血脈がスタートする、
ゼロ座標なのである。
 
だからここは、“流れの起点”。
おそらく風水の理法に照らしても、
帝都東京の最重要霊的拠点と
考えることができるのではないか。
 
その、“流れの起点”を象徴するものが
『日本国道路元標』という、
国家的に根元的な標識である。
それが日本有数の霊的パワーの源であることは
疑いもないだろう。
 
さてその、『日本国道路元標』は、
数十センチ四方くらいの金属銘板であり、
橋のたもとの石碑に、レプリカが展示されている。
(しばしば本物と誤認されるが、
石碑に埋め込まれたものは「複製」と
明記されているのでお間違えなく)
 
では本物の『日本国道路元標』は、
どこにあるのか。
 
私は思う。
 
それは、空中である。
 
橋の中央に立ち止まり、見上げてみよう。
2列になった首都高速の高架の間に、
四本のアーチ状の支脚にささえられて、
静かな威厳をたたえて、空中に立つ一本の標柱。
写真では小さくて見にくいが、
柱には縦に、
『道路元標地点』
と刻まれている。
 
元標の銘板そのものは、
この標識柱の真下、
橋の道路中心にはめこまれて
いるのだが、
むしろこれは看板みたいなもので、
霊的なパワーの本体は、
空中の柱の、八角形の台座に、
ひそかに格納されていると考えたい。
 
この柱は、その場所が場所なだけに、
橋を渡る車からはまず見えない。
歩行者も、上を向いて歩かないと見落としがちな、
空中に浮かぶファンタジックな標識。
 
そう、お察しのとおり、
橋の欄干四隅に配されたガーゴイルたちと、
橋の中心の空中に浮かぶ、
この神秘的な標識を線で結べば
日本橋の上に、
巨大なピラミッド型の立体結界が、
出現するのである。
 
首都高速の高架の隙間を貫いて、
忽然として
秋晴れの真っ青な空にのぞむ、
この国の“流れの起点”。
 
初めて見上げたとき、鳥肌が立った。
 
なお、写真の中央下の奇妙な小搭は、
橋の欄干の中間点に建っているもので、
その基部には、
柱を背中にした2体の麒麟(龍?)が、それぞれ
写真の左右に向かって鎮座している。
まるで、十戒を納めた聖櫃を守る、
守護天使のようなシルエットである。
 
さて、そこで、謎解きである。
 
なぜ、この場に巨大にして強力な結界が備えられ、
しかも、霊的にきわめて重要な標識が
空中に浮かべられているのだろうか。
 
写真をご覧いただきたい。
この標識柱は、首都高速の高架に、
ささえられている。
専用の柱で地上に立っているのではない。
そのため、標識柱の重さは、
首都高速の高架の、
すべての柱に分散されているのだ。
 
この標識柱は、
まるで、首都高速の
全部の高架と一体化し、
セットになっているようでもある。
 
この広大な帝都に、まるで
とぐろを巻くように張り巡らされた首都高速。
首都高速の高架全体が、力を合わせて、
この“流れの起点”を
空中に支えあげているのだ。
 
妄想的に、推論しよう。
 
なぜ、ニッポンの道路の起点は、
地面でなく、橋にあるのだろうか?
 
おかしいではないか。
道路の起点は、地面にあるのが普通であろう。
日本国道路元標が、たとえば皇居前とか、
国会議事堂とか、東京駅にではなく、
なぜ、水面を下に見る橋にあるのか?
 
では、橋というものの役割に注目しよう。
橋は、“なにかの上を渡る”交通手段である。
川や谷間だけではない、
土足で踏みつけてはならない、
なにか、恐れるべきものの上を、
人間が安全に通過する手段としても
使われるものであろう。
 
日本橋の下には、古来より、
なにか、おそれるべきものがあるのではないか。
 
それはまた、日本という国に、
なんらかの“流れ”を生み出している
“起点”にかかわる、なにものかではないか。
 
なにものか、
おそろしく、不可思議な、そして危険な
霊的存在が、
じつは、この日本橋の下に封印されているのだ。
 
封印の手段として、
ピラミッド型結界が建立された。
六ヶ所のガーゴイルたちが作る、
平面的な結界だけでは不足であり、
三次元的に……つまり、橋の下の
水中か地中に潜む、おそるべきなにものかに
届くような、立体的な結界構築が、
必要だったのだ。
 
立体的な結界構築。
そのための手段として、
首都高速が建設された。
 
封印すべき最重要地点である日本橋において、
まず、日本橋の躯体そのものが、かぶさる形で、
六ヶ所のガーゴイルを用いて
平面結界を作り、
その上に、十字になるように、
2列の首都高速を重ねて、
まるで絆創膏のように空間を押さえつつ、
空中標識を設置して
ピラミッド型の立体結界を構成した。
立体化することで、結界の封印力は、
日本橋のはるか下へと届く。
 
そして、結界のパワーの要となるこの空中標識は、
なんと、首都圏をぐるぐる巻いた、
首都高速の高架全体によって、
地面に落ちることも天空に飛ばされることもなく、
この空中点に固定されているのだ。
 
なぜ、このような大工事までして、
封印結界を構築したのだろうか。
 
それはおそらく、首都高速そのものの
建設理由にある。
 
1964年の東京オリンピック。
世界の人々を迎える近代首都の、
交通の血脈となるべく、
首都高速は突貫工事で建設された。
この日本橋に首都高速の高架がかけられたのは1963年。
東京オリンピックの前年である。
 
オリンピック開催前に、
この巨大な立体結界による、
魔力封印が必要だったのだ。
 
なぜか。
 
もちろんだ。
オリンピックは、魔的な異教の祭典であるからだ。
国際的なスポーツの祭典。
しかしこれはまぎれもなく、
宗教の祭典でもある。
 
聖火。
古代ギリシャの聖地で採火された、
聖なる神々のお灯明が、
世界各地を照らしながら、
巡礼者にリレーされて、
開催都市へ来臨する。
人々は、聖火をあがめつつ、古代の神々のみ前で
血を流すことなく戦うのだ。
 
なんといっても、古代ギリシャの神々、
地上のいかなる一神教よりも、
大先輩の神々たちであるため、
オリンピックの場では、現存の宗教は
一歩譲る形となり、宗教的・民族的な
いさかいがおさまって、
そこに平和な神々の時間が生まれるのだ。
 
その、古代の異教の神々の聖火が、
日本へ初めてやってくる。
 
東京は、先立つ1940年、昭和十五年に、
オリンピック開催が予定されていた。
それは皇紀二千六百年を祝う、
聖なる祭典の意味も担っていた。
戦争により、その開催は夢と消えた。
 
じつは戦争だけでなく、
もっと霊的な、隠された事情があったのかもしれない。
 
ともあれ東京では、1964年にオリンピックを開催する。
世界の人々だけでなく、
オリンポスの神々の御神火が、
この国にやってくる。
 
そこに、なんらかの問題が
あったとしたら……
 
異教の神々を不用意に迎えたとき
この日本橋の下に封じていた
なんらかの霊的な存在が
その根元的なパワーを
暴発する危険があったのではないか……
 
だから、あらかじめ、
この巨大封印結界が、
日本橋の躯体に加えて、
首都高速という超巨大絆創膏によって、
強化され、構築されたのではないだろうか。
 
ならば、
次なる東京オリンピックのためと称して
首都高速の高架を取り去ることは、
結界の弱体化を招き、
橋の下に隠されたなにものかの封印を
はがすことになりはしないだろうか?
 
もちろん私の創作的妄想であると
お断りしておくけれど。
 
しかし、
このままで、いい。
そう感じるのだ。
 
日本橋。
ここは、
魑魅魍魎の跋扈する
おどろおどろしき帝都東京にあって、
国内最強クラスの立体結界を形成し、
日本全国の交通の血脈の起点として、
その下に、デンジャラスな魔のパワーを
封印した、
日本一の魔橋なのである。
 
 
更新日時:
2006/10/01

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Last updated: 2010/1/11

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