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日々の雑文


 7   19930802▼論考『勇者は故郷をめざす』(2)
更新日時:
2006/05/28 

19930802▼作品論『勇者は故郷をめざす』(2)
 
 
 
 
3 キャラクター十傑(アブラゲトンビを含む)
 
 次にキャラクターの設定について述べよう。ヒロイックファンタジーの世界でウケるために必要なキャラクターの類型とその条件を、それぞれの登場人物ごとに分析してみよう。
 
 ヒーローとヒロイン 
 
@ 二人は惚れ合わねばならない。
 
 当然必要な登場人物である。男女でペアになるのが一般的。というのは二人のロマンスがなければ、冒険に出る理由の多くが失われるからである。彼を追って、彼女を救うために……というのが、主人公が動き出すのに最も切実な動機となるからだ。最初の二人は敵同士であっても良い。この場合、ロマンスに冒険性と悲劇性を加える演出ができる。古くはロミオとジュリエット。ガンダムのアムロとララァは典型的なケースである。
 
A 二人の家庭環境は複雑である。(親の不存在)
 
 両親の双方もしくは片方が欠けているのが一般的である。悪役に殺されたり、行方不明だったりする。その結果、親を探して、また親を殺された復讐を動機として二人の旅が始まることになる。それは同時に親からの自立の旅である。ホルス、コナンとラナ、ナウシカ、パズーとシータ、ヤマトの古代、ガンダムのアムロ、マクロスのヒカル、トップをねらえ!のタカヤノリコ::みーんなそうなのだ。映画ではスターウォーズのルークなんてお手本みたいなものである。
 困ったことに、メルヘンタッチのファンタジーにおいてすら、親の不存在がワンパターン化している。トトロでは母親が入院中、キキは親元を離れて下宿中である。
 ここで私は、えーかげんにせい! と言いたい。両親が健在で登場するヒロイックファンタジーがあったっていいじゃないか。親と子の関係でなく、対等の友人として冒険する作品があってほしい……というのは所詮父親の愚痴であろうか。
 
 ともあれ、親なしというのは、ヒーロー、ヒロインが一緒に旅立つ理由をばしっと作ってくれるのだ。
 
教科書「ナディア」のシーン。
ジャン 「これからどうするの、サーカスに帰る?」
ナディア「帰れないわ……もう!」
ジャン 「家の人は?」
ナディア「いないわ……そんなの」
ジャン 「そうかア……ボクと同じだね」
 
 これで決まり! 一発で二人の連帯感は完成し、一緒にゆくのだ。親なしというのはまことに便利なものである。
 
B 二人はそれぞれ危険をおかして、助け合わなくてはならない。
 
 そうしなければ、二人の愛は成立しない。助け合う過程において、自分の大事なものを犠牲にすることがドラマチックであり、観客をホロリとさせるのである。ナディアがやむなくブルーウォーターをガーゴイルに渡したり、ジャンの発明品である飛行機が二人の逃亡のたびに壊れるといったことである。自分の大切なものを誰のために差し出すかによって、ヒーローとヒロインの関係が決まる。
 ストーリーのなりゆきでヒーローとヒロインの片方を入れ替えてしまうようなこともできる。マクロスのヒロインがミンメイから早瀬未沙に変わってしまうのは、未沙の方が、ミンメイの場合よりも大きなものをヒカルのために犠牲にする行為があってのことである。即ち、未沙はヒカルを愛しつつも、その愛を押し殺していったんは身を引くというシーンがある。自分の愛をいちどは犠牲にして、結果的に彼女はヒカルの愛を手に入れるのであり、それならば観客も納得できるのである。
 
 
 お導き役(二人の親代わり)
 
@ お導き役は二人を教育し、食べさせなくてはならない。
 
 保護者なしで旅をする二人である。話が終わるまで、二人に生計の道が必要となる。そこで親の代わりとなる経験豊富な人物に二人は出会わねばならない。二人はその人物を助けるか、見込まれるかしてパンにありつくことになる。ホルスのガンコじいさん、ガンダムのブライト、トップ::のコーチ、ラピュタのドーラ。類似する者はマクロスのフォッカー、これは親というよりは兄貴分だが、作品中の役割は同じである。ヤマトの沖田は、古代の兄を死なせた代償に、古代の面倒をみる理由が設定されている。
 ときにはお導き役が実は親そのものだったというケースもある。この場合は二人を「理由もなく」食べさせる必然性が整うので話は簡単である。コナンのラオ、ナディアのネモがそうである。         
 
A お導き役は悪役から二人を守る。ときには悪役よりも残酷である。
 
 ヒロヒロ三原則の@で、二人は宿命的な弱さを背負っている。そのハンデを補う存在として、お導き役が重要な脇役となる。
 お導き役が二人を守り、その間に二人は修業を積んで師匠でもあるお導き役に匹敵する実力をつけ、その上で悪役を倒すというのがパターンである。スターウォーズのヨーダがそうである。
 お導き役は二人を守る結果として、二人の敵(悪玉の手下)をバッタバッタと殺すことにもなる。その殺戮の手段は悪役のそれと似たりよったり(武器に頼る)なので、観客から好感はえられない。そのためラストでは二人が、お導き役の武器とは違った、悪役への第二の対抗手段を開発し成功をおさめることで問題を解決しなくてはならない。(「第二の手段」は最後の章で詳述)
 善玉の頂点に立つお導き役が殺戮を続けて、そのまま最後にハッピーエンドを迎えることは許されない。必ず自らその責任をとることになっている。そうしないとヒーロー、ヒロインにきらわれる(即ち、二人に感情移入している観客にもきらわれる)からだ。責任の取り方としては、後述のCのように死を迎えるのが普通である。話の途中で読者にきらわれすぎてはまずいときは、登場人物の誰かがお導き役にホレることで(秘められた恋のパターンが多い)お導き役の残酷さが弁護される。ガンダムではブライトに惚れるミライ、マクロスではフォッカーに惚れるクローディア、トップ……ではコーチに惚れるお姉さま。「ナディア」のエレクトラもそうであるが、作品中で彼女自身が「あのひと(ネモ)は大勢の人間を殺しているわ。でもいつかその責任はとってしまうひとなの……」と語ることで、きっちりフォローしていることにご注目いただきたい。
 
B お導き役は味方の意見が別れたときに、責任者として決断を下す。
 
 なにしろ経験豊富な人材なので、ヒーロー、ヒロインが迷ったり、仲間から孤立したときに厳しく叱るというしんどい役をさせられる。二人のお守りはなかなか疲れるので、作者がつい、お導き役にやたら強い武器を与えてしまう危険がある。これはせっかく観客が期待しているお導きメッセージをマンネリ化させてしまうことになる。ヤマトの沖田が道を誤った典型である。何が起こっても決めのセリフが「古代、波動砲を射て」しかなくなってしまったのだ。悪役ではなく、味方の方に最終兵器を与えてしまったことによる悲劇である。
 
C お導き役は二人を守って悪役と差し違えて死ぬことが多い。その際には二人に遺産と名文句を残す。
 
 そうすることで、二人の「自立」が達成される。あーあ、沖田もコーチもフォッカーも、ラオも、スターウォーズのオビ・ワンもヨーダも作品中で故人となってしまった。せめてもの救いは、遺産とともにカッコいい辞世の言葉をキメられることだ。歳の功である。おおむね「○○をよろしく頼む」と、未来を二人に託してからセリフが述べられる。
 
ラオ「……眠らせてもらうよ」
沖田「地球か……何もかもみななつかしい」
ネモ「ナディア。どんなことがあっても生きろ!」
……黙祷。
   
 
 寝返りキャラ(悔い改め役・お助けマン)
 
 最初は悪役であるが、途中で悔い改めて正義の味方へと寝返るキャラ。これが意外と重要である。ヒーローとヒロインの弱さを補うだけでなく、二人の正しさ(正義)を実証し、人は悪から立直れるという、大いなる希望を観客に与える役なのである。話が終わってみると主人公よりもウケていたりして、結局本当のヒーローはこっちなのかと誤解されるケースもあるが、この脇役があってこそ名作の評価を受けることが多い。
 コナンのダイスとモンスリー、ラピュタのドーラたちやマクロスのブリタイ、トップ……のユング・フロイト……ちょっと変わっているが早瀬未沙も類似のケース。宝島のシルバー、ヤマトのデスラー、スターウォーズのハン・ソロもそうである。いずれにしても、味方への転向の動機をどのように作るかで、作品のおもしろさが違ってくるし、主人公の絶体絶命のピンチを救う切り札としても使われる。
 「ナディア」ではグランディス3人組が非常にマルチな役回りで活用されている。                          
 
 出戻りキャラとよろめきキャラ
 
 「出戻りキャラ」というのは、最初は味方であるが、ちょっとした誤解や性格の不一致で敵方に回ったり、敵に利用され、その後改心して味方に戻り、ピンチを救う役。改心の瞬間が劇的であれば、これも主人公を食ってしまう名演技が期待できる。ガンダムのカイ・シデン、(注・ガンダムF91のセシリーは典型例である)「ナディア」では話の終盤で、ネオ皇帝が悲劇的な行動でクライマックスを盛り上げている。 
 女性キャラでは、心理的な面でセイラ・マスもそうであるし、トップ……のお姉さまもそれに近いシーンがある。複雑な心理描写が魅力の役どころなので、女性キャラクター向きのようだ。
 「ナディア」のエレクトラはきわめて成功したケースである。彼女がネモに銃を向けながらも、涙にくれて引き金を引けなくなるシーンでは、思わずもらい泣きした方もおられたのではないかな? 実際、エレクトラがいなかったら、「ナディア」の作品としてのウケは半分以下だったかもしれない。人間の性格の二面性が特長となる、まさに大人のキャラクターであるといえよう。
 スターウォーズではもちろんダース・ベーダーの役であるが、どうも最初は悪役に撤するはずが、話のなりゆきで善玉化しそうなので、二作目からはより強力な悪役として真打ちの皇帝を登場させるしかなくなった、と見る向きもある。
 
 また「出戻りキャラ」の逆で、最初は敵方だったのがなんの因果か一時的に味方に回り、またなにかの拍子で敵方に帰るというキャラがある。これを「よろめきキャラ」と称する。ガンダム「復讐のシャア」のシャア、マクロスのカムジンがそうである。
 
 裏切りキャラ(ユダの役)
 
 文字通り裏切って敵方についてしまう役。主人公を突然ピンチに陥れるときに使う。改心しない設定なので、かならず悲惨な最期を遂げる。天罰を受けるために登場するような役回りだが、人間の弱さを演出する効果がある。ここというときに戦いから逃げだしたり、嫉妬やエゴで仲間を分裂させて緊張感を高める役も同様である。 この役はしかし、よくありそうで意外と出てこない。 まともに出演すると非常に後味の悪い結果になるからだろうか。それとも実社会にあまりに多すぎて、この役が出てくると現実に引き戻されてファンタジーどころでなくなるというのか……例えばあなた自身の内面を見る思いがするのだろうか。それともこの役が出ると全国PTA協議会の推薦がもらえなくなるのであろうか。不思議なことである。
 わずかに「ホルスの大冒険」のドラーゴにこの役があてられるのみである。上司にゴマするセコいサラリーマンのはしくれとして、私は彼に妙な親近感を抱いたりもするのだが……。
 
※「ホルスの大冒険」のヒルダは「寝返り」「出戻り」「よろめき」「裏切り」に「悪玉」の要素まで加わった横綱級のキャラなので、「悪玉」の章に一括した。
 
 


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