Essay
日々の雑文


 21   20060204●雑感『海底軍艦』
更新日時:
2007/01/23 
 
 
 
海底軍艦
 
 
 
 
 
 
 
進め海底軍艦。
“強くなりたい”男の子の、願いを絵にしたその姿。
本来、潜水艦でありながら、先端にドリルを突出し、
立ちふさがる敵をことごとく粉砕するという、
問答無用の強引さ。
 
1963年にスクリーンに現れた海底軍艦『轟天号』は、
見るからに全長百メートルを超す巨体ながら、
海中を走り地にもぐり、大空に飛翔する万能戦艦。
地上制覇に乗り出した海底帝国ムウの野望を阻止すべく、
あえて「ムウ帝国撃滅!」を宣言し、
その女王陛下から無辜の庶民まで、
一人残らず殲滅した大量破壊兵器でありました。
 
子供心には、勇ましさに胸躍りましたが、
今から思えば、なんと無残で血も涙もない虐殺なのか。
ムウも悪いが、やったことはどっちもどっちという
気がしないでもありません。合掌。
 
とはいえ映画を見た少年たちの心をとらえたのは、
スマートにして重厚長大な『轟天号』のデザイン。
プラモの箱絵でおなじみの、
小松崎茂画伯の手になるものです。
 
さてこの『轟天号』には、
もっと昔にオリジナルがありました。
作品名はずばり『海底軍艦』。
発表はなんと西暦1900年。日露戦争よりも前。
戦闘潜水艦なんて、だいたい空想の産物だった時代です。
 
お話はミステリアス。
数十名の部下とともに船出して、
行方不明になった桜木海軍大佐。
じつは南海の孤島に秘密基地を建設し、
そこで大日本帝国を守護する超兵器
『海底軍艦』を秘密裏に建造したのです。
 
その名も『電光艇』。
全長130フィート6インチ。(わずか40メートルほど)
意外や小型の潜航艇ですが、
それだけに、リアル。
日露戦争前の昔でも、造れそうな大きさなのです。
 
その艦首には例のドリル。“三尖衝角”という名前で
前方に17フィート(5メートル強)突き出しています。
これで敵艦の腹に穴を開けて、沈めるのです。
たかが5メートルくらいのドリルで、戦艦の装甲がぶち割れる?
いやいや、笑ってはなりません。
この小さな『電光艇』は、やる気満々。
軍事科学の天才、桜木大佐が考案した、
特殊な化学薬品12種の組合せで、強烈なパワーを発揮します。
 
『電光艇』の最高速力は、驚くなかれ107ノット。
時速200キロメートルではないか!
その武器“三尖衝角”は、なんと秒速三百回転。
もうこれは、ドリルでねじ込むというよりは、
一点集中の摩擦熱で溶かし焼き切る、エネルギー兵器なのですよ。
 
もうひとつ驚かされるのは、魚雷兵装。
長さ1メートルほどの高性能超小型魚雷を、
“新式併列旋廻水雷発射機”なる装置で、
1分間に78本も、雨あられと発射します。
言うなれば、魚雷のバルカン砲。
しかもその照準装置は、
特殊“明鏡”で海上・海中を肉眼で見通し、
夜間は、レーザーみたいな“強熱電光”を発振して測的するという、
21世紀の映画の“ローレライ”もびっくり仰天するしかない、
驚異のメカニズム。
 
さて、映画『海底軍艦』の公開から四年後、
1967年に小学館から出た『少年少女世界の名作全集・日本編4』に、
この、オリジナルの『海底軍艦』が抄録されました。
そのカラー口絵と挿絵を担当されたのは、奇しくも、
映画の『轟天号』をデザインされた、小松崎茂画伯、その人。
全長40メートルほどの、リアルな海底軍艦『電光艇』が、
力強い筆致でよみがえっています。
そう、これこそが真打ちの『海底軍艦』。
いつか、プラモになってほしいものであります。
 
オリジナル『海底軍艦』の原作者は、
押川春浪という冒険伝奇小説家で、当時まだ二十代半ば。
この『海底軍艦』が処女作で、たちまちベストセラーになりました。
1902年に出版された続編『武侠の日本』では、
お話の中の仮想敵国に俄然ロシヤがクローズアップされ、
悪しき露探(スパイ)とその手下の海賊どもを
ばったばったと薙ぎ倒す。この痛快さに日本読者は大喝采。
その二年後に、現実に日露戦争が勃発するに及んで、
作品は飛ぶように売れました。
 
押川春浪って、
すごい人だったんだなあ。
なにしろ当時、SF作家なんてカテゴリーはなく、
“伝奇小説”なる言葉自体、押川自身が
編み出したとされるくらいなんですから。
それこそ前人未到のフロンティアを、
彼は一人で切り開いたわけです。
 
その後、続編はさらに
『新造軍艦』『武侠艦隊』『新日本島』『東洋武侠団』と続き、
快速飛行船の“空中軍艦”や、超巨大陸上戦艦“天下無敵鉄車”なる
超兵器も目白押し。また、史実として、
1886年に、フランスで新造した日本の巡洋艦〈畝傍(うねび)〉が、
日本へ回航する途中で消息を断ち、そのまま行方不明となった事件を
ふまえて、じつは〈畝傍〉は南海の孤島へ漂着して、そこで
大日本帝国を守護する秘密艦隊となって再生していた……という、
手前味噌な設定(軍艦が増殖して〈第二うねび〉〈第三うねび〉……が
登場してきたのには恐れ入りました)まで加わって、
何でもありの破天荒ライトノベルぶりが存分に発揮されています。
 
『海底軍艦』シリーズは
そののち、愛国小説ともてはやされ、
日本が関係する戦争が激化するとともに、
太平洋戦争に至るまで、
国威発揚の視点からさらによく売れたというのは、
ちょっと複雑な思いもするのですが。
 
1914年、急性肺炎を患った押川春浪は、
38歳の若さで短い生涯を閉じました。
1970年に桃源社から再刊された『海底軍艦』の解説によると、
春浪はキリスト教伝道師の家に生まれながら、
性格は豪放磊落なやんちゃ坊主で、
独立独歩の気概にあふれていたということです。
 
元気な作家が、元気な時代に、元気な物語を送り出しました。
そして、その後の現実の戦争の悲惨を見ることなく、
この世を去っていきました。
そういうことかもしれません。
 
さてこの『海底軍艦』が世に出た4年後の西暦1904年。
日露戦争開戦のこの年に、もうひとり、戦前に活躍する
“元祖架空戦記作家”ともいうべき人物が
この世に生を受けました。
平田晋策です。
 
 


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