Essay
日々の雑文


 46   20080600●クラーク氏追悼『旅立ちのエレガンス』
更新日時:
2008/06/30 

旅立ちのエレガンス
 
1978年春。人類、月へ旅立つ。
それは、クラーク氏の処女長編『宇宙への序曲』のこと。
ハヤカワSFシリーズ“銀背”の裏表紙に見る、原書表紙の宇宙船プロメテウス号の優美なこと。
あの有名な鐘の音を合図に、尖った船首とぴんと立った翼がきらめく風となって、
オーストラリアの大平原、全長五マイルの電磁軌道を疾走し、
宇宙へと一気に昇りゆく姿。
そのイメージの壮麗さには、息を呑むばかりです。
とはいえ旅立った後の冒険は語られず、少年読者には残念でした。
しかし今、読み直してエピローグに至ると、新たな感動が押し寄せてくることに驚きます。
ああ、SFだからこそ、そして氏の作品だからこそ、
人類の旅立ちとその到達点をこのように語れるのだ……と。
私が初めて氏の作品に触れたのは、小学校の図書室。
ジュブナイルの『宇宙島へ行く少年』でした。
「クイズに答えて宇宙へ行こう!」、まさに子供心が躍る設定です。
そこへ映画『2001年宇宙の旅』が公開されて、世は宇宙旅行ブーム。
「未来は商店会の福引きで月旅行だ!」と信じてしまった少年少女は、
私だけではなかったでしょう。
子供の他愛ない夢ですが、そう信じさせる科学力が、氏の作品にあったのです。
そしてまた、僕もSFを書きたい! と思わせる強烈な点火力も。
振り返れば、氏の作品に常々描かれてきたのは“旅立ちの形”でした。
処女長編や『幼年期の終わり』から『楽園の泉』へと、
数々の大作のモチーフは“人類の旅立ち”であったと思います。
天空のはるかな高みに手をかざし、前人未到の世界へ旅立とうとする人々。
旅立つ人のために科学の基盤を築き、出発の支度を整えてあげる人々。
特に印象に残るのは、旅立つ人も見送る人も上品にして優雅であること。
人類の野蛮、狂気、戦争といった非道はあえて背景に沈み、
誰もがそうありたいと願う理性豊かな人物が、穏やかな勇気を持って力を尽くします。
そして多くの場合、作者クラーク氏は、物語の中で、旅立つ人を科学の力で支え、
手を振って送り出す側におられたような気がします。
そこにあるのは、旅立ちのエレガンス。
作品世界に生きる人々の上品さ(エレガンス)と、科学的な精確さ(エレガンス)が見事に調和した極上のラストシーンに、魂をゆさぶられずにおれません。
晩年の氏は「存命中に地球外生命の証拠に出会いたい」と語っておられたと聞きます。
しかし、サー・アーサー・C・クラーク、ひょっとすると、
じつは、あなたこそ異星から地球を訪れた紳士だったのではありませんか? 
その日、氏のベッドの正面には漆黒のモノリスが立ち、
そして氏は正装に着替えると、眼鏡の奥から上品なウインクを返しつつ、
「さて皆さん、それでは、おいとまするとしよう」と微笑んで、
モノリスの彼方、満天の星降る世界へと旅立って行かれたのではないか。
そんな気がしてならないのです。
 
 
 
 
早川書房『S‐Fマガジン』2008年6月号(4月末発売)に、
アーサー・C・クラーク氏の追悼文を
書かせていただきました。
 
クラーク氏の魂は、今、宇宙の何処を
旅しておられるのでしょうか…
 
My God, it's full of stars!
……「2010」
 
 
 


prev. index next



HOME

akiyamakan@msn.comakiyamakan@msn.com