Essay
日々の雑文


 27   20060720★宝物的映劇@『ヴイナス戦記』他
更新日時:
2007/08/18 
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20060624●映画コメンタリー
『宝物的映劇@』
 
 
 
「宝物的映劇」
もしくは
「映像版・
絶滅危惧種リスト」@
 
 
 
 
 
 
『ヴイナス戦記』1989
『新世紀エヴァンゲリオン(1997年ジュエルケース仕様DVD)』
『スター・ウォーズ(1977年公開版)』
 
 
人知れず絶滅してゆく名画たち
 
20世紀から21世紀へ。
世紀が変わる節目に、映像ソフトの世界は大きく変わりました。
端的に言えば「アナログからデジタルへ」。
例えば、映画では特撮がCG合成になりました。
西暦2006年の現在、まだミニチュア特撮が消え失せたわけではないけれど、まったくCGを使っていない作品なんてのは、まずお目にかかりませんね。
アニメの制作も、セルからCG画面にシフトしてしまいました。新作アニメで、デジタルペイントじゃなくて“セルに手塗り”なんてのは、ありえないと言っていいでしょう。
そして、頼んでもいないのに、2011年からはTVの地上波がデジタルになるそうで、某放送協会では、地デジ地デジの大合唱です。それよりも先に解決すべき問題が、本当は山積みだとも思うのですが、それはさておき……
 
私にとって「アナログからデジタルへ」の、最も身近で大きな変化は「ビデオテープがDVDに」変わってしまったということです。
 
そんなこと、誰でもわかっていることで、なにを今更……と笑うお方も多いと思いますが……。
世の中、急激に大きな変化がゴソッと起こるときには、気をつけておきたいことがあるのです。
これまで主流で一般的だった(つまり、ありふれていてどこにでもあった)モノやコトがなくなっていき、かわりに新しい別のモノやコトに置き変わっていくというときに、人間、かならず、あるヘマをしでかします。
それは、「忘れもの」。
 
どんな「忘れもの」かというと……
人間の悲しき習性ですが、たとえばAをBに置き換えるとき、Aの中身が全部Bの中にきちんと継承されるのでなく、だれかにとって都合の悪いことや面倒なことを、いくつか、コソッと忘れたふりして、やめたままにしてしまうということです。
 
社会的に、制度が大きく変わるとき……、それはたいてい「改訂」「改正」「改革」と呼ばれますが、そのときには、それまで社会的弱者を保護していた制度や、為政者に資産の公開を義務づけていた制度とか、今まで自由だったことが強制になるとか、大切な倫理規定が骨抜きになるとか、そのような細かな「改悪」が隠されていないか、注意してチェックしておく必要があります。賢い有権者であるためには、いかにもいいことありそうに喧伝されている「改訂」「改正」「改革」はとりあえず疑って、新聞などよく読むようにしましょう。いつのまにか損したり、お金を余分に払わさせられることになりかねませんし、一歩間違うと、生命に関わる煮え湯を呑まされることにもなりますからね。
 
それはさておき、この雑文で書きたいことは……
 
ビデオがすたれてDVDに変わっていく過程で、“DVD化されないまま、ビデオが廃盤になって、消滅していく作品がずいぶんあるらしい”ということです。
 
お気付きですね。半年もすればDVDになるだろうとか、きっと廉価版で出るだろうとたかをくくっていると、一向にDVDにならないまま、ビデオは廃盤。いつのまにかレンタル屋さんからもなくなってしまっている。
 
そうやって消え去っていくのは、ちょっとマイナーだけど、印象に残るいい作品……のようでして、それらは、いまや絶滅の危機を迎えているのかもしれません。そうこうしているうちに次世代規格のDVDまで出てきてしまえば、かつてそんな作品があったこと自体、完全に忘れ去られてしまうでしょう。
 
そこで、滅びの運命に瀕している名作……“宝物的映劇”を、今のうちに語り継いでおこうというのが、この雑文の目的です。
いわば「映像版・絶滅危惧種リスト」。瀕死の名作(と名場面)をご紹介して、復活を願うとともに、それがかなわなければ、せめてそれらの作品への墓碑銘として捧げたいと思います。
                     
 
絶滅危惧作品リスト
 
ランダムですが、絶滅を危惧している作品を並べてみます。
『シベールの日曜日』『心をつなぐ六ペンス』
『メトロポリス(1926年UFA版)』
『宇宙からの脱出』『未知へのスクランブル・頭上の脅威』
『マックス・ヘッドルーム』『グランド・ツアー』『クイーン・メリー号襲撃』
『ヒンデンブルグ』『マーフィーの戦い(DVD化されるも絶版)』『1941』
『ハムレット(ケネス・ブラナー監督版)』『バチカンの嵐』『ウインズ』
『スター・ウォーズ(1977年公開版)』
 
昨年までとても心配していた『赤いテント』は、『SOS北極……レッド・テント』というタイトルで一応はDVD化され、ほっとしたところです。
 
アニメでは……
『新世紀エヴァンゲリオン(これはDVDですが、1997年に出たジュエルケース仕様)』
『草原の子テングリ(これはビデオでも出なかったかな?)』
『宇宙家族カールビンソン』『2001夜物語』
『YAT安心宇宙旅行』
『ヴイナス戦記』
 
そんなところでしょうか。
では、思いつくままに、作品を紹介していきます。
 
 
 
『ヴイナス戦記』
……“多砲塔戦車、金星を驀進す!”
 
どうしてDVDにならないのか、不思議で不思議で仕方がない、ミステリアスな劇場アニメ。1989年劇場公開、104分のれっきとした長編であり、原作・監督・脚本・キャラクターデザインが安彦良和氏。音楽監督に久石譲、美術監督に小林七郎、脚本にはさらに笹本祐一、これだけ錚々たる各氏が揃われているとなれば……
数ある劇場アニメの中でも、特筆すべき物凄い作品であることは言うまでもありません。もちろん作品そのものの動画も背景もストーリーも、現代の新作アニメと比較しても申し分なしの、驚くべきハイクオリティなのに……どうしてDVDにならないのだろう?
……と、益々不思議になってしまうのです。もう、このビデオを置いているレンタル店も少ないと思われますし、このまま幻の名作となってしまうのは残念すぎるのです。
 
お話の舞台は西暦2089年の金星。環境の地球化が進んでいて、その大地はふたつの超大国・イシュタルとアフロディテが支配しています。両国が突如開戦、イシュタルの巨大戦車部隊がアフロディテの首都イオを急襲、占領します。国家存亡の危機に直面する中、イオ近郊で危険なバイクゲームにうつつを抜かしていた少年少女たちは、敵に反撃するために、戦闘用一輪バイクの戦士として志願しますが……
 
ガンダムやアリオンの世界とはやや異なり、主人公たちに超能力や、特殊な戦闘能力が備わっているわけではありません。等身大のごく普通の少年少女たちが戦争という苛酷な現実に直面して何を感じ行動するのか……という、戦争+青春アニメの王道を堂々と歩んだ骨太な作品です。
また1989年という時期からみても、いわゆる安彦良和キャラの円熟した完成形が生き生きと動く姿を見られるわけで、それだけでも作品の歴史的価値は高いでしょう。
 
そして、個人的に推薦したいのは、画面を圧して金星の都市に荒野にと暴れまくる多砲塔戦車アドミラルA1“タコ”。宮崎駿の『雑想ノート』より早いかどうか知りませんが、あの悪役一号にも匹敵する、多砲塔戦車の決定版ともいうべき怪物機械が、走る! 撃つ! 踏み潰す! 車体に四本も巻いたキャタピラが道の舗装を踏み砕くさまや、主砲を発射した瞬間に地面を叩いて走る衝撃波と噴塵のリアルなこと。重量感と、有無を言わさぬ機動力のまがまがしさ。
 
そう、この作品の発表は1989年。CGは皆無と言ってよく、手書きと手塗りのキャラとメカが、手作業で動いていた時代なのです。動きのワンカットワンカットに作画スタッフの魂がこもり、そして何よりも、絵が動くことへの喜びと熱い思いが、ダイレクトに伝わってきます。これを見ろ! これでどうだ! と言わんばかりに……
 
未見の方は、まだ間に合ううちにぜひご覧になって下さい。
21世紀のデジタルアニメでは体験できない、手応え十分の骨太作品です。
 
 
『新世紀エヴァンゲリオン(ジュエルケース仕様)』1997 
……“見よ、職人芸の手描き感覚”
 
95年に放映後、97年にDVD化されたエヴァ。この作品で、今店頭に出ている商品は、21世紀になってからデジタルでレタッチされ、色彩がクリアーに修正されて再発売されたものですね。「すっごく絵がキレイになった!」と喜ばれたものですが、そこはそれ……
 
見比べて下さい。95年にTV放映されたときのオリジナルな状態に近い、1997年のジュエルケース仕様版の画像(1〜2巻あたり)は、21世紀の修正版に対して、全体に色合いがかすれていたり、むらがあるように見えます。
しかし……
そこが、よいのです。
あくまで私の主観なのですが、デジタルペイントで“キレイ、鮮やか、くっきり”と描きなおされた絵よりも、手描きセルの感覚が残っている97年版の方が、作品の世界に微妙な深みと味わいが感じられるのです。
いわば、木目を印刷したプラスチックと、本物の木の、質感の違いであるかのように……
 
たとえばCDは、人間の主な可聴領域以外の音をカットしたために、アナログのレコードに比べて、クリアーなのですが、どこか潤いに欠け、そっけなく、物足りなく聞こえるといいます。
 
同感です。オーケストラの生演奏を聴くと、すぐにわかります。ヴァイオリン、その弦を弓がこすることで生起する擦過音か美しい楽音を奏でますが、それと同時に、弦を弓がこする際に、物体と物体が接触(衝突)している雑音も感じます。当然です。デジタル・シンセサイザーではなく、人間の手が演奏するからには、美しい音色を奏でる直前に、弦と弓が接触し、そこに物理的な音が発生しているはずだからです。
 
ヴァイオリンひとつの音をとってみても、“楽音”の部分と“雑音”の部分が同時に耳に入り、脳を刺激しているはず。そして、たぶん意識下でそれら雑多な音を聞き分け、美しい楽音を拾いだしている。
しかし、ふるい落とされた“雑音”は決してゴミではありません。弦と弓の余分な接触音だけでなく、演奏者の息遣いや服の衣擦れ、床のかすかなきしみ、そういった微小な雑音も含めて、すべてがあいまって、“今ここに人がいて演奏している”という現実感を確かなものにしてくれているのです。
 
“今ここに人がいて演奏している”という現実感は、“今ここに私がいて聴いている”という存在感であり生命感でもあります。
 
音楽だけでなく、あらゆる芸術が、人と人の魂のふれあいであるとするならば、一見してゴミのように見える雑音たちも、今ここでかけがえのない芸術に触れている自分を確かなものにしてくれる、つまり、自分がここに生きていると感じる魂の一部分なのです。
 
現実世界とはそういうものであるはずで、ただ純粋な芸術作品としての音だけがそこにあるのではありません。さまざまな雑音……すなわち不純物もひっくるめて、“芸術に触れている自分が生きている”ことが大切な要素なのだと思います。
 
余計なゴミに見える不純物は、ときには、あった方が芸術作品に独特の存在感と深みや味わいを与えてくれるのです。隠し味のスパイスのように。
 
余談が過ぎましたが、97年発売の、原初版といってもいいエヴァのDVDに、私は不純物を含めた美しさを感じるわけです。
 
人間、どのように美しいものを見ているつもりでも、そこにはかならず“濁り”があります。絶世の美女がいかに徹底したメイクアップをしても、肌は均一ではありません。でこぼこがあり、かすかでも埃がつく、ましてや顕微鏡で拡大すれば、皮膚ダニが無数にうごめいているのです。対象物との間の空間には大気中の塵が漂い、窒素や酸素の分子がぎっしりと詰まっている。純粋で均一な美しさは、厳密には、死ぬまで見ることができないでしょう。
 
だからこそ、手描きや手塗りの、かすかにくすみ、むらのある色彩が、かえって現実感を増して、私たちの感性にせまってくるのだと思います。
 
そのような意味で、97年版のエヴァは、消え去ってしまうには惜しい、歴史的な遺産となるのではないでしょうか。持っておられる方は、ぜひ、じっくりと見なおしてみて下さい。アニメ作品が単なる“動くマンガ”ではなく、手作りの工芸品でもあることが感じられると思います。
 
 
『スター・ウォーズ(1977年公開版)』
……“はじけよ可愛いデス・スター!”
 
不滅の名作スター・ウォーズ。でも、1977年に公開された、最初のスター・ウォーズは、もう、レンタル屋さんからも姿を消してしまったようです。
というのは、2006年の現在、DVD化されて市場に流通しているエピソードW・X・Yは、90年代にデジタルレタッチされて、いくつかのシーンが追加されたり差し替えられた「特別編」の方だからです。
今はもう、「特別編」より昔の“旧状態”のエピソードW・X・Yを目にした人すら少なくなっているのではないでしょうか。
 
たしかに特別編は画像のクオリティが増し、旧状態では動いていなかった背景物がCGで動くようになっていたり、省略されていたシーンが挿入されて、作品の情報量を高めています。しかし、それは同時に、旧状態の、少々荒っぽくてもパワフルなミニチュア特撮シーンのいくつかを放棄してしまったことになるのです。
 
私が個人的に残念に思うのは、1977年に公開されたエピソードWのクライマックスを飾る印象的なシーン……あの、デス・スターの爆発シーンです。
 
後年の「特別編」では、CG処理で、リング状にきらびやかな爆裂が生まれ、赤青のハロー(後光)を伴いつつ視界を圧して広がっていく様子が、もともとの爆発シーンに重ねるように追加されています。
豪華なシャンデリアのごとく、絢爛な爆発ではありますが……
 
やはり、人工的なのです。あの恐ろしいデス・スターが破壊されるにふさわしいスペクタクルには違いないのですが、どこか、遊園地のアトラクションのような感覚で、わざと派手っぽく作った違和感が残るのです。
 
対して、旧状態の作品でのデス・スターの爆発は、CGでなく特撮です。おそらく真下からの撮影でしょう。爆発とともに飛び散る破片が上下左右均等に広がりながら、すぐ眼前へとせまってくる様子が映されています。
この場面が、すばらしい。
 
ポン! とはじけるように破裂するデス・スター。
赤みを帯びた、重厚な爆炎がシュークリームのように膨らみ、そして……
きらきらと瞬きながら、視界いっぱいに広がりせまる、無数の破片。
ゆったりと、無重量感たっぷりに舞い踊るそれは、星々よりも明るい宝石の渦。
まるで群舞するティンカー・ベル。
 
……美しい。
壮大な破壊でありながら、可愛いとすら表現してもいい、上品な美しさなのです。
この場面を映画館の大画面で見たときは、本当に背筋がゾクッとし、鳥肌が立つほど感激しました。
 
難攻不落にして最強の敵、デス・スター。
その“地表”の巨大なトレンチへ飛び込み、敵戦闘機の追撃をかわしつつ、爆撃ターゲットめざして疾駆するXウイング・ファイター。
次々と撃たれ、力尽きる仲間たち。最後の希望を託されるルーク。
背後を襲うダース・ベイダー機に一撃を与え、間一髪でフォローするハン・ソロ。
そしてルークは射撃コンピュータを切り、あくまでも自らの力(フォース)のみに頼って、必殺のプロトン爆雷を発射する。
スター・ウォーズ全作を通じても、緊迫感と高揚感と絶頂感において最高のシーン。
そのクライマックス……デス・スターの爆発。
何度見ても飽きることのない、20世紀のSF映画が未来に残した、歴史的な名場面。
 
この瞬間、映像的に至高のエクスタシーすらもたらしてくれるデス・スター爆発シーンのオリジナル映像は、残念ながら、今や一本百円で投げ売りされる中古ビデオの中にひっそりと残るのみなのです。
 
もしかして、「特別編」以降しか知らない若い世代の方は、ぜひ、まだ中古ビデオ店に在庫があるうちに、埃にまみれた1977年公開版を購入されることをお薦めします。
 
ご覧になれば、きっと、観客の心にせまる迫力のシーンは、決してCG合成に頼るものではないことを、おわかりいただけるでしょう。
それはコンピュータでなく、人間の努力と根性と工夫……そして、もちろんフォースが生み出す、入魂のワンカットなのです。
 
 
【追伸】
9月13日、『スター・ウォーズ リミテッド・エディション』と銘打って、エピソードW〜Yのそれぞれの『特別篇』と『劇場初公開版』を二枚組セットで収録したDVDが発売された。喜ばしいことである。公開以来30年近く、ついにあのオリジナルの感動が鮮明なDVD画面になってよみがえったのである。
それを観ると、デジタルリマスタリングされた『特別篇』の画像は、色のコントラストがきつくなっていて、濃い影の部分など、焦げたような感じである。対して、『劇場初公開版』は昔そのままの、これがフィルムだなあって感じに仕上がっていて嬉しい。
しかし私はすでにトリロジーのボックスを持っている(ファンの大半はそうであろう)ので、この『リミテッド・エディション』は、『特別篇』という今更いらないおまけのついた『劇場公開版』を買うに等しい。
やはり割高感を伴うことは否めない。
そこはそれ、昨今のビデオやDVDの値崩れ現象を受けてか、2点で2500円なりというセールにかけている店も出てきた。これまた喜ばしいことである。
 
                                 【つづく】
 
 
 


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