Essay
日々の雑文


 68   20110728●『小松左京先生を悼む…再起動ご挨拶』
更新日時:
2011/07/31 
 
 
 
 
小松左京先生を悼む。
 
そして再起動のご挨拶。
あっという間の一年
 
 
 
 
 
 
●バイバイ、ジュピター
西暦2011年07月26日、小松左京先生、ご逝去。
SFマガジン・コンテストでデビューされてから、ちょうど五十年のこの夏。
ニッポンのミスターSF、まさにSF界の巨星(ジュピター)とも言うべき偉大な頭脳が、ブラックホールよりも遠い世界へ旅立って行かれました。
バイバイ、ジュピター。
この寂しさと悲しさ。心から、ご冥福をお祈りいたします。
 
小松左京先生の作品は数多く映像化され、DVDでお目にかかるたび、大きな啓発を受けてきました。
『日本沈没』や『さよならジュピター』、『首都消失』『復活の日』『エスパイ』、そして忘れてはならないのが『空中都市008』。小松左京先生は常に、苦難を超えて希望をつかむ未来の人々を情感豊かに、等身大の「人間」として描いてこられたと思います。ヒューマニズムというよりは今を生きている人間の本性をさらけだす、バイタリティあふれる人類として。そこにいるのは、そつのないエリートではなく、人情に熱いコテコテの関西人でした。
 
今、それら映像作品を再見すると、『さよならジュピター』でミリーが持参する携帯コンピュータがスーツケースほどに大きかったり、携帯電話が普及していないとか、『日本沈没』では原発事故に触れられていないなど、今や時代が作品の想定を追い越していき、作品そのものは“小松ミュージアム”ともいうべき、レトロフューチャーの世界に入ってきた感があります。
しかし一方で、それらメジャーな大作をはるかに凌駕して、今も私に斬新なショックを与え続けてくれる傑作があります。先生の処女長編である『日本アパッチ族』。
 
『日本アパッチ族』を最初に読んだのは中学三年生のときでした。以来、何度読み返しても読み飽きないどころか、常に新しさを保ち続けていることに、心底、驚かされます。作品の発表は1964年、東京オリンピックの年であり、アニメの『コクリコ坂から』に描かれた、あんな時代だったわけです。
なのに、『日本アパッチ族』は新しい。もうギンギンに新しい。企業にリストラされて路頭に迷い、ついに社会から追放されてゲットーのような隔離地区に棄民された主人公たちが、なんと環境に適応してクズ鉄を食って生きられる肉体になっていく……。
半世紀近く昔のレトロ作品とは思えません。リストラ、失業、ホームレス、社会的隔離といった事象はまさに二十一世紀日本のイマですし、追い詰められ食い詰めた人間たちが環境適応(適応しすぎ!)を果たし社会に反撃するプロセス、なんと放射能耐性まで身につけるあたり、遺伝子操作で細胞レベルから改変していこうとする現代科学への皮肉すら感じさせます。
『日本アパッチ族』は、小松左京先生が2011年にこの世を去られるにあたって、47年昔にタイムワープして、当時の小松青年にプロットを教えられたのではないかと思うほど、二十一世紀SFしているのです。これからでも遅くはありません。ぜひ実写よりもアニメで映像化してほしい作品です。
この作品から噴き出すマグマのようなエネルギーには身震いするほど感動しますし、先生が二十一世紀のSF作家に残された、未来への一里塚のひとつではないでしょうか。
そうだ。めざそう、SF界のアパッチ族。
そのためには書かなくては。書くべし。
私もようやく、失業後のドサクサを終えて、再起動できそうです。
といっても七月現在は、職安に通い、一般企業へ求職中の身。過去のサラリーマン仕事の経歴上、そんじょそこらのエロオヤジよりはずっと女性下着の歴史に詳しい私を雇ってくれる粋狂なカイシャ、募集しています。
 
さて『日本アパッチ族』の作品冒頭、文庫の第一章の最初の四ページだけ読んでも、「これって二十一世紀の今じゃん!」とびっくりマークなのですが、そこにとても好きなフレーズがあります。
 
「空ははてしなく青く、大地ははてしなく広く、街は活気に満ちた悪夢であり、時間は透明で、湖のように動かなかった」
 
これは失業したばかりの主人公の心象風景なのですが、私も年末にカイシャを退職したとき、本当にこのように感じたことを思い出します。たった一日で、世界はこんなふうに変わるのですね。本人の幸福とも不幸とも関係なく、ある種の不気味さや異様さを秘めながらも、そこにははてしない自由な世界があるわけです。
 
思えば、小松左京先生の魂は今、この世の束縛のすべてから解き放たれて、はてしなく青い空と、はてしなく広い大地を、真の自由を満喫して飛び回っておられるのかもしれません。
 
●失業してからの、スットコドッコイ
とはいえ……
わが身を振り返りますと、早すぎました、この一年。
昨年の夏、社外でなく社内のストレスに喘ぎながら、カイシャの仕事で朝日新書『下着の社会心理学』の企画とラフ原稿作成に取り組む。    
十一月:『下着の社会心理学』出版が実現。カイシャと自分の仕事の区切りがつく。
十二月:病気療養中だった父親の容態が悪化。老いた母、看病に明け暮れる。
年末、早期退職制度を活用して、勤めていたカイシャを辞める。まあ諸般の理由はあれど、こうした方がよかろうということで。それまでの仕事がら、戦後の国内の女性下着の歴史については、日本一と自惚れるほど博学になったが、カイシャを辞めたらただの下着マニアのエロオヤジ……
一月:失業者として、健康保険や年金その他不可解な手続きに煩わされる。複雑怪奇。
そして父親死去。長男なので実質的な喪主となる。葬儀は亡父のお膳立てにより仏式。しかしお布施の中身と葬儀費用の請求書を見て、こっちが先に死にたくなる。自分のときは経済的な理由で、お寺の墓に入居するのは遠慮したい。無宗教で散骨するのが気楽でよかろう。神様はともかく仏様、生きてるうちにさようなら。
二月:家事と毎週の法要に追われる。母親は元気なれど、年金移行手続きなど、事務処理に振り回される。不可解にして複雑怪奇。しかもお役所の手続きはただでさえ遅れるうえに、「遅れます」との通知一枚送ってきて、理由も知らせずさらに二か月やそこら、平気で遅れる。恐るべし。
三月:父の忌明け法要の前日、東日本大震災勃発。TVを見て絶句、死生観が変わる。日本全国、ご大葬以来の自粛モードに。
四月:一向に解決しない原発事故に、社会観が変わる。報道は大事なことほど語らない。核戦争すら想定して除染設備を施したアメリカ原子力空母が「やばい!」とばかりに逃げたこと。米国側が在日米国人に、事故原発から半径八十キロ以遠に避難するよう伝えたこと。そして七月になって、原発から七十キロ遠方の地域で牛に食べさせていた稲わらに高濃度セシウムが蓄まっていたという事実。ついでに福島の県庁所在地が半径八十キロに含まれているという怪奇的現実。肉も野菜も水も、下水汚泥や腐葉土まで、何もかも、手遅れになってから警告される。そして腹痛のたびに体内被曝が気になるようになったこと。
五月:職安へ失業給付を受けに行く。自分が在職中に積み立ててきた保険金のはずだが、もらえる額は払った額よりも少ない? これでは同じ金額をただ貯金した方がましだったのではないか? 雇用保険は本当に保険になっているのだろうか。原発よりも不安になってきた。ともあれ失業給付を受けつつ、再就職活動に励まなくてはならない。
一方、父の人生の事後処理がほぼ終わる。相続財産ゼロ。不動産もゼロ。なにしろ長男夫婦が買った家がたまたま空いたところを「実効支配」して住み、水道光熱費も長男夫婦に払わせていたもんなあ。子供が親にパラサイトするのでなく、その逆だったのだ。そこでまたも死生観が変わる。アリよりもキリギリスの方が笑って死ねる?……。親の遺産を当てにできる人が正直うらやましい。また、こういう時に親戚の不幸も相次いで、気が滅入る。
六月:腎臓に石ができ、痛いめに遭う。いわゆる尿路結石は初めて。ここ半年あまり、なぜか体調不良で、慢性的な疲労感、不規則な睡眠、関節の痛み、しばしばの腹痛や頭痛に悩まされてきたが、それも石が原因だったのだろう。激しい腹痛から十日ほどで、イケナイ石は体外へ去っていった。にしても、痛かったなあ。
七月:ありがたいことに体調が順次回復。よく眠れるようになった。猛暑は苦しいが、ようやく落ち着いて、やるべきことを……と思ったとたんエアコンが壊れた。
 
なんだか、すっとこどっこいな日々でしたが、今、そんな感じです。個人的にも社会的にも、精神的にも肉体的にも、自分の常識を疑う想定外の出来事が大小あれこれと起き、凹んだ日々が続いてしまいました。
それやこれやでこの一年、メールやメッセージをお送り下さった皆様には、きちんとご返事できないことが多く、ホームページも更新できず、大変失礼して申し訳ありません……。この場を借りて深くお詫び申し上げます。何卒、お許し下さい。
 
ということで、せっせとエアコン修理して再起動。
ホームページも、もたもたしつつ再起動です。
本来、リアルタイムに失業生活をレポートしたかったのですが、なにぶん失業手当をいただく身、再就職のための活動もしているわけでして、それらのいきさつを不用意に書くことは控えたい、という事情もありまして……
とはいえ、書きたいお話は、いろいろとたまっております。
失業給付が終わる秋まではもちろん就活ですが、それからは……
いろいろな意味で、再起動ですね!
 
 


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