2024年
2025年はここに掲載です


2025年1月1日(水曜日)晴れ
6時には起きて部屋を温めながら、滞っていた日経のデーターを打ち込む。新聞記事は遡って読むには量が多く大変だが、世界と言うかアメリカの経済データーを追っていくとおおよその変化がわかるから時間の短縮に便利だ。
7時に夜須のお惣菜屋さんへ皿鉢料理を取りに行く、帰りにコンビニで新聞購入。西分の信号機で息子を見かけた。初日の出を拝みに行っていた。500人くらいの人出だったようだ。

新年の皿鉢料理は2人で黙々と頂いた。僕は土佐鶴の熱燗と、沖縄の泡盛を呑んだ。コップ一杯で十分酔った。僕は台所で新聞を読みながらうたた寝、息子は車を引き出し日光浴。その後息子は出かけ僕は年賀状を認めた。今年の年賀状は、これで年賀状を辞めるとの文言が目立った。自分を表現するのが苦痛なのかな?10くらいある候補から絞り込みを始め、キーワードで占められる事件を選択する。該当する写真を加工する。FBよりも手の込んだ編集を施し発信する。

午後は新しく買ったテレビの設置。グーグルTVは設定が大変だ。もう普通の電気屋さんで扱えるレベルではないし、グーグルのIDを持ってなければ出来ない。買ったテレビはシャミオ55型。パナの42型テレビと同じ外形寸法。テレビ台はそのまま使用。
LDプレーヤーをs端子→HDMI変換で出力したが、画面が大きすぎて見られたものじゃない。取り外し、32型PCモニターに接続した。
55型にPCを接続し、先に行ったウィーン旅行記を映し出したら、バッチリ美術館の絵画展が完成した。ドイツ語の解説文も日本語に変換してあり、個人美術館としては大規模なコレクションが出来つつある。他にも水族館や植物園などあって、楽しみが期待できる。
未編集が多く、どこまで制作できるか不明ですが。

夜はこれでFBIを観た。僕的には55型はデカすぎ。48型若しくは42型までサイズを落とす必要がある。シャミオのミニLEDテレビはくっきりで、とても7万円だとは思えない出来だった。

2024年12月31日(火曜日)晴れ
何にもしなくても良い日。気持ちが楽。外気が温まった9時から行動開始。お墓掃除とシキミのお供え。神棚へ榊のお供え。部屋の掃除。赤野の求君に日当の領収書、理恵ちゃんにお砂糖の注文を届けると息子が帰ってきた。昔のようにマルチタスクとは行かず、できることは少ない。ここでもう午後4時。一緒にスーパーマーケットと本屋さんへ。

夕食はイノシシのすき焼き。僕はお砂糖屋さんであるから、極上の砂糖をたんまり使って調理。息子も私もこれは美味いと舌鼓。
黒糖はミネラル成分を多量に含むので、これと醤油だけで極上の調味料となる。
まぁ、1000円分くらいの砂糖を惜しみもなく使ったのでこの味だった。でも普通こんなには使えないよね。と言う事で一般的ではない調理でした。

夜、僕は早々に寝て息子はお寺の鐘を突きに出かけた。

2024年12月30日(月曜日)晴れ
杖をついた婆さんがやってきて、「兄をよろしくね」と言った。婆さんは実ちゃんの妹で90歳。実ちゃんは95歳。高齢化が進んだとはいえ、かくしゃくとしている。婆さんは小学生の頃、牛を引いてサトウキビを絞ったと言う。牛も同じところをぐるぐる回るので途中で動かなくなると、牛を叩いて動かしたと話をされた。我が家にもサトウキビを絞る機械はあったがそれはモーターで駆動する機械だった。婆さんの思い出は日本のサトウキビの歴史でもあった。

今日は実ちゃんの収穫したサトウキビを僕と2人で焚いている。普通は4人体制だが、年末の多忙な時期とコロナ罹患の関係で動けるのは2名だった。
まっ僕1人でほぼこなすようなもので大変忙しかったし、時間も8時間くらいかかった。「95になると身体がそう簡単に動いてくれんわ」と愚痴をこぼす、それでも実ちゃんからはまだ学ぶ技術もあって僕の身になっている。特に多くの人から下手だと言われている「白灰汁取り」のタイミングを今日はじっくりと見せてもらった。

未だ明るいうちに帰れたが、もう何もする気にはなれなく、AmazonプライムFBIインターナショナルを見る。メールではESTAから承認が取れた通知。息子は明日帰る連絡。

2024年12月29日(日曜日)晴れ
この冬一番の冷え込み。伝承館で蜜を焚く127kgで少しの量。毎日怒涛の日々を送っているが、とうとう常態化してしまった。明日は自分の砂糖でなく実ちゃんの砂糖を焚く。これでしばらくは砂糖から離れる。時間が自由になると、不安になる。大きな負荷が突然なくなると、これで良いのか?何か忘れていることはないのか?そんな不要な心配を始める。負荷がなくなると、エンジンを高速で空回りさすようなもので寿命を縮めてしまうような気がする。少しづつ軽くなっていくのが良いが、急にゼロではマズイ。

ESTAから再びメール。業を煮やしたのか英文(今までは日本語だった)。申請書類が不備との事。アメリカへの入国は結構厳しい。

2024年12月28日(土曜日)晴れ
朝は曇って寒かった。サトウキビの原木を切り、まっすぐで長い茎を10本一と組として6組み埋めた。上にビニールを被せ雨が直接染みないようにした。それから、収穫残しの未成長株を切り出す。とんでもない数を切り出したが重量は127kgだった。多分糖度も低く(後で計測し15.4)砂糖としては未熟のはず、それで「蜜に焚く」。蜜なら量が少なくとも焚ける。

30日はコロナの関係で出勤者が確保できず、僕と実ちゃんの2人で焚く予定。1釜なら2名で行ける。僕も30日の予定だったが、応援者がいない事で29日に繰り上げた、それで収穫量が200kgに満たなかった。

今年は製糖の臨機応変が出来るようになったし、収穫量を計算すれば過去最高6300kgに130kg足りないところまで来た。株は古くなると収量が減るのだが、今年は天候の影響で盛り返した。地球温暖化が好影響。

夕刻風呂を焚いている時、理恵ちゃんから電話、妙に呂律が回ってない。言葉がすらすらと出てこない。僕もその傾向があるもののかなりひどい。話は飛ぶし、電話の要件が掴めない。娘夫婦のことや横浜での仕事のことも聞かされた。結局「くずし」の砂糖が欲しいとの事だった。31日は休みだから届ける約束をした。理恵ちゃんは認知症の方向にあるような気がする。

2024年12月27日(金曜日)晴れ
伝承館5時。やっとみんなの収量が減ってきたので、出勤時間が遅くなった。裏方の流し込み作業を手伝ってくれる女性がコロナで欠勤、片付けも含めて僕が引き受ける。まっ僕の方が手際良いけどね。忙しさに拍車がかかるからいつもはできない。

釜の縁にアルミホイルで包んだイノシシの肉の塊を置いておいた。釜の縁は焼ける程熱くはないが、低温長時間ではモノが焼ける。午後2時ごろに開くとうまく焼けていた。低温加熱は肉が硬くない。塩胡椒を振ってかぶりついた。美味。理想の調理だろうが家庭で焼こうとすればエネルギーが勿体無い。ここならではの料理だろう。

3時半に終えたので、帰ってサトウキビの原木を切って、埼玉の知人に送った。茎が紫になるサトウキビを探しているとの事だった。僕の栽培する黒街道は正に紫色になる。他の仲間はなってないので、埼玉で上手くいくか確信はないが。

昨日買ったお惣菜が余っているが、今夕も買い物に出かけた。今日で年内最後との事。余った分は冷凍。自炊をしなくなったのは、サトウキビで忙しくなったため。30日まで仕事をする。多分1月2日か3日には絞り始めるので、1月5日頃に、クリスマスとお正月が同時にやって来る筈だ。

2024年12月26日(木曜日)曇り
朝の雲行きが悪く作業開始を躊躇していると雨が来た。サトウキビの収穫開始時間はもう少し待とう、風呂に入ってゆっくりしてからとした。雨を見ながら風呂に入るのは気持ちが和む。ここは蚊が多いので、窓を開けて雨を眺められるのは12月~3月まで。自然の中とは聞こえが良いがそうではない部分が多いが。これだけは格別。ユニットバスでは息が詰まるかも。

9時、雨も上がり太陽が出てきたので収穫開始。下の葉を取り除いてないサトウキビなので少し時間がかかって午後4時に250kgを取り上げた。車に積んで明日納品する。

風呂を焚き、お惣菜を買いに夜須へ。ここで師匠と出会う。明日の引き継ぎを受け別れる。師匠は車の運転が荒く瞬く間に見えなくなった。

明日は5時開始なので夜は少しだけゆとりがある。ジョージ・ウインストン/ウインター。ピアノの弱音は、エアコンの送風の音にかき消されて聴こえず、薪ストーブか、暖炉のある部屋で聞くべき音楽だろう。ここにはないが。

2024年12月25日(水曜日)晴れ
午前4時から伝承館。僕は一番~二番釜で400kgの砂糖を焚く。3番から7番釜まで仲間が焚く。今年は思った以上の収穫があって、6000kgを超える。まだ200kg残っている。もうかっぱ市場のキャパを超えた量で、同じ収穫のあった一昨年は11月中は半額セールを行った。

作業は僕が動けば動くほど仲間は動かないから不満がある。でも、もうその人のためにアドバイスをしてあげる気は起きない。世間の評価を享受すれば良いと思っている。上司でもなく友達でもないから。
その夜師匠から電話。風邪の症状はないか?「元気だよ」と答えると、「女房がコロナにかかった」。みんなの症状を聞いて伝承館を閉鎖するか検討している、と言う。

結果、取り敢えず「ダウンするまで営業をする」と連絡があった。27日は僕のサトウキビを製糖する日だが、予定通りとした。日高のK子が来る予定だったが、「来ないで欲しい」とメッセージを送った。
クリスマスはコロナで振り回された感じ。

2024年12月24日(火曜日)晴れ
収穫は朝早くから行えば効率はいいが寒そうで9時開始。世間はクリスマスイブ、僕を含めてサトウキビ仲間は収穫か、伝承館で製糖作業。毎年クリスマス、大晦日、お正月の催事はない。お砂糖に振り回されているのか、それを口実に日常から遠ざかろうとしているのか。後者が強い感じ。収穫は午後2時半に終了し、車に積み込んだ。

作業が終われば急いで服を着替えPCの前に座りESTA(アメリカ入国申請)。成功した通知の後、パスポートの写真が不備と受付を却下された。

夜購入したCDを聴く。最新録音のCDはとんでもない帯域の音が入っている(ショスタコ4.5.6番/マケラ)。もうハイレゾは不要か?昨今LPがもてはやされているが、CDを超えるものではないと思う。LPの気持ちよさは否定できないが。

2024年12月23日(月曜日)晴れ
コロナが人々に与えた影響は、孤島感と所得格差だろうか、これによって政権が大きく変化した。第二か第三勢力が躍進し、既存政権は揺らぐ。中国の台湾併合は未だ力不足だと言われているが、西側のつまずきは時期を早めるかもしれない。日銀の植田総裁の煮え切らない金利政策を待っていては時期を逸する。僕は為替がどう動こうともここ2-3年が勝負と見ている。ちょうど僕の体力も衰えて来るし、写真を編集する旅行記の執筆も材料が溜まる一方だし。その辺りがいいのかもしれない。2026年フランス、オランダ、イギリスで打ち止めか。

かっぱ市場に砂糖を納入しに行くとあまり減ってなかった。売れ行きはここで止まった。後は、来年1月から11月にかけてゆっくり売って行くしかない。
砂糖の在庫はコンテナ数にして10個。捌き切れるかどうかのギリギリの数。売り切れれば、旅行の費用になる。

今日は収穫日で244kg。伝承館の搾取機が性能劣化し、絞る効率が落ちているので、400リットル絞るのに、400kgのサトウキビで良かったのを50kg程余計に収穫しなければならない。寒いが頑張るしかない。昨日は前日の疲れが残り普段の倍の労力を使ったような体感だった。それでも頑張れたのは、Apple Musicの「ジャズシーン日本」を聞いていたから。日本人アーティストの作品ばかり、淡白だが音がいい。気持ちの良い音に慰められたから出来た。

夕刻お惣菜。明日の豆料理と、お正月の皿鉢料理を予約した。名前は?電話番号を言おうか?「いらん」清潔度も商売の方法も昔流。
夜、金高堂書店に電話し、雑誌「GOTO」を注文した。HIVI定期購読岡村です、と告げると、後は何の手続きもなく「わかりました」ここにも昭和が残っている。


2024年12月22日(日曜日)晴れ
今日も4時から仕事。今日は元気。昨日の片づけを行い順調に焚いていると、役場の職員が外国人を連れて来た。M子さん。エストニア人。地域支援隊として高知県の山奥に3年間住む予定。今は6ヶ月目。片言の日本語は話す。絶好の英語を使う機会。だがここ2ヶ月休んでいるのですぐに出てこない。僕のお砂糖もプレゼントし出来るだけ引きつけようと努力した。ここで英語が所得できるならこれだけ安価なことはない。お砂糖なんか安いものだ。下手な英語を使いうのは当たり前。気後れしてはいけない。旅行するにしてもこれは鉄則だ。日本人は英語が不得意だ。これも世界の常識。

サトウキビを焚くのも手伝ってもらった。混ぜ方も教えた。"Like this"これで相手は察する。外国人も日本に来ればアンテナ感度を上げているので理解される。
歳を聞かれたのでプーチンと同じだと言ったら、上手い冗談だとは言えなかった。エストニアはロシアの隣国だから。
それで、2026年はパリに行くついでにエストニアにも寄ることに決めた。他にもチャットGTPでエストニア語を使ったら、正しく変換されていると言われた。ただ、GTPは使用に制限があるので、旅行中はグーグル翻訳機しか使えない。

色々と刺激があって楽しい1日だったが、疲れは尋常では無かった。そこに追い打ちをかけたのが最後の職場の上司から電話。高知にきたのかな?と思いきや、ご子息からだった「父が亡くなった」と
日本酒の飲み友であり、付き合いは短いが何でも話せる人だった。葬儀はサトウキビの関係で動けずお悔やみのみ、と言ってもスラスラと言葉が出るわけはなくボツボツと会話をするだけ。終いをつけた終わり方、ここまで気を配るとは。


2024年12月21日(土曜日)晴れ
今日も3:30起床、4時から砂糖を焚く。サトウキビを絞る機会が壊れた、僕はちょうど焚き上げるのを担当してたから詳しくは見られなかったが、責任者が機械いじりが好きでいじり廻し、結局壊してしまったと僕は見た。手が空き先ずはこれから絞る予定のお客様に状況をお知らせすべきだと伝えたら、先ずは見込みのない機械弄ってからだと言う。それはあなたの仕事ではなく、お客様対応が責任者の仕事だろうと言い返すと、それだけ言うなら貴方がやれと帰って来た。

僕は多分僕がしなければならないだろうとは思ったが、生憎と今日に限って携帯電話を忘れて来ている。師匠が見兼ねて対応してくれた。次回全員で集まる総会の時、僕はこの責任者に仕事をやめてくれと提言するつもり。お得意先のあるそしきは、これをを第2とする人がいては絶対に上手く行かない。又少なくなった老後の時間をこんな人と一緒に過ごすのは惜しい。もっと有効に使いたい。と言うことで、僕の中ではケリがついた。来年絞るときはどちらかが居ない。

コロナワクチンの効果絶大で、肩は上がらず、寒気がして関節が痛く、身体がだるく体重が2倍にもなって這々の体で緩慢に動いた。午後から汗が流れ少しづつ色んな症状が抜けて行った。
夕刻師匠が持ち込んだサトウキビを焚くので付き合い7時まで。昼飯を食ってなかったから6時ごろ食べて、帰ってシャワーを浴び寝たのが8時前。寝る前に食うより食べない方が楽。


2024年12月20日(金曜日)晴れ
休みだが気を抜くこともできず、朝食の後は、砂糖の製品作り、終了すれば出荷。昼飯を食ってふたたび製品作りと出荷。この土日に備えた。土日は出勤で出荷できないため。帰りに病院に行ってコロナとインフルエンザのワクチンを注射した。右腕と左腕。コロナは利き腕の反対側。コロナはファイザー製、前回の無料は忘れて摂取しなかった。
2つのアンケートに最近ワクチンの注射をしましたか?とあったので、一枚に最近注射をした欄にチェック。本日の日付を記入した。回収者はその嫌味に気づくのだろうか?

帰って風呂を焚きお惣菜を購入し、夕食入浴と7時までに済ませた。一日中忙しく動いた。

寝るまでの1時間半、ゆっくりしようとロッシーニの「セビリアの理髪師」アバド/ロンドン交響楽団をを聞く。DVDはアバド指揮ミラノ楽団盤が1780円で販売されている。昔VHSに録画した映像を安価なDVDに買い替えても良いかもしれない。
ところが最近購入したレコードには、BDもDVDも含まれていた。よく確認せずに購入したが儲け物だった。

2024年12月19日(木曜日)晴れ
今日は土佐市のお客様の砂糖を焚く、こちらも白下糖仕上げ。速い回転であげて行くので、容器に流す作業が追いつかない。釜揚げ確認ができず、他の人が行なって失敗した。釜揚げは火加減と釜の中で砂糖の沸騰具合を見比べながら慎重に行わないといけないが、その人は火加減を見ることができない人だった。まぁ焦がさないだけ良かったのかな。

日高からK子が製品の引き取りとお金の支払いにこられた。一緒におでん持参。ついでに作業も手伝ってもらった。来年は12月伝承館の社員になると言う。僕は「家を提供するぞ」と伝えたが、忙しい人なのでどうなるか不明。

作業は順調、最後に実っちゃんの仕上げ。暗くなったので自転車と一緒に家まで車で送った。ここまで順調だったが、今日作った白下糖の容器が蓋と容器の数が合わない。残る3人で確認したが見つからず、顧客にお断りの電話。

結局帰ったのが7時過ぎ。温まらないシャワーを浴びて寝る。

2024年12月18日(水曜日)晴れ
昨晩懇親会から帰って直ぐに寝たが、3:30起床ではきつかった。今日は和三盆にする白下糖を焚く。焚きあげ釜であげ具合が微妙に難しいので、僕は触らなかった。それ以外の作業。全行程を理解して何処が第一優先か決めなければ作業が回らない。僕は6年かかった。他の作業者はわからないから僕の負担が重い。最後に僕のお砂糖を焚く。裏方の応援がないので自分で立ち回りこれも疲れる。終わったのが午後7時。

この段階でただでさえ少ないメンバーで回しているものの、一人がコロナに罹患。以降の日程を残された6名で回すため、僕は料理の先生に応援を頼み、休みを一つ減らした。「ダイハード」状態。温まらないシャワーで済ます。

2024年12月17日(火曜日)晴れ
今日も忙しい。食事を終えると直ぐに畑に、200kgの収穫。午後2時に終えてトラックに積み込む。
もう一つの車で明日の朝食、昼食の買い物。帰って風呂を焚き入浴、4時半からアメリカ渡航のESTAの申請。前回は英文だったが、今回は日本語でガイドあり。しかしページ数が多く、5時過ぎに一旦保存し終了。5時半、村の幹線道路でバスに乗り懇親会会場。

今日は財産区の決算報告会。役場の事務員さんが報告し、全員が数字を確認。黒潮ゴルフカントリーからの入金を監査する組織だから、この会社の経営状況を見る。(私は決算書がわからないので、会社経営の経験者の意見を聞く)僕は来客の変動に注目したが、皆は利益が出ているので安心だと締めた。
それから懇親会、刺身は極上、モツ煮込みは博多には及ばず。最新の農機具の話は興奮する。村長さんも出席があり、伝承館の伝承する人がいない苦境を伝えたら、真剣に検討しなければならないと言われた。私が一番若いが数年しか猶予がない。伝わったかどうか。

2024年12月16日(月曜日)晴れ
今日と明日の2日を使って200kgの収穫。作業量はゆとりのある分量。だが、砂糖の出荷作業がある。前日からの疲れも重なって動きが鈍い。やっと9時過ぎ砂糖の加工ができてかっぱ市場に出荷。伝承館に行き前日できなかった薪の補充、S氏には嫌味を言われたが仕方ない、昨晩は作業終了後もう体が動かなかった。その後自宅に帰り、もう一度砂糖の加工を行なってかっぱ市場に出品。その足で、野市の金高堂書店で定期購読の雑誌引き取り、店内を見回れば「オペラ」の書籍。16,000円だったけど、多分これをを見逃せば一生後悔すると購入。

オペラは訳がわからないが、ずっと昔から気になっていてビデオにもたくさん録画した。その当時は見る余裕がなく、定年になれば見られると思っていたが。確かにそうなったが、ビデオテープは痛み、DVDへの復刻は一部しか出来てない。その後LDを買いあさり揃った。しかし、LDからHDMI端子のみになったTVには接続できず、アマゾンでS端子→HDMI変換アダプターを購入したが、未だ接続できてない。
後で楽しむ娯楽には電子機器の介在は厄介だと知った。書いたものしか後世に残せない。歴史を見れば歴然としているのに当時の現役時代にはわからなかった。

2024年12月15日(日曜日)晴れ
朝は冷え込み、たったコレだけで右足の親指が霜焼けになった。昼からかゆいの何の。血圧低くて血の巡りが悪いためか。今日は室戸のお客様の砂糖を焚く。石灰を使わない方法の要望なので、強い火が使えなくてとても時間がかかった。室戸から応援者もあって手は足りていたが、僕の方は疲れが激しく、上手いこと立ち回れなかった。O子とは一年ぶり。途中で入院していたfbもあってどうかなと思っていたが、はち切れんばかりの元気さだった。

誤解を招く言い方だが、現役時代の友人達が、こちらの友人たちにすっかり入れ替わってしまい、風景はかわった。高知の農家のコンパクト経済の身の丈経済の景色だ。現役時代の新幹線や飛行機で移動する距離も、車や自転車、徒歩の直径2kmの範囲に変わった。職場は遠くても300m。
まさしく、老後の正しい生き方、つまり雨が降れば読んで、晴れれば耕す生活です。

精糖が終わったのが6時。2日間で30時間勤務です。帰って電気毛布をON、飯を食ってシャワーを浴びて寝たのが8時。夜の9時の時報で起こされたが再び暗黒の世界へ。

2024年12月14日(土曜日)晴れ
週末にかけて寒い、でも今朝は大丈夫だった。だが夜は冷えた。
早朝4時前に伝承館、自分の製糖600kgと仲間の製糖600kg。夕刻7時半までようした。僕の品種農林8号。オレンジ色の綺麗な砂糖が出来た。半分は集落活動センターに販売して、残りはかっぱ市場で6月ごろに販売することになるだろう。今年の最高傑作品だ。販売するよりも飾っておきたい綺麗さだ。
こんなニッチな業界のサトウキビにも品種に流行があって「農林8号」が今人気らしい。その農林8号に花が咲いた。温暖化の影響だ。

8時に帰ったが明日も4時出勤なので、夕食は簡単なカップヌードルのみ。侘しすぎる。かと言って食べてすぐ寝るには重いものはしんどい。9時には寝た。
風呂は汗を流すシャワーのみ。どう考えても爺さんのすべき生活ではない。


2024年12月13日(金曜日)晴れ
昨日は畝立ての管理機の影響でとんでもないしんどさだった。今日は一転疲れはなく、再び畝立て。コレで、西上の畑はサトウキビで全部埋まることになる。
今日の収穫残は180kg、120本と見込み計測すればピッタリの180kgだった。3日間で累計600kgを収穫できた。バタバタしてたのは、収穫と同時に作付けも行ったので休憩の時間もなかった。
400kgを車に積んだので明日持ち込みだ。

昨日埼玉のK氏より差し入れ。下仁田ネギ。お礼の電話をすれば、ネギは風邪をひきにくいと言う。ついでに「幹が紫になるサトウキビを探してくれ、四国にある」と言う多分我が家の黒街道が相当する筈で16日発送の約束。

先日買ったマッケラ指揮のショスタコ4番は、毎夜最後まで聞けず寝てしまっている。

2024年12月12日(木曜日)曇り
今朝も砂糖の製品作り、かっぱ市場に出荷してから昨日の取り込み。230kgあった。再び収穫し、200kgを目指した。120本と見込み切り倒したら、途中でサトウキビが花を付けているのを発見。師匠が言った通りだった。
途中で大雨、雨の中作業、やっと120本取り込み倉庫へ。車を替えてお惣菜屋さんへ。帰ると師匠が待っていた。「へんしも伝承館に来てくれ」僕は濡れた服を着替え、サトウキビを乗せた車で伝承館に駆けつける。「蜜」を作るためだった。今日のメンバーは蜜を作った経験がない。集落活動センターが蜜を販売するための作業のお手伝いだった。
余った時間で持ち込んだサトウキビを測定すれば196kgあった。明日は180kg収穫すれば良い。
帰ると料理の先生が待っていて、柚乃酢と白菜と下仁田ネギを渡した。
ネギは今度来られる埼玉の仲間の差し入れだった。

風呂を焚く時間なくシャワーで済ませて布団に潜り込む。昨日の畝立て機の使用で疲れていた。

2024年12月11日(水曜日)晴れ
今日から3日間伝承館詰めはお休み。代わりに収穫。まずはかっぱ市場に出荷する砂糖の製品化。続いて、サトウキビ畑で畝作り。それから収穫。畝を作って、収穫したサトウキビの穂先を埋めてタネにするつもり。収穫だけでも大変なのに作付けも同時だから益々大変。

結局収穫し葉っぱを切り落としたものの、倉庫への取り込みは出来なかった。
お惣菜を買って食事し8時過ぎには寝てしまった。

2024年12月10日(火曜日)晴れ
晴天が続き、サトウキビの糖度が上がって来ている。今日は80過ぎの婆さんの砂糖焚き。肥料の関係か、ねばねば。師匠に言わせると、遠くの強火で炊き上げるのが良いらしいが、今日のメンバーはその技術を否定するから、結局ねばねばでおわった。最後に僕の釜だったが、先に使う婆さんの型枠が外れず、予定が狂い灰加減の少ない方が「塊」仕上げとなってので、結局僕の砂糖も上手く行かなかった。
師匠が教えてくれた、スプーンで食べる砂糖に挑戦した。コレは冬季限定として販売するつもり。

2024年12月9日(月曜日)晴れ
本格的に冷えてきた。伝承館は釜に火が入る午前7時にならないと寒い。それで僕の作業する所様にストーブを持ち込んだ。保険に厚着してたら暑かった。この日は高校を卒業し全国を一周しているN君がやって来た。彼は非常に素直で前向きで好奇心旺盛。話してて面白い。全国を旅しているだけあって話題も広い。来年はヨーロッパを一周する、再来年パリで逢うことにした。僕をオペラ座からホテルに連れ帰ってくれるようお願いをした。
今日は人様の砂糖焚き、穂先が多くねばねばしてたが何とか治まった。

2024年12月8日(日曜日)晴れ
かっぱ市場に砂糖出荷。一番作業効率の良いいえのまえの東側の畑から260kgを収穫し、合計424kgを収穫した。一旦倉庫に保管して12/10に焚く。ややゆとりを持って終了したので、明日、明後日の風呂の焚き付けを準備。スーパーで明日の食事を買って今日の作業を終える。

2024年12月7日(土曜日)晴れ
忙しさの峠を越したかと思いきや全然だ、先ずはかっぱ市場への砂糖の出荷。昨年より少し上回っているとはいえ、1昨年と比べると半分のペースだ。焦って朝一番の作業。次は伝承館へ行って昨日の後片付け、蜜を販売するボトルに詰め替え、ブロックを外し、ラップ包装し、型枠を洗いやっと13:15片付いた。帰ってサトウキビの収穫、仲間のY君が来て僕のサトウキビを50本持ち帰った。

午後3時、近所の新築落成式で餅を放るので拾いにゆく。16:30やっと西上の畑を刈り終えてお惣菜購入。帰るとAmazonからKindle到着。今回は10インチのホワイトペーパータイプを購入した。やはり大画面は読みやすい。旅行には向かないが。

中山美穂の死去は衝撃だった。原因は急激な温度変化と言うが、マンションは温度が均一で温度変化はありえない。憶測で言ってはいけない。
IOSがバージョンアップされ、Apple Musicは月単位で何時間聞いたか表示してくれる。9月~11月は5500時間だった。サトウキビを葉を取る作業で聞いていた。

2024年12月6日(金曜日)晴れ
Amazonプライムの締切日が本日で、昨晩決断しシャミオのモニターテレビをポチった。チューナ無しの55型テレビ。僕は本来テレビを見ないので全く問題がない。
3時半起床伝承館へ。今日は1000kgの砂糖を絞った。自分的には峠を越した感じ。畑と砂糖の品質の関係をやっと理解できた。テレビ局の取材もあった。生きがいを感じますか?と聞かれたが、年金生活者の慰みで、感じないと応えまずい対応だった。名古屋から体験にも来られた、など忙しい上にさらに来客対応だった。でも、いい砂糖ができたのでストレスは解消した。それにサトウキビは岡村君本来の性質が出ているので釜揚げは少ない時間で推移し午後4時に終えてしまった。

帰りスーパーのサンシャインで、無性にサーモンの刺身が食べたくなったので買った。今日はめちゃ汗をかいたので、その関係でお醤油にたっぷり刺身を浸し食べたかったのだろうか?

2024年12月5日(木曜日)曇り
結局今日は283kgのサトウキビの収穫をしなければ、明日1000kgの砂糖が焚けない。一方でかっぱ市場にくずしを出荷しないと売り逃しが発生する。
ということで5時に作業を始めた。サトウキビの収穫を10時まで続け150kgを伝承館に納め、かっぱ市場に砂糖を出荷。帰って午後3時までに残りの133kgを収穫し、伝承館に納めた。

帰りに夜須のお惣菜やさんで明日の食料を調達。昨日風呂を焚いてないので、今日の風呂は温度が上がってなかった。寒くなってマキが多く必要となって来たのを忘れていた。
風呂から出るともう睡魔で8時前に就寝。

2024年12月4日(水曜日)晴れ
不思議とまだパワーが残っていて、かなり激しく製糖作業をこなしている。今日は僕が最終仕上げ責任者。人様の砂糖を仕上げるのは気が重く細心の注意を払う。焚き上げの判断は昨年よりも一つ階段を登った感じだが神経を使い疲れる。K子の製糖も指示するだけでうまく行った。徳島から来られたお客様分もこれ以上はない程の出来具合だった。
高知放送の取材があったので、対応も行った。1100kgの製糖は午後5時半に終わった。汁物の食事、ラーメンが食べたいが店にゆくのが面倒で、スーパーで買ったカップヌードルで済ます。

新聞をじっくり見てない日が続き、今夕開くと韓国が大変なことになっている。フランスとドイツ政権が不安定になり、アメリカは先行きが見通せない。結局独裁政権のみが安定を保っている。ここしばらくは安定した経済成長が続いていたが、そうは言ってられない時代になった。この原因はどこにある/何にある/誰にある/どこからそんな芽が出ていたのだろうか。

2024年12月3日(火曜日)晴れ
お砂糖にラベルを付けてかっぱ市場に出荷する、伝承館に昨日刈り取ったサトウキビを納める。
応援のK子の弁当を「キラコウ」さんで購入。それを午前8時までに終えて、西下のサトウキビ刈り取り。
10時前にK子到着。昨日の疲れを残した顔で。僕は昨日刈り取ったサトウキビの葉を落とし18本を1組としてヒモで結ぶ。結局西下は380kgあった。
次に前西の畑、先にK子が刈り出ししているのに合流。午後3時半までに330kg。合計710kg。
予定からすれば100kg少ない。この皺寄せは12月5日に持ち越される。

夕食は有り合わせのもので頂く。昼食にk子の持参した味噌汁が効き胃の中にまだ残っていた。それは文章では伝えられないパワー味噌汁だった。

熱めの風呂を焚き、寝る前に少しだけカラヤン指揮のオペラ「トスカ」を聴く。この頃の録音は会場の雰囲気を残したままで、オケより声優の音量が小さい。


2024年12月2日(月曜日)晴れ
かっぱ市場を覗くと出品の砂糖が売り切れとなっていた。サトウキビの刈り取り予定だが、コレは大事と家に引っ返し、取り敢えずの数のみ出品。
K子がサトウキビを伝承館に納品に来るはず。メッセンジャーで交信していると、返事を待たずに本人がやって来た。
製糖の不足分を我が家の畑で刈り取る(製糖は200kgを1単位として焚く、コレ以下だと上手く砂糖に焚きにくいし、多いと熱管理が上手く出来ず焦がしてしまうリスクがある)。こちらは明日の予定だったが今日終えてしまった。明日もう一度来てもらって僕の収穫を手伝ってもらう。若いからやっぱり作業が早いし、力がある。

今夕も早く終え、シューベルト/冬の旅/フィッシャー・デスカウを聴く。彼は同曲を何枚か吹き込んでいるでいるので、どれが名盤なのか分からず買ったLP。

2024年12月1日(日曜日)晴れ
伝承館で応援。隣町の夜須の農家さん。大規模農家さんで、サトウキビはついでの作物。曲がって、固くて、節で折れると最悪のサトウキビを持ち込んだ。1時間半苦労して絞った後、農家さんが応援に来られる。その中にベトナム人のハルさんがいて、話した。Google翻訳はベトナムで実際使用して役立ったので、今回も使ったところ正しく翻訳されていると評価をいただいた。
僕はベトナムに仕事で5回位行ったし、定年後は友人を尋ねて2019年にも行った。日本人が想像するベトナムと実際のベトナムは相当違っていると僕は思っている。サイゴン(実際はホーチミン)なんか、僕の感覚では広島市レベルだと思う。決して発展途上国ではない感じだ。発展の度合いが凄いので今は2019年とは相当違っているだろう。
外国人とは積極的に話をするのが僕の生き方と言うか、好奇心。伝承館のメンバーはみんな遠慮して遠ざかっていた。

今日は午後3時に終えたので、サトウキビの植え付け用に畑を叩いた。畝揚げは暗くなって出来なかった。お惣菜を買って帰り、早めの夕食を終えた。
気になっていたAmazonブラックフライデーの買い物はKindle。10.2インチのペン付き35000円をクリックすれば、2024年最新版が50000円である。こちらは対処以外だったが新製品を知った以上旧タイプは購入できない。発売日が12月7日でそれ以降の発送となる表示だった。

2024年11月30日(土曜日)晴れ
伝承館で4時から製糖。焚いているといろんなお客様が来られる。先生を退職したご夫妻は戦争体験を話してくださった。「戦争は面白く儲かる」と今までない話。米軍の機銃掃射があると打ち込んだ弾を拾いにゆく。コレは高く売れた。小遣い銭が簡単に稼げたという。
隣の南国市在住のご夫妻は製糖主順を詳しく質問されていた。特に蜜について。
僕は435kgを白下糖に仕上げた。2番目の釜は冷却の時間が少なかったので泡が表面に浮き出た。
日高のK子の日程も連絡があって、12/4で決定。12/3は僕の収穫を手伝ってもらうようお願いした。そうすれば12/4は本来刈り取り日だったが精糖の応援できる
明日も香南市のお客様のサトウキビを焚くので出勤。連チャン3日、いささか疲れる。12時間勤務。


2024年11月29日(金曜日)晴れ
今日は応援、でも焚き上げる責任者はいなく、僕がその役目となった。僕も少し自信が出てきたところ。過信は禁物で火加減を見ながら、掻き回すのを調整した。じっちゃんからも、灰の調合具合を相談された。彼は70年のベテランだが少し不安を感じたのか?2釜400kgで午後2時に終了した。直ぐに帰って、砂糖を袋詰めし、かっぱ市場に出荷。目玉商品のブロックはあまり売れてなかった。店員の若い女性に伝承館でアルバイトしないか?相談した。作業は厳しいが若いから大丈夫だろう。
そのまま伝承館に戻り、27日に焚いた砂糖をラップで巻いた。コンテナにまとめて持ち帰った。米の冷蔵庫に保管し、夜須のお惣菜やさんに出かけ今夕と明日の昼食分を購入。帰って風呂を焚いていると、お寺さんから豆腐をいただいた。高知県の鏡村で作っている評判のお豆腐。それで、今夕は豆腐の水炊き。橙をもいできて、めんつゆで割って頂くと冬の味がした。

2024年11月28日(木曜日)晴れ
今日は400kgを収穫しなければ、30日に焚くことができない。29日は他の人の製糖応援だから収穫できない。
8時から作業を始めた。急いだので、指が痛くなった。夜も痛み明日の作業は出来るのだろうか?
他は全く異常なく、体全体はもっと負荷を求めている。コレが農業の魔力だろう。動いていると気持ちが良い。指さえ痛くなければまだ何かをしてしまいそう。


2024年11月27日(水曜日)曇り
伝承館へ3時50分。今日は3人で製糖しなければならない。僕の負担は重い。NHKの取材もあった。仲間が対応。僕は極上の砂糖をプレゼントした。何とそこで編集して送信、お昼のローカルニュースで流れた。3時には全国放送、4時には群馬県の主婦から注文の電話。かっぱ市場に大量に出荷した砂糖は売れたのだろうか?製糖作業で見に行くことができない。
ブロック91個を作った。
16時に終わったので収穫できると考え、まずはスーパーサンシャインで夕食の買い物に行くと、赤野の親類のおばさんが買い物に来ていた、「何で来た?」「自転車」「危ないやろ」と言うことで、自転車とおばさんを乗せて自宅に送り届ける。
すっかり暗くなってこの日は収穫できない。
淳子ちゃんにイノシシと鹿の肉をもらった。イノシシから被害を受けているので、格別な味がした。心臓もあって塩焼きすれば野生の味がした。

食事をすれば、眠くて9時前に就寝。

2024年11月26日(火曜日)曇りのち雨
雨は未だ降らず、明るくなる7時にきまさごの畑に行って100kgを収穫した。トラックに収穫したサトウキビを乗せると、ポロポロと雨が来た。急いで伝承館に行って納めた。
ついでに24日に焚き上げた砂糖のラップ包装。一部欠けている砂糖は伝承館シールを貼って贈答用とした。全部で16個。帰って砂糖にプライスタグを貼って、かっぱ市場に出荷、未だ前回の在庫が山と積んであったが、今は独占販売状態なので、在庫の積み増しを行った。次に安芸市に出かけ、ワークウエーで手袋と靴の購入。栄産業で砂糖の包装用紙を、ドラッグストアセイムスでビニール手袋、スーパーサンシャインで明日の朝、昼食事を購入。激しい雨で帰り着いて車庫から出られず。
昨夕の残り湯に浸かって、自分の部屋でFBI-3話分を見る。料理の先生差し入れ、代わりに柚子を渡した。
午後8時過ぎ布団の入るとそのまま寝てしまった。

2024年11月25日(月曜日)晴れ
明日は雨、激しい雨が予定されているし、鹿児島では既に激しい雨が降っている。今時激しい雨が降るのは珍しい。それで、今日中に400kg収穫を計画したが、朝食時妙に心臓の調子がおかしい。
こんな事で死ぬのはごめんだ、すぐに食事を片付け布団に潜り込み10時起床、今度は普通に戻っていたので、収穫を始めたが、312kgが限界だった。残り100kg。
疲れは激しく7時過ぎに布団に潜り込み寝ることにした。

2024年11月24日(日曜日)晴れ
4時から伝承館で製糖。2釜400kg。白下糖の在庫が売れてなくなり、今日はそれを焚く。今年は、やや粘く、黄色でとても仕上がりが良い。師匠に言わせると寒さと共に次第に黒くなる。僕はそれまでには主な収穫を終え逃げ切るつもり。
今日はとても疲れた。

2024年11月23日(土曜日)晴れ
昨晩は早く寝たのか、4時過ぎに目が覚めた。5時行動開始、昨日回収したくずし用の砂糖を包丁で切って、200gづつ容器に入れて「くずし」の砂糖を作る事15個。併せてブロックの砂糖に価格表を添付して8時過ぎにかっぱ市場に出荷した。

サトウキビの作業は大きく3つ。刈り取って加工場である伝承館に収める。2つ目はここでサトウキビを絞り煮詰めて砂糖の塊にする。3つ目は出来上がった砂糖を持ち帰り包装してかっぱ市場に出荷する。どれも手間を食うことばかりだが、陳列した製品がいつの間にか売れてなくなっているのを知るのは嬉しく励みになる。

僕は11月、12月はまずは製品化、1月から販売と行動していたが、間違っていた。一番売れる11月-12月に大量に出荷して販売を行うのが正しい行動だ。今年は行動を変えたので、忙しさが加速した。それで少しの時間でも、気を抜く事なく3つのうちの何かをやっている。大変疲れるが、返ってこちらの方が体の調子は良い。不思議なものだ。

今日は290kgのサトウキビを収穫した。午後3時に終えて伝承館へ納入、メールが届き息子が明日応援するとありがたい声が掛かった。しかし、応援が欲しかったのは今日で、明日ではない。
それで、明日の応援は断念してもらった。

夜は夕刊がないので早く食事を終えてLP聴く。カールリヒター指揮のマタイ受難曲。いつ買ったか不明だが名盤だと評判で買ったはず。今になって名盤の意味が理解できる。

2024年11月22日(金曜日)晴れ
朝食後すぐ伝承館へ行き、軽トラック1杯搾りかすを回収、自分の畑に捨てる。再び伝承館に帰って搾りかすをトラックに乗せている途中で気がついた。Sさんにお願いして回収の依頼をしてもらったらOKだった。それからかっぱ市場へ行き砂糖の売れ行きを確認すれば在庫が切れかかっている。早速自宅に帰って包装し出荷。三度伝承館へ。昨日の自己の片付け(コレは共同作業だが私だけの作業となった)、作業場の清掃。製糖した品の包装を13時に終え、自宅で値段票を貼り、かっぱ市場に出荷。帰って西下のサトウキビ収穫127kg。夜須のお惣菜屋さんへ、帰って収穫したサトウキビを伝承館に納めた。家に帰ると午後6時真っ暗だった。

山の中の一軒家で真っ暗な家に戻るのは相当寂しい。何のためにこんなに遅くまで仕事をしているのだろう?誰もそれを喜んでくれないのに。両親が存命中は夜家に帰ると電灯が灯っていた。あの暖かさはもうない。時は流れた。気分を紛らすためにサトウキビを栽培し忙しくして、寂しさを忘れようとするが、うまく行っている時と、このように裏目に出る時がある。やっぱり何かが不足しているのだなぁ。

2024年11月21日(木曜日)晴れ
伝承館で製糖4:00-19:30。今日は絞り機の調子が悪く、午後3時まで絞る。一方焚き上げはスムーズで絞るよりも早い速度だった。ブロック仕上げ3釜、くずし2釜、白下糖1釜。最後のブロック仕上げは灰が少なく固まらないし、型枠に流し込む時、隙間から流れ落ちるなど事故続出。今まで無かった事。良い色に仕上がったのに大変残念。途中で白下糖の容器に変更しれば良かった。

体調は大変しんどい、眠い。少し横になりたい。忙しくて昼飯も食べることができない。事故があったりして帰りは遅くなり、夕食はスーパーで鰹のたたきを買って、熱燗の土佐鶴で流し込んだ、と言ってもお猪口3-4杯くらいでもう飲めない程酔ってしまった。

部屋に戻って布団の中でKindleを開くが5分くらいで降参、そのまま夢の中へ。

2024年11月20日(水曜日)晴れ
朝からよく指が動き日経新聞のデータを打ち込むのが楽だった。今日は休みで午後から作業を片付ければ良いと思っていたが、朝食後日記をサイトアップする頃からだんだんと体がだるくなって少しまどろむとさらに怠くなって、もう一度仮眠した。普段はこの睡眠ですっかり疲れが取れるが、今日はそうは行かず、午後もだるさが続き部屋の中で過ごした。
夜須にお惣菜を買いにも行けず近くのスーパー。キビナゴを茹でたのがあって、コレをメインディッシュに大根、白菜のサラダで済ませた。調子の良い時は年齢を感じないが、今日は何ともならなず老いを感じた。
ゆっくり休んだのものあって、いつも寝る前の腰痛体操は痛みがなかった。日中の労働が筋肉を蝕んでいるのがよく分かった。

手持ちのラジオに毎週ピーター・バカランのウィークエンドサンシャインを録音している。内部メモリーがいっぱいになって録音できないのではないかと気になっていたが、PCにバックアップを取ったので、気になっていたしこりがとれた感じ。
明日は3時半起き。

2024年11月19日(火曜日)晴れ
昨日と同じく、朝食後は直ぐにサトウキビの収穫に向かい、午後3時半伝承館に残りの300kgを納めた。
明日はSさんが焚く予定だが未だ納めてないので手伝いに行った。サトウキビは未成長で僕の身長よりも短いものばかり。1本が200gくらい。朝から夕刻まで頑張って200kgをやっと取り上げた。日常の世話の違いがここに出ている。

夜須のお惣菜屋さんで夕食を買って、風呂を焚いた。焚き上がる迄の20分間、以前回収したビニールハウスの廃材を庭に積んであったので、整理して倉庫に保管した。未だ序の口で毎日作業をするとして1週間程かかりそう。

夕食後、布団で「ミレレーゼ/ジャン=クリストフ・グランジェ」小説(たぶんよく売れているはず)を読むとコトンと音がして、携帯電話がタブレットの上に落ちた(携帯電話は登場人物の素性を知るため)。読んでいるはずだったのに、睡魔に落ちていた。

2024年11月18日(月曜日)晴れ
疲れを癒す間もなく、再びサトウキビの収穫。この2日間で600kgの目標。このしんどさはfbでも通用すると思って撮影してアップロードした。17:30暗くなって見えなくなったので、トラックに回収してライトを点けて帰った。計測すれば308kgあった。明日もこの調子で作業すれば、300kg合計600kgは行けると踏んだ。

先日製糖したサトウキビをかっぱ市場に持って着くと、先に展示していた砂糖は全く売れてなかった。フェスタで大量に販売したので需要を食ってしまったのだ。
製糖工場を使えば48000円の使用量を徴収されるので、フェスタでの販売金額を差し引くと1万円強の利益。1年間世話をして、草刈りに大量のガソリンを使っての結果これだ。割に合わないが、運動を兼ねた健康のためと理解してやるしかないのだろう。

夕食を買いにゆくには車にサトウキビを積んだままだし、自転車はパンクしている。有り合わせの食材で夕食を済ませた。12月末までこのような臨戦体制が続く。体重が落ちるし、腰は痛むし、手がむくれる。

2024年11月17日(日曜日)晴れ
芸西村みのりフェスタの開催日。伝承館では出来立ての砂糖をサトウキビの茎に巻きつけて食べらせるイベントを実施、ここでしか食べられないので行列が出来る。その隅で僕は砂糖を販売した。仲間は、表に出て販売しろ、プライスを書け、と騒がしいが、売れる仕組みを作ったら僕はあまり手を加えなくても売れると思っていた。その仕組みとは、価格が1個1000円で格安。僕が忙しくしていても他のメンバーでも販売できる。この二つ。計画は当たり、15日に焚いた砂糖の半分以上が販売できた。終わった後、メンバーは売る場所が良かったと、反対の事を言った。
帰りがけ淳子ちゃんに砂糖を渡したら、その重さの3倍はあろうかほどの鹿の肉をもらった。これだけあれば、当分食っていける。

疲れたし、2時過ぎに昼飯を食ったこともあり、帰って食欲もなく、明るいうちはサトウキビの葉取りをしたが、みるみるうちに厚い雲に覆われて暗くなった。暗いと何にやられるかもしれないと早々に畑を退散したら、直ぐに雨が来た。
風呂を焚いているとお寺さんが来て豚汁を持って来てくれてた。昼もフェスタで販売ている豚汁だった。
ワインで少し酔って、六角精児のしなの鉄道、中井精也の福岡鉄道を観て酔いを覚まし、自分の部屋に帰ってFBIを観た。

2024年11月16日(土曜日)雨
夜中の1時に目が覚めて、3時まで本を読んで、また寝て6時半に起きた。天候は暗く今にも雨が来そうだった。8時にはサトウキビの刈り取りにゆき残り80kgを収穫して伝承館に納めた。ついでに、昨日できた砂糖を包装し、一つは明日のイベント用、一つはかっぱ市場に出荷用と午後2時半まで作業して、4時前にかっぱ市場に出荷。帰って西上の葉取りを4時半まで、それから野市に明日の朝の食材と注文しておいた書籍を取りに行った。寸刻の猶予もなく今日も終えた。

明日は5時起床だから少し楽。夜、久しぶりの音楽。チャイコフスキー交響曲2番。弦の音が心地よい、B&Wのスピーカーならもっと歌うだろが、地震が怖くて押し入れに入れたままだ。ELACKも離れで安全に保管中。この数年間の投資は眠ったまま。所有していることに価値を見出している。

2024年11月15日(金曜日)雨
3時半起床、いつものサトウキビの季節がやってきた。今回は初釜に800kgを焚く。一番釜は機材のアクが出るので、短い成長不足のサトウキビを当て、仕上げも白下糖にした。2番釜からは白玉糖。ここのサトウキビはいつもは黒い砂糖しかできないのに、今回はオレンジ色の砂糖ができた。我が家の黒街道としては最高の出来だ。4年目で茎が細くなって平均重量が500gになっている。また根枯れ病が目につき出したので一度この畑はトラクターで叩き直し消毒をするつもり。来年再出発出れば挑戦したいが、種が不足するなら翌々年だ。全面的に農林8号に移行するつもり。

新聞社の取材があった、ストロボを被写体に直接充てるので、ビニールの買い物袋を被せて周りにも光が当たるように工夫したらどうか?と提案した。
作業も体験してもらった


絞る機械は調子が悪いが、仕上げの焚きはスムーズで、終了時間も5釜の割には早く終えた。この日はボロボロに疲れ、夜須のお惣菜屋さんで買い物をして風呂を焚き午後7時には寝てしまった。
こんな疲れは初めてだし、こんな時間に寝るのも初めてだ。

2024年11月14日(木曜日)曇り
美味しい店には行列ができる、みんなの選ぶものは正義。iPhoneが単一機種としてはシェアトップ。みんなの選ぶものには間違いがない。ではトランプ氏はどうだろう。マスコミは全て悪い記事ばかり、だがアメリカ人はトランプ氏を選んだ。 これは間違いのない正義だろう。国民は平和の続く民主主義に飽きているのか、収入の格差拡大に嫌気が刺して来たのか?ともあれアメリカ国民は変化を求めた。上院下院も共和党が制したから、かなり強烈な政策が実施されるだろう。そして変化の行き着く先は戦争だろうか。誰も争いを望まないが、いろんな偶然が重なってその方向に流れて行くのもありかな。

米(コメ)が消費者物価を上げたと政府。コメ不足のため。だがシカゴの穀物相場はここ3年の間で最低価格を付けている。野党はなぜ輸入を追求しない、「国民のため」に物議を醸さないのかなぁ。「国民を守る」のではなくて「農民の票を守る」のかなぁ。数字を掲載している新聞も沈黙。

サトウキビの収穫は800kgを午前中にあげ納品した。午後は、17日のイベント用の収穫120kgを収穫し納屋に保管した。16日が雨でも残り80kgの収穫なら何とかなる。お寺さんから冷凍餃子の差し入れ、料理の先生から松前漬けの差し入れの予告電話。サトウキビが動き出すと周りの人たちも動き出す。明日からクリスマスもお正月も無縁の世界に突入する。

2024年11月13日(水曜日)晴れ
5時に目が覚めた。昨晩早く寝て正解。カロリーの少ない食事と、大汗をかく労働のせいで、体重は元に戻った。今日のサトウキビの収穫は330kg。400kgに届かない。この列は葉を上まで取り切ってないからどうして鎌の作業が一手間かかる。そうすると600本近くの収穫だから、1本につき5秒余計に要したたとして、50分くらいの遅れが出る。

伝承館にサトウキビを収める道中で師匠と出会い、17日のイベント用のサトウキビを明日中に収穫しておくよう指示があった。前日の16日は雨の予定らしい。

計算すると、15日用には残り270本だから、午前中に終われそうだ。午後は17日用の収穫に使える。半分くらい収穫できればなんとかなるだろう。

滋賀の友人からの手紙が届いた。奥様は不治の病で病床にあり、本人は股関節の痛みで動けないと言う。手術を受けどこにも異常は見られないらしいが痛みはある。結構暗い手紙。内容通りだとすれば見舞いに行かねば。84歳の友人は4人。79歳の友人が1人。いずれ年食って自分もそこにゆく。それまでに済まさなければならない事が多いが忙しくて手が出せない。


2024年11月12日(火曜日)晴れ
今日は気合を入れてサトウキビの収穫。だが、10:30時点で60kg。14:30で160kg。今日の目標400kgは到底及ばない。やり方がまずい。コツを忘れている。しばらくしてやっと感を取り戻し、90分で90kgのペースが掴めた。
4時半伝承館に収穫したサトウキビを納めた。290kg。この調子で、しかも指が痛くならなければ明日は400kgの収穫ができそう。
夕食は、きのこ炒め、お蕎麦、ピーマンと塩昆布の和え、クリームコロッケ。労働の割にエネルギーの少ない食事は、先日の過食の償い。3kg体重が増えていたが、今夕は+1kgの状態。後一息。疲れで9時就寝。


2024年11月11日(月曜日)晴れ
疲れはあるものの午前6時起床、頭が呆然としている。食事の献立にも時間がかかっている。やっと9時朝の行事を終えて、こしきを伝承館へ納入。駅に行って自転車回収、かっぱ市場で砂糖の売れ具合確認。10月の売り上げ確認(4万円だった)。帰って、西上の葉取り。昼を挟んで同じ作業したが、完成できなかった。

お惣菜屋さんで買い物し、風呂を焚いて、夕食といつものパターンに戻った。そして、食事中からものすごく眠くなった。後片付けをして自分の部屋に帰れば、もう何もできずダウン。8時半だった。

2024年11月10日(日曜日)曇りのち雨
西鉄久留米駅で合流、各人スマホの名手で何処にいても見つけられるのはストレスがない。行先は太宰府。駅下車でいきなりお餅「梅が枝」を買って食べる(娘が行動し皆んなが続いた)。中々の美味。有名なのは知らなかった。それから境内の「牛」。行列があって順番が来ると後ろの人に撮影してもらった。牛は手で触れて御利益を頂く仕組み。僕は怖くて触れなかった。

太宰府本殿は改装中で仮設の本殿を撮影。その建物は屋根に木が生え違和感があった(もののけ姫を思い出した)。昔、建立時そんなことは許されたのだろうか?子供達はお土産やお守りをわんさと買っていた。僕は、神社仏閣に関するモノは保管が大変だから手を出さないのが鉄則、国内でも海外でも同じ。長時間お祈りしている50歳代の男性がいた。多くの参拝客でごった返していたが、お賽銭箱は意外と少なかった。色々と撮影したが、Windows11の初期画面に出てくる風景画の様な構図の撮影は難しかった。

昨日買った洗濯洗剤(金木犀の香り)とオリンパスカメラをバックパックに入れて歩くが重くて膝にきた。来年の旅行も今回と同じく3万歩くらいを歩くので重いカメラが負担になりそうだ。キャノンR5(フルサイズ)を変更すべきだろうか?要検討だ。

天神に戻りキャナルシティでラーメン三昧。「次男坊」さんと「みその」さんの2軒2杯、娘は「次男坊」「トマトラーメン」さん。僕はゲップが出たら中身まで出そうだが、娘はもう1杯は大丈夫と言う。息子は雨の中を少しの距離だと言うので博多駅まで歩こうと言う、それでみんな随分濡れたが、抵抗がないのは娘も同じだった。

博多駅で娘と別れ、僕らは晩飯用の弁当を買いに阪急百貨店へ。次に本屋を目指したが流石に息子でもこれは無理だとわかったらしく、途中でエスカレーターを降りて逆戻り。新幹線に飛び乗る。乗車後直ぐに車内放送で高知行き列車は止まっている案内。岡山駅で一旦外に出てバスを探すが満席、レンタカーもダメ。午後7時半に復旧する案内に期待して、イオンの「未来書店」で探索。息子一推しの探偵小説を買った。

列車は松山行き、取り敢えず四国に渡り高松発の土讃線が来るまで待つことになった。列車は山手線並み混雑。多度津で高知行き南風25号に乗車、阿波池田まで立ちっぱなし。結局ごめん着は23時。これから黒潮鉄道で芸西村。23時半やっと下車。博多14時発だったから9時間の移動。タクシーを呼んでおいたので自宅まで10分。タクシーの座席下に1000円札が落ちていて、料金140円を追加して帰り着いた。良いこととと悪いことが織り交ぜになった旅行。


2024年11月9日(土曜日)晴れ
日本レンタカーでダイハツ・ムーブを借りて糸島半島に向かう。運転は僕が行った。新しい車はサイドブレーキがボタン操作だった。ソレノイドでスプリングを解除する方式だと思うが、ソレノイドはそれなりに重量がある(燃費に影響するが)。手で引っ張るものでも全く問題ないのが。付加価値として車はドンドン値段を上げている。顧客の要望だろうか?

糸島半島は海岸を見て回るだけだったが、昼飯に寄った「サンセット」さんの風景と食事は大満足だった。ついつい僕はワインを注文してしまった。赤の地元産ワインだったが、風景に合っているかといえば否だった。

次に目指すは呼子のイカ。「河太郎」さんでイカのいき造り@3800。メニューを見て「お父さんいいの?」高いが美味しかった。子供達も大満足。どうやら結局は観光よりもグルメの旅となった。店は娘が選ぶがなかなかセンスいい。やっと気がついたので褒めてあげた。

後は帰るだけ。だが私は車が運転できなくなったので、息子は不満だったし、大いに疲れていたようだ。カロッチェリアのカーナビもルート選択に問題があり(遠回り)、Googleマップを使えば良かったと反省。

夕刻6時に着いて、各自一旦ホテルに帰り西鉄久留米駅に7時集合。腹が減ってないのでしばらく散歩。再び店選び。途中商店街で同じ頃合いの娘2人を連れたお父さんと目が合って苦笑。今夜は「日吉丸」さん。
美味しい上に従業員の態度が良い。それにサッポロ瓶ビールも美味かった。焼き鳥メインの店だが、一番オシは「ダルム」と呼ばれる豚の小腸。でもどれも美味しかった。(僕的にはここまで味を濃くすれば美味しいのは当たり前と評価)
息子曰く、こんな幸せが続いて良いのだろうか?

大満足で店を出て又腹ごなしに散歩。目指すはドンキホーテ。ここで洗剤とかサランラップとか靴下とか日常品を買った。ここまで来てそんなものを買うとは馬鹿みたい。高知県だけドンキはない。明日の集合時間を決めて解散。


2024年11月8日(金曜日)晴れ
気になっていた自転車は、パンクしていた。少し早めに起きて良かった。
駅まで徒歩50分のところを途中走って35分で到着。6:32発の列車でごめん駅。そこからJR南風4号岡山行きで息子と合流。

車内は日課の日経マーケット情報をエクセルシートに打ち込んでいった。列車は高知県内は、ゆれて違ったセルに入力したりして酔いそうだった、阿波池田駅近辺で完了。
それから眠るが、香川県に入った段階で揺れは収まり爆睡。
新幹線岡山駅からは「極夜の灰/サイモン•モックラー」の推理小説を読んでいった。アラスカに米軍がミサイル発射基地を建設しようとするが、地盤軟弱で計画撤廃。撤収を控え3名が最後に残されたが、2名が火事で死亡、1名が重度の火傷を負う。その原因を調べる精神科医ジャックの活躍の物語。
しかしながら、僕は事件の鍵となる発電機付近の火災に、ディーゼルエンジンの燃料が原因と特定している点にツッコミだ。軽油や石油はライターの火で点火しないのだ。文系の人はこう言う面に落とし穴がある。

博多駅到着は11:30。娘は少し早く駅に到着し合流。昼飯に何選ぶか家族会議、議長は娘。天神南駅近くの「ダルマ」さんで博多ラーメンに決定。腹を満たした後、観光バスを予約、コインロッカーに荷物を預け、PayPayドーム見学、福岡タワーへ。地下鉄唐人駅から全て徒歩。地上220mの展望は長めよろしく、福岡空港の飛行機離発着迄見えた。その後博物館へ。この辺りで僕はくたびれてしまい、椅子でしばしば休憩。若いのには負ける。この時点で25000歩。

天神に帰るバスで爆睡し元気を取り戻し、市役所前から出る夜行観光ツアーに出発。屋根のないバスで吹き曝し、僕と娘は背中にカイロを貼った。息子はシャツ一枚なのに不要だと言う。首都高速でバンザイをした時は寒くて凍死しそうだった。80分のツアーを終えて、楽しかったとか参考になったとか言う前に、暖かいところに戻れて良かった方に軍配。

夕食は海鮮を狙っていたが、寒いので家族会議で鍋に変更。嗅覚の効く娘の案内で「笑楽」さんでもつ鍋。味が控えめで中々の美味。それに従業員の態度がものすごく良い。子供達はここぞと食べた。食べ尽くして苦しい時点で退散した。

西鉄電車で久留米まで。博多のホテルはめちゃ高く久留米まで来ないと普通の料金にならなかった。駅で別れ、明日はレンタカーの事務所で10時集合。この辺りは人情を挟む余地なく淡々としたもの。僕の血を引いていると思った。

2024年11月7日(木曜日)晴れ
ダラダラとした文章の続くレコード芸術誌を風呂に浸かって読んでいる。この時は割とゆっくりしているので、この文章の中にあるドラマを読み取ろうと目を凝らす。理屈をこねる評論にもそれなりの主張を感じられる。
毎夜毎夜クタクタになるまでAmazonプライムのFBIを見ている。ワンパターンの娯楽ドラマ。しかしコレだけ見続けていると、B級とはいえ背景に薄々と主張が感じられる。

午前中サトウキビの葉取り、予定より大幅に進捗があって、きまさごを終えて、西上段に移った。9月末から同じ作業を続けてきた。振り返ってみれば、やっぱりここにも山あり、事件あり、自然災害ありのドラマが展開する。まぁその気になって振り返ればと言うことですが。ただ、それが、僕としては大きな山谷だけど、うまく表現できなくて、「そうか」で終わってしまう。
人生の後半は自分の中でドラマが回っているかも知れない、人と話す機会が減っているだけにその傾向が強い。
老年になれば時間がたっぷりあるので、物事を丁寧に見れるからかも知れない。山本有三氏はそれを四季があると表現する。10歳では10年間の中で四季がある。50歳では50年間の中に四季がある。

明日から旅行なので、神棚の榊交換、仏壇のシキミ交換。部屋の掃除。簡単な夕食。午後7時NHKニュースチェックし、自分の部屋に引き上げ旅行の準備をした。準備と言っても、カメラと書籍と音楽さえチェックすれば完了。

2024年11月6日(水曜日)晴れ
6時間半一直線で寝て、駅のロータリーで肩輪が浮くほどの速度で走るバスに乗っていた夢を見て目が覚めた(完全にFBの動画の影響)。もう外は明るい。夏場多くの水分を摂ったがそれがなくなって夜中のトイレもなくなった。
新聞を見ながら食事、今日は日経新聞の時間を減らし、NYTにたっぷり時間を取った。大統領選挙が詳しく報道されている。
昼飯の時から、選挙速報はライブになった。地図が赤く塗られていた。新大統領就任直後ワシントンを訪問する予定。街の様子はどんなだろう?トランプ大統領就任で治安に問題ないのかなぁ。

興奮する材料があるにも関わらず、朝食後身体がだるくなってもう一度布団に潜り込んだ。目が覚めると9時半だった。すっかり元気を取り戻し、頼まれていた伝承館で使う「コシキ」を注文した。網目の細かなコシキは「粉用こしき」で検索し、網目の大きなこしきは「砂用」と検索条件を変えないと目的のものに当たらない。AI検索になれば解決するだろうか?

10時からきまさごのサトウキビ葉取り。午後4時半迄。残り6時間ほど必要。指が痛いのによく頑張っている。

日経新聞夕刊に定年後の就農についての記事があった。田舎で土に触れて暮らしたい。そのためのアドバイスであるが、事務的なものばかり。

僕が思うのは、まずは身体の事。背骨の軟骨の厚さ、骨密度、血管の詰まり具合、肥満度、昆虫/花粉アレルギー。都会で確認できることばかり。
次に農家の人とうまく付き合えるか人格的問題。家族がいるなら、家族も同様人付き合いができるか?孤立してはうまく作物が出来ないため。
次に財政。露地栽培だと1反で50万円の収入がかなりいい方の部類。収入目標に見合う土地の確保ができても、200万円目指すなら4反。体力がついてゆくか?4反を管理するなら機械が必要。など続出し、事務手続きよりこちらが重要だと思うがどうだろう。家庭菜園なら問題ないが金銭面で励みにならない。


2024年11月5日(火曜日)曇り
ムカデ2匹、アリ1匹連続して噛まれた。そして1昨日から左目の瞼が時々痙攣を起こしたように引き攣る。治るものやら続くのか不明。昆虫の強力な毒は今だに痒みが残っている。
今日もサトウキビの葉取り。だいぶ飽きてきたが、12月の収穫のことを思えば今の厳しさは後の楽に繋がる。

今日はたまたま近所の飲み屋の姐さんに会った。彼女は昼間弁当の販売もしている。それで、12月になったら、私の家に弁当を届けてくれないか相談するとOKだと言う。この弁当を翌朝伝承館の昼食用に食べると問題が減る。スーパーでインスタント食品を買ってくるよりはよほど健康的だ。朝飯は果物とパン、昼間は弁当、夜はお惣菜やさんで買ってきたもの。長年の課題が解決できそう。
伝承館ではサトウキビの収穫と精糖は夫婦で取り組むように仕組まれている。それで独り身の私はどうしても支障が出てくる、それで毎年色々と工夫や改善をしてやっと他の人と並ぶ仕組みを作り上げた感じだ。

2024年11月4日(月曜日)晴れ
昨日の伝承館の片付けは、裏の加工場が未完だった、師匠が後ですると言われてたので、もし今日するなら手伝おうと伝承館を覗いたが見えなかったので、かえってサトウキビの葉取り2巡目を行った。場所はきまさごの南側で在来種。大きく成長し、株も多く中々進まない。午前中に半分にも満たない。新芽も成長し、9月30日に切った芽が50cmくらい伸びている。つまり未だ成長期にあるのだ。11月15日初釜に炊くサトウキビはこの在来種で行こうと思っていたが、未だ早すぎると判断した。
早稲タイプの黒街道が適しているのではないかと判断して、この畝が終わると、黒街道の畝に着手した。黒街道は茎が細いので800kgの収量となれば4畝必要。明日2畝、6日に1畝。が計画。
コレで15日分の葉取りは完成するので、次は17日のイベント分の葉取りを行う。うまくいけばきまさごの畑の葉取りは旅行前に終えるかも知れない。

英語の勉強が頓挫しているが、妙に気分が乗らなく、FBIを見て寝る。


2024年11月3日(日曜日)晴れ
一転して快晴。地球温暖化の影響で、雨の降り方や台風の進路が西に移動した感じ。高知県は以前大風銀座と呼ばれたが、ここ数年台風はやってきてない。僕のサトウキビ作りには思ってもない暁光だが。

今日は伝承館の掃除と、釜を据える日で全員集合。いつもの如く冗談が飛び交い作業が回って行く。気心知れた仲間の馴れ合い運営。作業主順は全員熟知しているので指図がない。手が空いたら未着手の所を行うだけ。1時に終了した。
初釜炊きは候補者がいなく、ぼくだけが11月15日800kg炊く事になった。11月10日まで旅行だから、帰ってくるといきなり収穫。普通夫婦2名で1日400kgの収穫。それを一人で1日400kg収穫しなければならない。(前もって収獲できず直前が基本のため)
そのために葉を取っているが、9/30~11/2まで要したこの作業も、最初の頃は地面から30cm迄の葉取りだった。後半は150cm迄行った。理由は、初期には未だ上の葉が枯れてなかったから。
と言う事で、今日からの作業は、最初の畑で30cmまでの所を2mまで進める事。つまり2巡目。何処まで行けるか不明だが時間ギリギリ迄やってみよう。

2024年11月2日(土曜日)雨
台風崩れの雨が降っている、時折り激しくドラムを叩く様な雨が来る、急に止んで静寂。丸で音楽演奏。午前中英語、午後プール。今日は1500m~2000mの間はかなり厳しく泳いだ。バタフライも入れた。息が上がった。久しぶりに攻める泳ぎ。

帰りスーパーで買い物をして、風呂を沸かし食事。この頃から徐々に疲れが出始め、自分の部屋に入ると重い疲労がのしかかってきた。久しぶりに水泳で疲労の影響。つま先までダルくなる。65歳まで毎週土日の夜はこんな感じだった。もうそんな事はないかも知れない。今日は調子が良かった。

話は変わるが、朝と夜の食事の後入念に歯を磨くが、磨きながらFBの動画を見る。その映像に時々ライオンが登場する。今回酷い疲れで早く寝たが、夢にFBに登場するライオンが出てきて目が覚めた。疲れが激しいほど、今まで見たことのない様な新作が登場する。


2024年11月1日(金曜日)雨
昨日も朝から頑張ったからもうひと頑張りで目処が立つ。天気予報によると雨は10時ごろからだ。7時前、まだ少し薄暗いが葉取りを始めた。アップミュージックJAZZ SUNRISEこれは7時間52分のプレイリストで昨日半分、今日半分を再生し、演奏が終わる頃雨がやってきて、目的の作業は終えた。
昼までにはまだ時間があったので、更に明後日の予定の前東の畑に着手した。そこで気がついたのは、今年は収量が思った以上に多すぎ、砂糖は全部販売しきれないかも知れない。そこで、前東の畑の葉取りは半分程度とし、あとはタネに残そう。そうすれば過剰生産は防げる。それで前東の半分を仕上げたら丁度お昼だった。コレで葉取りの1巡は終わる。
昨晩の残り湯の熱々に浸かり、疲れを癒したが指はこわばって自由に動かない様になった。

午後収穫の相談を師匠にすれば、何とかなるかもしれんから、やるだけやれ。いつも前向きな回答。この人は本心からその言葉が出るのが凄い。何で田舎の片隅に埋もれていたのだろう?もっと中央でバリバリ仕事が出来る人なのに。生涯で出会う立派な人は数少ないが、晩年こんな人に巡り逢えて幸せだ。しかも近所で。

夕刻、友人と懇親会。意見の衝突。絵画の話で、友人は作品を一歩手前で止めるのが成功の秘訣(つまり賞を取る事)。僕は芸術にマーケティングを持ち込むのは、もはや芸術の範疇を逸している。意見は並行線を辿った。多分イメージしている到達点は同じだろうが、出発口が合ってないので、この様になったのだろうと思う。この焦点を突き詰めるのが欧米式の交渉のやり方だ。酔っ払いおじさんとしては話題転嫁しアメリカ大統領選挙の行方に逃げ込んだ。

2024年10月31日(木曜日)曇り
サトウキビ研究会が終了し一段落ついたのでホッとしている。しかし、前西の畑は未だサトウキビの葉取りは緒に着いたばかり。次の台風の雨が来るまでに仕上げたい。

「人の性格は変わらない。増してや年老いてからでは尚更」これは定説だが、どうやら僕は性格が変わったのではないかと思う兆候がある。現役時代僕はもっといい加減な人間だった。ところが最近は予定は完璧にこなさないと我慢ができないし、白黒がはっきりしないと安心できない。
完璧主義は人に嫌われるが、どうにもならないようになっている。いつから兆候がで始めた?ここ1年ばかり。農業に慣れてきてからか?農業は目に見えるし、天気と相談し上手く対応しないと後手に回る。そんな事が分かり始めてからだと思う。
職業に農業を選んでおれば、コレがもっと早く出てきて、嫌われ者か、変人のレッテルを貼られたかもしれない。今でよかった。
今日も無理して作業し自己満足を得られた。それでエネルギーを使い果たし、夜の楽しみであるFBIが1巻のみで眠りについてしまった。


2024年10月30日(水曜日)晴れ
朝8:30芸西村製糖組合全員集合、会場設営の後、試食コーナー設営。10:15「サトウキビ生産加工検討会」が開催された。事例研究発表が6組、午後2時まで続いた。事例は、ブランド名定着の取り組み、国の組織対応の実態。書籍発売。搾りかす利用事例。サトウキビの健康面での効果。医療の最先端の情報などもあった。大学の先生も3名、国の研究機関など公職の人も参加。総勢42名。北は埼玉、南は種子島の栽培農家。

サトウキビに含まれるポリフェノールが発癌を抑える効用が各所で公表されているようだ。サトウキビが唾液の分泌を施し、唾液が発癌を抑える仕組みのようだ。製糖組合のじっちゃんは95歳になるが現役でサトウキビを栽培している、じっちゃんは砂糖をつまみ食いして胃を壊すと嘆いていたが、どうやら長生きにサトウキビが関係しているようだ。明治製菓なども機能食品としての位置付けし、製品開発を行っているらしい。

僕はサトウキビなんて本土ではニッチな作物で趣味の黒糖だと認識していたが、どうやら奥が深い、この組織はサトウキビを通じて磨きをかけると言うか、文化を作る、地位を築くみたいな方向性を持っているようだ。趣味のサトウキビはビジネスにならないが、志は立派だ。

人は群れたいし、集まれば組織ができる。組織ができれば道を極める方向性を持つリーダーができる。そんな感じだ。定年後何気なく踏み入れた世界だが、もっと踏み込んでもいい深いものがあると感じた。

その後、僕の畑の見学。1反5000kgの収量が何年も続くのに感心してもらった(平均1反=1000kg)。そして「きれいな畑や」「こんなの初めて見た」感想をいただいたが、皆さんはそこまでしなくてもいいのでは?と冷ややかな感想も持たれた。
僕の自慢はあまりインパクトがなかったみたい。

よく考えてみれば、収穫前に葉を取り除いて、収穫の速度を上げられるとか、収穫後の畑の手入れが不要などは、全て僕の事情だった。僕は12月の収穫が終われば、直ぐに砂糖の出荷の手配と旅行の準備など、独自の暦で動かざるを得ないのだ。それは今回参加された農家さんには関係ない事だった。

その後海鮮料理店「藤」さんで懇親会。いろいろ知り合いができて来年もどこで開催されるかわからないが参加したいと思いましたね。


2024年10月29日(火曜日)雨
夜中の事、家の下の駐車場で、たぬきかイノシシかどちらかが吠えているので目覚めた、目覚めただけで体は動かず布団に張り付いたままだった。

今朝は試食用の砂糖の準備、伝承館で蜜をボトルに詰め、食品作業用の服を入手し、自宅でラベルを貼り付けるなど加工。昼まで欧州旅行の写真を整理した、途中で師匠がやってきて明日の打ち合わせ。僕の畑を見てサトウキビの成長に驚いていた。

午後も雨模様だったので、プール。2km1時間10分。上がると身体が軽く、ほぐれて、感じとしては10歳位若返った感じ。最高のマッサージは受けたことはないが、この爽快感はマッサージを超えると思う。手先まで爽快でスマホの扱いが若い娘のように軽やかだった。
僅か850円でこの効果は安すぎると思う。でも往復移動時間を含めて3時間は、この忙しい時期になかなか確保できない。代案として砂浜を走るのは泳ぐのに相当するほどエネルギーを使う。コレだと1時間で済ませられそう。

帰って夕暮れまで僅かな時間サトウキビの葉取りをしてたら、埼玉県のサトウキビ愛好家が、伝承館の代表者に連れられてやってきた。明日の会議に来たが、少し早めに来て高知を観光しついでに我が家に来てくれた。人の良さそうな感じで、又一人人間関係が広がりそうだ。

今まで僕は催事に関して直前までバタバタしてきたが、今回は催事の随分前に大まかな事を終えてしまった。このゆとりは初めて味わう気分だ。もっと若い頃からこの感覚を持っていたら仕事人生は随分変わっただろうなと思う。後の祭りだが。

2024年10月28日(月曜日)曇り
昨夜は雨だったが朝方上がったようだ。夜10時に寝ると朝6時まで一直線だった、夜中の事情がわからない。それだけ疲れている。昨日は朝8時から18時までフル稼働だった。
今朝はサトウキビの栽培を2018年に始めて昨年までの収穫の詳細をまとめた資料を完成させた。また各畑には栽培面積と品種をプリントし、パッチワークで処理し、柵にタッカーで止めた。
プリントは役場に持ってゆき、本部のある沖縄に送付し今回の資料に綴じ込んで貰う。

お昼はおゆげ様ののぼりを下ろし年内の行事を終える。帰って前東と西の草刈り。その後、前西の葉取り。
今日も忙しく夕食の後少し居眠りして入浴。忙しいので疲れいるのか、年齢から体力不足か不明。先週血圧を測定すれば117-76だった。機械測定なので実測はもっと低いはず、血圧が低いからエンジンがかかってないのかも知れない。

眠いがFBIシリーズ3に突入した。主任特別捜査官にイゾベル・カスティーユ(アラナ・デーラ・カーザ)。この頬のコケた48歳の怜悧な女性が組織をマネジメントするのが中々の好感(大好き)。俺についてこいのマネジメントではなく、総合判断の出来るマネジメントだ。このドラマは出来れば現役の頃観たかった、もっとも放映開始は2018年で15年ほど遅かった。

2024年10月27日(日曜日)晴れ
ニューヨークタイムスにロックのベースギター奏者フィルレッシュが亡くなった記事が掲載された。それでアップルミュージックで検索すれば、グレイトフル・デッドのグループに行き着いた。彼はここでベーシストだった。それでベストアルバムをダウンロードして、西下のサトウキビの葉取りを行った。
前置きが長くなったが、このグループは歌が下手で音程をなん度も狂わすが、それ以上に情熱があって、楽曲が変化に富みこの作業をするには打ってつけだった。
カントリーとかフォーク、ブルーグラスなどが混じりサイケデリック的とかジャズ的も少しは楽しめる。アメリカでは有名でロックの殿堂100に入っている。ローリングストーン誌で54位。

僕自身音楽の趣味はジャズとクラシック音楽にもう少し幅を広げたいと思って、今回の旅行にはその本場を訪ねる計画をしている。その矢先にこの音楽に出会うとは何て幸運な事か。まぁ田舎にいて、探したい音楽が簡単に見つかると言うのも幸せな事。いずれは本場の音楽に届かなく時が来るがその備えができたと言う事でいい日だった。

サトウキビの葉取りは完成し、お客様が見学するところは完璧に磨いた。未だ、家の前の畑は残っているが、こちらは見えないので11月に入ってからでいいはず。

2024年10月26日(土曜日)雨
今日頑張れば西下のサトウキビ葉取りは完成するはずだったが、雨は終日降り続いた。午後雨が弱まった隙を見て、伝承館のビニールハウスの廃材を片付け完成した。帰って雨でもできる作業ということで、きまさごに登る道を清掃した。葉っぱが山積し滑る人が出てはまずいから。
それからきまさごの草刈り、猪が畑を耕しているので草刈りは半分程度。ここ数日は酷いあり様。夕食のお惣菜購入後雨が上がったので30分だけ葉取り作業。

夕食後HISからホテル予約の返事が届いたので開くと、余りにも高価。ブッキングコムと比較して、差異の少ないホテルのみお願いした。他はブッキングコムで予約した。果たして上手くいくかどうか不安。ブッキングコムは、日本の「旅の窓口」と同じような感覚で予約できるからだ。あまりにも簡単すぎるので。

コレに随分集中したので疲れた。TVを点け「アフリカ横断」(録画)を少し見たが、眠くなって入浴。足を見ればムカデの影響で腫れてはいないが、広く充血していた。

旅行の帰り大阪で懇親する予定だったが、都合が悪いと連絡あり、更にもう一泊するか?迷うところ。

寝る前にマリアカラスの「椿姫」をLPで聞く。音が悪く曇って聞こえるが、確かにマリアカラスの歌声だった。

2024年10月25日(金曜日)曇り
農作業の遅れがあって、今日は朝からサトウキビの葉取りを行うも、又ムカデに噛まれた。今度は足。ムカデはサトウキビの葉から落ちて、靴を這い上がりズボンの裾から入ってきて、違和感を感じ、すぐにズボンを脱いだが、その衝撃でパチリ。火箸を差し込んだような痛さ。帰ってすぐに熱いシャワーで熱した。その後薬を塗って、化膿止めを飲んだ。

午後から同じ作業。この西下の畑は2日間で仕上げるぞと今日は半分を目指した。ムカデ茎と葉の間に潜むのがわかったので注意していると、もっと大きいのが出てきた。次々とムカデが葉の間から落ちてくる合計4匹。小さいのは逃げられてしまった。
作業中にも足をムカデが這っているトラウマに囚われて、何度もチェックした。
この畑も思った以上に繁殖していて作業が進まず半分に達しないまま終了。

夕食にはお惣菜屋さんで、欲しいだけ切ってもらった大きな マグロブロックの身は中々の美味。他にタンパク質は高野豆腐。ビタミンは野菜の煮付け。ヘルシーだがコレで体が回っている。

HISにホテルをお願いしたらヒルトンホテル(一泊5万円)を予約してくれた。全くこちらの願望は通用しない感じだ。ここは都度窓口が変わるので仕事がなおざりだ。前回は一人の担当だったのだが。

夜、10月30日の催事用に、畑に掲示するサトウキビの品種パネル、試食用の砂糖のPOPなどをデザインした。印刷は29日。

2024年10月24日(木曜日)雨
午前中ラジオ英会話のみ、10時ごろから、おゆげ様草刈り。その後自身の畑の草刈り。
午後からサトウキビの葉取り。思った以上にサトウキビの育ちがよく、今年は最高記録が出るのではないか?それで葉取り作業が遅れている。

ほぼ一日中農作業で疲れ果て8時半には寝てしまった。

2024年10月23日(水曜日)曇り
測量事務所の職員が持参した土地売却の印鑑を捺印する。大袈裟だけど数千円の売却費。午前中は英語。午後はサトウキビの葉を取り除く作業だが、HISから電話で飛行機の予約は急いだ方が良い、値段が変わっているという。それで、葉取りは中途半端で終わった。この日は観音様の懇親会で、6時には家を出なければならない。いろいろと忙しい。

土地の賃貸料があって、観音様は毎年懇親会を開催している。1軒につき2名まで参加できるが、一人ものなのでいつも僕だけ。
会場は人気料理店「藤」。今回は参加人数が少なかった。色々と病気や怪我の関係で欠席。懇親会は村の出来事が聞ける。僕も忙しくしているので近所の人とはいえ話を聞く機会がない。
まぁ聞いたってどうってことはないが、別の日に会った時挨拶の時に配慮はできる。
空腹だったはずだが、あまり食べることなく満腹。目の前に皿鉢料理がいく皿もあるのに食べられない。どうしたのだろう。
家に帰っても満腹感は依然と続き、シャワーを浴びて上がってくれば、なんとなく落ち着いた。

その足でAmazonプライムのFBIシリーズ1の22話まで2巻見た。ふらふらで布団に直行。死んだように6時間。

2024年10月22日(火曜日)曇り
歯医者で定期点検、最近は医者通いも遠のいているなぁと思った。帰り、博多行きの切符を買った。ついでに大衆理容で散髪。
帰ってサトウキビの葉取り、突然手の甲が火傷したみたいな痛み。急いで手袋を外す、ムカデが落ちてきた。痛いのなんの、帰って狸の脂を塗ったが、次第に腫れてきた。これはまずいと医者に行った。流し台でお湯をかけて待ってて下さい。ムカデの毒は熱で和らぐらしい。確かに痛みは引いた。アレルギー対応の注射と薬。痛みはひどく、噛まれた部分以外にも広がって来た。食後の薬を貰ったが、食前に飲んだ。しばらくすると痛みは引いて来た。
この日は何も出来ず風呂を沸かして手袋の上だが噛まれたところを温めた。
薬は眠気を誘い眠くて我慢できない。



2024年10月21日(月曜日)曇り
伝承館のビニールハウス廃材の整理がまだ完成してなく気になっていたので、午前中作業。濱田さん、師匠に会う。もう少しで完成ってところで時間。帰ってチェーンソーの歯を研いで山に出かける。山神様の清掃だが道中の道が塞がれているので切り拓いた。毎年の事だ。山神様の掃除とは関係ないので誰にも言わない。
帰って昼飯、少し寝て2時半から4時半までサトウキビの葉取り、ここの畑はロイヤルの黒街道が多く、茎から葉を取り除くのに時間を要する。しかし丁寧に仕上げないと結局は後で苦労するのは自分だ。それでも去年は5日でここを仕上げているが、今年は5日経過しても仕上げられない。しかも、去年は午前中英語も勉強している。

4時半にお惣菜購入、帰って猪に餌やり、風呂を焚いて食事のいつものパターン。


2024年10月20日(日曜日)晴れ
昨晩は疲れていて、9時半に寝た、いつもの如く6時間後に目が覚める。それからトイレ、するとマムシ。昨晩は巨大ムカデが居たので気をつけていたので気がついた。先の尖った棒を用意してあったので、頭を突き刺した。この付近に巣があって、毎晩出没しているがたまたま出会わなかっただけだろう。
一度起きるともう眠れないが、この日は疲れていて又寝たが、キッチリとマムシの夢を見た。夢では色が薄くもっと大きかった。それで目が覚めると6時の時報が鳴った。

午前中は英語、昼飯抜きで集会所の掃除、今月は我が班が当番。紐で草を刈るので他の人が来ないうちに済ませた。みんなが集まって散らかった草を掃除した。

昼食後、草刈り。サトウキビの葉取り優先だが、今日は左の指が痛くて作業を変更した。風呂を沸かし、先日の先祖様で買ったお惣菜を調理して夕食。このままでは10/30の大会に間に合わないが、痛みを堪えて作業は出来ない。仕方ないのもありだ。

2024年10月19日(土曜日)雨
夜中トイレに起きると、大きなムカデ。踏み潰した。完全に目が覚めた。5時半だったのでまぁいいか。
スケジュール表は月末まで空きがない。現役の頃よりもずっと忙しい。基本はサトウキビの葉取り。次に10月30日のサトウキビ研究会の対応資料。これに毎日違う行事が加算される。今日は観音様の清掃。山の上にある。車で行っても、山道を10分くらい歩く。後5年もすれば半分の人はこの山道を自由に歩けないだろう。

帰り、普段の道とは反対方向に行って道家、九重方面の部落を見た。もう人がいないが、家屋は荒れていない。しかも驚いたのは道が新しく舗装し直され完璧な状態だった。誰が頻繁に通るのだろう。僕が50代の頃ここを自転車で駆け抜けた、その頃は舗装が痛んでいて凸凹を避けて乗ったが。

帰ってサトウキビの葉取り。細かな雨粒が降ってきたが作業は続けた。夜は竹あかりのイベントに行く予定だったが、この雨ではカメラも濡れるし、僕も濡れながらイベントを楽しむ気にはなれない。友人には欠席を伝えた。
余った時間、忙しくなると遠ざかってしまう、読書と英語に当てた。

HISに来年の旅行を申し込んだ。今回も音楽と美術館の旅だ。前回と違うのはあちこち回るので英語力が必須。毎夜毎夜FBIにハマっているが、この早い英語が殆どわからない。でもコレが理解できないと自由な行動ができない。単語の覚える数を増やすのと、その単語を聞き取る耳が必要。FBでは、かつて一緒に仕事をした新入社員は皆海外に行ってしまった、彼らは英語が堪能だった、教えてもらったら良かったのに。

2024年10月18日(金曜日)晴れ
やっと日常を取り戻した。午前中英語。「科学の発見/スティーヴィン・ワインバーグ」読み終えた。主に天文学の話、最後の方で物理学に移る。二乗とか反比例とか優しく書いたつもりだろうが、難解。だが、主要な人物となれば、アリストテレス→ガレリオ→ニュートンの3名であり、犯罪小説のような難易度ではない。通して論じるのは重力。今でも分からない事が多くあって、今は光は、波か?粒子か?と言う問題。アインシュタイン以降まだ謎らしい。
そしてどうやら宇宙を支配している力はダークマターらしい。
これ以上の深入りは頭の混乱を来す。

午後から煙突の修理。ビニールハウス廃材のステンレス煙突を切って、直径16cmに、前の煙突の外側にそれをホースバンドで縛りつなぐ、家のひさしから補助の支え木を作り、煙突を持たせ立ち上げた。自分的には上手くいった感じだ。これで外枠は全てステンレスに変わったから、数年は持つだろう。

それからやっと1週間ぶりにサトウキビの葉取り。今年の黒街道(品種)は葉を取るのが易しい。ここは後2日で完成するはずだが、雨が降る日があって少し先になる。

2024年10月17日(木曜日)晴れ
朝一から先祖様の社清掃、お祭り用のお供えを買って、南国市に出かけ夕刻の懇親会用の焼肉材料を調達。
帰ってお供えをして、午前中に先祖様の催事関係は片付いた。後は夕刻に注文しておいた皿鉢料理を引き取りに行くだけ。

午後は伝承館でビニールハウスの廃材処理。やっと片付いた。と同時に指が痛くなってどうにもならなくなった。腰痛とかはないが、僕は指の痛みにここ数年襲われている。

夕刻5時に皆んな集まって我が家で先祖様の懇親会。病に倒れているよしかずさんの安否噂。要は血液サラサラの薬を飲んでいると、破傷風のような細菌の耐性が落ち疾患を引き起こすと言う。メンバーは皆んな70歳くらいなので、肉1kgあれば十分かな?それに皿鉢料理もあるし、と踏んでいたが、肉は800g、皿鉢料理は半分ってところだった。食えないし、弱くなっている。

農家のハイテクについても教えてもらった。先ずは、ハウス内の温度や湿度、二酸化炭素がスマホで見える。二酸化炭素は結構重要で、昼間植物は二酸化炭素を吸って酸素を放出するが、冬場ビニールハウスを締め切ると、酸欠ではなく、二酸化炭素不足になるらしい。炭欠と言うのかな?それで、夜は灯油を燃やして二酸化炭素を作る装置を導入した。それがスマホで確認できると言う。
次にライブカメラは出荷場の混み具合が確認でき、混雑してない時に収穫物を出荷できるとか。

僕にビニールハウスの廃材を提供してくれたみっちゃんは、もうお年で耕作面積を縮小させたので廃材が出たわけだが、こうしたハイテクを使わないと現在の施設園芸について行けないのも、縮小の理由だろう(とは言わないが)



2024年10月16日(水曜日)晴れ
一段と暑さが増して夏になった。農作業が遅れているので焦っている。朝からビニールハウスの廃材処理。しかし、今日は師匠や製糖組合の仲間が次々とやって来て午前中は仕事が捗らなかった。
昼から取り直ししたが、第二陣の廃材処理は完成できなかった。
疲れているが風呂はなくシャワーで済ます。
疲れているがアマゾンプライムのFBIを2巻見てしまった。

2024年10月15日(火曜日)晴れ
朝からビニールハウスの廃材整理。屈んで釘抜き、抜いたアビトンを積み重ねる。短いものは車に積み込む。この繰り返し、腰が痛くなる。もう我慢ができない状態でお昼休憩。車に積んだ廃材を家に持って帰り、ヒギリの咲く庭に積み上げる。それからお昼。15分で食べ上げ、そのまま椅子で昼寝。目が覚めれば腰痛はきえていた。いつまでこんな調子は維持できる?
再び伝承館で廃材整理、第一陣の2トントラック2杯分は処理できた。疲れた。

夜須のお惣菜屋さんで購入したもので夕食をいただく、普段は自分で少しだけ野菜を添えたりしているが今日はなし。

風呂は壊れ使えなく、シャワーですます。早々に自分に部屋に引き上げて、ラジオ英会話を聞く。半分眠りながら。アメリカ旅行が頭にあるので頑張れる。コレが旅行会社のパック旅行なら、そこまでの熱意はわかない(と思う)。

2024年10月14日(月曜日)晴れ
毎日5時起き、僕は3日間のお手伝いだが、求くんは来年の6月末まで毎日続く。農家は大変だ。だが毎日体の酷使しは割と健康的で元気だ。不思議な秘訣。

午後からは煙突の修理、モノタロウでステンレス切断の歯と締結するバンドを注文。未だ修理の方法は思い浮かばないが、夕刻は冷えて来たので風呂は必須で材料だけは揃える事にした。それから親類のおじさん宅に求君から預かったナスとキュウリを届けると、父の父、つまりおじいさんですね、50周忌を迎える話が持ち上がっていた。実家の婆さんは親類に声をかけないと言っているらしい。これにおばさんは憤慨してたが、僕としてはこれ以上の行事は受け付けられない、身体が損傷する。そっとしておいてほしいと願った。

伝承館へ行って廃材の片付け。実働時間が2時間であまり進捗はない。
短い廃材は、家の庭に放置する事に決めた。長いものは釘を抜き丁寧に積み重ねた。

夕食時はもう眠い。が、差し迫った10月末の発表会の準備をエクセルで概要のみ作成。レイアウトやストーリーは後日。

科学の発見/スティーヴィン・ワインバーグを読んでいる。紀元前からの科学者の歴史があって1600年頃まで、紀元前のプラトンとアリストテレスの理論がまかり取っていた。それから間も無く1650年頃ニュートンに変わる。歴史を凝縮して見れば、科学の進歩は近年急速に発達した感じだ。又700年~1000年頃まではアラブ、イスラムの国が最先端だった。AIでよく知られているアルゴリズムはアラビア語が言語との事。この本は知らないことが多すぎるの事を教えてくれる(覚えるわけではありません)。

2024年10月13日(日曜日)晴れ
今日もナスの手伝い。ToDoリストと疲れはたまる一方で、どれかが欠落して行くだろう。かなり無理している。体重も2kgほど落ちた(本来はこれが一番良い状態で今までは少し多すぎた)
ビニールハウスの中は、陽が差し込まない早朝は寒く、8時ごろからは灼熱の太陽に焼かれる。ビバップの特集ジャズを聴きながら収穫。この夏は、この音楽で生き延びた。音楽は精神の友。

午後は、息つく暇もなく、伝承館でビニールハウスの廃材整理。明日車が大勢来るので空けるように言われた。日暮れまでノンストップで作業。ダイ・ハード。
帰って風呂を焚けば煙突の調子がおかしい、見れば途中で折れている。修理しなければ火事になる。これも時間を食う。

疲れで目はしょぼしょだが、アルマゲドンの翻訳、目標2000語を頑張った、後の方は翻訳機にかけた訳を自分なりに編集するだけの安易な方法。やっと目標を達成すれば目が冴えて、iPhoneでエルビーン・ジョーンズを聴きながら、菅原正二氏の喫茶ベイシーの物語を読む。ジャズ的生き方があるとすれば正しくそれを実践した人。僕にはそんな一徹な生き方は無理だが、そんな人を見るのは大好きだ。

2024年10月12日(土曜日)晴れ
朝は寒かったが、太陽が出ると灼熱、今日はナス収穫のお手伝い。額に汗してお金を稼いでいる。12時前に終わると、保育園北のミチコさんから電話、ビニールハウスの廃材を今日伝承館に持って行ったと。確認に行くと大きな山が3つ。ミソもくそ一緒で、午後は、釘を抜き長いものは整理して積み上げ、短いものは車に積んだ。4時まで作業をしても山は殆ど動かず、風林火山の「山」の如しだ。村のお祭りで製糖体験のある11月19日までには整頓しなければならない。
サトウキビ畑の葉とりは一旦中断した。

夕食に南国市の焼肉屋さんに出かけた、料理の先生の誕生日お祝いのため。いった店は焼肉店としてはレベルは低いはずだが、僕的には1年ぶりで結構美味しく頂けた。単品コースで申し込んだが、先生は食べ放題でも良かったと言う。それは無理だろうと思ったが。
それでも相当の肉を食った。だがこの快楽には償いが必要だろうとも思う。償いは激しくカロリーを消費する事でしかない。単なる思い込みかも知れないが。

2024年10月11日(金曜日)晴れ
気温は下がるが、まだシャツは濡れる。体は秋ように衣替え出来てないようだ。きまさごのサトウキビ葉とりは完了した。風呂の煙突を掃除した。放っておけば火災になるかも知れないから。
芸西村唯一の仕出し屋「丸政」さんに皿鉢料理を注文した。17日の先祖様懇親会のため。メンバーに電話すれば、一人が重症の病気のため入院しているとの事。皆んな高齢だから、いつこの伝統をやめてもおかしくはない。来年から懇親会は無くなる。僕としては負担が重いけど、楽しいから、いいやと思うが、皆んなはもう懇親会なんか不要だと思っている。今月は行事満載。全て高齢化の問題を抱えている。この集まりは全て自由意思だから、次第に欠けてゆくはず。

暗い話題しかないのは、自分のエネルギーが減っているので、世界が狭くなっているせいだろう。草刈りの燃料は最高記録を達成したが、車検の間の走行距離は5000kmで最低記録。殆ど芸西村から出ていないのだ。車がなくても自転車で行ける範囲をうろついているから視野が狭い。

2024年10月10日(木曜日)晴れ
このままのペースでは明日までにこの畑を仕上げられないようだ。それで昼食の時間を削って作業に出た。16:30の終了時、この畑の終端が見えてきた、明日には終えられる。ヨシヨシ。
10月中に第一次の葉とりを終わらせておくためには、最大の畑であるきまさごを中旬までに終わらせなければならない。その目処がついたのは嬉しいこと。
イノシシがこれ以上の悪さをしないのを願っている。

いつもの如く風呂を焚き夕食を摂っていると料理の先生が鮎の甘露煮を持ってきてくださった。年齢の割にフットワークが軽い。僕がその年になって自由に動けるか?今日の話題は集活がサトウキビの葉を取り除いたと教えてくれた。間引きも併せて。サトウキビは手をかけるほど良いものができる(はず)。一般にはこの作物は植えっぱなしで時期が来たら収穫し砂糖にする。農業の片手間にできるから、割と多く農家が手掛けていた。
しかし、芸西村は施設園芸に舵を切ったので、農家はコレにかかりっきりとなって、手間がかからないと言いながらもサトウキビは忘れられてしまった。
江戸時代か続く製法を残そうと伝承館を立ち上げたが、肝心のサトウキビ畑が激減し、伝承どころではなくなってしまった。組合員は後5年すれば確実に半分になる。僕も健康維持で頑張るつもりだが、今の耕作面積を管理するのに、全ての時間を注ぎ込んでも足りない。体力は次第に衰えてくるし。今年のお彼岸は墓参りもできなかった。手を広げすぎた感じだ。

72歳になって今まで一番頑張っている。収入は先日丁度100万円を超した。

2024年10月9日(水曜日)晴れ
砂防ダムの土地売却に関し、我が家の土地で既に四国電力貸与地とダムに売り渡す土地の整合を図るための立ち会い。現地案内は僕が先頭に立ってかなり早いピッチで山を登った。どれくらいついて来られるか?若いにいちゃん2人は問題なかったが他の高齢者は随分遅れた。僅か標高150mくらいだが結構厳しいようだった。普段の運動不足が祟っているのか?
土地は既に杭を打って赤いリボンを結んであった。その範囲が四国電力に借用分、他は売却。その現地確認。僕ももう2-3年すればこうはいかないだろう。そして売却は一坪240円。
今日の現地立ち会いとして日当に支給があった、コレが8000円。つまり土地売却代より高い。ただでくれてやるようなもの。

終わって、英語の勉強。その後、きまさごのサトウキビ葉とり、イノシシがサトウキビの根本を掘っている。このままだと、根が切れてしまう。なんとかしなければならない。

頑張りすぎたのか疲れで9時前にダウン。

2024年10月8日(火曜日)曇り
よく寝た。21:30-6:00。
夜雨が降って昼間晴れると草が伸びる。混合油10リットル購入。累計で40リットル。文旦の草刈りがないのにこの消費量は草がそれだけ繁茂した証拠。世界の河川は旱魃。しかし洪水は激しく、台風は強力に変化。今度アメリカを襲撃するミルトンはとうとう900ヘクトパスカルを割った。

実りの秋には、田んぼでスズメを脅かす「ドーン」と大きな音がする器具が使われなくなった。規制もあるだろうが、そもそもスズメが居ない。スズメが住めなくなるほど昆虫がいない。イギリスのBP石油会社は、2030年の火力発電廃止を撤回した。

僕の生涯の終わりは地球の人類の終焉に同期するかもしれない。それほど地球環境は痛んでいる。聡明な人類はそれを阻止出来ない。

だから今を楽しめ!なんだが、今日は雨にもかかわらず、サトウキビの葉とりを行った。麦わら帽子をかぶっているし、サトウキビ畑の中だったか、大雨に気が付かなかった。16:30に終えて道に出ると水たまりができるほどの雨だった。
濡れたまま夜須のお惣菜屋さんへ。お店は結構残り物が多かった。この店はお年寄りで賑わっているから、大雨では客は来れないのだ。オカラの煮物を買って田村のおばさんに渡した。喜んでくれるのが嬉しい。


2024年10月7日(月曜日)晴れ
忙しくなって変わったことは、寝つきが良くなって、目が覚めると朝。もっと惰眠を楽しみたい気もするが、コレでもなかなか快適。新聞記事に読むべきものが無かったので、アルマゲドンの英訳に充てた、先を急ぐような訳し方で、もっと丁寧に、楽しみながら取り組んではどうかねとの声も聞こえるが、毎日の実績をエクセルに記録しているから翻訳の文字数のみが気になる。数字は励みになるから。

午後はきまさごのサトウキビ葉とり。4時半にタイマーをかけ、それから夜須のお惣菜屋さんで購入。帰って風呂を炊き、暗くて作業ができなくなるまで、家の前のサトウキビの葉とり。太陽が落ちても、作業が厳しいのか汗が滲む。もう臭くてたまらん。免許証や財布を入れているリュックサックは服のように直接触れないが、こちらもしっかりと臭い、汗臭さと加齢臭のハーモニーだ。

料理の先生から誕生日のお祝いの催促電話。すっかり忘れていた。車のナンバーも誕生日なのにうっかりだ。

2024年10月6日(日曜日)雨
昼から晴れて、サトウキビの葉とり。屈んだり立ったりの厳しい作業。そして畑はイノシシに掘り返されて無惨な状態。もう一個罠を買って仕掛けるしか無い。動物が嫌う薬は全く効果がない。
サトウキビ畑は今頃葉が繁茂して溝を通れないが普通、こうして地面から葉を取り除いていくと向こうが見渡せ、仕事の達成感がある。
9月30日に始めた、その頃は下から30cmくらいの葉を取り除いていたが、もう今では葉を取れる位置はぐんと上がり、地面から70cm位まで上がってきた、来週はグンと秋が進むので、1m位まで葉を取り除く作業となるだろう、そして月末近くには脚立を使って2m位まで葉を取る作業になる。
ビニールハウスの廃材回収もあるので今月は大変な月となりそうだ。


2024年10月5日(土曜日)晴れ
半日英語、半日農作業で計算すれば、サトウキビの葉とりは、11月15日の初釜までに間に合わない事が判明した。
対処は、朝から夕刻迄の作業日を3日ほど設定する。若しくは人を雇って一気に仕上げる。のどちらか。10月20日以降に決めよう。それまでは、午後の農作業の時間を少し伸ばそう。かなり負担がかかるけど。

レバノン情勢を含む中東情勢、ウクライナ戦争、この混乱に乗じて中国の台湾併合の動きがいつあってもおかしくない。楽しみにしている僕の旅行計画は、もしかしたら2025年で打ち止めとなる危惧がある。芸西村に閉じこもって、楽しく過ごせるのか?我慢できるのか模索する時が来ている。
コロナで封印された旅行は、東京と大阪のコンサートで補足したが、海外旅行と同じくらいの費用を使ったし、付け足しの美術館探訪はない。代償としてはもっと別の物があるはず。それを模索しなければならない。身体が動ける間だけだが。

2024年10月4日(金曜日)雨
今日もナスのお手伝い。雨だったが、ビニールハウスの窓を閉めてあったので、暑いの何の。気温も高いが、湿度がめちゃ高く汗が出るも体温を下げてくれない。午前中に終わった。車のエアコンで身体を冷やしながら帰宅、水風呂で体温を整えた。
一日中雨で、畑作業はできない。ホテルの草刈りを仕上げてあげても良いが、ここは一旦休憩し体調を整えるべし。と言うことで、ながおか温泉プールへ。

プールは小学生の水泳教室で混み合って、自由に泳げるのは隣の1コースのみ。水温が高く、波が立って、泳ぎにくいし疲れる。2kmを泳いだ後はヘトヘトだった。
2階に上がり、風呂場で身体を流すとサッパリした、気持ち程度下腹が凹んだ気もする。曇っていた頭がスッキリした。定期的に血を循環させると良いのだろうか。
空腹だったが、店で食べるのは気が進まず帰って自分で調理して食べることにした。それに夜遅くなったので大量に食うのもどうかと思った。

2024年10月3日(木曜日)曇り後雨
赤野の求くんから、ナスを「もくうから来て」と要請があった。コレはナスを糸に巻きつける作業だ。ピーマンもナスも、茎に糸を巻きつけて上に張り巡らせたステンレスの針金に吊るしている。植物は成長が早いので、勝手に伸びて新芽がお辞儀しないように、糸を茎に巻きつけて新芽を上に誘導する。
ナスの葉には非常に細かな毛があって糸に絡みつくので、上手く巻きつるにはコツがいる。

この日の作業は午前中に終わり、午後は友人が頼まれていた、旧土佐ロイヤルホテルが管理するサトウキビの草刈り。コレは半端ない草の繁茂で、友人はお手上げの為、僕が見本を示すのもあって応援した。この際、友人は僕の依頼人になるが、雨が降ると言うので現場には顔を出さず、僕だけの作業となった。ツルのような植物は「枝豆」でサトウキビのてっぺんまで伸びている。幸いに、サトウキビは真っ直ぐに立っているので、ジワジワと刈り込んでいけば、なんとかなりそう。
でも、南側はセイタカアワダチソウが繁茂し、紐の草刈機では紐の損耗が激しく途中で断念した。先鞭は付けられたので、友人はコレを真似て刈れば、刈り込みは出来るはずだ。

一日中身体を動かしたので疲れたし、腰痛も出てきた。明日はお休みだ。

2024年10月2日(水曜日)晴れ
予測通り物事は悪い方向に進んでいる。工事事務所から、砂防ダム建設につき、四国電力の鉄塔付近の土地処分について、問題があると連絡あり、現場立ち合いが必要になった。2-3時間くらいは費やされるだろう。もうこれ以上スケジュールは入ってほしくない。

アルマゲドンの翻訳に四苦八苦している。もう止めて他の書籍に移ろうか?悪魔の囁きが聞こえてくる。日中にはいろんなスケジュールが飛び込んでくるにイライラしているのは、こちらに問題があって、行事案件ではない気がする。

サトウキビの葉を取り除いている(下から30cmくらいのところまで)が、猪の被害がさらに続いている。なんとかせねばならない。今年はかなり時間をかけて世話をしただけに、こうして食べられると余計頭にくる。
一般的にはサトウキビで作る黒糖はどれでも同じ味がすると思っているだろう、単純に「甘い」。かつては僕もその一人だったが、この世界で仕事をすると砂糖には味の違いがある。そして地元のかっぱ市場では、評判の「師匠」や「じっちゃん」の砂糖が美味いとして優先的に売れている。黒糖をここまでこだわって製糖しているのは、恐らく伝承館だけ。つまり供給量の問題があるが、品質に関しては世界一だろう。

今では僕の砂糖も美味いし、色も良い。無添加の特徴もある。しかし、世間の評判はなかなか変わらない。それで、僕は一段と美味しく、ダントツを目指さないと評判は変わらないと思い、昨年からは短めに収穫し、甘みののる部分のみを精糖している。今年はさらに、草をこまめに刈って栄養をクサに持っていかれないようにした。
僕の栽培方法は、新世代のバージョンに発展しているはずだ。ここまでやっている人は無いだろう。無肥料でも草がなければサトウキビは成長する。今年は僕の集大成のサトウキビが出来上がるはずだ。それだけに、猪は頭にくる。

2024年10月1日(火曜日)晴れ
息子から草刈り機と車を貸して欲しいメール。車はOKだが草刈り機は危ないので止めた。慣れているから大丈夫だと返信が来た。安請け合いでもしもの事を考えてない。それで前日に僕が刈っておくと連絡した。
友人がホテルのサトウキビを世話することになったが 、草ボウボウでどこから手をつけていいのかわからないと言うので、下見に行くと、枝豆がサトウキビ全体を覆っていた。師匠に相談し、対処の方法を聞いた。僕が手伝わなかったらできないだろうと言う。
10月30日のサトウキビ大会での発表の構想に頭を悩ませている中、更に2つの要件が舞い込んで来た。
この情勢だとまだまだ入って来そうで、サトウキビの葉を取る作業が遅れそう。昨日の作業でアリに手首を何箇所も噛まれ夜中に痒いの何の。
物事は悪い方向に転がり始めた気がする。


2024年9月30日(月曜日)晴れ
結局英語の翻訳は、目標の45千を超えられなかった。と言うのも、余った時間を全てこれにあてたが、夕刻料理の先生が久しぶりに果物一式を持って来てくださった、その後田村の婆さんが9時から10時まで長い電話。昼間の努力が無駄になった。残300語だったが。
良くあるマーフィの法則で、「こんな時に限って邪魔が入る」

サトウキビの葉を取る作業を始めた。昨年は10月7日から始めている。作付け面積は増えているからこれでいい。

赤野の求君からナス作業のお手伝い要請。3日から行くと答える。どうしたんだろう、これも去年は無かったこと。


2024年9月29日(日曜日)晴れ
やっと日常が戻って来たと思ったら朝飯のパンがない。ご飯と味噌汁に野菜の天ぷら。朝から揚げ物かよ、との意見もあるが昨晩買ったお惣菜がこれしか残ってない。
アルマゲドンの英訳は難解、アメリカの日常英語だけに難易度が高い。一方、パソコンアプリ「ワード」に付属する翻訳機能は完璧に近い翻訳をする。日常に近い言葉だからだろう。辞書を引いていておかしな翻訳になったら、これらの力を借りるから、あまり実力が付かない。近所の淳子ちゃんが物忘れが激しいと嘆いていた。僕は「覚えているから忘れるのはまだマシ」僕のは覚えることさえできない。

奥のきまさごで草刈り。またイノシシが来て食っている。動物が近寄らない薬を撒いた。それから草刈り。温度が高く夜には雨が降って好都合なのか草は伸びる。サトウキビも伸びるけど。余りの巨木になっているので、大風が吹けば倒れる。早く下の枯葉を取り始め、風通しを良くしなければ大惨事になる。

夜のアマゾンプライム劇場は、英訳にあてたが、直ぐに睡魔。持ち堪えられず布団へ。9時だった。



2024年年9月28日(土曜日)晴れ
台風がやって来そうだ、日高村の姐さんにメールするも、10/5までスケジュールは詰まっているとの事。風で柵が倒れる可能性もあるが仕方ない。サトウキビは背が低く倒れないだろう。

連日の厳しい草刈りでも、すっかり身体が馴染み、今日はもっと刈れるぞの体制。でも今日だけは休む。休息が必要だろうと本能的に思ったから。
部屋を掃除し、洗濯ものをたたみ、仏壇にしきみと花を挿した。花はお彼岸用に植えた菊。綺麗に咲いていた。商売用に肥料も入れて栽培したので良くできました。

今月の未達要素は翻訳で、余った時間をアルマゲドンの翻訳に当てた。何とかして水準の45000文字を越えようと頑張る。目がショボショボになって、筆を置いた(キーボードから手を離した)


2024年9月27日(金曜日)晴れ
連日の疲れも何とか体は持ち直した。ドデカミンで復活。だがアルマゲドンの翻訳は中々進まず、このまま行けば、ここ数ヶ月での最低記録を達成しそう。怠惰ではなく、文体が難しいし、アメリカでは常識の固有名詞が出てくる。例えば「MAC980」、英語の辞書にもない。もしかしてトラックではないか?とウェブで調べるとあった。一事が万事この調子ですすまない。でも結局、これが日常の米語で、NYTは綺麗で非日常の言葉使いだろう。これを難儀だとは思わずせっせと励むべし。来年の旅行の為に。

午後は砂糖を出荷、これで手持ちの砂糖はレストランから急な注文に応じられる在庫のみとなった。それから草刈り、始まった途端に紐を巻きつけるドラムが壊れた。コーナンに駆けつけるも財布を忘れている。携帯電話アプリで済まし切り抜ける。
回転数を上げれば、ドラムも痛むことが分かった。忍耐の草刈り、夕陽が落ちて暗くなって完成。完了。7日間要した。よく頑張った。もう指は曲げられないほど痛みを発する。

風呂はなくシャワー。食材は冷蔵庫の有り合わせで。ビールで流し込むが中々美味い。料理よりも空腹、渇きがいい調味料かもしれない。

疲れているが、イコライザーと「女捜査官」(これはロンドン警察)をそれぞれ1本づつ見た。アマゾンに首ったけの日々。いつ脱却できる?


2024年9月26日(木曜日)晴れ
朝から身体がだるい。疲れ果てている。椅子でうたた寝するが、今日はもう一度布団に潜り込んで真剣に寝る。それでもだるさは取れない。結局午前中はダラダラと過ごす。午後は公園草刈り。太陽が強く背中が焼ける。服を着てても日焼けしているだろう。草刈りの紐が なんども切れて、ドラムを開けて巻き直す。エンジンの回転数を下げれば解決できるが、今度は草が切れずドラムに巻きつく。エンジンを止めて巻き付いた草の茎を取る。効率はどっちもどっちがよいかな。
兎に角、僕の背を越す草は一筋縄では行かない。時間をかけるしかない。でもこの暑さはなんと言う事だ。夕陽になってもまだ続く。

水も切れ、一杯呑まないとやり切れない、帰りがけ友人にメールし懇親会。自分で料理すればなおざりのものしかできないが、お客様がいると、アイデァが湧いて来て、いろんなものが作れるのはどうした事だ。ナス吊りの仕事で貰った一番ナスでマーボナス。ナスを炒めながら気がついた。ソコソコの味。友人は来ていてテーブルの前で待っている、さっさと料理が出来上がる、作りながら食べる。呑む。
8月30日のジャズコンサートは流れたが、次回は1/30開催とのことを伝える。僕は旅行で行けないが?友人もそれなら止めると言う。

懇親会終えて、アマゾンプライムイコライザーを見る。痛快活劇で溜飲を下げる。

2024年9月25日(水曜日)晴れ
天気予報は曇り予想だが、反してかなり強烈な太陽。ナス吊りの作業は11時過ぎに終えた。コレで当分はナス作業は無い。
帰って昼寝、砂糖の包装をし、かっぱ市場に出荷。その足で、草刈り。回転数を上げると草刈りの速度も上がる。飛び散る小石や草の切れ端がこっちに飛んでくる。それで、怪我しないように、向こうから手前に引くように草を刈ると、手前の草が飛び散る小石をガードしてくれる。休憩無しで2時間、水1リットル、混合油は600cc程度。ヘトヘトだが、明日は休みなので体力の限界まで草を刈る。一本の草の芽も残さない、地面が見えるまで草をしばく。

今日草を刈るのは、農協で60m5500円で買った高価なプラスチックのひもだが、すぐに消費してしまった。後は手持ちのコーナン製70m1500円の紐で対処。こちらは紐が簡単に切断される。草も半年放置すれば頑強、草の他に木も生える。割り箸くらいの木は時間をかければ紐で切れるが、紐も切れる。それで木は鋏で切るようにしているが、背丈くらいの草の中では、草木の判別が付かず刈ってしまい、紐も切れる。往生している。

師匠は、長い間苦労して、馬力のある機械、強い切れない紐、壊れない紐のドラムの3点セットの調達先を見つけ、それを使っている。僕もこの仕事を引き継ぐようになれば考えなければならない。

疲れ果てたが、疲れだけで、どこかが痛むことはなく、水を飲んだ割には空腹。他の臓器の調子はわからないが、自覚症状はなく。腹一杯食って寝るだけの日々。

2024年9月24日(火曜日)晴れ
加齢臭の他に自分の体臭の問題。連日の大汗、扇風機付きの服は、ナス作業の半袖タイプと、草刈り用長袖タイプを切り替えて使用。いずれも洗濯無し。自分の匂いが充満してますね。ここまで強烈だと犬でなくても間違いのなく自分の服が判別できる。

匂いといえば、もうすぐ金木犀の匂いが漂ってくる。村中に充満する。家の庭にも植っているが、想い出は奈良の田舎を行軍した時(20歳の会で召集された)。当時は集団活動が嫌で我慢をしての参加だったが、金木犀に癒された。高知の田舎も今が旬だろうなぁと想いを馳せた。
他にいい匂いは子供の頭。日を浴びた枯れ草のような感じ。もう機会はないがいい想い出。

今朝はひんやりとした目覚め。いよいよ秋かと思いきや、太陽が照り出した8時には灼熱。今日もナス吊り。昨年は3本目のなす吊り仕事は無かった、僕より10歳若い雇い主は弱ってきている。休憩の時、コーヒーの缶を捨てに立ちあがりゴミ袋に向かったら、「アンタはスッと立てれて羨ましいね」と言われた。
帰って1時間昼寝の後、運動公園の草刈り。今日はチップソウのある歯で刈る。セイタカアワダチソウが集中しているゾーンを始末。左指が最悪の状態で痛む。


2024年9月23日(月曜日)晴れ
村の家の仕事。若い女性の宿泊客が多かったので、風呂場の脱衣所でおそらく持参のドライヤーを何人かが使ったのだろう。ブレイカーが落ち掃除機が動かなかった。最初は掃除機の故障かなと別の機器と交換して始めて電気が来てないと気がついた次第。
設備が古いのと、ドライヤーがイオン発生器などの付加価値で消費電力が上がっている、又若い男性もドライヤーを持参しているかも知れない。
午後1番は伝承館で10月30日のイベント打ち合わせ。役場は窓口がないのに、以前担当の女性がいろんな手配をしてくれて助かっている。多分師匠の人柄が彼女を動かしている。

連日のSWATを見て寝不足だが、このドラマは隊員の個人的なトラブルが、事件と同時進行し、仲間は個人的な苦い経験を話す事で当事者を宥め、また犯人説得にも使われている、その体験談が少し一捻りしてあって脚本のうまさに感化される。その人情モノがそっくりこの伝承館の組合にもあって、テレビのようにはいかないが、うまく回っている。

会議を終えると、その隣にある運動公園の草刈り。急斜面での作業、草は草刈機を手前に引いてくるように刈ると、買った草が下方向に飛び、刈られる草の上にかさらない。
それで、僕は斜面と並行に立って、右足に常に体重が乗る姿勢で刈る。草刈機の回転が左回りだから、この姿勢は変わらない、それを2時間続ける。腰への負担も右手への負担ももう何ともならない極限に達する。
それに比べサトウキビ畑で草を刈るのはママごとだったと思える。

2024年9月22日(日曜日)雨
秋雨前線の南下で芸西村(のみ)は大雨大風、サトウキビは大丈夫。連日の頑張りで今日は気分が乗らず午前中はダラダラと過ごす。やっと昼から英語に取り掛かる。3時に太陽が出てきたので草刈りに出かける。1年放置した公園の草刈りは難儀を極める。今日は円盤で刃のある草刈機で木やそれに近い草を刈った。仕上げに紐の草刈機を使った。僕の使う紐は安価なもので、頑強な草を刈ると摩擦熱で切断される。エンジンの回転を落として刈ることにした。師匠はここを1日半で刈ると言うが、僕はもう3日目で半分にも満たない。初日に刈った草はもう新芽を出している。昨晩の雨で又一段と勢いがつくだろう。

明日は村の家の仕事と、伝承館の打ち合わせ。今度は全体会議。24-25日は求くんのナス吊り(別のハウス)で草刈りは中断する

身体は高負荷がかかっている。他の臓器は不明だが、胃の調子はすごく良く、先日は久しぶりにラーメンライス定食。胃にもたれることなく、夜がくれば空腹だし、腹も出てない快適快眠。問題があるとすれば、負荷がなくなった時、食事をどう抑えることができるか?コレは身体の酷使以上にしんどいかもしれない。


2024年9月21日(土曜日)晴れ
夜中は雨が降ったが日中は晴れ。この雨は石川県では大変な事になっている。しがらみが無ければ、もう住めないと決断した人も居るだろう。
村の家の仕事は宿泊客が少ないので作業は多くはないが、作業員が2名なので結局は普段と同じように2時間。

午後は運動公園の草刈り。柴が多く前回は手こずったので、今回はもう一つ大きなサイズの草刈り機を持ち出し、草刈りの紐を巻きつけるドラムも大きくしたのを使った。幾分か作業は早くなったが、重くなったので手首が痛くなるのと、急勾配の斜面にさしかかり足場が不安定で足首の負担が重い、それに西向きの斜面で容赦ない太陽に焼かれ休憩が必要で、軽い機械でノンストップと変わらず。今日は水1リットルにコーラ500cc。

朝からの作業で幾分疲れた。お惣菜を買って車庫に入った途端大雨がやって来た。機械が濡れずに良かった。耳を保護する電子機器もあって、雨には弱い。
疲れで風呂も沸かせず、シャワーを浴びて、SWATへ突入。だが3巻が限界。求くんの情報では配信の「ディズニー+」が年間5000円のキャンペーンをしているぞ。僕はアマゾンで必死こいている、アップルテレビもある、その上ディズニーか?
加減にしときやと内なる声もある。

2024年9月20日(金曜日)晴れ
もうヘトヘト。脚が疲れで絡む。太陽は相変わらず。明日から曇りらしいので、それまでは頑張るぞと気合を入れてくる。

昼、シャワーを浴びて高知のレストランへ砂糖の納品。美人の奥様は不在。 魔女の宅急便に登場上する、パン屋のご主人にそっくりな、コックのご主人の対応。11月19日実りフェスタに是非来てくださいとお伝えした。

帰りにワークマンで扇風機付きの服のバッテリーとファンの前のフィルターを買った。お砂糖代金とチャラ。

帰って風呂を焚きナス吊り。もう少しで終わりそうだったので暗くなって見にくくなるまで作業を続け完成した。

帰って酒でも呑もうとスーパーに寄れば、ビールは「コロナ・エクストラ」が美味いと言う。早速買って呑むと確かに美味い。瓶のラベルを見れば中国産だった。美味いが次はないな。

SWATを思い切り見ようと思ったら、明日は村の家の仕事だった。砂糖の販売や農家の手伝い、親類の畑の管理に村の運動公園の草刈り、その上にサトウキビの栽培だ。色々とやっていて忙しい毎日、この上に負担の重いSWATだ。


2024年9月19日(木曜日)晴れ
睡眠が深かったのか今朝はすっきり。普段は朝イチからの攻撃がある太陽も9時ごろまで雲に邪魔されもがいていた。助かった。しかしそれからは挽回するかのような光線。結局同じような量の水を飲んだ。

昼間の休憩時間に伝承館の打ち合わせ。10月30日、砂糖研究会開催の対応だ。僕の畑視察の時、研究に役立つ資料を提供する。試食の砂糖や、白玉糖の完成品も、品種毎に見せる役を貰った。
成る程なと思ったのは、発表会で事例や数値を提示し研究会の叩き台にしたらどうかと提案したが、それは後の懇親会で腹を割って話したら良いと言う。
高知の文化の醸成は酒ありきで、理論先行じゃないのだ。高知に戻って9年地元に密着したが、これは知らなかった。高知からビジネスが出ていかない理由がこれだったのだ。

午後の作業を終え、僅か30cmに満たないナスなのに、もう実をつけていて、数個を貰って帰った。一番ナスは消毒もない、肥料もない、ただ畑の養分だけで育つ。有機栽培だ。まぁ味は差があるわけじゃないけど気分はいい。スーパーで干物を買ってナスのタタキ。

2024年9月18日(水曜日)晴れ
睡眠不足の上過労でフラフラだ。容赦無い太陽は手加減がない。もう限界というタイミングで休憩の合図、コーラを買って来てくれと頼んだ。砂漠のオアシスと呼ぶコーラ(誰かが言っていた)で生き返る。爺さんがこんなことしてて良いかな感もあるが、効くから仕方ない。もうひと頑張りして午前中は解散。求くんも昨晩はよく眠れなかったらしく、午後の作業は中止となった。

せっかく貰った時間。お砂糖の袋つめを行なった。高知市のレストラン「ヴォルベール」さんが
からの注文に応えるため。色々とキャンペーンをはっていて、不足するらしい。もっとあるのか?と聞かれたので、11月20日まで持ち堪えれば、無限だと回答した。多分5kgでその間対応できる筈だと踏んだ。

そして夜はSWAT。懲りもせず3巻。

2024年9月17日(火曜日)晴れ
今日から怒涛の求くんナス吊り第2弾が始まった。朝6:30~10:00まで、夕刻16:00~18:00まで。今度は3本目の枝をより分けて吊る。通称部長と呼ばれているおばさんとペアになって、1本間隔を空けて2本吊るす。対面の部長は僕と反対の作業をする。枝目が悪いと、吊るす糸を交換する。手の甲に汗が浮かんで来て、心臓がドキドキ打ち出したなら、扇風機付きの服を着る。ギラギラと輝くお日様に向かって糸を空中に張り巡らせたステンレスの針金に結ぶ。背が低いのでつま先立ちの作業。ジリジリと焼けつような暑さで汗がみぞおちを滴る。午前中1リットル、午後1リットル。指先に力を入れるので、作業が終わると、指を曲げるのに一苦労。

今夕はハウスで栽培している「空芯菜」を貰ったので、ホタテ、生わかめとを中華味の顆粒調味料で味付け。激しい仕事で、食べ物だけは気をつけているつもり。

疲れているがSWATを2本。「ボンドウ」が職場に復帰するが、チームリーダーを外されていた。新しく就任したチームリーダーはどうやら組織のTOPから内々に別のミッションを実行するつもりらしい。それは、ボンドウを辞めらす事。中々途中でやめられなくなって 見てしまった。

2024年9月16日(月曜日)晴れ
村の家の仕事。部屋のバスルームを掃除したが、髪の毛が落ちていると指摘された。僕は3度も見直して点検したが、それでもダメだった。そして僕の目では認識できないとお断りを入れた。長い黒髪は大丈としても、産毛のような色の薄い短い髪の毛はもうダメだ。仕方ない、毎日タブレットやPC画面を5時間は見つめている、目をやられない方がおかしい。

帰って、昼食後憩いヶ丘公園に出かけた。本来だと17日から取り組む予定だったが、17にからナス吊りの仕事が来たので、先ずは手付きとし少しだけ刈った。4時間頑張ったが、なかなか進まない。理由は茅(カヤ)コレは強情で草刈機に直ぐ巻き付く、巻きつくとエンジンを止めて絡みつきを取り外す。やっと茅の密集地を離れたかと思ったら、予定の4時半のアラームが鳴った。
村の家で2時間を合わせると6時間。かなり体に負担がある筈なのに割と元気。こんなに無理して良いの?

お惣菜を買って夕食後、出来なかった英語の勉強。コレは辛かった。やっぱりへとへとなのだ。22時就寝。

2024年9月15日(日曜日)雨
雨は台風15号の影響、製糖組合員3人で会社と個人の切り分けについて話す、伝承館を私物化する問題についてだ、だが現実は大いに私物化している。組合長は指摘するが、他の案件で悪者になっていて、問題が転化されている。そこで会計を新人に担当させてはどうかと意見もあるが、僕的に同じことが起こるだろうと思う。僕が担当しても事後決済の多さで四苦八苦するだろう。趣味が6割、身体を動かす運動目的の農作業4割。この比率を壊してまで、製糖に特化する予定はない。だが雲行きは怪しい。10月30日の発表会は僕が担当しなくても良さそうだった。畑を見せるだけで済みそう。

打ち合わせの後、昨日仕掛かりの草刈りを終えた。ここはヒエが繁茂し中々進まなかった。

17日は師匠の村の運動公園の草刈りを手伝う約束をした。83歳になる丈夫な老人も、この暑さで仕事は遅れがちな筈だ。声をかけると今までは断られたが、今回は飛びついて来た。かなり自覚があるのだろう。

日本でもアメリカでも汗をかく仕事は敬遠される、結局中間層はこうした業種から得られるのであって、金融、テックでは一部の超富豪しか生まれない。いずれ日本もアメリカ並みの比率で汗を嫌いだす。そして肥満やその他疾病も気になりだす。汗の埋め合わせをスポーツで賄おうとするが、到底長い仕事時間とは比較にならないカロリー消費。かくして貧困層は増え、安全と言われる日本も犯罪が日常化するだろう。分水嶺は10年以内に来るのでは。AIが拍車をかけるかもしれない。
そして、身体に支障が出て来、旅行に行けなくなったら、製糖組合の仕事に専念しても良いかも。

2024年9月14日(土曜日)晴れ
村の家の仕事。毎日激しく動いて心休まる日もない。先月の給料は13000円、かっぱ市場が17000円。合計3万円。夏場としてはこんなもんかな。
師匠と久しぶりに会って、明日の昼、打ち合わせをすることになった。どうせ雨だから。この晴れている天気が急変するかな?
仕事を終えて帰る時には雨が降ってきた。かっぱ市場に顔を出せば、お彼岸の菊が山の如く売り場を席巻。僕の出荷できる余地はないぞ。相場は1束200円で5本位かな?8本で300円。厳しい市場だ。でも他所ではこんな価格はない。

帰って爆睡と英語の勉強。その後柿の下草刈り、親類のおばさんの畑の草刈り。おばさん曰く、ここは不便だから街に引っ越すつもり。11月頃には移りたい。もうこの歳になってはしんどいが娘が不便だというので。僕もそれは良いと支援した。帰り、ちかちゃんと会った、散歩していると言う。あんたは綺麗に草刈りしていると褒めてくれた。わたしゃ頭も体もしっかりしてるぞね。「きいつけて長生きしいよ」と私。
それで家に帰って気がついた、草刈りの帰りに夕食の買い物をするつもりだったが、2人のおばさんと話してすっかり忘れてしまっていた。もう出かけるには面倒。
冷蔵庫の中で食べられるものだけを出して何とか1食作り上げた。カロリーが無いので直ぐに終わった。労を厭わないのが私だったが。

2024年9月13日(金曜日)晴れ
殺人的な光線。昼からプール。9月15日に終了するので泳ぎ納め。次は11月5日から25mプールが再開するまで中断。1月からの累計46km。帰って草刈り。夜友人と懇親会。
新しいニュースはないかと聞かれたら、直ぐに思い出すことがなかった(いっぱいあったが)。即答即応の弱い私だが、ここまで衰えていたとは。
少し経って家族旅行の話をした。11月に博多にゆくことになっているがほぼ決定した。fb友の坪田氏に博多の見どころを紹介して貰った。外国人の旅行者が多いので博多のホテルは異様な価格になっている。それで少し離れるが久留米のホテルを予約した。ここだと普通の料金。
僕は今行かないともう2度と行けない台湾を提案したが、息子が国内が良いと博多になった。博多に宿泊すれば多分台湾行きと料金変わらないと思う。

夜が大変なことになっている。SWATにハマっているが、浮気して「イコライザー」を観たら、これがまた非常に面白い。黒人のおばさんがスティーブン・セガール並みの剛腕ぶりを発揮して事件を解決する。ミッションインポシブルのように、2人のIT専門家が後方支援する。痛快活劇。現在はITを外しては物事が成り立たない、たとえ映画の世界でも。
そして僕的には、登場人物の性格が複雑な込み入った映画が不得意になっているのに気がついた。先の事例も含めて頭が退化してきている。

2024年9月12日(木曜日)晴れ
親類のおじさんを病院へ送り迎え。足が痛くて右足が上がらなくなっていた。病院で心臓の定期検査の他に整形外科で見てもらうように手配する。その間病院の待合室で爆睡。AirPodsで消音モードに設定すれば外部の音は何にも聞こえなくなって、静かにジャズが流れるだけ。いびきをかくとか、よだれを垂らすとかだけが心配。
灼熱の太陽は車のエアコンを無能にしてしまい、帰り着く頃にやっと機能を果たした。太陽光の問題か、車の問題か?

家に帰り着く前に田村のおばさん宅に寄って菊の生育を見届ける。色がわかる蕾になったら出荷して良い。包むシートは農協で4000円。もう死にかけだと本人は言うが、骨折から回復していたって元気。

帰って爆睡後、草刈り。僅か2週間の間隔でも、ひめ芝が大量に繁殖。空気服のバッテリー充電を忘れ、無防備のまま草刈り、太陽は雲に隠れたり出たり状態になって、何とか凌げた。

夕刻お惣菜屋さんで「サワラ」3cmくらい切ってと言ったのに、5cmくらいの切り身が出てきてた。大きな魚だったので、今夕だけでは食べ切れない。こんなの食べていては、高知から離れると刺身が食べられなくなる問題がある。

もう一つの問題は友人が来高する予定だったが、怪我で中断。足場から転落。老人の骨折は再起不能になる可能性がある。さきの田村のおばさんのご亭主は、ビニールハウスの修理中脚立から落ちて10年ほど入院し亡くなった。70歳前後の年齢だった。


2024年9月11日(水曜日)晴れ
夜中に雨が降って昼間晴れる最悪のパターン。草が勢いを増す。午前中は写真編集と英会話。アルマゲドンの翻訳は作者の癖が見えてきた、熟語の多様と言うか、文章構造が熟語の積み上げで成り立つような意図がある。下世話な下町言葉が多用されている。英語のテキストのような文章は全くなし(当たり前ですが)

日本人の中も駄洒落で会話を構成する人がいるが、これとよく似た感じ。私は、どの単語とどの単語が熟語を構成しているのか?サッパリ見当もつかない。前後で辞書を引き、当たりを待つ。

その点米大統領のTV討論会は、わかりやすい英語で話してくれた。それは取りも直さず、英語に弱い不法移民が理解できるような言葉を選んでいる、ちょっと矛盾がある気もするが。

バイデンはやはり一級の政治家、ハリスを大統領にすると2020年に言った。だがハリスはそのままの立候補ではトランプに負けるし、他の民主党立候補者にも負けるかもしれない。それでバイデンは続投すると宣言した、その後は記憶にある通り、トランプとの討論会で非難轟々、周りの説得に応じて続投を諦めた。そしてバトンをハリスに渡した。その時点でもうハリスしか選択肢はない。民主党員もハリスで結束せざるを得なかった。そんなシナリオを実現した人だ。
夜は疲れが出てきて早々にダウン。


2024年9月10日(火曜日)晴れ
6時半からナス吊り。取り掛かったハウスの終わりが見えてきたので午前中いっぱいかかって完成した。持参した水が足りず、応援に来ているおばさんが一足先に帰るので水を分けて貰った。激しい暑さで、ファン付き服を着てても1リットルでは不足した。連日激しい労働だが、帰って食事中は眠いだけで余り影響は出てない。水を飲んだ割に食欲もあって、ざるそばを2人前頂いた。

昼食後、しっかりと布団で寝る。明日は休みなので、冷房の効いた中、ウィーン探訪の写真整理。シェーンブルク宮殿は、iPhone15のみの撮影だった。この宮殿の撮影に気が乗らなかったので、カメラは取り出さなかった。理由は、妙に高慢な感じが伝わってきたから。見せてあげる態度だ。勿論ハプスブルク家の由緒ある宮殿だから上から目線は仕方ない。ここで関係者とか会話した訳じゃ無いのにヒシヒシと「それ」が伝わってくる。どこにも「それ」は見えないが。

4時半が来てお惣菜屋さん。カツオじゃ無いが、似た魚で10cmの子魚、茹でてあって酢橘が乗っかっていた。暑いがもう食べ物は秋なんだ。お醤油を垂らして熱いご飯に載せると極上。何にも要りません。

昨日サボった英会話と英訳に着手。極度の睡魔がやって来たが何とか聞き終えた。

2024年9月9日(月曜日)晴れ
睡眠不足は解消し元気を取り戻した。朝早いと涼しくて作業がしやすいが、草に埋もれたサトウキビでは作業も出来ず、ご近所の手前騒音を出しても良い時間に到着するよう7時半の出発。

案の定、草の中にサトウキビがあって、成長もなく、今年は1釜200kgに到底追いつかない。雨が無く成長が悪いと言われたが、僕的は草に負けてしまった、と分析。まぁ思いの強い人なので、幾分以上の継ぎ足しをしてあげてサトウキビを焚く事になるだろうなぁ。

強烈な日差しの元、枠作り。今年は予め杭を立ててあったので楽だったが、意外と時間がかかり、午後4時に半完成のまま終えた。電動ドライバーのバッテリー切れもあった。サトウキビの成長が悪くあまり伸びないようだから問題はない。

帰りは土佐市のイワゴウに寄って食パン購入。3斤千円。日清製粉の高級小麦粉も1kg1000円(3斤分)だから、割安と言えばそうなる。
夜須のお惣菜屋さんで夕食を買って帰り、昨日焚いた風呂に入って夕食。いささか疲れ、SWATを2巻だけ見て寝た。


2024年年9月8日(日曜日)晴れ
力強く活動して来た岡村さんも、これだけ動けば疲れる。脚が重くて最初の1歩が大変。そこへ、門を出れば、昨年と同じ大きさのマムシ。今年は突き刺す事が出来ず逃してしまった。蛇は行動範囲が狭いのでまた何処かで遭遇するかも。

今日もナス吊り。40度になればビニールハウスの設備から警告音が出るので、気温はそこまではないだろうが、作業をしなくても汗がにじむのは僕的に38度。上側にある針金に糸を巻きつける際顔が上向きになって太陽で焼ける。

10時で終える、スーパーで買い物してる時、よしみちゃん(81歳)に会って立ち話、あたしら9時が限界(ビニールハウスの中での仕事)と言う。そして明日からピーマンを吊りはじめると言った。今芸西村はあちこちで吊る作業で皆んな大量の汗を流している。涙の数が多いほど強くなれるのは岡本真夜で、流す汗が多と元気になれるのは芸西村の老人。

午後は昼寝、午後4時から6時まで再びナス吊り。へとへとだが帰って明日の日高村行きの準備。ETCは動作せず諦め、次のインターで降りることに決めた。
早く寝なきゃいけないが、息子の勧める「プリズン・ブレイク」は面白いよと、アマゾン・プレミアムを点けると、さすが引き込まれてしまった。眠くてボロボロになりながら観た。
これは収監された兄を救う為、弟は強盗未遂で刑務所に入り、脱獄する話。素晴らしい脚本。


2024年9月7日(土曜日)晴れ
明日から赤野のナス吊りの応援。30cmのナスを倒れないように糸で吊るす。ナスが成長するに従いこの糸を絡ませて上へ上へと導く。ガイドのような糸、細いが強靭。糸は強く張るとナスの茎を痛めるし、弱いとナスが成長すれば倒れてしまうから、微妙な張りが必要。コレがなかなか難しい。しかも、ビニールハウス内の気温は37-8度くらい。扇風機服で熱を飛ばしながらの作業。東向きの作業では太陽が顔を焦がす。10時で終了。

午後は、芸西村村民会館でトヨ自動車副社長の宮崎氏の公演。こんな偉い人が何で芸西村?宮崎氏は芸西村出身であるから。公演は中学生向けに作成されていて、少し内容が希薄化と分散で迫力に欠けたかな?世界の競合と戦う身として、中学生の立場で物を見ると言うのは、かなり難題だったのだろう。息子にも参加してた。父の従兄弟を紹介されたとか、狭い村なので人が集まると色々とある。

夜は息子の買ったチケットで、大阪フィルの「ジョン・ウィリアムス」のコンサート。ジョン・ウィリアムスは映画音楽の作曲家で、スターウォーズを始めとする数々の作品を手がけている。指揮は佐々木新平。この音楽を聴き込んだ事がないので、指揮の旨さとかはわからなかったが、音楽を紹介しながら演奏を進めてゆく、昔「題名のない音楽会」があって黛敏朗が司会と指揮を務めたが、丁度あれと同じ形式。
初めて楽団を聴く人にも優しかった。バイオリンとビオラのユニゾンが非常に綺麗で目前にパァーと音が広がった、この心地よさはやはり生じゃないと実現できない。
舞台の後ろでは、グランカッサや鉄琴トライアングルなど一人で受け持つ女性が左に右に奮闘してた。コレは中々の感動ものだった。
北川千紗のバイオリンとピアノのアンコールは、説得力があった。国際舞台に立てるか?どうかはわからないが、大阪フィルとは格の違いを感じた。
終わった後、息子も感動したようで、初めて音楽を聴き入ったと言った。姉はトロンボーンやホルンを吹く音楽家だが、僕も息子も正式な演奏を聞いたことがない。この演奏を聴いたらどんな感想を持つのだろう?

2024年9月6日(金曜日)晴れ
きまさごの草刈り完了。これで草からしばらく遠のいていられる。現役の頃ほどじゃないが、日程が詰まってきて、そこに叔父さんが病院に行くので連れて行ってくれと言う。前回訪問時、近所の人と病院であって、次回は連れて行ってあげると約束したが、それを断って僕に行ってくれと言う。老人はわがままなものだが、実害があるのが悩ましい。しかもスケジュールが満杯の時に限って、村の家の窓口にメールを送り、出勤日を取り消してもらった。



2024年9月5日(木曜日)晴れ
9月15日で今、通っているプールが終了する。それまでに距離を稼ごうと出かけた。気持ちよく泳いでいると、同じレーンにかなり若いおばさんが来た(50歳位?)、その人が僕を追い上げることすごい勢い、必死に逃げるがもう昔の力はない。そこへもう一人、おじさんが入ってきてゆっくりと流す、僕はこの人に追いつくと、そこからUターンして追い込みから逃れた。これでゆっくり出来るわと気を抜けば、先ほどのおじさんは隣のレーンに移った。そして再び追い上げられた。「心臓が飛び出る」表現があるが、まさに今日はコレ、こんなことして良いのかな?疑問も横切ったが、後ろの人に脚を掴まれるような近接は避けたい。幸いもう直ぐ2kmひと頑張りして逃げきり、プールから上がった。そしたらおばさんは休憩に入ってて僕を微笑んで見送った。やれやれ。

夜須のお惣菜屋さんでハゲの煮付け購入。昨日この魚を見つけたので、煮付けを頼んでおいたのだ。当初は唐揚げのつもりだったらしい。コレが田舎の良いところ。

帰って風呂を焚き、17:30から1時間草刈り。暗くなって見えにくくなったので終了。

今日は頑張らなくても良いのに頑張った。もう若くはないけど、身体が動くからついやってしまう。死ぬ時が来たら逝くから我慢しないほうが良いかもといつもの堂々めぐり。 

2024年9月4日(水曜日)晴れ
日高のK子のサトウキビが倒れないように9/9は柵を作りに出かける。軽トラックは190cmの長さしか材料が積めないので、今日は午後の時間を使って材料を切断をした。チェーンソーを使っても材料が多いので時間がかかる。弟子が頑張ると言うので僕は応援せざるを得ない。

今日の事件は、K子の住む街に行くには高速道路を使うと1時間半位で到着する。その高速の出口はETCでなければ通過できない下り口。一方この軽トラのETC機器は壊れて久しい。それでAmazonで注文したが予定日になってもこない。メールをひらけば決済できてないとの通知。そうだ、VISAカードが先月切り替えになった、その変更届をしてなかった。他にも支払い先があって、ネットを開いて更新した。あわや大惨事となるところだった、電気が来なくなるなど。
便利な世の中だけど、それなりの運営力が必要だ。

2024年9月3日(火曜日)晴れ
新聞を読んで憤ることも無く、午前の英語勉強に突入。連日のSWATは耳を凝らして英語を聞いている事もあって、ラジオ英会話のヒアリングテストは結構聞けるようになっていた。英語に接する時間が長いとそれだけわかると言うことか?一方アルマゲドンの翻訳は作家の文体に慣れなく速度が上がらず、半分程度。 長い熟語の引用もある。長い熟語は間に単語が挟まるので、それを排除して辞書で検索しなければならない。熟語の検索は「英辞郎」毎月400円もかかる高価なアプリだが、これに匹敵する他のアプリなく妥協している。書籍では、話の転換には大きなスペースをとって、話がここから変わるぞと示してくれるが、書籍からテキストデーターに変換するソフトは、文章がそのまま継続するので、前文と比較して訳していると大きな混乱が生じる。それを仁鶴じゃないが、まーるく収めるのに2-3分ロス。 僕の能力は1時間に3500文字変換だが、多分この書籍はそこまで行かずに終了すると思う。幸運なのはこのタイトルはLDの映像があって、映画から筋を掴み、登場人物の名前を把握すれば、支援してくれる筈。

午後は草刈り、西上を終えた。それで沖の田を叩けば、5時に全てを終えることができた。夕食を済ませて、早めにSWATを点ければ2話が限界で睡魔がやって来た。昼間ガンガンに働ければ達成感はあるけど、夜が使えないのはここ最近の定番。


2024年9月2日(月曜日)はれ
沖の田を叩かねければならない、草ぼうぼうだ。一方でプールがお留守になっている。プールはリハビリみたいな位置付けで、どうしても健康維持には欠かせないと信じている(正しいかどうかは不明だが)だから、医者にかかるよりもマシと、半ば義務みたいな気もしている。水泳は時々アドレナリンが出て気持ち良くなる時もあるが、大概は尿を我慢して泳いでいる苦行。50mプールは長く感じる時も、あっという間にターンがやってくる時とまばら。ここ数年いろんな理由で距離が伸びてなく前の調子がどうだったのか覚えていない。

プールから帰ってきて、トラクターで出かけた、もうすぐ日暮だが一枚だけはなんとかしようと頑張った。草の背高さは30cmくらいあった、この1週間で急成長したので、茎が柔らかく、トラクターの爪に巻き付かなかったのは幸。もう暗くて見えなくなる直前で終了。田にトラクターを置いて徒歩で帰った。汗だくだったので風呂に直行。昨日の残り湯はまだ熱く水で薄めて入った。予定のことを全部済ませたら気持ちが良かった。大阪のN君が「あなたみたいにバタバタしてないから話題は無いよ」と言われた時、少し反省した。もう少し速度を落としてはどうかねと。

2024年9月1日(日曜日)晴れ
日記のサイトをアップするのに2時間。毎夜SAWATを見るため、毎夜の日記を走り書きしたので修正に時間がかかる。それから、英訳は「アルマゲドン/MCボーリン」に移った。作家が違えば文体も変わり、使う単語の意味も違う、特に動詞を他動詞として使う場面が多いような感じ(ホントか嘘かわからないが)。それで普通の辞書は、名詞、自動詞、他動詞の順に並べられている場合が多く、辞書を随分とスクロールしないとヒットしない(こちらも、僕の思い過ごしかもしれないが)。その結果今日は1500文字しか訳せなかった。

午後、庭の草退治に除草剤。それから草刈り、ここ数日で姫芝の成長著しく、さらに刈る速度が落ち、燃料が増え、しばく紐の消費が増えた。台風前に済ませておけばこんなことにはならないが。そして夕刻まで続けると雲行きが怪しくなって雨が来た。除草剤の散布が無効になった。やれやれ。

夕食におちょこ2杯の日本酒を飲んだら酔っ払ってしまった。お酒は一人で黙って呑むと酔うものだ。それからSWATを見る。よくもまぁいろいろな犯罪があるものだなぁ。今「ディスニー/ロバート・アイガー」を読んでいる。前回読んだPIXAのローレンス・レビーが、ディズニーと買収の交渉をする時、ロバート氏を随分と素直な話をする人だと評価していた。それでこの本を開いた。そのロバート氏が、ABC(放送局)に勤務していた時、テレビでドラマを作成する苦労を書いている。特に「ツインピークス」について。映画とテレビドラマは全く違ったマネジメントが必要だ。監督の芸術性よりも、スタッフの管理能力が優先される。短く言えば期日内にさっさと仕上げ、足りないところを残しておく。ツインピークスはそれで失敗したと。

話を戻すと、SWATはまさしくテレビドラマのマネジメントを踏まえている。物語の展開が早く事件の背景の人間関係を把握出来ないが(きっとかなり矛盾のある内容を話している筈)、犯人を追い詰めて逮捕する筋を外さないので、安心して楽しめると言うか、あれこれ考えなくても良い。それが100話を越える大ヒットに繋がった筈だ。

2024年8月31日(土曜日)晴れ
台風一過の爽やかな1日、と言うよりか酷暑が帰ってきた。午後2時までかかってエアーフレームの翻訳を終えた。今月は前代未聞の11万語の翻訳。ほかの読書巻数も7冊で頑張った、この中には素晴らしい作家2人があった。一つは藤本靖/クマ退治、一般の人だが、すごいサスペンス劇場を見る体験をさせてくれた。一つはPXARを書いたローレンス・レビー。この人も作家ではなく、財務責任者。会社経営の問題を究明し、最善の策で一歩づつ前に進める理論派/実行家。かの有名なスティーブ・ジョブスも従っている腕利き経営者と言って良い人。その人の文章が分かりやすく、まるで犯人を追い詰める刑事のように、資金面で問題点を分析し、課題を刻してゆく。交渉には自分もしくはスティーブを担ぎ出す。プロの作家でもこの経営手腕を表現できない。課題に対する嗅覚をうまく表現できないだろう、それと瀬戸際に立つ交渉心理は、本人ががけっぷちに立っているからこそ言える部分もある。2人とも素人作家だがすごい感動を与えてくれた。

そしてAmazonプライムのSWATに再びハマった事。たわいもない単なる娯楽。しかしコレを見たがため、農作業はその日の目標はきちんと片付け、きちんと洗濯をし、毎夜の腰痛体操を欠かさず9時になったらテレビを点ける規律が出来上がった。

まるで、「一日2杯の酒を飲み、スルメは炙ったイカでいい」みたいな、きちんとした労働者の生活だ。

滋賀の友人から宅配便。CD10巻が届く、全てオリジナル。音源はNHK-fm放送。テーマ毎に独自の編集で1巻のCDにまとめてある。音質は望めないし一聴では良さが理解できない。何度も聞くと、どうやら魅力はこの辺りかな?発掘型試聴だ。編集者の意図を探るのも楽しい。

2024年8月30日(金曜日)雨
台風の右側だった都城の知人に電話すれば、風は強かったが何かが吹き飛ばされた事はない。と言う、テレビでも家屋の倒壊はなかった。突風は仕方ないとしても台風の暴風ではない。最強の台風は九州を横断したが、最強の風速は聞こえてこなかった。
こんなのもあったようだ、「バス停の看板が風で倒れている」報道、「バス停の看板は風で倒れないように、あらかじめ倒している」報道もあった。
今の若者はスマホと漫画しか読まないので、基本的なことがわからないのだろう。

芸西村は雨風も弱くなって、夕刻近くのスーパー(徒歩45分、コレを近くの店と呼ぶ)に買い物に行き友人に懇親会のお誘いをする。
今夜は「鶏肉の生姜蒸し」でウォーターオーブンのメニューだ。鳥の胸肉が柔らかく、少し甘い味に生姜が上手く味を引き締めていた。マニュアル通りに作れば最高のコックが調理したのと同じ味になる。決して僕の腕が良いわけではないが、錯覚を起こさせる。

友人とはひとしきり台風の報道についての批判。その後よさこいの撮影パワーポイント上映。友人曰く、テレビの放送は解説の方がうるさく踊りに集中できないし、カメラをやたら切り替えるので全体が見えないし目が疲れると言う。僕は三脚の先にジンバルをつけたスマホで動画を撮影した。みんなの踊りも、近くに来た人はドアップで見られた、カメラは動かさなくても彼らが動くから全く問題ない。これがカメラマンにはわからないのだなぁ。

惜しむらくは、2日間くらい通って少なくとも半分以上は撮影すべきだったが出来てない。こちらは地震対策が目前に迫っていたからだ。

よさいこいのスライドが終わり解散となって、雨は止んで、風も止まり、星が見えそうだった。台風の中心が近くまで迫っていた。



2024年8月29日( 木曜日)雨
台風10号のニュースが増えた。フェイクも大いにある。先ずは暴風雨。暴雨と暴風はあるが、2つ同時はあり得ない。現地取材のアナウンサーが「ものすごい雨と風」です。大量の雨は、水は重いから風を防ぐ。台風のエネルギーをもってしても風速は上がらない。

走っているトラックが横転するとか、大袈裟に言いたいのはわかる。しかし走ってないトラックは絶対に横転しない。走っているから乗用車と同じ様に風で浮力が発生する。フェイクではないが詐欺のような言い回し。
四国ではこの3日間に900mmの降雨、実際芸西村は68mmだった。高知市内でも120mm程度、注意喚起は必要だが、度重なるとオオカミ少年になってしまうのも人間の心理だ。毎回同じことを言う「専門家の意見」も多くの大衆は聞く耳を持たないだろう。今後も「大雨が来るのか予断を許さない」大雨は雨雲レーダーを見ればわかる。「地域の自治体の指示」に従って下さい。大雨では放送が聞こえないのを知っているのかな?
雨雲レーダーはよく分かる。テレビはそれを放映すれば良い。できなければスマホにQRコード表示、十年前のやり方から脱却しろと言いたい。
風速は秒速○mではどんな風なのかわからない。テレビは「新幹線並みの」と言っているように、気象庁も風速は時速表現すべきだろう。時速なら風の強さがわかりやすい。
おかしなことばかりだ。

台風報道は、根本原因については報道されない。こんな時こそ、台風の原因が温暖化にあり、化石燃料の使用が招いたものだと示唆すべきだろう。原発の使用が永久に閉ざされたと報じるが、それだけでは片手落ちだろう。核のリスクと温暖化を天秤にかけ視聴者には判断の基準を出すべきだろう(たぶん政治的な圧力でできないはずだが)。

まぁ 僕がこの国を運営するわけではないから、放っておいても良いが、中枢がアマチュアの運営であるような気がして、そしてそんな人に限って権威を振りかざしているように思える。専門家は「こう言った」報道は、最近は多いが笑ってしまうし。

2024年8月28日(水曜日)晴れ
台風来襲対策は、ほぼやり終えた。余った時間で普段気になってなっている事、廊下の雨漏りとか、煙突掃除とかリストを塗り潰していく。それも終えると、草刈り。先週は簡単に刈れたが、連日の大雨で一気に盛り返し、1m進むにも時間がかかる。まぁその分サトウキビも伸びるワケだから文句はない。昨晩もイノシシ出現し、20本ばかり食われる。彼は、我が世の春を楽しめば良い。いずれはカタをつけられる(はず)。

イノシシがここまで悪さをするのは森に食べ物がないからだろう。一つは人が入らないから森が深くなった、昨日清掃した大日様も草はあまりなくなった。以前は、歯のある草刈機で刈ったが、今では紐でないと綺麗に刈れない。草が余りにも小さいため。二つ目にはこの暑さ。私の栽培する菊は焼けて、葉が黄色くなってしまうほど。野生のブドウとかが影響を受けている筈。

夕刻遅くまで作業をして風呂に入った。身体が熱を持っているので、水シャワーで冷やさないと収まらなかった。日本酒1合を熱燗で。

夜はアマゾンプライムでSWAT。台風10号の雨で明日の農作業は中止だろうから、思い切り夜更かし。シーズン1はエピソード12話まで進んだ。もうフラフラだ。途中で気がついたのは、女性に関しては美形が多い。ジムストリートの母親役カレン(シェリリン・フェン)でさへかなりだ。

2024年8月27日(火曜日)雨
台風10号の実害が出た。28日30日は 村の家の仕事だったが、宿泊客のキャンセルが相次ぎ、出勤は取りやめとなった。3600円相当の被害がでた。これだけに終わらない可能性がある。

午前中は気をとりなおして英訳を途中から開始。トランパシフィック航空会社の事故で、ノートン航空機会社がマスコミの追求を受けている。報道する前に、同じ機体を使って事故の再現をしてみよう。そこまで来ていた。文章表現の展開をよくわきまえた作家なので、僕のような不完全な英訳でも十分真意は伝わる。手に汗を握る感じだ。
昨年はボルトン補佐官の英訳で、政治の駆け引きは十分訳せなかったと思うが、今回は違う。かと言って上達したわけではないが(速度は変わらないから)

午後、裏の大日様の草と竹刈り。付近の住民がする作業だが、予定日が30日。雨で大変だから、 僕だけが粗方進めておいた。小雨だったが、大いに汗をかいた。そのまま、プールへ。2km。連続して通い、少し筋肉が戻ってきた感じで、レーンで早い人が抜き去るのを待たなくてもよくなった。しかしバタフライは25mが限界だし、バタ足で25m息継ぎなしも出来ない。やっと累計40kmに達した。歴代の記録の後ろ姿が見えて来た。

夜、SWAT。アマゾンプライム。シーズン一つに22話程度あって、見たのは虫食い状態。それで、エクセルで碁盤の目のような升目を作り塗りつぶして行く事にした。しかしこんな管理をしなくても、どのエピソードから見ても面白い。この話の構成と、50分の短編と単純な事件の組み合わせは上手く練られている。視聴者が一定ある事は制作面では安全材料。ハリウッドではできない構想。劇場の映画は少しずつ減って巨大予算化し、主はこのような配信型の制作に移って行くのではのないかと思う。

2024年8月26日(月曜日)晴れ、雨の交互
台風10号は遅々として進まず、だんだん西よりとなって熊本県まで行った。高知県は台風の右側になるので、柵の他にサトウキビを束にして飛ばされない様にした、当初、柵にきっちりと入るのが目的だったが、同じ事をしているが目的が違うので、束にする株が増えて午後いっぱい費やした、そして最後のきまさごの畑にくれば、また猪がサトウキビを食い荒らしている。食べるのなら許せるが、只々倒して噛み切るだけ。食べないから何本も食いちぎれる。

コレにはまいった。新たに植えた畝の半分がやられた。もうイノシシの勝手は許さないぞ。ここまできた以上、僕だって黙って見ていられない。
この1週間でカタをつけるつもり。間違いなく勝利するぞ。

今日は他にも、PCでデータを保存しているSDDが壊れて、復活できない。毎日せっせと訳してきた「エラーフレーム」が消えてしまった。280ページ~410ページ迄。PCは危ない。バックアップをとっておこうと何度も言い聞かせてきたが、不覚にも一瞬の油断をした。コレから地震も台風もあるので、一度ディスクに焼いて突然に備えなければならない。

2024年8月25日(日曜日)晴れ
専門家は言う、台風10号は西寄りに進路を変えているのは「寒冷渦に依るもの」だ。それなら専門家はそれを見越した予測をしたらどうかね、結果を見てコメントは誰でも言える。マスコミに登場する専門家の発言は、全て私にも言える(肩書きがないだけですが)所詮専門家は専門用語とか、変な英単語を使って権威を振りまくだけみたいな感じだ。そして政治家は「遺憾に思って強く抗議する」が何にも動かない。 僕だって言える。そして新聞は「判断が危ぶまれる」。どうなるとは言わないから 、こちらも僕だって書ける。総じて無責任が闊歩する時代と成り果てた。

午後は 一番上の畑でつっかい棒を建てた、昨年は幅が短いから簡易版だったが、サトウキビの方が巨大な成長をして倒れてしまった。今年もゆうに4mは越した。1本2kg級だ(他の農家さんは500gとかそれ以下が多い)だから大風は強い圧力がかかる。直径5mmX65mmのモクネジが最も簡単に折れる。
対策は、杭を多く立てるしかない、師匠は金属の柵を作れと勧めるが、後何年できるのだろう?

今日は頑張って疲れたので、夜は映画。AmazonのSWAT。昨年も観たが、今年はものすごくシリーズが充実している。一度見ればハマって4作くらい見てしまう。覚醒剤の様な中毒性がある。いくら眠くても覚醒してしまう。

2024年8月24日(土曜日)晴れ
台風10号がやってくる。柵のつっかい棒を急がなければならないし、夜雨が降って昼間は晴れるのが続き、一気に草が盛り返してきた。それを刈らなければならないし、ここ2-3日が勝負だ。今日も太陽光線が強く、帽子からはみ出て光が当たる首の辺りが痛い。

杭を深く打てないから、沢山のつっかい棒で力を分散できれば良いかなと、つっかい棒を増やした。時間がかかったが、2つの畑は完了した。後一枚の畑が残る。明日の工程だ。天気予報は晴れだが、今日の様に強い夕立が来れば作業はできない。人間は濡れてもいいが、電動ドライバーは濡れると故障するから中断しかない。台風到来には余裕があるが、作業は急いだ方がいいだろう。
また成長不足で穂先の芯が柵に届かないサトウキビは、根元の方で他の仲間と一緒に束にしておかないと、風で倒れるかもしれない。こちらも1日の作業工程だ。

農業は手を加えれば加えるほど作業が増えてくる。それだけ向こうも成長で期待に応えてくれる。それはすごく励みになるが、毎日何か足りないものがあるんじゃないかと、気を揉む日々となる。泳いでいても、寝ていても心配している。いわゆる安心する日がないのですね。
何もそこまでしなくても!それができないだよね。


2024年8月23日(金曜日)晴れ
8時間寝て起きた。昨日の後遺症はない、良かった。心臓に良くないコーヒーは控えるべしと思った。

午前中英語、午後草刈り。太陽光が強く、光と影のコントラストが強すぎてよく見えない。今日も秋のような澄んだ空気に強烈な太陽だった。

今夜はワーグナー活劇ニールベングの指輪から3つめ(公式では2幕)の「ジークフリート」話が難解なので、観ているつもりが目を閉じていたとかで、なかなか先に進めない。早々に就寝。

2024年8月22日(木曜日)晴れ
少しだけ気温は落ちてきたが、今日は空気が澄んで秋のような透明感がある、そこへ夏の太陽が降り注ぎ、盛夏と違った暑さとなった、つまり木陰は過ごしやすいが炎天下では刺されるような痛みがある。百葉箱の中の温度計では測定できない暑さだった。

今日の作業は、先日の雨で青色吐息の雑草が元気を盛り返し急に成長したので、草刈りを始めた。草刈機の防御のため、厚い防護服を着るので、暑さも倍加した。2時間で切り上げた。

それから、農協へ行って、届いた発電機を受け取った。地震で家がなんとか持ち堪えれば、この電気でポンプを回し風呂に入れる。

その足で高知のプール。畑仕事の後プールはどうかな?と思ったが、今月は頑張るつもりだ。しかし泳いでいる時、何度も不整脈がでてきて、身体から警告信号が出ていた。滅多にない休憩を何度もとって予定通り2km。でも、無茶なことはもう止めようと思った。

夜は疲れがどっと来て、9時半に就寝。

2024年8月21日(水曜日)晴れ
完璧に先日の暑さに戻った、一雨くれば少し季節は動くと昔の人は言うが、今年は全く動じないですね。村の家の仕事は10時過ぎまで、汗だく。帰りに涼しい喫茶店があれば寄るけどそんな洒落たものはない。喫茶とは言えないがローソンに併設の飲食コーナのみ。ここは朝日が差し込むので冷房が効かない。帰って自分の部屋でPCを開くのが1番の休憩か。

午後一ラジオ英会話を聞き、それから農作業。作業はつっかい棒の為の杭打ち。先日の雨で地盤が緩み、杭が打ちやすいかと思いきや全然でした、頑張って打ち込めば、右手の腕から先が痛くなって、ペットボトルの蓋さえ開けられなくなっていた。

夜は、息子に薦められ延ばし延ばしになっていた映画「ミッション インポシブル デッド デコクニング」をアップルで2050円で購入し観た。かなり面白い。が、ツッコミが多すぎるのに閉口した。最大は蒸気機関車を乗っ取り、運転手を殺害したが、釜焚きも殺害したのだ。

私は毎年12月サトウキビの精糖で大量の薪を燃やすが、この釜でさえ、薪は5分で燃え尽きてしまう。増してや石炭を燃やし大量のエネルギーを必要とする蒸気機関車なら、燃料は絶えず投入し続けないと出力が落ち止まってしまう。

つまり、この釜焚きを殺害した時点で蒸気機関車は速度がじわじわと低下するはずだ。ところが映画では加速し、その速度を30分以上維持した。そんなのあり得ません。

この映画の感動は、本編ではなく、付属の補足編にトム・クルーズがバイクで山頂から飛ぶシーンに、危険で「練習、練習、練習しかない」とコメントした点だ。一流の彼でさえ、練習以外あり得ないと言う、引退した野球選手のイチローと同じことを言った点だ。プロの根底はアメリカも日本も同じなんだ。



2024年8月20日(火曜日)晴れ
結局雨は昨日のみ、今日は再び晴天が戻ってきた。台風シーズンがやってきた。昨日の大雨と風で、根を張ってないサトウキビは何本か倒れている。グループで束にするのと、柵のつっかい棒を施してない畑は到来までに完成させなければならない。今日は家の東側の畑に杭を打ち込んだ。穴を掘って、重いハンマーを振り回したのでいささか疲れた。

明日は仕事があるので、早めに就寝。

2024年8月19日(月曜日)雨
夜中気がつくと雨が降っていたが、そのまま寝ていつもの6時に起床。今日こそ頓挫していたプールへ。遡って1-8月の記録を見れば、21年48km、20年50km、18年58km。サトウキビが忙しくなるに従い泳遠距離は落ちてきた。今年累計は36km。歴代の記録には及ばないが、私の健康の秘訣でもあるから、なんとか年末までには回復したい。それに、下腹が出てきた。短期間で8kmくらいいけば落ちてくる。下腹が出ると風呂を焚く時、カマドを覗き込むのが苦しい、その解消もある。今日は久しぶりなので、速度を落として流した。

帰り大雨となって視界が悪く、路肩の水は深くなって危なかった。帰って雨量を見れば高知市近辺は130mm/24時間雨量だった。芸西村は60mmくらい。

夕食は、ヘルシオメニューで「トマトソースに、豚肉、大豆を混ぜた」オーブン料理。計量を間違えなければうまく行くことがわかった。塩胡椒の加減を変えれば、酒のあてになるので、友人と食する時は活躍しそう。

水泳の疲れは農作業に比べてそれほどでもなく、夜は、ベルリンフィルのデジタルコンサートで、アバド指揮、バイオリンにムローヴァ、1992年1月25日サントリーホールで上演の映像を観た。「ブラームスバイオリン協奏曲」ムローヴァは円熟の演奏で只々感心する。楽曲の終わりと弦が弾き切った最後を一致させる。脱帽です。歴史に残る名演としてベルリンにアーカイブされている。

2024年8月18日(日曜日)晴れ
村の家の仕事。小学生の合宿、トイレは荒れていた。スタッフと話した時疑問符がついたのは、「糞の後女子トイレは流して無かった」事を指摘すると、こんなの反響だった。いい家庭のトイレは自動洗浄だから流す習慣がない。それに対し、母親が子供に構っていられない忙しい家庭で、余裕のない家庭。 まっ、トイレ考はかなり広く深いのを感じます。

帰る途中粗大ゴミの収集日でレンジの棚を持ち込んだ。顔見知りの人達ばかりで、少し話し込んだ。半分は持ち込みで、半分は持ち帰り。手を入れれば使えるモノが多い。僕もテレビ台の事を考えたが、9月は忙しく加工に構っていられないのを思い出し断念。

帰って食事後爆睡する筈だったが、今朝購入した「OSO18を追え」が余りにも面白く午後の暑い時間を読書で過ごした。
日が陰って、友人のおばさん(母の姉)のお墓掃除。このおばさんには子供頃から世話になって、母も世話になった。芸西村の才女。高知新聞へ手記投稿。大きく成長した台湾かずらや背丈を越える萱は友人では歯が立たず、僕が仕上げた。大概の雑木林は更地に戻せる自信がある。

その後懇親会の予定だったが友人は調子が悪いと連絡して来た。 僕は酒も呑まずにアテのマルちゃん焼そばを堪能した。ヘルシオのウォーターグリルで作る焼そばは美味。180円の3倍の価値はあると思う。


2024年8月17日(土曜日)晴れ
毎日毎日焼けるような日。それでも、風が吹き少しは涼がある。太陽の光は部屋の中に差し込むようになって、時の移ろいを感じる。もう夏は過ぎている、一雨降れば一気に秋になる。降らないから夏が持ち堪えているかも。求君のナスの糸釣りは1日~5日。日高のK子の柵作りは9月8日と決まった。

息子が突然帰ってきて、9月7日コンサートのチケットをもらった。大阪フィル。高知で楽団が聞けるとは思ってなかった。さてどんな音が出るのか。

9月末ごろは名古屋の友人がやってくる予定だ。9月になればサトウキビの下の葉は枯れるから取り除きが必要だ。お寺さんはゲンキョウ様の木を切ってくれと言う。

Googleの携帯電話新製品「ピクセラ9」が気になる。娘にメールで問い合わせると長い文章が返ってきた。短くすれば通訳の機能が上がったようだ。サムスンはオフラインで使えるが、ピクセラはオンライン。9月iPhone16の発表を受けて、同時通訳の携帯を吟味しよう。こうしてカレンダーを埋めてゆけば、9月は結構忙しくなりそうだ。
健康寿命は73歳。今年が活動のピークかな?

2024年8月16日(金曜日)晴れ
5時50分赤野の求君の応援で、南国市のJAに籾殻をもらいにゆく。農家はコメを脱穀した時に出るモミは焼くしか処分方法が無い。それをここのJAはモミを大きなサイロに詰めて、欲しい人に自由に持って帰ってもらうサービスを始めた。コレは大成功で、僕たちが行った時でもう3組の人たちが作業をしていた。肥料として貰いたい人も大勢いるのだ。来ているおばさんたちを見れば家庭菜園みたいだった。

僕らは袋で24個。持ち帰り、ビニールハウスに納めた。この辺りでもう身体は熱を帯びて汗がヒタヒタと流れ落ちる。限界の信号と共に作業を終え車のエアコンでガンガンに冷やしながら帰宅。風呂は未だ熱かったが、井戸水をドンドン汲み、水風呂にして汗が引くまで待った。AIサーバーも今や空冷よりも水冷が多いと聞く。
温たり冷やしたりで身体は疲れて、風呂から上がると爆睡。

午後。電子レンジの固定の時気がついたのは、置き台が余りにも貧弱でへたっていた。コレは大変とホームセンターへ行って24mm厚の合板を裁断してもらい、棚を作った。自作だから、自由に棚の寸法が設計出来て僕としては、安価なのと、ピッタリ寸法で満足。ついでに流し台の禿げた部分を塗って本日の作業完了。

2024年8月15日(木曜日)晴れ
今日は村の家の仕事。お客様はもう使用しないだろうと、風呂から始める。ところが、チェックアウトが長引き、清掃者が全員風呂に来たので、瞬く間に風呂の清掃が終わってしまった。皆なと一緒に客室が空くのを待っていたが、手持ちぶたさだったので、僕だけ早退する事になった。お土産にお弁当を頂いた。地震の関係でキャンセルが出て余った弁当だった。

帰って美術館の写真編集、食事後英会話、夕刻お墓にシキビを添え本日の作業を終えた。

2024年8月14日(水曜日)晴れ
晴れている日はよく続くが、少しづつ天候は不安定になって来ている。ツクツクボウシもなんだか正気を取り戻したようだ。今日の午後は冷蔵庫の固定。旅行バッグの固定バンドを2つつなぎ合わせるとばっちり決まった。ハイアールの安価な冷蔵庫と、カメラの保湿庫は車で荷物を固定するゴムバンドで代用した。これで地震対策の作業は終わり。

最後に農協に行って発電機を注文した。発電機メーカーも、農協のチラシも肝心の電気容量を記載してない。制作する方は「当然そんなことはわかっているはず」と思い込む。シロウトはそこを知りたい。こんなのよくありますね。

それで、詳細確認でネットで調べているとアマゾンは農協より1万円も安かった。しかし、エンジンは故障した時修理が必要で、アマゾンは新品の間の故障は直ぐ返品で大丈夫だが古くなると対応がない。農協は適当に調整なんかで直してしまうこともあって、近所の農協に頼るしかない。

発電機の目的はお風呂の水を汲むモーターを回すこと。これさえあれば地震の後の停電時でも風呂に入れる。どんな時も風呂は欠くことができない必需品。

2024年8月13日(火曜日)晴れ
庭に放置している甕の水がもう直ぐ干上がる。干上がると井戸が涸れる指標、依然として雨は降らず、ヒギリは枯れだしたし、サトウキビの葉も丸くなった。同時に草の成長は止まったのはありがたい。

午後はよしみち君のハウスの廃材と料理の先生の家の廃材を処理。結構疲れた。先日散布した除草剤はこの日照りでよく効き、竹も枯れ始めた。何事も好回転している。
夜須のお惣菜屋さんで夕食を買い込み、今日の仕舞い支度をして就寝。



2024年年8月12日(月曜日)晴れ
朝飯を食っていると近所のよしみち君から電話。ビニールハウスの廃材を取りに来い、と。昼から行くと返事した。

今日も灼熱の太陽。空気服が無ければ倒れてしまう。積み込んだ廃材は家で仕分けをする。きちんと並べて置かないと、量が多いだけに収納しきれない。この廃材は日高のK子に使うので覆いをせず家の前の畑の縁に積んだ。併せて日高のサトウキビ生育具合の写真を送るよう依頼。

その後南国市にあるかばん屋さんへキャリーバックの修理、もう修理できないかも、買い換えた方が安い。でも修理を依頼した。そしてバックを留めるバンドを2本購入した。このバンドで冷蔵庫を固定するつもり。上手く行けば師匠にも紹介しよう。

帰って入浴、昨日の残り湯はまだ熱く水で薄めて入浴。まぁそれほど気温が高いと言う事です。食事中、料理の先生から家の廃材を回収に来てくれと電話。サトウキビの世話、地震対策だけでも手いっぱいだが、忙しい時には忙しさが降ってくる。食事の後よさこいの編集をすればたちまち睡魔に襲われ9時就寝。

2024年8月11日(日曜日)晴れ
一向に衰える気配がないこの暑さ。午後から母屋の食器棚の転倒防止を行なった。残るは冷蔵庫。旅行用のバッグを止めるバンドがある、これだとロックとその解除はかなり簡単。方針は決まった。夕食はアワビを焼いた。なかなか美味しい。今が旬だろう。

その時、愛媛のO氏から電話。定年後働いていた会社の同僚でK氏がひっそりと亡くなっていた情報。訃報は1ヶ月も過ぎて届いたらしい。友人の少ない人だからそれこそひっそりと逝ったようだ。74歳。障害のあるお子さんを抱えているらしいから、遺された奥様も大変だ。地震の話と一緒で、僕の近くに悪い話が忍び寄ってくる。薄氷を踏むような人生が残されている。

それからO氏の近況、もう辞めると言いながらまだ仕事をしている、それも真剣に。年商1億円が間近だと言う。旅行など行く気になれず(ご家族一同はイタリアに行っているそうだ)仕事が一番楽しいと言う。そして販路開発は命だと言う。楽しい事をして過ごすのが一番だと思う。このまま動けなくなるまで続ければ良いと思う。一方的な話を1時間。たまには松山に来たら?松山には行っているが声をかけられないだけと私。僕だって忙しいのだとは言わない。
電話を終えた時、熱かったアワビは最後の1個だけ冷たくなっていた。
その後妙に音楽を聴く気にもなれず、よさいこいの編集をした。キャノンのカメラはシャッター速度優先がTVだったのを忘れていて、絞り優先で撮影していた、いつの間にか照度が落ちたのに気がつかず、解った時は1/80secで撮影していた。ここに今日一番の踊り子さん「龍馬隊」が写っていて、カメラは僕から離れていると認識しましたね。
この龍馬隊が来ると、観客の空気が変わった。トップの踊り子さんだけで、その場を支配してしまった。暑いが凍り付いてしまった感じ。ファインダーを覗いているだけでもその空気が読めた。

教訓は毎日カメラを使い腕が錆びないようにしておかないと、この様なイベントで思った様な撮影ができないのを認識。腕はいつの間にか落ちるのだ。

2024年8月10日(土曜日)晴れ
村の家の仕事。今日は私一人の作業で10時半までかかった。帰りにサンシャインに寄れば、水は6本まで購入できた(備蓄も併せて合計で10本)。その後高知市へ「よさこい祭り」を見にゆく予定だったが、電車の時刻表を検索で土佐くろしお鉄道は運休している。世間はかなり本気だな。コレはやばい、混合油、軽油、ガソリンをタンク購入する事にした。もし家が崩壊してもチェーンソウがあれば、家を解体し、埋もれている必要なものを取り出せるから。軽油はトラクターが動けば、家の大きな柱を引き出せる、それで出発は遅れた。車で出かけるしかない、車は廃棄になっても構わない古いライトバンを選択。東部運動公園に駐車し、そこから自転車で帯屋町商店街、演舞場へ。もし地震が来ても、自転車なら、10分もあれば安全地帯に逃れられるから。

友人が先に行って場所取りをしてくれているのだが、地方車が大音量で演舞曲を放出するので連絡は取れず、それぞれ勝手に見る事になった。
EOSR5に100-500mmのレンズを装着し撮影。顔認識+連写。一瞬の内に数カットが鮮明に撮影されている。恐怖を覚えましたね。私はファインダーの中に踊り子さんが入るようにカメラを向けるだけ、カメラはその踊り子さんに固着してピントを合わす。コレじゃプロカメラマンと違わんじゃん。

大きくて派手な衣装の踊り子さん達は、スマホ用のジンバルを三脚に取り付けて、かなり上方から撮影した。激しく動く踊り子さん達はカメラ固定の方が揃って踊りがよく分かる。
プロのテレビカメラマン達はあいも変わらず踊りに合わせてカメラを動かすので、見ずらいし、ピントが来てないし、全容が分からず、こちらに関しては4K撮影の私の方に軍配が上がるかな。

友人は疲れてと言って先に帰った。僕は17:30迄見て帰る事にした。もう水が枯渇して1時間以上経過少々ヤバくなったので。
商店街を抜けると空は真っ黒い雲、不気味な風が吹き急速に温度が下がった。青森の知人は「ねぷた祭り」が終わると夏が終わると言ったが、土佐もよさこいが終わると夏は終わる、街を抜けると稲刈り後の藁の匂いが充満して来て、もう秋は来ているぞと空気が言っていた。

2024年8月9日(金曜日)晴れ
晴れの日が続き、庭のヒギリの半分は葉がしおれて来た。サトウキビの葉も丸く巻いている。いま水をかければ一段と成長するのはわかっているが、水がない。井戸水は昨年夏枯渇したので使えない。かなり厳しい状態。
今日は村の家で仕事。7月の給料を貰った7400円。かっぱ市場の7月収入は20000円で、日照りと同じく家計も厳しい。高知で引き出せる預金口座、農協と郵便局は温存させ、d払い、iD、最悪クレジットカードを使い、大阪の口座で引き落としで何とか回す「定年後はゆったり」はもはや死語。バタバタしている72歳夏。

今日は棚の上部のLPレコードを階下のロッカーに移し、本棚を2cmの角材で固定した。パスタとカンズメを買い込んだ。水は売り切れで手に入らず。ガソリンを満タンにした。まだまだやる事が多いが、1日目はここまで。
LPやCDを眺めていると、僕の生涯をかけて貯め込んだ量はこれくらいか?と計量できる。現役時代、仕事をしながら余った時間やお金でLPを聴く/買うのは、無限大にあるかのような錯覚をしてた。寂しい話だが計算できたのだ。そして書物で読む名盤を必ずしも買っているわけでもない。知ってはいるもう聴く時間がないので手が出せなかった。目の前にある総量が僕の器であり、能力だったと思った。

家具の固定は想定以上の力が加わるので、かなり頑丈に組まなければならない。サトウキビの転倒防止柵で十分勉強させて貰ったから、その知識は生かすべきだろう。それで1日中動いていたので、英語の勉強は中断した。夜風呂から上がり自分の部屋に帰って限界まで英語の勉強をした。半分程度は理解できなかったが終わりまで通した。そして寝た。そうして眠ると頭が錯乱してて、すぐに目がさめる、何なんだかわからない夢が出現し、それを何度も繰り返した。もう若頃の頭ではない。切り替えがポンポンと行かない。



2024年8月8日(木曜日)晴れ
午前中は静かにゆったりと絵画編集と英会話。ウィーンの美術史美術館の絵画350点の半分くらい編集を終えた。解説書を読んでいると聖書の一部から絵を起こしている作品が多く、キリスト教に造詣が深くなる。午後の太陽も昨日と同じで出発を控える。読みかけの「ビリー・サマーズ/スティーブン・キング」を読む。捻って捻って気が付けば元のところにいるような展開だが、しっかりした構成で路頭に迷うことはない。超一流の作家所以たるところ。読み返せばもっと深いヒダが読み取れそう。
音楽が随所に登場するが知らない曲の方が多い。スティーブン・キングは僕と同じ年代層で共有できるはずだが、届かない。

日経新聞の四国版に高知の「おすそ分け食堂」が取材されていた。農家の余り物を貰ってそれを食材に経営する食堂。友人を誘って夕食をいただきに行った。お金をかけてない民家そのもの。玄関のドアを開けて靴を脱いで上がる。正面にご飯と味噌汁テーブル(台は足踏みのミシン)。使い方がユニーク。難しい課題があると思ったのは、この農村地帯で食堂を営むには、食事はボリューム不足。勤め人 向けだ、来ている客もそんな感じ。だが山村には、そんな人口は少ない。

出かける時風呂を焚いた。役場から放送があったが、ノイズキャンセラーヘッドフォンを付けていたのでよく聞き取れなかった。試験放送のようだった。
友人と食事に行く車中で地震の事を教えて貰った。おすそ分け食堂で名古屋の友人から着信履歴、彼からは東南海地震の情報、これでやっと全容がハッキリした。宮崎の地震よりも、誘発され巨大地震が発生する方に重きが置かれていた。

帰ってNHKのニュースでは延々と同じ話の繰り返しで要点が掴めない。だがNHKプラスで見ているから、要点まで早送り。例によって専門家の意見はありきたり、しかも責任逃れ、気象庁は地域の自治体のいう事を聞けと言う。最先端の情報があるのは気象庁なのに、責任を投げる。岸田氏は発言しない。明日の午後は全ての予定を変更して食材、ビニールシート、米の精米等地震対策を施そう。

2024年8月7日(水曜日)晴れ
今日の経済指標で日米の金利差が初めて3%を切った。金利差が円安の根源だと指摘してたが、そうでなく円安になった。基本的に円安や株安は、経済力。企業の収益力に関連している。コレが基本。短期的には上下あるだろうが、何でマスコミは近視眼的なの?

日経新聞を見て大いに不満もあるが、英国の北アイルランドの暴走をTHE SUN、ハリスの動向をNYTで読み解消。フェイクニュースは自分で取捨選択すれば良いと。今日は妙に頭の具合が良くて英語も見通しが良い。いつもは曇っているが。

草刈りが一巡したので、草刈機の届かない所に除草剤。ここ最近3匹の蝉の奇形児、(羽が半分なく飛べない)を見た。この2年間竹に除草剤を注入し枯らしているためだろうか。地中の蝉の幼虫は木の根から養分を吸うが竹からも吸うのだろうか?

隣の香南市にJAZZ演奏会開催ポスター。8月30日開催を見つけた。高知県にJAZZファンは居るだろうか?それで、今夜は澤野工房レーベルのトヌー・ナイソー・トリオのディスクを取り出した。
澤野さんのジャズはヨーロッパJAZZで、主にピアノトリオ、それで結構淡白な演奏。コレが現在の知性を表現するのか?60年代のアメリカの脂っこいJAZZに親しんだ耳には軽く聞こえる。よく聞けば、緻密な計算の上に成り立っている構造が見える。「耳をすませば」意図が聴こえる。お酒を飲んで聴く音楽じゃない。出来るだけ高性能なオーディオシステムで聴くのがお勧めですね。指遣いのテクニックを聞き逃さない為にも。

2024年8月6日(火曜日)晴れ
お酒を飲んだ翌日は妙に寝足りない。ぼやっとしている。定番の午前中の作業もノロノロ。午後3時から作業を始めた。きまさごの草刈りが完了した。2週間の間隔で回す軌道に乗った。一方きまさごと、西上段の畑はサトウキビが成長して、草が殆ど生えなくなった(溝は生えるが)もう少し間隔を空けても良いかな?

今夕は昨日買ったお惣菜と料理の先生が教室で余ったお惣菜を持ってきてくれたので、豪華な食事となったが、水の飲み過ぎと暑さ負けで気勢が上がらず半分残した。それでも体重は変わらず、水が体重を支えている感じだ。

株価急落、先日株価は40000万円を狙えると豪語した人は誰だったかな?円安が日本の経済を苦しめていると書き立てた日経新聞は、今度は円高で輸出企業に打撃と。その前は海外生産で円安はメリットないと舌の根も乾かないうちに主張を転じる。
田舎のおじさんでも分かる経済を何故素直に書かないのだ。

作業は2時間だったが疲れて8時半に就寝。

2024年8月5日(月曜日)晴れ
午前中は晴天、午後は太陽が雲に隠れる時がある。昨晩の安芸市の花火撮影は上手く撮影できてかった。芸西の花火よりも大きいのか、ISO800から400に落として撮影したが、白飛びしていた。カメラのモニターでは上手く撮影できている感触だったが、もう一段絞らなければならない。モニターでは花火の輪が小さく映る程度が適度だろう。花火は難しいと言う事を教えてもらった。都会の花火は周りが明るいのでさらに絞り込みが必要だろう。これは何年もかけて習得すべき技だと思う。

今日も村の家の仕事。庭に緋桐が咲いているが、今年は背が高く伸びて、その為なのか連日の日照りのためなのか、水を吸い上げることができず、日中は葉が萎れている。コレは今までに無かったこと。掃除に来ている女性陣も、かなり萎えている感じ。10時に冷房の効いた調理場で休憩をとっていた。僕はノンストップで早くあげて帰ろうと目論んだ。早くあげて注文している書籍を購入に行くつもり。

購入した書籍はCAPA(カメラ雑誌)今月はEOSR5mkⅡが掲載されていた。雑誌では動く標的にいかに対処しているか?が主題だった。僕の期待する暗いところでの手ぶれには触れてない。又画質についてもコメントない。やっぱり、もう一世代待たなければ、驚きの性能が搭載されない感じを受けた。4年後で76歳。かなり健康に不安、海外の探訪に厳しさが伴う。もうこれ以上では海外は無理だ。つまりカメラの買い替えなしで乗り切るかの判断をする時が来ている。

叔父さん宅を訪問してお酒を飲む。叔母さんの料理は多彩で栄養補給も兼ねて。ビール2本で大酔い。自転車で帰る。家に着くと幾分涼しい。下界より幾分湿気がなく汗が引く。高度差よりも周りの緑の多さだろう。


2024年8月4日(日曜日)晴天
晴天だが朝一はどんよりした雲に覆われていた。7月のあのピーカンはもう終わった。これからは入道雲のある普通の夏の天候になるだろう。今日は村の家の仕事。来ているアルバイトの女性たちはみんな暑がりで、「エアコンを入れて仕事をしないと死んでしまいますよ!」農作業に比べれば何と言うことはない温度だが。
帰って爆睡、昼食は食欲がなく無理やりかき込む。冷房の中で英語を勉強。何度も同じ単語を引く。紙の辞書なら擦り切れているはずだ。覚えが悪い為。電子辞書は3台目。2台はキーボードの色が変色していた。今は半分程度スマホに入れたウインダムと英次郎に頼っている。英次郎は360円/月の支払いがかさむが、熟語が引けるので未だ手放せない。一進一退でこの先も同じ状況が続くだろう。
3時から家の廃材を回収し、伝承館に収めた。断片が大きいので10月頃切断に来なければならない。未だ軽トラック2台分くらい残っていて、しばらく要する。

夜は安芸市の花火大会。友人と出かけた。会場まで車で行き友人をおろし、僕は引き返して、車が止められそうな路上を探し、そこから自転車で会場まで駆けつけた。都会では考えられない行動。花火は3700発。圧巻は海に向かって発射する。低い位置で花火が炸裂し、半円の花火が開いた(半分は水で消えた)反応の薄い高知県人でも拍手をした。

僕は撮影したが、連続花火と単発花火では絞りをf8~20の間に設定しなければならず、コレが中々難しい。事前に花火のプログラムがわかり照度が計算できれば対応できるかな?
スマホで花火のアプリを探すもヒットせず。一眼カメラでも難しいのにスマホで撮影できるわけがないわなぁ。
僕らがいる場所は解説のある本部席近くではなく、花火に最も近い前席なので迫力がすごく、友人や多くの観客は首が痛いので寝て見てた。僕はモニターを見るので首の負担はなかった。
だが、花火の素性は不明だった。
風が山から海方向に吹き、涼しく、煙はしばらく待つと流れてゆく、いい花火大会だった。


2024年8月3日(土曜日)晴天
今日は安芸市の花火大会、昼食なしで草刈り、4時前に終えて昼食兼夕食。安芸市に出かけた。カメラにSDカード無くヤマダ電機で購入。踊りのパレードが開催されていた、早速撮影する。EOSのAIサーボは人を認識すると瞳に焦点が行き追随する。今のカメラはみんなこの機能を備えている、しかし、だ。人認識はカメラが人を選ぶ。よさこい祭りのように、大勢で踊る場合、狙った人を撮影したい、だが、ピントは別の人を捉えて離さない。今のカメラは全部この問題を抱えている。「可愛い子だけ選んで」と言うわけにいかない。それで結局は昔のカメラの機能を使う。一発撮りだ。コレが最近競争しているカメラの認識機能だ。雑誌や宣伝で踊らされて消費者はカメラを購入する。

懲りないバカを今日も演じてしまった。誘導の係員に花火大会は何処ですか?と聞けば明日だと言う。WEBを見て早とちりして行動し、バカを演じている。

もう一つ困った問題は、扇風機付きの服。最初は効くが次第に弱る、1時間くらいで風が通らなくなる。その原因がわかった。扇風機の前にフィルターがあるが、コレが土埃で詰まる。今の時期カラカラに乾いているので草刈りをすれば濛々たる土埃が上がる。フィルターを外せば身体中土埃で染まってしまう。どうしようもない。

安芸市から帰ってドボルザーク交響曲8番を聴く、昨年京都シンフォホールで、チェコフィルで聴いた音楽だ。この音楽は何かはっきりしないが、人生で何かを忘れてきたような事を思い起こさせる。いたたまれなくなる。人生には反省はつきものだと分かっていても、こうも突っつかれたら「降参します、償うことができれば何でもします」と白旗をあげたくなる。ドボルザークは己のサガを8番の音符に閉じ込めた。

2024年8月2日(金曜日)晴天
殺人的な光線は未だ続くようだが、夕刻なると曇って雨が来そうな天候になった。いよいよ猛暑は終わりかな。
午前中は絵画の編集や英語の勉強で部屋に引きこもり。今日も午後3時半から農作業。5時まで草刈り。陽が落ちてからビニールハウスのアビトン回収。ここで近所の方が犬の散歩、今日の第一声。買い物に行かない時は誰とも話さなくなっている。農家も今の間だけ休みで引きこもっている。
猛暑の終わる来週からは、ナスやピーマンの植え付け準備を始める。猛暑でいい骨休めになっている感じだ。早稲の米を栽培している農家は休みなし。だが、1日終えて体が疲れ切って後は寝るだけの快適さは事務職ではわからない、事務職だと休暇がないとやっていけない変な疲れがある。

当方のサトウキビは大きく成長して、草の生え方が弱くなった。次回からは溝の草刈りだで済ませるようになる。

2024年8月1日(木曜日)晴天
村の家の仕事、宿泊客が多く、フルメンバーで対処。ここは丘の上にあるホテルだから、風も抜けるし熱風はない、しかし気温は高くじわじわ汗が滲み出る。風呂は湯を張っているので格別に暑い。裸で掃除したいくらい。
10時過ぎに終了。冷房をガンガンに利かして帰宅。自分の部屋をギンギンに冷やし、ウィーン美術館の絵画編集。心落ち着く。

今日気がついたが、解像度が足りない時RAWデータなら、SILKYPIXで20ステップほど上げても何とか色が破綻なく持ち堪える。解像度不足の絵画は、コレまでネットで引っ張って貼り付けしていたが、コレからは不要だ。2000万画素のLUMIXをバカにしてたが、ISOを適度に設定し、画面一杯に撮影すればRAWで何とかなる。
旅行には軽いLUMIXはやっぱり価値があると気づいた次第。行ったり来たりで心揺れる。英語でもback and forthと捻りのない言葉があるくらい、優柔不断はどこにも多いて事か。

今日はもうちさんのビニールハウス廃材回収以外、僕の日常に追加事項はなく、定番の行事で午後は終えた。仕事の開始が遅いので終了も午後6時半にずらしてサマータイム運用だ。


2024年7月31日(水曜日)晴天
益々気温上昇中。朝夕は冷風だが、日中は熱風。高知は風があるので計測気温は上がらないが、直射日光のしたでは、太陽光に炙られるので全く違った気温体験となる。もう汗腺が開通しているので、汗は滝のように流れるから熱中症は大丈夫、とは言え、連日の作業は疲労蓄積で身体がだるく、太陽光線を理由に午後3時まで冷蔵庫の中で過ごす。
さぁコレから草刈りに出かけるぞ、そのタイミングで息子が帰ってきた。メールしたというが着信履歴はなかった。(アカウントエラーで未通信状態だった)
取り敢えず図書館で涼んでもらい夕刻帰ってきてもらうように伝えた。僕は草刈りと、ビニールハウス廃材回収のつもりだったが、草刈りだけに変更し、6時20分に終えた。風呂を簡単に浴びて、食事を作りながらビールを飲んだ。不思議なもので自分一人の夕食は野菜を茹でるぐらいの簡単なものしか作らないが、食べてくれる人がいると、冷蔵庫の中ら旨い選択をして、きちんとした料理を提供できる、普段そのアイディアが湧いてこないだけに不思議な現象。先日の友人との懇親会でも、その回路にスイッチが入った。いずれも美味しいと喜んでくれる。
息子は千葉に帰っていて、我が家には寄り道してくれたようだ。都会の暑さは半端でなく、男でも日傘が必要と言っていた。風が吹き抜けないから、湿度がベッタリと身体に密着するからだ。
高知は暑くても、爽やかな猛暑だ。娘も帰省した時、目に緑が染み込んだと言っていたくらい、ここは緑が多い。
僕はその緑と格闘してるけど、実際は助けられているのだ。

酔っ払ったので、Amazonプライムで、リベンジ鮮血の殺人を観た。ランボーの女版。痛快活劇。酔っぱらい頭には複雑な人間関係は難解だ。しかし、この映画は、男はみんな敵で殺す目標だから全く問題ない。映画のあるべき姿の一面を完璧に演じ切った。賞賛もの。必見(酔っぱらいには)

2024年7月30日(火曜日)晴天
昨日よりさらに光線が強い、8時半部屋の温度は30度を越した。今日は尋常じゃない予感。朝から風があって凌ぎやすいと思ってたが、そよ風は10時前熱風に変わった。

料理の先生から家を壊しているので昼から廃材を取りに来いと電話。殺人光線の為出かけられないとお断り。先生はもうすぐ80歳なのに暑さ知らず。もうすぐ熱中症でダウンするはずだ。
今日も3時半まで冷蔵庫の中で過ごす。

まだまだ光線は強いが、緑の絨毯の上での草刈りなのでなんとか我慢出来る。

2024年7月29日(月曜日)晴天
殺人的な太陽光線が降り注ぐ、南からの風があるので芸西村は気温は上がらないが、直射日光に焼かれると気温上昇以上に危ない。作業の出発は午後4時から。それまで冷房ギンギンの部屋で過ごす。そのお陰で、翻訳は今月は最高記録を達成しそう。ウィーン美術史美術館の絵画編集も随分進んだ。
その分農作業は遅れるが、草刈りは20日間隔まで迫ったので、少しの遅延は問題ない、それにこれだけ太陽光が強いと草の成長も遅くなる(梅雨期のような激しい成長はない)
労働時間が減ると腹の調子が悪くなるだけ。

友人にメールを送り今夜7時からの懇親会開催を告げる。久しぶりに料理する。自分だけの食事だと、お惣菜を買って簡単に済ますが、お客様を迎える時はきちんとしたい。それに、前回徳島で購入したレンコンを食べる約束もしてた。クックパッドで椎茸との甘辛煮を作ることにした。ネバネバ3兄弟の前菜。メインは、鳥のモモレモン酢焼き(これはフライパンでもできるが、オーブンで焼くと仕上がりが綺麗)

8月10日のよさこい祭りを見に行く約束をした。太陽光線のない、帯屋町商店街で見ることにした。今回はEOS R5の顔検出機能を使って撮影しよう。最新のカメラほど鋭くはないが、そこそこ実用になる。コレが手持ちのカメラで1番の高性能。


2024年7月28日(日曜日)晴天
村の家の仕事。朝食欲がなく、病気かな?と思う程。重たい体を引きずって仕事場に向かう。ドデカミンを飲むが元気出ず。風呂場から開始。熱がこもっている。先に作業してた方と交代。「冷房のスイッチは入れときますか?」僕は必要なしで切ってくださいと伝えた。この方は暑いのは嫌いで作業する所は全て最強の冷房設定だった。後で、別の大広間に行けば、僕は寒くて凍えそうだった。相変わらずトイレは汚れ、時間を食う。終わったのは11時前。

帰って爆睡の後、英語。午後2時から草刈りのつもりだったが、この光線ではとても出られない。昨年までは強い日差しは屁とも思わなかったが、今年は弱気になった。1時間出発をずらし、風呂を焚いてから草刈り。丁度この頃から曇ってきた。
その後午後6時までビニールハウスの廃材回収。食欲不振はしんどくても一日4時間程度身体を動かさないとこの病気が顔をだすようだ。なんとも厄介な体である。

今夜は夕食を済ませて香南市の花火大会大会で撮影する予定だった。所が、そこに行くと会場は静まり返っていた。帰って調べると、会場が違っていた。もう少し西だった。早とちりの私を未だ演じている。

2024年7月27日(土曜日)曇り
午前中どしゃ降り、昼前電話が曽我さんからあってスイカを軽トラックの荷台に載せて置いた。彼は伝承館の運営について厳しい監視、僕に責任を持たせようと画策しているみたい。僕は師匠の後ろに隠れようと必死。午前中は英語。午後きまさごの草刈りを済ませて、ビニールハウスの廃材を回収。午後は晴れていて容赦のない太陽光線。コンテナ2箱分を回収し退散。
風呂を焚いて水風呂になるまで薄めながら本を読む、身体も冷やす。本はステレオサウンド。HIVIより文章の格が一枚上手。ここに登場する評論家は世界の評論家さんたちと比べても十分表現力の面で太刀打ちできる感じがする。僕も文章構成や視野を絞る構成について勉強できる。(オーディオ情報以外に)

食事の後少し寛いで、8時過ぎ海岸に出かけた。今日は芸西村の納涼祭、8:40から花火大会。今回は花火を撮影しようと三脚を担いで行った。花火は爆発する手前にシャッターを切って8秒の開放時間を待つと、光跡が残る。一方連射では1、5秒くらいで切る。設定はかなり変更が必要で、予め設定した2台のカメラが必要だと思った。カメラはマニュアル操作が出来れば高級でなくても良い。あまり機会は無いから結構勉強になった。
芸西村の花火は規模が小さいが、海岸なので煙が流れ、都会の花火のように煙の後遺症が残らないのが良い。

明日の夜は、隣街の香南市の花火大会。今回はカメラを2台持って行こう。

2024年7月26日(金曜日)雨
田村のおばさんから、春に植えた菊の新芽を切りに来て欲しいと電話要請。雨で出発が遅くなったが午後3時に到着、それからは太陽がギンギンの中作業。
その後、もうちさんのハウス廃材回収。今日もコンテナ3箱。
帰って、草刈り。砂糖の加工、そこへ師匠から電話、うなぎを持ってくるという。

師匠としばし歓談、今年はサトウキビの収量が危ぶまれる。そこへ持って、サトウキビを絞る機械の不調、内部意見の齟齬が発生し、問題山積。そんな話をしているとたちまち9時。師匠も帰りそれから夕食。
うなぎは美味しかったが、まるまる食べるには時刻も遅く半分だけ。
食も落ちていて、自制が出来始めた。

風呂に入って部屋に帰るとたちまち睡魔。ここ1週間は入浴後寝るだけの生活になっている。

2024年7月25日(木曜日)曇り
おじさんを病院へ連れて行く役。今日は案外早く終わったと思ったが、いつも通りだった。病院の待合室で爆睡したのが短く感じた原因。
帰って、食事をし、もうちさんのハウスの廃材を回収に行った。灼熱の太陽は刺すような痛みを伴い、コンテナ3箱を一杯にしただけで退散。この頃から曇ってきたので、草刈りに出かけた。後少しのところで時間切れ。

いついつまでにこれを済ます目標がないので、妙に踏ん張りが効かない。8月の何処かで旅行に行く目標を作り、それに向かって走る区切りが必要だろう、さもないとダラダラで8月を終えてしまう。

夜はすっかり疲れて8時過ぎに就寝。

2024年7月24日(水曜日)曇り
6時40分かっぱ市場に集合。2台のバスで香川、徳島の道の駅視察旅行。買い物ツアーみたいなもの。終日作業は休みだから、「ビルビリー・エレジー」を読みながら、アップルのジャズを聴く贅沢な過ごし方。バスガイドさんが四六時中話し続けたので、ノイキャンHPで丁度良かった。
この本は色々な面でよく整理されている。①家族の人間関係。②職業観。③夫婦の人間界④自墜落に陥りやすい人間が多いと言うか、周りの環境がそれを後押しする。
その中で僕は③の夫婦の人間関係が強く印象に残った。生まれつきの性格が禍いするのか、経済環境がそうさせるのか、それとも近隣を含めた生活環境に関係するのか、文章からは原因が掴めないが、全部かもしれない。本人には人間関係の幸福な維持願望がずっと根底に流れていた。

そして、白人の低所得層は、政治や、政策によって、そこからの脱却はどんなにしても出来ないと書く。汗を流して働く=神が存在しないから。今、バンス氏はトランプと一緒にキャンペーンで寂れたベルト地帯の復活を説くが、書籍とは違う事を言う。

この本は、バンス氏が箇条書きし、編集者が幾つものテーマに沿ってそれを並び替えたような、よく整理分類ができていて、筋が掴みやすい。

道の駅では、珍しいものを中心に買った。香川県「滝宮道の駅」ではうどんを食べる誘惑が強かったが、昼食の食べ放題が脳裏にあって手が出せなかった。食が細っているので、無理して食べる事ができない。鳴門の道の駅ではワカメと玉ねぎが魅力だったが玉ねぎは大きすぎる、生わかめは鮮度が保てないと諦めた。その代わりレンコンとメロンを買った。

十兵衛屋敷で、重要無形文化財として「人形浄瑠璃」を見学した。浄瑠璃はこれほど感情豊かに表現できるものなのか?ビッククリした。でもよく考えれば、一人の表現を3人で別々に操作するから、そこまで表現できるのだ。
この深さが(芸術)410円で鑑賞できる。責任者の方に「安すぎ」と伝えると、県の支援があるから問題なしとの回答だった。

板野の道の駅で人参を買って、今日の買い物打ち止め。現金は1000円程度つかった、他はd払いとiD。高知は未だそこまで行ってない。


2024年7月23日(火曜日)晴れ
今日も強烈な光線。外に出れば焼ける、それに、ちょっと今日は違う光線。かと言って、朝や昼食の時、食堂でエアコンを回さなくても汗は出ない、時折涼しい風が部屋を吹き抜けるだけで凌げる。体はどうなっているのだろう?実際のところ暑いのだろうか、それとも案外気温は低いのだろうか?温度、湿度計で計測しないと実態が分からない。

イノシシの活動がまた活発になって、サトウキビが10本くらいやられた。こんな事が続けばたちまち無くなってしまう。サトウキビはただ倒すだけで齧ってもない。
淳子ちゃんの息子さんが見に来てくれて、獣道を教えてくれた。一発で見抜いた。僕のようなボンクラな目では言われないと分からない。
ここ数日のうちに対策を施そう。

今夜も8時過ぎに倒れる。夜が段々と使えなくなっている。


2024年7月22日(月曜日)晴れ
体には良くないとは思いながらも、この暑さはどうにもならん、とビールの栓を抜いた。一人で飲むビールは500mlで大酔い。元々酒に弱いのに酒が好きで自制は効かない。高知県民はお酒は仕方ない暗黙の緩さがあって、夫婦でも酒の飲みすぎは喧嘩の原因になりにくい。医者にも浸透してて瀕死状態以外では少なめにと許してくれる(ガンの治療中もOK)、自他共に、まぁ許せる範囲が広い。

イノシシは餌を提供しているのに未だサトウキビを何本か齧っている。10本程度だが、これが続くとなれば無くなってしまう。もう一本罠を掛けるべきだろう。

ハリス氏の著書は随分前に読んだ。カリフォルニアにいた時の活動が主だったが素晴らしい人だと思ったが、副大統領時代は妙に人気が無い。実力なのか、頭のいい人だから押さえているのか不明。そして今は、バンス氏の「ビルビリー・エレジー」を読み始めた。オハイオ州の貧困白人家庭や住民について書かれている。ルート23号線は貧困の路線だと書かれていたので、ストーリートビューで確認すると、今でも寂れ、朽ちた家屋、ゴミの山積した家屋が見られる。
でも、バンス氏曰く、貧困を抜け出すのに白人は勤勉に働くか?と言えば「否」で、落ちるままの人が多いと指摘する。

アメリカが中国の覇権主義について危惧するのは、中国の武力による現状変更の試みは多いに危険信号だが、もう一つ中国人は勤勉で猛烈に働く、これがアメリカの覇権を揺るがす可能性がある、その点がもっと大きな課題かもしれないと思っているかもしれない。口には出さないが。

2024年7月21日(日曜日)晴れ
村の家の仕事。新しい人を紹介された。こちらも「岡村さん」。僕の出勤日が週1日となった。それでいい。(後で師匠に聞けば、彼らは夏休みの間だけ勤務するという)
1週間ぶりの仕事、トイレの汚れがひどくなっていた。暑い→汗をかく→冷たいものを飲む→下痢。こんな事だろう。だが、もうトイレの汚れは怖くない、淡々とこなせる。冷房のある室内の作業だったが、シャツは汗で濡れた。
終わるとピーカンの晴天。そのまま南国市のワークマンに向かった。ベルチェを使った冷房下着を買う為。併せて汗を吸わない下着も。帰り、コスモス(ドラッグストア)で加齢臭退治のボディーソープ880円を購入。この夏を乗り切るアイテムが揃った。

ここ連日の暑さで、僕の身体が暑さに馴染んでしまい、少しの暑さでも汗が噴き出るようになった。所謂「汗腺開通」ですね。こうなれば、熱中症はほぼ問題なくなる一方、公共交通機関などでも大量の汗をかくので結構まずい。小学生の頃母と高知に行った時、母が大量の汗でみっともないとこぼしていたのを何度も聞いた。10月の後半頃身体は元に戻るが。

今日は沖の畑をトラクターで叩いた。北向きに叩くときは風速と同じで暑いが、南向きは風が直に体を冷やすので楽。2時間で2反。帰って直ぐに入浴。暑いので今日は風呂を沸かしてない。それでも昨日の余熱があって水で薄めて入浴した。

2024年7月20日(土曜日)晴れ
体の調子が元に戻ると、いつもの日常の退屈さが戻ってきた。うんざりするような暑さの中草刈り、イノシシの餌やり、サトウキビの見回り。草は1日1cm伸びる、茶色の地面が瞬く間に緑の絨毯に覆われる。
何か変化が欲しいが、目線を移せば草が跋扈する。草に繋がれた生活。クマゼミが騒がしくなって、午後からアブラゼミ、ニイニイゼミで、もう人工の音はない。耳が遠くなったのか、航空機の性能が上がったのか、上空を飛ぶ飛行機の音も聞こえない。いつもの夏が過ぎて行く。
ツバメが騒がしいと思ったら、第2弾の子供達が巣立っていた。

先日半導体の上に立った生活を書いたが、今回の世界を騒がせたセキュリティーソフトの バグ問題は正にそれ。大混乱に発達する。風通しの良い西側諸国でさえこれだ。ただ、これは教訓だから、今後はもっと改善されるだろう。しかし閉鎖された独裁政権ではどうだろう。もっと国有化が進むとの報道もあった。そしてもっと脆弱になるはずで融通が効かない筈だが、聞こえてきませんね。


2024年7月19日(金曜日)晴れ
家の西側の谷を流れる小川に砂防ダムを施設する話が進行中、我が土地は随分提供しなければならないが、今日安芸市の土木課の方が来て説明された。「1平方メートル280円で買い上げる」。この夏の冷房代金さへ払えない入金がある様だ。

キャノンからEOS-R5IIが発表された。しかしもう3年待てば 「Ⅲ」が発売されるかもしれない、この頃になればAI認識が相当進化し買い替えタイミングとして良いのだが、こちらの年齢が許さないかもしれない。もしくは、その頃は世界情勢が旅行を許さなくするかもしれない。という事で本意ではないが、R5IIを買うことに決めた。
何故最新のカメラじゃなくてはいけないのか?海外の美術館で絵画を撮影してくるのにハマっているからだ。暗い室内でノイズの少ない写真を撮影したい、しかも手振れなく。この条件にハマるカメラは意外に少ない。好感度カメラは画素が不足し、後で編集できない。LUMIXにも新製品はあるが、こちらは軽いメリットがあるものの、気楽に撮影してはいい写真が残せない。相当設定に手間をかけないとダメだ(スマホの映像に負けている時もある)。朝から閉館までの時間で撮影し終えるには、設定をいじる時間がない。

今日も殺人的な暑さ。扇風機付きの服で汗の量が激減し、水は500ml位で足りる。それで夜、目に白い霞がかからなくなって、本が読めだした。


2024年7月18日(木曜日)晴れ
まだ鼻水は流れるが、喉の痛みは回復した。今振り返ると、お宮の懇親会でコロナを貰った様だ。検査はしてないが。味覚は変わらなかったが、喉を中心に調子が悪かった。また、泡の出る飲み物がどうやら腸の中に溜まって下腹部の痛みを引き起こしたようだ(原因はガス)。これもお宮でビールを随分呑んだ為だ。3500円分の会費を呑もうと貧相な発想が災いした。

今日は草刈りを本格化した。午前中の気温の低い内にと頑張ったが、2時間半で根を上げてしまった。昨年は水を飲めば回復したが、今年はどうも様子が違う。暑さが違うのか、身体が弱ったのか?

午後は1時間半も爆睡し、目覚めると呆然としポー・ワシントン刑事の本に突入した。ついつい読み耽って夜の9時半に本を閉じた。違った意味で熱中症。
この書籍はITの知識が相当ないと概念としての流れが掴めない、確かに現在西側諸国の生活は半導体の活躍の上に立っている。先日読んだ「TSMC」の書籍でも、現在の高度情報と通信を半導体が支え活況この上ない状態と描かれている。

ポー刑事が求める、昔流の生活は郷愁であって、西側諸国ではもう現実ではない。まぁ、それが嫌な人と、ついて行かれない人とが、一部の市場というか世論というか、居場所を確保しているけど。
芸西村のこの家も、環境としては逃避の場所に近い。朝から晩まで人工的な音はほぼ皆無。鳥、虫の鳴き声が終日響き渡る、車の音が聞こえない日もある。健康なら全く問題ないというか、この方がよい。

2024年7月17日(水曜日)晴れ
強烈な太陽。運動公園のフェンス外側に除草剤を散布。その後サトウキビ畑の草刈り。午前中は鼻水がとどめも無く流れ続けたが、草刈機を持つと止まった。鼻水は精神的なものか?
雨と太陽で草木竹は勢いを増した。1日3時間。家の周りを管理する為に必要な時間。

先日読み上げた本(Kindle)を閉じようとすれば、お勧めがあってクリックしてしまった。グレイラットの殺人/刑事ワシントン・ポー・シリーズ第4作。3作目迄は読んでいたので、お勧めに掲載されたのだろう。
残念ながら、Kindleの思惑通り読み耽ってしまった。まぁ今日は草刈りだったので疲れていて限界は早かったが先日患った病気の様に、今度は読書に取り憑かれてしまった。

こんな本を読む時、LPのオペラを再生するのが最も相性がいい様だ。音楽の流れと文中のドラマが合致したりする、まるで映画の様に情景が広がる、15分に一度の盤の掛け替えも息抜きに良い。


2024年7月16日(火曜日)曇り
ライフルについて少し勉強した、トランプ氏を狙ったのは「AR15」、標準では18インチバルブ(銃身)が装着されている。動画での試射では100ヤードで30cm内に収まりにくい、それで改造して20インチバルブに変更すると20㎝内くらいにまとまる。三脚座を付けた試射でさえこれ。今回の襲撃は142ヤード。手持ちで狙ったとすれば外れるだろう。また、重い弾と軽い弾と12種類くらいの使い分けがあって、バルブによっても選び方があるそうだ。単に銃だと言っても、幾通りの選択肢がある様だ。

身体の調子はさらに最悪になった、身体が重い、一歩が中々出ない。歩けないのではないが。しかしこの先歳を重ね、今回の様に動くのが大変な状況になれば身体の調子の他に「孤独」の問題に直面するだろうと思った。多くの仲間たちや近所は、子とか孫とかが一緒だから問題は回避できているが。
孤独は病気より重い寂しさに押しつぶされそうになる。幾つもある趣味は健全な体調の上に機能するのであって、体調がすぐれないと全く役に立たない。

動ける間、仕事はどうしても続けなければならない。お金以上の価値がある。仕事をすれば社会と繋がるし、活力を少しでも後ろに引き延ばせるかもしれない。

2024年7月15日(月曜日)雨
下腹部の痛みは回復傾向になったが、喉の痛みはピークを迎えた。今年の3月にも同じ症状で貰った薬を飲むと急速に引いていった。昼、薬が切れたのか再び痛み出した。昼食の後もう一度薬を飲むと、ほぼ平常に戻った。薬には胃腸の調子を整える成分も含まれていて、腹の調子も良くなって食欲が回復してきた。日経新聞のデータを打ち込む時、足がむくんだ感じで同じ姿勢を続けるのが苦しかったが、これも回復した。今夕は、ほぼ平常に戻った感じだ。良かった。
先日の先祖様で大酒を呑んだのが影響している。もう無理は効かない年齢なのだ。

夕刻雨が上がったので、きまさごの支柱の交換に行って最後を仕上げた。明日からは草刈りに専念できる。

午前中は布団の中、午後は大塚国際美術館の絵画編集。撮影はかなり慎重に行ったつもりだが、1/8秒でシャッターを切って手ブレを起こしている。シャッターと絞りは固定で、ISOを可変に設定したつもりだが、その掟を守ってない。キャノンのカメラはかなりいい加減でもいい写真が取れるがLUMIXは「かなり慎重に設定して、慎重にシャッターボタンを押さないと」いい写真にはならない。その事がわかっているはずなのに。

朝刊を見て驚いた、トランプが撃たれている。NYTではその様子がビデオで見える、その後トランプは拳を握った(今年のピューリッツアー賞を取るかも)。その後シークレットサービスは犯人を射殺したとあった。犯人の銃は掲載してなかったが、シークレットサービスの銃身は長かった。あれでは間違いなく的中できただろう。今回の襲撃で鉄砲マニアはおそらく、もっと長い銃身で遠距離から狙うことを教訓とするだろう。まるで映画の様に。今回の襲撃は敵味方に色々と示唆を与えた。


2024年年7月14日(日曜日)雨
昨晩1時過ぎ喉の痛みと腹痛で目が覚めた。喉の痛みはコロナかな?腹痛は前から気になっている右下腹部、引き攣った様に痛い。今までは微かな痛みだったが、今日は表に出てきた感じ。後ろ側の腰も痛む。タオルケットをもう一枚出して着込んだ。エアコンは止まっていたが物凄く寒かった。4時に目が覚めた時は喉は治っていたが、下腹部の痛みは続く。6時起床、食欲がないが、少しは腹に入れないと、パンとスイカ。スイカの水分が気持ち良い。
午前中は寝る、寝ると痛みは治り、起きると始まる。昼食は野菜ジュースと餅。
午後も半分寝て、3時起床、イノシシの餌と、サトウキビの支柱1列を済ませた。残り1列で完成する。1ヶ月と10日よく頑張った。
腹の痛みは少し治って夕食を食べると、もう少し治った。

昼間寝たので、夜は音楽を聴く余裕があった。アートブレーキとジャズメッセンジャーズ。黄色のジャケットで、「チュニジアの夜」はこのアルバムが最高。以前岡崎で聞いたが、ここも負けずいい音が出ている。岡崎はLPで私はハイレゾ。ハイレゾは細かな音まできっちりと再生するので、演奏者達の目線が見えるかの様だ。次にアートペッパー/Return of Art Pepper。これはファイル再生だが、当時カセットに録音したものをデジタルファイルに変換したもの。
僕の一生の反省として、録音で音楽ファイルを集めるのでは無く、LPで集めるべきだった。たとえ、収集枚数が減ったとしても音楽の情報量が違う。しかも今となっては、配信で録音以上の価値が飛んでくる。振り返れば反省の半世紀だったなぁ。テへランの素敵な女/金井真紀を読み終えた。アフガンからの越境、地元イランみんな政権に振り回された女達の取材。これに比べると僕なんかの反省は恥ずかしいくらいあまちゃんだ。

2024年7月13日(土曜日)曇り
昨晩仕掛けた餌は功を奏したのか、減っていて、サトウキビの被害はなかった。今夜も雨はなさそうなので、今夜も提供した。明日はウィンナーで豪華な夕食を提供しよう。淳子ちゃんの息子さんから虫の入った古米を貰った。これだと糠と違って雨で流れないから長続きするかも。こちらは罠の周りに撒く為のもの。

村の家の仕事、体育館は空調なしで汗をかくのも当然だが、宿泊棟は冷房ありでもやっぱり汗は流れシャツは濡れた。8月盛夏は厳しい仕事となるだろう。

帰って爆睡したが、まだ足りず、食事の後きちんと布団で寝た。寝れば元通りに復帰する。働いて、寝て、働いて、寝る。短いサイクルで回す。これが今のスタイルかな。作業も激しいが疲れも激しいのだ。

2024年7月12日(金曜日)雨後曇り
昨晩は猪に徹底的にやられた。大きく育ったサトウキビを20本ばかり齧られた。先日植えた苗は全部掘り返された。結構このイノシシはしつこくサトウキビを攻撃している。
黙って見ているわけにはいかない。罠はしかけた、罠の周りには米糠を撒いた。そしてもう一つ餌付けを提供した、米糠にポテトチップスを入れた桶を。矛先がこちらを向いてくれればありがたい。来週からは捕獲の解禁で罠で取れたとしても合法の範疇に入る。

午後は雨が上がったので、サトウキビの支柱の交換。5時まで頑張って残4列になった。今日の作業時間は短かったのに疲れて8時半に就寝。

後期高齢者の保険代金がMAX料金でやってきた。昨年はサトウキビの収穫とピーマンのお手伝いで収入が多かったから。いよいよ健康保険3割に戻る時期も近い。税金の支払いの為にヘトヘトになるまで頑張っている。


2024年7月11日(木曜日)雨
今日は作業できるような雨の降り方ではない、家の中でじっとしていた。雷も鳴って、電子機器の電源を元から外した。機器の性能が上がるに伴い、外部から飛び込んでくるパルス信号一発で芋蔓式に影響が出る。1昨年はBDレコーダー、iMac、プリアンプが被害を受け総額37万円近い負担を強いられた。昔と違った意味で雷は怖い。
又、地震について報道と言うか国土交通省も少し地震について整理をしたらどうか?予測が難しいのを隠れ蓑としないで。
例えば東南海トラフ地震、これはプレートにまつわるもので津波に注意すべきなのに、活断層地震とごっちゃにして家屋の倒壊についても触れる。焦点を絞り、住民に対策を単純化すべきだろう。
違う地区では活断層の耐震化について論じれば良い。

夕刻5時から、天満宮の落成式でお餅を投げる行事が営まれた。その後懇親会。殆ど知らない人ばかりだから、3500円払って参加する意味あるの?とは思ったが、近所のおばさんが勧めるので仕方なく券を購入。
先日大阪の友人から届いた「越乃寒梅」を飲む人を探さなければならない案件を抱えていたので丁度よかった。これは一人で晩酌する様なお酒ではない。

会場に行くと何人かは顔見知りがいた。そしてよく観察すれば、来ている部落は西分、長谷寄の2地区。そうなんだ。和食と馬の上にはお宮があったんだ。こんな小さな集落なのに、お宮さんで3つに分割されている。農協の職員に言わせば、それぞれの地区の気質は違うと言う。僅か3900人、直径4kmの円の中に入る集落なのに。しかし、昔からの士族が違い争いもあったので一緒にはならないのだ。議員さんの立候補もおみやさん単位。

こんな事、都会に出れば関係ない事だし、高知県人で括れる、あるいは四国の地区で括れるのだが。先日の先祖様でも「岡村家」の共通事項で盛り上がった(芸西村でも優位な家系と言う事で)。何処まで細分化して区別したいのだろう。

2024年7月10日(水曜日)雨
夕刻雨が上がったので、あちこちに捨てておいたサトウキビの残骸から芽が出ているので、これを掘り起こしサトウキビ畑に移植する。こちらは倒れない対策してあるので、成長すれば収量が多くなる。先日購入した罠を仕掛ける。
夕刻の1時間半くらいの作業なのに大汗。缶ビール1本を飲んで酔っ払って、映画を見るしかない。中国映画で台風がやってくる内容。芝居は臭く何か感動の要素が隠されているのもなく、ハラハラドキドキもない、安心娯楽。もう一つは「インツーザストーム」ストームは竜巻の事。ビデオカメラに竜巻を収めて売ろうとするドラマ。最後に竜巻に巻き込まれて話は完結しない。CGの多様で如何にも現実っぽい。全く違った視点の2つの映画がなぜか、溺れるのを共通テーマとして扱いパニックに仕上げている、主人公が助け出すのも同じ。適当に選択した映画だったが奇しくも同じテーマで括られる。
Amazon得意の貴方の好に似た人は、このような作品も見ていますよとオススメがあるが、それに引っかかって、選択してたのかも知れない。Amazonはすっかりお見通しだったのが、今日のオチ。

2024年7月9日(火曜日)晴れ
朝一歯医者、散髪、帰り道「ペルチェ・ベスト」を3軒のホームセンターで問い合わせるも、扱いはない。四国に住むバイヤーはやっぱり遅れているのかなぁ。結局Amazonに頼るしかないか。
帰って先日の皿鉢料理の皿の返却と支払い。帰りに師匠の家訪問。スイカの半分を持参。師匠も奥さんも寝ていた。起きてもらって30分ほど雑談。

帰って草刈り。今日の太陽は昨日よりも強く、ファンのメモリを5段階中3にあげた。汗の量が減った。今日はシャツを着ず、長袖の下着の上にファン付きジャケットを羽織った。正しい使い方で効果がある。問題はバッテリーが途中で切れた事。1時間半しか持たない。

夕刻お惣菜を買うものの食欲がなく、買い置きの冷麺を食べただけ。水を大量に飲まないから、胃の負担は軽くなっているはずなのに。暑さに負けたのかな?

疲れ少なく、マーラー交響曲9番/クルトアズア指揮/ニューヨークフィル。同じ楽団でバーンスタイン指揮/ニューヨーフィル(1956年)は名盤として掲載されている。僕はどちらも良い。この曲は有名で名盤がゴロゴロある。エアコンの空調音が邪魔をして4楽章の黄泉の世界にいく部分が聞き取れない。バーンスタイン/ベルリンフィル盤はLDであるから映像付きの方が理解しやすいかも。
こんな名曲が、簡単に目の前で演奏されるなんて、何て贅沢なことか。

2024年7月8日(月曜日)晴れ
村の家の仕事、シャツが汗で濡れる。ファン付き洋服をワークマンで購入。初めてですか?初めての方は12Vから始めたら良いでしょう。24Vは強すぎると言うことか?
ペルチェベストなるものもある。音のしない冷蔵庫とか、私の家で使用中のカメラ防湿庫なんかに使われている機器。調べると、この夏の定番との事。トコトン行くしかないか。

ファン付き洋服の効果は?滴るような汗は流れなくなった。水を飲む量が減って、夜、目に霞がかからなくなった。疲れは随分と違う。ファンだけでここまで来るなら、その先も試したくなる。
サトウキビ畑の支柱交換と草引き。後3日の作業量だが晴れ間は明日のみ。明日は歯医者。帰って終日作業をするか?今日と同じように午後からの作業にするか?

昨晩の懇親会で飲んだのは4人、空いたビール缶は500mlが18本、僕はそんなに飲めないから、一人6本弱って所か。他家は座敷で座る方式なので、脚がしんどくなって、解散は速いが、我が家は椅子なのでついついの長居だった。

2024年7月7日(日曜日)晴れ
今日は我が家で大塚様の清掃後の懇親会の日。先ずは家の掃除、お供物の購入。自分の家のお墓の清掃。コレで午前中は終わり。清掃は事前に進めておいたので、後は邪魔になる竹を切るだけ。倒れてお墓を倒すとやばいので一人ではできなかった。今回はチェーンソーを持参して切り倒したので短時間で終わった。レストラン「藤」さんへ仕出しを受け取りに行き、定刻の3時半に懇親会開始。6人中3人が体の不調があり、この先継続が危ぶまれる。来年から懇親会は1回のみとなった。
明るいニュースは海の見えるダム完成。芸西村がもう一段と発展する機会が訪れるかも知れない。もう一つ、今日集まったメンバーの畠を合わせると、広い日当たりの良い傾斜地となる。ワイナリー農家が、この様な土地を探している情報が届き、皆賛成の狼煙を上げた。実現すれば、かなり良い話になる。栽培も任せて貰えば収入の道が開けるかも知れない。
4時間も呑んだので酔った。後片付けが大変だった。終えたのは8時半、もう寝るしかなかった。

2024年7月6日(土曜日)晴れ
僕の身体が変化したのか、気温が高いのか、今までずっと朝食事をする時エアコン不要だったが、昨日と今日はエアコンのお世話になった。記事をPCに打ち込む時汗で肘がテーブルにくっ付くからだ。

午前中英語の勉強、午後草刈り、作業を始める時、あまりにも太陽が強いので大丈夫か?と躊躇したが、そよ風があって、なんとか凌げた。水分補給は欠かさないが、ここ数日寝る前に喉が渇く、夕食時の水分補給が不足している、元を正せば昼間の水分補給が不足している。
速い話が、昼間そんなに喉が渇かないのだ。老人が水分補給が少なくて熱中症になるのはこう言う事だったんだ。

夜自分の部屋でくつろぐのは午後7時ぐらいから、外はまだ明るいが、カーテンを締めエアコンを効かしSUB-2のオーディオ機器の電源を入れて少しだけ音楽を聞く。メインのオーディオは発熱が激しく夏向きではない。クルト・アズア指揮でプロコフィエフを聴く。FMラジオを聴く機会が殆どないが、ウクライナ危機以降、ロシアの作曲家とか、演奏家の放送は減っているはずだ。この作曲家の「ロミオとジュリエット」は四国のショウルーム時代よく聴いた。音楽性よりも音が綺麗だったのが理由。レコードはショウルームのもので、手元には7インチのオープンテープに録音したものしか残ってない。「ロミオとジュリエット」と言えばオリビア・ハッセー主演の映画が有名だが、ここで歌われる音楽とは全く関係ない。暗くて重い。丁度今の様に締め切った暗い部屋で聴くのにピッタリだ。

2024年7月5日(金曜日)晴れ
今日はキッパリとした高知の晴天。こう言う湿度の低い高温は全く問題ない、車のエアコンを点けずとも平気だ。カッパに砂糖出荷、郵便物発送、帰って英語。調子が良く翻訳はスムーズ。

午後は竹刈の後半を進め完了。大塚様への山道の清掃。7月7日に岡村家の5名が行う作業だが、僕が当番なので、早く終えたいがため独自に進める。残りもう少しのところで時間切れ。今日の太陽は容赦なく降り注ぎ、僕も完全燃焼。「あとは焼酎を煽るだけ🎵」なかなか調子が良い。

娘と息子から誕生日祝いのメールが届き、彼らの誕生日6/23と6/30にメールを送る事を忘れていた事に気付いた悪い父親を演じる。毎年の事で、毎年忘れている。
それには理由があって、ここの草刈りとサトウキビの世話の2つに追われていて、どうしても気がそちら方面にあるからだ。(理由にはならない)
何処かで償いが必要。年末の博多旅行か?

日経新聞でAI活用各国比較で日本は最下位、人口比10%、欧米各国は50%以上。僕は毎日チャットGTPで「使い過ぎ」の警告を受けているのだが。株高に沸く日本人は世界の潮流についていけてないが大丈夫か。
もう一つ日経新聞がらみで、どうも誤解している報道がある。車の「OS」と「自動運転」「電気自動車化」この3つを一体とみなしているようだ。別個の話なんですが。技術系の記者が少ないのかな。



2024年年7月4日(木曜日)晴れ
誕生日は明日だが、それまでにクマゼミが鳴けば普通の夏がやってくる。それを過ぎて鳴けば異様な夏。今年は収録できなかったが3日に1回聞き、今日は2回、いい夏がやって来そうだ。7月の太陽は容赦なく照りつける、昨日はその攻撃をまともに喰らったが、今日は曇りもあって少しは凌げた。家の西側の竹刈り。高さを低くしておいたので、梯子を使わなくても刈れるので安全。防風の働きは無くなったのでボロ家の方が心配。

精魂使い果たし今日も終えた。夜須でお惣菜を買って風呂を沸かし食事。9時を回ると睡魔のお誘いがあってお供する。

2024年7月3日(水曜日)晴れ
村の家の仕事、玄関には虫の死骸が山の如く、それを掃除機で吸うのに手間取った。僕の家もそうだが、村の家も山の中にある。虫が多いには当然。推測で言ってはいけないが、これでも虫は激変しているはず。それで燕が減った(事実)。子育てに大量の虫を食ってくれるのだが、彼らも大変だろう。

英語の勉強はパスしてきまさごの支柱立て。農作業はノンストップで行うのが常だが、今日はあまりにも心臓が激しく打つので木陰で2回ほど休憩した。家に帰り車のエアコンで冷やした方が良かったかも。大汗をかいているので熱中症にはならないが息も上がった。

夕食に牛肉と猪の肉の混合ステーキ。泡盛を炭酸で割って頂く。疲れと酔いで早々に布団に潜り込んだ。

2024年7月2日(火曜日)晴れ
天満宮のお宮落成式が11日開催される、懇親会に3500円供出。7月は行事が多い。兎に角7日の先祖様を乗り切る事。神様へのお供え、岡村家六軒の接待を自宅で開催。それまでに家の西側の竹の柵を切って誰もが通行できるように仕上げなければならない。ついでに自尊心の事を言えば、家の前と西側の畑は草刈りができていると、皆んなはさすがだねと言ってくれるはず。さらに庭の草に除草剤散布。明日やればギリギリ間に合うかな。

田舎暮らしも何かと賑やか。何故ならナスもピーマンも今から8月始めまでは休憩と言うか、次の準備で割と暇。稲は殆ど手がかからない。だから、7月に色んな行事が集中する。

2024年7月1日(月曜日)雨
雨の日はプール。プルの張り紙に8月5日から11月5日まで25mプールは閉鎖とあった。9月までは50mプールが使えるはず。10月は長岡温泉のプールで運動公園の代替え。
バタフライが続かなくなっている。25mプールの半分で息切れする。手の力が落ちている、12月製糖作業した後の1月や2月はバタフライが楽々25m可能。腹筋も必要で普段の農作業だけでは対応が難しい。まぁ爺さんのやる種目ではないとしよう。
帰りに注文していた脚立の引き取り。高価で重い。ホームセンターゆうきちで猪の罠を購入、広げてみるが使い方がわからない。近所の人に聞こう。

帰るとグッタリ。心地よい疲れ、映画を観る体力は残っていたが、先日のこともあって、8時過ぎの就寝。4時に目覚めトイレ。再び寝て6時起床。まだ疲れている。


2024年6月30日(日曜日)曇り後雨
村の家の仕事。部屋のトイレを掃除したが、カビがついた泥水が拭いても拭いても垂れてくる。取り敢えず途中で断念し次の作業に移ったが、後で指摘があった。わかって入るけど、仕方がないと返答した。設備の欠点まで責任は負えない。
今回の合宿チームの宿泊は人数が多いだけに結構汚れていたので12時前まで時間がかかった。もうこの仕事は辞めようかと思ったが、トイレの掃除はトイレの神様が見守ってくれると、友人の提言を思い出し、今の幸せが続くなら頑張ってみようかと考え直した。

帰って英訳、午後3時までかかったが、前回最高値65,000語を超えた。(2022年にボルトン補佐官の英訳は11万語の記録があるが、この時は2時間を割り当ててため)今月の記録としては胸を張って良い。プールも2018年からの統計では2番目の長記録。書籍は4番目で冴えない。

お祝いに友人と懇親会。AIの事を話題に出すが、テレビの聞きかじりで理解できてないのに解ったような言い方をされると、いやいやそうでは無いですよと反撃のスイッチが入るのには困った。

新聞では円安論が展開されている。イーロン・マスクの本を読んで一つだけ共感するのは、「技術開発しか企業として生き延びる道はない」見解。日本は研究開発費を削って、円安で利益を懐に抱えているから国力が削がれている。それが円安の理由であって、金利差(縮小してきている)が円安の原因と言うのは、一部でしかないと思う。それで世界の先端域で活躍する企業数が少ないのが原因だと思う。そこを指摘しないでマスコミの役を果たせるのだろうか。


2024年6月29日(土曜日)曇り
村の家の仕事、今日は元気に出勤。清掃中に合宿の予約客が来た、「よさいこい」の練習だ。いよいよ夏がやって来るか。よさこいの激しい動きを自動追随し撮影できるカメラは手元にあるから、今夏は行ってみようか。

7月7日は先祖様のお祭りで、我が家が当番。これまでに竹刈とか家の周りの草刈りとか必須事項が多いので、少し無理してでも午後の農作業。
ところが今年補植したばかりのサトウキビの苗は猪が全部掘り返してあった。よく育つように栄養のある土を持って来たのが災いした。みみずがそれを好み、猪はみみずを好む。淳子ちゃんの息子さんに捕獲を頼むしかないかな。

風呂に入って自分の部屋に引き上げると、先日と同じように疲れで気力が萎えた。つまり、午前中の村の家の仕事があれば、午後は農作業を減らさなけりゃ体が持たない。と限界を知った。
バイデンも気力だけはあっても討論会ではボソボソと字幕が無けりゃ意味不明。I knowだけ繰り返し。人の事を笑ってはいられない、自分も思った以上に弱っている。

それで日課の英訳が夜に残り、気力を振り絞って頑張った。今月65000語(過去最高)達成のために、残10000語に挑む。


2024年6月28日(金曜日)雨
20時間くらい寝てやっと元気を取り戻した。全く普通の状態に戻った。一体あれはなんだった?去年の丁度今日、下痢で1週間苦しんだ、これも格別な理由なく突然始まった。気候が変わって体調に異変が生じたのだろうか?暑いのは割と平気だったのに体が変わったのだろうか。
年に一度の故障はもう一つあって、僕の部屋と母屋を結ぶLANケーブルが不調をきたし母屋でLANが使えなくなった。これも丁度梅雨期の真っ只中に発生する。

よく寝たためか英語はグンと伸びた感触ありスラスラと、だが長続きはしないだろ予感。翻訳もキーボードを打つ指が素早く動くのだが。

昼寝をした後、午後3時、草刈りに出かけた。沖の柿の下と、親類の前の畑。4時半にタイマーをセットしてアラームと共に作業をやめてお惣菜の購入に出かけ、食事は軽く終えて、明るいうちに自分の部屋に帰った。今日は動き足りないのでエネルギーが余っていて、雨でなければ今からでも散歩に出かけたい気分。だが、明日は村の家の仕事で自重しておこうと決断。

部厚いイーロンマスク/上下を読み上げた。今までにあり得ない人物。この人でなければ電気自動車はできなかったし、ロケットも飛ばせなのがよくわかった。EVは時流としていろんな企業が手がけているが、自前でやったのはテスラのみ。着手すれば赤字。あのトヨタでさへボディ一体成型を思いつかなかった(これからやるらしい)。中国では合弁事業でないと進出できないのを習近平と交渉して法律を変え、テスラのみ単独進出、とんでもない人。この本を読み上げた人は「私もああなりたい」よりは「とてもできない」それよりも「唖然とした」のが多いのでは。スティーブジョブスも凄いが、イーロンマスクはもう一つ規模がでかい。

2024年6月27日(木曜日)雨
村の家の仕事、今日は体が重い、動きたくない。そのうちに楽になるだろうと気張ってみたが、仕事を終えるまで変わらなかった。むしろ余計にしんどくなった。
帰りコインランドリーで作業服を乾かし、かっぱ市場に砂糖を出荷。丸い砂糖を包丁で切って加工したもの。売れ行きが良ければ変更しなければならない。

帰ると疲れはピークに達し、そのまま1時間ほど寝た。昼食を軽く取って、午後2時から6時まで寝る。食事と入浴後、再び寝る。何処かが痛いわけではなく、苦しいわけでない。ただただ気だるく、何にもする気が起きない。生きる気力もなくなる。先日、これの弱いのが来て気力で振り切ったが、今回は負けてしまった。こうなると映画も音楽も何にも受け付けないのも気になった。体が動かなくなったらと、取っておいた楽しみが全く用を果たさない。

2024年6月26日(水曜日)曇り
午後はきまさごの柵支柱の交換。随分と柵の方も痛みがきていて、補修をしながらだったので進捗は遅い。雨がなくても今月完成は難しい。砂防ダムの計測者3名が畑の近くに上がってきて山に入った。僕が仕事を終えて帰る頃、畑の真ん中に降りてきて、道に迷ったと言っておられた。こんな低い山でも今は草が伸びて視界が悪く、鬱蒼とした森は暗くて見にくい。慣れない人には、やっぱりやばいだろうなぁ。僕がドリルで大きな音を立てていたので、それを目当てに降りてきたみたいだ。(僕らは小さい頃、この山を西に東に走ったので迷うことはないが)

入浴後、自分の部屋に帰り、美術館の写真の整理をしようとするが、妙に気だるく少しだけ布団で眠った。それから起きて続きを試みるが指が動かない。こんな事もあるだろうと就寝。



2024年6月25日(火曜日)曇り
村の家の仕事。タイル清掃は時間が遅くなったのでパス。帰って絵画編集。途中爆睡。もう直ぐプラハの小島さんが帰って来るので、絵画編集はここまでで打ち止め、2月19日のプラハ散策と動物園の編集に移った。動物園でも動物の説明がパネルにあって、こちらも翻訳すれば立派な動物園のファイルができる。水族館、動物園、植物園、美術館設立は残された人生のテーマだ。

珍しく午後も曇りだったので、英語の勉強はお休みし、きまさごの草刈り。サトウキビの根元は手で引くとして、その周りを刈った。5時まで頑張って仕上げた。

やすのお惣菜屋さんで夕食を購入。サワラがあったの大きな塊を購入。ここで生活をしていると、魚の新鮮なのが手に入る。これを続けると、街で魚が食べられなくなる。臭くて、ドロドロ、ヌルヌル。刺身は海から出て6時間以内が勝負だね。(室戸のO氏は3時間が基準と言う)。何れにしても、流通しない鮮度の話。

それで仕方なくお酒に出が出て、酔ってしまい、寝るまでに2本の映画。一つはシベリアン・スナイパー。ロシアの映画でドイツと戦うソ連兵の活躍。主演はヤクート人のエゴール(アイタル・コルツォフ)顔がアジア系で引き締まらないが、立ち振る舞いはゴルゴ13そのもの。かなり好感、好演。
もう一つはサバイバー。マット・ディモンのボーン・アイデンティティをミラ・ジョボビッチが演じるような物語の映画。007を演じたピアース・ブロスナンが悪役で登場。007の時と同じで動作が緩慢だったのに苦笑(顔はいいのに)。


2024年6月24日(月曜日)雨
1日一労は雨で不可。身体がエネルギーを発散したいと言っているのに、それはダメだと引き留めるの変だし、夕刻、雨の合間を縫って村を縦断する和食川の堤を散歩と、ジョギング。もう膝が痛くて走れないかと思っていたが意外といける。膝を痛めないように、次回は柔らかな靴に変えるか、地面の柔らかい砂浜を走るかどちらか選択すべき。後者が効果的で安上がり。ここ数年は徒歩だったが、やぱり息を切らすようなジョギングの方が気分がいい。
ここ数日は、全国に分散している知人に電話した。状況伺いだ。皆、家でゴロゴロしている感じの生活だった。同年齢の自分の指標となる。京都の知人は、自分が良いと思ったら、気にする事ないでは?と言う。僕の中には「ネズミの心臓と像の心臓論があって、一生の鼓動数は同じ」早くうちすぎるとそれだけ早く死ぬ。
今は問題ないが、調子の乗ってガンガン飛ばしていると、早晩お呼びが来るのでは心配だ。

それでも今日は多くの時間を絵画の編集に割いたので、チャットGTPは使いすぎだと警告が出て使用不可能。代わりに大塚国際美術館の方に着手。LUMIX G9Proは、f1.4、1/20で撮影すれば、ISOが割と低い値で動き画質も良い、これからの撮影に参考になる。次回旅行に感度が高く画質も良いカメラ購入を考えていたが、どうやら手持ちのカメラで事足りるようだ。明るい広角レンズ1本を継ぎ足すだけで済みそうだ。

2024年6月23日(日曜日)雨
他人から見れば退屈な人生を送っている。が、僕としてはかなり刺激のある生活だ。もうこの歳になれば他の事はいい、自己中でいいと思う。大塚国際美術館の編集は丸い壁画を切り取る作業、フォトショップエレメンツで画面を拡大し短い直線を重ねて円とした。切り抜きツールは他にもあるが、ほぼ全てが完璧でない。フォトショップのペンツールがあればべゼェ曲線が使えるが、少々お高いので購入できてない。1回目の撮影の補完がパズルを埋めるピースのようにじわじわと進む。このジワジワが良いですね。特にシトシト降る雨の中では。

イーロンマスクの本は下巻の中盤となった。スターリンクをウクライナ軍に解放する所。「だれもがネットフリックスを何処でも見られる」そんな思いが、ロシア攻撃のツールとなる。さすがにイーロンは悩む。民間の判断を超えていると。
事業もここまでくれば哲学の世界だろう。それを自ら修羅場を作る事で超えて来たとある。この先何をするのだろう。AIについてのコメントは暴走するのをどう食い止めるか。彼の視点はテスラやスペースXなどいい点をついているし、AIについてもそうだろう。
もう一つの、ビルゲイツとの会談設定について、ビルゲイツの秘書が連絡するとイーロンに伝えると、直接自分に電話してくれ。とビルゲイツは驚き秘書はいないのかね?何事もシンプルが一番と答えた。それでビルも直接電話したとの事。ロケットも削って削ってシンプルにしてビジネスの俎上に載せた。彼のシンプルさは見習う点がある。

夜はブルース・ウィルス主演の地球を救う映画アルマゲドン原作を少し翻訳。作家が違えば使う単語が違うので、戸惑う。そして熟語と言うか、諺の引用が多い。難しく書いた本ではないはずなのにハードルが高い。

2024年6月22日(土曜日)雨
午前中は晴れていたので高をくくっていたら、天気予報通り午後は雨となった。農作業はできずプールに行った。50mプールは競技で使用できず、25mを使う。土曜日なので小学生もいて邪魔をされながら2km。

帰りにホームセンターで脚立を注文。脚が微調整できるタイプ。できないものと比べて3倍の23000円。もったいない気もしたが、安全なのが良い。ホースや継手なども買った。全ては当面村の家の清掃用だが、自分でも使うから良しとする。定期購読の本を買い、夜須でお惣菜を買って帰る。

帰ると、近所の淳子ちゃんからイノシシの肉があるから取りに来いや。と電話。僕も手持ちの空芯菜を届けた。肉には背脂と言われるロース肉が入っていた。これで空芯菜を炒めたら極上の味。
そこではたと気がついた。僕は歯がまだ残っているから、固い茎もバリバリ噛み砕き、匂いが残る空芯菜を美味しく食べられるが、誰でもこうであろうと思ってはいけないと気がついた。老化は同じ速度で訪れない。

風呂から上がってカメラ雑誌を見たら、発表のニコンZ6mkIII、LUMIXGH7の特集。ニコンはそれなりの扱いだが2500万画素で評価が今ひとつ押せない。GH7は画素よりも、センサーサイズが小さいので論外的な位置づけ。まだまだカメラ雑誌は大御所崇拝か。LUMIXG9Proは下向いて撮影すれば手ぶれ補正が効かない事に気が付いた。やっぱり新興メーカーにはそれなりのノウハウが不足していると言うのか?よく分からないものには、「多くの人が信じるのもはそれなりに良い」のを信じて行こうと思う。


2024年6月21日(金曜日)雨
赤野の求くんのナス仕舞いのお手伝い。このナス(品種名はおりょうさん)は、作業時、葉の裏側の毛が目に入るので、裸眼でかなりやばい仕事だったが、8時半には終えて、たくさんのナスを貰って帰宅、おじさん宅にも届けた。

風呂に入って首回りに付着したナスの毛を落とした。まだ残存感があって虫刺されの「ムヒ」を塗ってヒリヒリ感で誤魔化した。
ドイツ=ドレスデンの美術館、大塚国際美術館の絵画編集に取りかかかった、まぁそれぞれ3枚程度ですが。量は多く速度は遅いが、じっくり絵を見て加工できる。時間がなんぼあっても足りない。

午後は、きまさごのサトウキビ柵支柱の交換と草引き。柵は3年めで横串となる竹も腐っている。補強をしながら進む。作業は指を酷使し、終える頃には痛くなった。身体はまだ動くが所々に長時間は無理だぞ、と言う警告が出だした。

食事は今日貰ってきた「空芯菜」と「ナス」。これから3日間は続くだろう。野菜の影響だろうと思うが、体は軽い。その勢いで夜も絵画の編集を進めるが、疲れで8時にダウン。食事後2時間は起きていようね、と健康診断所のアドバイスだが、残り30分は厳しく、体に悪いが我慢できずダウン。

2024年年6月20日(木曜日)晴れ
村の家の仕事。便所掃除の他、レストランのテラスタイルも清掃。11時に終わり、旧「柿の木」へ駆けつけた。師匠ご夫妻と曽我さんご夫妻との食事会。生憎と柿の木は一杯で「ふじ」さんで食事。遠くへ行かなくても、ここではかなり豪華な海産物の食事ができる。皆段々と年老いて、曽我さんは病院通い。シロアリの天敵は黒アリ(普通のアリの事)殺虫剤を撒くよりは、こちらを持って来る方に効果があるとの話題。今年はサトウキビの減収が予想される可能性。農家にとっては重要な情報交換だった。

帰って、きまさごのサトウキビ柵支柱の交換と草引き。この畑は大きく仕上げに1週間ほどかかるが、梅雨入りでそれ以上かかるかも知れない。

昨日撮影した大塚国際美術館の写真は旨く行って、鮮明だし、シルキーピックスで色の修正に「シャドーを明るくする」方法が見つかり、現像の仕上げがさらに良くなった(それまではフォトショップエレメンツで加工後、シルキーピックに渡していたので、手間はかかるし、画質も劣化する)。来年メトロポリタン美術館での撮影に参考になる。

2024年6月19日(水曜日)晴れ
6時料理の先生と徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に向かった。車はスズキハスラー、ターボ搭載車。平均燃費は22.8km。高速道路の坂もへっちゃら。今回は高松周り。前回この道をよく走ったのは、コロナ前の2017年、ヤマダ電機の仕事をしてた時だ。高速道路は車のフロントガラスに虫が付着するので、出来るだけ下道を走るようにしてた。だが、今回は殆ど虫が付かない。虫が減ったという事は鳥が減っているし、土壌がふくよかでなくなる。影響は直ぐではないがかなりやばい事。
僕の車は古く保険もかけてないし、もう一つの軽トラックはECTが壊れているなど、もう芸西村以外で走る事は難しい。
軽自動車と言えども、新車のハスラーは静かでクラシック音楽も悠々聴けるレベル。僕は旅行にお金を使うので車には手が出せない。


大塚国際美術館は世界の絵画の模造品が、同じ作者で括れて展示されているので、実際にはありえないゴッホのヒマワリが一堂に見られるとか、もちろん戦争で消失した幻のヒマワリも復元してある。前回の訪問で500点を撮影し、今回で500点を撮影したので、おらく取り残しは100点以下だと思う。(もう一回行けばよい)
ここの美術館は整理番号順に作品が並ぶわけでも無く、フロアガイドは年代やテーマで区切られていて、2つのパンフレットを照合しないと作品に行きあたらない複雑さがある。しかも僕の控えは作品番号順だ。僕の場合は3つの資料を照合する必要がある。

今回の撮影は、前回(14mm)よりも少し長い15mmのレンズ(EOSR5)、24mmLUMIX G9Pro)を使って、明るいf値でISOを稼ぐ撮影方法(低く抑える)で臨んだ。まだ検証はしてないが、こちらが良いのかも知れない。
また、解説パネルは文字認識が間違いなく出来るよう、かなり近ずづいて大きく撮影した。
ブレはシャッター速度1/10秒(EOS)1/15(LUMIX)で切っているから問題ないはず。

2024年6月18日(火曜日)雨
村の家の仕事はトイレ掃除だけだったので9時半に終わり、帰ってアルテ・マイスター美術館の絵画編集、途中で爆睡。午後友人に手紙。

雨はプールの日と決めていたので出かけたら、途中で快晴。高知の天候は変わりやすい、人の嗜好も白黒がはっきりしている。嫌なものは嫌、理屈が通用しない土地柄。
プールは50mが解禁、1度水温が低く28度。25mプール(29度)で身体を冷やし挑戦。50mは長い。ターンを忘れた頃に向こうの壁が見えてくる。泳ぐ人が少なく水が澄んでいる。2km。所用時間は、間に移動の時間を挟みよくわからない。水温が低いと疲れは少ない。僕とほぼ同じ速度で泳ぐ人が同じレーンに入って来て、遅れてはならずと気張った。僕の筋力は落ちているわけではない(と思う)が、気張りすぎると心臓が不整脈を起こすので、速度を制限している。それ以上スロットルを踏み込めないので微妙な速度が重要。

帰ってぬる目の風呂で汗を流し、タイマーを4時にセットして睡眠。




2024年6月17日(月曜日)曇り
村の家仕事。今日は窓拭き、扉の桟のホコリ取り。まだ何とか気持ちを抑えられ続けている。月前半は2回/週だが後半は4回/週に増える。それで2万円くらいの収入。

今日はシロアリ駆除の方に来てもらう日。前回の大群襲来で困っていた。でも検査すれば、今のところ兆候がないとの事。来てくださった方には申し訳ないので、お砂糖をあげた。

もう農作業の時間はなく、「ネアンデルタール人絶滅」の録画番組を見た。僕は本編でも指摘があるように、ホモ・サピエンスが加担したのではと思っていたが、自然消滅が原因らしい。そもそもネアンデルタール人は「総人口が7万人」くらいだった(これは今まで報じられてなかった。それが先にわかっていたら、回りくどい説明なんか不要で、自然消滅は僕でも仮説を立てられる。対象地域はヨーロッパ全土だから、人口密度低いのは誰にでもわかる話だ)。その後大量にホモ・サピエンスが出てくるが、吸収された感じがあると報じられていた。

シロアリ駆除の50万円の出費が無くなり、お祝いをしたい所だが、明日も村の家の仕事なので、自重し、英訳に捧げた、航空機の事故原因の追求の山場に差し掛かり、単語が一般名詞なのか、機械部品なのか判別に時間を食う。例えばflameは機体の構成要素なのか、意見の概要なのかわからない、結局ビデオ映像を構成する、1画面(規格から半分満たされた画面)の事だと分かる。そこで5分くらいは立ち止まった。

2024年6月16日(日曜日)薄日
G7以外ウクライナへの支援が集まらない。ロシアがウクライナ侵攻するのを容認する構えだ。その国は外国に蹂躙されても平気だろうか?そのG7も政権が不安定に揺らいでいる。G7の国民は今の経済がガタガタになれば良いと望んでいるようだ。政権が変われば自分たちが浮上すると思い込んでいるのだろうか。どうやら、今のような自由で平和な安定を多くの人々が望んでいないように思える。

イーロンマスクの書籍を読んでいる。いよいよサイバートラックの章に入った。スペースXでも実現したように、発想は何でもありだ。日本のメーカーでテスラのような車が作れないのは、技術ではなくマネジメントだと見た。そしてサイバートラックだ。自由な発想は想像の域を超えている。ネットで検索すればアメリカ人のレポータも日本人のレポータも批判よりも驚きを笑いで誤魔化している。彼らの経験の範疇にこの車はない。そして操作パネルで全てをコントロールするのは、もはやお年寄りには無理だ。スマホ以上に操作の階層が深い。でもこのワクワク感はたまらない

イーロンマスクは誰もがまねのできない奇人で、CEOなのに工場で寝泊りをする、深夜工場を見て回ってあれこれ口出しする。部品の一点、規格の一点について責任者を明確にする。そこに集中攻撃する。テスラモデル3の時は酷かったと。これは新聞記事でも読んだことがある。
パナソニックはよくもまぁ、こんな会社と取り引きをしたもんだ。幸之助の精神に反する事ばかりの人に対して。だから電池に思い切った投資ができなかった。小人さが投資を拒み、大きく出るテスラ戦略についていかれず、市場を中国勢に渡してしまい辛酸を舐めている。かと言って、イーロンマスクに賭ける器を持っている人材はなかなかいない?

この本を読み、世界をリードする会社のマネジメントは今や規格外でないと通用しない。電気自動車はそうして世に出た。宇宙船も同じ。これじゃ日本は置いてきぼりを食うはずだ。今の円安はそこにある(と思う)。植田総裁では何ともならないし、岸田氏の骨太でも動かない、赤字財政を増やして誰が評価する。まぁ僕が死ぬまで平和ならそれでよし。

2024年6月15日(土曜日)曇り
来週は村の家の仕事が多い、そこへ求君からなすのハウスパイプ揚げの応援要請。新聞によれば人生の中で「70歳代が一番充実している」記事を読んだ。それを実感している。
しかし、英語習得はどうにもならない。今日は1時間かけて2000文字の翻訳(平均では3500文字のところ)。例えば日本の小説では人の呼び方は初めから終わりまで殆ど同じ。「明日君」ならずっと明日君だ。ところが、アメリカは略文字を使ったり、ファーストネームだったり、言いやすいニックネームであったりする。それで別紙エクセルに一覧表を用意しているが、それでも同名の弁護士とCEOがいて、深く本文に入り込めない私は、単語から判別できず、文章の整合に時間を要した訳だ。

また、アルテ・マイスター絵画館の編集は、帰りの時間(ドイツ~チェコに)が迫ってきている関係で、途中から撮影が乱暴になって、絵画と説明文が連携しないところがあって、しかも説明文はきちんと撮影してないのか、文字が不鮮明。

この2つが妙にイラつく日だった。昨晩の泡盛がまだ効いていて頭がぼんやりしていたのかな。

明日は雨だったので、サトウキビの苗を畑に移植した。移植には、落ち葉を下に敷き、脇溝の土を大量に持って来て被せる、その上に掘った土で盛り上げる。これがどうやらうまく定着するようなので今回もそれを試した。作業が終わって天気予報を見れば明日は快晴だった。急いで水をやりに畑に行った。

2024年6月14日(金曜日)晴れ
村の家の仕事。風呂掃除と、レストラン庭のタイルの苔落とし。何年も手付かずだった形跡。一度にはできず、1/3くらいを仕上げた。その内にぴかぴかにしてあげられる。

帰って美術館の写真編集と英語。農協にシロアリの駆除の相談、6/17に下見決定。

午後から草刈り、今日は太陽光線そのものが強かった。風はあるが効果なし。防虫ネットで飛来する石の防御をしているが、一面、遮光効果で目には楽だが、熱気がこもる。汗が尋常ではなく、汗吸着のタオルを頭に巻いての作業。

疲れもあるが、これが「呑まずに居られるか」気分が盛り上がり、一人晩酌。今夜は泡盛をロックで。キクキクで直ぐに酔っ払った。これで音楽を聴くのが最高。ベルリンフィル・デジタルコンサートにアクセスし、マーラー交響曲5番/グスターボ・ドゥダメル。若手だが微笑みを含んだ指揮に好感がある。若さと指揮の速さと関係があるのか不明だが、演奏が溌剌としている。
ホルン奏者サラ・ウィルスさんが映し出されるのを楽しみにしていたが今回は出演なし。代わりと言ってはおかしいが、第2バイオリンにかなり目立つ美形発見。名前検索できず。カメラマンも気になるのか、彼女ばかりのシーンが多かった。(ベルリンフィルのカメラマンは何方か知らないけど、昔から美形に関して好みが一致)
マーラーの音楽は強打の部分はメロディが載って気持ち良いが、弱音はかなり長いパートで音の安定度を保つのが難しい。特に吹く楽器では。でもそこは、世界屈指のベルリンフィルですから不安も何もないですが、聴く方は緊張させられる。CDで聴くときはそうでもないですが、映像があると特にその感は強い。デレクターはそこが狙いでしょう。良い演奏だった。ベルリンフィルが演奏するフィルハーモニーホールから一番近いホテル(マリオット・ホテル)に帰るのに徒歩15分くらいかかったが、今日は10秒で床につける。

2024年6月13日(木曜日)晴れ
山形からサクランボが届いた。申し訳ないと思いつつも頂くとものすごく甘い。お礼の電話をすれば、今年は姿が悪いが甘いとのこと。今年で最後ですと手紙が添えてあった。お付き合いはお金がかかるし面倒だ。よくわかる。当方もお金のかかることばかりが山積し、決定打が今夜やって来た。
シロアリ。どうもシロアリが我が家で発生したようだ。天井にかなりへばりついていた。一口50万円。今年は土地登記で同額発生し、散々な目に合う年かも。

サトウキビの草刈り、草は、今が一番の伸び代時期。集落活動センターは溝に限って除草剤を散布すると言う。放置すれば手に負えない状況になっている。僕のところは20日間隔だが、ヒエはもう50cmくらい伸びている。セイタカアワダチソウは20cm。間隔を縮めると、違った草の様相が現れる。原因の追求はできないが弱肉強食が展開されているはず。

料理の先生からトウモロコシを頂いた。かっぱ市場でも400円くらい。今年のは甘い。一本で一食ぶんくらいはある。これが一番カロリーが高い。肥料の投入量が尋常ではない。今栽培中の菊も肥料を食う。こちらは面積が少ないので、まだ助かっている。
今日は菊の芯を摘んだ。摘むと枝が別れてそれに花が咲くらしい。それが売り物となる。摘んだ芯は、挿し木にしたが果たしてありつくのだろうか?うまく行けば倍になる(狸の皮算用)

2024年6月12日(水曜日)晴れ
サトウキビの包装を行いかっぱ市場に出荷。陳列棚は、僕の砂糖と集落活動センターの2業者になっていた。「蜜」も2個しか残っていなかった。競争相手が減ったので僕の砂糖も売れ始めた。11月迄の5ヶ月間で在庫を全部捌けるのか?ギリギリの攻防が続く。
店頭をこまめに見て在庫切れを無くする努力をすべし。

午後は草刈り、太陽は強いが南からの風は涼しく汗は限定的だ。草刈りはあんまり頭を使わないので、先日発表されたアップルのAIについて考えた。今のiPhone15はそのAIが使えるらしい。16への買い替えは不要で助かった。アップデイトが間に合えばアメリカ旅行に使える。間に合わなければ容量の薄いこの頭を使うしかない。必死で頑張ろう。草刈りを終えた時、振動で指がジンジンした。かなりマズイ。機械の点検が必要。

夜は友人と懇親会。お互い仕事を持ってていいねと合意。まぁ自己弁護の傷の舐め合いみたいな話で同じ話を繰り返した。汗をかいた夜はビールで発散という儀式は良いのかも。アサヒから発売になった「レモンサワー」で懇親会。これも良いかな。売れ行き具合によっては取り寄せの必要ありかな。首都圏には娘がいるから。飲んでいる間にメールが届き村の家から6月後半の日程があった、2万円は固い。


2024年6月11日(火曜日)晴れ
村の家の仕事。給料袋がロッカーの扉に挟んであった。2万円。砂糖の売り上げが2万円だから、合計4万円。それでもお金が回っていると生活は楽。

政府は骨太方針で、「ライドシェアの全国解禁を目指している」それが骨太かよ?タクシー会社に属さない、一匹狼が自由に料金を設定して競争する、それが骨太ではないか。タクシーは高いけど安心、ライドシェアは安いけど不安はある。それが自由競争で骨太だろうと思うのだが。
骨太方針をいつ言い出したんだろう?また、それはすごいと思ったこともない。ましてや今は定例行事だ。おままごとで遊んでいる感じ。

最初は気が付かなかったが、段々と付き合う内に好きになっていく。そんなのが人生に於いては何度かある。今回は、CD-BOXについて。クラシックのBOXをいくつか買って順番に聞き、終われば棚に収納している(もう2度と聞くことはないだろうな)
そんな中、クルト・アズアのアルバムは、何枚か聴き続ける間に、おや、コレは僕の好みではないか。そんな演奏が頻繁に登場する。気にもかけず次々と聞いていたが、毎日ご飯を食べるように。そうして15枚位聞いた後ははっきり認識した。この人の演奏は僕の好みに合致する。誰がどんな評価を下そうにも。久しぶりに幸運に巡り会った感じ。

クラシック音楽は楽譜に基づいて演奏するから、どの演奏家の音楽も同じではないか!いや、それが全く違って、100人百葉、パズルの空白に駒がピッタリハマるのがあったり、意にそぐわないものがあったりで一喜一憂する。
だから、この世界では、例えばブラームスの4番について言うと、クレンペラー/フィルハーモニア/1957年について話をしようとなる。ここではそんなことが話せる人を知らないけど。

2024年6月10日(月曜日)曇り
昨日はよく降った。そしてどうやら週末から梅雨に突入するようだ。農業は今週何処まで進められるかがポイントだ。

中国は嫌いだが尊敬する中国人はいる話。テレビで紹介された南京の書店「先鋒書店」店主銭小華さんは中学校中退だが、本を愛する人に届けたい一心でこの書店を開いたと言う。おそらく世界で一番の洗練された店、誰もが行きたくなるような店との評価。広大な敷地に本が詰め込まれている。中でも詩のコーナーは充実させていると言う。映像で見ると、縦積みコーナーが多い。僕も書店の縦積みは手が出る。よく練られている。

日本は書店が撤退して久しい、高知では本格的な書店がもうない。書店の衰退はAmazonや電子本の影響だと言うが、そもそも日本人は本を読まなくなったのが原因だろう。そして読むとすればマンガ/コミック。それじゃ頭が溶けていく。本の売れ行きと経済発展は関係していると思う。それに比べ、中国人の書籍熱はやっぱり経済に結びついている(と思う)、ベトナムでも本屋さんは凄く多かった。インドでもそこら辺にあったし、僕が訪問した後になってもテレビで書店特集をしていた。

読書続きの話で、「イーロン・マスク」を読んでいる。あの気難しい人がよくぞ取材に応じたもんだ、取材した記者はイーロン・マスク同様すごい。そして文章がわかりやすい。多分よく売れているはずだ。そのマスク氏、中学生の時、百科事典を端から端まで読み通したと。それも2回。偉人はやっぱりよく読んでいる。労働時間問題が浮上して日本人は益々働かなくなったし、本を読まなくなったで衰退する一方だ。このことからも円安は証明できる。金利差などではなくて。

2024年6月9日(日曜日)雨
雨はプールの日だが、あいにくと会場は高校生競技大会開催で閉鎖されている。それで、久しぶりに100インチのスクリーンでAppleTV+の「ナポレオン」を見た。これはアップルが買い取った版権なので無料で観られる。映画の始まる前のトレーラーから、ぱぁっと音が広がる。システムは5.1のサラウンドだ。これでも感動するが、そろそろ頑張って工事をしてアトムスを設定すべきだろう。(機材は揃っているから)

さてナポレオンと言えば、ジョセフィーヌ。昔、入社したての頃(初めて大阪で多チャンネル放送を観た時)テレビのCMがあった。椅子のホウトクが宣伝をしていた。「ジョセフィーヌ椅子を持て」これを大分の先輩がいつも口癖にしていたので覚えている。そのジョセフィーヌが主演に近い割合で登場する映画だ。ジョセフィーヌ役は「ヴェネッサ・カービー」。あんまり綺麗な人ではない。なぜ監督のリドリー・スコットはこの人を起用したのだろう?とはてなマークが消えなかった。映画中盤を過ぎるとその意味が分かってきた、子供の産めないジョセフィーヌを離縁する、そしてナポレオンはモスクワ遠征を決意する。(モスクワ戦争は敗退する)

そうです、ジョセフィーヌはナポレオンに対して何かを助言するわけでもなく、人脈で助ける訳でもないが、明らかにナポレオンを「吉に導いていた幸運の女神だった」それが離縁と共に失墜する。ヴェネッサ・カービーは実に、このあげまんを演じるのにぴったりの人相だったのだ。リドリー・スコットの慧眼に恐れ入谷の鬼子母神。原作を読んでないが、書籍からはこの人物描写は想像できないだろう。映画の面目躍如。そのモスクワ遠征の戦いは付録だ。

写真家の中井精也の1日一鉄(必ず毎日鉄道の写真を撮影し掲載する)は敬服するが、僕も「1日一動」は多分50年くらいは続けている(病気を除き)。運動なしで1日を終えないこと。それで大雨の中芸西村の平野部を河川に沿って散歩する事1時間。ゴアテックスの雨具でも沁みて来た(古いせいもあるが)。いい汗をかいたので風呂に入れば、風呂は薪があまり燃えてなくぬるま湯状態、裸で風呂を焚く。いつまでもこんなことはできる訳ではないが。


2024年6月8日(土曜日)曇り
絵画の編集をしていて思うのは、現場で絵を見て理解するには限られた数しか鑑賞できない。(ざっと見ていいなぁと言うのではなくて)僕のように写真を写して家で鑑賞するにはじっくりと見られる、その代わりホンモノの色とか大きさとかの実在感がない。さて、どっちが正しい鑑賞だろう?
もう一つは、撮影に関して。日本の美術館は絵画展の場合全てダメ、メモさえもボールペンでは注意される。なぜだろう。同じ絵は海外の美術館に行くと撮影し放題なのに不思議だ。(もう行かねいけど)

午後は昔勤めたC社のOBテレビ会議があった。皆昔のことを語るのが好きだ。美化された自慢話。語るほうは自己陶酔で気持ちがいい。定年後人生は2つの生き方がある、昔話に頼って生きるのと、現在を生きるのと。白黒の分類は必ずしも正鵠を得ているとはいえないのだが、僕は久しぶりに会う人には「あなたはどっち派」と決めつけている。

草引きと草刈りで午後は過ぎていった。昨年と比べると、3月~6月末の累計では、7日ほど昨年が多いが、今年分は6/8までなので、多分上回る。昨年あった文旦の畑がないから、サトウキビの草刈りは頻度が高い。それだけサトウキビは成長余録があるが、株が年々弱っているのを加味すれば±でマイナスかな?まぁ気の抜けない戦いが9月まで続く。

2024年6月7日(金曜日)晴れ
村の家清掃の日、10時前に終えて帰宅し、昼までドリスデン美術館の編集。午後の英語の勉強はお休みし、柿の木の下草刈り、家の前の東側のサトウキビ畑の草刈り。週末は雨で一日中作業ができなくなるから。前回の草刈りの時はセイタカアワダチソウが一面を覆っていたが、今回は「昔姫よもぎ」が全面展開。これも放置すれば3m以上高くなって、そうなると茎は草刈り機で飛ばすことができなくなる。また、10cmくらいの時に草刈り機で飛ばすと、そこから枝分かれして大量の茎が出て来る。そして元の茎は直径が5mmくらいに成長している、これを繰り返すと、茎が1cmくらいになって、草刈り機の紐を切断するようになる。大変厄介な草だ。除草剤もあまり効かない。幼少のころ根から抜くしかない、握力不足で茎が折れるからペンチを使う。
そしてコセンダグサも顔を出してきた。多分次回はこれがメインだろう。だが後1ヶ月もすれば、サトウキビの勢力が増し栄養を吸うから、雑草の勢いが減って来る。さて、今年はどっちが強いのだろう。温暖化の影響で今年は4月以降ずっと雨が降っている。雨量が多いと草が勝つのだが。

午後4時半に終えてお惣菜を買いに行った。食事の後、ワインを飲みながらテレビを見た。ルノワールの絵画の変遷についての録画番組。こんな紹介を受ければ、画家の苦悩と作品がより深く味わえる。ルノワール作品は、メトロポリタンと大塚美術館でかなり揃っているので、後で鑑賞できるから嬉しい。

昼間できなかった英語の勉強を酔った頭で始めた、ちょうど今回は4択のクイズ。酔わなくても3問しか当たらないが、今回も同じだった。酔いと言語は違う頭の部分を使うのか?

2024年6月8日(土曜日)曇り
絵画の編集をしていて思うのは、現場で絵を見て理解するには限られた数しか鑑賞できない。(ざっと見ていいなぁと言うのではなくて)僕のように写真を写して家で鑑賞するにはじっくりと見られる、その代わりホンモノの色とか大きさとかの実在感がない。さて、どっちが正しい鑑賞だろう?
もう一つは、撮影に関して。日本の美術館は絵画展の場合全てダメ、メモさえもボールペンでは注意される。なぜだろう。同じ絵は海外の美術館に行くと撮影し放題なのに不思議だ。(もう行かねいけど)

午後は昔勤めたC社のOBテレビ会議があった。皆昔のことを語るのが好きだ。美化された自慢話。語るほうは自己陶酔で気持ちがいい。定年後人生は2つの生き方がある、昔話に頼って生きるのと、現在を生きるのと。白黒の分類は必ずしも正鵠を得ているとはいえないのだが、僕は久しぶりに会う人には「あなたはどっち派」と決めつけている。

草引きと草刈りで午後は過ぎていった。昨年と比べると、3月~6月末の累計では、7日ほど昨年が多いが、今年分は6/8までなので、多分上回る。昨年あった文旦の畑がないから、サトウキビの草刈りは頻度が高い。それだけサトウキビは成長余録があるが、株が年々弱っているのを加味すれば±でマイナスかな?まぁ気の抜けない戦いが9月まで続く。

2024年6月7日(金曜日)晴れ
村の家清掃の日、10時前に終えて帰宅し、昼までドリスデン美術館の編集。午後の英語の勉強はお休みし、柿の木の下草刈り、家の前の東側のサトウキビ畑の草刈り。週末は雨で一日中作業ができなくなるから。前回の草刈りの時はセイタカアワダチソウが一面を覆っていたが、今回は「昔姫よもぎ」が全面展開。これも放置すれば3m以上高くなって、そうなると茎は草刈り機で飛ばすことができなくなる。また、10cmくらいの時に草刈り機で飛ばすと、そこから枝分かれして大量の茎が出て来る。そして元の茎は直径が5mmくらいに成長している、これを繰り返すと、茎が1cmくらいになって、草刈り機の紐を切断するようになる。大変厄介な草だ。除草剤もあまり効かない。幼少のころ根から抜くしかない、握力不足で茎が折れるからペンチを使う。
そしてコセンダグサも顔を出してきた。多分次回はこれがメインだろう。だが後1ヶ月もすれば、サトウキビの勢力が増し栄養を吸うから、雑草の勢いが減って来る。さて、今年はどっちが強いのだろう。温暖化の影響で今年は4月以降ずっと雨が降っている。雨量が多いと草が勝つのだが。

午後4時半に終えてお惣菜を買いに行った。食事の後、ワインを飲みながらテレビを見た。ルノワールの絵画の変遷についての録画番組。こんな紹介を受ければ、画家の苦悩と作品がより深く味わえる。ルノワール作品は、メトロポリタンと大塚美術館でかなり揃っているので、後で鑑賞できるから嬉しい。

昼間できなかった英語の勉強を酔った頭で始めた、ちょうど今回は4択のクイズ。酔わなくても3問しか当たらないが、今回も同じだった。酔いと言語は違う頭の部分を使うのか?

2024年6月6日(木曜日)曇り
村の家清掃の日、10時過ぎに終えてかっぱ市場を覗き、沖の田の草を確認。もう草が伸びている。
昼食後仮眠し、トラクターで沖の田を叩く、更に柿の下草を刈ろうと時計を見れば、5時だった。きまさごのサトウキビの植え付けに水をやって風呂を焚いた。

墓には大きな竹が倒れてきているから整理しなければならないが、手が回らない。サトウキビ畑の草も引かなきゃならない、畝もあげなきゃ、明後日は雨だと言うからそれまでに。

NHKで新潟県の集落の古民家を再生するカールさんが放映された、今回は2024年春版。田舎暮らしの素晴らしさを放映している。先日帰省した娘が言ったように、緑をいっぱい見られて目が心地良かった。それは確かにある。しかし田舎では隠れた日常の手入れは大変だ。それは放映されないけど。

2024年6月5日(水曜日)晴れ
空腹で目覚めた。9時間寝た。十分だ。英語の勉強を振り出しにいつもの生活に戻った。妙にしっくり収まる。ドレスデンの美術館アルテ・マイスター絵画館の編集は頑張って1時間に6枚程度。美術館も訴求しているが、ここの絵画はでかい。壁一面に掲載しているようなものもあり、しかもコレでもかと言うほど詰めて掲載してある。それでかなり撮り忘れがあるし、余りにも上方の絵画は照明の反射でなんともならないからパスしている。多分重要度が低いから上方に掲載していると勝手に判断しているが。一回旅行すれば、その編集に一年程要する。果たしてそれが良いのかどうか?疑問もある。
これまで収集した美術館は、メトロポリタン(米)、ウーフィッツ(伊)、ブレラ絵画館(伊)、トリノ王宮美術館(伊)、大塚美術館、プラハ国立美術館、ウィーン美術史美術館、アルベティーナ美術館(墺)で絵画も溜まった。
これからはロンドン、パリ、マドリード、アムステルダムが残されている。音楽とのセットで訪問できる地。

自分の体は何ともないが、今日電話いただいた田村のおばさんは起き上がれないと言う(用件は菊の剪定についてだったが)だから、いつか動けなくなるのが前提にあって、妙に先行きが暗い。気から病を引き起こしそうだし、絵画の旅も不安だ。

2024年6月4日(火曜日)晴れ
昨晩セットしたつもりのパン焼き器はスイッチの押し忘れで食できず、娘にはジャガイモ炒め、目玉焼き、味噌汁など定番の組み合わせにならないものを提供した。息子も娘も何でも食べるので、この辺りについては問題なし。

娘は帰る準備をして9時過ぎに出かけた。室戸岬の魚づくしコースも考えていたが、飛行機の出発時間ギリギリで断念し、須崎に変更。途中香南市の「アジサイ街道」に寄って撮影。今が旬。ここはあまり手入れされてなく、蜘蛛の巣でいっぱい、撮影には花弁についた蜘蛛の巣を取り払いながら進めたので結構時間を食った。その間娘は全行程を行ってきたと言う(多分1200m)

それから一路須崎市に向かって11:45着。魚屋さん「漁貴」は一杯だった。「全部あり定食」を注文。2つのお膳に乗って提供された。量が多かったが少量の小鉢だったので、腹がごまかされた。刺身は極上、お醤油もうまかった。このお醤油は買って帰ろう、製造元に電話をすれば、ウチでも売っていますと言う。もちろん須崎市。ここから車で8分。女将さんが出てきたので写真を撮影させてもらった。みんなに勧めたい。

ここから空港まで一直線で帰ったら、丁度出発1時間前だった。計画通りだ。娘を見送りプールへ行った。腹がパンパンで屈むことができない程だ。2km1時間。やっと腹がこなれたが疲れ果てた。帰ったら5時だったが、そのまま布団に潜り込んだら20時に目が覚めた。疲れも取れた。シャワーを浴びて鯵の唐揚げをつまみに赤ワインを呑んだ。

子供が小さい頃は、僕は仕事で遊んでやれなかったが、定年になって時間ができたので遊ぶことができるようになった。彼等二人は僕と興味が似ているので、違和感なく遊びに行くことができる。問題は僕が後どれ位対応出来るかだ。次回は11月博多にみんなで行くつもり。博多も魚の旅になるだろう。

2024年6月3日(月曜日)晴れ
明け方放射冷却で冷え込んだ。娘の寝具は冬のままでちょっと厚いかなと思っていたが、ちょうどだったと言う。高知は昼暑く朝は寒い。
8時過ぎ松山に向かって出かけた。行きは高速道路で向かう。芸西村から松山までほぼ高速道路が通じている。2時間20分の旅程(グーグルマップ)。だがこの車は30年超の古いもので根引峠(高知側)の坂道(高速道路になっても6%の勾配)は時速70kmが限界、もっともっと制限速度は90kmだ。

道後温泉は耐震工事中だった。通常の入り口と閉鎖され、反対側から入った。お湯は肌触りが良く最高だった。銭湯のように熱すぎることもなく快適。我慢して入ったが10分程度。出入りを繰り返しても20分が限界。でも何も考えることなく呆然としていられる、浴場は地下で風景を楽しめることはないが、記念にはなる。

出ると丁度12時。カラクリ時計を見て、その前にあった「おくら」さんに入って、六角精児が注文した「鯛めし」をお願いした。テレビではぶらりと入った店だが、店のかみさんによれば、事前に取材の申し込みがあったとのこと。

僕ら大阪人は鯛めしと言えば道頓堀「銀平」の鯛めしが脳裏にあって、小さな釜で炊いたご飯の上に鯛が鎮座していた。その骨を丁寧にとって、下のご飯と混ぜて頂く。鯛の出汁の効いた炊き込みご飯、それが「銀平の鯛めし」だった。

ところが、宇和島名物鯛めしとは、鯛の刺身を蕎麦つゆと生卵に絡めてご飯の上に乗せて頂くもので、全くイメージが違った。まぁどちらとも美味いので問題はない。見た感じ量が少ないようだったが、食べきると満腹だった。

次に松山城。ロープウェイではなくリフトで上がった。上は広大な敷地で散策するには結構な距離がある。気温は今が上限でこれ以上になれば、厳しいだろう。天守閣にも登った。登る前に「これから先に手洗いは無い」看板。それは問題ないが、では当時の厠や台所、寝場所はどうなっていたのだろう?城の案内は戦さの防御ばかりで、そこには一切触れてなかった。
観光客は中国人が多かった、なぜ中国人かとわかるかって?「携帯電話を、棒の先に取り付けて撮影している」「撮影している人の前に割り込んで撮影する」から。

コックでひねればみかんジュース、コックに惹かれて娘はジュースを飲む。おいしかったという。下りは徒歩。そんなに長くはない。帰りは国道33号線。久万高原を超えると国道は高速道路なる。平均速度が70kmくらいでぶっ飛ばす。越知町までの40km区間。

高知市に入って川村食堂でカツオの一本刺定食。松山と高知の戦いだが、娘は鯛めしに軍配を上げた。帰りにスーパーによってアンコの入ったロールケーキ半分長を買ったが、娘はそれを全部平らげてしまった。

2024年6月2日(日曜日)晴れ
午前中は日常の定番。昼時に息子が帰ってきた。「ひろめ市場」で食事をしようと伝えておいたが、姉を説得し家で食べる事にしたという。
冷蔵庫の余り物で息子の昼飯を作り、暫くしてから空港に迎えに出かけた。空港の到着ロビーでは液晶テレビ4台で滑走路を映していたが、出迎え者は飛行機が左から、或いは右から来るのか不明で、しかも両側端の2台は、2秒に一枚程度のシャッター速度のカメラでカクカクと映し出されていた。毎秒1/30のカメラに変えてどれだけコスト高になるのだろう?程度の低い見世物だった。もう一歩踏み込めば最良の見世物になるのに。

それとプロペラ機でもボーディングブリッジが使えるようになっていた。使えなかったは規制の問題か?それともアイディア不足か?

帰りスーパーで買い物をし、安芸市の「寺尾」でカツオを買おうと訪問するも休み。残念。帰って風呂を焚き、夕食を献立た。
焼肉と、「ストウブで作る彩り野菜」(こちらは初めての挑戦、ブイヤベースみたいなもの)、それと、カツオの生節にネギ、大根、大葉、ニンニクを薬味に、擬似タタキ。

相当量を作った、娘の給餌で焼肉が開始されたが、僕には肉があまり巡って来なく殆ど彼らが食べたが、全部食べきったのには驚いた。
僕の日常は孤食だし、たまに他の人と食べる時でも周りは老人ばかりで、食が少ない。やっぱり若者は違うなぁと感心。それでも彼らは肥満ではない。それを見て自分の老化を思い知った。

息子は列車で高知に帰るので近くの駅に送って行った。
明日の行動は大塚美術館だったが、休みで、道後温泉に変更。六角精児が松山で食べた鯛めしの店(おとら)を予約し、一応美術館休日の償いが出来た。


2024年6月1日(土曜日)晴れ
娘が帰ってくるので、布団を干して部屋を掃除した。他にも晴れ間が続くので雑用が続く、運動公園の草に除草剤散布、カメムシの防虫に消毒。シャワーを浴び服を洗濯機に放り込んで、海岸に埋めたサトウキビの種をきまさごに移植。竹切り。それで時間切れ。明日から3日間何にもできなくなるから。

冷蔵庫の整理に昨晩残り物を食べたら、何れかが悪かったのか、夜中腹具合が悪く、午前中は吐き気がした。午後からは持ち直したものの一日中不快感があった。食べ物には注意しているはずだが落とし穴があるのは、そこに気がないからか?

滋賀の友人に手紙の返事を書かなければならない。手紙の主はドレスデン美術館の美術館絵画のPDF。頑張って作業を進めているが1日進められるのは3枚~5枚程度。せめて100枚くらいはと時間があれば作業している。

2024年5月31日(金曜日)雨
5月は芸西村カウントで8日間も雨が降った。野菜も高騰している。ナス、ピーマンの価格は高値安定だ。芸西村が裕福に慣ればそれだけ安全度が増す。こちらにきている外国人はみんな会釈をする。ありがたいことだ。サトウキビの出来具合は未だ不明。太陽光が不足しているのはわかっているが。

今日は村の家の仕事。「ペガサスの個室」の掃除もあって十一時前まで時間を取られた。帰りにかっぱ市場に寄って、旅行の代金を払った。7月25日、高松と徳島の道の駅を訪ねる旅行の募集があって申し込みをしておいた。総勢72名の参加。娯楽といえばそう、しかし各地の農産物を見て周り珍しいものがあれば栽培してみようか?と思わせる視察も兼ねているのだ。昼飯は徳島のホテルでバイキング。徳島のレストランは美味しくないので有名。さて今回は?

昼からも雨だったので、ゆっくりと英語の勉強を始めた。「ニュースで英会話」の番組はそのまま流し見、が一番あっている感じだ。25分の拘束時間。

夕刻5時に雨が上がった、今日の運動分が不足するので、海岸に行って30分歩き、帰りは走った。砂浜なのでいい運動になった。コレからプールへ行けない時はコレで間に合わせるとするか。

旅行記は、ドレスデンの美術館の所から抜け出せてない。残り300点程の作品があるので7月中旬までかかりそうだ。作品には解説文のパネルがあって、読むだけでも時間がかかるのに、解説文の理解にはもっと時間がかかる(絵はコントラストが不足し見えない部分もあるため)、まぁそれで絵の理解が進むけど。夜の音楽はない。

2024年5月30日(木曜日)晴れ
西上の畑で作業をしていると波の音が届いてきた。丁度台風が通過している時刻だったからか。
今の時期窓を開けている人が多いから海岸沿いに住んでいる人たちは塩害があるだろうな。

ニュースで英会話の番組は結構程度が高く、やり方について少し考える余地がある。今日はパスして英訳の方に当てた。訳をしている「エアーフレーム」は航空機の事故を扱った物語で、かなり語彙の多い英辞書を使っても、飛行機部品の名前はヒットしない。WEBで近い単語を見つけ、画像に切り替えて、機体の部位を特定し、やっと文中での意味を理解する。本書は娯楽の書籍だが、マイケル・クライントンのこだわりが英訳のハードルを上げる。物語の展開が早いので、時間を忘れて没頭してしまう。

夜の音楽はLDでオペラ「ウーゼック」。本物のオペラは音の鮮度が低いが、このLDは音の抜けが良く、気持ちよく聴ける。これだからLDは手放せない。DVDも発売されているだろうが、こちらは圧縮音声なので音質が劣化しているはず。物語は短編で構成されてよくわからない、後でくっつくのだろうか?指揮は若いクラウディオ・アバド、楽譜を見ないで指揮。


2024年5月29日(水曜日)晴れ
昨晩早く寝たから午前4時半に起床、PCで旅行記を書く、昨晩は部屋が暑くて弱い冷房を入れたが、今朝は寒くて我慢できず弱い暖房を入れた。気温の変化に体がついて行かない。

英会話定番レシピ(録画)をやっと見終えた。この番組は終了した。それで、次のテーマは「ニュースで英会話」こちらはずっと前に終了しているが録画してあり、コレから見ていく。テキストがないので、画面に表示される英文をスマホのOCRで読み取り、テキストデータ化し、ワードに貼り付けて訳しながら、テレビの解説を見る。結構本文が長いので1本を2回に分けて聞くことになると思う。

西上の畑の柵の支柱を交換している。もう少しで終わる。コレが終了すれば、次はこの畑に覆ってきている竹や雑木を切って日照権の確保だ。持ち主が放置されているのでものすごく雑木が繁茂しているが1日の作業で終えるだろう。

夜は、クレンペラー指揮モーツァルト交響曲41番。第4楽章はクレンペラーにしては随分と急いでいる。4楽章は疾走感のある曲だとされていて、「ハルくんの音楽日記」によるとクレンペラー盤はこれでも遅い方だと記されている。オケはウィンフィルなのでこの程度の速度では不安のフの字も出てこない安定した演奏。
この曲は直ぐに終わるので、続けてマーラー交響曲4番。指揮者/楽団は同じ。マーラーはダイナミックな部がある反面、多くの部分は旋律を楽しむ静かな曲で、割と静かな環境で一音一音拾ってゆく聴き方がポイント。そしてウインフィルは丁寧に演奏する。
このアルバムは全般的に音が良くないので、真剣に聞かないと、ただの駄文を流し読みしている感じになる。そして集中力がなくなると布団に潜る。


2024年5月28日(火曜日)雨
勘違い。今日の大雨、強い風、台風だからこんなもんだと思っていたら、今回は前線と低気圧の仕業で、台風1号は週末に、もう一度同じ様なのがくる訳。今日は村の家の仕事。駐車場から村の家まで少しの距離だが随分濡れた。そして作業中の9時半頃最も強くなって横殴りの雨、海岸の松の木が見えなくなっていた。コレは30mm/1時間以上の雨の目安。帰る時雨は弱くなっていた、和食川を渡る橋で見ると茶色く濁った水が量を増して流れていた。

帰って少し寝て、PCで写真編集。RAW編集ソフト「シルキーピックス」は奥が深く、やっと精細感を上げるアイコンボタンを見つけた。それまではコントラストとか色強調を同時に行う「硬調」ボタンを使い、その後パワーポイントで「精細感を高める補正」を行なっていた。この編集を始めた頃からすれば、かなり画調が変わってきている(それは僕の成長具合に同期する感じ)

食事後にプールに出かけた。流石にこの雨風ではお客様は少なく気持ちよく泳げた。無理をせず2500m1時間半。体が軽くなって自ら上がった。

プールで汗を流したので今日は風呂を焚かなかった。お湯に浸かれば身体の脂成分が抜けると肌が乾いて痒くなるから。まったくの老人。
いつもより強い睡魔。このまま眠れば、何が起きても起きないだろうなと布団に潜り込んだが、芸西村役場の午後9時時報では目覚めた。それでもずいぶん寝た感じだった。又直ぐ眠りに落ちたけど。
近頃の楽しみは眠る事で、もう直ぐ永年の眠りにつけられる。


2024年5月27日(月曜日)曇り
気象庁の台風に関する発表で、「宮崎県や鹿児島県は線状降水帯が発生すると、予報よりも雨量が増える可能性があるのでご注意下さい」
そんなの僕だって言えるよ!5W1Hを言わんかい。それが無理なら、何時だったら発表できると予測を伝えるべきだろう。それが報道であり、専門家だ。

親類のおじさんの定期検診、僕もついでに先日のポリープの検査結果を聞くことにした。右下腹部の痛みは依然として残る、先生曰くガスが溜まった時の痛みだろう。水分を多く取りなさい。整腸の薬はどうするか?僕は不要と答えた。薬は飲み慣れてないから忘れて飲んだり飲まなかったりするから、薬の効果が測定できないため。

帰る時病院を回っておじさんを乗せようとすると、通行規制の道路だったらしくパトカーに捕まって7000円。昨年の7月にも一方通行で捕まって災難続きだ。もう老人だから見落としもあるのだろう。これから次第に増えるだろう。

帰って西上の柵作りを完成させた。残りは竹の支柱交換をすればこの畑は終わる。その間に沖の田の草対策。もう直ぐ楽になる。

久しぶりに夜の音楽、聞きながら日記を書き込んでいるとiPadの上にノミが落ちてきた。毎年苦しめられている。発生源がわからない。風呂の廊下にネズミが出没するのと同じ。コレがなければ快適なんだが。

2024年5月26日(日曜日)曇り
今日も、求くんのナス手伝い。昨日購入した防災面の幅広版は実に都合よく、ナスのヒゲや花粉はシャットアウトで視界良好。2/3位収穫したところで、求くんが応援に入り昼前に終えた。昼前に作業を終えると妙にうしろめたい気になると漏らした。日頃は飯も食わず2時3時だ。身体に無理が行く。

帰って、カメムシの消毒。これで2回目。それでも未だ残っている。諦めない、何度でも消毒する。農業は細く長くが基本。やっていればいずれ穴が開く。

「技術革新と不平等の1000年史/ダロン・アセモグル」を読み始めた。富の2極化がテーマで、テクノロジーはいつも富を少数にもたらし、大勢は不利益と言うか減配を被っているのを、色んな事例や、考え方で切る。そうならない対策はテクノロジーは技術面よりも、その効果を何処に見出すか代表者の「選択肢」。
そしていよいよ佳境のAIに入っていく。AIの未来は更に富の集中化?とりあえずここまで読んだ。未来はちょっとやばいぞ、と感想を持った。既にM7に富が集まっている。エヌビディアの株価は1000ドルを突破しているし。

夕食後妙にやる気が失せ、NHK「街歩き、ウィーン」を見た。(普通ウィーンは「ビエナ」と呼ばる)自分の歩いた街を映像で見ると懐かしい。この番組は偶然を装っているが綿密にロケハンを行なって仕組まれた映像。個人旅行はそうは行かない。それを差し引いてもカメラアングルは参考になる。番組を見てウィーンでの失敗が判明。ここはワインを飲むべきだった。オーストリアは個人あたり世界ビール消費量2位だったのでビールが有名だろうと誤解をしてた。行き当たりばったりの旅だから仕方ない。
2024年5月25日(土曜日)晴れ
今日は、求君のナス手伝い。豊作で午前6:15作業開始終了14:40ノンストップ。暑くて結構キツイ、ゴーグルとマスクの装備は、汗でゴーグルが曇り見にくい。それで藤原産業の「防災面」を被った。コレは顔を覆う透明なクリアシールドがあるタイプ(正しくメンだ)。それで作業したが、一回のみ棘が目の中に入ったが、今回は持ち堪えた。結構快適に収穫ができた。ナスは最高の豊作だった。

作業が終わり、その足で安芸市のワークウエーに行って、このクリアシールドのもう一回り大きなシールドを購入した。コレならほぼ顔全面を横からも覆うので大丈夫だろう。

帰って、昨日のカメムシの襲来対策。庭のヒギリだけでなく、植木にも、観賞用梅にもたくさんのカメムシがいるのを見て、背負う噴霧器では対応しきれないと、動噴を準備して100リットル散布した。雨が降るごとくカメムシが落下してくる。地面は草を覆い尽くすカメムシの山となった。

夜、激しい腹痛。加熱料理しか食ってないぞ、何が原因?暑さ負けが一番濃厚。

2024年5月24日(金曜日)曇り
西上の畑の柵補強と、施しをしてないサトウキビに新設の柵を作った。昨年植えた種は全滅で、タネ様に取っておいたサトウキビを、今年は収穫に回すため、柵を作ることにした。又、昨年植えた捏芋(ツクネ)は放っておいたら又芽が出てきて、今年は大事に世話して収穫しようと、周りの草を抜いた。今日は随分と進んだ感じで、おそらく今月中にはこの畑の補修は完了するだろう。その代わりと言ってはおかしいが。

娘が突然帰省する。彼らはいつも突然だ。僕が分刻みのスケジュールで生きていることを知らない。村の家の仕事はお断りのメールを送った。返す刀で室戸在住のO子にメールを送り美味しい魚の店を紹介してもらった。コレと大塚美術館で2日は埋まる。もう1日は柏島か?
息子が休めるなら室戸は3人で行けるのだが。

庭のヒギリが急速に枯れ始めた。よく見ればカメムシがこびりついている。大変。アルバリンで消毒をしたが、半分程度が落ちただけ、夕刻門の街灯が暗くなる程飛来し、僕の部屋の窓も埋め尽くされた。ヒッチコックの「鳥」みたい。

2024年5月23日(木曜日)雨のち曇り
村の家掃除の日。今日は村の家のレストランの窓を洗うつもりだったが、昼食にかかるとマズイからと延期。

帰って英語を勉強してから畑仕事。昨日から別の畑で、倒れた柵の補修をしている。2列のサトウキビだから簡易版で済ませていたが、大きく成長したサトウキビが風に煽られて柵に寄りかかった。1本3kg260本が少しだけ動いても大きな力で、簡易版の柵を壊した。今回は支柱毎つっかい棒を立て、交差する柵の枠には2本間隔でビス留め。かなり頑丈になったから今年は大丈夫と太鼓判を押した。

夕刻は財産区メンバーと議員さん、部落長さんとの懇親会。資金は豊かだから食べ物と酒は豊富。僕は知らない住民との懇親会は苦手だが、今夜はうまく言った。特に興奮したのは大手農家のトラクターはGPSを装備し、耕す時音声で案内ガイドがあるらしい、しかし、先日の太陽のコロナの異常によって磁場が乱れ、案内ガイドが役に立たなかった話は興奮しましたね。また、村の一番西地区出身の議員さんは、津波のことについて教えてくれた。土佐湾の湾曲は、室戸岬と、足摺岬との間で、津波が折り返し増幅された場合、開けた芸西村の海岸でも大きな波が押し寄せる可能性があると言われた。此方も興味深く聞き尽くせなかった。
という事で相当呑んだが、あまり酔わなかった。

5月22日(水曜日)晴れ
きまさご(一番奥の畑)の草刈り、前回からは20日目で草の成長は少ないので刈るには楽。補植のサトウキビに水やり。

夜はドイツ、「ドレスデン美術館アルテ・マイスターの絵画編集」約300点。ラファエロやフィルメールもある。G9Proで撮影、ここは手ブレが心配でISOを1600に上げて撮影している(それまではISO800だった)
それで一気に輝きの様な鮮度感が低下しJPEGは使えず、RAWから現像するため手間がかかる様になった。それでフォーサーズはISO800迄が限界だと知ったし、LUMIXは暗い所に弱い定評は生きていると知った。偏向フィルターを装着しているので、条件が悪くなっているのもあるが。

対策として、撮影距離の問題があるが、24mmのf1.4のレンズを使う。これならISO400でも1/20のシャッターが切れる。
もう一つは、重いがキャノンR5を持ち出し15-35mmf2.8を装着する。キャノンならISO3200でも問題ないだろう。
2度と行かない美術館なので、この機会にうまく収めたい気持ちは高い。知人に頼んで、来年発売されるNewカメラを購入する手もあるが、2025年の旅行には間に合わない。

2024年5月21日(火曜日)晴れ
久しぶりにテクニクスの仕事。前にボランティアのつもりと書いたが、これでは請負の代理店に手数料が入らず迷惑がかかる。それで請求をする事にした。
午後3時半に終わって、帰り道にあるプールで泳いだら、2km1時間半。疲れもあって速度が出てなかった。
今回古いライトバンを使った、ステレオはアルパイン。CDは使えなくなっているので、FMのみだが、15分程度で音が良くなる。車の騒音が大きくクラシック番組は無理だが、ポップスならかなりいい低音が出る。今の、車の音質はどうだろう?。カーオーディオはテレビ音声の再生のような位置づけで、音楽再生を吟味してないのでは?と思ったりするがどうだろう。

疲れて帰れば午後6時。アサリの味噌汁とご飯。気の抜けたワイン(封を切ったばかりですが)イランのヘリコプター事故とネタニヤフ氏の有罪を見ながら。どちらも一刀両断、快刀乱麻の評論出すのは難しいと思った。新聞記事のように、「今後の動向が注目される」ような人ごと、の様な感想。

もう一つマイクロソフト社がエッジAIパソコンを6月27日に発売するとの記事。老後に向けてお金は節約したいが、これは投資として購入しかないだろう。避けて通るには僕のプライドが許さない。例え希望のカメラが買えなくても此方は最優先だ。iPhone「16」もAI搭載となれば手を出さざるを得ないだろう。本来なら第二陣がこなれている頃が買い時だろうが、いきなりこなれた高度な機器はもう使えないかも知れない。ToDoリストの買い物コーナーでも列が長い。

2024年5月20日(月曜日)曇り
予定はない。自由な1日。とは言え、目前に迫ったToDoリストは山積している。頭を悩ます問題はネズミ。風呂に通じる廊下にネズミが出没し糞を撒き散らす。どこかに進入路が有るはずだが、パテで塗りつぶしても解決できない。何をすれば良いのだろう?
美味しいミカンの木が枯れ倒れた、ロープで2箇所控えたが、その隙を狙って先日の大風で2方向は反対の方向に倒れた。敵もあっぱれロープは3方向にすべきだった。2方向は他のミカンの木から引っ張れたが、今回は杭を打っての作業が必要だ。
サトウキビは欠株が目立ち、あちこちの畑で自生しているサトウキビをその欠株後に移植しなければならないが、既に大きな株となっているので作業が大変。
ラジオ英会話の勉強日程を過去一年間調べてみれば、平均22日は頑張っている。英訳は30000語。何かをすれば、それだけ時間が減って勉強に当てられない。だが今年は文旦のお世話を切って負担が軽いはずだが、どうもそうはいかない。映画は「0」の月が多いのに。つまり、ジワジワと老化が進み、処理が遅くなっている。意欲はあるが、実績が付いてこない。

しかも今日なんか、草刈りだけだったが、疲れ果てて夜は8時半から就寝だ。かと言って朝が早いかと言えば6時くらい。活動時間が減っているのもある。

2024年5月19日(日曜日)雨
村の家の清掃の日。今日は少しだけ手抜きをして11時前には終えた(僕の基準の手抜きであり、宿泊施設が求める仕上げ以上は確保しているつもりです)。
雨はしっかり降り続いていて、これなら安心(師匠も仕事はしないだろう)。師匠の家に伺い、サトウキビの苗を軽トラに積み込む。日高村に向かった。K子が作付け面積を拡大するので持参。師匠もこの近くに友人がいるとのことで、一緒に畑を見てもらった。肥料が効きすぎている。土が黒いし、柔らかい。当面はサトウキビで肥料を吸い上げて、その内に落ち着くと分析。
僕は畑を掘って苗を埋めた。あとはK子が時間を調整した植え付けるはず。

その後、道の駅でオムライス定食。日高村はオムライスで有名、あちこち7箇所あってスタンプラリーがある。つまり7箇所も喫茶店&食堂があるのだ。人口は芸西村より1000人多い程度だが、此方は頑張りがある。活気がある。芸西村は温暖な気候でビニールハウスが多く裕福だが、必死感がない。数十億のふるさと納税もあるからかな。

食材を買って帰り風呂を焚く。今日は掃除と畑を掘ったのと2つの運動だけだったが、疲れ果て8時半に就寝。

2024年5月18日(土曜日)晴れ
村の家清掃の日。頻繁に駆り出されるとこれを日常の中に取り込まなければならない。英語はやめるわけにいかず、帰ってラジオ英会話のみ。夕刻風呂から上がって翻訳。これが長引けば音楽はなし。昨年の農業日誌では、ピーマン収穫のお手伝いがあったが、英語はお休みし、自分の農作業に当てたから何とか回った。
11時に帰宅し少しだけ爆睡。食事の後英会話。報酬は無いけど久しぶりにテクニクスの仕事がやって来た。七夕みたいな感じ。村の家の仕事をお断りして、そちらに駆けつける事を約束した。
僕の予算は来年の旅行にフジのカメラを購入するつもりなので、オーディオ機器には回せない。テクニクの製品陣容にも興味はあるが、暫くはお休みだ。

「武器化するアメリカ経済/ヘンリー・ファレル」を読み始めた。先に読んだ「半導体戦争/クリス・ミラー」と組み合わせると、今の円安構造が少しだけ見えてくる。短期の視点では無いが、長期の視点ではという意味。
一言で言えば、今の経済は半導体と、情報がその中心にあって、全てはアメリカを通過しなければ成り立たない「構造」になっているという事。
僕は「解を得る」ために高度な選択でこの書籍を購入したわけではなく、たまたま話題の書籍を開けば2つが繋がっていたとお粗末な理由。新聞は短期でその場限りの言いたい放題だが、書籍は見通せる強みがあると思った。

2024年5月17日(金曜日)晴れ
村の家清掃の日。今月後半のスケジュールを渡された。ほぼ2日に1日の割合で仕事が組まれている。ホテルの歯車になった。宿泊施設は大きくても小さくても、サプライチェーンによって成り立っている。この村の施設も同じだ。見ているといろんな業者が出入りしている。芸西村近辺にこれだけの業者があったのかと驚く。そして従業者も出入りの人たちも決められた仕事を黙々とこなす。ルートセールスは不要だから挨拶も季節の時候も関係ない。僕のようなルートセールス経験者はそれが妙に不思議な光景に映った。
僕も兎に角黙々と仕事を仕上げ定刻の11時前には退散した。

帰ると滋賀の友人からの手紙とCD。パソコンで文字を打つのも右手が痛く厳しくなっていると近況報告。僕の送ったプラハ美術館の絵画写真に水平が取れていて、解説も付与されているのを褒めて下さった。チャットGTPでテキスト翻訳しているので、大塚美術館の日本人の解説(前に送った)とは違った視点の記述で喜んで下さった。
今はドレスデンのアルテ・マイスター美術館を着手した。こちらはドイツ語からの翻訳。プラハの美術館とは違った監修の文章表現。800点中半分位は撮影しているのでかなり楽しめるはず。


2024年5月16日(木曜日)晴れ
風が強くて寒い。昨晩も22時から朝まで一直線。それ迄にもテレビを見ながら寝ていたから2度寝。よく眠れている。どんなに寝ても午前中1回はうたた寝する。時間は短いがぐっすり眠り目覚めた時、ここは何処、今は朝?夜?よくワカラナイ。昼の作業している時は疲れを感じないが、夜、風呂から上がるとぐったりなのが、眠れる理由か。

栃木県や長野県でベトナム人が人里離れた一人暮らしのお年寄りを狙った強盗を働いている記事。芸西村にもベトナム人が多くいる。昨年は泥棒で捕まった事がある。ここも狙われたらそれまでだ。被害者の条件に合致する。一応獣対策に「サス」と呼ばれる先の尖った棒をあちこちに置いてある。相手は二人だとすれば、全く歯が立たないだろうな。それに朝まで一直線の眠りで眠りも深い、強盗が来たのもわからない可能性がある。

朝星夜星/朝井まかてを読み終えた。後半は親兄弟息子が次々と死んで行く、文章の半分以降は親兄弟それぞれの人格を扱った構成で感情移入をしているから、後半に時間を一気に縮めて次々と逝かす手法はなかなかうまい構成で涙を誘う。江戸~明治時代を駆け抜けた壮絶な生き方。坂本龍馬の格言も記述してある。「事半ばで倒れるのが人生」。この時代は過酷な人生を送る人が多く、それだけ歴史を動かすエネルギーを発散したのだろう(現代と比べれば)。結構内容の深い本だった。読書のため夜の音楽はない。



2024年5月15日(水曜日)曇り
よくわからない経済。高知県はカツオの消費量日本一。新聞でもテレビでもそう報道する。東京豊洲のさかな市場での価格は、宮城、鹿児島出荷が多く、高知県の出荷がこの市場の指標になることはないのに。
何を持って日本一と言うのか。「一人当たりの消費量」である。東京での水揚げがないのに不思議だなぁと思っていた。調べると全国で9000世帯の調査。独身は除く。これだ。しかも2017年が最新。まだ、AIもないし、5Gもない平成安倍政権の時代である。単純に割ると1都道府県あたり190人(芸西村の西分の集落程度の人口)。不正確な情報の報道だと思う。今では最上位5社のスーパーPOSとか、全国市場の水揚げ魚種とか、入手できるはず。兎に角分母を大きくしない限り正確さは出てこないと思うのだが。

9時間も寝たがまだ覚醒しないが、布団からは出なきゃ行けない、鞭打って起きる。午前中英語、昼から砂糖の出荷。親類のおばさんから「愛媛の娘が帰って来てお砂糖が欲しいと!」こちらにも届けた。税務署には届けない売り上げだ。

午後の作業はサトウキビ畑の柵の支柱交換、これを終えて、その上の畑の草刈り。もう少しのところで時間が来た。村の家から連絡があり、出勤日変更。明日も休みだ。嬉しいから祝杯をあげたらたちまち眠くなってダウン。

2024年5月14日(火曜日)晴れ
よくわからない経済の仕組み。グーグルとメタの利益は主に広告にある。この2社で一年間の純利益(23/6-24/3)は、19兆8000億円(155円/$)にも達する。単純に考えると、世界の企業はせっせと利益をこの2社に貢いでいるのだろう?他の企業は他にテレビや新聞にも広告を出すから、一体広告費はどれだけ出費しているのだろう?それでもうまいこと世の中は回っている。

今日は「村の家」清掃の日。ところが昨日竹刈りだけなのに疲れで動きが緩慢、真っ直ぐにも歩けなかった。いつの疲れが出ているのだろう?動き出すとなんとかなって、清掃の仕事は10時過ぎに終えた。

帰ると疲れが出て爆睡。昼飯を食って再び爆睡。体はだるいがこのまま寝ていてはまずいだろう。サトウキビ畑で柵を支える竹の交換作業を残りの時間で行った。この畑は明日完了するはず。アマゾンから除草剤や油指しが届いたので、ドングリの木に除草剤を注入した。これで2度目の作業で少しだけ葉っぱが色付いている。


2024年5月13日(月曜日)雨午後から曇り
新聞は休みで、早々に部屋に引き上げて旅行記の編集後、英会話に突入。いつもの事だがコレをこなすと気分がいい。昼飯はパスタにカレー(前に作った冷凍もの)、「朝星夜星」朝井まかてを読む。長崎で小料理屋を営む丈吉とゆきの奮闘記。実録。物語の大筋は丈吉の接する世間に沿っている。時代は幕末~明治初期。だが視点は「ゆき」にあるのは女流作家だから仕方ない事。

女性の視点で日常を綴る、社会変動も横から見ている、中心からではなく。それが物語を深刻にせずすらすらと読める。

午後は畑に水が残り作業できず、竹刈り。半日刈るとかなり進む。竹の間から木漏れ日が来たぁ。この群生での進捗は2割程度で終了日程の予測はできない。

夜の音楽は、ショパンピアノコンチェルト/クルト・アズア指揮、すごく良い演奏、音も良かったが睡魔が酷く8時半には就寝。なんともならない日が続く。

2024年5月12日(日曜日)雨
午前中はいつもの英語、午後は、サトウキビの新芽を欠株の所に移植。雨が降っているこの時こそ行う作業だと頑張ったが、雨足が激しくなって1時間半で堪えきれず断念。雨も強くなれば体温を奪い寒くなる。もう少しで移植は終わる所だが仕方ない。弱くなったもんだ。人と接してないから、風邪を引くことはないだろうが。
昨晩の残り湯がまだ沸いていたので温もる。夕食までエアーフレームの翻訳。腰が痛くなって、しばし横になる。

昼過ぎ隣の淳子ちゃんが猪の肉を持ってきてくれた。その中にスペアリブがあったので、それをオーブンにセットし風呂に入った。
単に塩胡椒を振っただけど、美味い。肉は柔らかく歯で肉を削ぎ落として食べる。ピリッとするワインを飲んで上機嫌。

食後一眠りして、夜の音楽に臨む。ジョンレン/イマジンLP。ステレオ事業部営業4課のシールが貼ってあった。盤には田上さんの印。レコードにプチプチ音はなく極上。Appleレコード。iPhoneのAppleとは違う会社。1971年にプレスされている。あの頃僕のシステムはプレーヤー:パオニアPL40にグレースのカートリッジF8L、アンプ:サンスイAU777D、トリオTW31、6BM8自作真空管アンプ。スピーカーはパイオニアだが品名記憶なし、ただしツィーターは5HH17に変更。3wayのマルチチャンネルアンプシステムで鳴らしていた。今も当時と同じ3wayのマルチチャンネルアンプシステムだ。
しかし、このようにどっしりとした音ではなかったと思うが、あの頃は耳が良かったので、僕としてはいい音として聞いていたはずだ。

2024年5月11日(土曜日)午前中晴れ、午後曇り
「村の家」の仕事日。嫌で嫌で我慢ができない。でも、この刺激が僕の規律のない生活に刺激を与える。自分の時間が減る分だけ、他の時間は大事に使おう工夫する。一病息災みたなもんだ(意味が違うか)。
便所掃除も毎回だと段々と汚い感覚が薄れてきて、今日なんか糞がこびりついている便器が2個もあったが、丁寧に洗えた。手袋を二重にして手でも磨いた。多分これで良いのだろう。

帰って昼寝。それから英会話の勉強。午後3時からサトウキビ柵を支えている竹が腐っているのを、新規の竹と交換した。今日は時間キレで半分程度。

夕刻高知市に出かけた。砂糖を収めているレストランにお金の回収と、食事を兼ねて訪問。料理の先生をお連れした(僕がお酒を飲む為もあって)。Bコース(中間レベル)を注文したが、量が多すぎて食べるのは結構無理した。薬膳料理なので半分程度は馴染めない味だったが、滋養にいいと思うと食べるにも嫌悪感がない。白ワインを注文したが、コレは甘くて閉口。イタリアレストランならもう少しキリッとしたのが欲しかった。納めているお砂糖で作ったコーラも飲んだ。なかなかいい味だ。レストランは満杯で、高知県にも健康志向の人はいるんだと思った。

帰る途中から雨が来た。明日は雨。雨は予報より遅れている感じ。芸西村は降ってなかった。降っていると、雨音が睡魔を誘う。昨晩はひどい睡魔が襲ってきたが、今夜は少し持ち堪えている(雨のせいでもないが)。日記を振り返るといつの間にか夜がダメになってしまっている。70歳過ぎると身体はガクッと来るぞと脅かされていたが、夜の睡魔の酷さが、諸先輩の言われる「ガクッと来る」もんかもしれない、昼間は今まで通りだが。

2024年5月10日(金曜日)晴れ
明日仕事でなかったら、高知にやってきた「安達久美」を聞きに行ったが、妙に気が重くなって家で気持ちの良い音楽を聴いた方が良いと決めた。これが結局歳を重ねたという意味でしょうね。

午前中は少しだけ牧野植物園の写真の編集。牧野植物園は植物全部に名前と解説があるのに気がついた。解説はいつからだろう。絵画の編集と同じく解説パネルを撮影し、自宅で文字起こし、写真に添付した(手間がかかるが、植物園の色が濃くなる)。

午後は竹刈。少しだけ向こうが透けてきたかな。西下のサトウキビ畑は欠株が多く、補植が必要だが、明日雨の予定で、1日延ばした。気温は低いが作業は重く、丁度の体温バランスだった。

2024年5月9日(木曜日)快晴
朝方は冷え込んだ。電気毛布はメモリ5まで上げていた。あまりにもキッパリと晴れ渡ったので、買い物もあったし水泳も遠ざかっていたので、英語はお休みして朝からカメラをもってに出かけた。
先ずはプール、体の調子も良かったので3km挑戦したが2750mで心臓の調子がおかしくなってこれはマズイと切り上げた。2500mは何でもなかったが、2750mは限界を感じた。終盤速度が落ちて寒くなったのもある。そして今日1日は体の調子がおかしいままだった。

プールの後は牧野植物園で食事。「四万十鳥のオーブン焼き」不味くはないが上手くもない。食事は「モネの里マルモンタン」のレストランが格上だ。持参したカメラはオリンパスEMX1とニコン850D。これで花の写真を撮影するつもり。ニコンは手ぶれ補正が無くISO切り替えで対応するなど時代の流れを感じた。日中は何とかなるから問題なし。温室中心に撮影した。青空背景に撮影する爽快感は何ともいえまへんな。

帰って昼寝、目が覚めれば夕刻で、風呂を焚き、DIGAの録画番組のタイトル編集、アプリが見つかって(どこでもDIGA)iPadで文字入力ができるようになった(随分楽)。そうこうするうちに風呂が沸き、温まった。今日一日中寒かったので。

夜、SBM10の設定を変更した、16-12000hzの帯域を使うことにした。SB10000は端の周波数のみのみ受け持ち、すると、音楽が蘇ってきた(SBM01の個性が出て来たと見るべきか)。
先にクレンペラーのSACDを酷評したが、確認の為に聴いたベートーベンP協奏曲4番はすごく良かった、細部の音は混濁するがチェロのユニゾンとか、ピアノソロは残響が見事だった。眠いが我慢してもう一曲LPでロキシー・ミュージックの「アバロン」を再生。もうすっかり忘れ、初めて聞く音楽の様だった。歌詞カードを見るが、書いてある単語が聞き取れない(語尾に微かなトーンが乗っているかな?程度)一方で音調の気持ちよさは抜群で眠さに拍車をかけた。

2024年5月月8日(水曜日)曇り
夜中と言っても8時過ぎに寝ているので時計を見れば23時だった。再び尿管結石が動き出し痛みで目が覚めた。過去何回かは温めれば治ったので風呂に浸かる。段々と痛みが引いてきたので風呂から上がり横になったら、痛みは遠ざかりそのまま寝た。今度は寒くて目が覚めた。

午前中は英語、午後は竹刈と草引き。今日は草引きにペンチを使った。もう指の握力だけでは草が引き抜けない。特に姫昔蓬と蓬、根が深いから。ペンチでしっかり握ってゆっくり引けば上手くいく。なぜ今まで気がつかなかったんだろう。

夕食は久しぶりに夜須のお惣菜屋さん。「ニロギ」の南蛮漬け、茎わかめの煮物、ヒョウ鯛の煮付け、これにピーマンとキャベツの炒め物を自宅で追加した。

風呂の水が急に濁った。今までも大雨だと緑茶色になっていたが、今回はドロ色だ。2月には渇水だったし、普段にない井戸の振る舞いだ。明日は、少し予定を変更して地震対策をしておこう。B&Wのスピーカーは当面押し入れの中で我慢してもらおう。

夜の音楽は、ハイレゾからペトロンコ指揮ベリリンフィルのチャイコフスキー5番。何故これ程もの哀しい音楽が出来るのだろう、この曲は人生の晩年に一人ぼっちになった時聞く曲だ(と思う)。昨年コンセルトヘボウで聞いた時よりか幾分ベリリンフィルは薄められた感じだが。B&Wのスピーカーだと、表現力が高いので、哀しみは増すかもしれない。幸い?に押し入れで休眠中。代わりはSBM01、もう少し表現力を付けてもらおうと、カットオフの周波数を200-4500に変更した。幾分改善した。この日はこれで終えたが、明日は高域側を12000まで伸ばそう。そうして音楽の主要部をSBM01に持たそう。

2024年5月7日(火曜日)曇り
よく寝たが、まだ眠い、食事の後仮眠し、英語の勉強。昼食後もう一回仮眠。それでも睡魔は残ったまま。疲れが残っていのか?

午後はTおばさん宅で菊の苗貰って、畑にマルチを敷いて植えた。枝が伸びると切って挿し木し株を増やす。秋までに株を増やすことが出来るだろうか?来年は大々的に植える。その畑を整備しなければ、3つの畑の内、1箇所を当てるつもり。
それから竹刈と草刈り。西上の畑の日照権は重要だ。しかしこの竹の層は厚く簡単には済まされないし、崖に生えていて切るのも厄介だし、取り出すのも一苦労。それにもう蚊が飛んでいる。梅雨が来る6月中旬までが制限時間か。

日銀の植田氏のインタビューがあった。政策の決断が市場とずれていて馬鹿ヅラに見えて来た。思い込みフィルターで人物を見れば、思った通りにに映るのが不思議。(金利政策に口先だけで対処するつもりなのかな)

夜の音楽はショパンピアノ協奏曲。クレンペラーのSACD。僕にはどこかの帯域がカットされている様で妙に音のバランスが悪い。音質と名演が重なって音を楽しめる私としては、このBOXは安価だと買ったが安価なりの価値だった。地震が怖くてB&Wのスピーカーが押入れに入ったままで、本当の評価が下せてない面もあるが。


2024年5月6日(月曜日)雨
「村の家」掃除。一般の人は10連休だったろうが、僕は9日連続出勤だった。疲れた。いつも作業の終わりに料理人のO氏が甘いものをくれる。いつもいつも申し訳ないと思いつつ、これには結構癒される。

帰って友人に手紙。昼食時「オオカミと寝た男」を読む、動物ずきの一風変わった人であるが、観察眼は鋭い。狼の気持ちをズバリ当てての行動をしている。群の仲間に加わると、食べ物は運んで来てくれる。が、1年半くらいしか身体が持たない、何故なら人間と狼は必要栄養が違い、栄養失調になるらしい。モンゴルの狼についての録画があったのでこちらも見た。やはり、英国や、アメリカの狼と同じ習性をこの番組でも指摘していた。
雨の日にページをめくるのは落ち着くなぁ(iPadなのでフリックですが)。

それでも睡魔に勝てなく、昼寝。目がさめると、少しだけ翻訳を進めた。今日は頭の調子が良くて、よく進むし、左手がうまく動いて「我々は」(ローマ字変換)を間違いなく打てる(これ結構難しいですよ)雨も上がり、竹仮に出かけると、雨がやって来た、今日は全ての作業は中止。再び翻訳。

夜は友人を誘って飲もうとメールしたが返信なし、それで時間が余ったのでスーパーまで徒歩で買い物、濡れたが午後の運動がなかったのでエネルギーの収支は取れたはず(90分)
風呂に入ってビールを飲みなら、中井精也氏の写真(ベトナム編)を見る。実に上手い。どの写真も絵になる。僕の旅行記もこうありたいものだ。その後、疲れで8時にダウン。

2024年5月5日(日曜日)晴れ
昨晩早く寝たが、今朝も起きたのは5時。布団の上に座ったまましばらくは立ち上がれない、疲れが残っているかな。かっぱ市場に砂糖を出荷して、ローソンで滋養強壮剤ユンケルを飲んで出勤、だが効かない。

「村の家」清掃の日。今日は洗面台のじゃ口に水垢が残っている指摘があった。時間がかかりすぎると指摘があったので、かなり端折って作業をしたが、こんな落とし穴があった、中々うまくは行かない。10時半に終了。

帰って15分くらい仮眠。昼食後30分昼寝。それでも体が重い。午後3時から草刈り。補植三箇所。この畑の上に新規2列を植えたが全部腐っていて芽が出てない。これでは収穫が昨年を下回る。こちらも畝を立てなかったのが災いしたようだ。でも考えてみれば、もうあんまり無理するなと天からの意思表示だったかもしれない。ここは素直に受け入れよう。

夜が全く使えないので、店じまいを早め、寛いだのが午後7時。睡魔がやってくるまでに1時間半もゆとりがある(はず)。メンデルスゾーン交響曲3番/クレンペラーのSACD。帯域の広さは感じないので、僕の評価は低いが、世間ではこの盤は名演の一つとして取り上げられている。しかし、この曲はクレンペラーが半分しか演奏できず(骨折で)仲間のハーフナーが後半を埋めて完成させている。クレンペラーはこれに不満を抱いて、VOXレコード社と決別したと記事にあった。盛り上げに欠ける楽曲なので、どこかで踏ん張りが必要だが、ダラダラと行く。結局この曲はこうした流れがあっているのかも。クレンペラーのアルバム全部を踏破出来てないが、彼は僕の言うダラダラ演奏が好きな様だ。だから聞き手はその中に華を感じ取る感度が必要とされる。僕には(まだ枯れてないので)ないが。

2024年5月4日(土曜日)晴れ
目覚ましで起床、こんなことは滅多にないが。疲れている。「村の家」掃除の日、もう飽きて来た。年金を貰う申請をしてこの仕事を辞めようか。しかし僕は楽をすると一気に老け込んでしまいそうな気がする。大変だ大変だと生きているのがあっているのかもしれない。
清掃は11時に終えかっぱ市場に寄ると砂糖が少し減っていた。明日補充しなければ。帰って昼寝。ぐっすり眠った感じだが疲れは取れてない。ラジオ英会話1本のみ。翻訳はしばらくお休みしている。朝食の時NYTを20分だけが翻訳の時間。この新聞は扱うイベントに関係なく、全く歯が立たない記事から、辞書なしでも行ける記事まで幅が広く、層の厚い記者を抱えている、更に写真はその上を行く、写真で記事の半分は語っていて、不明な翻訳も写真で補填する。

午後2時半から草刈り、3枚目の畑。ここに行き着くには、ミカンばたけ、家の裏の空き地2枚、大日様の境内と付帯がぶら下がる。やっと着手出来たと思ったら5時の時報が鳴った。この畑も欠株が多く、3箇所補植を行なったので、草刈りが更に遅れたかも。

夜は日記をサイトアップしようと頑張ったが睡魔に勝てずダウン。正常な時なら15分くらいで完成するのだが。


2024年年5月3日(金曜日)晴れ
村の家掃除の日、風呂の清掃は汚れが取れず時間を要したが、それを指摘された。次回から1時間で仕上げる事を約束した。いつも結果に要求があって、事前に指示がないのに気が重い。まぁ完璧にしなくても良いということがわかった。

この1週間は腹具合が良くなく、美味しくない、その上に疲れていて、食事を切り上げると早々に昼寝した。あまり眠れず重い頭で英語の勉強をすれば殆ど頭に入らず、これでは意味ないと、草刈り。一枚の畑を仕上げて、埋めてあったサトウキビの穂先を掘り出し、芽の出ている茎のみ取り出して、補植した。作付け後6年目となればかなり弱って来ている。肥料も与えてないし、もう限界かな。山で落ち葉を集めて来て、補植の上に被せた。

そこへ師匠が訪ねて来て、貰った饅頭のおすそ分けを戴く。しばし歓談。サトウキビの穂先は周りに溝を掘って埋めると、雨でも腐らない可能性があるとアドバイスをもらう。ここ2日間は天気が良いので、どんと進められるぞ、とも。

その夜は眠くて8時過ぎに就寝。都会に住んでいる人には信じられないけど、田舎では大体この時間帯には多くの農民は寝ている。僕も仲間入り。

2024年5月2日(木曜日)晴れ
ナス収穫のお手伝い、体が馴染んできたが今日で終わり。空芯菜、ニラ、トマトを山のごとく貰って、そこへ休まれていた日雇さんが来て、ゆがいたハチクの筍はどうかね?「勿論下さい」
夕食は野菜たっぷりのメニューが整った。

午後は近くの運動公園に除草剤散布、帰って1時間だけ畑の草を引く。これで今日の作業は終了。

食後、NHKで放映された「トラック運転手の座席に乗らないか?」オーストラリアを横断するトレーラーの座先で風景を延々と映す。カメラも振り回してない(デレクターはよくわかっていらっしゃる)。その上に、わりと有名な風景に会うAOR(ポリスとか)を重ねている。昔VHDの初期、同じくカルフォルニアの風景に山下達郎の歌を重ねて流すアルバムがあった。割とこれは気に入って何度も見た、それで自分でもアメリカのヨセミテ公園で撮影して映像にジャズを重ねて作ってみた。Bud Powellの「クレオパトラの夢」の場面が良かった。この楽曲はアメリカよりも日本で大ヒットした。
だが、ビデオ編集は時間がかかるので諦めた。アメリカ西部の映像は沢山の映像が残っている。三脚を据えて1カット10分位の固定画面。NHKの番組同様画面が揺れないので安心して見られるのだが。


2024年5月1日(水曜日)雨
ナス収穫のお手伝いの日、疲れが溜まってきた。それに昨晩はうまく眠れなかった。疲れると眠れないと言われるが。今日は大正製薬「ゼナ」を服用して出かけた。今回は全く効果がなかった。
雨は強く暗くてナスの実が見にくい。そうでなくてもゴーグル装着で視界がぼやける。そして終了間際に気が緩んだのか、実の収穫に頭をナスの中に乗り出した途端に、葉の髭が目に飛び込んできた。痛いの何の、でももう終わり近くでそのまま作業を続けた。

一旦家に帰りシャワーで洗ったが改善せず。こんな時に限って師匠と打ち合わせ。仲間の処遇について。僕らは年金生活者で、サトウキビは副業。だが仲間はサトウキビが主。この違いが、色々と物議を醸し出す。師匠も頭を抱えている。師匠はこの事業が自分が居なくなっても運営されて行くのを狙っているから、悩みも深い。僕を含め他はサトウキビに腰掛け気分だ。

打ち合わせも一応方向性が見えてきたので、失礼した。安芸市の矢野丸眼科が空いていて良いよと聞き、駆けつけた。女医さんだったので不安だったが、一瞬に解決。天にも昇る気分だった。
帰りマルニホームセンターとワークウエーに寄って、目の保護用具を2種購入した。どちらの店とも親切な対応だった、これが本来の高知流だ。そしてこの痛みに対しては安い出費だ。

AI規制、AI開発、AI投資と息巻く。僕としてもこれは外せない。だがどんな参加ができるのだろう?パソコンやスマホは何とかついてこれた。個人としては相当な金額を投下したので今のスキルがある。無駄も多かったが僕としては最善を尽くしたつもり。だが今度は今までの様には行かない、何故なら形が見えないから、ため込むデーターも10の22乗個以上。GAFAMしか出来ない。チャットGTPなら活用できたが、画像生成AIは霧の向こうだ。今回の仕事が一段落すれば、本を読み漁るべきだろう。それでどうなる?


2024年4月月30日(火曜日)曇り
ナス収穫のお手伝いの日。今日は事前にナスが成長し実が大きくなっていると聞いていたので覚悟をしてたが、軽トラックいっぱいの収量だった。しかも規格外は「ハネ」と言って別口で出荷するが、今回は戦車の弾みたいな規格外は収穫するな、畑に捨てておけとの指示。(本人は戦車の弾がどんなものか知らないと思うし、わかったと答える僕も見たことがない)これだけ集めて出荷すればお金になるのにと思うが、体力不足でできないと言う。分かるなぁ。朝の5時半から休憩なしで2時40分までの作業だ。明日も5時半からと思うと、帰って体力温存しなければ、エネルギーは無限大では無い。

ビニールハウスの隣の兄ちゃんはH君と言って、同じく隣の棟でナスを栽培している。彼はバックパックで世界を回った強者だ。今日少し話す機会があったので、「プラハは早く行ったほうが良いよ」と伝えた。NHKでここ最近プラハ特集があって見たが、走るトラムが旧式だった。現地では新しい車両を多く見かけたから、どんどん近代化しているのを感じた。

疲れ果てて帰って、昨日の残り湯に浸かった、立派に湯温は熱く筋肉をほぐしてくれる。疲れが激しく、自分の農作業は後日持ち越しで、1時間くらいBDレコーダの録画番組の編集を行った。不要な部分のカットや、タイトルも変更。キーボードが使えればサッサとできるが、リモコンだと随分時間がかかった。

今夜はフランスブリュッヘンと18世紀オーケストラでベートーベンP5番。こちらはアーノンクールP3番版よりも僕の好みにハマる、気持ちよく聴ける。この人の演奏は他の楽曲でも聴いたが、それも良かった。だが彼のボックス版は充実してないので一気通貫で聞くのは難しい。このCDはオランダで放送された番組が音源だ。ジャズも同じだがどこに玉が転がっているのか聞くまで分からない。

2024年4月29日(月曜日)雨
ナス収穫のお手伝いの日。昨日のめまいの事もあって、調子に乗って大丈夫?と声がかかる。どこで転換点を見つける?実施すればそれ以降ガクンと老化が始まるのも怖いが。
老化関係にはもう一つの話題がある、加齢臭が酷くなった。そこで洗濯機につけ置き機能があって、これを使えば幾分取れる気がする。120分で試し効果があったので次回は360分を使ってみよう。

ナスは葉っぱの裏の極細の髭が悪さをするので、マスク、帽子、ゴーグル、手袋と完全防備。それでも忍び込む髭で中断して休憩した。お良さん(品種名)は葉の剪定がないので、実を見つけにくい。プロであるはずのM君と日雇のA子は見落としが頻繁で、規格外の箱が直ぐに一杯になった。ナスは軽いが、コンテナ箱を一杯にすれば結構重く、収穫用の荷車に重量バランスを考えて入れないと、台車がひっくり返る。通路はぬかるんでいて、台車はスムーズに動いてくれない。結構大変な作業だ。まぁ太陽がなく暑くないだけ幸せ。

13時前に帰って、先ずは椅子で昼寝、寝ることが「こんなに幸せ」を噛み締める。
目覚め後は、エアーフレーム翻訳。昨年はボルト回顧録、月平均40000語。現在は昨年の半分以下、昨年に比べると文章が優しいし、プロの作家の文章は情景が浮かびやすいにも関わらず。気力の低下か、時間がかかる。

今夜はベートーベンP3番、アーノンクール/コンセルトヘボウ。緩急が的を突き曲の内部へと誘う。この匠はベートーベンを深読みしないとわからない技術、指揮者は作曲家の人物研究者でもある。

2024年4月28日(日曜日)晴れ
村の家の仕事。宿泊客は3組だった。調理人はいなかったので素泊まりだったのだろう。ここを知っているとは余程のマニアかリピーターか。芸西村は住むには良い所だが、宿泊客には食事や娯楽施設面で不自由だ。

朝早いと、鳥の囀りが何種か聞こえる、その後は鶯やコウジュケイに席巻されるが何にしても豊かな自然の朝を迎えられる。空気は良いし温暖だ。海岸ではのんびりできる景色が広がる(変化を求める人には不向きだが)。浴室の掃除があったので12時に終えた。後でシャワーヘッドは横向きじゃなく、正面に向けるよう指摘があった。?今やどんな安価なホテルでさえ横向き(最初の水が身体にかからないため)なのに(外国のホテルも同じく横向き)。

帰って昼寝の後英語の勉強。殆ど進化しているようには思えないが後退はしてない(と思う)。赤ちゃんは3年で話せるが、お爺さんは2008年~2024年、16年間(中学校を卒業する時間)をかけても話せない。今日は聞き取りテストがあったが4問中2問正解。knowをno、tooをtwoと聞き取って回答の3択が意味不明でなんともならなかった。

その後サトウキビ畑の草刈り。芽の出てない株があって、種用に埋めてあったサトウキビの穂先を掘り出す。今年は雨が多かったので殆どが腐っている。10芽ほど確保し、補植した。肥料が無いと成長できないから、山から流れ着いた木の葉を堆肥代わりにして上から被せて埋めた。たい肥の効きは悪いが、砂糖の質に影響がない。

眠く布団に入りたいが息子が帰ってこない。もう限界と思ってトイレに行った時帰って来た。今から高知に帰るんじゃなく泊まって行ったらと声をかけた。
就寝を急いだのは他にも理由があって、朝起きた時から目眩がして真っ直ぐ歩けないのは夕刻まで続いた。前回よりも症状がキツイ。もう少し様子を見て病院へ行こう。



2024年4月27日(土曜日)雨
雨が多く草は伸びるが刈れないもどかしさ、芸西村の公園を管理する師匠も困っていた。300日/年間稼働してやっと回している公園の管理は雨で作業が中断すると、残りの日数に負担がかかるという。高齢なのによく頑張っているわ。

僕も今日は草刈りは断念して雨でも作業ができる竹刈りを行なった。随分刈ったがやっと半分位。後の半分は密集し崖にあるのでどこまで刈れるか予想がつかない。しかしここを突破しないと上段の畑の半分は午後の太陽を拝めない。

息子が帰って来た。車を借りに来た。車には保険がない。すると1日保険がコンビニでかけられるから大丈夫だと言う。徳島の大塚美術館に友達と行くらしい。その友達はアメリカ人だと言う。僕としては良い友達を持ったと伝えた。田舎で暮らす若者が広い視野を持つには外国人は有望だ。僕も明日は仕事でゆっくりはできないから、夕食はお惣菜屋さんで買って来たもので済ませる。大塚美術館では撮り残しの説明文があったので、エクセルの一覧表とカメラと撮影費を渡した。どこまで期待できるかは不明だが、100点あれば良しとしよう。

夜は「エアー・フレーム」の翻訳、今夜は冴えていて、結構苦戦しながらも辞書なしで進んだ。ワードの翻訳機にかけて検証はしているが、原書を離れて、架空の物語になっているかもしれない。静かな田舎の夜本を読むのは中々良いもんだ。NHKなどの大河ドラマのシーンでは、侍が正座してロウソクの灯りで読む、そんな現代版ですね。時が矢のように飛んで行くから、こうして時間を止めないと大切な時間を奪われてしまう危険がある。
友人が民間のテレビ放送はチャラチャラして落ち着かん、私は静かに語るNHKしか見ないと言っていたのを思い出した。

2024年4月26日(金曜日)曇り
毎週金曜日の洋画劇場を録画するのがここ最近の定番だけど、これがまた金曜日が巡って来たのか!早すぎると感じさせる期日となっている。他の人もそんな速度を感じているのだろうか?これじゃすぐ死んでしまう危機感が沸いてくる。
今日は「村の家」で仕事。着くと5月3日~6日まで出勤の要請。これで、4月28日~5月2日まではナスの仕事の掛け持ちなので9日連続の出勤だ。円安対抗でもっと稼がないと。

帰って、英会話の勉強後草刈り。これで草刈りは1巡した、明日から2巡目に入る。草は長いのでも20cm以下、これだと負担がない。これがノーマルだ。昨年は異常だった。

夕刻料理の先生と、サトウキビの師匠が紹介されたお好み屋さん「リスボン」さんで食事。美味しい、濃厚なソース味なので、ビールが進くんです。しかし味は1種なので、他の料理を注文するとたちまち飽きてしまう難点がある。帰りにヨドヤドラッグに伺うと、生鮮食品が充実していた。どこのドラッグストアもスーパーマーケットを侵食している。首都圏では熾烈な競争で大変だろうな。レジ周りが簡素化されているため、ドラッグストアは販管費が安価かもしれない。芸西村で暮らしていると、大きな店(300坪位ですが)に入ると楽しい。

夜、スメタナの我が祖国/クーベリック/ボストン交で聴く、滋賀の友人からのプレゼント。一風違った楽曲のように感じる。CDプレーヤーとヘッドフォンで聴くが、演奏の陰影深く十分満足。スメタナはチェコ出身の作曲家で、中心部にスメタナホールがある、同じチェコ出身のドボルザークも名前を冠したホールがある。今回の旅行では後者のホールで聞いた。

2024年4月25日(木曜日)晴れ
晴れたがカラッとまでは行かない。天気もそうだがここに来て僕には暗雲が差して来た。一つはサムスンギャラクシーS24の登場。端末にAIを内蔵し、通信に頼らず簡単な会話の翻訳が同時にできる。デモはスペイン語でやっていた。もう一つはオープンAIが次のバージョンを発表した。これも翻訳がスムーズになる。じわじわと5Gが普及しているから、世界の各地で同時通訳が可能になる。1日3時間弱費やしても上達しない英会話の勉強は不要ではないか?そんな気持ちにさせる。とっさの英会話や、何かの英文取説など、英語力が必要な事はあるが、時間の犠牲が大きい。翻訳にしてもそうだ。原書まるまる1冊をオープンAIで変換できるところまで来た。
どうする、勉強を放棄すれば一気に瓦解する、もうこの歳では取り戻す事は出来ない。困った、困ったコマドリ姉妹だ。

円安が進んだ。155円。アメリカもひところのヨーロッパ旅行並為替だ。次はアメリカへ行くつもりなのに水を差す。ニューヨーク以外は安宿を予定するつもりだが、言語力がないと現地で予約するのは難しい。今度はバス旅行をするつもり、言語力が無ければ飛行機を選択せざるを得ない。

午後は草刈り、農業を6年やって来て、草刈りでどうしても残してはいけない草が3種あって、今は「セイタカアワダチソウ」と「姫昔よもぎ」の2種。これがサトウキビの根元に生えると草刈り機で取れないから手で引くしかない。放置すればサトウキビより早く背が高くなって、そうなれば手に負えない。それで草刈りの手を止めてこの2種を小さいうちに抜いておく。直ぐ「コセンダングサ」が生えてくる。これも大敵だが今は大丈夫。あとは何とかなる。

昔営業の仕事をしている時、ラジオ事業部のO氏が、親切にこの人は抑えておくと良いよとアドバイスを頂いた。しかし僕には麻雀やお酒、ゴルフの能力が不足していて、そのきっかけを作ることができなかった。それにその意味も深く理解できなかった。ひたすら商品知識の向上に取り組むしかなかった(趣味を満喫しただけですが)。
今更ながら、そのアドバイスが何となくわかり始めた。その仕事を退いて20年後ですが。

ステレオサウンド誌を読んでいて次第に掲載する機器の価格が上昇し、現実離れの様相となって来た。もう100万以下の機器はほとんど無いし、1機種500万円が平均価格。1千万円以上もゴロゴロ。夢を売ると言えばそれまでだが。もう購入対象じゃ無い。世の中のマニアは買っているのかな。昨夜、パナソニックのポータブルCDで、送って頂いたCDを聴いた。イギリスのバイオリニストでジョコン・ダ・デヴィート、SPレコードからの復刻版。バッハ・バイオリン協奏曲はモノーラルだった。しかし、指使いの巧みさや演奏者の熱が聞こえて来て中々の好感。
ステレオサウンド誌のベストバイで組むとまぁ中庸でも2000万円は必要でしょうね。では今夜のCDの音(本体2万円+ヘッドフォン2万円)と比べると、その感動の差は何パーセント低下するのだろうか?やせ我慢しても40%くらいだろうか。価格は99.8%低下ですが。違いは主に「艶」というか「音色」ですね。その差に大枚を果たす、低音や、高音が出ないと言った物理特性の差は殆どない。


2024年4月24日(水曜日)雨
毎日毎日雨ばかり、人間が腐ってしまいそう。洗濯物は納屋に干しているが1日経っても乾かない。今の季節はカラッと五月晴れが似合う時なのに。天候のせいではないが、疲れているのか目覚めは6時半(30分の遅延)、先日の水泳の疲れを残しているのかな?60歳代は翌日しんどかったが翌々日は解消していた。今はそうではないと言うのか?首が回らないのはいつの間にか解消方向でこのまま行けそう。原因不明でも治る。身体には新製品が次々と登場してきて右往左往、何処かで安定して貰いたいのだが。それは低位安定か?

午後かっぱ市場に「蜜」のボトル17個を出荷し、余った時間小雨が降っていたが体が腐ってはと、竹刈り。道も道具も竹も滑る、握力、踏ん張りが効かなくなっているので作業は思う具合進まない。汗と雨で5時前、勤務査定が落ちるが終了した(誰が評価する?)。風呂を沸かしたがボォーンと燃えずややぬるま湯で入浴、裸で雨の中薪を取りに行くのもしんどいので我慢しているとなんとか湯温は徐々に上がってきた。

書籍のスキャナーを終えて、やっと5冊ほど本が読める体制が整った。中古本は、どなたがどんな状態で触れたか不明な「紙面には触りたくない」(コロナとは関係なく前々からそう思っていた)。それでスキャンしiPadで見る加工をする。弱った目には拡大した文字は読みやすいし、不明文字にはフリガナを、意味の不明言語には、Wikiで詳細な付箋を、カタカナ英語には綴りを、なかなか電子本は便利、Kindleの電子本も同じことができるので、僕はこっち派だ。

夜の音楽はお休みで、エアーフレームの翻訳に当てる、頭が混濁してくると就寝。(今夜は30分頑張れた)


2024年4月23日(火曜日)雨
今日は仕事の日。女子風呂場のトイレ床の排水溝詰まりを伝えたが、少し水が抜けていくので我慢して下さいと返事。工事業者に連絡して修理する意図は無さそうだ。自分で直すしかない。今日もトイレと床掃除で10時に終わった。雨が降る中、休憩に寄る喫茶店もなく、家に帰った。

新聞では65歳以上の買い物難民が特集されて長崎県が一番だった。高知県は全国に比べ難民が少ない。何故かな?一つは82歳前後は未だ車に乗ってバリバリ仕事をしている人が多い、二つ目には高齢化は全国よりも早く進み行政が巡回車を走らせて問題解決してきた、2点だろうか。
65歳のくくりも今や正確ではないだろう。少なくとも高知では75歳位迄は未だ若造の分野だ。全国的にも70歳に改めてはどうかな。
まぁ高知では所得が低いので働かないと喰って行けない事情もあるが、一面それが健康寿命を延ばしてもいる。僕も所得にはならないが、健康寿命に力点を置いて農業をやっている。
ここでは食料の難民よりも、喫茶店のような気軽にだべれる飲食店の難民が多いように思うのだが。

最近は旅行から帰ってきて風邪を拗らせている間に、何だか「当面の目標」を失ったようで、「いついつまでこれを終えよう」がない。かと言って何処かに行く目標はお金の問題があって敬遠。かと言って毎日を惰性で過ごすのも嫌だし、ふと、農業日誌をめくっていたら、過去に樹立した記録が毎月のページに出てくるのに気が付いた。そうだ、当面はいろんな項目の記録を塗り替えてはどうか、これを目標にしよう。そうすると毎日のラジオ英会話も昨年の9月に記録が出ているから、それを乗り越えようとなって向上心が増した。

2024年4月22日(月曜日)曇り
プラハ市内観光の編集中、写真にネットで調べた情報を付加しながら歴史も勉強している。チェコ市民は強いプライドを持った国民だ。また、日本の武士道に似た一本筋の通った人を聖人と崇める剛健な国民だ。だが外国からの蹂躙には弱く政権が揺れ動く。でも己の実力を知っているのか、戦禍にまみえず街は昔のままで温存される。(ハンガリーはそれを軟弱だと揶揄するが、都市は破壊された)それが世界遺産となって今も都市を構成している。未だ大量の未処理の写真があって、付箋を付けながら勉強しよう。

午後は、かっぱ市場で野菜の買い出し、砂糖の在庫チェック。「蜜」が減っていて、伝承館で原液回収。明日ボトリングの作業をしよう。霧雨だったが、竹刈が遅れているので挙行。雨で足元が滑る、そうでなくても足のコントロールが悪くなっているから気をつけた。この歳で転び再起不能の話はよく聞くから。30本を切ったところで雨足が強まり切り上げた。1000本位あるので中々視界は開けないが、諦めなければその内に貫通するだろう。昨年に比べ、ピーマンのお手伝いがない、文旦の草刈りがないのは(村の家の仕事があったとしても)どれだけ体の負担が軽い事か。

家に帰ると滋賀の友人からレターパック。CDが10枚内封されていた。録音は古く音も期待できないが、演奏は極めつきの極上で、今夜からこちらを聞く。先ずはシューベルトのピアノ曲を、チェロはアネル・ビルスマ、ピアノはジョス・ファン・インマゼールが弾いている。アネルをWiki解説では「語るようにチェロを弾き、18世紀オーケストラ(フランスフリュッヘン指揮の楽団)」に影響を与えたとある。確かに情熱的な弾き方だ。代表曲はバッハの無伴奏チェロとの事。Appleミュージックにはその曲は登録されていたので別に日に聞こう。たくさん聞くべき楽曲があって幸せだ。

2024年4月21日(日曜日)雨
予想より早く朝から雨だった。2月17日(2日目の)プラハ市内観光の写真を編集中、写真にコメントができない場面が多く(忘れてしまって)、小島さん帰国を待って推敲しよう。余りにも多くの写真があって、想い出を編集し一年間食っていける。

午後はプール。この体育館は全国少年空手大会が開催されていて、駐車場が一杯だった。入り口に若いお父さんとお母さんがタバコを吸って、子供を待たせていた。今日も2.5km泳ぎ1時間20分。10km/月は結構高い目標だが、これだと1回減らせるから何とかなりそう。休憩を挟めばもう少し行けそうかも。

メールの返信があって久しぶりに友人と懇親会。蛸酢、雑魚すり身のお吸い物、ハンバーグのメニューと決め、不足分を道中のサンプラザで買った。雨が激しくなって、店から車までの短距離でも濡れた。今まで水の中に居たのに、やっぱり濡れるのとは親和性が違う。

懇親会は6時から9時。友人も段々とものぐさになってきている。それと家電品が次々と壊れ始めたのも共通事項。人間も壊れ始めているので同じか。

お開きの後、プラハ動物園の番組を見た。世界有数の動物園、僕が訪問した時は真冬で結構閉鎖されていたのが判明した。4時間休憩もなく歩き回ったが、それでも見逃しがある。ここは結構広い。テレビでは散歩を楽しむ、そして時々動物に出会うのが園のコンセプトだと紹介されていた。成る程、僕のような人は動物を追いかけて次から次へと標識頼りに駆けずり回るのは鼻摘まみものだったわけだ。歳を喰っても貧相は抜けないってことか。

音楽はなく布団の中で英文法の本「英文法大全」を読む、数の表現にveryなのかlargeなのか使い方一覧表、この本を読むとコンビニにコーヒーのサイズ表示をもっと勉強してもらいたいと思った。

2024年4月20日(土曜日)晴れ
村の家の仕事の日。風呂の清掃を細かく指導された。でもカビでくすんだシャンプーやソープのノズル、カビで黒くなったシャワーヘッドとホース、カビで黒ずんだ腰掛け、今まで何をしてたのだろう?今日は道具を持っていたから時間をかけてそれを取り除いた。随分と時間がかかって終えたのが12時前だった。

食事をしながら居眠り、子供と老人は似るというのはほんと。午後は英語。午後3時から、前回の地震で猫が割ったガラスの修復。アクリルは注文が間違っていたので、ホームセンター・コーナンで2mm厚の透明ビニールを購入した。作業は、割れてない2番ガラス戸の半分を外し、割れた1番ガラスの半分と入れ替える。次にガラスの無くなった2番ガラス戸に、ビニールシートをタッカで固定する少々複雑系。ピント伸ばしたビニールはガラスのような透明感があってなかなか良かったと思う。

終わると夕刻の5時半だった、雨がやって来て買い物は面倒で、夕食は冷蔵庫の中の余り物で野菜たっぷりで、鹿肉を使った焼飯を作った。コップ半分のワインで「すずめの戸締まり」を見ながら頂く。この「めんどう」だからやめておくと言うのが最近増えた。仲間の老人たちもみんなそう。労を厭わないのが、僕の行動指針だったが、雲行きが荒しくなってきた。

「天気の子」は大阪の劇場で見た。結構感動した。「すずめの戸締まり」も同じく天に舞い上がる少女「すずめ」が主人公。主題歌もやっぱり似たような唄が挿入されている。この2つの映画は、「人のために少女が活躍する、前向きでめげない活力」が根底にある感じだ。
別の見方をすれば殻から抜け出せてないのもあるが。

NYTはテーラースイフトに多くの紙面を割いていた。訳してたらとんでもない時間を食ってしまう。それでチャットGTPに翻訳を頼むと、コピー&ペーストに時間を要するも、割と簡単に全容が掌握できた。内容はテーラーの心境の変化を歌詞から読み取ったものだ。

端末にある程度膨大なデータを確保し、本部サーバーを介さなくても、文章とか会話が出来るAIスマホをサムスンが発売した。チップのデーター容量は今後益々肥大化するので、もう2-3年すれば、本当に実用になる翻訳機が実現するかもしれない。AIが社会を変えるとすれば、まずはコミュニケーションかもしれない。消える商売もあるだろうなぁ。

朝起きると、真っ直ぐに歩けない、首が痛い。昼間は活動してて不覚だったが、夕刻風呂から上がると、真っ直ぐに歩けないのは解消していたが、首が痛むのはひどくなって、うがいはできない程の不自由さ。身体を振らないと見る角度を変えられないし。月曜日は医者に行こう。



2024年4月19日(金曜日)晴れ
晴れているのに気温が低く午前中部屋の窓は開けられなかった。午前中はラジオ英会話。最近妙に理解しにくい時がある。それは英語ではなくて、日本語。会話の流れが、どう見ても日本語がおかしい。日本語はそんな使い方をしないぞ。先生方は英語が堪能な分だけ日本語が疎かになっているようだ。だが、そこは目くじら立てず飛ばせば良いから問題なしとしよう。

プラハ美術館の編集は終わり、市内散策の写真編集にさしかかった。明るい屋外はiPhone15の写真が良い。しかも位置情報が付加されているので後で確認できる。また動きのあるのは動画撮影し、パワーポイントに貼り付けると、PPT上で動画の再生もできる。Macで編集すれば、Liveの写真の編集もスムーズ。今回持参したカメラは全て2000万画素。最適なカメラで撮影すれば良い自由がある。

午後は砂糖をかっぱ市場に出荷し、役場に出向き、除草剤を受け取る。財産区の費用で購入したものだ。これで月1度の除草をすれば公園周りは草なしですっきりとする。その後、母の友人であったおばさんを訪ねて、畑の草刈りと肥料撒布、その後2列しかできない畝立て。本来なら3本半出来る面積があるけど。畝立ての機械はバックで仕上げるので、どうしても曲がってしまうので無理だ。
おばさんは骨折で椅子に座ったままだし、動いても少しだけで監視は出来ないから、助かった。

大変疲れたので、夜須のおばさんところでお惣菜、今夜は野菜類を自炊する事なく、お惣菜だけで夕食をいただく事にした。日中は熱く喉が渇いたがビールはお預けし、アサヒビールのノンアルコールのビール味を買った。宣伝をするだけあって、確かにビール風味で美味い。

2024年4月18日(木曜日)曇り
今にも雨か?そんな天候だったが午後になって盛り返し薄曇り、昨日の除草剤はこれで効く。朝ゆっくり起きて昨日の地震のことなど完璧に失念している。新聞を読むにも時間がかかり、完璧に昨日の酒(生4杯)で頭の回転が落ちている。

そんな事を思っていたら、朝早く名古屋の友人から電話。「こんなに早く何?そうか地震だった」、それで昨晩の事を思い出し、NHKプラスで7時のニュースを見れば高知の西の方が大変なことになっていた。芸西村でも長い時間揺れたから、東北の地震の事を思い出した。あの時大阪だったが揺れの時間も長かった。
ニュースでは、今回の地震よりも東南海トラフの事に焦点が行って、備えについて注意があった。僕もそろそろ準備しなければならない。モバイルバッテリーや水、谷から水を引くとか(お風呂用に)

午後は竹刈、今日は孟宗竹を切ったので風景が変わった。周りが空いたので、成長しそうなどんぐりの木は除草剤を注入しよう。太陽が容赦なく照りつけ大汗、こんな日はビールを呑みたいが昨日よく飲んだので数日は我慢してお休み。

夜の音楽は「戦争レクイエム」普段聞く音楽ではないが、クルト・アズアのBOXを順番に聞いているので、今夜はこの番。第二次世界大戦の鎮守歌。慰めについては聞き取れないが、死者を讃える荘厳さには何となく感じる。35分の演奏だったが半分は夢の中で聞く。

2024年4月17日(水曜日)晴れ
今日は仕事の日。1階のトイレとフロア清掃。トイレの水道パイプと、手洗いの水垢を丁寧に取った。水垢はまだ時間がかかりそうだが、パイプはピカピカになった。10時に終えて、帰る途中、ジッちゃんが畑に出ていたので、車を止めて話を聞いた。93歳、「草取りも屈んでできんから座ってごとごとしゆう。神様がもう辞めと言うろうかのぉ。」とは言うもののもう10アールの半分近い、頑張りすぎて死なないで!と声援を送り帰った。

午前中プラハ美術館の写真編集、午後英会話。それから親類のお墓、村の公園に除草剤。やっと自分の仕事で竹刈りを45分だけ行った。

風呂を焚いて、「村道なはり線」に出てレストラン藤のバスを待つ。今夜は財産区の決算報告会。定例の内容だった。最後に村の公園の除草剤について、現物支給をお願いした。今まで自己負担だったので。すんなり了承、役場が購入し提供してくれる事になった。それから飲み会。僕の基準からすればみんな3倍のピッチでグラスを空ける。「高知の人は飲む」それは本当。9時過ぎにお開き、帰ってうたた寝し、プラハ美術館の編集をしてたら、よく揺れました。長い時間揺れました。縦揺れのような感じ。停電にはならなかった。CDラックからも落下は無かった。スピーカーをしまっておいて良かった。

2024年4月16日(火曜日)雨
今日は西川クリニックで腎臓結石の検査。3ヶ月単位で通ってまずまず安定してきたので、今回で打ち止め。右下腹部痛みについては結石の関係はなさそうとの見立て。結局原因不明で痛み続く。内視鏡検査でポリープを取ったのでその診断結果を聞きに行った特にもう一度相談しよう。釈然としないなぁ。

これとは関係ないが、野菜をたっぷり食べる、味付けのない食事と、お菓子やケーキを食べることをやめ、酒を減した。これらがどうやら血圧を下げている様だ。今日測定した簡易式の血圧計(通常は高く出る)でも105-70程度の数値になった。海外旅行の時の様に食の楽しみはなくなくなったが、これで当分はいいかな。

医者の診断は良好に気をよくして、足を伸ばして高知市内のBookoffに行って、「狼と暮らした男」「朝星夜星」を買った。前回「クララとお日様」を買っておいたので、帰ってスキャン用に裁断した。すると、クララの書籍から新聞の切り抜きが出てきた、平野啓一郎氏のインタビューと黒川伊保子の講演会(いずれも高知新聞)購入者は何を思ってこの記事を挟んだろう。書店のレシートも出てきた。

きっと購入者は、また別の日にこの本を開くつもりだったかも知れない、しかしその機会なく亡くなって、家族は他の書籍と一緒にBookoffに処分したのではないか?(多分沢山の書籍と共に)
書籍には物語があるが、中古本にはその上に別の物語が閉じ込められていると思いましたね。

もう一つ、足を伸ばしたついでにプールにも行った。体の調子がよく、今月は走(泳)行距離が短いので少し頑張って2500m。1時間15分が所定の時間だが10分オーバーした。今日はめでたい日だから良しとしよう。熱いシャワーを浴びる時、体が綿のように芯が無く疲れている感じだった。とても良い疲れだ。

プールから上がると、村の家から電話で明日から2回の仕事要請、帰ると求君から、月末4日間のナス収穫要請。とてもいい日だ。(何だかトランプの言い方みたい)

2024年4月15日(月曜日)曇り
新聞が休み。NYTを読む。この新聞社は休みがない。拙い訳で読んでいるが、結局英語の文体と言うか組み立ては、日本人とは違った組み立て方をする。書籍なんかのプロの翻訳家は、日本人にあった話の組み立て方で翻訳するから読みやすいが、彼らの思考をそのまま直訳する私の読み方は理解しずらい。特に、「誰がどう言った」のは立体的で、「別の人はこう言った」その話を受けて「また違う人はこう言った」そんな羅列(僕には並列の2次元のように見えるが)があって、結論を導き出すと方法だ。日本人は複数の人間を一度に掌握する会話は不得意だ、少なくとも僕は。
だから、英会話が例え上達しても、話の構築方法が違うので、考え方などを話す意思疎通は結構難しいはずだ(と思う)。

歯科医に電話したら15:30で歯の詰め物を見てあげるという。昼食後、少し時間があったので、砂糖を真空パック化し、来たる梅雨シーズンに備えた。まだ緒についたばかりで、2週間くらいかけて仕上げるつもりだ。

歯科医は割と簡単に終わり治療代280円を支払った。帰りにスーパーマルナカで業務用小麦粉2kg890円を購入した。普通は1kg390円で販売しているので、少し割高。さてどんなパンが出来るか楽しみ。芸西村にはない、ブドウジュースや、森永マミー(こんなものもない)を買って帰る。高知は大いなる田舎だが、それでも芸西村に比べると都会で香南市や南国市にはいろんな品物があって見て回るのが楽しい(哀しいかな)。


2024年4月14日(日曜日)晴れ
左の歯の詰め物が取れた。それで右側で食べるが、左側の頬を歯が噛んで痛いの何の。頬は歯があるつもりで動くから、歯がなければそれだけ歯の中に入り込むのだろう。詰め物は厚さが僅か2mm位しかないのだが。人間の体は何処を欠いても不自由なことばかり。

午後は、沖の田を叩く。あまり草は伸びてなかったが、今やっておけば30日位は大丈夫だ。その帰り、田村のおばさん所の畑も叩く、菊を植えるため。畝揚げもしなければならず、手がかかる。昨年の暦を見れば5月は2週間文旦の草刈りに費やしており、今年はこれがないので、多少のゆとりがある(はず)。

夜の音楽はクルト・アズア指揮シューベルト3番。日経新聞でガートナー指揮ベルリオーズ幻想交響曲を褒めていて、iPadで聞くと好演だったので、夜NE2500のDACにiPhoneを接続するも認識されず、断念。結局CDで前記の曲を聴く事に。
今回変更したスピーカーSBM01(中音帯域を使用)は30分くらい演奏しなければ、いい音が出ない。結構アンプに敏感だ。しかし、もうその頃には睡魔と戦っていて、電源を落としてしまう。それで、本当の姿を見たことがない。本当を見れば全てが台無しになってしまう話は日本昔話によくある。絵画でも一面しか見えないから良いかも。

2024年4月13日(土曜日)晴れ
今日は休み、朝からガンガンに私的なルーチンを進められる幸せ。先ずはプラハ美術館の絵画編集。もう残りが60点位になった。プラハ美術館はウィーンの絵画撮影の練習程度に思っていたが、大塚美術館のように、これはと言う作品には詳細な説明があってとても親切で認識新たにした。これだけで早計だが、もしかしてチェコは古き良きヨーロッパ人気質が残っている国ではないか?と思ったりした。(古きヨーロッパを知らないが)
絵画の小さい作品は、近づいて撮影すれば照明の写り込みがあって、ある程度距離を開けている、ズームすれば良いが今度は手ブレの問題がある。などなど、条件が厳しい。今手持ちのカメラで対応できるのはキャノンEOSR5しかない。だがこれは重すぎて海外旅行には向かない。
マイクロフォーサーズ機でも、今年の新製品ならこの問題は回避できるが、23万円の出費は痛い。
来年の旅行はどうするか課題が残る。

エアーフレーム/マイケル・クライントンの翻訳は、事故機内で撮影されたビデオの再生場面に差し掛かった、「節単位」で訳していると、筋が狂ってくる(翻訳能力が低いので)、前の長文から本分を類推しながら単語の意味を当てていく方法に切り替えた。本文には電子機器が次々と登場するが、今とは違いアナログ機器が多いので、それ用に訳を当てている。当時ではそんな事を考えなくて良かったかも知れないが、当時は僕の翻訳の能力が無かった。

午後は草刈り。久しぶりと言っても数日の空隙ですが、はや筋肉が弛緩し草刈機が重く感じる、30分で休憩。この休憩で筋肉が目覚めるのか、以降はノンストップで刈れる。今年は草が5日分くらい早いので(この時期の5日はすごい)、刈るのも早めている。

2024年4月12日(金曜日)晴れ
岸田首相が渡米して議会で演説した記事がトップ、しかし、彼が何を言ったのかはあっても、議員はどんな反応なのかの記事はない。この日NYTはコレラワクチンの枯渇がトップで岸田氏の記事はなかった。このイベントはアメリカ議会で聞いてあげたサービスと見るべきだろうか。

今日も村の家清掃の仕事。大浴場を洗うため湯を抜いたが、湯は抜かなくてよかったと注意を受けた。「マニアルには書いてないよ」。その人は「黒板に書いてある」と言ったが、黒板にも無かった。ここで事を荒立てるのも如何なものか?と矛を納めた。トイレの清掃は毎回の事。新米には汚い仕事が優先される。MACで購入したシリコンの介護用手袋でガッチリとガードしているから大丈夫。もう一人外回りの清掃を担当しているK氏を紹介された。彼の息子さんは参院議員、このおじさんも「自分の食い扶持を稼ごうと」僕と同じ考え。気が合いそうだったが、これ以上人間関係を広めるのはいかがなものかと踏み込まなかった。

帰って英会話、切り倒したドングリの木を斧で裁断、木は中が空洞になっていて、中からカミキリが2匹出てきた。抑えるとギシギシと鳴いていた。かっぱ市場で販売する考えがよぎったが、今日は時間がないので諦め逃がしてあげた。その後竹刈り。随分と動き今日は疲れ果てた。一歩の踏み出しが重い。風呂焚きの前に少しだけ座って放心した。一心不乱の作業中は聞こえなかったウグイスと、もう一つ名前の分からない野鳥が鳴いているのが耳に届いた。寒いけど春も本格的なんだ。

ずっと前に印象に残っていた高知市にある中華料理の店に夕食に出かけた。前回は自転車で行った時の帰り、今回は農作業の後と、何も激しい運動の後だったのに、今回は美味しく無かった。僕の体調が悪いのかも知れない。

家に帰ると、近所の人たちは桜の下で花見をしてた。

2024年4月11日(木曜日)晴れ
宿泊施設の清掃の仕事日、妙に気が重い、仙台でコスモスベリーズの勧誘の仕事をしていた時と同じ重さ。余生少ないのに何でこんな嫌な仕事をするの?と思わんでもない。でも、自分の嫌な事もちょっとだけ視野の片隅に残しておくのは、自分への戒めとして良いのかも。気分を高揚するためにユンケルを飲んで臨む。午前11時に終了した。この時の気分は空でも飛べそうなほど軽快だ。

近くのお弁当専門店「きらこう」さんで唐揚げ弁当購入し帰宅(結局今日の稼ぎはお弁当とユンケルで消えた)。朝の新聞の続きを読みながら食事、とにかく眠くて途中で切り上げて、自分の部屋で爆睡する。やっと平常を取り戻し、ラジオ英会話。WH疑問文で空所の場所によって意味が異なる部分は、すんなりと理解できない。諦めずに離れないのが重要だと思っている。

午後3時から竹刈。刈っても刈っても先が見えない。こちらも1本減れば終わりに近づくと思って進める。

今夕は友人と「一献」とメールを送るが返事なし。最近は殆ど返事がなく、翌日や翌翌日になる事が多く、年齢のなせる技かなと思っている。僕も何処かの部分でそんな落ち度があるのだろう。自分ではわからないが。宿泊施設の清掃と同じ様に、日常生活もキチンと始末しよう。

メインのステレオの中音部分をSB10000のホーンスコーカーから、SBM01に変更し、カットオフ周波数を700hz~400hzに変更する。マーラー大地の歌を聴くが、スピーカーの間隔を少し狭めたのも影響して、定位が改善された。B&Wに変更しなくても気持ちよく聞こえる。

2024年4月10日(水曜日)晴れ
気温低く寒い、どういう訳か疲れていて昨日も本日もたっぷり眠ったがそれでも昼寝をしている。内視鏡検査で食事を抜いたのがこれほど身体に影響しているのだろうか?それとも加齢か?寝た後は元気。午後はサトウキビ畑の草刈り、終えると竹刈。なかなか進まない。足場も悪くチェーンソーを使うので気をつけねば。

新種の詐欺が頻繁に届く、一つはテキストメッセージでお詫びの件から入るもの。一つはメールにAmazonのプライム会員が使えなくなっている案内。巧妙な手口。あちこちで署名させられる時のデータが漏れてこうしたメールにつながっている。

南海トラフ地震は今後30年以内に発生してもおかしくはないと言われ11年が経過した。計算通りだと後19年で発生する。それで、清水の舞台的決断をして買った超高級スピーカーB&W805D4を低音用スピーカーの上に置いて音楽を聴くのは、地震で落下しそうで怖く、押し入れの中で眠らせている。

旅行記はプラハの美術館作品を編集中。300点あまりの作品を切り取り台形補正、色補正後テキストを貼り付けている。英文テキストは短文はGTPの「ゲン」長文は「チャットGTP」に訳して貰っている。グーグル翻訳と違って検証しなくて良いし、スムーズな日本語だ。これだと前回行った日本語の解説文を貼り付けるのとほとんど違わない速度で編集が進む。最新のAIの恩恵を十分に被っている。その意味で旅行はぴったりのタイミングだったと思う。
その上、プラハ美術館は詳しい解説文が付く。分厚い書籍を買わなくてもよかった。

2024年4月9日(火曜日)晴れ
身体の調子は元に戻り、かっぱ市場で野菜を仕入れて来た。野菜ジュースの材料。以前は果物が主で野菜が従だったが、今は野菜のみ。ただし、生野菜は腎臓結石に影響があるみたいで、茹でて頂いている。夜須のお惣菜屋さんで購入した黒豆で甘みをつけるが、これがない時は、サトウキビ蜜か、干し柿。野菜ジュースはどうやら果物ジュースより調子が良い様だ。

マザーツリー/スザンヌ・シマードと半導体戦争/クリス・ミラーは昨年3月徳島の紀伊國屋で購入した。やっと着手、一つは台所で食事時、一つは風呂で。
いずれも書店で躊躇いもなく買ってしまったが、全くその価値ありだ。マザー・ツリーの方は、植物が根から栄養を得るには、細菌の働きと共存しているのを証明した人。半導体戦争は、ショックレーから始まるアメリカ半導体の躍進と言うか歴史。インテルやTSMCなど現在見聞きする企業名で埋められている。ゾクゾクしながら読める久しぶりの「当たり本」。宝くじほど確率は低くないが、これほどの当たりは珍しい。

本屋さんをぶらついて、直感で選ぶのは楽しい。現役時代は都会に住んでいたので当たり前のことだったが、田舎に引っ込んでからは難しい。一世風靡した2年落ちの書籍はBookoffで入手できるが、新刊は日経新聞の書評に頼り、kindleにダウンロードしかない。まぁそれでも回っているのは読む速度が落ちているから。

2024年4月8日(月曜日)曇り後雨
時間を1時間間違えて8時に病院に着いた。車で音楽を聴きながら待てば良いと思ってたが、前日飲んだ下剤が効き我慢できなくなって病院に駆け込んだ。病院では下剤1800mlだったが、1600ml弱で腸内に何もなくなったので終了。この時間音楽を聞いても、本を読んでも気分がのらず楽しくない。検査は痛かった、助手の看護婦さんが「目を開けて内視鏡の画面を見ろ」と言われるが苦痛で目が開かなかった。先端が終端の盲腸に到達した時点で痛みは緩み目が開いた。映像は心臓の鼓動で揺れている。ポリープがあって切り取った。傷口をホッチキスで閉じた。切り取る時とホッチキスは体にドスンと衝撃があった。医者は下腹部の痛みに相当する患部が見えないと言う。整腸剤で様子を見ることとした。切り取ったサンプルは検査し、薬がなくなる頃訪問し、分析結果を見ようとなった。

空腹が変な調子となって、帰りは気分が悪くなった。未だ下剤が効いていて、這々の体で家に帰りつきトイレに駆け込んだ。僕の分析では腸に大量の空気が溜まったままだろうと。気分は最悪で吐き気がして、2時間ほど寝た。

それで空腹が戻り雑炊を作って食べた。2食抜いているのに1食分しか食べられない悲しさ。今朝は元気があったのに夕刻は病人の気分だ。元気だと本も音楽も生活の一部だが、調子を落とすと途端に邪魔者になる、僕の趣味は健康と繋がっている。動けなくなったら、それなりの楽しみがあるわと思っていたが、それは期待できない。一番お気楽な読書でさえも。


2024年4月7日(日曜日)曇り
今年の桜は青空の下で見てない、ずっと曇りか雨で天気が悪い。これほど雨が続くと枯れていた井戸は覆水するものの、緑茶の様に濁る。入浴剤が入っている感じで悪くはないが、乾いた後タイルに縞模様が残る。やっぱり天候は順調でなければならない。今日は誰とも会話せず、竹刈をしながら自己との対話だ。話題は「死」。いずれはやってくる。だんだん衰えて死を迎えるのが順当。でも自分としては疲れやすくはなったが元気度は変わりないので、何処かが異常なのだろう。見えないところで病気が進み、散る間際の活気を醸し出しているような気がする。老化が満遍なく進むならもっと弱ってていいはずだ。それが何処なのか?爆発するのはいつなのか?話題はいつもこれだ。竹刈は半分ほど進んだが、あとの半分は物凄い繁殖で層が厚く束になっている。切るだけでも大変だが切った竹の枝を払い切断し、30m離れた畑に捨てにゆくのも大変だ。おおよそ1000本くらいはある。

明日は大腸の内視鏡の検査を受ける。僕としては何処かに潜んでいる何かを早期に見つけて、やっぱりあったぞと安心したい。爆弾を抱えて歩いているのは結構辛い。

内視鏡検査は前日の食事に白身の魚、米、豆腐、ネギ迄はOKで海藻やキノコ肉類、繊維のある野菜など殆どがダメ。まぁ一晩の事なので我慢できるのですが。
それで明日、検査で一部の肉片を削除することになれば1泊するとの事なので、今夜はiPhoneに音楽をダウンロードした。寺島靖国氏のシンバルがチャリーンと鳴るアルバム5枚。レコード芸術特別版よりアカデミー受賞のクラシック音楽2枚、ピーターバラカン氏の紹介するブルースを3枚。先日観たオペラ「ナブッコ」1枚。これだけあれば一晩はしのげるはずだ。

2000年~2015年の15年間は音楽を聞く事から随分と離れてしまった。無くても生活に支障が無かった。時々は聞くけど、陶酔感は無かった。だから続けて聞こうとはならなかった。多分多くの人はこんなものじゃないかな。しかし、そこを我慢して聞き続けると、「トンネルを抜けると雪国」のように、新たな世界に突入した感じがする。耳を澄ませば見えてくるもの、聞こえてくるものがある。すると、今度はそれ無しでは妙に物足りない飢餓感が湧いてきて、タバコのように一定時間内に欲しくなる。僕の現在は正にこの状態で、今夜の音楽は?と日課になる。外界から見れば奇異に映るだろうなぁ。


2024年4月6日(土曜日)曇り
今日は疲れて仕事に行きたくない気分大。何でこんなに疲れているのかは不明。睡眠もたっぷり、昨日の畑仕事も普通の草刈り。だが、身体がだるい、動けない。少し早めに家を出てコンビニでリポビタンDを買って仕事に駆けつけた。未だリポビタンDの効果が期待できる身体である事が嬉しい。
仕事は11時前に終わった。3月分の賃金2700円を貰った。コレで2日間しのげる。

帰って昼寝と昼食。今日は木こり。ほとんどうまくいったが、直径10cmくらいの木をトラクターで引っ張ると、木は上の方にずり上がって、トラクターで引っ張るもタイヤが空転を始めた。大きな木でも引き倒せるのに何だ?これは?よく見るとそれは蔓の親玉だった。しっかりと大木に絡みつき引き剥がす事ができない。とりあえず、向こうが乾燥して力がなくなるまでロープを放置することにした。

夜の音楽は電話で中止。友人の奥様からの電話。4年前にご主人を亡くしたのが今日だったと言う。そうか、今頃だったのだ。丁度大阪勤務の時でそのまま葬儀のお手伝いをした。骨を焼いた後骨が太く「スポーツ選手みたいだったと火葬場の担当に言われた」のを想い出したと話されていた。彼が倒れる2週間前には京橋で一緒に呑んでいたので、あっという間の出来事だったし、その後の4年も瞬時に通り過ぎてしまった。Time is fly。

そして、自分の死もいずれは来る。それまでにやりたい事がいっぱいあって忙しい。忙しいので充実している。寸刻の猶予もないほど予定が詰まっている。このまま行き倒れるつもり。

2024年4月5日(金曜日)曇り
肌寒い気温。ゴミ出しと、野菜購入にかっぱ市場へ出かけた。100円で30個入って冷凍ハンバーグがあった。怖いな?店員に聞くと店じまいの為、安心ですよ。1袋購入。

昼飯の時に岩波洋三氏のジャズを読んでいる。この本で初めてジャズが体系的に分かった。今まで何冊も読んだ書籍も同じ様なことを書いてあっただろうが、僕の受け入れ態勢が整ってなかった。このヨーロッパ旅行から帰ってきて、いろんなものが吹っ切れた感じがする。特に時間がダラダラと過ぎて行くのを容認できるようになった、多分これが本の理解をあげている原因。
それに夜、よく眠れる様になった。前も随分と寝ていたが、今はも一段深度が深くなった感じ。それで身体の調子が良いのか、気持ちに余裕が生まれた。旅行は僅か2週間の出来事なんだが、日常を全て投げ打って羽目を外し、鬱積していた「オリ」を洗い流した感じだ。それなりにお金持ち使ったが、僕としては大正解の旅行だった訳だ。後で考えると。

旅行の副産物である写真は中々整理が進まないが、良い写真集が出来つつある。(自分で褒めてはいけないが)

夕刻、近所の方が亡くなったのでお通夜。生前元気な頃は、趣味の魚釣りのお裾分けを父が頂いていた。4年間入院して逝った。88歳。この1年で近所の方が3名亡くなった。田舎は死が近くにある。

夜の音楽は、ベートーベン6番/クレンペラー/ウインフィル。これは秀逸。フルートのソロのパートが実にいい、安定感がある。Bruno Walterの6番と双璧をなす名盤だと思う。SB4Kでウィーンのトラム番組を放映してた。トラムは乗り倒したので懐かしい、この番組は殆ど音がないので、このアルバムを背景に映像を流すとぴたっとハマる。

2024年4月4日(木曜日)晴
今日は仕事、おおよそ週に2日、累計4時間。お金にならないが生活に支障も来さない。それに仕事は誰かに監視されているから、自分でシャキッとする。家に帰ってもダラダラしなくなったし、家の掃除も復活した(今まで、明日しよう、明後日しようと伸ばして来てた)。
帰って昼寝と英語。

午後遅く草刈り。サトウキビの芽も誤って刈ってしまうが、又出てくると分かっている。彼らは結構しぶとい。石が飛んで来て自分に当たらないようガードしているから、今日のような薄日が差す天候でも大汗をかく。今夕はおじさん所で懇親会だから、汗がビールの味を引き出す。
年間を通じて汗をかく機会が多いのは良いことだと思う。水を飲みすぎると目が霞む弊害が出るが、11月頃になれば収まっているから問題ないと思う。

父もそうだったが、おじさんも酒は強い。僕はビール2本でもう腹一杯だ。うだうだと長話になればもう一本行けそうだが、ここから自転車で帰らなければならないので、だいたい2時間で切り上げている。酔っている程ではないと自覚し、安全運転で帰る。途中大工さんの家の前を通りかかると、桜に投光器を当てて小屋の中で酒盛りをしてた。花見の時期だが素では寒すぎる。

帰ってジャズ。LDでハービーハンコック、パットメセニー、ジャックディジョネット、もう一人デイブホランド。映像はしょぼいが音はCD並みの高音質で気持ちがいい。途中でテレビの上半分が真っ黒になって寿命が来た。42PX10。財政負担が重いが買い替えの時が来た。

2024年4月3日(水曜日)雨
歯の定期点検日、2割負担だとしても2000円、結構高価だが仕方ない。専門の器具を使って両手で作業しなければ汚れが落ちない歯。歯ブラシなんかで対処出来ないし、ましてや高価な歯磨き粉なんかで上手くいくわけがない。所要時間45分。

この後プールで2km。最近サボっていて、下腹部が又出て来た。風呂を焚く前屈んで前日の灰を掻き出すが、その時に腹の膨らみが邪魔をするのが、出て来た否かのバロメーター。腹が出ても体重は殆ど変わらないから別の指標が必要だ。

今日は健康のために時間を使ったから、英語はお休み。(英語の月平均はラジオ英会話を13本、翻訳を8000語程度、もう少し上げたい。多分これだと低下する。日経新聞水曜日夕刊に英語ニュースが掲載されるが、最近はかなり難儀している)。

夜の音楽はベートーベン/ミサ曲/クレンペラー指揮/ウインフィル。ベートーベンは宗教音楽をハイドンから学んだ、元々この分野の音楽に関心がなかったが、1807年にニコラウス・エステルハージから委嘱を受けたため手がけたとある。僕としては門外漢の音楽分野。訳を見ると主に対する「甘言蜜語の塊」だった。訳を見ないで聴けば荘厳で厳粛な気持ちになる。アンプが温まって後半は、音のみ聴いていても気持ちよくなる。

2024年4月2日(火曜日)曇り
休みで嬉しいな。午前中英語の勉強。午後は、昨日切り倒したドングリの木を裁断して、伝承館に納めた。砂糖を焚く時、仕上げの火加減は重要で、混ぜる人、焚く人のコンビは阿吽の呼吸が求められるが、これにはもう一つ、丁度の火加減を保ってくれる「薪」も重要。それで、今回準備しているのは直径5cm以下の薪。これだと火力とその維持が上手くいく。ただこのくらいの大きさの木は準備が煩わしく誰も準備してない。それでこの年末に備えて準備している。小さな丸太ばかりで無く大きなのもあり、斧を使って薪を割る。慣れない私は一刀両断とは行かず、意図しない小片ができたりして、斧を振り下ろす回数が増える。重い金属を振り上げて力一杯振り下ろす疲れはいかほどか。アル中ではないが途中で手が震えだす。

午後10時の艱難、疲労困憊でこの時間を覚醒して乗り越えるのが難しい。


2024年4月1日(月曜日)曇り
今日の清掃作業は一人で大広間と廊下トイレ。10時半に終えタイムカードを押した。割と早く終えたので、公園の草刈りをしていた師匠としばらく会話。仕事の事を随分と心配してくれて、「嫌だったら辞めろ、いつでも伝えてあげる」と。僕としては拘束時間が少ないので何とかなるのではと思っている。

帰って昼寝、午後2時過ぎに農作業。切り倒したどんぐりの木を解体した。直径30cmくらいの木は、釜の奥行き65cmに合わそうとすれば重くて処理できないから、40cmくらいで妥協して切断する。さらに中央縦に深さ8cmくらいの溝をチェーンソーで入れる。
中腰での作業は厳しく疲れた。8割がた切断し、根元の太いところは1m位残した。

今日は随分と働いたので、作業は5時で終了し、風呂沸かし、夕食と終えると、8時には猛烈な睡魔。体は毎日元気で作業、英語の勉強と若い頃と何ら変わりない。このまま行くのでは無いかと錯覚するほど。しかし、前にも書いているが時間の経過とともの急速に疲れてくるのが変化の一つ。もう一つは、食事の量が落ちたが、その分腹の減り方が早く、農作業を終える5時になれば、パブロフの犬のごとく、急に空腹を感じ、何か口に入れないと我慢ができない。使い倒したスマホのバッテリーの様に直ぐに充電完了するが、すぐへたってしまうのとおなじ。

2024年3月31日(日曜日)曇り
今日から「村の家」で清掃の仕事、今日は大広間の清掃を教えてもらいながらの作業。この宿泊施設は、周りにグラウンドや体育館があるから、学生の合宿なんかに利用され、年中予約で一杯。清掃にお休みがないのだ。それで、土日限定の募集だったが、週に4日程度、慣れてくれば毎日仕事がある厳しい職場だった。それでも午前中には終えるので、帰って英語、食事後再び英語で14:00農作業開始なら、やっていけそうだ。ただ、目一杯スケジュールを詰め込むので、余裕のない生活になるのは仕方ない。身体の調子は良いので決行だ。

学生たちは村の家から出るとき、全員が整列をして料理人に挨拶をした。まだ昭和が残っているんだと思いましたね。

竹刈は真ん中にある大きなドングリに行き当たった。巨木はどこに倒れるか分からず危ない作業で、製糖組合でも昨年は伝承館の木を切っていて大怪我をした仲間がいる。近所では亡くなった人もいる。それで8割程度をチェーンソーで切って、ロープをかけトラクターで引き倒した。これだと方向も定まり、しかも離れているので身に危険はない。それに割とあっさり巨木も倒れた。(8割切るのが正解だったと思う)それにしてもトラクターは強いなぁ。ノウハウを積んだので、残りの木もこの方法で行こう。

3月としては各地で初めての夏日を迎えたとニュースの報道。その矢先に雷が鳴って大雨がやって来た。1昨年は雷で大打撃を受けたので、LANケーブルやAVC機器の電源を急いで外した。最近は急遽この対策を講じる時が多くなって来た。温暖化とともに、異常気象が発生している。雷は対処できるが豪雨はどうしようもない。
電源を落としたので今夜の音楽はない。山の中の一軒家なので、こういう時は結構恐怖を感じる。


3月30日(土曜日)晴れ
9時前に「村の家」で面談、いきなり作業見習い1時間。明日から早速仕事。師匠の推薦が効き、いきなり採用前提で話が進んだのだ。履歴書不要、携帯電話番号の交換だけ。既に作業に入っている人から要領を聞くが結構細かく覚えきれない。ビデオに撮影した。
掃除は好きだが、明日から一人でできるだろうか?来年の旅行に30万円ほど稼ぎたい。帰りにハワイに寄って旅の疲れを癒して帰国を予定すると、予算が膨らむからだ。「体が動くうちのやりたい事をやっておきなさい」これはタレント小倉智昭さんの言葉。

僕の事を友人い言わせれば、「やりたい放題じゃないですか!、嫁も逃げる訳だ」
と映っているみたいだが。僕としては、かなり臆病に細々とやっているつもり。

清掃のアルバイトでも収入不足で、菊を栽培して、10万円稼ぐ。そうすると、アメリカ旅行は1ヶ安泰だ?これが成功すれば、2026年にはイギリスの湖水地方とロンドン、オランダでコンセルトヘボウを聴く旅が実現できそうだ。

帰り、近くの伝承館から砂糖を20kg回収して家の冷蔵庫に納めた。昨日の加工品を包装してかっぱ市場に出荷。帰って竹刈り、畑は日照権を取り戻しつつある。

今夜のクレンペラーはブルックナーの4番。随分と僕の頭にあるブルックナーとは違う。幾つも譜面を書き直した人だから、指揮者の解釈にもよるが、譜面が違うかも知れない。分厚い英語版のライナーノーツがあるので、暇なとき読んでみよう。ライナーノーツは2種類あって、非常にわかりやすく解説文を書くのか、細部にこだわり難しく表現するのか。これはどちらだろう。



2024年3月29日(金曜日)晴れ
嘘の記事、フェイクニュースを読むと哀しいね。日経新聞でも平気でこんな記事を書く。「環境保護団体が、インドネシアはドイツの国土面積の2倍もの熱帯雨林を伐採、焼き払った。
ドイツの国土面積は375,000km2、インドネシアの国土面積は1,905,000km2
これを元に計算すると、インドネシアの国土の36%が地肌むき出しとなっている筈だが、グーグルマップでインドネシアを俯瞰すると全土が「緑」。

嘘ではないが、公平な目で見ているか?タイではEV競争激化、中国車同士が値引き販売、EV販売が伸びている。タイやインドネシアでEVが伸びる?だろうか。僅か5kmの道のりを1時間くらいかかけて車で移動する。車の伸びが道路の拡張に追いついてないバンコクやジャカルタ。渋滞で電池切れの問題が必ず発覚する。記者は分かっているはずだ、しかしそこは蓋をして、EVの事を記事にしたいのだろう。これなんか嘘ではないが、視野を狭めて誘導的記事だ。

大塚美術館の編集は完了し、32型の4Kモニターで見ると、よくやりましたの二重丸。次回は解説文をじっくり読もう。
今日は晴れだが、出荷する砂糖の包装をしてたら3時半までかかってしまい、農作業が頓挫しているので目処がついたところで竹刈りに出かけた。これももう専念することは出来なくなって来た。サトウキビ畑の草が伸び、そちらに手を取られるようになるからだ。農作業はあちこちに気を配りながら、全部を少しづつかさ上げするようなもの。このノウハウは旅行の時に役立つ。農作業は老後生活の縮図みたなものだ。

2024年3月28日(木曜日)雨
親類のおじさんを岡村病院へ診察に連れてゆく、軽ライトバンに乗り込むのがやっと、そんなに弱っているとは思わなかった。このおじさんは父の弟でよく似ているので、父を岡村病院に連れていった時の事を思い出した。あの頃は人の世話など未だよく分かっていなかった。父や母にはそんな面で十分お世話ができたとは言えないまま逝ってもらった。
今だといろんな事をしてあげれるのになぁ。けど両親は大体に於いてそんな送りかたをするものと言われる。

病院に行ったついでに、僕も大腸の内視鏡の検査を申し込んだ。しかし、その前に膵臓の値が非常に悪い検査結果があり、こちらも心配だ。膵臓癌だとまず助からないし、いつ逝ってもいい歳になっている。

日経新聞に外国人の求人特集があったので、ちなみに安芸市の求人はどうなっているのだろう?WEBを開けば、芸西村、「村の家」でアルバイト募集があった。ホテルの清掃だ。芸西開発観光が募集している。師匠が「憩いヶ丘公園」(同じ敷地)の管理を請け負っているのと同じ会社だから、募集内容をよく聞いてもらう様に電話で依頼した。そしたら、明日来いと返事。少し稼いで、来年のアメリカ旅行の足しにしたい。

午後は雨で農作業はできず、大塚美術館の写真編集を進めた。今はフォントの統一と文言の修正。もうすぐ完成する。

オットー・クレンペラーのマーラー2番。直接薫陶を受けたのか、今まで聴いてきた2番とは全く違う。録音が古く、SACDだとしても音が混濁し楽器が分離できてないのも、音楽のイメージを変えている。

3月27日(水曜日)晴れ
水面下では進行しているものの表立って記事にならなかったモノに、AI兵器がある。今日の日経新聞で始めて目にした。イスラエルがガザとの戦闘に投入している兵器。僕の想像では、位置情報と高度からの実写、地上高3mくらいからの障害物測定を合成すれば(自動運転のミリ波レーダーなど)、何処に脅威があって、何処に標的があるのか認識できる筈だ。技術はそこまで来ていて、具体的な知識のあるオタクなら直ぐ起業できるかも知れない。

今僕は美術館で撮影した絵画を編集し、パワーポイントに貼り付け、その横に美術館が表示するパネルを文字認識して、テキストデータで添付する作業をしている。
このテキストデータが、割と大きなポイントを使う日本語は元より、現物でも見にくい小さな英文字まで、きちんと認識して文字起こしをしてくれる。この英文を使ってインターネットで検索をすれば、世界に散らばる詳細なデーターが得られる。

つまりは、そこら辺りに転がっている1200画素のスマホカメラでも、詳細なデーターが撮影できるわけで、それを人間がコピぺしているなら、機械だってできないわけがない。

AIは偽り情報についての議論が各国で議論されているが、議論されないAI自動殺人機は急速な進化を遂げている。気がつけば、手に負えない所まで行ってしまう可能性だってある。今の所、膨大な電力消費(1つの分野の学習に原子力発電所1個が1時間占有されるらしい)と、計算能力の不足、が足枷でまだ自由に走れないだろうが。

今日でナスの収穫お手伝いは完了。ナスを少々貰って帰宅。入浴、食事、爆睡で元気を取り戻し、お惣菜の購入に夜須迄出かけた。ついでにセブンイレブンで先日注文したオットー・クレンペラーのSACDを受け取る。
昔の演奏なのにうまくマスタリング出来ている。ウインフィルらしい楽器のタイミングは見事だ。今夜はベートーベン3番。他のアルバムは、マーラー、ブルックナー、ベートーベンで占められている。

3月26日(火曜日)雨
夜中にも強く雨音が聞こえたが、9時くらいまでは間欠で強く降った。ナス収穫の手伝い。ビニールハウスの中は暗くて見にくい。このナスの品種は「お良さん」蜂の交配の手伝い無くて実を結ぶ品種。自然受粉する、つまり花粉が飛び散っていると言うこと。くしゃみ、鼻水が休む暇もなく流れ、手鼻をかむ。さらに花粉が目に入り痛いの何の。持参したお茶で目を洗う。その上雨で鬱陶しく最悪。
結局目に入った花粉はゴロゴロ感を伴い一日中居座った。

帰って風呂に入って食事。それから昼寝。やっと体力を回復し、大塚美術館の写真編集。もうすぐ終わる。大阪のW君と京都の友人に進呈しよう。と言っても、1100点の内、600点くらいしか完成してない。撮影したが手ブレで使えないもの、撮影抜かり、画面いっぱいの構図で台形補正ができない、上部の展示は撮影してないなど理由は山のごとく。
作品はエクセルで一覧表にしてあるので、欠落部は次回訪問時に補完する。
外国の美術館も概ね1000弱の掲載があるが、有名なのは数点。だがここは1100点全てが有名作品だ。自宅美術の価値がある。

写真は結構綺麗だが、パワーポイントに貼り付けると精細感が落ちる。それで、それを見込んで彩度を上げたり、コントラストを操作したりして多少ドギツイ程度の現像を行えば、写真の鮮度がなんとか維持したままPPTに貼り付け出来るようだ。しかし、これでは原画からすれば色調がかなり差異があるはず。
会場の照明も色があるから、原画忠実とはなかなか行かない。

3月25日(月曜日)雨
ナスのお手伝いは6:45~、毎日雨で暗く見にくい中での作業、7時の時報(ここは高尚なシューベルトの冬の旅)が鳴る頃やっと視界が開けてくる。今朝の起床は5時、8時間連続で眠った。それでも疲れは残り、ローソンでユンケルを飲んで補強。
求君の話によると、チェコの小島さんが6月帰国するらしい。早急にプラハ旅行記をまとめ、不明事項を補足してもらう準備をしなければならない(特にプラハ城近辺)。2月20日迄滞在したのに、まだ16日で立ち往生している(プラハ美術館の写真が多いため)。ドイツのドリスデン美術館も800点の作品で、1ヶ月位要するかも知れない。

今日の農作業はやり直しがなく11:30終了。帰って風呂に入りさっぱりしたところで昼飯。これがジャズ史だを読んだ。スイングジャズの終焉はベニーグッドマンとグレンミラーの代表する2名が多分事故だと思われるが行方不明となったのが原因と言っても差し支えないそうだ。
第二次大戦前後のことだから真相は藪の中。

今夕低気圧の影響で雷を伴った大雨予想、メインのシステムは電源プラグを外し、LAN回線も外した。それで一番簡単なLDのシステムの電源だけ残し、ショスタコ/レニングラードをアズアの指揮で聴く。ロシアが悪さをしなければ、チャイコフスキーやショスタコ/ストラビンスキーなどロシアの作曲家の演奏が世界各地で演じられる筈だが、この侵攻以降機会は激減した。こうしてCDで聴かなきゃ忘却の彼方ですね。一方僕の方もCDのBOXセットを1から順番に毎夜再生しているから、こうした機会があるわけで、好みで選曲しているとチリの積もるCDが出るだろうな。


3月24日(日曜日)雨
今日から4日間隣村の親類のナス収穫お手伝い。久しぶりなので勘が鈍っていて、雇い主の求君がチェックに来た時、「やりお直し」となった。つまり、随分と取り残しがあったわけ。その上今日は収量も多く、久しぶりに最高数量を記録したと言っておられた。それで終了は午後2時前。休憩もなく連続7時間。サトウキビの製糖なんかに比べると楽。そうは言っても、立ったり屈んだりしながらナスを見つけて、収穫した箱(コンテナ)を運ぶなど、農作業に馴染んでいない人には少し難しいかな。若い人だと問題ないが、爺さんの年齢としてはと言う意味で。けれどいつまで続けられるのだろう?

夜の音楽はドンキホーテ。ウィーンのオペラ劇場(バレエ)で見聴きしたはずなのに、音階が耳に残ってない。勿論音は断然こちらが良い(ウィーンフィルと言えどもピットの中の音では鮮度が低下する為)

疲れで9時過ぎにダウン。

3月23日(土曜日)晴れ
魔女の宅急便を見た。何度目かな?今回の感想は、「悪い人間なんて居ない、でも、対する人によって、悪い人間にもなれる人がいる」そんなことを言いたいのでは?
早い話、キキの前では悪い人間も、良い人間を演じられるってことかな。このアニメの主体はキキの性格であり、物語ではなくではなく。だから次作は無いって事。

かなり感動したので、夜の音楽は強い刺激が必要となって、モントルージャズフェスティバル1958年。デュークエリントンをポータブルDVD+ポータブルアンプ→AKGヘッドフォンで再生(音がガツンと耳を叩くので)。モノクロ映像。勢いと情熱が溢れんばかりの演奏。単純な機器でこれだけの演奏を楽しめるのが申し訳ない程の出来。ライブではなかなかこのような好演に巡り逢えない(ノリの悪いライブ鑑賞が多く、当たりは100に一つかな、その点レコードは全てが当たり)
クラシック音楽はお酒を飲みながら聴くことは難しいですが、ジャズやロックは出来る。当面、ライブの機会は無いから、家聴きで楽しもう。

3月22日(金曜日)晴れ
滋賀の友人から手紙が届いた。お年を召されて益々文章の誤字は激しくなって、文字を変換して理解するのに時間がかかるのは良いとしてしても、変換が出来ない文章なんかもあって困惑、でも、いずれは我が身か?哀しいね。
かく言う私もこの文章は夜音楽を聴きながら打ち、翌朝修正して、日曜日Wordの書式に変換した段階でもう一度修正している。それでも誤字と意味不明な箇所がある。正常な頭でもこの程度だから、老いが来ればどうなるか分からない。どうかなっているのさえ、認識してないかも知れない。

iAirPodsで聴くジャズなんか妙に面白くない。選曲がおかしいのだろうか?それに比べて軽トラックの車の中で聴くCDはなかなかのもの。原因はどうやらブルーツース通信が音の鮮度を落としているのでは?そこで、今夜はiPhone+ポータブルアンプ→ワイヤードヘッドフォンと接続し、先ほどの面白くなかったジャズを聴けば、音の鮮度が上がって音楽が蘇った。選曲は間違ってなかったのだ。世の中のヘッドフォンはワイヤレスが主だ。商業主義の記事は本当のことを書かないと言うか、公平でない記事を平気で書くから、絶対的な評価ができない。それで僕のように間違った買い物をする。それは僕が歳と共に偏見を持つよりも、もっと早いスペードで流れが変化して来ているような気がする。雑誌やWEB記事だけでなく、きちんとした書籍も読んで、正しい知識も身につけておくのが必須。

3月21日(木曜日)曇り
依然として寒さが続く。10時まで大塚美術館写真編集。それから芸西病院へ。右の下腹部痛みは四六時中となって来たので検査に行った。先生は血液検査だけで判断した。原因はわからないと言う。僕はエコーとかCTの検査もしてくれるだろうと思った、そうすれば前回のと比較ができる。だが、老人の先生は労を厭う。もし検査しても差異を発見できないかも知れない。田舎の病院だからこんな物かと、それでも一応今後の方針が決まった。健康診断の結果を持って、内視鏡検査をする事だ。
高知県は人口比で全国一医者が多い。この村にも4つある。でもこの病院のようにアマチュアレベルに毛が生えた程度。下位レベルの医者がゴロゴロいる。それでも医療を支え、高知県は長寿県全国2番で、下位レベルも何とかなっていると言うこと。医療が良いというよりか、楽天的な性格が長寿を支えているのかも。
僕は釈然としないが数字は現実を表現する。


昼飯時、「これがジャズ史だ/岩波洋三」を読む。さすが油井正一氏と並ぶジャズ評論の大御所。克明に幅広く歴史を網羅している。時々ジャケット写真が掲載されるので、Apple Musicで聴きながら読み進める。書籍はPDFファイルに収めているので、余白にメモを挟みながらページを捲る。1910年時代のラグタイムからは何となく耳に馴染む。それ以前はヨーロッパ系、アフリカ系、或いは黒人が奴隷解放されて口づさんでいた音楽系などで、まだジャズとは呼べない音楽はどうも僕との相性は良くなかった。

以前の音楽雑誌を読んだ時は、著者のイメージでしか音楽を描くことしかできなかったが、今は全く同じアルバムを聴き、文章を咀嚼出来る。良い時代だ。
時々Apple Musicでヒットしないアルバムがあるが、その時は、アーティスト名の後に空白を入れて、アルバム名を明記すればヒットすることが多い。ジャズでもクラシックでも時間を忘れて音楽誌は楽しめている。

そんな中、タワーレコードから嫌なメールが届いた。「アルバムの処分を行う」と。
開くと、オットー・クレンペラーの13枚組SACDが何と!6900円。痛い所を突く。これをクリックしないでどんな楽しみがあると言うのだ。(旅行で財政が傷んだので、自粛をしなければと思っていた矢先)彼はマーラーと会話した世代の指揮者、演奏は聴取者がヤキモキするスローテンポ。現在は若手の指揮者に代替わりして、結構快速演奏が多いので、躍動感が感じられ好感しているが、古きを訪ねるのも良かろうと。先般購入したクルト・アズアのBOXも未だ2枚しか聴いてない中での購入を決めた。
その上、ピーター・バラカンのウィークエンドサンシャイン(主にブルース、ロック)も耳を傾けなければならず、夜も結構忙しい日々が続きそう。

3月20日(水曜日)氷雨
朝の早い時間は太陽が出ていたが、段々と雲行きが怪しくなって、昼には雨や風に変わった。奥の山は真っ黒な雲に覆われて雪模様だった。ただ気温が高いので、降っているだけで終わりそうだ。
午後は竹刈をして、畑に当たる日照権を確保しようと予定してたが、雲行き怪しく3時ごろまで室内で書籍の裁断をして過ごした。昔なら挙行してたんだが、弱くなったのかな。
3時過ぎ太陽が出て来て竹刈を始めた。この竹の層を薄くすると、我が畑に昼から西に向かう太陽が当たるようになる。昔は祖父がこまめに手入れをしてたので今ほど状況が悪くなかった。

「女たちの沈黙/パット・パーカー」を読み終えた。12世紀アテネとトロイアの話。木馬の話は出てこない。英ガーディアン誌が21世紀最高の書籍と認める。
ギリシャに攻められ父も母も兄弟も殺されて、ギリシャ軍将軍の戦利品(奴隷)となるブルセイス(女)の目から見た物語。戦士、仲間の奴隷、獲得した捕虜の扱いを、非常に繊細で深く洞察し一人称で語っている。この物語は先に男の戦士から描いた物語「イリアス」があって、それを反対側から見つめているとも訳者後書きにあった。
男にはない視点で、しかも細やかな感情は日本人作家かと思わせる場面もある。英紙が評価するのも頷ける秀作だった。

エヌビデアがAI用GPUーGB200を発表した。性能が前機種H100より数十倍と言う。AIに使う半導体の課題は勿論速度であるが、もう一つ消費電力も大きな課題で、発電所を1基準備するかどうかレベルであるらしい。AI半導体の電気食いの他に、それを支える膨大なデーターを格納するサーバーも必要で、電力は温暖化を助長している。そして、この発表会ニュースでは消費電力削減については未だ目にしてない。

3月19日(火曜日)雨
午前中の作業を淡々とこなす。この所寒くて真冬のようにエアコンを最強にして電気カーペットも最強にして過ごしている。これまでずっと靴下なしだったが、今日はこの冬初めて靴下をはく。気が緩んだのか、身体が弱ったのか不明。血圧が低くなっているのも関係しているかもしれない。所謂血の巡りが悪いのだ。喉の風邪が治ってなく、咳は相変わらずでもう20日を経過。

これではいかんと一念発起。風邪の具合も安定しているから、プール2km。久しぶりなので時間は少しかかったが足でターンし、バタフライも200m含めた。最近は、椅子に座る時間が長くなって腰痛がチラホラ顔を出していたが、バタフライで一掃された。水泳後、風邪もぶり返さなかったので、週一のプールは復帰出来そう。旅行と風邪で下腹が出来てたので、良いタイミングでもある。

今回の旅行記はしっかりと撮影したので、未だ2日目が緒に着いたばかり。特に美術館の絵画は、解説文がチェコ語、ドイツ語、英語で、説明文から英語の部分だけを抜き出し、チャットGTPに翻訳を頼むが、向こうはAIなので、何度もお願いすると、結構ズルしてタイトルのみしか訳してくれなくなった。この点人間のように相手を見抜くのです。
そんなこともあって、亀さんのような進捗だ。

日銀がマイナス金利を終えたと発表し、号外が出た。よく見れば0.1%。馬鹿にしてるとちゃう。データーを追えば、日米の金利差は発表前よりも広がり、10年国債の利率も開く、円も150円突破。日本だけが騒ぎ世界は認めてないガラパゴス。

3月18日(月曜日)晴れ
よく寝た、と言っても5時起床。6時間の睡眠。もう1時間眠れば最高なんだが。日経新聞休み。NYTで2020年のトランプ議会襲撃の評論記事を読む。もう事件の報道とは違うから難しい文章表現だ。パット見では訳文の糸口が見えない。熟語も前の単語とくっつけるの?それとも後の単語と結びつけるの?4行くらいの文章に15分くらい立ち止まっている。どんなに頑張っても英語に触れるのは1日の中で3時間が限界。これでは、この記事に太刀打ち出来ない。ムキにならずほどほどにが答えかな。

午後は砂糖の出荷。帰って墓参り、夕食の支度をして、風呂を焚きながら竹垣を1時間だけ刈った。
明日は雨だから作業はできず、どうやら怠け病を患っているかも知れない。身体はだるくもなく元気もあるが。

3月17日(日曜日)雨
英語の勉強は、一進一退で維持ぐらいかな。落ちなければいい。これで旅行はできるから。翻訳もいい加減に訳してページが進んでいる。読書の趣味が英文の書籍を読む事に転化できれば最高なんだんだが。

午後は散髪に南国市まで行った。「大衆理容」はここまで来ないとない。これで午後は終わって、夕刻集落の総会に出かけた。財政が豊富なので、役員には報酬を支払う決議が採択された。いい事だ。
その後2段の寿司弁当が出て懇親会となったが、近所の人が皆帰ると言いだして、僕もビール2本を貰って帰った。友人は残ると言った。
帰って風呂に入りビールを飲んだ。久しぶりのビールは苦い味で、体調が悪いのか不明。
1時間ほど酔いを醒ますのに録画ビデオの編集。それでも終わらない。

自分の部屋に戻り、旅行記の編集に取り掛かった。英語の美術解説パネルはチャットGTPで翻訳した。自分で辞書を引く時に困るのは、地名なのか名前なのか判別が出来ない時だ。普通の翻訳はカタカナでそのまま。だがチャットGTPは、それをハッキリと区別してくれる。17世紀の人の名前も地名も含めてだ。これはすごい事だ。

残念ながら、2020年訪問したイタリアの美術館(ウーフィッツ美術館など)訪問時はその知識がなく、単に絵のみ撮影。解説は現地で買った分厚い書籍からの転載、それでも撮影の全てをカバー出来てない。

絵画は自分の選択眼で判別するのが一番だと思っていたが、ある時書籍でその背景を知ると絵画の見方が変わると言われ、ハタと気がついた。まぁ解説文は全てが偏っているので、その一つとして参考にすれば良いと思うが、構図の解説は私見の余地はなくカメラ撮影にも参考になる。
絵画も音楽と同じで、パッと見では理解できない。何度も繰り返し見る/聴く。それで僕はそれを持ち帰り、家でじっくりと見る事に決めた。美術館のおっさんは怪訝な目で見るが、一度の訪問で彼らの意図を汲む僕の方が余程理解があるんだよぉと、自己弁護している。

実際2000万画素の素子に写り込む情報は半端でなく、意図も写し取っている(と思う)。有機テレビがやってくれば芸西村に美術館ができる。日本語の解説付きで。

G細を見れば、ヤマダ電機から処分業者に引き渡す運送料が2500/1台と高額で、結局洗濯機分も含めて15000円余計に発生した。事前に調べて廃品業者に持ち込めばよかったと反省。持ち込み先は先日シキデンに行ったついでに寄れる場所だった。洗濯機は8kgの日立製、農作業の汚れ物を洗うのが主だから一番安価なのを選んだ。

帰りに友人のS氏亭訪問旅行のお土産を渡し、玉ねぎのお土産をもらった。奥さんは背中がまた一段と曲がり、僕も含めて老化の道を歩んでいる。

帰って、明日電器屋さんが洗濯機を持ってくるので、庭を掃除し、故障している洗濯機を外に出した。井戸の周りにエアコン室外機を放置したままだっただったので、取り除くと笹が山積していた。こちらも恥ずかしいので掃除をした。古い家なので敷地面積が広く、いざ掃除!と頑張ると1時間ほどかかってしまう。
それに、西の小道脇の溝は先日の大雨で、山から笹、木の葉が流れて来て溝を詰まらせている。土曜日までに取り除かなければ、水が庭を流れ土をさらって行く。この山に続く小道は村の管理だが、実際に僕がやらなければ被害はこちらに降りかかってくる。田舎に暮らすと言うのはこう言う事なんだ。

夜の音楽にブラームスバイオリン協奏曲、バイオリンはヘンリック・シェリング/ハイテンク指揮コンセルトヘボー。バイオリンの艶がえらい生々しい。スピーカーの所為だろうと思いながら聴く。

3月16日(土曜日)晴れ
今日は親類の法事が午後3時から営まれた。住職がコロナで法要は無し、一同は喪主の家に参集し墓参りを済ませた後、普通のお客に突入。親類は親子孫を伴って集う。喪主の兄は大阪在住で息子達と帰省、久しぶりに大阪弁を聞く、大阪弁と一緒にオチもついてくるので、そうか!大阪弁はこれも必須だなと思った訳。

帰りは徒歩、1時間半。大阪のN氏に電話して近況を聞きながら。自分はまだ60歳のつもりだが、仲間の話を聞き自省すれば、僕もへたってそれ相当だろうなぁ、自分の変化は徐々なので感じないだけだろうと思った。

帰って酔いもあったので、1時間ほど録画ビデオの編集。NHKでクラシック番組だけ録画しているがそれでも膨大な量。最近のオペラは新規性を狙って衣装や舞台背景が現代風となって、僕的には賛同できないが、圧倒的に色彩は綺麗。画面の上半分が変色したプラズマテレビで観ているが、いずれはキチンとした物に買い替えが必要だろうな。テレビを見る時間がほとんど無いけど。

それに、最近は一度見ただけで妙に理解が薄く、見直す事もある。昔は見直すなんて気分はこれっぽっちもなかったのに。
そういえば寝る前に読む本も前に読んだ本をもう一度読み直している。内容を追うよりも、作家の持つ文体が好きで気持ちよくなるのだ。音楽を聞くのではなく音を聴くのと同じだな。

寝る前にアマゾンプライムで「ネイビー・シールズ・ローグ・ネイション」を見た。ツッコミがたくさんあるが、要は一人のヒーローが敵をやっつけてしまう、痛快劇だった。最近観るのはこんなお気軽もので、Amazonプライムは似たような映画ばかりを紹介するようになった。

3月15日(金曜日)晴れ
雨は日曜日に延期となったが、土曜日は法事、その日の午前中に出来ないことはないが、出来るうちにやってしまおうと、沖の田をトラクターで叩いた。昨年は3/24に行っている。ついでに、柿の木の下の草刈り、親類の畑の草刈りも行なった。親類のおばさんもふらふらしながらも、村の巡回バスを使って買い物に出かけている。この家系からミス高知を排出した、このおばさんもその日の雰囲気を少し残している。本家の岡村さんには片鱗も無いけど。
色々とやることは山積しているが、午後しか農作業に当てない。実作業時間が少ないから処理量も限られているが仕方ない。今年は文旦の草刈りがないので随分と気が楽だし、サトウキビの農作業はうまく回して行けると思う。
農作業以外では、納屋には先祖からのガラクタがあるので、身体の動くうちに処分してしまおう。

今日は金曜日、格別何も無いが、現役時代の金曜日ワクワク感がまだ残っていて妙に嬉しい。土日のプログラムを変更すれば、農作業や英語の勉強が大きく犠牲を受けるが、わくわく感が戻ってくるのは良いのかもしれない。農作業はまだ柵作りがあり、英語は英会話定番レシピの録画がまだ残っているので、これに目処がつけば、思い切って決断をしよう。

夜の音楽はブラームス/バイオリンとチェロの二重奏曲。演奏技術を問われる曲だと紹介されるが、なるほど微妙な引き回しが展開される。毎夜アンプが温まらない内に演奏を終えてしまうので、こちらも土日のプログラム変更で充実するかもしれない。音を聴くための音楽はとやかく要求はしないで、気持ちよく鳴ってくれるだけで良いから、夜はこうしてキチンとしたオーディオで聴くが、草刈りとか、トラクターの時は、ライ・クーダーを聴いた。ギターの泣きがサンタナほど大げさでなく嫌味がない。バラカンさんの紹介でこのブルースの世界に踏み込んだ。広大な音楽の世界を展望でき、量も質もオペラの世界に匹敵する。これは、ナッシュビルとニューオリンズを極めなければ僕の気持ちが収まらないのかなぁと。

3月14日(木曜日)晴れ
ヤマダ電機の洗濯機配送は時間通りにやって来た。昨日の午後注文したからえらい早い仕事だ。つまり今はあまり売れていないという事。戎谷さんと言う名前だった。珍しいのでどこから来たのか尋ねると、大阪と言われた。仕事は丁寧で確実だった。身体の大きな人で、洗濯機を軽々と持ち上げた。僕は羨ましく見た。僕の人生においてはこのような所作は出来なかった。

彼等が帰った後洗濯をするとびっくり。一つは糸屑がキチンとクズフィルターにかかり、服には付着してなかった。二つ目には、洗濯槽の中で衣類が絡んでない。三つ目には柔軟剤を投入してないのに仕上がりがソフトだった(僕は前機種のゴワゴワした仕上がりが好きなのだが)。改善のしようがない洗濯機と言えども進化していた。

午後はサトウキビ畑の草刈り。去年は4月17日に開始(ピーマン手伝いもあって遅れた理由もある)。サトウキビも芽が出ていた。農作業の日程を最低でも2週間ほど早めに回さなければならない。

夜はブラームスバイオリン協奏曲、バイオリンはハーマン・クレバース。指揮者と楽団は同じ。こちらが少し神経質かな。

寝る前1時間ほど、今回の旅行の写真編集を進める。プラハ城では詳細な説明を聞き撮影したが、今ネットで調べてもそこまでの詳細はなく、写真だけの羅列になりそうだ。

3月13日(水曜日)晴れ
時間をかけたのに一向に洗濯機が終わらない。もう一度確かめると故障だった。もう一台を試したが同じ症状。とうとう来たか?もう14年目。

午後の農作業は中止し、ヤマダ電機に新規を買いに行った。同時に、エアコンの室外機、ブラウン管テレビも廃品回収処分をお願いした。料金の明細を見れば、ヤマダ電機から処分業者に引き渡す運送料が2500/1台と高額で、結局洗濯機分も含めて15000円余計に発生した。事前に調べて廃品業者に持ち込めばよかったと反省。持ち込み先は先日シキデンに行ったついでに寄れる場所だった。洗濯機は8kgの日立製、農作業の汚れ物を洗うのが主だから一番安価なのを選んだ。

帰りに友人のS氏亭訪問旅行のお土産を渡し、玉ねぎのお土産をもらった。奥さんは背中がまた一段と曲がり、僕も含めて老化の道を歩んでいる。

帰って、明日電器屋さんが洗濯機を持ってくるので、庭を掃除し、故障している洗濯機を外に出した。井戸の周りにエアコン室外機を放置したままだっただったので、取り除くと笹が山積していた。こちらも恥ずかしいので掃除をした。古い家なので敷地面積が広く、いざ掃除!と頑張ると1時間ほどかかってしまう。
それに、西の小道脇の溝は先日の大雨で、山から笹、木の葉が流れて来て溝を詰まらせている。土曜日までに取り除かなければ、水が庭を流れ土をさらって行く。この山に続く小道は村の管理だが、実際に僕がやらなければ被害はこちらに降りかかってくる。田舎に暮らすと言うのはこう言う事なんだ。

夜の音楽にブラームスバイオリン協奏曲、バイオリンはヘンリック・シェリング/ハイテンク指揮コンセルトヘボー。バイオリンの艶がえらい生々しい。スピーカーの所為だろうと思いながら聴く。

3月12日(火曜日)雨、午後晴れ
昨晩は遅くに雨が降り出した。相当量の雨量があるのに気がつきながら寝た。雨音は実によく眠れる。今日から英語の勉強再開。やはり基礎を教えてもらうと英語の成り立ちがよく分かる。この半月の英語は自己流で通して来たから随分と道を外れていた事だろう。

エアーフレームの翻訳は、Microsoftのワードの翻訳機能が優れていると書き込みにあった、チャットGTPの影響もあるのだろうと、それで最初の4ページを翻訳してみたが、やはり長文になると、前後の文章のつながりなんかもあって、辞書を引きながら自分で訳す方が筋は通る。まぁ時間はかかるが、それだけ自分のものになるから、今のままでいいではないか。
旅行先で「アーノルドシュルツネッガー」の書籍が山積みされていた。きっと全世界同時発売だろう。ドイツ語と英語版があった。少し気持ちが動いたが、Kindle版を検索すれば、もっと安かったので、ここであえて買う必要はないと思った。英語の書籍は市場が大きいから安価ですね。僕の翻訳速度がもう少しあがれば原書でも良いけど。

午後は晴れたから、裏のミカンばたけの草刈りと垣根の竹を刈った。竹垣はいっぺんに仕上げるのは無理だから少しづつ刈ってゆく。途中から、サトウキビ畑の柵の修正に移った。これは前東東の畑。昨年も成長が激しく、太めのサトウキビで重量があったため、風に吹かれて東に傾いてしまったので、その修繕。

夜はベルリンフィルでラベルの「ラ・バルス」。これはウインフィルでメストが振って、物凄く感動した楽曲。それで比較のために聴いたが、配信でもあるので差し引かなければならないが、あの衝撃はない。ウインフィルのメンバーと比べて演奏に余裕がなさそうだった。

3月11日(月曜日)晴れ
いつもの6時起床は少々不安で目覚ましをかけた、時差ボケが残っているのか、風邪薬に含まれる睡眠薬の影響なのか何もしないと7時まで寝てしまう。洗面歯磨き後高知市に出かけた。1年に一度の健康診断。毎年3/11と決めている。
今回は少しやばいかなと思っていたが、少しの劣化で収まっていた。頸動脈の検査は0.09mm血管が厚くなっている。肺活量は200ml減って、慢性胃炎は変化なし。骨密度問題なし。下腹部の痛みと言うかしこりは大腸の問題があるとの事だった。早い段階で大腸の検査を受ける事だ。
スッキリはしないが関門を乗り越えたので、BookOffで2冊買って、シキデンによって近況を探ると、TADのスピーカー(TADGE1)が入荷していた。物凄い解像度の高い音を出していた。ハイレゾを聴けば疲れるだろうなぁ。でも音色は僕の好みで一気に惚れ込んだ。次の旅行もあるからもう160万円は厳しい。

帰りに「ナポリの風」で昼食。イタリアで食事をすれば、ワインはどうか?美味しいか?楽しんでいるか?などとうるさい、この店は接客が洗練されていたので「東京の風」と命名すればよかったのではと思う。高知では珍しい高尚な気分になれる店だ。味はあまりよくないが。まぁイタリアもそんなに味は良くなかったら、そんな面ではイタリア風かな。

帰り、役場で確定申告の書類を受け取りこの作業は完了した。大事を取ってもう一日休養と思ったが、明日は雨なので、近々切り倒した木を薪用に割って、ビニールで囲んだ。木は重く運搬だけでも汗が出て来た。薪割りは厳しく、腰が痛む。久しぶりに汗をかき水を飲んだ。初夏が近い。今まであちこち住んで、47都道府県全部訪ねて、春が一番似合うのは高知だと思いますね。

健康診断では今の食事で問題ないですよと、診断データを使って説明を受けた。そうか、たっぷりの野菜を調味料を使わずに、茹でる、炒める、蒸すで頂く他に、お惣菜屋さんの副食。これが日常、満腹感がなく、美味しくない。
時折羽目を外してインスタントやギトギトの外食毒を食べるが、主ではない。
美味しい生活習慣病の食事か、不味い健康食か?「君はどういきるか?」ですね。

夜はLPでワーグナー/ワルキューレ。モーツァルト/フィガロの結婚。スピーカーをB&Wに変更し、俄然声の部分がハッキリと聞こえる。TADに変更すればどうなる?低域の不足はどう補う?




3月10日(日曜日)晴れ
寒い朝。咳はやや軽くなったが、明日の健康診断に胃カメラ検査の時咳き込んだりしたら大変だと、一日中家の中で過ごした。昼過ぎ息子が車を借りに来た。少し話した。岡山に行くので、何か見所はあるか?とガイドブックを差し出して聞いて来た。倉敷の大原美術館はどうだと答えた。「お父さんはガイドブックなしで、よく外国を旅行できたね」

そう言われて、ガイドブックの存在に気がついた次第。コンサートと美術館以外は全て思いつきで行動だった。お手製だが多分旅行としては無駄が多いと思う。
NHKの深夜の番組にヨーロッパのトラムがあるが、チェコとウィーンはノリ倒した感があるので、映像を見てても感じがよく分かる。これなんか無駄な時間が功を奏したわけだ。

旅行は自分との対話であるし、自分の解放であるから、どうしても見所が必要ではなかった訳だし。と言い訳する。

今日は、一日中大塚美術館で撮影した絵画の編集を行なった。660枚の絵画がPPTに収まるはず。これが終われば、今回の旅行で撮影した美術館の絵画を整理しよう。自宅に美術館を作るのだ。


3月9日(土曜日)晴れ
頭が重く、咳が止まらず再びひどい状態になった。昨日は少し回復したと思って竹刈りを行ったのが不味かった。病気がぶり返して来た。9時過ぎまでダラダラとして病院に行って診断してもらった。取り敢えず咳の薬を処方してもらう。今では貼り薬があって身体のどこに貼っても効果があるらしい。心臓に負担がかかると言われたが。

病院を出るとカップヌードルが無性に食べたくなった。あの辛いお汁が飲みたくなった。スーパーに寄って、一緒に愛媛のポンジュースも買った。熱があるのだろう(測定では36.7)。多分僕の基本体温はもっと低く、僕にとっては高熱を発しているのだろう。血圧も100-50だったので、こちらも僕としては、やや低いかなって感じ。

猛烈な空腹を感じ11時過ぎに昼飯としてこの麺を食べた。すると強烈な睡魔。意思よりは身体の赴くままがいいだろうと15:00まで爆睡。
これまでのように、寝たからといってスッキルするわけでなく、やっぱり頭は重い。性格としてダラダラするのは嫌で、出したものは片付けてきちんとしたい、やって出来ないことはない、それだけの体力は未だ十分にある。でも、明日に伸ばそうとちいさな囁きは大きく心を占め、身体を動かそうとしない。
部屋の中がだらしなく散らかる。それを横目で見て布団に逃げ込む。

夜、風呂から上がると少し気分が晴れたので、ゴンサロ・ルバヤカバのCDを聴く。93年マウント富士ジャズでこの人の演奏を聴いているが記憶は薄れている。ピアノを弾くのが速かった、CDのライナーノーツを読んでいると、超絶技巧に頼らない演奏とあって、そうか、あれはゴンサロがこれでもか!と弾いていたんだと、今になってわかった。山程あるCD棚にはお宝が詰まっている(他の人には価値がないと思うが)


3月8日(金曜日)晴れ
関東地方は雪だとか、こちらはピーカンの晴天。咳が止まらず未だ頭は重いが確定申告の提出をしなければならない、午前中一杯かかって仕上げる。ざっと200万円の農業収入があって50万円の経費が発生している。経費は年々低下している感じ。

午後役場に提出し、実ちゃんの息子嫁(息子さんは死去)に白玉糖のラベル印刷を渡す。帰って裏のみかん畑に倒れ込んでいる竹の切断。随分と太陽が差し込み出した。下草を買って肥料を撒こう、そうすれば来年は小夏が収穫できるかもしれない。もうこの畑は竹に侵食させない。孟宗竹は穴を開けて除草剤を注入するつもり。それで多分今年たけのこは出てこないはず。

久しぶりに身体を動かした、時間が短かったのか疲れはない。このまま通常活動に戻れそうだ。それで、夜音楽を聴きながら少し書ける。
ピーターバラカンの音楽日誌を読んでいる。紹介される音楽は全て特筆ものばかり(Apple Musicで確認)、一方ブックセラーズ・ダイヤリー/ショーン・バイセルで紹介される書籍は、Kindleで検索するも日本語訳になっている書籍はほとんど無い。原書はあるけど簡単には読めないから、この著者の「推薦本」のセンスがわからない。書く文章には味があるけど。

音楽は、ワーグナー/ワルキューレ/カールベーム指揮/バイエルン放送。この音楽を編曲し、フランシス・コッポラ監督は「地獄の黙示録」で採用した。映画音楽と歌曲のメロディは全く違うので、うまく編曲したなぁと感心する。この退屈な歌曲は大筋を理解して、全体を聴き流すと気持ちが良い。

もう一枚、マッコイタイナー/ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ。この前行ったオーストリアはクラシック音楽のメッカだが、お隣のスイスは夏の間ニューポート・ジャズ・フェスティバルで賑わう。今はもうロックやブルースありで面白くは無いがこのアルバムの録音された1963年当時は、まさしくジャズのみだった。僕は11歳の時で、今のように音楽の理解もなければ、海外は未知だった。今では、実際に現場で聴けるような音質と音量で楽しめるから、時代遅れだとしても悔いはないけど。





3月7日(木曜日)晴れ
天候と共に僕の健康も回復して来た、頭の重さは取れたが咳が止まらず半日布団の中で過ごす。「ロセアンナ」を読み進める。スエーデンの運河で絞殺されたアメリカ人女性の犯人を追及する物語。被害者は遊覧船に乗っていたことが判明、同乗客、従業員を事情聴取するが、観光客は世界に散らばるため難航する。進展となった鍵は観光客が撮影する写真を集めると、被害者と親しくしていた犯人が想定できるのではとの推定だった。
もう今では当たり前の手法だが、1970年以前にこのアイディアを使っている。北欧刑事物も隅におけないと言う事。

午後は布団から這い出して確定申告準備を行なった。仕上げるつもりだったが気力が続かず、明日に持ち越し。近所の方から3月17日は部落集会が開催される旨告げられ、会費500円を収めた。総会では議事はあるものの、サッと終わり懇親会。豪華弁当に飲み放題。大体一人缶ビール5本位を想定している。西分部落は土地の賃貸料(黒潮カントリー)があって裕福だから、このような豪華接待が可能だ。参加者は別に共通の話題があるわけでなく、酒を飲むために話すみたいな感じだ。

3月6日(水曜日)曇り
状況はますます悪くなって、今日は頭が重い。布団から抜け出せない。咳が止まらない。多分今日が最悪、喉が痛む病気は1週間くらいで抜けて行くと予想したが、年だね、もう1日プラスしなければ。
寝ていると、再び高知の友人がやってきた、仕事の暇つぶしの為、今回は間に1週間も挟んでない。僕は重い頭を抱えて起きるのはしんどかったので、コロナに罹っていると伝えた。

眼が覚めると「笑う警官」を読んだ。バスで射殺された被害者と交友関係者28人を次々と洗って行く、地に足の付いた活動で犯人にたどり着く気の長い話。途中に犯人を想像させるヒントもなければ登場も無いかなり倦怠感漂う文章展開。先日飛行機でチラッと見た「カミーノ」もそんな感じ。どうやら、僕の好みはこうした一歩一歩の物語だろう、多分農作業がこれに近い関係もある。先日は自分を見つめる旅だったが、やっと1つ明らかになった。(成果/コスト=非常に悪い。これが好みだろう)

頭が重く布団から出たく無いと思っても、風呂に入って、ご飯は食べなきゃならない。自分がやらなきゃ誰がする?生涯を通じて一人暮らしが長くなったので、粗食には慣れている、野菜が多ければい味はどうだって良いし、風呂はこんな時のために薪を切ってある。鶯が少し上手になって鳴いてくれるがこの気分では慰めにならず。

布団に入って笑う警官の次作「ロセアンナ」に進む。この本も前作も原作は古い。日本語訳は既に出版されているが、スエーデン語→英語→日本語訳だったらしい。今回のはスエーデン語→日本語訳の直訳。主人公のマルティン・ベックの私生活の状況(家庭生活がうまく行ってない)などは結構リアルに描いている。(アメリカ映画などはかなり極端に表現するが、これはそうではない)
想像で行っては申し訳ないが、英訳は結構猥雑な枝葉をすっぱり切り落とし直裁な表現になる。誤解がないが、ふわっとした雰囲気が消えていると思う(はず)。


3月5日(火曜日)雨
夜中に雨が降り出した。眠れなかったら降り出した時刻もわかる。1昨日は夜は苦しんだが、朝起きると平常に戻ったが、今朝は夜中の痛みを引きずっていて、野菜ジュースのような流動食も受け付けなかった。喉を押すととんでもない痛さ。

これはダメだと芸西病院へ、病院ではコロナかインフルエンザか?検査結果は罹患してない。炎症を抑える薬のほかに痛み止めも貰った。昼食の後1回目を飲んだが、これでほぼ回復したような感じの錯覚、それ程喉が痛かったから。薬の影響で眠く午後も寝る。夕刻起きてお惣菜を買いにゆき、帰って風呂焚き、ほぼ日常に戻った。

Amazonで刑事物として「わらう警官/ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル共著」をダウンロードして、布団の中で読んだ。物語は1960年代、ストックホルムで9名の銃による大量殺人事件が発生、これを刑事が解決してゆく。頭がぼんやりしている時は、ハラハラドキドキより、確実に回答が見える読み物が良い。
布団の中で本屋さんを物色してこれぞと思ったのが買える。そして、しばらくするとそのまま読める。便利だねぇ。

3月4日(月曜日)晴れ
眠い、だるい、もっと寝ていたいが約束がある。Tの婆さんと菊の苗を貰いに行く。場所は香美市の龍河洞の奥、高知工科大のある辺り。婆さんの実家。ここに亭主(T婆さんの兄)を無くした嫁が住んでいる。こちらもT婆さんと同じ82歳。だが背筋がまっすぐで、おっとりと話し、顔にはシワがなく足腰はしっかりとし、とてもその年齢に見合わない風貌だった。
一緒に菊の苗を選定してくれた。僕は根こそぎもらっては悪いだろうと、途中から草引きに変更した。
赤と黄色の菊の苗と言うか枝を大量に頂き、車に積み込んでから、日当たりの良い風は当たらない庭でお茶の時間。近況をうかがった、亭主がなくなって「今が一番幸せ」と言う。この言葉は何人もの人から聞いた。

亭主は一生懸命働き財産を拵え、嫁がお金の心配なく老後をゆっくりと過ごせるように手筈を整えて亡くなった。だが嫁はそう見てくれなかった。こんな人の良さそうな可愛い婆さんから、そんな話が聞けるとは思わなかった。

この奥さんは気の良い人でなんでも受け入れてくれる人のように見えたので、旦那はかなりの無理を言ったのだろうか?

夫婦というのはそんなもんかな。今回の旅行で仲の良い夫婦をたくさん見かけた。二人だけの旅行者は僕に合図をくれた。でもツアーで来ているご夫婦は、一方がスマホを見入って周りに気付かず、愛想をする人は見かけなかった。

次第に喉が酷くなっていて、帰ると直ぐに寝た。夜中は唾を飲み込むのも頭に抜けるような痛みがやって来て、一睡もできなかった。旅行で病気を貰って来たのだろうか?

3月3日(日曜日)晴れ
大事をとって、一直線で帰ろう、睡眠不足で眠いのなんの。越知町まで帰って来たので、ローソンでコーヒー。日高村でK子に会って、彼女の販売する「もへい餅」を購入。流石に美味い。「昨日の倍作って販売してます」と、元気な返事だった。

無事帰り着いて、直ぐに寝た。
寝ているる間に、お惣菜が冷蔵庫の中に入って、台所のテーブルには貸し出ししてた真空パックの機器と椎茸があった。
犯人はわかるので後でお礼の電話。
する事が山積、書きたい事も多々あるが、何も出来ない、出来ないが妙な焦りがない。
僕が何にも出来なくても、「地球は回る」か。

3月2日(土曜日)曇り
午前中バタバタし、12時に出かけた。バラカンさんのウィークエンドサンシャインを録音して車の中で聞いて行く。書籍も購入し、少し読むと、高知在住の喫茶店主とは懇意だと記載されていて、松山には本山経由(高知県の山間部を東西に走る道路沿いにある)で行くことにした。

店主は店におられ、話を伺う、アトリエも見て行けと、誘われた。物凄い広い建物で、写真や絵が飾ってあり、奥に50人座れるシアターがあった。今年の「9月に招待したい」と伝言を承り、松山に向かった。四国山脈の凹みを吉野川が流れていて、道路は川に沿って登って行った。

途中で国道33号線(松山-高知路線)に合流し、今度は仁淀川沿いを登って行く、久万高原でピークに達し三坂峠を下る。軽トラで行ったが、頂上の気温は-2度で室内は肩が冷えるなど暖房能力が不足した。軽トラは4輪駆動なので、もし雪があっても安心なため。

ホテルに荷物を置いて、barエピタフに向かった。二番町(松山の飲屋街)の真ん中にある。30人限定で、名前をチェックし入場した。パナのN氏も来られる予定だったらしいがご不幸で欠席。パナのマスコミ担当は色々とコネがあるようだ。それで僕も大事に扱ってくれた。

ピーターさんには、ミシシッピの店主の伝言を伝えた。にっこり笑ってわかったと。
評論家の山本氏にもお会いし、挨拶をした。向こうは当然忘れているので、素性をお伝えした。
DJはNHKのウィークエンドサンシャインと同じ事形。ファンには全く違和感はない。ラジオと違うのは、リンのプレーヤー、マッキントッシュの真空管アンプ275、JBLのパラゴンと、錚々たる顔ぶれのシステムで、低域は詰まりながらも、それ以上はスピード感のある音を出していた。

演奏するLPの楽曲はアプリSoundHoundで曲名を検索し、演奏者/アルバムタイトルをメモして行く。そしてApple Musicでヒットするかどうかの確認も。
当日はできなかったが、僕のメモ用紙にはプレイリストが出来上がった。このバーとは違う音だが、ピーターさんの話に沿った演奏が自宅で再現できる。これってある意味財産ですね。(ごく限られた人にしか価値はないけど)

2時間のコンサートはあっという間に終わり、歩いてみんなで居酒屋に行った(予め申請してある)。向かい席にピーターさん、山本さんが座り、結構話を伺うことができた。
結局肝心のことは情報がなく、自分で探すことになりそうだ。ナッシュビルは本通りよりも裏の個性的な方が面白いと聞いている、と言われた。22:30解散。咳が出て来て熱っぽく、夜中は眠られず喉が痛む散々な夜。明日高知に帰れるかなぁと思ったが、少し寝坊した間に回復してた。

3月1日(金曜日)晴れ
洗濯日和だが、友人がやって来た。いつものごとく自分のことばかり喋って、僕が何かを言うと直ぐに自分でその話に結論をつけて話を他に導いてしまう。もう会話になってない、この傾向がますます強くなって来ている。僕は明日お会いするピーター・バラカンさんのラジオ放送の聴き込みを控えていて忙しかった、友人は暇でする事がないから来たと言う。そんな話し方をするから暇になるんだよ、と言ってももう通じないだろう。

やっと自分に時間が戻って来た。バラカンさんはDJ、NHK-FMとFM東京で放送されている、WOWOWにも登場してたが、今は契約を切っているので状況が掴めてない。得意分野はAOR系の音楽だが、ビートルズやローリングストーンズは含まれる。キューバ系も。そして彼にリクエストするファンはニッチなジャンルで詳しい、そんなお客さんが松山のバーに集まる。多分僕はその世界からは弾かれるはず。クラシックもロックも音楽は半分くらい聴き、半分は音を楽しんでいるから、本当の音楽ファンでない。演奏家とか歌詞の意味/意図をあまり理解せず聴き込んできた人生だった。

僕はどうしてもお会いして聞き出さねばならないことは、ナッシュビルのライブハウス名、もしくはロンドンのライブハウス名。バラカンさんが好む場所なら、当然僕もいいだろうと。

午後はかっぱ市場に砂糖を出荷した。仲間のI氏に20kgの砂糖を販売した。お惣菜を買い、風呂を焚いて食事をしながら居眠りをして、やっと覚醒した。時差ボケ。睡魔が来れば寝る体制だから全く問題ない。旅行では全くゆったりと過ごしたので、こちらではすべき事が山積しているのに、まだ旅行の余韻が残っていて、動きが悪い。

来週から頑張ろう、田村のおばさんが菊の苗を貰いに行くのに付き合うから、それからだ。

旅行中は「ロボット」を読み上げ、「モサドファイル2」を途中まで読んだ。モサドとはイスラエルの特殊諜報機関の名前で、アメリカのCIAやイギリスのMI6に相当する。この本はベルリンオリンピックでイスラエルの選手団が銃撃殺害された事件を追うモサドで活躍した女性たちを取材している。事件後、犯人のパレスティナ人を一人ずつ追い込み殺害して行く物語。
それを女性が担うのだ。当然ながら殺害もする。

この本を今日読み上げた。2023年パレスチナはイスラエルに攻撃を仕掛けた。現在イスラエルは反撃中、パレスチナ人の市民に影響が出ても意に介しない。しかし、いずれは終焉するだろう。

その後はモサドが何年かかっても着実にハマス幹部を殺害し尽くす。世界のどこに隠れていても。それがイスラエルの仕組みだ。と、よぉ~くわかった。実行部隊のハマス、国連のUNRWA職員は枕を高くして眠れないだろう。

2月29日(木曜日)雨
昨晩眠れなかったので起床は7時半だった。爆睡で頭が呆然としている。芸西村の水にあたって、昨夜の食事は軽くしたから、今朝は空腹だった。ウィーンで買って来た小麦粉で焼いたパンは、膨らみが足りず、塩辛かった。現地食べたパンが塩辛いのではなく、小麦粉の段階から塩辛いのだった。北国の人は保存食として塩を使ってきた食習慣が影響しているのだろう。

野菜ジュースを作った後気がついた、生水を入れてしまった。
結局午前中腹痛。僅か14日間の旅行だが身体がヨーロッパ人になってしまった、日本人でなく。

午前中は写真の整理、iPhoneから取り込んだ写真ファイルは撮影順に並んでいないので往生する。やっぱり小型カメラをサブに持って、iPhoneに頼るのはどうかなぁと思うが、取り込んだ映像はやはり2000万画素の実力があって、トリミングしても映像はぼやけなかった。おそるべし解像度だ。スマホのカメラおそるべし。

料理の先生がお土産を取りに来た、僕の話を聞くのではなく、芸西村の一部始終を喋り倒して帰った。救急車で運ばれた事もあるとの事だったが、他は自分の携わっている村の弁当の話で、概要も掴めず相槌を打つしかなかった。
HPをアップし、夕刻師匠と親類のおじさん宅にお土産を届けた。

帰って風呂を沸かし食事をすれば猛烈な睡魔で、そのまま寝てしまった。

2月28日(水曜日)
7時半まで8時間1直線で爆睡。時差ボケはこれで解消。全てが自由時間だったので、向こうでも時差ボケはなかったけど。

西中島南方の駅前、松屋で朝定食を食った。日本の味噌汁は美味い。かといって、海外で味噌汁なんて飲みたいとは思わなかったが。(ここで水を飲んだが、これに当たって下痢気味)
阪急百貨店へ行った。ものすごい行列。入店に5分くらい要した。お土産を買ってホテルに帰った。高知へのお土産は老人が多いので日本のお土産が喜ばれると思う。それに珍しいから(福砂屋のカステラとか)

電車の切符を買ってマクドのビッグマックで時間調整。
ウィーンのマクドで何度も挑戦するが、購入できなかった。英語の理解力を超えていた。

そして日本のマクドナルド、この注文の仕組みは日本語で書かれても難しい、注文の途中で一度この画面から離れて、自分の座りたい席に行って席の番号3桁を入力し、注文が確定する。Diで支払おうとすれば更にややこしい。
これじゃ英語表記でわかるわけないよ。(とてもドライブスルーのような感じではない)

もうマックは多分老人には相当ハードルが高い。それに単価の高いものが最初の画面で、「ビッグマック」は操作しないと画面表示されない仕組み。悪意がここに潜む。マクドはこれから低迷の道を進むだろう。

新幹線、土讃線、土佐黒潮鉄道と乗り継いで16:10芸西村に帰ってきた。
いつもの風景、いつものにおい。
風呂を焚いて買い物に出かけた、電話がいくつかなったし、師匠ともガソリンスタンの前であった。「死んじゃーせんろうか?電話も通じないし」と言われた。

電車の中で寝たせいか、夜はなかなか眠くなかった。









2月26日(月曜日)薄曇り後晴れ
毎日同じメニューの朝食を食ったがあまり違和感はなかった。合計14日も日本食を食ってないが、全く問題ない。こちらの食材で十分生きられる。肉類は控えて豆とチーズを食べた。1日2食は随分と体の調子が良いのを発見。9時半、駅地下のスーパー(SPAR)に出かけ土産を物色した。荷物重量が25kgと制限付きの切符なので、この国で一番よく食ったニンジンのオリーブ漬け、オリーブ身のピクルスなど瓶詰めでの購入は諦めた。

やはり冬場、野菜に問題がある国なので保存食は豊富(乾燥食材で、花の種のようなものが豊富にあった)。今は流通が発達し、新鮮でないが野菜は豊富に並んでいる。青い新鮮な野菜は工場での水耕栽培製だろう。

自分のためのお土産にパン粉を買った。どんなパンができるのだろう。
今夜というか明日の晩と言うか懇親する仲間のお土産に、うさぎを金色のアルミで包んだチョコレートを買った。これはたくさんの種類が展示してあって、おそらく何かの風習のシンボルのはずだ。(後で調べるとイースター用)
師匠にはコーヒーの豆を買った。金と赤があって、近くの主婦に尋ねたがどちらがいいとも言わなかった(ドイツ語ですが)

帰ってお土産を真空パックし、チェックアウト。昨日行った道筋で空港に向かった。
空港の検査は厳しく、歯磨き粉とシェービングクリームを没収された。それと、腰回りに液体で浸した布を接触させ、バックパックにも同じことをして検査機にかけた。僕が想定するに麻薬検索。

空港は狭くて、待ち時間に端から端へ行き尽くした。乗り場に戻ると改札が始まっていた。何と機体はエアバスA380で旅客が多かった為、搭乗時間を早めに行っていた。
荷物にモバイルバッテリーは無いか?質問を受けたが無いと明言したが、実際は10000mAが入っていた。

ドバイまでの席は通路側を予約できていたので安心だが、随分と後方で70列目だった(A380と言えども、途中で大きく揺れが続いた)。コンサートの席よりもシート間の幅が広いので距離はある。ドバイまで5時間半、4つのエンジンの為か?追い風の為か不明だが速度はマッハ0.83(行きはB777で0.82)だった。

ドバイで再び荷物検査。面倒くさくなって、iPadなんかは鞄から出さなかった。
前回Cの出発口は全部歩いたので、今回Bを探訪(1時間くらい)次にAに向かったが、こちらは電車で移動するので、諦めた。ウロウロしていると警備員がどのターミナルだ?と聞いて来た。
Aターミナルはアラブと北アフリカ方向なので、警戒もあったのだろう。電車に乗らなくて良かった。
休憩に生ビールを飲んだ。タイガー、ハイネケン、一番搾りがあったが、飲みやすいタイガー、54(2164円)ドバイ金貨。(缶ビールだと1/10だった)アップルペイ支払い。この国の通貨は持ってない。こう言う点旅行者には便利になった。

ドバイから大阪行きはB777。こちらも速度はマッハ0.833。エアバスと同じ。行きはマッハ0.82。前方席(前方席は揺れが少ない)だが通路席ではないから厳しいと思ったが、隣のお母さんが息子と離れた席なので代わってあげて、僕は無事通路側を確保できた、これで2008年以降飛行機で通路席意外座ったことはない記録は保たれた。ウィーン時間では0時から9時までの夜時間を飛行し、殆ど寝ずに現地時間の夕刻大阪に着く。飛行機は満席だった。本来はコンサートの終わった24日に帰国予定だったが飛行機が満席でビジネスシートしか無く、その料金でこちらでは何泊もできるので、値段が下がる日程までずらした。


税関申告のカードを書く、パスポートは審査は簡易化されたがこちらは従来のまま。早く着いたのに18:14の電車にしか乗れなかった。岸和田で特急に乗り換えてみんなの待つ梅田のヒルトンプラザに急いだ。中々小洒落たレストランで食べ物も洗練されていた。さすが日本。海外で美味しいものを食べた事がない。まっそんなところにも行かないが。

みんなはもう国内旅行で十分だと、岐阜のO氏と同じ事を言ってた。
僕にとって海外旅行は幕内定食だ。写真撮影、英語の鍛錬、読書、音楽の多趣味を一度に満喫できる。不足はプールのみ、ただしカメラで重い荷物を背負っ長い距離を歩くから良しとしよう。

大阪のホテルは新大阪のクライントン、清潔で風呂があって熱い湯が出る。この11泊はすべてシャワーで済ませた。どちらも時間が不規則ながら寒気がする冷たいお湯が出た。今夜はお酒を飲んでいたが湯に浸かった。


2月25日(日曜日)薄日のさす曇り
今日は路面電車で飛行場に行ってみようと思い2日券を買って地下鉄に乗る。駅で日本人の母娘がチケットが買えず困っていた。助けてあげようとしたがクレジットカードの暗証番号が不明と出てそれから進めず、アドバイスできなかった。現金は無いか聞けば何とかあったので、それで買ってもらった。2€くらいなら助けてあげても良かったが。

地下鉄はU1、U4、U3と乗り継ぎ、路面電車71に乗った。
途中で下車、乗り換えの路面電車71Aを探したが見つからない。そうこうしている間に目的の番号を記載したバスが発車した。
そうなんだ71Aの表記はバスだったんだ。暫く待つと71Aのバスが来たが充電に入って運転手は隣のバスを示した。
乗客にこれが71Aのバスかメモ用紙に書くとそうだと言う。
ついでに飛行場に一番近い駅は何処だ?と聞くと終点(Schwechat)だと言う。
そこから歩けるか?
わからない。隣の若い女性が手助け、こちらは英語。電車に乗ったら?
足では?と自分の足を示す、分からないと言う。
僕はやってみる、冒険だと答えた。
(英語はNHKのラジオ英会話で、とても綺麗な発音で聞いていた、それが、一転ドイツ語訛りの英語で不鮮明な素人の発音、とても聞くのが難しい)

下車してGoogleマップで調べると2時間半8.5km。明日鞄を持っては無理だな。とQBBの電車に乗った。
せっかく来たから飛行場で座席の予約を申し出たが、大阪行きは777で座席少なく通路側がないと言う。
取り敢えず予約してもらい、アップルウォレットは持っているか?と聞かれたので提出すると入れてくれた。もうすることがないので、ここでコーヒーを飲みながらこの文章を書く。

コーヒーを買う時、にいちゃんが「ミルクは?砂糖は?」全部いらないと言えば、ウォーと言った。そんなに珍しいのか?それともそれ無しで飲めないコーヒーなのか?
でも出てきたのはそんなに不味くはなかった、薄く、美味くも無かったけど。

もう何にもする事は残ってない。繁華街へ行こう。「ケルントナー通り」へ。前回も来た。歩いていると「Apple Store」があった。さらにその先に「シュテファン大聖堂」撮影しながら一周した。馬車が沢山客待ちをしていた。タクシー車の客待ちは排気ガスの問題があるが、馬車の客待ちは尿の問題があって、付近は水浸しだ。糞は肛門の後ろに袋があってそこに落とし込むようになっている。もちろん付近一帯は糞の匂いが充満している。此処は日本人も言語が多く聞こえてきた。中国語と同じくらいの頻度かな。

時間も来たので、途中目星をつけておいた海鮮料理の店に入った。海のない国で海鮮料理を食べる。パエリアと野菜炒め。オリーブ油をふんだんに使った料理で、果たしてコンサートの間腹が我慢してくれるか?店を出て歩いていると、50歳代のスペイン人夫妻が僕に手で合図する。僕は自分の事かと自分を指さしたら、そうだという。一緒に海鮮料理を食っていた人だ。旅行者は接触を求めている。

帰りは路面電車の「1番」でホテルに一番近い駅で下車。Googleマップを開いて現在地を確認しながら、下車を決める。

そこから20分ほどのホテルまでの距離はウロウロ見ながら歩けばあっという間に着く。地下鉄はほぼ理解できたので路面電車を開拓している。「0」、「1」、「71」は制覇したぞ。

ホテルに帰り腹具合を心配しながら少しだけ休憩。

17:45国立オペラ劇場に向かった。体調は万全だし疲れもない、若い頃と何ら変わりはないが、鏡に映った自分を見るとお爺さんだ。何処かで破綻が来るだろうな。この街は若い人ばかりで、老齢した自分が不安になる。

国立オペラ劇場で案内されたのは立ち見席だった。それはないだろうと、もう一度にいちゃんにチケットを見せると、間違っていましたと案内されたのは3階のbox席。だが椅子が5脚。別の案内人に聴く。「前列の左だ」と言う。よく見れば椅子に番号が付いていた。

取り敢えずトイレと、1階席に行き後方に向かっての撮影。テレビで見た風景だった。(こちらは断っていかなければ、入らせてもらえない)
席に戻り後ろで英語を話す若い女性に写真を撮ってもらった。

バレエは忙しい。ビデオで観るには主役の踊りだけだが、此処で観るバレエは、舞台の端にいる人達もそれぞれが演技している。一方演奏も指揮も見えるから、時々そちらも見る。主役に目を戻すと場面は大きく転換している。一体どこを見ればいいねん。

今回で明確になったのは、ウインフィル(オペラやバレエ、クラシックコンサート全て同じ楽団)といえども、オペラの箱の中で演奏すれば、鮮度が落ちて普通の音になっている。キレもない。別にウインフィルでなくても構わない(と思う)。

身を乗り出せば少し鮮度が上がるが艶は乗って来ない、それに下に何かを落としそうで危険だ。
一方映像コンテンツは楽器が明確に録音されていて、音が抜けている。
今まで妙に違和感を抱いてきたが、「オペラは音が悪いので面白くない」これが結論だ。

バレエの場面はオペラ同様に綺麗。
マリンスキー劇団と比べると、衣装が豪華、ストーリーに沿った舞台演出がある、オーストリアは裕福だ(いや、西側経済と言った方がいいか?)ロシアは今回の戦争前(2017年録画)だけど、舞台や衣装は貧相だ。ただ踊りの部分は甲乙つけ難い。というのは、女性の踊り子(役=キトリ、本名=ルドミラ)は結構着地の時、靴音がしていた。男性(役=バシロ、本名=ダビデ)は殆どしなかったのに対して。足のバネが不足しているのでは無いかと、僕の推測。

森の妖精が踊る部分は綺麗、みんな写真を撮りまくっていた。当方は暗くて操作できなかった。

性差別ではないが、男と女は踊りが違うように思える。ダイナミックな踊りは男しかできない。手足が四方に伸びて空中で浮かぶ。一方女は流れるような手と胴体が波のようにうねる、つま先立ちでピッチの小さな動きは、微動が積み重なったもの、逆に周りの女の踊り子は微動だにせず同じ姿勢をたもっている。頭にはビーズの王冠をつけているので、反射光が時々揺れる程度、むしろこれで人形では無いと分かる。

筋はドン・キホーテが旅に出て、二人のカップルが娘の親父に親交を阻まれているのを手助けする。
マリンスキー劇団の場合、造作物がなく、舞台が広かったが、こちらは中世を再現して、やや舞台が手狭。そこを大きく使って踊る。プロの仕業。
オペラと違うのはバレエは拍手の場面がやたらと多い事。しかも場面は固定されているので、自分の評価で拍手できない、人の拍手を見て拍手する。まぁビレッジバンガードのジャズもそうだけど。

堪能して会場を出た。
これで全てのスケジュールを終えた。
特筆すべきはチェコのビールとウィーンフィルは、一頭地抜けている事だった。自慢の風景や宮殿絵画など種々あるが、他の国にも誇るべきものがあって遜色ないが、この2つはどこの国にもないのだ。


2月24日(土曜日)晴れ
ウィーン探訪10選を開き、行ってみることにした。全てが徒歩30分の距離で今日は電車のチケットを購入しなかった。

「ベルヴェデーレ宮殿」はでかい。オーストリアの国土8万平方km(かつては70万平方km、日本の国土38万平方km)。狭い国土の中にこれ程広大な敷地を許すのがこの国民。しかも街の建物は5階位で高くない。自ずと集合住宅になるけど。
入場チケットを買う時、少し聞き取れなかったがどんな種類と聞かれたらしい(What kind ofではなかったようだ)、料金表を示したのでシニアと答えた。宮殿に入る時花嫁さんが撮影を待っていたので、断って撮影させてもらった。

宮殿はハプスブル家に従えたプリンツさんが夏の宮殿として作られた。会社で言えば、専務さんの位置づけで、その地位でもこれだけの敷地と建物が作られたわけだ。作曲家ブルックナーも住んだ館もあった。本館は美術館。騎馬に乗ったナポレオンの絵があった。疎い僕にでもこれはすごい名画だとわかった。

中国人の団体がやってきて大きな声で騒ぐ、名画の前に立つ、見ている前に割り込んでくる。世界2位のGNPでも寂しい人達だ。2時間強ほど撮影し外に出て、庭園を撮影した。と言っても端から端までは800m位あるから、撮影の為歩いたら15分ほど要した。


Webではこの宮殿についてみんな同じことを書いてて、違った視点がないのは、バスとかで急いで回るので概要しか掴めてないのだろう。日差しがあるとは言えやっぱり寒いので、ベンチでは休憩しなかったが、全部3時間ほどかかった。

次は「アルベルティーナ美術館」Googleマップでは混雑してない情報。途中音楽学友会の前を通ったのでポスターを見れば今夜マーラーの2番が演奏される。だが検索するも当たらない、25日はヒットするけど。しかし25日はもう予定を組んでいる。

諦めて美術館へ向かった。此処の終了は6時、たっぷり時間はある。そしてラファエロとピカソを見た。他にも「夜の庭園に立つ女」は素晴らしいものだった。この美術館は比較的明るく、多くがISO800設定で撮影できたので画質は期待できる。

出ると4時だった。もう一軒行けそう(飲み屋じゃないが)なので、国立図書館へ、僕は蔵書が見えると思ったが、蔵書の棚を見るだけでだった。書架は高さが10mくらいあって、梯子を使って取り出すような仕組みだった。書架はブロック毎に別れていて最後に60(ローマ字でLXと書く)まであった。「60」は保安のおっさんにも確認した。

入り口に蔵書の保管というか管理が書いてあって、英文をOCRし、テキストをGoogle翻訳で読んだら、全てデジタル化し保管、此処に置いてあるのは複製だが、それなりの印刷(金箔を使ったとか)施してあると書いてあった。湿度や経年変化は紙には厳しいだろう。

出ると、向かいの通路に音楽を聞かせるホールがあって入り口でチケットを販売していた。チケットは2月25日だったのでパスした。

しばらくゆくと、今度は総合のチケット屋さん(Box office)があった。
お客さんはいなかったが、もうチケットは諦めた。
その先に明日行くオペラ劇場前の広場、行列のできるホットドッグ店、googleマップも高評価。この地図は役に立つ。

徒歩でホテルに向かい、駅地下のスーパーでお惣菜とビールを買って帰った。
ホテルで、今夜見ることのできなかったマーラー2番をベルリンフィルを鑑賞しながら飯を食った。本当のコンサートならそれは出来ないが、休憩時にワインは飲める、しかしトイレのことを思うともうこの年齢では厳しい。



2月23日(木曜日)雨
今日は何も予定を入れてなかった。雨だったし、ホテルを11時ごろ出発した。あてもないので目の前のある路面電車「0」に乗った。此処から南方面の住宅に行く電車。途中で右に周り、左に左に住宅を縫って曲り、元の路線に出てきた。よく見れば、この路面電車はバックがないのだ。運転席は前方のみ。全ての線路は路線の両端が円を描いているようだ(環状線がそれぞれ路線の端にある感じ)。

「0」番線、片方は攻めたのでもう片方を攻めていると、途中で「ラディッキ通り」に出た。ヨハンシュトラウスの音楽にこの行進曲がある。そしてドナウ川。歌そのものものではないか。と言うことで近くの停車駅で下車。「美しき青きドナウ川」は幻滅の濁った黄土色の川だった。高知の播磨屋橋と同じかな。

近くの大きな公園パーク・プラターに入り、大観覧車や、塔に回転台が付いた遊具などを見ながら帰路についた。テーマパークではなく単なる遊園地、哀しいほど寂れていた。雨が降っていて暗かったので、余計にそう感じたかもしれない。せっかく来たのにこんな事で時間を潰して良いの?と声もかかるが、何もしない時間は高知ではないから、良いと思い込む貧乏性の私。
やっと街に出たので、来たバスに乗ってマップで位置を確認し地下鉄の駅で下車。切符は乗り放題のを買っている。

そこから最終U1の地下鉄で帰ってきた。地下鉄の出口に繁盛しているパン屋さんがあって、そこでパンを3個買った。チェコもウィーンもパンは重く塩辛いので、コーヒーとよく合う。ワインにも合う。
ホテルで食事し、少し寝て、いつもの如くコンサート会場に向かう。3夜連続。些か疲れもあるが。

ウインフィルは層が厚いですね。今日は違う指揮者で、演奏者も違っていて、勿論演目も違う。今日の指揮者はフランツ・ウエルザー・メスナー。リンツ出身で地元の指揮者がウインフィルの常任になるのは30年ぶりだとか。この人は難しい顔をしている。
演目は、販売しているパンフレットを係員に頼んで撮影させてもらったので、しっかりとわかる。

1曲目パウル・ヒンデミットの「吹奏楽のための演奏会用音楽」
2曲目リヒャルト・シュトラウスの「影のない女から」。
3曲目シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」。
4曲目ラベルの「管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」

全て知らない音楽だが、ウィーンフィルは作曲者の心情を紡ぐ事ができる、音響的にも中央で聞くので楽器が偏ってない、音の掛け合い、広がりなんかも明確で、全然知らないことが全く不安にならない。

1曲目はフルートとピッコロを兼ねたお姉さんが主役、始終微笑みを湛えて指揮者を挑発するように演奏していた。
右奥のバスーンがベースのようにドラムを刻む。時計のように正確に、これが余りにも見事で涙が滲む。此処まで出来るか、と。

2曲目演奏者の入れ替えと、弦楽器群が参加、小さな音で弾くバイオリンの広がりは何と表現する。隣で鼻をかむ音がイメージを損傷する。
最後列のベースのピッチカートの低音が地面を這う。
そして強音、混濁しない。一瞬にして終焉。ホールに残響がこだまする。あっけに取られた客はやっと拍手する。これを芸術と呼ばずして何と言う。楽器のサーカスか?

このメスナーは難しい音楽ばかりを選んでいるようだ。とても他の楽団ではこうはいかないだろう、金曜日の夜、しかも明日から3日間は昼間も2回公演をするフェスティバルの前夜。
どうだと言わんばかりの演奏。一切の修正なく録音しても販売できる完成度がある。

3曲目は段々と難しい曲に移行する。チューバとスネアと鉄琴の息がぴったり。ステージの端と端、距離の違いによる音の遅れはどう修正しているのだろう?と僕は疑問符ばかり。
ウインフィルで聴かないとこの曲は理解できないし、これはオペラの曲で、オペラではこんな明瞭な音は聞けないだろう(ボックスの中なので)。

4曲目、みんな笑顔で演奏している。かと言って曲そのものは難解だ。音で聴く音楽だ。チェロがゾッゾッと来る気持ちの良さは、何て言うのか?
最後は圧倒する音量が押し寄せてきて、NCマシーンのようにピタッと終了した。この感動は一生心の中で持ち続けられるね。



2月22日(木曜日)曇りのち雨
天候がすぐれない。今日は迷った挙句、シェーンブルク宮殿に行くことにした。地下鉄でU1経由U4。此処ではたと気がついた。チェコの地下鉄はC1とか「C」が付く、ウィーンは「U」だ。
ウィーンの地下鉄はSICのようなインバーター搭載で実に加速が良い、従来のレールインフラに高速列車が走るから、揺れまくる。運転も駅の手前まで加速続け、駅の手前で急減速する。倒れる女性もいて助けてもらい、周囲に謝っていた。

シェーンベルク駅で降りてしばらく歩くとチケット売り場。そこで植物園のチケットくださいと言うと此処ではない、向こうで買ってください。

Over there(あちら)の遠い事。15分以上は歩いた。これでも1/3。まるで芸西村の平野部がすっぽりと入るかのようだ。
チケット売り場では、最初此処はタダですよと言われた。それでガラスハウス2棟分と言ったら、向こうですと言う。さらに歩くと、一枚で両方入れるチケット売り場があった。

ガラスハウスの中は3つに区切られ、向かって右側が蒸し暑い熱帯、それから温帯、そして少し暖かいとなっている。ツツジが満開。椿、サクラソウ、少しだけ蘭。熱帯の植物を此処で管理するのは無理がある。温度はともかく日照時間不足だ。花弁があまり綺麗でない。音楽は此処で花咲くが、花卉の方は苦しい。花屋さんではチューリップが販売されている(多分オランダからだろう)がチューリップやヒヤシンスはない。

牧野植物園のように植物全部に名前がつくわけでもない。しかし寒い北国で暖かい熱帯の植物が味わえるのは庶民にとっては憩いだろう。なぜレトランを併設しないのだろう?ヨーロッパ最大とあったが、ここの人が、シンガポールの「ザ・ベイ・オブ・ガーデン」を経験したらきっと腰を抜かすだろうな。

砂漠館にも入った。まっ驚くべきものはない、熱帯の鳥が放し飼いだった。
建物を出ると雨だった。15分ほどかっぱを被って最初のゲートに行き、宮殿のチケットを買った。24€。美術館用のカメラは持ってないが、大したことはないだろうと入ったが、そして大したことはなかった。昔の貴族の宝物を眺める。パプスブルク家の夏の離宮。17世紀皇帝レオポルド1世が改築、18世紀マリア・テレジアが拡張。
入り口に彼女の肖像画。確かに気意高く、上手く修正して描いたろうが、本来は結構イカつい顔だったんだろう。名前を残すにはそれだけの「顔」が必要だと思う。

以降は、その家系の人物がずらっと並んでいる絵画と、晩餐会のような宴の部屋が続く。飽きてきた頃、守衛さんに止められ、ここから帰れと指示される。後でチケットの説明書を見れば右半分が見られる券だった。
全部見るチケットでなくてよかった。+6€もしたから。

いつのまにかカッパをなくしていて、駅まで濡れた。駅から中心部に向かった。Wien mitteと言う駅で下車、前回帰りの空港へのアクセス探索できたことがある。
此処からU3に乗ってstephansplatz下車。「シュテファン大聖堂」(大きいが手入れされてないと見た)と近代の建物が混在する、グラーベン通りに行く。歩行者天国(古い言葉)で、この街の銀座4丁目界隈を散策した。
アップルの店もあったので、此処が中心だろうと思った。バザーのような屋台もあった。スーパーでお惣菜を買って帰り食事後しばらく寝た。

シャワー浴びてスッキリとし音楽学友会ホール、ムジクホールに向かう。チケットを見せると交換して来いと言う。あっちの方向だ。チケットはQRコードかバーコードが必要だった。交換所に行くと明日の分まで発券してくれた。

席を探してゆくと、10列目の9番。ほぼ中央だった。後は通路。手を叩くと残響は多くない、ベルリンのハーモニーホールの方が長い感じ。ウィーンフィルをこんなに近くで聴けるなんて、バチが当たるのではないかと。

このムジクホールは小さく京都よりも更に小さいかな。天井は高く絵が描かれてあるのはテレビなんかで見た通り。造りは古い、舞台も傷だらけ、シートも背もたれは木で、動くと軋み音が出る。

良いのは演奏と歴史と、ホールの特性を知り尽くした楽団のノウハウ。太陽が東から登るのと同じように、此処でどう弾けばどんな音が出るのかわかっている。着物を着た日本人女性3人組を見かけた。荷物を持っての旅行は大変だろうな。

この楽団の音合わせはバイオリンだ。普通はオーボエみたいなのでやっている。
ハイドンから始まったが、このバイオリンの柔らかさはもうCDの中に収まらない。音域は収録できても、艶が入らない。アダム・フィッシャー指揮(ハンガリー)の指揮は楽団と息が合っている。

昨日は結構指揮(棒を振って)してたと思ったが、今日は肩で指揮。ウインフィルはタイミングを指揮者が行い、強弱などは一切しない。カルロス・クライバーも結構肩で指揮していた。

モーツァルトピアノ協奏曲24番。藤田真央のピアノ、か細く、一切をダメにした。長く速い連打では最後の語尾が不鮮明になる。昨日もそうだったので、残響のせいではない。打弦力が足りないのだ。
欧州の人はこの繊細な演奏を評価するのか不明だがブラボーの声はあった。僕には、アダムフィッシャーが盛んに他の楽器で支援してたように見えた。

(この曲は帰ってルドルフ・ブフビンダー&ウインフィルで聞くと、やっぱりピアノは独立して存在感があった。全然か細くない)
藤田真央がどれほどの評価を受けようとも、僕は支持しないし、不安でたまらない演奏なんかを評価すれば、至高の音楽はなくなる。

バルトークは多分この指揮者の得意とするところだろう(ハンガリー出身なので)。このシンフォニーを一大絵巻として表現した。ゴム毬が跳ねるような低域(ジャズでは無いぞ)から風の囁きのようなバイオリンとビオラ。作曲者の意図がこんなにも鮮明に描き出されるとは。(意図が理解できたのではなく、意図があることがわかったという意味ですが)

フルートとバイオリンは離れているのに完璧に息が合っている。
何だか神がかり。怖い気すらする。

チェロ独創は若そうなにいちゃん、気負いもなく淡々と既定路線をブレもせずまっすぐ走る。どれだけ練習を積んだのだろう。
後で挨拶する時、指揮者は彼を名指しした。

喉がカラカラ、休憩時間に飲むとトイレの心配。それで終了まで我慢。ホテル近くまで帰り、Losteria(パブ)でビール。店員のおすすめをお願いした。普通のビールだった。チェコのあの感激はない。にいちゃんは席で清算してくれた。腰の機器が重いやろうと言ったがわかってもらえず、レシートの紙に書いた「kg」とそしたら通じて笑った。


2月21日(水曜日)曇り
今日の夜はコンサートだから、遠くは行けず市内観光と決めた。筆頭は「美術史美術館」探訪。徒歩で向かった。ケバブの店で「にいちゃん」撮影。道中でかい建物があって、都度撮影。イタリアのように、全てに価値ある建物ではなく、近代建築も混じっているので、ごちゃごちゃ感は高い。電柱は無いが
、路面電車があちこち入り組んでいるので、街中は少し乱雑感あり。

この街の歴史は、ハプスブルク家の歴史そのもの。1273年7代目はローマ帝国の王に選出。1278年息子たちをウィーン居住させ(元々はスイス)、1918年まで統治する。統治の期間が長いだけに築く富の蓄積はでかい。10時開館の前から並びシニア料金(どこでもシニアと言うことが大切)18€で入館。美術館は期待してなかったが、遺産が多く残されていて、ドレスデン美術館同等の価値があった。カメラの電池も2本目に至った。こちらも、石膏の像が膨大で、さわり程度しか撮影しなかった。(像はわからない)

また、所蔵されている金の置物は圧倒する。価値のわからない私は、こちらも絵画のために撮影を控えた。すごいということだけわかった。

壁に掛ける版画のような彫像もすごい。こちらは特集をしていた。
こちらもチラッと見で通過してやっと、絵画のフロアに至った。いきなりフィルメールの「画家のアトリエ」が出てきた。撮影もこの頃から、ノウハウを蓄積してきて近くではなく、遠くから光の反射を抑え込んで撮影するように変更している。手ブレでなければいいのだが。

他にもブリューゲル「雪中の狩人」なんかもさりげなくあった。全部写真に収めたつもりだが失敗も数多くあるだろう。2000万画素を信じて、かなり小さく撮影もした。

帰ってJPEG確認し、色目が気になる場合はRAW現像しよう。
厄介なのは解説だ。英文なのでさっさと済ますわけにはいかない。完成すれば、膨大な美術館が自宅に出来上がる。


3時過ぎには終了し、再び徒歩で帰りながら夕食の食料調達。今度はスーパーBILLAで買い物。
ホテルで食事。食事後コンサートに出かけようとチケットを見れば2月22日だった。ハシゴを外された感じ。気を取り直して、ウインフィルのチケット立ち見席を10€で買ってでかけた。到着した時はすでにいっぱいだったが、なんとか前方が見える中央の位置を確保。

おじさん二人が占拠している間からコンサートを覗く。モーツァルトのピアノ協奏曲が終わって休憩になった途端、立ち見席の人たちは半減した。最初は帰ったのかと思ったが、空席に散らばったのだったとコンサートが終わってからわかった。前のおじさんは僕に此処の場所で見ろとドイツ語で言った。

今までCDで聴くウィンフィルはどうしても全容がつかめてなく、力強いベルリンフィルが好きだった。だが世評は違う、なんでかなぁ。その解明が今回の旅の目的でもある。そして立ち見席の前半は人の間に埋もれて音が吸収されわからなかったが、後半は人の影響を受けず聴くことができ、楽器の強弱の扱いがとても上手で、小さいな音、少しだけ大きな音など、ピッタリと指揮者に合わせている。音はまとまり、作曲家の造形美が浮かんでくる。成程と唸らせる技が次々と繰り出される。こんなの他の楽団にはないな。

モーツァルトのピアノ協奏曲24番は日本人の藤田真央(彼の得意とする曲)が弾いたが、虚弱で技術だけで立ち向かったが、圧勝され打ちのめされてしまっていた。僕が感じたのはなにが「ブラボーだよ」。ヨーロッパの人にはこの繊細な、か弱さが受けるのだろうか。マルタ・アルゲリッチならどう弾くのだろう?

立ち見客の少なくなったところで、バルトーク(難解な作曲家)を聴く。何だか不明だがバルトークの絵巻を読むような気がした。彼らは楽器だけでそれを再現した。此処までやるか?感動で少し涙も出てきた。10ユーロでも感動はある。

終了し、クロークで荷物を受け取り(2.3ユーロー、次回はコートを着てこないぞ)みんなと同じ方向に移動して、地下鉄に乗る。U4のホームには、立ち見席で僕の前にいて、休憩時に金網の前の立ち位置を譲ってくれたおじさんが居て、手を上げて挨拶した。こんな人間関係はドイツではあり得ない。

その先にあるU1に乗ってSudtiroler Platに帰ってきた。大阪で生活してた時のように、此処でも電車に乗って帰ってくる自分がいて、よくやっているよと思った。ASOMの連中なら「当たり前じゃん」となるが、海外経験の少ない岡村さんとしては頑張っている方だ。一つ一つが思い出になるのが一人旅の良さ。綺麗だったなぁ、美味しかったなぁで終わる団体旅行とは圧倒的に感動量が違うし、少しだが人との接触もある。



2月20日(火曜日)曇り
朝飯はゆっくり食っていられないので、そこそで飛び出た。9:15に出発する列車に乗る為。ホテルから歩きの時間を入れると45分は見ておかないと。
歩道も車道も石畳で、タイヤのついたキャリーバックは時間がかかる。それに昨日のパン屋さんや、駅中のスーパーを写真に収めておきたい予定もあった。

当然の如く駅では未だ列車のホーム番号が表示されず待っていると、同じような集団が動き始めた。掲示板を見ると乗り場は6S。このSの意味がわからず6番ホームを目指すと、何と4つの車両群が止まっていた。先ずは端から攻めようと、9:01発だった。これは既に発車寸前。違うな、引き返し、他の車両点検の途中で車掌さんらしき人に「助けるよ」と言われ切符を見せた(スマホのPDF)、車掌さんは自分のスマホアプリで検索し、「向こうの黄色い車両だ」と指さした。これで問題解決。きっとSは南のことだろう。

その黄色い列車は2や5の数字。僕の車両「3」がない。切符を切っている車掌(レーザーでQRコードを読み取っている)に聞けばもっと先だと言う。やっと見つけた座席。今度は頭上の棚が高くて荷物が上がらない、靴を脱いで座席の上にたちやっと持ち上げた(やり方は飛行機で経験済みだ)新幹線と同じように連結のところに荷物は置けたけど、やばいのでやめた(一応自転車のワイヤー鍵は持っているけど)。

列車はいつの間にか発車してた(機関車牽引なので出足は遅くてわからない)。最高時速は110kmくらい(スマホアプリで計測)。4時間の旅。水やサプリメントドリンクが出た。

居眠りと本を読みながら。本はロボット。終盤ロボットが反乱を始める。主人公がロボットは可哀想だと、痛みを付加するよう制作した博士に頼んだ為、ロボットは意識を自己増植拡大解釈して、意思を持つようになった)

結局現在のAI問題となっているのは、暴走、限界、制限の倫理がテーマ。つまり1920年の議題は今に持ち越されている。要は、結論が出せないって事。

車外の風景は広大な農地の中を走る。この広さは日本の10倍くらいありそうだ。多分トラクターも二桁馬力(我が家は25)じゃなくて3桁のが必要だろう。
農家はチェコの政策に反対してトラクターのデモを月曜日行ったと言うが、見なかった。
オーストリアに入ると速度が落ちて、20分遅れで到着。チェコのSIMがそのまま動作したので、Googleマップでホテルを検索し徒歩で向かった。と言ってもすぐ目の前。

チェックインで朝食の時間を随分詳しく説明された。おおよそ土日は時間が違うよと言う事だった(と思う)233号室。此処は0階か?と確認する。(日本は1階ですね)

部屋は綺麗。風呂無し。ウォッシュレット無し。冷蔵庫無し。金庫はあったが、表示FLの故障で数字が5以上は5としか表示されない。何も入れずチェックしてよかった。
先ずはもう一つの携帯電話に入っているSIMチェック、しばらくして回線が通じた。とりあえず2台の携帯電話機が動作するので、街歩きは大丈夫だ。

明日のコンサート会場、明後日のオペラ会場をチェックしよう。外に出ると真っ黒な雲。氷雨が降ってきた。これじゃ歩けない。地下鉄に乗る。切符はチェコと同じ仕組みだった。アップルペイが使えなかったので現金で。2.45€。乗った駅を撮影。降りる駅を路線図で確認。読み方不明で最初のアルファベット3文字だけ覚える。ドイツ語圏なのでなんとかプラッツが多い。

国立オペラ劇場を確認。手前に電車が行き交うので、建物はテレビで見る映像とは違いごちゃごちゃしている。音楽学友会もチェック。こちらも道路からの撮影だが、超広角でやっと入る。遠景はごちゃごちゃ。今夜はベルリンフィルがきて演奏だった、指揮者は常任のペトロンコ。後ろの席はあるかもしれないが、今夜は寝よう。

それから思い立って、帰りの空港までの交通便も確認しようとなった(自分で決めたんですが)リムジンバスや直行列車はあるが、これは旅行者が利用するもの、地元民は通常の列車。庶民の足を使わなければ来た意味がない。それで発着駅Win Mitteに足を伸ばした。直行の列車も確認。ローカル線とその切符の買い方、ホームで目当ての列車が来るのを確認。これで間違いなく帰れるぞ。

帰りはQBBだと1本で帰れる(はず)のに、それがどの列車に乗れば良いか不明。やばいことはやめよう、地下鉄で乗り継いで帰ろう。

U4とU1に乗れば良いのを路線図で確認していると、若い女性が助けようか?Sudptiroler Platzを示すと向こうの路線だと早いと言う。これで行けないか?停車が多いだけだと返事。それでも良いよ。別れた後掲示板を見れば、6番ホームから早い列車が出ていたが、ここ1番線からではそのホームが見えなかった。

ドイツ語圏でも英語を話す人はいるんだ。
ホテル近くの駅に戻り、SPAR、多分日本でもこのマークは見ている(スパー名のコンビニ2016年終了)。スーパーマーケットだ、此処でお惣菜、ビール、パンを買った。少し買いすぎた(2900円)明日は少し量を減らそう。

もうビールはチェコほど感動はない。もうやめだ。ハムは確かに美味いが塩辛いので危険。豆料理が多い。肉の代わりになる。

国によっていろいろとしきたりが違う、チェコに馴染んだと思ったら、「ご破産願いまして」と最初からだ。隣国なので少しは似ているかな。でもドイツ流儀が濃いだろうな。ドイツも6日間ぐらいは歩いたから思い出しながら、ここの流儀に慣れよう。


オーストリアはハプスブルク家の歴史だ。此処を抑えないと、この国は理解できない。最初はウィーン歴史博物館かな?ホーフブルク宮殿王宮宝物館、シェーンブルン宮殿、レオポルド美術館
こんなのがリストに上がっている。頑張れば全て歩いていける。地下鉄制覇はやめてこちらに切り替えか?

プラハでもウィーンでも感じるのは、ベビーカーを押した人をものすごく見かける。日本では見たことがない数だ。これが普通で日本は異常か?



2月19日(月曜日)曇りのち雨
本当は植物園に行きたかった、それがダメなら、国立博物館。でも、植物園は月曜日休園、博物館は口コミでモノがない。見るべきものは外観の建物のみと酷評。先日の共産国博物館も同じだったので敬遠。

チェコの人々は、ドイツの質実剛健よりも、更に静かに我が身を全うするみたいなところがあって、商業主義に溺れない自立心が高い。それがこの展示館なのだろう。
街を歩いていて、ここに日本のコンビニが進出したら、これら個人商店は殆ど淘汰されるだろうなと思った。
まぁ、僕が心配しなくても、いずれグローバル化がそうさせるだろう。ナンヤカンヤイッテモ地球は商業主義で一つにまとまるだろう。特に西側は。

それで、動物園に向かった。この街はコンパクトだから、徒歩1時間半で行けるので決行。旧市街でスリのおばさん(らしい)を見かけた、僕も標的にされた感じを受けたが、撮影のため道を左右したので厄介だったのだろうし、街を離れので、ついて来なくなった。

一つ大きな丘を登るので息を切らしたが、非常に寒かったのでプラスマイナスで均衡が取れた。この小高い丘はストロモフカ公園、今は寒いのでベビーカーを押したお母さんとか、お父さんしか見かけない。

冬でも枯れない芝生の広場があった。セントラルパークよりも広々としている。
時間通り1時間半で動物園に到着。チケットを買う時、シニアと言ったが、何人(order)?と聞かれたような気がして1名と答えるが通じない、もう一度ゆっくり話してくれて、何歳ですか(older)?と聞かれているのがわかった。年齢を言うとただのチケットをくれた。

北国の動物園はどう管理しているのだろう?大いに興味があった。
短く言えば、鳥、鹿、北極熊のみ屋外。他は暖房で保護された室内。0度を下回る屋外からいきなり南国の熱帯植物が繁る蒸し暑い猿の国へ、オランウータンを撮影して北国へ戻った。この温度変化は結構きつい。この繰り返し。

しばらくゆくと管理人の子屋があって犬がテラスにいた(この国では犬はすべて放し飼い)。撮影していると管理人が出てきて「サラ」と名前を教えてくれた。
呼び続けるとこっちを向いてくれた。

ここは50ヘクタールもあるとの事。世界で5番目。とても回りきれないなぁ。食事抜きで4時間。
サイとかゾウは気が付かなかった。ペンギンはパスして鳥方面に向かった。此処は鳥の宝庫。こんなに多くの種類を見た事はない。オリパスEMX1の鳥認識で撮影。

アフリカ館では、レオバードなんかもいる。圧巻はライオンと虎。日本の動物園ではこの2種は結構少ない。暖房の効いた部屋でライオンは寝てた。飼育のおばさんが来ると起き上がった。ガラスが反射してライオンは綺麗に撮影できなかった。

虎はウサギの頭を食べていたので動画で押さえた。再び鳥王国。金網で囲った中に扉を開けて入ることができる。幾つか入ったが、鳥の病気が怖くてあまり近寄らなかった。大型の黒いワシが飛んできた時は、羽音に恐怖を感じた。ヒッチコックの「鳥」ですね。

熱帯の魚、もちろんピラニアなんかもいて撮影。飼育されているとピラニアもも野生が鈍り、普通の魚みたいにおとなくなっているように見えた。ネズミのような小型の草食動物は結構癒しになる。ツツジが咲いていた。レンギョウも、動物園とは言え、珍しい植物も手入れされている。

Oceanの表示があったので、海洋もあるかと思えば、レストランの名前だった。
2013年に洪水で浸かった写真があり、この川には堤防がないが、それでは済まされなくなった時代を迎えたのかもしれない。しかしまだ堤防はない。アシカはただ泳いでいるだけ。フラミンゴは活発に動いていた。温室の中では大きな雉が夫婦で目の前を悠然と横切った。鳥が落とす糞が、植物の葉に付着するので、それを拭っている社員さんがいた。彼は早晩辞めるだろう。

爬虫類は多くの種が居たがパス。ヤマアラシは動画で押さえた。
文章で書くと僕の回った全容はこんなもん。

疲れ果てて、帰りは歩く勇気なく、バスに乗った。プラハ駅に行くか聞いたら行くと言った(気がした)、何か付け加えたが聞き取れない。多分乗り換えで行くと言ったのだろう。
でもGoogleマップを見ながらの移動なので、全く心配ない。
「ハジ」停留所で全員が降りた。此処と、動物園をつなぐバスだった。此処からはB線に乗ってムジカ駅に行けばホテルの近くまで来る。

動物園園で買った切符は90分乗り放題だった。

プラハ駅で昨日のおばさんのところでお惣菜を買った、なかなか上手い店で病み付きになった。高知でも、夜須のお惣菜屋さんで夕食を買っていて、僕はこの方式が気に入っている。味は随分と違うが。毎日でもよい。

帰り、地図を下げた女性が訪ねた店をチェックしてたので、ここでパンを買った。
ちょうど雨も降ってきた。これで本日の活動は打ち止め。シャワー浴びて
4時半にビールを飲みながら食事。
食べ終わると途端に眠くなった。今寝れば日本の時間に戻るがまぁそれも良いだろう。


2月18日(日曜日)晴れ、曇り
ホテルの朝食を簡単に済ませ、7:50飛び出した。少し余裕のある時間でプラハ駅に向かって歩いたが、大回りして到着した。

8:28に出発する列車に乗るため。行き先はドレスデン。だが駅では列車の到着するホームの表示がない。取り敢えずトイレ。トイレは有料で20cz140円。日本人からすれば汚いトイレ。
帰るとやっと表示があった「5番線」観光客か?ドイツ人のグループが散在していた。

列車は1号車からの順ではなく、切符は255号車。これではわかりません。ホームを散策していると、列車の号車表記があった。先頭から2番目だ。
列車は例によって機関車が牽引するから、ターミナルでは入れ替えが必要だし、日本の列車のように最後端がホームを離れるときには時速60kmに加速されいるとかはありえない、せいぜい20km/hだ。まぁターミナルは多くの線路を横切るので速度はあげられないから、上手くいっているのかな。

加速が緩やかなだけ揺れない、静か。150kmを2時間15分。平均速度66km。土佐くろしお鉄道の速度並み。
此処で問題が起きた、ヨーロッパ全域で使えるはずのグローバルSIMを入れたiPhone13が使えない。それで駅のインフォメーションでおっさんに聞くことに。すると市内観光地図を取り出して、道順を教えてくれた。30分くらいだ。

ドレスデンの街はプラハから比べると、整然としている。冷たい感じを受ける。東ドイツからは完全に脱却している。
僕は急いでいたから20分位で着いたが、入った建物は招待状がないと入れない。と言う。多分間違っている、付近の建物でそれらしき所へ行けば、なんと工事中と言うか、地面を掘り返していた。何だ?休業中とはマップになかったぞ。

結局、美術館を通り越していたので5mくらいバックして、入場。2階は石膏像ばかり、絵はない。困ったなぁ。

そして上の階3階(此処でも階のカウントが違うので、実際は2階表記)に上がると、絵画だらけ。順番に撮影。此処でも照明が不味く絵の表面に照り返しがあって、偏光フィルターでもなかなか減光されない。圧倒される量で、もちろん食事なんか取ってる暇はない。監視員がずっと付いていた。僕は全作品を撮影したので彼らも気分が良くないだろう。
ダメだとは言えないから。

フィルメールの「窓辺で手紙を読む女」は此処にあった。疲れて座っていると警備員がやってきて4階も良いよと教えてくれた。一体いくらあるの?と聞くと800枚くらい。僕は頑張って360枚くらい撮影した。このおっさん、「どこから来た?」日本と答えると、「元気ですか?」のみ繰り返しいってた。

写真は多分照明の関係で半分は使えないだろう。ネットで収集し入れ替えの必要があるだろう。フラッシュはダメだと言う割にはハロゲンランプで煌々と作品にスポットを当てるのはどうかな?

解説は英語とドイツ語。いずれにしても、写真の加工と文章の加工が伴うから3ヶ月くらいかかるかも。
14:10ギリギリまで撮影して退出した。書籍で補完するつもりだったが、パスして撮影に費やしたのが失敗。

まぁ電車に乗り遅れては行けないと焦ったのが失敗の原因。駅に到着し、ホームも確認して、スーパでパンを買って売店でコーラーを求め、やっと人心地ついた。こちらのパンは重い。塩辛い。

車窓の風景は、川縁に芝生があって、奥まったところに家がある。典型的な北欧の風景だ、堤防はないから綺麗。日本ではありえない風景だが、温暖化で数100年続いたこの風景も一変するだろうな。

農地は広く放牧や耕作が大規模で行われている感じ。スーパーで見かける青物野菜は萎れ具合から、南国から輸入している?地元ではビニールハウスでの即成栽培はなさそうだった。

道中はチェベックの「ロボット」を読んだ。チャベックはチェコ出身の作家。1920年に発表された劇。AIの進化する現在読んでも何ら違和感のない作品。詳細に触れず、コンセプトで綴っているから、こうして読み応えのある文章になるのか。

プラハに夕刻5時半到着。人がごった返すスーパーでお惣菜。野菜を使った調理食品がお皿に盛り付けしてあったので、メモ用紙に「100g」と書いて、料理を指差した。バッチリおばさんに伝わって、丁度の買い物ができた。
帰りにホテル近くのコンビニ(みたいな感じ、個人商店だった)でビールを買った。今日は当初予定の1日1500円で仕上げられた。
料理は酢を使ったもの、ピリ辛、豆とチーズ。いずれも日本では買えないメニュー。カマンベール一塊(280円)も。

食事の後はとても眠く、9時半頃には寝た。目が覚めたのは2時半。随分と寝たはずなのに未だ足りない。不足分は昼間に補う。



2月17日(土曜日)雨、曇り
スメタナドボルザークのお墓訪問。プラハ城からモルダウ川を挟んで対極の小山にある。

昔、預言者リブシェ(女)が築く、住民曰く女の城主はありえないと、夫を用意、夫は農民で城主になっても初心を忘れない謙虚な人で、藁で編んだ靴を家に飾ったとか。子孫の戒めの為に。

リブシェ曰く、向こうの岸にお城を建て、街をプラハと命名すれば永遠に続く街となろう、その展望の岸でみんな撮影してた。眼下には毎週土曜日開催されるマルシェが見えた。

ドボルザークのお墓は顔の像が埋め込んであった。指揮者ラファエル・クーベリックも共同墓地に。クーベリックは結構アクの強い指揮者で、マーラーの全曲をオーケストラを変えて録音している。オルフェオ(レコード会社の名前)に吹き込んだ代表作スメタナ/モルダウを持っている180gの重量級、名盤。名曲。

その前にスメタナのお墓。「モルダウ」の第一楽章はリブシェと呼ばれハープの演奏。この地はリブシェが開き眼下にはモルダウ川が流れる。
その隣に、カレル・チャベックのお墓。彼の代表作「ロボット」を今読んでいる。AIが出現した今でもこの本が時代錯誤でない。ここにこなきゃ分からない見聞。

小高い丘を降りてモルダウ川の岸辺を歩きマルシェ見学、朝ホテルで腹いっぱい食って、今日も2食のつもりだったので、ここで立ち食いできない腹状態。市場よりも食べ物屋さんが多い。昔は物販だったらしい。コロナが市場を変えたと言うか、此処でも「こと消費」に移行しているのだろう。
地下鉄でスメタナホールのある中心部に帰り併設の喫茶店に入る。Kさんと親しいウエイターと一緒に記念撮影。

別れて共産圏記念博物館。文字ばかりで、物がない。文字は英語文字をOCRでテキスト化チャットGTPにかけるが、この国では使えないと表示。
仕方なくGoogle翻訳機に。十分ではないがそこそこ。完全に訳すには帰って辞書を引くしかない。

共産主義を経験してないから、彼らの苦悩は分からない、又モノはつまらないのか、残ってないのか、展示がなく、2000円の価値はない。
国際博物館もモノがないと書き込みあって、この国は展示に対して僕らと違う感覚があるかもしれない。

直ぐに出て隣にある大きなショッピングモール(イオンモールの小型版200店舗と書いてある)を散策、クアラルンプールやジャカルタで見た中央吹き抜けモールと同じで、此処はどこの国?的にグローバル化していた。

3階のフードコートを2周くらいして、一店にマトを絞り他の人のすることを見てた。ここはグラム何円かで量り売りする店。食べ物はお皿に自分でよそう。取れないものは店員に頼む。会計はカードと言えば良い。同時にコーラも頼んだが、わかってくれず、隣の若い女性の手助けで無事ゲット。

此処から徒歩でホテルまで左に右にくねりながら散策。プラハの街はもう珍しいものが無く、結構退屈だ。この街は探索を終えた感じ。
少し仮眠の後シャワーを浴びて国立歌劇場へ。ヴェルディ歌劇ナブッコ。席は2階のボックス席。荷物を預けようとすると、持って入れとチェコ語で言われた(と思う)、これは何となく理解。

上野文化会館の「椿姫」でも感じたが、オケの音の抜けがよくない、スピーカーで聴いているみたいだ。箱の中で音が混じるからだろう。シャーンと言う伸びのある音が聞こえず、後から出た音に打ち消されるのは此処でも同じだった。

一方で録画されたオペラは近接マイクなどで音が鮮明。録画番組なのにここまで出るか?と思った程。
オペラは音よりも情景と歌唱力を見るのだろう。音に期待してはいけない。

ナブッコはアッシリアとイスラエルの場面が入り組んでいて、アッシリアには獄もあり、よく注意しなければ筋が見えないが、此処は舞台を上から吊り下げて、転換する場面を上手く変更する方式。大変分かりやすく対処している。また、服装を変えることで、アラブとユダの差別化を図るなどわかりやすい工夫があった。
アッシリアの王の娘で意地悪妹(アビガイッレ)は綺麗な人で、今まで録画で見たよりは垢抜けていた(悪役度が低かった)

王の娘2人から焦がれるイズマーレは確かに風貌も良いが、オケが止んで独奏になると、低い音のパートで音程が狂う。結構頻繁でこの人の限界か?まぁ地方(国際的に)だからこれで良いのだ。熱演しているし。

この入り組んだ劇を1回の休憩で仕上げてしまうマネジメントに恐れ入った。
また、指揮者は舞台の人たちも指揮をしているのが見えて、2階のボックス席と言うのは2倍楽しめる場所だった。

字幕は首を振る角度が小さく都合が良かったが、持参のメガネでは時が文字小さく読みきれない。推測で単語を補足するには技量が不足している。
英語字幕は要約しているので、わかりやすいが、心情を語るには余りにも直接的過ぎる。

日本語訳を携帯に入れていたので、幕間に読み込んで話の流れを追った。
舞台は綺麗で、やっぱり本物は良いなぁ。午後9時半に終わり、途中でピザとビールを買って歩いて帰った。この歩いて帰えられる距離感が良い。マンハッタンのヴィレッジバンガード、ベルリンのハーモニーホールいずれも徒歩でホテルに帰った。(普通の人はそんな事はしないが)

チェコが共産圏内で進化が遅れたが、開放後、割と早く先進国並みに経済や文化が普及したのは、元々この国人々は機械物に強い特性を内包していて西側の技術をキャッチアップができたのではないか?グローバル化した商品ではない中に、チェコの工夫が少し見える。


2月16日(金曜日)晴れ
今日からホテルの朝食を食べられる。バイキング方式(ブッフェ)ホテルの朝食は塩辛い、特にチーズ。そんなに美味しくない薄いコーヒーを牛乳で薄めて、大きなカップで飲む。パンも塩辛いので、コーヒーによく合う。

10時にKさんに迎えに来てもらった。今日はプラハ城見学。
乗り放題の切符なのでトラムに乗って坂道をグイグイ登っていく。戦火を逃れた街は区画整理が進まず、右に左に障害物を縫って進む。トラムはSICの活躍するインバーターモーターで可変速で加速も強く感じる。多分だがデフを使いカーブも車輪空転せず、車輪の空転音は聞こえない。

小高い丘の上にあるプラハ城はでかいし、心持ち寒い。
入口衛兵は美男子、何処かでこんなの見た(タイか)。

人間はどこでも同じと感じるのは、プラハ城入口付近は丁寧に見て回るが、半ば過ぎると散漫になる。此処でも同じ。出来るだけサッと見て行き過ぎる、空いた所で撮影。余りにデカすぎてLUMIXの8mm(標準換算16mm)レンズでは収まりきらない。iPhone15の0.5倍の力も借りる。こちらも2000画素超えなので、LUMIXとはいい勝負をする。

お城の屋内奥行き70m、芸西村のビニールハウスと同じ長さ(高さは違うけど)
この奥行き高さは入った人々を圧倒させる。側面はステンドグラス。ゴシック建設になってからとの事。窓が大きくなりガラスの絵柄は巨大な一大絵巻きでストーリーを持っている。日本にも屏風で、同じ発想のものがあり、考える事は皆同じかな。ロマネスクの建築混在し、窓の違い(丸一窓か、先が尖った窓か)。一部上塗りで構造も変えた可能性。

プラハ城に限らず、市内の全て、構造物に対するセンターの位置がわかりにくい。写真を撮影するには、日の丸構図は写真家には否定されるが、構造物が左右対称である場合、僕はどうしても左右対称の真ん中で撮影したい。後で上部のゆがみを修復するに便利なため。

それで、毎回微妙な動きでセンターを出しての撮影。これは、いずれAIに取って代わると思う。
城にはいろんな物語があって、Kさんは博識だから詳細に渡っている。僕が把握しきれたかどうか不明。カメラの写真は現地で開けないから、記憶が薄れない間に写真にコメント付記は不可能。

メインの建物を出ても他にも3つくらいゲートを潜った。拷問の部屋もあったが、殆どは忘却の彼方へ行くだろう。

一応全部見終わって、下界の風景を見ながらビール。此処で初めてチェコのビールを飲んだ。チェコビールは美味い。おつまみなしで飲める。コクと深み、まろやかな泡立ち。全ての点でパーフェクト。
チェコと言えばビール、言うだけはある。ちなみに一人当たりランキングでは1位チェコ、2位オーストリアと、この近辺の国に固まっている。量は2位のオーストリアの倍。もう一つ、チェコは美人が多い。日本にもA県など美人度の高い地区もあるが、あれと同じ。

巨大なお城は馬も入れる騎馬の場所も建物内にあり階段の歩幅が違う。

カメラを下げていたので写真券50czを買った。これを持っていれば安心らしい。

お城でK氏と別れて僕はプラハ国立美術館。この建物は美術館用の建物ではなく、何かの部屋を改造し、部屋がいく層にも別れ、見落としもあるだろう。同じ警備員に合って、あなたはもう見たから、そこから帰れと出口を指さす。

建物は2つあって、掲載の絵画は全て写真に収めたつもり。絵の説明書も。後半は電池切れでオリンパスEMX1。世代が古いので、暗いところではピントが合わない。iPhone15で補完。
不思議なのはこの絵が日本に来ると撮影禁止なのだ。なぜかな?

そこからカレル橋を渡ってホテルに帰る。Googleマップがあれば全く問題ない。

カレル橋は幅広く欄干に銅像。30体あるが23体まではネットで名前が調べられる。両側のうち、撮影できるのは半分。逆光のため。像の上にカモメがいて面白い写真になると、収めたが投稿も多い。

ここもトイレが見つからない、飲み物厳禁、汗をかく時期は難しい。冬に来て良かった。徒歩で巡る市内観光は納得感が高い。ガイドさんの説明がなく、非効率な動き、時間の拘束がなく撮影できる。などいろいろ理由はある。

今日は1日2食。からくり時計撮影で丁度午後4時。大勢集まり撮影している、僕はそれ程の価値はないと思った。だが、地元民は「はりまや橋に掛ける高知県人の思い」みたいな感じか。ホテルに帰り休憩。

温暖化で暖かい夜。夕刻小島さんと夕食、電車2本乗り継ぎ、自分で行かないから土地勘がない、次一人ではいけない場所。

行った先はビールの老舗の店160年位昔から。
やはりウインナーも塩辛い。岩塩をかじりながら酒を飲む感じ。
本家バドワイザーは美味い。白も黒も飛び抜けて美味い。こんなビールは飲んだことがなかった。ビール好きの人はどう評価するのだろうか?キリンやアサヒよりは少しまろやかで、口当たりがよい。ガツンと来ない、コクが上回るのかな?コクはサントリーのモルツよりも上、アルコール度が低い感じ。あまり冷たくはない。ぐいぐい行ける初めての体験。

食事後、徒歩でカレル橋の撮影ポイント。照度不足でスメタナの像が撮影でいない。

カレル4世が1357年7月9日5:31記念の数字看板を見て、カレル橋を撮影。この数値は反対から読んでも同じ。

ホテルまでの帰り道にトルド・ロクラシック(クラシックは中にクリームがない)をほうばる。これは生地を紐状に金属のドラムに巻いて焼いたドーナツのようなお菓子。一見では筒状の「麩」。お酒の後甘いこれは最高のデザートだ。

おじさんも、おばさんも、若人はこの中にクリームやなんや分からんものをトッピングして食べていた。

2月14日~15日
エレメイツ航空はB777だった。相変わらずこの航空会社のスッチは美人。
席も21D結構前の席。空き空きで気に入った。
映画カミールを少し見る。スペイン語かフランス語で、字幕は英語。程度の低い僕の同時通訳は疲れて、途中で止めた。

隣と2席の空きがあって、隣の人に断ってうち1席を使い横になる。
B777は寒いアルミの機体。ダウンを羽織ったまま。毛布でその上に覆う。
深夜1時に食事が出たが断った。7時間寝てスッキリ目覚めドバイ着。

ドバイで乗り換え入口まではバスで移動。15分くらい移動した。広い空港だ。
A380を見たと思ったら、次々に駐機していて12機。これは壮観。どれだけあるのかネットで調べると119機。アラブはお金持ちなんだ。B777も大型機だが端っこに駐機、A380が中央の主役だ。

A380の隙間からA320のタッキングが見えたが、ジオラマを見ているような感じだった。

乗り換えは、再び荷物チェック(インドの仕組みと同じ、関空のチェックは信用できんのか?)
やっと解放されてビール。イスラムの国で飲むお酒は格別だ。

ドバイも世界上位のハブ空港、でも拡張が継ぎ足しで整然としてない、1階に降りる出発口もある。今まで訪問した中ではシンガポールのチャンギ空港が1番。香港もケネディ空港も継ぎ足しでわかりにくい。

Cゲートの全部と一部Bゲート更にAゲートの一部を歩き倒した。此処で疲れておかなきゃ次眠れないから。Cのみ115番までの搭乗口数があった。

ドバイで待ち時間を過ごす乗客で、アフリカ系は高貴な雰囲気を持った人。他は僕のように庶民。佇まいが違うのでわかる。

ドバイからプラハまで7時間、隣の人が「スティング」の若い頃にそっくり、気品なくガツガツ飯を食うのが似合ってない。この人は仕事が終わったらドバイに帰ると言った。

ドバイからプラハまではほぼ一直線で黒海の上も飛ぶ、この北端では戦争している。
向かい風は時に100km/hを超えていた。出発は1時間遅れたが定刻に着。

空港でKさんと合流、電車バス乗り放題3日券の購入を勧められスマホ決済。バスと地下鉄でホテルへ。
チェックイン後ホテル近隣を案内頂き散策、途中で別れ僕はピザを食べる、ケバブを焼く「にいちゃん」は僕のカメラを見て写真を撮れと言う。ひょうきんさはインドと同じ。

日本で用意したSIMが動かない、2個とも。1個は問い合わせ中、1個は関空で買ったもののサポートはない。
後、グローバルSIMは自動復帰。ESIMはサポートを受けて復帰。

夕刻Kさんが出迎えに来てくれドボルザークホールへ向かった。その手前の河岸でプラハ城撮影
そこで友人のHさん紹介されて2人でコンサート。彼はクラシックファンでコンサートには通い慣れていて、ホールを案内してくださった。

チェコフィルは最初10分固いが後はこなれた、昨秋大阪で聞いた時もおんなじ感じだった。最初の曲は現代音楽で演奏後、作曲家が出てきた。音楽は誰かに似ている部分を切り張りした感じだが上手くまとまっていた。盛大な拍手があった。

マーラー1番はぼくのかんちがいでなく、歌曲だった。最後の曲アーサー・ホネッガー交響曲3番がよかったがいねむりしながら聴いた。

彼はコンサートが終わった後ホテルまで送ってくれて別れた。僕はチケットを間違って2枚買ったから、一枚を彼にプレゼント、そのお礼として。

2024年2月14日(水曜日)曇り
朝バタバタしてたらもう出発の時間。息子に鍵や通帳を隠した場所を伝え、もし外国で死亡すれば灰は景色の良いところで捨ててきてと遺言。JRごめん駅から岡山まで特急列車。いつも激しく揺れて揺かご化として眠りを誘う。

大阪で下車、目的はお土産に「とやらの羊羹」を買う為だが、ヨドバシカメラで散策する儀式は外せない。店は心持ち客足が減っている。
エミレーツのカウンター場所が不明で30分ほど探したら、目の前の真ん中にあった。2008年初めて一人でシンガポールに出張した時は、並ぶ時頭が真っ白になったが、回数を重ねると電車の切符を買うような日常になった。外国の空港もおんなじだ。そしてお目当ての航空会社のカウンターを「探しまくる」のもおんなじ。

カウンターの列に並んでいる時、後ろのご夫婦に話しかけたらモロッコへ行くと言う、プラハはもう既に行かれているとの事(オーストリアとハンガリーを回る定番みたい)。今回もパック旅行。14名。普段はもう10名多いらしいからコロナから未だ回復してないと言われた。よく旅慣れたお二人だった。

通路側の席を確保できて、やっと関空で食事にありついた。
税関を通り抜けたら、お土産フロアーはコロナ後ガラッと変わり、昔の面影はない(どうやら店が1階下に降りたみたい)。化粧品売り場の拡張がすごい。次に酒類。日本酒もあるが兵庫と京都の酒造会社だ。高知の酒も味では自慢できるがここに入る営業力がない。


2024年2月13日(火曜日)晴れ
今日も朝から「ナブッコ」スイス国立歌劇場のもの。昨日の疑問は晴れず、要はこの劇は極めて原作が悪い(弱い)それを素晴らしい音楽と歌唱力でカバーしている。またメトロポリタン歌劇場以外は舞台が簡素で、一体どちらの陣営(イスラエルかアッシリア)でどちらの人々が歌っているのかさえ分からなかった。多分推測だが、4幕もの舞台を作るのは大変。だから制作無しなのか。そして服が現在の服。さてプラハではどんな劇を見せてくれるのだろう。

もう一本は「ドンキ・ホーテ」こちらはバレエ。セリフはないから踊りだけで場面を想像させる。とても軽やかで、サッカー選手以上に足が細かく動く。オペラのようにマイク無しで歌うのも凄いが、踊りでストーリーを表現するにも常人では難易度が高い。見たのはロシアのマリンスキー劇場での録画(NHK-BS)バレエの本場。これ以上の舞台が期待できるだろうか?オーストリアのオペラハウスで観る予定。

今日は母屋の掃除を済ませてプール2km。とても体が軽くなったがバレエは踊れない。
友人から気を付けていってらっしゃいと注意を頂くが、僕は何処に誰に5W1Hが不明だ。

2024年2月12日(月曜日)晴れ
今日の午前中も音楽の聴き込みに充てた、ナブッコ2幕と3幕。アッシリアの王と娘(二人)の確執があった直後、王は自分が神になったと言い出し、姉はユダヤを滅亡させろ叫び、妹はとらわれ先でユダヤに宗旨替えした。ここまではよくわかったが、3幕で王は雷に打たれたのに復活したのは何故か、どうして姉は死に直面し、アッシリアの兵がユダヤを攻めるのに、突然平和が戻ってくるのか?攻撃の結末は?よくわからない。また、場面がアッリアとユダ教会を行き来するがどちらがユダなのか混乱する。メトロポリタン歌劇場と、ミラノ・スカラ座の劇を観て、もしかしたら細部は変えているのかな?とも思った。
ついていけない。明日の夜はもう一つ確認のためにスイス国立歌劇場の劇を観て打ち止めとしよう。

「ナブッコ」は昨年秋見たオペラ「椿姫」とアリアの部分に似たところがあり、ヴェルディ作曲なんだなぁと思わせる部分があった。

マーラー1番も聴き込み不足で、午前中残りの時間で聞き終えた、先日逝去された小澤征爾氏の指揮でボストンシンフォニーを振っている。この曲の名盤はクラウス・テンシュテットとのことで、聴き比べると、小澤盤の演奏は主軸から少し外れた所を走っているなぁって感じ。演奏のキレは3楽章から格段に良くなる。さて、生はここまで細部を再現してくれるかな?楽しみだ。小澤のCDのジャケットはマーラー交響曲2番も含めて凄く良い。

午後は部屋の掃除、チケットの印刷、e SIMの手配、神棚と仏壇のお供え。これで終了時刻。お惣菜を買って、海岸に行って1時間の散歩。16日からはかなり歩く予定なのでその練習。


2024年2月11日(日曜日)晴れ
音楽の聴き込みに赤信号(理解不足のままで出発しそうで)、午前中の英語の勉強は保留し、R・シュトラウス楽劇「影のない女」全編と「ナブッコ」1幕を観た。前者は2組の夫婦愛を描いた物語で、心の深いところまで話し合ってお互いを理解するとか、とことん相手を信じ切るとか、僕には「とてもそこまでは」と思う所まで踏み込んでいる。オペラでそこまでやるか?とも思った。強烈な感動があった。

もう一本オペラ「ナブッコ」は今、これはユダヤにアッシリア(現イラクとシリア)が攻め込んでくるストーリーで時節を得た内容。こちらは愛で問題を解決する。現在のイスラエルとガザは武力で。

午後は出発の準備でカメラ、充電器等電気関係と薬関係に費やした。カメラのバッテリー探しに30分ほど費やし、何をやっとんじゃになった。

途中で放棄し柵作り、縦の枠を終えほぼ完成、後、縦と横の交差点をいくつか留めて完成する。柵は他の畑も修復が必要で、全て終えるにはまだまだ時間がかかる。

夕刻買い物に行く時、岐阜のO氏に電話、曰く海外は風景を見るだけで満腹する。美味しい食べ物は日本に帰ってきて食べれば良い。全く同感。そのつもり。もし危なくてどうしようもなくなったら、それはそれでいいではないか。「そうだね」。そうは言っても彼はJTBの旅行で危険はなかった。そこが僕との違い。僕は移動がないから土地勘ができるが、強みとなるか不明。行った先では歩き尽くすつもり。

帰りは愛媛のO氏に電話。彼はもう辞めると言いながら未だ多くの問題を抱えて仕事をしている。僕は重いものを持ったり、息が切れる激しい動きをする馬力は持ち合わせているが、ビジネスの取り引きや、人材管理のエネルギーはもう残ってない。彼曰く「田舎では住めない、刺激がなくて」僕曰く、「田舎かでしか住めない、土遊びができなくて」

2024年2月10日(土曜日)晴れ
旅行の衣類を袋に詰めて掃除機で真空パックした。袋はGood Travel GT2020で、小さな布団圧縮袋だ。12日分の下着や靴下、ズボン2本、シャツ6着、セーター2着、手提げのカバンが一杯になったが何とか入った。バックパックにカメラ、iPad、充電器、薬。どうして入らないものは胴巻にするか?ズボン2本以外全て捨ててくるつもり。
バックパックで海外をぶらつくなんて若者が行う旅行だ。いいではないか。

午後は元勤務していたC社のOB会。テレビ会議で近況を報告しあう。今後の運営についても議題が上がり、会長の訓話とLINEの使い方教室の方向でまとまった。みんな自己表現が上手。これで会社はもってたんだなぁ。僕は聞くだけ。次回は6月。ピーマンの応援要請が来なければ参加できる。
日経新聞で農産物の価格を毎日エクセルに記帳しているが、芸西村の特産品ナスとピーマンは価格が安く厳しい。特にナス。それで日雇さんとして声がかからないかもしれないから、参加確率は高い。
一方で近所のおばさんから菊(お盆用の)をやらないかと声をかけていただいている。もし手を染めれば時間が無くなるかも。こちらは完ぺきな農家となっている。
でもしんどい思いをして体を動かし疲れ果て、腹いっぱい飯を食う、これはなかなか味わえない快感だ。

会議ですこし遅れたが、サトウキビの転倒防止柵作り。1枠しか進捗できなかった。それでも明後日は完成するだろう。

R・シュトラウスの「影のない女」は居眠りで殆ど内容が頭に入ってない。もう一度挑戦するが今夜も失敗した。

2024年2月9日(金曜日)晴れ
旅行で妙に気分が浮ついて地に足がついてない感じ。それで、出来るだけ慌てず、丁寧に(旅行の前は必ず大きな事故が控えているような気がするので)、事は慎重を期すように動いている。
午前中は英会話の勉強。関係代名詞には空白を指摘して成り立っているが、それがどこにあるのかさっぱり理解できない。まぁ劇的な語学力向上は望めないからこんなもんで旅行に行くしかない。

サトウキビ仲間のS氏が真空ポンプシーラを借りにきた。僕は3月末まで使用しないから問題無いよと伝えた。S氏には大山の道の駅で販売したいと声が掛かったらしい。4月以降冷蔵せず販売するには真空パック+脱酸素剤が必要なため。

午後はサトウキビの枠作り。資材を揃えて出したり、以前枠解体時ビスを取り除くのを混在して釘箱に入れたので、それを分類するなどで余計な時間を食って、1枠を仕上げるのがやっと。

コンサートの事前勉強は中々進まない。車のスレレオでマーラー9番。夜は、「ドン・キホーテ」、「影のない女」ご飯を食べる時台所で「ナブッコ」と分けて詰め込み中。高校生の時、期末試験に詰め込んだのと同じ事をしている。この歳になっても。

2024年2月8日(木曜日)晴れ
大塚美術館の絵画を撮影して、パワーポイントに張り付けているが、この時面白いことに気がついた。それはレンズの性能について。前半はキャノンR5の10-22mmで撮影した。後半はLUMIX G9proで7-14mmで撮影した(約1000枚もあるので)。
絵画は額縁で切り抜きするが、額縁が樽型に少し膨らんでいる、僅かなので気が付きにくいが注視すれば曲がっているのに気が付く。これが現れるのがキャノンで、LUMIXは真っ直ぐなのだ。もちろんキャノンが高価。
モーターマガジン社のカメラ雑誌(廃刊)ではキャノンレンズを酷評していたが、あれは本当だったのだ。キャノンは超高級なLレンズで無ければ性能がでない。そしてLレンズは極めて重い。

LUMIX陣営は優秀なカメラマンを囲ってないだけ、いいレンズを作っても発信力が弱く不利だ。カメラは腕だから、機器の性能を腕でカバーできるため、老舗のカメラメーカーはいいカメラマンを抱えているので有利だ。仲間が多いのでレンズ性格を共有できる優位さもある。

午後はお砂糖の出荷。石灰を使ってアクを取り除かない「灰なし」が好調だなため。蜜も出荷し、蜜の灰なしは百円価格アップした。
灰なしは、石灰でアクを沈殿出来ない事から、自然沈殿に頼るため、工程に倍ほど時間を要するのだ。その為通常1日6釜(1200kg)を焚きあげることができるが、灰なしが2釜入るだけで5釜となる。

その後柵を作った、横串完成。僅かだが着実に進んでいる。
こんなことしてていいのか?人生の後半にはもっと重要な事が有るのとちゃうか?疑問もある。でも身体を動かす、それもできるだけ辛い作業から行う。そうすると身体の調子が良い。それで単なる散歩よりも農作業が効率的だと思ってしているだけの事。そして毎日同じ事をしていると、最初の疑問がもたげてくる繰り返しの毎日。
雨に日には農作業が出来ないのでプール。結局動ける間は元気で動けなくなると一気に逝ってしまう、そんなのが自分の終わり方ではないかなぁ。

夜は音楽の聞き込みで忙しいはずなのに昼間の作業が祟り、ダウン。

2024年2月7日(水曜日)晴れ後曇り
旅行の切符が送られてきた。ホテルの予約証も。全てメール。コンサートチケットもメールのPDF。iPhoneはクラウド保存に簡単に移行するので保存したと言っても安心できない。本体に格納しているのか確認しておかねば。もし現地でネットが接続できねば証明できないのだ。海外の一人旅はそんなにハードルは高くはないが、スマホで全て済まさなければならない。そんな面ではデジタスキルの方がハードルが高いかもしれない。
チェコ語の案内文なんかも、OCRでTXTにしてチャットGTPで翻訳すれば長い文章でも問題ない。これなんかも全てスマホだ。

しかし英語だけは大切。午前中はNHKラジオ英会話、知らない単語は辞書から全文帳面に書き写す。そうしても忘れていってしまうが。覚えるよりもこの単語はどんな時に使っているか表現に慣れる事を大事にしている。

老後の楽しみに読書を取っておいたが、めっきり集中力がなくなって長い時間読めないと江國香織氏が書いてあった。それに速度が落ちているとも。僕はこれにもう一つ追加して、内容が理解できず、メモ用紙に流れてを図式化するとか、登場人物の関係を書き出すとかしないと先に進めなくなった。今回の旅行にもたくさんの書籍を持ってゆくが、紙のメモ用紙も忘れない。


2024年2月6日(火曜日)晴れ
1週間に1回以上、1月~水泳を続けてきた、累計10km。先日伝承館の床をタワシで擦っていた時に気がついたが、今日Gパンを履いた時にはっきりとわかった。Gパンが緩くなってベルトなしでは落ちてくる。下腹の膨らみが取れてきている。農作業でビスを拾う時など屈むが、それがとても楽なのだ。臍から下のぜい肉を落とすのはなかなかむつかしいのだ。

大塚美術館の撮影写真の編集を進めているが、補足にWebで調べる時にページには明らかに5W1Hが欠けていますね。いきなり詳細に入ったり、更新内容を記述したり、先ずははホームページとなる表題にはこの5W1Hを書かなきゃ。英語で検索すると、どこの国にあるのか?さえわからないのもある。
当事者は当たり前のことだから書かなくても良いと思っているだろうなぁ。僕らが砂糖を作る時に「白玉糖」と呼んでみたり、「白下糖」と言っているような感じだ。
多分人との会話においては特にそうだろう。いきなり詳細では聞くにしても全くちんぷんかんぷん。わからなくてもうなずいている。わかるひつようさえないかもしれない。たとえ分かったとしても半分は誤解しているだろう。
ところが老人同士の対面会話は、100%理解だ。同じ事を最低3回は話すからだ。時間に制限がないので問題無いけど。

午後の作業はサトウキビの転倒防止柵の横棒を作っているところ。朝から晴れていたので、昨日の雨水は引き作業が出来た。桟には太いものと、平たいものとがあって、横は平たいもの縦は太いものと決めていた。どちらを先に行っても良いが、保管は太いものが上で、平たいものが下だった。それで、倉庫から取り出すのに余計な作業が加わって進捗が悪かった。

2024年2月5日(月曜日)雨後曇り
地域支援隊の日高村K子が「人の喜ぶ食事の提供に進みたい」とfbで投稿していた。丁度今日は日経新聞で同じような事をしている女性の掲載があった。この人はおにぎり屋さん。だが、店の他に「地域の高齢者の見回り」を兼ねて商売している。地域に溶け込んでいる事だった。。この場合、単品ビジネスでは価値が見出せない事例だった。一頭地抜けるには、何か工夫がなければ存在が難しいと思った。この人のように、声がかけられる人格が備わっていての事、そうでなければアイディアも簡単にまねされる。

AIやX、fbなどコミュニケーション技術がビジネスのあり方をも変えようとしているが、誰もができることは、ビジネスにならない。

昨年娘が帰省した時、「もう殆ど現金は使ったことがないよ」と話していた。それで、僕も少しづつキャッシュレスにシフトしている。そして芸西村においてもかなりそんなことが可能となり出した。逆の見方では、電子決済ができないビジネスはありえない時代になったと言う事だ。

先日購入したオリンパスのカメラで撮影した写真をPCの大画面で確認した。驚きは、まさに僕の求めている「絵」がそこにあった。
Nikonでも可能だが、この機械は気ままで、思った絵がなかなか撮影できない。(僕が未熟ですが)それに5kg近いカメラを振り回すは難易度が高い。(持ち運びは別としても)
その点オリンパスは軽いしヒット率も高い。クッキリした写真が撮影できる。LUMIXのようなまったり感のある写真ではない。古いカメラだが満足いく買い物だった。カメラに関しては古い技術で楽しめる。腕が試されるだけ。

雨天だったのでプールに行った。2km1時間。やっと出た。このレーンで泳いでいた僕よりずっと若い男性は1500m上がると言った。

2024年2月4日(日曜日)雨後曇り
息子が帰ってきたが朝飯を済ませてから僕はすぐに家を出た(息子はしばらく家で過ごし図書館へ行ってから帰った)。今日は伝承館で大掃除の日だ。年末以来始めて集合する。新年の挨拶から始める。師匠が早くきてお湯を沸かしていたので、それを使ってこびりついた床の砂糖を落とした。それでも砂糖は強情で、たわしを使って床を這った。もうみんな歳で、床を這う仕事ができない。早晩伝承館は消滅する運命にある。僕はまだ昔のままの姿勢で作業ができるが何時時限爆弾が破裂するかわからない。今調子が良いだけに不安が大きい。

旅行の準備物は整った。もしの場合があってはいけないので、購入したオリンパスのカメラには新規のバッテリー2個、データがいっぱいになってはチャンスが活かせないので新規のSDカード2枚。今回持参するカメラは、それぞれSDカード2枚差しなので、JPEG+RAWでも問題ない。多少アンダーで広く画角を押さえておくと、ほぼ帰ってから写真起こしに問題がないのは、旅行のノウハウ。

一人旅は国内も海外もほぼ同じような感じ。周りの人はツアーでない海外旅行を不思議な感じで見られるが、実際はほぼ同じ。それは3回くらい経験すれば誰もわかる。それに、国内と違って聞くのをためらう必要はない。ドンドン聞く。(多分だが)どこの人も人の話を聞くのは嫌だが、人に話すのは好きだ。
国内でも外国人に変な日本語で聞かれるが凡そはわかるのと同じで、相手は聞きたいことを意外とあっさりと理解してくれる。
どんな国でも紙とボールペン(安価)があれば100%通じ理解できますね。その一歩があれば、海外の一人旅は出来る。
ま、僕の行く先は都会(都市)であって多くの人が立ち寄る所だから、そんなに不自由はない。美味しい食べ物屋さんについてもガイドブックは不要。行列のできる店に行けば良いだけ。その店構えは見るだけでわかる。日本で磨いたセンスで通じる。そこでウェブを調べれば詳細がわかる。そんな店は大概日本人も行っていて、投稿してある。

人間(ホモ・サピエンス)のDNAは全く同じ、人種、宗教、国民性なんか後からの付け足し。素は同じ。味覚もほぼ同じ。万人が美味いと言うのはやっぱり美味い。体質上食べられないものはなく、日本食が恋しくなる事は今までなかった。

サトウキビの柵は太枠の横が完成した。次は細枠だが明日は雨で中止。

2024年2月3日(土曜日)曇り後雨
昨日カメラが届いたと連絡があって、JR後免駅で切符購入を済ませ、カメラを手にした。オリンパスのEM1X。パナソニックのレンズを装着し、牧野植物園で撮影したが、AFが遅くてしかも迷う。ちょっと使い物にならない。オリンパスのカメラにはオリンパスのレンズが必要だ。ついでにiPhone13とiPhone15の撮り比べも行なった。モニター画面で見る限りiPhone15の映像が少し濃い感じ。画素が違っているのは有機ELのモニター画面では確認できず。

帰って、サトウキビの枠作り、雲行きが怪しく急がなければ雨が来るなぁと気を揉んでいたら、突然息子が帰ってきて手伝ってくれた。メールしたと言うが、見てなかった。

一緒に夕食のお惣菜を買いに行き、恵方巻きがあったので購入した。多分1本1000円くらい。この店はめちゃ安いお店なので、1000円となれば、当然ながら極上の刺身が詰まっている。お醤油が付いているが全く不要。
野菜のグル煮、肉じゃが、極太エビフライが今夜のメニュー。

帰省の目的はアップルテレビ+のゴジラの映画第9編と10編を見ること。もう前回までの内容を忘れていて、登場人物がどんな役を演じていてたのか白紙の状態になっていた。
見ているうちに分かるだろう、若い頃はそうだったかも知れないが、今はそうは行かず、結局10編の最後になってやっと筋が通った。
所々の英語のセリフは優しい言葉だったのに聞き取れなかった。訳を見て、言った言葉が頭の中で文字起こしできた。

2024年2月2日(金曜日)曇り後晴れ
ここ数日雨が多いので、洗濯するように予報官は言った。乾かなければ夕刻3時に乾燥機へ行こうと思っていたが、風があって晴れたのでよく乾いた。

最近の英語は、翻訳に力を入れるよりも、英語の辞書を書き写して単語を少し深く理解する方向に変えている。でも、物忘れが激しいので、一度や二度では覚えきらない。書き写すには紙の辞書がいいが、電子辞書なら発音してくれる。だが例文は一つ階層が深い。iPad に入っている辞書は視認が良いが、例文が少ない。どれもピッタリではない。原因はまだ僕のレベルが低いから。

午後からサトウキビ畑の柵作り、外枠を仕上げた。これから一気に進むはずだ。

大分に住む友人に電話で近況を尋ねたら、自分は大丈夫だが、友人が病魔に侵され見舞いに行っている日々だ。と言う。これより少し前、都城市に住む知人は、もうあんまり出かけなくなったと言っていた。もっぱら電話で知人と連絡しあっている。活動が少し縮んだ感じだという。みんなそんな歳に差し掛かった。昔を期待して騒ぐのはよした方がよい。

夜の音楽は中々辛いものがあって今夜も聴けずに終わった。睡魔に侵されている。

2024年2月1日(木曜日)
中国の車輸出が日本を超えた。とある、特にEVの急激な伸長。過去日産、トヨタ、ホンダは急な生産拡大で大失敗を犯した。中国は大丈夫か?多分地元の人とか、社員さんは気がついているかも知れない。来年の今頃、この記事を眺めてどんな感想を言えるのだろう(この記事は保存しておく)。

土地登記の変更ができたとの連絡あり、事務所訪問。書類の厚さを見ればとてもこれだけは自分でできないと思った。かなりの費用が発生したが、それはありえるなぁと納得。担保物権のある土地など、それの解消など自分でやろうとすれば1ヶ月では収まらなかっただろう、旅行にも行けなかったかもしれない。必要経費だろう(文旦とお砂糖の収入が飛んだ)。これで旅行前の行事は、2/4の伝承館の清掃だけになった。

帰ってサトウキビ畑の柵に取り掛かった。昨夜の雨で土は少し柔らかくなったかもしれない。杭は立て終わったので、周りの囲いに着手。今日は太陽がなかったので寒かった。

出来るだけ食べすぎず、酒は飲まず、コーヒーも控えめで体調を管理しよう。カメラ入荷の連絡があったら、JRの駅によって大阪行ききっぷを買おう。時間の限り音楽を聴こう。


2024年1月31日(水曜日)
日本はドイツにGNPで抜かれ世界4位となった。生産性が低い、投資が低い、と指摘があるが、人口には触れてない。アンケートと同じで、項目を制限すれば、公平なようで読者を意図した誘導できる、もしくは事実を隠せる。この記事の結論は生産性についてだった。
僕は、この記事には重要な問題が隠れているように思う。人口問題だ。調べると2000年から2023年まででドイツは+240万人、日本は-221万人。つまり、四国の総人口程の差がある。移民の受け入れですね。異文化を取り入れイノベーションが起きている(推測ですが)。以前アンゲラ・メンケル(元東ドイツの人)の書籍を読んだが、被災民に対する考え方は筋金入りだった。フランスのように移民が底辺層に吹き溜まりになってない。2019年ベルリンに行った時でさえも(相当歩いた)そんな人を一瞬でも見かけなかった。
新聞で移民を取り上げると反政府的なるとか、色々と世論がうるさくなるので避けている気がする。

今日は午後雨になる予想だったので、午前中に農作業の杭立て。杭は後2時間の工程となった。

朝、起きた時とか、作業をしている時、時たま下腹部が痛むんでひょっとしたら盲腸炎かもしれないと病院に行った。旅行中の盲腸はやばいので、先生の見立ては違うとの判断。様子を見て大腸の検診をした方が良さそうだ。旅行から帰ってきてからにしよう。

すっかり午後が潰れたので、お惣菜を買って早めに夜を終えた。
食事の後は沢山することが山積している。先ずはマーラー交響曲9番を聴き馴染む。Rシュトラウスの「影のない女」オペラを見て内容把握。マスネ「ドンキホーテ」を見て内容把握。オペラはいずれも3時間くらいかかるので大変だ。せっかく生演奏を見るのに、よく知らない音楽では勿体無い。

そこで今夜はマーラー9番。名盤はバーンスタイン/ベルリンフィル盤。HQ盤を持っていて一枚ベールが取れた感じの音。生演奏はここまで解像度は高くない。ここまで自宅で再現できるなら、もういいではないか(旅行に意気込む自分には反するが)内なる声が響く。

2024年1月30日(火曜日)晴れ後曇り
どうしてもけじめをつけたいことがあった2つの事。一つは水泳。近年コロナや、サトウキビの収穫遅れで1月の水泳がおろそかになっていた。その記録を塗り替えたいとプールに出かけた。これで8kmになった。今日のプールはレーンを貸し切りできず、早い人に追い抜いてもらうため待ち時間があったが、それも含めて1時間4分。間を詰めれば体力が戻ってくると言うことか?

そしてもう一つは、今回の旅行用にオリンパスのカメラEM1Xを買う事。古いカメラだが、シャッターを押した感覚は、僕の指の記憶では一番だ。画質はあまり期待できないと思う。しかし、初代のパなGH1でも不満はないから、僕の目には問題がないはず。シャッターフィーリングではニコンF4が良かったが、もうフィルムは使えないから、850Dに替えた。これは確かに気持ち良いが、もう僕には重すぎる。もう一つキャノン5Dmk3も気持ちがいいが、これも重い。趣味に関して体力的な不満を言い出すのは老人の証拠。残念だが。結局旅行には重量の関係でマイクロフォーサーズしか持ち運びができない。一回しかチャンスがないのに制約がある。

帰って夕食。和田明日香さんが作った、アジの刺身と生姜ニンニク大葉ミョウガ味噌を粉々に叩いて炙る。これを鰹のタタキで作ったら大正解だった。お酒にも合うが、今夜から大塚美術館の編集に復帰するので飲まない。出発までになんとか目処をつけたい。


2024年1月29日(月曜日)晴れ
朝一かっぱ市場を覗くと砂糖は売れていました。やっぱりテレビの力は凄い。帰ってコンテナ2杯分を積載し、市場に出荷した。

午前中は英会話の勉強。高知の友人が暇つぶしに来られたが、2月の末まではチョット時間がないとお帰り頂いた。午後はサトウキビ畑の整備。転倒防止柵の杭立てと、竹垣刈り、どれもしんどい作業だが土の匂いや、切った竹の匂いなど、野性味があって中々宜しい、セラピーの効果があるかも知れない。

夜は先日放映された六角精児と和田明日香の料理番組で、ジャガイモと明太子のレシピがあったので、僕でもできると作ってみたら割と美味しかった。

今日届いたマスターカード。クレジットカードだが普通郵便で届いた。それもそのはず、カードには番号はないし、氏名欄もない。ICチップが埋め込まれているだけ。僕はVPASSを使って、クレジットカード番号を確認する。これでは紛失しても安全だろうというのがカード会社の意見。住友銀行はクレジットカードを統合したオリーブを発行し、3種くらいはカードを一枚のカードに集約できるようだ。それもスマホの中に。d払いはまだバーコードだが、Apple PayはNFC技術を使う。カードを多く持ち歩くのは高齢者だから、ミスマッチが起きる。僕は大丈夫。でももっと進むと置いてきぼりを食うかも知れない。娘は進化しているが息子は遅れが目立つ。

夜は再びアップルテレビの「マスターズ オブ ザ エアー」。「ジ」でなく「ザ」。今回はノルウェーのドイツの軍港を爆撃する編。アメリカの爆撃機B17は空中戦でも強かったのに、このドラマは、ドイツの航空機との戦いで何時も劣勢に立っている。そして爆撃機に戦闘機が伴走してないのも不思議。まぁその設定がなければ、ドキドキがなく惹きつけられないけど。




2024年1月28日(日曜日)曇り後晴れ
午前中ずっと曇っていて、エアコンの暖房だけでは妙に寒かった。室温は19度でそんなに寒くはないはずなのに、それ以上温度にならなかったのも関係あるか。今日もおゆげ様の幟旗の片付けで、昼食を早々に切り上げ出かけた。帰ってもう一度食事。本を読みながら。

この本は違った意味で重かった。前回読んだ重い本は「黄色い家」。知らず知らずのうちに悪と言うか、法律の外の世界に引き摺れてゆく底辺層に暮らす若い女性の生き方だった。今回は短歌。「科学をうたう/松村由利子」これは最新の技術を詠んだ短歌で、技術解説がつく。特に数学のabc理論や連立方程式の掃き出しなどが登場し、YouTubeで少し勉強しないとこの短歌の解説さえも理解できなかった。他にも専門用語は続出し、都度辞書やネット検索のお世話になった。こんな世界もあるのだ。

ほんの少し手を広げるだけ、手元にある本や新聞を広げるだけでも、その気になれば未知の世界がいっぱいあって、アレも食いたい、コレも食いたいと手を広げたくなる。何で若い頃、貪欲に知識を詰め込まなかったのだろう。この歳になって気付くのは遅すぎるのだが、諦めない。

今日は前西の畑のサトウキビの根切り。管理機を使って溝上げ、溝を鍬で平す作業。半分だけ完成。鍬を1時間半振ったので結構疲れは深いはずなのに、アマゾン「山猫は眠らない9」を見てしまった。でもストーリーが最後まで掴めなかった。人の名前を覚えられないのが足を引く。実生活でも名前は覚えられないし。

2024年1月27日(土曜日)晴れ
さらに寒さ緩み快適。午前中は書籍のスキャン。小さな埃が静電気の関係でセンサーに付着して中々取れないで往生したが、取り敢えず第一陣は完成。午後一、おゆげ様の幟立があるので、早めに食事をして出かけた。夜の懇親会はコロナで開催ないまま今も継続、僕的には賛成。

帰って竹刈り、こちらも完成を見た。ここが広がると、家の西側の竹垣が刈れる、この竹の処分先ができたのだ。この為の開墾でもあったのだ。垣根は少しづつ進めよう、併せててサトウキビの転倒防止策を作ろう。これは大きな工事だから2週間程の必要だが、2月は雨が多く旅行前に完成できないだろう。

夜は、開墾完成記念パーティー(一人ですが)を開催し、夜須のお惣菜屋さんで買った鯖の棒鮨を片手に、先日いただいたスパークリングワイン(赤)を開けた、魚に赤は妙だなと思っていたが、味が何と物凄く甘い物だった(初めてワインを飲む若い女性用と言うのかな)食事の組み合わせとしては今一。
腹が減っていたので流し込んだのですが、平常だと無理ですね。

その後酔い覚ましに、アップルテレビ「マスターズ・オブ・ジ・エアー」第二次大戦中のアメリカ空軍を描いたドラマ(3回までが公開予定)の1回分を見る。食事の後、そのままiPadで。サスペンス映画と同じようにハラハラドキドキするのは、この空軍(爆撃機に乗るバック(人の名前)が主人公)が何時撃ち落とされるかわからない危険を含んでいるからだ。「バック」にはもう一人「バック」と呼ばれる友人がいて、監督は何方かが撃ち落とされるのだと、場面で訴えている。戦争アクションだがドンパチはCGで描き、心理作戦で引っ張って行くお金を掛けない手法。こう言うのが映画とは違うが、心理をじっくり描けると言う面では、監督は思い切って采配を振れるメリットがありますね。


2024年1月26日(金曜日)晴れ
まだ寒気残る。食事を終えて玄関から出るとH君が野菜を置いてくれていた。いつも大量なので料理の先生におすそ分け。午前中は書籍のスキャナーと英語。いつもの英語なのに、今日はひしひしと身に染みる。講座はこんなに深いんだと。佐川急便さんがモノタロウの荷物を持って来てくださった。ついでに昨日ヤマト運輸さんが置いていった荷物も取り出してくれた。僕の不甲斐なさに呆れる。

午後は少しだけ竹刈りと風呂焚き。井戸の水が枯渇して水道に切り替えた。渇水だ。庭の甕の水が半分を切ると井戸の水も枯れる。甕は氷も張るし、大雨時降水量の確認にもなって、意外と便利。
かっぱ市場に最後の文旦を出荷して、プールに向かった。前回必死に頑張ったので心臓が痛かったから、今日は無理のない速度で泳ぐと1時間6分。この辺りが平均かな?もう少し続けて筋肉の回復を待ってみよう。ここ数年コロナやサトウキビの本格操業で水泳が影響を受けて2018年=61kmをピークに2022年=13kmまで落ち込んだ。2023年は40km迄回復した。

帰りに中古着さんでシャツ4枚、セーター1枚合わせて2700円。旅行用、着古したら捨てて来るつもり。帰って食事を終えると9時だった。
布団乾燥機をセットして風呂に入る。その後就寝。久しぶりに髪が濡れたまま布団に潜り込んだ。現役の頃はいつもこれだったので、出発時寝癖の後始末が大変だったが、今や寝ぐせは関係ない。

2024年1月25日(木曜日)晴れ
今日も冷え込んだが、昨日が山だったかな。午前中は、書籍裁断、これは2週間の旅行に当たって読む本は重要だからiPadに保存して持ち歩く(何冊入れても重量は変わらない、昔では考えられない)。いくらお気に入りでも気分に合わない本だってあるから複数冊は必要。
午後からは文旦出荷、お砂糖の状況を見れば、やはりテレビで流れたお砂糖が売れている。テレビは力がある。この土日が勝負だ。

農協でチェーンソーの修理(28800円、新規と遜色ない)を受け取り、竹藪刈に着手。今日は枯れた竹を切るが、上の方でツルが絡まっていて4本の竹を伐採しても倒れてくれない。竹の根元から少しづつ裁断して短くし、最後に一気に伐採する。これに随分と時間を食った。
切り倒したものの小さな竹と蔦が絡み合っている、下の畑に差し掛かったのもあり、根元の方はツルに引っかかってどうにもならない。小さな竹でも束になれば力があって絡むと動かない。それで、1本づつ剪定鋏でカットし取り除く。これも結構時間を食った。進捗はすごく悪い。でもここまで開墾が進むと次回は草刈機で飛ばせ、除草剤で駆逐できる(はず)。

夕刻は友人を招いて懇親会。カレーを作った。「ヘルシオ」レシピにある鳥の手羽元はないので、鹿肉を使った。味はまずいと先に断りを入れていたが、それほど悪くない評価だった。干し大根を入れたのが良かったのかな?僕はビール1杯と焼酎1杯。話題は地震の話だが、僕も友人も正確に状況を理解してないから話が噛み合わなかった。老人ホームなんかで話されている会話に似ているかもしれない(一方通行の話)。友人はもうすぐ亡くなった父の年齢を超えると言う。体力の衰えは感じないというが。まるっきり爺さんの会話だった。

解散した後、マーラー交響曲9番、ハイテンク指揮ベルリンフィルで聞く。マーラーは強打の大きさもすごいが、弱音がすごく長い。ハイテンクもしょっちゅう唇に人差し指を縦に当て、「もっと弱く」を指示する。吹く楽器は中々それが難しいが、そこはベルリンフィル、そつなくこなす。

人には相性があっていくら美味しいと言われても好みでなかったりする、同様に、今回はウィンフィルを聞く(世界で1番の楽団)、毎日演奏プログラムを変えられる (これは凄い事だ)でもCDやBDで聴く限り、僕はどうしてもベルリンフィル(たぶん世界で2番)に惹かれてしまう傾向がある。これは好み。でも実際にこの耳でそれは本当かと?確かめたいのもある。

この日は2019年友人の桑原氏が突然入院した日、2月8日やっと見舞いができたが物言わぬ人となっていた。僕は2018年12月29日京橋で懇親して以来の再会だったが。


2024年1月24日(水曜日)晴れ
寒波襲来、歯科医へ行く日、車の暖機運転5分でも室内暖かくならず。朝一では医院も寒く、口濯ぎの水はお湯がでなかった。香南市は寒かったから、今日の作業は中止しようと思っていたが、芸西村に帰るとポカポカ陽気。これじゃ作業はできるわな。

帰って、大塚美術館の写真編集を少し、昼食後、竹刈り、切っても切っても際限なく立ちはだかる竹。精神はStep by Step。一歩一本づつ綺麗に切り倒してゆこう。ノコギリは歯が欠け限界。明日は交換の事。生竹は切りやすいが笹が重い、枯れた竹は硬くて切りにくいが軽い。切り倒した竹の置き場所がなくなった。もう一箇所設けなければ収容できない。(それほど竹があるということ)

今夕、NHKの高知版、「こうちいちばん」で芸西村特集、かっぱ市場取材があって、ここの一番は「白玉糖」という事で、僕のお砂糖がクローズアップされ映った、その後も種類の紹介も僕の名前が出て、最後に試食、それも僕の名前が付いた「くずし」の封を開けて「こじゃんちうまい」と紹介された。時間にして5分くらい岡村昌孝の名前がテレビに出てたので、お砂糖の補充をしとかねば。

旅行用の音楽のオペラ「ナブッコ」これは見終えた。今夜はマーラー交響曲1番「巨人」手元にある、ハイテンク指揮コンセルトヘボウで聴く。弱音はエアコンの送風の音に隠れがちだが、この寒さじゃ仕方ない。

2024年1月23日(火曜日)晴れ
僕にとって結局英語の1番の上達方法は英語の辞書をノートに書き写すことだった。今更ながら英語の辞書はよく考えられている。それを単なる意味を引くだけに利用してきた。実は意味だけではなかったんだ、単語の由来も含めて、派生も含めてあらゆる角度から練られている一大言語研究書物だったんだ。蔑ろにしていた。路傍の石にも意味はあるという事だ。

まぁ何でもかんでも、立ち止まって吟味しては前に進まないけど、止まって周りを見る事は重要だろうな。Air Freamの翻訳をしているが、これが最近割とスムーズに訳せ出した。そして前行の訳と今の行の訳がつながり出した(当たり前のことですが)これは快挙。また、信号待ちなんかしている時に。前の車に英語で長い文章のステッカーなんかを貼り付けたのがありますね。短時間だけど読むと「分かるんです」(大した意味のことを書いてはないが)。今回の旅行に役立つかどうか不明だが、この方向で磨いていこう。

竹林の開墾はだんだん進むが、自民党の政治資金の裏金事件と同じで、進めば進むほど倒木や竹の倒れたのが出てきて作業開始前からすれば、予想外の量が出てきて、簡単に進むかと思っていたが、寒さも手伝って、未だ時間はかかりそうだ。

夜の音楽にヴェルディオペラ「ナブッコ」を見る。1幕のあらすじは、バビロニア王ナブッコはエルサレムを攻撃する。エルサレム王は、ナブッコの娘フェネーナを人質にとってあるから大丈夫と民衆を宥める。

今まさに、パレスティナとユダヤ人の戦乱の最中。だがよく考えると、この地は大昔から、争いが絶えない地域だったのだ。オペラは神が絡んでくるので、内容を簡潔には表現で理解できないが、今見るに相応しい。録画してあるメトロの舞台は豪華絢爛だが、果たしてチェコは?

2024年1月22日(月曜日)晴れ
かっぱ市場に文旦出荷、ご年配の貴賓のあるご婦人から、この文旦は誰の?バーコードの名前を見て「岡村さんの?お砂糖を販売している人と同じ?」
僕はそうです。「前回頂いて友達に送ると美味しいと喜んでくれたわ」と感想を述べてくれた。そうです、岡村さんの文旦は美味いのです。表面を磨くと1個300円で販売しても遜色ない大きさと味だ。

その足で西川クリニック、前回血尿が検出されたので、生体検査。結果問題なかった。「やはり腎臓結石の石が時々降りてますね」「最近も痛みますが症状は軽い」と伝えた。「長い?」「30分くらい」
「ついては心配ですので薬を貰えないか?」「予防の薬は出せない」「英語の通じない国に行くのです」「どこでも通じるよ」「市中では無理です、病院に辿り着けば良いけど」という事で5回分もらうことができた。
清算が出来るまで血圧を測定すると129-70だった。

道中マクドで「ゴジラバーガー」¥800。これは結構重い。夕刻まで腹持ちした。昨日に続き竹藪刈、今日は孟宗竹をかなり切り倒した。行手を小さな竹が阻むので、中々進めない。明日の挑戦で視界は開けるはず。明後日には完成するだろう。
今回はハサミで小さな竹を切っているので、仕上げが綺麗だ、それで次回新芽が出る時には除草剤で駆逐できるはず。進捗は遅くても丁寧に仕上げると、納得する。

部屋の掃除も昨日と今日で済ませた。いつも何か忘れ物がありそうな焦燥感に駆られるが、すべき事を丁寧に済ますと、少しだけ落ち着く。ものぐさが一番精神的に悪いかな?


2024年1月21日(日曜日)晴れ
午前中は英語、午後は家の西側にある竹やぶを開墾した。家の母屋に冬の夕陽が差し込まない程成長した。それで台所が暗くなった。いつか伐採を考えていたが忙しさで延ばし延ばし今日まで来た。主な雑木は竹。それも直径が3mm程の細い竹、長さは4m近くあって、群生しているので絡まっている。地面近くを草刈機で払っても上にはでんと葉が蔦とかまって不動の地位を維持している。それで、地上高120cm近くを切ると全体が降下する。それを繰り返し、裁断していく、手間のかかる仕事だ。でも進めていくうちに空が見えて来る。これってやり甲斐の一部。少しづつ進めば「道は拓ける」(誰かの格言に出て来そう)

随分と疲れ、陽も傾いて来たので風呂を沸かし、さぁ入ろうとする時、田村のおばさん(82歳)から電話、この人の話が長いの何の!1時間20分。結局この間に出た結論は、僕の使っている懐中電灯が欲しい→USB充電なので無理。畑を2アール程耕して欲しい→了解。菊を植えろ、20万円程のお金になる→少しだけ付き合う。
このおばさんは母の友人だった。アクの強い人で、近所では付き合いにくい人(母も同じだった)で毒は毒を持って制すだった。母の死去で、結局僕が母の友人を引き継いだ感じ。孤独な老人は誰か話し相手が必要。そのためのかけ放題サービスは高齢者には下手な介護の仕組みよりかずっと良い。犠牲になる人も居るけど。

夜の音楽はなく、大塚美術館の絵画編集を進めた。1,100作品の中、320点編集した。できたものからスライドショウで楽しむ。絵に込められた意図が読めるか?音楽と同じ様な位置づけだ。(日経新聞日曜版にルネッサンス絵画の解説をしている、こういう見方もあるのか、と参考になる)


2024年1月20日(土曜日)雨
fbで組合の門真支部だったY氏から友達の催促が来た。fbは時間の経過とともに、松下の仲間が募る。隠すような事はなくオープンだからドンドン承認しているが、どうやら離れていっている人も居るようだ。それは舞台が魅力ないのか、加齢で話題が減っているのかどちらか。もしくは最悪病気。僕の投稿は時々。Mary Annさんがいつの間にか登録されていてすごく良い文章を投稿しているが、僕の語彙力ではついて行けない(心の内を綴ったもの)。もう少し時間が必要だ。
fbは自分の日常を写真付きで如何に表現するか?に焦点があって、毎回同じことは避けているつもり。短文で核心を突く表現力と、ウィットが込められなければならない。LINEとは海外の人の参加がない点で差がある。連絡網はLINEでしょうが、自己表現はXかfbでしょうね。

先日の水泳2km1時間5分が気になって、雨も降ることだし、もう一度挑戦した。今回は深いレーンが空いていたので、ここを使って水泳選手のように足でターンした。それも相まって1時間2分。つまり去年ベースは取り戻せた。しかし、手で水を掻く力が随分と弱っていて、ぐぃとひと掻きで身体が前に押し出されるような進み方はもう出来ない。脚の方は手の1サイクルで4ビートだったから(速度には殆ど加味せず、体を水面に平行に保つ程度)、こちらは多分弱ってないだろう。要は手。連日のサトウキビの運搬で肘が弱っていて、筋肉が頑張ると関節が悲鳴を上げてしまう。作戦としては徐々に慣らすしかない。

雨が降ると畑仕事はできずプールと決めていたが、やっと先日から復活。これからも日課を果たそう。雨はもう一つ落ち着きを恵んでくれる(植物にも恵みの雨という言葉があるが)働きもある(僕にとっては)
日常忙しない動きをしていて殆ど立ち止まって考える事をしない。成功も失敗もドンドン流して行く、実にシンプルでストレスがない。でも人生には仕方ない事、逃げられない事、自分の変えられない悪癖など、いろんなものが流れている事象に潜んでいるが気付かない。でも雨の時は、それを表に引っ張り出して来て気づかせてくれる時もある。
だが、fbでそれを表現するには妙に込み入っていて、僕の構築力では無理だ。

2024年1月19日(金曜日)雨後曇り
旅行のホテル予約をやっと済ませ、ウイーンのオペラチケットを手配しようと頑張ったが、最後の場面で「マスターカード」でなければ決済できないことがわかり諦めた。もしかして、オーストリアはマスターカードが主流か?調べるとやはりそうだった。€の現金はあまり持ち歩かないつもりだから、向こうで自由が効かない可能性がある。そこで住友銀行でカードを発券してもらうことにした。こんな手続きで結局午前中が潰れてしまった。まぁ雨だったのでいいかな。

午後日課の英語を済ませ、娘に文旦を送るともう夕方になった。(友人には送ったけど、娘は忘れていた)風呂、夕食と済ませると途端に眠くなった。オペラ「ナブッコ」は1幕だけ見て布団に向かった。未だ9時なのに。何にもしてないのにものすごく眠い。


2024年1月18日(木曜日)曇り
昨晩不思議な夢を見た。どこか外国で、僕が通訳として雇っている人が殺され、僕も逃げる羽目になった。きっかけは、①昨晩アマゾンプライムで見た、「突撃せよカンダハル」でアフガニスタンの通訳と米海兵隊が裏切りにあって逃げる映画を見たこと。②もう一つはアジア発酵紀行で小倉ヒラク氏が現地のインド人と一緒に米麹を探して危険地帯であるインドの東部(インパール)の旅行記を読んでいたこと。③今回の旅行でオペラ「ナブッコ」を見るが、これは王の裏切りがテーマ。この3つがミックスされて妙な夢になった訳。夢はあまりにも現実味を帯びていて、結構手に汗握る場面で目が覚めた。

頓挫していたプール再開、いきなりステーキじゃないが、いきなり2km。1時間5分。昨年は結構サボったが平均時間が1時間2分くらい。つまり1年間で2-3分程度の老化が進んでいることになる。しかしコロナで不定期に休暇しているから、断言できない言い訳もあるが。

マイクロソフトの嫌な戦略について。オフィス365を契約して使っている。毎年15000円支払いすると、オフィスが自由に使えるサービス。所が毎年契約更新は英文でやって来る。マイクロソフト日本法人も随分と大きな会社だから、日本語でメールを送ればいいと思うのだが、「分かると解約される」恐れもあるので意識的に行なっているのだろう。一度契約して以降使ってない人も居る人を刺激したくない悪意があります。又、バンドールPCのエクセルは、オフィス365に入るよう3日に一度勧誘がある。そしてもし、データーをマイクロソフトに預けたら、PCのゴミ箱まで引き抜いて、「データーが足りなくなっています、容量を増やしてください」と新規勧誘を施す。こちらの勧誘は日本語だ。嫌な会社だ。

今やPCに詳しいよりも、Webでやって来る勧誘を振り払う知識がなくては、昔のようにPCは使えませんね。
プールからの帰りサンプラザ(スーパーマーケット)で買い物をした。ここのポイントが貯まるカードを持って居るので差し出すと、エディポイントカードを持っていますか?と聞かれた。スマホのバーコードをスキャンしてもらった。支払いはd払い。これってスマホを使い倒して居ないとできない仕組み。爺さん婆さんには無理だなぁ。

今日の格言は、デジタルは便利になる反面、「もう切り捨ての時代」になっているのですねぇ。

2024年1月17日(水曜日)晴れ
午前中の英会話が頓挫している。理由は旅行のホテルとかコンサートチケットの予約などに時間を食っている。コンサートチケットは現地のウェブサイトで直接購入する為、先ずは表示を英語に切り替えて、凡そを把握し、短縮英語はウェブで?を付けて尋ねる。チェコ語はグーグルの翻訳ソフトも効かず、gen(AIソフト)、去年なら出来なかった事が今年はできる。2019年ヴェネチュア散策はグーグルマップが活躍し、以前は一人歩きが出来なかった事が実現できた。
テクノロジーの進化は僕のような言語音痴でもなんとか海外を歩けるようになった。もう少し時代が前、つまり僕が5歳くらい年上だったら、こんな心構えでは旅行に行けなかったでしょうね。

新聞ではまた心のない記事が掲載されている。要約すれば「訪日客がお金を落とすように宿泊費の単価を上げる事が重要だ」まぁ外国人をバカにしていますね。「富裕層を狙って」とも。日本に来ていただき楽しんでいただくには平民がたくさん来られ、リーズナブルな価格で楽しみ、購入されるのが正しい姿勢で、富裕層狙いは違っていると思う。又富裕層には、高額な料金には想いも描けないサービスの提供で見合う内容が付加されてなければならない。それをさしおいて、客単価とは?若いにいちゃんが書きそうな記事。そして高級旅館は当然ながら知恵を絞っているはずで、単に価格を上げているのではないだろう、記事を書くなら、単価の上がる工夫を取材すべきだ。そんな配慮なくこの記事では、彼らの努力は浮かばれない。


iPhoneのアプリにフィットネスがあって、常時携帯すればその日の運動量が把握できるが、農作業でスマホを携帯するのは不可。万歩計も紛失したので不可。結局テクノロジーは農作業では阻まれる。

旅行にはクレジットカードと電子決済が必要で、Apple Payを使ってくださいと案内があった。もちろん用意はしているが、Apple Payは使ったことがない。使える店がないのだ。検索すれば1店舗。練習もできない。

そう、今日の結論は最新テクノロジーは、都会で生きる、田舎ではなくて


2024年1月16日(火曜日)晴れ
「アジア発酵紀行」を読んでいると、ネパール、バングラ、インドのコルカタが登場する。僕は発酵食品は口にしなかったが、アジアの物凄い社会のエネルギー、混沌と喧騒、無秩序、唯我独尊の文面は理解できた。

あれやこれや考える前に、「無」にならなきゃ息ができない、一歩退く。そうすると、周りが見えて来る。流れに逆らってはダメ。そんな人生もあると言うか、国民もあるのが切々と綴られている。

人生の後半に仕事の上とは言え、アジアの経験は、僕の視界を一変させた。飛び込んで見ないとわからないとは、この事だった。

文旦の収穫は料理の先生に手伝って貰って今日中に仕上げることができた。年初の予定通り。あと1日、サトウキビの搾りかすを畑に撒く事で後始末を終える。

飛行機のチケットはWebが繋がらず諦めていたところに、HISに電話が通じて確保できた。ミュンヘン乗り換えとドバイ乗り換えがあったが、エレミーツ航空のお姉さんが綺麗だったのが記憶に残っていて、ドバイ経由を選択した。ミュンヘン経由は入国審査が絡むので、乗り遅れる可能性があるからも理由だ。
コンサートチケットはチェコフィル2月15日分を予約した。満席だった。演目はマーラー1番「巨人」。1番は歌のパートがない馴染み易い曲。

今夜はベートーベン交響曲4番ハイテンク/コンセルトヘボーを聴いた後、名盤と呼ばれている、カルロスクライバー/ウインフィルのLPを再生する。この格差は何だ?キレと跡を引かない力強さ、躍動感があるのに丁寧。まぁそれが歴史に残る名盤所以なところでしょうね。それじゃ、フルトベングラーはどうでしょうか?SACDを取り出した。怒涛の圧力で弾き切るが、繊細さをキチンと残して「聴かせる」ですね。ベートーベンを知っているが如くって感じ。こんな事してちゃ4番だけの征服で後半の人生を喰ってしまいそう。




2024年1月15日(月曜日)晴れ
朝起きた時小雨が降っていたが、予報通り10時から晴天となった。NYTによると、モンタナでは-60度の冷気が押し寄せてきて、木が倒れ下敷きになった人が亡くなる事故が起きているとか。天候は極端に振れだした感じ。高知は暖かく10時には部屋の暖房を切ることができた。

午後は文旦の収穫と出荷。今日は出荷中に4袋が売れて、僕は確かに今この棚に袋を置いたはずだが??が灯ったが、レジを見れば客が持ち去っていた。後畑1枚を残すのみとなった。

チェコ旅行は列車の旅で盗難に難がありそうだ。それで荷物は手持ちで行くことに決めたが、2週間もの間着替えも必要だろう。それで、Amazonで衣類圧縮できるポンプを注文した。それと、穴の空いた下着や靴下が溜まっているので、これを持っていこう、使用後は捨てて来るつもりだ。それでどこまで減らすことができるだろうか。
軽くならないものはカメラ(G9pro)レンズ(8-18)(25)(14-140)、iPad、Kindle、充電器、USB、懐中電灯、モバイルバッテリー。明日から支度だ。

今夜の音楽は、ハイレゾファイルからドナルド・フェイゲン/The Nightfly。僕が大阪を担当し始めた1990年、発売されたアルバム。当時のCDでも気持ちの良い音が出た。今は全く条件の違うシステムで聴いているので、極上の音楽/音質。ライブでは再現できない。緻密で計算された演奏と楽器の配置。一つのミスも探せない完璧な演奏。芸術作品の極地。近所に家屋はないので、夜間でも1Wの出力(スピーカーは大型システムですのでアンプのメーターが1Wに振れると相当大きな音量です)でガンガンと鳴らす。

2024年1月14日(日曜日)晴れ
チェコから連絡が来た。プラハからウィーンへの列車がやばいとの事。荷物と人間の間が離れるかららしい。もう少し考えよう。それとチェコではヴェルディオペラ「ナブッコ」が上演されるらしい。

日高のK子が文旦をもらいに来て、収穫も手伝って貰った。息子さんと2名来てくれたから、ものすごく早かった。60袋出来、40袋出荷した。それで袋が無くなった。ここまであるとは?

K子は厚揚げと豆腐を持ってきてくれた。名古屋で有名なお豆腐と言う。彼女が来るたび何か食べ物がついて来る。幸福の女神だ。日記をくって見れば、昨年の今頃はまだサトウキビの収穫を行なっていて、やはり手伝って貰った。その時は、豚汁とピラフのようなものを頂いた。

全国は冷え込んだようだが、高知は日差しが強く、夜部屋に戻っても室温が18度、それで今夕は前からの日課であったメインのステレオでCDを聴くことにした(寒い時は椅子で聴くことができない)。久しぶりに聴くハイテンク/コンセルトヘボーは気を衒わない至ってノーマルな演奏。弦がファゴットと絡む時に僕の耳は気持ちが良いと反応してくれる。京都で聴いたコンセルトヘボーはバイオリンのピッチカートの圧倒的な音量と響きが気持ち良くさせてくれた、色々と気持ちよさの種類もあるもんだと思った。ジャズは寺島靖国が言うようにシンバル一択ですが。その流れでVSOPを聴く。トニーウイリアムスの絶妙なバチさばきは聞き込むほど凄さがわかる。

2024年1月13日(土曜日)晴れ
いつも同じ時間に文旦の出荷をしている。1月5日から続けたら、何となく定着して、夕刻の出荷時にはお客さんが待っていた。ここまで来ればホンモノだ。にわかブランドが定着した。文旦畑の北側の収穫は終えたので、明日から南側。同じ本数だけあるが、こちらは実の付きようが少ないから5日間程度で終わるかな?

チェコから返信が来れば、いよいよ旅行に向かって動こう。と言っても、コンサートチケットと飛行の便だけど。ホテルは向こうで予約してもらおう。今度はどんな旅になるか?想像できないが、いつもの通り困ったら当たって挫けろだ。大概うまくいかない。まっそれが想い出になるけど。

名古屋からの便りで今夕は急に冷え込んできたと言う。こっちは室温が16度もあって、暖房を入れればすぐに快適な温度になる。太陽のある午前中は暖房を切ってTシャツで過ごした。マスコミは化石燃料の使用を止めない限り、高温は 毎年記録を更新するだろうと言う。
それでいい事は、台風銀座と呼ばれる程毎年来ていた台風が高知に来なくなり、サトウキビは倒れず糖度が乗って豊作になる事。悪いことは、いつまでもそれは続かない事。

2024年1月12日(金曜日)晴れ
石川県は支援について結構高圧的で、外国の受け売れはアメリカだけ、ボランティアは受付しないなどと言う。これでは行くのは無理かな。無理して行って、もしかして手続きの横柄さで気分を悪くすることになれば本末転倒だ。それでこの件に関してはスッパリとあきらめた。寄付は税金から提供できるだろう。

今日は疲れていて8時間の睡眠の他に、午前中45分もうたた寝。寝過ぎて頭はぼんやりしている中で、午前中英会話。理解は進まず。午後文旦収穫と出荷。店員からもっと表面が綺麗だと業者が買うんだけど、と言われたが、僕としては全く時間の余裕がないから、何もできないと答えた。やるべき作業量は多く、こなせる作業量は少ない。


面白い本を読み始めた。探検のようで旅行記でもあり、グルメの探索でもある。「アジア発酵紀行/小倉ヒラク」。日本は発酵食品の宝庫だと言われるがルーツはアジアにあると言われる。その源流を訪ねる旅。発酵食品は食べ物材料の条件が悪ければ悪いほど多様な食品が開発されたと言う。ページを捲るのが軽い。かつてこの手の本は椎名誠だったが。

今夜はチャイコフスキーバイオリン協奏曲、バイオリンはギドンクメール、指揮はロリンマゼール/ベルリンフィル。録音場所は東京オーチャードホール。バイオリンの多面的な顔がよく出ている録音。アルバムは1979年ドイツグラムフォンから発売されているが、こちらはベルリンでの録音。今聞いているのはNHKが録音したもの。躍動感に富んで素晴らしい。レコードは正しい評価に向くがライブは熱が感じる。



2024年1月11日(木曜日)晴れ
土地登記の変更をお願いしているが、何と費用が50万円も発生するようだ。少し胡散臭い司法書士さんだが芸西村のことがよくわかっているからしかたない。文旦とお砂糖で頑張って収益を上げて費用の捻出をしなければならない。

毎日同じ作業、英会話や大塚美術館の絵の編集文旦の収穫、サトウキビ畑の後片付け。何ら目新しいことはない。少しづつ進展ゆくだけ。誰とも話すことなくただ淡々と。残された時間を無駄にしているだろうか?それとも石川県にボランティアに行った方が良いのか?行ってインフルやコロナを貰って動けなくはならないだろうか?それとも一家族だけでも受け入れてあげる方が良いのか?けどそのまま居着いてしまわないだろうか?

気持ちが揺れる。拍車をかけたのは「川上未映子/黄色い家」を読んでいるから。100ページを過ぎる頃から、ずっしりと重い内容でこの本を開かなきゃ良かったと思った。気分が悪くなって、不安に襲われる本。
学歴のない17歳の花ちゃんが黄美子とスナックの仕事を始め、根無草のキャバクラ嬢の欄が合流し、不登校の桃子が加わり、悪の世界に何の衒いもなく段々と落ちてゆく物語だ。評価は高いが書評は暗い。Kindle版で、他の人がどんなところに感化されたのか分かる、アンダーラインで人数が表示される。人間の骨幹として曲げられない部分にマークが多い。そして「仲間でもどんな裏切りをするのかわかったもんじゃない」これが後半を占める。結局僕の中にもある疑心暗鬼の気持ちが刺激される。それが躊躇する理由だ。


2024年1月10日(水曜日)曇り
パナソニックがアマゾンと組んで好みの番組を示唆できる画期的なテレビを発表したと報道された。これには疑問符が付く。テレビは岡村と言う人間を知らないのに、テレビはどうして好みが分かるのだろう。少なくとも、僕のホームページを全て読み込んで、僕のクレジットカードの分析して、どこに行っているか、交友関係は、食べ物は?そんな個人情報を入手しない限り、好みは示唆できないはずだ。過去見た番組で示唆するなんて子供だましだ。

アップルミュージックで音楽をよく聞くが、僕好みを察してオススメの曲が羅列されるが、これが正解だったと思うことは一度もない。そして、もっと幅広く紹介してくれたら良いのに、アーチストが極めて限定される。おそらく1億近い楽曲があるのに。結局掘り出し物の音楽は雑誌の書評を読んでこちらからアクセスするしかない。
僕が聴くのは好演とかノリとか、高音質のキリグチと、ジャケットが美人の女性であって、ジャズとかクラシックのようなジャンルではないからだ。

結局家電なんかに搭載されるAIは「売らんがためのためのAI」であって、それ以上ではない。それに個人情報を読み込むには法整備も絡む。全人格とは言わないまでも、そこそこ情報を提供するには、こちらだってガードする。それで、話は進展せず、表面をかすめるAIに終始する訳だ。パナソニックは、これで、テレビの世界が変わるなんて言わない方が良い。

かっぱ市場から電話で文旦の出荷はどうなっている?催促の電話。郵便局で社長ともあってどうなっている?人気なんだ。僕も午前中は英語やって、午後は収穫やってと結構忙しい、そこへ、今日はフィリピンの知人ジョイスさんから、メッセンジャーでの問い合わせが来る。読める文面だが(タガログ語ではない)、返信はチャットGPTの力を借りないと難しい。それで忙しいのに拍車がかかってすることに限界がある。ジョイスさんはニックネーム。フィリピンで一緒に仕事をした中、今はMITSUBISHI MOTORS フィリピンに勤めている。音楽の嗜好は一致し気の合う人で、頭の回転が早い。もう14年来のメル友で、こんなに長く付き合った女性はいない。

2024年1月9日(火曜日)晴れ
見えない、明かされない秘密兵器について。ウクライナ戦争や中東での戦争は終わりが見えない。一方で、少しでも被害を少なく、戦争を有利にするための知恵は今まで以上に集結、回転しているはずだ。そして実践されていてもおかしくない。公表されないだけで相当進化していてもおかしくはない。そしてこの間にAIが公表された。未だ明確なAI規制はない。この2つの組み合わせが起きてないとは言い切れない。

今日は伝承館でも秘密兵器を作ろうと、日萎びたサトウキビ30kg、黒蜜30リットル、2022年産白玉糖20kgを持ち寄って、砂糖を釜で炊き直した。蜜の糖度82度で釜から取り出し、結晶化の種を入れて完成させた。日程を見計らって和三盆に挑戦する。和三盆は基本的な流れ以外技術が公開されてない。和三盆は高く販売できる可能性がある。


偶然だが面白い現象がある。自民党が弱っている時に限って大きな地震がある。阪神は社会党政権、東北は民主党菅政権、そして能登は支持率最悪の岸田政権。地面の底で地表の事を見通しているのだろうか?

歴史が動くと言っては大袈裟だが、土地登記の問題が4月1日法改正で起きる。それ以降は登記が正常でないと土地の転売に物凄い手間がかかり事実上不可能になって国に没収される。僕の場合は、曽祖父母、祖父、父、母の4人が其々土地を登記している。つまり私は税金は支払っているが土地無しなのだ。それで、今日は司法書士を訪ねて、お願いをしてきた。調べると、代々一人っ子政策だったので、私しか受け継ぐ人はいなく、他人の印鑑は不要だった。これは良いことだ。50万円程発生するが、父のやり残した遺産だから甘んじて受けるしかない。

もう一つ、チェコの知人からメールが返信されて、いよいよコンサートチケット発券、飛行機のチケット購入と進む。今日は慌ただしく、4時には家に帰って来たが、妙に疲れて野良仕事はやる気がなく風呂を焚いて早々に店じまいを決め込んだ。





2024年1月8日(月曜日)晴れ
師匠が燃えている。11時に近くの喫茶店に招集がかかり、明日、「和三盆を焚くきに、来てや」となった。そしてこうも付け加えた。焚いて粘い砂糖ができるが、その原因を探りたい。今年はこの2つをやるぞ。「えっ!」いつの間に目標が2つに増えた?のだろう。「オラは、後世にこの2つを残してあげたい」とも言った。今日は、奥さんも同伴してたので、何だか簡単な新年会となった。この5人はかなり親密な関係で、師匠が一声掛ければすぐ集合するし、僕が師匠を焚きつけて集合をかけてもらうこともできる。

2時間の懇親会で明日8時に伝承館へ集合が決まった。帰って文旦収穫。昨日の出荷分は全て完売してた。出荷のついでに赤岡市場の資材部に行って文旦のビニール袋を購入した。無地の袋より、「おいしい土佐文旦」の印刷してあるのが断然いい。袋は20円/1枚と高価だが売れたらそれでいいだろうと思う。帰る道中、車の尾行があった。お爺さんにストーカーは無いだろう?家に着くと5人の仲間の一人だった。少し話をして文旦をあげた。

風呂を焚いて夕食を食っていると、料理の先生が訪ねてきて「美味しい八宝菜」だと一袋おいていった。外は暗く、寒くて、普通なら外出したくは無いけど、この人は年齢とは関係なくフットワークが軽い。

とにかく、高知の老人は元気だ。そして、すこしでも賃金を稼ごうと、かっぱ市場に出荷するし、集落活動センター(老人による地域おこし)に参加する。まぁ日本で1番を争う所得の低い県民ですので仕方ないですが、返ってそれが健康に繋がっていたりして。

2024年1月7日(日曜日)晴れ
体調には波があって、今日は物凄く冴えて、先日書いた文章の読み込みが遅くなった兆候は全く消失しスラスラと進んだ。ついでに日経新聞のアートのページ「サンドロ・ボッテイチェリ特集」をテキストデータに変換して今編集中の大塚美術館の同氏のページ後にくっつけた。普段は余裕なくこのページは飛ばしているのだが。

食事の後英語に移ったが、エアフレームの原書を2600語/1時間で訳した(平均は1800語)。中々出ないスピードで驚いた。何が原因しているのか不明。人生最後の輝きの様な気がして、何だか怖くなって友人を誘って、夜呑もうとしたが反応なし。

昼前に師匠から電話があって、「和三盆」を作ると言う。和三盆はサトウキビから蜜を除いて、サラサラのお砂糖に仕上げるもの。香川県が有名。作り方は秘伝で教えてくれないが、インターネットでは基本的な事は公開されている。師匠は84歳。この歳になっても挑戦意欲がすごい。じっちゃんの94歳も凄い、多分皆んなミネラル成分の多い自然栽培の「白玉糖」を食べているからだろう。

午後は文旦収穫、昨日の14袋は完売。今日は19袋出荷。例年だと1月9日からなので、今年は随分と急いでいる。農業は切羽詰まった仕事をすると、どんどん後に積み重なってゆくのを経験した。先取りは体も楽だしイライラしない。
その上砂糖も収量が少なかったので、販売は早晩終わるだろう。いよいよ趣味の時がやって来るはず。

取り敢えず状況確認のためチェコの小島さんにメールした。ウインフィルの大ホール演奏会は2/22からなので、この前後がチェコに行く日程。そしてこの前後でチェコフィルの演奏会が開催されているか?問い合わせをした。




2024年1月6日(土曜日)曇り
本日の日経新聞書評欄は注目すべき書籍が多く、一冊だけAmazonでクリックした「アジア発酵紀行」。Kindleにはこれで3巻溜まった。気が付けば書籍がすぐに溜まる、ふと感じたのは、新聞記事も含めて読書時間はたっぷりと確保しているのに、読む速度が遅くなっているのではないか。理解が進まないからゆっくりと読んでいるようだ。原因は多分昨年のコンサートシーズンを控え音楽が耳につくまで聴き込んだ時、気づいたのは、表面を撫でるだけでは理解してない、咀嚼して始めて分かると言う事。
多分人の話も、書籍の文字も同じ「咀嚼」が必要だと。それからではないか?(勿論老化もある)
それでも「理解の目線」があって、僕の目線を超えた話や文章は僕の琴線に引っかからず素通りしてしまう。文章は繰り返し読めるが話は一度きりだ。話を聞いた後反芻して、こうだったのかなぁとか思ってみたりする時もあるが、殆どはその場限りで忘れてしまう。
話を戻すと、興味ある書籍がドンドン溜まって行くが読み下せない問題が行く手を遮る。

午後は文旦の収穫と出荷。大工のZ氏に会って分担を上げたら、完熟パインを貰った。帰って、サトウキビ畑の片付け。

チェックの為文旦を食べたら、極上の味。肥料が無い分文旦は根を張って窒素を頑張って微生物の力を借りて取り込んでいる、自然の窒素はこんな美味い文旦になる。植物の本来の姿はここにあるが、大きな実、薄い皮などと欲望が増えると化学肥料で木に栄養を与える。地中の微生物からではなく、肥料から栄養を取るので、天候によって味が動く。
普通文旦は収穫して1ヶ月蒸すが、僕のは不要だ。

2024年1月5日(金曜日)晴れ
忙しかった。ゴミ出しの後、伝承館で砂糖の加工品を回収し、かっぱ市場に出荷。その足で農協に寄って車検手続き。帰って、砂糖をいくつか包み赤野の親類に領収証と砂糖を届けた、お土産にたくさんの野菜を頂く。帰って食事の後、文旦収穫かっぱ市場に出荷、帰って西前の畑でサトウキビ転倒防止柵の撤去。

いささか疲れて、赤野で貰った空芯菜を炒めて頂くとすっかり元気を取り戻した。この野菜は直ぐに萎れるので収穫後食べ切るまでの時間が短い。ベーコンとか一緒に炒めるといいと言われるがそのままでも結構いけた。

最近新聞では賃上げによる経済活性化とか、株価上昇の記事をよく見かける。一方で人当たりのGDPとか生産性の低さとかの記事も多い。当然執筆者は別だろうが、俯瞰する委員会の様な部門は矛盾を感じないのかなぁ。

高学歴でない自分が見ても、賃金は次の計算で成り立つ。(売り上げ)-(原価)=(利益)つまり利益が出ないと賃金は払われないのだ。
そして売り上げは世界のマーケットで勝負できるオンリーワンがないと、生まれない。株価もそれに連動している。為替も日銀の植田さんが何を言われても、この根幹が変化しないと、円高にならないのだ。ビジネスで日本の存在が薄れている中で、何を根拠に楽観的な記事を書くのだろう。政治家は絵空事を言うのだろう。

例えば、豪雨について、低気圧とか前線のことを言う予報官。本来なら、もっと根本的なことを言うべきだが。
俯瞰すれば温暖化が及ぼす影響が根幹でここを掘り下げるのが、彼らの仕事なのに。今の賃上げ問題も、目先のことしか考えてないようだ。

それとも、彼らは全て分かっていて記事(発言)の責任を負うのが危険だから沈黙するのだろうか。

2024年1月4日(木曜日)晴れ
NYTは今回の日航機について詳細を報道していた、A350の機体構造についても防火の観点から記述している。エアバス社の意見も、採用しているエンジンについても取材がある(窒素を噴射し火災を遅らせたとか)。日経新聞にはそんな取材がないし、乗員についての取材もない。日本の新聞が海外の新聞に詳細度で越されるのは悲しいなぁ。もう少し先英語力が上がれば、日経新聞を止めても全く情報には困らないだろう。日本の新聞は今やそんなところにあるようだ。

自分のお正月も終了し、今日からいつもの日常に戻る、午前中英語、午後農作業。英語は11月18日からお休みをいただいていた。久しぶりにホームグランドに戻ると勝手違い軌道修正に時間がかかった。「エアーフレーム」の原書は600文字しか翻訳できなかった。それでもいい、とにかく前に進むことだ。

昼から、土地登記の申し込みに司法書士のところへ相談に伺おうと電話を入れると1月9日でないと予約できないという。みんな4月法改正のために相談に行くのだろうと推測した。当初は自分で行おうと思っていたが、かなり時間を要しそうなのであきらめた。

午後は昨日とっかかりを始めたサトウキビ畑の転倒防止策の解体。友人がやってきた、お正月は何もすることがなく、もう暇をつぶすこともできないので、やってきたという。
彼はまだ週3日のサラリーマンを続けていて拘束時間はあるが、趣味はないから、仕事を止めるとどんな暇のつぶし方をするのだろう?
僕の辞書には「暇で仕方ない」という言葉がないので、彼のような生き方はできないし、もしそうであれば相当ストレスがたまるのだろうなぁ。


2024年1月3日(水曜日)雨
午前中は降ってなかったから、前西のサトウキビ畑の転倒防止策の撤去を始めた。施工は5年前で、背も低く乱雑だ。今は第5バージョンになっているから、背も高く強度もスッキリ度も格上なので、今回取り換える事にした。併せて溝を掘ってサトウキビの根切りを行い新芽が出やすいようにするつもりだ。欠株は補植するつもり。全国の愛好者が11月に見学に来られるので恥ずかしく無い程度にしておかねばならない。

北陸の地震は規模と強さが従来と違い大変な参事を引き起こしている、息子と大晦日の夜、「これ程暖かいと四国に地震が来るかもしれないね」と話していたところだった。冬暖かいと地震がやって来るジンクスは今も生きている様だった。

日経新聞は休刊日だったがNYTは配信しており、北陸の地震、日航機の衝突事故を報道していた。この感度の違いはなんだろうね。当然ウクライナやガザの戦闘も詳細を極めている。日経は安倍派の裏金問題を一生懸命扱っている。やはりこの新聞は「日本の」経済新聞ですね。料金は4800円/月に対し、NYTは6500円程度/年。両方とも電子版。

北九州市の火災と言い今年は年初から事件が大きく多い。もしかして、東南海地震も近いのでは?と考えておくのが真っ当な生き方ですね。

ハッキリと断言できないが、この過酷な農作業を支えるエネルギーの元は野菜の力だと思っている、食べた野菜の量よりも多さに関連しているのでは?と。サラリーマンをやっていた頃は野菜も気を付けて食べてはいたが、種類については考慮がなかった。だから結構疲れやすかった。農民が結構厳しい作業を毎日をこなせるのも、彼らは自分の畑で栽培する野菜をたらふく食っているのと関係がありそうだし、彼ら同士で違う種類の野菜を分け合っている。収穫後数時間内に食べる野菜は、どんなものでもそれなりの味がするので、量も摂取する。
都会にいては野菜が高価で鮮度も低いからどうしても量が減るのでは?と思う。かわいそう。

2024年1月2日(火曜日)晴れ
息子は朝飯を食ってから帰った。僕はPCで大塚博物館の絵画編集を行なった。フォトショップエレメンツで絵画のアーチ切り抜きを試みるがなかなかうまく行かず、諦めた。大塚美術館ではくまなく撮影したつもりなのに、抜けが多く、その上解説文の撮影も忘れたりしているのに気が付いた。撮影と解説文を別々のカメラで撮影したのが、抜けの原因。
11月京都植物園や、鳥羽水族館に行った時はその教訓を生かして一つのカメラで被写体を撮影し、その後名前のプレートを撮影する方式に切り替えた。この歳になってそんな簡単なノウハウさへも気が付かなかった。

大塚美術館に収容されている絵画は1100点位、美術館としては大きいし、しかも有名作品中心だから、ここの収容品全てを網羅した私用美術館が完成すれば、恐らく世界の美術館に行かなくても充分に絵画の鑑賞が出来るはずだ。又、有名作品はwebの上でも公開されているから、Web上でファイルサイズの大きな写真は、私用博物館と入れ替えるとより鮮明になるはず。

2024年1月1日(月曜日)晴れ
急に過激な運動がなくなって、家の掃除とか車の運転とか体の楽なことに時間を費やした結果腹も減らず、食べ物が胃にもたれるようになった。食事制限をしてもどうにもならない。それで夕刻、散歩に出た、少し強硬な散歩、「お正月からコレかよ」だが、仕方ない、「これしか快適な道がない」そして腹もこなれ気分も向上して来た。

結局僕は寿命の短い生き方をしているのではないかと思っている。友人からは、「少し休め」の警告。でも休めば調子が狂う。高松市の寮に居た22歳頃そのことに気がつき、仕事が終わり寮に帰ると周りを厳しく走ることにした。そしたら調子を取り戻した。それ以降、ある一定の負荷がかからないと健康のバランスをたもてない、そんな事で誤魔化したからか、変な身体が出来上がってしまったかも。

息子が帰って来て、そのお世話に遁走し、僕のお正月はもう少し先の事だと言い聞かせて体に少し負荷をかけている。

大晦日から見始めたゴジラのドラマ風映画、全10本。「モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」

内容は、1950年代に怪獣から地球を救う「モナーク」の組織が出来、アメリカと日本の学者や軍人が巨大怪獣を追う、もう一方の場面は現在2015年に変わり、モナークは営利追求派と当初の目的遂行派に分裂し戦う事に、組織の戦いに怪獣との戦いも加わって話が混乱する。8話まで2話づつ息子と観た。

スケールの大きな映画で、アラスカ、フィリピン、東京、チュニジア、ジョージアが現場。怪獣との激戦はCGでロケ地意外のシーンにお金はかかってなく、登場人物も無名でギャラは安そう。ファミリーレストランの様に、一見豪華。けどコストのマネジメントがしっかりしていると気が付いた。

ウクライナ侵攻が新たな電子戦を創出した様に、ネットフリックス、アマゾンプライム、アップルテレビは、顧客引き止めに新たなドラマ風映画を創出し、映画界にコストと迫力のイノベーションを起こした。
昨年秋にハリウッドの役者や関連の人達がストを挙行したのもうなづける。当たるか否かの一本勝負に資金を投じるよりも、資本家は確実にヒットが見込めるドラマ風映画に投資するのが安全確実だから。ゴジラの映画も芝居は下手だったが、脚本でグイグイ引っ張って行く。不足はCGで補う。これじゃ有名役者もお手上げだ。いずれは、俳優もAIで自動生成され、その他キャストは不要になる。
今では、主人公は、32個位のカメラで全身を撮影されデーター化され、以降の出演は不要となる試みが始まっている。(ソニーピクチャー)

昔レオナルド・ダビンチは人物や馬を描くために、死んだ人や動物を徹底的に解剖し、骨格や筋肉を大量にスケッチし、絵を描くには皮膚の下から始めたと言う。今やコンピュータはそれを行なって、人や動物の挙動に変な動きはない。ソニーのミラーレスには人物認識にその技術が搭載されている。