Essay
日々の雑文


 66   20100508★映画解題『“第九地区”と“ニア”』
更新日時:
2010/05/08 

20100505
 
帝都上空を制圧したタジン宇宙船。写真をクリックすると『第9地区』オフィシャルサイトへ。
 
 
『第九地区』の凄さと、『ニア・アンダーセブン』
 
 
 
 
 
●『第九地区』の衝撃
五月四日、映画『第九地区』を見た。
「す、凄え……」
映像も内容も、相当なものであった。
家族で観賞したのだが、最近見た『アバター』や『アリス・イン・ワンダーランド』よりもはるかに衝撃は大きかった。家族の反響も、『第九地区』が最も良かった。
 
まず映像の作り方。手持ちカメラでドキュメンタリーの報道映画を撮るようなスタイルを踏んでいる。予算が潤沢ではないことを逆手に取って、ドキュメンタリー調で勝負したのではないか。いかにも手持ち風にブレる画面で、弾丸が飛びかい血しぶきが噴き荒れるのだから、自分が本当に銃撃戦のただ中にいるような臨場感が満載である。
その意味で、3D効果は『アバター』以上だった。
 
しかしなにぶん、画面作りがスラップスティックである。吐瀉物や血しぶきに肉片、ちぎれた手足なんてものが縦横にふりまかれるのだがら、やはり、エグい。コミカルなストーリーとはいえ、作品のテーマは深くて重い。不朽の名作とまではいかなくても、希代の傑作と言いたい。しかし、二度三度と繰り返し見たいというリピートの欲求は萎えてしまいそうであるが……。
 
にしても、作風のこの重さはなぜか。やはり、作品のテーマに尽きるだろう。
冒頭の設定は、必ずしもユニークではない。
宇宙人の巨大船が、南アフリカ共和国の首都ヨハネスブルグの上空へ降下し、そのまま空中に留まって二十年……という。
ワシントンやニューヨークやシカゴでなく、ヨハネスブルグというのが、おもしろい。
この手の設定は、古くはクラークの『幼年期の終り』に始まり、映像作品では『V』や、『インデペンデンス・デイ』ですっかりお馴染みとなってしまった。とはいえ何も、北半球の先進都市を選ぶ必然性はなく、南半球の、まだまだ発展途上のムードを残す、雑然としたイメージの都市にやってきてもいいはずだ。そんな制作側の主張も感じられて、意表をつかれる。
 
続いて意表をつかれるのは、やってきた宇宙人たちが超文明のテクノロジーを持ちながらも、飢えて弱りきった難民だったこと。そして地球人から見たら“エビ野郎”と蔑視されるほど異様な、甲殻類に似た外見をしていることだ。
空中に浮かぶ宇宙船の真下に、宇宙人の難民キャンプ『第九地区』が形成され、そこで生活することになった宇宙人難民たち。地球人の難民キャンプよりも粗末な感じのバラック・スラムに群れて、どうやら、エビ形宇宙人はかなり無知で粗野らしく、地球人と関わってはトラブルを巻きおこし、さまざまな軋轢を生んでゆく。
 
見るからに不気味なエビ形宇宙人たちは、たちまちにして、地球人から蔑まれ差別される。そして到着後二十年にして、地球人側からの宇宙人排斥運動は頂点に達することになる。
「宇宙人は宇宙へ帰れ!」と。
昔、「火星人ゴーホーム!」「ブラボー火星人」なんてSFもあったと記憶するが、そんな感じだ。そこで地球側の当局者は一計を案じる。宇宙人難民たちを、地球人の生活地域から隔離された第十地区へ強制移住させ、その引っ越し騒動にまぎれて、宇宙人たちの武器や未知のテクノロジーを掠め取る……つまり略奪してしまおうというのだ。
 
●心に疼くアパルトヘイト
ニュース番組が連続するかのようにスピーディな展開なので、ついつい納得して見てしまいがちだが、ここには、南アフリカのアパルトヘイトの歴史を連想させる、悲しくも重いテーマが忍んでいる。醜い外観で、しかも粗暴な宇宙人たちを見ているうちに、観客の私たちは、知らず知らずのうちに、宇宙人を蔑む地球人側についてしまう。「あんなに野蛮なエイリアン連中だ。地球人に武力で押さえられても当然じゃないか」と。
それは、アパルトヘイトの時代に黒人を差別した白人の心理であろう。しかし映画では、人類は肌の色の違いに関わりなく、だれもが宇宙人を差別しているのだ。白人も黒人も宇宙人を殺し虐待する。ここが作品の凄いところだ。力を持ち、差別する側に立つ優越感を観客にしこたま体感させてから、作品は主人公の立場を逆転させ、地球人に虐待される宇宙人の側に、観客を引きずり込んでしまうのである。
 
めまぐるしいストーリー展開の中、気付かぬうちに観客の私たちは宇宙人側に回り、粗暴で粗野で残虐な、まさに唾棄すべき対象は地球人であると考え始める、いぢめられまくってきた可哀想な宇宙人の側からの、地球人へのリベンジに正義感すら覚えていく。そう、本当に悪いのは地球人たちではないか! 宇宙人に復讐されたって当然の報いなんだよ……と、最初は視覚的嫌悪を覚えていたエビ形宇宙人にだんだん感情移入して、“エビ野郎”が“エビちゃん”になってしまう不思議まで体験させてくれるのだ。
 
いじめる側、いじめられる側と行きつもどりつして、観客の私たちはゾッとする真実を突き付けられる。人類って、ここまでバカで残酷で軽薄でズルくて愚かなのか。そして私たち観客もまた、愚かな人類と同じだったのだと。ストーリーの設定は『アバター』に似ている面もある、無知で粗野な生物として人類に蔑まれる宇宙人、そして宇宙人側に組みしていく主人公、対するは、あくまで宇宙人を殺戮することに生理的快感すら覚えるマニアックな軍人の狂気。
しかし、見おわった後に、「自分はいったい、何者なのだ」と自問させる力は、圧倒的に、『第九地区』の方が強い。見る人の心をえぐる、なにかを残してくれるのだ。
 
『第九地区』は昨年に全米で公開され、日本ではこの4月から。
公開期間は短く、5月中旬には概ね終了する。
スリリングなアクションが連続する娯楽作品に、一見しただけでは間違えてしまう。
しかし、すぐに気付くだろう。この作品は何度も繰り返し楽しめるエンタテイメントではなく、家族で笑って帰れる作品ではないことに。
しかし、DVDでもいいから、一度は必見の傑作だ。
というのは、ラストシーンの美しさである。
一輪の小さな造花が黙して語る、人類と宇宙人の境界を越える真実とは……
しんみりと考えさせられる余情が、ほのかに残される。
それほど、自分自身の心に返ってくるテーマが扱われているのだ。
 
最近、DVDで観た作品で『墨攻』がある。こちらも、大義名分をかかげて戦争する人類の愚かさを、敵味方を越えた視点で描いてくれた傑作だった。「戦いの勝ち負け」のなんと無意味なことか。名将同士の知略謀略が相撃つ痛快な戦闘活劇と思っていたら、いきつく果ては、こういうことなのか……と。結局のところ、正義とはなにか、それを守る価値などあるのか。人が切に求める幸せとは何なのか。重厚なテーマが、最後に現われて静かに尾を引いていく。
形は異なるが、感動の質は、共通するものがあるように思う。
 
●優しき解決、『ニア・アンダーセブン』
ところで、私たちニッポンのSFファンにとって、『第九地区』は、初見のアイデアではない。何を隠そう、すでに10年も前の西暦2000年に、驚くほど同じ設定のSFアニメがTV放映されているではないか。
『ニア・アンダーセブン』である。こちらも『第九地区』に勝るとも劣らぬ秀作と称えてよいであろう。
ある日、前触れもなく突如として東京湾に墜落した宇宙人の母船。
ぞろぞろと首都圏郊外に現れて、バラック集落を作って住みつく、大量の宇宙人たち。
かれらはどうみても、宇宙人のエリート層ではなく、ごく普通の貧しい庶民である。
おそらく宇宙のかなたから放浪してきた移民か避難民で、何かのトラブルで宇宙に帰れなくなったもののようだ。
『第九地区』と異なる点は、かれらの外見がけっこう人類にそっくりで、違いはわずかに、頭のてっぺんにアンテナがついていることだけ。
そして性格が全般におとなしく、奇態な行動に出るものの、暴力的ではなく、ごくごく従順で、人類の支配におとなしく服従しているのだ。人類のお役所が勝手に決める階級差別すら、唯々諾々と受け入れているようである。
征服もせず反抗もせず、なんだか楽しく友好的に、かつ、ちゃっかりと共存してしまう宇宙人たち。人類との摩擦は最小限、しかして、その人口だけは、着々と増えていく……
このような設定の『ニア・アンダーセブン』だが、ふと思えば、かくも友好的な共存政策こそ、最も賢い“侵略”のひとつの形といえるのかもしれない……とまで勘ぐらせてくれるあたり、やはり傑作と評価すべきではないだろうか。
 
考えようによっては『ニア・アンダーセブン』は『第九地区』の問題のほぼ理想的な、もうひとつの解決……というのか、それとも『ニア』に悲劇的な結末をもってきたら『第九地区』になってしまうというべきか……
この機会に、見比べてみよう。
先に『第九地区』、その後で『ニア』を見るのがお勧め。
改めて感動すると思う。ニッポンのSFアニメは、やっぱし凄いのである。
 
 


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