Essay
日々の雑文


 65   20100507●雑感『タジン鍋の降臨』
更新日時:
2010/05/08 
20100505
 
 
 
 
タジン鍋の降臨と、
宇宙食改善計画
 
 
 
 
 
 
タジン様の全貌。写真にカーソルを置くと、タジン様の「部分」
 
 
 
●タジン様、降臨。
五月三日、タジン鍋がついに我が家へお越しになった。
将来の退職に備えて我が家の調理を引き受けるようになった私の悩みは、余った野菜の処理であった。さつまいもが一本だけとか、胡瓜が一本だけ残って、どうやって食べようか考えあぐねているうちに、芽が出て蔓が伸びるとか、腐らせてしまうのである。
中途半端に残った少量野菜を手軽に食する手段はないのか。
たまたま地元滋賀県の食材のせいろ蒸しを外食したとき、「これは美味い」と家内の意見が一致して、家でも食いたいとなった。
そこで家内が思い出したのは、いつか『世界街歩き』だったか、そんな紀行番組でモロッコだかチュニジアあたりの民家の食卓で紹介されていたタジン鍋である。
近所の日曜大工の店にいくと、なんのことはない、イチキュッパで積んであった。
パッケージには「砂漠地方の知恵」とある。
浅い土鍋に、富士山みたいなコニーデタイプの、同じく焼物の蓋を組合せた調理器具である。密閉性が高く、熱すれば水蒸気が内部で循環、蓋の天井で冷えて液化してしたたり、再び気化するといった繰り返しで、野菜や肉のうまみを逃がさずに、しっかり蒸し上げるという。
かぼちゃでもカブでも、その他少々ミスマッチでも、余った野菜を放りこんで蒸せば食べられる。もうひとつ別な悩みとして、しゃぶしゃぶやつけ麺のタレなんかが中途半端に余って困っていたのだが、それなら、蒸した余りモノ野菜に余りモノのタレをつけて食えばいいのである。早速試してみた。一本だけ残ったまま、購入後一ヵ月を経過したさつまいもが、実験台1号となった。
大成功であった。単なる蒸し芋よりも、焼き芋に近いホクホク感覚が、わずか十分で仕上がってしまったのだ。魔法の鍋である。
「う、美味え……」
感嘆の一語を繰り返しつつ、家族一同、猿のようにむさぼり食った。
続けて、もやしの上にキャベツを盛り、かぼちゃとしいたけ、玉葱を添えて、豚バラ肉をかぶせて蒸してみた。
キャベツや玉葱は、息子が地元の直売店で仕入れたものなので、贅沢な甘味が期待できる。これまた大成功であった。固いものが、すべからくフニャになってくれるのだ。
キャベツのあの食べにくい固い茎の部分が、ものの十分ばかりでフワフワに変身し、噛めば豊かな甘汁が口腔に広がる。
「う、美味え……」
賛美の一語を繰り返しつつ、家族一同、熊のようにむさぼり食った。
まったくタジン様々である。こうして我が家のゴールデンウィークは、偉大な生活改善で幕を閉じたのだった。上海万博よりも、生活向上効果があると思われる。
 
思えば、なにを今どきタジン鍋かと、出遅れもいいところなのだが、最近はなるべく新しいモノは買わず、今あるものを工夫することで何とかしようという傾向にあったからだ。将来の退職に備えて、新しいスーツやネクタイやワイシャツや紳士靴は買わない。クルマは最初から買わないし、チャリンコも中一のときに買ってもらったものをまだ修理して乗っている。新しいからと飛び付いてカネを使うよりも、現有のインフラで低コストなソリューションをめざすのがエコである、いや、ケチである。ということで、ついついタジン鍋に手を出しそびれていたのだ。高そうだったし。
タジン鍋のアイデアに、おそらく特許や実用新案を申請しなかった砂漠の民の皆さんに感謝しなくてはならない。特許料が含まれていたら、本当に高かったのではないか。
そこが、直径26センチで1980円という価格、まずは納得である。
 
世の中、例の青色ダイオードの一件以来、特許や実用新案とかの権利にすっかりうるさくなってしまった。しかし特許権を放棄すれば、より多くの貧しい市民にすぐれた商品が安価にゆきわたることも事実だ。モノによっては、だれかが特許権の独占をはかるあまり、結果的に人類の進歩を妨げていることがあるかもしれない。
ともあれ一般庶民はモッタイナイの精神で、今あるものを捨てずに壊れるまで使おうとする人が増えているように感じる。世の中全体、なんとなくそんな雰囲気にあるようだ。
なのに、離婚率が増えていることは嘆かわしい。新しい配偶者に飛び付く前に、たとえ旧式でも、現有の配偶者をポンコツになるまで大事に使う工夫が欲しいところである。
 
ともあれ、タジン鍋。
電子レンジでチンするだけとは違って、しっかり蒸してくれるのが魅力である。
私はガスコンロで熱したが、タジン鍋そのものをチンする調理法もある。そうすれば、チンでありながら、より質的に高い蒸し料理ができるわけだ。
そこで思うのだ。
これって、近未来の宇宙食キッチンにもってこいではないか?
 
●宇宙生活の食改善計画
軌道エレベータが建設された近未来、地球をめぐる宇宙ステーションや月面基地などでは、いまだに食材は地球からの運搬に頼り、宇宙食は味よりもカロリーと成分重視の味気ない加工品になりがちであった。この現状を改善して宇宙においしいご当地食材を根付かせるべく奮闘する若手女子社員……というSFを読んだことがある。
 
なるほど、宇宙でも食事は大切である。
ただでさえ苛酷な宇宙開拓。高いリスクにかかわらず、それでも普通の人々が宇宙で働こうとするには、それなりに必要なものがある。
男性からみれば、カネと女と酒であろう。昔の西部劇の構成要素をみれば、北米大陸の西部開拓がなんであんなに爆発的に進んだのか明白である。ゴールドラッシュで一攫千金、酒場でセクシーな美女をはべらせて酒池肉林という夢みたいなイメージが、愚かな男も賢い男も引き付けて、西へ西へと向かわせたことは疑うべくもない。これを女性の立場に置き換えれば、宝石とイケメンとグルメであろう。男女の区別なく、こうしたゴージャスなドリームが描かれれば、どんなに苦しい宇宙だってこぞって出向いていくはずであり、民間宇宙開発の基本は、良くも悪くも私利私欲に起拠することは論を待たない。
 
そして、かれらのドリームをささえる、欠かせぬ要素が、食事である。
どれほど魅力的な生活であっても、日々の食い物がウエッとくるほど不味かったら、長続きなどしないのである。いかなる金銀宝石、美男美女が好き放題であっても、食い物と酒がどうしようもないほど超々不味かったら、幸福感はガタ落ちであろう。ほどほどに稼いだら早く地球へ戻って吉野家の牛丼を食べたいと願うのが落ちではないか。
 
とうことで、宇宙の食環境の整備は、SFにとっても、欠かせぬテーマとなる。
その要素は……
@調理法 A食材 Bその生産手段 の三つである。
 
@調理法は、やっぱりタジンに尽きる
これは疑いもなく、タジン鍋の「蒸す」が主流になる。レンジでただ加熱するだけでは物足りない食感や旨味といったものを満たしてくれるのは「蒸す」調理法だ。焼いたり炒めたりというのは、大量の廃棄ガスが発生する。空間の限られたコロニーやステーションでみんなが七輪でサンマを焼き、中華鍋で炒め始めたら、漂う油、すす、臭いをどうやって解決するか、大問題となるであろう。また、煮るのも揚げるのも、大量の水や油を消費することになり、処理が問題となる。ひとつの開拓コロニーの住民が百所帯単位ともなれば、個々の家庭のキッチンからの排気、排水、廃油の環境負荷は無視できない。
ということで、タジン鍋流の「蒸す」が残ることになる。水も油も最小限で、排気も少ない。しかも美味い。栄養価も保持され、理想的な調理手段であることは明らかだろう。
主食のパンや米も、単純加熱か、蒸して作ることが主になると思われる。
ジオン公国政府推奨の国民クッキングは、きっとタジン鍋に違いない。
 
A食材は、宇宙仕様に進化させるべし
基本的な栄養源として、植物は欠かせない。とはいえ、いつまでも地球産の植物をそのまま持っていき、育てるのではなく、宇宙という特殊環境に適した品種が開発されるであろう。
条件としては、生育力が高いこと、茎も根も葉も種もすべて食べられること、食材としての加工が容易であること、等だろう。
生育力の高さを考えると、宇宙放射線への耐性が高く、かつわずかな光、あるいは可視光をはずれた電磁波でも光合成できる能力、自力で大気中の窒素を固定して根をはり実をつける生命力が欲しいところだ。種子で保存でき、また挿し木でもどんどん増やせる。
そんな、宇宙向けのスーパー植物……あるいは、あまりにも生育力が強いので、グリーンモンスターとでも呼ぶべき植物が開発されるかもしれない。
そして、その植物は、根は芋で、茎は葱で、実はトマトといったふうに、すべての部位が食用に適したものとなるべく品種改良されるだろう。
また、植物の生育形態も、宇宙船のようなスペースの余裕のない環境で、きわめて小さな容器に無駄なくぎっしりと繁茂するのが望ましい。
そのように考えると、当初のところは、一般的な野菜や果物よりも、藻や海草に近い形をした植物になるのではないだろうか。水槽で生育させるとは限らないが、例えば四角いキューブカプセルの中に、わずかな水と肥料と種子を入れておけば、あとは自然光と自然大気だけで発芽し、成長して、実と葉がカプセルに隙間なくぎっしりと詰まるような形態である。
さて、野菜や果物はそうやって調達できるとして、お肉はどうなるのだろう。実際、一頭の食用牛を育てるのに、どれほど大量の穀物が飼料として必要かを考えたら、宇宙において松阪牛のステーキが一般庶民の口に入ることになるのかどうか、大変疑わしいことになる。エネルギー変換効率がきわめて低い、非効率的な食品になるのだ。天文学的に高価な品になるのではないだろうか。
そこで当初は、藻や海草のような植物から合成した、植物タンパクの“精進肉”が、肉モドキとして普及するだろう。
次に登場するのは、細胞培養によって増殖させた肉である。手間がかかるので高価には違いないが、これら“バイオ肉”は、百%松阪牛といったブランド化も可能であり、赤身だけのヘルシーな培養も可能だろうから、高級グルメとして定着するだろう。
そして、ホンモノの牛などを放牧して、乳製品や肉を得るような環境は、宇宙人口が数千万とか数億人というオーダーに乗って、ようやく一般化していくものだろう。それまでは、限られた裕福な階層のための、超高級グルメとして君臨することと思われる。
しかしその前に、やや早く庶民化すると思われるのが海産物である。水槽を使った食用魚の養殖は、牛や豚や鶏や羊に比べて比較的小さなスペースで、大量に管理できると思われるからだ。
コロニーの市民にとって、牛肉や豚肉は高嶺の花であり、かわって養殖の“宇宙マグロ”なんかが、手に届く動物性タンパク源となるのではないか。それも遺伝子操作で一匹を巨体化して、効率的に多くの肉を取れるようになるかと思われる。骨や内蔵は少なく、肉は多く、という人工進化が宇宙のいけすで進められるだろう。
ゼロGすなわち無重量のいけすで、ただし水流は作られて常に泳ぎ続ける環境に順応したマグロはどうなるだろう。無重量のため、少なくとも骨量は減るのではないか。
また、さらに進化させて、牛や豚の遺伝子を導入、外観はマグロだが、その肉質は牛肉そっくりといったウシマグロやブタマグロも登場することだろう。『不思議の国のアリス』に出てくる、頭は牛で体は亀といったキメラ動物を彷彿とさせる生き物が、宇宙市民たちの食卓に上るのである。
                        
B生産手段のカギは……そう、やはり、アレ。
「食糧を生産する」とは、どういうことなのか。場所が宇宙であろうがなかろうが、その本質は「生命の窒素サイクルを創る」ことである。
人類を含め動物が生きていくためには、タンパク質の摂取が不可欠である。
タンパク質は何でできているのか。アミノ酸である。
問題は、人類はいまだ、自力で自在にアミノ酸を合成することができないということだ。
これができれば、ノーベル賞はもとより、人類の宇宙開拓は飛躍的に進展するに違いない。
では現在、というより太古の昔から、アミノ酸はどうやって生産され、人類が摂取することができたのか。
植物に依存してきたのだ。
アミノ酸の主要成分といえば、窒素である。
しかし、植物も(限られた例外を除いて)自力で窒素からアミノ酸を作ってはくれない。
そこで、微生物の力を借りている。
土中の微生物が、大気中や土中の窒素を吸収して、アンモニアに変える。だからアンモニアにはふんだんに窒素が含まれている。
このアンモニアを植物が吸収して、何をどうやってか、アミノ酸に変えてくれるのだ。
そのアミノ酸によって作られた植物性タンパク室や、動物が食べることによって作られた動物性タンパク質を、私たちは食べている。言い換えれば、人類は窒素を食って、生きているのである。
そして人類はアンモニアなどの窒素成分を排泄する。あるいは死んだ人類の遺体を土中の微生物が分解して元素に戻すことで、再び窒素サイクルをつないでいくのである。
宇宙でメシを食うことは、すなわち、窒素がかけらほども無い真空の宇宙で、この窒素サイクルをどうやって作り出すか、ということに他ならない。
で、どうするかというと、とりあえず、食べられる植物を栽培することであろう。
 
当初は、窒素肥料を含む液体もしくはゼリー状の培地を水槽にセットして小型野菜を栽培する、水耕方式が採用されるだろう。宇宙船のように限られたスペースでは、植物の生育に加えて、培地に繁殖する微生物も管理するには、このような室内設置で密閉型の手法に頼らざるをえない。
また、大型の宇宙コロニーにおいても、あらかじめ巨大化させた品種を巨大プールのような水耕方式で栽培することが考えられる。さしわたし1mもある芋やトマトを収穫することで、より効率的な食材確保をはかれるだろう。
しかしいずれ、コロニーがより大型化すれば、さらに地球の自然に近い、土による栽培が望まれるようになると思われる。コロニーをバイオスフィアとして、自然なエネルギー循環を実現するためだ。
宇宙で土を作るには、どうすればいいのだろう。水分を含んだ小惑星とか、月の岩石を砕いて土砂をつくることはできる。しかし、植物を育てる養分を含んだ、農業土壌をつくるには……
英国領アイルランドに近いアラン島は不毛の岩石の島で、そこで芋などを育て収穫するために、人々は岩を砕いて砂とし、その中に、海岸で採取した海草をまぶして、長い年月をかけて土をつくったという。
要するに、無機物の砂に、有機物を混ぜて、土としたわけだ。
それでは宇宙で、小惑星などを原材料にした土砂に混ぜる有機物は、どこから持ってくるのか……。
あまりSFでは話題になりにくいが、人類の排泄物が主要な原料になることだろう。
そう、アンモニアを含む、あの物体である。
たとえば初期コロニーの人口が一千人としよう。固形排泄物の“大”を一人一日平均二百グラム排出するとすれば、一日で0.2トン、一年で73トンになる。人類古来の農業史に燦然と輝く人糞肥料の資源、これも言葉はよくないが、いわゆる“田舎の香水”が、労せずしてそれだけ生産されるのだ。
宇宙人口が増えれば、排泄物はもっと増える。『機動戦士ガンダム』にみられるオニールV型コロニーの収容人口はコロニー1本で約五百万人(『ガンダム・センチュリー』より)とされ、やはり固形の排泄物が一人一日平均二百グラムとすれば、たった一日で一千トン、一ヵ月で約三万トン、一年なら約36万トン!。現代において中東から原油を輸送している巨大タンカー一杯分にもなるのだ。ガンダムのコロニーは美しく牧歌的に見えるが、日々汚物処理を続けていかないと……言葉は悪いが、あえて言おう……“クソの山”を築いてしまう危険をはらんでいるのである。
宇宙では、食べる物の心配と同時に、出す物の心配もしなくてはならない。
人類の排泄物の再利用は愁眉の急なのである。
そこで、最も手っ取りばやいのは土壌堆肥とすることだ。含まれる微生物や臭気の制御を施してから、宇宙のどこにでもある真空でフリーズドライし、小惑星産の土砂に混ぜられることだろう。そのほか、台所から出る生ゴミも厳正に分別して加え、植物栽培のための、土の一部分として活用されるはずだ。また、人類の液状排泄物“小”も、成分を分離して水耕栽培の培地や肥料として再利用するシステムが作られるに違いない。
 
このように、窒素の獲得と、その循環。すなわち「窒素サイクル」の確立こそが、真の「宇宙食」を実現するのである。
そして、人類による宇宙開拓とは、「窒素サイクル」の地球圏外への持ち出しを意味するのだ。
 
未来の太陽系宇宙社会において、人口の多い裕福なコロニーでは、日々の排泄物の処理に困る事態も考えられる。その一方で、人口の少ない開拓中のコロニーや、テラフォーミング中の火星とかでは、土壌に混ぜる有機物が不足する。古いコロニーから新しいコロニーの農場へと、人類の排泄物を満載した“肥え溜めタンカー”が飛びかうことになるだろう。
臭い結末になって恐縮だが、果てしない大宇宙、人類のファイナル・フロンティアでさえも、言葉を替えれば、果てしなき人類の糞便の垂れ流し先なのである。
 
 


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