Essay
日々の雑文


 4   19911003▼論考『想い出のヒロインの恋の行方』
更新日時:
2006/05/28 
911003
 
       
想い出のヒロインの
恋の行方
 
 
 
 
 
 おじさんは恋するヒロインが好きだ。その結末が悲劇でもハッピーでも、恋に燃えるヒロインはおじさんたちを青春のノスタルジーに導き、初恋の記憶を呼び覚まして「泣かせる」のです。「マクロス」のゼントラーディ人が「文化」を取り戻す姿と、企業戦士のおじさんたちが、ふとしたことで初恋の日々を思い出す姿が、なぜか等しい。
 ここでお話しするのは、SFやその他もろもろの恋するヒロインの類型分析です。
 ヒロインは大別して、静かな「待つわ」タイプとアクティブな「せまる」タイプに別れます。恋する彼女は静と動のフィールドを行きつ戻りつしながら恋愛のストーリーを進めていきます。その結末もさまざまで、幸せを射止めるか、いくつかの破局のパターンを迎えるか、また脇役の場合は結末にいたらないまま物語の中の役割を終えることもあります。
 
1 「待つわ」タイプ
 
 耐え、ひたむきに努力して幸せの訪れを待つタイプであり、現代のアニメでいえば宮崎駿作品のヒロインの原型ともいえるでしょう。恋はあくまで持久戦、待つ間は苦しみ多く、地味な役回りですが、最後にねばり勝ちするタイプでもあるので、つかんだ恋の成果は逃がしません。しかし「待ち」の態勢のままでどこまでねばり抜けるかが勝負どころ。放っておくと幸せのチャンス(婚期とか)を逃がしてしまいます。その結末からいって、おおむね次のパターンがあります。
 
★早すぎる恋の終末★
 
 待ったまま、恋が成就する前に大きな障害が生じて破局(相手との別離や本人の死)がやってくるケース。とにかく、かわいそう。
 古典的なイメージとして、明治から戦前までの日本文学の暗さの象徴である、典型的な薄幸の少女。不治の病に伏した少女(肺炎の場合が多く、これをサナトリウム文学と呼びたい)あるいは外的要因による恋の破局。「舞姫」のエリスなど。人魚姫もそうでしょう。
 そこまで暗くないが、相手の男との立場の違いによって恋をあきらめるケースが一九三一年の映画「会議は踊る」でリリアン・ハーヴェイが演じたクリステル・ヴァインツィンガー嬢。代表的なのは「アルト・ハイデルベルク」のケイティ。その二人の立場を逆にしたケースが「ローマの休日」のプリンセス・アン。その設定がそのまま生かされているのが氷室冴子の「レディ・アンをさがして」。
 究極的には、死によって恋を成就させるもの。もちろんジュリエット・キャピュレット。「ロミオとジュリエット」を下敷きとした作品で「ウエスト・サイド・ストーリー」のマリアもそうですね。
 実在人物としてはアンネ・フランク。古代エジプトでは十九歳ごろに夫ツタンカーメンを失った、若き未亡人アンケセン・アメン女王というところでしょうか。
 
 現代SFの例として……。
●マリリン・リー・クロス(十八歳)
 トム・ゴドウィンの「冷たい方程式」(一九五三)のヒロイン。大型の旅客宇宙船から、ある惑星の調査隊に熱病の血清を届けるため小型連絡艇が発進したが、パイロットはまもなく艇内に密航者を発見する。マリリンというその少女は、調査隊の一員である兄に十年ぶりで会いたい一心で忍び込んだのだが……その連絡艇には、彼女も無事惑星に降ろせるだけの燃料は積んでいないのだ……。
 胸をえぐる悲しみという点で、この話はSFの枠を超えた大傑作だと思います。(早川SF全集第三十二巻に掲載。読みたいけど図書館になかったという方はお知らせ下さい。コピーをお送りします)
 「もうひとつの神話」(清水玲子)のイヴがイメージ的に似ていると思います。
 
★時間を超越した恋人たち★
 
 「待つ」の一手で報われるとは限らない。人は老いるもの。そう何十年も待てません。また恋する相手が歳をとりすぎている場合も困ったもの。そこでSFは時間を超越する方法をあれこれと考えます。
 人工冬眠なんてありふれてネタになりませんが「魔法によって眠らされたお姫さま」パターンの伝説は一種の時間超越ものです。
 さて、現代SFでは……。
●ミランダ・ロアリング(二十一歳)
 R・F・ヤングの「わが愛はひとつ」。結婚したばかりで、幸福の絶頂にあった二人、しかし愛する彼が権力の罠にはまり、百年間の人工冬眠の刑を受けてしまった。永遠の別離を宣告されたに等しいミランダだったが、絶望の中で思い出したのは、当時開発されたばかりの光速宇宙船。光速に限りなく近い船内では外界と比較してほとんど時間が経過しない……。
 「なぜ自分もすぐ同じ罪を犯して百年の人工冬眠の刑を受けなかったの?」と野暮な質問をするのはさておき、この作品の魅力はラストのミランダのセリフ「お帰りなさい、あなた。わが家へようこそ」の重みにあると思います。
●ジュリー・ダンヴァース(二十一歳)
 R・F・ヤングの「たんぽぽ娘」。未来からタイムマシンでやってきた彼女は、今の時代の四十四歳の彼に恋してしまった。タイムマシンは調子が悪く、あと一回くらいしか使えない。すでに妻のある彼と結ばれるために彼女がとった方法は……。
 「おとといはウサギを見たし、きのうは鹿。きょうはあなた」という詩的なセリフのリフレインが美しい佳品です。
●ジェニー・アップルトン(歳は会うたびに変わる)
 ロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」(一九三九)。二十八歳の貧しく孤独な画家イーベンはニューヨークの公園で小さな少女ジェニーと出会う。過去の残像のようにふとしたことで現れたりいなくなったりする彼女は出会うごとに異常な早さで成長する。愛するイーベンの年齢に急いで追い付こうとするように……。
 ストーリーの盛り上がりという点では、このあとジェニファー・ジョーンズ主演で映画化された方が好きです。結末は悲劇的ですが、時間の束縛を超えた愛がジェニーの肖像画としてこの世に存在を残す、というテーマがまさに美少女しています。
 この話と全く逆のパターンをとるのが「マリーン」(萩尾望都)のマリーンことセオドラ・ビクトーリア・フィールズベリ。主人公のエイブ少年の前にマリーンは歳をとらない十六歳の少女として、未来からの残像のように現れます。
 
★コングラチュレイション! のねばり勝ち★
 
 待てば海路の日和あり。石の上にも三年。臥薪嘗胆で雌伏万年。ついに恋が成就する。というケース。「待つわ」タイプのヒロインとしては、ぜひこんな形でハッピーエンドを迎えてほしいのですが、ぴったりの作品が意外と見当らないのです。「心をつなぐ六ペンス」のアンかなあ。H・G・ウェルズ作なのでSFと無関係でもないか。ミュージカル映画になりましたが、アン役のジュリア・フォスターが黒髪の日本的フェイスの庶民派少女を好演してました。その他はレ・ミゼラブルのコゼットとか、山手派ではしっかり者の家なき少女ペリーヌ。突如として襲った貧困の中を健気に生きる少公女セーラといった十九世紀型名作路線になりそうです。
 実在人物としてはマリー・スクロドフスカ。あの、キュリー夫人です。一九○二年、四年もかけて何トンものピッチブレンドから一デシグラムのラジウムを抽出したねばり強さが有名ですが、それより彼女の青春から結婚までの時期に注目したいものです。ロシアに支配されたポーランドで不遇の少女時代。十七歳で家庭教師として働き、ソルボンヌ大学時代は暖房も照明も水道もない屋根裏部屋で飢えて倒れるなど。それでもひたすら化学と夫ピエールを愛し、第一次大戦では放射線治療車を自分で運転して負傷者の救出にあたるなど、単なる科学者ではない横顔があります。ピエールの死後、彼に代わって引き継いだ講義のイントロには、思わずジーンときてしまうのですが。                  
2 「せまる」タイプ
 
 恋愛は攻めに撤する。したたかに、しなやかに男と男の間を舞い踊るというキャラクター。古くはクレオパトラ、近代ではマタ・ハリことマルガレーテ・ゲルトルード(第一次大戦中に女スパイとして銃殺されたのが残念)。小説では決定版のキャラクターが「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラですね。
 さて現代SFでは、これも例が見つからないのです。ただ妖艶なだけの悪女はよくありますが、押しが強くて、機転がきいて、ワルでもあるが憎みきれない::というキャラは描きにくいのか、活躍の場が少ない。どうしてか美少女でなく、ご年配の妖女にされてしまう。コナンのモンスリー、ナウシカのクシャナが近いかな。しかし恋愛に関しては二人とも本質は「待つわ」タイプのような気がします。
 にしても「色気は女の武器よ」と広言しながら、男を誘惑し、しかも男を手玉にとるキャラクターですから、その上美少女ときたら天下無敵。SFだったら超能力も備えていそうで、こうなると話が始まったとたんに勝負がついてしまうから、うっかり登場させられない……のかな。マンガでは小品ですが「ドロシー」(ふくやまけいこ・一九八四)がなかなかの迫力です。
 
3 君子豹変型                
 
 本来「待つわ」タイプだけど諸般の事情で一時的に「せまる」タイプに変身するケース。それまでおとなしかった彼女が突然大魔神するわけで、ちまたの男性が「げに女とは恐ろしい」と青ざめてしまうキャラクターです。豹変にはそれだけの理由があって、たとえば戦争や事故で財産を失い、生活のためなら……と、この際開き直ってしまう場合。「ゴールデンライラック」(萩尾望都)のヴィクトーリアなどで、この性格設定はスカーレット・オハラにそっくりです。また、強力なライバルの色仕掛けが不安になり、あせりのあまり彼にがぶり寄ってしまう場合もあります。ナディアのエレクトラがそうでして、愛するネモに拳銃を突き付けて告白し返答をせまる姿はどうみても……
 
4 偽装工作型
 
 意図的に「待つわ」「せまる」タイプを使い分けて(もしくは強いられて)周囲をコントロールするタイプ。二重人格の役回りで「女って化物よ」と本人自身がうそぶいてしまうキャラクター。性格的には「せまる」タイプだが、職業上の立場で「待つわ」タイプを演じてしまうとか。あるいはその逆です。本来の人格と表面の偽装人格との間のギャップに葛藤し、その苦しみを彼が取りのぞいてくれることで愛が芽生える……とワンパターンの展開にもなりますが……。ナディア自身やマクロスの美沙とか。「ホルスの大冒険」のヒルダは決定版といえるでしょう。活字のSFにもあってほしいのですが、これもなぜか見付けにくい。「メトロポリス」のマリアは純真な「待つわ」タイプの本人に対して、ロボットの複製マリアが「せまる」タイプで、その魅力で大衆を扇動して暴動を起こし、美少女の二重人格性を表現しています。
 
 さて、しめくくりですが、恋のからんだお話のドラマチックな盛り上がりは、ヒロインが「待つわ」と「せまる」を行き来する場面にありそうです。そのとき彼女に惹かれている男の言動もがらりと変わるわけで、そこに意外なストーリー展開が生まれているはずです。
 そして、これもワンパターンですが、一人の男性をめぐって「待つわ」タイプと「せまる」タイプが恋のレースを競ったとき、どうやら「待つわ」が最後に勝利を得る話が多いのではないか、ということです。「せまる」タイプが派手に活躍して男をとりこにしますが、ラスト寸前で「待つわ」タイプが豹変するか偽装を脱ぎ捨てるかして、それがきっかけで逆転勝利! 「待つわ」タイプが彼に注いだ愛が少しずつ蓄積され、いつのまにか強固なものになっていたという結末で、これが結構、日本人好みなのかもしれません。
 また、このような場合、結果的に脇役になる「せまる」タイプを正面に出しておき、「待つわ」タイプがずっと伏線になっていて最後にぴかっと脚光を浴びる……いわば「隠し玉」にしておくストーリーも考えられます。
 あるいは、「せまる」タイプのヒロインが、その立場上「待つわ」を偽装し(自分で自分をだまして偽装する)、その結果彼女の存在感が一時的に薄れるが、薄れた部分を別の女性が埋められなかったことにより、かえって存在の大きさが際立ってくる、というストーリーもあります。マンガ「みゆき」のラスト近くは、ヒロイン若松みゆきが静と動に激しく揺れて、複雑だけど鮮やかな結末に至る心理ドラマを展開しています。
 
 前の方でジュリエット・キャピュレットに触れましたが、恋するヒロインの性格パターンを総出演させたのはやはりシェイクスピア。ことヒロインに関しては、何をやってもシェイクスピアの二番煎じを覚悟するしかない……ってことは……。
 
 


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