Essay
日々の雑文


 6   19930801▼論考『勇者は故郷をめざす』(1)
更新日時:
2006/05/28 

19930801▼作品論『勇者は故郷をめざす』(1)
 
※1991年に同人誌に書いた雑文を、93年に書きなおしたものです。
 
勇者は故郷をめざす   
 
 
 
 
1 はじめに
 
 私の名はシェルツ・リューゲン。ノーアトゥーン大学文学部の講師である。専攻は現代通俗幻想SF、すなわちファンタジーノベルのトレンド研究だ。
 聴講生諸君、本日の講義では私が永年、ヨハン・ベック学舎にこもって研究してきた「現代ヒロイックファンタジーの法則集」を披露することとしよう。ご期待の向きも多いだろう。現代ヒロイックファンタジー(要するにヒーローとヒロインがいて、恋あり冒険あり、涙とバトルの連続というやつである。したがって本講座では平和的メルヘンタッチのファンタジーは除外して述べる)……それも完全国産和風無国籍SFというジャンルの作品のワンパターン化は目にあまるものがある。
 特に今回はアニメの世界を中心として解説しよう。私は作品のワンパターン化それ自体を批判するものではない。ワンパターンであろうがほとんど盗作であろうが、視聴者にとっては楽しければよいのである。それがあえてアニメのヒロイックファンタジーに注目するのには理由があるのだ。
 アニメ世界が開びゃく以来、制作者はひたすら視聴者のウケをねらって作品を作り続けてきた。この世界も書店の棚に勝るとも劣らぬ凄惨なバトルフィールドなのである。ウケなければ1クール十三回で打ち切られる。生き延びるためには毎回毎回山場を作り、視聴者のウケを勝ちとりつつ、次回への期待をつながねばならない。おのずと制作者はこれまでの経験則から、ウケる要素だけを抽出して作品のキャラクターとストーリーを設定することになる。
 では、ウケる登場人物と話の筋運びとは、何なのか。それが本講義のテーマである。
 ずばり言おう。いくつかの作品に共通するウケの要素は、決まり切ったワンパターンの原理原則に還元できるのである。ウケるためにはこうするしかないという法則がすでに確立されているのだ! それはあまりにも単純化されているため、イロハ四十八手ほどの数もないのである。
 
2 正義と愛の禁欲者
 
 アニメのヒロイックファンタジーのヒーローとヒロインがウケをとるためには、次の定理と三原則が課せられる。
 
●ヒーローとヒロインの定理(ヒロヒロの定理)
 
 二人は正義と愛の人である。したがって最後まで善人である。
 
 あたりまえのことだが、殺人、暴行、強姦、掠奪は不可能であり、こういった悪事につながる武器や力を自分の意志で持ってはならず、止むを得ず武器を持つときにもその使用は厳しく制限される。物語のスタートにあたって二人は非武装の最も弱い立場であることが多いし、悪事を連想させる下品な欲望から切り離された存在である。
 
 ということは::ヒーロー、ヒロインは大人では務めきれない難役なのである。必然的に主人公は少年少女となる。かりに大人を設定するとしても、かなり特殊な境遇の「子供の心を持ち続けた大人」に限られるのだ。
 この定理は、次の十戒に分解される。            
 
●ヒーローとヒロインの十戒(ヒロヒロの十戒)
 
@二人は、正義と愛以外のなにものにも支配されてはならない。
A二人は、正義と愛を他人に強制してはならない。
B二人は、正義と愛をみだりにセリフにしてはならない。
C二人は、モーレツに活躍してはならない。ときにはポカをする。
D二人は、父と母を大切にする。
E二人は、殺人をしてはならない。
F二人は、姦淫してはならない。
G二人は、盗みを働いてはならない。
H二人は、仲間をだましてはならない。
I二人は、仲間の善意に甘えたままではいけない。最後は自立する。
 
 
 このように、普通の人間では考えられないキャラクター設定である。そこで物語が進むにつれて、二人は大きなジレンマに直面する。
 
 
 
●ヒーローとヒロインのジレンマ三原則(ヒロヒロ三原則)
 
ヒーローとヒロインは、作品の中で、
 
@悪役よりも強くてはならない(悪役に勝る武器の使用はご法度)。しかし最後には悪役を滅ぼさなくてはならない。  
Aリーダーになってはならない(仲間を支配する政治的存在になってはならない)しかし悪役の手から仲間を救う中心的存在でなくてはならない。
Bウブでなくてはならない(SEXなどもってのほかなのだ)しかし二人の愛は最後に成就しなくてはならない。             
 
 
 もうおわかりだろう。力への欲望、名誉への欲望、性の欲望にぎらついてはならず、しかも、その欲望がなくては実現できないことを達成せねばならないのである。
 まったくご苦労様としかいいようがない。ヒーロー、ヒロインはここまで苛酷で禁欲的な職業なのである。ナディアとジャンがこの三原則をばっちり充たしていることは言うまでもない。ちなみに映画の分野で、スーパーマンはウケたがバットマンは嫌われた、その最大の原因はBの原則をバットマンが破ったことによる???
 この三原則を充たすことで、ヒーローとヒロインはめでたくハッピーエンドを迎えることができるのだが、この原則には続きがある。即ち、
 
補足  三原則を破った場合は、ヒーロー、ヒロインといえども罰を受けなくてはならない。相応の償いと反省があればアンハッピーエンドに終わっても観客のウケを取り戻すことができる。
 
 ガンダムが良い例である。主人公は軍人として敵兵を殺すが、その結果として恋人を失ったり、贖罪の苦しみを背負わされる。「カリオストロ」のルパンは十戒に反しているため(れっきとしたドロボーである)せっかくクラリスが「ドロボーはまだできないけど、きっと覚えます」とけなげなセリフですがっても、彼女と別れなくてはならない。それなりの罰は受けているのである。
 
 主人公は正義の人である。その行為が正義に反したならば、普通の人よりも重い精神的な苦痛を堪え忍び、悲劇的な犠牲をはらわなくてはならない。殺人ヒーローは平気な顔をしていてはいけないのだ。
 
 


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