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16    20060921『魔橋・日本橋(1)』

『魔橋・日本橋(1)』

魔橋・日本橋(1)
 
(まきょう・にほんはし)
 
美しい国の好きな日本人たちの間で、
景観阻害の元凶であるかのように
突然話題になった現場である。
 
帝都東京は三越本店の真ん前にあって、
日本橋川を渡っているのが、この橋である。
橋の頭上には川に沿って、首都高速の高架が2列になって走り、
この橋をまたぐ高架の中央に
『日本橋』の看板がかかる。
 
ご覧の通り、橋をまたぐ高架が目障りであるということで、
某元首相の鶴の一声で、
「高架撤去、地下移設、お値段数千億円」が取りざたされ、
それを受けて、某東京都知事は、
「それなら日本橋の方をどこかへ移せ」と、
かつて明治村へ引っ越すはめになった帝国ホテル玄関みたいな
奇矯な扱いを受けてしまった橋である。
 
なるほど、こうして見ると、首都高の高架は頭上から圧倒的に、重苦しく、
視界にのしかかっている……ように見える。
高架がなくなれば、なんだかとてもスッキリしそう。
そこが、高架撤去推進派のウリである。
しかし、よく考えてみよう。
高架を取り去ったら、何が見えてくるのか。
 
胸のすくような大空なのだろうか?
 
この疑問に答えるためには、
写真のこの高架の向こうには、実際に何があるのかを、
自分の目で確かめなくてはならない。
写真をご覧いただきたい。
2列になった高架の向こう、日本橋の欄干との間に
かすかにのぞいて見えるものがそれである。
 
対岸の高層雑居ビル群。
 
そう、高架を取り去ったからといって、
大空の面積がたいして増えるわけではなく、
対岸にごちゃごちゃ立つ、かならずしも美的とは言い難い、
無秩序なビルの群れが姿を現すことになるのだ。
 
高架の撤去移設に数千億円かけたところで、
ここは、高層ビルの谷間にかけられた、
東京にいくらでもあるフツーの橋になる、
それだけなのである。
 
たまたま、一人で東京を歩く機会があり、
この橋を歩いて渡って、感じた。
 
このままでいい、と。
 
理由はふたつある。
 
ひとつめは、高架がそこにあるならば、
高架こそが、対岸のピルを隠してくれるカーテンと考えて
ここに、青空や星空を映せばいいということだ。
高架の側面や下面を、ミラーやプリズムの仕掛けとか、
発光ダイオードのパネルで覆い、
自衛隊も研究しているであろう光学迷彩のごとく、
この高架を、昼は青空、夜は星空を
リアルに映し出す三次元オブジェに変えればよいのだ。
 
この橋を渡れば、雨の日でも爽快な青空が明るく映え、
夜は都会の空には見られない満天の星空が仰げるとなれば、
近隣の電脳タウン・アキハバラに勝るとも劣らぬ国際的名所になるだろう。
ロンドンのかのウォータールー橋を盗作した、
『君の名は』の数寄屋橋に代わる、
21世紀平成の歴史的デートスポットにも、
なるかもしれないと思うのである。
 
ミスター・マリックに頼まなくたって、
ニッポンのテクノロジーなら、できるはずである。
この高架を、空に変えてしまうのだ。
 
さて、それはともかく、「このままでいい」という
ふたつめの理由である。
 
これが、重要。
写真左手前の、黒いブロンズでできた
小さいながら奇妙な搭型構造物に注目されたい。
これは、日本橋全体の欄干の四隅に建てられている、
古くからの照明搭らしく、
ゴシック的な街灯の基柱を兼ねながら、
そこには霊的なガーゴイル(厄除け像)が
祀られているのだ。
まず目につくのは、この狛犬みたいな“獅子”、
地図の工場マークのような
東京都紋章の金属盤に片足を載せている。
その背中の柱上部には、小さくて見えにくいけれど、
オオカミ(獅子?)のような猛獣が、ドアのノッカーの飾りのような姿で、
金属の輪っかをくわえている。
なお、このような照明搭は、橋の欄干の中間点にもあり、
そちらは狛犬獅子のかわりに、
麒麟(しかしどうみてもドラゴン)が、背中合わせに橋の前後を睨んでいる。
 
歩けばわかる。
日本橋は、欄干の四隅と中央、計六ヶ所にガーゴイルの防衛ポイントを配し、
橋全体を囲んで守護しているのだ。
 
おわかりであろう。
ここは結界。
 
日本橋は、帝都東京でも指折りの霊力が交錯する
日本一の魔橋なのである。
 
 
更新日時:
2006/10/01

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Last updated: 2010/1/11

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