Essay
日々の雑文


 16   20051220★アニメ解題『ノワール』『少女革命ウテナ』2
更新日時:
2007/01/23 
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051220【アニメ解題】
 
 
 
 
『ノワール』と
『少女革命ウテナ』、
その凄絶な魂の彷徨(2)
 
 
 
 
 
……この雑文は、主として
『ノワール』の謎解きを
試みるものです。
 
※写真をクリックすると
『ノワール』のオフィシャルサイトへ行きます。
 
 
 
●“継承の儀式”その真実の姿とは
 
アニメ『ノワール』。最終話『誕生』のBパート。
業火の淵の地下祭壇で、ついに霧香とミレイユは、慈母アルテナと対峙します。
アルテナは述べます「この祭壇こそ真の式場……」(13巻38:43)
アルテナの賛同者であるボルヌやマレンヌたちが準備していた、“ノワール継承の儀式”はまやかしに過ぎなかった。地下祭壇でこそ、本物の“継承の儀式”が行なわれることが二人の前に明かされます。
 
その儀式の中身は何でしょうか。
名前だけを継ぐ、形ばかりの儀式ではないはずです。
祈りとか誓い、冠だとか免許状を授けるとか、固めの杯を交わすとか、血判状とか、そんな形式的なことで、“真のノワール”が継承されるとは思えません。なぜならば、これまでずっと、ノワール候補者は、殺し殺される残酷な試練を命がけでくぐり抜けてきたのですから。
アルテナが自ら述べているように、ここでは、ただの儀式ではない、「越えがたい最後の試練」が待っているのです。
それはどういうことなのか、アルテナは言葉で説明せず、ただ行動で示します。
 
では“最後の試練”とは何なのか、その条件を考えてみましょう。
ただし、私のあくまで勝手な想像のレベルですが……
“最後の試練”を経て、候補者の二人がノワールを“継承”するには、単なる“資格の継承”を越えた絶対的な条件が含まれています。
それは「いったんここでノワールを継承したら最後、将来に、それを放棄することはできない」ということです。
それは当然のことでしょう。ノワールになったのちに、思想信条の違いとか個人的な事情で、「殺人はいやなので、ノワールはやめます」なんて言い分が通ったら、そもそもノワールの意味がなくなってしまいます。
ですから、“絶対に後戻りはできない。ノワールになった瞬間、ノワール以外のものに戻ることは許されない”。
 
すなわち、“継承のプロセスは不可逆である”のです。
それが、“ノワール継承”の第1の大条件であるはずです。
 
そして次の大きな条件は……
「ノワールを次代の候補者に継承させた“先代のノワール”は、その瞬間、ノワールでなくなる」ということです。
“真のノワール”が二組も三組も同時存在することは許されません。だってそれなら、いちいち“継承”する意味がなくなるからです。継承なんかせず、ノワール2号、ノワール3号を作ればいいことになってしまいますから。当然ですね。
しかし、先代ノワールがその立場を継承させたことによって、“ノワールでなくなる”ことで、その結果、“ノワール以外の何者かになる”というのなら、それは、第1の条件に矛盾してしまいます。
ならば、先代ノワールはどうなるのか。
きれいさっぱり、消え去らねばなりません。
死、あるのみでしょう。
 
●最後の対決。その悲しくも皮肉な結末。
 
つまり、“ノワール継承”の第2の大条件は……
“継承と同時に先代ノワールは死すべし”なのです。
どのような死に方なのか。
自殺はいけません。自殺だと、ノワールを継承させてから死んだのか、継承させる前に勝手に死んでしまったのか、その判別が難しくなります。
ですから、最も合理的な方法は、新しくノワールを継承する者の手にかかって殺される……ということになるでしょう。新しいノワールにとっても、自らの手で先代を殺すことによって、確実に自分がノワールを継承したという意識づけができることになりますから。
 
したがって、慈母アルテナが、“ノワール継承”を完遂するためには……
 
@ 次代の候補者である霧香とミレイユの手によって、殺されなくてはならない。
A そして当然のことだが、絶対に、霧香とミレイユを殺してはならない。
 
この、たった二つの要素に集約できるのです。
これが、“最後の試練”の正体です。
そしてこの、@とAのルールをめぐって、アルテナ、霧香、ミレイユは生命を賭けたぎりぎりの駆け引きと、挑発と、攻撃と、自制と、犠牲との間でせめぎあいます。
三人の挙動のすべてが、@とAのルールに支配されています。
この場面に、『ノワール』が作品として追求してきた、“罪とはなにか”というテーマが凝縮されてくるのです。
 
さて、もしもこの場合、アルテナのシナリオ通りに、霧香とミレイユがアルテナを殺したとしたら、どうなるでしょうか。
アルテナは“慈母”であり、真のノワールたる二人に、無償の愛を捧げています。
文字通り、殺されてもいいほどの、究極の愛です。
二人がアルテナを殺せば、すなわち、アルテナの愛を受け入れてしまうことになります。
ある意味、育ての母でもあるアルテナ。産みの母よりも愛情を注いでくれた人。
そんなアルテナの愛を受け入れ、同時にアルテナを殺した瞬間、霧香とミレイユには大きな“罪”が背負わされます。
“母殺し”という罪が。
「やっちゃった」では済まない、重くて消えない罪が、二人の心に刻まれます。
この罪をあがなう道は、ただひとつ。
殺してしまった慈母の意志を継ぎ、慈母の愛にむくいること、それに尽きるでしょう。
そうなることによって、“不可逆のプロセス”が完成します。
愛する母を殺すことによって、二人はもう、生きている限り、ノワールの地位を放棄することはできなくなるのです。
ノワールを殺した者は、ノワールから逃れられない……のですね。きっと。
 
さて、霧香とミレイユがアルテナと最後の対決をするこの場面、いったいどうなるのか、二つのケースに分けて想定することができるでしょう。
 
(ア)二人がノワールになりたい場合
二人が素直にノワールへの就職を希望していたならば、すべてアルテナのシナリオ通りとなるでしょう。アルテナは二人を挑発し、二人はアルテナを射殺する。これで新たなるノワールの誕生です。
 
(イ)二人がノワールになりたくない場合
霧香とミレイユが、いったんはアルテナの挑発に乗るかにみえて、それでもノワールになることを拒否して、アルテナの射殺をやめる場合です。
アルテナ、困ります。なんとしても、ここで二人にノワールになってもらわなくてはなりません。自分の生命をひきかえにしても、成し遂げようと決意したグラン・ルトゥールなのです。アルテナ、なりふりかまわず、残酷な挑発に走ります。
 
さて、この(イ)の場合、霧香とミレイユがノワールにならないためには……
自分が、「ノワールではなく、それ以外の何者かになる」という選択をすることです。少なくとも、そう自覚しなければ、ノワールになることを拒否できなくなりますから。
ミレイユの方は、さほど困りません。ノワールにならないというならば、今まで通り、“ブーケの家のミレイユ”であればいいのですから。
ところが、霧香の事情は複雑です。
実際には、霧香は「(ノワールでなく)夕叢霧香として!」(13巻43:13)と宣言します。
しかし、ここで考えてみましょう。
“私はノワールでなく、夕叢霧香になる”と決意すれば、それでOKということにはなりませんね。なにしろ、夕叢霧香は嘘の名前、私には名前がない……と、常々独白してきたのですから。あえて、“嘘”と自覚している名前を持ち出すのは、どうも腑に落ちないものがあります。
むしろ、ここで、霧香が、自分の本当の名前を思い出していたならば、霧香はその本名を名乗ろうとするのではないでしょうか。
あるいはその直前に、アルテナに訊くかもしれません。「教えてアルテナ、私の本当の名前を」と。しかしそのような場面はありません。
 
いや、すでに霧香にとって本名なんかどうでもよくて、ただ、心から慕い、愛しく思っているミレイユと自分とをつなぐ、唯一の絆として、“夕叢霧香”の名前を選んだのだ。“夕叢霧香”こそ、霧香にとって、生まれたときに親からもらった本名以上の、真の名前になったのだ……と解釈することもできるでしょう。むしろそれが、作者の意図に答えた、適切な解釈であろうと思います。
 
とはいえ……
それはまた、儚くも厳しい決断でもあります。
“夕叢霧香は嘘の名前”という前提に変わりはないからです。
私は夕叢霧香……と、強がって宣言したところで、それは所詮ウソ。自分は名無しであり、どこの誰でもないという結論に変わりはありません。
 
「夕叢霧香として!」と宣言しながらも、霧香は刹那、こう思ったことでしょう。
……でも、こんな私をミレイユは“夕叢霧香”として認めてくれるだろうか。認めてくれるなら、私は夕叢霧香として死ねる。でも、だめ。きっと認めてはくれない。ミレイユにとって私は、殺しても足らないほど悪しき存在、忌むべき存在なのだから(その理由は第21話で、すでに明らかになっている)。そして、ミレイユに認めてもらえなかったら、私は“夕叢霧香”という嘘の名無しでしかない……。
 
このとき、霧香は身をねじ切られるような思いに直面するでしょう。
ノワールになることを選ばなかったとしても、おそらくミレイユに自分を認めてもらうことはできないだろうと、霧香は思うからです。……ミレイユにとって、きっと私は生きる価値のない人間なのだから。ならば私は……名も無い、“無”にしかなれないのだ。……と。
 
霧香はミレイユと違って、後戻りできる名前を持っていません。最初から、その道を断ち切られているのです。ここは、さすがアルテナの作戦勝ち。ただ微笑んで、たとえば「あなたは夕叢霧香ではないのですよ。そうでしょう? だって、あなたはノワールなのですから」とささやけばいいのです。霧香はもはや反論できないでしょう。
 
※ じつはここで、霧香が自分の本名を知っていたかどうかが、大きな問題になるのです
が、その件は次の章で述べることにします。
 
 
【以下、2006.03.15に追加】
 
“儀式”の本質。それは“娘による母殺し”
 
儀式の場でどのようなことが起こったのか。念のため確認してみます。
【特にこの章は、『ノワール』全話をご覧になっていない方は、お読みにならないことをお薦めいたします】
 
まず、アルテナはオデット・ブーケの殺害を話題にして、ミレイユを挑発します。
アルテナこそ、母の仇でした。その事実を本人から告げられるミレイユ。
挑発に乗って激昂し、アルテナにせまって銃を突き付けます。
だが意外なことに、アルテナはなにひとつ抵抗しません。
「さあ、お撃ちなさい」とばかりに、静かに瞑目するだけなのです。
憤怒をたぎらせるミレイユ。しかし歯を食いしばり、ぎりぎりで発砲をとどまります。
なぜでしょう?
 
ミレイユはこの瞬間、気づいたのでしょうか。
……ああ、もう“儀式”が始まっているんだ。アルテナは私の手にかかって殺されることで、私たちをノワールにさせるつもりなんだ! ……と。
そう考えることもできます。しかし、儀式について詳しい知識を得ているとはいえないミレイユですから、そこまでアルテナのたくらみを見通せていないかもしれません。
 
ミレイユがアルテナの射殺をとどまった理由は、ほかにもあるでしょう。
まず、アルテナはミレイユの家族を殺害した黒幕ですが、そのアルテナ本人を殺してしまえば、ミレイユの個人的な復讐は成就するものの、ノワールやソルダにかかわる情報の多くが闇に葬られてしまいます。
単なる復讐でなく、“ノワール”そのものの本質にせまり、真実を暴くには、アルテナを殺さず、生きて語ってもらうほうが得策です。
 
しかし、それ以上に……
アルテナは、霧香の真の出自について知っています。霧香が本当は何者であるのか、確実な情報と証拠を持つ唯一の人物でしょう。
アルテナは、霧香の底無しの孤独と、その苦しみを解決できるかもしれない、貴重な人物なのです。
そしてまた、アルテナは憎むべき敵であるものの、ミレイユにとってかけがえのない友である霧香からみれば、第二の母親ともいえる大切な立場の人物でもあります。たとえ殺人を教える鬼母であったとしても、ある意味で霧香を育てた“慈母”なのです。
霧香のためを思えば、ここでアルテナを殺してはいけない。生きて真実を語り、生きて償ってもらうんだ。私よりも、霧香に対して償ってもらわなくては。……そう、ミレイユは直感したのではないかと思います。
 
そして同時にミレイユは、アルテナが死を望んでいることを感じ取ったはずです。
死は、それ自体が罪の償いであるかのように見えながら、一方では生きて償う責任を放棄することでもあります。
熟慮の上で覚悟を決めているアルテナにとって、もはや死は、自分の罪を消し去って、身も心も軽くなるような、幸せな昇天ですらあるのでしょう。
そうさせてたまるものか! とミレイユは思い、叫びます。
「あんたなんか……殺される資格もないわ!」(DVD13巻40:28)
ミレイユは拳銃を投げ捨てます。
……たとえカッとなっても、絶対に私はあんたを撃ちはしない。あんたの望み通りに、あんたを殺してたまるものですか! ……という意思表示です。
 
また、このときアルテナは拳銃を隠し持っているものの、ぱっと見た姿は無防備な丸腰です。
これも、ミレイユが射殺を躊躇した一因だったかと思います。“丸腰の敵は撃たない”という、ミレイユの心に秘めた優しさが感じられる一瞬でもあります。
 
けれど、アルテナの頬をよぎる、かすかな失望の影。……撃つと思っていたのに、私はあなたを見損なっていたのかしら……と。そして一言。
「それでは、仕方ありません」
隠し持っていた拳銃で、ミレイユを撃つアルテナ。
しかしその弾丸は2発とも、ミレイユの二の腕に傷跡はつけるものの、きりぎり大出血は避けるという、超絶の射撃テクニックです。先代ノワールの貫禄十分といったところでしょうか。
そうやって今度は、霧香を挑発するのです。
「(私を)お撃ちなさい。でないと友達が死んでしまいますよ」と。
そしてついに、アルテナは“儀式”の本質を口にします。
 
「さあ、引き金を引きなさい。私を殺して、真のノワールとして生きるのです」(同41:55)
 
霧香の心に、クロエの死の場面がよみがえります。愛を注いで殺人機械に育てあげられたクロエ。“愛が人を殺す”をそのままクロエに具現化した慈母アルテナ。霧香はアルテナに強い憎しみを覚えます。
が、その次によみがえった記憶は、最期のときのオデット・ブーケでした。優しく霧香を見つめて、「ミレイユを、お願いね」と頼む母親の言葉。涙ぐむ幼い霧香。
そう、このとき初めて、霧香はあの瞬間に自分が涙ぐんでいたことを思い出したのでした。
これは霧香の心にとって、決定的な転機になったはずです。
無償の“母の愛”を再び、記憶の中で感じ取った霧香。
そして、愛あふれるオデットに重なって、今、自分が銃口を向けているのは……慈母アルテナ。
“愛をもって殺す”残酷な慈母であったとしても、霧香にとって、実の母に並ぶほどの、第二の母親であることに変わりはありません。
たとえ人殺しを命じる母であっても、子供にとっては、ただひとりの愛しい母であるのです。
霧香はこのとき、激しい悲しみに打たれながらも、娘が母を見るように、アルテナを見たのでしょう。心の中でアルテナを「お母さん」と呼んでいたのかもしれませんね。
 
アルテナは、霧香の心の迷いを察知します。
霧香は、私を愛している。私を殺してはくれない……と。
刹那、うろたえ、あせるアルテナ。
意を決したアルテナは、ふっと視線をミレイユにやり、発砲します。
今度はおそらく、ミレイユを殺さないまでも重傷を与えるようなねらいをつけて、あるいは本当に殺すつもりの弾丸だったのかもしれません。
たぶん、それくらい本気で、アルテナは撃った。
なぜそこまで本気で撃ったかというと、アルテナには、次のような読みがあったのではないかと思います。
 
私が本当にミレイユを殺す気で撃つならば、霧香は必ずミレイユを救けるために、すべてのためらいを捨てて、銃を射つ寸前の私を間違いなく殺してくれるだろう。霧香がノワールであればこそ、それだけの腕前は持っている……と。
 
これは、アルテナが運命をかけた最後の賭けでした。
そして、アルテナは全く予想しなかった形で、賭けに破れました。
霧香は撃たず、ミレイユの前に身を投げ出し、自らの命を盾にして弾を受けたのです。
霧香とミレイユは大切なノワールの後継者。二人を絶対に殺してはならないはずのアルテナは、このとき取り返しのつかない敗北に直面します。
 
ノワール継承の儀式は、心理的には“娘による母殺し”という、きわめて罪深い行為を内包しています。この儀式を完遂するためには、母親が逆に娘を手にかけてはなりません。しかしアルテナは失敗してしまったのです。のみならず、母の罪(弾丸)を娘が引き受けるという最悪の形となって……
 
激しい後悔と自責の念が、アルテナを襲います。(同42:49)
 
【以上、2006.03.15の追加分・終わり】
 
 
いかに用意周到なアルテナ様でも、次の霧香の行動までは予見できなかったと考えてよいでしょう。
この瞬間(13巻43:26)、霧香の決断がアルテナの深謀遠慮を打ち砕くことになります。
ノワールであることを拒み、かといって、ミレイユに受け入れられる期待も持ちえない霧香は、おそらく、自分が“無”になることを承知するのです。
そして、霧香はどうしたか。
アルテナに向かって、そして死の業火へ向かっての突進。
まさに凄絶な決断と言うべきでしょう。
 
しかしここで、アルテナが見せた最後の行動も、ぞくっとするほど、心を揺さぶるものがありました。
業火の淵に落ちる寸前、祭壇の縁にかかったアルテナの手は、右手だけでした。
ということは、もう片方の左手は、霧香を抱き抱えているのです。アルテナが助かるためには、霧香を振り落として、両手を祭壇の縁にかけねばならない。
……しかし、そうはしませんでした。
それは、あくまでノワール継承の儀式にこだわり、先に述べたAのルール、“絶対に、霧香とミレイユを殺さない”という大条件に支配されていたからでしょうか?
 
それもひとつですが、それ以上に、じつは、アルテナは彼女なりに、霧香を溺愛していたからではないかとも思うのです。
この最後の一瞬、アルテナは、非情な“慈母”であることを忘れて、霧香に対して、実の母に匹敵する愛を示したのではないでしょうか。
悲しみをたたえながらも運命を受け入れようとしているかのようなアルテナの表情(13巻43;42)は、実の娘であるかのように愛した霧香に裏切られながらも、それを許し、自分よりも娘が生きることを願う、悲愴な母の愛を物語っているようにも思えるのです。
そう、まるで最期のときのオデット・ブーケのように……。
 
皮肉な結末とはいえ、アルテナはこのとき、なにもかも捨てて、ただ、ひとりの純粋な母に帰依することができたのではないか。
もし、そうだとしたら……
「愛で人を殺せるなら……」と説諭していたアルテナは、このとき、ついに、“愛で人を救った”のでしょう。
それはまた、アルテナ自身にとっても、償えない罪の贖罪であり、浮かばれない魂の救済の瞬間であったのではないか……そう、私は信じたいのです。
 
 
●霧香の本当の名前はどこへ行ったのか?
 
ちょっと横道ですが、霧香の本当の名前は、何だったのでしょう。
物語が大きく展開していく中で、じつは霧香の本当の名前は、最終的にはそれほど重大な問題ではなくなるのですが、そもそも第1話からずっと引きずってきた重要な謎ですので、触れておきたいと思います。
 
さて、まず、作品中で霧香の“本当の名前”と言っているものは、だいたい、第1話で、記憶を消去もしくは改変された霧香が、夕叢家で目覚める回想シーンよりも以前の名前を指して使われています。それには、2つの概念が含まれていることを確認しておきましょう。それは……
 
“出生名A”……生まれたときに親がつけてくれた名前。 
“育成名B”……その後、荘園などで育てられ、成長していたときの名前。
 
のふたつです。このAとBは、異なっている場合も、同じである場合も考えられます。
 
なぜ、ここでAとBに分けて考えるかというと、第21話『無明の朝』で、霧香に“最後の道しるべ”を渡したクロエが、霧香の名について、「本当の名前は私も知らない。だが、その者は今、ある名前で呼ばれています」(11巻06:25)と説明しているからです。
「本当の名前は、私も知らない」……?
クロエが嘘をついているのでなければ、このセリフは、ちょっとおかしいですね。
というのは、クロエは荘園に帰ってきた霧香に「私たちはここでともに暮らしていた」(12巻31:07)と告げていますし、また、霧香が思い出した過去のシーンの中で、ドアの陰から霧香をながめているのです(12巻31:45)。二人がともに行動した時期があったことは間違いないでしょう。
クロエに、かつて霧香と一緒に過ごした時期があるならば、少なくともクロエは、霧香の育成名Bを知っていて、当時、その名前で霧香を呼んでいただろうと思われます。
そう仮定しますと、クロエのセリフの意味は、「霧香の出生名Aは私も知らない。育成名Bは知っている。そして、霧香は今、ある名前で呼ばれている」ということになります。
と、いうことは……
 
クロエが、霧香の育成名Bを知っている以上、第24話で荘園に帰ってきた霧香を迎えたのち、クロエは、霧香を“霧香”でなく、育成名Bで呼んでもいいはずです。
また、そこにはアルテナもいます。アルテナは当然、霧香の出生名Aと育成名Bの両方を知っています。
ならば同様に、荘園に帰った霧香を、育成名Bで呼んでもいいはずです。
そしてもうひとつ。
霧香本人も、第20話でクロエから“最後の道しるべ”をもらった時点で、封印されていた過去の記憶……少なくとも荘園にいたころの自分は思い出しています。
ですから、荘園で、アルテナやクロエから、自分がどんな名前で呼ばれていたのかは、21話以降は知っていなくては不自然です。自分が産まれたときの出生名Aまでは思い出せなくても、少なくとも育成名Bは思い出しているはずです。
ならばもちろん、荘園に帰ったとき、自分の名前は“霧香”ではなく、育成名Bなのだと認識しているはずですし、そう呼ばれるものだと考えているでしょう。
 
しかし……
なぜか、アルテナもクロエも、荘園に帰った霧香のことを育成名Bで呼ばず、ただ、「あなた」とだけ呼ぶにとどまっています。「霧香」と呼ばない以上、育成名Bで呼ぶのが普通であり、そうすることで、霧香の心(自我の認識)も、荘園にいたときの状態に戻れると思います。そのためにも、アルテナたちは霧香を、育成名Bで呼ぶべきでしょう。
しかし、そうはなりません。
アルテナはクロエに対しては、ちゃんと「クロエ」と呼んでいます(13巻03:41)。が、その一方で、霧香は「あなた」としか呼んでいません。霧香の名前を呼ぶシーンはないのです。
なぜでしょう。まるで霧香が育成名Bで名乗ろうとするのを、はぐらかそうとするかのようです。
これは、シナリオが巧妙に仕組まれていて、画面に映らない他の場面では、霧香を育成名Bで呼んでいるのだが、それをわざと視聴者に見せずに、避けているのだとも考えられますが、それならば、“なぜ、霧香の育成名Bを、視聴者の前から隠す必要があるのか?”という疑問が湧いてきます。
 
ミレイユの立場からみてみましょう。
彼女も、霧香の本当の名前を知りたかったはずです。そして、霧香が、クロエから“最後の道しるべ”(※文末に注)をもらったことによって、自分の過去を思い出したことを知っている。
ならば……
第26話の冒頭、霧香と落ち着いて話をしている場面の直前に、おそらくミレイユは訊ねていたはずです。
「で、思い出したんでしょ。あなたの本当の名前。なんていうの?」
霧香はなんらかの回答をしたことでしょう。
なにも答えなかったとは考えにくいですね。霧香はもう、ミレイユに対して、なにひとつ隠し事をしたくないはずです。
そこで、少なくとも育成名Bは答えたことでしょう。
しかしその後も、ミレイユは霧香を「霧香」と呼んでいる(13巻42:36)。
他の名前では呼んでいないのです。
 
そして、さらに、霧香が産まれたときの名前、出生名Aについてです。
このお話の中で、霧香の出生名Aを確実に知っているのは、アルテナです。
幼少期の霧香を荘園に招いたのがアルテナですし、ノワールとなる候補者は「生まれたときに、ソルダの祠祭長に祝福された」のであり、そのときアルテナもその場に居合わせていた可能性があります。
(アルテナ自身はまだ祠祭長ではなく、ソルダの評議員たちから「次期祠祭長として……」と評されています)
 
ならば、荘園に帰った霧香は、アルテナに訊ねてもいいはずです。
「教えてアルテナ、私の本当の名前(出生名A)を……」と。
しかし、そのような展開はありません。
霧香にとって、全編を通じて、まるでトラウマのように付きまとってきた疑問なのに、なぜか最終回になっても、霧香は解決しようとしないのです。
 
どこか、奇妙ですね。
霧香の本当の名前を知っているのに、まるで示し合わせたかのように、誰も口に出そうとしないし、そのことを、だれも変に思っていない様子なのです。
 
@ アルテナは霧香の本当の名前を知っているはずなのに、なぜか最後まで口にせず、霧香を「あなた」としか呼んでいない。クロエも同様である。
A ミレイユも、霧香に本名を訊けたはずなのに、「霧香」としか呼んでいない。
B 霧香自身も、自分の本当の名前(少なくとも育成名B)は思い出しているのに、その名前を口にしない。またアルテナに、本当の名前を確かめる様子もない。
C 最終回で、霧香が自分自身を指して言った名前は「夕叢霧香として」だけである。
 
要約すれば、以上@〜Cになります。
 
そこで、ひとつの仮説が浮かんできます。
@〜Cの状況を、割合すんなりと説明できる結論は……
 
夕叢霧香の本当の名前は、育成名Bも出生名Aも、“夕叢霧香”だった。
 
あくまで状況証拠を積み重ねた仮説であり、決定的な証拠となる材料はないのですが、この結論が最も合理的であり、かつ、これを否定する材料もありません。有力な仮説だと思います。
なぜ合理的かといえば、“偽装”の作業が簡単だからです。
戸籍や住民票や、パスポートや、その他名前を使ったさまざまなものを、全部作りなおす必要がありません。巧妙に偽装したかのような痕跡とかちょっとした証拠をつくり、そのままで、ただ「あなたの今の名前は、何者かが偽装した、ウソの名前なのですよ」という暗示を本人に植え付ければ十分だからです。
 
これは意外とリアルです。
メロドラマで、よくあるでしょう。自分の親だと思っていた人から「あなたはじつは、私たちの本当の子ではないのよ」と告げられるような状況ですね。その言葉が真実であろうが嘘であろうが、その瞬間に、子供の心の中では、自分の出自に関するリアリティががらがらと崩れていくことに変わりはありません。
自分の出自……アイデンティティというものは、かくも脆いものなのです。
 
霧香の本当の名前は、霧香だった。
そう仮定してみると、この物語の底流に横たわっているテーマに、さらに深みが加わると思います。
それは、“自分とは何か”というテーマです。
普段、自分が周囲から呼ばれている名前。しかしそれを、自分自身が“嘘の名前”と信じてしまえば、それが本名であっても、嘘と同じになってしまう……。
アニメ作品『ノワール』の作者は、じつに巧みに、次のことを表現しているようです。
「人のアイデンティティのよりどころとなっている“名前”は、“ノワール”のような記号ではない、自分の心と、自分が最も愛する人との間に成立するものなのだ」……と。
 
 
●“罪”の本質……それは、自分自身を探すこと
 
アニメ作品『ノワール』の全編を貫く大きなテーマは、“罪とは何か”に尽きるでしょう。
「私たちの手は黒い……その罪は、消えない」と霧香自身が告解したように、人にとって罪とは何か、罪を犯し、償うとはどういうことなのか、それを、『ノワール』は全26話をかけて語りかけています。
しかもそれは、単に、主人公の霧香が毎回実行する、個人的な殺人の罪にとどまっているのではありません。
第20話『罪の中の罪』と第26話『誕生』に挿入されている、アルテナの幼少期のシーンが、暗示しています。“ノワール”の誕生には、人類がその歴史で平然と繰り返してきた戦争や紛争といった、理不尽な殺戮がかかわっていることを……
すなわち、人類全体がその残酷な歴史とともに背負っている原罪もまた、“ノワール”に仮託されているのです。
傷つき、飢え、ぼろぼろになった小さなアルテナが、生きるためには殺さねばならないことを悟って、とぼとぼと戦場の街から歩み去っていったとき……アニメ作品『ノワール』のテーマは、単なる殺人者の罪と罰から、世界中の人間ひとりひとりが心の中に抱えている闇……人の原罪……にまで昇華し、大きく普遍化されたと言ってよいでしょう。
 
これはけっして、霧香という名前の架空の主人公の物語ではありません。心の中に深い闇を隠して生きているあなた、ときとしてふっと、人を殺したいと思ったことのあるあなた自身の物語なのですよ……と、作者が静かに語っているかのようです。
 
だからこそ、『ノワール』は希有の名作になったのだと、私は思います。
 
この、重い罪をいかにして償うのか。
アニメ作品『ノワール』は、見事に結論を示してくれました。
ただし、最終話である第26話をさらっと一回見ただけでは、その結論はよくわからず、私はどこか中途半端に物語が途絶えたような印象を持ちました。
しかし、二回三回と見なおしてみると、明快な結論が読み取れます。
 
罪を償うために必要な、最も根本的な条件は何でしょうか。
それは、“罪を受け入れる自分”です。
 
なにを当たり前のことを……と、あきれる方もおられるかもしれませんが、人が罪を償うためには、自分自身が罪を受け入れなくてはいけないことが、私たちの現実社会でも、あきれるほどおろそかにされていることも事実でしょう。
 
実際に罪を犯していても、まず、こんな言葉が浮かんできませんか。
「私じゃない。あいつが悪い」
「私はそんなつもりはなかった。不可抗力だ」
「記憶にございません」
「心神喪失だった」
そして、最近、マスコミに登場する言葉として……
「もうひとりの私が、悪いことをした」
「私の中に悪魔が入り、勝手に命令したのだ」
 
たかが言い訳……と嘲笑して終わってしまう言葉ですが、聞き流さずに考えてみると、これらの言葉には共通点があります。
“自己の希薄化”です。
犯した罪を受け入れる自分というものを、横へやったり、薄めて実体のないものにして、罪を償う重圧から逃れようとしています。
 
罪を受け入れることは、それほどに難しいことです。
これは重罪に限ることではなく、日常生活の中の、ちょっとした悪事や諍いにおいても、あてはまることです。
自分がやったことでも、「私が悪かった」と認めることができずに、「私じゃない」といった顔をしたことが、だれにでも一度はあることでしょう。
 
“罪を受け入れる自分”があってこそ、償うことができる。
『ノワール』は、このテーマを、全26話かけて、明確に表現してくれました。
 
主人公の霧香は、その名前自体が偽物であり、自己は“嘘”そのものとして描かれています。
唯一「私はだれ……私は、ノワール」というのが、霧香の自己認識です。
しかしノワールは特定の人物ではない。ひとつの記号でしかありません。
霧香は終始、自己を喪失した人格として、人を殺し続けていくのです。
自分というものが、ない。
だから、いくら罪を犯しても、悲しむ自分はないし、償う自分がない。
罪を感じる主体としての自分がなくては、罪そのものの存在も、霧のように希薄なものになってしまうのです。
 
これは、霧香ひとりの特殊な事情ではありません。
現代の私たちだれもが、大なり小なり、霧香と同じ状況にあるといえるでしょう。
それは、“社会における匿名性”です。
互いに名前も知らない社会。顔もよく覚えていない社会。無関心の社会。
そこに犯罪は起こります。
自分というものが、周囲にもはっきり認識されている社会では、犯罪をなした自分が特定されてしまう。しかし自分という存在が希薄な匿名性の高い社会では、だれでも容易に犯罪を実行して、逃げおおせることができる……
そこに、罪を償う“自分”は存在しません。
 
そんな現代社会を、『ノワール』は暗示的に描いてきたのだ、とも思えます。
 
そして、“自分”のなかった霧香は、最終話で、こう宣言します。
「……夕叢霧香として、その罪を受け入れる」
 
ついに“自分”というものを獲得できた霧香。それは同時に、罪を償う自分を認識できた瞬間でもありました。だからミレイユの前に身を投じることができたのでしょう。
しかし、霧香にとっての“自分”はミレイユに認めてもらえるものでなければ、存在できないものでした。
ミレイユという、かけがえのない人に望まれない限り、自分は生きていけない。
そこに、霧香の次の行動……アルテナへの突進……があり、そして、ミレイユの一言によってのみ、霧香に唯一の救いと、そして罪を償うための生が与えられたと解釈することもできるでしょう。
「……お願いよ……」の一言によって。
 
“自分”がなければ、罪に苦しむことはない。
だが“自分”があれば、苦しみながらも、罪を償うことができる。
しかしその“自分”が否定されれば、ただ生きることすらできない。
 
これが、最終的に『ノワール』が残したメッセージであったと思います。
 
『ノワール』は、“罪を受け入れる自分”を探す、巡礼の旅でもあったのでしょう。
 
 
●……そして、最後の二発の銃声
 
最終話のラストシーン。
古びた石の床に落ちて、文字盤が割れ、時を指す針が飛び散った懐中時計。
そして、二発の銃声。
 
最初に見たときは、いかにも唐突な幕切れに、しばらく茫然としました。そして、銃声の意味について、思案させられることになりました。
 
さて、その銃声が響くのは、物語の最後のラストシーンです。
そして画面には、針を失って壊れた懐中時計。
この懐中時計は、物語の最初から、霧香とミレイユをつなぐ、過去の絆を象徴するものでした。主人公二人の、過去そのものを表していると考えられます。
ですから、銃声は主人公の二人に関係があるものとみて間違ないでしょう。
霧香とミレイユにまったく無関係な銃声で締めくくるのは、不自然だと考えられます。
 
すると、二発の銃声には、おそらく、二つの解釈ができるでしょう。
 
一つは、二人が発射した銃声だとする考え方です。
この場合、二人の過去を象徴する懐中時計が、壊れていることと関連づけてみます。
この銃声は、二人の“過去”に向けて発射されたものだと。
すなわち、霧香とミレイユが、ノワールという運命に操られてきた過去を断ち切るために、二人が心の中で発射した、過去に決別を告げる銃声だ……と考えられないでしょうか。霧香とミレイユはこの時、ついに自分たちの未来に向かって歩みだした、ということです。
 
二つ目の解釈は、二発の銃声が、二人を狙って何者かが発射したものとする考え方です。
壊れている懐中時計は、二人の人生の終焉。二人の墓標を暗示するとみることもできるでしょう。
ただしこれは、荘園から歩み去る二人を射ったというよりも、未来のあるときに、二人の生命を終わらせることになる銃声……と考えたいと思います。
 
たぶん、一つ目と二つ目の解釈の、両方が成立するのでしょう。
 
さてしかし、霧香とミレイユが、このあと幸せに暮らして、穏やかな老後を迎えることになった……とは、考えにくいものです。
二人はすでに、大きく重い十字架を背負ってしまった。二人が直接に殺害した人の数に加えて、荘園の入り口を守護してきた村人たちの犠牲も鑑みると、もう、二人して修道院に入って祈りの日々を送るしかないのか……とも思えてきます。
というのは、二人が死なせてきた人々の運命と同じものが、これからの二人を待ち受けていると考えることもできるからです。
たとえば、第6話の老人ナザーロフのように、ただ雪が降り積もるのを待つ人生になるのかもしれません。この世のあらゆる善と悪、罪と償いのすべてを真っ白に覆い尽くし、憎しみも復讐心も、なにもかもが消え去ってしまう瞬間を静かに待ち続ける……それが、これからの二人の宿命になるのでしょうか。
 
アニメ作品『ノワール』は、表面的にさらっと見ただけでは、単なる美少女殺戮もので終わってしまいがちです。しかし、想像力を加えて、いくつかの謎に解釈を試みていくと、人間性の原点にせまるテーマが厳かに浮かび上がってくることに感嘆させられます。
20世紀と21世紀を結ぶこの時期に、これほど濃厚で意味深い作品が生み出されたことに、心から拍手を送ります。
                         【つづく】  
 
 
※(注)“最後の道しるべ”について一言
 
この場面を最初に見たとき、ちょっと疑問に感じる事があったのですが……。
というのは、“至近距離で発射された弾丸が、霧香の前髪をかすめて飛ぶ”……という現象が“最後の道しるべ”ならば、これまでにも射ち合いのさなかに同じような経験があったでしょうし、ならば、そこで過去の記憶がよみがえっていてもおかしくないのに…という心配です。
 
しかしもう一度このシーンを見て納得。
霧香をかすめる弾丸が“霧香自身の拳銃から発射されること”が絶対必要条件だったのですね。
とすると、クロエが霧香から拳銃を受け取って射ったのは、自分が拳銃を持っていなかったという理由よりも、“霧香自身の拳銃を使う”ことが不可欠だったからだと思われます。
 
そのように条件づけておけば、霧香が自分の拳銃をだれかに奪われてそれで射たれることでもない限り、“最後の道しるべ”は発動しないことになります。ノワール候補者でもあろう者が、自分の拳銃を敵に奪われることはありえず、もしそんなことになったら霧香の命は終わりでしょうから、まことに適切な条件づけといえるでしょう。
 
そしてまた、さすが! と思ったのは、クロエがそのまま霧香の拳銃を持ち去ったことです。この“最後の道しるべ”の行為を見てその方法を知った第三者が、いたずらに同じ行為を霧香に対して繰り返すのを防ぐ処置なのでしょう。
また、自分の拳銃を求めて荘園へ行くという、旅の動機づけも含まれているのかもしれません。                           
 
 


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