12月31日(土曜日)晴
僕が穴の開いた洋服を着ていたので、姉は弟にアドバイスし着古した洋服を何着か持ち帰った。これを着て、葬儀代の支払いに安芸市まで出かけた。息子も同意してくれて自転車にまたがった。風は冷たいが、太陽は強く10分位で汗ばんだ。安芸市までは自転車専用道路があり、太平洋を右手に眺めながら走る絶好のシチュエーションだ。支払いを終えて帰り際、日和崎弥太郎の生家を見たいと言うので回り道した。抜けるような青空だったので、生家も心持威容が高く感じた。彼は何を感じたのだろう?帰りつくと昼、海の見えるレストランでカレー。カレーを食べながら、彼の同僚が社長に連れられてインドとスリランカに行った話をした。同僚は抜擢されたそうだ。僕も8回ほど行ったスリランカ事情を披露した。体力が許せばインドはバスで縦断したいと語った。インドの魅力は口では伝わらない。伝えられない。帰って大掃除。と言っても、この半年僕は毎日大掃除をしてきたから、日常の掃除を少し丁寧にするだけだ。夕刻4時半、寝ていた息子を起こしてプールへ。私1400息子1000mで私の勝ち。夕食はそばが良いとのことで、献立て多少多めの2.5人分を盛り付けたら食べてしまった。負けた。寝る前に鼠退治の高周波をセットするとうるさいと言う。周波数を17khzに変更してもうるさいと言う。僕には全く聞こえないのに。ここらあたりで、完全に老人と若者との差が付いた。
12月30日(金曜日)晴
今朝は7時まで10時間も寝てしまった。散歩を終えると8時を回っていた。まぁ今日はのんびりしよう。施設から持ち帰った母の衣類を洗濯し、役場に行き書類申請をし(これは役場年末の休暇で中止)赤野の親類宅を訪ねて、昨日の御礼。帰って昼食。サイトアップ。2日間中断してたラジオ英会話を聞く。この時だ。机の右手にあるカタログフォルダーの間に、失くしたと思った携帯電話が見つかった。でも、ここにあったのになぜ話し中になっていたのだろう?ともあれ、これは、何よりも大きなプレゼントだった。12万円の損失は痛かった、対策としてこの電話機は外に持ち出さないでおこう。(携帯電話機でなくなる)家の中専用で使おう。Wi-Fiがある限り電話も受けられるのだ。風呂の薪をミカン畑で作る。葬儀の費用支払いに安芸市へ。どこかで交通事故の関係か、渋滞がひどく中止。夕食を買って帰る道で、僕の自転車に乗った人を見かけたので、車を止めると、我が息子だった。(僕の視力は0.3なので、夕暮れは顔が判別できないのだ)どこに行くと聞けば携帯電話が故障したので、和食まで行けば公衆電話があるだろう言う事だった。一旦家に帰ろうと誘った。風呂を沸かし、食事の準備をしている間に息子は入浴。気持ちよかったと言ってくれた。夕食はすき焼き。やっぱり若いのは食べっぷりが良い。多少多めかなと思ったが、肉を全部平らげた。息子はどうやら会社生活のことをいろいろ聞きたかったようだ。いろんな話をした。まだ会社生活半年だから、アドバイスを貰える上司がまだいないのだろう。夕食後、彼はテレビを観ることにした。僕は自分の部屋で音楽を聴くことにして別れた。
12月29日(木曜日)晴
昨晩はよく眠れなかった。2時半に目が覚めて、6時まで布団の中にいた後、自宅に帰る。朝食は昨晩の会食の残り(娘はそれでも良いと言ったので)、飲み物はリンゴと白菜のジュース。母が巡業した88か所参りの遺品をもって葬儀会場へ。お寺さんのお経は普段と妙に違った経典を使っているように感じた。12時出棺し、焼き場に移動。僕のクルマは一番最後に出たので、到着した時はお経が始まっていた。焼き上がるまでみんなで懇親。母の病気期間は長かったので、親類一同亡くなるのを織り込み済みで、今日の懇親会はあまり深刻にならなかった。14時過ぎお骨を拾ってツボに収める。(岡村家が多いので間違って拾わないようにと注意された)家に帰ると、葬儀屋さんが自宅の祭壇に飾りつけを設営してくれていた。風呂を沸かして、家の周りを清掃し、娘を飛行場に送る。一人になると急に寂しくなった。マーラー7番を今日はオットークレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団で聴く。このアルバムが7番はぴか一の評価。さすがに全音符に魂が入っている。2楽章の夜の歌も緩慢にならず、弱音部でも主張が感じられる。クラシック音楽は、膨大な時間を使って、この曲は誰が良いとか皆さんが聴き込んでいる。僕はそのエキスを頂くわけだ。iTunesmusicができて、いとも簡単にそれが可能になった。僕の今年の音楽の実りと言えばこれが筆頭だろう。ついでに今年を振り返れば、①父の死去。②母の介護と死去。③ビニールハウスの返還と後片付け。④田畑の草との闘い⑤屋根、風呂、トイレの改修⑥全書籍PDF化。⑦50型5.1chシアター完成⑧納屋、倉庫片付け⑨High-Resolution
Audio開始⑩32万円の紛失
12月28日(水曜日)晴
朝起きると携帯電話がない。「iPhoneを探す」でも、その設定が切られている。その電話は話し中。昨日の撮影時に電話を置き忘れたのだ。256Gのメモリーを搭載した携帯電話を持って帰った人は大きな得をしたはずである。auに相談すればつれない話。iPhoneを探す機能が使えなければ対応できない。製造番号から追う方法は知らない。製造番号を教えてくれ、それは出来ない。アップルコンピューターに相談してくれ。まぁざっとこんな対応。ひと悶着起こそうにも急いでいるのでSIMを発行してもらい、前のiPhone6に取り付けて、当面はしのぐことになった。今年電車の中に荷物を忘れて約20万円分を損した。そして、今回は再び携帯電話を忘れ125,000円損した。両親の死去。今年はとんでもない年だ。だが、一つだけ僕に備わったことは、不幸が常態化して悪いことが起きるのに慣れてしまったと言う事だろう。娘が帰ってきてくれた。娘には僕の仕事場の家屋を提供した。もし何かあった時でもこの家が一番逃げやすい。一緒に葬儀会場へ。父の時と同じ仕様でお願いした。あの時は混乱のなか、あっという間に儀式が終わりあまり覚えてなかったが、今回はなんとなく余裕がある。余裕があれば、目が行き届く。そうすると少しづつほころびが見えて来る。そんなことがあり、母を厳粛に見送れたのかどうか自他ともに少し疑問が付いた。お通夜の後、娘を自宅に連れて帰り、僕は風呂に入り、車に乗って葬儀会場まで引き返した。今夜は夜伽。昨日のマーラー7番の続き。土佐鶴をちょびりちょびり啜りながら拝見。ベルニーニの指揮は少し振りが大きいかなと感じたが、楽団は見越しているのか、適度な抑制をもって応えている。眠くなった段階でOFF。
12月27日(火曜日)曇り後晴
妙に今朝は起き上がれなくて、7時半まで寝てしまった。10時間の睡眠時間だった。それで朝の散歩は無し。仕事もせなぁあかんし、葬儀の準備もせなあかん。こんな時に限って風呂への廊下に鼠が糞。ルーターの設定は飛ぶし、泣きっ面に蜂だ。愚痴はいけない、一つづつ片付けるとしよう。結局1時間でネット環境が復活。まずは葬儀屋さんへ写真と花菓子を届けた。帰り、景勝地で撮影。しばらく仕事、親類のおばさんが来て、お棺に入れる洋服と着物を選択してくれた。母の大切にしていたと思う、大島紬なども見つかり、これはおばさんにあげた。相当高価なものだったろうが、僕が持っていても仕方ないのだ。再び仕事。夕刻4時に風呂を沸かし、再び仕事。今日の仕事は、電話にて要件を連絡すること。業務の伝達もあるが、懐かしさのあまり近況を聞くことが多くを占めた。僕の勝手と言うか趣味の為、2014年秋この会社を辞め、東京で仕事をした。父の急変でその仕事も辞め田舎に帰った後、再び雇ってもらった。そんなわがままなことを許してくれた会社に感謝しているし、昔の仲間も温かく迎えてくれた。夜9時半、少し時間があるので音楽を聴いた。マーラー7番。ベルニーニ指揮ケルン放送楽団。ネットによると歴史的名盤の一つ。軽快なテンポが持ち味とのこと。1991年の録音。βーマックスのビデオに録画した映像をDVDにダビングしてDVD-LS90で見た。「夜の歌」の部分は、静かな音楽で、雑音が少し気になるが、演奏のダイナミックさは健全。当時もっとまじめに録画して置けば良かったのにと後悔している。
12月26日(月曜日)雨
昨晩は日付が変わる頃に帰って来た。葬儀場も一杯で、取り敢えず預かってもらい、葬儀は5日後に開催されることに決まった。母の介護は随分と苦しめられたので、僕も暴言を吐き後味が悪い。世間からは、かなり世話をしたように見えるかも知れないが、実情は、喧嘩の毎日だった。労りもしなかった。中国の戦国史を読むと、両親をいたわる場面が登場する。当時老人のイメージは60才くらいで頭はしっかり、足腰も立ち、労り甲斐がある年齢。だが現在は、日本人の寿命は長くなり、治療も進み、肉体や精神がぼろぼろになるまで生きながらえるので、どうしても醜い部分が露出する。両親をいたわるなんて、遠い存在。介護は負担が大きいし僕の性格も災いしホント厳しかった。キツイ、汚い以上に、精神上厳かった。まぁそれは済んだことだ。早朝、薄暗いうちにお寺さんに行き葬儀の日程を決め、近所に知らせた。その後、一番頼りにしている親類に出かけ、葬儀の段取りをした。帰って、仕事。大事な要件が発生していた。年内に徹底すべき事柄で、メールではなく口頭と言う指示だ。葬儀の合間を縫って、電話作戦を展開するようになるはずだ。実施は28日。併せて僕の仕事への取組み計画もPPTにまとめて報告した。農協に行って母の貯金を凍結前に下ろした。何でも慣れるのは要領よくことを運ぶために必要なことだ。今年は父を亡くし、すぐに母だから、葬儀の要領は多少解っている。こんなことに慣れてはいけないことだが手際が良くなっている。問題は、葬儀も終えてほっとしたら、放心状態、虚脱状態がやって来るはず。いろんなことを考えてしまうのでつらい。できれば、この部分をすっかり封じ込めたい。と、言うんで、前述のことになるが、かなり厳しい仕事を引き受けることにした。厳しければ厳しい程現実から離れられるから良い。
12月25日(日曜日)晴
昨晩は前述のように遅くまでお客様がいらしたので、夕食は簡単に済ませた。当然朝は空腹。昨晩作る予定だった鍋を朝献立る。土佐のだし、を買っておいたので、これがいい働きをして、味を付けてない鍋料理なのに、完成度が高い。これに、我が家の「だいだい」(ミカン)を絞ったものに、そうめん汁を足して2杯酢とした。やぁ、これが旨いのなんの。昨晩は飲めなかった日本酒を一献。朝から酒か?そうであります。仏壇や台所など、主な所を掃除した。僕の愛用車は、サトウキビを収穫するので、昨日の方にお貸ししたため、母の病院見舞いは自転車。今日は毎分80rpmに挑戦した。自転車はこの回転数でこぐのが一番効率良い。これは、かなり低いギアで速度よりもペダルの回転が速い感じ。そんなにスピードが上がってないと自覚したが、病院までは1時間20分。普段と比べると、20分以上早く到着。やっぱり定説は正しい。(随分と疲れたが)。丁度昼時だ。看護師さんが食堂に母を連れて行った。さぁ食べ始めるぞ、その時の笑顔は何物にも代えがたい価値があるものだった。こんなに喜んで食事をする。自宅では、ご飯をこぼさないように注意ばかりしてたのが悔やまれる。食事は2/3ほどで、もうベッドに帰りたいという。ベッドに横になると、苦しいので看護婦さんを呼んできてくれと言う。緊急事態だ。それで、フロアの看護師に声をかけると、すぐに飛んできて、布団をかけて、しばらくじっとしといてや、と言った。つまり、食事の後のしんどさは毎回の事だったのだ。楽しい食事だが、その後は心臓がフル回転で苦しい時を過ごさなければならないのだ。もっと食べたいが我慢して、横にならないと苦しいと知っているのだ。それで、できるだけおいしそうな肉類を先に食べ、残すようになる後半の野菜に回している。ボケてはいるが、しっかりした部分も残ってたのだ。これなら安心。病院を退散して、レコード店に向かった。お正月に聴く音楽物色だ。ずっと昔、小田急ショウルームに勤めてた頃好きな女性がいて、お正月その子の家に行った。兄と父が一階の居間で酒を飲んでいた。その頃酒は飲めなかったので、辞退してその子の部屋に行った。詳細は忘れたが、アルフィーフのレコードを貰ったことだけはよく覚えている。このレコードレーベルは直輸入盤しかなく、しかもバッハの音楽が主だ。今日はレコード店でそのアルフィーフのバッハを見つけたので懐かしさのあまり購入。ブランデンブルク協奏曲とトッカーターとフーガを買った。柔らかいオルガンの音色と、教会の響き。織物の様にメロディの糸が複雑に交わり一つの世界を空間で織り上げるような錯覚がおきる。アルフィーフの音はそのような心地よさを持っている。ここで、電話があり、母死去(9時17分)。
12月24日(土曜日)晴
冷え込んだ朝。昨晩は急速に眠気がやってきて、音楽を聴く暇もなく床に着いた。8時間寝て午前5時に目を覚ます。布団の中でカジュアル・ベイカンシー/JKローリングを読む。2度目。今回も前回同様登場人物が覚えられなくて筋が追えない。有名なハリーポッターは非常にわかりやすい文章なのに、なぜ?と思いながら、頭の薬だと思い読んでいる。6時に暖かい布団から決別して散歩。ベートーベン第九/クラリス・テンステッド指揮ロンドンフィルハーモニー。さすがに名盤だけあって、聞かせどころが各所に散らばっている。こう言う有名な曲は自分の思い込みだけではなく、ネットで推薦曲を一度は聞いて確認するべしだと思いました。フルトべングラーも推薦だが、音質がいまいちで好きになれない。今日は仕事の日で、安芸市に向かう。その手前に、ある店で食事。「いらっしゃいませじゃこ」これはちりめん丼が有名な店。あいさつの後に、「おじゃこ」を付けているのだ。もちろん帰りには、「ありがとうじゃこ」今日はドロメとちりめんのハーフを注文したら、ドロメのおまけがサービスで付く。「どろめ」とはいわしの稚魚で生のまんま。これを湯がくとちりめんになる。漁港の近くでしか食せないもの。ドレッシングは二杯酢、この成分は、お醤油、柚子。まぁ安芸ならではの食べ物。味は、ちりめんに少し塩味があり、ドレッシング無しでいただける。なかなかの美味だった。若い女の子も多く、スマホで写真を撮影していた。夕刻、家の隣の畑にサトウキビを栽培している方が、私のシアターを聞きに来た。この人は、昔、高知唯一のオーディオ専門店で働いていた人だ。奥様同伴で坂本冬美を聞いた。今日は最後まで演奏した。僕も最後まで見たことはなかったが、「岸壁の母」の所では、皆が泣いた。演歌で涙が出てきたのは初めて。どこが良かったかと言えば、浪花節がオリジナルの岸壁の母に追加されている。その浪花節を冬美が真心を込めて歌い込んだのだ。もちろん二葉百合子の一対一の指導があった上のことだ。岸壁(、、)ではなく、完璧(、、)だった。「近所の人はしっちゅうかよ?」「いうちゃぁせんきに知らんと思う」と私。「そらぁもったいないのぉ」僕は、ひそかに楽しんだら良いと思っている。
12月23日(金曜日)晴
何とか今日は晴れの態勢を保った。まだ風は強いが生暖かくそれ程寒くはなかった。風が吹くと掃除が大変。裏の竹藪から竹の笹が飛んでくるのだ。今日は風があり掃除はパス。午前中は77年のステレオのカタログをスキャン。四国のショウルームからステレオ事業部に帰り、やっと日本橋に毎週通えるようになった嬉しさで、各メーカーのカタログを集めた時のもの。AUREX(東芝)OTTO(三洋)Lo-D(日立)なんかもある。この年の11月には九州へ転勤となり、日本橋散策は止まった。それから23年間ドツボの営業生活が始まるのだった。午後一は、ネットワークの最終処理。母屋に設置したAVシステムの全てにLAN回線を施設した。BZW600はブラウン管TVと接続し、もっぱら録画専用。これもLANケーブルを接続し、UB900でお部屋ジャンプリンクを試した。レコーダーで録画した番組が、UB900の操作で楽しめる。その時は、同時にパイオニアのAVアンプも、UB900からの信号を取得し、番組に応じた音声モードになっていた。これは凄いことだ。僕の部屋に設置したBDレコーダでも可能となり、この部屋にはアンテナは来てないが、この機能を使えば、TV放送が見えるのだ。つまり、3つの家屋があるが、全てLAN回線で接続できたので、ハイレゾからBS放送までどこにいても聞く、見ることが可能となった。随分と前からある機能だが、試してみると感動する。これにはNASも繋がっているので、楽しみは倍加するのだ。今年のお正月は、AV三昧となる。お酒なんか飲む暇がないくらいだ。その後は倉庫の片づけと、水道パイプの凍結防止。こちらは作業量が多いからまだ完成してない。
12月22日(木曜日)雨
今日は暖かい。朝の散歩の間だけ雨は降らず、それ以降は台風のような風と雨。仕事の日だった。いよいよ来月から本格的な仕事がやって来る予告メールが届いた。必要なExcel関数のVLookupは使えるようになった。シートとファイルを跨いでデーターを引っ張って来るのができる。縦行の数え方も分かった。CountifとCountaは元々使えたし、フィルタも使っていた。たぶん、更に覚えるとしても少しのはずだ。「統計は最高の学問だ/西内啓」を並行で読んでいる。なかなか示唆されることが多い。ロータス1-2-3から始めた表計算ソフトの技は、多分今が一番脂のっている時だろうと思う。だんだんと雨が強くなり、風もあり横からの雨となった。風呂の焚口はドアを閉めてなかったので随分と濡れた。それで今日は銭湯だと決めた。気象庁は高知県東部に竜巻注意報を発令した。芸西村は高知県の中では竜巻のメッカだ。「急な積乱雲に注意してください」この暗くて大雨のなか、だれが空を見上げて積乱雲をチェックするのだろうか?「空気を読め」と返したい。1mの水深がある風呂でしばらく散歩した。今日は座業で腹が減らず、まだ昼食べたものが残っているような感じだった。それで腹こなしだ。10分位で汗が噴き出て腹もこなれてきた。近くにある中国人の経営する中華料理店でマーボナス定食(900円)を頂く。これは、強烈な味で、昔よく行った御成門の近くにある中華料理店を思い出した。風呂から上がったばかりも手伝って汗がしたたり落ちた。帰ってパイオニアAVアンプのネットワーク接続の再チェック。ワイヤレス設定を取り消し、ワイヤード設定にする方法が難しい。取説と、実際のメニュー表示が違うし、しかも英語表示だ。2時間ほどを要してやっと解決。
12月21日(水曜日)晴
今年は9月以降ずっと雨に降られている。お正月に向かって空気は乾燥し寒くなるはずなのに、今年は雨が多く温暖だ。霧も発生した。今日なんか、部屋の温度は25度を超えて、窓を全開にした。台所にはハエが飛んできて夏に戻った感じだ。近隣の草も元気を取り戻したので、除草剤を買ってきて撒いた。これだと少々の雨が来ても大丈夫だ。倉庫の片づけを少しすすめ、午後は母の病院へ行った。復活調子だったが、今日は調子が悪いらしく、あまり反応がない。赤野に住む従兄を連れてこうか?と聞いたが、「なんでも食べる」と来た。食べるものへの執念は凄いと思った。ここまで強靭でなければ、医者の診断を超えて生きるのは難しいだろうと思った。任天堂のマリオランのゲームが少しわかって来た。今はフェイズ2まで行けた。だんだん難しくなる。取り敢えず齧るのはこの辺りまでかな。書籍を買ってプールで1,5km。少しだけ泳ぐ力が戻ってきている。南国市のスーパーでお歳暮の発送。夕食の食材購入。ここで雨が来た。結構強い雨だ。除草剤が流れてしまうがな。芸西村に帰ると雨は降ってなかった一安心。ところが深夜になるとバケツをひっくり返したような雨。除草剤は溶けて流れただろう。マーフィーの法則がまた一つ増えた。「除草剤を撒くと雨が降る」
12月20日(火曜日)雨
朝の散歩を終えて朝食のときに雨が来た。でも、雨が来る前に(散歩の直後)、薪はミカン畑から回収して取り込んだ。ミカン畑にはビニールハウスの廃材(質の低い状態のもの)を放置してある。雨に濡れて湿ったままだと、短く切ってコンテナに詰めると、ひと月経っても水分が抜けない。まだ、ここには2ケ月分(風呂の焚きつけ)くらいの廃材が転がっている。これを燃やした後は、家の周りにころがる燃えるものを探して風呂の薪とし、それが無くなれば、いよいよ本丸の、東の納屋に積んだ、ビニールハウスの廃材(質の高いほう)を燃やすことになる。こちらは相当な量があり、4-5年は大丈夫なはずだ。それが無くなれば、我が家は山の中腹にあるので、周りの木や竹を伐採してそれに当てようと思う。生木は燃えないので、2カ月くらいの余裕をもって伐採しなければならないだろうと思う。「たかが」風呂の為に一日数時間を費やす日がやって来るが、もうその頃には仕事はしてない筈で、薪の時間は十分にあるはずだ。僕の中で風呂の恩恵は「されど」だ。昼からは、倉庫の整理。散らばった工具や、農業資材、農業の機材(噴霧器や動噴、耕運機)これらを端から片付けた。3時間を費やしても1/5程度しか進捗がなかった。年末が目途だから、ボチボチやって行こう。20日を過ぎると新たな作業は一旦中止をして、家の片付けに入ろうと計画をしていたので、今日はその第一歩だ。清掃と整理整頓。古家に住む基本だ。お正月は、かなり片付いた状態で迎えたいと思う。特に日常目につく風景(家の周りにある田畑の岸や、田畑の草も含めて)はきちんとしておきたい。
12月19日(月曜日)晴
妙に腹の調子が良くない。食べたものが消化されてない気がする。以前健康診断で膵臓が悪いと指摘された。9月に村の医者で検査してもらったら何ともなかった。あれから3カ月、また調子が良くない。すい臓がんをWebで調べると、いくつか合致している。病院を訪ねたら、今日は先生が休みなので明日来るようにとのこと。調子を崩す原因は昼飯を食べることだ。昼を抜くと調子が良い。それで今日も昼抜き。健康ならそれはおかしい筈だ。今日は仕事の日で、調査に出かけた。帰り母の病院へ。先生曰く、もう肺は右半分機能してないし、水が一杯溜まったせいで、気管が肺に押し寄せられているところまで来たとのこと。これは相当苦しい筈だと言うので、母に聞けば格別しんどいことはないと言う。ホームの管理者は12月に入ってまた、食欲が戻って来たと先生に報告する。ご飯が食べられる人は強いと感想を述べられた。帰途、夕食の弁当を買った。やっと明日から休日になるので、今晩は映画を見ることに。「ターザン」だ。この映画は楽しめる。ハラハラドキドキがないので痛快だ。正義は勝つ(槇原敬之ではないが)と至極まっとうなストーリーだ。しかも筋は定番。つまり、故郷を離れて再び戻りそこで活躍する。マカロニウエスタンのスタイルだ。ゴリラの叫び声がスーパーウーハーを震わし、かなりの迫力。アレクサンダー・スカルガルド(スェーデン人)この人がなかなかかっこいい。ターザンが裸で登場するせいなのか?この映画の後は、妙にひと肌の暖かさを感じた。シルベスター・スターローンの時代を経て、新たなアクションヒーローの登場か?
12月18日(日曜日)晴
きっぱりと晴れ渡った。朝は一面の霜。昨日友人に伝えるのを忘れていた。「明日は来てもえいが、早うきなよ」と、早起きの友人は朝が早いので、こちらの準備が整わない早朝に来るのだ。実は、今日も薄暗いうちから散歩をして帰る途中に、もうこの友人はやって来たのだ。「ありゃ」だ。そして我が家の車で、我が家に残っている肥料を積んで、自分のミカン畑の世話に行った。彼が出かけると私は、取り敢えず、自分の部屋から、母屋にLAN回線を引く作業をした。母屋で食事を摂る時に、iPadproで新聞を見るが、無線が届かないために、いつも自分の部屋まで帰っていたのだ。この対応で、食事時はネットサーフィンをしながらいただけるようになった。母屋には、ネット接続のBDプレーヤーや、AVアンプがあるので、こちらにも回線が回せる。AVアンプはハイレゾも再生できるので、自分の部屋に設置したNASから呼び出し楽しめる。メインのスピーカーはテクニクスなので、自分の部屋の音とあまり変化ないのが少し気に食わない所。食事の後、友人が帰ってきて、更に、もう一人の友人が訪ねて来て僕の秘蔵のミカンを食べて旨いと一言(ちっとは残しておけよと忠告)これで高知友人会フルメンバーとなった。ゴルフの会話(僕は加われない)と、音楽の話。話の流れから、高知の友人はヤマハのNS1000Mを先に買っておこうか?となった。実は、高知のハードオフにこのスピーカーが売りに出されている。欲しいのだが、まだプロジェクターやスクリーンを買わねばならない私としては手が出ない。しかし、放っておくとこのスピーカーは誰かが買ってしまう。と言うことで、取り敢えずお金のある友人にまたもやお世話になることにした。CA1000Ⅱを所有しているので、セットすれば往年の名機の音が蘇ることになる。オーディオセットは5台目となる。一寸やりすぎの感もあるが。昼食にコンニャクとにんにくの炒めもの。クラッカーと干しブドウ。少し毛色の違う食事で食べ物の習慣を断ち切ろうとしている。今日はあんまりゆっくりしすぎたので、粗大ごみを捨てたくらいで、大した進展はない。日中の部屋の温度は23度。
12月17日(土曜日)晴
厳しい寒さ。4時45分起床。昨晩の資料を見直し、数字の間違いがないかチェックし、6時にメール送信した。朝食後、7時過ぎに出かけた。今日は、宿毛市、四万十市、須崎市、と400kmを走る計画だ。睡眠不足、車の運転は大丈夫か?大丈夫。高知の友人に運転手を頼んだ。僕は隣で音楽を聴くだけ。目的地について仕事をして、次の目的地まで運転をしてもらう。高知県は東西に長い県だし、高速道も整備されてないので、東部に住んでいる私は西部の街に出かけるには一日仕事だ。途中に窪川がある。(今は四万十町と名前を変えている)。標高210mの高原地帯。南国高知でも、気温は低く食べるものが旨いので有名だ。特にコメ、牛、豚が有名。この街にある道の駅に有名な豚丼があると聞くので、昼食に頂いた。レストランは田舎にもかかわらず、入口で名前を書いて待つこと5分弱。相席でいいか?「OK」で着席できた。950円は少々高いが、噂に上るほどの価値はあると見た。他のメニューではうな重(2,800円)がある。四万十町は清流四万十川が流れているのだ。ここのウナギ。夕刻5時無事高知に帰って来た。隣に座っているだけでも疲れたので、自分で運転しているとこんなわけには行かないだろうと思った。次回からも運転の得意な友人を引っ張り出そうと思う。母の病院によって声をかけると、調子は良いと、伏せった布団の中から声が聞こえた。帰りにプールで1,200m。旅の疲れをすっかり流し、帰宅した。The
VenturesのBDを見た。奥村チヨ、渚ゆう子などが登場し懐かしの歌を歌った。チャー、坂崎幸之助、渡辺香津美などが登場し、ベンチャーズのギターテクニックを分解し紹介した。音楽的にも凄く勉強になる映像だった。観たのは新設のパイオニアSC-LX89のシステムだ。気持ちの良い音に包まれた1時間半。
12月16日(金曜日)晴
きっぱりと晴れ渡り冷え込んだ。天上には青い月が輝いていて、朝6時に門灯を付け、軽トラックにビニールを積み込むために倉庫に向かった。門灯よりも月が明るいのに驚いた。今日は午前8時にJA土佐あきがビニールの回収をしてくれる日だ。ビニールはおじさん所のもので、我が家の倉庫は広いので預かっていたのだ。今日は休日、この作業の後は英語を聞き、ゆっくりできる。日経新聞で英語の特訓が紹介されていた。一日3時間を拘束する特訓だ。1年で1,000時間を確保できれば上達するのがこの基本だ。確かに僕の年で、一日2時間を費やしていた頃は、少しづつ上達していた。一日3時間は、特訓コースに学ばなくても上達する自信がある。月50万円は不要だ。部屋の温度は11度、だが太陽が差しこんでいてぐんぐんを気温が上がり、10時頃には20度近くになった。途端に眠くなり、体一面に太陽を浴びて寝てしまった。すっきりだ。さぁて次は本でも読もう。と、その時、会社の電話が鳴って、昨日完成した資料のシナリオを作成してほしいとの要請だ。これは、ちょっと時間がかかるぞ。昼飯を眠くならないように、ほどほどにして取り掛かった。4時に休憩し風呂を沸かした。6時に休憩し夕食を買いに出かけた。7時から再び取り掛かり、10時30分に完成した。後は文章の見直しと全体の構成だが、明日にしよう。と言うことで、今週はフルタイムの仕事となった。まぁ自宅でするわけだから、移動時間が無いだけ時間が有効活用できるのは良いことだが。釜で炊いた風呂は6時間後でもまだ下から沸いてきて気持ちよく入浴できた。明日は出かける仕事を予定している。週6日も働くなんて、ちょっと何だが、エクセルで未知の世界を開拓しながらスキルアップをしているので、何とか楽しんでやっている。
12月15日(木曜日)晴
昨晩から冷え込んできて、夜中に電気毛布の目盛りを上げた。この部屋は、断熱材使ってないので、夜は外気と同じ気温(夏は0時以降は冷房の必要がない)になるのだ。昨晩遅く仕事を始め、結構大変さをメールしたら、前の職場のメル友から、そこの仕事も少しづつ変化があると返信が来た。当然ながら先方も動いていたわけだ(久しぶりのメールには、先方の変化がないのを期待しているフシがある)。こちらの情報はこのページを読んでくださって知っていたようだ。このサイトは、あちこちに触れ回ったので、久しぶりにあった人も、結構ツーカーで話が弾むのはいいことだろう。さて、今日も朝早くから資料作成に取り組みやっと12時に完成を見た。昼飯を食べながら、もう一つ沸いたアイディアを付け加えて追補版を発送した。二日間も予定外の仕事をしたので、もういいだろうと、プールに出かけた。1.7km。本当は2km行きたかったが、ここらあたりで止めないと、ビデオが見えないだろうと判断したのだ。プールからの帰り道、月と雲が丁度いい具合に重なった。走行中に写真を撮るわけにいかず、信号待ちで撮影したら2つの関係が少しずれていた。ビデオは「デッドプール」スパイダーマンに似た感じで、ヒーローのスーパーマンが彼女のために戦う物語。音の激しさが抜群。7.1ch推奨だが、5.1chで観た。脛の所にウーハーの風が届くのはいやがおうでも臨場感高まる。この映画には大男の「コロッサス」と小女「ネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド」が登場するが、ネガソニックに主人公ウェイドが声をかけるシーンがある、「家に帰ってシドニー・オコナーでも聞け」と。このシドニー・オコナーとはイギリスの丸坊主の過激なロック歌手で、二人はよく似ている(丸坊主)ことからこういう言い回しになったのだろう。彼女は1990年の歌手だから、40才以上の人なら知っているだろう。この映画を楽しむ人たちはもっと若いから、このギャグは受けなかっただろうな。
12月14日(水曜日)雨後曇り
本当は休みの日だったが、緊急で資料の作成が必要となった。明日までの完成で、一刻の夕もない状態に陥った。僕としては臨戦態勢。だが、母の病院へはもう4日も行ってないので、今日が限界。午後1時過ぎに3時間ほど抜け出した。母は寝てたが、大きな声で呼び出すと目を開けた。「調子はよく、腹も減っている」と言うので、安心した。洗濯物もたまっていて風呂にも入っていることが確認できた。11月は悪かったが12月になって盛り返した。安心を確認して帰宅した。今日はレポートに勢力集中だ。夕飯は帰宅途中でドラッグストア買った弁当と、買い置きの野菜を茹でたもの。ドレッシングなし。弁当の味が濃いので、湯で野菜で包んで食べるとうまくミックスする。食事の後、再び職場に戻り(20秒で)取り掛かった。午後9時、一応考えていたことは表現できた。だが、まだまだオリジナルな分析結果が必要。だが、それが浮かんでこない。試行錯誤で悶々としている間に午後10時、もうこれ以上頑張っても眠気が出て来て何にもならないと判断し中断。この仕事は時間をかければ完成すのではなく、アイディアがあってこそ先に進める。RPGのようだ。アイデアの涸渇は時間の浪費。自宅に帰り、風呂。薪の風呂は、6時間ほど温度が保たれるので、こんな時重宝する。増してや今日は北風が吹き寒い夜だ。窓を開けて風呂に入る醍醐味でやっとリフレッシュ。今日の音楽はLPでピンクフロイド/ファイナルカット。元気のある時は、しっくりこないが、今日の様に疲れているときは、実にしっとり慰めになる。この人たちの音楽はこんな時に聴くのだと理解した。楽器の使い方(演奏方法ではなく、音の配置)が巧みで、クラシック音楽を手掛けた人が書いたような緻密さがあった。
12月13日(火曜日)雨
昨夜から窓を叩く雨が降っている。ここは倉庫の2階だから窓にひさしがない。それで雨が直接当たるのだ。交野市で家を新築した時も、敷地いっぱいの家屋を立てたので、窓にひさしがなかった。でも、雨が窓に当たるのを聞くのは気持ちが良い。僕の頭は一晩寝ても奇跡は起こらなかった。この天候の様に頭は曇ったままだ。仕方ないから、できるところから先に進めよう。形が出来上がってから、少しづつの修正を図っていくしかない。映画オデッセイで、マットデイモンが火星で生き延びるために立ち向かった困難は、できる事から取り掛かる。困難はその内に対策が浮かぶだろうというやり方。これは、僕にとっては大いに受け入れやすい考え方だ。原作の「火星の人」ではもっと克明につづっている。これは今年一番感化された哲学。この考え方で田畑の管理や家の修繕を行ってきた。仕事を終えて午後7時に夕食を買いに出かけた。雷が響き、大雨。スーパーの駐車場からわずか5mの距離なのにずいぶん濡れた。冬の雨らしからぬ天候。雨の日は、熱いお風呂が欠かせない。大阪の友人は風呂のお湯がすぐ冷めてしまうので寒いわと言っていた。通常だと、この寒さでお風呂のお湯を気持ちよい温度に保つには結構光熱費を奮発しなければならない。今日の音楽は、朝の散歩に聴くiTunesMusicのお勧め音楽も最近は大体聴き終えたのではないか、今日からCDで取り込んだ楽曲を聞く事にした。今日はJUJU/スナック。スナックのカラオケで良くかかる音楽をJUJUがカバーしている。選曲は女の気持ちをつづったもの。音は良くないが、まぁ聴き慣れた音楽でもあるし、楽しめた。それ以上の深さはない。ブルーノートでJUJUがライブを行いWOWOWが放映したが、本格的なJAZZは一寸格下だった。だから、このスナックのアルバムが彼女のレベルとしては最適(JPOPSの旨い歌手として)かもしれない。
12月12日(月曜日)晴
朝の散歩では霜が降りていた。先週から少しずつ進めている水道管の凍結防止は少し急がなければならないかもしれない。昨年は、放置したままでも大丈夫だったが、この冬は寒さが厳しいらしい。昨日塗った小屋のペンキは、朝日を反射してくれて、仕事部屋が明るくなった(♪バラが咲いた)。いい仕事をしたと思う。ニーチェの言葉から、一つの事を我慢してじっと見つめていると、そこに新しい真実が見えて来るとあった。よそに旅行に行かなくても、真実は足元にあるとも書いてあった。小澤征爾と村上春樹の対談集でも、楽譜を読めば読むほど、作曲家の意図が見えて来ると、小澤さんが話していた。僕がこの言葉に勇気づけられているのは、膨大なデーターを分析し、そこから上がって来る意味をくみ取る仕事を請け負っているからだ。いくら見てもさっぱり方向性がつかめないし、そこに隠された真実が見つからない。冷たい水で顔を洗っても、新鮮なミカンをもいで食べても、僕には見えないのだ。今日は少しだけ早く切り上げて、頭にもっと刺激を与えてくれればと安芸市の銭湯に行った。入浴客は全員がサウナに入り、冷たい水風呂に頭まで浸かる。見てて気持ちの良い入りっぷりだ。僕はサウナをパス。深い風呂でウォーキングだ。大きな風呂は気分が変わる、疲れも取れる。でも、霧は晴れない(風呂の中なので湯気が立ち込めている)。今日はこれで打ち切り明日に持ち越しだ。こんな中でも、ありがたいのは、芸西村に居られるってことだ。趣味の機材が揃っているし、ドアから一歩出れば自然が一杯だ。都会で行き詰まると、人工的なものしか慰めがなかったのに比べると天国だ。明日の頭の冴えに期待。
12月11日(日曜日)晴
午前中はサイトアップと、ニュースで英会話(テレビ版)。昼食は、裏にある土佐文旦(みかん)+クラッカー+乾燥フルーツ+お茶。3Dシアターの部屋で、U2/360度ツアーを見た。DVDでどうしても欲しかったが、高価なのでスリランカで購入(正規版)した。1600円ぐらいだった。PALのBDプレーヤーを持っているので、問題なく再生できる。一寸カメラの動きがうるさい気もするが、音質はワイドレンジで気持ち良い。U2はギターを聞けば、躊躇なくU2だと分かるほど特出している。この濃さが好き嫌いの分かれ目だろうと思う。2時間たっぷりあるので、食事の時間だけにした。ストップボタンを押すのがためらわれる。我が家の西隣でサトウキビを作っている方が訪ねて来て、「おまんえらいオーディオをもっちゅうねや」と言う。いつでも聴きにきいや。と電話番号を教えた。この人は、シキデン(高知ナンバーワンのオーディオ専門店)を退職した方だ、現役の頃、四国の担当なら門を叩いただろうが、あいにくと四国の担当は回ってこなかった。AVもハイレゾも昨日から格段に良くなったので、お聞かせする自信がある。いい音の原因は電源トランスが近くにあることだ。午後は、倉庫のトタンにペンキを塗った。これは、銀色の塗装で、仕事部屋の北の窓に太陽光の反射が当たるのだ。いい仕事をしたと満足。今日は早めに買い物に出かけゆっくり過ごそうとしたが、帰りに「なるさん」に合い、一声かけた。「あんまり仕事したらいかんぜよ、ちっとは草もはやいちょりや」92才なるおばあさんは、まだ現役の農作業をやっていて、それが自慢だから、からかいの声をかけたのだ。そうしている間に、「よしえちゃん(多分72才くらい)」が来て、母のことを尋ねられて現況を話した。「内くのだんなも病気で入院中でこまっちゅう」と前後の話をしてくれた。と言うことで、結構話が長くなり、とうとう普段と同じ時間となった。12月8日以降日没が遅くなっているので、5時でもまだ十分に明かるので助かった。
12月10日(土曜日)晴
やっと朝の散歩が定着してきた。まだ6時だと芸西村は暗闇の中だが、幹線道路(といっても、村の時速40km制限の道だが)を歩けば、花卉の促成栽培に照明を使っているビニールハウスが点々とあるので、結構にぎやかなのだ。それに、音楽はApplemusicで毎日違う音楽が聴けるし、興味津々で散歩に出る。今日はローリングストーンズの新譜。「ブルーロンサム」。実に音が良くないアルバムだが、昔のソニーのウォークマンの帯域の狭いヘッドフォンと、DENONのポアタンDA10の接続で、心地の良いナローサウンドになった。こんな朝の楽しみを見出してから散歩が待ち遠しくなった。帰って朝食の後、自分の部屋に戻ると、友人が「ローリングストーンズmono」を持ってきてくれた。お金のある友人を持つとどんなに素晴らしいか。16枚セットでダビングするのに1時間要した。ついでにジャケットもスキャンしiTunesでアットワークを統一した。その後、試聴すれば、どうも音がおかしい。高域のアンプを切って聞けば、左の低域が強く右が弱い事が判明した。パワーアンプの入力を調節してバランスを合わせて再び聞けば、音が蘇った。素晴らしい。それで、と言うんで以前にS氏から頂いたハイレゾを再生すれば、もう天国にいるかのような音が流れて来た。惜しむらくは低域のエネルギーが増したので、部屋のドアがアイコチで鳴って、スピーカー以上に音を立てる事だった。ユージンオーマンディの「くるみ割り人形」LPを聞けば、きちんとグランカッサが再現できた。感涙もの。
12月9日(金曜日)晴
今日は高知の店で引継ぎだ。名前は存じ上げなかったが逢えばよく知っている人だった。その方に紹介されたパナのセールスマンも知っている方。キャノンのセールスマンも知っている方。僕も業界人間だったのですね。このようにある程度知古があり、定年後の職業で気が抜けていることもあるが、初めての仕事で人と会う割には緊張感がない。帰りにブックオフでエクセルの更に詳しい解説書を買った。どうもエクセルの達人=この新しい仕事のスムーズな運営になりそうな気がしてきたからだ。書棚を見ていると、人類の誕生にまつわる書籍も並んでいて、つい手が出そうになったが、今日は仕事。心を鬼にして書籍を探した。帰りに母の病院で洗濯物の回収。「クルマは絶対に飛ばいたらいかんぞね」と母の言葉。今日はしっかりしている。一汁一菜で夕食。760円。とてもこの価格で、色彩豊かな食事は作れない。脱帽。サーティーワンでアイスクリームをなめながら帰宅。週末でもあり今日は映画を見るぞ。「トランスポーター3」。相変わらずフランク・マーティンはかっこいい。アウディA8
4.2FSIクアトロは窓を破られても、次のカットではきちんとガラスがはめられているし、湖に飛び込んだアウディーは引き上げられると、一発でエンジンがかかるし、突っ込みどころがありすぎて書ききれないが、気楽に楽しめる点では最高の映画だ。次に少しだけだが、NHK-BSで録画した早朝の1時間の番組で、クラシック音楽を放送している。その中から、弦楽四重奏団の演奏を聴いた。聞き覚えのある曲ではないが、音が凄く良くて、映画の興奮を納めるため5分間だけ聴こうと思ったが、なかなか演奏を止めることができなかった。ちなみに、このアンプは、従来の音にも直せるので、切り替えるとスカスカな音がして、こんな音で今まで楽しんでいたのか?とびっくり。
12月8日(木曜日)晴
冷え込んできた。6時に散歩。ローソンに昨日のレンタル返却。往復で45分。分別ビン類の処分日。母の洗濯。仕事は10時営業開始だが、それまでにいろいろと家事がある。この部屋に設置したサーバーの電源を入れて、出勤。と言っても、前の家まで20秒だ。今日は掃除をした後で、部屋に入るにも気分が良い。明るいうちに仕事部屋の前に車を止めておく。公道だが、だれも通行はないので問題にならない。仕事が終わるのが午後7時なので周りは真っ暗だ。真っ暗な中車庫の扉を開けて車を引き出すのは大変だから、その予防策。寒い。クルマの暖房はスーパーにつくまでの間には効かず我慢。夕食を買って帰り、テーブルに広げて、iPadで夕刊を見ながらの夕食。寒いのでテレビのある居間のガラス戸を開けると暖房が効かないので、最近はもっぱら新聞を読むだけの夕食。木曜日の日経新聞は英語の記事が2本ある。一本は何とか読める程度。二本目は右の訳を見て助けてもらう。その後入浴。相変わらず、浴槽一杯のお湯は気持ちが良い。やや多めに薪をくべると、窓を開けて冷気を取り入れながら入浴タイムを楽しむことができる。一日最後の楽しみでしょうか。まぁ侘しいように見えるが、仕事を始めたことで割と気分は良い。気分の問題かどうか不明だが、10時半ごろに寝ると、翌朝5時半まで一直線だ。この一直線が災いしたのか、もう右足指がしもやけに罹った。布団から足が出て寝てたんだろうか?
12月7日(水曜日)晴
今日は仕事休みの日。雑事が一杯溜まっていて、ひとつづつ処理をしていったらすぐにお昼になった。一番時間を食ったのが墓掃除。まだ草木の勢いは衰えず、蚊と戦いながら墓参り。父の命日の月の3のつく日の行事だが、今月は天候の都合で本日に延びた。午後は母の見舞い。井戸水のことについて尋ねたら正確に答えてくれた。後は、支離滅裂。スタッフの方が、午前中は泣いていたよ、と教えてくれた。時々帰りたいと言っていたので、完全な正気に戻った時、一人で放っておかれた寂しさを嘆いたのだろうと思う。だが、もう家に連れて帰れる状況ではなくなっている。ここだと温暖な環境と、24時間体制のケアとで、延命させてもらっていると思っている。厳しいかもしれないが、今では最善の選択だと思っているので、3日に一度くらいの頻度で尋ねることにしている。夜はBDレンタルで「ファインディング ドリー」(ファインディング ニモの続編)を観た。今日はSC-LX89を昼間かなり追い込んだので、dtsサウンドも幾分映画館らしい雰囲気で鳴っている。サラウンド感は、時々感じるが、それよりも、時々再生される超低域の効果音。涙が出て来るほど感動的な音だ。もう少しリアスピーカーに距離を取った方が良いだろうが(ふすまの後ろには6畳が控えている)、そうすると天上の高い18畳の部屋は暖房が効かなくなるので、リアは至近距離で我慢している。春と秋のシーズンにはリアスピーカーを移動しよう。
12月6日(火曜日)晴
昨晩も同じく夜音楽を聴いているが、半分は寝ている。何でだろう?激しい運動はしてないぞ。机の前に座って慣れない頭を使っているだけだ。今日は一日PCを操作し目を酷使したが肩こりはなく、自宅の風呂で入浴した。食事も自炊した。仕事の合間の休憩は、燦燦と輝く太陽の下でラジオ体操(全然寒くない、蚊がいるくらいだ)。放尿は村を見下ろす畑から。昼食は音楽ライブを5.1chで聴きながら。いずれも都会に住んでいては出来ない代物。それに、一日の仕事を終える(19:00と割と遅いが)と19:05には夕食に取り掛かれる。都心で働く8:30-17:30の職場とそん色のない夕食の時間だ。光回線が普及した上での仕業だ。小さな会社でもこんなのだから、大企業はもっと大胆なことができるだろう。もう少し生まれるのが遅かったら、もっと仕事がエキサイトしたのでは?と悔やまれる。まぁ出来ないことを嘆いても仕方ない。誰とも話さない一日だったが、それゆえに、大体ここまでできそうだと思った仕事の分量を処理できた。こういうのは気分が良い。ここしばらくは、農作業にしても、自宅の改修にしても、自分の都合と能力で行ってきて、大体が思惑通りになっている。だが、これから、仕事はどんどんと深みに入るに従って、そのように推移しなくなるだろう。よく言うではないか。そうは問屋が卸さない!と。急な負荷は心配だ。まぁこの風景がある限り問題を乗り越えられるだろう。心配と言えば、水の処理だ。一昨日のすごい雨で我が家のトイを点検すると、至る所で水があふれだしている。その滴が、裾の塀やブリキや、木材を腐食させている。早急にトイの修繕が必要なのだ。だが、場所が高いところにあり、そう簡単に修繕させてくれない。自由時間が少なくなった上での大作業だからちょっと困っている。
12月5日(月曜日)晴
昨日はこれと言って何の作業もしてないのに夜9時が来ると眠くて仕方なく早く寝たが、今朝は7時に起きた。一寸寝過ぎ。今日は仕事。仕事場へは20秒。昼食も、30秒で母屋に帰り調理していただけるロケーションの良さ。だがこの仕事の落とし穴は、一日中PCを見つめているので、肩がこること。目が錯覚を起こし続けて作業ができない事だ。今まで肩こりと無縁の生活だったが、これからはお友達になりそうだ。定期的に外に出て体操を行い、時にはミカンをちぎってほおばったりして、体をだましだまし作業をしたが、夕刻の午後7時はもう堪忍と言う状態になった。軽トラックを引き出し、洗面用具と一緒に安芸市にある銭湯に出かけた。ここの風呂は深く1m程あり、中で軽く運動できる。少しなら泳ぐこともできる。30分ほどここで運動をして、肩の凝りをほぐした。往復で30分位かかるが、マッサージをするよりは安価に仕上がると計算づくだ。帰りにうどん屋さんで食事をして、帰り着くともう9時。部屋に落ち着くとやはり昨日と同じように強い睡魔が襲ってくる。一体何が原因。今日は机の前に座っただけだったのに。脳がエネルギーを消費すると言ってもここまではひどくはならないだろう。半年自由な生活をしたので、拘束時間のある生活に就いて鈍った体が変調をきたしているのだろうか。今日の音楽は、サイモン・ラトル式ベルリンフィルの演奏で映画音楽の「大いなる西部」とかいろんな音楽を聴いた。女性のホルン奏者にどえらい美人がいるのが映った。ネットで誰かと検索すれば、他の人も同じことをしているので、すぐにヒットした。「アルバン・ガーハディッド」さんだ。YouTubeにも掲載されている。世の中の男は国に関係なく美人には目ざといすけべぇがいるもんだと良く分かった次第。重い音楽でないので、この美人が映るのを楽しみに音楽を聴いた。システムは自分の部屋の中に設置した42PX10で観た。
12月4日(日曜日)雨
雨は月曜日のはずだが?朝の天候は晴れ。1時間の散歩。汗ばむ陽気。英語の勉強の後、高知市に向かった。ハードオフで中古スピーカーを購入した。昨日シマムセンでパイオニアAVアンプSC-LX89を購入した。それで、本格的な5.1chを楽しむためのリアSPの購入だ。今の信号経路はBDにパナソニックUB900。アンプは先述のLX89。プリのフロントはテクニクスSH-D1000を2台使用し3Wayデバイディングネットワークとし、低域はSE-A5mk2。中高域はパナソニックSA-DX930。左右フロントスピーカーはテクニクスSB-MX200D。センターはパナソニックSB-C500、サブウーハーヤマハYST-SW1000。リアはデノンSC-T555A。ディスプレイはパナソニックHT-50PX300。HDMIケーブルパナソニックRP-CHK50。MCACCを使い音場調整を行った後、NHKの東京ジャズ2016Vol.1-2を観る。今まで、一体型アンプで中域と高域のバランスを調整できなかったが、MCACCの補正でしっかりと高域が出るようになった。特にJAZZは2倍位楽しめるようになった。次にベルリンから先日届いた「バルトビューネ1992-2016」のDVDを観る。映像はDVD画質でそれ程でもないが、音が凄い(PCM)。この問題はBDからアンプまでの距離が長く5mケーブルを使ったためか、音声が時々途切れる。ドルビーデジタルやDTSでは問題ないのだが。簡易設定なのでスピーカーの位置も巻尺で測っての設定ではない。後日追い込みし、もう少し上位の音を目指そうと思う。でももう、すごい潜在能力がある凄味を魅せて頂いた。この上完成度が上がると一体どうなってしまうのか?怖いような期待がある。
12月3日(土曜日)晴
大阪の友人からビールが届いた。Master’s Dream。凝ったビールという意味らしい。近所の友人に連絡すると今日飲みに来るメールが15:30に届く。僕はあわてて作業を片づけて、酒のあてを買いに出かけ、風呂を沸かしあわただしく準備を整えた。庭に母の植えた鉢植えの苔がある。本来は水辺の縁で育つ植物のようだが、僕が鉢を水から遠ざけているので、雨が降れば苔が元気になり、晴天が続けば苔は萎れる。この苔と、風呂の水がリンクしているのをやっと最近理解した。つまり、苔が元気な時は、風呂の水、つまり井戸水は濁っていて緑茶色。苔が萎れた時は、風呂は透明になる。今年の9月以降、高知県はずっと雨が降り続いているので、緑茶風呂が多く、今日もそうだ。さて、ビールの味だが、濃い。重みのある味わいだと共同声明を発表した。友人はこの浜で釣ったボラの刺身を持ってきてくれた。コリコリ感があり脂ものってなかなかの味。住吉(香南市)から東のボラは食べられる、と言うのがこの辺の釣り人の常識。酒の当てとしては十分。仕上げに、いとより鯛のすり身のすまし汁。高知県特産の葉にんにくを入れた。これはほめてもらった。今日のテーマは人間関係についての深堀Ⅱ(先日の懇親会の続き)。JAZZのリズムのタイミング合わせ方はいかにして行っているのか。芸西村のダム工事延期の真相を探る。芸西村の津波対策。坂本冬美のNHKライブの鑑賞。盛りだくさんだが、結構盛り上がって22時終了。遠くに設置した石油ファンヒーターが3時間で自動的に停止して寒くなったからだ(延長ボタンを押してないため)。友人は車に乗って帰った。わずか200mの距離だから歩けばよいと思うのだが。
12月2日(金曜日)晴
仕事は大変だと自覚した。エクセルの関数をいろいろと読み上げて知っているか?と聞かれたので全部知らないと答えた。質問者はあきれていた。まぁ僕としては一日あれば必要な関数は覚えられる自信があるので問題ないだろうと思う。共有サーバーにあるデーター分析の仕事でこれが結構大変。やっぱりお給料は大変さと引き換えだと十分理解した。家の改装の請求書が届く。全部で203万円。3つの家を改装したので、そんなに高額ではないだろう。このほかに、小屋とか便所の屋根とかのもろもろのペンキやトタンの張替えなどを自分で行ったのが、10万円位。取り敢えず、古い田舎の家が古いまま使えるようになった。師走のせいか、12月になるとあわただしい。知人が新しい仕事を始めるので相談に乗って欲しいと電話が来た。単身で名古屋に引っ越して仕事をするようだ。誰も知らない所でまた一人仕事をするのか?この年で!と嘆いていたが、半分は興味津々浦々のような感じだった。一人で籠っているとろくな考えをしないと、僕と同じような意見を吐いていた。世間ではおじいさんだろう(見た目もそうだが)、自分はまだずっと若いままの気分だし、気持ちが前向きなのだ。僕の方は勤務時間が午後7時までで、終えたのち自宅に帰る道は真っ暗だった。20秒で到着。お風呂を沸かすには暗くて薪が見えないし、なにより空腹だ。レンジで簡単な夕食を作り、安芸虎(日本酒原酒)を飲んでシャワーを浴びた。一寸しんどい仕事の割にはケアが疎かかな。埋め合わせに、ダニエルバレンボエムとベルリンフィルの夏の催し2014を観た。相変わらず黒の沈み込みは凄く、ベルリンフィルのバイオリンパートはベルリンフィルだと思わせる音を出していた。チェロを弾いていた人は、東京のショールームで話したことがある。きちんとした英語で話してくれた。デジタルコンサートを目玉としていて、ベルリンのハーモニーホールから生中継で見ることができるのを売り物にしてた。音声はAAC24bitだと言っていた。当日は、僕のiPadとIDで試聴いただいた。サイモン・ラトルのシューマンだったと記憶している。後にDIGAはデジタルコンサートに参加できる仕組みを設けたので、このプロモーションに来たのかと合点。
12月1日(木曜日)晴
師走
ホント忙しい日がやって来た。7時過ぎ散歩の後、朝食を取っていると友人が来て、ミカンを収穫すると言う。昨晩の雨で木がぬれているからもう少し待てばよいのだが。2人で30分収穫した。僕は仕事に出かけ友人は絞りに帰った。仕事は夕刻までかかった。エクセルの達人でなければこの仕事はできないので、途中のBOOKOFFで「世界で一番よくわかるエクセル」を買った。関数を中心に勉強してみよう。古いエクセルの知識と古い頭の更新をしなければならない。果たしてリセットは可能かな?高知はおいしいものが多い街で、「寿し一貫」で昼食。1000円でちょっと申し訳ない程の美味を味わった。気温は高く、羽織ったジャケットで余分な汗をかいた。帰りに母を見舞うと寒いと言いながらズボンとパンツを脱いでいた。ズボンを穿かし、布団をかけたが、ズボンはまた脱いだ。個室のドアが閉まっていたので、母が叫んでいたのだろうと察する。しばらくして退散。他の元気な人は共同の食卓で夕食がまだかまだかと待っていた。母も8月のショートステイでは、同じ仲間だった。暗くなって帰り、風呂を沸かした。食事はスーパーの弁当に簡単なサラダを追加して侘しくいただいた。風呂はあふれるお湯で豪華絢爛。トランプ氏の就任までに、オバマの就任原稿を読み切ろうと入浴の最初の部分で格闘している(一日交代で落語を聞く)窓を開けて上半身を寒気に晒しながらいると、上の畑で大型の獣の歩く音がする(多分イノシシ)。大声を出したが逃げる足音はしなかった。
11月30日(水曜日)晴後雨
今日は東の納屋の前にあるトタンがこの夏の台風で吹き飛んでしまい、おまけにさび付いていたので交換した。これで家の周りはほぼ片付いたことなる。正体不明のミカンは橙と判明。友人に絞るようにお願いしたら、収穫しろと来た。OKと返事をかくものの、今日はこのトタンの処理で日一杯要し出来なかった。明日に延ばした。作業は時間を食った割に動きは少なくおなかの減り具合がよろしくない。それに、明日からの仕事でPCの設定に時間を食ったこともある。PCについて一言。人類600万年史を読んでいると、人類が主に活動した100万年は狩猟採集の生活様式で、現在人が享受している生活は本来人類が対応進化してきたものとは全く違うことをしている部分が多い。それは、病気として人類を苦しめている。その一つが、「ディスプレイを長時間見続ける事」とあった。そうだろうな、人類は獲物を取るために暗い夜でも少しは視界が効くし、遠くの獲物の為に視力は高い筈だ。例えば、「アラビアのロレンス」の映画では、砂漠の向こうにガシムが現れるのをロレンスは限界まで待つ。そしてとうとうロレンスにはガシムが砂漠の向こうに見えた(LDやDVDでは決して見えないが)。この視力。そんな、遠くが見える人間の目が、ディスプレイを見続けていると、能力が落ちる。この現代病にとことん付き合うのが、今度の仕事なのだ。だが、こんな田舎のぼろ家でも最先端の仕事のできる矛盾が実にいい。フリー最期の夜はThe
WHOのコンサート。ほとんど口ずさむヒット曲がないWHOだが、どの音楽も破たんがない。ライブを観ていると客は一緒に歌っている。歌えると言うことは、相当何度も何度もこの無名の歌を繰り返し聞いた事だろう。「偉い」僕には若いころそんな時間はなかったなぁ。ビートルズやローリングストーンズの有名な曲に惹きつけられたからだ。だが、時間が一杯ある今は、聴くことができる。強い感動はないが、退屈する単調さではない。SB-MX200Dの高域がもう少し伸びると気持ち良い音になるのだが。
11月29日(火曜日)晴
トイレの水洗化は完了したが、ドアが壊れたままだった。誰も来ないし、日常僕はこのトイレは使わないし問題ないのだが、やはり壊れたままというのは問題だ。そこで、ホームセンターに行きべニアの化粧パネルを買って修理を行った。これが結構くせ者(長方形と思われたドアは歪んでいて、べニアの長方形が一部でははみ出て、一部では足りず下地がでる)で時間を食った。今日の作業はこのドアの修繕のみだった。この作業でよくわかったのは、手順を空想し、その通りに行えば、やったことの無い作業でも何とかなることだった。農作業も、小屋の修繕も取り壊しも、料理もすべてぶっつけ本番ではなく、事前にイメージを膨らますことだ。プロの職人さんと同じ仕上げは期待出来ないが、そこそこは出来るし、価格は材料費のみだ。器用な自分に感謝。4月から始めたこの作業も、いよいよ明日をもって終了する。12月からはお金を頂く仕事を始める。会社からPCも届いた。拘束時間が増えて、音楽を聴く時間や、作業をする時間は激減するが、社会に貢献できているつながりが、心の安心を生む。一人だけの世界に浸るのは、嫌なことではないが、これでいいのか?が常に付きまとうのだ。それをいいのだ、と言い聞かせ、不安事項、チェック事項を確認する。漏れはないのかな。そんな気持ちになるのは、根が小人なんだろう。「ニーチェの言葉」の書籍にも、糧としての仕事よりも、精神が集中するため雑事を忘れられる仕事の価値を、滔々とのべてあった。今日の音楽は「ポントの王、ミトリダーテ」Wolfgang
Amadeus Mozartのオペラ。LD盤で海外物。字幕が英字。まずはウキであらすじを頭に入れてPlay。オペラはゆっくりと歌うので字幕も早くないし、概略が理解できればいいと思いながら目を凝らす。ものすごく疲れる。読むのに精いっぱいで登場人物を見る暇がなく誰が歌っているのかもわからない。まだまだ僕にとってはハードルが高い。ただ、音と映像はよい。
11月28日(月曜日)晴
風呂の雨漏りは、家族が心臓病を患うとの言い伝えがあって、修繕したつもりだが、昨日の大雨ではやっぱり、窯が濡れていた。残された対策は、トイの修繕。トイの雨漏りが風呂の煙突にかかっていたのを発見した。そして今日はその処置を施した。果たしてうまくいくか。母の入院先の病院に伺った。今度は透析の主治医の先生からのお話があるとの要請だ。レントゲンを見せていただきながらの説明。もう左の肺はほとんど真っ白で水が溜まっているとのこと。右も1/3は水が溜まっているとのこと。このため、透析も体調と相談しながら不定期的に行っているとのことだ。もう、ここならではの介護の段階に差し掛かっている。最期の処置について打ち合わせ。「他に相談する必要があるなら返事を待ちますよ」とのことだったが、その場で回答。「延命処置は不要」。先生も「それは苦しいだけだからしないほうが良い」と言われた。帰りに親類に寄ってその旨伝えた。「そうしい(そのほうが良い)」と言われた。風呂の雨漏りを止めて、母の長生きに貢献できればと思った。少し早いが、寒い北風も吹いて来たことだし早めに風呂を沸かして今日を締めくくった。風呂はたっぷりのお湯と、多めの薪で熱いお湯が長続きするように焚いた。今日は風呂につかりながらCDで柳家小三治の「子別れ(上)」を聞いた。長丁場になるので、窓を開けて上半身は寒風に晒しながらだ。間の取り方、声音が実に旨い。笑う前に「芸」の感動がある。落語も、ハイファイ音声で聞くべき芸術だなと思いましたね。
11月27日(日曜日)雨
冷たい雨が朝から降っている。今日はサラリーマンと同じようにすっかり日曜日と決め込んだ。遅い朝食。新聞をくまなく見る。HPのアップデート。ラジオ英会話。水泳。水泳は2kmを泳ぎ切った。1.5km近辺で飽きてきた。体力は十分あったが、根気が続かなくなっている。この冬はまだ3kmを過ぎた辺りでも根気があったが今はその半分だ。水泳の後の入浴は軽め。というのは1時間も水を切ると体の脂分が抜けてしまうから。変な所に気を使うようになったのだ。腹ペコで帰り、新鮮な野菜中心の夕食。体重が船橋時代まで復帰しないのは食事の影響だろう。今日の音楽はLPでシューマンの交響曲2番。ラファエル・クーベリック指揮ベルリンフィル。サイモンラトル指揮ベルリンフィルのシベリウス交響曲をこの春はよく聴いた。全く違う曲なのに、弦のユニゾン部分で共通の弾き方をしているような感じを受けた。ベルリンフィルは指揮者が違っても同じ音を出すのだろうか。ドイツ人はそこまで頑固なのだろうか。また、バイオリンの弦を引き切る(表現がおかしいが、弓の端から端まで使い切るような感じ)音色も、これはベルリンフィルだなと思わせる力強さがある。クラシックの評論はイクオール指揮者の評価だが、どうもベルリンフィルに関しては、演奏者達の評価も必要な気がしてきた。映像では塚越慎子のマリンバを見た。マリンバのバチは幅を広げたり狭めたりして弾くんですね。両手に4つの玉を抱えて弾くのは至難の業。だが、この楽器は派手さがないのと、演奏曲目に、面白そうな曲がない2つの理由であまり評価されてない楽器だ。塚越さんが美形でなければ、この映像は長く見ていられないだろう。UD900は赤の衣装と、背景の影の部分のコントラストが凄い表現をする。実際にはこんな風に見えないので、映像芸術の世界を垣間見るようだ。
11月26日(土曜日)晴後曇り
明日は完全に雨だというので、英語の勉強時間はパスして、昨日の続きで倉庫のドア塗り終えた。割と早く終わったので、次に塗る場所の写真撮影を始めると、出て来るわ、出て来るわ、ぼろ家のほころびが次々と。一度にできないから優先順位を付けようと。まずは井戸の屋根だ。もう錆びて穴が空いている。支え木も朽ちている。気がつかなかった。ここの葺き替えだ。コーナンでトタンを買って半分に切った。今あるトタンを外し、腐った土台を新しいのに取り換えて、トタンを張る。書くと簡単なものだが、4時間を要した。午後から雲行きも怪しくなり、途中で風呂の薪をコンテナ2杯分取り込んだ。ギリギリの午後4時半にトタン張りを終えた。釘は数本だけ。別の日に最終仕上げをするつもり。急いだのはここから東に35km(丁度高知市のはりまや橋までの距離と同じ)の所にあるモネの里(あの有名な画家のモネがスイレンを描いた庭と全く同じ庭を作った、同じ水連を植え、周りの木々やバラも全く同じに品種を植えこんである)でライトアップが始まるのだ。5時半、辺りは真っ暗になるが、駐車場は満杯(アベックばかり)の状態で、山の中なのに寂しさはない。代表のオーナーが居たので、三脚使用の了解を取り、早速現場に急いだ。カメラはEOS20DとLUMIXのZX1。両方とも古いカメラだ。だがISO100で長時間露光撮影するつもりだから、全く問題なし。まずは、LUMIXの夜景モードで撮影。シャッター速度と絞りの関係を学んだ後、EOSのマニュアルモードで同じ条件で撮影を行う。長時間露光の問題点は、ここを訪れた客がストロボを使って撮影する光(ストロボでは光量不足で絶対撮影しきれないし、このライトアップが写せないのだが)が混じりこむことだ。25秒F5.6が最適だった。もう一つ問題は、モネの「スイレン」をよく見れば奥の方にアーチの橋がある。この橋からスイレンの花の咲く方に向かっての撮影もなかなか良いのだが、この露光時間中に橋を渡る人が居る事だ。橋がわずかに揺れても、写真がボケるのだ。合間を縫って撮影するので時間を要した。急いで撮影を終えて安芸市にある銭湯へ。ここは午後8時に終了なのだ。道後温泉に次ぐ気持ちの良い風呂だ。予定通り入浴も済ませた。後は時間の制約もなく、ゆっくりと食事をして帰り着いた。5Kのモニターで写真を鑑賞。腐っても鯛とはこのことだと思った。EOS20D(現中古価格4,300円。2004年16万円で友人に頼んで安く買ってもらった)は素晴らしい写真を見せてくれたのだ。
11月25日(金曜日)晴
9月中旬から始まった我が家のリフォームは本日をもって完了。大工さん、屋根やさん、左官さん、ペンキやさん、水道屋さんにお世話になった。作業はつぶさに見たので、今度は自分で行える部分も多い。今日、僕の作業は、車庫のドアを塗った。ペンキは銀色を選択した。というのは、向かいにある別荘は、仕事部屋として使うことは既書。その机だが、部屋の北側に設置した。理由は、今僕のいる部屋の窓際(南側)にWiFiを設置して、そこから電波で通信するために、至近距離を得るために北側に設置せざるを得なかったのだ。それにかねてより、部屋の北側は直射日光が入らないので、書類を広げるのにも便利と思っていたので抵抗がない。だが、照明を点けるほどではないが少々暗い。そこで、向かい合う倉庫のドアを銀色に塗装することで、太陽光が間接的に得られるのではないかと考えたわけだ。今まではさび止めの赤色をしていたから違和感があるかな?と心配したが、乾くと白っぽくなり周りに溶け込んだ。今週は仲間との交流が続く。今日は仙台の仲間が電話をしてきた。首都圏は雪だったのに仙台は雪がないらしい。現況の話を忠実に語ってくれた。思いやりのある人なので僕の知らない仙台を教えてくれた。一番町(仙台の飲み屋街)に、今でも行きつけの店(一度ご招待くださったが、仙台美人のママさんが居た)があり、なかなかプライベートでも活躍されているようだ。老人向けの食材の宅配もボランティアで行うなど充実した日々とのこと。これには私も触発された。もっと活動しなければと。今日の音楽はハイレゾをiPhone6のHF-Playerで聴く。ヘッドフォンは、パナソニックカセットプレーヤーに付属のヘッドフォン(歩く時にコードのこすれる音がしないとか、外の音がわりと聞こえる)。鈴木勲氏の「入魂のアベマリア」。DSD5.6Mhz音源。残念かな、この組み合わせではAACの音としての評価しか下せない。スリー・マウス・レコードの時から鈴木勲氏のベースは切れのある演奏というか、アタック音が凄かったと思っているが、低域に難ありだ。外出用の低域強化タイプのイヤホンの必要性を感じた。候補は考えている。エレコム=EHP-R/CB1000(14.800)。オーディオテクニカ=ATH-LS200(25.000)。ビクター=HA-FX99X(12.800)。どれかだろうな。シマの鈴木さんに相談かな。
11月24日(木曜日)晴
関東地方は寒いそうだが、こちらは暑いくらいの陽気。クルマの掃除と、別荘の机の清掃。別荘は仕事部屋として使うことに決めた。今度する仕事は随分と難しいような感じだ。今日資料が届き、業務内容を拝見すると相当気張ってやらないと歯が立たないようなのだ。事前にエクセルの関数なども一通り使えるようにしておかねばならない。緩んでいた精神が引き締まるような気分を頂いた。仕事部屋を作り、気分一新で取り組もう。土佐清水に住む友人から、兄死去のハガキ舞い込む。病院からは、透析の先生からの面談要請が来た。いよいよ母の最期に向かっての具体的な打ち合わせがやって来た。梅の木の伐採をしながら、先生にどう話したらよいのか少し考えをまとめた。いつもの通り堂々巡りだが、要は苦しまないで最後を迎える事をお願いするしかない。たぶんいろんな状況が提示されるだろう、それに対し医療機器もしくは処置を理解しながら選択することになるだろう。今年は父の件で3月に別の先生と打ち合わせを行ったので変な話、慣れた。暗い話はまだまだ続く。今日は定例の飲み会。芸西村の魚屋さん。丁度今はカシオのゴルフトーナメントが開催中で、ゴルフ関係者のお客様も多い。飲み会と言ってももう2人は「飲みに出たくない」。のが本音だった。一人は奥様が「もう、誘わんとって」と宣言した。あぁ年を重ねるというのは寂しいことだね。と残る2人で話した。酒の当ては「ねいり」を注文した。身がしまって美味。お醤油がはじける脂もある。Web検索でねいりは全国名「かんぱち」のこと。ミカン農家の友人にミカンの剪定を教わったが、「芯」の理解が出来ず、僕には難しいと感じた。今度、実地研修をお願いした。帰り着いてひと眠り。その後ポータブルDVDで紅白歌合戦2011年度版を見る。音はデノン・ポタアンDA10にアナログ接続してヘッドフォンで聴く。照明を暗くして、小林幸子、福山雅治とか、こぶくろとか。ほとんどメロディーが頭にない音楽で、はっきり言ってつまらないが、この気持ちの良い音は一体何だ?と思わせる広がりと深みがある。ゼンハイザーのヘッドフォンHD598がいい仕事をしている。このヘッドフォンは仙台のヨドバシカメラで一番低音の出るものとして買った(仙台では厳しい仕事だったので、思い切って買ったが全然なぐさめにならなかったので、評価を下げていた)が、ドルビーデジタルの圧縮信号を旨く再現している。紅白もたいくつしない程度に楽しめるのが良かった。
11月23日(水曜日)曇り
風呂の釜に雨降りの水が漏れだしているのを発見。僕は煙突からだと推測して、先日取り付けたステンレスの煙突の部分をシリコンで充填した。熱が溶かすのではないかと心配したが、夕刻風呂を沸かすとき煙突を触ればそれほど熱くなかったので安心した。畑横にある梅林の梅を伐採。全部で5本の内今日は2本。ホントいろいろとありますなぁ。昼飯は、芸西村役場が主催している催事に出かけて、「ぴりからナス定食」@300円を頂いた。今日の催事はダニエル・カールさんをお招きしての講演会。僕にはまだ仕事が残っていたので、昼飯だけで退散。午後3時半に作業を切り上げて、風呂の焚きつけ用の薪をコンテナに満たす。夕食の買い出し、風呂焚き、夕食を急いで済まし、再び昨日導入したBDプレーヤーの映像を見る。今日はメトロポリタンオペラ、ロッシーニの「セビリアの理髪師」。指揮はベニーニ。今年の2月11日にニューヨークで上映されたものを録画。長時間モードでの録画だが、映像は鮮明。特に音質が良かった。舞台を歩く靴音がやけに大きかった副産物もある。ここまで期待してなかったのに、偉いものを手に入れたと震えが来ているところだ。トムクルーズの「オブビリオン」を冒頭。低域が部屋を震わす。飛行船が小さくなってもきちっと映っているとか感動が余りにも多すぎる。セリーヌ・ディオンのケベックでのコンサートも見た。彼女が登場するまで舞台は暗いが、声だけは聞こえる。カメラが観客をなめるが、人々の興奮がつぶれずきちんと映っている。どれを見ても驚きばかりのUB900だ。
11月22日(火曜日)晴
これは大変なことになったと思った
午前中は昔からある汲み取り式のトイレの修繕。その前に、肥料の保管をしている小屋があるので、ここを整理。父は晩年、なんでも放棄していた。母が腎臓病を患い、自分の思った人生じゃない生き方になったと思ったことだろう。ましてや僕も父に将来の計画を話さなかった。いずれは戻るだろうとは思ってていたみたいだが、いつとは明確ではなかった。それに、最後の奉公として東京に出たことが拍車をかけたのかもしれない。結果として家は荒れ放題で、少しづつ僕が修繕を加えている。それが午後3時までの作業(まだ一部だが)。それから、購入したパナソニックBDプレーヤーUB900をセッティング。そこにはDMR-WX300のDVDレコーダーが鎮座してた。試しにSPモードで録画した東京ジャズを見た後で、UB900に切り替えた。ひいき目に見れば少し良くなったかな?って感じで、少しがっくりきた。日が傾き少し暗くなってから、坂本冬美30周年記念コンサート(NHK)BD-DR録画を再生した。これには腰を抜かした。冬美の顔が輝き、目にはキャッチライトがはっきりと映り、背後の楽器演奏者が薄暗い中だがはっきりと見える。黒が沈むんだけど、つぶれない瀬戸際で居残っている。これは一体何だ!いろいろとシーンを変えてみても、黒の沈みようは半端じゃない。TH-50PX50にこんな黒沈みの実力があったのだろうか?東京JAZZ2016
BD-DRも再生したら、やっぱり尋常ではないコントラスト。HDRじゃないのにこの映像だ。これじゃ、今までのBDディスクを全部見直さないかんな。困ったもんだ。時間がいくらあっても足りない。パナソニックは何ともすごいものを作り上げたもんだ。不満があるとすれば、全暗で見ているので、BDのディスプレイはデマーで暗く設定してもまだ明るすぎること。
11月21日(月曜日)晴後雨
マイクロソフトエクセルのソフトウエアが必要となりWeb検索すれば、発売元のマイクロソフトが一番安い16,000円。他の販売元は34,000位。なぜこんな差が出るのか?マイクロソフトはダウンロード版だから。他はパッケージ版。言い古された言葉だが「ビジネスは変わった」と言われるが、これが現実なのかと思いましたね。PCソフトの整理の後、母の病院へ。今日は循環器内科(高知医大心臓主治医の定期的訪問)の診断がある。待つ間久しぶりに車いすに座った母を見たが、痩せて小さくなっていた。声をかけるも返事はない。起きているのがやっとという感じ。診断結果は、心臓の値を示す検査が前回はとんでもない数値になっていると言われたが、今回は振り切れていて測定できないと言う。しんどいだろうと!心音も凄いことになっている。弁が小さくなっていて、心臓が必死に動いているとのことだ。しんどくて夜も寝られなくなるので、病院の先生と相談しておくほうが良いとアドバイス。それでも、先生が「しんどくないか?」と聞けば「それ程でもない」と母。付き添いの看護婦さんが、「本当のことを言って」と注意。隠そう隠そうの気持ちはまだ健在だった。老人ホームの事務員さんと、じわじわ病気が進行した時の対処を打ち合わせ。(急変は書類於て確認済)娘にメール。返信は、お正月には息子が帰省すると言う。今まで一度も帰ったことの無い人が何で今頃?5日間もどうやって過ごすのだろう?僕が若いころ高知に帰省した時とは環境が違う。それでもめったに会うこともないので、この際だから僕が死んだときの引継ぎを行っておこうと思う。葬儀のやりかた。香典のリスト。お寺さんへの挨拶。田畑の引継ぎ。田舎の行事。同じ先祖を持つ近所の岡村家。金銭と保険。農協との関係。一番近い親類。エクセルにリスト化すればまだまだ出て来るかも知れない。プールで1500m。普段は1000m。船橋に居た頃は競泳用の50mプールがあったので2km泳いでいた。(距離は短いが頻繁に泳いだので年間最高記録を樹立した)仙台に住んだ頃は2.5km。大阪に住んでいる頃は3km~3.5kmが標準だった。この4年間で1/3に距離が短くなっている。帰り車の運転ではため息つくほどの疲れ。これを加齢と言うのだろうか?信じたくないけど現実。
11月20日(日曜日)晴後曇り
♪ I Can't Stop The Loneliness
クルマのタイヤをスタットレスに変えた。ジャッキで持ち上げる時少し余分に持ち上げないと、スタットレスは直径が少し大きくすんなりと交換できないのが判明。スピードメーターの指針が狂うのでスピード違反には気を付けなければならない。これで仕事用の車は完成した。夕刻高知市に向かった。雲行きが怪しく、自転車で向かうのを急遽止めて、電車に切り替えた。駅前のブックオフで鉄・病原菌(上)を購入。下巻は買ったのに上巻がどうしても中古で見つからなかったのだ。これだけでも今日の成果はあり。そして、友人と再会。出張のついでとは言え、遠方からで、数日の出張の最後ではさぞお疲れだろうと思うが、懇親の機会を作ってくれて感謝。まず、話は最近の僕の入社に関してすでに知識があった。彼の会社を定年退職した人が僕の入社する会社に入ったためそこからの情報らしい。僕が3番目に勤めた会社は、彼の会社に仕事の件でアプローチと、回りまわって一つにつながった。世間は狭いと思いましたね。それからの話は抱腹絶倒。船中八策の強い酒が一気に抜けるほど笑った。杏里の歌じゃないが、涙が止まらなかった。それはExcelでの資料作成関しての裏話。どこにそんな知恵が瞬間に湧いてくるのだろうと思えるほど鮮やかな手口で仕事をしている。昔からこの冴えは変わらない。それに、感心することもあった。来年の定年退職を見込んで、後継者に資料を作成している話。これはかなり以上にすごいことをしている。が、ここでもその手口は彼一流の方法を使っている。誰もまねできないオリジナル。しかも笑える話。3時間食べるよりも笑うことであっという間に時間が過ぎてしまった。こんなに笑ったのは今年になって初めての事。一年の垢落としが出来たような爽やかな気分。ここに記せば面白さを共有できるだろうが、あまりにも生々しいので書くことができないのが残念。店の看板と同時に退散した。電車に乗ると爆睡で目が覚めると電車は下車駅に着いたばかりだった。危機一髪。
11月19日(土曜日)曇り後晴
人類600万年史(下)を読んでいる。人類は1万5千年位前から狩猟採集民族から、農耕型民族にほぼ全世界同時に移行し、人類特有の病気が始まったと冒頭から紹介されている。その理由は集団生活を送るために、感染の速度が速いのと、病原体を培養しやすい。更に、食べ物の均一化がある。農耕による大量生産を実現したため、カロリーが十分とれるようになったが、食べ物が偏ってしまった。狩猟採集民族はカロリーが常に不足するため、食べられるものは何でも口にしたので多彩な食物を摂取できた。その為飢饉に強く、感染症などの病気にも強い。とある。そこで自分のことに置き換えてみた。一人生活をすると、どうしても食べ物が偏ってしまう。本書を読んでこれはまずいのではないかと、今日の昼から食事を全く変えた。普段口にしているものを減らし、極力昨日とは違うものを食べるようにしようと誓ったのだ。簡単に感化されやすいのだ。野菜の廃棄ロスがでるのはある程度やむを得ないと割り切ろう。(今までは食べつくしていたので、毎日の献立が画一化するときもあった)そして時には木の実の摂取を心がけよう。週に一度は現代企業チェーンの店での夕食もメニューに加えよう(いろんな種類の材料を使ったメニューがある)心変わりする日まで続けよう。母の見舞い。透析の後、食事を摂るので、その時に行けば少しは話せるのかなぁと期待したが、もう食事は終わり寝ていた。声をかけるとちらっと見るだけで返事無し。11月に入ってからずっと話をしてない。わずか3日間の間だが、洗濯物が山のようにある。きっと粗相があったのだろう。病院からの帰りは思い気分だ。友人からETCの取り付けが完了した旨連絡あり、手伝ってもらって車を自宅に移動した。彼を
送って高知市まで再び出かけた。送り届けた後、近くのハードオフに寄るとLPレコードコーナーで2枚掘り出し物を見つけた。今夜はこれで気分を変えよう。ユージンオーマンディ+フィラデルフィア管弦楽団のチャイコフスキーバレエ3曲。これまでRCA盤は音が良くないので避けていたが、定評のある楽団だけに躍動感のある演奏が楽しめた、食わず嫌いだったかも。低域の不足に目をつぶればいい買い物だったとしよう。今晩は「白鳥の湖」だけを聴いた。ぱちぱち音がない良質のレコード。価格は驚くなかれ108円。もう一枚は少しだけチェック。ベートーベン6番をブルーノワルターが振る。これは名盤の誉れ高く、このLPでも確認。針音のない良盤でしかも108円。ジャズはともかくクラシックは店の審査が入ってないのが穴場だ。
11月18日(金曜日)晴後曇り
仕事先から相次ぐ書類や電話が届き急転直下仕事モードの環境が動いた。午前中は歯の詰め物の最終。船橋の歯科医より価格が40%程安い。それに、親切な女医さんが歯の治療をするときは、乳が頭に当たる。助べえ爺には頭にも気持ち良い触感があることを確認。ETCの取り付けにイエローハットに行くが、高圧的な対応で退散。友人の知り合いのクルマディーラーにお願いし事がうまく運ぶ。少々値段は高いが、対応が良い。ついでにカーオーディオも取り付けてもらう。友人にお願いして私を家に運んでもらった。クルマはマツダのロードスター。一気に6000rpmまで吹き上がる。地面との一体感がある。120km位すぐだ。ところがあいにくと白バイに捕まった。全くの不運。\15,000円。まぁそれだけの価値のあるスピードが出る。乗せてもらってても安心感がある。僕のクルマは80km位でもかなり怖い感じがする。入社に関する書類作成を急いだ。本日の4時半までに郵便局に持参しないと回収の車には乗らない。保証人を依頼した近所の友人はゴルフの最中。ゴルフの後の入浴を切り上げてもらい自宅に帰ってもらいサイン。無事時間通りに書類を投函できた。そして24日にお祝いの宴を催すのが決まった。ありがたい話ではないか!今日の音楽は再び小澤征爾のブラームス1番。今日はハイレゾだ。オーケストラ(サイトウキネン)の編成人数だけ音数が聞こえる解像度だ。しかしショウルームで聴いたような響きがない。もちろんオーディオは古い、天井も低い。響きは床の絨毯を取ればある程度解決できるのではないかと踏んでいるが、寒いのでどうしようもないのだ(高知の朝晩の気温は東京よりも低い時がある。日中はぐんと気温が上がり南国になるのですが)。もう一つ問題は、前線の影響で19時半ごろから急に雨脚が早くなり、トタン屋根のこの部屋は轟音に包まれることだ。
11月17日(木曜日)晴
歯の詰め物が外れ歯科医。その間に友人が柚子を収穫し帰っていった。友人は大阪の友人とよく似ていて、メールでやり取りがほとんどできないので、証拠が見つかれば行動の証とするしかない。僕にとってとても良い人だと言うのは共通だが、ITを使ったコミュニケーション不足だけが欠点。今日は玄関の手すりを塗装した、さびでボロボロ、新調しなければと、言われているが、ぐらぐらするまで使おうと決め込んでいる、しかしみっともないので塗装。日照時間が短くなり、どうも行動時間も短くなっている。今では午後3時半が来ると、片づけを始め、5時には風呂を焚く。水温も下がり、風呂を焚く時間も長くなった。今日の音楽はヘッドフォンの延長ケーブルを使って、風呂の中でキース・ジャレットの「マイ・フェバリット・ソング」を聴いた。ヘッドフォンは水蒸気でやられても良い安価なものを使った。窓を全開し冷気をいれて、熱いお湯に浸かりながらのヒアリング。時折り杜の音が侵入する。温度下降による竹が割れる音と笹の降る音。後、静寂。ドラムスはジャック・ディジョネット、ベースはゲイリー・ピーコックといつものトリオ。シンバルの音が実に気持ち良く伸びる。CDは2万ヘルツ以上の音が出てないので音楽の風味が損なわれていると評価するが、今の技術はそれ以上のものを全部盛り込んだ技術がカバーするので、初期のCDの音とは全く別物だ。このアルバムは2001年の録音だが発売は2007年だから、音質も良い。まぁこう言う時を「至福の時」と表現するでしょうね。その昔VHDでキース・ジャレットのスタンダード・ライブを持っていたが、機器の故障でディスクを捨ててしまった。DVDにでもダビングしておけばよかったと悔やまれる(壊れた時期とDVDの出現には3年ほど時間的な隙間があったのだ)
11月16日(水曜日)晴
雰囲気について
トランプ氏が大統領に当選したら突然株価が上がり、ドル高となった。トランプ氏が過激な発言を止めただけで、実務家らしい判断をするだろうと、相場が動いた。トランプ氏はまだ何もやってないのに。不思議なもんだ。BS日テレで五木ひろしと八代亜紀が司会をする「世紀の競演」が放映された。秋川雅史が井上陽水の「心もよう」を声量豊かに歌った。確かにそんな歌い方もあるのかな?と思った。だが、フォークソングである。早口の場面で声量豊かに歌うにはチト無理がある。やっぱりもっと起伏のある歌いかた方がこの歌には合っているような気がするし、井上陽水のイメージが強すぎる歌は選曲としてもベストじゃないではないか?NASから、ネットワークプレーヤーへの配線を普通のLANケーブルからエレコムのCAT7(LD-TWSST\1837)に変更した。いわゆるカテゴリー7のケーブルですね。結果すごい余韻が出て来た。ユンディ・リーのベートーベンピアノ協奏曲3番を演奏すると、弦の音がリアルに聞こえて、あれぇこんな音もあったのか!と新発見。この曲はテクニクスショウルームでさんざん聴き込んだはずだが。ハイレゾの魅力ここにありだ。欲を出して、サンワのKB-T7ME(同じカテゴリー7\2338)に変更したら、低域は良くなったが。高域の雰囲気は消えた(こちらが高いケーブルですが)。最後にブラームス交響曲2番をカルロス・クライバー指揮ウィーンフィルLD盤鑑賞。クラーバーの指揮棒が大きく振れるとウィーンフィルがダイナミックに踊った。静かな場面では笑顔だけで指揮し、左手の小指と薬指だけでも指揮している。まるで職人技。ウィーンフィルの面々は空気を読んで演奏している。ブラームスでこれほど躍動感にあふれた演奏は聞いた事がない。以上夕刻の楽しい音楽タイムでした。母の見舞い。依然として会話なし。今日は食事を全部食べたとのこと(職員さんの話し)。前回訪問時よりも明るい兆し。ここで延命させてもらっている。(感謝)帰り着くと友人から柚子を収穫しろと依頼あり。木の周りをかたずけて取り掛かったが半分しかできなかったとメールする。友人は簡単にできる筈だとメールの返信。
11月15日(火曜日)どんよりとした晴
この部屋から、別荘までは駐車場を挟んで5m位。この部屋にWiFiのルーターがある。だが別荘ではインターネットが受信できない。受信機のセッティングミスかと思いソフトも入れなおした。それでもダメだ。この部屋に重いPCを抱えて持ってくれば、回線は通じた。要は、受信機側の感度不足だ。そこで、本体からUSBケーブルを伸ばして窓際まで引っ張れば、受信状態45%で通信が可能となった。別荘はもう少し手を入れるだけで実現する。一旦休息。午後は旧トイレの扉にトタンを張って風雨に耐えるように改造した。夜、Berliner
Philharmonikerからのメールが届き開封すれば、1996年から2016年までのコンサートDVD20枚組セットの案内だった99ユーロー。送料が17ユーロー。合計15,000円相当なので注文してしまった。ベルリンから直接発送するとの回答が来た。ベルリンには何人か日本人が居るのか?もしくはベルリンと日本で仕事を分担しているのか不明。いずれにしても、日本語で購入できるのだ。メールさえあれば、人の行き来なしでビジネスが展開できる世の中だ。毎週火曜日は日経新聞の夕刊にCD紹介記事欄が掲載される。今日はエロール・ガーナーのJAZZが紹介された。iTunesmusicでチェックすればヒット。ピアノが生き生きしてエネルギーの塊のような感じの演奏だ。ROCKのような激しさもある。お酒のグラスを傾けながら聴けるような感じではない。昼間海を見ながら聴くほうが似合っていると思えた。先般購入したLDもまだ全部見てないのに、更にDVDが届くと、いつ寝ればよいのだろう?忙しくうれしくもある。することが山積して僕の憂鬱は解決する。
11月14日(月曜日)曇り後雨
今日は別荘の仕上げ以外格別なことをしてない。しかし一日があっと言う間に終わってしまった。先日の夕刻、食材を買いに自転車で出かけたところ、やけに、月が大きいなと思った。ヘリコプターも飛んできた。ヘリは先日入院の患者が疾走して以来結構多く飛来する。iPhone7plusを取り出しシャッターチャンスを狙ったのがこの写真。今日のニュースでスーパームーンの言葉を初めて知った。別件、昨日自堕落防止のことを書いたが、もう一つ上げることができる。読書だ。すらすらと読める本も必要だし、難解な本も必要だし、裏を取らなければならない本も必要だと言うのが持論。今日は3つめ裏を取る読書の話し(レベルの高い話ではない)。昨年9月以来iTunesmusicの契約をしていてる。一方、昔購入した書籍は雑誌も含めてほとんどPDF化したことは前に書いた。その昔のオーディオ雑誌(1975年ステレオ芸術11月号)を拾い読みしていると、レコード評論がある。いわゆる当時の名盤ですね。ところが、現在はこの名盤がiTunesmusicで検索すると簡単にヒットするのだ。当時の文章と音楽を聴いてなるほどと思うところが面白い。岡俊雄氏は結構テクニクスのファンで、小田急ショールーム時代には何回か講演を依頼したことがあった。基本的にはクラシックの評論家だ。この人が本紙で、バーンスタインのマーラー評を論じているページがあった。個々の演奏は光るのに「全体のまとまりがない」と。村上春樹と小澤征爾の対談の書籍(2011年11月刊行)でも、小澤さんがレニー(バーンスタイン)は、「デレクションがない」と論じている。面白い話ではないか。Mozartのコシファントッテ(1974年)も推奨だった。Karl
Böhm指揮ウインフィルの黄金コンビだ。これも、聴いた。すごい感動。昔を掘り起こすのもライフワークの一つだ。
11月13日(日曜日)晴
前の家がドンドンと片付き僕の別荘に変わってゆくのは楽しい。どうしてもワンパターンに陥るが仕方ないことだが、ここで新しい生活ができる刺激は、勇気が湧く。一人で生活し、無職で何もやることがないと、ついつい自堕落に陥ってしまう恐ろしさがある。そこで、(広大な屋敷の)自分の脚を踏み入れる場所はきちんと清掃して、食事もクックパッドできちんと自炊し、英語の勉強は1時間欠かさず取組むことを自分に課して凌いでいるのが現状。でもそれだけでは、持たなくなっている。野生動物が跋扈する夜は、どうしても寂しさのあまり、お酒に頼る傾向がある。そこで別荘の整備だった。やっぱり縛られて生活する仕事の復活が欠かせないと思った。久しぶりに履歴書を作成した。しばらくビジネス文章を書いてなかったので、2時間くらいすると飽きてきた。定型パターンをマイクロソフトの編集ソフトPublisherで作成したので、修正もこのソフトを使う。使い方の記憶が戻るまでに30分くらい要したし、これはあちこちから、オブジェクト(完成物)を引き込んできてページを構成するので、あちこちに分散したデーターがどこにあるのか探すのにも時間を要した。完成物は一日温存して明日見直し発送しよう。午後母の見舞い。いつものごとく返事がない。おしめを脱いで寝ていた。便も少し出ているし、履かすのもぐったりしているので難しい。係りの人を呼んで処理をしてもらった。ここに預かってもらって良かった。当初は10月10日まで預かってもらい、以降自宅介護の予定を老人ホーム介護に変更した。少し早すぎたかなと思ったが空き部屋のチャンスは逃したくなかった、10月末頃からは今の様にぐったりして眠り込んでいる。これでは自宅介護は無理。結論、僕の判断は20日早すぎた位だったかなと思った。後々母の介護のことで反省することもあろうが許される範囲だろうと自己弁護。帰りにプール。駐車場の前にひまわり畑があった。夕陽に向かって撮影すればいい雰囲気だが、あいにくとひまわりは夕陽を向いているので、西から東に向かっての撮影となった。背景にあるのがプールの名称。夜は「インディペンデンスデイ」を見た。エイリアンとの闘い。蔓のような手足しかないのに、なぜあんな精巧な宇宙船を組み立てられたのだろう?と突っ込みは置くとして、単純なエイリアンとの闘いなのに、5つくらいのストーリーが同時進行して最後に1つのストーリーに集結する。結末は推測できるのにこの筋を読むのは結構難解。2chだが音は迫力あり。スーパーウーハーがいい仕事をしている。50型のPDPで十分満足した。でもここで満足すると自身の成長(この年でまだ希望を持つのはおかしいかもしれないが)が止まるようで怖い。4K120型スクリーンにEOS5Dmk4の写真を写すのを目標にまい進しよう。
11月12日(土曜日)晴
朝食を終えて、ピーターバカラン氏のFMをiTunesに登録していたら友人が入って来た。ユーミンの宇宙図書館を下げていた。この前CDRでもらったが、あいにく音飛びがしたので、原盤を録音させてもらった。先日WOWOWでこのアルバムについてユーミンが解説していた。ユーミンも年取ったなと思ったのは、容姿の事ではなく、歌詞が人生の終端を謳っているのだ。演歌歌手ならそれでも良いが、ユーミンは僕にとって永遠の「勝気な都会のB型キャリアウーマン」像だ。それが、外れると少し幻滅する。ちびまる子ちゃんの様にいつまでも小学3年生でいてほしい。ボブディランは時代と共に歌が変化したのは許そう。ついでに言えばサザンも「湘南ボーイ」でいて欲しい。午後は前の家の改装に入った。やっぱりPCは必要なので、VISTAを1台持ち込んだ。大型サイズの書類が読み込めるスキャナーFUJITSU
ScanSnap SV600はもう一つの机を占拠した。テレビはおばあさんが使っていたCRT。これにシャープのDVDを接続。カメラ関係のラックは行き場がないので、この部屋で展開。結局何のことは無い今の部屋と違わない仕様となった。アイデンティティ不足。僕が寛げるのは、結局AVCの仲間だろうが(Cはコンピュータや、カメラを意味します)もう少し頭を捻ろう。ところで、考え事をするのに最適な場所が見つかった。風呂だ。水道から水で薄めないでしばらく待つと、湯温が次第に上がって来る(釜の下にオキが残っているため)。少し熱めのお湯になると、窓を全開すると寒気が吹き込んでくる。頭は冷たく首から下は熱く実に気持ちが良くなる。静寂。時折り杜の音が聞こえてくるだけ。のぼせるまで思索の時間がやって来る。
11月11日(金曜日)晴
歯のカバーが突然外れた。歯科医に電話をすれば午後3時半に可能だと言う。午後1時には近所の岡村家の人たちが集まって先祖様の社の立て替えの相談があるという。私的には今日から3日間晴れるので、除草剤を散布したい。この3つをかみ合わせて今日の計画が決まった。まずは除草剤。沖のハウスは、ほぼ草の全滅が確認できた。次世代の草の芽に決定打の除草剤を散布した。杉のような小さな葉を持つ草があるが、これは強靭。背中に背負う噴霧器ではなく、手持ちの霧吹きで五分の一の濃度の除草剤を吹き付けた。「社」は、風雨で壊れかけている。再建費用は30万円だが、御礼と懇親会で+10万円、合計40万円。岡村家は5軒なので8万円の負担となる。だが、金毘羅さんも見直しの時期だと合意された。まだ見積もりはないが、合計で10万円は軽く超えそう。話し合いは30分位で終わった。除草剤の散布の後、香美市の歯科医を訪問。ここは麻酔の腕が非常によく、口がしびれない。だが、大胆に歯を削るタイプみたいで、単なる詰め物の交換なのに、歯が減ってしまった。今後この歯科医で虫歯を見てもらうのかどうか思案のしどころ。夕食は噛むことができないので、牛肉のおじやとした。今年はおじやのお世話になることが多い。今晩の音楽は、小澤征爾+サイトウキネンオーケストラのブラームス交響曲1番。書籍に刺激を受けて再生した。世界で屈指の指揮者である小澤がこの音楽はこうして振ったと、超一流の村上春樹が文字にするので、この音楽の魅力が倍増するのは仕方のないこと。ブラームス交響曲1番はベートーベン交響曲10番だと小澤が言う。なるほど旨い事言う。ベートーベンの音楽はレゴブロックの様に、一つの音楽の塊を精密に積み重ねて、大きな山を作り上げる様式だが、ブラームスもよく似ているのだ。今日は買い物の時(自転車で)に一度聞いているので、夜は2度目だから、少しだけ足を踏み入れる。そうすると、この楽団を小澤さんが渾身の力を出し切って引っ張っているのが良く分かる。まるで自転車レースの様に先頭車の後ろにぴったりと仲間のレーサーがついているような感じだ。カーブで体を倒せば、後続車も同じ姿勢で追随するような感じ。終わると観客が「ブラボー」と叫んだ、その気持ちよくわかるぞ!
11月10日(木曜日)晴
♪涙で文字がにじんでいたらなら分かってください・・。因幡晃の「わかってください」朝はストーブが必要なのに、太陽が出ると途端に暑くなる。家の西側の竹垣を刈った後、ついでに、隣の畑にある巨木を切った。我が畑ではないが、いずれ貰える土地だ。のこぎりでは手に負える代物ではなくチェーンソーのお世話になった。指の負担は増すが、息を切らせてのこぎりを使うのとは疲労が違う。3時間で完全に伐採した。残るは笹だ。3m近い笹を刈るのは半端じゃない。電気式のバリカンで刈るか?草刈機で刈るか?いずれも体への負担が大きいが、今日はバリカンで一部を刈った。汗が滝のように流れ、目に染みる。涙もでる、汗と涙が混合して余計目が開けられなくなる。そこで、「わかってください」が突然想いだされた次第。母の寝室にAVルームを作ったが、台所が南からの光が入らなくなり暗くなった。しかし、この西の畑を刈りこむことで、西日が差し込むようになり、一気に明るさを挽回した。父は竹垣を高く刈っていたが、私は大変短くしたのでこうした恩恵がもたらされたのだ。家の中を覗かれて困るものは何もない開き直りもあった。もう一つ、前の家のものをドンドン運び出して空っぽにして誰かに貸そうと計画していたが、借りる人を見分けないととんでもないことになると、母の友人であるおばさん(先日鶏をくれた人)に教えられた。先日亡くなったたかしくんも、家賃を払わないまま亡くなったと噂があった。父がビニールハウスを「まさあきさん」に貸したことで返還に随分と苦労した。そんなことを考えると、この家は僕の書斎として使ったほうが良いのではと思うようになった。小澤征爾と村上春樹の対談集を読むと、むくむくと読書への意欲が湧いて来たのだ。今年の2月までは月に10冊以上を読んでいたが、3月以降はパタッと止まった。読まないで買った本が一杯ある(全部電子書籍に変換したので目にはつかないが)そうだ、この家は海が見えるし、夏は風がふきぬけて涼しい。今使っているAVCガチガチの部屋とは違った雰囲気の書斎を作ろうと思った。
11月9日(水曜日)晴
アンケートは当てにならない。イギリスでもアメリカでも同じ過ちを繰り返し予想が外れた。接戦どころの話ではない。大差でトランプ氏の勝利だ。すぐとはならないだろうが、今後我々は年金が減り、生活が苦しくなることを覚悟しなければならないだろう。シナリオはこうだ。アメリカの内向き政策で世界経済は冷え込む。一方中国はこことはばかり猛威を振るい、軍事的な脅威が一段と増し、日本は冷え込んだ経済に打撃の軍事費支出が重なる。これにより、国債の価値低下、株価低迷。株で運用している年金制度は壊滅的な打撃を受ける。母の見舞いに行く。今回も会話なし。介護士の情報では、食事を全部食べられなくなっている。食事をすると胃に血が回り、呼吸がしんどくなるのだ。自宅でもこのようなことが再々あったが、老人ホームでは、キチンとした姿勢で食べさせてくれたので、一時の間は回避することができた。いつ電話が来るかもしれないとの案内もあった。洗濯物を取って重い気分で帰宅した。とは言っても、母の世話はほとんど僕の手を離れているし、家の周りもおおかた片付いてきたので、冒頭のこともあり、仕事にでる時期に来ているのではないかと思った。仕事は、友人の勧めの通り、高知から離れないことだと思う。この半年、田畑の管理にどれだけ時間を要したか。除草剤の使い方を熟知してなかったとはいえ、それが分かっても相当な時間を費やすはずだ。それに、冠婚葬祭と近所との行事の付き合い。曜日に関係なく開催されるのでこれも外せない。結局高知に縛り付けられ抜け出せないのだ。理恵ちゃんの話しでは園芸組合(農協の下部組織)がITのできる人を探している張り紙が出てたよ、園芸組合の出荷を手伝うのもある(ここは女の人が多いのでうるさいけどね)とか、村内での仕事もあるらしい。
11月8日(火曜日)雨
天気予報通り夜中から雨が降り出した。外での作業はなく、しかも今朝は7時まで寝てしまった。睡眠に関して変化あり、ここ1週間ばかりは夜10時過ぎに寝ると、朝6時まで一直線。若かった時のような睡眠が訪れている。昨日の新聞と今朝の新聞を読みながらゆっくりと朝食。気になった、拾ってきたMDデッキは動作せず。スピーカーは片方の低域が断線。アンプのみ動作可能。さて、これはどう利用しようか?もう一つ気になったiPhone7Pulusのカメラ機能の評価。海岸へ出て風景の撮影。コカ・コーラーの自販機の撮影。夕暮れ時、庭のタヌキの陶器撮影。これらを初代iPhone。iPod
touch。iPhone6Pulus。参考にEOS20Dと比べた。まずiPhone1は192万画素で比較にならず。曇り空だったが、まだ明るいうちは、3機種は画素数の違いがあるのに、ほとんどそん色のない写真となる。しかし、色合いや露出は随分違う。写真の風味と言う点ではやっぱりというか当然というかEOSに軍配が上がる。EOS20Dは随分と古いカメラで800万画素しかないが、24-105㎜F4のLレンズが踏ん張った。iPhone7と6は明るさの設定が違い、くっきり明るいのは7だ。それが写真の風味を減じているのは仕方ない事だろう。夕刻17:30.曇り空で随分と暗い。タヌキの置物を撮影した。EOS20DはISO1600設定でやっと手ブレが止まった。iPhoneは自動。暗いシーンの写真は機種ごとに全く違った。新しい程ノイズが少なく明るい。EOSもここではくっきり度においてiPhone7Pulusの後塵を拝した。デジタルの進化は間違いなく目に見えて進化することを確認した。写真として残すにはやっぱり一眼カメラは存在感を示したと言うのも面白いところだ。日常の記録カメラとしてiPhone7Pulusは十分以上の能力があると確信した。<上=EOS20D 下=iPhone7Pulus>
11月7日(月曜日)晴
朝一から垣根の竹刈りに着手。竹垣は家に近づくにしたがって短くカットした。これで台所に西日が差すようになり明るくなった。屋根に覆いかぶさっていた竹も取り除き、トイに詰まった笹を取り除いた。ついでに隣の畑に生えた笹も1mの幅で刈りこんだ。いつかは全伐採して更地としもらい受けようと思う。ここに見晴らし台を置けばかなりいい風景となり酒が飲めそうだ。芸西村は11時半にお昼の知らせが鳴る。これを機に作業を止めて軽く昼食を摂ってiPhoneの交換に出かけた。7Pulusのジェットブラック256G。116,000円。今の6Pulusで何か問題があるわけでもないが、カメラ機能にすごい興味があったからだ。icloudで難なく旧からの移行は簡単にできたが、登録辞書だけが移らない。ネットでも苦情が出ていた。しばらくまとう。午後は予定を変更してAVシステムの完成と、風呂と夕食の準備を1時間早めた。友人が来て、風呂に入り夕飯を食って音楽談義をすることになったのだ。母屋に移したAV機器は電源の極性を合わすため結構時間を食ったが、無事完成した。フロント2chスピーカーだが、3wayマルチチャンネルアンプシステムで、クロスオーバーは800hzと2.5khzに設定してある。クロスオーバーネットワークはテクニクスSH-D1000×2台。パワーアンプは低域にSU-A5MK2。中高域はSA-DX930(ディスクリート6chアンプの内4chを使用)スーパーウーハーにはヤマハYST-SW1000。プリはSU-A200。基本的にはオーディオシステムだ。パワーアンプはもう少しグレードが高いものも所有るが、SH-D1000からDCが流れアンプを飛ばしたことがあり、高級なアンプは使えない事情がある。今日は「あなたが聞きたい歌の4時間スペシャル」を視聴。歌の合間に、この頃は何をしていたのか話し合った(主に昭和50年代)。すごく充実した時間だった。もう一人呼んで徹底的にやらないかんと結論を得た。友人が帰った後、iPhoneの研究を行った。ホームボタンになんとなく違和感あり、siriに行ってしまう。感触を最大の3に設定したがそれでも変だ。AppleMusicを受信した。内臓スピーカーはステレオになり、音質向上が図られたとあったが確かに凄い。こんな小さな筐体で結構いい音が聞ける。その上、iTunesmusicもFor
Youのページの充実が凄く、お薦め番組がJAZZ クラシック ROCKと案内され、そこに入ると、更に深く紹介がある。お酒を飲んだ後で眠かったが、真剣に聞き始め1時間くらい過ごしてしまった。ヘッドフォンジャックの無くなったイヤフォンの音は少し拍子抜けする。こちらはお勧めでない。速度の体感度は不明。もっと古いバージョンでなければ難しいのではと思った。写真機能は実に便利だ。icloud共有は、iPadで新聞記事の切り抜きも、いつの間にかiPhoneに来ている。月額130円で50GBの容量が増やせるicloudは実に便利だ。残すチェックは写真機能だ。2レンズによる写真は、デジカメの機能を超えたもの。(いずれ4レンズによる機能を装備するので、これでデジカメは完全に終結を迎える筈だ)あすは写真の撮り比べに挑戦だ。
11月6日(日曜日)晴
♪垣根の垣根の曲がり角たき火だたき火だ嬉しいな、「たき火」。今日は北風が吹き寒かった。我が家の垣根は長く曲がり角まで至らず今日も途中で作業を終えた。垣根を刈った残骸は、枯れるとたき火にするつもり。12月になればこのたき火でおいしい焼き芋が食べられると思う。昼時間、粗大ごみを出しに行くと、オンキョウのミニコンポが捨ててあった。MDプレーヤーがあった。MDは何とか手に入れたい機器だ。90年代の録音済み音楽ディスクが200枚近く残っている。取り敢えずアンプも含め一式持ち帰った。動かなければまた持参すればよいとここのおじさんが言う。午後は母の見舞い。今日は調子が悪いらしく、話しかけても返事がない。寝入っているようだった。母を苦しめている原因は、基本的な腎臓疾患ではなく、透析が原因の心臓の弁に石灰が固着し、それによりポンプ機能が低下し、肺に水が溜まる。この水がだんだんと肺を浸食している。つまり溺れかかりの状態にある。もう何ともしようのない状態なのだ。それを知っているだけに、覚醒していても、話もしたくないのは、なんとなくわかるような気がする。面倒で頭を使いたくないのかもしれない。瞼が重く目が開かないとかかもしれない。再び重い気持ちで退散。帰りにMAC(ドラッグストア)によれば、チリのスパークリングワインがあった。870円。記念でもなんでもないが飲まずにいられない気分だったのでGET。夕食は鳥の胸肉の料理。クックパッドの指南。料理とワインがぴったりだった。驚きの組み合わせでソムリエのセンスがあるのではないかと誤解する。今夜の音楽は「菊池桃子ファーストライブ」曲間に桃子が話をしているときファンがわめき、おしゃべりが聞き取れないほど。歌も踊りも下手。よくぞ7800円(LDディスク代)も出費したものだ。見ていると、松田聖子に髪型もよく似ている。顔もそういえば似ているかな?だが、歌唱力は雲泥の差があった。年は6歳も違うがデビューは4年違い。FM変調のLD音声なので、今一つ音の切れは良くないが、ナローレンジでまとまった音で聴きやすい(パイオニアの音作りかな?)。ヒット曲がないだけに、だらだらと見続けていられる。まぁそんな面で合格のディスク。
11月5日(土曜日)晴
昨日友人が訪ねて来たので、チャンスとばかり、離れのオーディオ機器を母屋に移した。離れの家ではスクリーンサイズが100インチしか確保できないからだ。どうしても120インチは必要だ。これには母屋しかない。重量物は終えたが、小物の補充をしなければならない。居間のTVも移動したので、居間には母の寝ていた部屋にあったブラウン管のTVを持ってきた。BDレコーダーからD端子ケーブルで接続。ブラウン管TVは動画遅れがなく、漆黒も十分なので、サイズが小さくてもなかなかの映像を出してくれる。昔に回帰していくのはいいぞ。「原理主義」が世界の各地で芽生えているが、60過ぎのおっさんは、この考0の歌に、♪ツタの絡まるチャペルで~♪がある。このツタが絡まるのは大変。草刈りでも難題だったが、垣根にツタが絡まっていると、なかなか刈れないし、高所作業なので足場が不安定で力任せに電動カッターを振り回すことができない。歌ではロマンチックだが、手入れする人にとっては極めて嫌な言葉と思うに至った。こちらも中途半端で終えた。夕食の買い物に出かけた。昨晩は豪華だったので今晩は質素にサラダで行こう。スーパーマーケットで同級生2人で出くわした。昔から美人のさっちゃんは美人のまま年を重ねている。近所のりえちゃんは話好き。話題は母の介護。この中で、一番有利なポジションにいるのはりえちゃん。まだ母がしっかりしている。その母が言う「今が一番幸せ」旦那さんが亡くなり、「自由にできるので」が理由。親類や知人の奥さんを見ていると、旦那さんが亡くなるとほっとしている。介護は幸せそうな家庭も簡単にむしばんでしまうのだ。さっちゃんは、母がボケて施設に入れているが、だんだんとわからなくなってきている。と3回も繰り返した。美人だけに哀しいなと思った。今晩の音楽は予定を変更してエリック・クラプトンの最新アルバムを聴いている。「LIVE
IN SAN DIEGO」。毎週欠かさず聞くピーター・バラカン氏のFM放送で紹介があったアルバム。僕の好みと波長のあうピーター氏の推奨はほぼ間違いがない。2007年のライブで、このツアーはどこの会場のライブも非常に良かったとの評価。サンディエゴだけではもったいないと説明していた。昔名古屋営業所に、クラプトン命の女性が居た(当時、音楽堂(レコード店)の店主とこの人しか音楽談義する人が居なかった)。どれが一番お薦めかと何回か聞いた事がある。その都度お薦め盤は違って、僕は何枚か買ったがついて行けなかった(小泉今日子とか、他にも買うレコードがあったから)。彼女の言葉は今だから解る。クラプトンはどれも良い。
11月4日(金曜日)晴
今日は良い日だった
両親の残した遺産は偉大だ。母にものすごく世話になったと言うおばさんが訪ねて来てくれた。様子はどうかね?いいタイミングで老人ホームが見つかったので、入居してもらった。と伝えた。それは良かったとねぎらってくれた。「お母さんに食べてもらいたい鶏肉があるので、取りにきいや。おらいでもえいわよ」と言う事情で、鶏肉を貰いに伺った。3羽分の肉がビニールで包装されてあった。ついでにネギも一束貰った。今ネギは高くて僕の両手でつかむほどのネギの束は1000円程の量がある。両親の遺産は莫大だと思ったね。そこで、僕は食べきれない程の鶏肉を美味しくいただこうと、おじさん所に訪問した。こちらの奥さんの料理は一級で、近所の多くのひとが、珍しいものが手に入ると持参して料理をしてもらっている。都会で言えば、魚釣りが魚を釣ると、行きつけの居酒屋に持ち込んで料ってもらうのと同じ感覚ですね。この鶏肉はすき焼きにしていただいた。鳥の風味が口中に広がり、懐かしい地鶏の味がした。この味は、宮崎で食べた地鶏を思い出した。昔の鳥はこんな味がしていた。お返しがちょっと思いつかない程の美味。ビールを飲んでいたが、日本酒があると聞いたので、それに切り替えた。したたか飲んで帰った。ダウンを着て行ったが寒くて震えた。帰り着いて、凍えた体で風呂に飛び込むとやばいと思い、自分の部屋で音楽を聴きながら少し体を温めた。何と気がつけば2時間ほど眠っていた。風呂に飛び込んだ。あふれるぬるま湯に入り、腰からじわじわと熱いお湯が昇って来るのを楽しんだ。
11月3日(木曜日)晴
一日の締めくくりはJAZZ
毎月3日は父の命日。墓掃除と花としきびの献花を行っている。しかし、今日は除草剤の効果もあり、草の方はほぼ収まったので、花としきびを差し替えるだけで良かった。一方、墓に行く道は相次ぐ雨風の影響で竹が道をふさいでいた。繁殖旺盛な竹がこの世の春を謳歌するように支配している。竹は春先にタケノコがでる時に繁殖があると思っていたが、春夏秋とタケノコは出没し、大きな林に拍車をかけるのだ。のこぎりで切って切って切りまくった。道が明るくなると、今度はドングリの大木が支配している層が現れた。今年はドングリが不作でクマが人里に出没するというが、こちらのドングリは豊作だ。この大木を2本カットした。梅の木の解体で覚えた伐採方法で対処した。これで、墓に行く道は2本のルートが完璧に開けた。午前中を要した。午後は、喪中のはがき作成。プリンターの調子が悪く、午後だけで完了しない。そこへ友人が玉ねぎの苗が余っているので取りに来いと電話。農業は金輪際しないと決めていたが、友人の好意は断れなく、しぶしぶもらい受ける。風呂の薪は湿っていて思ったように燃えておらず、ぬるめの風呂に入った。入浴後やっとはがきが完成した。今日は、妙に中途半端な感じの一日。午後8時、今日の締めくくりに、東京JAZZ2016Vol.3を見ながら酒を飲んだ。JAZZだが日本酒を呑んだ。燃えなかった一日とは言え、結構体を使った疲労から酒が甘かった。村上春樹はJAZZとクラシックはどちらに優劣をつけることは出来ないという。同感だ。だが、夜はJAZZですね。これを見た後、自分の部屋に帰り、ポータブルのCDとDVDプレーヤーでHeruey
Manson Trio(2003年SJ賞)のCDを聞く。音質はやっぱり専用のポータブルCDプレーヤ(SL-CT830)に一日の長がありますね。ヘッドフォンアンプはDENON(DA10)ヘッドフォンはゼンハイザー(HD598)を使った。ヘッドフォンをソニー(XBA30)に変更すると、高域がさらにすっきりするが、低音の豊かさと、中音のふくらみが少なくなったので、インナーフォンの限界かなと思った。
11月2日(水曜日)晴
新たに見つかった畑6枚の最後2枚を刈り上げ完了。もう草刈機を使うことはない筈だ。これからは、除草剤で対処できる筈だ。除草剤だと、全ての田畑に散布しても、午前中と午後の早い時間に終えるだろう。草刈りの様に何日も要することはない。ただし、草の状況を絶えずチェックしてまめに散布することが求められる。除草剤はコーナンで9980円だが、アマゾンだと9500円で購入できる。除草剤の話しついでに昨日のイノシシの件について。昨晩仕掛けたウインナーは全て食べていた。釘入りは1本のみ、2本はきちんと釘だけを残してあった。薬剤や洗剤は効果なかったらしい。また釘は、大工さんによると、牛なんかも釘を食べて平気だから効果がないかもしれないとのアドバイスを受けた。そこで、今日は除草剤を使うことにした。通常は100倍に薄めて使う除草剤も原液で使用すれば、竹や、大きな木を枯らすことが可能。これをイノシシに使うことにした。味が不明なので、砂糖と植物油を一緒に混ぜた。もちろんウインナーに釘も入れた。門まで来訪があるわけで、超大型のイノシシは極めて危険だ。除草剤がいい仕事をしてくれることを祈る。今朝はストーブを焚くほどの冷え込みで、自己弁護じゃないが、母を老人ホームに入れて本当に良かったと思った。この気温の変化は半端じゃない。父が、歩けなくなって、田畑の草刈りを頼んでいた「たかしくん」が人知れずの間に自宅で亡くなっていた。僕と年が違わない。ここ数カ月急に老け込んでいた様子で、挨拶も声じゃなくて、頭を下げる程度しかできなかったのだ。弱っているからだにこの寒暖がとどめを刺したのだろう。老人ホームで母は暑いのかパンツを脱いで寝ていた(いつものことだが)でも、こんなことができるほど、このホームの気温は一定だから安心だ。心臓が崖っぷちの状況にあり、ここで寿命を延ばしてもらっている。ありがたいことだ。たかしくんのことを話したが認識できなかった。自分が死ぬかもしれないと話が混同している。他は「何をいいよるか分からん」。百田尚樹の「永遠のゼロ」であれだけ生に固執していた「宮部久蔵」が、自分で死を選んだのは一体何が原因だったのか?もちろん描かれてないが、自分の身の回りで死が日常的に存在すると、閉塞感の中で人間は変わるのではないかと思えるようになった。僕の周りには、それだけ多くの死と老化が蔓延してて閉塞感がある。
11月1日(火曜日)晴
夜中は大雨。9月からずっと雨が続いているような気がする。高知は晴天が多いのに、この天候は何だ?今日のようにきっぱりと晴れるのは久しぶりの感じがする。畑もぬかるみ草刈りを中断。午前中は書類の整理。午後は、煙突の追加。冬が来る前に、暖かいお風呂を楽しみたいと、今日は煙突を延長した。従来の煙突にステンレスのパイプを1m位継ぎ足して、火の登りを改善するのが目的だ。だが、ステンレスの板を120㎜以下に丸めて、今までの煙突に挿入する作業は至難の業だった。なかなか丸めるのが難しいのだ。地表で丸めて行ったが、屋根の上ではひもが緩み、結局丸めるのは屋根の上の作業となった。もう風が冷たく吹きさらしの屋根の上でシャツ一枚は結構冷えた。2時間を要してやっと完成した。釜から炎が抜けやすくなれば、薪への点火が楽になり風呂が早く沸くというわけだ。180リットル近くのお湯を沸かすには、50分位を要しているからだ。だが浴槽一杯のお湯を沸かすと、風呂の中に潜れるのだ。これは実に気持ちの良い入浴だ。次に小屋のトイ掛け。トイが外れたままもう何年も放置したままなので、雨のしずくが足元のトタンを濡らし、結局は腐らしてしまい、トタン外壁の下は腐り穴が空いていた。それで、トイを元に戻すことにした。こちらも、トイ受けが腐ったり曲がったりでなかなかうまくいかない。キリや木ねじの総動員で何とか復帰。そしてだんだんとToDoリストが消されてゆく。大事業が一つ残っている。他人の畑だが、我が家に隣接し竹が生い茂っている。この笹が我が家の屋根に降り注くのだ。それでトイが詰まり、家を腐らせる。この竹の伐採。切るのは大変な作業なので、少し突破口を作り、そこからは除草剤で対処しようと考えているが、計画通り行くか不明。追加となった項目にはイノシシ対策がある。今朝家の周りを点検すると、門の5m近くまでイノシシの進出があった(地面を掘ってミミズを探した後がある)足跡は大きく、これに遭遇すればひとたまりもない。そこで、私なりの対策を実施することにした。ウインナー(350円)を購入し、3個には釘を入れ、1個には重曹を挟み、1個には食器洗濯洗剤を挟み、1個にはニトロを6個挟んだ。これを、べニアの板の上にのせて、砂糖でまぶした。食べてくれるとたぶんイノシシの退治はできる筈だ。
10月31日(月曜日)晴後曇り後雨
寒い、夜中に2度も起きて電気毛布の温度調節を上げた。急に冷え込んできた。この家は鉄骨でトタン屋根なので、夏は暑く冬は寒い。もうストーブにお世話になる日も近い。冬支度をしよう。今日は、お風呂の焚きつけ用に松の葉を集めた。木枯らしが吹き始めると、薪に簡単に火が点くようにしたいものだ。それで、松葉を大量に使うとこの作業が簡単になるのだ。海岸に行って拾うだけの作業だからここに書くにはいささか拍子抜けするくらいの作業だが、効果は絶大だ。次に、草刈り、寒くなるまでに終えてしまいたい。6枚の内、今日は4枚目を仕上げた。梅の木の伐採は本日完了。この梅の木の葉が隣の小屋の屋根に落ちて迷惑をかけてしまったので、高知の銘酒「土佐鶴」をもってお詫び。ついでに自分用に安芸の酒「安芸虎」を買った。この酒は、注意書きがあり、生酒で発行しているため、栓が飛ぶ可能性があり、開け方について結構詳しい説明書が添付されている。味は、辛口のその上を行くタイプ。口の中で舌がしびれる。刺身に最適だが、今日は食事と入浴の後、映画を見ながら酒だけを飲んだ。「インター・ステラー」地球の人類を救うために、人間が棲むことのできる星を見つける探索に出かけるクーパーと、聡明な娘のマーフとの絆を描いた物語と、ブラックホールを通り抜ける宇宙探査の冒険を描いた物語が交差して、最後にこの2つの物語が結びつく結構壮大な構想で成り立っている。物語の後半に、宇宙へ放り出されたクーパーが5次元の世界で娘にメッセージを送るシーンが何とも孤独で息苦しく、鬱気味の私には耐えられなかった。夜は、映画よりを楽しむより音楽にしようと思った。
10月30日(日曜日)晴
畑の草刈り3枚目を終えた。後3枚。棚田の写真は人気があるが、私が今刈っているのは、まさに棚田だ。棚田は田舎暮らしには必須のアイテム。都会から眺める棚田は、ただただ、美観で、コメが収穫できる。良い点だけが映るが、現実は畑の半分は岸から水が湧いてくるのでぬかるんで管理するにも大変な労力が必要だし、小さな耕作地を耕すには、大型耕運機が入れず、牛の力をかりなきゃ難しい。と言うことで、棚田が錆びれるのは、単に農家の高齢化だけではなく、周りの環境(牛を飼ってないとか、小さな耕運機がない)の変化もある。僕としては、ここに草が生えないように管理するだけだ。午後は母の見舞い。今日は熟睡してて声をかけても反応がない。時々、「おばあちゃん助けて」を弱々しく言う。息をするのも苦しいのが伝わって来る。4日に一度の見舞いは、今後3日に変更すべきだと思った。重い気分で退散。今日は誰とも話してない。孤独な一日だった。孤独ついでにオーストラリアを駱駝と縦断したロビン・デビットソンの手記に基づく映画を見た「奇跡の2000マイル」ロビンは相当変わった人なので、変人には自信がある私としては、この映画に大いに共感した。映画の興行成績が振るわなかったのは、淡々と砂漠を旅するだけの映像が多いからだ。アクシデントも戦いも何もない。ただ自然の厳しさに立ち向かうだけだ。厳しさも強い太陽がメインだ。だが、私は、この抑揚にかける自然との闘いに、孤独について共感したし、日々変化のない旅の忍耐もよかった。つまり、この映画ほどじゃないが、僕の生活もまた、孤独と忍耐の日々だからだ。主演のロビン演じるミア・ワシコウスカはいい演技をしたし、そこそこの美形だが、グーグルで検索した実在の人物であるロビンの方がもっと美人だったのには驚きだ。(普通は実在の人物よりも映画スターの方が美人が多いので)
10月29日(土曜日)晴
昨日の様な気分になると恐ろしいから、今日は体を動かして鬱を払拭しようと思う。まずはここ数日晴天が続くようなので除草剤の散布。草刈りを終えたすべての田畑すべてに散布した。草刈りを終えた田畑は苦節6ヵ月を要し一応除草剤で管理できるレベルに入った。半日あれば散布が可能なことも分かった。昼食は友人を誘ってカレー。海の見えるレストランで。海が輝いてこれ以上はない絶景が広がっている。午後は草刈り。新たに発見した6枚の内、2枚は終えたが、3枚目は広く、しかもセイタカアワダチソウや柴が2mを超し、カズラが、岸一面を覆っているのでなかなか前に進まない。2/3刈り終えて今日は作業を終えた。確認のため写真に収めようとしたらカメラがない。探すと、家の門に放置したままだった。と言うことは、昨日は一日雨に降られていたのだ。これは防水カメラではない。もうだめかと電源を入れると動くではないか?陰乾した。このカメラはサムスン製。世界各地で出火の家電を販売しているサムスン製だが、このカメラは凄い。夜、昼のカレーがまだ腹に残っていて、夕食は軽め。お湯たっぷりの風呂で今日の疲れを癒した。北風が寒くなり、温まるお風呂は最高だ。何度も書くが、お風呂は水で薄めて少しぬるめにしても、しばらくすれば熱くなるから、「日石灯油のように芯からあったまる(古いか?)」。午後8時が来ればものすごい睡魔が襲ってくるのは、昼間の疲れもさることながら、このあふれる熱いお湯との戦いで随分と疲れているのが原因だと分かった。(とても良いことだ)今日は午後9時に役場から村内放送があった(めずらしい)。芸西病院から一人行方不明者が出た。通報を待つ旨の放送だ。怖い話だ。私の家は誰でもどこからでも侵入できるから、夜中にトイレに起きた時鉢合わせとなったらどうしよう?
10月28日(金曜日)雨
雨が来る前に、梅の木の伐採を進めた。後、1時間くらいで終えるところまできて、大雨となり作業は中断。服着替えて、書類の整理にとりかかるものの、静かになると妙にやる気が失せて、何だか全てがむなしくなってしまった。鬱の気分だ。何でこうなったのか不明。大事に手当てしないと長引くと大変。こんな時は、何もかもヤメテ楽しいことをするに限る。まずは風呂を沸かして気分を整えた。次に映画を見た。フィフス・エレメント。5番目の素子と言う意味。時の設定は西暦2214年で、車はタイヤがなく空を飛ぶのだが、「手動運転」だし、電話機は、FAXの子機のような大きなものでスマホのスの字も感じられないモノだ。1997年の作品。初代iPhoneは2007年6月(所有)だから、想像できなかったのだろう。宇宙を移動する飛行機に乗れなかった神父は、タイヤの格納庫に忍び込むとか大雑把な面もある。フランスの映画はどこかユーモアがある。そんな突っ込みを入れながら見てたら少し気分が晴れて来た。今日はほとんど何もしなかった割には眠くて、早々に寝てしまった。鬱は睡眠不足が原因だったろうか。
10月27日(木曜日)曇り
昨日の電話はお寺さんとは違い、村の役員だった。役員と言っても、1年の任期で住民のお世話をする人。村の広報誌を届けてくれた。前回は半年でこの役目を投げ出し、東京に行ったので、今回はあと半年分のお勤めをしているところ。今日の午後は、土砂加持大法要があるので、午前中に草刈りを行った。1年強手つかずの畑の草は猛威を振るい、なかなか先に進めない。20m進むのに燃料を3回補給した。指が痛くなり、これ以上はもう無理だと判断して止めた。次回は「歯」を交換して挑戦だ。さて土砂加持大法要とは、先祖の霊を祭る行事で、高野山の石を粉にして、先祖の墓に振りかけると供養になるとのこと。加持とは、仏教用語でお祭りをすると言う意味。県下のお坊さん16名が供養する崇高な行事。参加した人は、今年亡くなった人のいる家族。22名。16名はユニゾンでお経を唱える。日本のお寺は仏壇が多くあり、しかも畳敷きであり反響がすくなく、ユニゾンでも何とか聞こえる。一方西洋の教会は石造りの建物で反響が多く、ユニゾンだと反響しあってわからない。そこでハーモニー、和音が誕生した。こうして西洋は音楽が発展したが、東洋は必要がなかったので、そういう面の発展はなかった。そんなことを思いながら、この行事を見守った。友人はゴスペルだとはしゃいでいた。後で精進料理(と言っても、ただの高知の皿鉢料理)が出て来たので、会食しながらお坊さんに聞いた。何で16人?「お経にはそれぞれ役目があり、最低7つの仕事が必要だ。だから、同じ宗派の人たちが協力し合うのだ」。そしたら、お寺さんも(野島さん)よそへ応援に行くがかえ。「行くけんど、これとおなじことをするのではない、地区によって、祭る内容がそれぞれ違うきに」お経のキーは決まっているのか?「年寄りが多いと、キーは下げて唱える」なるほど。もっと聴きたいことがあったけど、住職は他の人たちの相手もしなければならず、席を外した。その後隣の人と酒を飲んだ。この人は、独身67才。母が病気で帰って来た。前に座る人は、長谷寄で同級生の家の近く。40年間の村のブランクを埋める話題が聞けた。もう少し待てば住職が帰って来るが友人が帰ろうと言うので従った。
10月26日(水曜日)晴
友人たちが高知に来ると言うので、出かけた。多分酒を飲むのだろうから、自転車で出かけた。昔は1時間だったが、今は1時間40分。途中で2度ほど寄り道したので1時間半の実力かな。帯屋町の「司」で食事。平日なのに、満席だった。その後高知の市内で散策も考えたが、母の病院に寄ることもあったし、明るいうちに帰りたい望もあって、そのまま退散した。寝ている母に調子はどうか?と尋ねると、「今さっき治った。病院へ行って薬を出してもらったので、よくなった」と言った。今日の頭は曇っているようだった。登録のない電話番号から電話があって、「どこにおる?」「家にはいない」と答えると「明日はおるかえ?」と聞くので「居る」と答えた。自分の名を名乗らないので、だれか不明。(芸西村の住民はだいたいこんな電話が多いので、相手は村の住民だとわかる)。帰宅の間中、誰なのかずっと考えた。たぶん、お寺さんだろう。と推測がついた。明日は土砂加持大法要が営まれるのだ。その為のお供え物を持参するのではないかと思うに至った。土砂加持とは先祖供養のことだ。一連の亡父の行事はこれをもって終わりとなる。法要の後は懇親会なので、友人のT君も招かれているらしいから、明日の晩は楽しめるかも知れない。のり弁を買ってナスを追加で炒めて粗末な夕食。だが、昨晩の東京JAZZの録画を再生し、ゴージャズな雰囲気を楽しみながら酒を飲んだ。音質、画質、演奏と3拍子揃った好演。早く120インチのスクリーンに移行して楽しみたいものだ。
10月25日(火曜日)晴
昨晩は、明日まとまった雨が降るとの予報だった。天候も一面黒い雲だった。フィールド・ワークを午前中に済ませ、整理は午後にと計画を立てた。まずは、西の畑下段を耕運機で耕す。昨日と一昨日にかけてイノシシが、ほとんどを耕してくれたので、これで、柴が耕運機に巻き付く心配もない。それに、イノシシが余りにも近くに出没するので少々危険でもあり、畑を耕すことでミミズが居なくなり、イノシシが来なくなるのを期待して、取り掛かった。その後、梅の木の伐採の続き。これは、意外と手ごわく、2時間を要しても完成しなかった。そして、この頃から晴天になり気温がぐんぐんと上がって来た。もう雨が降る気配はない。これでは、午後部屋の中は暑くて事務処理どころじゃない。丁度農協から電話があり、草刈機の修理が完成したとのこと。西谷の2枚の田は刈り終えたが、それだけでなく、近所の人によると、まだ4枚近くあるとこのと。草が山のように生い茂った畑がそうだというのだ。草刈機を担いで取り掛かった。山のような草にはなかなか歯が立たない。特に蔓状のバラの茎がてごわく悪戦苦闘して、まず1枚仕上げた。小さな面積だが燃料全部を使った。次の畑も小さいが、ここはぬかるんでいて、靴が膝まで入ってしまう。ほどほどにして、先に水を逃す溝を掘るべきだと思った。今日はここまでにして、次回に持ち越した。結局今日は一日フィールド・ワーク。疲れたので夕食は外食と決めていたが、朝食用の食パンを買いにスーパーに寄ると、ぶ厚い切身の太刀魚があり、急きょ外食は中止して自炊することにした。脂がのって大変うまかった。今日の音楽はローリングストーンズの“mono”モノーラル録音で初期もの。iTunes用に編集したとのことだが、ハイレゾの配信もある。音質は今一だが、音楽の躍動感があるとの評価。聞けばなるほどそうだ。ローリングストーンズの「芯」みたいなものが味わえるアルバムだ。当時(1963年)はまだモノラル全盛期で、こちらの方がミキシングテクニックも良く、現場に近い音が出ているとキース・リチャーズは言っている。CDアルバムは15枚組で、34,500円。買うのにはちと勇気が必要。裕福な友人に薦めてみよう。
10月24日(月曜日)晴天
午前中は資料整理。突然電話。病院から。電話を取るのにドキドキするが、内容は診断時間が早くなった旨の連絡。安堵のため息。作業を中断して、洗濯物をもって病院へ急いだ。2時間待った。最近待ち時間は苦にならない。実は、吉川英治の三国志をダウンロードしているからだ。この本は、少し読むだけで展開があり、次から次へとページをめくりたくなるので、2時間くらいはへっちゃらだ。心臓の先生の見立ては、だいぶ肺に水が溜まっていますね。右側の肺はもうすぐ天井まで水が届きそうだ。寝ても起きてもいられなくなる時が来ますよと、忠告を受けた。崖っぷちの状態とのこと。面談の後の帰りはいつも暗澹とした気分だ。どれを選んでも外れのないプレイヤーにクリフォード・ブラウンがいて、ヘレンメリルとの共演が有名だが、その他も秀作ぞろい。だが今日は妙にうるさい音に聞こえてしまった。帰り着いて、除草剤の散布。西の畑の下段は、イノシシが掘り返して、除草剤の必要は無くなった。根強い柴の株もすっかり覆してくれていて、これなら、もうトラクターで耕しても大丈夫だろうと判断したからだ。きまさごと、西の畑の上段に散布した。先日の散布では、柴には全く影響が及んでなかった。まぁ除草剤の処理に持ち込めたことは評価としよう。今夕はスティーブ・レイ・ボーンのロックコンサート楽しんだ。LDを28枚ヤフオクで購入したうちの一枚。なぜかこの所有者の選曲は僕の好みにぴったりだ。JAZZのLDに抱き合わせて購入させられたその他のジャンルは、聞くまではうさん臭さがあったが、再生すれば合格。こんな素晴らしいアルバムを何で一式手放したのだろう?まぁ送り主は東京在住だったので、場所の関係かなと推測。
10月23日(日曜日)曇り
前の家から、本棚の書類を移動させたら、PC関係の資料がまだまだ残っているのが発覚した。この分だと今週いっぱいかかりそうだ。昼からフィールド・ワークの時間で、小雨降りのため、ペンキ塗りはパス。庭木の伐採を行った。祖父、父、母が植えた庭木は、僕の手に負えなくなり、さらには屋根に大量の落ち葉をまき散らし、屋根とトイを腐食させようとしている。母屋の庭木に次いで、今日は駐車場前の庭木に着手。3時間半の格闘で、少しめどがついた。もう2時間の格闘で完了する予定。単なる伐採だと短時間で可能だが、伐採した枝を処分するために、細かく切り刻んでいるから時間を要するのだ。友人からお酒が届いた。今晩は酒盛りだ。それで献立は酒に合う肉とした。スーパーには丁度鳥の肝が並んでいた。圧力鍋で軽く塩を振るだけで頂ける。今日は、塩の代わりに沢庵を使った。だし汁は先日鯛を調理したときのアラを煮込んで取ったものだ。なんだか今日の為に準備していたようだが偶然だ。野菜は取れ立ての蕪の新芽とさや豆を卵とじ。献立が鳥に傾きがちだが我慢しよう。かなり薄めに作った料理は、辛口のウィスキーにぴったりだった。もう一杯のところを我慢して終わり!酔い覚ましは、ボリウッドのミュージックビデオ鑑賞。インドの音楽はメロディーラインがしっかりしていて耳馴染みが良い。12億人の中から厳選した人達なので男も女も美形。頭を空にしていつまでも見続けていられる。一日の終わりには最適。でもそうとばかりしておられない。今日の汗を流さないと。重いからだを持ち上げて風呂に行った。
10月22日(土曜日)雨
離れの家から更に残っていたAVC関係を、母の寝室に持ち込んだ。配線も整えて非の打ち所がないようにした。すると、正面のふすまの汚れが気になる。Webで調べると、どうやらふすまは自分で張替えができるようだ。いろんなことが終われば挑戦してみよう。音の調整はMichael
JacksonのThis is ITで行った。音量が不足しているが、スピーカー、アンプの限界だ。TVとの距離を縮めて少し解消。清掃を行って母の見舞いに出かけた。今日は調子が悪く、何を話しかけても、「何でも構わん、なま(刺身の事)でもよい」これしか返事がない。しばらく様子を見ていると、「おばあちゃん助けて」余程、祖母は娘をかわいがったのだろう。父は養子に来て相当苦労したと今更ながら思いをはせる。汚れた洗濯物をもって退出した。月曜日は循環器内科の診断があるので再び訪問する予定。帰りにツタヤで雑誌。ダイレックスでBD購入。最後に温泉とプールのあるながおか温泉へ。着替えていると、プールは効果があるか?とおじいさん(僕もおじいさんンの部類だが、もっと高齢者)に聞かれた。そりゃもうと、僕。こんどやってみるか。とおじいさん。こうして、また一人寿命が長くなる。1km。最近はこれ以上無理みたい。日中の疲れが加算されるので家に帰り着く自信がなくなるのだ。今日は早々にダウン。
10月21日(金曜日)曇り
今にも雨が降るかな的天候。草刈機は修理で留守、除草剤を撒くには雨が心配だし、では今すべきことは?そう、屋内作業でAVの充実だ。船橋で使っていたAVがそっくり余っているので、これを母の寝室に持ち込むこととした。併せて、本棚も前の家から移動し、前の家の片づけが進むと同時に、もう一つのAVが完成した。PAL仕様のBDはソニー製BDP-S370。BDレコーダーはDMR-BW730。アンプはヤマハCA1000Ⅱ。TVはTH-P42GT3。インド、スリランカで大量の音楽DVDを購入した(インドではボリウッドのミュージックビデオ、スリランカではアメリカのロックが中心)。もちろん正規バージョン。ソフトがPAL仕様で、リージョンコードが5や3なのでBDはシンガポールで購入した。TVは国内のNTSC仕様でもPAL規格も内蔵している。ブラウン管時代はアナログ回路だったのでそうはいかなかったが、デジタルはむしろ全部規格を内蔵する方がコスト的に有利なためだ。今晩は事始めに、スリランカで購入したサンタナのライブを演奏した。ギターの鳴きと、情熱のリズムセクションが炸裂した。和室のAVは低域高域が吸い込まれるので、ラウドネスを強めに効かせた(可変できる)これが実に気持ちの良いサウンドとなり、時を忘れてしまった。もう一枚、ギターの対抗馬としてジェフ・ベックも演奏。こちらは、繊細で緻密なテクニックで、美人のベーシスト(タル・ウィルケンフェルド)と息の合った演奏だ。音のバランスも良い。近所とは離れているので夜でも最大音量で演奏できる。スピーカーはパナソニックSB-PF800で、もう少し高域に繊細さが欲しいが、迫力ある音は出ている。夜の楽しみがもう一つ広がった。
10月20日(木曜日)曇り
高知は深い
もう週末が近づいている。一日一日がごんごん進む。この貴重な時間無為に過ごせないと思うのは僕の性格。午前中はPCパーツの整理。今日で完。だが、まだまだ、離れには整理するものが残っている。進捗があったことだけが評価。午後は、きまさごの除草剤散布。先週の散布は柴に全く効果なし。毎週続ければいつかは枯れるだろうが僕の草対策。一応薬で片をつけられるレベルまで漕ぎつけたのを成果としよう。半年も要した。これらの地にはもう草刈機の出番はない筈だ。沖のハウス横の田も、除草剤で対応レベルまで落ちついてきたと今日確認。その後、道具小屋の屋根にペンキ塗り(南半分を完成)。ToDoリスト達成は10%位。午後4時に作業終了。一昨晩、観音様の懇親会で僕が日本酒の「美丈夫」を注文すると、もっとおいしいのがある言う。それは「文佳人」と「南」いずれも高知の酒だ。高知は「土佐鶴」だけかと思っていたが、そうではないらしい。それで、先日LPレコードを購入に出かけた時、丁度酒屋さんがあって、ここで尋ねると、上記2本が購入できた。そこの店主は、高知にはたくさん酒屋さんがあって、全部おいしいぞね。と言って、17酒造の蔵元の地図をくれた。まぼろしの名酒に白菊もあると言う。それっていつでも手に入るし、そんなに感激した覚えはないが。と僕。いやいやあれはなかなか手に入らん名酒ぞね。芸西にはいつでも売りゆうぜよ。それは響屋さんだけ。と店主。なるほど、灯台下暗しか。日本酒は、旨いがすぐに酔うので、最近はお猪口1杯味わうだけに止めている。先日の懇親会でコウジ氏(83才)と結構長い時間懇親した。コップについだ一杯の酒をちびりちびり口に含み、つまみも時々口にする。話し出すのにもしばらく時間がかかるのは、まるで高倉健が酒を飲むシーンに似ている。話の内容よりもそんな機会(場面)があってから、僕の日本酒に対する見方が大きく変わり、ぐぃっと飲むのから改めれば酔いも浅いのかな?と思ったのだ(余りにもミーハー的だが)。それで、上記の酒を今日は飲み比べた。「文佳人」は辛口で濃い。刺身に合いそう(残念ながら今日は「エバ」の煮つけだった)。「南」は少しとろり感がある。つまみは無くても良い。盛岡で紹介された酒に似ていた。いずれも土佐鶴とは違う味わいで、17蔵元制覇の冒険もありかな?と思わせる日だった。
<※南=玉の井>
10月19日(水曜日)曇り
今日の問題
大腸がんの検診日。役場で300円で行ってくれる。朝食抜きで行ったが、この日は説明だけ。がん検診は検便で検査する初歩的なもの。いつか、内視鏡検査を受けなければと思った、今回は繋ぎだ。午前中は、PCパーツの整理。午後、草刈り。実は昨晩、ここの長老に、我がきまさごの地は、僕が「草刈りをした畑」のみか?と聞けば、まだ4枚はあるとのこと。一年間手つかずの畑は草が生い茂り森になっている。ここと格闘するには大変な作業だ。今日はその内の1枚を刈り上げた。小さな面積(20坪くらい)だが、燃料1回分(約1時間)を全部消費した。草刈機も調子が悪く、今日の作業終了と共に修理に出した。その後、母の見舞い。今日は調子が悪そう。「こまったもんだ」の連発をしていた。話の前半分は正常だが、後半分は別の話しとなる。話しかけても会話が変な方向にすすむので、こちらが混乱する始末。今日は帰りたいとは言わない。自宅で看護すれば、母に体への負荷が今以上に増すので、入居を決めたが、もう実現はできないが後ろめたさはどうしても付きまとう。一生この問題をひきづったままだろう。高知に来たついでに、3kmほど足を延ばして中古LPレコード店に行った。ドボルザーク交響曲No.9「新世界」とチェロ協奏曲。併せて1500円。盤の状態は良い。No.9はジュリーニ+シカゴ響。まぁこれも一つの解釈だろうね的なNo.9の新世界。面白くはあるのだが、決して王道ではない解釈。ドボチェロは、ロストロ・ポーヴィチ+カラヤンで、定番だから、文句のつけようがない。1000円。今日の問題の2番目は、SL-1501が壊れた(高速回転し始めた)こと。檜和田さんに修理を頼むつもり。SL-1200Gは手が出ない。
10月18日(火曜日)晴
結構忙しい一日
夜中は大雨。今僕の家の屋根は改修中だが、青のビニールシートを張ってくれててよかった。朝からおじさん所のビニール張り。雨から一転、強い日差しでのどがカラカラ。鉄パイプの上を自由に行き来するのは、もう僕の年では難しいので、下で片付けなどの作業を受け持った。自作PCは今だと+のドライバーだけで組み上がる。昔の自作アンプは、穴をあけるにパンチなど特殊工具が必要だった。話がそれたが、今のビニールハウスも、トンカチも釘も必要ない。素手でビニールを止めることができる。だから、ビニールにも傷がつかないので強いままでいられる。農業振興でお金を借りるためのビニールハウスは風速50mに耐えられるハウスが条件とあるように、頑丈にできるのだ。このビニールは3年ほど張り替えなくても良い。昔は、毎年張り替えていた。ビニール張は多くの人が来てたので午前中に終わった。不要になったビニールは僕の家の倉庫で廃棄日まで保管することになった。昼からきまさごの残されていた畑の草刈り。その後、家の前の畑をトラクターで耕作。午後4時に切り上げ風呂を焚き入浴。冷房の効いた自分の部屋で汗を乾かし、5時45分に自転車で出かける。約10分の所にある魚屋さん。昨日の観音様の清掃の打ち上げ式。近所の人たち一行20人はバスで到着した。奥様も参加の派手やかなもの?午後9時半に僕は一人退散した。おじさん所のビニール張りの打ち上げ式があるからだ。この魚屋さんから100mの所におじさん宅はある。ここでは若者(と言っても40代)が議論していた。先ほどのグループは大体が悲観的な話だが、こちらのグループは積極的な話。生命保険会社の部長さんを退職して農業をしている人がいることもあり、話がビジネス的なのだ。僕は農業で生計を立てるわけでないので、議論も真剣にならなくてよい。話の要点は、農業も企業と同じような計画性がないとダメだと言う事だったように思う。皆が帰った後、おばさん一人では大変なので食器の後片付けをして退散したのが午後11時。帰ると、まだ風呂はチンチンに湧いていた。これだから薪の風呂はありがたい。
10月17日(月曜日)晴
想い出
夜中に豪雨。朝起きて国土交通省のレーダーの雨雲軌跡をみれば、午前2時半ごろがピーク。黄色マークレベルの雨。朝食後、ゴミ捨て、カッパ市でモロヘイヤと刺身用げそ、弁当購入。PCパーツの整理。PCパーツはWindows95の頃が一番多い。PCそのものは残ってないが、データーが残って行って、パーツ温存で、データーを取り出ししたい希望があり、パーツの取捨選択が必要なのだ。特にSCSI接続でMOディスクに貯めた日記の取り出しは必須。90年~00年までの記録が残っている。80年代は5インチフロッピーディスクで残っているが、書き込んだアプリケーションソフトが、ワードパーフェクトと言う特殊なソフトでこのソフトを立ち上げない限り、文字データーが取り出せない。こちらは、パーツの問題以上に深刻度が高いので半分あきらめている。まぁそんな、昔のことを思い出しながら、整理を行った。午後はこの部落の人たちが集まって観音様の掃除に行く。僕の家の横を上がっていくと考えていたら、全然違っていて、車で土佐カントリーを取り巻く山道をゆき、芸西村の「考える村(施設)」横を、4駆のトラックに乗り換えてさらに山の中に入ってゆくところだった。標高300mの通称「たこのやま」の頂上にある。昔ここへは、家から歩いて来た記憶があった。登り30分だが、下りは10分位だった(小学生の頃なので、飛ぶような速度だった)。クルマを使ってゆくと40分くらいかかる。それが終わると、きまさごの草刈り。間一髪で間に合った。と言うのは、もうススキが花を付ける直前なのだ。この実が飛び散ると、私の畑はまた柴が繁茂する。もう一つ、セイタカアワダチソウも花を付ける直前だったのだ。この2つを退治することで、来年は随分と草との格闘が楽になるはずだ。夜はデュークエリントン楽団のSophisticated
Lady(ソフィスティケート・レディ−)を見た。昔大阪のフェスティバルホールで生を見たことがある。ジャズの演奏に合わせて踊る。男女数人の構成。映画コーラス・ラインよりも過激な踊りが、気ままな曲運びのJAZZにぴったり合っている。ジャズだけでも素晴らしいのに、更に踊りと歌があり難易度高い。非常に贅沢なショー。アメリカのコットン・クラブで録画されている。東京は丸の内にあるコットン・クラブには行ったことがある。女の子と一緒だったので都会の雰囲気に浸ることができた。
<赤=観音様、青=自宅>
10月16日(日曜日)曇り
作業と癒し
今日は雨のはずだったが、天候は夕刻まで持った。午前中は前の家(シアタールーム)に保管したPCパーツの整理。この家に置いた僕の荷物を全部空にして、賃貸に出そうと思っている。友人たちを招いて楽しもうと考えてたが、現状だと農業をやらないままでも、忙しい日々を送っているから、そんな余裕がないようなのだ。これは11月を目途に終了したい。雨が来る前に小屋の西側の屋根を塗った。風呂の周りに、山からの湧水を取り出す溝を掘ったが、見苦しいので、U字溝を伏せて土で覆って元通りの更地とした。U字溝は山に行けば、いくらでも転がっている。これはずっと昔に灌漑水として村が大規模な設置を行ったが、山(自然)の勢力に負けて使わないまま使命を終えた。今では木がその間から伸びて破損している。それを頂いてきた。ToDoリストが少し減った。夕刻6時半には風呂から出て、自分の部屋にコモッタ。今日のLDはサラ・ヴォーン。LPはデイブ・ブルーベックカルテットと、スリマウスレコードの戸田重子。宝物箱からダイヤモンドを取り出すような感じで、音楽が光を放つ。この気持ちの良い音はどう表現すればよいのだろう。目の前で演奏しているみたいではありきたりだし、奥行きがわかるのは、理解できないだろう。脳内ホルモンが噴き出し麻薬のような陶酔感(酩酊感)が得られる、ではどうだろうか?そのためか、すぐに夢の中に行ってしまうのが残念だ。
10月15日(土曜日)晴天
今日のイベント
母の見舞いに行く。今日は透析の日で相当調子が悪い筈だが、着くと食事をしていて、しんどいがいつもの事なので、もういいゃせんがよ。と答えがあった。前回は、もう返事をするものおっこうな症状で、困った感想を持った。どうやら調子が回復したようだ。そして、回復と同時に帰りたいを連発しだした。それはわかるのだが、職員が口腔の清掃などもきちんとケアしてくれることを見ていると、老人ホームでお世話になることが延命治療だと思えた。自宅に連れて帰り、寒暖の差が激しい田舎家屋で寝起きし、僕の荒っぽい介護では逆に寿命と縮めるのではないか?自分の都合の良いように考えているフシもあるが、ここでのケアを見ていると、器用には自信のある僕でもとても追従できないと思った。僕にできる事は、洗濯を老人ホームに任せずに、持ち帰って自宅で洗う事だけだ。1回360円で任すこともできるが、せめてこれだけはしないと申し訳ない。それに太陽光で乾すのがいいだろう。帰りの道中ドラッグストアーMAC(パソコンも、コーヒーもマック)で生鮮食料品とビールを買った。ビールは、友人と今夕、芸西村のイベント「竹のあかりの宵」で飲むためだ。このイベントは、海岸に中をくりぬいた竹に蝋燭を立て、竹に開けた穴から蝋燭の光が漏れる幻想的な照明を楽しむのだ。それを背景に、JAZZ演奏、三線、ゴスペル、フォークソングとかなり毛色の違う人たちが演奏をする。観客は海に向かって座るため、まだ明るいうちは壮大な太平洋がバックに堪能し。暗くなれば、蝋燭の明かりがバック。天上には満月。友人はビールを飲んだが、僕はバーボンウイスキーを飲んだ。音楽を聴くのにビールは合わないと思うからだ。東京ブルーノートの食事込みコースでは1時間半で20,000円。ここで楽しめば酒とおつまみで2時間1,000円。少し冷たい風に吹かれて気分が良いし、写真は撮り放題。自宅までは10分のロケーション。椅子はコンクリートで固いが、歩き回り座っている時間は少ないので我慢できる。忘れるところだった、ここで使用した竹は、大きな竹が必要で、我が家の敷地から切り出した竹を使っている。
10月14日(金曜日)曇り
一長一短
身の回りの整理は大きな作業を終えたので、これからの作業は軽い筈だ。それで、午前中は、前の家にあるPC関係のパーツを整理して、その傍らで、昨日ノーベル賞の発表にあったボブ・ディアンのアルバムをiTunesMusicからダウンロードした。コレグのADコンバーターを通じてAIFFで記録した。元はAAC256kbpsなので、過剰品質の録音。不思議なのは、アットワークが自動付与される点だ。アナログ録音なので、1アルバムは1曲として録音するのだが、どのデーターを参照しているのか不明。午後は、便所のトタン、倉庫のトタンの補修とペンキ塗りを行った。トタンが赤さびてみっともない状態にあるし、穴も空きかけいる。ペンキ1缶680円でトタン3枚塗れる(多分1年位は持つ)。トタン1枚900円(多分10年間は大丈夫)。どっちが得なのかわからない。錆びたトタンは何カ所かあるので、日曜日までに塗って完成するつもりだ。ペンキはいろんな種類があり、10年間は大丈夫というのもある。色々試したい興味もあるが、1缶が5,000円もするので、今回はパスしよう。今夕もLDを見た。キッド・クレオール&ザ・ココナッツ。最初からノリノリの演奏。米米CLUBの元祖らしい。全編感動のライブだった。もう一枚は、BDレコーダーに切り替えて宇多田ヒカルの横浜アリーナライブを観た。こちらはハイビジョンで、精緻な映像で切れ込みが深いのだが、カメラワークが下手。カット割りしなくても良い部分で映像を切り替えるから見てて疲れる。製作者はこの映像を楽しむことができるだろうか?編集の凝りようをこれでもか、これでもかと自慢する撮影方法はもうそろそろ卒業しなくてはならない。宇多田ヒカルの芸術を棄損する。たかがJPOPだとなる。そんなひどい映像なのだ。キッド・クレオールのライブと比べると、若気の至りのような未熟さがある。それと、もう一つ、音質が良くない。レンジと帯域が狭く甘い音だ。まだ音への追い込みが出来てない中での評価だが、艶がないのだ。BDレコーダーとLDプレーヤは全く比較にならない重量で、やっぱり音に関しては物量のあるLDに軍配があるのかなと思った。こちらも、最新式が絶対に良いとは言いきれない点がある。うまくいかないものだ。
10月13日(木曜日)曇り後晴
自然の恵みと昔風
お風呂の焚きつけに松葉を使っている。紙を燃やすよりも、確実にしかも早く薪に火が燃え移る。松葉は、海岸沿いにごまんと転がっている。自転車道の縁は、誰かが清掃して、松葉を集めて積んでくれている。これをごそっと頂いて帰るわけで、何の造作も必要ない。お風呂はまさに自然の恵みで頂けるようになった。薪は今後5年間くらい使える量があるし無くなれば山に切り出しに行けばよい。一寸体力が必要だが、その頃にはたぶん何もしてないはずだから、午前中は薪に専念するとかができると思う。それさえもできなくなれば、太陽光温水器とガス給湯が有望。高知は強烈な太陽があり、エコキュート+太陽光発電の組み合わせよりも、エネルギー代が安価なはずだ。再々度購入したLDが届いた。今回で3代目。何とかうまく動いてほしい。前回よりも1万円高価な55,000円モノを購入した。今回はS端子よりも高画質なRGB出力で接続したが出画せず、説明書を読むとデジタルTVには不可能と書いてあった。今日はブルースのLDを見た。先日LDのJAZZ28枚組セット5,000円を購入したら、ほとんどがブルースで、JAZZは10枚くらいだった。画質チェックのために“BLUES ALIVE”を演奏した。ジョン・メイオールのバンドだ。時は1982年。この頃まだ照明は凝ってないが、引き込まれるすごい熱演だ。ブルースも悪くないどころか、僕の音楽気質に合っていると最後まで見てしまった。片面演奏のはずのパイオニアのDVL-H9は、実は両面演奏だったので、1面から2面への掛け替えが自動で行われる。10秒くらいで終了するので、頑張っているわけだ。回転方向が反対になるので、モーターは相当負荷がかかる。DVDやBDは反転の必要がなく連続演奏なので違和感があるだろうが、LPに慣れている身としては何ら問題がない。この昔風が良い。このアルバムでゲストのアルバート・キング(黒人)が濃厚なギター演奏をするが、時々そのギターを引き継ぐのはミック・テイラーでローリングストーンズからの応援者だ。これが、実に旨い。アルバート・キングもあんぐり口を開けてステージ上で眺めているのだ。こんな尾を引くような演奏がブルースだったのか?JAZZのピアノみたいな魅力があるなぁ。なんてことを思いながら見た。このアルバムはデジタル録音(昔の盤はFM変調)で、同軸信号でアンプのDAコンバーターに接続して聞くと、アナログ接続でベールをかぶっていたギターの霧が晴れる。テクニクスの昔のアンプSU-V100D内臓のDACがいい仕事をしている。そこで、もう一ランク上の音を目指して、パイオニアのAVアンプVSA-AX10iをヤフオクで入札した。11,000円。果たして落ちるのかな?このアンプはパイオニアのAVアンプが一躍有名になるLXシリーズの前のアンプだ。サラウンドの周りの充実よりも、アナログ回路の充実ぶりに評価がある。ヤマハのAVアンプにはZシリーズの名機もあるが、少し高価すぎる。パイオニアが落ちなければ検討。シアターシステムは別建てで本格化しようと思っているが、これはシアターの部屋で展開する予定。完成は4Kが出そろう2017年度。今回は、オーディオルームでLDに特化したAVと言うことで、ステレオ再生。でもここで満腹(挫折ではない)してしまうかも。
10月12日(水曜日)曇り後晴
2項目の進捗
いつも丁度いいころに、M氏は現れる。この春から金属物の回収でお世話になっている人だ。先日井戸のポンプを交換したが、古いタイプの処分に困っていたら、今日訪問があった。ついでに、懸案だった小屋の取り壊しも手伝ってもらい、トタンも持ち帰ってもらった。塩ビのパイプも処分できるという。と言うことで、前の駐車場が急に片付いた。50項目の片付けの内、一気に2項目進んだ。今日は除草剤の散布の予定だったが変更だ。朝から作業をしてたので、午後3時半には切り上げて、夕食の支度。朝カッパ市でフグを買っておいた。有名なトラフグではないが、味は似通っている。肝もついていた。鍋にして馬路の三杯酢で頂く。まずまずの味。食事を終えてもまだ5時。買い物に出る前に焚きつけた風呂も丁度の湯温に仕上がっていた。水で薄めて、少し温度の低いお湯にする。本を読んでいる間におしりの方から熱いお湯が昇ってきて、汗がしたたり落ちだしたらバスタブから出る時間。全く気持ちが良い。風呂上がりの音楽は、トミー・フラナガンのオーバーシーズ。名盤だ。録音も凄く良い。テイチクのJAZZ盤としては渾身の力を振り絞っている。エルビン・ジョーンズのドラムが余りも鮮明に再現される。実に気持ちの良い音。レコード棚を漁っていると、カールリ・ヒターの「マタイ受難曲」があった。とりわけ、アルヒーフの名盤を買っていたとは、岡村さんもセンスが良い。京都女子大の先生にバッハの音楽の手ほどきを受けてから、マタイ受難曲は僕の中で一躍クローズアップされたからだ。LPレコードなので、対訳が30㎝四方の大きさで付録される。イエスはこう言った。それに対し弟子はこう言ったなど、結構リアルな会話が歌われる。一度に理解しないで、と考えて聴けばなかなか愉快にも聞ける音楽なのだ。
10月11日(火曜日)晴
「スプライト」、「東ハトのキャラメルコーン」、「ツァラトゥストラはかく語り」
僕の記憶では1972年5月の連休前後だったと思う。この3つが発売された。門真にある松明寮の屋上で、スプライトを飲みながら、キャラメルコーンをほおばった。スプライトはネット検索では1970年発売とあるが、大阪は1972年だったはずだ。大々的に宣伝したので興味半分で飛びついたら、以来病みつきなった。キャラメルコーンは、組合がストだったのか、メーディーだったのか、兎にかく組合行事関係で、大勢の人が集まった時、僕はこれを分けてもらったのか、それとも購入したのか不明だが、始めて口にする強烈な甘さに参った。以降は門真のダイエーでこれを求めた。そして、エミールデオダードがCTIレーベルで発売したフュージョン(JAZZの電気楽器使用版)気持ちの良いシンバルがとても印象的だった。寮の音楽室で、聴きいったし、休日に日本橋を訪問すれば、必ずこの音楽が流れていた。この年の年末に東京の小田急ショウルームに転勤して、そこで再びこのレコードに触れて、オープンテープに録音し、僕のものになった。定年後、アップルミュージックで探してもなぜか見当たらず、CDの販売もなく一体どうしたのだろう?と消息をいぶかっていた。程度の良い中古は4,000円程するので手が出ない。でも、もう一度あの高音が聴きたいな。ツタヤのレンタルも検索不可能。著作権の問題でもあったのだろうか?まぁ過去の思い出として頭の片隅に残っていた。今日母の見舞いに高知に行き、ついでに、ハードオフを覗いた。そしたら、正面に飛び込んできたのが、このデオダードのツァラトだ。価格も324円。これを幸せと言わず何と言うか?他にもJAZZのLPを3枚買って2,500円。帰って針を落とすと、レコードはバージンだった。1972年の音質(品質)そのものがここに残っていた。
10月10日(月曜日)晴
今週は晴
この好機を逃すのは農家として失格だ。それで今日は無理をして、朝から頑張った。まずは、きまさごの畑の溝堀。溝は深いだけ水はけの効果があるが、全線開通を優先させた。教えてくれた近所の農家から、「できたかよ(完成したか)」と聞かれたこともあり、あまりぐずぐずはしれおられなかったのもある(この人とは、今週末飲む予定)。昼飯はサークルKで弁当買って、港で海を眺めながらビールを飲んだ。勤め人で無いので、昼食時間はたっぷりの2時間。休憩中に、iPhoneとiPadをブルーツースでリンクさせ、iPhoneの通信機能をiPadで使えるよう設定した。これはデザリングと呼ぶが、なかなかいい機能だ。ポケットWiFiを解約したので、丁度よかった。午後は沖のハウス横の田に除草剤の散布。2枚の田の内半分のみ。隣のジャガイモ畑にも誤って薬が飛んで行ったので、謝りにいった。4時には切り上げようと思っていたが、百姓は切の良いところでやめないと仕事が中途半端になる。それで大幅に遅くなった。その結果両手が腫れてしまい、車のハンドルを握るにも一苦労。夕食の買い物で、パックの牛乳を持つにも両手で支える始末。たっぷりのお湯で疲れを癒そうとしたが、今日気がついたのは、胸を超えるお湯は水の圧力が高く反ってしんどい事。烏の行水ならこれで良いが、ゆっくり長くつかるには、お湯はもう少し少な目が良いと思った。市場で買った「うちむらさき」と言う野菜がある。緑の濃い野菜で、おひたしに。しし唐より小さなタイプがあったので焼いて柚子醤油で食べると口の中が燃えた。袋を見れば、青唐辛子。赤いのより、青いのがもっと辛い。これは失敗。銀杏1袋が150円。塩で焼く。これは成功で旨い。色々と経験を積みながら田舎生活に移行している。夕食後は、チックコリアのヨーロッパでの録音盤を聞く。ECMレーベルで高いほうの音が繊細。2枚組で一枚はインプロヴィゼーションズ。テーマは読めないがノリがある。二枚目はセロニアスモンクの楽曲の演奏。有名なラウンドミッドナイトも含まれている。随分とマイルスの演奏を意識していると思うが、先ほどの音の繊細さが盛り上げる。アンプのエージングが進めばもっと気持ち良い音が出て来るはずだがもう寝る時間。
10月9日(日曜日)曇り後晴
格闘
秋雨前線の影響で雨の予定だった。日曜日でもあるし、ゆっくりしよう。今日はPCのデーターのバックアップを取るぞ。もし地震が起きたら、PCやHDDに貯めたデーターは使えなくなるが、BDやDVDディスクは生き残る可能性が高い。アマゾンなんかで購入する書籍データーは文字データーのみなので非常に軽いが、私がスキャンする書籍データーは大変重く、300~600MBほどもある。それで、今までDVDに分割して保存してたが、追い付かなくなり、BDの記録に切り替えた。TV放映など気楽に録画しているBDだが、この記録容量のでかさはやっぱり感謝しなければならいと思いましたね。PSPでファイナルファンタジーもトライしてみた。物語が複雑すぎて、攻撃と取得の□と○キーを旨く使い分けできず、退避の×キーまでは指が届かずやられっぱなし。格闘ゲームへの取り組みは10年遅かったと反省。PSPでの使用はインターネットラジオでJAZZ番組を聞く事ぐらいしか利用できないかな?昼から晴れて来た。指も痛むしこのまま部屋でゆっくりしようかと考えたが、この天候をみれば、ちょっと申し訳ないし、鍬を担いできまさごの畑に出かけた。先日から山から湧いてくる水を水路を掘り作って川に流す工事に取り組んでいるが、今日は、草の根に行く手を阻まれ、1m進むのに30分も要した。これではらちが明かん。トラクターで極細にたたいてはどうか?家に帰りトラクターを持ち出した。だが、27馬力のトラクターでもこの草の根は歯が立たない。負荷が多くエンジンが止まるのだ。それで一度浅く鋤き、2度目に深く鋤く方法で草の根は粉砕できた。だが、鍬で作業をするとき、あまりにも土が細かくなったので、泥の田圃となり、長靴が深く沈み、抜けなくなった。黒四ダムのように、悪戦苦闘、艱難辛苦、孤軍奮闘が続くのだ。そして、先日刈ったこの畑はもう柴が長いものでは10㎝位に伸び、除草剤を撒かなければというタイミングとなった。沖のハウス横の田の草はもう50㎝を超えようとしている。明日からの晴れ間が、草刈りの対応か除草剤での対応かの分水嶺になるかもしれない。こちらは草との格闘で負けられない。
10月8日(土曜日)晴
厳しい自然が「がんこおやじ」を作る
今日は雨の予定だった。それで、雨が来る前に草刈りを済まそうと、西谷ときまさごを刈り上げた。3時間ほど草刈り機を使ったので、手がじんじんしびれて来た。午後は、弁当を買って、砂浜でビールを飲んで昼寝。太陽光があまりにも暑くて目が覚めた。家に帰ってもうひと眠り。きまさごは、山からの水を導く溝を掘らないと、この畑は湿田となり使い物にならないことが明確にわかった。溝はまだ三分の一仕上がっただけで、更に1週間ほど根気を入れなくてはならない。そうすると、沖のハウスの田圃の草が伸びて、草刈りが必要となり、ここで1週間ほどを要すると、今度はきまさごの畑の萱が30㎝位になる。そうするとまた草刈りだ。何でこうなるかと言えば、雨が余りにも多く、除草剤を撒くタイミングがつかめないからだ。この日記には82回草刈りの言葉が登場し、3月15日~奮闘している。実に半年だ。今日はたまたま晴れたが夜は大雨となった。この雨でまた草はぐんと伸びる。昨日届いたLDプレーヤは再生すると針飛びを起こし、見るに耐えない。またもや返品だ。アマゾンは返品がいとも簡単にできるが、品質がいまいちだ。LDディスクは165枚もある。80年代の思いでの映像がたっぷりと残っている。楽しみは後に残しておこう。LDはLPレコードと同じサイズだと前に書いたが、ジャケットの重量がめちゃ重く、50枚収納できるラックにびっしり詰めると、ディスクの出し入れがとても困難。それに、草刈りで痛めた指が、この重量物を片手で支えるには厳しいものがあり落下させそうだ。これだけ「難」があるだけに、魅力を感じる。映像は4:3だが、42型のTVで再生すると、当時の28型のモニターテレビ(ソニープロフィール)よりも大きくて十分楽しめる。自動運転の車よりも、マニュアルミッションで、ドアの開閉はキーを差し込み、ガラス窓は手で上げ下げするものでなけりゃ。薪で炊く風呂でたっぷりの熱いお湯につからなければ疲れは取れない。昔に帰ろう。
10月7日(金曜日)晴
指標を失いそうになるが
毎日つらい農作業をしてて、一体何を耐えてるのだろう?と思うことが時々ある。でも、母を見舞うと、そうだ!僕は母の看病のために存在しているのだと、改めて気づくことがある。老人ホームにいるから、僕の手を離れているから、つい気が疎かになってしまう。でも、今日母の姿を見て、後ろめたさはあったが、やっぱり入ってもらって良かったと思った。今では、食事時以外は、酸素マスクをつけて寝たりきりで、これじゃ家で介護できないやと思った。自宅ではかなりつらいが、起きて車いすに乗って、透析の病院や、デイサービスに行かねばならず、おしりのケアも車いすに乗ってもらわなければできない。布団から移動して車いすに乗るには、つらいだろう。その車いすも、駐車場までは悪路で体が揺さぶられるし、車いすへの移乗も、萎えた自分の脚に力を入れなきゃならないし、そうでない時は、ズボンを腰のあたりで持ち上げるから、痛い筈だ。老人ホームでは、こんなことは一切ないし、自分で立てない時は、2名がかりで車椅子に乗せてくれる。様子を見る限りもう僕が介護する範疇を超えてしまっている。帰りに花としきびを買った。祖父母と父の眠る墓に報告に行った。いよいよその日が近い。延命すればするだけ、しんどさが付きまとうと言われている。重い気持ちで昼食を済まし、昨日の畑の水はけ作業の続き。近所の農家のおじさんが、作業手順を教えてくれた。泥を掘るのはしんどい。しんどいが、集中できる。1時間に一度水分補給に帰る。明日の大雨までには道筋をつけておかねばならないと頑張った。気持ちの良い熱い風呂が疲れを癒してくれる。そのことばかりを考えていた。
10月6日(木曜日)晴
風呂が完成
過去の日記をめくれば、2016年9月4日~約1カ月雨である。西の畑の山側は、田圃になっていた。山からの湧水が沁み出して、我が畑に流れ込んでいる。草刈りもぬかるみなので刈りにくい。それで、畑の山側に沿って溝を掘り、その水をパイプで畑を縦断して、アルファベットのT字のように堀り、下の川に流すように施工した。水路が開通したときは水が音を立て流れた。南北に短く東西に長い畑なので、この水を抜く溝堀は2か所くらい必要かもしれないが、今日はとりあえず1カ所。鍬をもって、固い土を掘るのは至難の業。まずは、トラクターで耕して、柔らかくなった土を掘る。今度は、水を含んだ土で、すごく重い。汗が滝のように流れる。喉もカラカラだ。午後3時までは何とか作業を続けようとしたが、もう根気が続かず断念。それに母の見舞いがあるために3時前に作業を切り上げたのだ。ところが、屋根の大工さん、水道やさん、大工さんの3名がそれぞれ別々の要件をいうものだから、僕は出発できなくなった。水道やさんは、最後に井戸にポンプを設置する作業に入ったから、これは、僕の応援を必要とし、午後5時半まで付き合った。でも、風呂の水回りが完成した。この井戸から組み上げる水でお風呂に入れるのだ。どんなに水を使っても電気代だけで済むので、かなりの贅沢ができる。今晩は思い切り薪を焚いて、熱い風呂に仕上げた。思惑通り、下から熱いお湯が沸いてきて、上から冷たい水を注ぎながら風呂に入った。かなりぬるま湯としたが、それでも汗がしたたり落ちる。ここで読書の再開。随分昔に買った時事英語通信の書籍を読んでいる。割と簡単な英語で書かれているので辞書なしでも読める。風呂の蓋を本台にして読んだ。首まで浸かるので、のぼせてしまう。明日は、風呂の中に腰かけを設置して、上半身を出そうと思う。
10月5日(水曜日)曇り後晴
イスラムの映画
台風18号で波が大きくなれば見に行こうと決めていたが、この部屋で音も聞こえず、肩透かしを食らったみたい。雨もほとんどなく、こちらも拍子抜け。それできまさご(家から200mの所の畑)の草刈りに出かけた。草刈りは「歯」を新調したので、楽々に仕事がはかどっていく。まだ使えると思っていた昨日までの「歯」は、やっぱり作業効率が落ちていたのだ。歯の値段は2,000円と安価ではないが、ここに贅沢しないと、体がやられる。明日にはめどがつきそう。食事の後、野市のauショップに出かけた。iPhone7が届いたのだ、契約にサインして、承認を待っていたら、何と。この電話機は僕の注文したのとは違うものだった。iPhone7
Plusのつもりだったのに、iPhone7だったのだ。残念。店の人には悪いが注文を取り消してもらい、払い込んだお金も返金してもらった。まだ当分時間がかかりそうだ。先にPlayStationVRが早くなるかも。LDプレーヤーは返品が完了したとのメールが届く。こちらも返金処理が完了したとのこと。改めて再発注。今度はDVL-H9。前回購入したモデルの片面演奏版だ。プールで1km泳ぎ、映画「13時間」とCD「Adel25」をレンタルした。イラクの爆弾処理映画「ハート・ロッカー」でイスラムの混沌を描きヒットしたので、いい気になってクリントイーストウッドが「スナイパー」を制作しアカデミー寸前まで行った。これも同じ柳の下のドジョウ狙い。「13時間」アメリカ兵が、次々と湧き出て来るリビア民兵と戦う。戦いは一発の銃弾でやられてしまうのに、結構無防備で銃を撃ちまくっているのがどうも気になるが、まぁ迫力あるシーンが多かったので許してあげよう。場所はリビアで、先の映画はイラク、アフガンだったので場所を変えているのは愛嬌か。情報はないが、多分次回大物映画が作成されるとすれば、場所はシリアになるはずだ。また中央アジアの最後にタンの付く国はまだ世界の人びとにとって知らないことが多い。ここも焦点を集めればかなり面白い映画の話題があるはず。紀元前2世紀から始まったと言われるシルクロードは、話題の宝庫であると思うのだがどうだろう。
10月4日(火曜日)曇り後雨
台風関連
台風が来る前に沖のハウス併設する小屋のトタンを固定しなければならない。僕の作業は仮止めで釘の数が極めて少ない。それで、このハウスを借りる予定のM君に、釘止めの作業朱順を説明した。僕の方は左官屋さんや水道工事の業者さんが来ているので、ハウスを手伝うことができないのだ。左官屋さんは、東の蔵の上の瓦の雨漏りを直してくれている。自分が後で、同じような補修をしなければならないから、一緒に屋根に上って勉強した。昔は漆喰で止めていたが、今はシリコンで止めるとのことで、鉄砲のような道具でシリコンを瓦の間に詰めていった。これならできるわ。シリコンを詰める場所も教えてくれたので、もう少し天候が落ち着いたら他の部分もシリコンを詰めておこう。昼食は、炊事場が工事の為使用できず、コンビニでカップヌードルを買って、海辺で台風の波を見ながらいただいた。まだ波は大きくなく、潮霧もそれほど飛んでこなかった。ビールを飲んだので、砂浜で潮騒の子守唄を聴きながら少し横になって居眠りをした。午後はきまさごの草刈り。萱が一番繁茂しているところに差し掛かったので、一列に届かなかった。夕刻、おじさん所へ行き、M君もここに来るので一緒に酒を飲んだ。今日は昼から飲んでいるので、酒の回りも幾分遅く8時ごろまで滞在できた。M君の子供達も来てここで走り回っていた。酒の席上に子供は絶対に必要なアイテムで、話題が切れると、丁度いいころに走り回る。前は酒を飲むときに女の人がいればいいと思っていたが、今は変わった。JAZZがあればいいというのは変化なし。
10月2日(日曜日)晴
毎日何か悪い事が起きている
昨晩WOWOWの番組表をチェックしていると面白そうなシーンを見かけたので、録画しておいた。今朝その確認。ところが目が離せなくなりとうとう最後まで見てしまった。映画タイトルは「アドベンチャーズ」動詞の「冒険する」ではなく、Sが付くので「名詞」。宇宙からの侵略者に対する「地球防衛団」の名前だ。今まで見たことのあるような人物が登場する、他の映画では悪役だった人がアドベンチャーに正義の味方として所属している。似合わないぞ。と思いながらも、ドンパチの迫力が凄く引き込まれる。というわけで今日のスタートは午前9時半からとなった。Windowsマシーンから、iMacへ音楽を移動している、そのタイミングでフォルダーの整理を行っているので、結構時間を要している。が、とうとう今日でその作業も終わりそうだ。もうお昼の時間。納豆と食パンの軽めで食事を終えて、墓掃除。その後、草刈り。8月9月は沖のハウスに時間を取られてしまい、結局この周りの田畑は除草剤で草を管理するサイクルに持ち込めなかった。もう草は僕の身長を超えるまでになっていて、もう一度草刈りが必要となった。晴れ間は今日しかない。草刈機を担いで畑に着くと、草刈機が始動しない。エンジンの回転数を上げようとアクセルレバーを引けば、エンジンが止まるのだ。前回は吸入のフィルターが詰まっていたのを発見したが、今回はそのような目に見える原因は見つからない。プラグを磨くも効果なし。こんな天候を逃すなんてもったいない話だが嘆いても仕方ない。それで、前のおばあさんが植えた庭木を全て取り除く作業に切り替えた。木の根っこは大地にしがみついているので、ユンボと言われる建設機械で掘り起こしてもらった。そこから先が今日の作業。鍬で最後の根っこを切るのは至難の業だし、切り出した株を斧で切り分けるにも大汗がにじむ。へとへとになって、風呂で汗を流す。昨晩風呂のお湯をためておいたが、午後3時でもまだぬるま湯の状態で、ほてった体には最適の温度。この風呂の実力を見た。それから、洗濯物をもって母の見舞い。話しかけても聞こえないために、大きな声で言うと、「がみがみ言わんでもわかる」と来る。調子が悪くても、これだ。だが、返答は「なんでも食べる、ぜいたくいわん」どんな話を持ち掛けても、返答は食べる事しかない。見舞いに行くごとに弱っているような気がする。
10月1日(土曜日)晴
田舎の事
今日は睡眠に失敗した。昨晩早く寝たんだが、午前3時に目が覚めて寝付かれず、1時間ほど本を読んだ。そして横になっていると、いつの間にか、また眠っていて、7時から水道やさんがお越しになり工事を始めたのに目覚めた。不覚。だが、問題が発生して工事は急に中断した。芸西村の下水工事が指示通り行われて無く、配管が通ってないことが発覚。豊洲の盛り土問題と同じで、こんな村の外れでも手抜き工事があったのだ。水道やさんは芸西村に確認するが、月曜日でないと対応できないと言う。ヤフオクで落札したLDが届いた。荷物を受け取ってからサインをしようとしたが、受け取る段階で、私がサインしますのでいいですね、と郵便局員が言った。いいですよと私は答えた。auショップから電話が来た。iPhone7plus256Gジェットブラックが入荷したとの件。11月入荷と聞いていたので、ひと月早めだ。ついでにヘッドフォンは発売されたのか?「え?」って感じ。「付属であります」と店員。ブルーツースのタイプです。話題になっているだろう。と私。「Beats」ならあります。この人何にも知らないんだ。iPhone7はヘッド端子が無いのであれだけ騒がれて、その対応タイプが発売されるのをみんな待っているのだ。それを質問したのだが、無知、勉強不足。まぁ給料が安いのでモチベーションが上がらないと言えばそれまでだが、若いのに(声で判断)こんな田舎で青春を使い果たしてかわいそうと思った。沖のハウスはペンキを塗って完了。丁度鉄くずやさんが来てくれて、鉄資材も処分できこれで沖のハウスはこれで完璧に僕の手を離れることとなった。夕刻5時、風呂を焚いて夕食の準備。たっぷりのお湯で入浴。しかし、今月からこの水に下水道代が加算されるのでたっぷりのお湯は要注意だ。それで、今日は、水道やさんに井戸ポンプ設置をお願いすることにした。我が家には井戸があり、配管も通っているので、風呂と洗濯水は、自家用で賄うことにしたのだ。これだと、お湯があふれても、水道代金には影響しないので、気兼ねなくたっぷりと浸かれるのだ。来週に完成するはずだ。
9月30日(金曜日)曇り後雨後曇り
選択肢
沖のハウスはほぼ完成した。後は、ペンキ塗りと、壁の補修のみを残す。おじさんが、心配してトタン張りは大工さんに注文しろと電話をかけて来てくれたが、それはこの作業が終わってからだった。僕としては、大工さんレベルで仕上げたつもりだ。更に、古いトタンを切って、壁などのさびた部分に当てて2重補強してした。こんなことは、業者の方にお願いできないので、自分でも満足のいく仕上げとなった。明日以降は、再び自宅周りの整理に切り替えられる。リストアップした50項目の塗りつぶしに取り掛かれるわけだ。ところが、思わぬ伏兵が現れた。先日購入したLDプレーヤーはどうやら1時間を超す演奏を行うと音声が出なくなるようだ。まずじゃりじゃり音が出て、ぷっつりと出なくなる。一応返品の手続きを取った。メールが来れば対応がわかるはずだ。落札したLDディスクが沢山あるが、宝の持ち腐れにならないように手当てが必要。風呂が完成したので、たっぷりのお湯につかって汗を流し、ほてりを取る間、LDでオペラを見るのが日課となっていただけに残念だ。それで同じ棚に並んでいる30㎝のLPレコードを取り出して聞く事とした。LPとなればどうしても雰囲気的にJAZZになる。ここであたらしい情報が飛び込んできて、DIGAの新製品が発売された。DMR-UBZ2020。録画はもちろんだが、CDのリッピングがFLACで可能だ。テクニクスST-G30のCDリッピングの性能が飛びぬけて良かった(CDプレヤーで聴くレベルをはるかに凌駕してて驚いた)ので、DIGAも同じ要素を含んでいる可能性がある。つまり、DIGAはレコーダーよりもCDサーバーとしての用途で活躍できそうなのだ。そうなれば、ほとんど聴かなくなったCDが新たに参入する。ハイレゾのアルバムももうすでに79タイトル溜まっている。時々FM放送もAIFFで録音している。NHK-AMで日曜日の10時~放送されるカルチャーラジオもMP3で録音している。これは、実にいい話が聞けるのだ。残り少ない時間をどう配分したら良いのだろう。
9月28日(水曜日)晴後雨
益々時間が無くなった
名古屋に旅行に行けなかった代わりにLDプレーヤーを買ったことは前に書いた。ついでにJAZZとオペラのLDをオークションで注文したら全部落札した。その一部が今日届いた。JAZZはチックコリア5枚。オペラは14組。中でもマクベスは3組ある。競売に出した人は余程オペラが好きだったのだろう。カルロス・クライバーのベートーベン4.7番もある(7番は今でもこれを超える演奏はない。4番はブルーノワルターと言う競合がいる)。現在オペラのオペラの収集はWOWOWでメトロポリタン歌劇場のものを録画している。僕は古風な人間なので、オペラは現代風に衣装をアレンジしたものは妙に好きになれない。アンナ・ネトルプコのメトロポリタンオペラ「マクベス」はハイレゾ・ソフトとしても有名だし、美人なので隅に置けない価値がある。映像も音も良いが、衣装がどうしても気に食わない(中世ヨーロッパの衣装でなければ)。でも今日届いたLDはほとんどが昔のオペラのイメージの衣装なので安心して見られる。こういうワンパターンに飽きたら、メトロポリタンに移行すれば良いのだろうが。JAZZのチックコリアはほんの触りしか見てないが、スリムで挑発的なチックコリアが楽しめる。LDは僕の頭の中にあるイメージ通りの映像が流れて来て最良だ(今のチックはぶくぶく太り醜悪だ)。LDは大型で場所を取るし、ディスクの掛け替えなども大変だ。だが、僕にとって好都合なのはLPレコードと同じサイズなので、管理は同じようにできるのだ。こんな楽しみが出来て、僕の行動はますます緩慢になった。今日は沖のハウスに桟を厚手の桟を取り付ける方法を考案し、作業を終える予定だったが、上記の理由で、考案のみに終わった。その方法は、金属を通過するねじにぴったり合うサイズの金属ドリル(3mm)で、桟とC型金属のコアに穴をあける。金属を通過できる特殊ねじを、桟の上から金属コアにねじ込む。一度で通過しないので、一旦ねじ込んだ後、ドリルを逆に回して、ねじを引き抜き、再び締める。そうすれば、このねじはC型金属コアを通過して桟を固定できる事が分かった。少々手間だが、確実に取る付けが出来る。前回の失敗は、先端が細く、根元が太いドリル歯を使ったために折れたこと。もう一つは、このC型金属コアはこのねじだと貫通できないと諦めていたこと(貫通できるねじを買ったのに)。先日から抱えていた2つの問題はこれで解決した。だが、明日は大雨で作業ができない。
9月27日(火曜日)晴後雨後晴
天候不順
今日も沖のハウスは作業が出来なかった。晴れたかと思えば又雨。大工さんが来てくれて、作業小屋の屋根を直してくれた。やっと安心してここに荷物が置けるようになる。同時に水洗便所工事も始まった。午後におじさん所で、母の老人ホーム入居の保証人のサインをもらった。午後3時から母の従兄の35日法要が営まれる。酒を飲むので自転車で行った。晴れていた空は急に黒くなり、着くころにはぽろぽろと雨がやって来た。親類はほぼ赤野(地名)の人達で、ここの人たちは結びつきが濃い。子供も走り回り、昭和のおきゃくが開催された。騒がしい中での懇親が始まった。会話を交わした面々を紹介すると、お寺さんは同級生の弟なので、姉の消息を聞いた。この同級生は、けっこう生意気で、僕の好敵手だった。相当数喧嘩をした記憶がある仲間。昔の面影がないと言う。一番の高年齢は94才の「まーやん」。皆がそう呼ぶので正式名は知らない。車を押して自分の脚で歩けるから偉い。従兄である我が母に声援を送ってくれた。おさむ君の事は前回書いたので省略、今回も大阪のノリでお寺さんをからかっていた。求君は、フィリップモリスの器具を使うなんだか不思議な煙草を吸っていた。なかなか手に入らないと言う器具。後で調べると正式名は「アイスコ」。少し吸わせてもらったら、確かにたばこだし、ミントのしびれ感が強く、結構たばこの代わりになるな。と思った。絶賛すると10分位はこの講座をしてくれた。てつひささんは、僕の父の死去を知らなかったと恐縮してた。僕は葬儀に来てくれていたと感謝したが、本人は入院してたので行ってないと言い張る。おかしいな?と私。ドンドンと記憶が薄れてゆく中で、こんな直近の事まで忘れてしまうのか残念。赤野のお客は、たくさん料理を作り余らすのが風習で、参加者は好きなだけ持ち帰ることができる。僕も、炊き込みご飯を持ち帰った。それと、ここの奥さんによる「ようかん」を。これは絶品だ。死者を送る会なのに皆、意外と元気だったのは、当人は闘病生活が長く、みんなが前から覚悟してたことがある。僕も母に近い人には、その病状を伝えた。
9月26日(月曜日)雨後晴
更に大きな問題が降りかかる
昨晩から大雨、駐車場が大変なことになっていた。先日の台風で飛んできた笹や、木の葉が駐車場に散らばっていたが、これが大雨で清められて、水溝に集まって来た、ところが木の葉が余りにも多いので詰まってしまったわけだ。水浸しの駐車場は隣の便所まで達し、一部が便槽に流れ込んでいた。冷蔵庫の食品を食べつくし空になったので、カッパ市に買い物に行くと、小エビがあった。表示を見れば生食用。モロヘイヤと一緒に購入して甘く煮る。エビの殻が固いので、口を切る恐れがあり、最初はそろりと口に含みにじみ出るエビのうまみを吸ってから次第にかみしめてゆく少々面倒な頂き方が必要だが、この味を天秤にかければよしとする出来栄え。晴れてきたが、大工さんが来られたので沖のハウスには行けず、問題は明日に持ち越し。いよいよ、便所の水洗化と屋根の雨漏り工事が始まるようだ。僕の住む小屋の屋根はトタンに変更。トタンは鉄に亜鉛めっきの材質だが、ガルバリウムというアルミニウム55%、亜鉛43.4%、シリコン1.6%から成る、アルミ亜鉛合金めっき鋼板で、20年くらいは耐食しないとのこと。こんな部分にも技術の進歩が忍び寄っている。やはり、日本は凄い。LAN回線の接続不良はPC側に原因がありネットワーク接続の中にあるホームグループの設定をやり直すと解決した。無線LANから有線LANに変更した時に、設定が狂ったようだ。午後母の住む老人ホームへ。入居の契約を行った。最終時の対応なども書かされた。最上階が老人ホーム、その下の階は腎不全専門の病院であり、救急車を呼ばなくても、医者にかかれる安心感がある。循環器の先生とも面談した。透析患者は最終心臓の弁に欠陥が及び、腎臓疾患よりも、心不全で亡くなる場合が多いとのことで、高知医大の心臓内科医の先生にもかかっている。その先生の見立てでは、前回(8/26)よりも相当悪くなっているとのこと。自宅では相当しんどそうだったが、老人ホームに移ってから随分と楽になったみたいだったが、そうではなかったのだ。肺の黒い面積が更に小さくなり溺れかけている。血液検査もとんでもない数値が出ているとのこと。いよいよ覚悟の時が来たかなと思ったし、自宅介護から切り替えてよかったとも思った。
9月25日(日曜日)晴後雨
少し問題を抱えたまま懇親会
午前中は、書棚にある手紙やマニュアルを全てPDF化。後は、PC関係のパーツを整理。この作業が終われば、前にあるシアタールームは塞がれた窓が再び開き明るい部屋となるはずだ。沖のハウスは、鉄骨に打ち込んである釘を抜き、腐った桟を外し、新たな桟を取り付ける作業、だが今度の桟は厚みが30ミリあり、ドリル付の皿ビスねじがなかなか鉄骨に食い込んでいかない。そこで、ドリルで前もって穴をあける事にしたが、鉄骨の部分に達するとドリルの歯が先端で折れてしまう。なかなか計算通りには進まない。その内に驟雨がやってきてずぶ濡れ。滑ると危険で一時退散。雨もやみ再び挑戦するが解決策無し。明日に持ち越し。自宅ではNASにアクセスできない問題も抱えていて、こちらも時間が必要。午後4時に作業を切り上げて、シャワーを浴び、懇親会場に出かける(自転車で15分)。5時集合なのに、もうみんな揃っていた。乾いた喉にビールが心地よい。ミカン農家の一人は、いま閑散期。8月の干ばつは水無く苦労したとのこと。公務員アルバイト人は、2週間の休暇で、孫と四万十市に出かけた。近所の友人はゴルフで優勝しテレビを貰った。誰も問題を抱えてなく、それぞれに活躍している。僕の就職は、地元で仕事をした方が良いとのアドバイス。土地や家の管理ができるメリットが大きいと言う。ここで飲んだ酒に「美丈夫」がある。これは旨い。やばいので1本だけにとどめた。話はとりとめのないもので、あっちにふらふら、こっちにだらだら。昔ばなしは記憶のないことが多かった(みんな昔のことをよく知っている)。現在の話題はTVを見てない私はついて行けず、聞くのみ。懇親会中は大雨。そろそろお開きの頃雨があがり、無事自転車で帰った。その後のメールで、やっぱり月に一度開催しようとなった。
9月24日(土曜日)晴後曇り
ぽっかり浮かんだ白い雲
美空ひばり「花笠道中」の歌詞にこんなのがある。「♪これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのは こっち かえ だまって居ては 判らない ぽっかり浮かんだ
白い雲 何やらさみしい 旅の空・・・」台風一過で、我がビニールハウスに併設する小屋の屋根が吹き飛んでいた。下から見れば、青空に雲が浮かんでいた。そこで浮かんだ句が上記。何もここまでしなくてよかったのでは台風さん。このままで放置すれば、次は弱い風が吹いても、トタンが飛んでいく恐れがあり、今日はトタンを外した。それで判明したのは、トタンがきちんと小屋の骨組みに取り付けられてないことだ。それで、釘で止めた上に、更に桟を渡し、その桟を更に大きな釘で止めることをし、応急手当をしていた。トタンの釘は傘つきで雨が漏らないが、その上の桟に使用した釘は普通の鉄釘だし、桟とトタンの間には隙間があるため、この釘穴から雨が沁み込んでいく構造になっていた。このため、小屋の骨組みである鉄骨にもその影響が出ていた。ずさんな手抜き工事で小屋は建てられていたのだ。トタンを全部外し、鉄骨に敷いた桟をもう少し厚手の木材に交換し、始めてトタンが張れる。すぐに終われると思っていた作業は、あと数日を要する。ホームセンターでトタンの購入時に、作業要領などを教えてもらいおおよその構想がまとまった。今度はしっかりしたものができるだろう。日暮れて家に帰り、昨晩の惣菜に白菜を加えてメインディッシュにした。自分だけの料理はほとんど調味料を使わないので、凝った料理にする必要がないし、昨日の料理も味がしみないのでそこそこ食べられる。腹が減っているので、なんとか美味しいし、結構素材の味やにおいがある。他の人にはお勧めできないが。風呂から上がり、LDプレーヤーの電源を入れて、ジャズ演奏を楽しんでいる。今日は、ヤフーオークションで申し込んだLDディスクが落札されたとメールが来た。主にオペラのLD。LPに比べると傷の心配は少ないが、果たして盤質は良好か?オペラのCDは中古でも1枚3,000円以上はする。LDだと14枚セットで11,280円だった。いよいよ楽しみが倍加する。
9月23日(金曜日)雨後晴
一先ず安心
朝方大雨。今日は晴れる予定なのになぜ?雨雲レーダーを見れば、我が芸西村だけ雨が降っているではないか。午前10時まで降ったりやんだり。他の地区は晴れていた。昨日の埋め合わせに、いつか止むだろう雨の中作業を始めた。汗か、雨でぬれたのか判別がつかないシャツを着たまま短時間の昼食休憩。午後1時半に作業終了。庭はすっきりした。僕は造園家ではないので、草刈機もしくは除草剤で手入れする事しかできない仕上げだ。次はPCで父の香典の整理。忙しくてそのまま金庫に保管してあった。来週には35日(49日は3カ月にまたがる日程の為に執り行われない習慣がある)のお祭りがあるのだ(同じ金額を返さなければならないために整理)香典はJAへ入金。次は医者訪問。指先のしびれは取れたが、血液検査を依頼してあったので、その結果を聞く。一項目だけ検査抜けで、指先から血液を採られた。痛くないと言うが、結構痛かった。検査結果は膵臓の異常は見当たらないとのこと。正確にはエコー検査が必要だが大丈夫だろうと言う。念のために年末ごろエコー検査が必要だろうな。僕の性格はけっこう厳格を求めるタイプなので、ストレスをためやすいのだ。もっと自分を解放することをしたらと思うが、どんなことをしても、次々に深堀をしてしまうので無駄だと思うのだ。帰り道、沖のハウスを見に行ったら、小屋の屋根が台風で飛ばされて無くなっていた。早急に補修をしなければならない。1020円のトタンが20枚が必要で〆て20,400円。台風被害は累計3万円に及ぼうとしている。台風16号は家では全く酷くなかったのにこの始末だ。いかに小屋が弱っていたかの証拠だ。
9月22日(木曜日)雨時々曇り
シンプルライフが好きなんだが
気分転換の名古屋行きは不発に終わった。これは一面、音楽の旅でもあったので、埋め合わせにLDプレーヤー(24,000円)をアマゾンで買った。クラシックとジャズのLDディスクを随分と持っている。機械がないとただの場所を占める円盤。そのプレーヤーが今日届いた。早速42型PDPに接続して観る。DVDに比べると幾分映像は甘い。だが、びっくりするのはこの音質。ものすごい高音質なのだ。以前はそんな認識がなかったが、今回改めて聴くとCDレベルの音なのだ。まぁ音の規格はCDと同じPCM規格なので当たり前と言えばそれまでだが。(多分今まで使っていたソニーのLDプレーヤーの性能が悪かったから、音が十分引き出せてなかったかもしれない)カラヤンのベートーベン交響曲5番「運命」は、モノクロ画面であるが、ベルリンフィルの力強い演奏が流れて来た。カラヤンの厳格な指揮に彼らは真剣についていっているのが、映像ばかりでなく、音の面でもうかがえる。カルロス・クライバーのモーツァルトは、ウィーンフィルの演奏。ほとんど指揮棒を振らないシーンがあるが、そこは、彼らの自主性に任そうというのか?所々でクライバーは手のひらを上下逆にして管楽器辺りに指示を送る。カラヤンに比べると妙に安堵感がある。だが、聴いていて躍動感は凄い。ほとんど指揮をしないのになぜ?「それは、彼らの実力が高いから」だと誰かが回答するかもしれない。と言うことで、今日は庭木の剪定をする予定だったが、開始時刻が大幅に遅れ、仕上げは明日に持ち越しだ。明らかに僕の怠慢だ。BDが3000枚を超す勢いなのに、これ以上レパートリーを広げてどうするのだ?これ以上物は増やさない、特にテレビ周りはごちゃごちゃしない、そう心がけてきたのだが、LDプレーヤを設置してうるさくなった。言い訳がある、最初の目論見は、LDをDVDに変換して、終われば売却の予定だった。しかし、この音を聞けば手放すのは惜しい。だが、ごちゃごちゃライフになってしまう。解決策が見つからない。
9月21日(水曜日)曇り後雨後晴
現場現実主義
企業の経営には常にこのことを意識しなければならない。企業と言わずも戦争も同じだ。先週末からずっと、母を老人ホームに入れることについての後悔の念がよぎっていたが、今日、母を見舞いに行くと、案外ここが気に入っていて「極楽極楽」と言ってくれた(日によって違うと思うが)。自宅では、デイや透析、下の世話に車いすに乗って寝室から入退出しなければならない。家屋は介護の用の構造ではなく、その都度かなりしんどい行動をとってもわらないといけない。自ずと嫌味と暴言を吐くようになるし、僕も同じように返し、剣のある言葉が飛び交った。が、ここはベッドから同じ高さの車いすに移乗するだけで、透析に行くにも、みんなとの集まりに参加する(お遊びで、歌ったり、話したり)のも苦痛なしだ。それに知り合いを作るのは僕譲りだから(逆か)皆とすぐに溶け込む。「皆がゆうちゃんと言って慕ってれる。なんで、ゆうちゃんと知っているか?(自問自答)、ここにいる人は皆、安芸の女学校(母の卒業した高校)を出ているから、私の事を知っている」などと、幻覚の上にいる発言もあるが、気に入っているみたい。また、自宅では腰が痛いとか肩が痛いとか悪態をついていたが、ここでは全くそれも無くなったとか(ホントか嘘か不明だが安心できる)。ということで、老人ホームに入れて良かったと思わせることを目の当たりにした。僕は安堵の胸をなでおろした。案ずるより産むが易しと言う事か。と同時に早く仕事に出かけ、この出費の埋め合わせをしなければと決断。即断即決の私だが、今回はもう少し煮詰めよう。友人たちの懇親会を25日に開催するので評定にかけよう。まぁ酒の席上(土佐のおきゃくの酒は量が凄いため)なので、どっちでも良い回答しか得られないが、自分がこの窮状を話すことで整理がつくほうが多いかな。いましなければならないToDoリストを作成すれば50項目あった。1つの処理に平均2時間ほどを要し、100時間。一日3時間で一カ月の作業量だ。天候との兼ね合いや、手伝ってくれる人のスケジュールもあり、リスクを取れば2カ月。つまり、開始は12月からか。
9月20日(火曜日)雨
台風16号の動きが気になり午前3時半に起床。飛行機が出発する午前9時は丁度高知龍馬空港の傍を通過する予測が出ていた。今は弱い雨が降っているだけ、これなら飛べそうだと思ったがネットで検索すると欠航と表示されていた。飛行機はキャンセルすると全額返金されるのは既知だが、パックとなっているホテルはキャンセル料が発生するのでは?と心配だ。電話の問い合わせは午前9時から以降で、飛行機の出発時刻と同じなのだ。事後キャンセルはできないと表示されているし、一体どうすれば良いのだろう。取り敢えずメールでの問い合わせを送信した。そして、一応はJALパックをキャンセルしてみた。そしたら、一度にホテルも飛行機もキャンセルでき全額の返金が明示された。安ど。もっとわかりやすく表示してくれればいいのだが。調子が出て来たぞ。ブルーノート名古屋や友人たちにSSNやメールを発送した。谷村新司のコンサートだけはキャンセルできなかった。この台風16号の実被害額は9362円。瀬戸の友人にあげたが、チケットの名義変更を電話で行わなければならないし、僕の身分証明書も持参しないなどとチケット譲渡は結構ややこしい。でも、プレゼントして気分的には救済された。午前9時、風雨はやっと低気圧がやって来たなって感じ、TVで他の地区をチェックするも妙に信じがたいような天候だ。わずか1時間程度で台風は過ぎ去った。後に残されたのは、裏の竹藪の笹、木の葉が庭一杯に散乱し、清掃が必要なこと。雨トイに積もった笹、木の葉の残骸の撤去。明日は余計な仕事が待っている。台風一過の空は綺麗だった。あれほど煩かった母の介護が無くなると急に寂しくなり、妙に片付けにも力が入らない。一日を終えても充実感がないのだ。それに、母の介護は大金が出てゆくことだし、ここで一念奮起、やるべきことは残されているが、仕事に出かけようと思う。もう1週間迷って、自宅のお風呂が使えるようになったら、湯船につかって決断しよう。
9月19日(月曜日)雨
午前中は何かをしたと言う感覚が無い。なんとなく雑用で時間が過ぎてしまった。と言うのも気にかかることがあり、妙に上の空だった。その気にかかることは、台風16号である。僕の名古屋行きフライトに照準を合わせたように四国に接近してくるのだ。それで、テレビのニュース番組を見てだらだらと過ごしたと言うわけ。午後はこれではだめだと、東側の納屋の片付けを始めた。しとしと雨が降り濡れてうるさいが完成を見た。そして、この納屋の周りに散らばるビニール類をゴミ袋に入れていたら、次々と地面の中から湧きだしてきて、まるでパンドラの箱を空けたようにゴミの山が出て来て収集が付かなくなった。父母は、田畑の周りにビニールや資材を放置して片付けに時間を要したが、住居の周りにもいっぱい捨てている。専業農家だったのに、土地への愛着は無かったんだろうか?今となってはもう聞くことは出来ないが。ゴミ袋4袋が満杯となり、袋が枯渇して強制的に終了。玄関脇の水道水をかぶるととても冷たく、そろそろ汗を流すのにこの方法は終わりかなと思った。都会で遊んで鋭気を養って後、また母の介護にあたるぞと計画したのが、もうその必要は無いことになり、急に都会行きの「華」がしぼんでしまった。お寺さんがやってきて父の供養の説明を行った。ついでにここのおばあさんの具合を聞いた。夫婦2人と、時々娘の対応でやっと介護しているが、それでも寝不足でこの先どうしよう。と言う感じだと話された。このおばあさんは94才で2時間ごとにトイレの対応が必要だとのこと。それでも支えれば立てるのが我が家と違うところ。まだ頑張れるね、と激励した。ここのおばあさんは「殺してくれ」と叫ぶらしい。我が家は「早く死にたい」と叫んだ。新聞によると女性に限ると65歳以上の人口構成が30パーセントを越した。平均寿命は87才。一人の寝たりきり老人には最低4人の人手が必要。家族では専任で最低でも2名だろう。外国人の移民を認めないと、日本は大変なことになる。寝る頃になると、緊急避難情報が携帯に飛び込んできた。だんだんと警戒レベルが上がるだろうから、今夜は電話は切って寝る。
9月18日(日曜日)雨
午前3時、雨音が激しくこのままではまずいことになるのでは?場合によっては母を車で避難しなければならないかも、と起き出して雨量レーダーを確認すれば、後10分で雨が止むようだった。そうだ、母は家に居ないのだ。と言うわけで、眠い目をこすって起きたのが無駄だった。それに、急に雨がやみ静寂が戻ると妙に寝付けなくなり、朝まで覚醒したまま布団の上で横たわった。午前中はパイプ切断と粗大ごみの廃棄、午後は、納屋の園芸資材の移動で午後4時まで。ここは明日2時間程度で作業を終えるだろう。次は屋根を撤去し、トタンをはがし、沖のハウス併設の小屋のトタンを交換する作業となる。時々やって来る豪雨は昔の雨とは違い、激しく突発的だし、長続きしない。温暖化で空気中の水蒸気が多い為、雨量も多くなると言われるが正鵠だ。それに朝から雷が鳴り続けた。スリランカでモンスーンに遭遇しホテルで缶詰めとなり、一日中雷が鳴っていたのを思い出した。この時は軍の出動で、空港までの道をサポート頂いた。開国1年目で外国人に好印象を稼ぎたかったのだろう。今はこんなサービスがあるか不明。熱帯だからこんなことが起きるのだろうと判断したが、何と高知でも同じ状況なのだ。夕刻、昨日行った元気風呂で太平洋に放電する雷を見ながらお湯につかった。実に気分が良い。時々、落雷の音がするのは、サウナのドアの閉まる音で、ご愛嬌。夜、久しぶりにフランス映画を見た。TAXI。警察官のコメディで、「トランスポーター」と「ミスタービーン」を足して割ったようなコンセプト。ほどほどのドンパチと、スピード感、男と女の愛がミックスされ見ごたえ十分。昔アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーブが好きでフランス映画はよく見た。あの頃はフランス語に違和感がなかったが、今は妙に疎外感を感じる。
9月17日(土曜日)晴のち雨のち晴れ後雨
母の寝室を片付けた。もうここに帰ってくることはないのだと思うと、ちょっと時期が早すぎたかな?と思わない訳でもない。でも、もう賽は投げられたのだ。これで行くと強い信念を持とうと思った。いまだにやるべきことはまだ一杯残されている。リストアップして、完成を目指そう。もうここに居る必要性はない。働きに出かける頃だ、リストが完了すれば出稼ぎ労働者になろう。田畑は除草剤で処理できる循環サイクルに入った。ビニールハウスの仕上げは、ハウスに併設する小屋のトタンの葺き替えだけとなった。LPレコードのデジタル化は、先に延ばそう。父の書類の整理は、PCさえあればどこでもできるので問題なし。母屋と倉庫の雨漏りは大工さんの都合を確認しよう。それで最初にあげた除草剤を今日の仕上げとして散布した。家の周りの雑木には穴をあけて、除草剤の原液を注入した。が3時間も経たない間に豪雨がやって来た。「いまやる、すぐやる」も善し悪し。母屋の西側の生垣刈りは、べびが冬眠する頃としよう。(この辺りで2度もマムシをみかけたため)。そんなことをスケジュール化すれば、年内完成が目途かな。夜は軽めに食事をして、風呂は安芸市にある「元気温泉」に出かけた。ここの浴槽は1mと深く、立ったまま入ることができる。明るければ太平洋を一望できる。風呂屋の壁の富士山よりもっと高級なシーンが目の前に広がる。車で15分走らなければならないが。帰りに台風16号が近づいていることもあり、台風の映画を借りた「アルティメット・サイクロン」。ところがこれは、恋愛関係でもつれた夫婦のとばっちりを受けて、若い女が銃で撃たれ、病院に運ばれるがサイクロンの為に停電となった。その停電を回復するための物語だった。暴風が吹き荒れるわけでもない、単なる痴情の物語だ、まして、ジョン・トラボルダは酒場でディスコを踊るわけでもないので僕としては評価が低い。この映画は実話でジョン・トラボルダが好演し、アメリカでは評価高いらしい。
9月16日(金曜日)晴
ショートステイの始まり
母を一時的に老人ホームに入居させるショートステイが始まった。併せてここ3日ばかり工事屋さんが来て風呂の改修を行い、その対応もあって結構忙しかった。ラジオ英会話は強制的に時間を取って聞けたが、日経新聞は読むことは出来なかった。だが、そのあわただしさも今日で終わる。午後から母を老人ホームに入居させるのだ。母は腎臓疾患で透析があり普通の老人ホームでは対応できないのだ。透析ができる病院で、しかもその階上に老人ホームを併設しているようなところではないと。ショートステイはその条件を満たしたところ。そこで月の半分をここで預かってもらい僕の骨休みとしてるわけだが、なかなか空きが出ず、9月26日からの空を待っていた所、急きょ空きが出たので、1週間早まった訳だ。母は「要介護5レベル」で、一人で対応するのは、無職とはいえ相当厳しい。それに、ここ1週間は、認知度が急速にすすみ、我がままに拍車がかかった。正直言ってホームに着いた時には安堵の胸をなでおろした。そして、担当者が「老人ホームに空きが出ました!どうされますか?」と好球が来た。老人ホームは、長期入居とショートステイに別れていて、今回は後者の申し込みで訪問したが、10月になれば前者がOKとのことだ。寒くなる頃には何とか老人ホームに入居できればいいな、と漠然と考えていたが、目の前にぶら下がったチャンスに躊躇する間もなく飛びついた。40万円程の費用が発生するが、今回のような幸運には掴まないと後悔すると思った。それに、今回のショートステイが終われば次は5週間の介護が待っているのだった。ほんの1日でも休みがあれば、続けられる介護も「0日」では、なかなかむつかしいのだ。もちろん薄情だとの後ろめたさはある。ケアマネジャーに連絡すると、ここまで頑張って来たのだから、老人ホーム側も優先させてくれたのだろうと、ねぎらいの言葉をかけてくれた。一番近い親類に報告に行くと、「もうじゅうぶんやった」と言われ、家で寝ているよりか、「老人ホームで遊び、会話や、多少のリハビリがあるほうがよっぽど、自宅よりましだ」と言われた。そういえば、自宅では寝てばかりだし、食事も窮屈な姿勢で食べているし、寝相が悪いので、布団の上でめったに寝てないし、排便後は窮屈な車いすに乗ってお湯の出るところまで行かなければならない。そんなことが一切無い老人ホームも悪くないと少し後ろめたさを稀釈した。バーのお姉さんの厚化粧の様に、僕も自己正当性の理由を塗りたくって、自分を慰めるよりないだろう。おじさん所から酒を飲んで帰り、今年の満月を立てたばかりのFMアンテナ越し鑑賞した。
9月15日(木曜日)雨後曇り
難題
今日は工事屋さんから指摘があったのは、風呂の煙突の周りにミカンの木が覆いかぶさっている。これを切らないと危ないよ。それに、風呂の屋根が落ち葉で埋もれている。瓦の為にも良くないよ。と、いうことでミカンの木を伐採することにした。これは骨が折れた。桐野夏生の小説に「OUT」がある。コンビニ食堂の奥様方が協力して、誤って殺した強盗を、彼女らの包丁さばきで細かく切り落とし、骨は粉砕し水洗に流し、肉はミンチにしてこれまたトイレに流す。そうして一人の人間をトイレに流して始末した小説だ。この細かく刻むのに大いに感動し、僕の頭にこびりついている。今日のミカンの木の伐採はまさにこの要領で、細かく伐採して、幹も枝も同じくらいの分量にまでに刻んだ。少し時間がかかり疲れもしたが、すっきりと伐採できて、工事屋さんから明るくなったとほめられた。慣れない難題は小口で処理するのに限る持論を展開し成功した物語。母は透析に行くのをぐずりだした。もう今日が最後だから頑張って行ってと言うと、もう死ぬと言うことかね?と急に病院行きを拒まなくなった。ボケているのか、わがままなのか、もう判断が付かないが、手に負えなくなっていることは確か。今日もよさこい温泉でお風呂。フロントでチケットを買うが、前に来た外国人客がチェックインしている。事前に予約をして番号はこれだとスマホの予約番号を見せている、対応の女の子はそのスマホを見ようともせず、予約カードを一生懸命に探している。手助けしてあげたかったが、もう一人のフロントマンが出て来て、僕にチケットを渡してくれたので、そのまま温泉に直行した。そんなに難しい言葉を話しているわけではないのだよ。頑張って。
9月14日(水曜日)雨
失敗
今日から風呂の工事屋さんが来てくれる。風呂を改築するのだ。大工さんや親類からは、エコキュートを薦められたが、父のこだわりの薪で炊くタイプを選択した。薪が山ほどあるのも理由だし、下から暖かいお湯が昇ってきて、上から水道の水で冷やすのは実に気持ちが良いからだ。それで工事屋さんが風呂を壊し、新しい窯に風呂桶を設置しようとしたところ、竈が水浸しなのだ。今日の雨で、山の湧水がしみ出して、竈に浸透してきているのだ。それではと、僕はこの風呂の周りに、深い溝を掘り始めた。掘ると間もなく、水が湧きだした、と共に、竈の水が引き始めた。雨量が極めて多いのと、家屋の敷地が山の斜面を切って平地にしている関係でこのようなことが起きるのだ。昔はこの湧水を5m位離れたところにある井戸で使っていた。一家五人分の生活水を年中補う水量があったのだ。干ばつで、近所では井戸の水が出なくても、ここは豊潤に水があった。この溝堀は困難を極めた。風呂の周りにはミカンの大木があり、我が風呂の方にも触手を伸ばしてきている。この根を断ち切りながら溝を掘るのだ。今日は全行程の半分で腰が痛くなり断念。エコキュートにしとけばこんな苦労はなかった。それが第一の失敗。次に、工事が始まったのでシャワーが使えないこと。もう一軒、風呂の改修をお願いしている。そちらの方を先に済ませば、自宅で何とか回せたのだが、今回はどうしようもない。水道水を昼間浴びたが、寒くて、長くは流せなかった。それで、芸西村にある観光ホテルの運営する「よさこい温泉」に行った。大きな風呂でゆったりできる。道後温泉はお湯そのものに気持ちの良い効果があるが、それはない。でも大きな浴槽と、屋外の少し湯温の低い浴槽と併せて入るとそれなりの気持ちよさがあった。東北のお湯のように、流しっぱなしではないので、お湯はまろやか(東北のお湯はきりっとしている)。車のエアコンを最強にして帰途につく。1000円と高価だが、ここ数日はお世話になるしかないだろ。
9月13日(火曜日)雨
夜中に大雨で目が覚めた。雨漏りのする家屋なので少し気がかり。庭に置いた満水の甕は2㎝程水位が低下していた。あまりにも雨が激しかったので、中の水を雨粒が掻きだしたみたいだ。朝方には止む。母の朝食準備。昨日は食欲が戻り安心するが、便秘が5日目で心配。病院へはメモを挟んだ。母は毎日医療に関わる人と接しているので、こういった日常の問題も刻々伝えることができて安心。出発の準備をしているときに、「まさたか(僕のこと)を起こさないかん」と言う。誰が、あなたの世話をしているのだ?迎えの車が来るまで、玄関で待っていると、亡くなった父を大声で呼んだ。父は亡くなった今でも、母にこき使われている。その要件は、便意を催したと言うのだ。なんともはや。今日から、酸素ボンベから、充電式の酸素吸入機に変更。空気中の酸素を集めて鼻に送り込む器械だ。連続6時間使用可能。映画「オデッセイ」で使われる機器と同じ仕組み。こちらは火星のCO2から、O2を取り出している。名古屋行きのスケジュールが確定した。9月20日岡崎でウナギを突っつきながらオーディオ談義。夜は栄で別の友人と昨今のビジネス環境について懇親。21日LP、書籍、オーディオ専門店巡り。夜ブルーノート名古屋。22日岐阜の友人と撮影と懇親。夕刻谷村新司コンサート。夜20年来の付き合いのある友人と焼き肉。23日元居た会社の社長と名古屋事務所見学。その後安城市で、別の友人と、美味しい食事懇親。食事内容不明だが、彼の事だから安心。以上アメリカ大統領並みのスケジュールで駆け巡るのだ。
9月12日(月曜日)晴
計画
今日も晴天だ。朝晩は結構涼しくなったが、日中太陽が出すとまだ真夏日だ。母は今日も排便時おしめを脱ぎ、床の上にうんちが転がる。便秘で大量でなかったのが幸いした。毎日床の上のうんこを拾うのは、うんこの種類にもよるが、個人でできる範疇を超えている。もう一つの懸念である食事量の減少は、また復活してきて完食が復活。こちらの面では、まだ自宅介護が可能な状態。迷っていたが思い切って老人ホームの申請書を投函した。来週から2週間ショートステイに入る。その出所時には、更に進んでいる可能性が高いと思われるからだ。その後2週間自宅で介護し、11月から老人ホームに入れば最良かな?秋休みが始まる。名古屋行きの計画を進めた。4組の友人と連絡が取れて、だいぶんスケジュールは埋まった。後1名の確認が取れれば、ブルーノート名古屋に予定を入れよう。泊まれと誘ってくれるが、飛行機とホテルのパックは余りにも格安すぎて魅力的だ。この価格の設定は一体何だ。飛行機の切符代で宿泊がついてくるのだ。今回の名古屋の目的はもちろん羽を伸ばすことだが、一人の友人に関心がある。それは、オーディオとカメラ三昧で生きていると言うのだ。僕の生き方に極めて近い。どんな撮影をして、どんな音楽への傾注をしているのか。ここをきちんと見てきたい。そして、僕はどんな生き方をするのか?もちろん空いた時間は音楽に浸る。これを第二の目的としたい。谷村新司のコンサートを押さえた。ブルーノート名古屋にするのか、ラブリーにするのかは友人の判断にゆだねるとしよう。第三の目的はショッピング。LPレコードケースを持参し、これを一杯にして帰るつもりだ。片づけ作業は母屋東の倉庫の外にある資材置き場。3日程度の予定。
9月11日(日曜日)晴
週間天気予報では今日から秋雨前線の影響で雨が続くと予測されていたが、今日も昨日に続くピーカンの晴天。iPhone7の予約に香南市まで出かけた。あまりにも天候が良いので自転車で行った。45分。ジェットブラックの256Gを注文した。電話機の受け取りには電気の受信レシートを持参する事とあった。??娘が先日帰省した時に話していたが、最近は電話機が売れないので、他の業界に手を出していると。それを思い出して合点が行った。11月に届くと言う。この頃にはワイヤレスのヘッドフォンも発売になっている筈だ。昼飯は「たごさくうどん」さんでわかめうどんを。少々高いが、稲庭うどん風の味。隣のミスタードーナツでドーナツの仕上げ。ここで昨日の子供たちに遭遇した。彼ら彼女らは、酒の席で大人の対応について鍛えられているから、人見知りせず、ごんごんと僕の中にも踏み込んでくる。今日は電話の為に出かけて来たのであいにくとお金を持ってなく、彼ら彼女らにドーナツをふるまうことが出来なかった。帰り道大型スーパーで洗濯洗剤を購入。特にこだわったのは、母の衣類の洗剤と違う洗剤を選ぶことだ。最近の洗剤は芳香剤があり、母の洗濯物は糞と芳香剤のミックスの匂いがする。洗濯機を分けた僕の衣類も同じ洗剤を使うと、糞は匂わないモノの、芳香剤が同じなので糞が混じっているような錯覚を起こすのだ。夕食時、先ずは母の寝室にテーブルを広げ、食膳のクスリと水を用意する。その次にご飯と惣菜の盛り付けた大きな皿を持ってゆく。次は、お箸とお茶だが、今日はお皿を置いたとたんに手づかみで惣菜を口に入れた。まるで腹を空かした飼い犬に餌を与えたような感じだった。それで、箸を持ってくるので待ってと言うと、「もう食べん」と怒った。もう何を言われても腹が立たなくなったが、これは情けない。食事の後、今度は大きな声で(僕に聞こえるように)「ぎっちり、叱られるから早う死にたい、おじいちゃん助けてくれ」とわめく。認知だとしても参るね。しかしこういう時の為に、音楽がある。ハイレゾ音源で沼尻竜典指揮 ベートーベン交響曲6番を演奏した。デノンのDNP-2500はハイレゾの緻密な音を拾ってくれ、小さな音が意外と太く柔らかく聞える。弦楽器の艶が出るまで追い込みが出来てないが、没入はできる。精神がだんだんと落ち着いてくる。後は、午後9時に眠い目をこすりながら、母に薬の服用をさせるために母屋に向かうだけだ。
9月10日(土曜日)晴
昭和のおきゃく
今日はおじさん所で花を作付する日。僕は母を送り出してから駆け付けるが、もうすでに作業は終わっていた。まぁ仕方ない。それでも夜は、手伝ってくれた人が集まって「おきゃく」をするから来ないか?とお誘い。帰り道、あまりにも天気が良いので、弁当を買って、海辺で食べた。小さい頃は浜弁当と言って、父方の母に、弁当を作ってもらい、従兄と一緒に浜辺で食べたことを思い出した。いつも卵焼きだったが海風が格別の風味を運んでくれて、美味なことこの上なかった。母の夕食をかなり強引に終わらせて、再び駆け付けた。10名近くの人がいた。昔と違ってビールを飲なので、日本酒のように差しつ差されつがない(僕の近所ではその習慣が残っているが)。話はとりとめもないが、子供の多さにはビックリ。8名近くの子供が、僕たちの間を駆け回りビールを注ぎ、ポケモンをし、お皿をひっくり返し、どんな人の話の中にも入ってきて混沌。子供に触ると汗でベトベト。汚れ放題。母の食事時も汚れ放題だが、子供の汚し放題は汚くない、むしろほほえましい。隣に座っている従兄と話た。僕らが子供の頃もこんなんだった。彼曰く「お地蔵様の時はたのしかったねゃ」。「夜店が5~60軒は出てた」「今は3~5軒らしい」。今は老齢化と少子化で高知の「おきゃく」は静かで、子供不在で騒がしくもない。この一時はすっかり昭和の雰囲気に浸った。母の夕食の為につくった「タコのピリ辛」を持参し、おばさんに味見をしてもらったら、「合格」だった。もう少しカタクリを少なめに使った方が良いかもしれないとのこと。毎晩とは行かないが、僕も自宅で友人知人を集めて、このような騒がしい「おきゃく」を開催したいものだ。創作料理も100種を超えた。広い場所もある。
9月9日(金曜日)晴
その日が来たら
ケアマネジャーさんに、母の認知の進行と食事の減少について相談したら、病院の先生と面談する機会を作ってくれた。午前10時に安芸病院営業所を訪問すると、先生は、もう老衰状態にあるとの判断をされていた。認知の進行については、老人ホームへ入所を薦められた。食事の減少については、好きな時に好きなだけ好きなものを食べればよい。もともとカロリーはあまり多くいらない状態だから。と明確な返答。そして、今でも相当苦しいから、酸素吸入機の設置。もしもの時は、延命治療をしない方が母の為に良いと思うとのコメントを付け加えられた。帰宅し、訪問看護の看護婦さんを受け入れ、同時にケアマネジャーさんも同席し、もしもの時はどんな対応を取るのか?特にデイサービスで発作が起きると、救急車を呼ぶことになるが、受け入れ病院(救急病院と話はついている)に担当主治医が在席しておれば、延命治療は行わないが、不在の時は治療が行われる。その対応方法をどうするかなどが打ち合わせされた。このままの速度で病状が進行すると、僕の自宅介護は10月までが限界だろうと述べた。入院か、老人ホームかの打診を始めるとのこと。母は8月中旬に帰宅してからわずかの間だが、随分と進行した。命の灯がだんだんと細くなるような感じだ。不憫だと思う反面、あの口の偉さはますます拍車がかかり倍増されているため、僕の中ではこの2つが相殺されてさほど悲観に暮れることはない。まだ夏の暑さそのものだが、沖のハウスを見回ると、彼岸花が咲いていた。季節は秋に向かっているんだ。
9月8日(木曜日)晴
心のケア
台風13号の影響は今朝がた雨がざぁ~と来ただけで終わった。その後ピーカンの晴天。冠水パイプの撤去を終えた、大汗をかいた。後は、定期的に除草剤をビニールハウスの周りに散布するだけだ。作業中に友人から電話が来た、滋賀は大雨で足止めを食らっているとのことで、無駄話をしようと言うわけだ。僕も体を冷やすため木陰で涼しい風に吹かれた。体を大事にしろと言う友人、僕は精神を大事にしたいと返答。慰めにiPhone7を買うわと伝えた。明日さっそく申込みに行こうと思ったが、ケアマネジャーより病院に行って母の状況を聞きに行きませんかとのアドバイス。その後は訪問看護の時間なのでその余裕はない。9日はおじさん所の花を植える作業を手伝わなければならない。だから明後日も無理。ヘッドフォンが発売される10月までには手に入れよう。スキャンした書籍は27分類4,512冊335GBあった。これから重複分類を行い、容量は倍増しそうなので3TBのHDDを注文した。夕刻N響50周年記念コンサートがFMで放送された。生放送だ。Mahler8番。FM波なのに実に素晴らしい音で届けられた。aiffで録音。東京タワーからの電波だと一段と高音質だろうな。マーラー曰く8番が一番の傑作だ。なじみのある2番や5-6番がいいかとの持論だが、今日は考え方を変えても良いかなと思った。丁度このタイミングでベルリンフィルから、有料コンサートの案内が届いた。こちらは映像がある上に、音声はAACだが24ビットなのだ。いくつか無料のチケット(暗証番号)があるのでチェックしてみよう。ライブの演奏もあるが、ドイツ時間の為深夜となる。問題は午後8時には目を開けていられない程の睡魔に襲われる事(酒も飲んでないのに)だ。
9月7日(水曜日)晴
台風13号の影響
朝からピーカンの晴天。家の前のもう一つの畑を耕したあと、母を送り出した。ケアマネジャー氏は、老人ホームの入居申込書を書くように勧めてくれた。僕もそろそろかなと思い、同意した。ハウスのかたづけ仕事は、メイン作業は終わったが、思った以上に後作業が残り、今日は昨日の冠水パイプの撤去の続きをまだ行っている。11時で断念。今日は41度もあった。体がもたない。天気予報は雨だと言うのに、日暮れまで晴天だった。朝顔が青空に映えて綺麗だった。昼間は完成した書籍を、小説やビジネス書などにフォルダーを作成して振り分けて行った。まだ完成してないが4,127冊あった。小学校からの事典から始まり、最近のAudio誌まで今まで読んだ本の全てがある。少し偏っているかな?芸西村の図書館員にフォルダーの分類について尋ねてみよう。例えばビジネスとノンフィクションの分類が妙に不安なのだ。そよ風程度の風が常時吹き抜けて、割と過ごしやすい。台風だとの情報がなければ、一般的な夏の終わりの風情だ。各地で大雨の被害が続出している。大雨情報はリアルタイムに雨雲が見られる今、役場から情報がなかったとか、予測がつかなかったとか、思った以上に出水が早かったとかそんな言い訳は通用しないと思うが、まだ平然(公然)と言っている。この芸西村に居ても、被害が出るかどうかの判断ができるのだ。レーダーで赤や紫が1時間以上続けば避難の目安だ。それに、1時間後の雨量まで予測できるサイトもある。川沿いにある施設の責任者はそれくらいのスキルは認知すべきだろうと思う。
9月6日(火曜日)晴
少し無理した
従兄の娘婿がハウスの整理に来てくれた。彼は、来年からこのハウスで花卉栽培を行う予定だ。ハウスの中に張り巡らした、冠水パイプの撤去だ。室温36度。この中での作業は厳しい。汗が滝のように流れる。若い子に負けてられないと頑張ったが、11時までが限界。彼もトラックに荷物が一杯になったことを理由に止めようと暗に言った。Me
too。取り敢えず当面の計画を打ち合わせをして解散。自宅に帰り、家の前にある畑をトラクターで耕す。何も耕作してなくても、近所の人から見れば、草が生えているのはひんしゅくモノだ。田畑の管理が出来ていることが、取り敢えずここで生きていくうえでのパスポートみたいなものだ。もう2カ月くらい前にこの畑に放置した菰は腐っているだろう、それに昨晩の大雨の後だから、土も柔らかいしと思いきや、菰は完璧にトラクターの爪ンにまとわりつき、又、ツメ軸をダメにするところだった。今回は、こまめに鎌で取り除き、ものすごい時間をかけて、畑を耕した。シャワーを浴びてさっぱりしたところで、テレビを観ながら昼食を摂った。「メイズランナー2」観だすとやめられない引き込みがある。だが、妙にじっと座っていられない腰の痛みがある。そんなにキツイ作業はしてないぞ、随分考えた後判明したのは、母の介護だった。ここ数日認知が進み、ディサービスや透析の送り出し、迎えに、母を介助しているが、この介助に全体重を支えなければならなくなっていたのだ。まっすぐでなく、体をひねった状態で支えるので腰に負担がかかっていたのだ。介護のほうも限界が近づきつつあるが、介助も限界がちかづきつつある。少しやばい状態だ。
9月5日(月曜日)雨
書籍の整理は一応の完成を見た
今日も雨。母はおしめを脱いでパジャマの中に脱糞。これで2日連続して失禁だ。そして、今回は何と言ったか。「うんこはしてない。汚れ物があったらヘルパーさんに頼んでやってもらう」こう言われてはお世話の甲斐がない。だんだんと認知が進んできている。僕は認知の進行よりも、心臓の能力低下が早いのではと思っていたが、どうやら逆のようだ。これから次第に寒くなれば、庭に出てホースでおしりを洗う事が難しくなる。さて、どうしたものか?取り敢えず、ケアマネジャーさんには、この認知の進行具合を伝えておこう。ついでにショートステイの日程を当初計画より多めに確保してもらおう。今日の良いことは、やっと大工さんが動いてくれたこと。早急に雨漏りや、風呂の改修工事が始まるだろう。疲れをいやすにはお風呂が一番だ。父の希望通り、薪で炊く風呂に決めた。これは風呂を沸かすに手間だが、下から熱いお湯が沸いてきて上から水で薄める風呂の入り方は気持ち良い事この上ない。もう一つ良い事は2日間集中的に取り組んだ書籍に表紙を添付する作業は本日完成を見た。1年と長かった。後はファイルを分類して、ジャンル別や、作家別。テーマ別。など重複も可能な分類となるはず。Windows機
で編集しているが、読むのはiPad pro12インチとiMacの25インチのディスプレイだ。いずれもレティーナ仕様で、楽しめるはずだ。好きな音楽と、好きな書籍の組み合わせはゴールデンコンビて言うか、鬼に金棒、猫にまたたび、お女郎に小判、外車にハイオクだ。台風12号の雨は結構激しく、庭に置いた雨量計(カメのこと)は300㎜を超えてあふれだした。こんな日こそ、カウチに寝転んで、本を読むのだ。このイメージを抱いて取り組んできた。次のテーマは父の残した大量の伝票の整理、途中で自分の書籍の整理に切り替えたので中断している。あまりに多い書類にちょっと嫌気もさしたからだ。コツコツ年内目標で頑張ってみよう。
9月4日(日曜日)雨
FMアンテナ設置
結局は庭に建てたFMアンテナは雑音が多く、屋根の上でなければ用をなさないことが分かり、小屋の屋根にアンテナを移動した。これで、雑音なしのFM放送が聴ける体制が整った。そのFM(NHKFMしか受信できない)を聴きながらスキャンした書籍にカラースキャンした表紙の貼り付け作業。スキャンしたカラー表紙にはごみのようなタテ傷が所々あり、フォトショップで修正を加える。この作業が結構時間を食ってなかなか進展しない。でも、副産物で写真の修整技術は随分と上がったので、人の顔のシミなどお手の物となる。今日は8月から進めていた最大のフォルダー1200冊を終えた。後800冊で一応この作業も終わる。あともう少しだ。コツコツと進めよう。今日は芸西村のスーパーで同級生であり親類のみち子ちゃん(この人はまえから「ちゃん」ずけ)に会った。四国銀行を55才で辞めて、悠々自適の生活で、お小遣いとしてパートで同行に勤めているようだ。彼女の母は87才。まだ自分で歩けるので、世話はそれ程厳しいものではない。このスーパーは夕刻買い物に行けば同級生に遭遇する。話は自分の境遇よりも親の介護のこととなる。その母は今夕とてもボケていて、寝る前の薬を服用に行ったところ、「おばあちゃんが和食(わじき)に買い物に行ったきり戻らん、はよう探しに行って」と言う。35年前に死んだことが通じない。「どうして探しに行かんぜよ」わめいていた。もう会話もあったものではない。歩行も、這うこともできなくなった状態でも、口だけは偉い。
9月3日(土曜日)晴
息抜き
母の今朝はパンツを脱いでいた。「どうしてパンツを脱ぐのだ?」「知らん、ひとりでに脱げていた」と母。もう普通の会話ではない。そんなことわかっておきながら、つい口に出す。今日は透析。病院へのメモに食事のコメント入れる。病院では栄養食を与えたとの返信。ハウスの周りの草刈りを終えた。ハウスの周りに放置されているビニールもまとめた。これは草や土の中にうずもれているので、掘り出すのに骨が折れる。FMアンテナが届いた。早速セットすれば、丁度東京JAZZの放送を0:15から22:00で連続で放送していた。東京JAZZは東京に住んでいてもなかなか機会がつかめずいつも録画番組だけで楽しんでいた。今回はやっとFMでも楽しめる。簡易接地なので多少雑音が多いものの、AIFF 44.1Khz16bitで録音できた。録画は10月16日から3週にわたってある。いつかは有楽町へ聴きに行くぞ。透析から帰宅した母は機嫌が悪い。介護の大変さもあるが、それよりも、厳しい試練は、母の口の悪さだ。こういっちゃなんだが、東北の老人ホームで大勢亡くなったが、家族は表向き悲しみの表明だが、内心安堵の胸をなでおろしただろうと思う。また葬儀や49日などの費用も軽自動車が買える程発生する。こんな負担もこの事故は旨く処理される。近所でも、親類でも旦那や両親を介護する奥さんは決まって愛情のかけらもない言葉を発する。自分はそんな気持ちはないと言い切れるか。今日で9日目。そろそろ疲れて来た。僕もここらで充電が必要。母の夕食が終わると、おじさん所にビールを持って駆け込んだ。わずか2時間程度だが、憂さを晴らす。後、13日で老人ホームのショートステイだ。指折り数えて待ちわびよう。帰ってPCをチェックすれば、録音中の東京JAZZは6時間で自動停止していた。アプリの仕様だろう。再び録音ボタンON。
9月2日(金曜日)晴
台風接近
20アールの水田に繁茂した草刈りをしている。今日は10アールを一気に刈った。台風がやってくるので、その前に刈っておくと、草が腐敗しやすいためだ。それに、新しい草刈りの歯の支援もある。今日の母は11時30分に訪問看護の看護婦さんがやって来るまで自宅待機だ。朝食の後、買い物の外出と併せて1時間ほど刈った。一旦自宅に帰り、母の様子を見て再度出かけるつもりだった。ところが、この1時間の間に母は寝床で脱糞。布団と寝間着は捨てた。床はウェットチッシュで磨いた。布団を捨てるのは初めてだ。布団は母屋に6組程ありストックの問題はないが、これを全部使い切れば、もう老人ホームへ預けるしかないだろうな。認知が随分と進みかけている。看護婦さんは食事の摂り方について指導された。看護婦さんがいる間は母も調子よく従って、用意した座椅子にも乗ってくれた。さて、僕一人の時こう旨く行くかな?昼食の後、再び草刈りに。午後3時まで頑張って後少しの所で中断。疲れで、指の握力が亡くなったためだ。高速回転する歯を使っているので、怪我したら大変と大事を取った。暑くて2リットルの水を飲んだ。玄関でシャワーを浴びて夕食の買い物。帰りはビールを飲みながら。昼食は少な目だった母は腹が減っているだろうと、頑張って作れば食べたくない、の一言。しばらく待っても、食べる様子がないので一旦冷蔵庫保存。食事をすれば、体がしんどくなる条件反射が、食を細らしているのだろう。僕も今日はエネルギーの残量が少なく、母の寝る前の薬の服用を早め、就寝。
9月1日(木曜日)晴
少し早めだが、これも良し
母の認知は進み、今日は朝食を用意したが、手を付けてないので食べないのかと聞けば、食べたと言う。これが2度目。今まではどんなにしんどい時でも、食事を準備すれば、必ず起きて来て食していたのに。僕には「はよう行や」と言う。「どこへ行くがかよ」と私。「学校へ行くがじゃなかったか?」。夕食は一度で食べきれなくなった。1時間ほど休みながら食している。食欲が減ったのではなく、食事をすれば心臓の鼓動がはやくなり、気分が悪くなり、食べられないのだ。あれだけ食べるのが好きだったのだが。病院からのレポートは、体の幅に対する心臓の大きさが、3%程小さくなっている書かれてあった。心臓の弁が旨く閉じてないので、心臓は一生懸命血液を送り出そうとする、そうすると、心臓が大きくなる。これが今までの症状だった。それが、心臓が頑張ることに力を抜き出したと言う事か?それが、食事に影響しているようなのか?まぁ素人判断では何とも言えない。母を透析に送り出した。沖のハウスに行って草刈りを開始。最近の若い女の子は前の髪を、額にぴったりと押し付けて左や右に流す髪型が多い。僕が若いころは、ふわっと膨らます髪型の女の子が多かったのだが。それはさておき、この田の草は、最近の女の子の髪型のように地面に対して平行にぴったりくっついて繁茂しているから、垂直の草を刈り取る構造の草刈り機で刈るのは至難の業だ。そこで、歯も摩耗してきたところだし、ホームセンターコーナンで新しい歯を求めた。これはお皿を伏せたような円盤で、地面に張り付いている草を刈り取ると訴求している。2倍位の価格だったが、購入した。すると、作業が2倍位早くなった。こういうところが日本の技術革新の素晴らしいことろですね。歯は「山善の接地刈りチップソー」。と言うことで、予定の時間より早く終わった。午後3時に母を迎えて食事の準備を行った。夕食は5時には終えた。こちらも少々早いが一日の終いを行った。勤め人が通勤電車に揺られて帰る頃には、布団で横になっている。
8月31日(水曜日)晴
振り上げた手を、どこに下ろせばよいのだろう
今朝の母は頭が冴えているのかどうかわからないが、こんな状況だった。朝食を用意して、寝室に設置したテーブルに置いた。母はしんどいから、ここ(布団)で食べてよいか聞かれたので、だめだ。テーブルで食べて!と伝えた。そうしたら、こんな返答があった。「テーブルで食べていいかと聞いたら、だめだと言ったので(僕が)、布団で食べても良いかと聞いたら、ここもいかんと言う。どこで食べればえいがかえ?」一瞬僕の頭が真っ白になった。どこで話が食い違ったのか?デイサービスの車が来るまで、台所と風呂への廊下の床掃除を終え、洗濯機に洗濯ものを放り込んだ。ゴミ出しも行った。時間通りに進んでいる。午前中に役場に行ってメルトセンターの申請書を貰いビニールパイプの処分に行った。予定通り、10時半には芸西村に帰り、役場に貸し出しの申請書を返却した。問題はここから始まった。役場の担当者が、メルトセンターにビニールパイプを捨てることは出来ないと言う。メルトセンターにはこれで3度も通い、捨ててよいかの確認を取っている。芸西村は産業廃棄物をメルトセンターに出すことは出来ないと言うのがその理由。おかしいぞ、受け入れ先はOKと言う。自治体はダメと言う。何で?それでメルトセンターと芸西村の取り決めの文章を見せてもらったら、産業廃棄物も少量ならOKと書いてある。では少量とはどれくらいか?ゴミ程度だと言う。では何グラムだ?不明と言う。少量はだれが判断する?役場の人によって少量の理解は違うじゃないか?そうだと言う。行政は差別を行うことを平然と言う。もう無茶苦茶。又家庭菜園のビニールパイプはOKで農業用はダメ。何度も書くが焼却場はOKとの回答。僕は怒り心頭、役場で大きな声で議論をした。課長クラスは下を向いて聞き耳を立てていた。こんな小さな村の役場でもお役所対応が定着してます。これはただで済まさんぞと決意した。10月になったら暇になるので徹底して戦ってやる。取り敢えず拳は上げたままにしておこう。一方、まだ処分し切れてないビニールパイプは安芸市在住の親類に電話をして、安芸市のしくみで引き取りできる日程を確認した。
8月30日(火曜日)晴
朝6時に、M氏がハウスにやって来る。M氏は従兄の娘婿だ。かれは脱サラして農業をやりたいとのことで、我がハウスを貸すことにした。まだまだハウスは片づけをしなければならない所があり、今日は彼の応援を得るためだ。昨晩から急に冷え込んで、今朝は車の窓を閉めてハウスに向かった。今日の作業は、冠水パイプの取り除きだ。彼は花卉栽培を目指していて、我がハウスに施設してある塩ビパイプの冠水では水量が多く適さないらしい。その撤去だが、何分ビニールハウスの中での作業となり、相当過酷。僕も作業をしたかったのだが、何分母を病院に送り出す仕事がある。6時半に作業手順だけ説明し、現場を離れた。急いで作った朝食は食べないと言う。私にヘルパーさんと呼びかけ、ヘルパーさんは来てないと伝える。どんな用事?と聞けば、教えちゃらん。と言う。まるで幼児だ。シーツやパジャマは2日間隔で洗濯。送り出した後も家事が多い。一応片付いたのは10時。ここから、宅急便が届くのを待つ時間。実は今日、ネットワークプレーヤーが届くのだ。その間に、先日のKORGの結論を出すとしよう。録音は、アンプのEQを通した方が良かった。と言うか、音の変化がなかった。KORGのEQは繊細だが、音色がかわりすぎる。問題は、DSDの録音周波数をどうするか?だ。2.87Mhzと5.6Mhzの選択。5.6Mhzが幾分線が太くいい音。だが、一曲当たりのファイルが600MBにもなる。CD一枚に1曲しか録音できないと同意語だ。かと言って、2.8Mhzではほんの少しだけ不満が残る。悩ましいところ。夕刻母の食事も終えて、早速購入したDACを試そう。NE-2500NEは、いたってノーマルな音色で、ノーマルすぎて艶がない。こんな印象だ。まぁセッティングは床の上直置きだし、LANケーブルも100円ショップレベルあり、正しい判断が出来てないのだが、傾向値はつかめた。NASは音楽専用と、普通のNASがあり、こちらはPCM記録だが、両方とも認識を行い、再生した。先ほどのKORG用のPCとはつながってないので、ネットワークの構築が必要だ。
8月29日(月曜日)晴
秋休み
勤めている人には悪いが、毎日夕刻は、自分と母の夕食を5時半には終え、午後6時半にはシャワーを浴びて、自分の部屋で寛いでいる。東京ではもう暗いと思うが、高知ではまだ黄昏時で、空が染まっているのを眺めながらこれを書いている。今日は大日様のお祭りだと聞き、我が家の敷地はこの沿道に2辺が接している。それで、先ずは朝一に、ここを掃除した。ついでに先祖様の墓も清掃した。昨夜の暴風雨は去ったが、分厚い雲が垂れ込めていた。天気予報では午後から晴れだったので、気温の低いうちに仕上げておこうと頑張ったが、午前8:30にはいつもの灼熱の太陽が顔を出した。作業は紙一重のタイミングで終えていた。母を送り出した後、沖のハウスの草刈りを行った。近所のH氏が来て、「除草剤を撒いて草刈りをしたら楽ぜよ!」「おまんの言う通りにやったが枯れんきに、刈りいうがよ!」と僕。「除草剤をいつ撒いた、昼撒いたら効かんぜよ。夕方撒かんといかん。それに何リットル撒いたがかよ」「10リットル」「そらぁ少ない、こればぁの面積やったら50リットル撒かんと」「けんど、1/10のこいがを撒いたがかよ」「どうも、濃さじゃなくて、水の量に関係するぜよ」と教わった。この事からも農業はかなり難しい事が解った。僕の手に負えないかも知れない。昼過ぎに草刈りを終えて、昼食、昼寝、夕食の買い出し。母の出迎え。ケアマネージャーからの電話。9月25日から母のショートステイを予定していたが、1週間間早まり9月16日夕からOKだとの事。段々と自分の手に負えなくなって来ているので助かる。この頃にはストレスも最高潮になっている筈で、早速都会に出かけ、癒す準備をしようと思う。今度の行き先は名古屋だ。岐阜、名古屋、瀬戸、岡崎と友人が点在する。名古屋にはブルノートがある。大須の電気街もある。知多半島の先にある民宿も侮れない。海の幸満載の食べ物が迎えてくれる。今はシャコ貝が旬だ。ここは誰を誘うのか決めなければならない。中古LPの購入リスト作成と道中に聴く音楽や、見るべきDVDも決めなければならない。やる事と楽しみが一杯だ。
8月28日(日曜日)晴
こんなもんかな
昨晩も母と喧嘩した。作った夕食を、布団の横に置いて、寝たまま食べるのだ。そこらあたり、飯粒や、惣菜が飛び散り、片付けに大汗かいた。そして、また今夕も同じだ。寝て食べちゃいかんと諭すと「はいはい」と軽く受け流す。これに又、僕はカチンとくる。でも、薬を飲ますとき起き上がるだけで、はぁはぁと運動したような息遣いになる。おじいちゃん助けてと何度も叫び、しんどさが伝わって来る。まぁそれも加味して、もう諭すのを止めて自由にして頂戴と思った。と言うことで、母の介護は今まで以上に洗濯やら掃除が大変となり、手がかがるようになった。それに食事も、1時間半くらいかかるので、僕は一旦風呂に入ってから、食事の後片付けをするようになった。洗濯物を取り込んでいるとき、お坊さんが通りがかり雑談する。お坊さん曰く、「もう先がないからこじゃんと面倒見ちゃりや」「そうだな」と僕。昼間台風接近で、小雨降る中、2時間ほど草刈り。KORGのADコンバーターについてのレポート。LPレコードをデジタル化する計画だ。DS-DAC-10Rは、DSD5.6mhzまで録音できる。WAVは24bit-192khzまで。この面白さはRIAA搭載で、Phono信号からアンプを通さず入力できる。そこでさっそく、今回はPhono入力で試した。カートリッジは205cmk4.アームはEPA100.ターンテーブルはSL-110.OSはWindows10。
Intel i5のCPUを搭載したPCでキャプチャーした。推奨CPUは3.1Ghzであり、1.8Ghzでは力不足だが。ASIOドライバーとか、録音ソフトアプリのダウンロード等、使うにはそこそこの知識も必要。再生したLPは「アートファーマー/処女航海」。比較した結果は、LPの直接再生とは全然違う音が記録されていた。いい音だが、どう判断したらよいか迷う。高域が実に解像度高く、800万画素のデジカメから2400万画素のデジカメに変えたような感じ。これは多分デジタルEQの影響だろうなと思った。EQはRIAAの他にもコロンビアとか、いろいろと選べるようだが、今回は試してない。明日はLINE入力での比較をするつもりだ。
ちなみにこれはDACも搭載し、PCからUSB経由で再生も可能。今度来るDENONと比較してみよう。
8月27日(土曜日)晴
戦いが始まった
母が帰って来た。今日は早速透析に通う日だ。食事の後排便。座面に穴付きの車いすに乗せて庭に出て、浴室から引いたホースでおしりを洗い流す。上からは自分でやってもらい、下からは僕がホースの口を絞って洗い流す。今日は水の勢いが良くて、おしりにかかった水が撥ねて僕の顔にかかった。自分の糞も臭いが他人のは格別に臭いことを報告しておこう。母の具合は更に悪い方に進化し、食事をすれば心臓の鼓動が速まるために、しんどくて、休憩なしには食べられなくなっている。洗濯と掃除を済まして夕食の買い物に出かけた。一連の作業はスムーズで10時半には片付いた。これから、草刈機と除草剤を持って沖のハウスへ。ハウスの周りの田も我が地で、ここの草を刈って虫を無くしておかねば、隣の促成栽培に影響が出る。急ぐことはない作業なので、先ずは刈るのが困難な岸沿いを手当てした。明日は北側の岸沿いを手当てし、残すは田の部分だけにするつもり。田の部分は、草刈機に新品の歯を装着するので、作業がはかどるはずだ。草刈機の構造についてご存しない方の為に、説明すると、歯は左回転している。そのため、草刈機を右から左に振る時は草が刈れるが、逆の方向に戻すときは刈れない。だが、新品の歯だと、この戻すときも草が刈れているのだ。台風10号が戻ってきているので、田の部分は月曜日から行うつもりだが変更ありそう。13時に帰宅して昼飯。新聞を読み、朝できなかったラジオ講座を聞けば、もう母が透析から帰ってくる時間だ。時間との闘いも始まった。
8月26日(金曜日)晴
いいニュースと悪いニュース
今日は大忙しだ。午前6時から園芸組合に廃棄するビニールを8時までに出してしまわなければならない。第一回目は6時10分。二回目は7時。合計570kg。農家でこんなにビニールを処分する人は居ない。いかに、放置しておいたのかの証拠。急いで食事の後、母の末病院へ、今日退所し、その足で、従兄のG氏の葬儀に向かう。僕同様、母の性格は、この岡林家につながっているので、重病人であるが、葬儀出席、精進落としに参加と強行した。その後母を自宅に連れ戻し、私はG氏の骨を拾いに火葬場へ。帰宅すると、母の介護関係先による、ミーティング。ホント寸刻の猶予もなくスケジュールをこなした。さて、今日のいいニュースとは、KOREGのDACが届いた。パフォーマンスは明日確認。忙しいとは言え、車に乗る時間が長く、FM放送で、プロコフィエフの交響曲5番の素晴らしさを解説付きで教えてもらい、ジョージセルの指揮の価値ある演奏を楽しめたこと。右指先のしびれが気持ち程度軽くなっている。50年ぶりに会った修君と旧交を温めあうことができたこと。悪いニュースは、G氏とお別れしたこと。VIERA隊のN氏の訃報が届いたこと。N氏は同年齢だった。彼とは、一年間過酷な状況で仕事を共にした。母は自宅での食事が、せき込んで一切取れなかった事。食べると、心臓の鼓動が早くなって、苦しみだすのだ。
8月25日(木曜日)曇り後晴
ルーツに出会う
岡村家は、父の長崎家と祖父の岡林家に代表される血液が濃厚だ。そして、地理的な関係で、僕はもっぱら父の弟である長崎家と懇意にしていた。話もあうし、その筋に齟齬がないからだ。ところが、今回母の従兄が亡くなって、しばしの間、岡林家の人たちとじっくり話をする機会があった。そこで、よくわかったのは、亡くなったG氏は、こだわりのある人と昨日書いたが、趣味に没頭し寝食を忘れるほどのこだわりを持った人だったと伺った。その趣味とは晩年は小鳥を飼育する事だった。それも、8畳くらいの小屋を2つも立てて飼育すると言うかなり本格的なもの。周りの人たちは相当諫めたらしいが、聞く耳を持たず、結局それが、今回の病気につながる要因となったかも知れないと言う。この辺りは、僕は誰に習ったわけでもなく似たような性格を持ちえたのは、結局は濃厚な血のつながりだったのだ。それに、岡林家に共通するのは、あまりにも明るくうるさい程の賑わいを見せることだ。その明るさの根本は人を笑かす会話。そして、ここの男性陣は皆が包丁を握る腕を持っている。僕は母の為と始めた料理、割とスムーズにいろんなものが作れるのを、何度か自慢したが、実はこれも、自分の能力と言うよりか血筋。砂に埋もれていたのが、少し地上に顔を出しただけ。ともあれ、この人たちの性格を少しづつ受け継いでいるのが分かった。嬉しいと言うよりか苦笑です。
8月24日(水曜日)晴
ハードタイム。
今思えば、血管に穴が空いていたようだった。4時間で4リットルの水が漏れている。沖のビニールハウスの後片付けは、毎日、短時間にこれだけの水を飲んだ。この作業もいよいよ終息を迎えようとしている。今日は、ハウスの中と外に点在する木材を集積して家に持ち帰った。軽トラック1.5台分。2往復。朝5時半から10時まで。昼間は昼寝して、夕刻4時から6時まで作業。26日にビニールの廃棄を行えば、後の作業は軽いものとなる。この日から母も帰り、作業時間も限定される。その矢先、母の従兄が亡くなったと知らせが届いた。7月にたまたま氏と安芸病院で会うことができたのは行幸だった。たぶん明日はお通夜。氏は、いろいろとこだわりのある人で、盆栽の腕前はプロ並みだし、我が家の庭に池を作ったこともある。メロンを作れば、青果組合で名をとどろかす職人肌。ナスの育成は、作付からして他人とは違う方法。全てにこだわりのある人だった(僕も少しその血は汲んでいるのかな?)明後日から生活パターンを変えなければと思っていた矢先、一足早く変則タイムに変更だ。高知に帰省して乗り越えなければならないハードルは多いが、いいタイミングで帰ってきた。両親にも親類にも田畑にも。多分自分の趣味の為にも。その趣味は、DACをシマムセンの鈴木氏にお願いした。日本のオーディオ店で一番信頼のおける人材だ。一方でLPのデジタル化も進めるつもりで、この2つの組み合わせは、新しい次元の楽しみを開いてくれるだろう。Bill
Evansが、モントルージャズフェス(1968年)に参加した帰り道、寄り道してフランスだか、ドイツに滞在した。そこで録音した音源が最近発見されて、CDは今年既発売。ところが、今日eオンキョウを覗くと、これがDSD5.6Mhzで発売されているではないか!これを聴かないで何とする。
8月23日(火曜日)晴
漁夫の利
リオが終わり、日本は空前のメダル獲得に浮かれた。だが待てよ、これにからくりがないのか?例えばロシア-26個、中国もドーピング自制で-18個。計44個。米国はその内17個を貰った。日本は3個、イギリス2個もらった。ロンドンのメダル構成比で計算すれば、主要国で日本は8%。ロシア+中国の喪失分に8%を加算すれば4個。つまり、ロンドンより4個増えても良い筈。それが3個とは。東京大会はロシア、中国もドーピングに怯えない選手がやって来るぞ!果たして日本勢はリオ以上のメダルが期待できるのだろうか。今日は、段ボールの廃棄。ビニールホースとパイプ類、農薬や肥料の袋の廃棄を行った。行く先は安芸市。帰りに赤野の高台でひるめしの弁当をノンアルコールのビールと共に。母が帰って来る前に、大方の処理を終えた。やれやれだ。午後は、ゆっくりしていると急に睡魔に襲われ、午睡。目覚めれば、日も傾き涼しくなっていた。家の周りに草からしの散布。他にも西の畑や、きまさごもカバーしなければならないが、明日に伸ばそう。と言うのは、家の竹の垣根でマムシを見かけたからだ。今夕は疲れも少なく本でも読もう。「坂口安吾全集」が200円で販売されている。とても全部は読み切れない。名前は聞くけどどんな文を書くのか未知の人だった。読めば、少し違う視点で書いているのが魅力。そんな見方もあるのか?一風変わっていると言われている私でさえも、おや?と思わせる。そんなところに納得していると、リオのメダル数をうがった見方をするように、ますます岡村さんは偏屈になってしまうぞ。
8月22日(月曜日)晴
エレクトロニクス大好き、でも電気嫌い。
昨日と同じ力強い太陽が天上にある。台風の所為だ。10時間も寝てしまった。それですっきり。今日のビニールハウス片づけは休憩。部屋の掃除。ついでに絨毯も洗った(足裏の感触が良くなる)。暑い夏には掃除で快適になる。農協で建物共済保険の手続き。村民は農協を中心に動いている。農協を無視してはこの村で生活できない。その一例を下記に。トラクターの爪が外れて農協に修理をお願いしてもう2カ月近くなる。当方農家ではないせいか、待っていたが一向に音沙汰がない。それで昨日ついそのことを親類のおじさんに漏らすと、丁度その晩に、元農協の職員がおじさん宅を訪ねて来て、この件を相談したそうだ。そしたら、その夜遅く、元農協職員から電話があって、月曜日には何か音沙汰があるだろうとのことだった。ところが、今朝午前8時、ごみを捨てに行く時、もう農協職員が訪ねて来て、トラクターを表に出しておくよう指示された。まぁこんな具合で、村中が人的ネットワークでつながっている。これへの御礼や何かで、何か包まなければならないものがあるだろう。「鶴の一声」でこの件が解決したので、「白鶴の冷酒」か何かを送ろうと思っている。まぁ田舎の生活とはこんなものだろう。整形病院に行って診断を受けると、手の神経の導通度をテストしようとなった。手首に電極を当て、指先にも電極を貼り付け、手首から流す電気をどれだけ早く通すのかチェックするものだ。では、始めるね、途端に手を振り切った。いろんなものに手が当たって、飛び散った。電気の衝撃は凄かった。もう2度とテストはごめんだと断った。電気は嫌い、耐えられない。本来は何度か繰り返して平均値を取るわけだが、一回のテストだけで判断してもらうことにした。材料不足だが、結果は悪くないとのことだった。気を良くした私は、母の病院の見舞いに自転車で行くことにした。日差しは強く、久しぶりに玉の汗を幾粒か流した。もう少し暑いと体全体が濡れて、気化熱で寒くなるほど体が冷える。少々の暑さでは、熱中症なんかにはなるはずがない。と言うのが僕の持論。母はどんどん認知が進み、ここがどこだかわからなくなっている。もう家に帰りたいと言わなくなった。さて、そんな状態で介護ができるか不安。帰途ブックオフでPSPの中古ソフト購入。指先を反応よく動かして、リハビリが出来ればとの考え。
8月21日(日曜日)晴
夏の晴れ、と言うよりか、秋晴れのような感じ。空気が澄み、青空が抜けるようだ。今日の日中の太陽の強さは、格別だ。今日は、ビニールハウスの作業小屋を片付けた。ここは、無茶苦茶の上を行っている放置状態。とうてい一日では無理で、1週間くらい前から鉄類を始め大型物を処理していった。そして今日が最後となった。丁度今日は粗大ごみの日で、軽トラックに山盛り処分した。作業には累計12日。48時間を要した。この後、ビニールの廃棄。塩ビパイプの廃棄。木材の廃棄に6時間。トータル54時間で終了する予定だ。廃棄に要する費用は約5万円。後は、ビニールハウスの周りの草の処理。これは、草枯らしが効き始める1週間後からぼちぼちと行う予定。こうして夏の盛りに一番重い作業を終えた。その結果、右手親指には電気が走るような激痛が時々発生しはじめた。昼食は自宅で調理ビールで祝った。ウォッカも少し飲んだ。少しウトウトしたら目覚めは午後5時だった。4時間も夢の中だった。夕食の後、午後8時にはまた寝てしまった。随分と疲れていたのだろう。
8月20日(土曜日)晴
今日も日中は記録的な暑さが続くが、ツクツクボウシとミンミンゼミしか鳴かなくなった。作業を終えて庭先で浴びる水道の水も冷たくなった。いよいよ秋に向かって季節が動いているようだ。今日は2つの事をしようと計画した。一つは、ハウスの外に放置された、前使用者の残骸。後1つは、ハウスの周りの草刈りと、草枯らし散布。これが、実に大作業でして、午前中一杯を要して、前者を終えた。これでもう疲労困憊。昼飯に、近くのレストランで、一杯盛り丼を。海の幸があふれんばかりの丼。ビール付きで2000円は高いか?安いか?微妙な所。日中の作業は危険で自宅に帰り、オーディオ機器の入れ替え。レコードプレーヤーを、SL-1100からSL-1015に交換。やや低域にパンチ力が増したのと、高域に癖のない艶が出て来たのが感想。屋内とはいえ、部屋の温度が32度で長くは聞いていられなかったが、今後の楽しみが増えたことを確認。午後4時うす曇りとなって、草からしの散布に出かけた。隣のハウスのおばさんが、百姓は素人なので、タイモも旨く作れないと嘆いていた。40才から農業をしていると言う。脱サラ組だ。隣は綺麗に草を刈ってあるので、こちらの草から害虫で迷惑をかけてはいけないと、隣接部は2度散布した。草からしの溶液は普通50倍希釈だが、僕の場合、ムラがあるので5倍の高濃度で散布した。こんなわけで、今日は朝から夜まで途中休憩があったとはいえ、フルタイムに近い作業を行った。疲れも激しく、ハービーハンコックのLP「VSOP」を最後まで聞く事なくダウン。
8月19日(金曜日)晴
頑張り屋の岡村さんは、ビニールハウスの片付けを終えてしまった。あの圧倒的な散らかりをきちんと整地したのだ。一日早い完成。偉い。そして今日はポリの廃棄指定日。正式にはポリ塩化ビニール。トラック4往復。約500kgを捨てた。更に、塩ビ冠水パイプも安芸市のメルトセンターに捨てに行った。こちらは250kg。今日は優に1tを持ち上げている。オリンピックに出場できる程の鍛え方だ。今日の達成の褒美に、KOREGのADコンバーター59,800円を購入した。これは、LPレコードをDSD1bitに変換できるアダプターだ。東南海沖地震を控えている身としては、保有のLPレコードの保全がとても気になる。歴史に残る名盤は、何としてでもデジタル化しておきたい。本を読む暇、映画を楽しむ時間がなかなか取れないのに、これ以上スケジュールを詰め込んでどうするのだ?と言う突っ込みもあるだろうが、もうそろそろ着手するときが来ていると感じるのだ。ビニールハウス関係の山は越した。後は2度目となる草との闘いだが、1度目とは明らかに強さが違うし、季節は秋に向かっている。今度は軽く草枯らしを散布するので更に楽になるはずだ。BGMにステレオの電源を入れなくなった。iPodで往年のJAZZ名盤をiTuneMusicで受信しこれをFM送信し、父の残したソニーラジカセCFS-E16で受信する。FM送信機はカーショップへ行けばゴロゴロしているしろもの。だが、これを買っても電源が無く家庭での使用は無理かとあきらめていたら、なんとヨドバシカメラで販売してたのだ。こうしてめでたくFM放送が実現できたわけ。ところがこの音質はびっくりするくらい良いので、BGMを通り越していて、先日などベルディーの椿姫を真剣に聴いてしまった。と言うことでプライベートは充実の日々が待っている。
8月18日(木曜日)晴
今日は大忙しだ。まずは、お寺さんにお盆で使用したお札を返却すること。そして、メインイベントである沖のハウスの片付け。食事の後、高知市にある軽自動車センターで名義変更。母の見舞い。書籍購入。ざっとこんな感じだ。ハウスは、慣れてきたこともあるし、毎日翌日分のビニール以外をざっと片付けておいたこともあり、今日は2枠進んだ。後1枠だ。最後の1枠は、弁当、歯ブラシ、などコンビニのゴミ箱に捨ててもよさそうなものを(ローソンで買ったものだから)、このビニールハウスに捨てると言う、なんともはやどうしようもない人である。通りがかりの人は、何で借主に整地してもらわなかったと聞くが、たぶんしないだろう、もしくはできないかも知れない、思ったから、要求をしなかった。この惨状を見れば、多分判断は正しいのだろうと思った。11時まで延長して、運び出したパイプを軽トラックの荷台のサイズに切断した。今回は電動鋸を使ったので結構早く終えた。その代り、指を酷使したので、コップが持てない、車のキーを回すことができないなど、弊害続出。食事はソーメン+キュウリ+海鮮ミックスの煮もの。少しボリュームがありすぎかな?名義変更は、浦戸湾の向こうなので、今日は桂浜を眺めながらのルートを選択。名義変更は代書してもらえば1,000円。自分で記入すれば35円。もちろん自分で記入。何と面白いことを発見した。「住所番号」がある。これは、車検に必要なもので、郵便番号と言う便利なものがあるのに、でも、これでは誰も分からないので、もう一枚の書類に郵便番号を記入する必要がある。こんな無駄を何で放置させる。欧米にくらべ、事務職の生産性が低いと言われているが、これなど典型的な悪例。ちなみに、この番号は、郵便番号に酷似している。母は、寝ていて目が腫れぼったいが、調子はよさそう。介護の方は、時々だが食事時ヒューヒューと息をすると言う。自宅ではいつもそうだったので、やっぱりこちらの方がよさそうだ。それに認知も進み、ここがどこかわからないようにもなってきている。書籍購入は、都会に住んでいると何でもないことのようだが、17日はHiVi誌の発売日。このタイミングを逃すと、この雑誌は購入できないこともある。それじゃ、何で定期購読しないのか?タイトルによってはAVreviewの方が良い時もあり、月によって買い分けているからだ。ついでに、BDのレンタル。「バットマンvsスーパーマン」たわいもないストーリーだろうと高をくくっていたら、さっぱり内容が分からない。1時間も過ぎた辺りでやっと理解。2名のキャラクターの他に、もう一名キャラクターが存在したのだ。だから、ややこしい。音は迫力あり。突っ込みが一杯あるので、別の時に書こう。午後10時に見終えた。車に乗って1km離れたローソンにBDの返却に行く。(街の人から見れば不便でしょう)
8月17日(水曜日)晴
夜中に雨。朝は体がだるく、これは完全に昨日の疲れを引きずっている証拠。今日は寝ていたい。かと言って、休むにはもったいない時(母の介護の必要ない為)。それで重い体を引き起こし、食パン一枚をかじり、職場に向かった。今日の作業はひどい。全借用者はビニールをそのまま放置してあるので、ビニールが折り重なって端が見えない。ねじれもあって、一旦広げる作業を行ってから、小口に切り分けて縛った。2度手間。一部は土の中に埋まっている。ひきはがすのに、土も一緒に引き上げるので重いのなんの。その上水が溜まっている。ペットボトルもお弁当の空もその中に挟まっている。それでも、8時には完成した。後の時間は、明後日が厳しい仕事量となりそうなので、ビニール以外を整理した。ここには靴が4足も放置されてある。缶コーヒーは50個位。ローソンのコーヒーの空容器は20数個。肥料の空袋が50枚近く。本当にひどい仕打ちだと思う。だが、これは自分が選択した結果だ。突然、村内の人だが、このハウスを見に来た。ひどい惨状を確認しに来たようだが、本当の目的は不明。10時に切り上げて、シャワーを浴びて朝食。ラジオ講座。疲れていて途中で居眠り、栄養剤を買いにコンビニへ。暑くて少し動くだけでも汗が噴き出る。でも、季節は動き、もうツクツクボウシの全盛期だ。カナカナと鳴くヒグラシはもう聞えない。ツグミが甲高い声を立てているし、夜は秋の虫が鳴いている。サザンオールスターズじゃないが羅針盤がないので、立ち位置を見失しなわないように、前後左右を見ている。人生にはいつか必ずこのような時がやって来る。ものすごく不安だ。幸いに場所は遠いが友人はいる。孤独じゃないのだと言い聞かせている。
8月16日(火曜日)晴
今日は、5時起床、朝飯抜きで沖のビニールハウスに行った。全部で6つのビニールハウスがある。長さは70m。坪数で600坪。今日はその2つ目のハウスの片づけだ。例によって、ビニールの他に、塩ビパイプや針金、コンビニ弁当、箸、アサヒの発泡酒、いいちこ。職場で酒を飲むのは、前の会社にも事例はあり驚く事ではないが、僕にとっては職場は神聖な道場であり、論外だ。だんだんと慣れてきたこともあり、8時には1枠を終えた。しかし、翌日は、今日の3倍くらいの量があり、克つ、ビニールホースが転がっている。これを短く切断するには、相当な時間が必要。それで、明日も1枠を片付けるために、ビニール以外の臓物を整理することにした。段ボールもまとめると軽トラ一杯になった。今日は段ボールの回収日なので、丁度良かった。農家の仕事はしんどい。それでいて、収穫は不安定。億を稼ぐ人がいるとうわさに聞くが、この村に立派な御殿は無いので、相応の収穫なんだろう。話は逸れるが、この億を稼ぐ農家にはベトナム人の就労者が多い。15万の給料だが、現地では3万円程度の収入がいいところなので、10万円程度の仕送りは、随分といいわけだ。その人たちと自転車ですれ違うことがある。大概女性は「こんにちは」とあいさつをするが、男性は笑顔の会釈だ。女の頭は言語力が発達しているので、すぐに言葉を覚えるようだ。ベトナムでは昔サイゴン、今ホーチミンで自由時間があった。ホテルに荷物を預け、写真を撮りまくった。日本と同じようにパン屋があったので食べると、日本と同じように旨かった。竿の両側にフランスパンの籠を吊るして行商に回る人もいた。この人との言葉の障壁は高かったので、買うことが出来なかった。インドシナと呼ばれていた時代は、フランスパンが旨かったそうだ。ここで音楽のDVDを大量に買い込んだ。中国のコピーもので、言語選択は、中国語と英語だった。一枚150円程度だった。ホー一杯が40円程度だから、現地人も無理すれば何とかなる価格。てなわけで、この村には多くのベトナム人がいる。ここだと食べ物のカロリーが高いので男も女も恰幅が良い。午前9時過ぎには仕事を終えて、シャワーを浴び、朝食。台所と風呂と自分の部屋の掃除を行い、ラジオ講座を聞く。この途中で眠くなり昼寝。遅い朝飯は昼食抜きで、早めの夕食を終え6時には自分の部屋でくつろげる状態となる。午後8時には目が朦朧となり、9時を待たずして布団に倒れる。
8月15日(月曜日)晴
朝は腹が減って食べないと動けない私は、5時半に食事を摂り、6時半から沖のビニールハウスに出かけた。先使用者はここを何だと思っていたのだろうと疑わざるを得ない。少なくとも神聖な職場とは思ってなかったようだ。たばこの吸い殻、すり減った靴、手袋、コーヒーのカン、ペットボトル、ビニールパイプの切れ端、針金、ピーナツの空、肥料の袋、農薬の袋、プラスティックの鉢、そして、肝心のビニール。これらが雑然と放置と言うかビニールハウスの中に廃棄されている。ここをゴミ捨て場と言わず何と言おう。それらを分別して、ビニールを取り出し積み上げた。1m進むのに2時間を要し、午前中いっぱいで1枠を仕上げた。今月中に仕上げを予定しているが、これだと計画変更もありだ。片付ける仕事は一回こっきりだから我慢ができるものの、来年ももう一度となればとてもじゃないができない。朝一からの作業は、生活パターンが変わった、午後一はフリーとなる。さて何をしよう、先ずは昼寝。目が覚めて思い出したのはトラクターの使用者名義変更と母の介護届など役場関係の書類提出。1時間も要した。今日も猛暑で、図書館で「花火」を読み太陽が弱くなる3時半まで過ごした。図書館は冷房が強く、凍えてしまい、4時まで我慢できなかった。「花火」は主人公「徳永」の内面的なことがしっかりと綴られていて、こんな表現に共感する読者が多いだろうと思う。沖のハウスの片付けを仕上げると、もう急いで行う作業は無く、小説を読む時間がやって来るはずだ。今でも、時間が無いわけではなく、夜は結構早い時間から自由になるが、昼間の作業で疲れ切っていて、何かをする気力がわいてこない。丁度今、友人から電話があり、花火を観に行こうと。もう眠くもあり、花火は昼間見たので、今日は失礼するわと、電話を切った。こんなに遅い時間に花火を上げるのは、高知龍馬空港が近くにあり、最終便が着陸してからでないと花火を上げられないからだ。それで、大体9時頃開始となる。地方のイベントで、花火の数はせいぜい2-300本位だから。15分もあれば終わってしまうのだ。だから、眠いのを無理して行く気も起らなかったと言うのもある。寝床に横になり照明を落とすと、遠くのほうで、ドンドンと音がしてた。最後まで聞き取れない内に、夢の中に入って行った。
8月14日(日曜日)晴
今日は忙しい。朝、カッパ市場で食料調達。9時前には昨日訪問頂いた「土佐山田」の溝渕氏にお越しいただく。金属類の回収だ。長手の鉄パイプをグラインダーで切断しているとき、誤って自分の脚もグランだーを当ててしまい、親指の一部をかすめ取った。10時には軽トラ一杯にして帰った。昨日と本日で軽トラ2杯分の金属回収を頂く。その後、猛暑となったビニールハウスでポリの回収。今日はきつかった。たちまちズボンまで汗で濡れてしまった。20分頑張って10分の休憩。12時に終えた。成果は写真の通り。昨日に比べ少しだけ増えた。午後は、土佐カントリーの入り口にある、有名なラーメン店で、ラーメン定食850円。味もさることながら、量が半端じゃない。今日無理して午前中作業を行い、腹を空かしていなければ到底食べきれない量だった。その足で、母の病院へ。調子はよさそうだったが認知が進み、もう会話の体をなしてない。「はよう食べや」と言う、ここをどこだと思っているのだろう。正気を失っても食べる事には固執している。料理が趣味だった母には食に未練があるのだろう。僕も認知になれば、オーディオの事を話すだろか。帰りにMac(ドラッグストア)で生鮮食料品を購入し帰宅。ここで、地元の長老に捕まった。「沖のハウスはどうした?」「返却してもらった」。「片付けはおまんがやるがかよ」。「早く返却してもらおうと、条件を外した」。「そこを、おまんが粘らんと行かんところだったぜよ」。「それはそうと、昼間のかたづけは止めた方が良い、日射病になる」ここで、粘るとあいつは言うことを聞かん奴だと烙印を押されるから、「明日から止める」と返事。と、言うことで、朝書類の整理、昼ハウスの片付けのシナリオを通すことが出来なくなった。
8月13日(土曜日)晴
今日で3回目のバルサンを焚く。どうしてもノミが取り切れない。毎朝起きるとどこかを噛まれていて、かゆみが走る。この部屋にはAVC機器を設置したままで、再三となれば、金属の腐食を心配しなければならない。どうか、今回で死滅することを願っている。午前中父の伝票整理。数字は結構人格を語りますね。成人して父とそんなに話すことはなかったが、この伝票を見ていると、まるで実際に会話をしているように父が見えて来る。その上に日記が残されている。日記帳に書き切れてない時は、封筒の裏面に1週間程度分を認めてもある。几帳面な人だったのだ。かと思えば、沖のビニールハウスを片付けているが、前使用者の分でなく、貸す以前に父の残したもののような資材の残骸も相当量放置されているので、この辺りはどうかわからないが、ビニールハウスの栽培を止めてからは、そういう事一切をする気が失せたような感じだった。沖のハウスの片づけは3日目に突入、炎天下でしかも、今日からはビニールハウスの中。焼けるような気温。潜水夫と同じで、10分ごとに休憩が必要だ。ハウスから外に出て体温を冷まさなければならないのだ。園芸栽培になぜこれほど鉄が必要かと思われるほど鉄の残骸が転がっている。作業順が狂うが④の鉄は処分できないから、以前から手伝ってもらっているM氏に電話。すぐ近くのコンビニにいると言う。早速軽トラックに鉄分を放り込んだが、M氏はビニールハウスの中で作業すると急に黙りこんだ。ばてたんだろう。明日もう一度来ると言って引き揚げた。まぁそんなわけでこの中の温度は尋常でないことは確か。午後5時まで延長して片付けた。シャワーを浴びてスーパーに買い物。同級生の「さっちゃん」に会った。立ち話で僕と同じように母の面倒を見ている。赤岡の老人ホームに1カ月預けているとのこと。暑い夏は、これしかないようだ。
8月12日(金曜日)晴
6時起床(最近は、9時前に寝ているが、起きるのは6時頃で、随分と睡眠時間が長くなっている)。車に積載したビニールを園芸組合に出荷(廃棄)にゆく。この時間に、大型トラックが園芸組合に横付けされ、各人の持ち込むビニールを集荷しているのだ。今回は125kg。朝の一仕事終えた後、朝食。その後村の市場に夕食の買い物。花としきびも買い、墓参りと清掃。一寸の間に又草がはびこっている。夏の間は、墓参りはひと月毎に行わないと草の中に埋もれてしまうだろう。身の回りが終われば、沖のハウスに行き、ポリの回収だ。来週金曜日は、ポリの回収日だ。最初ビニールとポリの見分けが分からなかったが、今では何とかできる。ビニールハウスの周りに放置されたポリは15歩毎に断裁し、小口にまとめ、出荷しやすくする。普通農家の人は、ビニールハウスの仕事は早朝と、夕刻に行う(暑いので)が、私は手がすけば農作業をするスタイルなので、炎天下に農作業をする場合が多い。今日も水3リットル近く飲み干した。右手がしびれていることは、以前に書いたが、今夕は舌先がしびれている。冷たいものの飲み過ぎで舌がおかしくなっている。ポリは20個口となった。まだハウスの中に相当あり、ポリは処分は200kg程ありそうだ。4時半に切り上げた。ここでの計画は①ビニール→②ポリ→③ビニール→④鉄関係→⑤木材関係→⑥ポリパイプ→⑦石→⑧草。の順に作業しなければならないだろう。今日は2の途中。大変な作業量だと思う。
8月11日(木曜日)晴
天候はややきっぱりとした晴。撮影日和。明日ビニールの集荷があると村内放送。よさこい行きを少しずらして、沖のビニールハウスからビニールのみを拾い出しトラックに積載明日に備える。暑い、2時間の作業に水1ℓ。作業中に、従兄の婿養子「あきひろ」君が来て、除草剤を散布。昨日ハウスの周りを軽く刈り込んだから、作業は楽なはずだ。久しぶりに若い子と仕事をして、すがすがしさを貰う。11時に切り上げて、シャワーを浴びて、よさこいに出かけた。朝の作業で腰が痛く、坂道に差し掛かると、腰が痛み困った。栄養ドリンクは、スタミナ切れを考えて帰路に飲むつもりだったので、往路は腰痛と疲れと戦った。中間地点の「得得うどん」さんで昼食。盛況で20分待ち。疲れと暑さを回復するには丁度の時間。「よさこい」は一番近くの「さえんば会場」で見た。ここは南北の通りで、西側は満員の見物客。東側は自由に撮影場所を選べる閑散。ガンガンの太陽を遮るものがないためだ。今年のよさこいは、18,000人の参加でリオオリンピックと同じ参加者数。高知も燃えている。踊りは「切れ」と「静(柔らかさと言うか、やさしさのような表現力)」に選って評価できると思う。そんな人には大概メダルがぶら下がっている。大人も子供もいる、大人は練習の成果だろうが、子供は素質が現れる。チームの評価は「和」。カメラはEOSとLUMIX。それぞれ70-300㎜と17㎜を装着した。隣で撮影している兄ちゃんはEOS5DMK3にLレンズ。それも2台持参。僕のカメラでは到底かなわない装備。炎天下で3時間、ポカリ2本。あまりの熱さに僕の周りは人がまばらとなり、カメラを放置したまま、ポカリを購入に出かけた(この辺りが田舎の良さ)。しばらくして「ほにや(グループの名前で、舞踊技術が一番高いと評価されている、高知のブランド名)」が登場すると、日が差し込むこちら側も一杯になった。「ほにや」は、踊り子さんも大勢だが、ほとんどがウツクシイ女性達。高知県の美形を全部集めたようだ。衣装、踊り、MC、音響設備どれをとっても完璧。さすが、見てて感動。今日一をカメラに収め会場を後にした。あまりの喉の渇きに、ビールが欲しくなり、友人宅に駆け込み清涼の一杯。元気をもらい帰路についた。この時に気がついたのは、腰痛と疲れも消えていた。あまりの調子の良さに反ってこれでいいのか?心配になった。中間地点を過ぎた辺りの「GUST」さんで夕食。夕食を作る心配がないので、ホント気楽。いい夏休みを頂いています。計算通り暗くなる直前の午後7時に帰宅。
8月10日(水曜日)晴
今日もどんよりとした晴。これが本来高知の夏。今日が最高の気温だったとか。ロシアの欠席で日本のメダル獲得が増えている。誰も言わないがこれは真実。核心をつかないのがマスコミ。弱い者いじめするのもマスコミ。海外ニュースに感度が悪いのもマスコミ。まぁそれは置いておくとして、午前中母の見舞いに病院を訪れた。入院費の支払いもある。私は、どんなに暑くても、車のエアコンは入れない変わり者。風を受けて走るのが気持ち良いからだ。今日から「よさいこい」が始まった。見に行きたいのはやまやまだが、病院の見舞いと一緒にできない。その上激しい踊りを撮影するには一眼レフが必要で、そのカメラのバッテリーを交換しなければならず、準備不足でもあったのだ。明日、出かけよう。母は元気そうだが、寝ていたので話の筋が通らない状態だった。自宅では、しんどいを連発していたが、ここではそれもなく、完全介護は寿命を延ばすのだと思った。ただ、おしめを脱ぐのは変わりなし。暑いのでおしめを脱ぐ、脱ぐと寒いので布団を着る。普通に寝ているようでも、布団の下は??こんなパターンだ。午後は、沖のハウスの片付けに入った。相当荒れた状態なので、ひと月は要するだろうと思う。ビニールハウスの周りの草刈りも粗く行った。(緻密に行うには、いろんなものを放置しすぎているため。それは、前借用者の放置だけではない、父も無茶苦茶にいろんなものを放置していた)ゴミの消却にも、相当費用が発生しそう。今日のエネルギーを使い切ったので午後4時半に作業を終えた。今日の夕飯はハマチの刺身。最近街に出かけることがあれば、ホームセンターやドラッグストアでこういった生鮮食料品を購入している。安い+新鮮。食品スーパーのように幅広い陣容で食材を準備しない代わりに、あるものに集中しているので、侮りがたいのだ。今日のハマチは宇和島産。ここから4時間くらいの所。銚子で揚げた魚を東京のスーパーに並べるような感じかな。疲れで8時半に就寝。
8月9日(火曜日)晴
今日はどんよりした晴。こんな日が一番暑い。草刈りに凍らせたペットボトル2本を持って行った。詰めて草刈りをしたのは、明日以降、沖のハウスの片付けに取り掛かる必要があり、今日中に「きまさご」の草刈りを終える必要があった。沖のハウスは返却に時間を要したが、戻って来た。このハウスを従兄の娘婿が使って「花き栽培」を行うというのだ。しかし、前任者のハウス使用はもう無茶苦茶で、整理整頓をしないと足の踏み場もない状態なのだ。貸す以上はきちんとした状態で貸してあげたいので、明日から作業に入る必要がある。それに、今晩はおじさん所で、この娘婿と酒を飲み、調印を行うのだ。自分は若いと思っていても、彼らから見れば、もう立派な「おんちゃん」だ。そう呼ばれると、もう世代は彼らの時代に移ったと言うことでしょうね。一緒に酒を飲みながら、僕は片付けるプランを説明した。かれも、今は夏季休暇なので、できるだけ手伝うと言った。若い人は素直だから気持ちがいい。体力にも、明日への夢も十分程持ち合わせている。8/3ニューヨークタイムズでは一面を割いて地球温暖化の警告。買った書籍でも異常気象の今後の予測を読んだ。僕としては、すぐではないが、この先には、作物の栽培が困難になる気象が来るのではないかと心配する。脱サラしてこの危険な賭けに出るのはリスクが大きいと、アドバイスもしなければと思っていたが、夫婦で希望に燃えているのを見て意見をひっこめ、できるだけ応援しよう。母の入所する有料老人ホームから電話があり、ショートステイの日程を延期することができるとのこと。この暑い日に自宅でいるよりも、老人ホームの方がずっと健康的だ。涼しくなって戻れば良いと思った。それに、ハウスの片づけに専念できる。
8月8日(月曜日)晴
今日もピーカンの晴天。これだけすがすがしいと、風も抜けて行き割と過ごしやすい。草刈りの汗も、昨日程にはなく意外と楽だった。こちらで暑く感じるのはどんよりとした晴の日。風がなくどこにいても温度が高く感じる。午前中は書類の整理、午後はきまさごの奥の方の草刈り。草刈り機はひどい振動で、手を患ってからは、油満タンで燃料補給なし、燃料が切れると作業終了としている。大体1時間程度燃料は持つ。刈り取った草や蔓の処分を行うので、作業自体は4時間から3時間程度。今日の作業で最後の一枚の畑を残すのみとなった。草刈りは目に見える成果があるので楽しい。右に草刈り前と後を掲載。暑いと言っても8月は三分の一過ぎた。クマゼミの鳴き声も幾分弱くなり、もうツクツクボウシが鳴きだした。夜も7時過ぎれば暗くなり、朝の太陽は随分と部屋の中まで届くようになった。毎日変化のない暑さの中でも時は動いている。昨晩見ることのできなかったMahler交響曲9番を改めて観た。バーンスタインのMahlerは評価が高く、ベルリンフィルを振ったレコードは名盤と誉れ高い。それで、カラヤンが嫉妬して、2度とバーンスタインがベルリンフィルを振らせないようにしたとか。それならと言うので、バーンスタインはオランダのロイヤルコンセルトベボーと組んだ。これが、当たりで、9番では一番高い評価のレコードとなったとか。前半はDVDでウィーン・フィル版を、後半はCDでベルリンフィル版を聞いた。さすがバーンスタイン、この演奏は他の人ではできないわと感じさせる名演。夏はクラシックに耳を傾けるのもありですね(ヨーロッパでは現存する)。今日の演奏機器は高域が綺麗なビクターのSX500(柳家本店で購入)で堪能した。
8月7日(日曜日)晴
昨日にも増してのピーカンの晴天。太陽光が当たると痛みを感じる。風があるので、都会のように気温は高くないし、窓を空ければ部屋の中でもエアコンなしで過ごせる。とはいえ、日中の草刈りは体力を消耗するみたいで、ここ数日は午後8時過ぎには寝て、翌日6時ごろ起床だ。それだけ疲れているようだ。今日は、草刈りの他に、粗大ゴミの焼却日だ。指定場所に持ち込むのだが、今日も軽トラックに2回。運んでも運んでも不要なものが倉庫から出て来る。田船も捨てた。まだ浮かぶ。昔、芸西村の平野はほとんど沼地だったので、刈り取った稲は、この田船に乗せて収穫したのだ。そして、丈が1m以上もある竹の竿を通して、稲を乾燥させた。この竹は800本ほどもあり先月全部焼いた。この田船は、回収場に持ち込むと、めぼしいものは無いかと待ち構えていた人がさっそく持ち帰った。大きな樽も処分した。3樽位はある大きな容器だ。昨日にもまして苦難の大きかった草刈り。今日はほとんどが木の伐採。漆の木もあったが、どうやらかぶれないみたい。バラの蔓が巻き付いて、腕が血に染まった。そこへアブがやって来る。泣きっ面にハチとはこのこと。今日も疲れた。4時半に終え、食事を済ませて7時には自分の部屋に収まった。バーンスタインのMahler9番を観た。Mahlerの晩年は交響曲の作曲が粗雑になっていたので、自分が少し編曲を施しても何ら問題ないと冒頭のインタビューでバーンスタインは述べている。バーンスタインとウィンフィルとの共演は、歴史的名盤が多い。9番は注意して聞かないと弱音部のニュアンスを見逃してしまう微妙さがある。だが、今日は冒頭の5分位で夢の世界に入り、強音部でも気づかず最後まで一直線だった。
8月6日(土曜日)晴
ピーカンの晴天。こんな日にぴったり合うのは、高中正義?松岡直哉?スクエア?選曲はちょっと古いがこれしか浮かばない。Marcus Millerやデビット・サンボーンなんかも良いが、こんなにも澄み渡った晴天だと、上記3名がぴったりだ。冷えたジントニックを庭に出して、音楽を聴くか?室戸岬にドライブして音楽を聴くか?が一番ぴったりの風景だと思う。来年はぜひそうしよう。今年はと言えば、父が何でも放り込んだ倉庫の整理と、きまさごの縁の草刈りだ。今身辺にある悩ましい問題とは、1.草が刈っている速度以上に早く成長する。2.僕の部屋に住み着いたノミがどうしても退治できない。3.母屋に住み着いた鼠が毎晩、あらゆるところに糞をするが、どんな薬やネズミ取りを使っても退治できない。前向きにあらゆる努力して対処するのは僕の信条だが、どんな対策も空振りに終始し、毎朝飲みに噛まれた足首を掻きながら、しょんぼりとするのである。1の草刈りの方は、進捗が落ちている。それは、縁の岸には竹や木が生えて、それを根元からのこぎりで切っているからだ。一旦きれいにすれば次回は、草からしの原液をこの木のもとに流し込むから、今回だけの作業と思ってかなり根を詰めている。でも、こうして切り開いた土地はどうする目的もない。懇意にしている、少し遠いおばさんに、神戸のお土産を持って行って、ついでに土地利用方法を尋ねた。「とんでもない、おまさん(私の事)なんちゃーせんが一番」「いったん作ってみぃ、できたものは『はくびしん』に食われるか、人が盗んでいく。」とのアドバイス。そうか!なにも先が一番か。でも、年に3回くらいは草刈りをせんといかん。先が見えないことばかり。
8月5日(金曜日)曇り
朝起きても、寂しさはかわらず、この対策は忙しくすることだ。洗濯や台所、居間、座敷の清掃などで昼までを費やし、午後は、日曜日に処分する大型ごみを車庫に集結、ついでに僕の寝ている倉庫の下を片付けた。これで、午後3時。母の見舞いに高知高須病院へ。手のむくみが消えていた。体の調子は明らかにこちらが良いようだ。調子はどうかと聞けば、「腰が痛いが、調子が良いのかどうかはわからん」とのこと。認知は進み、「祖母にご飯を作ってもらいや」とか言う。そんな話をしていると、隣に座っているこれも母によく似た年齢の女性を、僕とそんなに違わない年齢の娘が訪ねて来て、話をしていた。こちらも、うちの母と同じで、「家に帰りたい」と言う。娘曰く、「自分がどんな状態か考えて見いや、歩けもしない人をどうやって世話するが?家の中ではここみたいに車いすも使えんし。あたしゃ、家で面倒をようみん」。この娘さんの言うことは良く分かる。歩けない、這うこともできない、下の処理もできない。もう、こんな状態の人を自宅介護は無理なのだ。愛情とか孝行とかは別の次元だ。これを押して介護しているので、病院の先生や、この老人ホームのスタッフが、驚いて僕を見ている。この休暇も後5日で終わる。そうなると、朝6時から夜9時までフルサービスとなる。うんざりだ。だが、忙しくて、介護への怒りも混じり寂しさはない。結局7つの趣味で生きるのは相当タフな精神を求められることになる。
8月4日(木曜日)晴
ホームシック
楽しかったひと時もあっという間に過ぎ去った。今回の旅は内的にはJAZZ。外的には友人との交流と買い物。全部むらなく果たしたのですっきり。大阪で過ごすには全く違和感がない。こちらが日常で、高知が非凡なのがぴったりしている感じだ。まぁ高望みはよそう。折角、北野に宿泊したので、風見鶏だけでも見て帰ろう。青空に生えた館が撮影できた。北野天満宮は立ち入り禁止だったが、頂上からは問題なく境内に入れた。神戸市内を一望する高台にあり、すぐ目の前に風見鶏があった。うろこの館も訪ねたが、門が閉まっていた。ひと汗かいてホテルに退散。汗を流して出発の準備を整えた。三ノ宮駅構内にあるパン屋さんで、コーヒーとサンドイッチ。定刻に15分遅れてバスが到着し、一路高知に向かって走った。東京JAZZ2014を観た。上原ひろみとプロジェクトはウォーリアを演奏。この曲はテクニクスの試聴室で100回くらい演奏したなじみの曲。ハイレゾ配信されている曲とは全く違う演奏だった。ロンカーターが枯れて益々渋くなった。演奏中はほとんど目を閉じていた。これほどのキャリアが長いと、すべてのパターンが頭の中に入っているのだろう。ジャズメン達にどのレベルが目標なのか?インタビューすれば、どこまでも行っても上限がない、でも世界の人びとに聞いてもらいたいのが目標と答えていた。最近のジャズはファンキーサウンドで踊れる曲構成。だがロンカーターのグループはビバップ臭を残す4ビート。次、トムクルーズの「カクテル」たわいのない内容だが、トムクルーズがやたらとかっこいい。世界中の女がのぼせるわけだ。この映画の終了とともに高知駅に到着。高知はどんよりと曇り。ごめん-なはり線に乗って和食に到着すれば雨。今回は本を持っているいので濡れるのはやばい。雨宿りして隙間を縫って帰り着いた。村はなんだかひっそとしていた。自分の家に帰って来たのに、ホームシックにかかったように、何だかやるせない寂しさに襲われた。
8月3日(水曜日)晴
全ては計画通り
まずはパナソニック大阪訪問。仲間がここで頑張っている。新しいリスニングルームは生活臭があり、好感。LPレコードが随分と揃っている。鬼才「トリスターノ」もあった。ジャケットが余りにも有名なLPだが、音楽はメチャクチャ難解。誰が選択したのだ?続いてヨドバシカメラ。「コレグ・デジタルレコーダー」は展示なし。オリンパスのICレコーダーについてオリンパスのヘルパーさんに聞くが、マイク入力とLINE入力の差異も知らず、パス。富士フィルムのXT2は展示なし。オリンパス・ペンfでも良いかな?と思った。本命はニコンD500。これは思った通りのフィーリング。意外と良かったのはPENTAXのK1。だが、レンズの事も含め対象外。SOFT
BANKのヘッドホンは展示なし。外のショップを勧められた。シュアのヘッドフォンRSH1840と1540は1540に軍配。59,800円。ネットでは49,800円であまりの価格差に唖然。富士通の4Kパソコンはマズマズの出来。こうしてヨドバシでの目的を終えたが、これだけの店舗を持ってしても、在庫に限界。アマゾンの存在がいかに大きいか?よく分かった。続いて、友人との懇親で長堀へ。焼肉ランチ。久しぶりに、昔の出来事と、昔の仲間の消息に華が咲く。楽しいひと時の為に、遠路はるばる来なければならないのは仕方ないがすっきりして退散。ジュンク堂梅田に向かう。ここはでかい。高知にもこんな店が欲しい。ジャズの本2冊。クラシックの本2冊。AIの本2冊を買った。地球生命とグローバル経済についての書籍は次回。6冊だけでも相当な重さ。疲れてLP物色の店はパス。三宮に向い、友人との合流。もう一名居るが、遅れてくるとのこと。ジャズクラブ・ソネへ。ここは天井が低く、音がマイルド。だが庶民的で気楽。ボーカルはLorna
Cifraさん。フィリピン人。優しい英語で話された。遅れて来た一番若いメンバーが来年定年を迎える。そのための職業探しについて、僕ら2名は少ない狭い知識を披露した。それで、ライブをあまり真剣に聞けなかった。次回は、9月末開催。会場は桃谷。夜も更け解散。全てのスケジュールをこなしてホテルにチェックイン。この3日間どんなに酒を飲んでも酔わなかった。高知では500mlのビールでおお酔いなのだが。
2016.08.02
夏季休暇始まる
世間の人より一足早く突入。世間の人は田舎へと急ぐが、僕は都会へと足を運ぶ。8:15の高知行き快速電車に乗った。僅か40分で到着する。同じ路線を高校生時代は90分かけてはりまや橋まで行った。今思えば、90分は自転車で行くのと変わりない。そんな呑気な田舎のちんちん電車だった。高知から三宮までは、高速バスを使う。往復で10,000円。時間は新幹線と比べると90分だけ余分に要するが、急ぐ旅でもない。のっけから東京JAZZ2006年VOL.3を見る。パナソニックのDVDプレ-ヤに互換性のある大容量のバッテリーを装着しているので、上映時間は十分にある。渡辺香津美とマーカスミラーの共演は、やや渡辺がリードし、マーカスのベースプレイは控え目だった。バスの走行ノイズが混入しないボーズのノイキャン・ヘッドホンを使用しているので、低域はタップリ拝める装置だったが。ラリー・カルトンと松本孝の共演は、リラックスと、精緻の追求の組み合わせ。ギタープレイを見る限り、日本人の演奏とアメリカ人の演奏にはやっぱり基本的な差異がある。GMの車と、レクサスの違いみたいなもんだ。午後3時に日本橋シマ無線へ。音信不通だった鈴木さんは健在。DACの購入についてアドバイスを貰う。やはり当初の計画通りデノンDNP-2500NE。AVは浜岸さんに。4Kの4-4-4が受けられるプロジェクターはビクターのみが判明。エプソンの4Kは扱いが無く対象外。スクリーンはキクチのホワイトマット地を選択の事と言われ、HDMIケーブルはコーズ社の18GBPSモノが必要で20万。これが予想外の費用。アンプはヤマハしか選択肢が無いようだ(デノンのAVアンプは嫌い)。大体は概要が掴めた。その後ウインの元社長と合流。シマの社長もお誘いして喫茶店。日本橋を長く担当したが、この喫茶店は知らなかった。僕の出来る仕事はあるような話だったので、田舎でくすぼるか?都会で泳ぐか思案必要。都会へ行けばAVは延期。急いで梅田に向いBillboard大阪へ。大野雄二とルパンテック6。聞いたことの無いグループだが、大野氏はルパン3世の作曲者だった。ガッテン。松島けいじのトランペットがトレイシーチャップマンに似てて、なかなか良かった。この男は無口で出しゃばらない相当なテクニックがある。常々こんな男になりたいと思って来たが僕は実現出来なかった、来世に実現しよう。鈴木ひさつぐのテナーもキレがあり、やっぱりブラスは若くないと面白くない。MJQのルーソロフが面白かったのは50代まででやはり年齢は超えられない。(ちなみに僕の直近の肺活量は3600ccで、若い頃は4100ccだった)ルパンテックはサラリーマン風で、舞台に立つには見た目、華は無いが、演奏は本当に凄く上手かった。1万円の価値ありと堪能。午後8時退散し、福島駅近くの魚屋さんで友人と合流。僕の介護の苦労をぶちまけてすっきりとした。やっぱりこれは、わかって貰う事より、言いたい放題を聞いてもらうことしか解決方法が無いことを発見。友人には美味しい料理の店をセットして貰い有難かったが、それ以上に話を聞いてもらった事に有り難さを感じた。こうして、休暇の1日目は寸刻の狂いもなく充実して過ぎて行った。
8月1日(月曜日)晴
キワが大切
待ちに待った今日がやって来た。母をショートステイの老人ホームにあずかってもらう日だ。ほとんど僕の言うことを聞かなくなった母の介護は少し限界を超えて来た。もう我慢できない頃に、このショートステイの日程がやって来る。午前10時に預かってもらい、一段落ついた。肩の荷が下りるこの開放感。なんてこの世界は光に満ち溢れ素晴らしいものだろう。(それも、そのはず、今日は一番のピカ天の日だった)帰りは、冷房を切り、風を受けて走った。腕に当たる太陽光が痛い。MJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテット)を多少ボリュームあげて聞いた。夏のジャズは実にこの暑さとマッチする。10代の娘は箸が落ちても笑うと言うが、今はそんな心境。床屋さんによって髪を切った。2400円で髪を染めてもらえるので、ついでにそれもお願いした。染めた後、シャンプーする前に頭の際をもう一度染めた。ははぁ、ここがポイントだな、と思った。帰って「きまさご」の草刈りを行った。今日は田の端を刈った。中央を刈るのは割と早く広い面積が刈れるけど、端は石やツタ類が多く時間を要する。でも、ここを済ませば、この田が見違えるようにすっきりする。太陽が鋭く、1時間で退散した。再び老人ホーム。高知医大の主治医の診断があった。結果、自宅療養は全く問題なく、前回検査と大きな差がない。との判断。これで心配なく旅行に行ける。帰りにイエローハットに寄って、古タイヤを処分した。これは庭の端に長い間積み上げてあったものだ。今日は、端にあるもの、通常はメインでないモノに着手した。意外とこれが片付けに功を奏した。夜、「ドリカム」の裏ベスト3枚組を聞いた。これも端ものだ。メロディーが全くさえない中、素晴らしい音質でそれなりに楽しめた。
7月31日(日曜日)晴
今日の晴天は尋常ではない。風は涼しく木陰の気温は低い。しかしひとたび太陽光の下にでれば、焼けつくような暑さ。危険を感じて、午前中は父の書類の整理に変更した。午後、草刈りに出発。今日は、道中の道を塞いでいる竹藪を刈る。もう一か所は、畑の岸を覆いかぶさっている岸を刈る。両方とも日陰での作業。石を刈っても良いように、古びた歯に交換した。TTP交渉による、農業の効率化など文民はいろいろと取り上げているが、農業は結局は人の手による作業がどうしても必要で、すべての田畑が大規模農作地ではないのだ。農業対策は「笛吹けども踊らず」がずっと続いたが、つまりはここに原因があると思う。このような土地は放棄して、工場で農作物を育てるような集約化が農業の立て直しに必要で、それにはどうしても農業法人化が必要だろうな。でも、今日刈りこんだ岸は、2か所上の畑から崩落している。原因は大きな木が岸で成長して岸を崩したのだ。昔の農家は岸に草木をはやさない管理が出来ていた。今は放置され、このように岸を壊しているのだ。農家の高齢化によって、ますます山地の田畑は放棄され、岸が崩れてゆくのだろう。農家対策=岸のうまい管理みたいなところにも突き当たる。いずれにしても農業は体の負担が大きい。、
7月30日(土曜日)晴
今日もピカ天。2日続けて排便の始末。クスリの服用がなく出ているので、体の調子は凄く良いのだろう。透析に送り出した後、部屋の清掃を行い、シーツとかパジャマとかを洗濯し、夕食の食材購入に出かけることができたのは10時半。今日は、手間のかかる料理を避けて、18時には出発できるようにしよう。午後は、「きまさご」の草刈りだが、田の中に竹が随分と進出してきている。その対応に追われた。昨年は近所の方に有料で刈ってもらったのだろうが、作業が雑で、刈り取った竹を田の中に放置してあるので、この処分を行わなければならず、ここの作業は困難を極めた。天中の太陽は余りにも強く、休憩なしではとてもできなかった。だが、動きを止めると「アブ」が襲ってくるので、あまりゆっくりともしておられない。久しぶりに肩で息をした。昔、祖父はこの土地を鎌と鍬だけで完全に管理していた。現在の僕は機械の力を借りて作業を行うが、とても昔のような田に戻すことは出来ない。さて母の夕食も終わり時間通りだ、出かけるぞ。でも、こんな時に限って母がまたもや排便だ。車いすに乗せ、おしりの洗浄を済ませば、時間は30分オーバー。友人と自転車で会場へ急いだ。(別に急がなくても、花火の開始にはまだ十分な時間があるのだが)会場は、多くの屋台出店で賑わっていた。芸西村にこれだけ若者がいたのかと思わせる賑わい。船橋の大神宮のお祭りなんか比じゃない規模だ。花火を見るいい場所に陣取り、少し離れた広場のコンサートを聞いた。ポケモンGoは、丁度コンサート会場辺りに戦いのリングが張られていた。残念ながらあなたの技量では参加できませんと表示。ビールを飲みながら、最近の音楽事情について情報交換。暗くなってから、加奈ちゃんが到着した。3歳下の小学生時代の遊び友達だ。今は立派なおばさんだ。20:30に花火が始まった。この花火は、僕の部屋からも撮影できるが、やはり近くの迫力にはかなわない。外国人も結構いたが、聞けばベトナム人だった。施設園芸の研修者達。
7月29日(金曜日)曇り雨
魔の金曜日。何故かと言えば、今日は訪問看護の日で、看護婦さんが訪問してくださる日。母の透析も、一日預かりのディサービスもこの日はなし。それで、朝昼晩と3度の食事を用意して、糞の始末も行うなど、フルサービスの日であるのだ。順調にはかどってきた畑仕事を中断し、今日はプラスチック類の廃棄をする事だけに限定した。最初から行こう。訪問看護は、芸西病院のホンモノの看護婦さんが各家庭を訪問するので、いろんなチェックがある。前には糞の始末を習った。尻の拭き方から、割れ目に糞が入った場合の取り除き方などだ。僕は尻は拭くけど、さすがに割れ目は一寸と思った。それで、今朝の糞の始末は、指摘されると、教えを実行してないことになるので、風呂から引いたお湯の出るホースで丹念に洗ったと言うか、放水した。車のバンパーの下にこびりついた泥雪を落とすとき、ホースの先を摘んで丹念に水をかけますね。あの要領で、母の糞を洗い流した。看護婦さんは、チェックした後、きちんと清潔に保たれていますよと満点だ。部屋の掃除や廊下の掃除も事前に行っておいたので、まずまずの評価だったと思う。病状の診断は、非常に良いとのこと。退散された後、昼飯を献立。(僕は昼抜き)食事が終わると、古い畳やビニールハウスに使用した黒の大型シート。酒屋から酒を配達するためのコンテナ、古タイヤなど。軽トラック一杯詰め込んで、安芸市にあるメルトセンターに行った。今回の廃棄代金は3,000円。ただし古タイヤは引き取りを拒否された。このトラックで何度廃棄の荷物を運んだことだろう。帰って夕飯の支度。トイレと母屋の天井にバルサン。夜9時に寝る前のクスリを服用させて、今日の一日が終わった。これは老人ホームで3人~4人の交代制でお世話している内容だ。夕刻近所の友人から明日の花火のお誘い。パナソニック望遠カメラFZ7とソニーの一眼カメラNEX5の充電を行った。カメラが古いので、花火が旨く撮影できるか不明。
7月28日(木曜日)晴
昨晩のビールは、乾燥した体に短時間で急速に流し込んだから、良く効いた。今朝は頭がぼやぁとしている。その頭に鞭打って、ガラス瀬戸物を処分に出した。母がため込んだ鉢は数百。ほとんどを処分したが、裏のみかん畑に散らばる鉢は、かけたものから、完全品まで数十個。これらを集めて粉砕してビニールにつめて供出するのだ。広い敷地に捨て放題と言うのが、両親の生きざまだった。着手すればするほど、後片付けの材料が出て来る始末。今日の片づけは「きまさご」のメインの畑の草刈りはほぼ終えた。しかしまだ、この畑に付随する小さな田が2枚あり、こちらは竹や木が生えてちょっと厄介だ。手を使う作業はマムシを掴む可能性があるので、要注意だ。明日以降の作業としよう。次は倉庫の片付け。菰は全て運び出した。腕の上を何匹もノミが飛び跳ねる。肥料がいくつも分散して放置されている。大体一袋20kgあるので移動するのは大変。農業は本当に重労働だ。父は膝を患い、歩けなくなり心臓の病気が悪化したが、こんな重たいものを持ち続けていたら、ひざはやられるわけだ。こちらも道半ばで明日へ残す。夕刻、母の親しかったおばさんが見舞いに来てくれた。いつも卵を持ってきてくれる。これは、近所でもなかなか手に入れられない貴重品。濃くてホントに美味しい。TV番組なんかで放映されているのと同じ美味しさだと思う。メールと電話のやり取りで大阪でのスケジュールはびっしりと埋まった。問題なのは、夕刻9時には酒を飲まずとも睡魔に襲われている生活習慣病を持っていることだ。
7月27日(水曜日)晴
ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ。母の寝室にムカデが出た。10㎝以上はある強烈なやつだ。早速庭で殺した。母の出発時、車いすを納屋から取り出そうとドアを開けると、そこにまむし。何か殺すものはないかと探している間に、逃げられてしまった。母を車いすに乗せ、迎えの車まで押してゆく時、ハチが多いなと梅の木を見れば、先日かなり吸引して数の減っていたあしなが蜂の巣に、多くのハチが群がっていた。なんともはや。しばらくして、村の鎮守の神様の今日はめでたい村祭り♪の話。近所の奥さんに、「今日は行かないんですか?」と聞かれた。「どこへ」と僕。「今日は神祭だよ」。「道理で、のぼりが出てたわけだ」。参加するための逆算すると、6時から参加するとして、母の食事は5時から作りはじめなければならない。そのためには、きまさごの草刈りは2時までに終了して、余った時間を倉庫の片付けに回し、5時前に終了する。こんなスケジュールを立てた。誤算は、今日の太陽は半端でなく、汗が噴き出て、大量の水を飲むことになった。それで、食欲が全く落ちた事だ。母の食事の準備時間に水気を絶ち、ビールに備えた。天満宮は500m位東に位置する。自転車のノンブレーキで坂を駆け降りると、1分位で到着する。お宮の境内でビールを売っていた。中ジョッキが@100円。焼きそばや焼き鳥は無料。寄付があったので無料とのこと。(今回寄付のことは知らなかった)これぞまさに「後の祭り」だ。誰も知り合いは居ない。ただ飲むだけ。だんだんと暗くなるにつれて、知り合いが集まって来た。でも、僕は7時半を限度として退散した。暗い夜道は避けたいためだ。帰り着いて、シューベルトの「冬の旅」(暑いからこそ、意味がある)を聞いた。フィッシャーディスカウが実に丁寧に歌い上げていた。
7月26日(火曜日)晴
8月1日から母を老人ホームに預ける。毎日のお世話は続くと結構きついためだ。それで、骨休めに大阪に遊びに行くことに決めた。高知に居ても情報はネットでも調べられるが、やっぱり人の口から情報を集めたいし、実際自分で見たい、探したいのもある。特に、シアターシステムを組む計画をしているので、その相談が一点。ニコンの一眼(D500)か富士フィルムの一眼(X-T2)でしばらく様子を見るのか?その判断を。これが2点目。4KモニターのPCはディスクトップ(自作システム)とノート(富士通)と両方比較したい。特に、4Kモニターは32型以上で実際見てみたい。これが3点目。ジュンク堂でめぼしい本があるか散策したい。4点目。夜は、ビルボード大阪と神戸ソネでジャズを聴く5点目。まぁざっとこんな感じで、田舎のお上りさん的スケジュールだ。それだけ鬱積しているわけであります。今日の片づけは、きまさごの草刈り。三分の二まで来た。気温高く、1時間の限定だが、汗が噴き出てズボンまでぐっしょり。
7月25日(月曜日)雲
今が旬とは知らなかった。久保田トラクターの修理を農協にお願いすると、ちょっと先の事になるとの回答。今は園芸のビニールハウスの土壌づくりでトラクターは必須アイテム。その修理となれば、寸刻を許さないほど切羽詰まったものとなっているようだ。ビニールを張ったあと、土を高温で蒸込み、その後藁を撒き、たい肥を放る、しばらくしてトラクターの出番だ。これらを粉になるまで叩く。それが今と言うわけ。時間の許す私はいつでもOKと返事。勝手に取りに来てくれる。(キーは付けたまま。この辺りが田舎の良いところ)午後一から、「きまさご」の草刈り、時間限定で中断する。次に東の納屋にある、稲を乾すための脚として使った竹400本を燃やす。全身汗で濡れる。母は寝たまま食事を摂って、ご飯粒をそこらあたりにばらまいた。今朝は、脱糞しもう少しで布団に糞がかかるところだった。日常の介護の負担が更に増えた。自分で言うのもおかしいが本当によくお世話していると思う。農作業の疲れもあり、夜9時には就寝だ。
7月24日(日曜日)雨
身の回りに散らばる書類をスキャンした。ついでに今月の雑誌も。今日は、雨なので、屋外での作業は無い。午前中、部屋の中で整理を進めた。スキャンした書籍に、表紙を添付する作業は毎日少しづつ進めたてきたかいあって、先が見えて来た。この意味は、書籍は、文字の部分は白黒でスキャンしている。その方がファイルデーターを節約できるし、紙面の余白は真っ白に転換し、文字の真っ黒とコントラストがつくので読みやすいため。一方表紙はカラーでスキャンし、表紙だけは別途ファイルしている。(書籍のサムネイルが、モノクロ表紙ではつまらない為)それで、この2つをくっつける作業が必要だ。一日に10-20冊を船橋に住んでいる頃から進めて来たから、後200-300冊程度の残量となったのだ。今日はこんなことで体を使う作業をしてないので、割と体力が余っている。それで夕食後「ザード」の25周年記念ライブを観た。「坂井泉水」は観てて気持ちが癒される程の美形だ。僕の先入観年は横顔がいいと思っていたから、正面顔もいいのでびっくりだ。短パンから見える脚線美も十分だ。モデルさんとしても上級レベルにある。美形にプラス歌が作れ、歌えるとなると、あまりにも贅沢な話。やっぱりそれが死期を早めてしまったのかなぁ?書籍の整理が終われば、この撮りためたDVDやBDのインデックス作成に着手だ。
7月23日(土曜日)晴
昨日の草刈りは右手にひどいダメージを残ししびれたままだ。今日、整形の先生に診てもらったら、手の先は薬指と小指がしびれる症状か、親指から中指までしびれる症状か、どちらかだと言われる。全部の指がしびれるのはあり得ない。「でも実際しびれている」。先生も困惑、取り敢えずビタミンと炎症を抑える薬で対処しよう。とのこと。家に帰り、父の書類スキャナー作業。眠くなり30分休憩。草刈りは出来ないが片づけは進めたいので、草刈りの後をトラクターでたたくことにした。一枚目の畑は旨く行った。二枚目の畑は、草が余りにも多く、草刈りの後でも、その草をトラクターがたたき込めないのだ。それを無理してエンジンを噴かした。ツメの音が変わったがそれでも続けた。更には、草を刈ってない所もたたくと、案外うまく草の刈り取りが出来たようだ。それで気を良くして、もっと大きな畑のある「きまさご」をたたいた。ツメの音は更に変わった。父は畑と言う畑に必ず資材を捨ててあり、ここはビニール、金属の配管、ビニールひもなどがドンドン出て来る。ツメからの大きなショックでこれらが埋まっていることが分かる。家に帰り、トラクターの爪に絡んだ草を取り除いていると、ツメの片側の軸受けが折れていることが発覚。やっぱり、生の草をトラクターでたたくのは無理だったようだ。月曜日修理に出すが、随分と費用が発生しそう。かと言って、この大きな面積の草を刈るには、ちょっと自信がない。自然との闘いは相当なものだ。夕刻、母の食事を作っていたら、まな板に黒い小さなゴマ粒が落ちて来た。よく見ればそれは僕に取りついたノミだった。包丁でノミを半分に刻んだら、パァ~と血が広がった。僕の血だ。更に、ノミの被害に苦しんでいるので、寝具はできるだけ太陽に乾している。乾した枕を裏返せば、そこからムカデが落ちて来た。乾しているときに忍び込んだのか?それとも、枕に住み着いていたのか?害虫との戦いも相当なものだ。階層で表現すれば、その戦いの上に、自分の生活と母の介護がある。またその上のレイヤーに、田畑の管理がある。趣味はその上になるのでなかなか手が出にくい。
7月22日(金曜日)晴
今日の片づけは、西の岸刈り、西の田の上段の草刈り2/3。古ビニールの処分50kg。役場より母の病状確認。しばらくして、訪問看護。今日は一日寝ていたせいか、ますます認知が進んだ。全くこちらの言うことに耳を傾けず、自分の言いたい放題。家での介護に限界が近づいてきているような気がする。あまりにもひどい状況に耐えきれず、おじさん所で愚痴をこぼし、酒を飲む。ビール500mlが適度なのに、今日は腹が煮えくり返っていたので、もう一本を空ける。おじさん宅から帰ると、母は脱糞。その処理。酔いも興覚め。シャワーを浴びて自分の部屋に引き上げると疲れと酔いで、そのまま寝てはいけないと思いながらも、裸のまま30分ほど眠る。これで完璧に風邪を引いた。ポケモンGOはおじさんには難しい。まず、捕まえられない。次にルールや約束事が分からない。最後に、専門用語が理解できない。ITやAVの事は良く理解できるのですが、どうもこの世界は苦手だ。それに、ARのスイッチが消えてしまい、どんな方法を使っても復活できなかった。これから先、PS4にVRが10月に登場する。これは4Kもカバーするマシーンで購入を楽しみにしている。だが、多くの人たちが簡単に楽しめているポケモンGOでさへモノにできないのに、超高度なVRが使えるのか?苛立たしいが、年齢を経たおじさんにはこうした問題が立ちはだかる。
7月21日(木曜日)晴
今日の片付けは、1.スレートのU字溝。2.西谷の畑2枚をトラクターで耕す。3.家前の畑に積んである、岩石、ブロック、瓦のかけらを、裏の三角畑(ここは狭くて何かを放置するしかない)に移動。文字にすれば簡単なようだが、炎天下、ものすごく汗をかく。頭痛もするので、車のエアコンに助けを借りることしばしば。日陰に居る限りは、涼しく過ごせるが、ひとたび活動をすれば大汗をかいてしまう。明日は古ビニールの出荷日。倉庫から前回処分できなかったビニールを引き出し車に積載した。このように毎日片づけは進行している。雨のしずくが岩石に穴をあけるように、いずれは片が付くだろう。U字溝を高知の友人宅に持って行った。友人は休日で一日のんびりしていると言う。大阪の友人にも電話をすれば、暑いのでゆっくりしていると言う。天候を無視して根を詰めているのは僕だけだ。まずいかもしれないと疑念が横る。もう若くはないのだった。今日の昼飯だって食べる時間がなく(母が透析から帰宅するので)昼飯はマクドのドライブスルーでポテトとアイスティ。運転しながら済ませた。これも、年齢を無視した行動。母の介護をする限り、どうしてもこのようなパターンとなってしまうのだ。それに片づけ作業は、成果が目に見えるだけに、ついつい無理をしてしまう。また、畑を耕運機で耕すのは、近所の人たち(みんな農家)が僕の仕事ぶりを「無言の評価」するので、どうしてもきちんと耕やす作業が必要なのだ(耕した後が曲がってないとか、タイヤの跡が見えるとか)。そうすると時間を限りなく要する。
7月20日(水曜日)曇り
昨日はバルサンを焚くも、ダニかノミは退治されず、両足は噛まれて腫れあがっている。おまけに、腕はノミが今まさしく噛もうとしている現場を発見した。衣類をもう一度日干しした。倉庫の整理の為、藁や南京袋などを持ち出しているから、僕の体に飛びついてくるのだろう。夕刻から雨だと聞いたので、我が畑に他人が放置してある竹を回収して、焼却した。ついでに菰や、上記の南京袋も一緒に処分した。だんだんと整理は進んでいるが、まだまだ先は遠い。昨晩に続き、今晩も夜中に母が糞便。車いすに乗せて洗いに出るには遅い時間だし、結局手で拭くことになった。臭いし、シーツや床に糞便が飛び散っている。何たる惨状。眠気も吹き飛ぶ。介護をすると言うのは、本当に大変。立法は現役を3カ月の休暇取得へ向かって検討しているが、長期戦でなければ介護はできない(3カ月で要介護の対象者は死ねと言う事)、現状やはり退社を選択するしかない。介護は力も必要で、女一人ではどうしようもないと思う。男一人でも大変だが、これを業務上で処置しようとすれば、男でも2名必要だ。今から15年後、日本は大量の介護必要者が発生するだろう。車の自動運転の技術も必要だが、介護ロボットはもっと実現を迫られていると思う。吹き飛んだ眠気も時間が過ぎれば疲れで午後9時に限界がやって来た。倒れるように床に就く。
7月19日(火曜日)晴
昨日の夕刻裏のみかん畑を整理してたら、大量の金属物が見つかった。父も母も、ミカン畑はモノ捨て場と理解してたようだ。シャンプーの空容器、味噌のツボ、風呂釜、ビニールハウスの加温用ダクト、プロパンガスの容器。知り合いの金属業者さんに電話をすれば、今すぐ回収に来るとのこと。母を送り出した後、この方と、金属物を運び出した。旨く積載し、軽四トラックが満杯になった。7月に入って、トラック一杯の処分は幾度かあり、我が家の倉庫も相当片付いてきた。繁直さん(祖父)が、僕に家を整理しろと、このようなぜいたくな時間を与えてくれているかもしれない。肉体労働が毎日続き、昼間大量の汗をかくので水ばかり飲んでいたら、ビタミンの欠乏で風邪を引きかけた。今は倒れるわけには行かず、野菜と果物のジュースを1ℓ程飲むようにしてから、風邪の症状は少し収まって来た。街(20km西)に出る用事があってついでに映画「ザ・ブリザード」をレンタルした。これはアメリカ沿岸警備隊史上、歴史的な海難救助の物語で、シーンの迫力は今一だったが、登場人物の役柄が非常に巧妙で楽しむことができた。ストーリーは、二つに割れたタンカーの後部が漂流し、これを沿岸警備隊のバーニー船長が救出に向かうのだ。一方タンカー側は、船長を失い、リーダーの無いまま、生き残りをかけた死闘が続く。やがて、シーバート機関士がリーダーシップを発揮して救出を待つまでにこぎつける。つまりこの映画は2人のリーダーシップが引っ張っているが、それを引き立てるために、沿岸警備隊側では、海事をしらない上司の所長が陳腐な命令を下す。一方タンカー側には、自己顕示欲の強い乗組員が、沈没しかかったタンカーから脱出しようと、足を引く。シルバート機関士は、この船を操船して浅瀬まで行こうと計画していたのだ。こうして、正義と悪に物語が収斂され、観客を魅力へと引っ張る。久しぶりに楽しめた映画だった。
7月18日(月曜日)晴
きっぱりと晴れ渡った一日。高知では晴天のとき、海風が山に抜け、太陽は強いものの意外と気温が上昇しない。木陰では涼しく過ごせる。昔々、まだおじいちゃんと、おばあちゃんが生きていて、母が一家を取り仕切っていた頃、こうして晴れ渡った日には、冷たい井戸の水をがぶがぶ飲んで、喉を潤していた。朝はクマゼミがうるさく、昼間はニイニイゼミとアブラゼミが蒸し暑いように鳴く、そして夕刻、母が庭に水をまき、冷風が漂う頃、ヒグラシが盛夏だよと告げるとともに大群の蚊を運んできた。正しい夏だった。風呂に入って、蚊帳の中で横になると、涼しい風が部屋の中を吹き抜けて、気持ちよく眠りに就けた。あの頃はみんなが幸せだった。いつの間にか年老いて、自由が利かなくなり、自然は遠くになって、性格は歪んでしまい、おまけに寂しい人生を送るようになった。いつどこに転換点があったのだろう?もしもう一度やり直すとすれば、いつの時点から始めたら良いのだろう?それはまさしく、あの夏の頃、小学校に上がる前だろう。母の介護で疲れきった時、そんなことを思ってみたりする。今日は太夫さんにお越しいただき、ご祈祷を行った。来月から家の改修を始める。雨漏りが激しく、家が腐ってしまうかもしれないからだ。あまりにも大きな敷地なので、ご祈祷は2か所に分けて行った。この家を守ってゆくには荷が重すぎる。
7月17日(日曜日)晴
ここのところダニに悩まされている。朝起きると腹や足など5か所くらいが痒い。ムヒを塗るもかゆみは高揚、皮膚が破れるまで掻く。布団は毎日太陽に乾し、その後、布団掃除機レイコップで丹念に吸引する。こんなにまじめに、ダニ対応を行っているのに、一向に改善がない。原因は布団でもなさそうなのだ。ズボンを履いて日中活動中も、新たに痒い所が出来てしまう。一体どこに?母の認知度は急に悪化して、夜、歩けないのに、床から出て、廊下に降りようとしていた。理由は父が帰ってきてない。父の死亡を伝えるが、「そうかよ」と返事した後、「父はどこに行った?」と又聞く。その間1分以内。あんまり激しいので返事をしなかったら、今度は大きな声で「何で教えてくれない?」あほらしくてここから引き揚げた。病院から退院に当たって、夜は母の声が聞こえる範囲で就寝と指示があった。でも、それを実行していると、僕が持たない。夜は自由に寝させて。と、言うのがささやかな抵抗。もう一つ、ささやかなぜいたく。食事の後は、食器や調理器具を洗うのが当たり前、今まで全く問題なかった。だが、母が帰ってきた時から、夕食の食器洗いは、パナソニックNP-TR8に任せるようになった。なんだか食器を洗うのが面倒になったからだ。「これくらいの食器なら、これくらいの汚れなら手で洗ってしまえ」と思わなくなったのだ。イチローはコツコツとヒットを打ち続け、メジャー3,000本が目前。なぜ、自分も投げ出さないで、イチロウのようにコツコツと介護を続けることができないのだろう。男の美学を磨けない自分が情けない。
7月16日(土曜日)晴
忙しくて新聞を見てなかったら
この2日間は忙しくて新聞を見てなかった。朝起きてヤフーのニュースを見てびっくり。天皇さん、パリ、トルコ、株価上昇。一寸時間をかけて読まなければならない事ばかり。海外の事件はUSA-Todayが内容濃い。だが読むには時間がかかる、痛しかゆし。午前8時、母を透析に送り出せば、時間があると思いきや、洗濯や、夕食の買い出しなど、結構時間を要するものばかりで、結局10時半に自分の時間がやって来た。さぁとiPadの新聞記事を開くと、大きな睡魔がやってきて30分ばかり寝てしまう。そしてもうお昼だ。昼飯を食ったら、すぐに畑の草刈りを始めなければならない。岸は、「草刈り歯」が石を切る可能性があるので、すり減った古い歯を使用。ツタがはびこった岸には、「笹刈り用の新規歯」を使用と、結構頻繁に歯を交換すると、非常に効率が上がることを発見した。約2時間半で、田一枚と岸1.2場所を刈りこんだ。午後3時、母の透析からの帰りを受け入れ、汗で濡れた洋服を着換えると急に疲れが出て来て、しばし仮眠。勤め人にはできない休憩。すっきりして、母の夕食を献立ると、母は食べたくないと言う。今日から本格的に透析メニューを開始したのだが、まぁ明日食べてもらおう。夜の作業をすべて終えて部屋に帰って「地球バス紀行」を見た。今週はインドだった。うだるような暑さに、鳴りやまない自動車の警笛。テレビには両方とも旨く収録されてなかった。スパイスの市場や乾燥果物などは、結構懐かしかった。8時半が来ると再び瞼が重たくなった。
7月15日(金曜日)晴
帰宅
娘に朝食を取らせた後、1時間だけ手伝ってもらい、昨日出来なかった後片付けを行った。やっぱり2人は早い。9時には粗方終えてしまった。それから車に乗って、母を迎えに行った。老人ホームのショートステイを使って、預かってもらっていたのだ。歩くことのできない母は車に乗せるのが一苦労だが、これも娘と2人で行うと非常に楽に行えた。夫の面倒を妻が見る介護は、事実上不可能に近い。やはり、家族で面倒見るには、一世代若いものがみるしかない。それでも、一人ではやや困難。お盆が終わって一息つく間もなく、これから2週間母の介護が始まる。昼食を献立て、父の墓参りをした後、娘を空港に送っていった。久しぶりに聞く若い女性の都会の情報は新鮮だった。ここはじじばばと昆虫、獣害となる動物しかいない。夕刻少し時間があったので、マムシに気を付けて西の田の草刈りを再開した。今回は歯を交換したので効率が上がった。草刈りのポイントは、刈り方よりも良い歯を使う事だと明確に理解した。夕刻5時、母の食事を献立て、余りを自分が食する。いつもの事だが、少し不足するが、もう追加する意欲無し。と言うことで母の食事を作っているときは、ぐんと体重が落ちている。
7月14日(木曜日)晴
お盆開催
何で蓮の葉っぱが必要なのかわからなかった。言われるままに準備した。それにナスときゅうりと精米したコメ。昔からの風習は書籍がなく、お寺さんから配られるコピー用紙が伝承の糧となる。これらはPDF化したので、今度は共有できるはず。一連の行事は田舎で生きてゆくために必要な事。この行事を外すと、だんだんと近所から疎外されてくるようだ。おおよそ200万円を使って行事を行った。死者の為もあるが、近所の為も大いにあるのだ。高知の晴天は気温がぐんぐん上がり、朝の涼しいうちに拝んでおこうと、住職さんが切れ暮れた。住職さんもできるだけ早く催事を打ち切り、着ているものを洗濯して明日に控えなければならないとのこと。座敷と中の間と西の部屋。合計18畳が今回の会場。奥の部屋も開放して、風が部屋を通り抜けるようにしておいたが、この猛暑には対抗できなかった。農業用扇風機を庭に出して、部屋に送り込んだ。午後1時から始まったお客(宴会の事)は、午後6時には終了した。僕は午後5時から1時間、座敷で大の字になって寝てしまった。お盆の行事は、お寺さんに来ていただいて拝む30分だけだが、この宴会がメインだ。お客さんが帰った後、娘と片づけを行った。家事などしたことの無い娘は、なかなか要領を得ない片付け方だが、一人で行うことを考えると、やっぱりありがたい。お酒と労働で疲れ果てて、午後9時に就寝。
7月13日(水曜日)雨後曇り
盆と正月が一度に来た
ものすごく忙しいことを、このように言う。まさしく、今日はその日。まずは、ポリの廃棄処分日。純ポリを1回目。網目のポリを2回目。塩ビのコンテナを3回目。併せて530kg運び出す。おかげで、前回ビニールの出荷で痛めた、右人差し指に加えて、左薬指を新たにねん挫した。2つの指が使えないまま、明日に催されるお盆の準備を行うことになる。父は、片付ける概念がないまま、毎年ビニールの促成栽培に精根傾けた。それで、いつか使うだろうとしまい込んでいる資材は、忘れ去り、新たな買い物で間に合わせ、重複買い物を行うようなことを何十年にもわたって行ってきた。それが、ビニールであり、ポリである。廃棄のめどが立たないホースである。納屋が広いだけに、忘れ去られた資材も多い。次は墓掃除。1週間前に行った草はもう大勢力となっていた。前回「49日」の時に使用したスプレッドシートに整理した準備物を参考に、今回も支度を行った。午後5時に終了。こちらのお盆は、非常に不明確で、案内はできない、いつ始まるともわからない、誰がいつ来るかも解らない。それで、お盆の行事の準備もいろいろあって大変だが、接待の準備も最大人数を想定して行うので大変だ。
7月12日(火曜日)晴
戦い
蚊に刺されると、大きなこぶが出来て、その後水ぶくれが生じると言う結構厄介な症状を訴えだした。いつの間に体質が変化したのだろう。今まで、小さなこぶだけだったのに。それと、最近は寝ているときに相当運動しているらしく、夜中目覚めれば枕が見当たらないし、下敷きのシーツがめくれてどこかに行っている。母は、歩く事や這う事さえできないが、自宅で寝ているとき、頭と足が反対になるほどの運動をしている。別に大したことでないことを書いたのは、実は、娘も僕と同じ症状で、14日お盆の為に帰省する。夏場の高知は娘大変。それでキンチョールのボンベ2本、電池で動く蚊取り器、蚊取り線香数十本で防備する予定だ。娘に変な虫が付かないためだ。庭にはあしなが蜂が大きな巣をこしらえていた。巣の中の幼虫は食用に残したいので、ハチ退治を薬ではなく、掃除機を使って行った。掃除機の筒を近づけるとハチは攻撃に向かってくるので簡単に吸い込める。20匹位吸い込んであと数匹となったら効率が落ちた。取り敢えず、注意してゴミパックを買い物袋に入れて、電子レンジで1分。その袋ごとポイ。家電品は結構いい仕事をしてくれる。こうして自然との闘いが大変な田舎暮らしである。都会では低賃金と長時間労働の戦い、海外ではテロとの戦い。近年どこにいても戦いばかりのような気がする。
7月11日(月曜日)曇り時々晴れ
Milestone
葬儀屋さんから明日は水だなが届くと言われた。お盆の時に使用するものだ。これは、雨にかからないようにと言われたので、今日はテントを張ることとした。園芸用の2mの金属棒(外観は竹のような恰好)24本を使って組み上げて、その上に青いビニールシートをかぶせた。文章にするとすごく簡単、実際には5時間余りを要した。父の死を迎えて、明後日のお盆で一連の行事が終わる。いろいろあった。次は来年の4月まで休憩だ。神様は、僕に先祖様をねんごろに祭れ、そして父母が放置した岡村家を整理しろと、このような休暇を与えてくれたのだろうと思う。仕事をしない不安はこのように考えて自分の中に納めている。体の疲れと相談しながら、毎日少しだけでも進化すれば良いと思っている。先が見えないのが問題。雨が降らない天候だと、ついつい時間を忘れて没頭してしまいがちなのが欠点。午後3時半に切り上げて母のいる病院へ。循環器の先生は、安定していると太鼓判。母は腰痛を訴え、僕に食って掛かってきたが、この先生の前では「気にするほどではない」といとも簡単に言う。さっき部屋で寝ているときのあの悪態はどこに行ったのだ?道中はMiles
Davis のBitches Brew(2枚組)を聞いて行った。マイスルがバップスタイルから電気楽器を使った「フュージョン」シフトした記念すべきアルバムだ。これ以降ジャズ界はフュージョンに変わっていく。では、このアルバムの何処が凄いのか?1枚目は、僕にはどうも理解できない。だが、2枚目に移行すると、チックコリア率いる、リターン・ツゥ・フォエバーの片鱗が伺える。このBitches
Brewを下敷きにして、多くのジャズメン達は、独自のフュージョンを展開していったんだなと理解した。そういった記念碑的アルバムだったのだ。関係ないが記念碑的みたいな表現を英語でMilestoneと呼ぶ。
7月10日(日曜日)晴
またまた、片付け
今日は金属の回収業者さんがやって来る。耕運機と脱穀機のセットの処分。もう10年以上動いてないエンジンを、この業者さんにかかると、簡単にスタートした。ディーゼルエンジンは、どんなに古くても大概は再始動できると言う。この人の動きを見ていると、本当に無駄がない。重いものでも、できるだけ力をかけずに動かす術を備えている。それに、言動がただの廃品回収業者とは違うのだ。実に知的。東京のホテル・オークラでお寿司を食べる話からして、なかなか見識が深い。倉庫にある金属モノをトラックに2台分持って帰ってもらった。この3日間で、ビニール、竹、耕運機と処分し、倉庫が2坪分空になった。次は、ポリエチレンフィルムの処分。これも1坪分を占めている。来週の水曜日。そして朗報がやって来た。ビニールハウスを貸してあるM氏から、返上の連絡が来た。後片付けは私が行うこととなるが、また一つ問題が片付いた。2つもいいことがあったので、手伝いに来てくれたK氏と昼は僕の手料理で乾杯。大分酔っぱらったので、酔い覚ましに、乗用トラクターの操作の方法を教えてもらった。家のすぐ前にある畑を耕してみた。コツが必要だが、何度かする間につかめそうだ。また一つ得点をした。こんなにいい事があるのは久しぶりだ。台所の裏と崖との間の水路を堀り、水はけを改善した。鍬作業なので、大量の汗が噴き出た。夕食は軽めとして、自分の部屋に引き上げればたちまち睡魔の誘惑。まだ午後8時だぜ。この頃このパターンが多く、9時間近くが布団の中だ。
7月9日(土曜日)雨後曇り
昨日に引き続き片付け
今日は基礎英語3とラジオ英会話のテスト日。結構むつかしい。最後には回答を見て空欄を埋めている。なかなか自力で埋めきれない。エンジョイシンプルイングリッシュは、一度聞くだけでは意味が把握できらず、ほぼ中間位のところを辞書のお世話になって意味が通じる。昨晩の大雨で夜中何度も目を覚ましたので、頭が覚醒してないのも原因の一つ。これを終えると雨も上がり太陽が少しだけ顔を出した。東の倉庫に祖父が大事に保存した竹を焼くことにした。この竹は長さが2m弱、3本一組で端をロープで固定している。広げれば三脚になるわけです。これを田の中に立てて、その上に竹竿を渡し、その上に刈り取った稲をかけて乾燥させるのです。土地改良で、コンバインが田の中に入るようになり、この竹は役目を終えたのですが、依然として祖父は処分をしなかったし、父もそのことを祖父に提言はしなかった。結局大量の竹が倉庫に眠っているわけです。これを引き出して焼いたのです。竹は火勢が強く、火が点いた後は近づくのはほぼ困難。燃え尽きた後で近づき、次の竹を加えるので、作業としては4時間を要した。約1坪の敷地に1.5m位積み上げたこの竹をすべて焼却した。しかし、これと同じ量がまだ、倉庫の別の所に積み上げてある。これは別の日の仕事。ついでに、むしろとふごも焼いた。この藁の編み物を焼くのは結構手ごわく、午後3時半に竹の焼却を終えた後も午後9時半に確認すれば、まだオキの状態で燃えていた。今は先祖様の墓掃除のピークを迎えている。岡村家は済ませた。墓に行くには必ず私の家の前を通るので、声をかけてくれる。「どうぜよ、もう片付いたかよ?」と未知の人。「まだまだ、片付けと田の草刈りの交互でなかなか進まん」と僕。午後3時半、母の病院へ。今日は相当認知が進み、会話にならない。時々現実に戻り、帰ると言う。お盆の事を伝えると、再び向こうの世界へ。まぁ面会に行くのは、調子伺いと、洗濯物の交換くらいのもの。芸西村の事や、外の気候の移り変わりなどを話してあげようと言うのは徒労。「ツァラトゥストラはかく語りき」を書いたニーチェが格言を残して、一冊の本になっている。こんな時この本を開いては自分を戒めている。夕食は「タコのトマト煮」クックパッドから作った。タコは高いのでイカに変更。ホールトマト缶は本物のトマトとケチャップの組み合わせで代替え。これが、実に旨くできてしまい、最近一番の出来栄えとなったのだ。誰かに食べてもらうわけではないが、嬉しい出来事だった。
7月8日(金曜日)雨
農業を営むと言う事とは?
今日はビニールの処分の日。午前8時までが受付時間。昨日積み込んだビニールと今朝積み込んだビニール。合計で500kgもあった。軽トラック2回分。雨の中の作業。雨よりも汗で濡れるほうが多かった。この作業が終わると、指がかじかんだ。こんな表現が正しいのかどうか不明だが、指が固まってしまったのだ。朝飯は、野菜ジュースとホットケーキの予定だったが、思うように指が動かなくて、余計な時間を要してしまった。いつもは旨くゆくホットケーキを裏返す神業が少しずれて、パンの縁がプライパンの端にぶつかり、少しだが、生地が飛散した。短時間に1トンの荷物(上げ下ろし)を抱えたわけだから、指は大きなダメージを受けたわけだろう。雨で外の作業は出来ず、それから夕刻までスキャナー作業を行った。パソコンに文字を打ち込むにも不自由した。農業は、1から10まですべて自分が執り行わなければならない。そうすると、おのずと優先順位が出来て来る。我が父の場合は後始末を放棄したわけだ。昔の人は大事に蓄えると言うが、どうもこれには当てはまらない。次々と資材を買って、畑の隅や倉庫に放置したわけだ。どれだけ買い物をしたのか?91年の資料を紐解いてみれば約400万円も買っている。そんなわけで、その後始末をしているが、まだ序の口だ。これからも相当な作業量が待っている。定年後は農業をと考えていたが、畑の維持と、倉庫の片付けで一年程は覚悟しなければならないので、今年は保留だろう。そして、父の資料を見る限り、相当な資金を投入しなければ作物の収穫はでいないことが分かった。中途半端では、マイナスになるのだ。しかも、父の行ったように、近隣の田畑を放置して、一点の作り物に集中しなければならないのだ。そう考えると、田畑を管理するだけでもう十分ではないかと思うのだ。まぁ取り敢えずは、一枚の畑の土づくりを行っている。田畑が片付けば、ここで少し実験を行い、今後の行方を見る。簡単には行かない。
7月7日(木曜日)晴
先祖様の墓掃除
午前中は、ビニールの処分の為、倉庫に散乱しているビニールを集結、小さくまとめ出荷できるように加工した。明日はビニールを処分する業者がやって来る。朝6時から8時までの短時間で村内の農家が古いビニールを出荷する。大汗をかいて作業を一旦中断。午後から岡村家の先祖様の墓掃除。この近所の5軒の共同作業。タケノコのケアが十分でなかったので、みんなで竹を切った。大きく伸びた竹の処分は大変な作業だった。来年は、僕が細かくチェックしてこのような作業が無いようにしておこう。岸の草は、僕が紐の草刈りで仕上げた。いつもは、鎌で切るので随分と時間を要したのだ。最後は、大塚様のめかけの墓掃除。ここは竹を組んで囲いをする作業だ。どうして、竹なのか?全員が理由を知らないし、本当にめかけだったのかどうかも不明。そもそも大塚様を岡村家がまつる理由も不明なのだ。誰かに聞くにしても誰もいない。最年長の僕の父に生前聞くが知らなかった。午後3時にすべての作業が終わり、宴会。これが大変。ビールを飲むのだが、差しつ差されつの飲み方。日本酒のようにお猪口だったらいいのだが、特大のコップでこれをやられるとたちまちダウン。わずか1時間しか持たなかった、僕は早々に退散した。ここの人について行けない。来週には、この人たちが私の家にお盆の為やって来る。もっと小さなコップを用意しておこう。午後8時ようやく酒も少し抜けて来たので、大黒摩季のライブを見た。常に前向き、不幸、不振やスランプでも、夢がかなわなくても落ち込まない。そんな生き方を歌に託している。実に気持ちの良いシンバルと相まって2005年のライブを楽しんだ。
7月6日(水曜日)晴
判断に迷う
今度は、家の西にある下段の畑の草刈りだ。自分の背丈より高い草が繁茂している。なかなか時間を要して周りを刈りこんで一周することができない。あと、4日程が必要だ。あまりの暑さと、手のしびれで中断。母の病院に向かう。あまりにも気持ちの良い晴天で、自転車で挙行。気持ちの良い風を受けて、草刈りの疲れは吹き飛んだ。老人ホームの母は、調子がよさそうで、自宅にいるときのように、「じこくな(しんどい事)ことは無い」と快活だった。自宅では気分が良いだろうが、体調は最悪。老人ホームで気分はめげるが、体調は完璧。はて、僕としてはどちらを選ぶ方が母にとって最良だろうか判断に迷うところだ。昼食にジャガイモとナスフライ(なかなかうまい)を食っただけだったので少々早いが午後5時に外食。昨日の記念日の事もあり、久しぶりに焼き肉店を訪れた。旨かった。だが、この濃い味は、今のようにかなりハードな作業を続けているのでない限り、おじさんには体への負担が大きいだろうなと思った。暗くなる前に帰宅して、今晩は、ロック50年史を見た。1950年がRockの始まりだと言われている。それは、人気DJアラン・フリードが番組で「ロックンロール」と使ったのだと。そして、1955年にビル・ヘイリーとヒズ・コメッツがRock
Around the Clockで大ヒットを飛ばしたとある。以降は、プレスリーやビートルズと続くが、1980年後半になり、イギリスのパンクロックに移行した辺りで、僕の記憶が途切れてしまう。38歳の時。その理由1は、主事となり仕事の重要度が高まるとともに家庭があった。理由2は、丁度この頃MDが最盛期を迎え、併せてJ-POPSも最盛期。この2つの組み合わせで楽しんだ。又、音楽レンタルが海外物は1年遅れとなり、外部環境が悪かった。その後U2やニルバーナなど1990年後半にかけては記憶が戻っている。2000年代になりレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどは今でも愛聴盤だ。2000年半ばから登場するメモリープレーヤーも、音楽のジャンルを広げた。それは聴かないであろう音楽も取り敢えずは保存しておこう。そして間違って再生して、意外といいじゃん。こうして音楽の歴史と、自分の歴史を重ね合わせると、いろんな要素が、その時代の音楽の記憶に影響しているんだなと思いましたね。当たり前か。
7月5日(火曜日)晴
特別な日だったが
朝から強烈な太陽が照り付ける。窓を空け放しても室温は32度。午前中は最後の書籍を取り込んだ。午後は、ひい婆さんの墓掃除と、家の上の畑の草刈り。小さい畑だが、柴が強烈に根を生やしており、3時間コース。今日は誕生日だ。1時間早めに作業を切り上げて、飲みに行こうと思ったが、今朝は、何も考えず日常の一環としてカッパ市場で食材を買った。それ(カレイ)が冷蔵庫にあることを思い出した。と言うことで、外食はあきらめ、自炊。一昨日はうるめ鰯の煮つけに失敗し鍋を焦がした(圧力鍋を使用)。今回は失敗しないように普通の鍋で行った。大成功。一緒に煮込んだジャガイモがいい仕事をしていた。記念日にこんなことをしてて良いのか?もっと記念となる計画はなかったのか?まぁ家の周りの畑の草刈りが終わって、お盆を済ませてから考えようかと保留した。こんな田舎だが、近くにリゾートホテルが2軒あるので、そこでの昼食でも良い。選択肢は多様だ。それで夜だけは特別にしようと、少し明るいがカーテンを閉めてガンガンに冷房を効かせて、リカルド・ムーティー指揮ウィーン・フィル/モーツァルト/交響曲35番と、ラベルス/ペイン狂詩曲を見た。録画は2005年サントリーホールだ。ネットで調べると、モーツァルトの名演奏はブルーノ・ワルターとあるが、なかなかどうしてリカルドムーティも良くウィーンフィルを率いていると思った。弦がピシッと締まるところはさすが。ホール全体に余韻が漂った。リカルド・ムーティは端正な顔をしているので、ネットではトムクルーズと似ているか、否かの投票サイトがあった。確かに指揮は大ぶりなアクションがあったなぁ。本人は意識していいないと思うが。
7月4日(月曜日)晴
バングラについて思う
バングラディッシュは3回行った。直行便はなくいつもタイ経由だった。丁度ラマダンの時にも行った、ケンタッキーの店で、大勢の人が食べ物をテーブルの前に置いて、騒いでいた。最初僕は何で食べないの?と思った。ラマダンだった。日没の時間が来ると一斉に食べ始めるためだ。学生が多かったが、誰も抜け駆けするような人は居ず、すごく行儀正しいと感心した。でも、ホテルから出かけたのは、すぐ近くのケンタッキーくらいで、後はホテルの中のレストランか、現地バイヤーが連れて行ってくれた店。食事は基本的にインド風で、牛も豚もダメだからあまり旨くなかった。だから、ホテルの中にあるイタリアレストランなどで、ビールを飲みながら食事をした。イスラムの国で、酒を飲むのは、やっぱり反感を買うので、現地人がいる場所ではよろしくない。危険な場所かどうかは僕ら外国人は分からなかったが、現地バイヤーが教えてくれた。僕は外国に行ったときにいつも思った。日本人だけでたむろしするところには行かない。現地しか行かない所に案内してもらう事。衛生は現地の人が一番よく知っているのでお任せしたほうが良いし、旨い。そんなことで、4年間の外国行脚は無事に終えた。もちろん今は中東からアフガンまで火薬庫となっているので、事情が違うが、今も昔も現地の人が一番その国の事情を良く知っている。亡くなった人たちには悪いが、なぜバングラのような場所で日本人だけでたむろしたのだろう。アジアで自由にできる国は、シンガポールとマレーシアのみと言うのは常識だ。政府の危機管理対策とか言うが、現地で自由にされては管理なんてありえない。日本と違うのだから、自覚が必要なのだ。
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7月3日(日曜日)晴
やっぱり体力はあった
午前6時50分、高知の友人が訪ねて来た。まぁこんなもんだ。そこで、今日は乗用トラクターの乗り方を教えてあげると言う。丁度沖の田圃をたたかないかんとおもっていたところだから、良かった。しかし、問題はどんなに探してもトラクターのキーが見つからない。父はキーをどこかに置いたまま亡くなってしまった。この問題は後に回そう。次、今日は大型ごみの処分日。トラックに3回に分けて運んだ。これも手伝ってもらった。大きな机とか、モミの分別する機械(木製)もついでに処分したので、随分と助かった。10時半、すべての作業が完了したので、新鮮野菜の販売所「カッパ市場」で買い物をして、11時過ぎから酒盛りを始めた。材料を買って献立るのは、安い上に、新鮮野菜が豊富に摂取できるので、酒の当てにはぴったりだ。缶ビール5本を空けてお開き。あまりにも暑いので、シアタールームに閉じこもり、酒が抜けるまで、東京ジャズ2014年を見た。「TV録画なのに音がえいねぇ!」と友人の感想。DR録画でもあり、3wayマルチ・チャンネル・システムだし、音の抜けは良い筈だ。僕は酔っぱらってほとんどを寝てしまった。午後3時、友人は帰り、僕は母に着替えを持ってゆく。まだまだ酒が残っていたので自転車で向かった。炎天下だったが、汗は3粒ほど顔を滴り落ちたくらいで、病院に到着。往復で60kmだが、そんなに疲れはない。やっぱり昨日の大汗は、何か他の要素があるはずと思った。
7月2日(土曜日)晴
果たして本当の体力は?
今日は、昨日の続きで、畑の草刈りと言うか笹刈り。暑くて、ズボン全体が汗でぐっしょり、ここまでなのは初めて。何度も休憩をしたが、体のほてりが収まらず、軽トラに乗り込んで冷房を入れて少し仮眠した。汗で濡れているので、少々寒いのを我慢してたら、気がつけば今度は寒くて寒くて慌てて外に飛び出した。午後5時に作業終了。普段より多い4時間作業だったこともあり、今日の疲れは尋常ではない。肉やニンニク多めの消化の良い献立をつくり、この村で採れた冷酒で流し込んだ。こんなに疲れたことは、ここ最近なかった。水泳で3km泳ぐと結構ぐったり来るが、そんなもんではない。以前中村市(現四万十市)の友人宅まで自転車で150km位走破したことを思い出した。あの時と同じような脚のほてりがある。丁度、今夕テレビでは、田中陽希のパタゴニア走破の特番が報道されていた。彼らの挑戦は過酷を通り越して無茶なアドベンチャーだ。これを見れば、自分の今日の行動は随分と勇気づけられる。どうしようもなく布団にころがりこんだ。
7月1日(金曜日)晴
体力に自信?
久しぶりの太陽。溜まっていた洗濯を行った。洗濯機は2台。物干しざおは3本。田舎だから贅沢できる。午前中はスキャナー。午後は、家の西側の草刈り。田圃3枚あるが、その一つの半分を仕上げた。笹とツタに覆われた何年も放棄した土地は、なかなか手ごわい。笹は3年程退治に取り組んでやっと根絶で帰途のこと。気の長い話だ。草刈機は1時間ほど使うと、再び指のしびれが復活して来る。体力の関係もあるが、この1時間限定と言うのは僕にとってはかなり重要なことだ。刈り取った笹やツタを集めて捨てるにも1時間半。今日の作業はこれで終了。午後3時半に母の見舞いに高知の病院へ。母は髪を切って結構さっぱりしていた。減らず口の母は、「こちらの方が、家でくつろぐよりも楽だろう」と聞けば、「家でピーマンをちぎって(収穫)いた方がよっぽどまし」とすかさず返事。ピーマンをちぎったのはいつの事や?もう10年も農業をしてない!。後2週間楽させてもらおう。遅くなったので、南国市の飯屋(一汁三菜さん)で夕食。自分で献立るよりか随分と味が濃い。まぁ今日は大汗をかいたので良しとするか。午後7時にシャワーを浴びて、7時半から、洗濯物にアイロンをかけた。酒も飲んでないのに、もうこの時点で目がしょぼしょぼして、寝る以外の選択肢はなさそう。わずか2時間半の農作業なんですが。
6月30日(木曜日)雨
隠遁生活のはずなのにいろいろと
昨日の酒はきっぱりと抜けていて、良い酒だった。朝食を済ませ、昨日作成したPPTを見直し、農業委員会に顔を出した。M氏宅は鍵がかかり、倉庫の横から入ってコンタクトを取った。交渉の結果、土地は継続使用するとなった。しかし、継続使用の契約書は重い事項が書いてあるので、今すぐ破棄のメリットにも魅力を感じたらしい。それで、7月10日に最終回答をするとの返事だった。2年間滞納の土地の使用料を支払ってくれたのは、交渉相手ではなく、仲介者だ。この仲介者にお金を返却する必要もあり、僕にも支払わなければならないとなれば、年間25万円と結構重い負担だ。だから、継続使用と言いながらも、ふらついたことは確かだ。帰宅して食事。まだ午前11時だと言うのに空腹だ。食後スキャナー。気の緩む作業を行うと途端に睡魔。少し昼寝。午後1時半。粗大ごみの集結。次の日曜日に出荷する。後2回ほどで、めどが見えて来た。随分と捨てた。この家の近辺の質量は軽くなったはず。地盤隆起が起こるかもしれない程だ。今日を期限に無断使用の土地に放置してあるものの撤去をM氏に伝えておいたが、本日中に行うとの返事だったので、沖の田圃に確認に行けば確かに作業をしていた。しばし、作業を中断してよもや話。感触では随分と迷っているような感じ。継続使用の場合「おくら」栽培で300万円の収穫を計画していることが分かったが、この村でナスやピーマンをこのM氏よりも真剣に作っている農家でさえ、300万円の収穫は難しいのに、土に経費をかけいないこの人の農法でのおくらでは、収穫できるわけがない。そのことを伝えたが、自信は揺るがなかった。そんなにうまくゆくなら、僕でも取り組みたいものだ。誘って一杯飲もうかと思った(どうしてそんなに自信があるのか探りたい)が、昨日は大酒を飲んだ後なので、又の機会とした。早めにシャワーを浴びでレッド・ツェッペリン・ライブを見てたら、いつの間にか睡魔の中にいた。
6月29日(水曜日)雨
心休まる懇親会
強い雨。よう降る。何もかにも腐ってしまう。そんな雨が続く。でも今日は朗報がある。友人たちと夕べの語らいが催される。午前中は積み上げた父の書類をスキャナーにかけた。次から次に出て来る書類は止まるところを知らず、9月めどが見えなくなった。午後は、役場へ書類再発行のお願い。母の後期高齢者の医療費免除の通知書だ。この通知書を持って、役場で交換するとばかり思いこんでいた。通知書をよく見れば、同封してあると。だが、その封筒は既に捨ててしまっていたのだ。郵便局に寄ったのは、父の書類の中に、郵貯の残額が記されたものが見つかり、本当に残高があるのか確認したら、何とあると回答だ。3,000円程度だけれど、まぁ回収すべきだろう。ついでに農業委員会に顔を出して、明日土地を返して欲しい交渉に同行してほしい旨伝えると、どうも、相手は返却にOKを出さないかも知れないとい。喧嘩を売る調子で交渉しないとだめだろうと言う。了解。僕は喧嘩交渉が下手ので、返却するメリットを金銭面からPPTにまとめた。また、最悪の場合、継続使用についての、リスクもまとめた。その2枚を明日提示して、どちらを選択するのか聞くきわめて単純な方法を考えた。次に、仲介した人に、事情を話し、後方支援を頼んだ。自分としては考えられることは全て行った。時間は午後5時。集合の時間だ。夜須の友人を拾って、南国市の焼き鳥屋に出かけた。南国市は、地鶏で有名だ。高知からの友人は夫婦で参集。まぁとりとめのない話で酒を飲んだ。高知の人は、食べるよりも飲む方が多いので、僕と近所の友人は食べるほうに専念。確かに鳥は旨い。腹が膨れ僕もエンジンがかかり熱燗の土佐鶴で高知の友人と刺しの飲みっことなった。飲み過ぎたので、何を話したのか忘れてしまったが、一つだけ覚えているは来年カナダに行く事。友人の娘がカナダに嫁いでいるので、それを頼ってゆくのだ。アンのふるさと、「プリンスエドワード島に行くこと」を約束した。
6月28日(火曜日)大雨
コンニャク
農作業で汗を流した後は、コカ・コーラかアイスクリームを食べて英気を養っている。生き返る。水をがぶ飲みするだけでは癒されない。だが、もう60歳を超えたおじさんにとって、この甘い食べ物は余り良くないようだった。きっちりと数値に反映されていた。今日は高知日赤で健康診断を受けた。その結果は、糖分が多く正常値の上限ギリギリのところにあると指摘を受けた。コーヒーを止めて調子がよくなったので、いい気になりすぎていたのかもしれない。まぁ今回はクリアーしたので良しとしよう。高知市の帯屋町に車を止めて少し散策。時計のバンド交換、書籍の購入。どうしても必要なものではないが、何だかホッとしたので散在したくなったのだ。一人で時間を気にすることもなくぶらつくのも久しぶりなので、気も緩んだのだ。休日とはこれなんだと思い出した。親類も友人も、お前が壊れないようにせなあかんと言うのが、やっと理解できた。どうやら僕の心はガラス製になっていたようだ。コンニャクに変えなければ。帰宅すると、気のゆるみついでに、映画「Xミッション」を見た。「ハンガーゲーム」のように意味のない殺し合いと言うか犯罪が主題。動機は何だ?アクションにスリルを求める観客の為に書かれたストーリーで、一貫性がない。ただ、音は凄い。YAMAHAのスーパーウーハー出力1000Wから出て来る低音は、バスレフポートから爽やかな風を送ってくれる。(今までスーパー・ウーハーが扇風機の代わりを果たしたことはなかった)サム・サラの美形はこのようなアクション映画には付け足しの感じ。主人公のユタよりも、犯行側のボーディの方が大事に扱われているのもなんだか変だ。ごちゃごちゃ言わんと、アクションを楽しめと言うのが監督の意図だろう。多めに見てやろう。
6月27日(月曜日)晴後雨
米粒の人格
営業マン時代、未達なのに翌日から休暇に入るような後味の悪い思いを何度かしてきた。それがまさに今日再現され、昔の悪夢を思い出してしまった。と言うのは、今日は母を老人ホームに短期間入所させる日だ。なのに、便が出ると言って構えるが、空振りで重い母を抱えて、ベッドから車いす、車いすからベットへ移動。重い母を抱えての移動だ。罵詈雑言を吐く。それで、僕も頭にきて、老人ホームに入れるのは、「おまんの面倒見切れなくなった」と、言わなくてよい悪態をついた。肩が痛い訴えもあった。そのまま放置するわけにもいかず、再び母を抱えて、車に乗せてかかりつけの整形外科へ行った。診立ては肩の骨折。布団から動いてないのに、骨折している。いつ?どんな方法で?医者も僕も疑問。手当はシップでOKとのこと。取り敢えず安心して、老人ホームに行ける事になった。一旦自宅に帰り、食事。今度は本物の排便。本人は出てないと言い張る。しかし臭うので、おしりが洗える車いすに乗せて、おしりの洗浄。その移動にも少し残っている力を貸してくれず、全体重を持ち上げさせた。「どうせぇと言うがぞね」と怒る。介護の他にこの頭にくる発言が僕をエキサイトさせる。老人ホームに預けた後はホットするはずのものが、どうも「あの悪態が」後味の悪い思いをして、この建物から出た。帰りにプールで泳いだ。それでも気持ちは晴れず、映画「オデッセイ」を見る。リドリー・スコット監督は、残念ながら、小説の一番おいしいところである、マーク・ワトニーが、置いてきぼりされたあと、火星で生き残るための緻密な工夫を試みるが、それを大胆にカットし、アクションの部分だけを繋げたので、何だか浅い物語に転換されてしまっていた。その上、見る前から心配していたアクション俳優マット・デイモンの起用が果たして正しいのか疑わしい。一方では宇宙飛行船の「ヘルメス」の映像は、想像よりもかなり立派で、小説からは想像できなかったのが良かった。どんな宇宙SF映画でも共通しているのは、音の存在。(宇宙では音がない筈だ)。これで、何とか心が晴れた。それで今日の出来事を冷静に反省することができるようになった。人間は、玉ねぎのように、一皮むいてゆくと、だんだんとその人の素が現れてくる。ラッキョウ程度になると、かなり露わな人間像が出て来て、目も当てられなくなるが、更に剥いてゆくと、米粒のような核が現れる。これは、理性で全く包まれてない部分だ。母は今この核の人格しかない。接する僕も、今日は玉ねぎの皮をむきすぎた。かなりパーフェクトに介護を施してきたつもりだから、皮がむけやすかったかもしれない。映画でも、原作の皮をむいて、エキスを捨てては面白くないのと同じように、人間は衣をまとってこそ、人と円滑な接触ができることだと悟った。衣は人格であり、愛であり、お金も消費する。これから約2週間、衣を一杯身に着けて、簡単に皮がむけないようにしようと思うのである。
6月26日(日曜日)晴
世界同時多発
自分の日記も、ここで世界情勢について触れておかないと、読み返した時いったい何をしてたの?となるので、少し綴ろうと思う。きっかけは昨年世界を沸かしたトマ・ピケティ(Thomas
Piketty)氏からヒントが来た。格差拡大が世界中で起きていると言う。アメリカ商務省は中間層人口が、低所得者+高額所得者の人数を下回った。低開発国で「富裕層」と言う言葉が頻繁に闊歩し始めた。IS(イスラム国)勃発、世界の不満分子集結。トランプ氏過激発言で共和党の指名獲得。そして、イギリスEU脱退派が地方の低賃金層を中心に多数派となり選挙で勝利。ブラジル政権混乱。日本円高騰。これらは、すべてつながっていて、所得の少ない人たちの人口がメジャーとなり、不満が噴出してきているのではないかと思うのである。宗教や人種とは関係なく、持てる人ともてざる人との戦いにステージが移っているのではないだろうか?日本国民は高度成長期に貯蓄にいそしんだ挙句、中間層がまだ厚い。だが、団塊の世代が死滅する後15年後には、いずれ世界の国々と同調するだろうと思うのだ。円高はまだ中間層が厚い日本は安全と言う理由で起きているのではないだろうか?冷戦が終わり、西と東の対立構造が変化した後、ハチントン氏が文明の衝突を提示した。2000年までの紛争は確かにそうだったかもしれない。でもそれは終わった。ピケティ氏の言う格差拡大の時代なのだ。今後裕福な人は安全を求めて、その国の中で、守られた地域に暮らすと、それ以外で暮らす平民以下の地域とに分かれるのではなかろうか?アジアでは既にあった。アメリカでもたぶん存在する。そして国の概念が無くなるかもしれない。自分の子供たちは、果たして壁の向こう側に棲めるのか、こちら側に棲めるのだろうか不明だ。今日は畑の柴を刈った。その柴を、整備した畑に撒いた。
6月25日(土曜日)雨
今日こそ体休め
右手の指は依然としびれたまま。昨晩はものすごく眠く疲れを取れば指も回復するだろうと9時に就寝。だが、そんな単純なものではないことが分かった。もう少し回復に時間をかけよう。と言うことで今日は休み。母は透析に行く日。出発時間が午前8時なので、6時には食事の支度を行う。だが今朝は肩が痛むので不要と言う。しばらく経って再び聞くと、食べると言う。そして準備すれば食べたくない。今度は腹が痛いから。仕方なく引っ込める。7時30分、出発の準備を行えば、腹が減ったと言う。もう時間が無いので食べられないと言い聞かす。こんなのが日常茶飯事になりだした。堪忍袋の緒の存在を明確に自覚した。手や足はむくんで、黒ずみ、本当に痛々しい。だから、もっと親切にといつも思うが、こうして接すると、頭に来てしまう。人間の器が小さすぎると思う。夕刻帰宅するまでに、スキャナー作業に専念。今日は随分と進んだ。午後に父の弟夫妻がやってきて、味噌を保管するツボを持って帰った。傘立てにぼっちりだと言う。僕の家は、味噌も醤油も漬物も自宅で作っていた。百姓としてはかなり本格的だった。聞いたことはないが、戦争中の物資が不足したときでも、我が家は食料を隠し悠々と暮らしていただろうと、思う。自分の性格を見て、かなり姑息な生き方をする小さな人間だから、推測できるのだ。彼等にはついでに納屋に横たわる農機具を見てもらった。脱穀機とのこと。不要なので処分することにした。きちんと整理すれば、小屋3つが不要になる程、不要なものであふれかえっている。農薬だけでも1棟ある。まぁ時間をかけて処分するつもり。夕食は、透析メニューより、太刀魚のマヨネーズ焼とキャベツのからし和えに挑戦。これは旨い。なかなかよくできました。英国の事やら、金融事情など馬耳東風の世界で生きている。
6月24日(金曜日)雨後曇り
やっぱり頑張った
母を安芸市にある病院で診察する日。もしもの場合は、近いのでここを頼るしかないため。先生の見立ては3カ月の余命。覚悟してます。と、私。心不全の可能性が高いが、これは陸地でも、おぼれ死ぬようなもので結構苦しいとのこと。痛みや苦しみだけは避けてくださいとお願いした。診察室から出ると、赤野(地名)の親類がいた。一組は、母の父の実家。もう一組は、その弟。お互いに「年がいたねゃ!」と確認しあった。もう動けなくなった母を赤野の親類まで連れてゆくことも叶わないので、丁度よかった。帰って、訪問看護師の訪問を受ける。便秘の対処を頂く。その後排便の対応。おむつ便をゴミ袋に入れると、どんなにビニールで包装しても臭い。今度のゴミの日は月曜日。それまで待てないから、今日は冷凍庫に入れた。食品と糞が一緒だが、キチンとくるんであるので問題ない。僕だけの秘密。今日は何もしないつもりだったが、午前中の大雨の時、トイから盛大に雨がこぼれていた。こぼれた水は、家の土台に当たるので、結局家屋に水の浸水を来すことになる。それで、今日はトイを大掃除と補修。家の隣は竹藪なので、トイは結構笹が溜まって洪水を起こすし、腐って腐食するのだ。大きな蛇にも遭遇した。あれだけ大きいと、神聖さを感じる威厳がありますね。緑色だったので、見逃してやった。モミを入れる袋も焼却した。前回苦労したので、今回は、納屋に積んで邪魔になっている竹の脚を一緒に燃やした。この竹は稲を田圃で乾燥させるときに使ったもの。昔の芸西村の田圃は、春田(高知の方言)と言って、いつも水が溜まっている湿田に近い土地だった。だから、刈り取った稲は、そのまま横たえるわけには行かず、この竹の脚を組んで、これにひっかけておいたのだ。その後ほじょう整備が進み、稲はコンバインで刈り取っていきなり乾燥させる方法に変わったため、この竹脚の出番はなくなった。しかし、父や祖父は納屋に入れたまま後片付けをしなかった。これがいきさつだ。竹は火力が強いので、風呂のたき物に使うわけには行かず、外に出して腐敗を待つか、焚火で燃やすしかないのだ。20本程度燃やしたかな。と言うことで、今日も頑張った。
6月23日(木曜日)雨後晴
結構こまめに
豪雨は夜中に通り過ぎた。朝は止んでいた。天気予報は雨のち曇りと梅雨の天候とのことだが、気温は31度と矛盾があった。30度を超す気温は晴れないとここまでは上がらない。気象庁は朝方は雨が残るが、昼からは晴天となると明確に言ったらどうだろう。最近このような予想が多いので、突っ込む気になったのだ。今日は金属モノと、植木鉢を処分。この家からどんどん品物が無くなっている。捨てて捨てて身軽になるのだ。身軽になると気持ち良い。余った時間は、庭の草刈り(全部で7面)。ここは2巡、この作業はルーチンワークに組み込むことができるようになった。草刈機の振動で再び手のしびれが復活。これは結構やばい現象。台所が湿っぽいので原因を探ると、トイの水が、はけず水たまりとなり、台所に浸透してきていたのだとわかる。大きなパイプが残っていたので、これをトイの口に差し、近くの水路まで誘導した。果たしてうまく働くのか?大雨の時に観察必要。今日も頑張った。明日は何もしないで、本だけ読もう。村の市場では空芯菜が売られていた。いつもシンガポールのホテルに宿泊したとき、朝食は、テイクアウトできる総菜屋さんを探し、ホテルの部屋で頂くことにしていたが、この時、空芯菜の炒め物はこのんで食べた。その味をもう一度と、自分で挑戦し、近似値が出たので満足。シンガポールでの値段は130円程度だった。ここで買った空芯菜は100円でその半分を使った。光熱費も併せると、たぶん同じくらいの価格でできている筈。
6月22日(水曜日)雨
片付け
母を送り出した後、母の衣類の洗濯。農作業をする人みたいに毎日衣類やシーツを交換している。雨の中なかなか乾きにくいので大変。その後、役場に行って書類を申請して、通行許可証を貰い、いよいよ塩ビパイプの処理に行く。ついでに、稲の苗を栽培するモノ、田圃の畔の水漏れを防止するシートもサンプルを持って行った。これらも処分できるとなれば、次回持ち込めば一気に倉庫が片付くのだ。安芸市のメルトセンターはごみ焼却場だ。ここで最初に車ごと重量を測り、パイプを捨てる。大きなゴミ箱の中に、トラックの荷台から放り込む。おじさんが手伝ってくれた。もう農家を止めるのか?Uターンして帰って来たので、農家をしないつもりだ。そんな人がよぅけここに物を捨てに来るとのこと。なるほど、思いは同じか。それで肝心なことを聞けば、金属以外は全部持ち込みOKだとのこと。重量で計算する。今回は7,000円。結構高いが、これで、納屋にあるものが片付くと思えば安いものだ。昼からは、写真の整理。昔女装したときの写真もあった。結構美人じゃないか。こんな女は好きだなと自画自賛。ただ、写真のデジタル化はものすごく時間がかかる。暇を見つけて、取り組む方が良いと思う。まだまだ、デジタル化しなければならないものが多いので、明日からはそちらを優先だ。雨に降りこめられて、家じゅうが湿っぽい。この部屋はエアコンンがあるので避けられるが、母屋はなし。合間の晴れた時に開け放しが必要。(ただし鼠も大勢入ってきてそこらあたりに糞を撒く)
6月21日(火曜日)雨
午前3時、ものすごい雨音で目が覚めた。やばいのではないかと、ネットを開いた。大丈夫、この雨はもうすぐ止むし、まだ赤色マークだ。これが紫色に変われば要注意だ。熊本市近辺は、紫色になっていた。もう気象庁は数年に一度などの表現を止めて欲しい。毎年発生して被害が出ている。爆弾はもう一つ落ちた。透析に出かける前に、母が脱糞した。おしめの中だが、糞の始末程困ることはない。座面に穴あきの車いすに乗せて、庭まで出て、そこで、風呂からホースで引いたお湯でおしりを洗う。この作業は15分くらいかかる。母は少し立ち上がることができるが、こんな時は何にもしない。重い母を抱え上げたり、降ろしたり重労働だ。透析に出かけるころは再び大雨。車いすの母は傘をさし、僕は濡れながら駐車場まで押す。そして、パジャマとか衣類とかもう一度洗濯。この一大イベントが終わるのが午前9時。エネルギーで表現すれば半分を使った。精神的なエネルギーは80%を使った。ところが昼からは一転して晴天。塩ビパイプのトラックへの積み込みに大汗をかいた。まことに農作業の後始末は大変である。軽トラックに積める長さにのこぎりで切断。午後4時まで要したが、すべてのパイプを積み込んだ。役場に行って、廃棄処分の書類を貰う。そして母の食事。僕が食事を終えて、シャワーを浴びたのは9時前だった。やっと一日が終わった。今日の作業は疲れたので、寝る前のスキャナーは中止。頭を休める。このような行動は、「火星の人」と全く同じ。つまりある時間までに、いろんなリストの作業を終える。計画はゆとりを持って組んであるので、体や精神にダメージを残さない。そんな文章が「火星の人」だ。それで、今夕は、マッドマックス(1979年の一番最初の映画)を見た。メルギブソンがマックス役。この映画の初演は映画で見た。そして、今回も映画を見たのと同じことを感じた。それは、バイクの暴走族に何で車に乗ったアベックが負けるのか?車で体当たりをすれば、バイクは倒れるのだ。突っ込みはそれだけにしておいて、次々と展開するシーンは、マックがだんだんと怒って来るように仕掛けられてある。Mad(マッド=怒る)の短いタイトルを長い物語で綴っている。これは実に旨い表現だ。娯楽だが芸術だと思う。
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6月20日(月曜日)雨
何ともならない一日
右手がしびれている。連日の作業で酷使しすぎたせいだろう。中指、親指の左側の感覚が無い。しばらく休憩の必要がある。しかし、目の前に昨日納屋の2階からおろした、ふごがある。これはモミを入れておく袋で、1m四方の大きさがある。早朝梅雨の合間を縫って焼いた。素材がわらだから焼くのは簡単だろうと高をくくっていたら、なかなか燃えてくれない。灯油もかけたが、アベノミックスのように一向に燃え上がらない。西の雲は黒くなり、今にも雨が来そうだ。雨が来るまでに何とかしなければ。ふごの下に金属棒を差し込み空気穴を作った。やっと本格的に燃え始めたかと思った矢先、雨が来た。必死になった分だけ、又右手がしびれてしまい、今日は安静日だというのにむきになってしまった。昼間、友人を誘ってラーメン店(豚太郎)へ。妙にスープが薄い。だが、スープだけすするときちんといい味がする。麺に問題があるのだろう。手のしびれは、マッサージに限ると友人は2980円の有料マッサージを薦める。僕は800円のプールでひたすら泳ぐだけだ。どっちも効果的なので優劣がつかない。プールからの帰りに土佐の赤牛専門店へ寄って、特上の牛肉を購入。母にたべてもらたがこれは旨いとのこと。座椅子も用意し、寝て食べないようにしてたが、結局寝たまま食べてパジャマを汚した。母の帰る前、コインランドリーで乾かしてきたばかり。又着替え。今日はこのパジャマを2回洗濯する。疲れるぜ。それと頭にくるぜ。
6月19日(日曜日)雨
今後の予定
酷い土砂降り。母がディケアセンターに出かけるため、車いすに乗ったとたん、バケツをひっくり返したような雨がやって来た。家の前の倉庫までに行くのに、僕はびしょ濡れとなった。そして、こんな日に限って、迎えの車はやって来ない。35分待ってやっと来た。ここから見える距離(ディケアセンター)なのに、訪問時間が実に不安定。どんな運営をしているのだろう。お世話になっている以上文句はないのだが。今日は粗大ごみの日。雨が続くようならあきらめるが、どうやら昼から雨が上がったようだ。今日は蚕が桑の葉を食べるための棚と棚台。ひ爺さんの時代の遺物だ。これに、竹で編んだ籠。40年の昔に買ったエアコンの箱。納屋の2階部分にあるので大汗をかきながら、降ろして、車に積み込んだ。これで、東の納屋の整理は1/5進んだ。8月中に完了するだろう。一方で昨日から試みている、古い写真のデジタル化は、スキャン時にものすごく時間がかかる。膨大な写真量を考えると、今年一杯必要かな?ビニールハウスを貸すことにしている正明さんは、一向にハウスに現れない。貸主としては、お金さえ払ってくれれば問題ないが、このままでは今年の収穫に遅れてしまう。それで、話し合いの為に訪問したが、不在。一旦家に帰り、手紙を書いて残してきた。今月までに作業に取り掛からないと、契約破棄との文面だ。僕の焦りは、先般お金を支払ってくれたのは、仲介者の立て替えのようなのだ。これでは、本人も焦りはないだろう。てなことで、催促をしているのだ。さて、この結果はどうなるか?一応沖の田は片付いたので、明日からは、家の近辺にある畑の草刈りだ。あまりにも放置しすぎた畑は、笹や柴が勢力を伸ばしている。草刈り機でもこの2種は一筋縄ではいかない。大きく振り回さないと、切れてくれない。そうすると、回転するのこぎりの歯が、自分の脚に向かって跳ね返って来る危険がある。雨が降ると作業はできないので、完成は6月末までとなりそう。
6月18日(土曜日)晴
新たな発見
沖の田圃の片付け最終日。ビニールハウスの資材の木材を回収。軽四トラックに積み込むだけの作業だが、炎天下と相まって、汗が止まらない。目に入る汗で前が見えなくなる。加えて、作業をしている場所は隣のビニールハウスから熱風が吹き出て来る。いくら水を飲んでも体から熱が逃げなくなった。「こりゃぁまずいぞ」と休憩。エンジンをかけて冷風に当たった。タイの炎天下でも大丈夫だったが、今日は違うみたい。農作業はとにかく体を動かさなければ、目に見えた仕事とならないので、こうした無理を続け今まで経験したことのない状態になる。この資材は、自宅に持ち帰り、痛んでないモノは倉庫、朽ちているのは梅林の中に廃棄。その作業をしていると、近所のおじさんが僕を見て、血は争えないと言った。どんな血?「おまんの歩く姿は、繁直さんにそっくりだ」と言う。そうか、道理で最近、中途半端に我慢できなくなった。つまらんものでも、完璧を目指そう目指そうとしている。繁直さん(祖父)は、曲がったものが嫌いで、キュウリやナスの収穫でも、籠にきちんと並べていた。普通は、先ず籠に放り込んで、出荷する箱には綺麗に並べるのだが、繁直さんはそうではなかった。誰にも制約を受けないプライベートな時間は、自分の素が出て来る。それは、僕にとってごく自然なものだったが、実は先祖様から受け継いでいたのだ。新発見だ。もう一つ、フィリピンの友人からメールが届いた。5月末に日本に来てたとのこと。新幹線に乗って満足してたことを書いてあった。友人は僕の語学力に合わせた文章を書くので、まるで日本語のようにすらすらと読める。語学力がここまで来たのか?と発見(実力じゃないけど)。いずれ、この国にも行って少し滞在してこようと思っている。
6月17日(金曜日)晴
何でも残す功罪
朝から太陽が顔を出した。急いで洗濯機を回し、母の食事に取り掛かったが、食べたくないと言う。昨日は午後4時の夕食だから、空腹の筈。調子が良く無いようだ。今日のみ、訪問看護があり、午前中お出かけは無し。看護師さんの来るまで僕も動きが取れないのだ。看護師診断で、右足が紫に変色している。何か怪我を負わしたことはないのか?全く記憶にないし、昨日ズボンからパジャマに着替えさせた時はなかったようだと伝えた。再び、父の残した資料のスキャン。2000年は父にとって収入が厳しい状態だったのが分かった。たぶん台風被害だったはず。僕自身も、東京転勤でしかも会社危機でバサッと年収を250万円切り下げられた。岡村家の災難として歴史に刻むべき年だったのがわかった。これはいい面。罪なのは、園芸資材も使わなくなってもそのまま残してくれている。木、金属、ビニール。特に問題なのは、塩ビのパイプ。処分するところがない。預金の件で農協に寄った時尋ねると、隣町の安芸市の焼却場に持っていくことができると情報を得られた。たぶんものすごい高額での処理になるはず(そういえば前に父から聞いたことがあった)。園芸を営んでいる人たちは、園芸組合が安価に引き取りをしてくれるのだが。僕は脱農家なのでこのような特典はない。金属は、土佐山田の業者さんに電話すると無料で引き取りしてくれた。ビニールは、ポリと、ビニールを仕分けると、7月末に村主催で引き取りサービスがある。木は自宅に持ち帰り、梅林の下に敷く(その前に、釘を抜く作業がある。そして自然に腐るのを待つ)。ものすごい労力を要する。お金にならない作業がこの後も続く。罪の方が多いと感じている。
6月16日(木曜日)雨
デジタル関係
母を送り出した後は、どこにも行かず、ただただ、父の書類の整理をするだけ。全ての紙モノを残してくれたおかげで、僕の知らない実家の動きが手に取るようにわかる。まだ、書類は2000年以降のものが多いが、いずれはもっと昔にさかのぼれるはず。知人のH氏は自分のルーツを探し求めて日本を行脚したとのこと。僕は足元だけを見る発見の旅に出ている。それと、夥しい量の写真アルバムが見つかった。更に、アルバム化されてない写真も箱に一杯。これらは、アルバムにすると数十冊にもなりそうな量。アルバム代も嵩むし、それに予定の保管場所は一杯だ。はみ出た写真は400dpi程度でデジタルアーカイブするのがいいだろうと思う。明日も雨なら、少し試してみよう。雑誌の付録で、ハイレゾ音源をダウンロードした。この世界から3カ月離れていたが、もう浦島になりかけている。何とDSDが勢力拡大し、1曲あたりのファイル容量が500MBの楽曲になっていた。このファイル再生のためにネットワークプレーヤーを買う予定だが、11.2Mhz対応プレーヤーがなく、少し待つしかない状態。PC+DAC再生には種類多いが、iPad操作に慣れた身としては、ネットワークプレーヤーに固執してしまう。
6月15日(水曜日)晴
規則正しい生活?
母の朝食、ディサービスへの送り出し。母の衣類洗濯。部屋の清掃と、布団に掃除機Raycop。あわただしい一日が始まった。昼間は母の透析を受ける病院からの呼び出しで面談に訪問(これのみイレギュラー)。婦長さんの対応。母の状況を聞かれたので、足に加えて手もむくんでいる旨を伝えた。(「丁度あなたの手のような感じ」とは言えなかった。彼女は健康そのもので、随分と肉付きが良く、まるまるしていて、手も赤ちゃんの手のように指先まで丸くふっくらしていた。でも、母とよく似ていた。)帰りにスーパーで今夕と明朝の母の食材購入。透析料理のクックパッドに選るメニューを参考。今晩はタイの洋風フライ。タイは高いので「びんよこ」を使った。その代り刺身用なので、あまり熱を加えなくてもいいだろう。ローズマリーを始めて使った。松脂ような感じの匂いがする。帰り着くと簡単な昼食。それから、沖の田に資材の片付け(晴れの場合、農作業に当てる時間)。午後16時までが許された時間だ。隣のビニールハウスのおじさんが、「おやじより丁寧にするねや。ごとごとしいや。」と声援をくれた。草への対応についても、薬の使い方を紹介してくれた。農作業は孤軍奮闘かと思っていたが、いろいろ教えてくれる人がいる。ここはあともう少しで完成するが、明日から雨で作業は中断だ。母を出迎えて夕食。僕も同じ透析料理を頂く。味は無くても一切問題ないので、料理は共有だ。問題はカロリーが少ないので、朝早く目が覚めた時は、爬虫類が太陽を浴びて体が温もるまで動きが緩慢なように、僕も空腹で動きが鈍い。夕刻19:00には一日の全てを終了し、自分の時間が訪れる。疲れで、酔っ払いのように頭が朦朧で何もできない。21:00過ぎには床に就く。毎日この繰り返しだ。僕にとっては平和が訪れた。
6月14日(火曜日)晴
忘れっぽく、疲れやすい!
今日は少々急いで病院に駆け付けた。母の退院日だ。入院した時と比べ、認知機能が随分と衰えたのと、手足のむくみがある。約2カ月で随分と老化した。車で言うエンジンに相当する部分の心臓に欠陥があるので、いろんなところに支障が出ている。帰りの車で便の失禁、帰宅すると、シャワー専用車いすに移ってもらい、庭でお風呂のシャワーを使っておしりを洗い流す。シートの下が割れて空間があるので、お尻の穴まで洗えるのだ。これには助かった。昼食を献立て、僕はしばしの間、沖の田に片付けに行った。炎天下で水を飲んでも飲んでも渇きが収まらない。そんなことに気を取られていると、何と今日の担当者会議を失念してしまっていた。母の退院に対し、ディケアと訪問看護師と介護レンタル機器屋さん、ケアマネとの合同会議だ。情報を共有して、これからの家庭ケアに対処するのだ。すっぽかすと大変なことになりそうだった。夕刻、母の夕食の食材の買い物に出かけると、同級生の理恵ちゃんに会った。その後の介護はどう?家の修繕は進んだ?と矢継ぎ早の質問だ。母は退院し、あなたの言った通り、卦は良くないので、家の修繕は秋まで待つ事にしたと答えた。理恵ちゃんは言った手前心配してくれていた。彼女は専業農家、主人は亡く、一人で農業ハウスを切り盛りしている。最近は一日仕事が出来なくてと嘆いていた。疲れてしまう。それで、半日働いて、半日休む。細く長くをモットーとしていると。そうなんだ、専業で農業を営んでいても、年には勝てないのか?僕が草刈り3日で3日休暇を取ったのと同じだ。もう年なのだ。体は鍛えようがないのだ(脳も同じか)。努力して獲得できるものならそうするのだが。そうそう、お盆の提灯の点灯が昨日から始まった。忘れっぽいので、葬儀屋さんが見えた時、テクニクスプログラマブルタイマーSH-9038Pにセットして置いた。寝る前、このことを忘れていて、母屋を見れば照明がついているではないか!何だろう?あっ思い出した、お盆の提灯だ。父は迷うことなく帰って来れるだろう。
6月13日(月曜日)雨後晴
結論は?
我が家の書籍は全てデジタルアーカイブできた。後は、3TBのHDDのフォルダーに整理して、取り出しやすくする作業とBDへのバックアップだ。フォルダーは作家別とか、年代別とか、ジャンル別とかに分類するつもりだが、デジタルならではの重複分類ができる。完成の暁には、全データーをiMacに移し替え、27型の5k画面で読めるようにするつもりだ。明日母が退院する。それまでに、集中して取り組まなければ間違いをしでかす可能性のあるスキャナーを終えようと必死に頑張った。(実際そんなに急ぐ必要があるのかどうかは不明。でも)ホント肩の荷が下りた。祝杯を上げたいところだが、まだ胃が本調子でないので延期。その代り、プールに行って泳いだ。今朝早く目が覚め、「火星の人」(映画タイトルは、マット・ディモン主演の「ODYSSEY」)を読み始めた。この本は技術解説が多いので、文系の人には難解だろう。読み始めると本を閉じるには結構勇気がいる。ましてや、今日のように雨が降っていると布団から出たくなくなる。それで、少々無理して本を読み続け半分ぐらい読んだので、体も痛かった。タイ式のマッサージより、50万円のマッサージ器よりも最も効果の高い水泳で体をほぐしたかったのもある。いつも思うのは映画が先か、読書が先かの問題だ。大体において読書先の方が、映画も深く楽しめる。しかし、今回の火星の物語のように、見たことのない表現はやはり映像でイメージを膨らませないと読むだけでは迫力不足だ。一方で、主人公「マーク」は結構ジョークが好きな茶目っ気のある人物設定だが、マット・ディモンのキャラクターにはふさわしくない面もある。それでマーク=マットディモンになってしまい、文章から来るイメージが限定されてしまう恐れもある。と言うことで、今回もどちらが先かは結論が出せなかった。
6月12日(日曜日)雨
思い出の風通し
井上陽水の「招待状のないショー」を聴きながら、裁断した書籍をスキャナーした。この音楽は、74年四国の高松に転勤したとき、購入した音楽だ。日産チェリー(乗用車)を買って、金曜夜21時に高知向けて出発(帰省の為)156kmの距離を、2時間半で駆け抜けるのだ。今だと高速道路が完成し、この時間は難なく達成できるが、その時代、このタイムは至難の業だった。その時に、演奏したのがこのアルバムだった。当時のクルマはエアコンがないので窓を全開し、蒸し暑さと、蛙の鳴き声がこの音楽を演奏すると蘇って来る。このアルバムが発売されたのは丁度今頃の梅雨時だった。一日中をかけてスキャンした主な書籍は、80年~90年代のオーディオ雑誌だ。この時代、名古屋から大阪日本橋担当時代。お金の余裕があったのに、名機と呼ばれる機器を買ってなかったのが悔やまれる。自社、他社を含め、それぞれのオーディオ機器に僕の営業ドラマが詰まっている。苦しくもあり、楽しい時代だった。あの頃の活気はもう二度と帰ってこない。戦った他社も存在しない。マーカーをしたCDは購入して手元にある。その時々、場所々で僕の近くにいた人はそれぞれ違う人びと。思い出の品は僕の中で大事に残しておくしかない。そして、時々風通しして、思い出が錆びないようにしよう。
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6月11日(土曜日)晴
喉不通
昨日の朝から続いている。ゆで卵を一気に飲み込んだような感じの喉の詰まり具合だ。飲み物も、一切合切詰まってしまう。これはおかしいのでは?暴飲暴食はしないし、突然だ。千葉に居る時にも起こった。突然やって来る。それで、先日胃カメラ検査をした高知の病院を訪ねた。先生の見立ては、胃酸が逆流して、食道の付近を荒らしているのだろうとのこと。先日の検査では食道に異常がなかったので大事には至らないだろうとのこと。それで飲み薬を処方してもらった。まずは車の中で1杯。帰り道オイル交換。その待ち時間に「はま寿司」で回転寿司。ところが、もうこの時には普通に食べることができるのだ。すごく効く薬だった。先般風邪を引いた時、点滴をお願いしたら、病院を出るときには回復していたのと同じだ。現在の薬が良くなったのか?それとも、薬に異常反応したのか不明。帰り着いて、正明さん宅に領収証を届ける。車はあるが呼んでも反応なし、隣の人が、「シャッターを上げて入っていかないとだめだよ」、とアドバイス。まぁそこまでする必要は無や、と判断し退散。一旦帰宅し、沖の田圃の草刈りを続ける。突然黒い雲が湧いたと思ったら、豪雨がやって来た。しばらく雨宿り。5時過ぎに雨も上がり、6時半まで草刈りで完了。これで、8月までは沖の田は草刈りの必要は無い。汚れたズボンやシャツのままで、近くのスーパーに行き買い物。まぁこの村は農家で成り立っているようなもので、他の人も同じような恰好。夕食もご飯は喉を通った。やっと普通の健康体に戻った。明日は雨で、病院の見舞いもなし。ゆっくりできそうだ。
6月10日(金曜日)
今日はいろんなものが一変に片付いた
まず、朝一に、ビニールハウスを貸してあった、正明さんから、賃貸料を持ってこられた。このお金は既にあきらめていたし、賃貸の契約を破棄しようと、村の農業委員会の方と話を詰めていた。が、一転した。お金を払ってくれることで、継続仕様となり乱雑だったビニールハウスを片付ける必要もなくなり、僕は左右の空き地の草刈りのみでいいことになった。これは大助かり。そしてこの左右の土地にモノを置かないことを約束してもらった。次に、父の書類の中で見つけた、銀行からの通知はがき。口座の中にお金が残ったままになっているとの通達だ、1986年のことだ。試しに電話をすると、まだお金があると言う。引き出すには、結構複雑だが、一昨日JAで手続きした資料がそのまま利用できるので、難なくこの難関を突破した。17千円だけど。つぎに、母の部屋にどんと鎮座していたピアノを引き取ってもらった。随分と部屋が広くなった。250kgの重量を何と、60歳を過ぎたおっさんが持ち上げた。これは凄い。腰は大丈夫か?今のところOK.とのこと。トラックを見れば既に2台載っていた。今日は4台の予定とのこと。NTTの電話契約を中止した。契約者名がおじいさん名なので、中止するには、戸籍謄本が必要だった。これも、役場に相談すれば、最適な書類を出してくれた。中学生時代の書籍のスキャナーは山場を迎え、後4時間程度で終了するめどがついた。一日こんなに物事が進んだのは、久しぶりだ。一方で、この文章を打ち込んでいるときに、虫が飛んできた、長い羽根を持った虫で、もしかしたらとネットで検索すれば、白アリだった。この家なのか、べつ棟か?いずれにしても、駆除に相当な金額が発生するだろう。一難去ってまた一難だ。
6月9日(木曜日)晴
割と早くから英語に取り組んでいたが
中学生時代の書籍、ノートブックをスキャンしている。目を通してない参考書が多いのと、ノートブックは最後まで書き上げてないのが特徴だ。書籍は、たぶん塾を変えたので、参考書が変わったと思う。ノートブックは、授業用とテスト勉強用、学期ごとに新調したのが原因ではなかろうか?僕の勉強法はとにかく書く事。書くことで覚える方法だったので、ものすごい量のノートブックが出てきたのだ。成績は良くなかったが、相当量の勉強をした。これが中学生時代の総括だ。書籍は英語に集中している。どうして英語なのか不明だが、すごく多い。もう一度読み返してもいいくらいだ。次は数学の書籍。数学より理科に関心が高かったが、数学を克服しないと明日はない的な固定観念があったためだろう。こうして、身に着かない勉強をしてきたわけだ。英語は社会人になってからも、時事英語研究などが、1973年度版で残っているので、やっぱり忘れられなかったのだろう。高知の田舎に帰って英語を勉強してどうする?と娘に言われたのが残っている。自分の過去を振り帰ってみて英語は僕の夢だったのだと思う。もう外国人と話すこともない。ラジオやテレビや映画で一方的に聞くだけ。本を読むだけ。それでも、つらい農作業の後の眠くなる前、少しだけ英語に接してなんとなく満足している。就寝時間が早いので、音楽か英語かの二択。別件で、草刈機の作業は指の負担が多く、昨晩は親指が痛くて眠れなかった。今日は、親指がしびれている。明日は晴天予定だが、農作業は中断し親指を休めよう。
6月8日(水曜日)薄日
名義変更
父の死去からずいぶん経過するが、やっと今日名義変更をいくつか行った。こんなに遅くなったのは、実印が必要で、僕と母の分を印鑑づくりから始めたので、しばらくかかったのだ。それに、49日の法事や、沖の田圃の草刈りを優先したこともあり、さぼってはいないが、今日まで経過してしまった。この手続きの中には重要な項目があり、それは地震保険だ。高知県は東南海沖地震の脅威にさらされている。NHK高知放送局でもほぼ毎日対策の放映がなされている。我が家のぼろ家は、ほころびがひどく、その修繕のため、たぶん年間で50万円以上の費用が毎年発生するような状況だ。世間の思惑とは違い、早く地震が来てほしいな。そしてこの家が完全につぶれて欲しいな。その方が、自分の持ち金が減らなくてよくなるから。などと姑息な考えをしている。そのため、名義変更は気にはかけていたがやっと実現できた。NTTの電話はもう20年ほど前に亡くなったお爺さんの名義だ。帰省して以降この2カ月間電話はかかってこない。こちらは名義変更よりも、契約中止としたい。四国電力には、電柱使用料の支払いで名義変更を行った。我が家の何処の敷地に電柱が建っているのか不明だが(1本は分かる、目の前にあるから)。これから行うものに、重要なのは土地だろう。ひ爺さん名義、おじいさん名義、父名義と3つある。これは、登記の変更なので、専門家に依頼しなければできないようなのだ。こうなると俄然ファイトが湧いてきて、自分でやってやろうと思う。なにせ勉強する時間は大いにあるのだから。その土地について一言、草刈りが追い付かない。
6月7日(火曜日)雨後晴
だめもとのアドバイス
農地の借用契約は、無視され、地主に対する入金もなければ、土地の無断使用の後始末もないし、園芸の廃材を放置したまま。こんな借用者が岡村正明氏だ。馬の上在住で、62歳。6月10日までに、入金すると言うが、今まで何の連絡もない。ところが、今日はこんな話をする人がいた。父は面識のない人に土地を貸すのは絶対しないはずだが、間に仲介する人がいて、その人が保証をするので貸してやってくれと言うことで成立した契約だと言う噂を聞いた。しかし、その中に入った人は2名いて、一名は旧知の中だが、この件から逃げていると聞く。でも、もう一名にはダメもとで当たってみてはどうか?と噂主からアドバイスをもらった。こちらの窮状は知っている筈なのに、音沙汰がない。ダメもととはよく言った。明日アプローチしてみるつもりだ。人は窮地に陥ると豹変する経験を何度も見て来た。もし、契約が破棄できたとして、今度はこの土地を従兄の子に貸すことになっている。親類とは言え、またこのようなもめ事が起きないとは限らない。こちらもダメもとで言ってみよう。借りるのはあきらめてくれ。と。今は、昔のお百姓さんのモラルはもう望むべきことではないらしいから。母の病院からの帰り、温泉に寄り道して泳いだ。1,500m。久しぶりで、腕の筋肉が落ちて、水が重く感じる。それでも、無理して泳いだ。入場料金が800円もするのでもったいない貧乏人根性で。水泳後整理運動もできないくらい精根尽き果てた。こちらはダメ押しだ。
6月6日(月曜日)晴
手に負えんが、そこを何とか
沖の草刈りの後遺症は結局今日一日要して完治した。3日を要した。今日からやっと文字も書けだした。今日は農作業が出来ない訳があったので、丁度よかった。高知で、ケアマネさんや、リハビリの先生とか、栄養士さん、デイサービスの方とか総勢10名のミーティングがあった。母の退院に向けての打ち合わせだ。一人の高齢者に対し、これだけの人がかかわっている現状を見るにつけ、公庫のお金が減っていくわけを実感した。こんなこといつまでも続けられるわけがない。このミーティングで誰一人、電子メモを取っている人はいなかった。みんな手書きだった。仲間との情報共有や、ビッグデーターと言われている時代、個々の情報を集約すれば、時系列に、あるいは傾向値が把握できるのに。この低い生産性が、公庫負担に拍車をかける。母は14日に退院する。また、最大のわがままが始まる。しかし、今回は、老人ホーム「はるか」の支援を組み込んである。つまり僕が介護するのは2週間程度で、次は2週間程度老人ホームに入ってもらう。それは、この間に父のお盆を終えてしまうのと、僕の負担減だ。「両親を捨てろ」とか過激な書籍が出ているが、僕はできる範囲で介護する。(病院の先生やスタッフは不思議がっていたが)一方で、沖の田の草刈りがまだ半分残っている。これが終われば、西谷、きまさご、西の田、茶が森と田圃が9枚残されている。家の前を合わせると11枚。これらが一巡する頃は、沖の田の草刈りが始まるだろう。他にも、東の納屋がひどいことになっているので、早急に整理をしなければならず、また、裏のみかん畑の下に放置した、父母の生活や農業残骸の処分。その後、農機具を収容した小屋3棟の整理。すぐに伸びて来る庭の草刈り。蔵の上の物置の整理。だから、短期間利用の老人ホームを利用するのだ。
6月5日(日曜日)曇り
それでもしっかりと体を酷使
昨晩から今朝にかけては布団の中でうなったが、朝起きると何とか回復していた。関節や背筋の痛みは、母の入院先の病院との打ち合わせ他含めて、支障を来すからだ。それで今日も大事を取って、ゆっくりするつもりだったが、今日は粗大ごみの日。納屋の不用品を放出しなければならない。何と2階に当たる部分に入らなくなった絨毯が数枚放置してあり、この上にタヌキの糞が山のごとく積み上がっていた。どのようにしてここに登って来たのだろう?とにかくここの2階のものは全部捨てるもので、これから数カ月かけて処分してゆくつもり。今日はその一部の処分。これに1時間を要し、紙の空箱を畑で燃やした。こちらも1時間。結局午前中休んだだけ。夕刻、酢豚定食が食べたいな!安芸か赤岡か(いずれも自転車で50分15km)こんな時、都会のようにはいかない。今日は安芸へ行くことに。なぜ自転車か?店の雰囲気によってはビールを飲むためだ。太平洋を右手に見ながら自転車道を快走した。1,050円の酢豚定食を頂いた。味は良かったが、豚の量が余りにも少なく、ビールは止め。帰宅するとまだ6時過ぎだった。急いでシャワーを浴び、映画「ハンガーゲーム2」を見る。いつも映画を見るときに、「必然性」や「動機」についてに、頭をよぎる。そこに整合性がないと、違和感を抱いたまま映画が進行してしまう。没入できないのだ。このハンガー2も、どうして、国を代表する選ばれた人々同士が殺し合いをしなければならないのか不明。たぶん監督もそこのところを納得させるためか、本番の殺し合いのシーンと同じくらい、前半の導入部に時間を割いていた。その意図はよく理解できるものの、どうもしっくりと来ない脚本だった(過度な運動で頭が朦朧としていたのかもしれない)。僕の酢豚が食べたいな!のは気分だが、この映画もこんな物語があれば楽しいだろうな的な気分で作られているような感じがする。
6月4日(土曜日)雨
天気予報通り、早々に雨が降り出した。朝5時の起床ではまだ晴れ間が続くような天候だったので、洗濯をした。食事を終えて洗濯機から衣類を取り出すときにはもう雨がぱらついていた。高知の天気の変わりようは本当に早い。午前中はスキャナー。先日の疲れが残るものの、作業を急いだ。午後、母の面会。母は病室から再び移動して、看護婦さんの詰め所横で寝ていた。僕の顔を見ると条件反射のようにトイレに行きたい。と言う。父も同じことを言った。僕の顔にはトイレと描いてあるのだろうか。便秘でお困りの方に顔を合わ、一役買いたいものだ。母は自宅に入る時背中が痒いと訴え、病院に行って薬を処方してもらった。ずっと昔からそうだった。そして僕も同じように痒い。遺伝だと思っていたが、先日納屋の片づけを行っているときに随分とノミにやられてしまい痒くなった。それで、夜は布団に掃除機をかけ、ノミが部屋に残ってはないか万全を期した。翌朝、随分と寝起きが爽やかだ。それで、翌日も、その翌日も布団に掃除機をかけた。ノミの所為とは関係なく、体の痒いのが飛んで行った。それで、今日母に聞いた。病院では痒くないのか?痒くないと言う。これではっきりした。母も、僕も夜寝ているときに痒くなるのは、布団に残ったダニの所為だった。それで、帰りにケーズデンキに寄って、Raycop(35.000)を購入した。さっそく布団に使用するとみるみる間に、フィルターにゴミが付着する。こんな状態で寝てたのかと唖然とした。これは母の安眠に役立つだろう。そこまでは、僕は元気だったが、夕刻6時を過ぎると急に悪寒が襲ってきて、関節が痛くなり体が曲がらなくなり、胃痛が始まり、手は腫れぼったくなり、急変した。きっと昨日の無理が祟ったのだろう。7時過ぎには床に就いたが、体が痛くてなかなか眠れない。やっぱり農作業に当てる時間は4時間が限度だと思った次第。
6月3日(金曜日)晴
今日は朝早く食事を済ませて、母の病院に向かった。リハビリの先生が、母の介助の方法を僕に指導するのだ。ポータブルトイレに母を持ち上げるのが大変だと悩みを伝えると、リハビリで解消できる方法を考え出してくれたのがこの方法だ。家の仕様を少し変更する必要があるが、ほんの少しの手をかけるだけで、母がトイレに乗り移れることができるようになった。その後主治医の先生と面談し、退院に向けて準備ができている。認知が進むに従い自宅介護が困難になってくる可能性がある。その時には又相談してくださいとの助言を頂いた。僕の計算では、認知の速度よりも、心臓の劣化の速度が速いのではないかと予測している。帰るや否や、沖の田圃の草刈りに着手した。明日は雨だから今日中に、ここを仕上げるつもり。今日は断りもなく勝手に「おくら」を収穫した後片付けがある。オクラは立ち枯れで、それを取り除いて、地面に敷き詰めたビニールを取り除かなければ、草刈りが出来ない。それに、オクラが倒れないように地面に打ち込んだ鉄柱も抜かなければならない。鉄の棒は重い。ソンな作業をしていると、農家の廃品を回収している業者が声をかけてくれた。僕の土地を勝手に使ったのだから、僕も勝手にこの業者に鉄棒の処分を依頼した。処分できない園芸廃材は、この勝手に使った人に家に持ち込むつもりだ。(廃材の処分はお金がかかるのだ)無理して頑張った所為か、夕刻前に片付いた。ほぼ一日中手を使っての作業だったので、手がこわばって車のハンドルさえも握れなくなった。手のひらでハンドルを回して、近くの酒屋に行った。日本酒の生酒、甘いのを頂戴。「しらぎく」(芸西村の酒造)を紹介してくれた。朝買ったかつお一匹(300円)があるので、これを3枚におろして、刺身で食べた。しらぎくは、手の込んだ奥ゆかしい味わいだ。香港の空港で食った麺のスープのように、何とは指摘できないが、うっすらとコクのある味わいだ。高知の、辛いのか?そうでないのか?と言った単純ではないのだ。高知県人らしからぬ味付けだ。何杯も続けて飲むものではなく、一杯か二杯で止める酒だ。前後するが、その後ビールを飲んだ。キリンビールの「たっすいがはいかん」キャンペーンで、高知支店長田村潤氏は名を上げて、キリンシェアを一位にした。高知のラガービールは他の県とは違う昔の味だ。それは、大量に汗をかいた後、びっくりするほどよく合うのだ。都会で飲むビールはアサヒのドライが最適なように、高知のお百姓さんにはラガーがぴったりだ。その恩恵に僕も預かった。(僕の住んでいる郷西部落のゴミをみると、貧乏人が多い所為か、アサヒの発泡酒「クリア」が圧倒しています。値段には勝てないと言うもんでしょうか)
6月2日(木曜日)晴
バーター
Barterとは、何かを犠牲にして、趣味7選を楽しめるようにする事。ひと月前に心臓の調子が悪くなり、医者の診断を受けたが異常はなかった。だが、その後も時々不整脈があった。そこで、結構好きなコーヒーを止めることにした。自転車に乗って楽しむには、不整脈はあまりよろしくないのだ。そして、その甲斐あったのか不明だが、以降心臓の調子は良くなった。胃の調子も良くなった。こんななことなら、趣味7選の為にはコーヒーと決別は断腸の思いでも「絶った」。も一つの犠牲は酒。農作業があると、夕食に酒は欠かせない代物。だが、酒を飲むと、もうそれ以降の時間はただ寝るだけの墜落だ。読書も、映画も、音楽も。それで酒を週2回に制限した。まさかゼロと言うわけには行くまい。まぁこれは交換からは少し外れるが。最後に、アイスクリーム。割と早い夕刻、母の病院に行く道中で、「マックシェイクM」もしくは「サーティワンのアイスクリーム/ダブル」を買って運転していく。汗が滝のように流れる農作業の後では、至福の時なのだ。ところが、先日歯の詰め物が外れて修繕してもらったところ、2月までは定期的に歯科医に通って健全だった歯が、虫歯に犯されているとの指摘があった。虫歯は趣味に直接は関係ないが、回りまわって響いてくる可能性があるかもしれないのだ。これはまだ、絶つまでには至ってないが、回数を減らしている。いつか決別の為に。と言うことで、何かと年齢から来るものかどうか不明だが、交換の項目が増えてきている。四つ目が出てきそうだ。
6月1日(水曜日)曇り
今日は胃の内視鏡検査。この春胃潰瘍を患い、その後の経過を見るために、千葉の病院から紹介状を持って帰省した。それで今日内視鏡の検査だ。麻酔を使う検査に固執したので、車の運転は断念。その代り、自転車で向かった。32kmの工程で、2時間を予定したが、1時間半で到着。汗の量が多かったので、水の補給。麻酔が効く前に何とかして、意識を持とうとしたが、いつの間にか昏睡して、たたかれた時はもう検査は終わっていた。先生の診断では、もう傷は完治しているとのこと。後1カ月薬を飲み続ければ完全だ。その後、又病院のベッドで寝て、11時半に退院した。ここからお披露目広場は、自転車で5分。お昼は、ここでビールでも飲みながら昼食。麻酔は一日効き続けるので、ふらふらするかもしれない注意を受けたが、更に酒を飲みフラフラ度合いが増した。病気が治りかけで、気分がよかったせいか、ビールも旨かった。帰り道はゆっくりと自転車を漕いで、午後4時に帰宅した。それから、再び沖の田圃に行き、草刈りを午後7時まで頑張った。その足で、近くのスーパーに行き、夕食の食材を買って帰宅。今日の夕食は「とうやく」(刺身にできる淡泊な魚)と白菜と大根の漬物とセロリこれを、柚子胡椒、マヨネーズ、青じそドレッシングで味付けして、フードプロセッサーでミックスした。出来上がりはスプーンで頂く。カルパッチョよりも、濃厚でビールのつまみによく合う。今日は、良い日であった。
5月31日(火曜日)
今日は野良仕事。まずは前の畑の岸にこびりついているツタを刈り終えた。幾つか岸掛けの石が崩れたが、このまま放置するよりはましだ。この畑が完成したら、沖の田んぼに行かねばならぬが、その前に家の周りの草に草からしを散布しておこうと、作業を始めれば、母屋の裏がひどいことになっている。草で通れなくなっている。ここは一旦保留して、別の日に半日くらい時間をかけて草を取り除かねばならぬ。今はともかく、沖の田圃だ。ここもひどい惨状。萱はもう背丈以上に伸び、元は50㎝位の大きな株に成長している。草刈機で一気に刈り込めばよいのだが、案の定父は、園芸資材を、この根元に放置したままで、そのまま刈れば、草刈機の歯を痛めてしまう。まずは鎌で粗方刈り込み、それから草刈機と非常に手間のかかる仕事だ。岸に植えた柿の木も、枝が伸び放題。邪魔な部分は枝を切り落とした。汗が滝のように流れた。草刈機の棒を振り回すわけだが、がっしりとこの棒を掴んでないと怪我をする。それで作業が終わると、指先が固まってしまう。手のひら専用のマッサージ器があれば即購入だ。午後3時に作業を終え、役場に行って母の後期高齢者保健の申請を行う。病院から電話があり、母の面会もあるので駆け付ける。先生方は、母を引き取って、僕一人で面倒を見ることができるかどうか?ひどく心配している。僕はそのために仕事を辞めたのだから、心配ご無用だと伝えたが、認知がこれからますますひどくなり、トイレの世話ができますか?と聞かれたが、これも大丈夫と答えた。糞は臭いが、汚いものではないのだ。くれぐれもご無理なさらぬようにと釘を刺された。
5月30日(月曜日)
やっと晴天。高知は太陽が顔を出せば暑い。灼熱の夏そのもの。今日は心臓の先生に診断をしてもらう日。ついでに、内視鏡検査の申し込みも行う。心臓の診断は、血管が収縮する病気かも知れないとの見立て。血管に何かが詰まっているわけでなく、朝方にこのような現象が起きやすいとのこと。取り敢えず様子を見て、再発すればクスリを飲むこととした。胃の検査の方は、薬を止めていたことを伝えると、また傷口が開いているかもしれないと言われた。6月1日に検査だ。今は鼻から検査するので痛くないと言われたが、麻酔を使ってやってくれと頼んだ。次に向かったのは歯科医。歯の詰め物が取れたため。飛び込みでは診てもらえず、3軒目でやっと受け付けてもらえた。1時間半待って終了。次は大学病院の母の主治医が、今の入院先に来てくれているので、面談。自宅療養時の緊急対応について、話し合った。今日は、朝8時半に出かけ3軒の医者を訪問し、昼抜きで17時半まで耐えた。この間、ほとんどが待ち時間。その間「村上水軍の娘」を読んだ(上間を読み終えた)。今日は本当に暑くて、エアコンの効いた病院の待ち合わせ室で過ごすことが最適だったかもしれない。
5月29日(日曜日)
今日も雨。土日はラジオ英語放送がなく、録画したニュースで英会話を聞く。この頃はニュースもなんとか守備範囲に入ってきている。その貴重な朝の時間に、ドアを開けて入って来る人がいる。朝の6時半の事です。高知市の友人だ。今日のスケジュールは大きく変わるだろう。10年分の梅干を持ってきてくれた。それで、僕は英語ニュースを切り上げ、釜屋に友人を招き朝食の準備をした。友人は冷蔵庫からキリン一番搾りを出し呑んだ。雨の日曜日何もすることがないので来たらしい。さっそく僕は近所に住む友人を呼んだ。何とか高知の友人を引き受けてと。だが、彼は、少し顔を出して逃げて行った。一昨日のオバマさんの広島講演の話をしながら朝食を食べた。しばらく飲んでいたが、梅を収穫に行くと言って去っていった。僕は、又の来襲があるかもしれないので、早急にやりかけのスキャナーを済ませた。今日の雨は冷たく、半袖のシャツでは寒かった。結局友人は自宅に帰ってしまい、午後2時までスキャナーを行い、母の面会に行った。今日も母は同じように熱があり、看護師さんは氷枕を準備していた。母は食事はまだか?としつこく訪ねる。看護師さんにも同様に、看護師さん曰く、「ご飯の事がそれほど気になるようなら、もう大丈夫」今日の夕食は、アサリとほうれん草とパスタの料理。ほうれん草のバター炒めに先ほどのアサリを湯がいた汁を加えるのがポイントで、なかなか旨いスープでパスタを頂いた。サラダには白菜と、味付けするめいかをクッキングカッターで切り刻み、酢と砂糖のドレッシングをかけたもの。クックパッドの料理。自炊料理は、同じものを2度と食べない新鮮さがあり、興味が尽きない。
5月28日(土曜日)
今日も雨だ。このところ雨が多い。今日は昨日開通した光インターネットの設定だ。NTT付属のCDROMを使って接続を試みるが設定できない。NTTに電話で問い合わせると、私のIDが認識できないと、何度もいろいろ個人的なことを聞かれる。そしていったん電話を切って待つ事15分。再び電話があり、やっと個人の認識が出来たとのこと。それで、どうして接続できないのか?NTTのCDROMは、ルーターを使用するときには使わないで欲しい。ルーター(バッファロー)の説明書の通りに接続してくださいとの回答。何だ?接続できない理由は始めから分かっているではないか。個人認識とは全く関係ないアドバイスだった。NTTは前から横柄だったので、携帯電話はDoCoMoの契約を止めた経緯があるが、あれから10年。全くこの会社の横柄さは変わってない。それで、結局午前中を要した。昼食を取れば途端に眠くなり、テーブルに屈服して寝たら、目を強く押していたためか、しばらく目がかすんで見えなかった。午後2時母の面会に行った。今日は熱があるらしく、氷枕で寝ていた。待っていても眠っているので、早々に切り上げた。帰りはプール。外の作業が出来ないので、運動のためだ。今日は1,500mが精いっぱいだった。昼間に急に眠たくなったりして、僕の調子も良くないかもしれない。帰れば夕食。いつも夕食を献立るときに見るNHKは巨人阪神戦を放映していた。プロ野球に興味のない私は、録画の音楽番組を再生した。THE
WHOの「ハイドロ・パークライブ2105」。最初は気持ちの良い音に耳を傾けていたが、だんだんとのめり込んだ。このバンドはリズムが実に多彩だ。ROCKは社会を反映しているとPete
Townshendがインタビューで語っていた。歌詞は分からなかったが、現世の社会は、ありとあらゆるリズムがあふれているが、それを音楽に取り込んでいるように思えた。約2時間のコンサートに全く飽きることなく聞き入ってしまった。THE
WHOには耳に馴染むヒット曲がない。それで、今まで僕にはノーマークのバンドだった。僕はつい最近「四重人格」で目覚めた。世間はロックオペラ「トミー」で目覚めたようだ。このバンドは、ビートルズやローリングストーンズと同じような必要性があると思った。実に優雅な夕食時間だった。酒はウォッカの牛乳割と赤ワイン。
5月27日(金曜日)
天気予報通りに朝起きると雨は上がっていた。だけど、まだ草は濡れていて作業はできない。明日に持ち越そう。昼からケーズデンキのエアコン工事とDoCoMoの光回線の施設が同時にやって来たのだ。今までインターネットは、ソフトバンクのモバイルルーターを使っているので、何とかしのげているが、ダウンロードはご法度だ。7GBは直ぐに達してしまう容量だから。いよいよ、明日からネットが使えるようになる。ちなみに我が家の庭には、光回線の終端ボックスが電柱にある。そこから数メートルの光ケーブルでONUへ直付けだ。電源トランスも同じ電柱にあって、マイトランスも実現している。我が家のオーディオ機器は相当古いが、いい音で鳴っているのは、実はこの所為だと思う。オーディオの音をよくするには、1)電源、2)部屋、3)スピーカー、4)アンプの順だ。話は逸れたが、結局工事は3時ぐらいまでかかり、それから、印鑑登録。定期検診の申し込み手続き等をやっていると、5時になってしまった。昨日母には、明日は来れないかもしれないと断りを入れておいた(覚えてないかもしれないが)それで、早めの夕食を終え、シャワーを浴びて、映画を観た(毎週金曜日は映画の日と決めた)。今日はトムクルーズの「アウトロー」を観た。あらすじは無差別殺人者の弁護をトムクルーズとロザムンドパイクが行う。殺人犯は、あらかじめ決められていて、映画の始めのパートですぐに逮捕され有無を言わさぬ明確さだ。そこを、トムクルーズが事件を紐解いてゆくと、実は無差別殺人事件のように見えるが、一人だけは目的がある殺人だったし、犯人は別にいることが分かって来る。そして、最後には、その犯人と黒幕を一網打尽に殺して一件落着となる。いささかトムクルーズをクローズアップしすぎるような痛快物語だが、娯楽映画はこれでいいのだ。ロザムンドパイクの瞳が映画を盛り立てているような魅力を放った。調べると「サンダーバード」でペネロープ役を演じたとか。ペネロープも瞳がモノを言うキャラクターなのだ。僕の見識眼も悪くない。映画が終わると外は真っ暗。懐中電灯で石段を照らし歩いていると、2両連結のムカデに出会った。長いものがつるんでいたんですね。さっそく殺した。いいタイミングで出会えて良かった。こんな大きいのにやられたら、救急車クラスの出動となる。
5月26日(木曜日)
高知の雨は粒が大きいので雨量が凄い。とは、理解していたが、ここに暮らしてみると、これほど雨の量が多いとは改めて恐れ入った。家の随所に雨どいが壊れているのを発見。これだけの雨ならさもあらんと理解する。今日は屋外の作業は出来ず、スキャナー作業。昨晩はプールの疲れのダメージがそれほどでもないと高をくくっていたが、今朝は指先までだるくて、なかなか起き上がれなかった。いつものようにエンジンの回転が上がらず、食事の後2時間ぐらいは、エンジンは青い煙を吐いてくすぼっていた。だがそれ以降は、何とか栄養が体に回ってきた為か、なんとなく体も動き出した。今日のスキャナーは、小学1年生の頃に買ってもらった、「科学ブック」全20巻。写真と、挿絵(イラストではない)で構成されて、大人になった今読んでも、よくできた雑誌だと改めて感心。最後のページは、お母さんが子供に教えるための文章が添付されている。その文章内容も、易しく書いてはあるが、本当に科学的で果たして30才前後の女性が読んで、それを理解し子供に教えることができたのかどうか疑問?それ程レベルの高い雑誌だった。かすかな記憶で、この本に打ち込んだ記憶はあまりないが、ぱらぱらとめくり、表面をなぞっただけだったのだろう。何も思い出は残ってない。でも、今になって思うのは、機械や電気の事に好奇心を持つ影響力を与えたのではないかと。果たしてそれが僕の半生にプラスに働いたのかどうかは不明だが、定年後の趣味三昧には役に立っていると思う。この書籍はA3サイズの見開き書籍なので、本を裁断しないタイプのPFUスキャナーを使っている。ページめくりは手動なので時間を要する。次に向かったのは、母の病院。今日はリハビリの先生が、母の体力回復度合いを見せてくれた。ベッドから車いすへの移動とか、車いすから、50㎝位の台への移動とか。先生はベテランなので、要所を母に指示するので、ほんの少しの力で、母を動かせている。一方看護師のメンバーはベッドの傍にあるポータブルトイレを使うのに全体重を支えて対応している(僕と同じ)が、こちらは2人体制なので何とかなっていた。このリハビリの先生は、大きな人を小さな女性が柔道の技で投げるのに似ているような技を使っていた。さすがプロだと思った。帰りにヤマダ電機を訪問した。今朝の疲れは尋常ではなかった。指先や足先まで疲れが浸透していた。こんな時マッサージしてもらえば気持ちいいだろうなと。それで、マッサージ器はこれに効くのか確かめに訪問した。パナソニックのマッサージ器は、気持ち良いよりは痛い。体を壊しそう。フジ医療器の機器はなんだか柔らかくていい塩梅。説明員に言わせると、背中を押す玉が、パナは小さく、フジは大きいそうだ。この人はフジ医療器のヘルパーさんなので、旨い設定をしてあるのだろう(パナはそのままか)。脚や、手を締め付けられるのは、非常に気持ち良い。さて、これは購入後どこに設置するのか?よく考えて設置しなければ、一人では移動ができない欠点がある。
5月25日(水曜日)
農業委員会の担当者と、土地を貸しているお宅に、返却の交渉と、家賃の催促にお邪魔した。最初の訪問では留守。近所を訪ね消息を探ると、玄関のドアを開けて部屋の中に入っていかないと出てこないとのこと。取り敢えず携帯電話を教えるね、と、簡単に情報が取れた。もう一度大きな声でドアを開けて叫ぶと反応があった。ひげぼうぼうで、パンツ1枚で出て来た。便も臭った。玄関や庭は荒れ放題、東側の納屋は柱が折れてつぶれていた。これでは不幸がやって来ない訳がないと思った。「家整いて、幸せ在りだ」。岡村家もこれに近かったので、大いに勉強となった。さて、交渉は、滞納していた料金は6月10日に支払うと明言された。来年度の継続借用はその時に返答するとのこと。お金を返すと言っているので、それ以上は言えず、返済を待つ事に。もう一つ、我が家の土地を無断借用の件については、亡き父は了解していると言い張る。しかし、これは無断なので即刻返して欲しい。と申し出たが、こちらは返答がもらえなかった。結局は、借金は踏み倒されて、荒れ放題となった無断借用の土地は当方で片付けてと言うことになりかねない状況だ。まぁそれでも我が家の土地から出て行ってもらう事が出来れば幸いと思っている。本当に交渉下手で情けない。母にこのことを話すと、あんな人とは思わなかったと感想を述べた。処理はおまんに任すと言った。今日は正常なのだ。その後、病院のソーシャルワーカーと人と、リハビリの先生と打ち合わせ。やはりベッドを入れた方が良いとのアドバイス。ベッドが入ると家が一杯になり、掃除もできない。布団だと、清潔に保つ要領は心得ている。こちらも交渉下手で押し切られそうだ。またしても、僕が難儀を受け入れなければならない。と言うわけで、僕にはストレスが溜まる一方。それでプールで発散と決めた(そうでなくても、プールと決めていたけど)。2km(40往復)を50分強で終えた。プールの監視員に尋ねた。このプールは本当に25mあるの?少しタイムが良すぎるのだ。ほんの少し短いのではないか?とぼく自身疑っているのだ。監視員は「聞いちょきます」と言った。午後8時の疲れのバロメーター。目がしょぼしょぼとなるのか?どうか?農作業に比べると、プールの2kmは目のしょぼしょぼ度がやや少ない。もう少し(午後9時まで)我慢できる程度。つまり、それだけ農作業はつらい仕事だったんだと納得。
5月24日(火曜日)
田圃の園芸資材を片付けは、今日中に終えないと夜から雨で、せっかく乾いた木材が、また水を吸って重くなる。と言うことで、昨晩は早く就寝したので、今朝は午前5時起床、午後8時から、片づけを開始した。汗が目に入り、塩辛い汗は目が開けられない程沁みる。午後13:00予定通り完了した。余力で、この田圃の岸掛けのツタを取り始めた。ツタの所為でかなり岸掛けが痛み、石が崩れかけてきている。しっかりツタを取らなければならない。岸の石の間に、結構旨く詰まった石があると、よく見れば、それはマムシだった。皮膚が石とよく似た保護色だった。ツタを鎌で切っていたので、ついでにマムシも2つに切った。昨日は園芸資材の間からはムカデが3匹居た。自然との共生で農家は生きているとはいえ、結構神経を張ってないと、やられそうだ。午後3時、疲れ果てて作業を終了した。母の病院へ。今日も会話は進まない。看護婦さんによると、少しはつかまり立ちが出来そうとのこと。安定すれば退院できるとのことだ。退院し自宅に連れて帰れば、以前よりまして会話はギクシャク、介護は盛りだくさんになりそうだ。4月に行った介護は一日平均5時間くらいの奉仕時間だった。拘束時間は6時~9時、15時~18時、24時~25時。金、日曜日はこれに11時~13時が加わる。そうなれば、家の周りの片づけは中断とならざるを得ない。父の残した伝票整理を行っていると、農家として一生懸命に働いてきた父と母の姿が浮かび上がる。顔を見れば、腹立たしいことも多いが、この伝票をみれば、そうとは言っておられない重みがある。スキャンは全ての作業を終えた時、時間優先のソートをかけるが、そうすると一層克明になるだろう。7月の中旬までは外の仕事をして、それ以降は伝票整理に専念するつもり。この完成は9月末を目指している。
5月23日(月曜日)
空腹で目覚め、先ずは腹ごしらえ。それから、母の寝室の清掃。先日の宴会の片付け。あっという間に11時。それから、田圃の園芸資材を片付け始めた。炎天下の作業はつらく、30分おきに休憩を取った。午後3時15分、1ℓの水を消費し今日の作業は切り上げた。明日もう一度頑張れば、完成するだろう。明日は夕刻から雨だとの予報なので、それまでに済ますつもり。作業を終えて母の病院に向かった。今日は、調子が悪いらしく、支離滅裂。私と話しているのに、昌孝はどこに行った?と聞かれる。誰と話している?と聞けば、祐希(私の娘)と話していると。「The
Whoの四重人格」みたいだ。しばらく会話は控えて様子を見た。夜中に叫ぶのが常態化しているらしく、個室をあてがわれていた。夕食は、先日の宴会の残り物。野菜サラダと共に頂いた。まだ冷凍庫にたくさん残っているので、しばらくはこの状態が続く。冷蔵庫にはビールも残っている。僕はビールを飲まず、冷蔵庫が占拠されたまま、お盆を迎えることになるのかな?この文章を打っている午後8時には目がしょぼしょぼで、ここで断念。就寝。
5月22日(日曜日)
あれほど飲んだ後なのに、高知市の友人は朝早くから缶ビールを開けて飲んでいる。僕は大した酔いも残らずに、朝から全開だ。昨晩の片付け、友人の朝飯、自分の朝飯を作り食べようとしているところに、近所の友人が来た。まだ7時前のことですよ。梅を取りに来たと言う(我が家の)。いろんなものを片付けた後、僕は失礼して、再び布団にくるまり就寝。彼らは勝手に梅を取って帰った。11時前に起きて、映画「ベイマックス」を観た。何で大学のロボットで有名な教授が急に悪に手を染めたのか動機が不明だし、何で、大学を受験する生徒の発明を盗まなければならなかったのかも不明(有名な教授ならそれくらいのものは作れるはず)。だが、それ以外は、ヒューマンタッチで心温まるし、ものすごく分かりやすい英語を使ってセリフを話す。これなら、何とかついて行けるわという場面が多々。今度はBDをレンタルし英字幕で見よう。そして、再び友人2名が僕のシアタールームに現れ、昼飯に行くと言う。海岸のカレーハウスに行った。この暑さにはぴったりだ。そして、2名はビール。僕は、今日からは、引き締めて、趣味に活動をシフトするぞと誓ったので、ビール無し。それに母の面会の為、車の運転もある。母は当初の病室にいなかった。ベッドもなかった。看護師に尋ねると、昨晩大きな声を出して迷惑がかかり、病室を移したとのこと。認知が進めば、この病院から強制退院させられるかもしれない。今日の会話は、父の49日の法要が無事終わったと報告した。みんなに迷惑をかけるねぇと神妙。照子(いつもお世話になるおばさん)が手伝うてくれたかね?と聞かれたので、十分やってもらったと回答した。ここまで、普通の話だったが、最後に、「お父はどうししゅうかね?」と、今までの会話転覆させるような話。帰り道ツタヤで映画「エベレスト」を借りた。エベレストから帰還できなかった遠征隊の悲劇を扱った物語。ロブは面倒見のよい、登山案内家として紹介されている。それが、この映画の全編を貫いている。だが、面倒見のよいが為に、自分自身を含め、登山家何人もの犠牲を払った。山に登るには非情であれ、これが鉄則だ。とは、〆てない。面倒見のよいロブのままで終わるのだ。彼はいい人なのだ。と〆る。僕はここに違和感を感じた。監督がロマンチストなのかな?後味の悪い映画。
5月21日(土曜日)
朝起きてすぐに、墓までの山道を掃除した。竹や木の葉が道を埋めていたからだ。そして食事。その時、高知市の友人が手伝いに来てくれた。今日は何もしなくても良い筈。でも手があるのは有難い。まずは、娘たちが帰省するので、その出迎えを頼んだ。その間、父の供養のお供え物を整えた。最終日の今日は父がかつて栽培したことのある作物(なす、ピーマン、キュウリ)で整えた。やがて、子供たちが到着した。彼らを連れて、ビールの買い出しに行った。芸西村の道は車の往来が少なく運転しやすそうだとの感想。息子は、僕に名刺をくれた。初めて持つ名刺はうれしかったのだろう。僕のかつての名刺も額に挟んであったものを持ち帰った。それは、Technicsと「音は青春」のロゴ入りの名刺で、1970年代のものだ。お祈りが始まる直前に、数珠が無いことに気がついた。息子の仮てお祈りした。お祈りが終わると、お骨を持って裏山の墓に行って、埋葬した。大体が、イメージ通りの進行で齟齬はなかった。その間に料理が届き、みんなで山から降りて精進落としの宴会が始まった。午後4時過ぎお開き。子供達を友人の母へ面会に連れて行き、そのまま見送った。家に帰り着くと、近所の皆さんが集まっていて、もう始めるぞと言う。えぇ!「料理がまだ来てないぞ」。「ビールがあるろぅ」。「それならある」。「ほいたら始めよう」と、テーブルの上にはコップとお箸、それにビールだけ。みんな百姓さんなので、午後7時頃だと思っていた。大誤算。しかし、みんなはたいした不快感も出さずに、早速盛り上がっていった。そうこうするうちに料理も届き、火が付いた。プライベートでお坊さんも参加してくれて、お祈りしてくれた。僕と高知市の友人とお寺さんで1升を空けた。解散したのは午後10時。それから料理を片付けて、掃除をして、友人の為の寝床を作り、僕もやっと解放されたのが午前0時。酒も少し抜けていた。大きな行事は大我なく終わった。今度はお盆(7月13日)に向かっての準備だが、まだ時間がある。この間、家の周りの清掃をもう一巡する必要がある。
5月20日(金曜日)
腰の調子は相変わらずだが、今日は何としてでも仕上げなければならないと、朝から気合を入れた。朝食の後、新聞を見てたら、急に眠くなり、取り敢えず朝寝。10時半に目が覚めた。1時間くらいは眠っていただろうか。それから田に山積した園芸資材を東の納屋に片付けた。資材の山の1/3は何とか片付いた。12時の時報と共に、食事の支度にかかった。今日は親類のおじさんが墓を堀に来てくれるので、それまでに食事を済ます必要があったのだ。13時きっちりに、おじさんと、赤野の親類が来てくれて墓を掘ってくれた。こちらの風習は、コメ、お金とお酒を掘った後に置く。それは、その地を買うとの意思表示だ。2時間を要した。頼んでおいた雨覆いや、香典のお返しなどが葬儀屋さんから届いた。おじさんは花を作っている(スターチス)ので、その花を持ってきてくれて祭壇に飾ってくれたので、豪華な祭壇になった。これで明日の準備はすべて整った。懇親会(高知ではおきゃくと呼ぶ)のお皿やコップは既に食器洗い機で洗浄済みだ。明日は、親類の49日の催事と、近所を呼んでの法事で、2部構成だ。1回目が終わると、食器類を全て食器洗い機にかけて、2回目に備える計算だ。連日の暑さは、ビールのストックにも関係するだろう。取り敢えず60本を用意したが、明日24本の補充をしておこうと思う。園芸資材の片付けは、午後から2時間頑張ったが、2/3の山は量が大きく、ほとんど進捗が見られない。散らかったまま明日を迎えるしかなさそうだ。
5月19日(木曜日)
朝起きると腰の調子が変だ。どうもかがむことができない。昨日は少し根を詰め過ぎたのかな?取り敢えず今日は全ての作業を中止した。体の楽なスキャナーをしてたら突然眠くなり、2時間ほど朝寝。昨晩は8時間も寝たのに、まだ眠いのか?疲労の蓄積と言うか、疲労の極限状態か?何としてでも、父の49日の法要は済まさなければならないから、体を大事にいたわらなければならない。予備がないのだ。思えば、この法要に向けていろんなことをしてきた。休憩なしで作業を続けたりもした。体の調子が良いとついつい時間を忘れてしまうものだ。それと言うのも、僕一人の手には余るほどの敷地があり、祖父も父も片付けることをしないで他界してしまった。他界は寿命であり仕方ないものだが、その前に、生きがいを無くしてしまっていたのかもしれないと思うようになった。祖父の場合は、祖母の死亡。父の場合は、母の認知症の進行だ。農家はどうしても一人ではできないので、妻と一緒に取り組んで行く。人生そのものが、二人三脚だった。その片方が機能しなくなれば、片肺飛行と同じで、たちまち失速してしまう。そんなことが人生の終盤に起こり、意欲を無くして、ただ惰性で生きていたのではないだろうか?と思った。それ程、負の遺産が残されているのだ。今から20年前の岡村家に戻すためには、1年位かけて、片付け、整理、修復を行わなければならないし、それが完成すれば、そのすべての一方から崩れて行き、また最初からやり直しをしなければ維持できない。つまり、管理だけで毎年過ぎてゆきそうなのだ。雑草、昆虫、獣害、腐敗(朽ちてゆく意味)との戦いです。
5月18日(水曜日)
墓の整地はボチボチ行こうと(洒落ではなくて)、前から少しずつ進めていたが、気温の上昇と、3日間隔で降る大雨とで草木、竹が一気に成長し、ゆっくりベースでは間に合わなくなった。それで、今日が仕上げとばかりに、草刈機への燃料補給を3度ほど行い、一気に仕上げた。人間への水の補給も1.5リットル程を胃に流し込んだ。残された3大イベントの1つは片付いた。母の見舞いは、家に帰りたい希望をだましだましで、入院を続けさせているので、随分と母には憎まれている。「どうなってもかまわんとおもうちゅうろう」と母の捨て台詞。面会に行けば行くほど関係は険悪になる。では、面会に行かなくても良いかと言えば、それは到底できっこない。結局毎日気まずい思いで病院から思い足取りで出て来るのみ。帰宅途中で夕食の買い物を行い、クックパッドの創作料理にとりかかる。それでやっと、気分が晴れる。お猪口一杯の食前酒で景気をつけて7時半までに食事を終える。シャッワーを浴びて自分の部屋に帰り、ゆったりとすればやがて睡魔がやって来る。忘れないうちに日記を打ち込み、21時に就寝だ。
5月17日(火曜日)
朝一番、障子の張替え。高校生時代購入した雑誌のスキャン。午後一、母の面会。今日は、看護師との面談もあった。サポートしてくださるA氏は、美人で、でもどこかで見たことがある顔つき。だがなかなか名前が出てこない。記憶の底から浮かび上がってきたのは、この日の夜だった。ピアニストの中村紘子氏だ。ほんと髪型までそっくり。今度会った時に聞いてみよう。ピアノを弾くのか?ハウスバーモンドカレーは好きか?帰宅し、畑に放置したままにしてある、農業用資材(主にラワン材)を納屋に片付けた。今日は1/5程度。重いし、長さの選別も必要だし思ったようには進まない。着々と父の49日の準備を整えているが、チェック項目が多くなかなか先に進まない。特に、今日のような重作業が他にもあり、田の草刈り、墓地の整理とまだ3つ残されている。暑くて、汗が目に入り作業が中断される。エネルギーを使いすぎて、風邪など引くと大変。ボチボチこなそう。趣味の封印は解いたが、農作業が多く、夜の時間はたっぷりあるものの疲れ果てて、毎日21時が来れば起きていられない程の睡魔が襲ってくる。それでいて、朝の起床は5時半だから、読書、映画、音楽も毎日と言うわけには行かない。
5月16日(月曜日)
今日は母の転院の日。口はえらいが、もうほとんど動くことが出来ず、車に乗せるのが一苦労。40kgを一人で抱え上げるのは、実際かなりむつかしい。脚や手も車の座席に引き込むには、結構あちこちにひっかかり、重さが倍加する。母は帰りたいとしきりに言うが、この状態で帰って来られると、僕一人では何ともできない。しかし、夜中に叫んだり、暴力をふるったりし始めると、連れて帰らなければならない。そこまで認知が進まないことを祈るだけだ。足腰のリハビリを治療に加えて頂くようお願いしたが、認知症患者は無理ときっぱりと断られた。そこを何とか!取りつく島もない回答。今日は転院即透析で、病室でゆっくりする暇もなく、母は出かけて行った。僕は、退散して元の高知医大に行き支払いを済ませた。ソーシャルワーカー氏を呼び出して御礼を述べた。若いかわいい女の子がこう言った、「もう逢わない方がいいですね」、その言葉に十分納得。帰ると、父の49日に案内するメンバーについて、「よしみち君」を訪ねた。郷西部落の11軒と明確だった。ここに含まれてない親しい関係先は?と聞くと、1軒だけ、昔こういうことがあったので、あの家は呼んではいけないと、僕の祖父から聞いたことがあると教えてくれた。僕の知らない事件を、何で近所の人が知っているのだろう?田舎は怖い。忠告には従おう。その後、赤野の親類、長谷寄の親類に案内方々訪問した。最後にお寺さんを訪問し、日程の確認を行った。催事は自宅で開催されるので、清掃と片づけは必須、一人大奮闘。大雨が降っていたので、障子を外に出して雨に当てた。しばらくしてから、障子紙を取り除いた。もう今日は何もすることがない。夕食の買い出しに行った。ついでに普段寄らない酒屋さんを訪問すると、なんと「船中八策」の取り扱いがあるではないか。それも「生」が。この酒は、日経新聞で一位を取った酒で、高知でもなかなか手に入らない。友人に頼み込んで、今年のお正月に飲んだ。その酒が、なんとこの村の酒屋さんにあるではないか。灯台下暗しだ。他にもこの村の酒蔵さんの「生」がある。今しかない酒だ。毎晩の楽しみが増えた。ちなみに「船中八策」の生は購入して試飲したら、濃いのなんの。おちょこ1杯で酔ってしまった。残念ながらお酒を楽しむ事が出来ず。
5月15日(日曜日)
粗大ゴミの日。今までの粗大ごみは、主に母のものが多かった。今日のゴミは、両親のゴミの他に、祖父祖母の時代のゴミを出した。全部で軽トラック6台分。午前10時に開始、午後3時終了。ゴミ置き場が、我が家のゴミで一杯になるかと思いきや、それを拾って帰る人もいて、世の中は旨くできたものだ。芸西村の粗大ごみは、集積所があり、そこに持ち込む方式だ。今日の作業で、東の納屋の1/5が片付いた。ここのメインのゴミはハウスのビニールの処分。これは厄介だ。前の畑で、ごみを焼いていたが、そこを更地にする作業で今日は終了。昨日も疲れていたが、今日は活動時間が長く、疲れはものすごく大きい筈なのに、夕食時にウォッカを飲んだせいか、比較的元気に夜を過ごしている。寝るまでの間「東京JAZZ2014」を聴く。
5月14日(土曜日)
1975年2月2日
この日は東京新宿にいた。夜ピットインでライブを聴くためだ。高松の四国ショウルームに転勤して1年ばかり経った頃の事。パンフレットの裏の白紙の部分に、この日の近況をつづってある。翌日は長沢真澄氏とデートの予定だ。まずは大好きなジャズを聴いて心を落ち着けよう。少し早く到着したが、他に行くあてもないので、いい席を取ろうと入店すれば、同じ思いの人が既に来ていて、真正面の席は埋まっていた。待ち時間の間、アルテックA7のスピーカーから、スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフのアルバムが流れて来た。R&Bもピットインの範疇なのか?と新たな解釈をした。コーラー1杯が1,300円だったとメモっている。だが、これだけでジャズが聴けたのだ。昔の書籍をスキャナーしてたたら、こんなメモが出て来て、一気に昔へワープした。午後、離れの家の周りの草刈りの後、墓地の清掃に取り掛かった。3月初めに切り込んでおいた墓地は、もう深い草と竹に覆われていた。草刈機で刈り取るが、燃料切れで終了。体力の限界だったので、丁度のタイミングだと判断。草刈機の円盤が、この数日のハードな使用で、歯の部分が減って、本当に丸に近づいてきた。病院の母は眠ったままだった。もしかして、あまり口汚いので、軽い睡眠剤を処方して黙らされているかもしれない。30分待っても目覚めなかったので、帰宅した。帰りに「一汁三菜」さんで夕食。800円で十分頂ける。これだけの種類を800円では献立できない。今日は土曜日。映画を一本見ようと思っていたが、昼間の作業で疲れ果て断念。
5月13日(金曜日)
胸苦しい夢から目が覚めた。胸が縛られるように痛かった。どれほど痛む時間が続いたのかは不明。こんな経験は初めてだ。父は心臓病で逝ったし、母も心臓病で入院をしている。僕に影響が出ないわけがない。これは昨日鎌を使った農作業の影響ではないぞ!と。岡村病院(高知の心臓病の権威)に行った。院長先生は不在だったが、代理の先生が診察してくれた。14度の傾斜面を時速5.5kmの速度で歩き続ける心拍数160の高負荷検査やエコー検査、レントゲンも行った結果、数値には問題ないとの判断だった。昨年千葉の徳州会病院で説明された通りだった。今回のエコー検査は、動画だった。ネットワーク再生だったので軽いデーターだろう、MP4の類か?高松の医者で指摘された弁が完全に閉じてない問題は確かにあるが、問題すべきことじゃないと言われた。やっぱり鎌作業が原因だったのだろうか?とにかく安心した。安心のついでにケーズデンキで光回線の申し込みを行った。工事は父の喪が明けてからの日程とした。帰りに母の病院に行く。会話は昨日と同じこと。腹立たしいが、それが幸せだと思いこむことだ(ロードの世界ですね)。おじさん所に寄って、母の転院を知らせた。おじさんは首が回らない炎症が起きて、今日で3日目とのこと。明日はもう大丈夫だろうと。49日の打ち合わせをして退散。帰ると、富士通のスキャナーが届いていた。これは、本などを裁断せず読み取るもので、A3サイズが可能だ。ソフトウエアをインストールしようとすると、OSはService
Pack2でなければならない表示がでた。アップデイトで対応するが、先ずはサービスパック1から、そしてもろもろの更新、そうして最後にサービスパック2だ。これに2時間半を要した。スキャナーの効用を見るのは明日にしよう。毎日多くの時間は自分だけの世界に浸っているが、いろいろとあるもんだ。
5月12日(木曜日)
晴天。食事の後、庭作業に取り掛かった。5面目。庭作業はこれで最後だ。まぁ一応の完成を見た。手の入っている家となった。続いて、離れの家の周りの手入れ。ここには庭はないが、家の周りにびっしりと草が生えている。崖にはツタが生えていて、ここでも石崖を崩そうとしている。ツタは、ロックコンサートのマイクロフォンの配線のように、左右自在に走り収集がつかないくらい絡んでいる。全ての関係を断ち切るのに充分な時間を要した。大汗をかいて午前中を終了した。昼飯は海岸にあるカレーレストラン。インドはもう一度行きたい国の一つ。インドを地図で示すと三角形の先の左側。コチへ行きたい。そこはインドでは比較的きれいな街で、キリスト教徒が多いところ。なぜキリスト教徒かと言えば、ここは出稼ぎで成り立っている街。行く先は旧イギリス連邦の国。(インドは出稼ぎで稼ぐ世界ランキング2位)それで、食べ物も比較的美味しい(カレーだが)。暑いが、インド洋からの風で木陰は涼しく、散歩には丁度だった。そんな思い出とともにカレーを食った。この店ではインドでは一度も目にしたことのないナンを選択した(インドのナンは、直径が10㎝以下の円盤、日本のナンは、長さ30㎝×幅20~10㎝のしゃもじ型)。病院では母は「看護婦がいじめる、奴隷のように扱われる」と、看護師のいる前で言う。昔から、平気で人の心を踏みにじる人だったが、ますます拍車がかかった。転院の案内があったが、一つは医大の性格上、治療をしない患者は置けない。こと。もう一つは、看護師の意見も少しは入っていると思う(もうあの人のお世話をするのは嫌だ)。毎日面会に行っても話すことは同じことの繰り返しなので、別に毎日行く必要などないかもしれないが推奨される行為ではない。面会には往復で約3時間ほどを要する。帰ってきて、午前中の後始末として1時間ほど作業を行い夕食の準備をして、一日が終わった。今日の料理はクックパッドで牛肉とゴボウとタケノコの旨煮。タケノコは裏の畑を探すと小さいのが2本ばかり見つかった。タケノコはそろそろ終わりに近い。ここは蕗も生えているので、来年の春先には取って食べよう。調味料の加減で普通の野菜炒めになりそうなところが、違う出来栄えになる。さすが、レシピだ。赤ワインを2杯(お猪口に)の見ながら、ニッサン自動車と三菱自動車の資本提携のニュースを見た。三菱はプライドがお高いので、果たしてニッサンはメリットを引き出せるのかどうか?燃費性能が悪いのをごまかしたニュースが事の発端だ。開発陣営が目標値を達成できなかったためだ。こういうニュースは、エンジン開発に白羽の矢が向けられるが、エンジンでできる事は限られている。もしくは、エンジン性能はライバルと比べて同等かもしれない。鈴木修氏(スズキ自動車)が、「1gの軽減は金1gに相当する」。と燃費を稼ぎ出していると述べた書籍を読んだことがあるので、さて、ekワゴンと、スズキアルトの重量を比べてみたら、ekワゴン790kgに対し何とアルトは610kgだった。これが、燃費性能が出ない理由ではないだろうか?エンジンではなくて。では、三菱もスズキと同じように重量を落とす努力を行ったのかどうか?強度の点で、ボディ設計陣はOKを出さなかったのではないだろうか?このプライド。三菱には売れないデモネアやデリカなど、武骨で頑丈な車が多い。その技術者のプライドを、企画者の面々は説得できなかったのだろうな(例えば、軽の量産車は別の視点で考えてと説得したが壁は厚かったということかもしれない)。吸収合併でもなかなか突き動かせないのが人の心。野村がリーマンの社員を大量採用したが、その後大量解雇した。さて、この行方はどうなるのだろうか?
5月11日(水曜日)
夜来風雨の声。豪雨だった。庭先のツボの水位が10㎝以上は上がっているので、100㎜以上の雨が降ったはずだ。午前中の庭作業はできず、スキャナーに専念。12時やっと太陽が出て来たので、庭3面目の手入れ開始。切り倒す木は数本なので、比較的楽かと思いきや、びっしりとツタが崖にへばりついている。このツタは、石崖を崩している。このまま放置すれば、数年後には我が家への道は閉ざされる。このツタの切断にものすごいパワーを要した。植物への見識の深い父がこのツタを放置してあったのは、不思議な気がする。さて母の面会はいつものごとく、「帰りたい」。「父はどこにいる?」。「なぜそんな大事なことを教えてくれない?」「ご飯を食べさせてくれない」。それに答えていると、「なぜいじめる?」と来る。まぁ会話は成立しないが、相当恨まれる対応となっている。返答がないと、大きな声で、聞き始める。答えると、「なぜ、いじめる」の繰り返し。立つ瀬がない。このまま逝ってしまうと化けて出るかも知れないと不安。帰り着いて、3面目の庭、最後の仕上げ。夕食は冷蔵庫にあるもので調理(それでも、3月の末以降、同じメニューで食ったことはない)午後8時半。本来なら、今日のまとめを終えて、スキャナー作業が少しできる筈なんだが、もう目を開けておられない状態になっている。
5月10日(火曜日)
今日も雨。庭の手入れは中断したままだ。これから21日までの作業は、庭2面の手入れと、目の前に広がる畠の手入れ(草ぼうぼう)、その畑にある園芸資材である木材の片付け(その資材の片づけは東側の納屋に収納する予定だが、この納屋を片付けないと、資材が入らない玉突き現象発生する)これらを、残り10日間で仕上げなければならない。天候が良いと、5日間の作業のはずだ。そんな訳で、今日はスキャナー作業。今日のスキャナーは、僕個人の書籍。主に入社後、1年の大阪生活と、1年半の東京生活分。FMレコパルは創刊号から購入しているし、FMfanの番組欄を見ると鉛筆でチェック印があるので録音したはずだが、そのテープは存在しない。最後の自作である真空管アンプの回路図もでてきた。これがあれば、アンプは修理可能かも知れない。思い出を一杯デジタルアーカイブした。たぶん2カ月ほど要するだろう。母の病院へ行く道中は、The
Whoの「四重人格」を演奏した。これは始めて聴くが実に耳に馴染みの良い音楽だ。物語仕立てになっている。リッピングの時、ライナーノーツを読んだが、ホント4重人格の物語で頭が変になる物語が記載されている。歌詞は分からないまま聴くのが良いだろう。The
Whoは最近コンサートを開催してその模様はWOWOWで放映され録画している。JAZZは60-70年代までで終わったと通の人は言うが、ROCKも同様だと言われている。確かに基幹部はそうだろう。だが、枝となると、まだまだ、発掘し切れてない手法が残されているかもしれないから、それ以降も楽しめるし、僕のような頭は、記憶の滞在時間が短くなっているので、どれもが新鮮だ。新しい音楽の楽しみ方だ。さて、母の方はますます険悪化してきている。まるで、喧嘩を吹っ掛けるような話し方だ。その根底は家に帰りたいのに帰してくれない(僕がそう決めたと思い込んでいる)。更にその奥には、家に帰ると自由にご飯が食べられるに帰結する。今さっき、食べたことを忘れているのと、食欲が旺盛なためだ(本当に空腹)。まぁその苦悩を見るのは忍びないが、苦痛でないのが幸いだ(空腹痛があるかもしれないが)。母の場合は食べて体重が増えると、その増えた分だけ、血液から水分や養分を抜き取るので、食べる量が多ければ多いだけ、体に無理がかかる。結局それが命取りになるのだ。そんなことを説明するとなると、ちゃぶ台をひっくり返す剣幕で怒り出す。もう認知で人格は無いので、本能の核の部分がそのまま出ている。毎日後味の悪い面会だ。病院から請求書が届いた。200万円。救急治療費が高い。それは、当方の負担ではなく、病院側の責任ではないか?本来病院が負担すべきではないか。当方は検査をするために来たのだ。緊急治療をするためではないのだ。まぁ生き延びたので、良かったのだが。何ともやりきれない病院の対応だ。この請求に不服を申し立てると、相当厄介な作業が発生するのだろうな。弁護士を立てて、相当費用も発生するし、時間も拘束される。結局泣き寝入りだ。帰りは、プールで泳いだ。1週間に一度の入浴付の水泳。千葉にいる頃は、最低一月に15回15-20kmは泳いでいたが、今では4回6km。何もかも哀しいではないか。
5月9日(月曜日)
雨音で目が覚めた。少し明るくなっていた。鶯は雨の中でも頑張って鳴いている。こういうのを健気と言うのでしょうね。雨で庭作業は中止。スキャナーを始めた。書籍の裁断も行った。中学生時代の書籍だ。数学はとても及ばない「計算式」が登場する。社会科のテストは67点が残っていた。文章をよく読めば、かっこの中に適切な語句は充当できるはずだが、失点している。参考書も結構買っている。芸西村のどこにこのような書籍を販売している店があったのだろうか(中学生時代は、芸西村からほとんど出なかったと記憶している)。最後まで目を通してない参考書が多い。有り余る時間がある学生時代にこの本をコツコツ読んでおけば、もう少し頭が鍛えられたかもしれない。英語の教科書はほとんど読めた。束の間中学生時代にワープしてしまった。カッパ市でシチクと呼ぶタケノコを買ってきた。塩で湯がいて煮込んだが、食べると結構えぐい。何が不足なのだろうか?午後母の面会に行ったとき、タケノコの煮方を訪ねると、ぬかで煮込むことを教えてくれた。料理に関しては一家言があった人なので、認知だと言えども、まだ、この部分の頭は冴えわたっている。帰ると、日暮れまで1時間半くらいの時間があった。我が家へと続く道の両脇の草刈りを行った。わずか20mだが、びっしりと生えた草を刈るには、草刈機で1ℓほどの燃料を費やした。完成後、自分の部屋からこの道を眺めると、すがすがしい気持ちになった。
5月8日(日曜日)
庭の手入れを急がないと、田圃の草取りに間に合わなくなる。それに明日は雨だ。と言うことで、食事の後、庭の手入れ(2面)を行った。後り4面あるが今日までの作業がピークだ。あまり頑張りすぎたので、疲れ果てて、夕食の買い出しはフラフラの状態で行った。今日は母に面会には来ないと伝えてある。今日の作業で良く分かったのは、午前中の3時間。午後の4時間。合計7時間の作業は僕の体力で無理だ。あまりにも疲れが激しい。午前中2時間、午後2時間。これくらいが丁度よいだろう。この家は誰も訪ねてこないし、誰も通りすがりはない。孤独な作業を黙々と続けた。励みは、庭に手が入ると見違えるように生き生きとして来るからだ。まるで掃除の行き届いた住居のようだ。家整いて安住ありだ。午後6時には食事を始め7時には終えた。それから「ワイルド・スピードX2」を見た。半分程鑑賞した頃にやっと、おや、この映画は見たことがあるぞと思い出した。物忘れが激しくなると、同じ映画や本で何度も楽しめるようになる。あえてビデオの新作購入や、書物の新規購入は必要ない。非常に経済的な時代がやって来た。午後9時就寝。
5月7日(土曜日)
「息子さんが来てますよ。車いすに座って話しますか?」と看護師さん「たいして話すこともない」と母の返答。認知の所為なのか、会話がだんだんとブツ切れになり、もう会話の体を成してない。そういう面で見れば、確かに母の言うことは正しい。それに、日増しに捨て台詞を言うようになってきた。「あてを置いて帰るがかえ」と母、「もうちっとおらないかん」と私。「そんならもうえい」こんな、会話を何度も繰り返している。「父の49日に、近所の人はどこまで声をかけたらえいが?」と私。「お父に聞いたらえい」「そのお父の49日の話をしゆうが」と笑い話になるような話もある。今日は、庭木の手入れを行った。庭と言っても広く、僕が大阪で建てた家なら3軒立つ。雑草なのか、観賞用の花なのかよくわからない草花もある。これから先長続きできる庭木の手入れを念頭に、多くをバッサリと切った。切株や枝は、裏の竹藪に捨てた。この竹藪もいずれ整理しなければならないだろう。沖の田圃は草が大きくなって、「早よう叩かないと(トラクターで)、草がも食いつくようになる」、と近所の人から忠告を受けた。まず、庭、次に田圃だろうが、少し優先順位を変更しなければならない。夜「スパイ・オブ・ブリッジ」を見た。主演はトムハンクス。ニューヨークの弁護士だが、ソ連のスパイを弁護する仕事を請け負う。裁判では負けるが、判事に「死刑は避けるよう」、直談判する。理由は、捕虜の交換が発生するかもしれない。とリスクを取るように交渉した。ところが、実際に、ソ連にアメリカ兵が拘束され、交換の交渉に、彼が指名される。場所はベルリンだ。ところが、ここでもアメリカの大学生が逮捕されて留置されている。急きょ2:1の交換の交渉を行い、見事成功する、感動の映画。前日見たスターウォーズよりも、もっと深いところで感動できる映画だった。後でタイトルクレジットを見るとスピルバーグ監督が絡んでいた。僕の仕事人生では、こんな感動のビジネスが出来なかったと深く反省もした。
5月6日(金曜日)
朝から雨。連日の片づけ作業で手がひび割れて、悲鳴を上げている。雨だし、今日は休めと言う信号だろうと、一切の作業を中止して、父母の残した書類のスキャナー作業だけに専念した。単純作業でもあり、途中で飽きて来て、自分のオーディオ雑誌の裁断も行ったがいずれも座業。実は、自分の書籍は全てスキャンしたと思い込んでいたが、2階の倉庫にはまだまだ書籍が残されていたのだ。まだ200冊程度ある。耳の方は、雨音のBGMに飽きると、PCで音楽を再生した。Return
to Forever。70年代の名盤だ。多くのジャズマンは東海岸のビバップジャズに倦怠感を感じ行き詰っていた頃、新しい流れとしてマイスルが電子楽器を採用した。それから、一気にジャズはフュージョンに向かった。その、最高傑作が先にあげた、チックコリアのアルバムRTFだ。多少廃退感もあるが、無駄のない音構成でメロディーに没頭できる良さがある。昨晩友人たちと音楽論議になったが、どんなジャンルの音楽がいいか?と言う話題になった。JAZZと答えると好感をもたれることが多いが、正直僕は、特定の音楽が良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかではなく、聴き込んだ音楽なら、どんな音楽も最良と答えた。でも、後で考えて見れば、TPOに応じて、最適の音楽を選択できる事が最も重要だ。と言えばもっと本音に近かったのかなと反省した。モーツァルトのレクイエムは今聞きたい音楽なのに、レコードが見つからない。こんなのが最悪のパターンだ。雨も上がった午後、母の面会に行った。主治医との面談もあった。今後どうケアするのか?のテーマに対し、心臓手術が不可能となり、この病院で治療を受けることはもうないので、転院を希望された。現在のところ2.5kgの透析にも耐えられる体力はあるので、透析の処置できる病院に転院されても大丈夫とのことだった。ただ、今後起こり得る、心不全に対する処置は、痛みを伴う人工的な処置か、それとも自然に任せるか?の問いには、なかなか答えられない所があった。更に深く言及すれば現在の医学では、最大の処置をすれば、死なないことも可能だとのこと。それを望むのか?医師としても判断できない部分だとも言う(僕だってできない)。神の判断を仰ぐしかない。結論は出せそうにないが帰り道、Sibeliusの重いSymphonyNo1を聴きながら考えた。末期的な心臓の状態なので、どんな選択肢を採用しても、僅差の時間かも知れない。父の死は重かった。母の生も、同様に重い。今日のところは5月21日までは、どんな処置をしても生かせてくださいと答えた。21日は父のお見送りの日だ。
5月5日(木曜日)
今日まで晴天で明日からは雨との予報。朝一に洗濯。その後、膨大な量の段ボールを風のない朝のウチに畑で燃やす。それから食事、昨日の続きの片付け。汗が滝のように流れたが、めどがついた。無理に目途をつけたと言うべきか。べびの死骸や、猫の糞が山のように転がっていて、放置された倉庫とはこんなものかと思った。更に懐かしのEPレコードや、続基礎英語のソノシートなどが出てきた。これは、僕の中学生時代の遺物だ。整理のできない母はとりあえず突っ込んでおくことで、片づけをしていたのだろう。包丁は12本出てきた。料理屋ができそうだ。殿様が座るような座布団が15組出てきた。座布団をつくる綿花の束が箱に一杯。そのための布がこれまた箱に一杯。僕の制作した真空管アンプも出てきた。非常にきれいな配線で感心した。予算の関係で電源トランスはタンゴ、出力トランスは山水(ラックスのOYシリーズの出力トランスは高根の花だった)。今日も晴天で汗が流れた。友人から今晩はバーベキューに来ないかとお誘いがあった。午後2時まで片づけを行い最後の仕上げを行った。母は、やっぱり元気がない。管を点けているときは元気があったが、今日もぐったりと寝ている。看護師さんに聞くと、今日は透析がない日ですよとのこと。つまり、薬の力を借りず自力で(食べて)回復するのはかなりきつい事になっていると言うことなのか?その夜、友人宅でパーティー。東京から帰って来た友人の姉夫婦と一緒。夫は今でもニッサン自動車に勤めている。今回の三菱事件の事を教えてもらった。彼らは英国に住んでいたことがあるので、英国旅行の事も詳しく教えてもらった。食事の後、友人の勧めで蛍を見に行った。ここは平家ボタルと源氏ボタルが生息している珍しい場所だと言う。懐中電灯を点滅させると、蛍が寄って来た。1匹だけ捕まえて、近所の新聞屋さんの娘にあげると、親父が出て来て、私は高知県ホタル観賞会の副会長をやっていると言う。なんだか知らないことが次々に発掘されたような不思議な夜だった。
5月4日(水曜日)
昨日の水泳の影響がまだ残っていて、手も足も体全体がだるい。今日は何もしないでおこうと決めた。食事の後は、父母の書類のスキャナー取り込み。10:00に切り上げて、そこからカウチに横たわり睡眠。目覚めてもまだ、けだるいが、食事の時間だ。食事の後、何もしないでおこうと決意していたが、こんな天気の良い日は少しでも先に進めようと、3つある部屋の最後の一つを少しだけ倉庫かたづけた。これは、とても数日かけてもできない程の量だ。よくもここまでゴミを突っ込んだものだと感心する。まぁ岡村家の過去がいっぱい詰まっていると言うことになるが。14型の白黒東芝テレビの箱が出てきた。大きさとしては、32型のテレビのような感じの空箱だ。これが、我が家に導入された1号機のテレビだ。後生大事に取っておくのも良いのだが、木箱で保護された段ボール箱は重くて大変だった。更に昔の父の日記。僕の中学生の教科書。機織り機、蚕の養殖棚。宴会用のお膳、豪華座布団。あまりにも多くの物量だ。午後2時に母の病院へでかける。母の寝ているHCUに行こうとすると、昨晩から普通病室に移りましたとのこと。管も外れて、普通のベッドで寝ていた。透析の後でもあり、疲れたと言い、僕が声をかけても目を閉じたままだった。これで、幾分弱ったが前の状態に戻ったわけだ。このまま回復を続けてくれて、家に帰るのを待つのだろう。家に帰ると、先ほどの片づけが気になり、疲れていたが更に作業を進めた。たぶん、両親もこんなふうに、疲れを押して、切の良いところまで作業を進め、結局は体を酷使したのだろうと思うと、やっぱり血は流れているのだなと感じた。その作業は、どうしても今日やるべきことではないのだが。
5月3日(火曜日)
朝起きて部屋を出ると、朝の新鮮な空気の中にミカンの花の匂いがほのかに漂ってくる。鶯は日の出とともに歌い、今は本当にいい季節だ。この時を逃すと秋まで作業が中断される2階の倉庫の掃除を挙行した。ここにも、タンスが5個もあり、母の洋服がごまんと詰まっている。飲んだ後の酒の瓶や、壊れた電球、使えなくなったストーブ、こたつ。昔の人は、なかなか捨てられないと言うのも分かるが、処分ができない人だったのがわかる。ここが一杯になった後は、納屋に捨て、納屋が一杯になると、前の畑に置いていた。それをひとつずつ吟味しながら選別し、粗大ゴミ行き、燃えるゴミ行きと分別している。買ったまま使ってない服もあった。10年位前から認知症で、まともな会話ができてないが、モノから歩んできた人生と人格が見えて来る。父は、領収書を含む書類と言うものすべてを残していた。こちらは、紙ものだ。母の分はほとんど処分だが、父の分は、分析する必要があるので、それをスキャナーに取り込み、収入と支出に分類エクセルに整理している。日記もあった。僕も日記をつけているので、日付が重複すれば、面白いかもしれない。父は文章や、領収証から、人生が垣間見えて来る。こうして、朝の8時半頃から、夕刻の8時半まで、父母の足跡を追い、母を見舞っている。それ以外の12時間が僕の時間だ。今日は泳いだこともあり、食事の他は何もできず睡眠。千葉では3日に一度は泳いでいて、筋肉が馴染んでいたが、こちらは、久しぶりの運動となり、疲れ果てる。
5月2日(月曜日)
昨晩寝ようとしたところで、どぉ~んと地震。朝ネットで調べると震度1。震源地は室戸岬の沖。南海トラフ大地震の線上にある。日本列島は地震の活動期に入ったようだから、備えなければならない。とりわけ写真関係はデジタル化を急ごう。2度とお目にかかれない代物だ。今日は自転車の修理が出来上がって来る日。健康保険の支払いも含まて高知市で用事を済ました。今回修理をお願いしたのは、ヤマネさんと言って、自転車についてはかなり一家言のある人で、きっと好き嫌いがはっきりしている人だろう。今日はタイヤの空気圧やサドルの高度について、話を伺った。時間が出来たら自転車の復活を果たそう。「チャーリス・ミンガスのチュニジアの夜」を聴く。かなりうるさい演奏だ。このアルバムはライブ録音で、若手のデイジー・ガレスピー(もう彼は1993年に亡くなっている)の紹介があったので、相当古い録音だ。チュニジアの夜は名曲だが、アートブレイキーの演奏で世の中に広まったと思う。ガレスピーの演奏は、随分とアフリカ色が濃く、アートブレイキーのバンドのようにメロディーラインがはっきりとしてないので、この曲を知らないと、つまらない演奏のように思える。まぁこちらが原曲なので、これがホンモノだと言われれば、「はいそうですか」となるだろう。随分と幅広い寛容性を持った曲だ。母の具合は、昨日よりもさらに良くて、両目も開き、「いななぁいかん」と強く繰り返していた。頭の方は前と比べると認知度が進んだかな?と言う感じだが、体の方はめきめきと回復してきている。今日中に、チューブ関係は外れるとのこと。短期利用老人ホームから、予約の確認があったが、キャンセル。もう少しこちらで様子を見てからだ。
5月1日(日曜日)
今週は東側の納屋の1階にある2部屋の蔵を片付けた。母屋の家具と含めて、多くの粗大ゴミが出た。軽トラック3回往復のゴミだ。ゴミを受け取ってくれる管理人さんも旧知の中で、下ろす作業をしながら村の事をいろいろと教えてくれた。お茶の差し入れの御礼。太陽が強く、汗がしたたり落ちた。これで、一気に片付き、後は蔵の2階にある3部屋の清掃と整理になった。ここは鼠が食い荒らした後で、清掃が大変だ。ネズミが入ってきたのは、屋根の瓦が崩れて雨漏りし、天井が落ちたため天井に大きな穴が開いたためだ。屋根はブルーシートでつぶしたので、べニア板でふさぐとOKのはずだ。まずは床の清掃、次は不要物の廃棄、次は天井と順番を経て行こう。猛暑となる前に、片付けの作業は終えよう。午後は、母の病院見舞いだ。昨日よりも元気になり、我がままし放題となっていた。僕が行くと、腹をさすれとか、「親が苦しんでいるのに子供はなんちゃぁしてくれん」とか、「いまから、いぬる」。「まだ帰れん」と僕。「嘘ばっかりいうて、あてをだます」とか、もう大変な状態だ。だが、心電図のモニターを見ると、波形がかなり乱れてきているし、数値も60台~80台まで、振れが大きくなっている。父が亡くなる前1月前の心電図と同じ波形だ。体の元気度とは関係なく、心臓はかなり不安定になってきているようだ。もしかしたら、病院から抜け出せないかもしれないと不安がよぎった。帰宅して、食事。毎日クックパッドの献立表から1品作っている。今日はイカとアスパラのスープだ。スープのベースは、プレーンヨーグルトを使う。カンのさじ加減ではできない料理だ。分量の指定をきっちりと守ると、美味しいスープが出来上がった。今回はイカの代わりに、ボイルホタテを、アスパラの代わりにピーマン。パクチーの代わりに大葉。地方のスーパーでは、材料が揃わないからだ。でも出来上がりは、結構おいしくいただけた。この料理はトルコに行くと食べられるようだ。夜は、映画007「スペクター」を見た。ストーリーの壮大さと言い、最後まで、大きなスケールのままアクションを交えて突っ走るのは、第一級の内容だ。M(ジュディス・オリビア・デンチ)が登場しないのは、もうお年だからか?映画の中では暗殺されたとなっている。Q(デスモンド・リュウェリンのイメージが濃厚)は若手のITオタクに変わっていた。スーパーウーハーが冒頭の「メキシコ死者の祭り」からいい仕事をしてくれた。このディスクは買いだ。次回観るときは120インチのスクリーンとなることだろう。
4月30日(土曜日)
病院から引き揚げた母の衣類をトランクに入れっぱなしだったので、取り出すと、プーンと母が臭った。母の臭いはうんちの臭い。きちんと洗濯して太陽の光に当てたのに、少し放置すると、地の臭いが湧き出て来る。もう一度洗ったが、まだ少し匂いが残っていた。それで、今日一日何だか一日その臭いが僕の周りを漂った(ような感じがする)。病院に見舞うと、母はだんだんと回復してきているようで、今日は主治医の事を真理さんと呼んでいた。看護師も朝から真理さんの連呼だと言う。母は何度も「こんなつもりじゃなかった、早う、連れていんで」と言う。その気持ち山々だが、まだ固形物が食べられないので、そんなわけにもいかないだろう。今朝は寒かったし、日中は暑い。寒暖の激しいこの頃は、むしろ病院にいて、養生してもらった方がいいと思う。しかし母は「少々さひようても家がえい」としきりに言う。認知でもあるが、この辺りは本音だろう。結論の出ない話を延々と続けた後、退散した。ツタヤのレンタルで、「カルフォルニア・ダウン」を借りた。この店は新しく、ディスクが新しい。それに、ここで借りて、芸西村のローソンに返却すればOKだと言う滅茶苦茶いいサービスもある。この映画は、マグニチュード9.6の地震がカルフォルニア全体を襲うパニック映画だ。この映画も、冒頭大きなスケールの絵描きがあるが、中盤以降は、レスキュー隊のボスが、家族だけを地震の被災から救うスケールの小さな物語に突入する。地揺れと津波が同時に襲うあり得ない物語。B級映画なのに、登場する役者は好演だ。
4月29日(金曜日)
大型連休始まる。定年退職すると、普通は記念旅行などをするものだが、私には余裕がない。昨晩も病院から電話があり、ドキとさせられた。今朝もう一度、電話があり母はICUから出るとの連絡。普通病室かと思いきや、HCU(High
Care Unit)つまり、ナースステーションの隣にある部屋で、体につないだ機器の異常を知らせるベルにすぐ対応できる場所。病院につくとさっそく、おしめを要望され買いに行った。パンツ形式でないモノの指示で、ドラッグストアでアドバイスを受けて購入した。たかが、おむつだが、されどおむつで種類が豊富。まずはパンツ形式のものと、開閉と取り換えができるタイプとに大別される。これに、もう1種追加的存在の開閉タイプの中身のみ別売のものもある(日本人的発想の品物)。これに、3つのサイズ(SML)。更に、汚物の含有量。2種(2-3回分、4-5回分、尿は150㏄と仮定)。男用、女用、男女兼用それがメーカー別(3-4社)にあるから、ちょっと見るだけでは区別がつかない。今日わかったことは、透析時に血圧が低下する問題を抱えていること。それで、透析は軽い方法に切り替えて、毎日透析の手段を取らざるを得ない。母との会話も普通に戻ったが、結局心臓のダメージは大きく(電気ショック5回の実施によるもの)、元の状態には戻ら無いようだ。僕の見立ては、まだ口から食べてないので、これが始まれば、そういった問題は片付くとみている。明日から食事が始まる。我が家にとってゴールデンウィークになれば良いのだが。
4月28日(木曜日)
我が岡村家は兄弟が少ないので、親類は少ないが、遠い、ずっと遠い親戚はある。土佐の歌に、「みませ、みせましょ、おらんくの池には、潮吹く魚が泳ぎよる♪・・」がある。その「みませ」にう~んと遠い親類があって、小さいころ母に連れられて何度か行ったことがある。家のすぐ前は堤防で、その下はすぐ海。堤防からフグを釣った記憶がある。このフグ釣りを教えてくれたお姉さんが克ちゃんと言う、なかなかの美人だった。この人は、南国市の酒屋に嫁ぎ、父は頻繁に酒を買いに行っていたようだ。それが分かったのは、書類を整理していると、克ちゃんから御礼のはがきが何通も見つかったからだ。住所を控えていたので、今日は母の見舞いの帰りに訪問した。僕は小学生になる前に会った記憶しかなかったが、美人のお姉さんはそのまま年老いたおばあさんになっていた。「今年はタケノコを持ってきてくれないが、どうしたんだろうね」と娘と話していたとのこと。「妙に電話するのも怖いし」と話された。亡くなった話を伝えた。病名は知らなかったので、父は心臓の病院からの帰りに寄っていただろうが、自分の病気
のことは話さなかったようだ。僕が自転車で中村市(現四万十市)に行ったことや、ビニールハウスを人に貸していることは伝えていたようだ。克ちゃんはご主人を亡くしたそうな。そして、女は強いと一言。その時はそうだねと相槌を打ったが、あれは、自分を励ます言葉だったんだと後で気づいた。お酒を注文したが、どうやら小さな酒屋さんには、そんなお酒はおろしてくれないとの返事。悲しい話。その後おじさん所に寄って、母の状況を伝えると、弟夫妻が母を見舞いに行ったとのこと。僕はその足で、赤野の親類を訪ねて御礼を述べた。ICUに入っていたので面会できなかったとの事だった。もとに戻るまで面倒見てもらいや。と励ましの言葉。帰ると、縁側に香典があった。太夫さん宅だ。お返しの品物を持って御礼に行った。本人不在、息子さんに御礼の伝言を頼んだ。いろいろと、人との関係があるもんだと思ったが、田舎はそれが濃厚かもしれない。
4月27日(水曜日)
天気予報は正しくきちんと明け方から雨を降らせた。昨夜寝る前は星が出てたので、雨は大丈夫だろうと推測してた。もう一つ水に関する話で、今日は分水嶺の日。つまり、母が初めて本格的な透析を行う。これで、心不全のような症状を併発しなければ、日常の生活に向かって動き出す。もし、ここで、異常事態になれば、緊急支援としての人工呼吸器の装着など、いろんな手立てをして生き残りの策を講じていただく。もう帰宅は困難。そんな、判断を行う大事な一日だ。僕は、この日は直ぐに帰れないかもしれないと思い、船橋から持ち帰った自転車を車に積んだ。母の病院では一旦ICUから退出し、外で待つ事になれば、高知でNo1と言われる自転車屋さんに向かい自転車を修理依頼するのだ。その準備をしているときに、自転車のパーツを入れた袋の中から、イケアの椅子のねじが出てきた。書籍を読むために買った椅子だが、このねじが無くて、椅子が組み立てられなかったのだ。これは幸先良いぞ。病院ではまだ透析は始まってなく、午後来てほしいとの要請を受けたので、計画を実行した。ヤマネの店主はこんな古い自転車を持ち込んだことに対し怪訝な顔をしてみた。これは八甲田山へも行ったし、お台場や新橋で放置しても盗難にあわない自転車なのだと説明すると、ご理解いただき、ぶっきらぼうの顔が崩れた。ギアとチェーンの総入れ替えが必要らしい。たぶん新車を買うくらい費用がかかるはずだ。午後再度母の面会。透析は問題なく進行しているようだった。安心して帰途についた。途中で居眠り運転となり、大変やばい瞬間を迎えた。緊張の糸が溶け過ぎた。スーパーの駐車場に入り緊急睡眠。昼抜きだったので、早めの夕食。その夜イケアの椅子に座ってJAZZ聞きまくりに突入。
4月26日(火曜日)
今日も晴天。朝は寒くて、ストーブのお世話になった。両親の伝票整理の後、9:00AMに高知医大に向かって自転車で出発。急がずゆっくりと1時間45分で到着。医大の近くを流れる国分川の堤を通ると、蛇が道を横切っていた。こっそりと近づくと、蛇はびっくりして、攻撃の姿勢に転換。あんな小さなものでも、やっぱり恐怖を感じる。尻尾が短かったので「はみ(まむし)」だったかもしれない。母は涙を流して、どうしてこんなになったのか?と聞いた。僕は答えが見つからず、「病気やから」と答えた。良いと思ってやったことがこんな結果になってしまって、本当に合わす顔がない。親類や、友人は、最良の選択の結果だと慰めてくれるが、一人で自転車を漕いでいると、自信が揺らぐ。長い心臓マッサージで、肋骨が折れたようで、胸が痛むと訴えていた。看護師さんの指示で、売店にあるバスとバンドを購入して渡した。この売店をローソンかと勘違いしていて、ポンタカードを差し出したら、たしなめられた。帰り道、太陽は力強く、緑は濃く、よそ風は幾分寒いが心地よい。心の闇が晴れていると、この景色は喜びの感情になるだろうに。昨日整理した蔵にバルサンを焚き込め、その間に、両親の書類の整理を行った。その中に、母から、1998年~99年にかけて毎月30,000円送られてきた明細が残っていた。給料に困ってなかったのに、何でお金の無心をしたのだろう?何か重要なものを買ったので助けてと言ったのだろうか?(そんなものを買った記憶はないが)今となっては真相を明らかにする人はいない。認知機能が落ちた母には、とにかく家に帰ることだけが出来れば最高の幸せだ。退院に向けてソーシャルワーカーさんの手配もお願いした。それも、明日の透析の結果次第による。明日は重要な分水嶺の日だ。夕食は、ナスの油炒めに、カゴメのスパゲティー用ミートソース(業務用)をかけて頂いた。これは大成功。次回への反省は、洗ったナスの水気を紙ナプキンで取ること、油が飛び散らなくてよい。さらに、ミツワ(香南市にある魚やさん)で買ったトウヤク(芸西村西分港あげ)の刺身。酒は、ウォッカ。かなり忙しい一日だったが、充実感無し。
4月25日(月曜日)
天気がよさそうなので、椅子に敷いているバスタオルを洗ったら、洗濯槽の中から洗濯機で痛めつけられたムカデが底で伸びていた。バスタオルの間に潜んでいたらしい。これから洋服や、寝具の点検を始めなければならない時期に突入した。高知の生活は、一面で、昆虫と野生動物との戦いでもある。高知医大のICU室に母を訪問すると、人工呼吸器の管は外れていたが、まだ血液から水分を取り除くために、動脈に大きな針を刺しているとのこと。それで、動いたら困るので、少しだけ眠る薬を含ませている、併せて微熱対応に抗生物質を使っているとのことだった。27日に普通の透析を始めるが、その際、もし呼吸困難になれば、どうする?「生かしてください」。この難関を旨く切り抜けて、その後経過を見ているときに再び突然、呼吸困難になればどうする?「生かして」。旨く行った場合はどうする?「施設のショートステイを利用し、1週間ごとに自宅介護と切り替える」。主治医の先生は本当に親切に聞いてくれる。今日は化粧をしていたのでビックリした。病院を出発したときは丁度昼前。道中で弁当を買って海浜学校前の海岸で弁当をつついた。丁度干潮で、沖の岩まで露わになっていた。昔々、祖父に連れられて夏にはここで泳いだ。もっと砂浜が多かったと記憶しているが、今は、土のような砂だった。390円の安弁当で味は良くなかったが、この景色と風を受けて、美味しくいただけた。長谷寄りの親類、赤野の親類に、もしもの場合の対応について相談。彼らの回答は「おまんのえいようにしいゃ」。「照ちゃんの言うことを聞いたらえい」。だった。僕が考えていたことと同じ結論だったので安心した。安芸の透析で通っていた病院にも報告に行った。ここの先生が強く手術を薦めたからだ。様子を見て相談しましょうとなった。直近の相談すべき先はこれだけ。帰るや否や蔵の片付けに突入した。家の整理はいくら急いでも、急ぎ過ぎることはない。この後にやるべきことが山積しているからだ。蔵と呼ぶ部分は5つの部分に分かれている。その一つに、ようやくめどがついた。1階の2つは今月中にめどをつけたいものだ。蔵から珍しい写真が出てきた。たぶん1981年頃だと思うが、与論島(もしくは沖永良部)に仕事に行った、その夜、飛び込みのスナックで飲んでいるシーンの写真だ。普段短パンなどを履かない習慣だから、この時はよっぽど解放気分に浸っていたのだろう。写真はポラロイドカメラで、報告書を作成するために購入した機材だった。
4月24日(日曜日)
久しぶりにゆっくりした。朝から気を抜いて休んだのは、2月29日以来2か月ぶりだ。ゆっくりと朝食を取り、両親の書類をスキャンした。父は心臓病で手術をする前から、調子が悪かったのか、領収証から頻繁に町医者に通っていたのが分かった。2008年の正月からの事だ。僕は、現職の仕事を退いて欲しいと上司からさんざん言われ続け、海外勤務の条件を出して交渉していた時だし、子供の大学受験の費用捻出で妻ともめていた時でもあったので、正月休暇に帰省した時に父母の健康状態をチェックする気持ちの余裕がなかった。父のひざ痛のみ気注意を払った。父もそれ以上の事は言わなかった。その年の夏、どうしようもなくなって心臓の病院に駆け込んだ時は、即入院、手術だった。僕には健康に気を付けるようにしつこく言っていたが、自分たちの方は町医者でお茶を濁し放置したままだった。そうこうするうちに、高知市の友人が訪ねて来て、少し母の現況を話した。僕も、書類の整理を切りの良いところで中断し、近所の友人宅で合流、話し込んだ。と言っても、文章に書くようには話せず、しゃべっている自分でも、話の筋が見えないような表現をしているようだった。僕自身の混乱もあるし、誰とも話さない時間が多いので、話すのが下手になってきているようだった。言いたいことが並列していて、それを直列にして前後を並び替えるのに混乱している。昼飯に海岸の見えるレストランに友人と行った。病気の暗い話はその前に終えていたので、昨日亡くなったプリンスの話となった。Michael
Jacksonほど知名度はないと思っていたが、どうも世界では同じくらいの人気らしい。僕らが共通に知っている曲はパープルレインのみ。おじさんたちは、幾分オカマっぽい人に共感できる余裕を持ってなかった。バックで演奏している女性ドラマーの話に移ったが、ネットでは探すことはできなかった。長い海岸線を眺めていると、ここでマラソン大会を開催すればいいイベントになると、プリンスの話は立ち消えになった。夕刻散歩を兼ねてスーパーに向かっていたら、母の入院先から電話。ビックリして、歩道に腰を下ろした。先生曰く、びっくりしたでしょうが、緊急の要件ではないと、先ずは断りがあった。僕はほっとして、再びスーパーに向かいながら歩き始めた。「明日、人工呼吸器を外すが、又心臓が止まるようなことがあると、どのような対処を望むか?」僕の回答は「生かしてくれ」だ。明日、結論が出る。夜はトムクルーズ主演、映画「マグノリア」を見た。偶然の一致が、奇怪な事件を生むと冒頭にあり、4つの物語が同時進行してゆく。どこでこの物語が結びつくのか興味深く見てたが、何のことはない、空からカエルが大量に降ってきて、4つの物語が関連性なく、共通のアクシデントに巻き込まれた。それを偶然の一致のように扱ったので、急に冒頭の暗示は、壮大な話に展開されるのではなく。単なる小さな物語に帰結した。偶然の一致には、それなりの理由があると暗示するのが、この映画の主旨ではないのか?冒頭に戻るが、今日の書類整理から見えて来る両親の同時期発症の病気には、それなりの理由があったのだ。
4月23日(土曜日)
やっとラジオ英会話を聞く時間を生活の中に組み込めた。その後食事。自分の部屋に帰ると、随分とおじさん臭いではないか!ここ数日間は自分の洗濯もできないくらい忙しかったので、晴天でもあるし洗濯。郵便物の整理をするともう10:30。母は昨晩も急変なく(病院より電話なく)、今日の面会も様子見だけでOKだろうと踏んで、自転車で出かけた。1時間20分で到着。妙にやつれたみたいとつぶやくと、看護時曰く、ずっと眠っているので、顔の筋肉がたるんでいるためだ。体重に変化なしと言う。(父の病院もそうだったが、ここもベッドに寝ているだけで人のdry
weight(乾燥重量)を測定できるようになっている)心電図モニターは次の数値を示していた60-24-100(鼓動、呼吸数、血圧/分)いろんな機器があるので興味津々だが、場所が場所だけに質問は、はばかられた。取り敢えず安心して、帰途につく。13:00空腹で、土佐うどんの店で、エビ唐(あげ)定食780円を注文。ボリューム満載でツーリングした割には食べられなかった。帰り着くと、夕食までに2時間ある。衣食足りて派の私は、今一番汚い部分の清掃に取り掛かった。風呂の焚口とトイレ。それが終わると、納屋の倉庫。こちらは終わりが見えない程の乱雑さ。父がせっせと稼いで、母がバンバン使う。そんな図式がこの持ち物から見えてくる。息子の私は容赦なくゴミ袋に放り込んでいく。ふと見ると、奄美大島の彼女からの御礼の手紙(私への)が出てきた。あまりにも美人で近寄りがたい人で、僕は恐る恐る福岡で出迎えて、山口県の萩市を買ったばかりのスカイラインJapanで案内した。コチコチに緊張した。1978年の5月の連休の事だ。母の高校生時代の写真集も出てきた。気の強い女の顔をしている。これではバンバン捨てるわけにもいかず、少し片付けの速度が落ちてしまった。夕食の時間が近づいてきたが、昼のボリュームたっぷりの食事がまだ残っていて、軽い献立とした。普段だったら、1時間ほど散歩して調整するのだが、雨が降って来た。都会の雨と違い、高知の雨はかなり本格的な雨だからためらいがある。ララポートのような散歩ができる商業施設も近くにはなくおとなしく、断食に近い軽食とした。寝る前に「ノーカントリー」を見た。前にも書いたが、盗んだお金の中に、発振器が入っていて、それを探知する受信機を一方が持っていて、追いかけるのだ。しかも、発振器入りのお金のかばんは、モーテルの空調のダクト(金属の筒)の中だ。どんなに感度の良い受信機でもこれでは察知できない。しかし、どこまでも追いかけてゆくのがこの映画の重要ポイントだから・・・。いかんいかん、これでは映画を楽しんでない。
4月22日(金曜日)
高知医大11:30
とても大きな建物で、昨日の記憶を頼りに進んでいくと、放射線科の受付からお声を頂いた。ここから先は行き止まりですよ。やっとの事でたどり着いた集中治療室(Intensive
Care Unit 直訳でひねりなし)母は透析を行いながら、人工呼吸器を装着し眠りに落ちていた。測定機器は父の入院先の機器とは異なり、ディスプレイは19型と大きく、2種の表示内容の一方だけが違っていた。心電図の波形は父と比べて非常に綺麗で正確だし、1分間のカウント数は77で一定してた(父の場合は、平均が90で、130から30まで上下の変動激しく、下向きの波形が不正確だった)。素人判断で、この分だと大丈夫だと思えた。ただし、透析を受けるときは大きな負担がかかるので、どこまで持ちこたえられるかは不明。これから先生の話を聞く。担当医の話を一言で言えば、風が吹けば桶屋が儲かる・・式で、危篤状態から脱した母は、人工呼吸器を外しても、血圧、酸素濃度とも元の状態に戻っている可能性がある。しかし、ゆっくりとした透析を受ける必要性があり、足の血管から24時間透析を処置している。母の場合覚醒すると、動いたり、人工呼吸器を手で外したりする可能性があるとの事で、弱く眠っている薬を投薬しているらしい。そして、睡眠状態では、「血圧、酸素濃度とも低下する恐れ」があり、結局初めのICU処置のまま、数日間過ごすらしい。夕刻は心臓外科の先生と面談した。手術の生存確率は何%?これを担当医に尋ねていたので、外科の先生から、手術に関する基礎知識(心臓手術には2種類あり、体を超低温にして、心臓を止めて行う方法と、心臓機能を外部に委託する方法があるとのこと。その細かな作業方法について)のレクチャーの後、具体的に提示された。生存確率34%、合併症64%。手術がうまく行っても、その後の経過が危ないのが結論。その上認知症が進み、予期せぬ事故の可能性あり。との事。僕の腹は決まっていたが、それを裏付ける根拠が欲しかった。これで、決まった。手術は受けないと回答した。いつ心不全が発生するやも知れないとのリスク付きだが。今日は、母の死に関して僕の一存に委ねられているが、きちんと根拠のある情報で決定したもので、昨日の嘆きとは違うレベルだ。悔いは残さない判断。母はICUのまままだが、僕は気分的に楽になって、帰り道(多分こんな結果をたどるだろうと予測した通りなった)に、ながおか温泉に行った。3月の末から、今日まで風呂に浸かってなかったからだ。ついでに、プールも利用した。(逆かな)。温泉のプールなので、水がぬるぬるで滑りやすく、ターンが滑ってうまく出来なかった。久しぶりなので1km。気持ちの良い風呂上がり。体重計に乗ると4kg減っている。病気でなければ良いのだが。今晩はJAZZを聞きまくるぞと勢い込んでいたが、帰り着くと疲労でダウン。
4月21日(木曜日)
10:02
今日は、母のカテーテル検査の日。母は慢性腎臓疾患だが、同時に心臓弁膜症も患っていて、心臓の手術を受けてはどうですか?と安芸病院で勧められていた。最初は、断ったものの、高知医大の先生は、弁膜症は痛みを伴う病気で、出来れば施した方が良いと言う。透析先の先生も、透析中に心不全が起きると、もう対応のしようがないと言う。そんな事で、今回の運びとなった。所が、今日、検査の為の造影剤を入れた途端に、母は心拍停止状態になった。心臓マッサージを施しながら、喉を切開し、人工呼吸器を装着し、足の血管から心臓代替え装着を付け、蘇生させる一方で、心臓の手術を行うと言う、かなり大掛かりな対応をするが、それでも良いか?となった。勿論。しかしそれであっても、元どおり自宅に帰れるのかは不明との事だったし、頭脳も呼吸停止で酸素が供給されてない為に、元に戻るか不明との事。当初父は、もう年だし、手術はしないと病院に回答していた。僕も最初は同意したが、少しでもと欲が出てきたばかりに、こんな結果を招いてしまった。息子の浅はかな判断が、母の寿命を短くしてしまったと悔やまれる。一方で、手術を受けないでそのままだと、余命はいくらだったろう?(先生は長くて1年。しかし、いつ発作が起きるかもしれない状態にあると言う)。もし、手術拒否したままで亡くなってしまうと、今回と反対の後悔(手術を受けた方が良かったのでは)をしないのか?と。どちらにしても、僕は苛まれる。12:20先生から今回のイベント(こんな時にも、使う語彙だったんだ)について上記のような説明を受けた。母の生命力に縋って、ここ数日を暮らさなければならない。今回は、運よく回復し、呼吸器の装着のみの処置となった。14:30集中治療室で、母と面会。意識はあり、僕を認識した。呼吸器を装着しているので声は出なかった。その後、先生と立ち話。「回復した後、心臓の手術をするのか、否か?」。「生存確率は何パーセント?」「明日解答する」このような内容だった。でも、僕の腹は決まった。どんな確率でも、「もうてんごのかぁはしない、今回で懲りた」。16:30かなり権威のある人から、どんなことをあなたが選択したとしても、それは神様が決めた筋道に沿った結果だ。なにも、あなたが決めたわけではない、と考えなさい。すぅ~と気持ちが楽になった。今晩は電話に怯えながら眠る。
4月20日(水曜日)
昨日酸素供給の業者の方から電話。今週から酸素を止めます。入院するそうですね。あっ!そうです。その朝も透析に行く母を送り出すのに相当頭に来ていたので、送り出した後、ホッとして、いろんな記憶を喪失していたのだ。今日は高知医大に母を検査入院させる日。心臓病を併発しているので、お世話になるのだ。父も母も心臓が悪いと言うことは、僕も当然心臓に欠陥があると見なければならないだろう。まぁそんなことはさて置いて、医大は大きかった(偉大だった)迷子になりそうな大きさ。ボランティアの人が助けてくれて、本当に助かった。今日から2週間の入院。やっと羽を伸ばせると思いきや、今までの透析のほうの病院から電話あり、役場に提出する書類を回収に来てほしいとのこと。こちらの病院では、明日からの検査についての説明や、日常の母の状態についての質問があり、こちらの病院を出発したのが午後15:30。そうそう話は逸れるが、この質問を一杯投げかけた看護師は、看護師をさせておくのはもったいないような目の覚める美人だった。1対1の隔離した部屋で会話した(患者のプライバシー保護の為)。その後、高知県一番の本屋さん(金剛堂)を訪ねた。オーディオとカメラの雑誌を購入するため。ゆっくり帯屋町を散策しコーヒーを飲む計画を断念し、今度は安芸市の病院を訪ねた。病院が閉まる直前17:25だった。今日も母の事で、一日まるまる費やした。できる事は何でもしておこうと思うが、相当きつい。マルナカに寄って父のお供え物を購入。あまり腹も空いてないが、何か食欲のそそるものはないかと、「寺尾」(この近辺一番の魚やさん)を訪れた。何やら得体のしれない肉がある。それ何?「マンボウ」どうやって食べる「煮つけか、から揚げ。ただし揚げ物は技術が必要」。クックパッドを開き、煮つけの方法を習得した。今日から2週間は自分の為の食事を献立る。珍しいもの100連発を計画中。
4月19日(火曜日)
朝、自宅に隣接する畑に草からしを散布している住人が僕の名前を呼んだ。「どういたが?」「おまんくの、岸がつえてきそになっちゅう」「そらぁ、はようつきなおさないかんけんど、49日が住むまで待ってくれんろうか?」「ほいたら見積もりをつくっちょくきに」と、近隣の住人は言った。その人は、土木の仕事をしているので、一石二鳥みたいなもの。ついでに、裏の竹藪のタケノコを一掃(切り倒した)した。明日は母の入院で、午前中は準備に追われた。洗面器がなかったので、土間の倉庫を探したら、何と、床が抜け、天井から雨漏りの跡が見つかった。さっそく2階に上がって原因を探れば、何と2階の床も天井も雨漏りの跡があり、天井から青空が見えていたのだ。そして、タンスは雨がかからないように、母はビニールを被せていた。まだ母が歩ける4年位前のことだ。その時、父に告げておけば、このような参事は防げたのに、またもや後始末に追われる次第。ホームセンターで靑のビニールシートを購入し、屋根を覆った。ここは、1周忌が終わるまでは触れるわけにはいかないだろう。今回は応急手当。明後日の嵐の跡、抜本的に対応しよう。この分だとなんだかんだの修繕に400万円ほどが飛んでいきそうだ。透析から帰って来た母を受け入れて、夕食の準備。終わったのが18時前。その後、怒り心頭で、おじさんの家に駆けこんだ。「飲ませてくれ!」おじさん曰く、「そんなに言うな、自分の親だぞ」。その通りだ、まだわずか2週間しか介護の真似事しかしてないのに、大変だとわめき散らすのは時期尚早と反省。近所のなるさん(90歳のおばあさん)は、自分の母の下の世話を20年やったと言っていたのを思い出した。私は序の口だ。帰り道反省。0:55、腹痛でわめく母に起こされた。取り敢えず外れている酸素マスクを装着し、布団を一枚かけた。(反省を生かして)
4月18日(月曜日)
父母はこの芸西村で一生を過ごした。後生大事にとってあるモノもあるが、書類もスーパーで買い物の領収書もふくめ、いろんなものを残している。僕の生き方は衣食足りて礼節を知るが基本だが、父母は衣食足りる努力はしても、満たさなかったようだ(特に父は)。だから、この家には風呂がない。壊れたままだ。母屋も納屋も雨漏りがする。玄関のドアは壊れて簡単には開かない(防犯には良いが)。修繕はできるのにしないのだ。修繕できる担保があるだけで満足なのだ。少し話は逸れたが、いろんなものを貯め込んでいたので、金銭面から彼らの生き様が追えそうだ。残された記録紙すべてを収入と支出シートに分け三四郎(エクセルのような表計算ソフト)に打ち込み、証拠となるものは、PDF化して保存する。ファイル名は日付とその後に内容を記述した。こうすることで、自動的に並べられていく。整理にはおそらく、数カ月かかるだろうが、打ち込めば自動的にデーターベース化される。両親の足跡がたどれそうだ。疲れたので昼寝しているときにディサービス先から母の調子がおかしいとの電話があった、日常の範囲だと伝えた。午後からは、ケアマネの訪問があった。僕はトイレと、食事の2つでだんだんと対応が難しくなってきていることを伝えた。当面はショート・スティを利用して、頑張る。その後、村の施設を申込するように勧められた。できる限りは面倒を見たいのが本音だが、できないことがあることを悟った。そうなったら施設に入れても人道には反しないだろう。とならないか?これはとても重要なことだから、夕刻、自分で納得するために村を貫く川の土手を散歩。澄んだ空気が気持ち良い。James
Tayler/Never Die Youngを聴きながら。音楽に集中したせいか結論は出ないが、家に近づくと近所のおばあさん(90歳になる)が声をかけてくれた。事情を話していると、もうそろそろ施設やねと言われた。最後の砦が固まると、なんだか少しだけ楽なった。罪悪感を残さないためにできるだけ頑張ってみよう。
4月17日(日曜日)
昨晩は大雨だった。九州の友人(大分在住)に電話を入れると、彼の同僚が熊本で避難生活をしているとのこと。家の中が家財で散乱して、とても住める状況ではないと言う。この同僚は、僕が1998年頃九州を担当しているときに、一緒に仕事をしてたので存じ上げている。この地震は東南海沖地震と密接に結びついているとの分析もある。早ければ、数カ月内に、遅くとも5年以内にはこちらにもやって来るかも知れない。被災した場合どこまで自活できるかわからないが、プランを練ってそれなりに準備をしておこうと思う。今日は、粗大ゴミの日で、父母が後生大事にしていた、使わなくなった流し台や、子供の三輪車などのおもちゃを捨てた。ゴミを管理している人は、農協を定年退職した僕よりか1歳下の人。家で一杯やろうと声をかけた。カッパ市に行くと、同級生の理恵ちゃん、谷山君に会った。理恵ちゃんは嫁入り先のおばあさんを抱え介護で大変な思いをしている人、谷山君は、理恵ちゃんの農業を手伝っている人で、こちらも母の食事の世話からなんでもこなしている。別に僕だけが不幸ではないわけだ。(でもあんまり気休めにはならなかった)。帰ると、母が便の入ったポータブルトイレをひっくり返していた。敷布団は捨てる事にした。シーツは洗い、拭き掃除を繰り返し何とかもとに戻した。足の力も手の力も抜けてきているので、体を支えることができないのが原因だ。トイレの世話が出来なくなりつつある。一人では40kg弱の母を重くて抱えきれないのだ。口汚い罵りはそのまま続き、さてこの先どうしようかと思ったが、先ずは、母に伝えよう。家で住みたいなら、少しはしゃんとせなぁいかんところもある。と伝えた。取り敢えず「食事だけは頑張って起きて食べてちょうだい」解ったと言ったが、食事のあと、布団やパジャマに大量のご飯を落としていた。ここにも自宅介護の限界が見えてきた。
4月16日(土曜日)
今日は、父のお供え物を5品に変更する日。母の食事、透析への送り出し後、食料品店で品物購入。ついでに、カッパ一で夕食の買い物。今日は妙にあわただしくて、午前中一杯を要した。昼飯を食べた後、妙に体がだるく寝ていると、おじさん夫婦が供養にやって来た。朝にお供え物を5品に変更しておいて良かった。母の介護の大変さを訴えると、もう施設に預けたらどうかと言う。まぁ僕のできる範囲で何とかしてみると答えたが、24時間即応体制では、ちょっとこちらが危なくなってきている。定年を迎えると、城山三郎の小説ではないが「毎日が日曜日」。僕の場合は「毎日が月曜日」。我がままで、言い訳の人生を歩んできた母は、痴呆症と体の弱りが、それに拍車をかけて、介護の大変さばかりでなく、口からも不愉快を浴びせかけられる。どこかで、休憩しないと擦り切れそうだ。まずは、自分の時間を作ろうと、母のことを全部済ませて自分の時間が出来たのが午後5時半。1時間ばかり散歩をして、映画「ベイルートからの脱出」を見た。筋書きの大きな映画だったが、だんだんとアクションシーンが近づくにつれて、個人対個人の戦いに落とし込まれてゆくのは、映画の常とう手段。まぁ仕方ないか。ヤマハのスーパーウーハーが凄くいい仕事をしてくれて、アクションに関しては結構楽しめた。120インチのキクチスクリーンと、ヤマハのAVプリ、エプソン液晶プロジェクターでシアターを組む構想が浮上してきた。こんな夢を抱いて、母の介護の逃げ場を作ろう。
4月15日(金曜日)
随分と落ち着いてきた。この部屋のリスニングルーム環境は完璧に整理整頓で来た。離れのAVシアターも元の状態に戻った。僕の生活の土台は整った。後は、整理や清掃の手を母屋の炊事場以外に広げてゆくだけだ。昨晩は母の嫌味に夕食のフォローもしなかった。母も調子が悪く、要求もなかった。僕も食欲なく夕食抜きだった。しかし、眠れるわけなく、ウィスキーを飲み始めた。WOWOWでは怪傑ゾロを上映してた。毎晩夜中に奇声を発する母はおとなしく、妙に気がかりだった。しかし、あれだけ罵声を浴びせられたので、その晩は、僕から声をかけなかった。酔いも回らず、ウィスキーは二敗目になった。こんなことをしていては、僕の方が体を壊してしまうと思いながら飲み続けた。僕の心が弱気になっている隙をついて、天は地震を起こされたた。偶然の一致とはいえ、妙に気持ち萎えた。そんなことがあり、今日は頭が呆然として、五月晴れの良い天気なのに、妙にしゃんとしなかった。「タケノコが猛威を振るっている」と、お寺の住職に声をかけられた。我が家の墓地に進出しているとのこと。お寺さんは、その隣にある、「大日様」(村の鎮守の神様みたいな存在)の見守りに来たらしい。しばらく、我が家の門の前に座って雑談。死について話し込んだ。癌を患い死にゆく人は、その最後にモルヒネで意識を失う前、どんな気持ちだろうかと?その人は良かったと思っていると住職は理解しているとのこと。僕は、未練が残っているのではと思っていた。本当は当人でなければ分からないことだけど重要なことだと思った。昼飯は暑かったのでそうめんにした。母は起き上がれなく、お箸も持てず、そうめんをスプーンで食べた。昨晩は拗ねて布団をかぶったままだったのもあるが、かなり調子が良くなかったかもしれない。大学病院で確認が取れたので、ケアマネには4/20母の入院を正式に伝えた。母を入院さると少しゆっくりできるかなと考えていたが、今度はいつ病院から電話が来るやも知れず、再び不安におびえる日々が続くことになる。
4月14日(木曜日)
昨日の雨は嘘のように晴れ上がった。母を送り出した後、お寺さん、赤野の親類を訪問。こちらも我が家の父母の年代なので、よぼよぼだ。健康具合の話を聞く。「さけはどうぜよ?」もう酒は止めた(日本酒のこと)。うちの親父も亡くなる前に言っていた、「飲めるうちが華」こちらも同じことを言う。親類も我が家も促成栽培の農業を営んでいたので、昼間は大量の汗をかく、それで酒が栄養源として水のように体にしみた。だが今はビニールハウスにも入らないので、汗をかく機会がない。そうすると酒も自ずと減って来るのだろう。昼間は30度前の気温で、半袖でも汗をかいた。昼飯は少し遅れたが、琴ケ浜海岸が見渡せるSee
Houseで頂いた。Sibelius Symphony No.5番を聴いた。北欧の厳しい冬の交響曲だ。今回はデノンのヘッドフォンアンプを持参しての演奏なので素晴らしく音が良い。だが、陽光あふれる高知の海岸ではちょっとミスマッチの音楽だったかな。帰りに友人宅でおばさんを見舞うと、もう母の帰宅時間15:00ギリギリだ。引っ越し荷物の整理を少し進め、16:00に母の食事を作るも、食べたくないと言う。その間、さんざん僕に対する嫌味を、おじいちゃん(母の父)に(僕に聞こえるように)ぶつけ、僕としてはやるせない。出来上がりの料理を寝室まで運ぶ。「食べたくない」と拗ねている(多分体調が良くないもの手伝っている)。しばらく待つが、食べたくないとのこと。そのままだと、ネズミや、トカゲ、ヤモリが食べることになるので、引き上げた。僕も大人げないとは思いながらも、作った食事はすべて処分した。気晴らしに散歩に出かけた。スーパーで発泡酒を買って飲んだ。この頃毎晩飲んでいる。飲まずにやってられない気分なのだ。
4月13日(水曜日)
昨晩は眠れないと何度も大声で叫ぶ。僕が眠りに入る直前の丁度のタイミングに大声をあげる。そのタイミングは見事と言ってよい。しかし、これでは明日(つまり今日のことです)僕が困るので、ドアを全部閉めた。緊急時に何かあると聞こえる程度に。3月初めからほぼ毎日、高須病院を訪問したとき、母の部屋だけドアが閉まっている。他の部屋は全部開いている、不思議だと思っていたが、これで合点が行った。母が大声で叫ぶので迷惑だから、部屋のドアを閉めていたのだ。今朝も食事は不要だと言う。実は昨晩も、おじやだったが、随分と多めのおじやを献立立てた。水分で膨らんだコメの分量が量れないこともあるし、新鮮なかつおの3/4(30㎝くらいの一匹)を使って作ったので、食べてほしかったのもある。重量にして500gだ。消化は良いがエネルギーが多すぎたのだろう。今晩から量をコントロールしよう。と言うことで、今朝は余った時間を使って、食堂にPCを運び込んだ。インテルi5を使った自作PCだ。食堂は油で汚れるので、モニターは使い古しのブラウン管(21型)を持ち込んだ。ブラウン管と言ってもNANAO製で、購入当時は35万円。これで、とりあえずは、父母に来た介護関係の書類をスキャナーして保存する。あちこちに分散したはがきや手紙で引き出しが一杯の為だ。ついでに、DVDで音楽も見られるように、Panasonicのパワードスピーカーを接続した。(音についてはいずれ改善を図り本格的なスピーカーとアンプを準備したいと思っている)とにかく、自分一人しかいないので、快適に過ごせるようにしてゆくと、食堂がPCルームになった。
4月12日(火曜日)
あまりにも疲れていたのか、それとも、母の呼び出しがなかったのか、6時半までぐっすりと寝てしまった。今日は透析の日。朝ご飯は不要だと言う母、気分屋だから、念のために作って控えていたが、車のお迎えが来る時間がせまり断念。こうして朝のあわただしい時間にぽっかりと空間ができて、台所の清掃が完成した。まだ、拭き切れてない油汚れはのこるものの、今までのように力を入れて清掃しなくても良い。後はメインテナンスだけだ。母を透析に送り出した後、今度はカメラを持って出かけた。青空が広がり、青空バックに花の撮影だ。ここ数日薄日はさすものの青空がなかった。今日は藤が綺麗だった。和食(わじき)のとある民家に見事な藤が咲いていたので、奥さんに断って撮影させてもらった。カッパ市場で母の夕食の食材購入。帰って、アラで出汁をとり、いろんな調理に備えた。昼食後、今度は千葉からの荷物整理。今月一杯かかるかなと思っていたが、この進捗だと今週中に完成する。そんなに急がなくても良いのだが、つい普段の癖が出て、ごんごんと進めてしまった。15:00母が帰宅した。しばらくして夕食の準備を行った。今日は頭の調子が悪く、何度も父のことを聞かれる。それ以外は、祖父、祖母を大声で呼ぶ。この繰り返し。僕が母の寝室の前を通るたびに、再度繰り返し。来月は1週間母を施設に預ける予定をしている。ケア・マネジャーさんが僕の精神を心配してだ。こうして逃げ場が確保されているが、父の場合はもう5年余りこのような母の繰り言の対応をしてきた。もううんざりしていると、おじさんにも言ってたらしい。逃げ場はなかった。父は僕が仕事をたたんで帰ると、さっさと逝ってしまった。もちろん、心臓の病気でこれが限界だっただろうとは思う。しかし、どうも別の見方もあるのではないかと思うに至った。それは、もう母の相手はうんざりだ。「後はおまんにまかすぜよ」。と、楽になりたかったもしれない。先ほどの施設の方は、1週間で本当に良いの?と気遣ってくれた。
4月11日(月曜日)
昨晩0:30と3:25に母の腹痛で起こされた。2回目は取り敢えず湯たんぽを沸かして、これを抱いて寝てと伝えた。僕は、それ以降目が冴えてウトウトと眠るだけだった。朝起きて、病院の受付が始まる時刻にかかりつけの医者に電話をいれた。今、収まっているなら問題なし。普段と比べると明らかに違う症状なら救急車。と婦長さんは明確な回答。取り敢えず、対処すべきことはなし。午後、父の入院先へ入院費の支払いに行き、ついでに、母の入院先も支払いを済ませる。ここで循環器の先生が診察してくださる旨連絡があり、余裕を持って待っていたが、応答なし。受付でどうなっているのか聞けば、受付を済ませて待たないと、診断はないとにべもない。結局先生も、母が入院しているものだとばかりおもっていたらしく、こちらも誤解があり、時間切れで検査はなし。この日は何の進展もなくただ帰るのみ。帰って連絡帳を見れば、受付用紙が挟まっていた。これは私のミス。この高須病院は妙に私と相性が悪く、いろんなことの行き違いがある。他の病名なら病院を変更するのだが、透析と言う厄介な病名の為、簡単に病院を変更できないのがつらい。いえに帰り着いて食事の準備。僕の食事は母の作ったあまりもので済ませる。シャワーの後自分の部屋に帰り、PCを開くと突然の睡魔。ここで30分ほど転寝をして、今夜は何もできないと諦めて床に就く。もう一つ忘れていた。友人のK君のお母さんが退院した。顔色も良く、痩せてなく、大病とは思えない。
4月10日(日曜日)
父母は、もう3年程前から洗濯物を、居間にそのまま積んでおくだらしのない生活に突入していた。それで、部屋が一杯になる。乱雑な部屋では僕の気持ちが落ち着かない。でも、3年前は、仕事をしていて整理するなど余裕はなかった。それに、片付けても、一方から崩してゆくので、手の出しようもなかった。しかし、今は、余りある時間を使って整理を進めている。それに寝たきりの母は洋服を触ることもないし、整理を崩されることもない。今日は母の寝ている部屋と居間を整理した。空になった箪笥を持ってきて、洗濯籠とか、床とかに積んである衣類を、タンスに整理したら、何と、一個の箪笥の中に、すべて収まってしまった。居間も寝室も広くなりWin-Winの関係となった。本当に気持ちの良い部屋に変わった。古びた家財は新品には戻らないが、手入れをすれば、気持ちよく使える。10:30母が「腹が減った」とわめきだした。カッパ市場に行き、少々高いが新鮮な野菜と、魚を買ってきた。鯛一匹600円。半身を塩煮、半身をタイ飯の炊き込みご飯。朝食と昼食の間は4時間くらいしか空の時間が無いので大忙しだ。僕の昼飯は、準備した母のあまりもので終える。少し昼寝をした後、南国市まで買い物に出かけた。今日は友人が訪ねて来るので、牛肉を奮発した。トマトと玉ねぎのサラダ。アスパラのバター炒め。鯛飯。味は商売できるレベルだと友人の評価。もう、「外に飲みに行き気がしないね」と彼は言った。採算度外視の調理なので商売には向かないのは知っている。でも、外で食べるよりは絶対に安い。食事のあと、初音ミクのLIVEコンサートを見ながら、音楽談義。16ビートの音楽は始めは馴染めなかったが、今は鳴れた所為か結構聴ける。一度見てみたいねと言ったが、椅子なしのコンサートは、おじさんにはつらいかもしれない。いくつか知っている曲もあった。
<芸西村では桜、蓮華、藤が満開>
4月9日(土曜日)
母の食事を済ませ、いつものごとくの病院に行きたくないと駄々をこねる母を説得し、糞便で下半身が汚れているおしりを拭いて、パジャマを交換し、その上に服を着せ、出発の準備を整えた。8時過ぎに迎えの車がやってくる。送り出し後、毛布と布団を持ってコインランドリーで洗濯。シーツや敷布など他の衣類は自宅で洗濯。台所にある油で汚れた収納棚を2基処分。これで台所が広々となってすっきりした。⒓:00昨日訪問したおじさん夫妻がこられて、祭壇のチェック。2点の指摘。1.お供え物の向きが反対。2.花瓶は、祭壇ではなく床に下ろして飾ること。四十九日の法要のやり方を教わり、田舎での行事の概要を把握した。昼食後急に疲れが出て来て昼寝。洗濯物を取り込んだら母が帰宅した。それから買い物。和食(わじき)と呼ばれる芸西村では一番の商業地まで徒歩(往復1時間半)。「EAGLS/呪われた夜」を聞きながら左右にレンゲ畑道を見ながら散歩。この音楽は高松のショウルーム勤務の時に出会った衝撃的な音質のROCKだった。同時期、「ピンクフロイド/狂気」も音質は良かったが、音楽が理解できなかった。当時はお金が無くて、オープンテープに録音して楽しんだ。お金にゆとりが出来たら是非買おうと思っていたが、今はレンタルで利用できるようになり、AIFFファイルのリッピングで満足している。やっと少しだけ時間的なゆとりができた感じだ。片付けることは多々あるが、49日までに何とか終えるだろうと思う。離れと、母屋の間を行き来している間、頭上が騒がしいので見上げると、いつもやって来る燕のツガイが、「もうそろそろ家を貸してちょうだい」と僕に呼びかけていた。家を貸すと床が汚れるが、あんにせがまれると、嫌とは言えない。毎朝少し明るくなると、鶯の鳴き声で起こされるし、ここでは鳥さんとかなり親しい関係の生活を送っている。夜はマウント富士ジャズエスティバル1989年度版を見た。ジョージ・アダムスがノリノリの演奏で、ピアノ(名前忘れた)が、これまた見るものを魅了するプレイを演じ、レコードでは聞けないような名演を繰り広げた。JAZZは一期一会の音楽だから、よくぞ、こんなすばらしいものを録音したものだと感激した。
4月8日(金曜日)
早朝ゴミ捨てに行ったら、善ちゃん宅のおばさんが、気を落とさないようにしっかりと。声をかけてくれた。このおばさんは、いつもプールで一緒に泳いでいたので親しかったのだ。母の食事、着替え、排便の処理、清掃。計測(今朝から、食べたものと出したものを計測している)。別に病院から言われたわけではないが、ビッグ・データーが叫ばれている中、この現象をプロットすれば、僕でも何かわかるのではないかと思うのだ。他に、血液中の酸素濃度を測定する機器も借用できそうなので、いくつかの項目で自宅においても母の健康状態が管理できそうだ。その後、ヤマト運輸さんのボンベ受け取り、交換。酸素吸入器の電源にアルカリ電池は使えると聞いたが、実際に行うと、使用不能が判明。カッパ市場で今日の昼と夜の食材を購入。高知医大の先生から母の入院の日程を連絡受ける。2週間の検査入院だ。やった!この間僕は遊べるぞ。それが唯一の楽しみだ。お世話になった方への、御礼の訪問。訪問先も高齢者で、病気名や、在宅の介護の話となり、共通の話題で花が咲くのは、ありがたいことか、悪い事か。最後は、おじさん宅。父が無くなっても、このおじさんは外見だけは父にそっくりで何だか父を見ている気もする、多くの方が間違えて、「敏郎」さんと声をかけられる(特に病院で)。このおじさんは直球しか投げない人で、難しさはあるが、何かと相談相手となる。この1週間の出来事を報告し、母の介護の状況を伝え、それを肴に酒を飲んだ。丁度、近所の若い師(と言っても57歳)が来てたので、芸西村の近況も聞く事が出来た。帰ると、母がご飯を食べたいと言う。挨拶に出かける前に食事を済ませていたのだが、また食事と言う。それに、全体が糞便臭い。臭いのは明日洗濯することとして、シャワーを浴びて就寝。毎晩8時過ぎには瞼が重たくなっている。
4月7日(木曜日)
6時25分起床。不覚、寝過ごした。母は起き出して、縁側に腰かけて食事を待っていた。昨晩は深夜まで大いにわめいていた。おばあちゃんを呼んでいた。(つまり母の母のことですね)。寂しくなったのは分かるが、なぜ父を呼ばないのだ。誤解していると思い、亡くなったのは、槙さん(祖母)でなく敏郎さん(夫)だが、と伝えたが、理解したのかどうか不明。8:15に透析の迎の迎車が来るまで、説得、食事、着替え、酸素ボンベ、手荷物、水筒。この日は大雨で、下の駐車場まで車いすで移動するにも難儀した。やっと送り出したら、排便の処理、洗濯、それから自分の食事、父のお供え。次に役場で、高齢者手当の申請。この用紙には対象期間がいつなのか、いつ至急されるのか明記してない。担当に聞けば、27/01/01この村在住。28/04/04-28/07/01申請者で、収入のない人。審査の結果対象者に支給。わずか2行で済むことを、A4 2枚の説明書のどこにもない。僕が大声でこのことを指摘していると、責任者が出てきた。別に事を荒立てるつもりはないが、きちんとした仕事をしろと言った。(厄介な人が来たと思ったことだろう)その後死亡届とか、固定資産の請求先の変更を登録した。なんと、ここで12時。銀行引き落としも、地方銀行の2行のみ。JA土佐あきを使ってくれとの指摘。ここで書類申請できるのか?JAとさ安芸で行ってください。普通は逆だよと言ってあげた。思わぬ時間を消費した。当初、雨の日は何もせずに、寝ていたいと思っていたがとんでもないことになった。ついでに供養の品物と、乾電池を買いものをしたら、透析に行った母が帰ってくる時間だった。この時間に合わせて担当者会議を開催する。ケア・マネジャーさん、健康管理のヘルパーさん、ディサービスの方、福祉用具のレンタル屋さん。1時間ほど今後の課題と現状を説明して終了。母の食事。午後5時半やっと解放される。コンビニに徒歩で散歩がてら、水道料金の支払い(船橋の分)。帰って自分の食事とシャワー。午後7時半に自分の部屋に入ると、瞼が重く、少し横になって寝た。再び起きて本でも読もうかと挑戦したが、とても瞼が許さないと言った。9時就寝。酒を飲む暇もない。
4月6日(水曜日)
午前5時起床。少しだけホームページの原稿を書き、昨日使ったお金の収支を記録した。6時に母の朝食準備。ついでに自分の分も献立る。僕は晩飯抜きだったので、今朝は多めに。母は深夜腹痛で(0時半に大声で叫ぶので様子を見てわかった)少な目に。今日はディサービスの日。頭が痛いので行きたくないと、むづがるのを説得して、朝食を食べさせて、汚れ物の洗濯を行い、ゴミ捨てを行い、父に線香をあげて、車を待ち受けた。次に酸素ボンベの受け取りと、今後の供給体制の打ち合わせ。役場に行き、し尿処理の支払い、クリーニング、カッパ市場での夕食買い物。これで12:00。食事なしで、昼寝。英語の勉強、読書、映画も、趣味は一切できっこないことを認識。さて、この介護に開ける日々の中で、どうスケジュール化し、自分の時間を作るのだろう?まずは、近辺整理から始めよう。自分がだらけないためには、身辺がきちんと片付いている事、清掃されている事だ(神経質だと指摘されそうだが磨き上げると、落ち着くことを発見した)。清掃はほんの少しだけ進捗したところで、ディサービスから母が帰宅した。夕食を食べてもらい、安芸市の葬儀屋さんに支払いに出向く。お返しの品物が余り、返品させてもらった。ついでに祭壇にまつる方法を教えてもらった。母に聞けば、3つの器は全て酒で良いというが違うのでは?と思ったので、案の定違っていて、ご飯、お茶、おかずが3点セットの内訳だ。まだまだ、今日の目標となる清掃作業が残っているようだが、今日は疲れたのでここでお終い。午後21時にやっと自分の時間となった。映画「ノーベル賞殺人事件」を見た。内容は、ノーベル賞受賞式で、受賞者と一緒に選考員会のメンバーの一人が殺害される。この犯人探しを新聞社の美人記者が行う筋書き。犯人は大手製薬会社の会長だが、これが最後の最後でアクション格闘シーンを行う。いつも不思議に思うのだが、知能で生きる経営者は、現実問題として絶対に格闘には弱い筈だ。経営者にとって余計な時間はビジネスのことを考えるためにある、決して格闘の練習をするためにあるのではない。だが、多くの映画は、CEOがアクションヒーローと戦うと互角あるいは、それに優勢に立ち回るときもあるのだ(最後は負けるけど)なんでだろう?映画はこのような突っ込みの為にあるのかな?
4月5日(火曜日)
葬儀場で早く起床して、自宅に帰ると、「お父さん大変だった」と娘。「おばあちゃんが、居間から下のコンクリートに落ちて、うんこだらけで、居間に引き戻して、ベッドに乗せた」とのこと。午前2時のことだったらしい。介護の大変さを理解してもらった良い経験だったが、介護はとんでもないステージに差し掛かったと思う。二人で、コンクリートに落ちた糞の後処理を行い(もう一か所大きいのが見つかった)、3人分の食事の準備を整えた。どういうわけか、無意識に娘の分を優先して作ってしまったのは、親のひいき目か?僕が小さいころ、母はやっぱりそうしていたのを思い出した。母の洋服を着替えさせて、透析病院から来る車を待つ。あまり遅いので、電話を確認すれば、近くまで来ているが私の家が分からないと言う(私の家への道は武家屋敷の迷路のようになっている)。無事合流して送り出した。僕も急いで顔を洗い、娘と一緒に葬儀場に出かけた。車の中で昨晩のことをねぎらった。葬儀場の父の安置されている部屋は鍵がかからない。まぁ盗むものは何もないわけで、葬儀場も合理的だ。2時間余りをここで過ごして娘の近況を聞いた。僕の前の仕事と同じく、休み無く深夜残業が多い、終電で帰っているとのこと。好きな食べ物が「ご飯」ときたから、厳しさを食事で補っているのかな?今度鹿児島に社員旅行に行くのが楽しみだと言っていた。所属している会社の規模が小さいので、僕の企業人生からは想像できなかった。12:00前に食事に出かけた。普通は、安置されている柩は放置するものではないと言われたが、僕一人ではどうしようもない。13:00から厳かに葬儀が始まった。清君(お坊さん)の声は朗々と響き、これで風鈴が鳴り、セミが鳴けば映画のお葬式の風景だなと思いながら聞きほれていると、いつの間にか眠ってしまっていた。父に対しては申し訳ないが、自分の布団でこの4日間寝てないのだから許してくれるだろう。葬儀場へは自分のクルマで行き、おじさんに遺影をもってもらい霊柩車に乗ってもらった。火葬場ではすでに3組が処理されていて、我が家は4番目。控室で、これまた昨晩と同じように酒とさわち料理(他家はオープンなロビーでひっそりとジュースやコーヒーを飲んでいた)。少し料理を多めに注文しろとおばさんのアドバイスで、食べきれない程ある。実は、後で聞くと、多めの料理をお弁当につめて持ち帰るのが、我が親類の風習で、それに従ったまでの事とか、人数ぴったりで気まずい思いをしなくてよかった。これは父のお見送りよりも、親類一同の懇親会だ。大声で「おんしが、おらが」の怒号が飛び交っていた。1時間半後焼き上がり、骨壺に骨を拾った。哲夫さんが、父の悪かった体の部分を指摘、骨の色が変わっていた。足の関節は緑、心臓は黒く、脳は紫だった。心臓には針金のような金属が4本も入っていた。少し早めに終えたので、娘を駅で拾って空港まで送った。ゆったりと時間が過ぎ、このように娘と話すことはもうないだろうと思った。買い物をして帰り、早速母の夕食。白身魚のバター焼きと、えのきだけのみそだれ。クックパッドからの案内だ。食事を終えると、父の遺骨や写真を祭壇に飾りつけ。葬儀屋でいただいた3つの容器に入れるお供えもの内容が不明。ネット検索で、おおよその検討で対応した。9時には瞼の帳が降りてきたが、少しだけ映画「ノーベル賞殺人事件」をPCの画面で見た。22時就寝。午前0:00母のわめきで起床、「腹が痛い」白身魚のバター焼きは、少しバターが多すぎたのかな?救急車を呼ぶのか?聞けば、我慢して朝まで眠ると言う。ホント24時間の介護体制。
4月4日(月曜日)
近所のよしみち君に電話。近所に伝えてくれたのか、おばさん連中がおくやみに駆け付けてくれる。女は社交家だから、こういうのには腰が軽い。僕は、頭が痛いと嫌がる母をディサービスに行くように説得中で、相当頭に来ていたから、近所の人の温かい言葉が、なかなか身に染みてこない。こんなことなら施設に預けっぱなしの方が良かった。家に帰りたいと言う希望を聞き、ちゃんとすると言うから連れて帰ったのに、と愚痴の一つも言いたくなる。しかし今の問題は、「傘がない」(井上陽水)のではなく、「時間が無い」。説得に説得を重ね、車いすに乗せて、ディサービスのクルマを待つ。そして、次は、ヤマト運輸さんの引っ越し荷物が到着するのを待つ。やっと終了したのが午前11時。葬儀場でおばさんと交代し、夕刻3時まで父との対面。その後帰宅。娘が帰省すると言うのだが、なかなか連絡なし。あっそうだ、ANAはいつもものごとく遅延するのを忘れていた。東京~高知は約3時間かかるのだ。ソウルよりも遠い離島なのだ。母の為の夕食を献立し、ディサービスの帰着を待つ、これも30分遅れで到着。母には着替えなしで、ベッドに座ってもらい、食事提供。後片付けはせずに17:00に出発。早く行かないと、お通夜の開始に遅れてしまう。到着すると式場運営の方がいらいらしながら待っていた。親類一同も着席していた。18:00葬儀は2名のお坊さんで厳かに始まった。お坊さんは近所のおっさんなので、気を使って息子と2名体制で駆け付けてくれたのだろう。お祈りの言葉は理解できないが、聞いていると、何だか安心する。父が昇天しそうな感じ。ジャズに例えると、お坊さんの親父がピアノで、息子がドラムスの感じ。息子がリズムをしっかり刻み、親父がメロディーを奏でる。最後に喪主挨拶。人前で話すのは苦じゃないが、悲しみに打ちひしがれているときに話すと、時々感情が込み上げて来て、なかなか言葉にならない。死去から1日半のインターバルで、平常な精神を保って話すのは、ちょっとむつかしい。僕は、「皆様のご厚情にただただ感謝」とのみ語った。それ以上は言えなかった。お通夜の後、親類一同で懇親。知らない人がいっぱいいる。おじいさんの兄弟関係の親類はよくしゃべる明るい人たちだったが、年と共に明るさが曇ってきている。娘と一緒に帰宅し、母の着替えを手伝わせて、風呂とか、布団とかを説明した。深夜だが、若い娘が一人いるだけで家の中が明るくなる。僕は先にシャワーを使って娘を残して父の待つ葬儀場へ向かった。ここで一晩過ごす。Elvin
Jones/Heavy Soundsを聞きながら、余ったビールを出してきて飲んだ。4曲目のSummertimのウッドベースは感情の起伏が激しく、まさに今の私の為に演じているような名演だった。僕が東京から戻るまでの最後の一カ月は、父は苦しい酸素吸入で耐えてくれた、遺影を見ながらただただ感謝申し上げた。合掌。
4月3日(日曜日)
今朝の父の症状は、安定し6時半病院から退出。24時間スーパーで食材を買って帰り、明日届く引っ越しの荷物の受け入れ準備。シャワーの後少し就寝。30分ほどしか眠れずホームページの原稿を書く。早く父の病院に行かなけばと思うも、空腹で「得々うどん」さんで腹ごしらえ。車は父の常用していたライトバン。カーステレオはカセットテープ対応。マイルスの「1985」「ライブアットカーネーギー」を演奏。カセットテープは10巻ほどしかストックがない。マイルスのジャズは高度な進行法を使っているので、聞けば聞くほど凄さがしみわたるはずなのに、今日はイライラが募るだけ。父の病室では脈も安定してるので、出直して来ると告げ、母の病院へ。14:00退院の手続きを取って荷物を車に運ぶ。母は家に帰るのを楽しみにして待っていた。酸素ボンベも積み込み出発。慢性腎不全の母は食事が特殊。それで、南国市のスーパーで今夜の献立用の食材を購入。レシピは、クックパッド。買い物を終えて車に帰ると、父の病院からの着信履歴。15:00。急きょ引き返しが必要かな?と返信すると、院長先生が出てくれて、1分前に残念ながら亡くなったとのことだった。僕が訪問してからの1時間半の急変。先生も、私ももう仕方ないねと言う感じだった。死力を尽くしてくれたのだ。死に目には会えなかったが、もう何度も意思のない父を眺め続けたから僕には十分だ。それに楽しみしている母の都合もあって、僕にはどうしようもない事情もあったから父も理解するだろう。と勝手に判断。電話リストに基づいて、次々と電話を入れた。帰宅後、食事の準備。親類のおばさんが駆け付けてくれて、調理方法を伝授。「おまん、ようこんなハイカラなもんがつくれるねぇ」と感心された。葬儀屋の手配する霊柩車と同時着。父の部屋は大きな器具もなく、呼吸器の音もなく、広々と、そしてひっそりとしていた。約1カ月、この集中治療室で僕の帰宅を待っててくれたのだ。「おまんが帰るまで、なんとか田畑をまもらな行かん」生前何度も言っていたが、確かに僕が帰るまで生きててくれた。ただただ感謝だ。日曜日の午後、静かなはずの部屋で僕の脳裏には人工呼吸器の音がまだ響いていた。安芸市の葬儀屋さんで会いましょうと、霊柩車の運転手は先に発った。道中は天の神様がお怒りになったかのような、バケツをうつすような土砂降りの雨。葬儀場は、おばさんと、従兄の嫁が来てくれた。ここで一夜をあかしてくれる。僕は母の面倒見があるので、父に付き添って泊まれないのだ。帰宅すると、母の便が匂う。小さな母だが持ち上げるのは骨が折れる。パジャマやおむつを交換。電話に怯えた日々が終わるものの、今度は毎日これが続くかと思うと、脳裏に暗雲が垂れさがった。22:30やっと自宅で就寝。1:00見回り、問題なし。3:00起床問題なし。週報を仕上げ、前の仕事に決別。
4月2日(土曜日)
病院なのに、ぐっすりと寝てしまった。疲れていたのだろうか?父の部屋に上がると、看護婦さんが変わりないとの報告。心電図モニターもきれいな波形に戻っている。時々乱れると、昨晩と同じ波形。尿の出も良くないが点滴も減っている。瀕死状態にある父を見ていると、思い出すことがある。父はあまり意思表示を明確にする人ではなかった。たぶん養子として来たので、その分際をわきまえていたのだろう、それが祖父、祖母も亡くなった後も習いぐせとして定着したのかもしれない。もしくはもともとの性格だったのかは不明。ともあれ、息子としては父のことを言葉に置き換えることができる程十分に理解していたのか不明。父が今まで語って来たことを思い出しながら、咀嚼してつなぎ合わせて一つの言葉として記憶に残すことだろうな。自宅に帰り、大工さんの改修工事の見積書を頂く。介護ベッドの納入を受け入れる。午前中はこれで埋まった。午後、父の病状はまだ余裕があると思って、自転車で出かけた。向かい風が強く往生した。糖分不足を感じて、マックシェイクLストロベリー。病院に到着した時、丁度院長先生と出くわした。先生曰く、今晩が山だろう。御礼を言って、急いで病室にいる看護婦さんに、「また、今夜も泊めてください」とお願いをして、出直してくると告げた。帰りも向かい風。どうも味方が少ない。おじさん宅に寄って葬儀の段取りなどを相談した。帰り着いてシャワー、着替え、洗濯物の取り入れ後今度は車で出発。「ネレウス」で豪華な幕の内弁当。病院に到着、状況変化なし。親族用のベッドを案内いただいて20:00就寝、21:30再び訪問し、異常のないのを確認。0:50電話で呼び出しを受けて、病室に上がる。心電図モニターは今まで見たことのないような脈拍を打っている。先生が駆け付けた時は、又、元の状態に復帰。しばらく待機していると、看護婦さんが、もう落ち着きましたからと告げてくれた。父の心臓と同じように、僕の精神も大きく起伏していてなかなか寝付けない。明日は午後14:00母の退院。その後食事の世話、18:00再び父の病院で泊まる。このように旨く行くといいのだが。
4月1日(金曜日)
家の改修に太夫さんと鎮守の打ち合わせ。JA土佐安芸の職員と、ガス給湯器設置の打ち合わせ。母の退院後の酸素ボンベ、吸入器の納品受け入れ。水洗の為のトイレの汲み取りと清掃。前に住んでいたエバーさんに住居の連絡。おじさんに父のその後の状況連絡。そんなことをしていると、とうとう夕刻5時になってしまった。父の見舞いは明日にしようと勝手に決めた。風呂からあがって、自分の部屋に入ったのが午後9時。丁度その時に電話が鳴った。父の具合が良くないので至急来るようにと。慌てない、慌てない、ゆっくりと歩いて駐車場へ。運転も慎重に。夜の交通量が減った時間帯だが、結局1時間も要した。病院に着くと守衛さんが、すぐに4階に上がるようにと。父の寝ている集中治療室では看護婦さんが、「状況は落ち着きましたので大丈夫です」とのこと。だが、手はむくみ、尿の色はこげ茶色、心電図モニターの波形は3脈打つと不整脈1脈。先生曰く、肝臓も腎臓も末期的状況。22:30ベッドの隣の椅子に座っていると、いつのまにか寝てしまい、頭を壁にぶつけた。看護婦さんもこれはいかんと判断したのか、家族控室のあるベッドに案内してくださった。窓のない部屋で、音もない。電気を消すと真っ暗だった。
3月31日(木曜日)
勝負の行方
午後3時半から、高知高須病院で、看護のかた、病院の方、ケアマネジャー、デイサービス、介護機器のレンタルやさんの総勢で、母の退院に際して、行うべきことの打ち合わせ。その中で、特記事項の1つは、母は午前2時にトイレに行くので、それに付き添わなくてはならない。母の近くで寝て、トイレの度に起きなければならないと言う事。夜も拘束されるらしい。自分の部屋で寝るわけにはいかん。2つ目は、ヘルパーさんの応援がないので、食事、トイレ、洗濯、透析通院の送り出し、迎えと完全看護を行わなければならない事。3つ目は、酸素吸入を行うため、携帯用ボンベを頻繁に注文しなければならない事(ストック数の増大を申込中)。3つ目は、透析ノートを読んで、食事や飲み物などの制限や要望事項の対応を行わなければならないこと。こりゃ大変。母が先に逝くか、僕が病気で倒れるか、そんなことが、4月3日の母の退院以降待ち構えている。それに、集中治療室で手当てを受けている父の病院も見舞いたい。この先どうなるのだろう?朝7時過ぎに大工さんの訪問。僕の住む倉庫の屋根に穴が開いている話。屋根の吹き替えが必要だと。これも大変。高知の病院に行く道中に、チューリップ園があり、そこでしばし撮影。見ごろは少し過ぎていたが新芽を選んで100mmマクロレンズで撮影。父は相変わらずの昏睡状態。滞在時間少なく退散。そして上の件。その後プールで1,000m。今日がこのプールは最後。村役場の責任者が入り口でネクタイをしめて、来館者に挨拶をしていた。夕飯は、友人を招いて、僕の手料理で一献。美味しいと太鼓判を押してくれた。これで、東京の美人たちをお招きしても、堂々と食を楽しめる自信ができた。
3月30日(水曜日)
物心ついた僕の人生の中で、初めて拘束のない自由な時間がやって来た。これはよっぽど、自分自身をきっちりと制御してないと、糸の切れた凧のようにどこかに飛んで行き、自分を見失ってしまうような感じがする。生き方の基本は「地道な、地に足のついた、一歩一歩確実に先に進む。昨日よりも今日が最高」そんな生き方が僕にはあっているような気がする。それに先じて、快適な生活のために、「食べ過ぎない、洗濯、掃除を欠かさない」を基本としよう。部屋の汚れは、犯罪でも犯したように頭の隅にこびりついたまま、脳裏を離れない。そこをクリアーするとたとえ古い家でもすっきりする。そして、この上に次の5点がのしかかる。1.英語の勉強(田舎の片隅で必要性は無いが)60分。2.読書60分。3.書籍の整理30分。4.映画、音楽120分。5.母の介護(食事の支度を含めて)180分。そして、ゆとりができれば、6.田畑の整地120分を加えよう。そして、さらに、農業で収穫するために、120分の追加が必要だが、これは、もう少し先に伸ばそう。1-5をroutine
work化して、身体に覚え込まさなければならない。こうして、何かに拘束されている方が僕にとっては生き方が楽になる。夕刻、常連の脳梗塞を患ったおじさんとプールで話した。この先どうやって健康を維持して行こうか?常連のおばさんと話した。股関節の手術をして調子が良くなった。先生もこの回復ぶりにはびっくりしていたと言う。ここでのリハビリが功をそうしたのだろうとおばさんは分析する。このプールは3月31日を持って閉館するのだ。常連客は悲観に沈んでいる。
3月29日(火曜日)
父の具合は、睡眠剤で眠っているとのことで、時々薄目を開けるが、気が付いてないらしい。呼吸器は震えていて(口が震えている為)辛そうだ。僕が帰省するまで頑張って欲しいと思っていたので有難い。晩年は、何もしない父であったが、金庫を漁っていると(泥棒ではない、整理のために)領収書があったので、発行元で確認をすると、地震保険だった。母屋のボロ家は全壊すると、新築になるようだ。高知県は、東南海地震に怯えているが、きちんと手を打っていたのだ。30年契約で、僕の生存中は、これで護ってくれるのだ。父はリスクを取らない生き方をしてたと思ったがいたが、本当にそうだった。父にはかなわない。その理由はここにある。父の父、つまり祖父にあたる人は、久吉さんと言って、浜の部落では知的人種だったらしい。高知の片田舎で朝日新聞を購読していて、周りからそれとなく尊敬を受けていた、父から聞く。父の兄弟は四人で、祖父の頭脳を受け継いだのは、間違いなく僕の父。だが、僕には、その血は流れず、息子や娘にも確認できてない。(次の子孫に託そう)。かなわないのにはきちんと理由がある。昼飯に一旦病院を出て、音楽喫茶を探して入った所は、洒落た感じの店で、音楽は無かったが、あまりにも明るい高知の中で、薄暗くて落ち着けた。注文した料理が出てきて、添えられていた紙のナプキンには「現代企業社」と印刷されていた。昔、学生時代、タバコの吸える喫茶店として、クラシック専門の「田園」「皇帝」(いずれもBeethovenの音楽タイトルから来ている)があったが、そのスピリットがここ(ファウスト、今度は哲学で来た)で息づいていた。現在のこの店には、禁煙席と喫煙席があった。勿論禁煙席に着いた。音楽がないので、iPodでEric
Dolphy/Last Dateを演奏した。JAZZ雑誌の名盤評価。僕には少し前衛過ぎて難解だったが、聴き続けていると、South Street
Exitは、ノリの良さが途中から出てくる。やはり名盤と言われているだけはあるな。ジャケットは間違いなく一級。幾つか前衛的な音楽があり、それを飛ばすと素晴らしい世界が待っているアルバムだった。病院に帰ると、院長先生から話があった。人工呼吸器は2週間しか装着できない。次は気管切開で呼吸器を付ける。腎臓は回復したが、黄疸が出ている。肝臓は非常に悪い。覚醒した時でも、もう反応はないとの事だった。
<羽田空港で頂いたホー¥1150ベトナムの14倍>
3月28日(月曜日)
引っ越し
朝一は、大工さんがやって来た。洗濯機を取り出すためだ。ドラム式はサイズが大きいのでドアを取り外して、洗濯機設置部屋に入れたのだ。同時に、JCOMさんも来て、インターネットを切断。清掃をしながら、次々に梱包した、随分と部屋が片付いた。高知から送った段ボールは丁度の数で、僕のグッズを包んでくれた。夕刻、船橋最後だ、思い切って飲むぞと勇んで出かけたが、はて?何を食べる。自炊が主な私は、行きつけの店がない。結局、通りがかりの回転ずし屋さんへ、その名も「回転ずし」。生酒を一杯だけで、これ以上進まなかった。一人で飲みに出かけると、大概こんな無残な結果となる。TVもBDも仕舞ったので、夜はどう過ごそうか?そうだ、このためにBDが再生できるPCを買ったのだ。「反応が、遅すぎる」数枚未梱包だったBDから、「ナルト」を選択した。徳島県の鳴門とは関係ない、アニメ映画。裕福な王子様を護衛するガードマンの物語。悪と戦うエネルギーは、気力が源泉。ドラゴンボールのサイヤ人のように特殊な人間になり代わるわけではない。とにかく気力だけで、パワーのある悪と互角に戦うには少しつじつまが合わないように感じる。(ゲームオタクではないのだが)でも、サイヤ人の「そん ごくう」のように、ナルトも最後のパワーを振り絞って戦うときは目の色が変化していた。この辺あたりはパクリかな?ナルトが護衛した王子様は、父を殺され、自身も殺されかけるところで、やっと人の上に立つとはどういうことか目覚めた、教訓的な暗示もあり、副題をきっちり描いていたわけで評価。船橋で過ごした一年半は、つらいことが多く、安息の日が少なかった。アリスの「遠くで汽笛をききながら」の心境ですね。次に期待しよう。
3月27日(日曜日)
ネクタイよさらば、だったんだが。
今日はイタリアの高級ネクタイをしめた。このネクタイの寸法は長く、僕の身長と丁度同じ長さだ。吉本新喜劇の池野メダカがこのギャグを使って受けたが、意外と真実だった。今日が僕のサラリーマン(もうネクタイをしめることはない)生活最後の日。ゆっくりと過ごそうと出勤。ところが、とんでもないことが待ち構えていたのだ。今日はこの試聴室でイベントが開催されると言う。そのため、お子様向けの話の準備をせなあかんし、選曲もせなあかん。時間のゆとりは掃除を含めて1時間。シナリオを頭のなかで考えて文字に書き起こす作業30分。実際に音楽をチェック10分。小道具を揃える10分。寒いのに冷や汗をかきましたよ。そして最初のお客様は、何とS社のアナログプレーヤーPSHX500の設計者の親子。僕もこの商品に強い関心を持っていたので伺った、高級オーディオのLINEOUTから、ソニーのICレコーダーPCMD100に録音するのと、PSHX500で録音するのとどっちの音がいい?プレーヤのほうが音質調整してあるので、優秀とのことだった。それに、このプレーヤは音楽を演奏しながら録音したほうが、より音質は優れているとのこと。なるほど!設計者に聞けばいろんな面白いことが分かる。それは、当社も同じですね。まぁその話を理解できるスキルが必要なんですが。ということで、最後の日は、ゆっくりするどころか大忙しだった。昼飯もコンビニのカップヌードル。TFTビル内にある「加賀屋」の幕の内弁当1,980円で〆ようかとの計画はとん挫。夜、新宿伊勢丹でイベントを行っているメンバーと合流し懇親会に参加。その前に、Diskunion
Jazz館でLPレコードを物色。何とここはJBL4344でJAZZを流している。ココガマエが良い。それに、針音のチェックの為、試聴が可能と至れり尽くせり。(モニタープレーヤーはSL1200mk4)Speak
low、 Crifford Brown 、Lee Morganの3枚を買った。特にクリフォード・ブラウンは若くして亡くなっているので、アルバムが少ない、機会があれば即買いだ。それに180gの重量盤だった。懇親会には大阪から社長が来てくれた。話を伺っていると、何やら事業拡大の話が出ている。それやったら、僕も仲間に入れて(すぐじゃないけど)と頼んだ。父も母もいない、高知の広大な屋敷で一人過ごすのはあまりにもつらい。またまた計画変更?
3月26日(土曜日)
本来ならプールの日。だが、昨晩は所用で遅くなり、短い睡眠時間だったので、今日は中止。高知に帰る前は、遊びまくるぞと昨年に計画してたが、年明けから、とんでもない修正計画を迫られている。そんなこととは関係なく、朝の問題は、牛乳がない。(井上陽水の「傘がない」参照)近くのコンビニに向かうと、雪がちらついていた。寒いわけだ。冬に逆戻り。手先は凍えた。一方で、職場では心温まる、美人の面々に色紙を頂いた。メールアドレスありの、僕のお誘いをけったお詫びとか、多々あり。僕もお返しの文面を書かないかんと、帰宅後荷物の整理の後書き始めるも、起承転結が結べず、時間切れでこの日は断念。寝ている間に構文が熟成できればいいなぁ。東京での生活は長いようで、あっという間の1年半。両親も自分の体が旨く動かないあんな状態で、僕の上京を許可してくれたものだと感謝だ。この時間がなければ、もっと狭い生き方をしていたかも知れない。この一年は僕にとって不可欠のものだった。例えば老後に楽しむ思索を十分練る時間を与えてくれた。特に多くの時間を費やすであろう音楽への接し方の発見は新鮮だった。必要に迫られた英語は進歩しなかったが、新聞はどの記事もなんとか辞書の助けをかりて読めるようになったし、LPレコードのライナーノーツが読めだした。人生設計の予定からは大幅修正を余儀なくされた60歳からの生活。寂しいが、一人で生きてゆく絵を描く時間もあった。そして、まぁ僕の人生はこんなものではないかと自分に言い聞かせることもできた。
3月25日(金曜日)
さらに寒さつのる。我慢できず、カッパの上着を羽織って出勤。どうも昨日飲んだ、キリンの新製品のミルクティーの影響が残り、胃の調子が良くない。三分の一位は捨てた。捨てる時の液は真っ黒で、こんなのを飲んでいたのか?どうりで、容器が透明でない訳だ。nanacoの失効ポイントが近づいていたので、何気なく買ったから失敗した。ところでnanacoのポイントは、そのまま現金の代わりとして使えないのを知っているだろうか。一旦換金しないと使えない。この会社にして不思議な現象。イオンのカード「WAON」は、支払いの時に、確認ボタンを押さないと使えないのは、この会社にして当然か。昼食時、余りの寒さに、一番近くのサイゼリア。ほうれん草、グリーンピース、スパゲティを注文。先に、ほうれん草とグリーンピースが来た。「注文は以上ですね」とさっさと行ってしまった。「まだスパゲティが残っているぞ!」と言いたかったが、その子はもう居ない。先にも書いたが、サイゼリアの接客のマネジメントは徹底されている事が判った。「客には適当に対応しろ」何故なら、そんな人材は採用してないからだ。接客は低価格メニューの代償としての交換条件なのだ。まぁそんな面では凄い経営と思う。揚げ足取り人間は嫌味な人間だと自覚してはいるがついつい口に出してしまう。社内の色んな人に最後の挨拶をして回った。僕のサラリーマン人生は、小田急ハルクのNationalショウルームに始まり、Panasonic東京ショールームで幕を閉じる。よく出来たシナリオではないか。インドの映画に「幸せのお弁当」があって、よくしゃべるいい加減な若者に、主人公のおじさんは翻弄される。その会話の中に、この若者が母から教わった言葉を話す。「間違えた列車に乗っても、終点は同じだ」そんなに有名な映画で無かったが、何故か印象に残った。その格言が、いま、丁度記憶の底から浮かび上がって来た。
3月24日(木曜日)
冷たい雨
業務連絡で仲間から連絡が入る。電話機が震えるたびに、 (病院から悪い知れせではないかと、寒さのせいではなく)震えあがって、次に仲間の表示を見てホッとして電話機を取る。アウシュビッツに閉じ込められていて、呼び出しを待っている心境に似ている。後任者に引き継ぎの主な部分は紹介し終えた。残りは、お客様と音楽の話題になることが多いが、こればかりは難しい。個人の生きてきた文化に関わるからだ。SL-1200GAEが発表された。夕刻商品を展示した。イーグルスのホテルカルフォルニアをLPとハイレゾとを比べてもらったが、甲乙つけがたい評価。今週は時間の経つのが遅い。60年間の人生の中で最長だと思う。早く仕事を終えて高知に飛んで帰りたい。荷物の片付けは順調に進み、メインの部屋は、椅子も梱包し、プリンター、スキャナー、机のみとなった。着るものは、通勤用のスーツ、作業用のGパンにトレーナー。こんな寒い日にスーツだけの通勤は些か厳しいが、着るものがないので仕方ない。気持ちが萎えている上に、寒さが追い打ちをかける。先日高知で過ごした時、支えてくれたのは、洗濯機と掃除機と書いたが、もう1つは石油だった。高知では、ストーブをガンガンに焚き、暖かい部屋で心が安らいだ。毎日電話に怯えているので、明日に残るものは買えない。その日に消費するものだけ買っている。その中で料理に成功したものがある。ナス、ウインナーソーセージ、ネギを梅酒とだし汁で炒めるものだ。出来上がりは、梅酒の酸味と甘みがナスに染み込んでなかなかの出来だ。美味い出来上がりの時は父に食べさせたいといつも思う。それを肴に酒を飲む父の姿が浮かんでくる。だがもう叶わぬ夢だ。僕の持つ幸せの柱が今年になると、どんどんと剥られてか細くなっている。いつか箸一本くらいの大きさになって、ポキッと折れるのではないか?と不安になる。
3月23日(水曜日)
久しぶりの仕事。朝一から、いきなり当社幹部と欧州からのお客様対応。しばらく使ってなかった英語の出番だ。すらすらと行かないので焦った。日々努力、たゆまぬ自己研さん。僕の習い事は3日坊主ではないが、今回のパニックでは、少々お休みをした。不可抗力だとしようと自分に甘えていたら、仕返しを受けた気分。併せて今日から後任への説明。お世話になったショウルームの美人たちへの挨拶。田舎の婆さんばかりを見て来たので、まぶしく映る。見飽きて色あせることはない。若さはいい、元気を貰える。高知の旧式のオーディオ・システムばかりをしばらく聴き込んだ耳には、やはりテクニクスのハイレゾはパースペクティブが良い(評論家はこんな表現をする、音場が広がり展望が効くと言う意味)午前中に耳の洗濯を済ませた。右耳は耳鳴り、左目は黒点の老化現象があるものの、先鋭テクニクスって感じだった。昼食はしばらく行ってなかったインド料理店。何と100円アップの1,000円だった。午後から急に疲れが出て来て、リポビタンDのお世話になった。何で疲れているのだろう?暇な時間を見つけて私用物を区分けして持ち帰った。帰り食材の購入に立ち寄った近くのスーパーはポイントがたまり、ホタルイカのボイルを買っても、まだポイントが残っていた。nanacoも700円強のポイントが今月末で失効する。3月はいろんな意味で決算の時だ。
3月22日(火曜日)
父の入院する岡村病院から電話があり、献血をするが良いか?と確認。了承を伝え、尿の排出について尋ねると、無事出ているとのことで、本日の帰省はとりあえず延期となった安堵のため息が出た。でも猶予はないので、今日一日も引っ越しの荷物づくりに費やした。電気、ガス、水道の中断の申請。一番対応が悪いのは東京電力。引っ越しに関する問い合わせは、電話応答から得られない。停電に関するお問い合わせから入る。一寸難しい思い切りの選択が必要。しかも電話対応の「福田」さんは、こんなことを言った。「引っ越し後の電気メーターのチェックには立ち会う必要がありません。自由に電気は使えます。」「えっ!今なんて言った?」引っ越した後に電気を使うのかい?だれが使うのだろう?東京は人材不足、頭の悪い人が理解せずにマニュアルを読んでいるから、こんなことになる。その後、ふなばし眼科さん。数日前から、顔の左にハエが飛んでいる。いくら拭っても消えない。ふり向くと消える。左目の少し左側の表面に、黒点が出来ている。目を動かすとこの黒点も動く。定年後は映画や写真を楽しむ予定だが、目がこんな調子じゃ楽しむどころではない。診断の結果、老人の兆候で、誰にも起きるものだ。治療の必要性はありません。エクササイズで体は鍛えているが、目は鍛えてないぞ。ここに落ち度があったのか。片肺飛行機で趣味を楽しむしかないか。石油が20リットルも残っているので、ぽかぽか陽気なのにストーブを点け、汗をかきながら引っ越し荷物の梱包を済ませた。腰痛が激しくなってプールへ。泳ぐと幾分楽になる。帰り道、いつ緊急で帰宅しなければならなくなるかもしれないので、その日に消費できる食料をヨークベニマルで買った。何度も書いたが、この店は鮮度が悪くて高い。満足感は低い。電話が鳴るとビクッとするが、これは東急ハンズから、注文した品物が入らない連絡のみ。CARLのディスクカッターの刃が入荷できないとのこと。高知では手に入らないが、徳島や愛媛の小さな文房具屋にもあるものだが。まぁいいや。
3月21日(月曜日)
朝一には週報を仕上げた。今日はできるところから片づけを始めよう。高知から送った段ボールも届いた。コーナンでプチプチも購入した。おっとその前に、滞っていたラジオ英会話を朝一に聞いた。随分と離れていたので、ヒアリングはもう一年以上前のレベルに戻っている。この頭は、毎日使ってやっと維持できる程度で、ちょっとの油断が大きな後退につながる。テレビはまだ見たいのでそのまま、オーブンレンジは冷凍庫のあまりものを加熱するために、そのまま。東急ハンズで書籍を分解するために必要なCARLのディスカッターのパーツを注文した。高知に帰ると、このようなニッチ部品を探すのは至難の業となるため。そこへ、父の入院する病院から電話。再び、父の呼吸が止まったとのこと。僕が東京に帰るとすると決まって発作を起こす。これで2度目だ。なぜ?寝ている父にわかるのだろう?ホント不思議。今回は尿が出てないので深刻とのこと。明日の午後一で状況確認し、依然として同じ症状なら、帰省しなければならない。その後プールに行ったが、水に浸かると寒くて気分が悪く、戻しそうになったので慌てて上がり熱いシャワーを浴びた。こんなこと初めてだ。体重を測ると、平均より2kg減っている。このまま、泳ぐと3kg減るところまで来ている。自覚症状はないが調子が良くないようだ。寝る前に、中国映画だが、「超強台風」を観た。政府推奨の映画のようで、よくできた市長、人民解放軍の活躍、一人も命を奪われることなく、この台風に立ち向かった感動の映画。最後に、台風は今後ますます大型化し、予測がつかなくなる。それは温暖化がもたらす影響大と結んだ。へぇ、中国政府もこのようなことを言うのか?
3月19日(土曜日)
親類のおじさんに相談したら、トイレと風呂は改造した方が良い、と言う。僕も、母の介護にはこのままの状態で旨くいくと思えないので大工さんに改修をお願いした。ついでに私の住む倉庫の屋根が雨漏りしているようなので、それも一緒にお願いした。こんな大変なときに、更にややこしいことを増やすのか?だが、背に腹は代えられない面もある。午前中それに費やし、午後ホームセンターなどで拾ってきた段ボールを小さく折りたたんで、千葉の家に発送した。引っ越し荷物の梱包用だ。軽トラックに積んで運んだが、途中で大雨に遭遇。車を止めて、段ボールを運転席に放り込み雨宿り。雨は高知市とその周辺だけ降り、ここから逃れればいいのだけど、段ボールが室内一杯で運転が出来ない。約1時間後出発。病院で父に家の改修の事を話したが、あまりいい顔をしなかった。帰って、近くのお宮さんに出向き、家の改修にお払いをお願いした。トイレは業者に言って清掃しておくようにとのこと。準備するお払いの小道具一式の説明を受けた。月末、母の退院と、お払いと、母の受け入れのためのレンタルリフト一式納入などが一度に発生する。サラリーマン生活最後の仕上げとして、千葉から高知への帰りは、名古屋の友人や大阪の友人を訪ね一献を交えた後、帰省と計画していたが、寸刻の猶予もなく、帰省しなければならない。特に炊事場周りの清掃を毎日行った結果、割とキレイになった反面、手が荒れて、人差し指の指紋が消えたためか、iPhoneの指紋認識が機能しなくなった。
3月18日(金曜日)
朝から晴天。後に雨になると言う。高知の雨は、急にやってくる。暗くなったと思ったらすぐに雨。その間僅か2時間くらいの間。農協で父の貯金を下ろした。入院費の支払いのためだ。近所の人に聴くと祭壇の上に載せる物をいろいろと教えてくれたので、土間の倉庫に入って捜すものの、見あたらず。花瓶だけが見つかった。母はこの10年ばかり腎不全で透析治療を受けていて、家の片付けが一切滞っているから、倉庫と言っても地震の後のような惨状だ。紙の空箱と缶ケースが山のごとく出てきた。これを外に取り出し廃棄処分に。余り物の本箱を持ち込み、整理したが、タッパーウェアが50個ほど。徳利と杯が、200個ほど。お皿は300枚ほど。まるで料亭だ。そういえば、祖母の前の時代には、この家は料亭だったとか。それで、もう亡くなった村長さんが若い頃、僕の使った勉強部屋から放尿したとかのゴシップがある。まぁそんなこんなで、この倉庫3部屋の片付けは、定年後じっくりと取り組み直さないと行けない。父の状況はこの日も良く、酸素マスクも半分ほどは外していた。墓堀は自分でしてはいけないとの忠告を近所の人の多くが言われるので、一旦掘った土で埋めてきた。夕食後、食堂を磨いた。僕の成長を支えてくれた場所で、感謝の念を込めて丁寧に磨く。1時間ほどの作業で中断。入浴後「フィッシャー・ディスカウの冬の旅」を聞き始めると忽ち睡魔の世界に誘われた。今日はさしたる運動もしてないのにこの疲れは何なのだ?倉庫の片付けと、食堂の清掃かな?読書と英語の勉強が頓挫していることを気にかけながらも、そちら方面に気が乗らない。私は何処でこの習慣を変更する?
3月17日(木曜日)
本来なら、テクニクスの幹部と送別懇親会の日。1年半の活動のまとめを報告したかったのだが、この時間は確保できなかった。今日は朝からウグイス全開で、西分の丘にこだました。天候も晴天。まずは、御蔵の片付けを行いながら、祭壇の上に飾る置物を捜した。半分見つかったかな?程度。何を置くのか確証がない。近所の人も手伝いますと言ってくれるが、指示しなければ手伝うことは出来ない。何処に何があるのか知っておれば指示も出来るのだが。道半ばで断念。台所の清掃をもう一歩進めた。風もなく、春の陽気に誘われて自転車で出かけた。父の病院まで31km。所要時間2時間(50代も平均時速15kmだったので、まだまだ現役のスコアだった)。その前に、母の入院先から電話。用件は訪問したときに伺うこととする。父の病状は更に良くなり、農協に電話をし、通帳の名義人代行を頼んだ。そのことを父に話すと、まぁ判ったようにうなずいた。次に母の病院へ。用件は一時的に介護施設から、病院へ移動するとのこと。そのために、入院手続きを取って欲しい。まぁ6階から3階への移動なので問題はない。1階の受付で手続きを終えた。再び6階の母の所。祭壇のお飾りについて聞くが、人ごとのような話し方。頭がぼけていると言うが、かなりしっかりしているが、考えること自体が嫌で、ぼけているからと逃げる。まぁそれを含めてぼけていると言うのかも知れないが。帰り道太平洋を眺める海岸で放尿。真黄色な尿。若い頃スキーを楽しんだとき以来の黄色さ。気分は爽快だが体は激しく疲れているのだろう。帰り着いて晩飯は、御蔵の中から出てきた秋田名産の稲庭うどん。賞味期限が2001年だった。密封状態が良かったので試しにゆでてみたら、食べられた。懐かしい腰のあるうどんだった。讃岐うどんは安くて旨い。稲庭うどんは高くて旨い。さて、今夜はJAZZ聴きまくるぞと思いきや気がつくと、針音がプツプツと。いきなり睡魔の世界に堕ちていた。
3月16日(水曜日)
3月初めにパニック状態で帰省した。最初の1週間は、父の病気を伺いに毎日病院に通い、悲しみに暮れてクラシック音楽を聴くだけだった。次の一週間は、父の病状は安定してきて、JAZZを聴き、もしもの場合に備えて、葬儀の準備を始めた。更に次の一週間は、映画を観て、家の清掃を行い、親類を訪問した。と、冷静になるに従って、いろんなしなければならない物が見えて来始めた。これはエクセルで準備物一覧を作成し、パニック状態では何も考えられなくなる自分に対処すべきだと思った。今日は、病院から少し早めに帰宅して、明るい中から、ジュラシックパーク・ワールドを観た。凄い低音が出るとの書評だった。突っ込みがいくつかあるものの、インドミナス・レックス(Tレックスの巨大版)の登場シーンは、本当に家屋が揺れた。超低音はヤマハYTS-1000の本格的なスーパーウーハーだし、SB-MX200Dは低域25cmウーハーをマルチチャンネル・システムでパワーアンプの別駆動だから、低域の瞬発力がかなりいい感じだ。まずは、インドミナス・レックスが擬態を使って飼育場から消えたシーン(どうやって消えたかも吟味せずに)。調査のために、大きな飼育場の中に人間が入る(しかも無防備で)。ところが、この恐竜は飼育場にいたのだ。まさにそのシーンで、インドミナス・レックスの一歩の足音が凄い。パニックを起こさせる恐怖を持っている。この映画は家庭では、最低でもシアター設備を施したシステムで観るべきだ。そうすれば映画の楽しさが倍加するだろう。逃げ出したインドミナス・レックスは体に埋め込まれたGPSを自分で食いちぎり、追求を交わす(普通GPSは後頭部に埋め込むから、自分で食いちぎることは出来ないはずだが)捕捉しようとした警備隊は、麻酔銃(この麻酔銃は、巨大な恐竜を捕獲するには、全くなすすべを持たないひ弱な銃なのが不思議だし、彼等はどうぞ襲ってくださいとのように立ったまま銃を構えるのが不思議)を持って追っかけるが、このために見失ってしまう。そこに、二度目の登場。強襲のシーンは展開が早いので、凄い低域も見逃してしまいそうだが、かなり体が震えるような低音だ。その後も突っ込みと凄い音の迫力で、プラスマイナスをすれば、大きくプラスに針が振れる映画。2時間は自分を忘れる。
3月15日(火曜日)
今日は台所の片付けと清掃。母のきれい好き(近所でも通っていた)は晩年めちゃくちゃとなってしまった。しかし、父の葬儀の時には親戚や近所の人がこの台所を使うだろう。「さすが、さっちゃん(母の名前)だ。キレイにしているわ」と言われるために僕としては最大の努力を振り絞らなければならない。10年間の放置を2時間で回復しようとした(相当無理があるが)。まぁ少しは片付いたかな?感じ。次に娘や息子が帰ってきたときに寝るための布団を日干しして、シーツを洗い、彼等が何とか宿泊できる程度の準備を整えた。次に、父の埋葬する場所は、竹が繁茂していて、草刈り機で切り倒した。午前中フルに働いた。昼飯を食ってから、父の病院に出かけた。相変わらず人工呼吸器を装着していたが、明日は外そうか?と先生が言っていた。この3日間は薬で眠っていて、頭が呆然としているせいか、僕も、先生も認識できなかった。しばらく様子を見て退散した。帰り際、夕食や日用雑貨の購入をしながら、段ボールを集めた。この段ボールはまとめて千葉の自宅に送り、荷造りするためだ。向こうでは一日で荷造りを終え、こちらに帰ってくるあわただしい日程が待っている。芸西の自宅に帰り着くやいなや、墓堀を進めて、午後5時に中断した。簡単なつまみを作って、庭先で芸西村の風景を眺めながら、本当はウォッカを飲むべきだろうが、バーボン・ウィスキーを飲んだ。音楽はリムスキー・コルサコフのシェエラザード、指揮はワレリー・ゲルギエフ、キーロフ歌劇場管弦楽団。この人の演奏が一番良い。気持ちよい高域が吹き抜ける。少し寒かったが、ダウンを着て風に吹かれて酒を飲んだ。ものすごく気分が良かった。その後、離れに移動し、2013年東京ジャズを80インチのシアターで見た。いきなり八代亜紀が出てきて艶歌流のジャズを披露した。だがなかなか良かった。桑原アイのピアノは非常に過激で、刺激的。上原ひろみもじっとしていては抜かれるぞ!若手がベテランを追いかける姿は好ましい。この日記を打ちながら、隣のPCでミーシャマイスキーのバッハ無伴奏チェロ第3番を聞いた。これはCDでも発売されている名演だ。1991年僕はたまたま、これをVHSに録画していたので、こうしてDVDに変換して残っている。BACHは、何かをしながら聴くのに最適な音楽だが、特に無伴奏チェロ(バイオリンもある)は、その中でも絶品だ。この音楽を世の中に広めたのは、スペインのパブロ・カザルス。その昔、テクニクスは彼の演奏する「鳥の唄」をCMに使った。これも世界的に名演の評価だが、CMも評価が高かった。
3月14日(月曜日)
朝一から、母屋の座敷と続く部屋の清掃。後祭壇を持ってくればよいように仕上げた。丁寧に掃除機をかけて拭き掃除を行えば、何となく掃除してあるぞと見栄えが良くなる。次は台所だが、明日に回そう。台所は食器や鍋釜が所狭しと、流し台の上の棚にのっかっている。使わないものを流し台の下や、外の食器棚の上に並べればぐっとシンプルになる。11時、近くのカッパ市場に買い物に出かけた。フルーツトマト、土佐文旦、鰺の干物、ちりめんじゃこ、バジル、ネギ。安価なのと、新鮮さが売り物だ。ネギなんか、まだピンと立ったままでも、1日繰り越せば半額の50円。千葉ではもっとしおれたのが198円だ。毎日昼飯を外食していたので、今日は干物を焼いて、ネギとバジルを湯に通し、ぬたで頂いた。この3年間の間に料理の腕を磨いたのが幸いして、どんなものでも、自由に旨く調理できるのはホントにありがたいと思う。料理の味を磨いてくれた母に感謝だ。病院に着くと、以前父は人工呼吸器につながれたまま。反応なし。病院を少し抜け出して、帯屋町の金券ショップで株主優待券を購入し、K’sカフェーでコーヒーを飲んだ。(サークルケーのコーヒーで、瀬戸物の器に入れて210円の価格で提供)。シューベルト ピアノソナタ18番と21番を伊藤恵の演奏で聴いた。18番の第三楽章は良くないと言われているが、どうだ?と書き込みがあった。ヴァレリー・アファナシェフ(ピアノ)の21番が良いともあった。アップルミュージックでチェックすると、何ともスローな演奏。でも、味わいのある弾き方だ。伊藤恵と甲乙付けがたいので、こちらもダウンロードした。何とも優雅な充実した「午後のお茶」だった。母の病院では、今度は一転、ここはみんな親切でずっとココにいたいと言い始めた。自宅介護が限界に近づくと、ココにお世話になろう。離れのシアタールームでバットマン/ダークナイトの一部を見た。ヤマハのYST1000が旨く仕事をしてくれて、映画館のような迫力が出るようになった。
3月13日(日曜日)
父の埋葬する墓を掘った。祖父の眠る裏の蜜柑畑だが、もう蜜柑は枯れてない。竹が一面覆っている。だがまずは、ここに来る道の整理。草や倒木を小一時間費やして片付け、やっと墓地に到着。これは、普通、墓は近所の人に掘ってもらうのが習慣だが、何としても自分の手で掘りたかった。50cm×100cm深さは50cm。今日は周りの片付けもあったので、5cmくらいしか掘り進めなかった。腰が痛くなり断念した。母の喪服を捜し車に積んだ(もしもの場合は、母は病院から葬儀場まで駆けつけることになるからだ)。今日の昼飯は、南国にある現代企業社の経営するレストラン「ネレウス」だ。この会社は僕が高校生の頃、喫茶「田園」や「皇帝」を経営していて、クラシック音楽が聴ける喫茶店だった。そうそう、タバコが吸える喫茶店でもあった。今はもう無い。高知にクラシック音楽は合わないのだろう。父の具合は、心臓の鼓動が100を超すようなカウントをしており、不安定になっているように感じた。人工呼吸器は装着したまま。父は今年になり、どうして僕を何度も呼び寄せたのか解せなかったが、どうやら、近くにいて欲しいのではないだろうかと思うに至った。今度の上京は、3月20日を予定しているが、丁度このタイミングで、再び病院から呼び出しがあるのではないかとヒヤヒヤしている。次に、母の所を訪問。喪服を渡すと、「父の葬儀にはよう行かん」と言い出した。それもそうやな、無理して出かけて調子を悪くされたらえらいことになる。と考え直した。病院のスタッフには、母が家に帰りたいと訴えていると聞いた。もう少しの辛抱だ。と言い聞かせるが、理解したのだろうか。自宅は病院のようにフラットでないので、お世話が大変になるのだろう。音楽どころじゃないかもしれない。帰るやいなや、葬儀は式場で行うとしても、自宅にお骨を持って帰るので、見苦しいままではまずいだろうと母屋の片付けを始めた。やればやるほどあれもこれもとすることが無限に広がる。今日はこれだけにしておこうと時間を見計らって終えた。次は離れのシアタールームのアンプ設定だ。マルチ・アンプシステムなので、パワーアンプが3台必要。ウーハー用にSE-A5。中高域に、SA-DX930。このアンプはディスクリート6chアンプを持っているので、4ch分を使いマルチアンプとして使ってはどうかと、昨晩思いついたわけだ。これは大成功。これで、我が家は当面4つのシステムが稼働することになった。一つは46cmウーハーのシステム。一つは、ビクターSX-500を使ったAVシステム。一つは上記のシステム。最後に、PCからの音声を、RX-PA7に接続している。気分と使える時間に依って選択しよう。
3月12日(土曜日)
朝の散歩の時、近所のよしみち君に会った。葬儀のことについて聞いた。岡村の同じ先祖様の一員だから、しきたりに詳しい。「教えちゃうが、決めるのはおまんぜよ」とコメントを頂いた。父の葬儀の時はどうせお世話にならんといかんから、時間のある間に準備を進めておこうと思った。考えてリストを出せば、母屋の片付けとか、することがごまんとある。それで少し出発が遅れたので、昼飯は外食。芸西村の風光明媚な海岸にあるインド料理店でカレーを頂く。2月の寒いときにインドに行ったことを思いだした。インドの北部は、朝夕は結構涼しく、地平線に沈む夕陽が印象的だったのを思い出した。あまり言いホテルが無く、旨くないカレーを食べた。父の具合は昨日の夜よりも良い。身体モニターでは(多分心臓の鼓動だが)、まだ多少暴れがあるものの、振幅が少しだけ大きくなっている。黄色のグラフは指先での測定データー、振幅が回復時と同じくらいある。睡眠剤で眠らされている。人工呼吸器を装着するとつらい為だと先生が言っていた。病院を少し抜け出して、LPレコーの店に再び行った。ウェイン・ショーターのスーパー・ノバを購入するためだ。前回購入するのを迷ったが、JAZZ喫茶「木馬」で読んだ書籍では、彼の代表作として最高の評価をしてたからだ。もう一度父を確認してから、母の病院を見舞った。パジャマがまだ足りないと言われたので届けた。父の具合を伝えたが、自己中の母は父が自分のことを心配しよるだろう、と言う。「もうそんなことは考えられんようになっちゅうが」。と、言い聞かせた。そうそう、もう一つ。先日2回(2日間)自転車で病院訪問した影響で尻の皮がはげて痛いのなんの。皮膚科を訪問。汚い穴を先生に向けるのは恥ずかしいが、この痛みには替えられない。薬を塗ってもらったら急に痛みが引いた。自宅に帰り、気になっていた、BDレコーダーの音声出力をPCMに設定変更して、テクニクスSU-D100のデジタルインに接続すれば音が出るではないか。気をよくして、離れにあるビクターのSX500を持ってきて接続した。このスピーカーは多少高域寄りの音質だが何とか楽しめる。リー・リトナーのライブを見るつもりだったが、9時前に急に眠くなりダウン。
3月11日(金曜日)
父と母、祖父と祖母は頑張って働いて、土地を少しずつ増やした。先祖からある土地を守るのが、家長の勤めと、たいした病気もせずに働いた。僕には兄弟がないので、土地を分けるとかややこしい問題は一切無い。そっくりそのまま、僕のものとなる。だが、それでも問題は残る。何処に土地があったのか不明なのだ。幼少の頃畑仕事に連れて行ってくれた記憶だけが、土地の領有権を示す手がかり。特に山林は、境界が岩や巨木であったりして、もう記憶は残ってない。早春の竹藪にタケノコを堀りに行った所は確かに我が地だ。はて、それは何処の谷だったのだろう。昔は山の裾まで誰かが耕作していて、道もあったが、今ではその道は草に覆われて存在しない。今では、GPSで印を打っておけば明確だが、昭和の時代にはそんなものがなかった。今日の父は、昨日よりも少し良くない感じだった。母に土地のことを尋ねると、頭が混乱してはっきりと判らないと言う。もう少し早くこの作業をやっておけば良かった。取りあえず飛行機のチケットを買って、明日は東京に帰るぞ。そして、今晩はJAZZ聴きまくりの計画を立てた。いや、その前に、PS3のファイナルファンタジー8(500円)を買ったので、ゲームを楽しむぞ。風が強く、自転車での往復70kmは少々きつかったが、気持ちの良い運動だった。飯も旨いぞ。午後6時に自宅に帰り着いた途端、父の入院先から電話。呼吸が止まったので至急来て欲しいとのこと。昨日、先生は月末までは大丈夫だと、検査結果をふまえて説明くださったのに。一転真っ暗闇だ。先生曰く、一時的にでも呼吸が止まったので、意識が戻るのか不明だと言われたが、先生が父の肩をたたきながら目を覚まさせると、認識をしたので、多分大丈夫だろう(植物人間になる可能性)とのこと。隣のベッドでは、父と同時刻に同じ症状を起こし、家族の方たちが詰めかけていた。こちらは、先生の認識をしないので、植物人間になる可能性は高いが家族としては、次の発作の時どうするのか決めて欲しいと聞かれていた。ともあれ、父の症状は落ち着いてきたので、午後9時に失礼した。もう今日は夕食を作る気力もなく、ジョイフルで味気ない卵雑炊とサラダとビールのようなアルコールのない飲み物を注文した。今年になると何度も父に呼び出しを受けた(正確には病院からだが)。正常な頭であったときの父はそんなことを要求する人ではないので、意識がないとはいえ、この要求の奥には何があるのだろうか?ずっと考えていたが、思い当たる節がない。冒頭に上げた資産の引き継ぎとかではなく、何か精神的な想いがあったのだろうと思う。言ってくれない以上僕はそれを探し出さなければならない。難解なキース・ジャレットのケルン・コンサートを聴き、解を出すような作業だ。
3月10日(木曜日)
朝一番にケアマネさんと、施設の看護師、介護機器のレンタル屋さんがお越しになり、母のケアについて相談を行った。一人で部屋に上がれないのを前提として、車いすのまま部屋の高さまでリフトで持ち上げる機器を導入するのが一番のポイント。やせ細った母といえども、一人でかかえるのは厳しいのだ。次にトイレまで歩けなくなった際を想定して、ベッドからポータブル・トイレへの移動方法などに、手すりを取り付ける方法など、結構介護用品のレンタルは細かい配慮のある商品が提供されている。帰られた後、リフトを設置するのに、足場が狭い指摘があったので、ビニールハウスの廃材を使って足場を作った。返す刀で、父の入院する病院へ向かった。先生との面談だ。父は酸素マスクを外しており、「のけてもかまわんか?」と聞くと、「月初めなのでのけてもよい」と訳の分からんことを言った。まぁ回復していることに感謝だ。先生は、食事や方向は相当ハードルが高いというものの、東京に帰ってよろしい。とのお墨付きを得た。顔の腫れは原因が不明で、非定期的だから、ずっと先は不明だがとのこと。とにかく、ここまで回復するとは奇跡的だと言われていた。スタバ(高知にもやっと来た)でコーヒーを飲みながら会社に連絡して、3月16日から出勤することに決まった。返す刀で母の病院によって、母に父の病状を伝えるが、自分のことにしか頭が回らず、父は自分のことを心配しよるだろうねと言うのだ。僅か3m先にあるトイレにも行けず、再び車いすに抱え上げて連れて行き、パンツの上げ下げなど、もう介護専任で付いて介護しないと行けない状態なのだが、自宅に連れて帰って大丈夫かな?ケア・マネージャーさんに言わすと、程度に応じて方法がありますと言われる。(かなり自信があるようなのだ)しばらくして退去、おじさんの家に父の状況を伝え、祖父の墓参りのための花をもらう。そして料理の下ごしらえをした後、プール。めいっぱいスケジュールを詰め込んだ一日だった。「3/4のスケジュールで用事をこなしなさい、そうしないと見落とすことがある」とはニーチェ(ツァラトストラはかく語りきを書いた人)の言葉。そうだ、そうだと、夕食後は落ち着くために、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏でメンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」を聴く。バイオリンはクリスティアン・テツラフで、蚊の鳴くような弱音を巧みに弾いていた。これが見事で、思わず「旨い、技あり」と言わんばかりの演奏だった。こういう嬉しい日には、JAZZを聴きまくるぞと意気込んでいたが、クラシックにも感動場面があるので捨てたもんじゃないと思いましたね。
3月9日(水)雨
母の手術は諦めて、父は点滴で1ヶ月持つ、そして僕が3月末に帰省する。それが最良のシナリオだと予定表を勝手に「創造」した。父も母も今年を越すことは出来ないだろうと思う。8月でさえ無理ではないか?87才と85才。まぁ何とか人生を謳歌したと思う。母の晩年は10年くらいがぼけたままであったが、酷くなったのはここ数年で、まだ2014年は自分で歩いていた。父は、今年の1月までは何とか自活できていた。両親が亡くなった後、農業をしながら一人で生きていくのは余りにもつらい。年金で何とか生活は出来そうだが、収入がないのは不安だ。働き口があれば、大阪や東京に出かけたい。65才までは社会の中で活動したい。長男の吉崇君を自活させて、僕が鎌ヶ谷の家に入り、そこから仕事が出来ないものだろうか?家の片付けもあり少し先のことだが。ともあれ、今は母の自宅での生活の為に、家の改造を進めなければならない。もう歩けないので、ここから病院に通うことさえ出来なくなるのではないかと心配する。ましてや、しんどいから病院に行かないと言い出したら、手の打ちようがない。また、施設に入ってもらうしか無いのかなぁ?明日は、ケアマネと介護レンタル屋さんに来ていただいて打ち合わせがある。僕がケアできる状態の改造を相談するべきだろう。父は明日院長先生の面談がある。東京に一旦帰り整理をして、こちらに帰省するだけの時間に余裕がある回答をくれれば良いのだが。雨で万歩計は進まず、プールに行った。馴染みのおじさんが、プールが無くなったらどうしようと困惑していた。同感だ。夕食には近所の友人が誘ってくれて一緒に頂いた。やっぱり話ながら食べるのは食が進む。(一人食は右手で日経新聞を読みながら、左手で食事を頂く味気ない方法だから)
3月8日(火)晴
父はまだ酸素マスクを付けたままだ。脳梗塞を患ったような手の震えがある。その手も痩せこけ、だんだん骨と皮になりつつある。時折目を開くが、目は天上を見つめたまま、こちらを向くこともなく、焦点は合ってないようだ。それもしばらくの間だけで、目を閉じてしまう。半分は意識がないような状態だ。回復するのだと思っていたが、点滴だけでは、このまま衰弱していくのではないかと思う。この分では東京に帰るなんてとんでも無い状況だ。寝ているときは頭を振って何かから逃れようとするような感じ(赤子のいやいやのような)とても苦しそうだ。酸素マスクを外したのだろうか?目を開けているときに、「しんどうないか?」聞くと、そうでもないらしいような反応がある。声は出ない。下唇と、下が常に震えている。集中治療室から出られないのはこのためか?父を見ていると元気な頃のことを思い出しあまりにもつらいので、病院を抜け出した。僕が息子の成長のために特に何かしたかと言えば格別ない。仕事をして給料を稼ぐのが勤めだと思っていた。多分、父にとっても僕はそんな存在であり、育てたという意識はないだろうと思いたい。一生懸命仕事をすることに真剣だったように思う。だから、格別僕が父の想い出に感傷的になる必要はないのだ。それに、87年も生きてきたので、もう十分だと自分に言い聞かせて、これ以上考えないように努めた。今日は自転車で来たので、腹の調子も良く、「お披露目広場」で、南国のトロピカル定食を頂いた。これが結構行ける味で、高知の食べ物は徳島と違って本当においしい。本来ならココでは酒を飲む場所だが、まだ母の病院に行かねばならず、ほうじ茶で、お茶を濁した。食事の後は、高知のもう一軒のジャズ喫茶「木馬」さんへ。ALTECが店じまいをするので、ここが高知では唯一のJAZZ喫茶となる。店は狭く、レコードやCDの在庫も少なく、それにスピーカーもアンプも貧弱だ。音は知るべしって所だ。しばらく、雑誌を眺めていると、客の会話が聞こえてきた。客同士のつながりや、店の「まり」さん(オーナー)との関係が深く、この店は身内で運営されているので、音は二の次なんだろう。ネット検索でヒットするのは、時折開催されるライブの映像だ。まりさんは、意外とジャズにも詳しく(当たり前か)客との会話が成立していた。今週末にライブがある。来ないかと誘われたが、状況的に無理。母の病院に行くと透析を終えたばかりだった。「まだいなんろう、トイレに行くから待っちょって」。「まだかまん」と答えるも、なかなかトイレに行かない。結局その部屋の中にあるトイレの3mの距離も歩くことが出来ない。車いすに乗ることすらも出来ない。看護師の応援で何とかトイレを済ますことが出来た。4月からは自宅に連れて戻るが、こんな状態では僕のお世話の範囲を超えている。それで、ケア・マネージャーに電話を入れて、状況を伝えれば、ベッドの横にポータブル・トイレを置けばよいと言う。ただ、部屋の中に車いすが必要だし、玄関から部屋に上がるためのリフトも必要だという。相当大がかりな工事が必要みたい。父の対応の為にこちらにいる間に打ち合わせが出来ないかとお願いした。帰り道、自転車を漕ぎながら、いろんな状況がせっぱ詰まったものになった。それに、こんな状態では、母は手術を受けて楽になりたい段階まで進めないのではないかと思った。一応先生には、その方向でお願いはしてはいるが。夕食の後、キース・ジャレットのケルン・コンサートを聴く。これで3度目だ。これはドイツのケルンで、ピアノ・ソロを実況録音したものだ。名盤だが、理解するのに時間がかかるのだ。それでも、3度目にして気がついたことは、バッハの編み出した音楽様式を踏襲しているのではないかと思ったのだ。それは、左手と、右手が別の旋律を弾き、追いかける音楽様式だ。こちらは、どちらかと言えば、左手で編み出したメロディーを右手が追いかける様式だ。右手は、左手の旋律から何とか新たな旋律で流れを変えようと、試みるが、いつの間にか右手の旋律に戻っている。左手は手強いのだ。だが、とうとう、右手の旋律は突然変異のように飛躍し、新しい世界を作り上げてこのB面を終える。それは、あたかも地球生命の進化を1000年単位で早送りしたような映像を見る感じだった。
3月7日(月曜日)
集会所の清掃が来週日曜日に迫ってきた。いろんな事が降りかかってくるが、何で今に集中するの?とは言え、この村で生活するには、降りかかったものは受けざるをえない。それで、僕だけ勝手に1週間早めて、今朝集会所の周りを1時間だけは清掃した。1人で80%程度は仕上げたので、誰も後ろ指は刺さないだろう。昨日の雨から一転してこの天候は夏そのもの。清掃は汗が滴り落ち、メガネが曇る。仕上げはビールで一杯と行きたい所だがとても無理、役場で申請書類の提出。返す刀で、母の病院で、農協の人たちと合流し、母の貯金引き出しが僕でも可能なように、書類の申請。更に、循環器の先生と面談し、心臓の手術についてのコメントを貰うのだが、どうも先生は前回のコメント繰り返しだった(前回は検討した結果を伝えるのでと言われたが)。僕は、この先生と張り合っても何にもならないので、そうですか?と矛を収めた。この面談の精算書を持って会計に行けば、30分も待たされた挙句、問い合わせをすれば、会計の担当者は帰ったので、もうお引き取りくださいと言うものだった。まぁお世話になっているので、喧嘩もありえないが、果たして、こんなマネジメントで正しい診断や運営や、従業員のモチベーションが保たれているのだろうか?と疑問を感じた。この病院は高知高須病院。先生は、高知大学医学部川口氏。その後は、父の病院へ。スケジュールが目白押しだ。車での移動中は、昨日からマーラーの交響曲を聴いている。どうやら、CDラックの中で7番だけが見当たらない。取り敢えず、9番、10番を聴く。ベートーヴェンは9番で最高潮に達したが、マーラーは7番でピークを迎えると思うのだが、違うと言う人もいるかも知れない。演奏は、其々で、同じ指揮者や楽団で一貫してない。マーラーは生前、周りの人に、いずれ自分の音楽に世界が注目するようになると明言していたとのこと。確かに!ベートーベン、バッハ、マーラーはショウルームでもよく演奏される。聴く人に何かを与える効能があるかも知れない。効能とは、人それぞれに求めるものが違うが、何度も繰り返し音楽を聴いているうちに、自分の中で「解」みたいなものが熟成されてくるかも知れない。それを効能と呼ぶのだろう。クラシック音楽の魅力の一つだ。一方ジャズは、単純に楽しむためにある様な気がする。如何に楽しめる演奏をしているのか?そこを何度も何度も繰り返し聴く事で、理解してあげる、発見してあげる。ジャズは擦り寄りが必要だ。要約すれば、クラシックは反射型。ジャズは没入型。さて、父の症状は、人工呼吸が取れたとは言え、マスクによる酸素吸入で、まだ話が出来ないが、やっと僕の事を認識した様だ。ただ、呼吸をするのが苦しくて、顔を歪めている。このままでは回復しないのではないかと思った。帰りにもう一軒のLPレコード店で、キース・ジャレットのケルン・コンサート。マッコイ・タイナーのニューポート・ジャズ。Sarah
Vaughanとクリフォード・ブラウンを買った。今晩はじっくり聴き真実に迫りたい。
3月6日(日曜日)
不覚にも7:30起床。昨晩は9:30就寝だから、随分と寝た。昨晩はおじさん所にお邪魔して、晩飯を食べさせて貰った。叔父さんは、夜は酒を飲む、それで、もしも僕の父に何かあった時は、病院に駆けつけるために、いとこの嫁に酒を飲むなと厳命していたそうだ。話がややこしいが、いとこと、おじさん宅は50mの近所にあり、この叔父さんの言うことは、殆どの人が従う強さを持っている。そして、いとこの嫁は、毎晩酒を飲むので有名だから、夜中に運転することが出来るように、禁酒を厳命したと言うのだ。昨晩はこのこの嫁も来ていて酒を飲んだ。父は復活したわけでは無いが、一命を取り留めたと言うことで、美味しく祝杯をあげることができたのだ。それで、朝寝坊は気が抜けたのかな?病院へ出発の前に、少しの時間だけ昨日買ったLPレコードを聴いた。ショパンのピアノ(アシュケナージ)はいい演奏だが、レコード盤の痛みが激しく、チョットと厳しい。モーツアルトのレクイエムは、2枚組LPの筈だが、1枚しか入ってなかった。この2つが失敗で、フィッシャー・ディスカウのシューベルト歌曲集は、大成功。彼の若い時の録音で、声に伸びがある。(同じ楽曲はLPでもう一枚持っているが、こちらは成熟した声で甲乙つけがたい)。もう一枚、ウェイン・ショーターのアルバム。聞き出すと際限がないので、断腸の思いでステレオの電源を切る。マーラーの6番を聴きながら、病院に着くと、父の顔の腫れも元どおり引き、目を開けていたので、話しかけたが、認識してくれなかった。先生曰く、一時心臓が停止したので、頭が元どおりなるかどうかは不明と言う。昼間抜け出して、丸亀製麺のうどんを食べに行った。高松のうどんとは少し違うが、近い位置にある味だった。帯屋町(高知市唯一のアーケード商店街)で父の時計の電池を交換した。父の時計は、不思議なことに、この病気を発症した時刻に止まっていた。電池を交換し、時計も生き返った。父も生き返るだろう。店を出ると、よさいこい踊りのミニ版が商店街で催されていた。先頭の踊り子さんは、踊りのキレが他の人と全然違うプロのようだ。(この催事は「土佐のおきゃく」とのこと)。大手筋では有名な日曜市で、名物おばさんの漬物と、サラダ菜と、キャベツを買って病院に帰ると、近いうちに父の呼吸器は取り外せるかもしれないと、看護婦さんが伝えてくれた。随分と回復している。僕の見立ては、尿が出るようになり、体の腫れは引いたものの、食べてないので、随分と痩せたなと思った。その後、母の病院に寄った。日曜日なのに、数十人いる滞在者の誰も面会に来てない。高い金を払っているので、任せとけば良いと親族は思っているのだろうか。(僕もそうだった)。まぁこちらにいる間だけは、許せる限り行くぞ。帰り道は、小澤征爾のマーラー1番+ボストン交響楽団。非常にメリハリのある演奏。アメリカ人好みに意識して振っているのかな?食事の後、昨日買ったLPを全部聞いた。今回の収穫は、カウント・ベイシーに目覚めた事。ビッグバンドは苦手だったが、ベイシーだけは許せると考え直した事。それは、「彼の音楽ポリシーは、ジャズを極める事ではなく、客を楽しませる事にある」の記事を読んだ事とも関係あるかも知れない。
3月5日(土曜日)
朝食にパン。昨日はご飯を食べたが、ちょっともたれたので、軽めのパン。洗濯掃除を済ませ、出発。ジュリー二指揮ブルックナー9番を聴きながら運転。ブルックナーは気宇壮大な交響曲。さぞ人格的に器の大きな人かと思いきや、何と小人で、人の噂を気にする人だったとか。この音楽を聴くととてもそんなように思えない。病院に着くと、看護婦さんが父を起こしてくれた。今まで昏睡状態だったのが、何と回復してきているのだ。目を少し開けたので、父も僕だと気付いたのだろう。これで一安心。どうやら心配は杞憂に終わりそうだ。安心したお祝いに帯屋町に出かけて塩野七生のギリシャの書籍と、ミレミアム4上下を購入。父の財布から支払った。併せてポップイン・ミュージックさんで中古のLPを、ウエス・モンゴメリ、カウント・ベイシー、フィッシャー・ディスカウのシューベルト歌曲を買った。これも父の財布から支払った。心配料だ。こんないいことは最近無かった。中央公園で、「高知のおきゃく」イベントが開催されていて、窪川の牛と、豚の焼肉(合計で850円)を食べながらライブ・コンサートを見た。まだ女子高校生なのに演奏は完璧で、楽曲さえ良ければもう十分にデビューできる。地方もここまで来ていたのか?高知市を散策して、父の病室に帰れば、まだ眠っていたが、頭部の腫れは引き始めていて、元の状態に戻るのも時間の問題だ。と僕は思った。母の病院に寄って、父の状況を伝えたが、理解してくれたのかどうか分からない。透析の直後で、相当体がしんどそうだ。
3月4日(金曜日)
気分が重い
何を待っているのだろうとふと思う。何もすることがない、父のベッドの横に座る他は。昼食はJAZZ喫茶ALTECへ徒歩で出かけた。40分くらい。僕の就職とともに、開店した店で、A7がそのまま鎮座していた。極少量の音量で演奏するJAZZはチャーリー・パーカーとかカーメン・マックレーとかランダムな演奏で、LPレコードの音源ではではないようだ。ミックス・サンドとコーヒーを注文してJAZZに浸ったが、ピアノやサックスの音が少し甲高くストレートなのはやはりホーン型スピーカーのせい。硬くない低音も真空管アンプのマッチングだろう。シンバルの音が伸びないのはTwitterがないためだ。ここで音楽を聴くのが何の役に立つのだろう?いや、何も考えないことが一番大事と確認。食事も終わり、ケーズデンキに寄った。ここで働く日立のヘルパーさんと立ち話。同じ性だからお互い名前を覚えている。話せば何と彼女は5人の子持ちのガンバリ母さんだ。(現役中はこんな事話す時間がなく知らなかった)息子がまだ高校生なのでお金がかかると嘆くが何とかすると強い意志。夢は副業を持つことで、社会の役に立ちたいと、崇光な精神。弱っている私は元気をもらった。iPodでウェス・モンゴメリーのフルハウスを聴きながら病院に帰った。この有名なアルバムはサックスも凄い演奏をする。愛宕通りでJAZZのライブする店に当たった。高知のいごっそにはJAZZが合うのだろう。楽しい話はここまでで、病院に戻るといきなり現実に引き戻された。
3月3日(木曜日)
一転して重い
父が悪いとの情報は、娘からのメールで知った。昨晩は電話を切って寝たので、今日の午前10時なるまで気がつかなかった。さぁ仕事を始めるぞ、その前に情報チェックとiPadを入れると、iPhoneに届いたメールやメッセージが画面一杯に表示されていた。丁度今日は商談会でクライアントが来ていたので、理由を説明し、そのまま退社させてもらった。電車の中から飛行機の予約をして13:40の高知行きに乗った。道中は親類へ電話した。こんな時に限って30分遅れの15:30高知着。2時間近くも飛行機に乗っていた。高知便はいつも機材の余りを回して運行しているので、故障の多い飛行機が回されるから、遅延は日常茶飯事。父は顔がむくんで、あごがなくなり首と一体化していた。先生曰く、昨晩から急に容態が悪化して顔がむくんできた。今までは薬で引いていたが、今回は呼吸が停止した。心臓マッサージで蘇生して一命を取り留めた。肝臓、腎臓の数値は2桁わるく、尿も出ない。原因不明の頭部のむくみが、どうやら今回の原因らしい。人工呼吸器で生命を維持している。奇跡でも起こらない限り難しいと言われる。入院している母を連れに、病院を抜け出した。母も酸素吸入器を装着していた。ベッドに横になった母は、しんどくて外出できないと言う。ココで無理して2人が友連れになるのは避けたいと判断して、いったんは、自宅に帰ることにした。マップによるとここから最寄りの駅まで徒歩で30分。列車の便を確認すれば、1時間半後に出発する。徒歩でも十分だ。自宅に帰るやいなや、車に飛び乗って、父の入院する病院へ引き返す。21:00まで、付き添っても良いとのこと。心臓の動悸を表示するモニターを見ていると、父の農作業の姿が浮かんでくる。キュウリを作っているとき、稲刈りの時、ピーマンの収穫の時。記憶の映像は全て農作業をしている姿だ。
3月2日(水曜日)
軽い
この2日間の休みでしっかりと疲れを解放した。振り返ると、今年になって2日続けて休暇を取ったのは2回だけ。これでは疲れは溜まるし、体調も崩しますわな。コスモス・ベリーズで働いていた時にも、41日連続勤務で体調を崩した。高校卒業とともに就職先を選ぶ理由の一つに、休みの多い会社を候補に上げた。土日休暇の会社はその頃あまりなかった。お陰で、大きな病気をすることなく定年を迎えることができた。その後の仕事は、休みの無い誠に厳しいもので、年齢と共に弱る体に反して厳しい仕事をしてきた。それも、もうすぐ卒業だ。しかし、今度はエンドレスの仕事が待っているが、自宅だし、何とか時間のコントロールは可能だろう。それに、気持ちを癒す、海と山がある。趣味の封印も解ける。ともかく、この連休で思い切り泳いで多少は筋肉痛を伴いながらも、体が軽くなった。この状態を少しでも後まで伸ばし、来月の帰省に備えなければならない。ソロソロ、荷物の整理に入らなければならない時が来た。太陽も強くなり、春もそこまで来ている。いい季節が巡ってきた。
2月28日(日曜日)
お父さん、オレ、吉崇です。
最初分からなかった。若い男の子から声が掛かった(ここでは珍しい風景だから)。しばらく(1秒後くらい)経って、合致するデータが記憶の深いところから上がってきて、あっ、「これは息子ではないか」。と気がついた次第。「どんな仕事をしているのかチェックに来た」。とのこと。
僕が病気なので、もう会えないかも知れない探りもあったかも。リスニングルームへ案内して音楽を聴かせたが、全く感動せず。まぁジャズは無理だとは思っていたが。それで、Carpentersを演奏すると、これ知っている。「割といい音だ」と感想。大勢の人は、「すごくいい音」となるのだが、音楽に親しんでない人には、評価は無理なようだ。しばらく雑談し、「卒業できそうだ」との報告と「学費応援の感謝の言葉」と、今度入る会社の作っている製品を紹介してくれた。今日はビッグサイトで友人と遊ぶので、ついでとの事もあったようだ。次に来られたのはここの女の子の両親。娘が綺麗なら、母も綺麗。との定説通り、凄い美人の奥さんだった。朝出がけに「ジョンスコのハイレゾ」をeオンキョウで購入したら、こちらのサーバに自動的にダウンロードされていた。そのジョンスコを紹介方々聞かせてあげた。気持ちの良いシンバルの抜けがあり、これを聞いている限り、ギタープレイ(ジョンスコはギタリスト)がどうであれ、いい音だとの評価を貰えた。幸福感が充満する。やっぱり、いい音楽といい音のペアでステレオは楽しみたいものだ。わかれば、だけど。
2月27日(土曜日)
東京プリマラソン
外国から来た選手ばかりを集めて、お台場をスタートにプリマラソンが開催される。パナソニックセンターは着替えとかの場所提供で、外国人でごった返している。人種は、観光客の構成比と同じで、中国、台湾、韓国、タイの順だ。明日は、東京マラソン。僕も、明日はフルマラソンの走行距離に達する。(今週の水曜日から日曜日まで、5日間の勤務で9万歩近く歩くから、距離にして45km。)。2時間で40kmと言うのは無理だが、1週間なら可能で、毎週着実にこなしている。このマラソン選手のために、ショウルームのホールを開放し、飲み物のサービスや、調理家電の試食など行っているが、その中にテーブルロースターで、薫製の蒲鉾を実演してた。15分で完成する本格的な料理だ。その隣では、マッサージチェアの実演。これも試してみた。50万円以上する最高級タイプだ。足の裏を温め、手の指先まで揉みほぐしてくれる。常時五人くらいのプロのマッサージ師が、あちこちの部位を揉んでくれる。快感だ。これに慣れると、大変な事になると慌てて飛び降りた。この世界に足を踏み入れてはならない。習慣性があるからだ。コリは自分でほぐすのだ。という事で、仕事を終えてプールに行った。久しぶりなので、寒かった。体が柔らかくなったところで上がった。シャワー室でシャンプーを使っているニイちゃんが居たので注意した。食ってかかって来たが、お互いに丸裸なので、それ以上に進まなかった。本人曰く、「知らなかった」。(シャワー室の壁に大きく書いてある)。この人は常習犯とみた。「日本語も読めないバカかここにもいた」とは言わなかった。着替えて外に出れば、そのニイちゃんがまだ居た。裸の時に比べて身なりが貧相で、こんなバカに諭してあげたのかと後悔した。昨日と言い、今日と言い、本当にバカな日本人を見てしまった。
2月26日(金曜日)
人手不足
今日の予定は久しぶりにプールへ行って、身体をほぐそうと考えていたが、来客の退室が余りにも遅くなり、断念した。昼飯は、夕刻の運動を前提にたらふく食った。パエリア、野菜たっぷりトマトスープ、手羽先の燻製。こんなメニューは、東京国際マラソンが開催されるので、多くの屋台の出展があるから実現した次第。それは兎も角、夕食時にプールが無ければ、かなりお腹が膨れている状態なのだ。それに遅い時間だし、自炊の時間短縮も含めて、サイゼリヤに行った。ワインとほうれん草ソティ、白菜のピクルス、スパゲティ。書けば多いが量は少ないのを注文した。注文の際に、一緒に持ってきてくださいとお願いした。注文の際、この人は間違っていたので、繰り返し伝えた。それでも一緒に持ってきてくださいを理解してないようだったので、念を押した。ところが、ワインと、白菜のピクルスのみ持って来た。いや、その前にビールを持って来た店員がいた。気が利かないと言うかマニュアルが徹底されてないとか以前の問題で、頭の悪い人だった。それも、一晩に2人接した。千葉の田舎でもいよいよ人手不足で、こんな程度の人しか採用できない状況だ。すぐ隣の飯屋さん(だんらん食堂=大阪の南森町食堂のチェーン)には、タイ人の若い女性が勤めているが、この子の気づきは日本人のおばさん並みだ。日本の社会には頭の良いアジアの人を受け入れて成長をする戦略が必要だと思いましたね。バカな日本人は、もっと低下層の仕事をすべきだと思いましたね。日本人である特権を振りかざさない実力本位で。
2月25日(木曜日)
もう春も近い
どんどん気温が下がって来て、冬の様になった。もちろん季節は冬だが、太陽光線がこれだけ強くなると、感覚的には春だ。春には母も、父も病院から帰ってきて欲しい。退職後は毎日休みなので、美味いものを作って食べて欲しいものだ。病院では唯一の楽しみは食事だと母が言っていた。そうだろう。誰も見舞いに来ないし、テレビでは退屈しのぎにならない。監獄だとは言わぬが、同じような苦痛があるだろう。3月末日を待たず家に帰り、早く父母を退院させなけば。それが一番先にする仕事だ。書籍の整理や、映画、音楽を見ることはもう少し後だ。気になっている田舎のシステムでSB-MX200の処遇はそのままマルチチャンネルで行こうと思う。僕の頭の中で、ネットワークシステムに戻そうとかを考えたが、やっぱりこのスピーカーはマルチでしか鳴らないと結論を下した。幾つかアンプが必要だが、中古のAVアンプを流用すれば、問題解決だ。田舎暮らしとAV関連は切っても切り離せないので、今日は1つだけ課題を明確にしておこうと思った次第。夕食は高知で買ってきたナスを料理した。茹でたナスの上に、アジの開きの焼いたのを身をほぐし、大葉と馬路のポン酢で食べれば最高何だが、買うのを忘れ、大葉とポン酢なしの料理だった。代わりに、ネギと、醤油で誤魔化した。
2月24日(水曜日)
ここまで来た
何だか久しぶりの出勤の様な気がするのは、この2日間の休日の間にいろんな事が山ほどあって、そちらに心がとらわれていたからだ。それで、深い眠りの淵から現実の水面に浮上してきた感じだ。今日は新製品の取材で、最新の機器で音楽を聴いた。設計者も同席していて、暇を見つけては、質問を浴びせかけた。何は、僕が客に聞かれるであろう事柄だ。こういうのはチョット堪えられない程の満足感がありますね。忘れっぽい私ですが、ここはメモ無しでも記憶の襞にしっかりと焼き付けられる。未だ脳は錆びてないのだ。鈍ったのは、英語力だ。この一月間はやや英語から離れたら、途端に英語力が遠のいて行った。もう基礎英語3が理解できなくなって来ている。この頭脳は1日2時間の勉強時間を切ると、後退が始まるのだ。され、今日のトピックスは、ここまで来たか?の話し。自宅から、会社まで1時間程あるが、その間、全く気付かず、会社に来て床を清掃している時に気がついた事。靴の左と右が違っている。左は古い靴で、右は新しい靴だ。両方とも同じリーガルの24.5mmのサイズ。何年もこの靴を履いている。一回購入すれば交代で履くから4年くらいは優に長持ちする。全く同じデザインだから、よく見ないとわからない。だが履いた感触は全く違う。それなのに、気がつかなかった。色んな5感は鈍くなっているのは理解できるが、いよいよここまで来たか?て感じだ。
2月23日(火曜日)
あわただしく2
預金通帳を持ち出して、農協に行った。これから先の事もあり、委任状を父と母に書いてもらわないといけないと言う。今度帰省する時に、その手続きを行う事にした。早く預金を引き出して置かないと、税金に持って行かれる。次に役場で、その全資産を提出し、介護施設を割引で使える申請書を交付してもらった。次に農業委員会で農地の返還を行う方法を聞くと、個人間で調整して欲しいとの事。何のための仲介?まぁ、今は事を荒立てる必要は無い。物事がスムーズに運ばなくなった時に、大きく出る他無い。父の確定申告は、年金の通知書のみで通過した。こちらはスムーズに行った。その後ケアマネージャーさんと連絡を取って、交付された書類を手渡した。手術の件も伝えた。4月から帰省する事も伝えた。住民票を発行してもらって自分の健康保険の申請書も発送した。慌ただしい高知での午前中はこうして過ぎた。かっぱ市場で「ウルメ干し」とお弁当を買って自宅で頂いた。干しは少々味が変だった。僕の舌が未だ変調をきたしているのだろうか?友人に送ってもらって飛行場へ。ここでやっとゆっくりとした時間を迎えた。
2月22日(月曜日)
あわただしく1
レポート、食事、部屋の掃除、クリーニング。これを手っ取り早く済ませて、出かけた。通勤快速の電車で品川へ。予定の時間より1時間早く空港に到着した。友人と近況を話し、29日がお互いに天王山だと確認しあった。つまり、検査の最終結果が出るわけだ。これにより、我々二人は、今後の生き方が変わるかも知れない。高知では友人に迎えに来て貰い、早々に家にたどり着いた。金庫を開けて、確定申告に使えそうな書類を取り出した。これを持って父の病院へ。途中でオシメ2個(30日分)電気髭剃りを買った。髭剃りは、久しぶりに訪問したケーズデンキで購入。顔見知りの副店長が忙しく働いていた。父は、気力を失い、もうダメだと生きるのに匙を投げ出している。確定申告の話も要領を得ない様な話しぶりで、果たして役場で上手く処理してくれるのか?不安が残る。もう1つ、母の病院では、医師から心臓病が二進も三進もならなくなっている事を告げられた。手術は受けられるのかどうか不明だが、可能なら受けた方が良い。心臓の弁の病気で死ぬのは物凄い痛みを伴うとの事。それは、無理にでも手術をしないといけないなぁと思った。当初の予定をひっくり返して、手術を受ける方向で検討して欲しいと先生に頼んだ。母は酸素吸入を行っていて、先生の言う通り、確かに病気は進んでいる事が分かった。本人は、いたって元気なのだが。友人から食事に来ないかとお誘いを頂いた。蕗の天ぷらが美味いからと言う。夜遅くなったが、お邪魔してご馳走になった。成る程、蕗の天ぷらは美味かった。私の家の裏には30人分位を蕗の天ぷらで満たせるほどの、蕗畑がある。放置されたままだ。
2月21日(日曜日)
完璧に復調
もう泳ぎに行っても良い。肩も背中も凝って膏薬が必要だ。バタフライで50mも泳げば、こんな凝りは一瞬に飛んで行くはず。だが、明日は又高知。大事を取って自粛。百田尚樹氏のクラシックの本を読んでいる。感動で結構涙を誘う。特にモーツァルトの下りは、感動の文章が続く。文体は、「海賊と呼ばれた男」によく似ている。この本を読む前に許光俊のクラシックの本も読んだ。推薦しているレコードは違うが、Apple
Musicで検索して試聴した結果は良く似ている。レコード芸術誌ではお目にかかれない様な音楽ばかり。また、結構古いレコードが多いのも共通だ。
2月20日(土曜日)
点滴の後、一晩寝ると回復
幾分違和感はあるものの、やっと普段の状態に戻った。出勤前、有明の広場を散歩しながら、セブンイレブンで買ったココアを飲み、単語帳をめくった。これが日常だ。ショウルームの女性陣も急に元気になった私を見て驚いていた。点滴の所為だと説明した。今回の風邪ウイルスは5日間をかけて体の中を通過した。ココアの所為で食欲が落ちて、昼食は散々だった。まだ完璧に戻っているわけでは無いと反省。午後から天候が崩れ、大変な天候になると報道されていた。帰りの電車が止まらなければ良いのだが。実際は、普段より少し強い雨が降っただけ。カッパを着たままスーパーでの買い物もなんだが億劫だし、そうだ、今日は、だんらん食堂で夕食を取ることにしよう。丁度半額セールで、自炊では歯が立たない価格設定だ(556円)。時間も節約出来るし家計に優しいセールだった。雨は強く、道路を歩かない自転車のりでも、靴の上から雨が染み込んできた。今日も、風呂に入って直ぐに寝た。午後9時には眠っていただろう。普段はこんな時間になかなか眠れないが、今はよく寝られる。未だ、病気が残っているのだろうか?
2月19日(金曜日)
峠は越した
思えばこの風邪は昨日が底だった。水曜日は、未だ底に向かって転がっていた時期だった。自分の気持ちとしては寝るごとに快方に向かっていると信じていたので、昼から厳しい体調を何とか誤魔化して時間まで勤めるのが辛かった。今、思い起こすだけでもゾッとする。今日は、もしも僕に問題が発生した時の予備として、大阪の澤野さんが見学に来ると言う、これを利用して、彼に無理言って、僕は早退をすることに決めた。午後3時過ぎ失礼をし、板倉病院へ。先生曰く、1.胃のピリピリは潰瘍から来るもの。2.風邪薬で食べられないのは、薬のせいでは無い。体調の所為。3.風邪は薬で治らない。4.点滴は風邪薬では無い、水分補給と栄養剤だ。など、アドバイスを受けて、とりあえず点滴を打って貰った。だが、これで、元気を取り戻した。食欲も復帰。無性にラーメン店が食べたくなった。でも待てよ、店で食べると900円。自炊の方がもっと安くて、肉と野菜を一杯入れられると思い、こちらに切り替えた。今までの食べられなかった分を一気に補った食事だった。余りにも極端過ぎるのは良く無いと思いながら。
2月18日(木曜日)
一晩寝れば良くなる。
そう思って、気を取り直して出勤した。だが、だんだんと具合が悪くなり、頭痛、悪寒、関節の痛み、胃部上方のピリピリした痛みは酷くなるばかり。昼の休憩時間に寝ると幾分回復した。横になると直ぐに寝付けるのは、熱の所為。午後3時過ぎにもう一度休憩で睡眠。少し楽になって、帰る元気が出てきた。食欲が全くなく、今日が底であると思った。家に帰り、風呂の後、8時過ぎに寝た。23時、3時、5時と目が覚めたが随分と寝た。少し体が軽くなった。
2月17日(水曜日)
39
最悪の状態で起きた。どうも、昨夜の食後の後の散歩が災いして、風邪がぶり返してきた様だ。寒気、頭痛、体の節々が痛む。それに、朝の作ったジュースの中に、キャベツを包装してあったビニールが混在し、ジュースは飲めなかった。何てことだ。最悪。気を取り直して、出勤。仕事をすれば気も紛れるかと思いきや、紛れることはなかった。万歩計も忘れてくる始末で、お客様を待っている時、館内をぶらぶらするが、その励みの歩数もカウント出来ず意気消沈する事ばかり。胃も不調。何とか今日1日を凌げば、明日は何とかなる。それしか、今の希望は無い。Oさんが来られた。どうやら、商売が順調に稼動し始めたようで、今年は自己の18年度計画を前倒しして、達成を目指すという。元気な人の前向きな姿勢を見ているとうらやましい。僕は、癌の疑いが晴れて、今週は思い切り飛ばせると思いきや、重い風邪に陥ってしまった。両親の2つの問題と、自分の問題と合わせて三重苦はそのまま居残る。
2月16日(火曜日)
昨日の風邪は何処かに行ってしまった。泳ぎに行っても構わないかな?いや、今日1日は養生しよう。石油を買って、クリーニングを出して、板倉病院に出かけた。どんな判決が出るかも知れず、ヒヤヒヤものだったが、判決はガンでは無い。3ヶ月後の検査が必要との事。安心した。よせばいいのに、食後の運動にブックオフまで散歩。アイロン、入浴。今日の記念に、音楽購入。こんな事をしていたら、普段と同じ寝る時間になっていた。だが、なかなか寝付けず、処方してもらった風邪薬を飲んで、もう一度寝なおし。寝付けない理由は他にもあった。ソニーのMORAで買った手嶌葵のハイレゾがなかなか上手くダウンロードでき無いのには頭にきた。それに領収書のメールも来ない。あのソニーがオンキョーよりも相当遅れを取っている。大企業だと信頼しては行けない。それで、寝る前に相当興奮してしまったのだ。
2月15日(月曜日)
最悪
昨晩はよく眠れなかった。風邪気味だったのが、本格的な風邪引きになり、最悪の体調で羽田空港に向かった。電車は満員で、乗り換えなくて良い反面、この様な体調では、立ったままだと相当きつい。飛行機の中では足がむくみ、僅かな飛行時間なのに、あたかも海外旅行から長時間かけて乗る機内状態と同じ状態になった。病院に到着すると、父は、体が痛くて検査には行かないと、母と同じ様な事を言い出す始末。婦長さんにお出ましいただき、何とか納得してゆく事になったが、保険証を忘れてしまい、又タクシーで岡村病院に帰る事になった。喉の診断は、やはり問題が無いとのこと。細木病院を信頼してなかったが、あの先生の見立ても間違って無かったという事。ホッとした。しかし、意欲を落とした父は、寝たり切りになるのかも知れない。僕も、このままの体力では帰る事もできず先生にお願いして、点滴を打って貰った。ゾクゾクする様な寒さと痛みは取れたが、頭痛が始まった。病院の支払いを済ませ、薬も貰い、高知のメッカ「お披露目広場」まで徒歩で。ここで、パックの弁当を買った。昨日の計画では酒でも呑もうかと、だが今はもう何も欲しく無い。弁当を無理に胃の中に押し込んで、切り上げ、はりまや橋まで歩いた。少しの待ち時間でバスが来た。体調不調では音楽も全然楽しくなく、只の騒音だ。船橋に到着したのが午後9時半。いつもの回転ずしでお寿司3皿と味噌汁。1,000円を超える事はできず。相当体調悪い。徒歩で、帰宅。
2月14日(日曜日)
大荒れ
ニュースの天気予報通りで、朝から大荒れの天候。普段使っている京葉線は運休と遅延の報道があり、総武線で出かけた。ぞくぞくするような寒さがあったが、電車は暖房の効き過ぎで、汗が出てきた。妙に気分の悪い汗だった。地下鉄3本を乗り継ぎ1時間半を要して出勤した。このところ、来客が多めで、読書は進んでないが、その中でも印象が強いのは、許光俊の「オレのクラシック」は「なるほど」、とうなずく部分が多い。音楽が活きているのをほめている。躍動感のないのをけなしている。文章は5W1Hが非常に明確なので、本人は文中いい加減な性格だと自虐しているが相当こまめにメモをしているかなり神経質な人ではないかと思った。その本を読み始めると活字に吸い込まれるが、今日はどんなにしても(空き時間の少ない関係もあるが)、そこに至らなかったのだ。気分が乗らなかった。咳が増えてきている。先週くらいから喉がいがらっぽかったが、今日は特別だ。帰る時間帯になってからは、腕の関節なども痛み出した。風邪をひいたのかな?
2月13日(土曜日)
今朝は、もう少しでコーヒーに手を出すところだった。すんでのところで取り止めた。危うかった。この朝の有明での空腹感と気持ちの良い天候はは如何ともしがたい所がある。でも、実際の空腹なのか不明。習慣から来る空腹かも知れない。
2月12日(金曜日)
愚痴を言うと返答があった
Kさんに父の容態の件を電話をしたら、いろんな方法を言ってくれた。そうだ、日帰りと言う手がある。自分は癌の検査の結果が16日に出るので、それまでは動きたく無い気持ちが強かったが、僅か55千円でこの要件は済む。気持ちもスッキリする。ええぇい、決断だ。と言うことで、岡村病院に電話をした。「15日に帰ります」。だが、これで済むわけはなく、何度も喉の病院へ通い詰めなければならないとすれば、どうしたら良いのだろう。次にの帰省22日。その次はどうする?また、欠勤を増やして対応か?3月は休みが少ない。それに、荷物もまとめなければならない。もうこの仕事は諦めなければならないのだろうか。自分だけで耐えるんだと思いながらも最後のところで、つい漏らしてしまう。
2月11日(木曜日)
ギクとなる
岡村病院から電話があった。今度の要件も喉の検査で別の病院に連れて行くようにとのこと。大至急と言う。両親のことで、「ああしておけば良かった」と後ろ指指されるのは、僕の人生に望ましく無い。今度帰る22日を前倒しして、対応できないものか?何かいい方法はないか?
2月10日(水曜日)
友人たちに
楽観は出来ないが先生の見立てでは癌の可能性が薄いことを伝えた。彼らは気を強く持って医者の言うことを聞かないかんと言われた。もっともだ。それを遡る数時間前に、コーヒーを飲み胃が痛くなっていた。その上、昼飯に、蕎麦のトッピングに「しんぎくと芋の天ぷら」を取った。この脂が災いして昼から腹が痛くなった。もう治ったと思っていたのだが、軽はずみな行動だった。やっぱり用心に越したことは無い。その反省もつかの間で、夕食はオジヤだがしっかりと食った。食い過ぎた感もある。とにかく、食べ始めると止められないのだ。そんなこんなで、今日は胃にとっては最悪の日となった。気分がウキウキしているのだ。
2月9日(火曜日)
本当にプールに行った。
胸が痛く、思うようには泳げなかった。食事は、途中の飯屋さんで頂き、昔の生活に戻ったようだ。このまま何事もなく、戻ればよいと祈っている。Kさんから電話があった。取り敢えず、状況は伝えた。彼も腎臓の件では頭を痛めている。何事もすっきりとしないまま生きてゆく辛さは、この2週間で十分に味わった。プールはそこそこの疲れで午後10時頃まで瞼は開いていた。ショールームはビジネス貸切で、一般客は1組だったので、レポートも簡単に仕上げることができた。パナソニックはB2B営業に舵を切っているのが当事者でなくてもここの展示を見れば分かる。数年後にはいい会社に変身しているだろう。折しも株安。今買い時だ。
2月8日(月曜日)
かすかな希望
今日は徳洲会病院で検査。胃カメラ検査は麻酔をかけて行うタイプだが、こちらは弱い麻酔で、途中で胃の痛みで気がつき、ずっと我慢してた。検査医の話では、どうも癌では無いらしいですよとの事。ホッとした。完全に保証されたわけでは無いので、100%安心というわけでは無いが、安心の確証が得られた。気分も相当楽になった。取り敢えず、勤務シフトは多くの人に迷惑をかける可能性があるので、キャンセルをお願いするつもりだ。そして、美味しい牛肉を買っておじやを炊いて食べる。これが取り敢えずの計画。プールは無理みたい。明日から再開しよう。元気が出てきた。
2月7日(日曜日)
仕事が一番
癌にかかって一番したいことは何か?と言えば、仕事だった。元気な時の延長で毎日が暮らせる。少しでも病気のことを忘れられる。ゆっくりしたら良いが?とは健康な人の言うことで、病人は仕事をしていたい。そんな心境だ。明日は検査、ここで入院のことなどの打ち合わせをして、それまでの間の時間はかなりいたたまれないだろうと思う。仕事があることがどれだけ幸せか?そんなところに行きつく。だが今日はお客さんとのオーディオ論議にも精彩感がなく、いままでは待ち時間に、将来こんなことをしたいと夢を広げる空想も、全然面白いアイディアが湧いてこず。例えば田舎の離れ屋で展開するAVの構想は、古色蒼然として見る影もない。目前の小さな希望は、万歩計を18,000以上に進めて、美味しいおじやを作って食べる事だけだ。リーガルのいい靴を履いてたので、歩くとかかとが減るので、もったいないと前の自分は思ったかもしれないが、今日はそんな事は気にならなかった。帰りにSV(スーパー)に寄って肉を買おうと物色すれば、それよりも安価なベーコンがあったので手を出した。霜降りの美味しい肉を買ったらよいのにと一瞬思ったが、やっぱり貧乏たらしく、安いので我慢してしまう。この4年間ですっかり貧乏暮らしが身に付いたようだ。それが、もしかしたらこの病気に結びついたのだろうか?もう後の祭りだ。
2月6日(土曜日)
心配事ばかり
今は食欲も痛みも我慢出来ないような状況では無い。夕刻に、胃が引きつるような痛みを感じるようになったがたいしたことはない。胃カメラ検査の写真では、白い炎症部分に向かって、付近の肉が引っ張られているのを見た。痛みは多分この肉の引き攣りの事だと思う。16,000歩は確実なので、夕食には貝を食べようと、アサリの茹でたのを買った。フードプロセッサーで粉々に砕いて、野菜も同じように細かく刻んで煮込んだ。毎日このような食事だ。多分消化不良は起こさないだろうと思う。風呂の中で、鏡の中のアリス(英語と翻訳)を読んだらいつの間にか寝てしまっていた。ちょっと前、仙台にいた頃の体調に戻っているのかな。(仙台に居た頃は、ほとんど風呂で本が読めなかった、すぐに眠くなってしまうのだった)アース・ウインド・アンド・ファイヤーのモーリスホワイト氏が亡くなった。パーキンソン病だとの事。実は、僕も木曜日から、左手の小指が意味もなく震える。ずっと昔にも親指が震えることがあった。これは進行性の病気だから、直ぐに発症しないが、ジワジワと体を蝕んでゆくらしい。いろいろと心配事が増えて困ったもんだ。
2月5日(金曜日)
もしかしたら
ゆっくり自転車を漕いで好きなことをして過ごそうと思ったが、他にすることは無いか?何か見落として無いか?今回の病気は見落としに一番の原因がある。そうすると浮かび上がってきたのは、徳洲会病院での検査だ。もっといい病院見てもらっては?と友人が言ったのを思い出した。それに、処方してもらった薬もやっぱり胃が焼けたような症状が出て来て効かないのだ。もしかしたら検査もありうると言うことで、朝飯も食べず出かけた。医師は、別の病院で診てもらっている事にいい顔をしなかった。しかし、僕は藁にもすがりたい気持ちでグッと我慢して、会話をつないだ。結果、2月8日に胃カメラ検査と、その日に処置の結論を出すとの事。それによって、高知で処置するのか、この病院で処置するのか決める事とした。僕は高知の病院が悪いとも思えないが、この医師の余りにも横柄な言動の奥に、自負心があり、これは尊重しても良いかなと思った。帰って書籍のスキャンを行った。入院期間中に読む本が必要だ。スキャンが終わると、腹こなしに「ららぽーと」まで歩いた。これだけの大きなショッピングセンターが近くにあってそんなに今まで真剣に探索してなかったと反省、館内の寒くない散歩も魅力だ。洋服を見ていると、ヨコシマの服が目立つ。どうやら今年の流行かな?そんな目で通行人の服を見ると、着ているわ!クマザワ書店によって、欲しい本が無いかと見れば、印刷機の歴史を書いた本があった。4,800円。高価だから、手が出なかった。帰って一本映画を見ようかと思ったが、食事の後、ネアンデルタール人を読んでいると物凄い睡魔が来て、寝てしまった。
2月4日(木曜日)
出発までは何もしないでおこう
ところが、そんなわけには行かない。役場に行って、父母の経過を説明。税の申告(まだ期限は来てないが、その期間に訪問できないので無理言って書類を預かってもらい、郵送で処理できるようにお願いした)更に、母のショートスティをするための申請書の作成。これは、貯金通帳のコピーなどが必要で、自宅でPDF化してメールした。こんな作業を行ってたら、出発の時間までほんの少ししか残ってなかった。その少しの時間だけ「トリスタンとイゾルデ」の一部を見た。これは愛のオペラだが、愛を語るにはイゾルデの顔が厳しすぎた。1989年にVHSに録画したものを、DVDに変換して焼き直したものだ。この時は、まだ映像に僕の芽生えが無く、3倍速で録画をしていたので画質も良くない。友人に送ってもらって空港まで行き、東京に向かった。機中は、「海賊と呼ばれた男」を読んだ。この本は感動の本だ。出光興産を起こした男の物語。石油の販売がメジャーに押さえられる中で唯一、日本の資本で石油販売を行った孤高の物語。松下幸之助も凄かったが、会社では彼の経営が実践されている現場に遭遇しなかった。歴史にはもしはないが、入社を出光にしていると、出光さんの薫陶が得られたかもしれないと、想像するだけでも楽しくなる。船橋に降りて、薬が効かないので板倉病院を訪ねた。胃潰瘍か胃がんかまだ分からないが、胃がんだと表面ではなく、奥の組織まで浸透していると言う。内視鏡では切削できず、手術が必要だと言われた。薬の変更をしてもらったが、この薬もやはり、胃の負担が大きく、尿が出にくくなるなど、僕には合わない。
2月3日(水曜日)
39
三重苦のことだ。自分の病気。父の病気。母の退院を迫る病院への対応。今はそのひとつづを片付けなければならない。まず母の病院へ行き相談。退院してくれとの要請には、うまくゆけば病院の最上階に介護施設がありそこに入居の道があるとのこと。相当の金額が発生するが良いか?「もちろんだ」これで、道は開けた。次は自分の事。高知を代表する医療センターを訪ね、入院とか手術とかの予約ができないか当たってみたが、無理とのこと。それでは、ここはパスだ。父の病院に行き、下着の交換や、今後のことを話して、院長先生に僕のことで面会を申し込んだ。先に行った病院への紹介状を書いてほしいとのこと。この先生は、先の病院と入魂なのだ。それには、データーが必要だとのこと。船橋で今かかっている病院のデーターを入手でき次第送ることで話をつけた。高須病院にもう一度寄ることを要請されていたので訪問すると、もっと安価な料金プランが提示され大いに家計が助かった。友人からはカレーを作ったので食べにおいでとお誘いがあったが、ちょっとむつかしいと断った。取り敢えず刺激物はやめておこう。今日は薬を飲んでないのですこぶるく調子が良かった。ただ、胃がひきつった感じはずっと残り、息をするたびに傷んだ。調子が復活したので映画を見た「ヒューゴの不思議な発明」。これは感動した。ヒューゴ曰く、機械には無駄な部品が一つもない。人間社会も同じだ。みんな必要な存在だと言うくだりがなかなか良かった。
2月2日(火曜日)
最悪
止めていた薬を再開した。大好きなイチゴの朝食も食べられず、パンもほとんど食べられない。悲観ムードが漂う。相当悪いぞ。会社の仲間に連絡して、休日を延長してもらい、これからの闘病生活のスケジュールをお伝えした。朝8時の飛行機で高知に向かった。体調は悪くとも、両親のケアが優先だ。バスで高知駅に行き、そこからタクシーで父の入院する病院へ。病院で紹介状を貰い、父を連れて耳鼻咽喉科の専門の先生がいる病院へ駆けつけた。父は肺に溜まった水を取るため利尿剤を飲んでいるせいか、トイレが近く、待っている間は、車いすをトイレの近くに止めた。先生の見立てでは異常なしとのこと。元の病院へ帰って先生に報告すると、「そんなことはないが」。と不信顔。でも様子を見ましょうか?取り敢えず父は安泰。汚れ物を抱えて、高知駅へ徒歩で。やっと食欲がわいてきて、サンドイッチを駅の喫茶店でいただく。自宅に帰り洗濯を済ませて、友人に報告し、おじさんに報告。スーパーで夕食の買い物をした。作った料理はおじやだが、だんだんと腕が上がってきている美味しいおじやを、ほとんど口にすることなく捨ててしまった。食べられないのだ。情けない。病気ってこんなことか。食べてないので薬も飲まず寝た。高知に帰った夜は映画を見るのが楽しみだったが、今日は音楽を聞く事も、映画を見ることも一切その気が起きなかった。
2月1日(月曜日)
胃カメラ
これで、状況が明確なると思った。一番乗りで病院に駆け付け、10時前から胃カメラ検査。麻酔をして行う胃カメラだったので楽だった。とんとんと肩をたたかれ気が付けば、終わっていた。しばらく後ろのベッドで横になるように言われて、検査結果を渡された。(本当は精算の為の資料にこれも含まれていた)診断は胃がんの可能性。ステージ2の後半。がっかりだ。目の前が真っ暗になる。いままで、贅沢もせず、趣味も止めて、いざ解禁と言う直前にこの始末だ。人生旨く行かない。昨年の7月14日に健康診断を受けていた。この時は異常がない。見落としかもしれない。わずか7カ月でも癌は進む。健康診断1年サイクルは見直す時期にあるのでは?まぁそんなこと言っても後の祭り。昨年11月16日大金を紛失した。この時謙虚になろうと反省した。反省しておきながら、なぜ自分を見直さなかったのだろう。「何か身の回りに悪いことが起こっているのでは?」ここまでは、考えた。そして、「もう一度カードの使用を止めた」。ここまでは、旨く連想が働いた。だが、「悪いことは、病気の可能性もある」と、なぜ連想を発展さすことが出来なかったのだろう。そうすれば、癌の進行はもう少し早い段階で発見できたかもしれない。塩気の食べ物は取らない、野菜中心の食事、運動は相当量行う、暴飲暴食しない。健康には随分と気を使っていたので、自信があったので、高慢だったのだ。結局人は、自信のある分野で倒れると言われるが、まさにその通りだ。
1月31日(日曜日)
すこぶる調子が良い
明日は胃カメラの検査日。それで、薬を止めるようにとのこと。すると、胃の調子が完全によくなり、復帰した。前の体に戻ったようだった。これならプールに行けるわ。(行かないけど)そんなことで、今日は機嫌よく過ごせた。こんなのが今までに続いていたのだった。プールに行けない分少し余分に歩いたら、18,000歩にもなってしまった。夜は、いつものごとく「おじや」。週報をまとめて映画を見ようとしたら眠くてそのまま就寝。やっぱり体力は落ちている。
1月30日(土曜日)
脅されたが、結局は雨
都心でも積もるかもしれない雨は、雨のままだった。朝目が覚めると、音がしないので、もしやと期待したが、何のことは無い、雨が降っていないだけのこと。気温は随分落ちて、9度。この気温だとこれまで食事の後、寒くて寒くて、ストーブの他にエアコンを点けていた。腹をこわしてから、はたと気がついた。ジュースが冷たすぎるのだ。それで、今日から、こしらえたジュースを、お椀に入れて、電子レンジで少し温めた。すると、朝食後の体の冷えが止まり、ストーブだけでOKとなった。朝冷蔵庫から出して作るジュースは健康飲料だと信じていたが、実は不健康そのものだったと、今更ながら気がついた。これで、すっかり内臓がやられてしまったのではないかと妙に気になった。一日中寒くて、昼食は外に出ようかどうしようか迷った。(ここのショウルームにもレストランはある)だが、万歩計が進まないので、一番近くのサイゼリアに向かった。そこまでは、日常のルーチン出来事だった。ところが、そこでとんでも無いことが。父の入院している病院の院長先生から電話あり、父の病状良く無いので、別の病院で検査を受けて欲しい要請。僕は自分の事で精一杯なのに困った。取り敢えず仲間と相談して休日の代役を取り決めしないといけない。やっと日程調整が付き電話を入れると、病院は要領を得ない受付で、携帯の「話し放題契約」に加入してないと僕は切れていただろう。程度に腹が立った。という事で、自分の事を棚上げにして、先ずは父の対応。2月2日に帰省。2月4日にこちらに帰ってくる。
1月29日(土曜日)
また雪か?
朝から天候すぐれず、会社に着くと途端に雨がきた。シトシト降る重い雨。気温は低く天気予報に詳しいガードマンさんは雪に変わるかも知れないと言う。「クリスマスじゃ有るまいし」。と言ったが、この山下達郎の歌詞をもじったジョークは通用しなかった。昨日の反省を生かし、今日はインドカレーの店でカレー4杯を掬った。小さなカップですねが。インド人の店らしく、割引券を入り口のカウンターにばら撒いてある。これを拾って精算すれば、1,200円のカレーが、900円になる。たっぷりと頂きました。今日から、待ち時間に読む本は「油井正一氏のジャズ読本」。1990年発行の書籍なので、取り上げられるアーティストも存命者が多く、音源も50年代から始まるので、音質がイマイチなのもある。でも、この世の中にある名盤をアーティスト毎に一通り舐める事が出来る。その後、カレーは胸焼けした。胸焼けも食道癌の兆候と、いい事なし。雨が強くなり、帰りはカッパを着てプールに向かった。運動が足りてないと、体が鈍ったようで気分が良くない。プールはこの寒さでもきちんと温度管理がされていて、寒くは無いが暖かくも無い状態で泳いだ。泳いだ後の体の軽さは、何物にも代えがたい爽快感がある。雨は止まず、気温も下がり、雪かな?と思いながら自転車を漕いだ。
1月28日(金曜日)
チョイと困ったことになった
腹具合が良くないのだが、医者の薬を飲んでも効果ないのだ。飲み込むものが喉につかえる現象は治らず、ネットで検索すると、食道癌の症状ですね。これは、突然やってくるらしい。これも同じ現象。いずれ食べられなくなり、水も飲めなくなると言う。そうでなければ良いのだが。余りにも現象がガンの症状と似ているので心配だ。もしこの癌だと、場所が場所だけに移転が早いらしい。先週は胸の方が痛かったが、今週からは背中だ。もう3月末まで仕事をして退社なんて悠長な事を言っていられない切羽詰まったものになるかも。来週の月曜日の胃カメラで判明する。健康診断に引っかからない病気の発生が、よく報じられているが、僕の場合も昨夏の健康診断では異常がなかったのだ。
まぁ安ぜても結論の出しようがないので、平常時の生活を営むしかない。という事で、夕食は、タラの野菜煮付けに挑戦した。あいにくタラがなかったので、スズキで代用した。オイスターソースで味付けをするのがポイントで、少々の酢が隠し味だが、この酢に高知から持ち帰った、柚の酢を使い、少し多めに加えたのが旨味を殺した。電子レンジ12分で完成。野菜たっぷりなので我慢して食べた。塩分控えめの美味しくない料理は健康の為に良いと思いながら食事をしてきたが、健康には余り関係無かった様だ。
1月27日(水曜日)
穏やかな太陽
喉に詰まる症状は、朝食の度にぶり返して、症状としては一進一退だ。昼飯はすんなりと通った。他は健康そのものの感じだが、一点だけが深刻さを増している。今日は、次回発売が予定されている高級クラスのテクニクスを買いたいお客様がお見えになった、アメリカのCESの情報による行動だ。つづくお客様も若い女性なのに、CESでOTTAVAを聴いてきたとか。地球は小さくなりました。CESに関していえば、今のBR(バーチャルリアリティー)はカメラ映像を組み合わせて、なりすましが出来るそうだ。詐欺の話ではなくて、複数のカメラ映像を組み合わせると、例えば、体操選手が実際に吊り環をやっている目線で、見る事ができるそうだ。これは、溶接とかの熟練工の技能をベテランが初心者に伝授するにも役立てるとか。カメラに関して言えば、インターナショナル宇宙ステーションに取り付けたカメラが物議を醸しているらしい。ここで撮影した映像を商売に使っているとかだ。特に、シリアとトルコの国境付近での難民の動きを撮影して販売できるそうだ。購入者はズバリ国家。その商売を考え出したのはロシア人だとか。ビジネスに国境はない。世界が小さくなり、あたかも目の前にあるように見える時代がやって来た。これから先どうなるのだろう?冬の寒さは去って、春がやって来たような陽気が漂うだが。気持ちは曇っている。
1月26日(火曜日)
もっと大きな病院
昨日行った病院は検査ができないので、大きな病院に行くよう紹介状を書いて貰った。この大きな病院はすぐ近く。この病院は、患者が並ぶことを知らないらしく、後から来た顔見知りの患者が僕の前に割り込んで、先に受付を済ましてしまう(まるでインドみたい)。腹立たしい病院だが、今日は小競り合いする気力もなく、ただひたすら待った。診断は、食道の検査が必要。2月1日に予約をして、CTスキャンを行った。CTについての詳しい説明はなかったが、肺炎も起こしているらしい。(昨日はゾクゾクしたわけだ)薬をもう少し強い効き目のに変更し、1時過ぎに退散した。〆て12,000円の出費だ。薬はよく効き、食事が喉を通らないのは、なんとか回避できた。まだ原因は不明で、食道ガンの可能性もあり、チョット気がかりだ。午後に時間はあったがプールは中止とした。肺炎で水泳とは若者でもできないので芸当だ。余った時間は、「ネアンデルタール」を読んだ。この本は、生物学の本と思ったが、読み進んでいると、調査に出かけた考古学の人達が本物のネアンデルタール人に遭遇するサスペンス小説だった(鈍感な私は100ぺージを過ぎたあたりで判った)タジキスタンの山奥にネアンデルタール人は住んでいて、(僕の興味を引きそうな土地だ)ここには、2つのグループのネアンデルタール人がいる事が判明。考古学の探検隊は、凶暴な方のネアンデルタール人に襲われて気を失い、温和なネアンデルタール人に助けられる。炭素検査法の発明で、古代の生き物たちが次第に年代別に明らかになるに従って、地球や人類の歴史が判明している。近年の解析は目を見張るものがある。AIの進化も、チョットついて行けないくらいのスピードだが、現在はそれが加速しているようだ。こちらの勉強もうかうかしてはいられない。
1月25日(月曜日)
病院へ
朝から食事が喉につかえて食べられない。食道の何処かにしこりが出来て、そこで食べ物が詰まっているようだ。空腹時の腹痛も相変わらず。まずは近くの町医者へ。診断は胃炎だろう。薬を貰った。薬の効果はあるようで、腹痛は治まった。だが、喉に詰まる症状は別。もう少し様子を見ようと、プールに出かけた。今週は、平日に泳いで無いので体が重い。それにしばらく経っても、背中の寒さが去ってくれない。ゾクゾクしながら泳いだ。やっぱり体調は元に戻ってないのだ。食欲は相変わらずある。夕食は肉が食べたい。牛肉を買って、他の野菜と一緒にミンチ状にして、雑炊の中に入れた。味付けは、カゴメのマシュマロシチュウの基をベースに炊き込んだ。味はイマイチだったのか味覚が変化したのか、肉、野菜ともバランスよく非の打ち所のない献立となった。でも、モノを飲み込む時食道が痛み、何かが詰まっているようだ。これはまずい。腹痛はもう6日間もつづく。もう一度病院を訪ねよう。
1月24日(日曜日)
腹痛収まらず
ちょっとまずいのでは?と警告灯が灯った。市販の薬を1箱のみ、症状変わらず。2箱目に突入(銘柄を変えた)。それでプールは当面お休み。週末の楽しみが一つ消えたから、今夜はレンタルビデオを見る。「インポッシブル/ローグ・ネイション」。例によって「君の使命だが・・」これを述べる機器はTechnics
SL-1200Mk2が使われている。もちろん、アナログレコードを再生するのだが、アクリルのプレーヤーカバーは、レーザー光線の映像を表示するディスプレイであり、お遊びとしてはまことに面白い。この映画は突っ込みがやたらと多い。例えば、飛行中の軍用機のドアにしがみつくイーサン・ハントはドアが開くやいなや、機内に吸い込まれるようにして入った。この飛行機は、後部ハッチが開いているので、気圧の差が生じなく、吸い込まれるのはあり得ないのだ。これが冒頭の突っ込みだ。だが、この映画はストーリーが、急回転するので、筋を追う方に意識を集中しないと、面白さが半減してしまうので、突っ込みは控えて筋を追うのに専念。131分、息をもつかせぬと言いたいが、トイレに2回ほど通い見終えた。(映画館で映画を見なくなったのも、これがあるからだ)。結局ハッピーエンドで娯楽の醍醐味が得られた。それにしても、美人であるようで、どこか崩れているレベッカ・ファーガソンは、気になる存在ですね。このBDは、最初のメニュー画面でドルビーのアトムスが選択できる。シアターから遠ざかっている間に、新しい規格がここまで来ている。音の方は、ハイレゾで一段落ついたと思ったが、映像系はどんどん進む。ディスプレイのHDR化も間近だし、大変な時代がやってきている。知識はともかく、資金が付いていくだろうか?毎年50万円程が必要みたいだ。はて、どう収入を得るか?健康が前提だが。
1月23日(土曜日)
青森の話。
今日は青森からお客様が訪問された。家の暖房を点けっぱなしにして出かけてきたと言う。そうしないと、水道管が破裂したり、瓶が割れたりするそうだ。1ヶ月に石油は500リットル焚くと言う。僕の一人暮らしは、ファンストーブだが、2回の補給だから、30リットル位。16倍もの消費だ。北国の暮らしは雪掻きもあるし、大変だ。そこ代わり、遅い春から一気に夏が来て秋を迎える季節の移り変わりの美しい事。カメラで収めたが、それだけでは表現できない美しさがある。定年後の東北地方を駆け回った一年は誠に貴重な体験だった。寝る前に「弥生時代」の本を読んでいるが、朝鮮半島から伝わった稲作は福岡県で根付き、山陰、四国、近畿へ波及し、一気に青森に飛んだ。中部や関東、他の東北は置いてきぼりが100~200年続くのだ。一説によると、縄文時代の生活様式、つまり、狩猟生活で十分に暮らしが立ったと言う。ではなぜ青森だけ?多分人の移動(船)が成し得たのでは?と言われる。しかし、その後、青森は、狩猟生活に戻っている。やっぱり、自然の恵みが大きすぎたのだろう。稲作は効率が悪いと。東北一年在住では、そのような深部まで掘り下げられなかったが、もう少しそこで暮らすと、昔から続いた食べ物の発掘が出来たかもしれない。そのお客さんは、悪天候のニュースを聞き、予定を繰り上げて今日帰ると言われた。今は新幹線で3時間で到着するので、そんなに大げさな旅ではない。仙台から車で行くと、岩手県を
抜けるのに2時間ほどかかり、これが退屈で 眠くて大変だった。雪道の緊張感よりも、睡魔との戦いは数倍キツイ。新幹線は凄い。
1月22日(金曜日)
世界の料理
腹痛は一日中取れず、そのまま、夕刻の懇親会へとなだれ込んだ。昔の事業部の仲間が世界一周するのを目的(料理で)に、東京のレストランを食べ歩いている。そして、今回はトルコ。今は何かと話題に上っている国だ。イスラムの国で一番活気のある国でもある。
年間観光客は4,100万人と言うから、日本の2倍もある。日本は6,000万人位来て貰って良い国だから、まだまだ努力不足。それはさて置き、銀座2丁目にある、「イスタンブール」で懇親会は開催された。満席。あいにくと僕は酒が呑めない。この状況で飲むと大変な事になる予感がする。料理は、お皿に色々と盛ってくるが、盛りようが日本風でないので、違和感がある(小さなお皿に山盛り)。味は「美味しくはない」。しかし、これは僕の体調が最悪期にあるから、正確な判断ではない。話題は、両親介護。ある程度の基本は行って、後は放っておけ。その方が、お互いに楽だ。そうしないと、こちらが潰れる。そう言われた。僕の胃痛も実は放っておけないので、こうなったので、身に染みて理解できる。長年親しんできた性格の否定は、受け入れがたいものがあるのだが今回ばかりは受け入れよう。その後、老後の過ごし方になった。ここで、僕の7つの遊びを開陳するのは、場に合いそうでないので、控え聞く方側に回った。病気があると、内向的になるのかな。
1月21日(木曜日)
胃痛
夜中に腹痛で目が覚めた。昨日の時々の腹痛は、今日本格的に痛み出し、朝をうつらうつらで迎えた。しかし今日は仕事だ。冷蔵庫の野菜室にある、過去病院で調剤してもらった薬を、ネットで確認して、胃酸過多の薬を飲んだ。だが、腹痛は収まらず、お客様が来られても、気が紛れ腹痛収まらなかった。昼食は最もシンプルなうどんを食べて(それでも腹が減っている)、薬屋さんで薬を買った。これで、治った。だが、夕刻には又痛み出した。空腹と関係するから、症状は胃酸過多から来る胃炎だ。でも、帰りの電車の中でほんのすこしうたた寝したら、痛みは消えていた。神経から来る胃痛かな?プールは控えて、積極的に歩いたので腹は減っている。かしわ入りのおじやと、焼き魚の献立を作った。出汁の素を使ったので、我ながら結構な美味いおじやが出来た。今回は、刻みネギと、すりおろし生姜を薬味に使った。後で考えると、椎茸+ミツバなどもこれに合いそうだと思った。今回は、体が動かせる程度の病気なら、何とか食っていけると思いましたね。乾してあった洗濯物を取り込みアイロンがけをする時、「アメリカンスナイパー」を観た。一度見ているので、途中で止めるつもりで再生したが、クリス・カイルがアフガンのスナイパーと対決するシーンに差し掛かり、決着がつくまで見てしまった。イーストウッドは見せ場を作るのが上手い。砂嵐がやってきて(凄い風が吹き荒れている)ヘリの支援がもらえない状況下で、1800m離れた標的をライフルで倒せるのはどうやって風の計算をしたの?と突っ込みたいところもある。又、アフガン側の兵士たちも、建物の上からアメリカ兵に狙われているのに、まるで撃ってくださいと言わんばかりにまっすぐ走るのは、どういう事かな?一方アメリカ兵は、一発づつ撃つ銃で対応、無数に現れる敵をなぎ倒すのに有効な機関銃を誰も持ってなかったのかな?「怒りのアフガン」でスターロンは連続発射のマシンガンを持っていたぞ。何だか変だ。そして、決まってスナイパーの映画には対抗する凄腕のスナイパーが登場する。そんなに上手く敵も行動してくれるか?と、いうことで、疲れているのに、突っ込みどころ多く遅くまでTVにかじりついてしまった。
1月20日(水曜日)
腹痛
朝起きると部屋の温度は3度だった。マンションではあり得ない温度。田舎の密閉度の低い住宅は、外の気温と同じだ。昨晩から腹痛に苛まれ、朝ごはんを作る気にもならず、父の部屋の片付けを行った。ゴミを袋に詰めて集荷場へ。忘れっぽいので、一個だけゴミ袋の捨て忘れがあった。それで、もう一度捨てに行く事に。水道管がむき出しなので、今度の寒波の為に、覆いを。一カ月留守にするので、母屋と離れの戸締りを。そんなこんなで、10時半に作業を終えた。僕の部屋の入り口には大きな花瓶があって、その中にお釣りの小銭が詰まっている。これを郵便局へ持っていき、通帳に記入してもらった。14,000円あった。もし泥棒が入ったら、こんな端数のお金でも勿体無いと思い処理をした。家に帰ると、11時25分。友人が11時30分に空港まで送って行くと言われたので、急いで戸締りをして、帰途に着いた。朝買っておいたパンとお寿司を空港のロビーで食べた。そうだ、顔も洗ってなかったぞ。空港のトイレで歯磨きと洗面を終えた、これじゃまるで浮浪者。この3日間は、結構慌ただしく食事は3回分食べ損ねた。疲れた。飛行機は定刻に出発した。今日は富士山が見えるだろうと、左側の窓際の席を予約したら、これは正解だった。浜松の沖辺りから羽田空港まで富士山が見えた。朝からずっと腹具合が良くない。不調を抱えながら船橋の駅に降り立つと、見慣れた風景になんだか安心した。日高食堂でレバニラ炒め定食。妙に美味しくない。帰り着くと間も無く郵便屋さんが荷物を届けてくれた。The
Beatles+1が届いた。輸入品の中古をアマゾンで買った。分厚い本が付属であるが英語だった。(ドイツ語やスペイン語だと最悪だが免れた)BDの映像と、BDに収録のハイレゾ音声が付いている。別の日に聞こう。変な疲れ方をしてて、10時には床に着いた。
1月19日(火曜日)
あわただしく
朝飯の支度、病院へ入院の準備、父には8時半に出発すると伝えてあるのに、ぐずぐず、訳の分からないことばかりして、時間を浪費、結局30分も待ってやっと出かけることができた。今度の入院は個室だ。看護婦さんが来て、当面緊急の治療をすることはないので、ここでゆっくり療養して体調を整えましょうねと言っていた。そうは言うものの、顔も足もむくんでいて、やっぱり入院の必要性があると思った。帰りに母の病院へ寄ったが、透析で留守。もう一度出かけて来る必要があるな。その間に、村の新聞屋さんへ、ところがこちらも留守、もう一度出かけてくる必要があるな。次は郵便局、郵便物の送り先変更の手続き、印鑑が無いので、もう一度自宅に帰り印鑑を押す必要があるな。今度は安芸病院へ。「母の治療のことで相談に来た」と告げても、らちが明かない。病院は上から目線で話してくるので、どうしても僕も対抗姿勢を取るようになる、短気を起こしてはいけないと思いながらも、やり取りが旨く転がらない。まぁ田舎の病院に生産性の事について、配慮しているかと要求するのが無理なことだ。22日の検診のキャンセルもケアマから連絡が言っている筈なのに、カルテには検診がしっかり残っていたりする。ここは、もう一度来るなんてできないので、こちらの要件をしっかりと担当医に伝えてくれるようにお願いした。次は、「寺尾」で刺身の魚を購入。「鯖と鯵」〆て1450円。これをおじさん所へ持って行って夕食時いただくのだ。次は、母の病院へ再び。食堂で食事を終えたばかりだった。一寸見ない間に随分と老けていて、最初は間違えたかと思ったほどだ。看護婦さんからは認知が進んだと告げられた。母は、父が退院するまで頑張ると言っていたので、今回の入院をよく理解してくれていると思っているが、認知の言葉だから不安。看護婦詰め所にもう要件は残ってないのか念を押して失礼した。今度は新聞の中止を告げる。家の冷蔵庫から先ほどの魚を取り出しておじさん宅に。ついでに友人宅を訪問し、いつもミカンを貰うので御礼に行った。御礼のつもりが、また、ミカンを貰い。何のこっちゃ。おじさん所で、従兄の娘が旦那さんを連れてきたので、少し話した。なかなか素直な青年だ。帰りに、ローソンでパンを買うために寄れば、従兄の嫁(先ほどの娘の母)が、ワンパック大関を手にしてレジに並んでいた。「どいて、酒かいゆうが?」と聞くと、「冷いきに、ストーブだけではどうぃてもぬくもらんがちゃ!」と言う。
1月18日(月曜日)
夜中は大雨だった。夜中に布団の中で、なんだ!雪じゃなかったのか?早めに起きてレポートを仕上げた。今日は高知に帰省する、いつもより一便遅らせて、朝のあわただしさを少し回避した。それは良かったが、あまりゆっくりして、雪のための列車の遅延を織り込まず、何と羽田空港に到着したときは、もう入場できなくなっていた。慌ててカウンターのお姉さんにお願いして、飛行機への案内のバス発車を待ってもらった。なかなかうまくいかないことが多い中で、今回は行幸だ。寒かった羽田空港から一転し高知龍馬空港は、穏やかな風が吹いていた。タクシーの運転手さんは、これでも寒いとこぼしていたが、こんなの寒さの内には入らないよ、一喝してあげた。最寄りの駅から徒歩で40分。家に帰り着くと4時半だった。これから留守にするので、冷蔵庫のあまりもので父とぼくの夕食を作った。母は一足先に入院してもらっている。家は父が尿を漏らして、臭いのなんの!しかし、今日の片付けはできない。予定が一杯だ。掃除は20日の午前中と予定した。食事の後はプールに出かけた。このプールは3月一杯で終了する予定なので、手持ちのプール券の消化が必要だ。閉館ギリギリの午後8時まで1,000m泳いだ。寝るまでの時間、フルト・べングラー指揮、ベルリンフィルハーモニーのベートゥベン交響曲5番をLPで聞いた。名演をよくぞ買っておいたものだ。僕の選択眼も凄い。戦争前のベルリンにタイムスリップした。特にチェロのパートが凄い感動的な弾き方をする。満足して眠りにつく。
1月17日(日曜日)
100歳まで生きるぞ
今日はこんなお客様がお越しになった。お客様から音楽を教えられることは多いが、「田端義男/別れ船」なんかは、記憶にない。戦前の歌だそうだ。割といい音で残っている。500万円のシステムで試聴いただいた。この歌を一緒に歌っていた人は最近亡くなったと。「東海林太郎の上海の街角で」は、カラオケ屋にもなく、歌う機会がない。この歌は一生懸命に覚えたものだ。これも聞かせてあげた。歌と同時に、一緒に歌いだした。間奏の合間にセリフがあり、それが違うと指摘された。果たしてどちらが正しいのやら?でも、84歳。ここまでできると知った。うちの母と同い年。一人は病院で伏せっている。「三浦こういち(漢字がない)/落ち葉しぐれ」これも知りません。戦前の歌は良かったと感慨深げに言われた。それは間違いない。音響機器が歌を悪くしたと五味康介さんが指摘してた。昔は、日との声の帯域しかレコードに記録できなく、どうしても音楽がメロディー中心となる。だが、LPレコード時代となり、低音から高音まで録音できるようになると、ピアノとかドラムスとかリズム楽器が人気となった。と述べられている。たぶん歌謡曲も同じような過程を経たと思う。そして今はrap-music。こちらも音響機器の低音再生の技術と関係ありそうな気がする。
1月16日(土曜日)
財務管理
自分の財産管理は、計算通りに行かないとつくづく思い知らされた。厳しい生活をしてきたが、一段落がつき、定年後の読書の楽しみにPCを買った。ソフトも併せると40万円程の出費だったが、これは計画しているから、問題なかった。ところが、先日ケアマネジャーさんから電話があり、父の具合がおかしいと。それで病院に相談しても良いか?と聞かれたので、どうぞと答えた。そしたら、父は病院から入院を薦められていたそうな。年末から。だが、お正月帰省した時に父はそのことを一言も言わず、放っておいた。結局は、急きょ入院することとなり、僕は月曜日帰省することとなった。両親の健康が一番の優先課題だから、否応なしだ。なかなか自分の思うように行かないと思った矢先、今まで起きたことがないことだが、階段で躓いた。まだ手が出るのが早いのでけがはないが、この時HDDを持っていたのだ。ほんの瞬間の出来事だった。でも正直にHDDは壊れた。お金で済む話なら、良しとしようと自分に言い聞かせることにしている。でも、クヨクヨ教が頭をもたげて来る。
1月15日(金曜日)
知人と懇親
浜松町の隠れ家焼き鳥「島由」さんで懇親した。かれは、まだ58歳で定年までに時間がある。既に定年生活に突入した私の生活に関心があり、いろいろと細部に渡って質問があった。僕は、仕事を続けて子供達の学費の支援を続けざるを得なかった苦境を話した。今は、会社も雇用延長で65位までは雇ってくれる様だから、僕の環境とは大きく変わっている。2012年1月~2月迄の2ヶ月の苦しみはどうしても表現できなかった。音楽も癒しとならなかった旨語った。それから、近況の話となった。かれも職場で英語が氾濫していて、相当困っている様で、ラジオ基礎英語3を始めたとの事。多分、この状況はどの企業でも直面している現象であり、もしこの影響が及んでない会社や職場は、現在のビジネス舞台から取り残されていくだろうと思われる。英語が必須との僕の読みは当たった。だが自分の子供達には通じなかった。彼らは将来、取り残されたパイを食って生きてゆくのだろうか?僕は社会に出るまで支援し責任は果たした。さて、NYtimesにとても素晴らしい書籍の紹介があった。My
Brilliant Friend。イタリアのナポリで2人の少女が成長していく物語で、途中から事件に巻き込まれるとても面白い本だそうだ。世界でたくさんのファンを抱えているとの事。作者は匿名で不明。調べてみると、日本語訳はない。だが、日本人の書評もNetに掲載されていて、やっぱり面白そうだと感触を得た。さて、私は果たしてこの本を買って楽しめるのだろうか?私の英語は仕事の必要性から、一歩趣味に踏み出す時を迎えている。
1月14日(木曜日)
相次ぐ訃報
ピエールブーレーズが亡くなった。クラシック業界の巨匠。日経新聞では、彼の偉業をこう湛えた。「かれは、音楽の指揮ばかりでなく、後世に残るコンサートホールや、教育機関を、建てた。それも、私費を投じてではなく、政府のお金を使って」と。先週のNYTimesも一面を使い偉業をたたえている。今読みかけで、感想はここに書けない。ブーレーズの演奏は、「ストラビンスキーの春の祭典」が輝いていると思う。「クラウディオアバド+ロンドン交響楽団」の演奏も、高く評価されているが、音が良くない。この音楽は、映画ジョーズのサメの現れるシーンに編曲して登場する程、チェロのクローズアップのは聞かせどころがある。その鮮明加減によって、映画は怖くなり、音楽は躍動感が増す。ブーレーズの演奏は、正に現代の録音機器の能力を見越した録音で、感銘の度合いが深い。もう一人は、「デビッドボーイ」だ。前にも、この人と、「ミックジャガー」「キースリチャード」の70歳Rockを書いたが、とうとう一人は逝ってしまった。最後のアルバムは
「ブラックスター」やっと最近アップルミュージックで聴ける様になった。バックバンドにジャズメンを入れて録音したそうだ。アルバムジャケットは、黒の星1つで、如何にも死を予告した様なデザイン。音は正確で、ベースが非常に安定しているし、ドラムスは繊細なシンバルを放っている。ジャズメンだけれども、彼らは譜面を見て演奏していることが明確に分かる演奏をしている。なかなか計算されたアルバムだ。なかなか寂しい出来事である。
1月13日(水曜日)
西方の音/五味康祐
僕は、1975年香川県と徳島県の間にある風光明媚な海岸で、その頃買った日産チェリーにボンボンベッドを積み込み、夏の間はここで寝転んで本を読んでいた。その中に、「西方の音」がある。タンノイとクラシック音楽の本だ。もうこの本の記憶は一切残ってない。それで、本の整理中に急に思い出して、iPadに持ち出し読み始めた。当時難解だと思っていたこの本は、今では読めば乗り越えられる程度となっている。そして、紹介される楽曲は、アップルミュージックで一つづつを確認できる。ただし、楽曲があまりも古く、録音された音楽は音域が狭く、こんな程度の音に当時は一喜一憂していたのか?と驚くばかりだ。このようにして、同じ音楽を共有できるので、意味が理解できるのもハードルを低くさせた理由。それと、知らない外国のオーディオ機器の紹介文面、これもグーグルで写真で確認できる。つまり、この本の外堀は今のITで埋められている。かと言って、素晴らしい文体に潜む背景はどこまで理解できているのか不明だ。今の雑誌評論の様に、無駄な文章がないし、繰り返しの語彙もない。文中であったが、昔モーツァルトの楽曲に対し、オーストリアのリンツ王様が言ったそうだ。「少し音符が多いのでは?」モーツァルトはすかさずこう、答えた。「リンツ様、私の楽譜には一音の無駄な音符はございません」と。僅か3日で書き上げた「交響曲36番リンツ」にまつわる逸話。五味康祐さんの文章も同様だ。僕の文章は誤字と無駄で埋め尽くされている。
1月12日(火曜日)
夢想ではない現実が
前から、僕はバッテリーが世の中を変えると再三してきたが、今日の日経新聞で現実のものとなった。アメリカのテスラ(クルマメーカー)は、家庭に据え置き型のバッテリーの販売を始めたと報道された。これは、太陽光発電でできた電気を貯めるもので、従来の価格の1/3の価格で提供するとあった。パナソニックがテスラと提携したバッテリー工場は最大で35GW/1年間の電池を供給すると言う。この数字だけではわからないが、日本で一年間に1,064GW/1年間(16兆円の規模)の電気の消費をしているから、この数字はおおよそ3.5%の電力に相当する。と言うことで、この話を聞きつけた日本の商社はビジネスの提携話を持ち掛けたが、供給が追い付かないとのことで断られたとか。この事実はアメリカと日本では市場があることが判明したので、各企業がこぞって参入してくるだろう。太陽光発電は中国でも生産が可能で、サムスン+パナソニック+LGがバッテリーの供給を上げれば、ホントに世界のエネルギーを再生可能エネルギーに置き換えるのは夢でなくなってくる。日本は電力自由化で、値下げ競争に突入しようとしているが、電力業界が目指す方向は間違っている。業界そのものが消滅しようとしているのだ。僕の予測では2020年と踏んだが、もっと早く普及するかもしれない。自家発電、自家消費。
1月11日(月曜日)
届きました
昨年購入したiMacが届きました。箱からして綺麗ですね。さっそく27型のretina displayで写真を表示してみると綺麗。iPhoneで撮影した写真も芸術家の作品のようにきれい。加工して作品にできそうだ。写真加工のソフトと書籍閲覧ソフトの入手はしばらくかかるので、今日はとりあえず確認だけ。もう一つのiPad
Proは、びっくりするほど大きい。こちらもさっそく、書籍をインストールし表示したら、目の弱い僕にも大きな文字で表示され、見やすい。この2つのセットは、読書用途だ。本屋さんを覗くと面白そうな本が一杯ある。取り敢えずメモしておこう。そして、時間が経過すれば、bookoffを覗こう。中古の本になっているかもしれない。中古の本は紙を触るのが汚いので、避けてきたが、一度スキャンすれば、もう紙は用なしだから、布団の中でも中古書籍を読むことができるのだ。まだ、どっぷりと読書にシフトはできないが、形は整いつつある。(後日、アマゾンをサーフィンすると、こちらがもっと発売直後の中古本も親切に安価で提供されていた)
1月10日(日曜日)
お正月に困ったこと
正月4日を高知で過ごした。田舎生活はこんなものだと確信したのが、日本食ばかりの生活となること。焼き魚、煮魚、刺身、野菜の煮つけ。主にこういったもので回すことになる。今回はおせち料理もありましたが、まぁどちらかと言えば、醤油味の世界ですね。それで、4日目にだんだんと、別のものが食べたくなった。その筆頭はマクドナルド。経営不振のマクドは、挽回の手立てがないまま、ファンドに売却されようとしていることころまで失墜した。だが、僕の中では、時々だがなくてはならないモノのアイテムの一つに昇格しているのを発見した。芸西村からでは最寄りのマクドまで自転車で40分と遠距離にあり、気分次第で行っているこちらのようには行かないのだ。そういえば、東京には新たしいハンバーガーの店がいくつかオープンしている。来週は3連休だから、トット探訪してみるか。それと、大阪の寝屋川市に住んでいた頃はよく訪ねた、ロッテリアがこちらでは見かけない。エビバーガーが懐かしい。それに、ハンバーガー屋のフライドポテトは自分でやってみるが、あのようにカリッと上がらない。油でべとつくのだ。これからどっぷりと田舎生活になるが、都会が懐かしくなるのは、ハンバーガーが食べたいと言う一点かもしれない。
1月9日(土曜日)
どうなるこの先?
連休初日で、多くのお客様が来館された。やはり関心ごとは、ハイレゾとCDの音の差。どんな方法でハイレゾを録音するのかの録音過程。普通の新聞や雑誌を見ても書いてない事ですね。いくら情報社会だと言っても、断片をつなぎ合わせて、一つの纏まった情報にするには、それなりの見識と、過去からの積み重ねの知識が必要です。何故、何故、何故?普通3回位唱えれば、大体が行き詰まってしまう。そこから先は、自問自答しながら、回答が得られるまで、待たなければならない。時間が必要です。それには関係ない文献から、意外なヒントがあり、解決に結びつく事もあった。DSDの再生で多用されている、「Dop」などはまさにこの例ですね。今はIAが急速に進化しているので、いつの間にかSiriと会話が続く様になるかもしれない。一人の寂しさをこれで補う事も可能になるかも。「2001年宇宙の旅」も過ぎた。」。「バックツーザフューチャー2」の2015年も過ぎた。未来はすぐにやってくる。その未来はバラ色か?どうやらNoだ。これから中国の経済混迷が10年ほど続くだろう。それに、原油安は、アメリカのシェールガスの影響が終わる10年後には、エネルギー革命が起こり、さらに原油安は続くだろう。日本の借金まみれの国家経営も恐らく、10年後には、無視できなくなる問題になっている。これが、経済の混迷3要素。政治の混迷3要素は、アメリカ、中国、ロシアの3極体制でにっちもさっちも行かない。それにアラブの石油収入減による破綻で、ますます無法地帯は広がり、テロは日常茶飯事となり、セキュリティの占める影響が無視できなく、EUは蓋を閉じる。3つ目には、AIやロボットが進化して、失業率が急増する。宗教の2大混迷要素は、イスラム諸国は原理主義に傾倒する。インドは、ヒンズー原理主義に。この世を正すには、元の形に戻る復元思想が原理主義だ。キリスト原理主義もソロソロ芽生えてくるかも知れない。
1月8日(金曜日)
生産性
北朝鮮の水爆実験が世界を震わしている。ようやるわ!と言うのが感想。でも、よう考えて見ると、この国は非常に生産性が高い。北朝鮮の軍事費は、5800億円。そんなちっぽけな予算で水爆も作り、ミサイルも打ち上げにも成功している。方や、日本。4兆9800億円もあるのに、華々しい成果はない(あってはいけないのだが、アメリカから高価な飛行機を買うだけで生産性などと言う言葉は管理職にないだろうな)。日本のロケット発射の宇宙ビジネスがやっと軌道に乗った位。しかも、これは軍事費とは別の予算だ。そう考えると、たぶん民主主義は効率が悪く、なかなか前に進まない。独裁政権が必ずしもいいわけではないが、シンガポールやマレーシアの発展はこれによるから、ある程度国の競争力の為には、必要な部分もあるかな。インドビジネスは少しお手伝いしたことがあるが、ここは日本以上にもっと物事が前に進まない。世界最大の民主主義のインドは、10年単位で動くような気がする。まぁそれも、平和あっての進歩であり、出る杭をたたくイスラムの世界は、生産性が長い時間をかけてもZEROだ。北朝鮮の話に戻ると、ここは、風景が近代化されてなく郷愁を浴びる農村があり、一般の人は(たぶん)先進国のようにすれてないはずだ。海岸線や河川は自然のままだろうし、きっと軍部に思想の面で目を付けられてなければ、この国は住みやすいのではないかと思う。
1月7日(木曜日)
7つ星と心
書籍の整理をしている。購入した本のタイトルに、何と、ノウハウ本が多いことか!安易に方法を取得しようとした、僕の軽い魂胆が透けて見えてくる。その本たちは、僕にとって何の効果も影響も果たさなかった。まぁパソコンの操作方法は別ですがね。上司との付き合い方や、上司のための・・なんかですね。交渉術についての本も然り。今思うと、寧ろ糧になったのは、有吉佐和子や、司馬遼太郎なんかの人物を扱った本が多いですね。いかに生きるか?人類にとって永遠の課題ですが、自分にとっては、このような本を下敷きにして自己探求に向った方が性に合っていたという事がわかった。人にはいろんなタイプがあり、他の人の話を聞く事が一番だったと言う、吉田松陰型もあるだろう。最近はIoTの言葉がもてはやされているが、「事実は強い」と冷静な生き方もあるだろう。そんな所で、人生63年生は、心のありかたに再び目を向けようとしている。所で、インドネシの新幹線ビジネスは中国のものも言わさぬ金塊にインドネシア政府は傾き、日本側は負けてしまった。箱物だけでは金の力にどうしても負ける。が、一方で日本は高速列車ではないのに、高速列車よりも何倍も高額な料金を払ってまで乗車したいビジネスが勢い付いている。九州を走る「7つ星」だ。他府県も習って導入しようとしているが、なかなかうまく軌道に乗らない様だ。この「心のビジネス」は強い。地中海クルーズもおんなしだろうな。日本のビジネスを輸出しようとすれば、多分この辺りに鍵があるのではないかと思う。なかなか外国人に理解してもらうのは難しいのだが。
1月6日(水曜日)
CES
電機業界にいる者にとっては、CESは重要なイベントだ。今年や来年を占うテクノロジーが発表されるためだ。さしずめ、今日のニュースは、テクニクスのアナログプレーヤーが4,000ドルで発売になる。SP10mk2並のターンテーブルだから、価格的はこんなものかな。テレビの話題は4Kと8Kだが、HDR搭載になっても、もう珍しくも何とも無い。UHDのブルーレイも当たり前だ。じゃ何が?車関係だ。バッテリーだけで、時速300km以上は出せる車が登場。バットマンに登場する様なデザインだ。サウジアラビアとイランが断交し、石油をめぐる戦いは新ステージを迎えた。この2つのニュースは一見関係無い様だが、重要な問題を含んでいる。それは、バッテリーの容量が劇的に大きくなった事だ。あと、数年もすれば脅威的な進化を遂げる。そう思っていたら、昨年末のNE誌でソニーから1.5倍のバッテリー技術解説が掲載された。プリウスのハイブリットカーに代表される様に、このバッテリーが家庭や、産業に、商業施設に隈なくはいり込み出すと、石油の需要は半減する。今は、アメリカのシェールオイルで、価格の下落が起きているが、今度の激震(多分2020年頃)は、エネルギーの需要激減だ。今は、アラブの国は、石油があるので西側からチヤホヤされたが、石油に魅力がなくなると、誰も見向きもされなくなる。僕は、「スニンやシーアといがみ合わないで、テクノロジーに目を向けて」とメッセージを送りたい。さらには、画像認識が進む、併せて4Kカメラが台頭する。この2つの組み合わせは、セキュリティーに大いに役立つ。パナソニックがアメリカとイギリスの警察に、ウエラブルカメラと画像認識とセキュリティーシステムを商品化した。警官の目が情報として、本部で記録されるし、分析もされる。ISも警察の目を潜ってテロを仕掛けたが、これからは、総人口総ID化される様になると、少し難しくなるかもしれない。それに、資金源の石油が涸渇する。家族の目を盗んで、こっそりアキバでデザインのよく似たアンプや、カメラの買い替えなども出来なくなる。
1月5日(火曜日)
趣味の三ケ年計画
まだ、世間は正月休暇なのか、道路の混雑もなく、電車も割と空いていた。昼飯にいつもの韓国のおばさんが販売する焼肉弁当を買って、事務所でマジタン(英語の単語テストソフト)を操作しながら弁当を齧る。TOIEC500点前後の単語のレベルだ。500点では絶対に外国人と自由な会話ができない。実際の会話は度胸で頑張って、聞き取りに感を働かせるしかないのがこのレベルだ。英語の字幕があれば、何とかなる。田舎で、妙に音楽と密接感が薄れていたが、ショウルームでは、楽器の艶や、音場が見渡せられて、耳の低下はあるもののいい音響はキチンと解ると思った。田舎のオーディオは、もう少し高域を強めるほうがいいだろうとも思った。音楽とカメラ三昧の年賀状があったが、僕も今年は、三昧の支度をしようと思う。封印している三昧は、1、自転車。2、読書。3、映画。4、カメラ。5、海外旅行。射程距離にあるのは2の読書。モノクロで読み込んだPDFファイルに、カラーで読み込んだ表紙を合体する作業に入った。数が多いので、今年一年を要するだろうが、4,000冊オーバーの電子図書館が完成する。iMACで閲覧が出来る様にするつもり。持ち出しは、iPad
pro 。3の映画は、2,000枚のDVD、BDにランダムに記録してある。エクセルシートにタイトルを打ち込んで、番号整理が必要だ。これは、2017年迄かかるかも知れない。鑑賞の機器は、AVアンプの購入(ヤマハAVプリアンプCX-A5100)が必要。スクリーンとプロジェクターは、ディスプレイにするのか迷う所。どちらを取るにしても4KとHDRが落ち着くまで辛抱。4のカメラは、ニコンのD500が発表されたので、これを目標として、計画を練ろう。年末辺りがねらい目だろう。1の自転車は、折りたたみの軽量タイプを物色。長距離は列車で、そこから先は自転車でとハイブリットを計画、自宅からの出発はもう体力が持たないだろう。3ケ年計画を作成しなければ。
1月4日(月曜日)
我が家へ
朝早く起きて、レポートを仕上げた。昨日の酒は完全に抜けていた。世間は今日から仕事。私はまだ、お正月気分。洗濯。母の食事。台所の掃除。結局、帰省して5回もの拭き掃除を終えて、やっと台所の汚れが幾分マシになったといった感じ。近所のおじさんがサワラを持ってきてくれた。皮付きだったので、皮を取ったら手がベトベトになった。脂が乗って美味いだろう。父の昼飯用に。その他に、クジラと大根の煮付けを献立し、洗濯物を取り込んで出発の準備。慌ただしくて、本は読めず。これから過ごす高知での時間配分を試みたが、食事と掃除で3時間は消費する。これに英語2時間を加算すると5時間。1日の活動時間12時間とすれば、農業の時間は5時間程度。さてどうするか?タイムマネジメントをしっかりしなければ、何の実りも無い一年を送る事になりそうだ。友人に空港まで送って貰った。茨城の先輩に「司のタタキ」でお歳暮のお返し。友人に貰った文旦とフルーツトマトで荷物が一杯。帰宅の通勤ラッシュに揉まれ汗だくで船橋に降り立った。フラフラだ。今日はもう歩けないので、めったに使わない最寄りの駅まで京成電車に乗ることに。その駅からだと自宅まで5分もかからない。大神宮さんは、夜店が出ていて、どれも500円くらいで、屋台の食べ物が買えた。心を鬼にして自炊する事にした。部屋にたどり着くとホットした。自分の匂いが充満している。住めば都。ハイレゾを流しながら夕食の支度。味付けを控えた烏賊の味噌煮は、美味しくなかった。味の濃い正月料理ばかり食ったので、これでも良しとしよう。
1月3日(日曜日)
船中八策
高知の友人に頼んであったこの酒。日経新聞で一番を獲得した。友人は、相当苦労して探したとのこと。この酒を囲んで、もう一人の友人宅で懇親会。この酒は美味い。常温で丁度。冷やせばもっと美味いだろう。高知にこんな酒があるとは知らなかった。と、言うことで、一升瓶を二人で後5cmのところまで開けた。こんなに気分良く飲めたのは久しぶり。酒は、肴と友がいると言われるがホント。何を話したのか記憶なし。その後、こちらの友と海を見に行った。太平洋を見ながら、少々耳に痛い説教された。これだから、友人は価値がある。でも、酒は覚めなかった。帰って、今度は、おじさん宅へ行って母のことを報告した。それから農業のことも聞いた。おじさんは、獣害の事を相当心配していた。動物との知恵比べだから、絶対に負けないぞと、抱負を語ったら、「夢を持つのは大事なトコだ」と励まされた。午後8時頃まで話し込んで、ローソンへ行ってアイスクリーム。それでも酒は抜けない。4合の酒は体を通過するのにどれくらいの時間が必要だろう。
1月2日(土曜日)
原因究明したものの
夜中に雨が降った。雨音がトタンの納屋に当たる音が気になる。「ぽたぽた」ところが、左側を下にして横になると、その雨音が止まる。ひっくり返ると、再び音がする。右の耳の感度が相当落ちているようだ。昨日音のツヤが消えたと書いたが、機器の影響よりも、僕の耳に問題があるようだ。台所の拭き掃除と自分の部屋の掃除。掃除は、どこへ行っても僕に付いて回る。午前中名簿の整理をして、午後から印刷。夕刻発送。今年は時間が無くて、多くの年賀状を共通の文面で済ませた。昨年は丁度TV出演があったので、多くの方にはそのシーンを使わせてもらった。今日は酒抜き。「長靴をはいたネコ」を見る。シアタールームはアンプが無い為、PCでBDを再生した。このアニメは音楽盛りだくさんだが、感動の音は蘇って来ない。この先一体どうして生きてゆけば良いのだろう?名古屋の友人に電話。オーディオとカメラ三昧とのこと。ジェンセンのスピーカーを使っていると言う。一度訪ねなければ。僕と全く同じ老後を歩もうとしている人だから。大分の友人にも電話。市営の球場を管理するアルバイトをしている。こちらは、冬に牡蠣とフグ、夏場はハモ。いつ来るの?との催促。静岡の先輩に電話。帰るまでに一献との催促あり。
1月1日(金曜日)
感動のないお正月
朝6時出発。三宮駅前でマクドナルドを買って(新年早々マクドかよ?と言うのもあるが、安全でおいしく早いのも捨てがたい)、新神戸駅に向かった。所要時間は30分。駅の待合室で朝マック。毎日新聞、朝日新聞を買った。久しぶりに読む朝日新聞はかつての文学的香りのない筆で、しかも読むべき特集がなく、あの朝日新聞はどこに行った?ここ数年のごたごたで、筆の立つ筆者は去ったのかな?毎日新聞は、少しだけ今年を占う記事があり読んだ。だが社説は、他人事で、自分たちで何かをしたい文言は一切なし。これじゃ酒の席で、我々がほざく言いたい放題と同じ。7:00発の鹿児島行きの「さくら」に乗車した。この列車が「鹿児島」に着く頃に、私は高知の「ご免駅」に着く。何たる差異。ここから、「土佐くろしお鉄道」で、和食駅へ。それから、徒歩40分で自宅。到着したのは12:00だった。友人宅でビール一杯ご馳走になり、自宅へ。ひっそりと静まりかえった我が家は、いつもの我が家だった。雨戸を開けて、部屋に風を通し、父とお年始の酒を飲んだ。変わりない事が何よりの吉報。お正月なので、滅多に使わないオルトフォンMC15(カートリッジ)を取り出して、The
Bandのラストコンサート3枚組LPを演奏した。妙に音のツヤがない。耳を近づけると右の高音が出てない。トリオのチャンネルディバイダーが上手く働いてない。4月帰省後、ここは一番先に手を打つべきポイントだ。その後、ゼンハイザーのヘッドフォンに切り替えて、東京ジャズを見たが、これも感動がない。どうした?
12月31日(木曜日)
年の瀬の出来事
流石に、おおみそかは人出が少ない。ご案内のため、付近をぶらついていたら万歩計が跳ね上がってしまった。知らなかったが、今日は18:00で閉館だ。遅くなる覚悟をしてたが、問題なく、18:00過ぎに退社出来た。久しぶりに神戸でお寿司でも摘もうと、ガード下のいつのも双葉寿司に行った。愛想の悪い年配のおじさんが寿司を握っていた。つまみ食いをしたのか、ヨウジを口に咥えていた。そのヨウジから漏れる唾と、手が接触したのをしかと見届けた。普段の僕なら、席を蹴って出るのだが、今日は大晦日。荒立てるのは止そう。ところが、お寿司は一級の味で、僕は困惑した。少し摘んで退散するつもりだったのだ。これじゃ帰れない。結局、ワインまで注文し、年末の夕食会は壮麗に仕上がった。ホテルで日報を記入しながら、NHKのクラシックコンサートを見た。少し前に、音大の先生が、Janine
JansenのVivaldi四季の演奏が早いのは、響きの少ない古楽器を使っているからだと、説明下さって目から鱗だった。と言うのは、響きの少ない楽器は音がすぐに消えるので、早く演奏しなければならないと。なるほど、理屈だ。ところが、今日のテレビで、「日下沙矢子」がやはりVivaldiの四季をベルリン・コンチェルト・ハウスのメンバーと一緒に、演奏しているのを見て、先のJanine
Jansenと同じように躍動感あふれる高速演奏を行った。僕は、もしかしたら、これは音楽の潮流じゃないかと思った。この番組は、今年一年の素晴らしい演奏のハイライトばかりを放映したので、大筋でクラシックを理解することができる素晴らしい番組だった。録画設定をしてあるので、後でゆっくり研究しよう。
12月30日(水曜日)
大阪の勤務
大阪と東京は同じシステムで運営されているが、NASに入っている音源はフォルダの名前や、入っている音源も違う。それに、結構演歌も多い。お客様のリクエストに瞬間的に答えるには、使い慣れたフォルダーで無ければ対応不可で、今回は、この日のために用意したNASを持参した。併せて、配信でも対応可能な状態でお迎えした。東京と違うのは、入場者数が、5倍くらいあるので、トイレや食事の制限があるのが辛い。お客の対応難度は同じだ。大忙しでこの日を終えた。やっぱ、大阪弁で接客できるのは、楽やなぁ。最終回は、大阪の友人たちをお迎えし、タップリと最高の音質を堪能してもらった。音質評価は丸だ。こちらは、アナログプレーヤ(SL-1200ltd)が設置してあり、ハイレゾと、LPの音の違いを確認することができた。概ねハイレゾの方が良いとの事だが、音の塊かんみたいなものは、LPの方が良いと言われる。演奏の操作や、選曲など、もハイレゾに分があり、LPは郷愁のみの存在かなと思っていたが、音質の評価もある。個人的には同じ音源を揃える必要はないかなと思う。さて、作業終了後は懇親会。茶屋町界隈は大勢の人出。中々、目当ての店には入れない。やっと落ち着いたら、2時間制限。今が書き入れ時だから仕方ない。W氏の異様な肥え方が気になった。食べ物も肥える方向の選択だった。心配。話題は、色々あったが、来年は又、高知に集まろうと。その時は、僕にも自由時間がある。如何様にも対応できる。ついでに農作業も手伝って貰おう。
12月29日(火曜日)
大忙しで
昨日中に済ましておけば良いものを今日まで引き延ばして、ギリギリになってから仕上げるのは、今に始まった事ではない。今日は、大阪への移動日だ。余裕を持って、13:00の列車を予約したが、出発予定の11:00まで汗をかき、雑事を済ませた。11:05戸締りの確認をして出かけた。まずは、船橋のデパートへ。お土産の買い物。東武百貨店は大混雑。結局1時間を要して、船橋発12:15の列車。東京駅は大混乱。JRはこの人々を着々と裁くから偉い。僕の出発電車は13:10に遅れた。列車とホームの間に人が転落、救出のための遅れだ。落ちた人(多分子供)は怪我をして、JRに遅れの賠償をしなければならないだろう(Netで調べると数十万円)。だが列車は定刻に大阪に到着。時刻表を確認すれば、東京-新大阪間は2:33の所要時間だ。通常は2:23なので、このような事故を想定済みだ。偉い。逆に言えば、この事故にあった子供さんは、事故に遭うべき人生を歩んでいたとJRは知っていたのだ。大阪のショウルームで引き継ぎ業務を終えて、この日は退散。天満で友人と懇親。T氏紹介の権兵衛さんは、満員で入れず。他の店も結構一杯だ。結局ビニールで囲った店で腰を落ち着けた。足元が寒く酒に酔わない、それが今回はいいのか悪いのか不明。食べ物のメニューが少ないなど、難はあるが、懇親が目的なので別に問題はない。寒さが極限に達したところでこの日はお開きに。宿泊は三宮のスーパーホテル。他のチェーン店と違い、ここは普通のホテルのような接客。喫煙室だったので、窓を開けて換気をしながらエアコンを最大に。気持ちの良い風が入って来た。15,000歩を歩きこの日の目標を達成した。
12月28日(月曜日)
定年のお祝い
ちょっと時期尚早だが、自分で決めた定年に近づいたので、ここらでお祝いをしたいと、買い物に出かけた。僕は普通のおじさんと違うので、理解してもらいにくいのだが、Macintoshのパソコンを買ったのだ。それに先駆けて、ソフトウエアも購入した。息子を秋葉原まで呼び出し「学生証」を提示させ購入した。息子の卒業が近づいてきたので、お祝いを早めるしかなかったのだ。アドビの「PDFプロ」と、Elements16だ。いずれも学生用が安く半額くらいだ。めったに会わない息子には、ちょうど良いタイミングだから、纏まったお金を渡し、3月までにシンガポールへ一人で行き、3箇所を見てくるよう指示した。意気地のない子の事だから、「よう、行きませんでした。お金を返す」というかもしれない。これは、様子見だ。次にMacの売り場に寄ってパソコンを買おうとしたが、相変わらず、ヨドバシカメラ秋葉のMac担当の店員は態度横柄。「日にちを指定して買い物をしたいのだが」と言うと、「その日によって在庫が変わる。その日に問い合わせて下さい」。それは、「欲しい時に来て、無ければ又来店すると言うことか?」「そうだ!」と言う。わかりました。もうこの店はダメだ。前回はiPadの購入で同じあしらいをされた。何でこの店は店員が偉く、客が弱いんだ?配達も有料。そうだ、配達無料のBigcameraで買おうと船橋の店に行った。ここは、在庫あります、と丁寧に対応があり、日にち指定もOK。しかも、前モデルがあり、5万円も安いと説明して下さり、ここで僕は定年のお祝いを買うことに決めた。325,000円だった。来年の11日に到着する。あっ、このMacで何をするかって?27型の大画面を生かしてスキャンした本を読むのです。