Essay
日々の雑文


 43   20080117★映画解題『忘れ得ぬ少女たち(アニメ編)』
更新日時:
2009/02/15 

スコットランドにて。サー・ウォルター・スコット号。
写真をクリックすると『パタパタ飛行船の冒険』公式サイトへ
 
20080117
 
忘れ得ぬ少女たち〈アニメ編〉
 
 
アニメ作品に欠かせないヒロイン。
その類型を整理するために、20世紀から21世紀にかけて心に残るアニメ作品25本から、忘れ得ぬ美しき少女たちの肖像をコメントしてみます。
振り返れば、数々の少女キャラクターが絢爛豪華に画面を彩っていたことが偲ばれますね。
なお、各コメントのナンバーは、順位ではありません。
 
 
01
『スクラップド・プリンセス』
世界に追われる猛毒の捨て姫、パシフィカ(2003年)。
16歳になったら世界を滅ぼすとして王家から捨てられた“廃棄王女”であり、命を狙われる逃亡の身。なのに彼女は行く先々で、天真爛漫に友達を作ります。16の誕生日の前に、自分は死ぬべきなのか悩みつつ。最終話、瀕死のパシフィカを抱いて、天に慈悲を乞う姉ラクウェルにもらい泣き。21世紀のファンタジーで、これだけは見落としたくない、心あたたまる傑作です。
 
02
『ふしぎの海のナディア』
亡国のワガママ姫、ナディア(1990年)。
本来高貴な身分なのに、サーカスの芸で身を立てる実力派。自分から誰かに命じるよりも、事態の変化に流されることが多いのに、いつのまにか自分中心に世界を回してしまうワガママぶり! さすが、黙っていてもプリンセスのオーラがキラキラ。男友達はたちまち奴隷化されてしまいます。国破れて山河ありと言いますが、国滅びてナディアあり。美少女は不滅なのですね。
 
03
『アナスタシア』
悪魔と戦うアルバイト皇女、アナスタシア(1997年)。
革命で国を失ったホンモノの姫君……だというのに記憶喪失。半信半疑ながら、詐欺師によってニセモノ姫に仕立てられ、アルバイトで皇女を演じるはめに。最初はヘボ役者の彼女ですが、底抜けのバイタリティで難局を打開。命をつけ狙う悪魔ともガチンコ対決します。爽やかな恋と冒険のミュージカル。幸せを自分でつかむ元気少女にウラー三唱!
 
04
『風の谷のナウシカ』
弱き祖国を背負う悲運の姫君、ナウシカ(1984年)。
この責任、この重圧。大国の横暴に涙を呑んで、同盟軍に加わる辺境の王女ナウシカ。自然を愛で、虫たちと共感できる傷つきやすい繊細な心を秘めて、気丈に戦地へ赴く悲壮の旅路。残酷な戦乱の地獄にあっても、ナウシカの無言の眼差しだけで誰もが心を溶かされます。崇高な自己犠牲とともに、彼女が金色の野に降り立つ場面は、涙なくして見られません。
 
05
『アリーテ姫』
科学する熱中王女、アリーテ(2000年)。
言い寄る騎士たちを難解な議論で追い払う色気のなさ。魔法使い全盛のファンタジー世界と思いきや、魔法を科学で解明してしまう味気ない姫さまですが、王女の権威などあっさり捨てて、世界の探究に出発してしまう身軽さに喝采! 飄々としてこだわらず、真理のみを友として、進もう世界の果てまでも。きっと、どこまでも行けるさ。アリーテと一緒なら。
 
06
『無責任艦長タイラー』
史上最年少(?)の美少女皇帝陛下、アザリン(1993年)。
ワガママだけど純情、コケティッシュでチャーミング。敵の将軍をも尊敬し、葬式には敵国へお忍び弔問する大胆さも。こんな皇帝になら、喜んで征服されてあげたい? それにしても、無責任なタイラーをはじめ、奸臣ワング以下、曲者揃いの脇役ばかり。取り巻きの人材にはよくよく恵まれない皇帝陛下でありました。思えば、全編を通じて最もフツーな女の子だったのかも。
 
07
『新機動戦記ガンダムW  Endless Waltz』
史上最年少(?)の美少女独裁者、マリーメイア(1998年)。
世に独裁者数々あれど、歳の若さと在位期間の短さでマリーメイアに勝る者なし? 哀れ、その三日天下ぶりはあまりに無念。デギン・ザビもシャアもそうでしたが(リリーナだってね)、独裁的指導者は後見人と後継者に恵まれないものです。しかし挫けるなマリーメイア。美貌に磨きをかけてリベンジするのだ。十年後のきみに期待!
 
08
『てなもんやボイジャーズ』
宇宙最凶の極道娘、パライラ(1999年)。
いちおう女子高生なのに、テキヤスタイルでオヤジギャグをブチかまし、戦闘ロボットを操縦して、騙すわ脅すわ盗むわブッ殺すわのやり放題。ご意見無用の超破天荒少女、ここに見参! 追い掛ける女刑事も相当危ない人でして、4話で終わったのは悲しいけれど、続いていたらもう死屍累々?……の問題作。ただし映像や音楽は驚くべきハイクオリティ!
 
09
『未来少年コナン』
薄幸の戦災少女だった悪玉幹部、モンスリー(1978年)。
飢えも貧困も屈辱も、権力への追従も奸計も体験した彼女にとって、生きることは戦うこと、戦うことは奪うこと。殺伐として冷酷に生きる彼女は、いまだ戦争も飢餓も絶えない21世紀に、時代を超えて存在感を増してきます。コナンとラナに出会って、人の心の温もりをふと思うモンスリーの“魂の救済”は、本作の重要なテーマではないでしょうか。
 
10
『パタパタ飛行船の冒険』
科学時代の博愛飛行少女、ジェーン(2002年)。
発明好きで一途なお嬢様が、愛する兄を追って冒険に出発。いかにも優等生キャラで面白みに欠けると思われがちですが、最終話で悪を滅ぼすのでなく、必死で「善に立ち返らせる」あたり、並の美少女キャラを超えた壮烈さも発揮します。のどかな作風の反面、後半では多数の犠牲者続出。悲嘆を超えて穏やかに生きるジェーンに、しんみりと感動が湧く結末です。
 
11
『アリオン』
男泣かせの献身少女、レスフィーナ(1986年)。
捕われてボコボコにされた少年アリオンを、黙して優しく介抱し、命をかけて助ける姿の美しさ。安彦監督の関係作品では、『ガンダム』のフラウや『ヴイナス戦記』(1989年公開。DVD化求む!)のマギーといった、不器用でも一生懸命に頑張る男の子に、母親のようにかいがいしく世話を焼くナイチンゲール少女が輝きを放ちます。
 
12
『機動戦士ガンダム』
家族を養う間諜少女、ミハル(1979年)。
ゲストキャラですが、彼女がいなかったら作品全体の印象が変わりそうなほど、影響力は主役級。美貌でなく知的でもなく、高潔でも上品でもありませんが、そんな自分の弱さを一番よくわかっているのはミハル自身。必死で弟妹を食べさせていく健気な姿と、悲しい結末に胸を打たれます。「お金は少しずつ使うんだよ……」は、涙誘う名セリフですね。
 
13
『ジブリがいっぱいSPECIAL ショート ショート』
所収の短篇『On Your Mark』で、自由な大空へ解き放たれる薄幸の少女天使(1995年)。
1970〜80年代の“宮崎アニメ”には、『未来少年コナン』のラナや『さらば愛しいルパンよ』のマキ、『カリオストロの城』のクラリス、『天空の城ラピュタ』のシータのように「悪漢に捕われた少女を勇敢な少年が救い出す」というモチーフが見られます。本作の少女天使はその決定版。飛翔シーンの神々しさには心洗われます。
 
14
『THEビッグオー』                 
無愛想アンドロイド少女、ドロシー(1999年)。
機械のくせに、ご主人を「最低ね」と見下す態度のデカさ。それでよく家政婦が務まるものですが、ごくたまに「ありがとう」なんて言われると、思いきり大事にしてあげたくなるではないですか。ご主人の男心を手玉に取る彼女は、不器用に見えながら、じつは人間の小悪魔少女も驚く超絶テクニックを駆使しているのかも。一家に一台、メイドのドロシーはいかが。
 
15
『メガゾーン23 PartU』
世界滅亡のバーチャル歌姫、イブ(1986年)。
ただのアイドルでなく、本当にメガゾーンの終末を握る“滅びの女神”であるところが一味違います。崩壊する世界を背景に「秘密く・だ・さ・い」を歌うイブの妖艶さ。『超時空要塞マクロス』でミンメイが熱唱する「愛は流れる」も、敵にとっては、同じように終末をもたらす災厄のアリアであったことでしょう。美少女の可憐な歌声は、ときに世界を滅ぼすのです。
 
16
『メトロポリス』
人と機械の狭間で錯乱する少女、ティマ(2001年)。
本家ハルボウの『メトロポリス』(1927年)では美少女ロボットが魔女のごとく大衆を扇動し、破滅へ導こうとしますが、こちら手塚治虫原作版の少女ティマは、身体は機械、心は人間へと引き裂かれて「ワタシハ ダレ?」と苦しみ涙します。それは人でもなく機械でもない“第三の存在”の誕生を予感させる先駆的なシーンでした。ティマの瞳に、乾杯。
 
17
『ゲートキーパーズ21』
現代社会の孤独な戦闘少女、綾音(2002年)。
前作『ゲートキーパーズ』の時代から30年余り。親はなく、一人寂しく侵略者と戦う彼女は知っています。セカイノオワリは、天が墜ち地が崩れるよりも先に、私たち人間の心の中から始まるのだと。この凄惨な孤独感は『最終兵器彼女』にも通じるものがあるでしょう。最後に一人の親友を得て、眼鏡を外す綾音の微笑みには、戦いを超えた“幸せ”が光ります。
 
18
『ノワール』
死を司る黒き手の処女、霧香(2001年)。
自分が何者なのかわからずに、日々の糧の如く人を殺める霧香。自己が無であるがゆえに、罪を知ることも悲しむこともない(『ガンスリンガーガール』もそうですね)。そんな自分に涙する霧香を救うミレイユの優しさ。心の闇と戦い、真実を知った霧香が受け入れる罪とは? この世界に自己喪失する貴女に捧げられた、穢れなき罪人の鎮魂歌……。
 
19
『少女革命ウテナ』
柩に眠る薔薇の花嫁、アンシー(1996年)。
自らを嫌悪し、心を幽閉した少女アンシーに手を差し伸べたのは、世界を革命する男装の麗人ウテナ。不可解なキーワードに彩られ、華麗なる決闘の果てに迎える、急転直下の最終話。ついに柩の蓋を開くアンシーが出会ったのは……。“友情”をテーマに、思春期の心象世界が織り成す耽美のタペストリー。これぞ20世紀TVアニメの最高峰でしょう。
 
20
『シムーン』
旅立つ永遠の巫女、アーエルとネヴィリル(2006年)。
神に捧げる聖なる祈りを戦争に利用され、巫女でありながら戦闘兵器として人格すら否定された少女たちが、勇気をもって死と対峙し、自らを取り戻して、ついに“魂の救済”を得る物語。まぎれもなく、日本のSFアニメが到達した至高の領域ではないでしょうか。少女二人の永遠へのフライトは、『トップをねらえ!』最終話の二人の旅も想起させます。
 
21
『千年女優』
銀幕を駈ける自己愛少女、千代子(2002年)。
真実の愛を求めて時をさすらい、現実と非現実の壁を突破して、銀幕から銀幕へと自己を映し続ける女優。それは究極の自己愛。スクリーンに映し込められた永遠の自分に恋し、悲恋を追いゆきて追い果てず夢見続ける。昭和の少女が、戦国時代から未来の宇宙の彼方へと。少女の純粋なナルシズムの極致を活写した、魅惑の映像走馬灯。
 
22
『天使のたまご』
永久不変の少女(1985年)。
滅びのイメージが漂う都市に、ひたすら卵を抱き続け、その孵化を待つ少女がひとり。そこから本当に天使が生まれるのか。それとも永遠に変化することのない、化石の卵? もしも、誕生を待つことをやめたならば……少女は少女のまま、化石のように永遠に変化を拒否し続けるのでしょうか? 生と死、流転と不易をシュールな画面に焼き付けた、目くるめく幻想詩。
 
23
『ビアンカの大冒険』
ネズミに救けられる少女、ペニー(1977年)。
悪人に誘拐され、悪魔の沼で恐ろしい仕事をさせられる孤児ペニー。彼女を救うため信天翁に乗って出動したのは二匹のネズミでした。勇敢にして微笑ましいストーリーの途中でふと気付くのは、少女がネズミや鳥や小動物たちとごく自然にお話していること。そう、夢あふれる少女は、そこがただの大人とは違うのです。これ、ファンタジーの原点ですね。
 
24
『太陽の王子ホルスの大冒険』
大自然を統べる悪魔の妹、ヒルダ(1968年)。
知恵と力で自然を制圧してゆく人類に立ち向かったのは……。独語の「緑の森」を連想する悪魔グルンワルドの妹として、野生動物を率い、神秘の歌声で人類抹殺を企てる美少女ヒルダ。公開後40年を経た今、ヒルダは地球を汚す醜い人類を粛正する、正義の死神に見えます。姿は少女でも不老不死、実年齢は何百歳かわからないアニメ史上空前絶後の最強ヒロイン、健在です。
 
25
『R.O.D』
読書狂の天然魔女、読子(2001年)。
紙は弾よりも強し。紙を自在に操る超能力で悪と戦う読子は、まさに紙の魔女。しかし悪を憎んでも人を憎まぬ読子。裏切られても恨まず、倒した敵を病院に見舞う心遣い。間抜けなほどお人好しの天然ボケぶりですが、しかしこれこそ、現代の私たちが失った“生きる希望”ではないでしょうか。『トップをねらえ2!』のノノみたいに、人を信じる心の豊かさ。天然少女こそ世界を救うのです。
 
 


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