Essay
日々の雑文


 28   20060721★アニメ解題『てなもんやボイジャーズ』
更新日時:
2006/09/30 
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20060721★アニメコメンタリー
『てなもんやボイジャーズ』
 
 
 
 
【写真はクレセペ行き201便・先頭客車(?)】
 
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これを見ずして、
ニッポンのSFを語るべからず。
世紀の狭間にひっそりと生まれた
未完の任侠股旅スペースオペラ!
 
 
 
出会いはいつもあっけない。
2006年6月のある夜。京都のとある中古ビデオ屋さん。
それまで見たことのないOVAが4巻。床にじか置きである。
タイトルからして、前世紀に粗製濫造されたBC級アニメであろうか。
4本ひとまとめにテープで巻かれ、ついた値札は200円。
1巻あたり50円では、もうビジネスではなく、慈善事業に等しい……
そんなことを思いつつ、ふと買ってしまう。
1巻およそ30分。
 
その夜は、久々に衝撃と興奮の2時間となりました。
 
いやはや、強烈。
こんな、とんでもないスペオペ・アニメがあったとは……
 
『てなもんやボイジャーズ』全4巻。
1999年作品。
なるほど、気がつかなかったはず。1999年といえば……
 
97年から98年にかけて『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版公開。
98年、『カウボーイビバップ』『トライガン』『青の6号』。
それに『機動戦艦ナデシコ』劇場版公開。
99年には『少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録』劇場公開。
それに『THEビッグオー』。海外からは『アイアン・ジャイアント』劇場公開。
 
そう、20世紀のSFアニメが絶頂を極め、これでもかこれでもかと、ハイクオリティな名作傑作がスクリーンにブラウン管にと押し寄せていた時期なのです。
まさに世紀末の黄金期。当時に比べれば、2006年の現在は、なんとも気の抜けたフニャラなオタク萌え萌え珍作ばかりに見えてしまいます。
というのは、ストーリー、作画、演出、映像技術、それに気迫のどれをとっても、2006年のアニメ作品が、前世紀末の遺産よりも進歩しているかといえば、とてもそうは思えないからです。
 
おそらく、20世紀の1980年代から、日本のSFアニメの勃興と成熟を担ってきた熱意と才能あふれる世代が、世紀の変わり目に最後の力を振り絞って大輪の花を咲かせ、そして今、歴史から消え去っていこうとしているのでしょう。
 
それはともかく、1999年はそんな時代でしたから、TVにも劇場にもかからなかったOVA作品は、よほど宣伝されないと目立たなかったと思われます。
加えて、この『てなもんやボイジャーズ』は一巻30分そこそこであり、映像特典も一切なく、本編のみで5800円という超強気のお値段。
ちょっと、手が出ないよなあ。
そんなわけで……
世間にもSFファンにもさほど知られず、レンタル店の片隅でひっそりと年を重ね、回転率も上がらぬまま、流れ流れて、京都の中古ビデオ店の床の上。そこで、私と出会うことになったのでしょうか。
 
それにしても、凄いお話です。
 
『てなもんやボイジャーズ』……
第1巻サブタイトル『県警対組織暴力』(けんけいたいそしきぼうりょく)
第2巻サブタイトル『大幹部無頼』(だいかんぶぶらい)
第3巻サブタイトル『喧嘩博徒』(けんかばくと)
第4巻サブタイトル『女殺汗地獄』(おんなごろしあせじごく)
 
察するまでもなく、これは大宇宙を舞台に、ヤクザとサツの抗争を背景とした、銀河を駆ける任侠股旅スペースオペラなのです。
 
女子の就職、超氷河期の銀河社会。
地球人の教職志望、花菱アヤコ22歳は、やっとの思いで高校教師に採用されたものの、それは地球でなく宇宙の学校。しかし、はるばる銀河のかなた、ある星に赴任したところで、採用先の学校は経営破綻。あっという間に閉校。教師生活わずか25日で、同じく地球からスポーツ特待生でやってきた七宮若菜16歳とともに、宇宙の果てで路頭に迷うはめに……。
 
そこへ、有人ロボット兵器“理機士”(りきし、と読みます)で墜落してきたのが、奇妙な自称“普通の女子高生”パライラ16歳。パライラも地球へ行く途中だと言い、意気投合するアヤコ、若菜。そこで「三人寄れば文殊の知恵、なんとかなるわ。おう!」と、一緒に地球をめざすことに。
 
とりあえず、銀河の長距離旅客機が出ている星系まで、『銀河鉄道999』に似て異なる星間列車“クレセペ行き201便”に乗ったまではいいのだが……
 
パライラという謎の少女、女子高生のくせに、銀河宇宙を三分する悪の暴力ヤクザ組織のひとつ“邪王会”の元大幹部なのだ。邪王会を乗っ取るつもりが、逆にクーデター計画がばれて組を追放され、命を狙われる身。
しかしさすがに元大幹部、貫禄十分で喧嘩はお手のもの、理機士を扱えば天下無敵の超コワモテお姉さんなのです。
 
そして一方、銀河連邦警察もパライラを血眼になって追跡していた。なにしろ元大幹部、パライラをお縄にすれば、悪の組織・邪王会を根こそぎ壊滅させる決め手になること間違いなし。
その急先鋒が、地球は広島県警(本当に広島県警が存在している設定なのだ)からパトカーごと出向してきた女警部・横山タツエ。“暴力団以上の暴力”と恐れられる、ヤクザ専門の暴力デカ。第1巻で、のっけからヤクザたちを連続射殺、「宇宙てええところじゃ、なんぼ実弾ハジいても、始末書いらんけ……」とか、のたまうのであります。
 
かくして、地球をめざして珍道中を続けるアヤコ・若菜・パライラの三人が行くところ、ヤクザとサツが入り乱れ、人命人権そっちのけで、血で血を洗う、とんでもない騒ぎが……
 
といったお話なのですが、まるで全26話は続きそうな珍道中が、1巻と2巻をかけて華々しくスタートしたとたん、3巻と4巻は突然設定が変わったり、どこかつじつまが合わなくなったりで、「その後、彼女たちがどうなるのか、それは……。何故か完」と無責任に締め括られてしまいます。
どうみても、確信犯的な、未完の大作としか言えないのであります。
 
しかしそれでも、凄い。
 
凄いその一。映像のクオリティ。
個々のキャラやメカの動きも構図も、2006年の新作として通りそうなほど高品質。
人物のアップを強烈な原色のハイライトで表現する手法が効果的にもちいられているあたり、映像技術的には、『カウボーイビバップ』と後年の『サムライチャンプルー』の間をつなぐ作品と考えていいでしょう。
 
凄いその二。恐るべき昭和オヤジギャグ。
「おいしいと、メガネが落ちるんですよ」
「これっくらいの、おべんとばこに……」
「あらよ、腕前一丁!」
「十五、十六、十七と、ワシの人生、暗かった……夢は夜開く〜」
「桃栗三年柿八年、マダラコンチは五十年、てね」
「あっちょんぶりけ」
「はれほろひれはれ」
「インド人もびっくりやな」
「ハヤシもあるでよ!」
なんだか、昭和華やかなりし高度成長時代を彷彿とさせるオヤジギャグが猛連発。
しかも、OPテーマが『ゲバゲバ90分! のテーマ』のカバーであり、EDテーマも『木枯し紋次郎』のエンドテーマを借用するという具合に、懐かしき“昭和”の時代へのオマージュたっぷりです。
もちろん作品タイトルそのものも、昭和37年から7年にわたってお茶の間の視聴率を独占した怪物番組『てなもんや三度傘』のパロディ。
もうこれは、オヤジの、オヤジによる、オヤジのためのスペオペなのです。
 
凄いその三。前人未到の極道アニメ。
つまるところ、この作品のキモは、昭和の30年代から40年代にかけて映画館を飾った任侠ヤクザ映画と、TVの股旅ものシリーズを、はるかな銀河宇宙へ持ち込んで、自称女子高生に大暴れさせようという、破天荒そのものの発想なのです。
セーラー服に機関銃どころかレーザードスを構えて、腹巻をしめたテキヤスタイルのパライラが、ロボット兵器“理機士”を“運転”(重機と同じようなでかいスティックレバーでギアチェンジする)して大立ち回りを演じるあたり、宇宙の極道ここに極まれりといった感すらあるのです。
 
こんなスペオペ・アニメは、ほかにない。
これだけ危ない素材を、よくぞアニメになさいました。
ニッポンの極道娘、銀河を駆ける。
いつか、だれかがやらねばならないと、だれもがどこかで(たぶん)思っていたスペオペが、ここに実現されていたのです。ただし、未完の大作として……
 
難点はあれこれとあります。
若者には、わかりっこない。
とくに第4巻あたり、女性にはそっぽ向かれるでしょう。
よい子には見せられませんし、悪い子がこれを見て妙なことを学習してくれても困るでしょう。
つまり、マーケティング上、売るのも貸すのも、とっても難しい作品なのです。
 
これほどの作品を、いったいどなたが作られたのか?
なるほど、という気にもなります。
原作・月村了衛氏。1巻と2巻は脚本も月村了衛氏。
そうです。あの名作『ノワール』の原案・構成・脚本をこなされたカリスマ・クリエーター!
つまり、月村氏は、『ノワール』放映の2001年に先立つ2年前に、この『てなもんやボイジャーズ』を作っておられたわけで……
作品の良し悪しの議論ははさておき、これはまぎれもなく、『ノワール』のご先祖作品ということになるのです。
 
なるほど、組を脱して逃亡するパライラへの抹殺命令を発して、刺客たちを大挙して差し向ける“邪王会”の幹部たちは、どこかソルダの幹部たちに似ている……
 
それゆえ、『てなもんや……』で実現できなかった何かが『ノワール』に結実しているとみていいでしょう。
認めたいかどうかに関わらず、『てなもんや……』あってこその『ノワール』なのです。
もっとも、コアな『ノワール』ファンには、毒入りギャグがきつすぎるかも……
 
そして……
 
凄いその四。これぞ暗黒のスペオペ金字塔。
第1巻サブタイトル『県警対組織暴力』……
これを見て、なにかを思い出しませんか?
そう、20世紀の世界スペオペの金字塔と讃えられる、あのトラディショナルな大名作の舞台設定を……
“県警対組織暴力”……。すなわち、“銀河パトロール対ボスコーン”。
そう、あのレンズマンの設定そのものなのです。
暴力刑事・横山タツエがキムボール・キニスン??
そうなれば、暴力団元幹部の少女パライラは、さしずめボスコーンのボスの娘ってところでしょうか。
はい、『てなもんやボイジャーズ』は、その作者の意図はどうあれ、20世紀のSF界に燦然と輝く金字塔『レンズマン』の、主人公の攻守ところを入れ替え、和風の善悪観念で煮込みなおした、闇鍋的な暗黒パロディとみることもできるのです。
 
いやむしろ、『てなもんや……』が4話で終わらずに26話あれば、途中で絶対に出てきたことでしょう。
ロシュの限界どこへやら、敵惑星を惑星2個ではさみうちにして、ガッチンコとブチ壊す、非科学的だけど絶対におもしろくてやらずにおれない、あの超破壊シーンが……
 
この作品は(良くも悪くも)20世紀におけるSFアニメの到達点。
世紀の掉尾を飾る、暗黒面の金字塔というべきでしょう。
 
しかし、いかなる賞賛も罵倒も超越して、『てなもんやボイジャーズ』は、第1巻ラストの予告編で公言しているように「この作品はギャグアニメーションです」という厳粛な事実に尽きるのです。
 
つまり、ギャグなのです。
すべてを笑い飛ばすのが、ギャグの本質。
正義も悪も、サツもヤクザも。
銀河連邦警察も邪王会も、レンズマンもボスコーンも。
善悪の立ち位置を逆転すれば、みんな……だだの、バカじゃんか。
それくらいの、笑いの毒が、『てなもんや……』には含蓄されていそうです。
 
人類はどいつもこいつもバカばっか。はるかな未来の銀河社会にあってなお、やってることは暴力抗争。何千年たっても、頭ん中はちっとも進歩してやしない……。
そんな、諦観された歴史観が、この作品の根底にあるようです。
思えば、紀元前古代ギリシャで発明されたデモクラシーを、三千年もすぎた今になってすら、ちゃんと使えない人類なのですから。
だからもう、みんないつまでたってもバカじゃんか、と承知するしかありません。
 
馬鹿は死ななきゃ治らない。悪いヤツほどよく眠る。バカなワルほど生き延びる。……さあ、行っちまおうぜ地球まで!
 
作品テーマはそこまで単純化され、だから文句のつけようがないのです。
 
そして、この作品の、ダントツの魅力は……
30分待ったなしの、強烈なテンポの速さ、ノリの激しさ。
そのブッ飛ばし感だけでも、ついつい見てしまいます。
立て続け、30回くらいは見てしまった……
 
しかし本当の魅力は、それだけではありません。
よく考えてみると、救いのない無責任不良少女パライラと、殺すために刑事やってるような冷血女・横山タツエ、この二人のキャラクターは、もしお話が26話まで続くならば、たいへん感動的な、泣かせる役回りをこなせる可能性を秘めているのです。
それは、物語の中でなにかが起こって、パライラが真人間に悔悛したり、横山タツエが人情を取り戻すといったことです。その二人の間に、無辜のカタギ人、アヤコと若菜がからみます。
四人して、最終回のクライマックスで、ニッポンの観客をおおっとうならせ、思わず涙させる浪花節の結末が用意できたはず。それが可能なキャラ設定なのです。
なにしろ月村了衛氏のことですから、おそらく、ほろりとくる感動の結末をあらかじめ予定して、最初から計算してキャラ設定されたのでしょう。
 
『てなもんやボイジャーズ』は、もしも26話あったならば、ニッポンSFアニメの歴史を変える超名作になったはず、と確信するのです。
 
今更、あとの祭りと知りながら、私は心から叫びたい。
「続きを見せてくれ!」と。
 
ニッポンのスペオペ・ファンの皆様、そして『ノワール』ファンの皆様へ。
“毒食らわば皿まで” ……の精神で、敢えて私はお薦めします。
『てなもんやボイジャーズ』を見ずして、ニッポンのSFは語れないと。
 
 


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