Essay
日々の雑文


 59   20091026●雑感『黄昏のUSJ』
更新日時:
2009/10/26 
 
 
 
 
 
 
 
黄昏のUSJ
 
 
 
 
 
 
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十月上旬。
USJ、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに初めて行って来た。
関西随一のテーマパーク、オープンが2001年、やっと行くことができた。私以外の家族はすでに、学校の遠足などで体験ずみである。
自宅からドア・ツー・ドアで1時間半、日帰りで開園から閉園までしっかり1日楽しめる場所に住んでいながら、「いつか、そのうち、いつでも行けるしな」と思っているうちに、はや2009年も年末が近づく。出遅れもいいところだ。
サラリーマン生活はやたらと忙しい。出遅れついでに、全く予習なし、家族に連れられて、のこのことついていく。
私はごく素朴に期待していた。ゆにばーさると称するからには、アメリカのスピリットが輝く、アメリカのエンタテイメントがあふれる別天地に違いないと。
大阪・西九条の駅から、あのド派手な普通電車に乗って、ユニバーサルシティという、いかにもスペオペ的なネーミングの駅で降りる。そこに、寺社の門前町の如く連なる、ユニバーサル風のアーケード街。
ここで、ふと違和感にとらわれる。ここはアメリカはハリウッドのテーマパークだと思うのだが、どうみても、たこ焼きやお好み焼きといった大阪的コナモンの雰囲気が漂うのだ。
雰囲気は決して悪くない。ディズニーリゾートに比べるとなにやら摩訶不思議に大阪庶民的であるところが、風情である。しかし、肝心のテーマパークまで、ハリウッドの気分はいずこやら、なんとはなしに、ずーっと大阪風だったのだ。どこが、どうというものではないのだが、体験された方はおわかりであろう。
天下のUSJは、いまや大阪のメリケン風遊園地に脱皮していたのだ。松下電器をパナソニックと称するが如く、まるで京都の太秦映画村にユニバーサルの看板をつけるみたいな、巨大なる大阪ギャグが、ここにあったのである。(あくまで個人的な感想であるが)
 
もっとも、その日の前半の印象はすばらしかった。
エントランスから大屋根をかぶったメインストリートへと、その四囲を彩る1920年代アールデコ風デザインのパビリオン、1950年代あたりを彷彿とさせる建物群。おお、ディズニーシーの昔風紐育(にゅーよーく)の街並みと同じくらい、凝った作りではないか。
そう、建物や施設デザインに関する限り、おそらくオープンしたときにリキを入れて凝りまくったのであろう、その努力が見事に実を結んでいるのだ。
ここは、アメリカだ。ハリウッドだ。そんな自己暗示が霊力を発揮できるほどの魅力は、存分に発揮されていたのである。
 
大屋根を抜けてしばらく歩いたあたりで、私は目を見張り、感動に震えて家族たちの足を止めさせた。
あったのだ。あの映画で見た、あの場所が。
メルズ・ドライブイン。
円形の平屋のレストランに、クルマの鼻面を向けて放射状に停める。駐車スペースの脇に、ポストのように立つインターホンを通じて注文し、車の中で食事することもできるシステムだ。登場するのは、ローラースケートを履いた、きゃぴきゃぴのウェイトレスの娘さん。ハンバーガーやポテトやチェリーコークを、ドライバーの座席まで妖精のように運んでくれる。
おお、メルズだ。まぎれもなくあのドライブイン。かの名作『アメリカン・グラフィティ』の冒頭を飾り、ラストをしめくくり、登場人物の思い出が編まれることになる重要な場所である。
映画は1973年の作品だが、描かれるのは1962年、高校を卒業して明日からそれぞれの道へ歩み出す、ごくありふれた四人の若者たちの、記念すべき青春の一夜を描く。
DVDは必見、メイキングも見逃さずに。
この一作に、アメリカの青春がある。
物凄い事件は起こらない。もちろんCGなんか全くなし。若者たちの、生の演技があるだけだ。夜の地方都市、クルージングと称して女の子をハントするドライブ、ダンスパーティ、ロックンロール、はじめてのウイスキー、恐らくはじめてのキス、ラジオ、DJ、明け方のカーレース、彼女との出会い、別れ、再びの抱擁。そしてプロペラ旅客機、旅立ち。それぞれの要素はなにひとつ異常なものはなく、エキサイティングなシーンもほとんどない。
それでも、人の胸を震わせる、とんでもない名作である。なぜか。
そこには、誰もがふと思い出す「あのときの自分」がいるからだ。アメリカの人間でなくても、登場人物の思いに共感すれば、そこに、あのまぶしい朝、旅立ちを迎えた自分を重ねることができるのだ。
あの映画の一場面が、ここにある。
そしてなんと、当時のネオンも懐かしいドライブインの前には、映画に出ていたそのままの名車がずらり。60年代はじめ、アメ車が世界を制していた往時のヴィンテージ・カーが、たぶんレプリカであろうが、ぴっかぴかで、ここにある。ああ、このシートに、当時はまだ無名であり、ただの若造だったリチャード・ドレファスや、スターウォーズに出る前の売れてないハリソン・フォードたちが座り、意気揚揚と乗りまわしていたのであろう……と想像してみる。
うーむ、アメリカのいちばん良かった時代の青春じゃんか。
う、嬉しい……。
これぞまさに、銀幕の世界遺産とも呼ぶべき、ファンの聖地であろう。
こんな場所がいくつもあれば、何度でも来たくなる。ユニバーサルでなくて恐縮だが、たとえば映画『カサブランカ』の「リックのカフェ・アメリカン」が再現されていて、ときにはハンフリー・ボガート似やイングリット・バーグマン似のキャストが訪れてくれて、ドイツ軍の連中と歌合戦など演じてくれるなら、きっと何年も訪れ続けるに違いない。
 
しかし……
あたりを見回すと、感動してうるうるとメルズ・ドライブインを見つめているのは、私一人である。
行き交う群集は、たいてい子供連れの若い夫婦とか、いまどき死語のアベックたち、その大半は、だいたい『アメリカン・グラフィティ』など、見たことも聞いたこともないという顔つきで、メルズのネオンなど見上げることもなく、通りすぎていく。並んだヴィンテージ・カーなど、ベビーカーの邪魔になると言わんばかりだ。
知らないだろうなあ。製作フランシス・コッポラ、監督ジョージ・ルーカスというビッグネームが絶妙のカップリングで産み落とした、超低予算の超ヒット作を。
ここが『アメリカン・グラフィティ』の舞台であることを知らせるインフォメーションはどこにもなく、その他大勢の建物と同じように、メルズ・ドライブインは佇んでいる。
ユー・エス・ジェイは、そんなテーマパークだった。
 
最初に見たアトラクションは「ウォーターワールド」だった。1ヵ所、爆発しそうでし損ねたように見えたシーンがあったが、そんなことが気にならなくなるほど、演技も特撮もすばらしかった。これが映画だ、これがスタントだ、そんな出演者の意気込みが伝わってくる。狂言回しの役になる浮遊要塞の保安官の口上も、アメリカン・ギャグが光っていて、たいへん好感を持てた。ハリウッドのスピリットである。
次に見たのはミュージカル「ウィキッド」のダイジェストだった。ディズニーシーのステージに比べると施設は小規模ながら、演技の質はなんら遜色なかった。ダンスも、歌も、激しく美しく朗々と響き、本格派だった。もともとミュージカルと映画産業は親子みたいなものだ。ここにもハリウッドの心意気があった。
 
しかし……
どこか、物足りない。
施設も演技も立派なものがある。しかし観客の多くは、その立派さにはあまり関心を払っていないように感じるのだ。求めるのは、映画人の心意気なんかではなく、スリルとホラーとサプライズ、そして記念写真とお土産。帰宅してからホームページを見たところ、集客の目玉は、一二年前にオープンしたジェットコースターであるとのこと。
そう、オープンしたときのパーク側の思いと、観客が期待するアミューズメントとの間に、微妙なミスマッチが生じているのだろう。
たとえば、パーク内に「オズの魔法使いの国」があり、オズにちなんだ回転木馬やレストランやアニマルショーなんかがある。しかし、とても残念なことに「オズの魔法使い」の物語を追体験できるアトラクションがないのだ。ここを訪れる観客の何%が原作の魅力を知っていることだろうか。ヒロインのドロシーの活躍もさることながら、ライオンや案山子やブリキマンが望んでいたことが、最後の結末で、どのようにしてかなったのか、その意味を知るためのアトラクションがないのである。
なぜ、ないのだろう。最大の理由は、こうではないか。
観客にウケないからだ。観客が喜んでお金を払うのは、映画がどうとか、原作がどうとかいう薀蓄のエピソードではなく、あっと驚くアクションや可愛いキャラクターなのだ。事前勉強のいらない、インスタントで即物的な、脳ではなく五感だけで処理される快感刺激。ユニバーサルなのにキティちゃんがいるのも、そういった理由からだろう。
 
悲しいかな、ユーエスジェイは、オープン後8年を経て、その中身が大きく変質してしまったのであろう。
その現実に直面させてくれる、極めつけのアトラクションに出会った。名作「ET」のライド型アトラクションが終了し、施設が改装されている間に穴埋め的に公開されているアトラクションだ。これに関して私はノーコメントである。ただ、もしも,今後パークのリピーターが減少したら、このアトラクションに原因の一端があると疑ってもいいのではないだろうか。
パークを埋める観客はほとんど、東京のディズニーランドやシーを体験しているはずだ。ここがディズニーランドだったら絶対にやらないであろう禁断の売り物に手を染めたということならば、観客の幻滅は大変なものだろう。それはいつか、観客の足を遠のかせるかもしれない。そのような憂鬱を、USJははらんでいるように見える。
 
銀幕の楽園は、ひょっとすると、内側から静かに、黄昏時を迎えつつあるのかもしれない。
凝りに凝ったすばらしい施設、舞台設定、しかしその魅力が一言も語られぬまま、そして観客も興味を示すことの無いまま、この場所で懐かしき映画の伝説は苔むして、朽ち果ててゆくのであろうか。USJの魅力は、じつは奥深い。1920年頃の禁酒法時代を思わせる街並みには、アル・カポネやチャップリンの姿が似合いそうだ。再現された街並みのウインドウには、当時の商品が並ぶ。あの楽器店は、無名のグレン・ミラーがトランペットを質入れした店ではなかろうか。どこかのドアには、フィリップ・マーロウ探偵事務所の表札があるのではないか。『シャレード』のオードリー・ヘップバーンと、ふとすれ違うのではないか。そんな夢想に引きこまれるような場所でもあるのだ。
スパイダーマンとの記念撮影の背景でしかなくなってしまった街並みだが、その路地裏には、まだ、古き良きムービーの精霊が息づいている。
無くなって欲しくない場所、しかし、今のうちに訪れておかなければ、そこは近いうちに、ジェットコースター系の絶叫マシンと、巨大キティをはじめとするアニメキャラクターたちに占領されてしまうかもしれない。
 
美しきものは、いずれ滅びゆく。ひっそりと、ただ消え去っていく。
たぶんUSJには、また行くことだろう。その黄昏の風景を、記憶に残すために。
 
        ◆◆◆
 
ところで……
USJに入場すると、スタジオガイドブックなる小冊子を手にすることができ、これを頼りにお目当てのアトラクションへ向かうことになるのだが、その終わり近くのページに「撮影に関するご注意」という小さな囲みが、そっと控えめに自己主張している。
小さな表示ほど、見落とさないようにしよう。こんなことが書いてある。
「パーク内で番組撮影やスチール撮影をすることがあります。このときたまたま画面に入ってしまった皆さんは、自動的に、世界中のメディアやホームページ等での広告・宣伝への掲載を同意されたものとして取り扱われます」
うっかり写ってしまったら、肖像権は放棄したものとみなしますよ……ということらしい。
気をつけよう。会社をサボって彼女とやってきて、うっかり写されてしまったら最後……ってことだね。


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