Essay
日々の雑文


 52   20081207●雑感『ダブル・ヒートテック、父鍋…』
更新日時:
2008/12/08 
20081207
 
 
 
 
ダブル・ヒートテックと、
父鍋、グータスカレー
 ……この冬の衣食雑感
 
 
 
 
●ダブル・ヒートテック
 
寒波がやってきた。自宅の室温が10度を下回る。当家では私を除く全員が灯油の臭いを嫌う上に急激な原油価格高騰が重なって、昨年の冬は灯油抜きのノンオイル生活となってしまった。しかも我が家のリビングも私の部屋も、エアコンは冷房機能のみなのだ。寒かった。ココロは南極越冬隊だった。置き去りのタロ・ジロだった。そして今年も灯油は高い。ノンオイル生活は必定である。心ならずもお寒いエコ生活。だが室温10度以下になると、相当着込んでも、首筋や手先・足先が疼くようにかじかみ冷えて日常生活に支障をきたす……
 
どうしたものかと思案の矢先、救世主が現われた。「ヒートテック二枚重ね」だ! ユニクロ様のヒートテック。そのシャツとタイツと靴下を二重に着て、カシミヤのセーターやらフリースを上に重ね、腰部と、血管が集まる両肩の下あたりに貼り付けタイプのカイロを装着して血液を温める。腹巻をドーナツ状にまるめて首巻きに使う。室内でも毛糸の帽子をかぶる。
ここまですれば、小さなパネルヒーター一枚だけの冷たい部屋でも、割合ポカポカ気分でしのげるのだ。もっとも外見はメタボ熊、ガンダムのズゴックかアッガイか、オーバーマン・キングゲイナーになってしまうけど。ともあれダブル・ヒートテックの威力はハラショーだ! これを「防寒複合装甲」と讃えたい。ヒートテックの重ね着はかなり流行っているようで、ユニクロの戦略はさすが! 二倍売れるからね。
 
●“父鍋”……私的“ドレッドノート鍋”
 
さて、私は常々、会社の帰りにスーパーで安い食材を買っているが、ここ数か月は家庭の事情で、さらに調理作業も加わることが多くなった。そこで冬は、やっぱりお鍋。
スーパーで半額を探す。生椎茸の半額か、もしくは生牡蛎の半額のどちらかに遭遇できれば、鍋のコンセプトが決まる。ターゲット・インサイト、ロックオンしてゲットしよう。これを、半額をいいことに、一気に三、四パック買ってしまう。続いて半額のネリモノ軍団(ツクネやダンゴやチクワにハンペンの類)とか、焼き豆腐、ガンモの類を少し、そしてまた半額の白菜、人参、葱の身柄を確保できれば成功だ。
 
鍋のスープは、ありふれた徳用のカツオツユで薄めに。そこへ半額の生椎茸もしくは生牡蛎を、全部どかんと投入する。つまり単純に、肉も魚も使わない椎茸鍋(もしくは牡蛎鍋)を作るだけなのだ。ただし、投入量は通常よりもはるかに多い。異常発生したエチゼンクラゲの如く、鍋の沸騰面を圧しておびただしい数の椎茸(傘は切断せず原型のままが良い)、もしくは牡蛎がぐつぐつとひしめくのだ。三十個あたりが目安だろう。
そこへ脇役として、ネリモノ軍団(あまり油っこくないものが良い)や、これも大量の白菜など野菜挺身隊を増援していく。たったそれだけのことなのだが、これが、当家でこれまで食してきた鍋類の中でトップクラスの美味い鍋になり、家族に大好評だった。とりわけ白菜が美味しく食べられたことに、かなり驚いた。察するに、ただのカツオツユというシンプルなスープに、ひたすら大量の椎茸、もしくは大量の牡蛎のおダシが明瞭にマッチしたためではないかと思う。
シメはうどんで残敵掃討。もともとがカツオツユなのでうどんに合う。
 
で、何が言いたいかというと……
鍋というと品種別に専用のおダシが並び、寄せ鍋セットなど多種多様に揃いまくる、グルメ大国ニッポン。しかしこの現象は宿命的に、味覚の許容値を超えた複雑化のリスクを内包しているのではないか。多品種少量で、あれもこれもがおダシとなって、一基の鍋に混在する。それは、いろいろな味覚要素を少しずつ混ぜることで高度な風味を合成しているのだろうけど、限度を超えて複雑化しすぎると、かえって普通の舌では認知できなくなったり、脳が味覚の解析を面倒がって、本当の美味さが理解できなくなってしまうのではないだろうか……。綺麗な絵の具も混ぜすぎると泥色になってしまうように。
 
さて、同時に思ったのは、鍋の主人公は、肉や魚よりも、本当は野菜の方ではないかということ。主人公の引き立て役みたいな白菜や葱や人参。だけど、それらの野菜をおいしくするためにダシを取る、と考えれば、贅沢なほど大量の椎茸、もしくは牡蛎に統一した方が、舌にとって美味さがわかりやすい。そういうことだろう。そもそも舌の基本的な機能は、食って安全か毒なのかを瞬間検知することであって、TVでタレントがやっているように、目隠しして百グラム二百円の肉と壱万円の肉を味わい分けることではないはず。むしろそんな複雑で高度な機能を舌に求めたら、かえって基本的な“毒味”機能を損ねることがあるかもしれない。グルメな料理ほど、危険な成分を隠し味に使うだろうから。特殊なフグ料理で「ちょっと舌が痺れるくらいが美味い」とか言うように。
 
ニッポンの料理は世界一美味いのだろうけど、そのかわり、常人の味覚を超えて複雑化の道を走っているのだ、きっと。TVではタレントたちが超高級グルメに舌鼓を打つ一方で、味どころではない大食いを競い、庶民の日常的な食生活とは関係ない、非現実の世界ばかりが強調されている。かたや庶民の食生活には、メタミドホスやメラミンなど、人類の舌にとって未経験の毒が侵入している。現代の私たちの舌は確実に、何が美味いか不味いのか、安全なのか危険なのかを判断する物差しを失いつつあるのだろう。
 
……以上のようなことは主婦なら誰でも知っているのだろうけど、たまたま愚鈍なほど単純な鍋を作ってみて、実感した次第。
思えば昔、前世紀の初頭に登場し、“超ド級”の語源となった傑作戦艦ドレッドノートの強みは単一巨砲主義だった。
それまで主砲4門と副砲多数だった戦艦。その副砲を全廃して、主砲だけを一気に10門に増やしてしまい、理論上無敵を達成した革命的戦艦だ。
鍋も、そうかもしれない。あれこれ混ぜない単一味覚主義こそ最強なのであろう。
ということで、自分が作った大量椎茸鍋や大量牡蛎鍋を“ドレッドノート鍋”と名付けようとしたけれど、家族に理解されるはずもなく、おやじが作るからという理由で、「父鍋(ちちなべ)」ということになってしまった。まあいいか……
 
●グータスカレー
 
さて、我が家のおやじメニューには、グータスカレーというのがある。スーパーの肉コーナーで、半額になった鳥肉ミンチや豚肉ミンチと出会ったとき、このメニューが具現化する。半額ゆえに大量のミンチを買って帰ると、これも多めの玉葱とともに炒める。もちろん油を足す必要はない。たとえば鳥ミンチ400グラムに玉葱三個分とかを炒めると、余分な油を捨てつつ、それを鍋に入れ、そこへあらかじめ業務用食品店で買っておいたチキンカレーのレトルトパック5袋の中身と合体させる。つまるところ、具が少なくて物足りないレトルトカレーに「具を足して」やるわけだ。
これもまずは家族に好評で、安価なレトルトよりも良い味で、手っ取りばやくカレーを食いたい……というときに、一応の目的を達成してくれる。
 
なお、特に食材の半額にこだわるつもりはないが、不況のご時勢、家計に優しいことはもはや味覚のうちであろう。どうせなら半額の食材から、家族が喜ぶものができたときこそ、作り手の喜びも倍加するのである。
 
家内の帰りが遅いとき、台所に立つ私に息子が聞く。「今夜は何があるの?」
私は答える。
「カレーライスかカレーうどんかカレーシチューだ」
あるいは「惣菜のコロッケカレーか惣菜の魚フライカレーか、何も載せないカレーだ」
もしくは「あったかいカレーか冷たいカレーか生温いカレーだ」
毎日新聞日曜連載の『チッチと子』みたいにできるはずがないよね。
国民に総選挙させる某国の独裁者が「おれに投票するか、おれの妻の夫に投票するか、それともおれを除く誰にも投票しないか、どれを選んでも自由だぞ」と気前よく言うようなものであるが。
 
そう言えばある国が若者に保障している「職業選択の自由」に似ているような気もする。「どれを選んでもいいですよ。ニートかフリーターかパートかアルバイトか日雇い派遣。どうです、すばらしい国でしょう!」
 
うーむ、手間をかけずにレパートリーを増やすには、どうしたらいいのやら……
 
 


prev. index next



HOME

akiyamakan@msn.comakiyamakan@msn.com