Essay
日々の雑文


 17   20051221★アニメ解題『ノワール』『少女革命ウテナ』3
更新日時:
2007/01/23 
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060315【アニメ解題】
 
 
 
『ノワール』と
『少女革命ウテナ』、
その凄絶な魂の彷徨(3)
 
 
 
 
……この雑文は、主として
『ノワール』の謎解きを
試みるものです。
 
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【2006.03.15および18に追加】
 
 
●嗚呼ミレイユ残酷物語
  ……その優柔不断が招いた、踏んだり蹴ったり不幸三昧。
 
『ノワール』は“心に闇を植え付けられた”霧香が自分自身を取り戻して、自らの罪と対峙し、その罪を受け入れるまでの“贖罪の旅路”でありました。
そして、それと同時に、自分の家族を殺害した敵に復讐を誓ったミレイユが、その許しがたい罪を背負った罪人を、ついに赦すに至るまでの“救済の旅”でもあったと思います。
 
この物語はミレイユにとっても、まさに凄絶な魂の彷徨だったといえるでしょう。
 
とはいえ……
 
『ノワール』のストーリーを思い返してみるにつけ、再び、もやもやとした謎が浮かんできました。
いったい、ミレイユは、いつの時点で、どのような理由といきさつで、霧香の罪を赦したのでしょうか?
つまり……“いつ、なぜ、どうやって霧香を赦したのか?”ということです。
 
赦すもなにも、決まってるじゃん。二人は百合カップルなんだから……という答えは、いったん棚にあげておいて、それ以外の次元で考えてみることにします。私はかたくなに百合要素を否定するつもりはありませんが、ひとつ困ったことに、“百合族だから”と言ってしまえば、その瞬間に何もかも思考停止して、そこで終わってしまうのですよ。
 
これは、取り立ててあれこれ論じなくてもいい内容かもしれません。けれど、あえて追究してみると、人間として普遍的なテーマに関わってくることも事実でしょう。   
それは……
“人の罪を赦すとはどういうことか”なのです。
 
それでは、ミレイユが霧香を“赦す”決定的な場面は、どこでしょうか。
やはり最終話、業火の淵に身を投げた霧香の手を、間一髪、ミレイユがつかんだシーンでしょう。
「ミレイユ、放して……」と、うなだれて呟く霧香。すべての罪を受け入れ、唯一の手段である“死”をもって償おうとする無二の友にミレイユは涙し、声を絞り出します。
「お願い……お願いよ!」
 
思わずほろりと、もらい泣きする場面です。このとき、ミレイユは霧香の罪と、そして霧香という人物のすべてを赦すことができたのでしょう。
ではここで、ミレイユはいったい何を“お願い”したのでしょうか。
おそらく、こういうことだと思います。
 
「お願いよ。“私のために死なないで。私のために生きて!”」
 
さて、この言葉の意味はのちほど説明するとして、まずは、霧香の罪の大きさを検証してみましょう。
 
というのは、霧香のキャラクターは、典型的な“疫病神”だからです。
だって、そうでしょう。
霧香に好意を寄せる人物は、なぜか、とんでもなく不幸なめに遭うのです。
霧香に近寄った結果、暗殺のターゲットにされて殺されるのは、霧香にしてみれば“お仕事”ですから、まだ仕方がないとして、問題は、善意の第三者まで巻き添えにしてしまうこと。
その代表格が、第13話の青年ミロシュさんでしょう。
霧香を普通のお嬢さんだと思って、つい親切にしたばっかりに、命まで落としてしまいました。
ド派手なところでは第22話、荘園を守護する村人たちでしょう。
霧香を保護したばかりに、市街戦で村ひとつ全滅してしまいました。女子供も例外なしの非道な虐殺だったと想像されます。
クロエもそうでしょう。結果論とはいえ、霧香と知り合って、霧香のファンになって、一緒にノワールになろうよとまで決意したのに、よりによって、当の霧香によって、あのような最期を迎えるとは……
 
そして最も長期にわたって、踏んだり蹴ったりの散々な思いをさせられたのは……
もちろん、ミレイユですね。
 
幼いころに両親と弟を殺された。
作品中ではその場面が繰り返し出てくるので、この事件だけがクローズアップされがちですが、それだけではありません。
そもそも、第1話で、霧香のメールに誘われてはるばる来日したがために、ビル建築現場で黒服たちに襲われ、丸腰の男を殺すのをためらったばかりに逆に殺されかけて、あわや霧香に救けられるという体たらく。
運がなかったら、ミレイユは霧香と出会ってから数分で成仏してしまい、哀れ『ノワール』は第1話が最終話になっていたはずです。
問題は、霧香に関わったばかりに、ソルダに手を出すはめになったこと。
その後、二人してソルダの謎に食い込んでいくにつけ、ミレイユの“霧香のおかげで死ぬ思い”が続いていきます。
 
第3話『暗殺遊戯』では、暗闇に置いてきぼりで死ぬ思い。
第8〜9話『イントッカービレ』では幼少の因果で死ぬ思い。
第10話『真のノワール』ではクロエのナイフが喉元に突き付けられて死ぬ思い。
第15〜16話『冷眼殺手』では敵に捕まり死ぬ思い。
第18話『私の闇』ではご指名でソルダに狙われ死ぬ思い。
第20話『罪の中の罪』ではパリの棲み家をバコバコにされ、屋根の上で死ぬ思い。
最終話でも、マレンヌの大刀でばっさりやられるところでしたね。
 
そのたびごとに霧香に救けられてはいるものの、これは、そもそも霧香と知り合ってペアを組んだことが災いしていることに間違いありません。
 
それに加えて、身内の犠牲も続出します。
第5話『レ・ソルダ』では最も親しい友人一家が。
第14話『ミレイユに花束を』では慕っていた伯父フェデーが。
第17話『コルシカに還る』では信頼する使用人マドランが。
 
どうしてみんな殺されてしまうのよ!
 
そんなミレイユの悲痛な叫びが聞こえてきそうです。
普通の人間なら気がおかしくなっても仕方がないほどの、不運と悲劇の蓄積ぶり。
ただの一匹狼の殺し屋稼業に専念していれば、こんなことにはならなかったはず。
まったく、とんだ“過去への巡礼”になったものです。
直接間接に、そもそもの原因は……
疫病神、霧香。
 
そうです。もしもお話の途中でミレイユに助言できる神様がいたら、きっとこう忠告したことでしょう。
「悪いことは言わないから、あんた、さっさとあの疫病神を始末するがよろしい」
思えば、せめて第7話の『運命の黒い糸』で、傷ついた霧香に情けをかけずに射ち殺してしまえば、まだ被害は少なかったのではないか……
 
と悔やんだかどうかは知りませんが、いつのまにか最終話まで、ミレイユは霧香の面倒をみ続けます。死ぬ思いをして傷だらけになっても、友人知人血縁者の犠牲もいとわず、ミレイユはまるでカッコウに託卵されたモズみたいに、扶養義務もない霧香をせっせと養っていくのです。
 
性格的には短気で直情型のミレイユなのですが、霧香に対しては忍の一字です。第18話『私の闇』で一時は追っ払うものの、霧香にお願いされたわけでもないのに、よりを戻してしまいます。
 
だから二人は百合友達と勘繰られてしまうのですが、それはさておいて……
 
 
【以下、2006年3月18日に改訂】
 
●優しき殺人者
 
全編を通じて言えることですが、ミレイユは優しいのです。
正直、殺し屋稼業には向いていません。
幼稚園の先生か保母さんが適職ではないでしょうか。
射撃の腕前が“ヘタレ”だとけなす前に、パーソナリティの問題として、ミレイユは闇の世界に生きるには優しすぎです。
 
そんなことを言ったって、第1話のラストから、ミレイユは霧香に対して「すべてがわかったら、私はあんたを殺す」と、冷たい約束してるじゃないか、……とも言えるのですが、いかにも非情な殺人予約のように見えながらも、これを裏返せば、じつは「すべてがわかるまで、私はあんたを殺さないよ」と安全宣言しちゃったことになるのです。
しまった……と、どこかの時点で内心、ミレイユは後悔したかもしれません。霧香が悪乗りして「待っているわ。そのときを……」なんておだてるものだから、うっかり契約しちまっただ……といまさら嘆いても、後の祭り。
 
そういう事情もあったためか、結局なんだかんだでミレイユは霧香を殺すことなく荘園まで行ってしまいます。このミレイユの優しさはどういうことでしょうか。
家族を皆殺しにされた経緯から、当初より復讐の鬼になってもいいのです。
だから、第21話『無明の朝』では、「そのときがきたのよ」なんて霧香に督促されなくても、その前の「あんたがやったの」時点でさっさと霧香を射ち殺してしまっても不思議はないのです。しかし、そうはならない。
 
やはり、ミレイユは本質的に優しいお姉さんなのです。霧香だけに限らず、他人に対して意外なほど寛容なのです。
なぜ、そんなに優しいのか。
理由は、ミレイユの孤独にあるのでしょう。幼くして家族をみな失い、ブーケの家の繁栄も失い、夜逃げ同然に故郷を脱出し、一人寂しく殺し屋稼業。
まさに「私はいろいろな人と一緒にいるときは、いつも独りぼっちだった」のです。
第1話で「私じゃないわよ。アーネスト・ヘミングウェイ」と強がりを言いますが、じつは自分のことだというのは見え見えなのですね。
だから、ミレイユには他人の孤独の辛さがわかるのでしょう。他者の心の痛みがわかる。だからこそ優しくなれる。コルシカへ還ったときに、昔の使用人だったマリーおばさんに対して見せた優しさなど、まさにそうです。
 
そこへきて、霧香も、絶対的な孤独の中に身を置いています。
第23話『残花有情』でミレイユが見つける、霧香の手紙の文面がそうです。
「私は独りだった。なにもなかった。それが恐くて、苦しかった……」(12巻15:00)
その恐さと苦しさの原因は、手紙の冒頭近くの文章から伺い知ることができます。
「私はもう、あなたと会えなくなるかもしれない。もうひとりの私がいる。そんな気がするのです」
たんなる、自分独りだけの孤独に終わらない。もうひとつの不気味な人格(黒霧香のことですね)が今の自分を消し去ってしまうかもしれないという恐怖。“死”にも近い自己喪失の恐怖まで、霧香にはつきまとっていました。
ミレイユはその手紙を読む以前から、霧香が抱えている辛さを察しています。第18話『私の闇』のラスト近くで、霧香に告げています。
「あんたの傷はもっと深い。きっと耐えられないくらい」(9巻46:03)と。
 
物語りの前半、第7話『運命の黒い糸』で、殺意はなくとも、いらだちのあまり霧香の枕に一発撃ち込んでしまうミレイユとは大変な違いです。ミレイユはいつのまにか、霧香の孤独の苦しさを感じ取り、共感して、霧香を理解し、いたわるようになってきたのでしょう。
 
傷つき孤独なふたつの魂が出会い、相手を支え、そして赦す物語。
『ノワール』をそう解釈することもできるでしょう。
 
しかしそこまで優しいミレイユお姉さんでも、霧香の罪を最初から「まあいいわよ。気にしないで」と赦したわけではありません。そう簡単に「赦せる」と決断できるはずがないのです。
ミレイユは優しく寛容……しかし、霧香の罪を赦せるかどうかは、おそらく最終話まで迷い続けていたに違いありません。
 
ミレイユは、決めかねます。
霧香と一緒にいると、不幸なことばかり起こる。かけがえのない人を失う、堪え難い苦しみが積もってゆく。
それに、私はこの子を好きになれそうもない。けれど、この孤独な寂しがり屋の少女を追い出したり、最悪の場合、約束どおりに殺してしまっていいのだろうか?
 
そして第21話以降は、……私は霧香を赦せる? いいえ絶対に赦せないはず、でも……と、どうにもこうにもふんぎりのつかない心理状態のまま、優柔不断にも、毎回結論を先送りにし続けて、とうとう最終話まで行ってしまいます。第1話からずっとミレイユは、霧香に関しては、出口のない迷路をさまよっていたようなものなのです。
 
殺せる、殺せない? 赦せる、赦せない?
迷いつつ、結論を先送りする優柔不断。
しかしこの優柔不断は、憎しみととともに、どうにもできない優しさを持ち合わせてしまったがゆえに、冷酷な決断を下せないという、人間的な温かみです。
それが、案外、ミレイユの真実なのかもしれません。
 
また、私たちのごく普通の日常生活もそうでしょう。他人を赦せる、赦せないを峻別する決断を避けて、あいまいに、自分をごまかしながら、人生をやりすごしてはいないでしょうか。結論の先送りは、お役所の仕事で多用されては困りますが、個人と個人の無用な対立を避けるという意味では、賢明なやり方でもあるといえるでしょう。
 
しかし、事程左様に、優しさゆえの結論先送りを重ねた結果、ミレイユ個人にとっては不幸の連続、踏んだり蹴ったりの悪夢が続くはめになりました。巻き添えとなった犠牲者のみなさまには、もって瞑すべしでしょうか。
 
 
●謝罪なき赦し。その不思議。
 
そしてついに、最終回の第26話、業火の淵へ落ちかかる霧香の手をつかんだ瞬間、ミレイユに決断のときが訪れます。
もう、ここで結論の先送りはできません。目の前で霧香は死を決しているのです。
ここで霧香を赦さないとしたら……、ミレイユの行動は簡単です。霧香に罪の償いをさせるため、霧香が求めるとおりに手を放し、業火の死へ追いやればいいのです。
それとも……
 
ミレイユは、霧香を赦します。
 
さて、いまさらながらに、何度かこのシーンを見直して「すごいなあ」と感嘆するのは、ミレイユの生き方を根本から変える劇的な決意のシーンであるというのに、見ていて“違和感なく納得できる”ことです。
「ああ、そうなんだ。ミレイユは霧香のすべてを赦すことができたんだ」と、自然にうなずいてあげることができるのです。
 
何をあたりまえのことを……と、不思議に感じられるかもしれませんが、ありきたりなアニメ作品やTVドラマでは、これは、なかなか難しいことでもあるのです。
たとえば休日の昼下がりに再放送されるサスペンス・ドラマなんかで、主人公の一人が、殺しても飽き足らないほどの罪を背負ったもうひとりの登場人物を心から赦してあげる……このような感動のクライマックスに、常套句のように登場するのは、“悔悟と謝罪の言葉”です。
「ごめん」「すまなかった」「私が悪かった」「許してくれ」……といった枕詞に続いて、事件の真相を語る懺悔の告白が続きます。
たいてい、この場合、懺悔する登場人物は悪役のだれかに射たれるなどで瀕死の状態に置かれていて、その、お詫びの言葉は遺言めいて悲愴です。
そのためか、謝られた主人公はうんうんとうなずいたり、死にかかっている相手を抱き締めて「もういいんだ」と赦しを告げたりします。
そのあと、真相を告った方は、そのまま主人公の腕の中で昇天するか、病院で奇跡的に命を取りとめて、主人公と仲直りしたりします。
 
ドラマの手法として、それはそれでよいのですが、こういった場面に、どこかわざとらしい、無理を承知で演出したような違和感が漂ってくることも否定できないでしょう。
真剣に、かつ大げさに謝れば赦されるのか? そういう問題ではありませんね。
 
冷たい言い方をして申し訳ないのですが、口で謝ったからといって、気持ち良く赦してもらえることが、実社会でどれほどあるでしょうか。とりわけ、殺人のような重い罪を犯した人が、心から謝ったところで、まず赦してはもらえませんね。もはや、いかなる謝罪も虚しいものであり、遺族は“極刑”を求めます。
万引きひとつですら、「ごめんなさい、もうしません」で赦してもらえる社会ではないというのが普通です。感情的な側面で、現代社会はけっして寛容ではありません。
 
横道ですが、「ごめん」で済むのは、昨今ニュースで毎週のように放映される、お役所や企業の謝罪会見です。あれは、謝罪の言葉を口にする人が、謝っても個人的には責任を問われないから謝っているのであって、謝意は認めても責任は認めず、もちろん罪を認めはしません。謝ったら最後、責任を取らなくてはならないのなら、まず百パーセント、最初から謝ったりしないはずです。
「ごめん」で済むから会見するのであって、そのこと自体は一種の茶番でしょう。そう承知して放映される会見をながめる視聴者が、頭を下げて「申し訳ございません」と唱える人たちを感情的に赦しているのかどうか、疑問に思えるところです。
 
それはさておき……
 
『ノワール』では、霧香はミレイユに対して、罪を詫びてはいません。
「償えない……償いようがないよ」とすらつぶやきます。
このとき、いかに霧香の心が苦しんでいても、聞かされる側にとっては、開き直りにもとれる、なげやりな言葉なのです。
それだけに、霧香が、謝ったところでどうしようもない、ぎりぎりまで追い詰められた現実に直面していると感じられます。
 
いくら謝ったところで赦されようのない、重い罪を背負った霧香。
もちろん言い訳は可能です。土下座して泣きじゃくることもできます。
「私じゃない、……もうひとりの私が悪いのよ。私は何もわからない子供だった。ただ操られていただけ……」
ミレイユ、霧香を優しく抱き締めて、
「そう、わかった。あなたを信じる。悪いのはあなたじゃなくてアルテナなのよ」
……と、ならないところがさすがに『ノワール』です。
 
だからこそ、この作品はリアルであり、ありきたりな作品とは次元が違うと思います。
 
霧香は謝罪しません。謝罪しても意味がないからです。
そんな霧香をミレイユは、最終的には赦します。
死をもって償わせるのでもなく、ただ赦します。
最終話のミレイユの最後のセリフ「(お茶は)あんたが煎れるのよ」が、霧香のすべてを赦したことを物語っています。
 
そこで、どうしても素朴な疑問が残ります。
ミレイユは、謝罪ひとつしない霧香をどうやって赦すことができたのでしょうか。
 
謝罪に近い言動はあります。第21話『無明の朝』でミレイユに「私を射って」と願う場面。安っぽい言葉の謝罪はせず、償いの唯一の手段として死を選択する霧香。ここも目頭がじんとする、たまらないシーンです。
しかし、だからといって、ミレイユは霧香を罰するでも赦すでもなく、「今度会ったら……」と、明らかに結論を先送りにします。
 
では第23話『残花有情』で、ミレイユが発見して読む霧香の手紙はどうでしょうか。この手紙は霧香が自分の罪を知る前に書かれているので、謝罪文ではありませんが、ミレイユが、霧香を取り戻すために荘園へと出発する、決定的な動機が形づくられます。
 
ミレイユが霧香のすべてを赦す、最も大きなきっかけが、この手紙なのではないかと思います。
 
それにしても、ここでまた「すごい……」とうならされるのは、手紙が置かれていた場所ですね。霧香がEメールなどでなく、直筆の手紙というローテクな手段を選んだことも、演出上よく考えられていると思いますが、植木鉢の下というのは……
霧香がずっと水をやって育ててきた鉢植えですが、「この花は黒く染まることもなく、ただしおれた」(DVD11巻27:27)のです。
が、その鉢の下に、ミレイユは手紙を見つけます。
この枯れた鉢植えは、花のかわりに、手紙という形で、霧香の心の言葉を残してくれました。
「ありがとう、ミレイユ」と。
裏読みしすぎかもしれませんが、心憎い演出。
そう思うのは、このあと、ミレイユはブレフォールに「私の相棒は、心に闇を植え付けられて生きてきた」と語るからです。
“花が黒く染まることなく、ただしおれた”鉢植えの植物と、何者かによって心の中に植え付けられた“闇”を、どす黒い罪の色で染めながら育ててきた霧香の姿が重なります。
そして、鉢植えの下に隠されていた感謝の手紙は、常に心の闇の下に隠されていた霧香の真心に重なります。
さりげなくも、ため息が出るほど美しいイメージだと思います。
この回のサブタイトルは『残花有情』。
花を咲かすことなく枯れてしまった鉢植えからミレイユの手に残された一輪の有情の花は、霧香からの“ありがとう”だったのです。
 
さてしかし、この手紙を読んだミレイユは、心の動揺とともに、霧香への反発を禁じえません。全身の力が抜ける思いをしながらも、手紙をくしゃくしゃに丸めて落とし、つぶやきます。
「……バカじゃないの」
あまりにミレイユらしいセリフなので、ついそのまま納得してしまいますが、その意味はこういうことでしょう。
「(あたしに、“ありがとう”だなんて)……バカじゃないの」
ミレイユの、霧香の心への返答です。
ここも思わず目頭が熱くなる場面です。なんといっても「すべてがわかったら、私があんたを殺す」という冷徹な間柄で、ずっとミレイユはやってきたのですから。
……霧香、あんたに“ありがとう”なんて言われる資格は、私にはないんだよ……
きっと、ミレイユは霧香にそう伝えたかったことでしょう。
しかし、霧香はすでに“黒霧香”となって荘園へ去ってしまった。
 
いろいろと理由は考えられるでしょうが、霧香を救い出すとか、ソルダへの復讐を完遂するとか、そういった事情とは別に、もうひとつ、ミレイユを荘園に駆り立てる心情的な動機が、ここに生まれたのだと思います。
ただ霧香に面と向かって「(あたしに、“ありがとう”だなんて)……バカじゃないの」と答えてやりたい。その結果、霧香がノワールになろうがなるまいが、しっかりとそう伝えたい。
出会ってどちらかが死ぬとしても、なんとしても死ぬ前に、手紙の返事を一言伝えたい。たった一言でいい、私の本心の返事を。
 
霧香の手紙の文面と同じように、ミレイユもそう願ったに違いありません。
……霧香を赦すとか赦さないとか、そんなことは後回しにして、一切の理屈を超えた、しかしとても人間的な動機を秘めて、ミレイユは荘園へ赴く決心をしたと考えたいのです。
さて、そこでいよいよ、その時がやってまいります。
 
 
●すべてを赦すとき
 
最終回の第26話、業火の淵へ落ちかかる霧香の手を、はっしとつかむミレイユ。
「放して、ミレイユ」と告げる霧香。
霧香を失うかどうか、この数瞬に、ミレイユの思いは如何ばかりだったでしょうか。
おそらく、ミレイユの脳裏には、第1話で霧香と出会ってからこれまでの記憶が、走馬灯のようにめぐったに違いありません。
思い返せば、生ける疫病神だった霧香と組んだ暗殺ユニット“ノワール”の凄惨な仕事の日々が……
 
さてここで、私たちが他人を「赦す、赦さない」と判断するときの、心の内側を考えてみましょう。
ある人から悪いことをされて、腹を立てる、むかつく。
そして「絶対に赦してやるものか」と激怒する。
しかしそのとき、私たちは、悪いことを仕掛けてきた相手を、その悪事だけで判断しているでしょうか。
出会い頭の犯罪などで、初対面の相手なら、その場の出来事で怒ります。
しかし、相手がそこそこ長いつきあいのある関係だったとしたら……
腹を立て、怒る数瞬のうちに、その相手とのこれまでの関係を思い出すでしょう。
過去の記憶を探ってみて……
「そういえばあのとき、こんな悪いことをされた、あんな下劣なふるまいをされた」
そんな体験が蓄積していたら、怒りは決定的、「もう絶対に赦さない」となります。
しかし、逆に、「あんないいこともしてもらった。助けてもらったし、気を使ってくれたりした……」と、プラスの体験が蓄積されていたら、その場の怒りを押さえて、「本当に相手が悪いのか」と思いなおすこともあります。
ともすれば、「よく考えてみると、私も悪かった」という結論になることもあります。
このように「赦す、赦さない」という判断は、その場の感情に走るのでなく、過去の体験と記憶を総合的に判断している場合が多々あります。
 
ミレイユの場合、まさにそうだったのでしょう。
霧香と一緒に生きた日々が、脳裏にフラッシュバックします。
そこで、ミレイユはある重大なことを再確認したのではないでしょうか。
それは、霧香と自分の、ギブ・アンド・テイクの関係です。
ミレイユは霧香に暗殺の仕事を手伝わせたかわりに、霧香を養いました。
そして霧香は、自分が何者であるかをミレイユに探ってもらいつつ、その報謝として、ミレイユに役立とうとしました。
どうやって?
それは霧香の最大の特技、人殺しのテクニックです。
これによって霧香は何度となくミレイユの命を救うことになりました。
そしてまた、第6話『迷い猫』のように、ミレイユがその優しさゆえに途中でやる気をなくし、「どうする? この仕事、後味の悪い思いをするのも、ちょっとね……」(DVD3巻43:40)と尻込みしたときに、あえて、手を汚す仕事を引き受けていったのではないかと思います。ミレイユの代わりに汚れ役を引き受けた。そのため、かえってミレイユに「あんたの仕事は下品」と揶揄されていたのかもしれません。
 
そして困ったことに、霧香がミレイユに対して貢献できる特技は、人殺し以外にはほとんどなかったのです。身ひとつでミレイユのもとに居候している霧香ですが、たぶん、何でも器用に卒なくこなせる子ではありません。せいぜいお茶を煎れるくらいでしょうか。
 
それに、ミレイユにお礼として差し出せるものとして、霧香に残っているものは、ただ、自分の命だけでした。
だから最初から霧香は、ミレイユに対して、自分の命を捧げることにしたのでしょう。ミレイユとの約束の「すべてがはっきりしたら、ミレイユに殺される」ときを待たずとも、すでに霧香は最初から、自分の命をミレイユの意志に委ねていたと思われます。
だから第7話『運命の黒い糸』で、あっさりとミレイユに射たれることを承諾したのでしょう。
 
業火の渦に落ちる寸前の霧香。その手を握ったまま、ミレイユは悟ったことでしょう。
「霧香は最初から、私に自分のすべてを捧げてくれていたんだ」と。
 
霧香はいつでも、私のために人を殺し、そして私のために死ぬつもりだった。
罪を犯しているのは霧香だけではない、私も霧香に多くの罪を背負わせてきた。私を救うために、霧香は私よりも多くの人を殺してくれたのだから。
そして今、霧香は自分の罪をあがなって、私のために死のうとしている。
 
ミレイユはこのとき、怒りのすべてを流し去り、完全に霧香を赦すことができたのだと思います。
それは、ある特定の罪を償うとか赦すとかいうよりも、霧香の生命も全人格も、黒霧香をも含めて、なにもかもすべて赦す……という決断でした。
 
だからミレイユは声を絞り出せたのでしょう。
「お願いよ……(私のために死なないで。私のために生きて!)」と。
 
これは、霧香への心の救済でした。
そして同時に、ミレイユ自身の心の救済でもありました。
幼いころからミレイユ自身の中にあった、憤怒と復讐心の呪縛を超越することができたのですから。
霧香が受け入れた罪のすべてを、そして霧香自身が「償えない……償いようがないよ」とあきらめていることも含めて、霧香のなにもかもをかけがえのない人として肯定し、“生きてちょうだい……”と願う境地に至ったミレイユ。
 
それはすなわち“相手の痛みを自分の痛みに、その苦しみを自分の苦しみに、その罪を自分の罪にできた”ことを意味しています。
それが、本当の意味で人を“赦す”ことなのでしょう。
 
いささか、こじつけ気味な仮説だったかもしれません。しかし個々の罪を償ったとか弁償したというから“赦せる”という問題ではなく、罪人(つみびと)の罪を自分の罪とし、すべてを肯定できること。それが究極の“赦し”ではないかと思えてならないのです。
 
『ノワール』で、罪とその贖(あがな)いの主人公になるのは、立派な聖人君子ではなく、手を黒く汚した殺人鬼でした。罪深いが、魂はまだ穢れていない少女。
そして最後には、荘厳なまでの心の救済によって、お話が締め括られました。
「……お願いよ」の、あの一瞬に、全話を通じた万感の想いが凝集しています。
まさに入魂の傑作。ウェル・メイド(上出来)! の一言に尽きるでしょう。
 
                         (2006.03.15)
 
 


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