2025年

2025年4月29日(火曜日)晴れ
疲れが溜まって翌朝に持ち越す。栄養ドリンクで誤魔化して茄子のお手伝い。熱くて汗が流れ昨日の酒も抜ける。今日は一段とナスが成長して、3人でかかって午後2時。収穫に使うハサミも一日中使えば腱鞘炎だろうか、関節が痛む。僕は残り4日だからなんとかできるかな?しかし百姓は6月末まで毎日続く。

帰ってネギだけのインスタントラーメンで昼食、他のものを入れれば5時半の夕食が食べられないから。食べてから15分くらい昼寝。

英語の勉強時に15分くらいの昼寝。2つに分けてやっと少し回復。風呂をたいて汗を流し夕食。今夜は1人で書籍NEXUSを読みながら。この本は深く一瞥で通過するのは申し訳ない貴重本。コンピュータが意思を持つようになる所に差し掛かった。今の常識では想定外の働きの可能性をいくつか創造している。すでに起こった現実も踏まえて。
寂しい食事で寂しい夜だが、いずれAIが話し相手になるのも見えてくる。僕は膨大な個人情報を文字で表記しているから、これを解析すれば、AIはかなり示唆に富んだお相手ができるはずだ。まぁ犯罪者にも同じ情報が届くけど。

2025年4月28日(月曜日)雨
ナスは低気圧がくれば、膨らむ。つまり成長するので、今日は一列の往復で4コンテナ。減って来たとはいえ大量の収穫。3人で取り組んで昼までかかった。僕はその足で安芸市の寺尾で刺身、マルナカで肉を調達。彼は病院へ手術の立ち会い。

今夕は前から計画していた佐官さんといっぱい呑む。この人とも立ち話はするが飲んだことはない。面白そうな人だから一回は呑まなきゃと思っていた約束の日だ。今週はこれで3人目。まるで現役の頃の営業に戻ったみたい。

彼、K氏は見込んだ通り、大変器用な人だった。本業以外にスキー、パラセイリング、釣り、スケート、ローラースケート、野菜栽培等農耕、動物解体、一晩で2升の酒を飲み、今でも香南市まで夜飲みにも行くし、奥さんも同行する。今夜も僕の秘蔵の泡盛を750mlのボトル10cmくらいを飲んだ。まだ奥さんとSEXもする。僕の1級上の年齢。年代順に整理すれば1冊の面白い小説が書けそうだ。

土佐市のY氏にサトウキビの種が手に入った連絡、こちらは種屋さんからの提供。僕の方も仲間から10本分けてもらい同時に提供することにした。この方は農家のやり手で生き方は参考になる。僕はできるだけ便宜をはかってあげて、一方で彼の農場見学で何か得るものはないかと思っている。雨の中、種子の受け渡しを完了した。

田舎に居ても交流の輪は広がるんだ。本心は明日もナスなので閉じこもっていたいのだが。社交してないと正しい生き方から外れるかも。

2025年4月27日(日曜日)晴れ
晴天で茄子収穫時、太陽に炙られて倒れるかと思った。途中で外に出て身体を冷やした。「おりょう」さんの品種は、根本からてっぺんまで実がつくから、しゃがんで立ち上がっての繰り返し、ここに灼熱が加わると損耗が激しい。次回からファン付き服で来なければならないと思った。

帰って英語、風呂を焚き、5時半に全ての日課を終えて、大工さんの家に。
今夜はいっぱい飲もうか?と置き手紙がポストにあった。普段親しくしてない人だから、断るのも悪いし受ける。彼の友人と、同級生ご夫妻が来ていた。何も始めて話をする人。僕と同じ世代の人なのに、この奥さんはなかなか色っぽく、飲む、飲む。話題は年老いて色々と不都合になった話と釣り。僕の出番はなく防戦一択。手製の海の幸、山の幸があてで珍しい。まぁ飲み方も食べ方も話の運営も初めてで、少し遠慮した。今更人脈を広げてどうなると言うよりも、寂しい夜を凌げるだけましかな。今週は知らない人と懇親する2回目。


2025年4月26日(土曜日)晴れ
6時半から茄子の収穫お手伝い。防御用の面をつけての作業だが、それでも少しは漏れてくる、喉がイガイガし、咳をしても取れない。鼻水は盛んに出るしくしゃみも併発。ナスは爆発したように実が付いている。1往復でコンテナ3個半、収穫用の手押し車には2個のコンテナしか搭載できないので、途中で切り上げて、集積所まで運ぶ。荷物を下ろした後は、再び先ほどの続き。何度も繰り返し午後1時に終えた。

帰って昼寝、英語の後、サトウキビ畑で転倒防止柵作り、竹切り。時間を細切れにして取り組む。昨年と違うのは体の調子が良いので、これが可能。その代わり疲れるから、夜は寝るだけとなる。

2025年4月25日(金曜日)晴れ
朝一に悪い知らせが届く。親類の娘は、内臓が癒着している新たな発覚があり、緊急手術。26日から当分の間、茄子収穫のお手伝いに行くことになった。
僕も日常生活のあれこれが止まるので臨戦体制に切り替えた。アメリカ旅行記はお休みし、英語のみ時間を小分けして続ける事とした。the water danceの翻訳は、今までの文体とは全く違って、英文学の幅の広さを知らされると共に、何とか対応もできることも分かった。一つ階段を上がった感じ。しかし今の所、面白いかどうか?は不明(英訳する面白さはあるが)、筋はまだ掴めてない。僕としてはドンパチの活劇なんかの翻訳があっていそうな気がする。

午後は新しい畑の柵作りと、日当たりの確保のための竹刈。ある程度の目処がつけば、竹は除草剤で駆逐できるが、今は除草剤の撒布もできないほどの密集状態。開通するまでしばらくかかる。

夜、翻訳に取り掛かるが昼間の疲れで一行も訳せぬまま倒れこむ。


2025年4月24日(木曜日)晴れ
財産区の会議。村の役員と役場の担当者が料亭に集まり決算報告と懇親会。村長も出席、役場の新人も参加された。25歳の中々聡明な青年で好感、室戸の出身だと聞いたので、知人のO子を知っているかと聞けば既知。顔写真を彼女に送付、おどろいた返事だった。彼は若いので、年末が来れば伝承館に誘って体験させてあげよう。総務課長も交代したのでしばし懇親するがものすごく酒が強いので、遠くの席に移った。芸西村では飲めなければ、話が出来ない(と思う)

ナスが爆発し、出荷場は対応でてんやわんや。夜は10時まで、最大出荷量は45トンと言う。軽トラでは1000台以上の換算となる。もう一つはNHKのドラマ「あんぱん」にこの会の会長の息子さんが登場したとの事。このドラマの始まりは、芸西村の琴ヶ浜からの出発だったから。
役場では、放映日を放送したと言うが気が付かなかった。帰ってサイトを検索すれば、芸西村役場のホームページにはNHKにリンクしたパンフレットが掲載されていました。https://www.nhk.or.jp/kochi/anpan/document/info_241015.pdf

酔って帰り、アマゾンのドラマを見て酔いを覚ます。

2025年4月23日(水曜日)雨
今日は天候の割に明るいニュース。親類の妹は病院でどうやら軽い処置で済むようだ。おじさんはリハビリの施設に入ったが、ボケは無くはっきりしている。体が動けるようになれば自宅復帰も視野に入る。

残念なニュースは翻訳のfifty shadeが官能の話にドンドンと移行して、もうこれ以上読む意欲を失って断念した事。新たにthe water dance に着手。こちらは心の内面を描いた作品で、一文が4行くらいで構成される長文。これは手強いぞと気持ちを引き締める。

午後雨は上がり草刈り、溝に水溜まりがあるところはパス。草は5cmくらいだが、今頑張ると、7月ごろサトウキビはたくさんの芽を出す。頑張りどきだ。

2025年4月22日(火曜日)曇り
9時間寝て6時に目覚める。老人だからそんなに寝なくても良いはず、疲れが激しいという事か。昨日は変な動きはしてないし、4時間くらいの労働時間だったが。黄昏が近づいて来ているのか?

経済もトランプで混迷、日経新聞も記事が国内よりで、海外事情ともなれば「日本は期待ができる云々」が多いから世界情勢はよくわからない。数字だけは嘘がないと日々拾っている。
新聞の短期視点では、今の混迷は、どうしようも分析できないのかも知れない。ユバル・ノア・ハラリの歴史から人間の行動を推察する長い視点の物差しがあっているかも知れない。つまり人種を問わずホモ・サピエンスなら、こんな条件があれば、多くの場合こうした。これも短期で見れば ぶれていると言うが、時間尺を長く取れば、本能に収斂されると書く。結構重い本で1時間集中して30ページ。関連事項の調べ物をすると20ページ。それは僕の知らない人が続々登場するのもあり背景を調べると時間が過ぎる。

2025年4月21日(月曜日)晴れ
昨晩から目眩がして続いている。午前中は調子が良いが午後になると次第に悪くなる。よくないことが起きていなければ良いが。

先日放映されたコナン/五稜郭編を録画で見たが、登場人物をメモしてないから筋が掴めない。いつからコナンが解読できなくなったのだろう。三国志/吉川英治も同様だ。読書時はスマホのエクセルに登場人物名、読み方を打ち込んで時々並び替えをかけて参照しながら読む。この書籍はもう3度目。もうすっかり前の記憶はないので、「新」三国志として読んでいる。この書は他に中国の古代地図を開いて地名と位置感覚も確認しながら読み進める。今までは記憶が残っていて別紙の捕捉は不要だったが、もう手放せない存在。

サトウキビの転倒防止柵を作り始めたが、夕刻太陽が傾くと、雑木、竹が邪魔して日陰になるのが早い。それで今日はハサミで刻んで行ったが、余りにもエネルギー浪費が激しく断念。

親類の娘が病気で入院。僕も応援体制に組み込まれる。これを機に夜のアマゾン依存症を脱却しようと決意。早速今夕から始めたが、睡魔のお誘いが激しく、夜の読書や音楽に至らず20:30にダウン。


2025年4月20日(日曜日)曇り
友人から贈り物が届いたので、そのお返しにと高知の名産品のある土佐日曜市に出かけた。果物はやっぱり文旦しかなかった。もう一人には四万十海苔。岡村さんには高価なお豆腐(400円もした)、らっきょうと玉ねぎの間の子、「ハイブリット・ラッキョウ」と呼ぶ珍しい野菜を買った。引き立てのコーヒーがあったので600円を飲んだら、セブンイレブンより不味かった。僕の舌がおかしい。インドで飲んだ濃いコーヒーが懐かしい。

その後プール。今日は2kmを1時間、時間は縮まる。下腹は引っ込んだ。帰りにマクドナルドに寄ろうとすれば道を間違えて断念。ドラッグストアのコスモスで冷凍パスタを買って、それで代用。ローソンで大黒摩季コンサートチケットを購入しようとアクセスすれば完売。6/29なのに人気があるんだ。

帰って英語の勉強中、淳子ちゃんが室戸の朝取れブリを持って来てくれた。一度に食べきれない量。ご飯を少なめにしてブリとハイブリットラッキョウをいただく。お酒の代わりにコーラー。コーラで刺身を食べると生臭い。ワインで刺身を食べるのと同じ感覚。まぁ空腹なので 飲みくだしましたが。ブリは余りにも脂が乗っていたので、食べ過ぎて夜中にお腹が痛くなって下痢。

夕刻は薪も回収した。工事業者さんは、使えそうな木材を仕分けして残してくれていた。明日伝承館に運ぶつもり。


2025年4月19日(土曜日)曇り
今年は草、木、竹の猛攻に対し余裕がある。僕は気を抜かないし、午後の農作業は休まないで何かをしているから、目に付いたものが片付けられている。昨年は腹痛やら風邪で何日も休んだが、それもない。おそらく60定年から身体の変わり目の10年を過ぎて、元の状態と言うか、別の次元の移行し安定飛行に入ったからじゃないかな?買い物の帰りにチカちゃんの散歩に出会い話したら、85歳、膝の手術をして以降散歩を欠かさないし、病院のリハビリや集会所に欠かさず通っているから元気。なかなかの笑顔。我が母はもその年では亡くなっていた。

伝承館で薪を置く棚を作った、母屋の床下換気扇もモーターを交換した。予定通り進捗したので、夜はアマゾンで「フォログラファーは名探偵」を見る。
病気に罹ったと言えば、毎夜、なんらかの理由をつけて本を読まず、アマゾン依存症になったこと。気が弱くなった。寂しさを知的探求でごまかしていたが通用しなくなっているかも。

パンを焼いたら、水を入れてなく大失敗。昼間買ったコーラーは飲みかけを風呂の釜の所に置いたまま、iPadはiPhoneに自動接続を許可する設定になっていて、データオーバー。今しばらくは128kbit通信で我慢の日が続く。今まで経験のしたことのない間違いを始めた。

2025年4月18日(金曜日)晴れ
カラッと晴れないが、曇ったり晴れたり。シロアリ対策の会社が家の床下から湿気を取るために、太陽光で動く送風機を母屋に6個、母の寝室に2個取り付けてあるが、昨年は大きな音がしてて、今年は沈黙したままだ。モーターの軸受けが焼き付いて回転しなくなったと診断する。それで、アマゾンでPC冷却ファンを購入(@1788×4=7112円)し取り付けたところ、風量は少し減るがうまく動いた。それで今日は残り6個をアマゾンに注文した。もし、業者(サニックス)に依頼すれば、日当と部品代金で7万円/1セットと言われている。合計では7×4=28万円。272,888円の差額。

今日もダム廃材の材木を伝承館に運んだ。セットした置き場が満杯になったので、明日からはもう一つ準備しなければならない。
K子の植えたサトウキビが芽を出しているので、その周りのあぜの当たる部分の草刈り。隣のビニールハウスの持ち主はあぜを放置してあるので、我が田に雑木が張り出して来ている。それも整理。夜はその雑木の棘(グイミ)が刺さり痛いが取れず。

妙な事だが、いつも一人でいるのに頭の中には色んな雑音や話し声があって割と賑やかなのに、今日の夜は突然静かになった。田舎生活は本来これなのに、僕は雑念でその静かさを享受してなかった。それがいい事なのかどうか不明。


2025年4月17日(木曜日)晴れ
やっと寒さが緩み農作業は汗を流すようになった。でも作業を始めるには物凄いエネルギーを使った決断がいる。最後の決め手は作業で疲れないと夜の素晴らしい睡眠はやって来ないし、その前の美味しい夕食も無い。動いてエネルギーを燃やしてこそ、いい循環があると呪文を唱える。昨年は不要だったが、今年は必須。

もう歳なんだからと、友人も親類も、都会に暮らす先輩は更に強調される。酷使すると確かに回復せずに劣化し細胞が癌化するかも知れない。使わなければ退化する。僕の身体は何処に分水嶺があるのか今でもわからない。師匠は限界まで酷使するので肉を食わないと力が湧かないと言う、確かに大食漢だがガリガリに痩せている。

Facebookのアイコンをアップル生成AIで作画した映像に変えたら、思わぬ反響があった。若すぎるとの批判も。いずれレベルが上がりいい仕事をするようになるだろ。旅行記でパネルにある英語は翻訳機GTPにかけているが、パネルの前に文字を妨害する棒や木の枝があったりして、全文が見えない時も、きちんとした日本語に変換してくれる。他のソフトはこうは行かないし、以前のGTPもそうは行かなかった。多分この世界の1ヶ月の進化は、もしかしたら10年前の1年に相当するかも知れない。

僕もかなり目を光らせて、この変化に乗って行こうと思う。子供達にも対等に話ができるほどに。

2025年4月16日(水曜日)晴れ
寒い、エアコンと石油ストーブで朝のオーディオルームを温めた。ラジオ英会話も書籍の翻訳も、旅行記も1日では片がつくようなものではない、それで、定量をこなしても「やった!」と言う達成感がない。毎日の進捗をエクセルシートに刻むだけが目に見える達成感。昨年はホテルの掃除の仕事もしてたのに、今年よりも作業成果は多い。なんでかなぁ?確かにこんな寒い日は暖かい部屋で本でも読んで過ごしたい。そんな弱気が仕事や英語の成果に数字として現れているかもしれない。集中力が無くなっているのも足を引いているかも知れない。急にガクンと能力が落ちた覚えは無いのだが。

ともあれ、コツコツと前進あるのみ。午後はきまさご砂防堰堤で出た廃木から、使えそうな木を切り出し回収。(工事現場の方のは話をつけてある)。さらに家のリフォームからでた廃材もお声かけいただき、伝承館へ運ぶ。いい砂糖はキビの方にも注力しなければならないが、仕上げの薪にもこだわりを見せないといい砂糖はできない。今年は自分の薪で砂糖を炊くつもりだ。

2025年4月15日(火曜日)晴れ
4月8日〜11日までの茄子収穫のお手伝いの影響を今日でやっと収斂した。1日7時間くらいの空間の挽回は重い。

午後は、きまさごからサトウキビの株を掘り出し、西下の畑に34株補植。前西に16株補植。鍬を振る作業なので息が切れ休憩を挟むので作業効率悪い。明日もう一度頑張れば完成するはず。上手くいけば昨年同様の収穫が出来るはず。これが終われば、転倒防止の柵作りに入る、こちらは面積が多いので時間を要し、8月迄かかりそう。その間草刈りが頻繁に入るのもある。

2025年4月14日(月曜日)晴れ
この日の行動は失敗した。午前中晴れ、午後雨だったので、英語は午後に回すべきだった。が、普段の通りの行動を済ませ、午後農作業をし雨。

はじめは雲行き怪しく、除草剤散布は止めようと思ったくらいの明るさ。きまさごでサトウキビの株を掘り出し、既存の畝の欠株に充てる。今、この先で大きな道路を作り、砂防ダムを建設する業者さんが工事に入っている。山があまり急峻なので、工法を聞くと、完成済みのコンクリートパネルで施工すると言う。型枠、鉄筋、セメント流し込みなどの作業なしでいきなりパネル壁面に埋め込むと言う、芸西村を貫通する高速道路にもこの工法が採用されていると言う。一通り話を聞いて、僕は作業に入ろうとすると、その株はユンボで掘ってあげると言う。大きな株で、今日はこれだけで終わるかなと思っていた矢先でありがたかった。鍬の100振り分をユンボ1すくい。あっという間の出来事だった。コミュニケーションの重要さを認識した次第。

日頃彼らとはよく話しをして、村が昔設置した用水路の歴史なんかも話してあげたのが良かったのかも。大きな株は6個位に分けて移植した。その後雷が鳴り出し、やばいと作業を中断、残りは明日に回した。

その後雨は激しく夜まで降った。今夜は書籍整理に手を出した。今まで読んだ書籍4500冊強を全てスキャン、PDF化して保存してある。それを発行年代毎のフォルダーに分けた。1948年〜現在まで。小学生の頃に買ってもらった大辞典15巻もある。高校生の教科書も。自作した真空管アンプの回路図が掲載されたラジオ技術誌も、兎に角全てデジタル化してある。これだけの書籍は12畳の部屋を床から天井まで埋め尽くすだげの分量。それがなんと足元の四角いHDDボックスに収まっている。次は分野毎に、次は作者毎、重複分類はコントロールキーを押したままドラッグすれば複製になっている。

書籍整理中にエアーフレーム/マイケルクライントンの書籍(日本語)が出て来た。開けて冒頭部分を読む。昨年翻訳した僕の文章と比べる。翻訳は大胆に時間の流れを前後に変えてあるのがわかる。プロの翻訳家はこうして文章を作るのだと合点がいった。まぁ僕のは直訳、直球で原文が近くにないと理解できないものですが。

2025年4月13日(日曜日)雨
雨漏りするような酷い雨。春の嵐を家の中で眺めている人は高知県で何人いたのだろう。庭の花木が雨に打たれてコウベを下げている。眺めていると静かに時間が過ぎていく。穏やかな日曜日の朝だ。

私もいつかはこんな朝を迎えるようになるだろう。だが今はまだ青い。5時車に飛び乗って赤野の喫茶店。まだ暗かったが到着の頃は明るくなっていた。どこに座ってもいいと言うが、勝手に座るとそこはダメだ、こちらに移れと指示が来る。要は常連客の指定席を外せと言う事。田舎の喫茶店は自由でもしきたりがある。ワシントンのレストランで見た老人たちの光景がここにもあった。

帰って英会話。喫茶店の濃いコーヒーがいい仕事をしてくれてヒアリングテストは満点が取れた。先日、トランプの関税延期の現地取材ニュースで言っていることが全部わかった。びっくりした。全く違和感なしにそのニュースは頭に飛び込んできた。こんな事もあるんだ。

家の前を走る土佐黒潮鉄道に、「志国土佐時代の夜明けものがたり」と日本で一番名前の長い特急列車が毎週金曜日に走っている、6月27日まで。この列車に乗る計画が持ち上がった。食事含みで一万円。特急電車だけど、普通列車より遅い。安芸駅に車で行って、高知駅に列車で向かい。高知駅から、安芸駅までこの特別車に乗る計画。列車から見る風景も地名もすべてわかっているが、ただ話題作りのためにだけに乗る。

雨だったのでプール。途中でタイヤ交換。毎年年末に400kg近いサトウキビを連日運ぶので、だいたい今頃、タイヤが変形し、走行すると凄い振動が発生し負荷も多く、一段下のギアで走るようになる。タイヤ交換の間、向かいのマクドナルドでビッグマック、いつの間にか650円が750円になっていた。それに食べきるには量が多いなと感じた。僕の食欲が落ちている。プールは久々に1時間4分。時速2km。


2025年4月12日(土曜日)晴れ
朝一、昨日の雇用主から電話、今すぐ応援に来れないか?おばさんが来てない。「いいよ」と返事。出発の準備をしていると、「おばさんが来たので、もう来なくて良い」。昨晩のドラマじゃないけど、アクセルと、ブレーキを交互に踏んだ感じの現実。
午前中は英語と、買い物レシートをエクセルに入力した。やはり出かけてないので、出費は抑えられていた。

午後家の掃除。それから安芸市に買い物。ワークウエーで手袋。僕のお気に入りのスリップレス防水タイプは600円に値上がりしてた。握力の低い僕としては仕方ない出費。
それから寺尾で刺身、小僧寿しで注文品を受け取る。今日は師匠の第2の定年のお祝いだ(師匠の家に行って)。70歳から始めて15年間運動公園の草木の管理を行った。僕も手伝ったが大変な仕事。例えば草刈り機は、僕の28ccエンジンタイプでさえ持つのに腕が痺れるが、師匠のは36ccタイプだ。重さの感触は1.5倍くらい。此れを一年中振り回す。これからはゆっくりしたら良い、と言うのが当初の予定だったが、あと1年は後継の会社社員を指導してくれとの事で、仕事の終了が1年延びた。
又、お祝いをせなあかんね。

その後、僕の旅行記を居間にある65型のテレビにつないで見せてあげた。T氏も言っていたが、旅行に行ってもこれだけ持って帰れば、見るだけ食べるだけよりも価値があるねゃ、と言われた。それで、沖縄なら行っても構わんと言い出した。奥さんも乗る気満々だった。同行する僕としては、出費を抑えてパリ旅行に注ぎ込みたいのだが。


2025年4月11日(金曜日)晴れ
今日もなす収穫。ジリジリと照りつける太陽。今日は汗が滴った。31度。湿度が高いので体感は物凄く不快。なすの原産地はインドの東部。夜の温度がある程度低く、昼の気温が高い今が原産地の気温と一致する。それでなすが一気に実を太らす。今日は見残しではない巨大なすがゴロゴロ。収穫と収穫の間に急成長した。と雇用主は言う。先日は午前中に終えたこのハウスも午後1時に終了した。1時間といえば、畝の1往復(60m)の時間に相当し、収穫がそれだけ多かった訳だ。今年はなすの価格は大田市場の価格指標を見ていると前年比130%ぐらいで推移している。
芸西村の出荷場は昨日から、なすの収量が増え、翌日に処理する放送が続いている。どこも事情は同じなんだと思った。

帰って英語の勉強。5時に終えて、95歳のじっちゃんの畑に行き、散らかっているサトウキビの穂先を一箇所にまとめる作業を7時まで。半分くらいしか出来なかった。彼の娘曰く、おじいちゃんも最近弱って来たから、作業が遅れているやろう。
95歳になって弱って来たとは厳しいなぁ。生きているだけでも凄い事なのに。

帰って昼飯と晩飯を一度に食って、アマゾンの連続ドラマDPTの続きを見る。列車転覆の事件解明の物語だが、列車を脱線させた原因がブレーキ管の意図的な破壊だった。コンピュータ制御の列車を、エアーブレーキが効かないのと、減速出来ないを一緒にしている。一般的に高速で走る列車はモーターを発電させブレーキの代わりとするのが主で、いわゆるパッドで車輪やディスクを絞めるのは2桁台の速度に落ちてからだ。僕の嫌みなツッコミと言うよりか、現代技術を余りにもバカにした脚本だった。まぁそうしないとこのドラマのシナリオが崩れるけど。

2025年4月10日(木曜日)薄曇り
今日もなす収穫のお手伝い。5時起床。毎日仕事に出かけるのは辛い。その昔40年間もよく頑張ったのが不思議。疲れがたまり身体が重い。その上なすの花粉や葉の裏の微粉が目に入らないように、顔面に大きな防御透明パネルを付けているので鬱陶しい。うだるような湿度の高い30度の気温。汗は噴き出はしないがじわじわと滲んでくる。下から上にスクワット。君の目は節穴かと思えるような、大きななすが見残しで枝をたわます。上下左右確認をするがそれでも、復路反対側の畝から見れば、まだ見残しがある。雇い主に申し訳ないと言うよりか、自分に対して情けなさが募る。

今日も収穫が多く、午後3時前に終了。帰って風呂に入ると雨がやって来た。落ち着くなぁ。
晩飯を兼ねた昼飯を食って、英語の勉強。今日こそ休みたい、だが休むとズルズルといってしまいそうで怖い。頭が飽和しそうになって途中で目処を付けた。別に頭を酷使する仕事をした訳じゃないのに。

2025年4月9日(水曜日)晴れ
昨日は9時から今朝の5時まで連続で睡眠。疲れが激しかった。昨年はナスの収穫なんかでは気にならなかった。今年はぐったり来ている。今日も茄子収穫。今日は場所が変わって昼までに終えた。

帰って、きまさごの竹廃材の後片付け。午後2時に土佐市の農家が株を取りに来た。サトウキビの株をユンボで掘り起こしたので、作業は早い。午後3時には全部トラックに積み込んだ。僕は猪が埋めた溝をユンボで掘って貰う事をお願いした。小型のユンボとはいえ、機械は強い、ぐっすりと深く掘って貰った。これ程深いと、畑への水の浸透が少なくなり、良いサトウキビができそうだ。お土産をもらった。生姜だ。綺麗な生姜。今年は昨年比200%の値が付いている。

みんな帰った後、少し居眠りして英語。これだけは外せません。最近スマホのゲームで英単語の4択ゲームを復活させた。以前よりもスラスラと正解が押せているので少し実力が付いているのかな?


2025年4月8日(火曜日)曇り
6時半から求くんのナス収穫応援。今日は往復で3コンテナが一杯になる生育ぶりで大変な作業だった。結局終えたのは午後2時。7時間も要した。いつも音楽を聴きながらの作業だが、今回はジョンスコフィールドのプレイリスト一式と、カントリーミュージックのプレイリストの再生。ワイヤレスヘッドフォンAirPodsの電池が切れてしまった。人間もエネルギー切れ直前だった。

帰って昼飯を食べている間に睡魔で居眠り。その後定番の英語。疲れで頭に浸透しない。英訳も1000文字に達しない。午後4時過ぎセブンイレブンへ、タワレコに注文しておいたジャクリーン・ヂュ・ピレのチェロが届いたので受け取り。SACD盤で高音質のはずだが、録音が古く果たして高音質なのかどうかは不明だった。演奏は丁寧で感情がこもっている。喫茶ベイシーの菅原正二氏が言う。レコードは、ほぼ目の前に演奏家が現れて演奏してくれる。例えば映画やテレビなどは記録として出現するけれど実物とは乖離がある、そこがレコードとの違いだと言う。
同感だ、目の前で演奏している情景は伝わってくる。克明さにおいては生よりも上。演奏家や音楽を理解しようと思えば、繰り返し聴く録音盤が有利。それに素晴らしい演奏を聞いても、終わればすぐ眠れる。こんな芸術はない。

2025年4月7日(月曜日)晴れ
サトウキビの株を分けてあげる話はしたが、ユンボとか車が畑に入れるようにはなっていない。まだ、廃材が山の如く散在しているため、それで片付ける作業、アビトンの木材は全部回収し積み上げた。竹の方は2/3ほどできた。息を切らすほどの作業で大汗を流した。

大汗の後はどうしてもビール。尿酸値が高いが我慢できない。ビールは飲みきれない程もらったのがあって、無理して飲まないと減らない。

トランプ氏は化石燃料をどんどん燃やそうと、掘って掘って掘りまくれ(drill baby drill=なかなか言い得て妙だ)と葉っぱをかけた。が、先日行ったナッシュビルの北側では季節外れの大雨で浸水家屋続出。温暖化は一国で成し得るものでは無いが、アメリカは貢献度が高いはず、無視すると、いずれは破滅がやってくる。人間は他の動物よりも賢くない。とユヴァル・ハラリは指摘する。この本は面白いが睡魔に勝てずダウン。

2025年4月6日(日曜日)晴れ
かっぱ市場から突然の電話、お客さんがサトウキビ生産者に会いたい、電話番号を教えてもいいか?と言う事で、土佐市の生姜栽培農家がやって来た。農家さんの目的は、生姜栽培に堆肥を作っているが、サトウキビを堆肥に使いたいとの事。この農家は自家製の堆肥を作っている。化学肥料では気候変動に弱いし高価。ところがもう提供できるタネは無い。株なら残っているので提供する事を伝えた。この人は77歳、まだまだ規模拡大意欲が高い。一億円近い規模なので従業員も食わせなければならないだろうが、その気迫には負けた。自分はどんな終わりかたをするのだろう?そればかりが最近の関心事項だが、この方から見れば僕は甘ちゃんだ。反省。

ユヴァル・ノア・ハラリの著書NEXUSが発売になったと日経新聞に掲載があったし、インタビューもあった。早速上下合体版4400円を購入。買ったばかりのショスタコも聴かねばならず、夜は充実しているはずだが、現実は睡魔との戦い。

セールスフォースのマーク・ベニオフ氏が「この1年間は過去40年間の変化よりも大きい」と述べた。AIによる変化の事を指摘していると思うが、トランプ氏が偶々時の大統領になったのも含めて考えると含蓄がある。そこへユヴァル氏の長期視点で人間の行動をはめ込むと、多くの変化がジグソーパズルをはめ込むようにピタリとハマると僕は思う。まだ少ししか読んでないので正しくはないが。これ程、今、読む価値のある本はない

2025年4月5日(土曜日)曇り
トランプは嫌いだがアメリカは大好き。大金を使ったが2週間アメリカの文化に親しんだのは、幸せだった。
そのアメリカ旅行記は快調に進んで1日10ページは進捗している。ナッシュビルのカントリー記念館の編集を終えた。丁度今日はiOSのアップデートでiPhone15Promaxはカメラ機能から翻訳が可能になり、記念館のパネルを訳して使ったが未熟。しかし文字データのみ取り込み、チャットGTPで翻訳する方が精度は高い。

午後は草刈り。まだ本格的ではない、冬の間に成長した草が点在する程度。しかし昨年も4月2日から始めているから、同じような状況かもしれない。
砂防ダムの道路工事の第二期が始まった。昨日挨拶があって早速の工事。今度は我がサトウキビ畑の横なので、工事の影響があるかも知れない。土地を開拓される前にサトウキビの株を移動しておこう。

昨日から左の膝が痛む、父もおじさんも膝の故障で動けなくなった。料理の先生は肝臓の数値が急変し病院で検査。師匠は運動公園の仕事を継続するようになった話を会うたびに話されもう5回目だ。多くの老後の考え方は動ける間は今と同じ生活を続け。歩けなくなったら施設に入る。ご夫婦で暮らしている家庭も独居老人も同じ。これから10年くらいは団塊の世代が施設を利用するので一杯だが、それ以降は隙ができるはず。つまり、15年くらい頑張れば、施設は間違いなく空きができるはずだ。日本の経済がそこそこ維持できれば、問題ないだろう。しかし日本だけで安泰と言うわけにはいかないだろうから、リスク要因は多い。

2025年4月4日(金曜日)晴れ
ショスタコービッチの全交響曲/アンドリス・ネルソンズ指揮がタワーレコードから発売になって、昨年申し込んでおいたら、セブンイレブンに届いた通知を受けた。朝一に回収。
2015年東京ショウルームに勤めていた頃、外国人のお客様から、8番を薦められた。当時僕はハイレゾで6番を所有していて一緒に聴いた時の事。いつかは全曲を揃えようと思っていた。それで今回実現した。

眠い中8番を聴く。確かにダイナミックに富んだ演奏だ。地震で落下が心配なB&Wは床に下ろしている。今夜は持ち上げるのもしんどくて、サブ3のDENONアンプ+パナスピーカーで聴くがそれでも真髄はしっかりでている。クラシック界は少し前、マーラー翌年ブルックナーと流行と言うか演奏機会が移っている。今年はどうもショスタコービッチになった感じ。もう流行に乗る歳でもなく、そのような音楽部門でもないが、優れた演奏が出てくるので、求めないのは人生の機会損失と思い。もう指標となる雑誌は廃刊で、タワーレコードのメールだけが頼り。Webでサイトを見つければいいのかもしれないが、心当たりがない。ジャズも同じ境遇だ。

トランプが関税を発令し世界恐慌が起きようとしている。少し冷却期間を挟んで新聞記事を眺めれば、影響はASEANに強く出ているようだ。中国の迂回輸出を狙った感じ。グーグルの会社は社是として「邪悪になるな」とあるが、それでも邪悪な行動が見られる。そんな社是を持たないトランプはやりたい放題で経済をかき回す。アメリカのためよりか自分の王様度のチェックみたいなもの。もう抵抗の出来ない僕は、ひたすら閉じこもり嵐が過ぎるのを待つしかない。幸いな事に、聴く音楽は大量に揃っているし、著書も積読が大量にある。更には物忘れで、前聞いた音楽や、書籍も時間が経つと忘れているので在庫は無限になった。

閉じこもりはするが、お客様をお招きし出かけた気分に浸ることはできる。これからの予定で、夏前に、名古屋の友人、8月に埼玉の友人、秋に滋賀の友人がお越しになる計画がある。それに草の繁殖は僕を芸西村に縛り付ける。

2025年4月3日(木曜日)晴れ
昨晩は酷い睡魔、8時過ぎに寝て5時に起きた。一直線だったので何だか時間を損した気がした。午後はトイ掃除と煙突掃除。屋根の上に上がっての作業。風が吹けば周りの木々から葉が飛来しトイが詰まる。今回はかなり酷い状況、サトウキビと旅行で3ヶ月くらい放って置いたから。煙突も煤がひどく出て来た、つまり詰まっていたと言う事。最低2ヶ月に一度必要か。いつまでこんなことができるのだろう?あまりにも酷い落ち葉の原因は大日様と我が家の間にある巨木。お寺さんに相談して切っても良いと聞いていたので切ることにした。大きな木なので跳ね返りも怖くてへっぴり腰。

巨木は我が家のみかんの上に倒れたので、引っかかったまま。下の方は切り落としたが、上の方はこのまま枯れてもらうのを待つしかない。切った木材は畑の隅の方に寄せたが、重いので腰が痛んだ。夜は膝も傷んだ。

夕食時、疲れでもう目がショボショボ。一昨日のプールの疲れなのか、それとも重い木材を転がしたのが原因か不明。結局昨晩と同じ8時過ぎに就寝。

2025年4月2日(水曜日)雨
昨日の水やりは一体何だった?天気予報を見て作業をしよろ。と言いたい。今日からFifty Shades の翻訳。アルマゲドンと比べ物にならない書籍の厚さと、紙面の広さ。だが平易な文章で辞書なしでも結構進む。今日は、書籍のデジタル文字起こしも行なったが、2600文字。10月には読み終えるかもしれない。

午後はプール。いつもの東部運動公園はお休み。土佐山田の長岡温泉プールへ。こちらは850円だが風呂もある。2km。3月から本格的に泳ぎ始めたのでやっと下腹が凹んでき始めたが、1週間以上の空白があると、途端にバタフライの筋肉が落ちて15mくらいで息が切れる。腕で水を押し切れない。

帰り道、眼鏡市場でメガネを新調。一つは色付きにした。最近眩しくて我慢出来ない。店員さん曰く、乱視があれば余計まぶしく感じる。もう一つは白色レンズ。室内PC用。他にも映画用、運転用。用途に合わせて使い分け。

先日来高した友人の奥様が金柑のジャムを作り送って下さった。金柑は我が家の木から友人が収穫したもの。そのジャムには「商品名:岡村家出戻り金柑と銘々」されていた。手の込んだ作品だった。味は甘すぎず、金柑の風味を残していた。塩気のあるヨーロッパ系のパンに合いそうだ。赤野の求くんには8日届ける。

師匠であり友人でもある先輩が仕事を辞められた。第二の定年。それでお祝いをする旨連絡。眼の手術の合間を縫っての開催となる。爺さんは仕事以外でも忙しい。

夜は久しぶりにパナのUB900でCDを聞く。音を深く掘り下げて再生するが、曲によってはややもするとうるさく感じる瀬戸際の音も出す。天才と狂人の紙一重の差に近い。

2025年4月1日(火曜日)曇り
曇っていて少し寒いが作業が激しいから問題ない。朝からサトウキビの植え付け。日高の姐さんは「芸西村でサトウキビを栽培したい。日高は寒くて育たない」と自分で結論づけたようだ。 僕の方も応援してあげようと思っていたし、種も60本くらい埋めて置いた。

それで私の畑で栽培する事にして、9時から作業開始。私が畝立てを行なっている間に、日高の姐さんK子は種の取り出しを並行して進め、昼までに畝は完成し、種もこちらに下ろした。昼飯を食ってから、水で練ってサトウキビの種を埋めていく。普通は埋めるだけだが、水で練ると確実。種を切るのは私で、埋めるのはK子。両方とも腰に辛い作業だったが午後3時には完成した。最後にもう一度ホースで水を撒いて完成。

K子に帰ってもらった後、周りの草刈りを行い4時には終えて、風呂焚きの作業。疲れているが熱い風呂は欠かせない儀式で頑張る。

フルタイムの作業はさすがに負荷が大きく薪が燃える間に居眠り。丁度風呂も湧き上がり入浴。疲れ身にはお湯が気持ちよく染みる。疲労と気持ちよさ度は関数で示せそう。その上、井戸水は肌に優しく温まる。

汗もかいたし、水分を控えてたので、夕食にビールがうまい。農作業の醍醐味はこの風呂とビールにあり。酔った後本を読む気になれず、アマゾンプライムで「DPT」を見る。これは航空機事故の原因追求のドラマ。次は高速鉄道脱線事故追求のドラマ。事故だが関係者は企業存続の為、人格が歪められ事件を複雑にする。その解明を8回くらいに分けてドラマ化。1本見終わって、次にメキシコとアメリカの麻薬に絡む抗争を扱ったB級映画。これは勧善懲悪で酔っ払い頭には最適と言うか、バカになりそうな気もする。

2025年3月31日(月曜日)晴れ
予定通りアルマゲドンは完読。達成感あり。僅か178ページの書籍だが、されど難解な文章で、昨年9月1日から読み始め6ヶ月を要した。英文著書にはこんな文体もあるんだとわかった(マイケル・クライントンの小説で、英文小説はこんなもんだとタカを括って所のあるが)。次はFifty Shades。2013年に東京に出たついでに浜松町駅で買った書籍。当時は時間がありそうで買ったが次の仕事がハードで手付かずだった。それからずっと本棚で忘れられた存在だった。今度はスピードが出そう。

午後は沖の田を叩く。草が生えているのでその対策。もう一つは日高の姐さんが芸西村でサトウキビを栽培したいと言うので、この田を使う為その下作業。畝立ては未着手。周りの草刈りも含めると4時間ほど要した。無料奉仕だが、芸西村でサトウキビ農家が増えるのは嬉しい。それに、家の近くの畑以外で立派なサトウキビが栽培できる証明もしてみたい。その足で夜須のお惣菜屋さんへ。

帰って風呂、井戸の水が出るようになったが、緑茶色。いっぱい満たすと底が見えない。先日のお客様は水道水使用だったので難を逃れた。しかし、井戸水の肌へ優しさや、掛け流しの入浴の醍醐味は無かった。どちらが良かったかな?

夜はリストのピアノ組曲でB&Wのスピーカーでも音楽が染みてこない。音楽が難解か集中力が無いのか。ステラ・ギブソンは有料版になって止めた(わずか220円だが)。今度は飛行機事故の原因究明のドラマ。先のステラの脇役で登板する医療師役が、今度の主役。こちらも見始めれば終われない魅力。優しい英語で時々文字起こし出来る感じの会話。

2025年3月30日(日曜日)晴れ
再び寒気。ミヤンマーの地震は大きな被害となりそうだ。治安の悪い国で応援も限定的にならざるを得ないだろう。タイでも揺れて高層ビルの連絡橋が壊れたりした。東南海地震も時期は近いかも知れない。

アルマゲドンの翻訳は明日仕上げるめどがたった。難儀を極めたが、作者の文体がわかり始めてから日常2000文字翻訳ベースに乗った。今回からエクセルでこの書籍用に辞書を作成した。主に熟語。Shitなどの隠語は訳さなくても筋には関係ないのも学んだ。この世界は深いのでイロイロあると思うが、ボケるまでは続けられる趣味。

午後は草刈り、昨年よりも2週間遅い。草刈機が重くて、途中で休憩、4回くらい。腕の筋肉が落ちているので回復するまでは休憩を繰り返すしかない。軽い機械を買う手もあるが、我慢できるところ迄は行こう。昨年植えた穂先がこの雨ですっかり露出してしまった。鍬で鋤き土を被せた。これは疲れた、寒い中での作業だったが汗が滴った。

風呂を沸かして、飯を食って、音楽を聴きながら日記を書くが、疲労で先に進まず、カウチで一眠り、30分くらいで覚醒し、「ステラ・ギブソン」を見る。今回で犯人がわかった。それなのに、犯人の「銀行口座を止める」技は出て来ない。ツッコミではなく片手落ち。行動範囲が狭まっているからセキュリティカメラの活用も考えられるがそれもない。まぁそうすれば犯人逮捕は簡単になり、20話くらいに物語を引っ張るのは難しいのでやめたかも。

2025年3月29日(土曜日)晴れ
少し寒いが天候は上々。エネルギー満タンの彼らでさえ昨晩エネルギーを出し切って今日は少し声のトーンが落ちている。昨日貰った野菜を詰め込んで帰り支度。お菓子や珍味よりも絶対奥様には好感度が高いはず。これはどんなにしても都会には無いから。たぶん高知家は得点を得たはず。

帰りに書店で定期購読の書籍購入、セブンでタワーのCDピエール・ブーレーズの60枚組購入(モノと文字)し、帰ってアルマゲドンを訳した。

ハリー(ブルース・ウィルス役)が核爆弾を小惑星に残って爆破する決断を下し、娘のグレースと会話をする場面、白い月と、青いボールが浮かぶ絶景の中で。この物語のクライマックス。
単純な単語の組み合わせで複雑な表現は、辞書で対応できず、ワードに付属の翻訳機のお世話になる。それでも無理なら、グーグル翻訳機を立ち上げる。そうして先に進む。完全じゃ無いけど、僕の翻訳でも映画より感情の揺れは克明に理解できる。もう少しで読み終える。読んだ内容よりも翻訳したことが重要だが。

午後は草刈り。カントリーミュージック(音楽のジャンルの一部)を聴きながら、3枚の畑を5時半まで。風呂を沸かし、昨日の残った野菜と刺身の時に出来たアラで味噌汁の夕食。友人達から無事到着の電話を頂くが、あとはSound of Silence。

夜、ピエール・ブーレーズのWozzeckを聞く。アルバン・ベルクの唯一のオペラ、貧困にあえぐ兵士の精神的不安と破滅を描く作品。いきなり悲壮。僕には、昨日の喧騒より、着慣れた服を着るようにこちらがお似合いかも知れない。

2025年3月28日(金曜日)晴れ
自家製のパンとコーヒーとジュース(りんご、バナナ、キャベツ)卵焼きの朝食。食後音楽を聴きたいとの事で離れのオーディオルームに招待、併せて旅行記を披露。旅行記については呆れてものが言えんわ、の評価。自分も自己満足だとわかっていて、気にならない。公園で道案内を頂いた会話など記載している、他の人から見れば大した内容でない内容だったし。僕だけの感動だ。悪評はともかく、イロイロな旅行記を見てこれに思わず時間を食って、室戸漁港訪問は断念した。住吉のRUe Caffeでおしゃれな昼食を頂く。ここは元酒蔵だったがレストランに改装。知る人ぞ知る店でめちゃくちゃ流行っている店では無いが、気品はある。近くの陽気なお婆さんが給仕してくれた。「今日は給金を貰わない日。くれるともう店に来ない。」これぞ、高知のハチキンの生き方。

野市のスーパーフジですき焼きの材料を購入、安芸市に行って寺尾で刺身。チヌ、タイ、清水サバ。見た目の鮮度で買ったが、味は間違いなかった。帰って彼らには風呂に入ってもらい(あいにくと井戸が涸れ自慢の入浴を提供できなかった)、50氏はキンカンを収穫した(奥様の命令に従ったと言う)。

午後6時、親類のモトム君とその友人のヒロシ君がやって来て懇親会の始まり。たくさんの野菜を提げて。トマトとパブリカはその場で食べた。その旨さでほぼ前菜はこれで締まった。まぁこの日のためにこだわりのモトム君は水を切り糖度を上げていたのだろう。甘い。まるで果物だ。

懇親会は湧いた。モトム君のヤイバと50氏の刀が火花を散らす。観客は抱腹絶頂。どちらが切れ味凄いか?三国志「張飛と呂布」の戦いみたいなもの、甲乙つけがたい。酒はススム君だった。

そこへ60氏のバックパッカーが投網を投げる。自称バックパッカーのヒロシ君はこのスケールにやられて萎れる。さらにヒロシ君には50氏の波状攻撃を受けて、青息吐息。こんなに楽しい夜は近年無い、こんなに笑ったのも何年ぶりだろう。普段ビール1本で酔うのに今日はそのお告げが来ない。60氏は今度生まれて来るとしても同じ人生を歩みたい、友人と家族に囲まれた田舎で。と言う。
僕も、同じとは言わないまでも、こんな友人に囲まれた晩年は幸せだったと言えそうだ。

また、僕以外は人との付き合いが幸せに導いてくれる信念をお持ちだ。それが乾いた畑に水が染みるのが見えるような気がする。

だが、50氏が何度も言うように、明日の夜からは夏の夕暮れに水を打ったように、静寂と孤独が戻って来るぞ!
結局僕はモノや文字に救いを求めるしか選択肢がない。お口の恋人ロッテは言う。口腔虚弱の対策で「日常の食事と会話」に注意を施す。バランスの良い食事をしっかり噛みながら、会話のある食事を楽しむ。前者は実践できても後者は無理だ。日経新聞を読みながら食事を楽しむのは出来るが。

2025年3月27日(木曜日)雨
遠来の友人達がやってくるのに、生憎の雨。ずっと晴天続きだったから、彼らの中には雨男がいる。午後の南風号で到着、ひろめ市場に向かった。もう満席。欧米人が多い。中国人は不在。観光客は皆さんカツオを頂いている。舟盛りもペロリと5分で仕上げ立ち去る。欧米人はこれほどせっかちだったのだろうか。僕らは各自好きなものを買って、食べたが僕だけは運転の為ノンアルコール。友人は50年来の付き合い、50氏と呼ぶ、今日から友人開始の2人組。今回の目的は「人生を語る」で行き先はどこだって良い来高。今日から友人は、世界60カ国を放浪しているお墨付きのバックパッカー。これから60氏と呼ぶ。僕なんか予定もなく旅行すると自負しても、彼から見れば計画行動の旅行者となる。これが第一幕とすれば第二幕は版画制作の画家。1回のリサイタルで100万円ほどの売り上げがあるらしい。それで彼の事を「先生」と呼ぶマスコミもあるらしい。儲けた金で海外に出る。第三幕は地元で友人達に囲まれた座談会の話。すごい展開になってきたぞ。

雨は強くなり、視界が悪い上に、慣れない高速道路の運転。かなり緊張した。帰ってから更に懇親を深める。生き方の手本とか参考になる意見とかの事前の目標とは次元の話題となった、ただただ唖然と聞くばかり。

帰りついてウィスキーを飲みながら2次会。この時僕もお酒を飲んだので、会話の内容は喪失。版画の色付けのような話だったと思うが??



2025年3月26日(水曜日)晴れ
友人達がやってくるから、家の清掃。半日かけて母屋を済ませた。明日離れをやれば終了する。昔は頻繁に清掃もしたが、最近は思いついた時、週末大阪へ出かけなくなったので、ケジメがなく清掃も疎か。更に英語の勉強3時間が足を引っ張るが、このまま行くしか無い。
今日の様に、徹底的に掃除をすれば僕も気持ち良い。古い家なので、お客様はどう思うかわからないが、自己満足100点。

夕刻隙間時間を作って、サトウキビの移植株に水をかけた。昨日の水は効き一段と目が伸びていた。明日は雨だからパスできる。

タワレコードでブーレーズのアルバムを注文した。3/28到着する。それまでにアズアのアルバムを聞き終えてしまわないと。
このアズア氏の70枚BOXアルバムは時間がかかった。アルバムの問題よりもFBIとSWATのテレビ番組が足を引いた。
それで、何時間も聴けるB&Wのスピーカーを持ち出した。音楽には、いろんな表情が織り込まれていてドラマがある。指揮者や演奏家は、それを楽譜の上で読み込んで楽器で表現する。こうした芸術性を深くえぐりだしてくれる。大体アルバムは有名曲半分と、よく知られてない、主に演奏会の序盤で演奏する様な曲半分とで構成される。悪い表現をすれば抱き合わせ販売ですね。
その知らないアルバムでも、楽器が奏でる組み合わせの妙で驚きがある。僕はそれをドラマの表現と呼んでいるのだが。

今夕から、FBIを見終えたので、「ステラ・ギブソン」に移った。ジリアン・アンダーソンの美人度は凄く癒される。1話完結でなく、1シリーズ5話で完結。

2025年3月25日(火曜日)晴れ
午前2時に目が覚めて、寝つかれないまま朝を迎えたと思ったが、すでに外は明るく寝過ごしていた。慌ててご飯を書き込み、憩いヶ丘公園に出かける。師匠が太陽光発電に覆い被さる木こりを引き受けていたので、そのお手伝い。僕は木のてっぺんに上がって枝を切り落とす役。手が滑らないように、高級手袋を1つ下ろして駆けつけた。腕くらいの枝は鋸で切り落とすが、枝の角度によって左手で切らなければならない。右手で使うように出来ているから、中々切れない。汗が噴き出るが上着を脱げば鋸を一時保管するボケットがなくなる。明後日は友人達と会う約束をしている、2度目の計画で前回秋の予定が延期になったのは、1人が脚立から転落し怪我をしたからだ。僕もそのような事故に遭わないように最新の注意を払った。小学生の頃、木の頂上は見晴らしがよく駆け上っていたが、爺さんになってからの機会はグッと減り、それに恐怖が出て来た。手足が木に吸い付かない。勿論昔と違って靴も履き手袋装備だが。

午後は部落役員で農協に参集し、通帳、代表者交代の引き継ぎ。2時間ほど要した。簡単に考えていたが、結構手間を要した。全責任が部落長に集中している仕組みだ。役をやらなくて良かった。次は14年後だからもう対象外、若しくは死んでいるから安心だ。

高知の友人から電話、奥様と別居中だと言われた。僕らの世代は「大学の道」に基づいて生きて来た。お金の保証があって家整い、家庭整う、子育てには家庭を試みず働いた。そして財産が出来た。だがその頃には奥様は別の世界に生きていた。ざっとこんな具合だろ。だが僕らにはそれ以外の生き方が出来たのだろうか?友人3人としっかりと話してはないが、多分「否」だ。
今は、夫婦で働かなければ生活も子育ても出来ない時代だから、又違った精神の柱が必要だろう。

その後、サトウキビに水やり、谷のチョロチョロ水を溜めて動噴で組み上げた。師匠は大丈夫だと言われたが、あまりにも晴天が続きすぎるし、太陽は十分に強い。

今夜は料理の先生に食事を給仕する日。ひじきとこんにゃくの炒め物。調味料はサトウキビの蜜。我が家でしか提供できないメニュー。先生喜ぶ。

2025年3月24日(月曜日)晴れ
4時に空腹で目が覚めた。昨晩の懇親会ではオリを全部いただいたのに何故かな?起きて食事。食事の後寝ようと思ったが寝付けず、ルーチンワーク。お酒の影響で頭が回らず翻訳も少しで終えた。

午後は竹狩、ここの竹は細くて草刈機でも相手がしなって歯が立たず。1本1本づつハサミで切り刻むしかない。今日は頭も体も動かずしかも、夜は猛烈な睡魔で、8時過ぎにダウン。

2025年3月23日(日曜日)晴れ
6時間半後、午前3時に目が覚めた。11時半に寝て午前6時に起きるのとどう違うか不明。

すでに、アメリカの映画俳優は3Dスキャンされ、スタントマンなしで危険な演技をCGで描いている。それがプラモデル(例えばガンダム)なんかにも適応され、ゲームの中で活かされる記事を読んだ。いよいよ3Dの時代がそこまで来ているのを感じる。車の自動運転もそこだし、人間改造も表立っては無いが近いようだ。まずは治療が先行するが裏では正常な人間に特殊能力を授けられる。旅行も行かなくて、家で見られるし、コンサートも家でかなり実態に近い形で楽しめる。

もう10歳若ければ、こうした数々の進化が身を以て体験できそうだが、この年齢ではちょっと難しそう、もしくはぎりぎり。AIの進化がこれに拍車をかけると思う。
僕の旅行でも、2018年ニューヨークと、2020年のイタリアでは地図アプリが助けてくれた。昨年のヨーロッパでは買い物と翻訳が助けてくれ、今回のアメリカでは写真通訳アプリが役に立った。僅か数年の間で個人的にも旅行への寄与度は大きく寄与している。つまり、2015年時点では僕の海外旅行は成立しなかった訳だ(実際には行けなかったけど)。

そのコンサートへ行く。その前に牧野植物園に行って写真。プールは大会で使用できず、牧野植物園だ。外国人が多かったので聞くとシドニーから。それでお前はどこから来た?ここだ。ここのどこだ?地図アプリを出そうとすると、相手が早かったので、here!
やっぱり知らない人と話すのは何が飛び出すかわからないので面白い。バーチャル旅行よりも。

コンサートはサトウキビの弟子が出演するというので行った。プロのバンドがバックで演奏し、練習を重ねて来た生徒達が、歌を披露する形式。僕の耳には音程が安定せず苦しかった。コンサートのプロデューサーがいたとすれば、彼の意図はよくわかった。「バンドの音量を上げてボーカルの不安をカバーする」
そしてそれは、一般のコンサートよりも高い音圧で、久しぶりに腹に効く低音を聴いた。音楽性はナッシュビルのライブと比べると落ちるものの、生徒の発表と言うドラマの練り上げがあって真剣さに感動した。高知でこんな音楽性豊かな文化が育まれているとは夢にも思わなかった。手作りの素朴な田舎の文化ですね。商売ベースに乗らない、まるで僕のサトウキビの様に。

頑張って高知市から35分で帰り、部落の総会に参加した。部落長がここに残って懇親をすれば不満が減るのに、今は弁当だけ貰って帰る寂しい懇親会になったと嘆く。部落長はみんなのふれあいを重く見る人だった。彼の人間性は知らなかった。一つ階段を降りると見えてくるものがある。もう視野を広げても何にもならないけど。


2025年3月22日(土曜日)晴れ
午後新しく耕した畑にサトウキビの株を移植し完成させた。サトウキビの株は土をかなり噛んでいるので、一株が重く汗だくになった。

当面火急の作業は無くなったので、明日はお休みをいただきプールとコンサートに回せる。

今日の作業は厳しかったのか、8時過ぎには大きな睡魔がやって来た。脱力感でもう何も出来ない。

2025年3月21日(金曜日)晴れ
この3日間は遅くまでFBIを見てクタクタだが、11時半に終えて寝ると朝6時半まで一直線だ。夜、早く寝ると、午前2時過ぎ((5時間後ぐらい)トイレに起きて寝付けないが、遅く寝るとそれまでに水分を出し切るのかトイレに起きる頃は明るくなっている。一直線で6時間の睡眠はなかなか快適で、FBIは英語の聞き取りや、アメリカ人気質を知る他に新たなメリットをもたらしてくれた。彼らの言い方を借りると”Good job”だ。

午後は木こりで日の当たる場所へと変わった畑を耕して、そこにサトウキビの株を持ってくる作業。準備に時間をかけたので本日は5株、明日から本格的に移植する。転倒防止の柵は、もっと余裕ができてからにするつもり。

夕食のお惣菜はWeb検索で「今日のおかず」にヒットした焼き飯。白ネギが決め手だった。スーパーでは白ネギが1本\298。びっくり価格。その隣には3本で\135のニンニク。高知だけかも知れないが、にんにくの葉の部分をネギと同じように食べる習慣がある。それでネギの代わりにニンニクを使ったら大正解だった。味付けは鶏がらスープの素。規定より減らすと、素材の旨みが出て中々良かった。僕は料理の天才かもしれない。

2025年3月20日(木曜日)晴れ
三洋電機を買収したパナソニックは電池の生産で当時は世界首位、日本の誇る電池事業で日経新聞にも強み欄で信越工業とともに再三登場した。テスラもパナから電池を買わざるを得なかった。
が、今日の日経新聞で世界電池シェアは3.9%の6位となっていた。三洋電機の技術者達は転職でいい収入を得られたのだろうか?それとも解雇により専門性を活かせずアルバイトの労働者で食いつないでいたのだろうか?電池は化学だから、新興の中国は追いつけないと記事を読んだが、今やシェア1,2位は中国だ。記事を書いたもの出てこい。

猪が掘り返すのが心配だが、今日は新しい畝に、前の畑から株を移植した。師匠に相談すると、芽で育てるよりも全然育ちが良いと言う。明日もこの作業を進めよう。
夕刻からは、家の笹刈り。友人がやってくるのにむさ苦しい垣根では恥ずかしい。庭の雑草は3日目だが枯れてない。後1週間しかないが枯れるだろうか。念のためもう一度散布した。布団は干した。シーツは半分洗った、残りのシーツは明日洗おう。家の片付けは毎日少しづつ進めよう。

猪は罠にかかってない、撒き餌のソーセージだけは食べられた。明日は罠の買い足しで再挑戦だ。


2025年3月19日(水曜日)晴れ
寒い、朝のうちは芸西村上空も黒い雪雲が北から押し寄せて、時々雨が降っていた、太平洋海上は青空が広がり寒気団の境がはっきりとわかった。北は雪だ。朝は定番作業。こんな事を続けていると人間の性格が固定される、そうでなくても年齢と共にストライクゾーンが狭くなっている中で、拍車がかかる。まずい生き方だが、出費を抑え趣味を進めるにはこれしかない。少し行動の幅を広げる必要があるのだが。

それも、当面23日のコンサートと部落集会、27日の友人来高のイベントが終わってからだ。それまでに、新しくサトウキビの植え付けを終える事だ。植えると猪が来て掘り返す恐れもあるが、こちらは罠で対処しよう。
それで午後は畝作りをした、最後に溝の土を鍬で仕上げた。腰も痛くなったが、この作業は疲れが激しく、寒いけど随分汗をかく。夕刻ご飯を食べる時は大きな睡魔が来ていた。

頬のこけ、目が涼しくて、鼻の鼻梁がスーッと通った女性を見るのが好きだ。FBIのデレクターがその手の女性を1人、いつも画面に登場させている。それで毎夜FBIにハマっているのもそのせいもある。FBIを点けると旧知の仲間のようにアレクサ・ダヴァロスが登場する。こっちはそれで安堵感が湧く、一方的な親近感。

あれもこれもしなければならない、と頭の中で計画を組んでいると人と話した気になっているが、今日は夕刻近所のおじさんにつくね芋の種を届けた時に挨拶しただけ。ドラマを見るのもこっちが話している錯覚があり、現実は孤独な一人暮らしで幅を狭める有効手段を次々と実践している。

2025年3月18日(火曜日)晴れ
寒い、その上石油ストーブは故障している。エアコンも霜取りで暖房を中断させる。太陽が出て来てエアコンは動き出した。息子と昼飯を食って空港へ送って行った。高知龍馬空港へは芸西村インターから直結で20分でドアツードア。便利になった。

自分1人だと食事の献立は適当だが、息子がいるときちんと食事を作る。美味しいものを作れる。でもいなくなると、たちまち買って来たお惣菜で済ます。4品買って2品で夕食、翌日昼2品。こんなことしててはいけないなぁと思うが。

1人だとさっさと済ませて自分の部屋に行き、アルマゲドンの翻訳。残り20ページになった。息子は高知の図書館「オーテピア」を最大限に利用して読書をしていたらしい。本を読むことはいいことだ。どんな隙間時間でも有意義に潰せる。彼は1時間100ページらしい。僕は紙の本をあまり読まなくなったので測定が難しいが30ページも行けば御の字(英語は2ページ)。僕に読書の楽しみを教えてくれた本の雑誌編集長/目黒考二氏も大体それくらいの速度だったようだ。

読みたい本は溜まる一方だったので、最近はKindleでサンプルしかダウンロードしない。一冊終えると、サンプルを購入する合理的購入、期日が過ぎると安価になる時もある。読書が進まなくなった理由は頭の衰えと、夜9時限界説。FBIにハマった病気の3つ。

2025年3月17日(月曜日)晴れ
あれよあれよという間に庭の草が膝まで伸びた、風が強かったが家の周りと墓の周りに除草剤散布。墓は荒らされていて、お線香台や花台が倒れている。2つの墓がやられ、別の2つは墓の石枠が掘り返された。僕に恨みがある人が居るのだろうか?
多分猪がみみずを狙った仕業だろうと思いたい。最近あちこちを掘り返しているからきっと。それで、もう一度罠を仕掛けるべきだろう、このままでは新芽の植え付けは全滅する可能性がある。今日は難しいが明日は仕掛ける。我が世の春を謳歌するのも今のうちだと思え。

夕刻三谷ミートへ肉の買い出し。一つはOさんへのお礼。一つは息子の送別会の夕食。土佐の赤牛の肉は脂身が少ないが美味しい。値段も張るが価値がある。これに岡村さんのお砂糖で味付けしたすき焼きは世界広しといえども、これを超えるものは無い(と思う)。これは自慢しても良い。白いお砂糖ではこうは行かない。野菜をぶっ込んで、ついでにうどんもぶっ込んだ。肉と砂糖が野菜を引き上てくれる。

しかし、今日グリーンハウスから定期検診人間ドッグの検査結果が届く。そこに太文字で尿酸値が8.7。昨年比+1.7増し。肉は食ってはいけないのだ。泣く泣く3切れ100gくらいかな。後は息子が食べた。汁を吸った白菜と豆腐で頂く夕食。後でチェックすると豆腐も良くないのだった。

2025年3月16日(日曜日)雨
今日は予定が盛りだくさんだった。息子が帰って来、コスモスのOBテレビ会議、部落役員会だ。まず、息子は高知市の住居を引き上げ東京に移住する中継ぎにこの家に18日迄泊まる予定。夕食は、Oさんと「藤」で摂ると言う。そのOさんは歩くスピーカーだから、息子が短期間で仕事を辞めて次の仕事に移るニュースはこの村全体に伝わるだろう。それに、食事のご招待には倍返しの御礼が必要だから、僕としては放っといてくれの気持ちだ。

テレビ会議は老後の過ごし方を参考にする目的。どんなに老いたら良いのだろう?知っている人がどんなに老いているだろう?今日よくわかったのは、結局この舞台に登場する人達はかなり自信を持って老いている。それ以外の不参加者は老いが進み気分的、或いは能力的に参加できてない。多分後者は頭と身体とどちらかでは無く両方だろう。テレビ会議は皆仏頂ズラ(僕も含めて)でその画面に向かうと言葉を失う。それにもかかわらず、皆よく喋った。偉い。

夜の部落役員会は、25年度の役員の引き受け役がいなくて紛糾した。何でみんなの為に受けないのだろう。僕は部落長が回って来たが、班割りの関係で会計を引き受けることになった。2月の旅行が問題だが、慶弔のお見舞いを4通くらい準備して置けば間に合うだろうと踏んだ。後は定期的な支出で80万円くらい。立て替えに20万円あれば回っていく筈。この部落は5人減ったが入居者があって多分人口は変化がない。しかし15年程経つとそうはいかないだろう。飲み放題の懇親会は紛糾し時間が遅くなったので皆さん帰ると言い始め、お流れ。豪華お弁当とビール2本を貰って帰った。内1本を開け自宅飲み。その後、酔いが醒めるまでFBI。

2025年3月15日(土曜日)曇り
午後は雨で作業はできないから、朝から 庭木の手入れ、それから畑の縁にあるドングリの木を切った。前回の大掛かりな木ではなく、もっと小ぶりなのが、別のところにある。11時過ぎに終えると雨が来た。食事をして出かけた。

オートバックスでワイパーの交換とECTの承認。ワイパーは撥水性のもので中々効果がある。ECTは壊れたので、同じメーカーの物をアマゾンで取り寄せ交換。承認だけは自分でできないから業者にお願いした。

それからプールに向かった。本当は今日開通する自動車道を走りたかったが午後4時開通との事で断念。プールは貸切状態。今月8km累計16km歴代4位。

帰って英語、食事、英語、こんなに何眠いのは久しぶりだ。農作業と水泳だから仕方ない。8時過ぎ就寝。

2025年3月14日(金曜日)曇り
読書巻数以外は新記録に向かって飛ばしている。若しくは内にこもって自分の世界に浸っていると言った方が良いか。旅行でお金の価値に付いて認識を新たにして、動かない使わない方向にシフトしたのもある。そして、旅行記と配信の映画で自分時間がめいいっぱい占められているのもある。最後に、サトウキビの畑を5列止めるので、代わりを準備する作業もある。農作業は期日が決まっているので気が置けないのもある。

色んなことが重なって結構詰まっている、さっさと片付けて次々と行っている筈なのに、1日が終わってしまえば、たったこれだけか?着実に処理能力が落ちている。慌てると怪我をするから用心がいるし。
自分は若い頃とちっとも変わってないのに、同じ年代の人は随分と歳をとったなぁと思う。それはあり得ないから、自分も随分と老いている筈なのに、頭は現役のままだ。どこかおかしい。

薪を伝承館へ運び、ビニールで覆いをして一先ず完了。夜は昨晩同様に翻訳、1日の通常能力2000文字を3000文字に。これはペーパバックの2ページに相当する。たった2ページか?

2025年3月13日(木曜日)晴れ
コーヒーを飲まないと腹の調子が良いのでやめているが、どうしても欲しい時がある。アルコール中毒は飲まないと手が震えるが、そんなレベルではない。でも飲まずには居られない感じで頭が落ち着かない。自動販売機でジョージアを買ってきて、ひまわり牛乳で割って飲む。芸西村で一番美味しいコーヒーの飲み方はーこれ。他に選択肢がないと言えばそれまで。

15日は高知東部道が空港〜野市まで開通する、それで高知市から芸西村まで高速道路が繋がるので、芸西村へ来る人が増える(筈)、それでお砂糖を加工し出品し機会を逸しないよう頑張った。米の冷蔵庫に保管しているが、開けるとまだブロックの砂糖があって、こりゃいかん、と拍車がかかる。それで、伝承館への薪運びは量が少なくなって、もう一日かかるようになった。

アルマゲドンの翻訳が終わりに近づいたので、一気に行こうと、食事の後も頑張ったら、頭が重くなって疲れ果てた。肉体労働の後は頭がうまく働かないなぁ、歳のせいもあるけど。そこで頭の切り替えに、禁断のFBIを点けた。ややこしい内容は聞き取れないが、短い会話は少し聞き取れる。と言うか、決まり文句は聞き取れない部分を頭で補完して聞いている感じ。多分ネイティブの人もそうだろう。一字一句頭の中で文字にしていない筈。
3本見たので寝る時間が随分と遅くなった。

2025年3月12日(水曜日)曇り
午前中はいつもの定番作業。アルマゲドンの翻訳は佳境を迎え、小惑星でハリーが穴を掘り始めた。しかしドリルの歯が立たない。困惑のメンバーに対して、ハリーが言う“Get that look off your face” 「あなたの顔から取り除きなさい」意味不明。熟語辞書で、「そんな顔をしないで」なかなかこうは訳せないぞ。一方でやっと分かりかけた動詞の「自動詞と他動詞」の違い。動詞の後ろに名詞が来るのが他動詞。これで、辞書を引くのに精度が上がった。
しかし、文章の最後が動詞で終わる場合、どっちなのか?不明。味の素は「振れば振るほどお料理の味が増します」と歌うが、英語は「知れば知る程深みに入る英文法」と僕は歌う。

午後は昨日まで切り倒した「木」を伝承館に運ぶ。どんぐりの生木は重い。伝承館で薪を積むには、高く積み上げるために崩れてこないように工夫がいる。僕は枠を作ってその中に収めようとしている。この一連の作業が終わって始めて木こりは完了と狼煙を上げる事が出来る。未だ未だ続く。

15日は雨、本格的な雨との事。作業はできないからその分、明日進めて、15日と交換する手がある。27日に友人一行をお迎えするから、庭木の手入れや伸び放題の草の除草やらToDoリストが山積。その上日高の姐さんのサトウキビ畑の準備もあって拍車がかかる。

2025年3月11日(火曜日)雨
日経新聞にもトランプの深い分析が出始めた。想定通りの人かどうかは不明だが、大枠はブレないかも知れない。翻って考えれば世界のあらゆる知識層が彼を分析しているし、AIも手伝って深化するだろう。アメリカに対しほとんどの国が弱者の立場であり、「いいなり」なるしかない現状。しかし芸西村の村道のようにアスファルトで完璧に防草シートを施したあぜにも隙を付いて草が生えるのと同じように、反アメリカの芽はそこここに育つだろう。だんだんとアメリ離れが進むのは間違いない。

今回の旅行でもアメリカに中国人の観光客は目立って見えなかった。それだけ外貨獲得が減った訳だ。それと製造業の復活は、アメリカ人には合わない。いつどのホームに列車が入ってくるのかわからない鉄道のマネジメントもあるが、列車は揺れる、汚い、遅い。ベストバイではアメリカ産製品を探せなかったし、大手航空会社のデルタでさえ、小型機はエアバスだった。どの街にも、大きな袋を下げて徘徊する白人の浮浪者がいた。

クラシック評論家の許光俊は大好きな評論家で、彼の書き物を読んでいるとフムフムと共感する。今日もステレオサウンド231号でチェコフィルのフルート奏者を強く褒めていた。私もこの人の演奏を京都で聴き、これは本場で聴かなければとプラハのドボルザークホールに行った次第。京都ではドボルザーク交響曲8番がこの人のフルートで回っていた指揮者ではなく。
このように本来のトップではなく、脇枠が影のトップだった話は枚挙にいとまがない。今のアメリカはどうなんだ?

今日は雨で、プールに行った。2km1時間9分。500mくらいから疲れが出て来て速度が出せなかった。連日の木こりのためか、夜の睡眠が浅い為か?

2025年3月10日(月曜日)晴れ
昨晩は9時に寝て起きたのが6時半。途中でトイレに起きて寝つきが悪いなと思っていたら寝てしまってていた。それにしても布団の中で過ごす時間が長すぎる。朝の勉強の時間にも30分くらいうたた寝している。結局木こりはかなり疲れの原因となっているのだろう。
夜中に右肘が痛み、朝は右太ももがピリピリした。支障も出てきている。しかし木こりの出口は見えた。

親類のおばさんの友人が亡くなった話を聞く。死去の話題は日常茶飯事の様相を帯びて来た。田舎に暮らすと言うのは、地元に溶け込む事と同意語だが、いたたまれない弊害も付いてくる。

今夕は師匠に夕食のご相伴にあずかった。僕には少し話し相手が必要だったし、師匠は確定申告が終わりホットした矢先だった。丁度息子が高知県西部の砂糖を買って来てたから、味見も兼ねていた。
砂糖の評価は食べるとエグい。後味が良くない。塊には出来ない品質だ。芸西村も昔はこんな味だったらしい。昨年末から色んな地区の砂糖を食べて来てわかったのは、芸西村の「白玉糖は美味い」。多分こんな砂糖は世界に無いだろうと思った。師匠が長年指導して来た結果ここまで辿り着いたと思った。これぞ伝統の味だ。

ついでの話に3/15で、この家のすぐ前の高規格道路が高知まで一本で繋がる。高知市や県外からの人達が芸西村まで一気に来られるようになり、さて道路の混雑具合はどうなるのか?と言う話題になった。師匠の予測ではとんでもない混雑になると言う(僕は総量は変わらない)。しかし
もしものことがあるといけないので、「かっぱ市場に出荷する砂糖」も準備しておかねば。明日はその準備と、車の保険手続き、役場の確定申告の控え回収と色々と忙しくなりそうだ。雨予想でプールも。

2025年3月9日(日曜日)晴れ
朝一、ここしばらく音沙汰がない高知市の友人は、入院してリハビリ中と、昨晩飲んだ近所の友人が知らせて来た。メールの文面はかなり深刻な状況と思われると書かれていた。滋賀の友人は奥様を亡くし慰めの言葉もないが、次々と舞台俳優が降壇する足音が聞こえ出した。それは織り込み済みの事だが、目の当たりにすればやはりきつい。

午前中のアルマゲドン翻訳は、小惑星に到着した2機の内、1号は岩石と氷にぶつかって大破する場面まで進んだ。頑張って今月中に完読したい。

午後の木こりは、息子が柏島(足摺岬の近く)から帰って来てスタートが遅れた。柏島の海は凄いようだ。漁港で底が見えると言う。一度は訪問すべしと思っていたが、暑くなる前に行ってこよう。木こりは最後の2本を切ったが、上の方でツルが巻きつき、2本とも倒れない、切った時巻き込まれないように慎重をきしたが切った後、その木は宙ぶらりんとなった。この大きな木を2本とも一本のツルで支えてた。万が一のこともあるので、トラクターを引き出し、木にロープをかけて引っ張った。僕の腕くらいのツルもトラクターの力では裂けて倒れた。明日これを処理すれば木こりは当面終了する。次は猪退治ときまさごの桟の片付け。

2025年3月8日(土曜日)曇り
太陽もなく寒くて身体が硬くなる。息子は朝飯をべると足摺岬に出かけて行った。18日に高知を去って東京に行くので、最後の高知を満喫のため。

僕はヨーロッパ旅行記を終え、先般行ったアメリカ編に着手した。記憶の新しいうちに書き始めると生々しさが残るのを期待して。フォトショップエレメントの設定がうまく行かず、結局3枚ほどで予定時間がやって来た。

午後は木こり、小雨が降り始めたが決行。後2本を切れば木こりは終わる。他の木は倒れてくる方向が不明で着手できないから薬で枯らすしかない。

友人の病気が回復したので夜は懇親会。今日のメインは野菜のオーブン焼き。これは何とかものにしたいメニュー。パーティーに便利だ。ガーリックの練り物とオリーブ・オイルと塩加減が鍵を握る。今日はこのタレが少なく満遍なくカバー出来なかった。S&B食品のメニューにはない、とろけるチーズを撒いた所、成功した。特にトマトの上に振りかけたのがいい働きをした。椎茸よりはマシュマロが合いそうな感じ。感触は掴めた。次回もう一度挑戦してものにしよう。

友人はミモザの切り取りで脚立から転落したらしい。打ち身だけで終わったようだから良かった。老人は鈍くなっているから注意が必要だ。僕も危ない木こりをしているので人ごとではない。

お酒を飲むとき何もしたくなくなるのは、一人酒の場合のみで、人と飲むとその後でも眠くならない。今夜は「セビリアの理髪師/アバド指揮/ロッシー二作曲」。歴史に残る名演だと思う。字幕はイタリア語、英語。無くても歌を聞けば良い。
セビリアの理髪師は重要な脇役に理髪師「フィガロ」が登場する。一方モーツァルト作曲の有名なオペラには「フィガロの結婚」があり、同じ名前であって、理髪師はいつ結婚するのだろうと、ヤキモキしながら見るが、このオペラで結婚するのは伯爵とロジーナであってフィガロではない。僕の中で混乱した話。

2025年3月7日(金曜日)晴れ
健康診断で新たな病気が見つかった。腎臓に大きな石ができている。左右両方。この一年で出来た。夜中時々痛むが、尿管に降りて来ている痛みではない。即日開票の診断では他は大丈夫だった。動物性タンパク質の摂取が多いと原因にあるが、それはないはず。しかし炭水化物の摂取は心当たりがある。まぁ爆弾を抱えているみたいなものだから、自覚しておくべきだろう。

その後牧野植物園に行った。蘭展は終わっていたが、冬の角度のある太陽光は花や葉を透かして魅せるから、これを収めずしてカメラを語るべからずだ。今日はオリンパスEM1Xと70~200mmレンズで挑戦した。ピントが来てない点数が多いのは、やはりこの時代の仕様なのか。又シャッター優先で撮影したが、マニュアル露出とISO自動で撮影すべきだったと反省。カメラを触ってないとコツを忘れてしまう。

次にプールで2km、1時間2分。前回から間隔が短くまだ筋肉が覚えている為か。プログラムに平泳を外せば全盛期と同じ55分も視野に入りそう。

プールで時間調整後、空港で息子君を迎え自宅へ。少し木こりをして、風呂を焚き、夕食の準備。久しぶりの焼肉。最後に僕の作った砂糖を入れてうどんで仕上げ。息子曰くナンボでも入りそう。僕もこれはやばいとセーブした。

夜は冷えて、布団の中で本を読む。

2025年3月6日(木曜日)曇り
天候が回復しない。プラハ、ウィーンの旅行記を完成させた。1600ページの大作だ。プラハ美術館、アルテ・マイスター美術館、ウィーン美術史美術館、ベルヴェデーレ美術館、アルべティーナ美術館、シェーンベルク宮殿の絵画。全て日本語解説付き。1年を要した。チャットGTPのおかげで日本語解説付きができた。僕としては、美術館に目覚めて以降、初めての取り組みだった。

友人たちの贈るつもりだが、評価はともかく自分としては大変満足した旅行記だ。これと同レベルの旅行記は、未だ執筆してないがアメリカ版だ。もう一つ階段を上がって、カメラをキャノンR5で収めた。うまく押さえられていると思う。

午後は天気は回復するものの風が冷たく鼻水を垂らしながらの木こり。大きな木を2本倒した。一気に明るくなった。もう1本切るだけで、この森は終えようと思う。もうすぐサトウキビの植え付けがやってくる。畑を作って控えよう。



2025年3月5日(水曜日)雨
マグニ7が一気にトランプにすり寄った。確固たる社の方針があるにも関わらず今回は世間の顰蹙を恐れず同調した。銀行や証券会社も同じ動きを取る。彼らはトランプがどんな人か分かっている。セレブは裏でひっそりとマスコミには出ない情報を交換している。それがこの行動だ。今はこの嵐が通り過ぎるのを待つ、世評は関係ない。

これからウクライナの腐敗記事が多く出てくるはずだ。新聞では読んだことがない情報。マスコミは避けていたが、今回の決裂で浮上する。世論は一気にアメリカ寄りに傾くだろう。アナリストの私は情報分析にも忙しい。

今日も雨。今までだと何か運動のネタを探して実行していたが、今日は部屋の中で読書と書籍のスキャナー取り込み。部屋の中が少し片付いた。昨日友人と話して来高の日程が決まった。後で奥様と代わり歯切れ良く主人をお願いしますと話された。今までだらけて家の中がかなり乱雑になっていた所に「カツ」を入れられたような感じ。どうしても1人だと、物を置いた場所を動かさずそのままと言うのが多い。僕はそれを機能的だと思い、他人の目は散らかっているなぁと思うだろう。少しづつ片付けているとやっぱり気持ちがいい。こうしてたまにはお客様をお迎えして家を片付けよう。自分のために。

夜はワーグナー/神々のたそがれを見終えた。水の妖精の忠告を聞かず、ジークフリートは黄金の指輪を彼女たちに返還しなかった。「指輪は死を招くよ、ラインの川に返しなさい」と。ジークフリートは「ノートウイング(刀)が身を守る」と自信を返した。結局は友人の契りをした仲間に殺される。ゆっくりとした所作だが、物語は劇的に展開する。この4部作は続けて上演される機会はなく、且つ順番はまちまちだ。1作で完結する物語構成にもなってないし。しかし観客はそのうちどの断片でもよしとして見ているようだ。僕はこのLDを購入して2年目にやっと身終えた。重いが示唆のある物語。映画「ロード・オブ・ザ・リング」と根は一緒で似通っている。




2025年3月4日(火曜日)雨
ずいぶん降ってた庭の甕も結構水が溜まった。ここまで来れば井戸は復活だと思いきや、少しの水が出ただけ。この雨はカラカラの地面に水が染みた程度、地の底まで到達してない。昨日の疲れは9時間寝て解消した。と思いきや、午前中も30分ほど居眠り。英訳の昨年の月平均は39000文字だったが、今年は20000文字で敵わない。ズルしているわけではなく、午前中の居眠りが足を引く。それにアルマゲドンは物凄く難しい、これに比べるとNYTは優しく感じる。この悪戦苦闘が良いのだ。

午後は確定申告を役場に提出した。総括すればおおよそ23年度に比べ24年は20万円収入が少なく、支出が20万円多い結果となった。さらに今年は24年に比べ20万円収入が少ない予測。昨年は身体の調子が良く無償の作業を広めたのが経費発生を招いた。

調子に乗ったらいかん、ここで引き締めておかねば。先日の法事で親類のおじさんが「78歳になったらガクンと来た。気をつけや」少ないエネルギー一気に使わずに徐々に使って行くべきだろう。僕は自分の後始末を自分で付けねばならないから。自動運転の車を買う資金も残さなければならない。僕が面倒を見ようが両親の老後が悲惨であったように、僕もその道を進むだろう。時計を少し後にずらす努力でなんとかならないか。

今夜はアズア指揮のチャイコフスキー交響曲5番を聴く、神から見放されたように落ち込む。悪い面で凄く説得力がある。もう人生の先には輝くものなど何もない。そんな感じだった。続けてワーグナー/神々のたそがれ。ジークフリートがいとも簡単にブリュンヒルデとの愛を破綻させ、グートルーネに結婚を申し込む。このジークフリートの変わり身がいかにもハリウッド映画的で、ぽくは「おや?」と思う。その前の楽劇「ジークフリート」(こちらも4時間半の上演)で30分ほど2人は愛を延々と述べていただけに辻褄が合わない。
ブリュンヒルデがこの話がおかしいと見抜いたのは、ジークフリートが取り上げた指輪を見て分かった。女はいつの時代も、そう言うものに目線が行くものか?そしてこの楽劇を総括するテーマが「ニュールベングノの指輪」だから。

トランプが世界をかき混ぜる。これもハリウッド的、芯がなく方針が漂う。一体この先どうなるのだろう。行き着く先は株の暴落だろうなぁ。投資家は先が見えなく債券に動くためだと思う。経済や金融が混乱すれば、退職者は年金が当てにできなくなる。


2025年3月3日(月曜日)雨
気がつくと雨が降っていた。昨日の天候からもう上がると思ったが、午前8時過ぎは春の嵐だった。沖の松の木が見えないほどだ。定番の旅行記と英語の勉強の定番を片付ける。手足が痒い。木こりをしているとどうしてもダニかそれに近い虫が身体にくっつき噛まれる。毎年のことだが我慢できない痒さが続く。3日間ほど経てば治るがそれまでが大変。

午後はプールに出かけた。一レーン貸切だと喜んでいたら500m泳いだところで速度の遅いおじさんが入って来た。真ん中を泳ぐから横を追い抜くのも叶わず、途中で引き返し距離計算は重複せず、少し余分に泳いだ。少しマナーをわきまえたらどうか?言おうと思ったが、1500mでトイレが我慢できず僕が抜けた。帰ってくると、他に空きレーンがあったので、そこで500m泳ぎ計2000mとした。上がった後、あまり爽やかさはない代わりに、疲れもなかった。

少し遠回りして中古服屋さんへ行って、550円の綿シャツ5枚購入。先般の旅行でシャツを5枚捨てて来たので農作服が足りなくなったため。一年着て再び旅行で捨ててくる。

2025年3月2日(日曜日)雨
夜中に腹痛で目が覚めた。昨晩は映画が終わった後、イオンスーパーで刺身とお寿司を買って(半額)食べたのがいけなかった。どれかに腐敗菌が含まれてお腹を壊したのだろう。最近冷蔵庫の片付けでもお腹を壊し、旅行でもお腹を壊したが、いずれも古いもの、賞味期限ギリギリが効果を発揮しているみたい。冷蔵庫もそろそろ片付いてきたみたいだから、これからは終息するだろう。

それで睡眠不足のまま、英語の勉強は熱が入らず不振、昼に猛烈な空腹、肉が食べたく冷蔵庫の鹿肉を食べて落ち着いた。2時半に風呂を焚き、3時に赤野の親類の法事に出かけた。和尚さんは僕と同級生の弟さん、法要に関する講釈があるが、親類一同に茶化され、まるで漫談。その後法要が始まった。窓の外には梅の花が咲き、枯れ草の中に金柑が黄色い実をつけ、2月末の寒波から一転春が近い風景になった。

その後お墓にお参りするが、急な長い登り坂で、一行はノロノロと進む。僕には信じられない速度だった。みんな僕よりも若いのに、街人は体力を落としているのか。(僕が平均よりも体力があるとはとても思えない)次の7回忌にはもっと動けなくなり参加する人たちも減る悲しい現実が控えているが、それは是として美しく受け止めなければならない。

少し飲んだがまだ大丈夫、坂道は自転車を押し、下りは乗ってで帰った。酔いが醒めるまでFBIを見た。その後NYTを読む。トランプとゼレンスキー氏の決裂は、真実か演出かをトップ記事で延々と展開していた。面白い見方。テレビドラマと同じ感覚だ。一流新聞がこう報じるのだ。

僕はトランプ氏こそ世界1の環境保護推進役だと思った。彼によって世界経済は大きく打撃を受ける。経済の停滞は計り知れないし、和平は遠退く。逆の味方では二酸化炭素の増加ペースが減速される。石油の原産や、設備投資の先送りなどが頭をもたげている、ここ4年間は地球温存の善玉と見れば、それもよし。

2025年3月1日(土曜日)晴れ
BYDの自動車が中国市場を席巻しファーエイが新興で追いかけている。「安かろう悪かろう」と言えるだろうか?昨年末シャミオのミニLED搭載液晶テレビを買った。55型8万円。パナだと25万円、ソニーだと34万円。比較すれば多少の差異があるかもしれないが、誤差の範疇だろう。パナはテレビから撤退するとまで言われる。車の世界でも同じことがないとは言えない。漢民族は真面目で勤勉だ。

1ドルが150円を割ったが旅行者には円は安いまま恩恵がなかった。食べ物の価格の高さに驚いたが、ドルが高いよりも円が力を落としているのが原因。日本は年収の壁なんかで内向きの政治ばかりしていて、国力を上げるつもりはないらしい。為替ディーラーは今の円高はいずれ160円近くに戻ると予測する。世界のマーケットで日本の存在感が少ないから円安、それはディーラーでない私でも言える。

旅行中毒を患っているようだ。どこかに出かけたいと燃えている火を治めるのが大変だ。木こりは急がなければならないが、それで、まずはナッシュビルの中毒を和らげよう。それで、ボブ・ディランの映画/名もなき者を観に行った。

土曜日の夜にもかかわらず、30人も満たない観客で、中央正面で見ることができた。映画評は、ボブディランが有名になるに従い苦悩が深まるとあるが、僕は見抜けなかった。元々変わった人だから、その精神を何処まで深掘り出来るのか?それを期待した。多分僕の解釈では変人=苦悩と描いたのでは無いか?と思う。

1975年7月ニューポートフォークフェスティバルでボブディランがギターをエレキギターに変え観客のブーイングを買うが、それも彼の苦悩の爆発として取り扱ったように見せたし、評価もそこに落とし込んでいる。僕は、彼の音楽の進化がエレキギターにギターに向かったと理解しているので、その進化の追求がなぜエレキギターに向かったのかを見たかったが触れてない(取材で彼からその真髄を引き出せなかったのだろう)

結局ボブディランは2016年ノーベル賞を受賞するが受け取りには行かなかった。そう言う人を描ききれてないように思った。

ボブディランの作詞の深さをティモシー・シャメラが歌い切ったのがこの映画の1番の良さ、次にジョーン・バエズを演じるモニカ・バルバロの歌唱力が際立ったことの2点。又、恋人のシルヴィ・ルッソとジョーン・バエズの見分けがつかなかってストーリーが混乱した。


2025年2月28日(金曜日)雨
昨晩も8時間寝てしまった、きこりは疲れる、慣れない筋肉を使うからだろう。日経新聞もNYTもトランプが一面を賑わさない日がない。今日はイギリスの首相スターマーとの面談だ。かなりキレる紳士だから、マクロンの対応のように軽く受け止めるわけには行かなかったようだ。格式を重んじる英国の面目躍如だ。

久しぶりの雨も夜中には降り止みパラつく程度になった。井戸の水は枯れたまま。昨日久しぶりにビールを飲んだらお腹を壊した。美味かったが冷たいのをゴクゴクが良くなかったのかな?2月は終わった。英訳は昨年ペースを超えている。プールも超えている。読書が昨年の半分のペース。原因は「シンギュラティはより近く/レー・カーツワイル」の大書を読んでいたため。この本は考える部分が多くて立ち止まる、立ち止まると寝てしまっている。例えば、AIの普及は指数関的に普及する、今にないものが20年代後半に登場すると言う。脳と外部ストレージの直結なども範疇らしい。僕の生きている間に起きる。とか、肉体は死んでも外部に記憶したストレージは残るので魂は永遠となるなど、これは想像を逞しくさせてくれる。何とかしてそこまで生き延びたい。などだ。

今夕はお惣菜屋さんで「サゴシ」の刺身。これは美味かった。隣に猫が寝ているなど、不衛生極まりないが、刺身は超一級だ。酒なしで、今夜はワーグナーの最後の楽劇「神々の黄昏」を見る。全編16時間の大作で、もう始めの筋は忘れている。LDの画像は21インチくらいのサイズで見ると大変綺麗で、音はPCMだから深く切れ込んで解像度があり申し分ない。メトロオペラがここまで収録できているとは驚き。

2025年2月27日(木曜日)晴れ
昨晩は9時間寝てしまった。木こりで疲れたのだろう。さらに、午前中は居眠りをしながら英語を勉強した。英語については3時間と4時間の間に壁があって、4時間費やすと進化するようだ、だが中々そこまで時間は取れない。

午後は木こり。今日はハゼの木を中心に切った。ハゼには負ける人がいるが、冬の間だけ僕は平気で木屑が肌に触れても問題ないようだ。木の太い部分は薪にするように60cmの長さで切り出した。気温は高く結構汗ばんで、夕食のお惣菜で、一杯ビールを飲んだ、乾いた喉に気持ちが良かった。それから風呂を焚いた。風呂から上がり、ビールを飲むとナッシュビルでカントリーミュージックを聞いてたのを思い出す。そこで先日録画したエルビスプレスリーの伝記番組を再生したら、正にあの雰囲気の音楽が流れて来た。ブルースとか、黒人が唄うゴスペルなんかも同じ範疇だと思っている。この音楽を聞ける場所はケンタッキー州テキサス州コロラド州ミズリー州とかあって、もう一度アメリカを行脚すべしか?でも手持ちのiPhoneで検索すれば聞けるしなぁ。

お砂糖がほとんど売れてもう現金が入ってこなくなる。昨年の同時期に比べて28万円ほど不足する。原因は2024年収穫したお砂糖を昨年末に売り過ぎた為。自由に使える8ヶ月間でこれだけ稼ごうとすれば至難の技。英語の勉強もあるし、サトウキビの世話もあるし。でも来年はパリに行きたいし。ぐっと我慢して月3万円の節約が近道か、芸西村から出ないことが「解」なのか?

2025年2月26日(水曜日)曇り
日経新聞連載「私の履歴書」に漫画家一条さゆりが執筆している。その中で老後はパリで暮らすのを撤回、「日本が一番いい」の文言に賛成。それも芸西村が一番いい。水も空気も食べ物も。高知弁が通じるのも良い。でもそれは、不味いものを食ってなければ分からない。美味しいものを食べ続けるとその有り難さに気が付かない。たまには不味いものを食べなきゃ。その中でも賞味期限切れ間際の食品、日本は割と管理が厳密だがアメリカはどうもそうでないようだ。旅行中結構腹の調子が悪かったのはどうもその辺に原因がありそうだ。今思うと。

今日は一転穏やかな天候で農作業をするにもいい気候。我が家の畑に光を遮る雑木を片付ける作業を始めた。1週間ほどかかりそう。気温の上昇と共に虫が出てくるから急いだほうが良い。庭の甕に溜めた水の中にボウフラがいる。氷が張った先日の寒波を生き抜いた。水と氷の間に空気の層があるはずだ。

生き抜くと言えばセブンイレブンが危ない。2016年鈴木氏が井坂氏では経営できないとボード会議で述べたが認められず、逆に弾かれ会社を去った。あの経営陣は今忸怩たる思いで、外部からの買収提案、伊藤家の非公開提案に振り回されていることだろう。鈴木氏は井坂氏のどこを見て判断したのだろう?僕の直感は(当てにならないが)井坂氏は随分上の機嫌を取りそうな人だと顔が語っていたのを思い出す。周りの人は会話に苦しんだはずだ。なんとも言えないし、僕が被害をこうむっている訳じゃないからここまでにしておこう。

木こりの疲労で疲れ、音楽を聞いているものの9時の時報で眠っていたのに気がつき、布団に駆け込んだ。腕の力は相当弱っている(バタフライができなくなっている)から、負担が重かったのだろう。

LUMIXからS1mk2が発表された、8K動画と新たな手ぶれ補正が特徴。色が濃い写真は継続。動きものを追いかける能力は他社に劣っているようだ。買い換える動機は起きない。シグマから奇妙なカメラが発表。飾っておくのにふさわしい面白そうなカメラ。撮影能力は普通のデジカメだが外観は惹きつけられる。

2025年2月25日(火曜日)晴れ
寒波が去って暖かい朝。英語の遅れは中々挽回できないが気長に取り組もう。昼飯はマクドナルドで、Exit Westを読みながらビッグマックを齧る。内容はシリアらしき国から難民として恋人の2人はロンドンに辿り着き、そこで排他的扱いを受けている、遅々として進まなかった本書は、段々と速度が上がって来て、食事の間に4ページ近く進んだ。Kindle付属の英語辞書も後押ししてくれたが、何よりも今読んでいる「アルマゲドン」よりも圧倒的にスラングが少なく読みやすい。アルマゲドンで鍛えられた面があると思う。一時はこの本捨てようかと思ったほど憎かった。

プールで泳ぐものの、最初の500mは胃の中にビッグマックがあってしんどい。消化と運動両方に血液を循環さすのは僕の心臓が能力不足となっていた。2km1時間半。上がるとスッキリした。プールに来られている人たちを見れば腹がでっぷりしている人が多い。これは運動と消費のバランスが負ではない為、僕も月に10km行かないと腹が凹まない。皆運動しているから食べても良いとアクセルを踏んでいる為だろう。

帰って掃除、砂糖仲間の実ちゃんの息子嫁が砂糖の販売で相談に来る為。昨年シーズンはお砂糖を大量に製糖したので、頑張って販売する為だ。僕は、カッパ市場での販売が出来なくなったので、無理して販路を広げなくても独占販売になるから良いよとアドバイスした。粗利23%も要求される「土佐さと」(高知県で一番大きな道の駅的な市場)へも出品していると言われた。安田町にも。東西80kmにも商圏を広げている。やり過ぎ。

その後、暗くなって料理の先生が野菜を取りに来た。よくテレビなどで、東京なんかで売っている野菜より、地元で取れた野菜は味が濃いとか、地元賞賛の番組を流すが、僕は農家が渾身の力を込めて栽培した野菜のほうが、地方で路地植えの素人栽培に比べて味で負ける訳がない。との持論。でも、実際は地元の野菜は美味い。それは取りも直さず鮮度だと思う。地元消費は6時間後食卓、都会消費は3日後。如何ともしがたい。そして、専業農家が渾身の力を込めて栽培した野菜を6時間後に食するとやっぱり美味い、それを料理の先生に分けてあげたのだ。

今まで誰も言わなかったウクライナのゼレンスキー氏を名指しで酷評したトランプ氏。本当か嘘か我々には知る由も無いが、これだけは言える「火のないところに煙は立たない」いずれ時間がそのベールをめくる、野菜と違い鮮度よりも時間経過が重要、熟成度がものを言う。


2025年2月24日(月曜日)晴れ
寒い、庭の甕に氷が張っていた。ご飯を食べて赤野のビニールハウスにナス収穫の応援。寒いがビニールハウスの中は暖かい。10度の設定だが、シャツ1枚でいられる。一列を折り返す頃には太陽が登ってきて気温がグイグイと上昇、2列目には少し汗ばみ飲み水を持ってきてない事を後悔した。ビニールハウスの天窓を開けに来た雇い主にコーラを買ってくるように頼んだ。それ以降は汗が流れシャツが濡れた。体感は30度だが実温度計は21度だった。同じ温度でも太陽光が直接当たる21度とエアコンの風の21度とでは違いがあるのでは。もしくは湿度の差か?

僕的には今日が一番寒い。帰って昼飯、英語の勉強、疲れで身が要らずうたた寝。もう夕刻、今日はやばい、この部屋はなかなか暖まらないので、今日だけはエアコンの贅沢をしよう。
エアコンを20度に設定して点けたまま、風呂を焚き夕食を獲った。夜、この部屋に戻ると18度だった。

再びエアコン設定を25度に戻しアルマゲドンの翻訳、頑張っても1600語。頭朦朧。これで今日は打ち止め。

2025年2月23日(日曜日)晴れ
土佐の日曜市に出店日。6時に出発6時40分ごろから準備を始めた。もうお客さんが買い物をされていて焦った。7時半に応援のK子が来てくれ本格的に商売が始まった。
飴湯の試飲でK子が客を引き止めると僕が砂糖の試食を提供する。人溜りができると、又人が集まる、そんなことの繰り返しで10時ごろには在庫僅少となった。11時には2品が売り切れて、勝負玉が無くなった。12時には残り2品で残飯仕上げのような感じ。
K子は上手い。プロのヘルパーさんみたい。昔日本橋を担当してた時、当社のヘルパーさんにS氏が居て、接客すれば必ず落としていた。あのような感じ。どこが違うか?「普通」。なんの気負いもなく、どんな違和感も抱かせない。僕なんかやっぱり不協和音を奏でている。

と言うことで、僕の師匠が様子を見にきた時は在庫がつきかけていた。これじゃ自費出店してみようか?などと言われるが、そんなわけには行きません。K子がいたからこそだと戒めた、失礼ながら。「そりゃそうなだな」とご納得。

村役場、県支援員さんもお越しになって様子を見て、これは行けると納得された。彼等の支援があったので、場所代は無料だった。売り上げは全て僕のもの。厚かましく「村の広報に掲載してよ」と頼んだ。(彼女等も役を振った結果が正解だったと、安堵の胸を撫で下ろしたに違いない)これは一面芸西村をPRする活動の一環でもあるためだ。

3時に帰って後片付けをし、風呂を焚いて飯を食って、明るい内に夜の音楽に突入した。気分の良い日はジャズだ。チックコリアのリターン・ツー・フォエバー。LP。これ以上しっくりする音楽があるかと思われる再現芸術。家に居ながらにしてLive以上の極上以上の音楽が展開されている。
奏者の意図が見え見え。

ナッシュビルのライブハウスは一度体験しないと、音楽を聞いても雰囲気を掴めなかったが、ジャズはライブハウスの経験を数多く踏んだから、記憶の蓄積で食っていける。

2025年2月22日(土曜日)晴れ
日曜市の出店準備最終日、商品に成分表を貼った。フォントが小さく違反だけど、シールがないので小さく印刷した。モニター画面で全容を確認できず何度かやり直した。車に積み込んだ後、モノタロウから蜜用の容器が届き、こちらも加工して積み込みが完了したのは午後5時半。日高のK子とも連絡が取れ(それまではメッセンジャーだったが、今回は電話)打ち合わせを行った。

芸西村を代表して行くので、県の職員さんも視察に来られる(販売応援もしようかと言ってたほど熱心な方)ので出来ることは何でも準備した。そのつもりで車庫を見渡すと、試食用の3kgもある砂糖が積み残しで角にあった(下に置いてはまずいと離れた棚に置いた為)また、バカを演じるハメになったかも。

早めに夕食入浴を終え、夜の音楽に突入した。メンデルスゾーンの交響曲3番スコットランド。演奏はクルト?アズア。この人のアルバムはジャケット写真が全て良いほどの出来で気に入っているが、演奏が僕の歯車と今ひとつ噛み合わない、ほぼ知っている楽曲で。まるで僕と元妻との関係のようにズレが生じるのだ(多分に僕がずれている面が多いはずだが)。それで半年前にBOX盤を買ったが未だに全曲聴き終えてないのは違和感があるからだ。もっと具体的には弦楽器が気持ち良く鳴らない、良く言えば皆んなが揃っている、少しづつずれると音の厚みが出て気持ち良い音が出るはずだが。

2025年2月21日(金曜日)曇り
太陽があれば光線は強いのでなんとか凌げるが、太陽のない今日のような日はとても寒い。午後は日曜市の準備を行った。蜜を入れる容器が不足しているのが発覚、モノタロウに注文、確かにVISA決済は可能だった。師匠に電話すれば砂糖の試食もすべし、それくらいは組合で負担すると言われた。試食の砂糖を作れば、もう僕の手元には砂糖がなくなるが仕方ない。

予定より早く終えたので、トラクターを持ち出し、西上の畑、とその上の畑を叩く。きまさごの畑を休ますので、代わりの作付けを確保しなければ終了が減るのだ。農作業はそれだけで終える。

今日は旅友のN子と電話、旅の目的はお土産を買うことに命をかけていると言われた。行きのスーツケースは軽く帰りはいっぱいが定番だという、全く僕とは逆。
大分の友とも電話交信、株でなんとか生計を立てている、NISAの活用で非課税の取引ができる良さを教えて貰った。BS放送で早朝に経済ニュースがあると言われたが、後で新聞を見て確認してもわからなかった。株の投資は頭の体操でもあると言う。
サトウキビ仲間の奥さんが退院したと言うので、こちらも電話したら、声だけだと病人とは思われないハリのある声。復帰は早いかな。
同級生のS子に地元のスーパーであって、花の様子を聞けば調子は良く、孫の学費の為家族総動員で稼いでいると報。みんなそれぞれに頑張っている。

夜はいつもの如く睡魔、早く寝るのは勿体無いと、今日は少し寝てから音楽を聴き始めた。ショスタコ交響曲6番/クラウス・マッケラ。弦が綺麗に揃って気持ちがいい。生ではこんな綺麗な音はいい席でなければ無理だろう。それに最近のCDは特に録音が優れびっくりする音が入っている。もはやCDだと馬鹿にできない。
彼は若いのに(今29歳)2027年オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウに就任する。コンセルトヘボウは一昨年大阪で聞いた。力を抑制しながらの演奏だった。バイオリンのピッチカートだけでもすごい大きな音が出てびっくりした。本領を発揮するにはオハコのオランダで聞かなきゃわからないだろう。キナグサイ論争が西側で飛び交っている、調子に乗って独裁国がつけ入るんじゃないでしょうね。2027年はそれが炎上しないとも限らない。レコードで楽しむ術を見出した方が良いかも。

2025年2月20日(木曜日)晴れ
本当に馬鹿だなぁ。VISAは使えた。再発行のマスタードのみ届いた。おかしいなぁ、VISAも発行をお願いしたのに。それで問い合わせると、大きな金額請求があったので止めたが、お客様が承認されたので、復活し再発行はしてないという。僕としては、この承認後も使えず、ニューヨークではマスターカードで支払った。そしてワシントン、ここでもVISAは使えずマスターカードで支払った。そして100ドルの不正請求が2度きたのでVISAを止めた。(実際はマスターカードを止めていた)
それで、僕はVISAもマスターカードも使えないと思い込んでいた。

今日解ったのは、どうやら、向こうの言う「大きな金額の請求承認」はワシントンのホテルに着いてから行っていたようだ。だから、ワシントンの夜からはVISAカードは使えるようになっていたのだ。

では、お金が現金しか使えなくなってワシントンとハワイは寂しい思いをしたのか、勿論心細かったが、残りのお金に細心の注意を払って過ごしたのはむしろ充実した日々だった感じがする。お金を使わずに楽しめるのは何か?ワシントンでは無料の博物館、ハワイでは風光明媚なところを歩き倒した。今、撮影した写真を眺めながらそんな事を思う。やっぱり旅行は何があっても楽しいのだ。

今日は日曜市の販売商品の袋詰め2日目。シールで包んだり、真空包装を施したり、結局午後の時間はこれで全部費やした。外は寒く農作業したくない気持ちも強かった。

夜の音楽はLPでバッハ/ゴールドベルク変奏曲/グールドを聞く。この音楽は伯爵の奥さんが、眠れぬ夜を過ごすのに、宮廷楽員であるゴールドベルクに音楽を演奏するように頼む。そのうちに、バッハに眠れぬ夜に聞く音楽を頼む。それをゴールドベルクが弾く。あとでこの楽曲を「ゴールドベルク変奏曲」と名付けた。システムは昨晩と打って変わり素晴らしい音が響く。皆がゴールドベルクと言えばグレン?グールドという訳がわかった。ピアノの音に芯がある。明らかにピンと張った線を叩いていると分かる音。僕的にはコレが聞けない装置でグールドを論じるなかれだ。



2025年2月19日(水曜日)
目に飛び込む注意書きや、看板や、電車の駅案内など、旅行から帰ってきて気がついたのは、英語も日本語と同じように理解し耳に入って流れて行ったように思う。あえて意識しなくてもわかっていて気にもかけなかった。会話は意識して聞かないと身構えるが、これが2週間もいると馴染むという事なんだろうな。

午前中は昨日と同じような作業。同じように居眠り。強い日差しは部屋を暖めて眠気に拍車をかける。午後は、日曜市で販売する砂糖の袋詰め。50個必要だが、袋は41個しか無かった。午後3時から久し振りの農作業、つくね芋の跡地を片付けた。今度はサトウキビを植える。まだ猪が来て、昨年埋めたサトウキビの苗を掘り返していた。なんとかしないとこの猪は定住しそうだ。4時半に夜須のお惣菜屋さんへ「今日は寒いね」たったこれだけが、今日唯一交わした言葉。話さないと言葉は忘れる、英語も日本語も。ヤバイけど仕方ない。

今日も明るいうちに部屋に入ってオーディオを聴く、約1年ぶりにB&Wのスピーカーを押入れから出して鳴らすが、ELACよりも音が悪い。キツイ音がする、素はこの傾向を持っているが、慣らし込みで手なずけたと思っていたが反旗を翻したのかな?

音楽はマーラーの7番/ギルギエフ指揮。マリス?ヤンソンスが日本公演で演奏しようと思って実現できなかった演目を、代わってラトルが指揮したのを先日のNHKで放映した。情熱のある人気の指揮者だが、ベルリンフィル時代からどうも僕に馴染まない。砂浜を走るときに強く踏み込めばそれだけ足が沈むように、気を抜かれるところがある。ギルギエフはそうはならない。だがそれでも1楽章のみで終える。睡魔が凄い。まだ旅行疲れから抜け出せてない。



2025年2月18日(火曜日)曇り
気温が低く太陽が射さない、午前中はずっとカーテンを閉めて写真の編集と英会話と時々居眠り。午後料理の先生が八丈島のお土産を持ってきてくれた。僕と同じ時期旅行。塩の入ったチョコレートは病みつきになりそうな旨さ。色々アイディアはあるものだ。

日曜市の準備をして、役場に当日配布するパンフレットをもらいに行った。職員曰く、白玉糖がこんなところで売っていると気がついたお客さんが殺到する。甘いなぁ。ちょうど県職員さんもいて、当日の運営などを話し合った。僕の想定内なので問題はない。さらに郵便局で、昨日購入頂いたお店が映像を流すというので、僕の撮影したサトウキビの収穫から製糖までのシーンをデータに焼いて送った。帰りスーパーですき焼きの材料を買って、友人に飲みに来ないかメールすれば病気で臥せっているとの返事。友人は野菜の摂取が少ないので、毎年冬になれば感冒の病気をもらっている。

夜は仕方なく一人ですき焼き。肉はいつもの鹿の肉。脂がこってり乗った牛肉の内臓(勿論老人には毒で食べない)を一緒に煮込んだので出汁も効き美味。

お酒が入り安易な過ごし方であるFBIを3本観た。アマゾンのFBIは3種あって、ニューヨークが舞台の特別捜査班FBI、ハンガリーに拠点を置くFBIインターナショナル、心理的な駆け引きをする指名手配特捜班FBI、面白さはこの順。いずれも最後に解決する水戸黄門型お茶の間劇場で安心して観られる。
3本観ても夕食が早かったので午後8時半。それから就寝。



2025年2月17日(月曜日)晴れ
まだ時差ぼけしている。昨晩は8時半に寝て1時50分に目が覚めて寝付けなかった。当然睡眠不足で午前中2回ほど居眠りした。午前中はまだ、昨年行ったウィーンの美術館の絵画を編集している。早く終えて記憶が消えないうちにアメリカ旅行に着手しなければ。

だがする事は多く、昼前に高知に向かった。例年2月になれば蘭展が開催される。一番の迫力は東京ドームで開催される「世界の蘭展」だが、機会も旅費もない。今日は高知の店に砂糖を納品する予定があるので天候も良いしついでに牧野植物園の蘭展を見に出かけた。いきなりの高温と高湿度でレンズが曇りどうしようもない、逆戻りしないでくれと言い渡されているし、狭い通路で立ち往生した。

晴れの今日は、神の恩寵か、花弁の一輪に太陽光が差し、他の花は沈む場面がいくつかあっていい写真を収めた。1時間経過、次はプールに向かったが800m位しか泳ぐ時間がないのがわかった、50分だけ時間潰しにヤマダ電機高知本店に行くと、懇意にしていた日立のヘルパーさんが、薊野の店から移動してここにおられた。しばらく話を聞けばエアコン部門をボッシュに売却するらしく、家電から離れようとしていると言う。パナのテレビも分社化するとYの社員さんから聞く。以前のように家電の元気が足りない。そんな中でまだヘルパーさんを続けられているのはよほど優秀な方のだろう。お砂糖にも関心を示していただき名刺を探したがあいにくとない。次回冷蔵庫を買う時に渡そう。

お砂糖の納入は午後3時。予約が必要なレストランで美人の奥様がきりまわししている。ご主人は魔女の宅急便でキキの下宿するパン屋のご主人にそっくり。コンテナ一箱。次回も同量必要。大阪の店と契約が出来たのでという。fb用に写真を撮影させて頂いた。

時間の拘束が解けたので、プール。2kmは1時間10分。バタフライが出来ない。腕の力が落ちて水を掛ない。旅行中重い荷物を移動させたが農作業と比べて負担が軽いのか筋肉が落ちていた。僅か18日間の空隙。買い物をして帰り着いたのが6時、暗くなって風呂の焚き物を準備できなくなるギリギリの時間だった。プールで身体を洗っているとは言え、夕刻から冷え込んできたので、温まりかった。
夕食を終え、セロニアスモンクを讃えるコンサートを見ていると、知らぬ間に落ちていた。毎夜8時を覚醒して通過できない。


2025年2月16日(日曜日)雨
高知の生活だと耐えることはない、いつまで寝ても良いし、トイレだって気がついた時行かなくても、常に「そこ」にある。食べたいもの飲みたいものはいつでも自由だ。束縛から解放されるのは嬉しいと思っていたが、どうも自分らしくない感じがするのはなぜだろう?
残りのお金を計算しながら食べ物を買って時には2回に分けて食べるなど工夫している時が、不安だったけど妙に充実していた。
かなりパワーを食う生活だったので、来年もそれができる自信はないが。

今日は日曜市の下見。日曜市の一角に「れんけいこうち」の札があって、そこに1人の老人が宝石を販売していた。挨拶はしなかった。テントの寸法、机の長さなど、iPhoneの計測アプリでサイズを押さえた。今の準備物で問題なさそう。禁欲の生活から一転し帰りに野菜、漬物2種、芋テン、こんにゃくを買った。今夜は豪勢な食事。帰り日曜市の機材購入とダイソーに向かったが「龍馬マラソン」で通行止め、大回りして到着。買い物の後は通行規制解除されていた。野市のダイキで30cmx90cmの白木の板2枚購入、帰って組み立てて完成は午後4時。

完全ではないが23日の準備は半分できたようなもの。余った時間で海岸を1時間散歩。クロスビー、スティルス&ナッシュ/グレイテスト・ヒッツを聞いたが、どの曲も心当たりがない。僕の感覚でこれに近いフリード・ウッドマック/噂はアルバムもあって馴染み深いが。

陽光差し込むカウンターで朝からビール1本9ドルで音楽を存分に聞けるナッシュビルのあの心地よさはいつまでも心の中に残っているだろう。その復元にクロスビー、、だったが。何度か聴き続けて取り込みたい。本を読むのも音楽を聴くのも滋養のような気がする。年齢とともに食が減っているから、滋養は他のもので補う必要がある。

2025年2月15日(土曜日)晴れ
体の調子がおかしく午前2時に目がさめる。それもトイレではなく猛烈な空腹で。時差ボケしているのだろうか。ハワイでしっかり調整したつもりだけど。
それで、今日は起きて23日の日曜市の準備物を一覧表にした。
朝食を食べると眠くなって9時半まで寝た。一覧表に基づき印刷、ラミネート処理、当日テントの柱にくっつける準備を行った。手間がかかり夕刻までかかった。

トランプが関税をいじっている。日本はアメリカ投資を5000億ドルとすり寄った。これでなんとか辻褄が合わないか?そんなことトランプが気にかけるわけがないと思う。それにしてもこの投資は主に製造業だ。アメリカ人が一番不得意とする分野。アメリカの貿易赤字は中国のモノで占められている。いくらアメリカで工場を建てても製造業で真面目に働く人がいないと副大統領のバンスが書籍で述べている。ナッシュビルのヒルトン・ガーデン・ホテルに宿泊した時、洗面所の蛇口は歯磨きで溢れた汁が付着していた。シャンプーも容器は空だった。どこの道もゴミが溢れ、道はデコボコ。要はアメリカ人は体に汗して働きたくないのだ。ホワイトカラーの仕事がしたい。でもそんな能力を備えている人は少ない。体に汗する仕事は不法移民が請け負ってスーパーのレジなんかしている。それでレジはお客様が多くないのに大渋滞。タクシーに乗って行き先を見せればわからない(文字が読めない)口頭でしか伝えられない。そんな国で製造業が務まるわけがない。だからできる少数の意欲者を募るから賃金が上がる。トランプは政治的に製造業の回帰を煽っているが、本音じゃない。感の鋭い彼がそんな事知らないわけがない。6年ぶりのニューヨークが目に見えるように何かが変わったと言う印象は無かった。富が局所に集中し、一般には回ってこないからか。どこが漁夫の利を取るだろうか。

「よくあんなところ」を計画もなく行けたな。別に未開国じゃないが、自由に意思疎通ができない中で。物凄くパワーを使って、いろんなところに行った。帰ってくると腑抜けのようになっている。でも、23日(日曜日)の日曜市はきちんとこなさなければならず、呆けているわけにいかないのが良いかもしれない。
昨年のヨーロッパは8194枚、今回のアメリカは4872枚の撮影をした。編集をしながら、風景に付随した事を思い出すこともあるかもしれない。それができると旅行が完結する。


2025年2月14日(金曜日)晴れ
空腹で午前4時起床、食べる量が少ないからすぐに腹が減る。時差ボケもあって、今日は浮遊感が漂う。よく寝た故か?昨晩のお酒が残っているためか?確かに日経データをエクセルに打ち込む時、8桁の数字は普段だと記憶できているのに、今朝は難しい。

朝イチからHPをアップデイト。曖昧な文章は修正したつもりだが、アメリカの情景を旨く説明できたとは思えない。

村上春樹/街とその不確かな壁を再び読んでいる、架空の世界を描く物語なのに目で見るが如く説明してある。しかも情景が澱みなく流れる。表現はこれだと思うが、僕は村上春樹じゃない。一流とはこういう事だろう。

街のレストランからは昨日納品は必ずしも今日でなくても良いと連絡が来て、砂糖の包装に余裕ができた。全部で30パックほど準備できれば良いはずで、20パック作った。明日仕上げれば良い。時刻は3時半。赤野の親類にお土産を届けて、厳しかった後半の旅行のことを説明した。それからお惣菜を買い、親類のおばさんにお土産、サトウキビの師匠にお土産(ここは留守だったので上がり込んでお土産を置いた)

帰って風呂を焚きながらお寺さんにお土産。これでお土産の作業は終わった。飯を食って風呂に浸かればぬるい、薪不足、震えながら薪をくべて沸いてくるまでじっと我慢。もう風呂の沸かしかたを忘れていた。今日は井戸の水も枯れて水道を使った。留守の間に変化はあった。梅の花が満開だったし。日の暮れが遅くなっていた。

2025年2月13日(木曜日)雨のち晴 
日付変更線の関係で一日繰り上がる。夜中に目が覚めて猛烈な空腹を覚える。朝まで待ってコンビニに行こうと横になるがどうも寝付けず、4時半起き上がってコンビニでサンドウッチと牛乳サラダを買ってきてホテルで給餌。外は時雨で寒い。湖畔に住む人々は北陸の寒い冬も経験するだろう。日経新聞のデータを打ち込んでたら、もう7時で出発。駅まで湖畔を歩き冷え切って京都行き列車、山科下車。大津の友人2人目は湖西線で遅れてやって来た。強風で列車が定刻通り動かないらしい。病気の奥様の様子を伺い、することは全部尽くしたと言われた。悲観はするが覚悟もできているような話ぶりだった。電話で聞いていた事の繰り返しだが、対面での話はよく気持ちがわかった。いつもと同じく一方的に話する人なので、相槌を打つだけで話が展開してゆく。
時間が限られていたので45分で切り上げ、待ち合わせの山科から大阪に向かった。天満下車、南森町まで歩きお金を下ろす。当面現金が必要な為。

懇親会はパナお友達で天満のお好み焼き「千草」。11時前なのに行列。その向こうにも同じお好み焼きやさんがあったが待ち人はいない。定刻に開店しお好み焼き、焼きそば、海鮮焼きをいただく、昼からは飲めないと思っていたが、これを頂く呑めるし、仲間と語らいはビールが進む君だ。僕はハワイが「ハレの舞台」だと感想を述べたが、みんなも同じ気持ちで、「敢えて行かなくても」の総意。それに今回わかったのは、ロス→大阪とホノルル→大阪も大した所要時間の差はないから、ハワイで体力調整をしなくてもロスで行えば良いと思った。アラスカの選択もあるが、全米最も犯罪率が高い地区なので敬遠すべきだろう。

解散して阪急百貨店で福砂屋のカステラ、虎屋の羊羹1万3千円を購入。合わせるとずっしりと重い。旅行中下着、シャツ、ズボン、靴下を捨ててきてカバンは余裕があったので上手くおさまった。2週間の旅行にこんな小さな鞄で回せたのは汚れものは「捨てる」計算をしてたから。帰ってからも洗濯がないので楽。

適当に後免行きの切符を買い込み岡山駅で接続を見れば、2分前に高知行きは発車したばかり。強風の遅れがなければ間に合っていたのに。駅構内のドトールでロイヤルミルクティを飲みながら、1時間日経デーを打ち込む。もう夕刊も発行されていた。
土讃線の移動中は2月23日の市場対応の注意が県職員からあった。高知市のレストランからも砂糖の納入日程についてSNSがあって、旅行気分から一気に現実に引き戻された。

芸西村の和食駅で下車、タクシー乗り場にスーツケースを預けてスーパーで買い物。タクシーは園芸組合まで800円。自宅まで乗ると1200ほどになるので節約。
帰って夕食を作って、シャワーを浴び自分の部屋に入ると無事で良かったとかなり真剣に思った。一時は目の前が真っ暗、ホテルに帰ってはドル紙幣を数えていたし、スーパーでの買い物は小銭を店員に数えてもらって払ったりした。
いつもの如く音楽をかける。マーラー交響曲5番/ギルギエフ指揮。ギルギエフはロシア人、ドイツミュンヘンの常任指揮者、しかし、プーチンがウクライナ侵攻の時、彼の思想に共感したため、職を解かれてロシアに帰った。いい指揮者だが仕方ない。
やっぱり自宅の装置で聴く音楽が生よりも気持ちいい。細かな表現力も分かるが、コレは興奮してなく冷静に受け止められるからかも知れない。
今回の旅は「自宅の音は良いぞ」と判決を押す儀式みたいなものだった。それでいいのだ。


2025年2月11日(火曜日)晴れ
断腸の思いで70ドルの出費を覚悟した。空港までのタクシー代。ワシントン・ダレス空港で換金した1ドル200円レートのお金を使う。昨日は空港までの3時間の道のりだから歩こうと思ったが、どうしても高速道路を通らないと川が渡れない。もしくは、カメハメハ王の像まで歩き、そこからタクシーに乗れば距離は短く料金も節約できると考えたが、もしタクシーが来なかったらどうする?そんなことも考え、断腸の決断だ。料金は62ドルだった、先日いかがわしいおじさんタクシーは58ドル、今日の運転手は真面目な運転手でホテルの部屋番号まで確認した人。ヨクワカラナイ。

空港に着くといきなりJALのカウンター、道路に面している、なんかもっとビルの内側にないのか?軽すぎる。少し並んで待って受付に進む、自動受付を要求されチケットと荷物札を受け取る。それから受付に進み荷物を預けた。出国カウンターは簡単に通過し、出発まで待ち時間となった。

少し散歩しフードコートを見つけたが、パネル表示の食券販売がカード使用のみだったので断念。Cゲートまで歩き、クロワッサンとコーラ10ドル、日本円で2000円で朝飯とする。D1ゲートが日航機の乗り場で、近くで待っていると、1時間前なのに早くゲートに来いと案内。ここはゲート内に部屋があって、そこで待機する。他所にはない出発の仕組み。

飛行機は定刻に離陸した感じ。着席してからずっとクロスビー・ステレス・アンド・ナッシュのアルバムを聞いていたのではっきりとした時間はわからないし、寝ていたのもある。しばらくして、軽いスナックの配布があって、白ワインを頼んだ。駄酒でも久しぶりは美味い。隣は香港系のアメリカ人、出国の時出口が不安だったようで、案内してあげた。今回の旅行を通じて危ない思想に傾き始めたのは、飢餓でもなんとかできる自信が出来たこと。それはとりも直さず、アフリカとか中央アジアとかヤバい地区に足を伸ばしたい欲望が目覚めたことだ。この歳になって出来るのか?疑問もあるが好奇心が強くなった。

食事は豚の生姜焼きを選択した。久しぶりの日本食美味い。食べながら、この旅で撮影した写真の評価を行った。絵画撮影はともかく風景は全く下手、切り取るセンスがない。次回カメラの購入は解像度の高いフジGFXを狙っていたが、宝の持ち腐れになると思った。自分のカメラ能力がよくわかる旅でもあった。

関空からJRに乗って大津の友人に会いに行った。車掌の言うことが全部理解できるのが嬉しかった。彼とは年賀状だけの交信をしてたが、お互い時間ができるようになったので再開。「和民」さんで、体重が落ちたのか、食べたいものが焼飯だった。焼き飯をおつまみにビールを飲んだ。胃が収縮したのかそれだけで満腹。54年の時空を超えて、昨日会ってた友人と今日会う感じ。容姿は変わったが気心がそのままだったのには驚き。2時間の懇親では話す内容も限られていたが、お互いに元気だったことと忙しい毎日を送っていること(彼の手帳はスケジュールで真っ黒だった)そんな感じだった。雨が降っていたので、タクシーで琵琶湖湖畔のホテルに投宿。広く清潔で明るく水道の水が飲めて天国だった。

2025年2月10日(月曜日)晴れ
昨晩から睡眠は高知時間(早く寝て早朝目が覚める)に戻った。朝猛烈な空腹。昨日飛行機でもらったチョコレート・クッキーやスプライトで朝飯を誤魔化しワイキキ通りを北に向かい、アイナハルトライアングルに向かう。日本人をよく見かける。「私は海外のこと知ってますよ!と言わんばかりの30代女性の多い事にびっくり。僕には関係ないがスリや強盗からすればいいかもだろう。ただ物凄い観光客なので手出しは出来ない時期だろうが。緑の芝生に「ゾウのミミノキ」と呼ばれる樹木が枝を張っている。昔、日立の宣伝に「この木ナンの木、気になる木♪」があったが、それとよく似ている。大きな枝の下はいい木陰だ。ただ木陰の作り方はインドやインドネシアに比べて街中での配置が悪いような感じだが、同時比較でないからなんとも言えない。

それからワイキキビーチに出た。意外と狭いのと短く2つに分かれている。何もここまできて本を読むことは無かろうに、人混みの中走ることも無かろうに、嫌、違うぞ!やっと気づいた。これは「ここで休暇を楽しんでいるぞ」と表現しているのだ。だから人が(観客が)いっぱい必要なのだ。確かにここに来るには費用が発生するから、言ってみれば格上のクラブに入会したようなものだ。だからハレの舞台で気取って過ごすのだ。

ワイキキビーチは続いてない、途中でホテルが海岸に迫り2分されている。観光写真はここを境にどちらかを写している詐欺のようなもの。海の水も汚い。
突堤があって行くとダイヤモンドヘッドが見えた。ベンチャーズで取り上げなければただの岬。時間はあるから歩こう、途中でワイキキ・インターナショナル・マーケットがあった。覗くと、集合商業施設だが、アジアのあの混沌はない。だから掘り出し物があるとかの驚きはない、値段交渉もない。まぁそれは僕の「市場」への期待で他の人はそう思わないかも知れない。

2つ目のワイキキビーチは800mくらいと長いが幅は20mもない。砂浜黄色の極細。シーズンごとに運んでくるのだろう。浜が黄色でなければならない理由がわからない。

沖では高くない波でサーフィンをやっていた。サーフィンができる別の意味は遠浅の海という事、それは巨大津波が、陸地の奥まで襲う可能性のあるという事だ。だからTUNAMIの看板も出ている。

さらに東へ向かうと、緑の大きな広場が次々と出てくる。この土地は雑多な草が生えないのか?一面芝生。雑多な草刈りで苦労している私はとても不思議、僕の推測では除草剤の使用だ、モサント社は除草剤の種類が数百種類もあると言うから、この芝生以外は全部枯らしてしまうような除草剤を使用しているだろう。その芝生で日本人の結婚式撮影にも出会った。一組だけ撮影させてもらった。

海岸は大したことないが、いい風がずっと吹いている。これは木陰で休むのにちょうど良い。木陰に蚊もいないし。この止まぬ風は芸西村にはない。芸西村の海岸は長いし、幅もあるが。
さらに進むと、家が途切れる海岸に出られる広場がある。ここは人がいないし海も綺麗。そして少ない人々は、人の目を気にせず自分の世界にこもっていられる。まぁこれがビーチの姿だけどね。

灼熱の太陽光下、水着で楽しむのは良いだがこの肥満はどうだろう。すらっとした人がいない。特に女性はひどい。頭が小さく金髪で綺麗なだけに不細工だ。みんなで渡れば怖くないのごとく、みんなが肥満だから恥ずかしくないのだろう。アメリカでは痩せる薬が大流行しているが、確かに酷い。寿命が短いわけだ。

ダイヤモンドヘッド岬の下に来た。途中山への登り道があったが禁止マークがあって断念。この山に登るにはもっと向こうの自動車道になる。
海は綺麗で波も次々とそこそこのがやってくる。サーファーは先程の海岸で見かけた肥満はいないし、かなり本格的な面構え。多分オアフ島のサーフィン・ポイントはここだろう。
展望する広場で見ていると隣の女性が話しかけてきた。ザトウクジラがいるよ。方向を教えてもらったが潮吹くのは見えなかった。これは英語、翻訳機で会話。
“Humpback whale in Hawaii through April”
後で見れば難しいのはザトウクジラの単語だけ、でも聞き取れない。今は潜っているらしい、と言う。

時刻は14:45。道は下りになったので、ここから引き返す事にした。帰り道ハワイの総括をした。「ハワイは観光に毒された街」そしてそれが分かっていてハレの舞台にハワイを選ぶ。



もっと細かく挙げれば、バスはスーツケースを持って乗れない、だから空港からはチャーター車しかない。公共機関も味方する行政。反面だからと言えばよいか、治安については気を遣っているのかな。パトカーがそこら辺に停車いている。浮浪者はニューヨーク並み、臭くないのは海で清める為か?お土産は高価なものなく事を楽しむ島か?観光ツアーの受付があちこちにある。一元客相手では商売道が発展しないだろう。商売する人のモチベーションは何かな?

水2リットルを飲んで帰ってきた。朝9時から夕刻4時まで休憩を挟んで歩きっぱなし、だが連続で1時間歩くと足が鉛のように重くなる。前はこのようなことはないから年齢のせいかな。ベルリンやジェノバでは、休憩なく歩けたのに。歩き回ってホテルの立地を眺めると、繁華街の中心地にあった。汚いホテルだがアクセスは良い。もっとハズレでも良かったのに。あまり研究せず決めてしまったから。でも徒歩で回ると土地勘ができる。次はないが、どこに宿泊場所を決めたら良いのかの判断はつくようになった。知人はいないが土地勘は各都市に出来た。

ホテルの前にターゲット(アメリカの百貨店)があった。不振だと聞いていたので覗くと、当然の如く、食品売り場は他のスーパー並みに雑然。品物もデパ地下のメニューはない。包装済みばかり。スナック類はABCストアの方が上手く陳列。ただ量が多いかな。2階の衣類コーナーはスーパーマーケットの衣類コーナーみたいで殺風景。そしてここにも飲み物の冷蔵陳列棚があった。客も日本のスーパー並みに入ってない。店のコンセプトがこれなら、もっと売り上げはダウンして行くだろう。(マンハッタンのベストバイも同じ感じで、不振だった)特に衣料品はTemuに席巻されるだろうな。

昼飯は賞味期限が近づいた20%Offのツナサンドを水で流し込んだ。カロリーが不足しているのでGパンがスキスキ、ベルトで締めないとずり落ちてしまう。夕食も食品スーパーで焼き鳥丼と冷やしソーメン。美味しくはないが、餌だと思っていただく、キャンプをしながら山の縦走しようと思えば、これでもご馳走だと思えば良い。美味しいものは日本にある。幸いなことにアメリカの食品は大きくカロリー表示がある。目的は控える為だが僕は加算する為に利用した。

また水しか飲まない貧困食生活でわかったのは、色んな食品は結構味付けが濃いこと。付属の調味料で味を付けなくても十分食べられる。野生の動物が調理しないで食べているが、多分調味料を知らなければ、それでも美味いのだろう。まぁそれだけ僕らは「毒を食って」生きていると言うことだ。この旅はひょんなことから、普段経験できない極限とまでは行かないが、厳しい生活が出来て発見もあった。

総括は「何もなければ、何かを見つけられる」これだね。

2025年2月9日(日曜日)雨〜雪
午前2時から3時半まで寝た。危なくないか?空港で夜を過ごす客も多く、大体が売店の前の椅子で寝てたので、僕もその一団に混じりうたた寝した。安全だった。吉川英治/三国志を少し読んで、4時にデルタ航空のデトロイト行きカウンターに並んだ。荷物を預けるには35ドル必要だと言われたが、カードの支払いはできず、カバンのサイズを目見当で判断し、機内へ持ち込めと言った。(35ドルが助かった、今となってはこれは大きい)。

チケットをもらい出発ゲートを潜ろうとすれば、ボーディングパスのゲートに行け、下の階にあるという。そこのゲートでも荷物検査をしてたから、妙に理解できなかった。そしてそのゲートを探すが見当たらない。翻訳機で空港の職員に聞くとall gateへ行けと言う。そこで同じような手荷物検索。取り敢えず関門を潜った。そして次の課題は、グループ8の最後に搭乗する席だが、果たしてこの荷物を棚に上げられるか?棚が空いているか?だが機体はボンバルディア社CRJ900(寒い地区で使用される飛行機)で小型機、荷物室も低くなんとかなった。

デトロイト空港には定刻に着いたが、隣に座った若い女性はfuck,kidding me,change….。と言い通路側に座った僕と座先を変わった。外を見れば雪だった。デトロイト空港はデルタの本拠地?殆どのゲートに止まっている飛行機はデルタ航空だった。こんなの来なきゃ分からない。ここは自動車の街としての知識しかない工業都市。だがデルタの飛行機は3本乗ったが全てエアバス(フランス製)だった。

次の問題は、ホノルル行き乗り継ぎ便の座先が決まってない事。出発時刻までに2時間半あるが、ゲートに係員がいない。ジリジリ待つ1時間、9時に来たので尋ねると、数分待てば良いと言われたが、出来たとも言わない。多分忙しいからか?座席に戻ろうとすれば、掲示板には出発時刻が1時間遅れ11時に変更表示。益々絶望的なってきた。一方で11時出発と言いながらも、10時過ぎに搭乗を始めた。僕はもう一度尋ねたら、搭乗券に手書きで書いてくれた。やれ一安心。僕の搭乗は10時半だった。ここでも問題あり、ゲートの女性が長い英語を話したので、翻訳機にかけたら、上の棚に置けないときは、下の荷物室に置くよ(多分貨物室に持っていくよと理解した)。それで手荷物にバーコードのついた札を貼った。席は35A窓際。その長い英語は後から読み返すと文字なら理解できたから難しい英語で言っているわけではないが、あの速度と標準語でない英語とで、聞き取りは全くダメでした。最後のグループで入っていき、席の上の棚に載せようとしたがうまく入らない。奥の方から大きなスッチさんが飛んできて、少し後方にある棚に載せるように指示され、そして先ほどのバーコードの札は取り除いた、ここに載せるからいいだろうと言ったと思う。機体はA330。

取り敢えず、大きな関門はこれで終わった。後は申し訳ないがトイレに立つとき、隣の人に席を立ってもらう事だけだ。
飛行機は雪を被っていて、滑走路に入る前に、ハシゴ消防自動車の用な先にノズルをつけた車が機体を取り囲み放水を始めた。最初は茶色の水、次にグリーン、最後は透明。僕の認識では凍結防止剤だと思う15分くらい放水した。iPhoneで撮影したのでピントが水滴の付いた窓に来て、放水シーンはうまく撮影できてない。

デルタは格安航空便なので食事がないと思い込み、売店でサンドイッチとスプライト20ドルで買ってきたのを食べながら、液晶画面に飛行機の進行地図を見た。約1時間ほどかけて10000mに達する、対地速度も630km〜760kmまで上がる。東行きだと1000kmくらい出るので、その差は大きい。
フライトマップを見てたら、ホノルル手前270kmくらいで高度を下げ出したら速度が974kmに達した。いわゆる下り坂ですね。


そうこうしている間に食事を配り始めた。大きなサンドイッチを食べたのでもう食べたくはないが、夜の分だと思って流し込む。それもこれも自分の招いた災だ。

10時間もある道中はCAPA9月号、論点12月、ステレオサウンド24年夏号を読んで行った。iPad Proの電池が無くなりかけていた頃、スッチが用紙を配った。入島審査の用紙だ。以前はパニックなったが、今はこれが読める。少しだけ辞書を引いたが問題はなかった。やっぱり英語を勉強しておいてよかった。十分ではないが不足でもない。

さらに問題は続く、ホノルル空港かワイキキに出るには公共交通機関がない。バスはスーツケースを持った人を乗せないと書いてある。シャトルバスは予約しなければ難しいとも書いてあった。距離は14kmで歩くには難しい。空港内を彷徨いた、空港はそんなに広くないし、時間はあるのでぶらぶらと。そしたら、シャトルバスのカウンターがあった。利用を申し込むとカード支払いでなければダメ。27.5ドルだった。そのおばさんはタクシー乗り場を案内してくれた。

タクシー乗り場に並んでいると、既に客の乗った車に運転手が乗れと言う、客は一旦降りて僕のシートに案内してくれる。少し胡散臭いが乗った。そしたら、客を下ろし再び料金メーターを戻し走り始めた。運転手はこの2日間はとても忙しいと言った。途中で降り料金を支払った56ドル。チップは払わなかった。先の客がチップをあげたせいもあるだろう。僕もここからなら500mくらいなので可能だと思った。想定外は歩道は平らな石を敷き詰めたデザインを施してあるので、コロのあるスーツケースは押しにくいことだ。途中に食品スーパーがあった。あれほど詰め込んだのにまた腹が減った。出来るだけカロリーが高いもの、安価なもの。アサヒスーパードライは350mlが9.9ドル1600円のビールなんて飲めないわ。と2リットルの水を買った。全部で25ドルので仕上げた。

HISからメールが届き、ホテルのかり預け金はカードが無ければ200ドルキャッシュだと。もう200ドルもない。仕方ない日本円で払うか?フロントで手続きし、カードのない理由を話すと、なんかPCをいじってサインするように言われた。それで支払いは無かった。

このビル、部屋全体がアジアのホテルと匂いが似ている。記憶ではマレーシアに近い。もちろんここも熱帯で同じような機材(もしくは薬品)を使用するからか?

夕暮れが迫っていたので荷物を置いてカメラを持って近くを散歩した。向かうは海岸方面、店の外にテントを張り出し食事が出来る店があった。本来は僕もそうしていたはずだが、今夜はスーパーで買った25ドルの卵丼と、サラダを食べる予定。ずっと歩くとシェラトンホテルがあって、篝火、光の塔が凄い。みんな写真を撮影していた。僕も頼んで撮影してもらった。
ここが多分1番の繁華街だろう。

帰って食事、風呂、日記と進めたが、昨晩寝てなかったのが災いして8時半にダウン。

2025年2月8日(土曜日)曇りのち雨
いろんな災難が降りかかってくるが、今日の一撃は、ワシントンから出発する飛行機は朝6時発だった。ワシントンの東の外れにホテルがあって市を挟んで西の端に飛行場がある。東の外れの始発の電車は6:05。間に合わない。まずは、今日の日付でチェックアウトするしかない。一日中ホテルで寝て夕刻飛行場に行く。もしくは、予約した航空宇宙博物館を見たのち飛行場に行く。の2択だが、せっかく来たのだから、後者を採用する事に決めた。

あまり食が進まなかったが、朝飯はベーコンと卵をたらふく食った。今回の失敗は自分で招いた災難。サトウキビの世話で忙しい時に手配したから、ろくに確認をしなかった。11時半チェックアウトして、メトロ・シルバーラインでフィデラル・センターに向かった。切符のカードには20ドル残っているはずだが、昨日はこの路線で6ドル使っているので、もしかしたら空港までの切符に更に10ドル必要になるかもしれないと心配したが、今日は土曜日で料金が3ドルだった。カードには18ドル残っていた。安堵の胸を撫で下ろした。今にも降りそうな天候で外気は寒く、スーツケースを押しスマホ片手に歩くにも往生した。航空宇宙博物館は予約制で、13:00予約にチケットを見せて入場。入り口での荷物チェックはスーツケースも広げたので時間がかかった。中は飛行機を天井から3機程吊り下げていて大迫力。どこから見れば良いのか迷ったが、左の壁からまわっていこうと決めた。

カメラは15〜35ミリのレンズをつけて殆ど広角で撮影した。航空機のエンジンなんかも分解があった。近くで見るとでかい。2階に上がるとテーマは宇宙となって、月や木星土星などテーマごとに一部屋あった。もちろんアポロ11号の現物もあって、アメリカならではの博物館の迫力があった。飛行機は大きいので展示物はそれほど多くない。それに半分から右は閉館して準備中だった。ボーイングのコーナーも布を被せて準備中だった。ボーイングは株価も業績も冴えないので、ここにも影響があるだろう。

くまなく見たが1時間で見終わった。外は氷雨、もう飛行場に向かうか?地図を見れば、植物園が近く、スパイ博物館も、前者は無料で後者は30ドル。当然ながら前者。濡れて物凄く冷たくなったが、植物園は熱帯の植物がテーマであるから、強力な暖房があり急速に落ち着いた。牧野植物園からすれば世話は荒いが、広大なガラスハウス面積で特に、砂漠の植物は一部屋あって充実度がすごい(国内に適地があるからか)。シンガポール並み。そして蘭はシンガポールにお株を譲るが珍しい品種が多い。70-300ミリのレンズを出して撮影。ここで2時間ほど過ごし、空港に向かった。心配した電車賃は22駅もあったが3ドルだった。結局カードに15ドル。3000円分も残っている。

チェックイン・カウンターで早い便はないか聞いたが「ない」チェックインはできないか「できない」結局ゲートを括らず外側で翌朝午前4時まで待つ事になった。
朝食ったベーコンも腹の中で底をつき、空港の売店でサンドイッチと水17ドルで夕飯とした。トイレで顔を洗い、歯を磨いた。浮浪者レベルですね。

もうあれこれ同時に進めるのは考え直すべき時が来た、一つのことしかしない、他のことは考えない、そんな生き方に変えないと今回の旅行で一番弱いところが露呈し困った。この歳になって変革もないだろうが、失敗すると判っているのをあえてすることもないだろう。


今回の旅行で、ついていたのは、雨が降ってもジャンパーのフードを被ればなんとかなる程度で、行動に支障が出なかったこと。前半は水あたりで食べ物が喉を通らず、後半のワシントンからは調子を盛り返してきたが、お金が使えずやはり粗食だったので、酒を飲まず(飲めず)本が読めた事。

空港で日経新聞のデーターを2週間分打ち込んでなかったので0時までかかって終えた。0時からは日記の見直しで2時まで。



2025年2月7日(金曜日)晴れ
高知でも大雪が降ったニュース(高知新聞)を見、調べると芸西村の最低気温は−1.6度だった。氷が張ったかどうか?西分は暖かいからどうかな。昨晩VISAカードの不正利用で使用を止めたが一緒にマスターカードも止められてしまった。カード会社を別にしなければまずいと思った。しかしそれは今後のことで今どうするかが問題だ。取り敢えずメトロセンターに出て両替を行った。ビルの8階にある両替商で1階の受付でパスポートの提示を求めれた。2万円交換したが115ドルしかなかった。その後115ドルでは何にも出来ないと思った、思い切ってもっと交換すべきだと反省(封筒に入れた日本円は1万円札2枚と千円札しか見えなかった、おかしいなぁ、後で確認すればもう少しあった、とにかく焦っていたのでしょうね)

今までうまく行きすぎたので何かあるなと思っていたが、それがこれだった。
とにかくお金を使わないことだ。ホワイトハウス見学。厳重な警備で屋根の写真が撮影できただけ。(その頃、石破氏とトランプさんが会談してた)その前に立つワシントン記念塔を撮影し、スミソニアン自然博物館に向かった。ここを訪ねるのがワシントン訪問の目的だったし、入場料が無料なのが何よりも幸いした。事前の調べでは予約券が必要と書いてあったが、どこにも書いたサイトはなく、ガイドツアーが2万円くらいで紹介されるサイトばかりだった。行ってみるとそのまま入場出来た。

入り口のマンモス象は反対から入ったのかなくてここがその建物か不安が横切った、しばらく海洋部門を見学した後にマンモスはあった。全展示がアクリルパネルで覆われて撮影には不向き、さらに照明が剥き出しでアクリルに反射し、さらに価値を落としている。世界の美術館、博物館がもう少し照明について考えてくれたら嬉しいのだが。

だが他の面は凄い、切り口(テーマ)があれば徹底的に掘り下げ世界中から「ブツ」を集める資金があるのか、それとも、申し込み多数なのか?鉱物なんかはちょっと見られない収集があった。特に隕石方面と、宝石方面はそれぞれ一部屋を埋め尽くしている。ここでまだ二十歳前のメガネをかけキャノンのEOSを下げた青年に声をかけられた、あなたはプロフェッショナルのカメラマンなのか?と。違う、私はアマチュカメラマンだと答えた。その青年は、「アマチュアか」、と残念そうに何度も呟いていた。だがカメラはプロフェッショナルのが使うものだよと言えば、納得されただろうが、その言葉が咄嗟に出ず、別れた。あとで考えれば、それくらいの言語力はあったのに。

人類の進化、最初の人類ルーシーもいた。その他動物の進化にも骨の標本でわかりやすく展示があった。多分野に専門を掘り下げて現物と説明を加えるレベルの高さ、また次々と発見される古代の発掘や、公認の変更などに手を入れるメインテナンスなど維持も大変だ。もし何かを調べたいならここに現物があるのはすごい。

小学生の頃にこんなのを見ておけば、僕は何を目指すようになっていたのだろう。中学生の頃は英語に異常な興味を示し、以来英語に付かず離れず生きてきたが、結局は電気関係に興味が移り生涯の仕事に選んでしまったから、どんな事があっても今の形に落ち着いたかも。まぁ死ぬ間際に生きてきた60年間よりも多くの見聞を広めて一体何になる?何にもなりません!


もうお金のことしか頭になくて、午後3時半だが帰ることにした。明日も「スミソニアン宇宙科学博物館」に行く予定で、ここで予約を入れた。午後1時の予約が取れた。チップの要求があったがカードが使えないので0ドルと打ち込んだ。

帰りの電車代は5.7ドルで20ドルを使いカードに入金した。ホテルのあるLAGO駅で食品スーパーを探し、できるだけ量があり価格の安いサンドイッチを探し、水とストロベリージュースを13ドルで買った。お金がなくて行動と食事に制約があるが、まぁワシントンの目的はトランプと話すことじゃなくて、スミソニアン博物館を見ることだったので目的は果たせた。もう来ることはないが、これでよかったとしよう。

ニューヨークのメトロポリタン美術館と比べて、こちらは洗練度が低く、シャッターを押す回数が少なかった(ごちゃごちゃした展示)、帰って写真を編集しパワーポイントに整理する時、書き物が多くそちらの翻訳は大変だろうなぁ。

ここはニューヨーク、ロサンジェルスと違ってジャズのFM放送がない代わりに、WGMS放送局があってクラシック音楽ばかり流している。これがラジオなのにすごく音が良くて聴き惚れるし、選曲がなかなかセンスがあっていつまでも聴き続けられる。ラジオはテレビと違い、非常にはっきりした英語を話してくれる。作曲家やしきしゃが聞き取れる。わからなりに聞き続けていると聞き分けられるとこもある。



2025年2月6日(木曜日)雪
高知では5時とか4時起床しているが、今日は7時の目覚ましに起こされた。あまり自信のない列車旅をするため早く駅に着かなくちゃと考えたため。列車はナッシュビルで予約した。Amtarakという会社。チケットはメールで届いたが、席の指定がない。どこに座れば良いの?ウェブを探しても出てない。昨日も乗り場を確認するが時間のことしか言わない。今日も確認するが10:20に分かるとしか言わない。果たしてここでいていいのかどうか不安。じっと電光掲示板の前で待った。その間メールでは不正利用があってVISAカードを止めています。食べるものも買えない。
行先はNoforkでWasigtonではない。チケットの「列車番号95番」でそれとなく察知した。

この時ほど公共交通機関に関しては日本のシステムは素晴らしい思ったことはない。しばらくして10:20表示されたのは15番トラック(ホームとは言わない、ポートと呼ぶところもあった)。後でメールを確認すると10:23に15トラックと届いていた。みんなが15番に向かって歩き出したので僕も続いた。検札はない。エスカレーターで降りると湿ったホームにアメリカの国旗を印刷した汚い列車が止まっていた。ホームの上の掲示板は全く違う表示でこれで良いのかよ?と不安。しかし他の人の動きについて行くしかないと諦めた。

かなり先頭に行って列車に乗った。果たしてこの車両で良いのか?荷物は棚に置けた。かなり大きなものまで入るから、カバンはもう一つサイズあげても良かったかな?2+2の座席。肘掛けはない(でっぷりとした人が多いので)シートは重厚。向きは固定、半分から後ろは背中が進行方向。トイレ(アメリカはrestroom)は前方か後方どちらかにある表示がある。気動車が牽引するので出足は鈍足。窓は小さくガラスは汚れている。車内案内は聞き取れない(地下鉄は聞き取れたが)速度は199km以上は出ない。400kmを4時間で走る。ほとんどが低速で、待ち合わせなのか駅の停車時間が長い。11時と12時駅で買ったサンドイッチを齧った。出発直後にごみ収集があったが、ワシントンに着く前にはない。不安の塊で乗車したが、何かが起きるわけでもなく、興味をそそる風景もなかった。殆どが雑木林の中を駆け抜けていた為かも知れない。これを旅行の醍醐味と呼んで良いのかわからないが、パック旅行では経験できない不安と現地常識に触れられる。

ワシントンDCはかなり多くの人が降りるし車掌のアナウンスも分かった。ホームは低く、階段を4段降りてもまだ落差があった。アメリカの階段は1:1の組み合わせが多く上り下りが大変だ。階段の比率は4:3が基本。アメリカでもエスカレーターは当然そうなっているのだが。

道中「ゴロゴロキッチン/井筒麻三子」を読んで行った。パリの素敵な暮らしを紹介する書籍。これだけはモノクロKindleで読むには難しい。カラー写真が楽しいし、文字の大きさは変更できない製本な為。iPadで読む。トイレに行く時、他の客はどうしているのか観察すれば大概荷物はそのままだった、座っている人は電話中、仲間と会話、1人だけ本を読んでいる女性がいた(ものすごく決まっていた)。
食べ物を買う時VISAが使えない(まだマスターカードがつかえた)、そのことばかりが気に掛かり、書籍の内容が頭に入らなかった。
今回の旅行も船員と同様たっぷりの時間があり、本を読むのも目的だったが、なかなかうまくいかない。

ワシントンDCでメトロ(ニューヨークはサブウェイ)のお金入りカードを購入。これがなかなかのハードル高さ。しかもこれで地下鉄のカードが3枚になった。各都市違うカードが必要。レッドラインでキャピトル・ヒル駅に出て、そこからブルーラインでLAGO終点まで行く。そこらバスだったが、地図を見れば近くだったので歩いたら45分もかかってしまった。

チェックインして、ホテルのにいちゃんにどこか飯屋はないか?聞けば、近くのステーキハウスを紹介してくれた。グーグルマップに沿って進むと途中で歩道がなくなり中央分離帯を歩いた。靴は防水の作業靴だから問題ない。問題は歩道のない交差点を渡ること。片側4車線はどの車が動くのかわからない(アメリカではどこの州も右回りは信号無視可能)交差点を越えると店があった。店は混んでいて5分待って着席。単品は難しいから、セット物を注文したが、それでも選択肢があった。往生するぜ。

食事は素晴らしい物だった。腹の調子が本格的でないので、水とスプライトを注文した。アメリカの肉は硬いとかいうが、この肉は美味いし、柔らかい。味付けはオリーブと塩締めしたバジルと酢。ポテトはきんぴらのゴボウのように細く揚げてあった。オニオンスープは牛の屑肉で出汁をとり、パンをチーズで包んで焼いた物を浮かべてあった。美味。おいしい表現はウエイターに親指を上に上げる。
レシートは18%チップから目安がある。僕は15%を計算して合計金額を書き出しカードと一緒に渡した。

本当はレジで目の前で決済するのが基本だが、このにいちゃんならいいかと思いそうした。帰りは薄暗くなっていたがニューヨークよりはかなり明るく歩道のある道を遠回りだが選んだ。ホテルのにいちゃんにお礼を言った。
久しぶりにバスタブのある風呂に入った。

2025年2月5日(水曜日)晴れ
友人から、fb仲間から日本は寒い連絡、日高は雪が降っている。芸西は2度、ニューヨークは1度、大した違いではない。今日も朝寝坊、すっかり朝寝坊の癖がついてしまった。だるくて、もうちど寝ると起きたのが9時半。日記の見直しと、今日の目的を考える。まずは明日電車に乗るから駅を見にゆこう。次にミュージカルを見よう。ミュージカルは午後と夜があるが、午後あるのは「ムーラン・ルージュ」だけだった。チケットを買ってメールで確認して出かけた。地下鉄はMライン一本だが、グーグルマップは別の表示をする時もあるので要注意だ(多分地下鉄の駅が充実しているのですぐ歩くと別の駅が近くなるはず)。所要時間22分。明日の列車は10:35発だから、ホテルを9時半に出れば良いが、いつも失敗するので8時半には出なければならないだろう。駅で朝飯。10時には列に並ぼう。その思いで下見に出かけた。PENN Stationはマジソンスクエアガーデンの隣だった。前回よく歩いた8番アベニューにある。その時は気が付かなかった。外は寒く駅は地下で暖かい。出発パネルから11番ポートだと思った(この時はそれで、時刻によって変わる)。インフォメーションで聞くとこのチケットは明日だから明日来いと言う。僕の聞き方が悪かったが、大体はわかったのでこれで仕舞いをつけた。

少し歩くとフードコートがあって、トイレの表示もあったので、Sauce PIZZERIAでピザとコーラ。人が多く並んでいる店はNAYA。その店で買った人のを見ると美味そうだった。丁度の時間、1時過ぎになったので、2時開演のアル・ヒラスケフィールドシアターを目指した。案の定この通りはミュージカル劇場が並んでいた。すでに行列ができていた。後ろに並んでいる女性は美人だったので写真を撮ってくれと頼んだ。15分ぐらい並んで入場。まずはトイレ。それから座席に着く。

パリの劇場での物語で、真っ赤な照明でびっくりする派手さがあった。ウキペディアで事前にストーリーを確認。作詞作曲家志望の若者と、劇を運営するスタッフ、劇場の経営者、劇の花形スター。この4組の物語で、基本は若者と花形スターの許されない恋を、経営者が邪魔をする。劇は綺麗、踊りはキレがあり、歌唱は伸びきっている。多分何年もやっているからだろうと思うが、照明も息が合っている。

休憩を挟んで2部。今度はウキにない話が展開する。心のこもった、混み行った筋の展開に感情が乗って素晴らしい劇。多分何度も見れば欠点が見えてくるだろうが、初心者には最高点を上げたいと思った。
芸西村の田舎から出て来て、ニューヨークで自由に泳いでいるを不思議な気持ちで見た(自分をですが)こんな事も出来たんだ(できるだろうと来たのですが)

このプランは僕が生きて来た半生にはなかった。定年後、気抜きにシンガポールに娘と来てから、こっち方面に目が開いて来た。
そして1人で始末をつける枷をはめてから、俄然旅行の魅力が増して来た。それがここまで来た原動力だ。
一面慣れは恐ろしいけど、何とかなった。何とかならない時もあるかも知れないが。

マジソンスクエアガーデンデで撮影後、徒歩でホテルに帰った。途中食品スーパーでサンドイッチと水を買ってホテルで食べた。
1日の出来事を書けば、こんなに短いが、見る風景は芸西村とは一変しているから、いろんな思いが渦巻いていたと思うが、帰って文章にまとめる頃には小さなことは埋没してしまった。

惜しむらくは、この楽しくて苦い思い出も僕の中に閉じ込めるしかない。芸西村で人に話すと自慢話になってしまうから。3000枚のパワーポイントに想いを込めるしかない。

2025年2月4日(火曜日)晴れ
朝気がつくと8時半。毎日朝寝坊。どこかで朝食を買ってホテルで食べる気も起きず、そのまま出かけることにした。昨日に続きメトロポリタン美術館。今度は近代ヨーロッパ、メトロ番号では800番代の部屋。ゴッホの自画像やセリーヌ。アメリカ人はヨーロッパ人と比べて絵をじっくり見ないので混み合ってても、直ぐに目の前が空く。それと中国人は説明員でも、僕が見ている前に割り込んできて自分の客に説明する。客の割り込みなら仕方ないが、アメリカ在住の中国人の説明員でさえこの気質は抜けない。

今日もゆっくり撮影、マップを見て撮影した部屋はチェック印を付けた。ほぼ13:00には撮影したので、昨日に続き簡易食堂でカツサンドと水。チップも強制され、選択式で18%から25%の押しボタンがあってどれかを押せと言う。まぁお金がいる事。足がパンパンで湿布を貼った。歩くのは不得意じゃなかったが、今回は厳しい。食事の後は、アメリカ館、つまりアメリカの作家の絵画を撮影した、900番代の部屋。前回来た時はあまりにも筆使いが大雑把で話にもならなかったが、今回はヨーロッパ絵画と互角に勝負できる仕上がりだ。丁寧に撮影したら16:30だった。
もうホテルに戻ることはできない。休憩の椅子でジャズライブ館ブルーノート、ビレッジ・バンガードのサイトを見たら、ビレッジ・バンガードが空いていたので予約した。

セントラルパークを歩きながら、前回はニューヨーク旅行に興奮したが、2度目となれば土地勘もあって、日常的な感覚に収斂されてしまったのが哀しい。(ロスとナッシュビルはそれなりに興奮した)それで、適当にブロードウェイ近辺をぶらついていたら開演時間が迫って来て、Sラインの地下鉄駅が近かったので乗った。快速電車でいきなり目的地のウエスト4ストリート駅に着いたのでびっくり(アメリカも日本も地下鉄の駅間は同じなので、停車しないと思ったら気をつけなければならないことを発見)

駅のこの辺で飯を食って行こう、クラブは飯がない。上がると真上にレストランがあったので入った。デラックス・ハンバーガーとシーザー・サラダとハイネケン。8100円。ニューヨークは高いよ。徒歩で8分でビレッジ・バンガード。19:10着だったが、前の席は埋まっていた(ここは先着順)。それでも前から2列目。僕の座っている周りはみんな日本人だった。ウエイターの注文に「わかんなぁい」と答えていた。飲み物の注文だけなので指差せば完了だが。

59周年で演奏は多分1ヶ月近く同じメンバーで構成される寄せ集め的なジャズバンド。ビレッジバンガードジャズバンド、総勢14名。カウントベイジー楽団の様な演奏形式で一曲ごとに代表のドラマーが紹介する。連続で出演できるプレーヤーは限られていて売れてない演奏家か、リタイヤした演奏家達。ドラマー、ピアニスト、ベースはかなりしっかりした構成(そこそこ若手)。これにホーンセクションがリタイヤ組。ソロになって吹きまくったのはリタイヤ組に混じっていた若手トランペッターだけ。後はそつない演奏だが文句はない。音は抜群の調整で、老舗ビレッジバンガード面目躍如。こんな幸せをもらって良いのかな。人生の終盤に神様のプレゼントかな?

家ではジャズはかなり良い音で家で聞けるし、それなりの名盤を持っていて聞いている。そして今夜、やはりレベルに高い演奏、CDと何の違和感もない。よく考えると、かなり贅沢な話で、もっと感動しなければならないはずだが、日頃が日頃だけにこうなってしまった。

クローク嬢に5ドルのチップを払い、暗い夜道を駅まで歩く。地下に降りると浮浪者がお金をせびってきた。緊急警報が鳴って、駅員が切符のゲート横を開き早く入れと命令される。僕はのほほんと入ったが、彼らは厳しい顔つきだった。後で考えると危なかった。
再びSラインで近くのデランシー駅帰ってきた。まだ開いている小さな店で水を買った。いかがわしかったが値段は1ドルで普通だった。



2025年2月3日(月曜日)晴れ
朝は冷え込んでいて雪が降ったのか歩道は凍結。朝飯の探索。この立地は下町でいろんな店が乱雑にあるがまだ閉まっていて、電子決済できるマクドナルドに。ソーセージエッグマフィンが1300円。日本相場の2倍。もっとストリートが上がれば(中心部)値段も上がるだろうなぁ。メトロポリタン美術館は僕が絵画を見て回ろうと開眼させてくれた所。今回のニューヨーク行きはここでしっかり絵画を収めることだった。Googleマップではバスのルートしか案内がないので、地下鉄に降りてゆき、案内嬢に聞いたらスマホで表示してくれたから、それを写しお礼を言った。

Jラインと5ラインを乗り継ぐとあった。僕は数字は一方向だけの列車と勘違いして5に乗れば違う様な感じ。しばらく停車せず到着した駅はブルックリンの地区だった。そこは警官でも遠慮する地区。折り返しの電車を待って乗れば、案内嬢の示してくれた駅名が次々出て来た。86STで下車し、しばらく歩くとお馴染みのメトロポリタン美術館が見えて来た。通りかかりの女性に頼んだら、縦横何枚も撮影してくれた。彼女は水平を意識しない撮影アングルだった。シニア料金を指定し支払う。

この美術館はトイレが少なく見つかりにくいことだ。勿論アメリカのトイレ同様汚ないのとお湯が出る。催すごとに持ち場を離れてトイレを探しウロウロする。(アメリカではトイレが通じなくレストルーム)

彫像、器物をパスして先ずは絵画コーナーへ。SDカードを忘れて来てJPEGで撮影していたが1300-1800年イタリアのコーナーが出て来てRAWも同時を選択すれば、JPEG6000枚可能が1300枚に激減した。4500万画素のカメラだから仕方ない。今回はEOS R5と15-35F2.8のレンズ構成。僕の手持ちでは最高のカメラを持って来た。手ブレを前提に1/25でISOは自動とした。
2度と来られないのに毎回失敗しているのでかなり慎重に狙ったので時間を食った。
ヨーロッパ1300-1800年の絵画、メトロ600番台の部屋を網羅するだけで閉店の5:00が来た。

帰りにベストバイで128GBのSDカード3600円を購入。帰りは適当に乗ったが間違いなく最寄りの駅に到着した。
ホテル前の食料品店でビザと水を買って帰ったら、大きな問題が待ち構えていた。ホテルの2重予約の解消にブックコムに電話するようにフロントで言われた。
電話番号を教えてもらったが、最の仕分けでプッシュボタンを何度も押す必要があって、適当に押すとどんどんと階層が深くなって諦めて切った。
繋がった時の言うべき事を書き出してもう一度電話。今度は少し理解できてカスタマー・サービスに繋ぐ選択が出来た。
客待ち5分だと言われたが10分経って繋がった。こっちの要件を話すが中々通じない。僕の推測では、ホテルはダブルブッキングを許すので、ブッキングこむからの手数料は取り消してほしい
多分こんな事を伝える必要があったはず。メールなら作文できるが電話の聞き取りと返答はできなかった。フロントの女性(カサンドラさん)が電話を代わってくれて一件落着
ありがとう。「Your welcome」と淡々としたもの。川向こうはブルックリン。危険でもあるが人情のある町。彼女がそこの出身なら今回の対応もわかる気がする。
溜飲を下げたとはこう言う事だろう。色んな事があったが今日も一応まぁるく収まった。

2025年2月2日(日曜日)晴れ
移動の日。10時にチェックアウトし3番バスで、バス・セントラルに行き、丁度18番(空港行きは18番だと知っていた)にバスが停車してたので飛び乗ったが、どうも行先が違う。慌てて降りたら、ナッシュビルの郊外住宅地。バス停で春の日差しを受けて待つこと45分、飛行機は夕刻だから心配なし。

今度は慎重に出発パネルで確認。13番ホーム(ベイと呼んでいた)運転手にも確認。無事空港に着いた。が、腹の調子が良くない。水当たりした感じ。外の待合場所で1時間ほど本を読みながら待つ。本は「狂人達の世界一周」イギリスのサンデー・タイムスがヨットで世界一周を最速で行ったものに賞品を出す、これに参加する船乗り達の物語。過酷な環境で生きる人達を取材。精神的には励まされる筋だが、書き方が暗く、胃腸にこたえる。1時50分が来たのでチェックインし、A〜Dまでの出発ゲートを探索。Cが一番充実している。DとCには流石ナッシュビル、ここにもライブがあった。最後にCゲートに行ってOEL REDの店でオクラホマ・ハンバーグとコーラ。腹の調子がまだ戻ってこないのでポテトチップスは残した。(ものすごく美味しかったが脂濃いので自制した)

HISから出発が17:55に変更になっている連絡を貰っていたが、当初の17:35には駐機場を出ていた。僕はたっぷりの時間があるから、B3ゲートで居眠りしながらずっと待っていたので問題はなかった。ニューヨークは2時間の飛行。向こうの天候は晴れだと言ったが着陸した時は窓に雨粒。
出迎えの車を手配している。もう9時半なので、地下鉄やバスで間違うとホテルに到着しない恐れがあるから。ブッキングコムから運転手はクリスティンさんだとメールが来た。インターナショナル到着口で待っている。僕は国内便だから移動しなければならない。さて国際空港はどこか?(後で分かったがターミナル7と8が相当する)しかしその時は不明でターミナル4に出て電話した。後10分で着くメール、C3で待て、車の外観写真も送ってきた。

だが見えない。電話があって、僕を認識したと。車はC2のところで真ん中のレーン止まっていた。だがもう安心。氷雨の降る中マンハッタンに向かった。ずっと高速道路だが40マイル近辺。一般道に比べて信号停止がないだけか。大体が3車線。それが複数並列、あるいは立体、交差する。車列は途切れなくまぁものすごい燃料が燃えているなぁ。これじゃ地球は保たんぞ。と思いましたね。マップで車の移動軌跡を見ながら。昔と違って知らないところに連れて行かれるのは察知できますね。1時間かかって到着。チェックイン。

話が少し長いので理解できず翻訳機に向かって言ってもらった。ロビーのコーヒーが無料、夜はホテルのドアをキーで開けて入って下さいとの事だった。
部屋は狭いがキングサイズベッドで安心。風呂はなし。整腸薬の「モサンプリド」を1錠飲む(病院でもらった薬を残しておいた分)

2025年2月1日(土曜日)曇り
目が覚めると9時、昨晩の食の残りを食べて出発。部屋のチップは3ドル。まずはバスセンターへのバス停確認。バスはなかなか来ないから徒歩でダウンタウンへ。ユニオン・ステーションを超えると歩道の人は増えた、みんなダウンタウンに向かっている。区域に入ったところに、ミュージカル劇場があった。ここはすごい行列。それから音楽パブが立ち並ぶ区域、最初の「legend店」はもう一杯に近い、僕はその隣の紫の店に入った。昨日は入れなかった店。腹の具合が良くないのでビールを頼んだが少しだけのみ後は演奏を聴いた。演奏者みんな歌を歌える。彼らが困っていたのは、どの曲を演奏するか?客の反応がないので仲間内で冗談を言い合いながら決めていた、それはどこの店のアーティスト達も同じだった。ここもQSCのPAスピーカーだが、音は抜群に良い。音質は店の感覚によるか。店名は「トッティーズ」開業した女性の名前。

カントリーミュージックにはバイオリンが付き物でこのバンドにも居た。そして当然の如くドラムスがいる(ドラムスのいないギターだけの店もあったが客の入りは良くない)このバンドは時々音程を外す。一番前に座ったおじさんは、僕と同じくらいの年齢だが、このバンドが好きなのか、この雰囲気が好きなのかノリまくっていた。仲間内で騒いでいる客達は演奏を聴いてない。僕はその中間的存在かな。店の会計は現金かクレジットカードで、その点でも80年代の様式をひきづっていた。
それからバスセンターに向かった。ブロードウェイから左に折れる道を登る。ここも日本橋と同じ様に、メインストリートから外れても店があった(光無線とかなにわオーディオのような感じの場所で)。バスセンターはWe go と言う建物か、バス会社の名称か?先日空港の案内で聞いた時同じことを言ったので、「案内の人たちもみんなそれを利用するかWe go 」と言ったかな?と思っていたが、先に多分その前にWe colledが入っていたはず(聞き取れないぞ)
ここで空港行きのバス停を聞き、地下の18番ホームだと言われた。そこは暖房の効いた待合室が近くにあって、18番のバスは11時に出発の表示があった。
目的は達して、ダウンタウンに戻った、ブロードウェイを横切ってカントリー・ミュージック・博物館に向かった。

ここは半分意気消沈する場所。半分はアメリカ人気質を知る場所かな。カントリー・ミュージックの隆盛は60年〜80年代、既に峠を越している音楽ジャンル。有名アーティストもその頃の人たちが多く、既に故人。その人達を懐かしむ服やギター、映像がケースの中に鎮座していた。「昔は良かった」と言わんばかり。こう言うのは落ち込むなぁ。

それにカントリー・ミュージックはバイオリンが付き物だけどケースの中にはなかった。エルビス・プレスリーの車があって圧巻。壁面にゴールドディスクが並べてあった。今やLPを知らない世代の人達が多いが、皆んな記念撮影をしている。ビルボードのチャートもあったが、今はどうだろう?測定基準が配信だから難しいだろうなぁ、Spotify(スエーデン)が配信を牛耳っているから。

アメリカの音楽を支えたカントリー・ミュージックを僕はほとんど知らないが、アメリカ人には日本人の昭和の演歌の様に心に染み付いている。これは驚きだった。僕の知識はカントリーは亜流で本流はイギリス、アメリカでヒットしたPopsだと理解してた。まぁ本番のナッシュビルとしては其れにしがみつきたい気もあるだろうが(高知が幕末を坂本龍馬一本で寄りかかる同じ感覚)確かに、この町では車からもラップの音楽は聞こえてこない、電子楽器はほぼエレクトーンレベルでシンセの音もない。

博物館を後にしてブロードウェイを再び横切りライマン・ホールに向かった。道中どの店からも音楽が聞こえてくるが、BGMではなく、生演奏だ。ライマン・ホールでツアーを見学これが高い、歴史を紹介されてホールを見学。今日のライブの準備をしてた、メインの操作は席後方にあった。左のコンソールは多分照明だと見た。

出口で係員に翻訳機でチケットはどこで買えるか尋ねたら、向こうも翻訳機で日本語で答えてくれた。それからチケット売り場に行って、日本からのお客様だよと案内してくださり、中央寄りの良い席を準備してくれた。開催時間は8:00。行きは良いが帰りは怖いなぁ。徒歩でホテルに帰る。帰る途中スーパーで夕食を買った。

ホテルで食べて少し寝た。6時半にホテルを出て徒歩で向かった。すっかり暗いが人通りは多く不安はない。ダウンタウンは人でごった返していた。往年の日本橋と同じ。ライマン・ホールは更に一杯。入り口でライマンさんの銅像があって記念撮影をおじさんの人に頼んだ。会場では1組だけ日本人らしきを見た。

ここまでは来ないだろうか、もしくは夜の外出は避けているのかな。
みんな船長の帽子をかぶっているので隣の人に聞いたら、船長の帽子だよ。それはわかっているがどうしてなのか理由が聞きたかった(後でわかったのは、このバンドはヨット・ロック・レビューだから。

演奏は80年代の音楽だった。お客さんもそれに呼応する年齢層。開演時間は8時だがそれまでは客の話し声が大きく後ろで流れるBGMが聞こえない。ビール、炭酸飲料、ジン関係、ポップコーン、何でもあり。始まると大きな声援でみんな立ち上がった。だが年齢が年齢だから次第に座って行った。僕の前の50代後半の夫婦も立ち上がって騒いでいた。時折キスも。楽しんでいるなぁ。

僕の50歳代は慣れない管理職が回ってきて音楽も私生活も全て棚上げして、全て定年後に回した、家族で楽しむ余裕などなかった。それが家庭を壊したが、もしは、ありえないが家庭の配慮をしたなら僕が壊れるか、収入を断念するかだった。選択肢はなかったと思う。今でも反省はない、反省したら自分を否定するから。

ドラムスのチャリーンとサックスとギターの鳴きで十分音楽が身体に染み渡った。アメリカ音楽はテーラー・スイフトとかレディガガなど最新を追いかけなくても、80年以前の懐古主義に走っても良いと思った。
終演は22:30だった。バス乗り場に行ったが暗くて誰もいない、これはやばい。コンサート流れで歩いている人が多く、これについて行けば安心と判断して徒歩で帰着した。何とか今日も無事に終えて良かった。帰ると子供達から安否確認のメールが届いた。

2025年1月31日(金曜日)雨
8時半に目が覚めた。食欲はないが昨日のスーパーにでかけて、サラダとサボテンのジュースを購入。日経新聞は2024年11月9日を表示したまま固まる。他のiPadも同じ症状。仕方なく電子版で読みながら餌を流し込む。それでもエンジンはかからず、アクセルを踏んでも排気管から煙が出る状態。身体が動きたくないんだなと思い、掃除のおばさんに声をかけて「掃除はなしでお願い」を頼んだ。次に起きたのは1時半だった。朝のはなんだった?
重い身体を持ち上げてダウンタウンに急いだ。歩くこと40分。おかしいな。グーグルマップを開くと反対方向に進んでいた。それから60分歩く勇気はなく路線バスを待った。バスは歩いている時、7番の紫色のバスが通過してたから間違い無いだろう。2ドル現金で支払う。
バスはブロードウェイをダウンタウンのメインストリート直前で曲がったので、慌てて紐を引いて下車を告げた。

見渡す限り道の両側にライブの店が並んでいる。1980年代の大阪日本橋の電気街に似てますね。どこの店が安いだろうとウロウロした記憶が蘇って来た。まさに同じ感じ。1番の共電社に相当する店(レゼンド)は流石にいっぱいで入れない。その隣のシマムセンに相当する紫の店も入れず。もう少し行けば、パンチ太陽に相当する店でいいドラムスが流れてきた。ここに入店。ビールを頼んで聴く。日本人のバンドでもこの様なギター演奏はできるだろうが、ドラムスはちと難しいだろう。スティーブ・ガットの様に、ガツンと決める。その決め方は肉食人じゃなければ無理じゃないかな?店はthesecondf iddle。シンバルの音は家でも出せるが、ドラムスの音は無理だ。入れ替えなしでずっと演奏していた。気持ち良い時間だった。

今度は道の向こう側に渡って店を物色、低い低音が流れて来る店に入った。やっぱり日本橋と同じで、良い店は道の片側に集まっている感じ。ここでは、ミッドタウンからダウンタウンに向かって左側だ。そして行った店は右側だった。座って聞き馴染むと、どうやら低い帯域の低音の締まりがない。PAはQSCのスピーカーだ。スイッチング電源を使ったアンプ内蔵のスピーカー。前の店はJBL。間奏にギターのインプロビセーションがあり惹かれるが、全体の音のまとまりがなく退屈。演奏よりも音を聴く僕には無理だった。

各店でビールを1本づつ呑む。チップも含めて10ドルで昼間から楽しめると思うと、なかなか良い時間の過ごし方。iDは使えずクレジットカードか現金。ビールは銘柄を指名しなければならない。最初はクアーズ、2軒目はHAP&HARRY'S。ダウンタウンは治安良くないから5時にホテルに向けて出発した。教会があったので撮影していると、ガードマンがこの周りは教会が多いよ。それで引き返し1区画を撮影しながら帰ったのですっかり暗くなった。トイレも近くなって大きな食品店に入って用を足して今夜の夕食、それでも5500円。更に暗くなってミッドタウン区域に入ったが、人が歩いてない。車は多いが。きっとやばいのだろうがミッドタウンなので良いかな。信号と信号の間は少し駆け足。何とか無事ホテルに帰った。

今日の冒険は半日のみ。まぁゆっくり休養できたから良いか。



2025年1月30日(木曜日)曇り
出発便の3時間前にホテルを出た。昨日地下鉄のおじさんに尋ねるとEラインとKラインで行く方が早いと言う。ウェブの紹介ではAライン、Cラインを紹介してた。僕は地下鉄のおっさんの方を信じてE、Kラインで行った。客は3人。おかしいなぁ。終点で降りると既に1時間半経過。どこにバスがあるねん?探していると通行人が「あの看板で待て、次のバス停で降りれば良いと」。それが最後まで行ってしまい、もう一度バスに乗り換える。結局この路線はA、Cラインの客を拾って空港に着いた。もう残り30分を切っていて、チェックイン、ゲートを通り抜けて24番ゲートに付けば、最後の客だった。ホテルから3時間を要した。でも地下鉄と空港内フリーバスの構造がよく分かった。人間は、便利だと思われる仕組みを作る。だが、仕組みのわからない外部の人間は、自分の中の仕組みに当てはめようとする。それで混乱がある。でもそれは何処にでもある話でだんだんと慣れてくるものだ。多分冒険は最初の数日が冒険であって、以降は思った路線に乗れる、そして飽きて来る。と、思う。その頃が帰国するタイミングだ。

デルタ航空はLCCなのでジュースのみ。結局朝飯なし、昼飯なし。ナッシュビルまでは4時間。しかし時差2時間を加えると、到着は午後4時。バスがおすすめだとネットにあったので行くと乗り場はない。更にそこの案内嬢に聞けば黄色いバスのところに並んでいれば良い。結局バスを発見できず、ウーバを試すがコネクトできず、最悪のタクシー。運転手に住所を見せるが読めない。口頭で伝えるとunderstand。35ドル+チップで42ドル。無駄な出費。

ホテルでチェックイン。再びクレジットカードで精算。おかしいな、一度払っているぞ。もう一度フロントで聞けば出発時に払い戻しする。と言う。
荷物を解き、再びフロント嬢。ライブハウスは何処か?伝わらない。「飲みながら音楽を聴く場所」で伝わった。翻訳アプリを持っているが、やはり自力でいきたい。

店はThe ROW.今日初めての食事。サラダは丸ごとレタス。フライドチキンは潰したジャガイモが添えてあった。ビールを注文した。「取り敢えずビール」では通じない。どんな種類のビールか?そう言われもなぁ、モルツとかの製造方法なのか、もしくはブランド名?そしたらラガーでは?この店だけのWhat kind of beerだった。

その後ライブの部屋に行った、精算は別々だった、失敗だ。チップを2回払うことになる。歌は殆ど知らないが、一曲だけノラ・ジョーンズの曲を歌った。音程が狂わずもう少し重ければ行ける。次登場した女性も同じ感じだが、こちらは美人。両親を連れてきていて、誕生日だからハッピーバースデーをみんなと一緒に歌った。

帰りは雨が強くなって、遠くのガソリンスタンドに併設のコンビニまで水を買いにゆくには嫌だなと思ってたら、すぐ目の前に食品スーパーがあった。何時に閉まるのか聞けば9時、良かった。



2025年1月29日(水曜日)晴れ (29日は2日分の記事です)
急に冷え込んだ。とはいえ2度。でも芸西村にいては世間がわからない。ここは温暖だから。他所では極寒で震えているかもしれない。
準備が整い飛行場まで送ってもらう車を待つだけとなった。忘れ物がないかもう一度思い起こしてみる。無いとわかってても妙に落ちか無い。それは小人なため。今回は列車で移動しないから、大阪に着くまでに気持ちの切り替え時間がない。芸西村のバタバタ感覚で大阪に到着する。

伊丹空港は随分と変わり到着口で荷物を受け取るのは2階で、モノレールへのエスカレーターが短くなっていた。
梅田で荷物を預け、梅田北ヤードを散策した。広い公園は見つからず漂流していると、西の端に区切られたエリアにグリーンを敷き詰めた広場があった。目的は果たしてヨドバシカメラでテレビを観るがパナソニックのテレビは少なくソニーとREGZAが多かった。中国製はドギツイ色彩だった。暗部の引き込みは液晶も有機ELも違いは見分けられない。動画応答の差はデモ映像で分からず、65型以上はどの形式でも解像度不足。

シマムセンに行くつもりだったが生憎と休日。木曜日が休みになんだけど。それで阪急百貨店を探索。婦人服ブランドショップはハンガーの間隔がどの店も整列されてないが、従業員はプライドを持って立っていた。客が居ない時計のブランドショップは時計があったので計測した。スマホから、あるいはPCから何秒で僕に気がつくか?平均45秒。とても遅いぞ。

関空には3時間前に到着したが、もう並んでいた。先のミュージシャン達が機材の寸法か、重量かで揉めていて1時間ほど待ってやっとチケットをもらえた。冒険はここから始まる。知らない文化に接するにはどうしてもアメリカでなくても良いのだが、オリジナルの旅行では英語圏は少しだけ安心。

機材はB787で50列目の後方、少しだけ期待したが、当たり券を引いていた。4席の内私一人しか予約がない。食事後、全席占有して横になった。エコノミー席ビジネスクラス待遇だ。枕も3つ使った。

ロサンゼルス空港の入国審査は1時間。前回は3時間。何処に行くか?お金はなんぼ持っているか、何日滞在するか聞かれたが、日本人は概ね短時間。前回乗り換え便に乗れず8時間待った。それが嫌で、ロサンゼルス泊。到着すると、SIM設定。無事開通し第一関門を潜った。

ダウンタウンにはバスと地下鉄があるが不安なのでバスを選んだ。Flyawayのバス。乗り場を探し並ぶと直ぐ来たので、横の扉が開き荷物を入れようとすれば「UNK、、」と言う。おかしいな!
ロサンゼルス?と聞けば違うような回答で荷物を取り出した。更に待つと、Union Station行きが来た。これだ、iDで支払いができた。

Union Stationで降りMIYAKOホテルをGoogleマップで検索して歩く。誰もいない、いても浮浪者が寝ているところを歩く。これは相当やばいなぁ。Google mapの設定が自動車になっていたので遠回りだった。しかしこの駅周りを1時間も歩いたのでよく分かったし、地下鉄の存在もわかった。

ホテルでWi-Fi検索。何処を探索すれば良い?科学博物館にしよう。
地下鉄の乗り方も覚えられるし。それでリトル東京駅から乗ったら反対方向行きの電車だった。Union Stationで下車、向かいの電車に乗ろうか?迷っていると駅のサポートが来てどうした?ここに行きたいと列車の駅を示すと、この列車でリトル東京駅に行き、そこでサンタモニカ行きのEラインに乗れば良いと教えてくれた。そしてリトル東京駅に着くと先ほどのおばさんサポーターが又近くに来て、行き先掲示板を示し、アレに乗れば良いと教えてくれた。これが、アメリカだ。正しいアメリカ人を見て嬉しかった。これがオリジナル旅行の良さで、パック旅行にはない。

科学博物館は入場無料だった。エンディバーの現物には感動した。外壁のタイルは燒け焦げ、一部は崩落してた。アメリカならではの展示だ。
次はディズニーコンサートホールを目指した。ここで問題発生。地下鉄のカードで外に出れないのだ。ふたたび駅の係員に聞くとKeep it。このいい加減さ。改札口を先の人について通り抜けた。地図で見ると近くだったが、歩くとロサンゼルスの街は結構な坂道で到着した時は既に暗くなっていた。
この界隈にはレストランが無く、ホテルの周りは日本食ばかりの店。それは遠慮したい。コンビニでサンドイッチを買ってホテルで食べた。そのうちに眠くなって午後8:30に寝た。


2025年1月28日(火曜日)晴れ
出発の準備、16泊の着替えは多い。そのままでは鞄に入らないが、圧縮袋を使うと何とか収まった。カメラは1本に変更した。iPhone関係は充電の口が2種あって、コードを用意するのが大変。一応準備ができたので、プールに行った。結構冷えているなぁ、芸西村を出ると暖房のメモリを上げたし、窓も閉めた。北の方を見れば雪が降っているし、風もあった。上向いて泳ぎながら構内の天井の間から空を見れば、真っ黒い雲も時折流れてきた。もしかしたらJRは止まるのではないか。切符を買いに後免駅に行けば、やはり夕刻から明朝にかけて運休との案内。

倍近くする飛行機を予約した、帰りに当面食べられなくなるお寿司を食べた。「くら寿司」さん、注文もスマホ、支払いもスマホ。そして味はすごく落ちていた、競争激化とネタの単価上昇で、ぎりぎりの提供だろう。味音痴の私でさえ、これはひどいと思った。日経新聞の魚価を毎日つけているが、この欄に掲載されなくなった魚種もある、「ふぐ」は時々しか掲載されない。魚が減っているのだろう。高知は一般に流通する魚以外にもいろいろ美味しい魚があるが、チェーン店では一括調理なので、ローカル食材をうまく活用するすべがないのだろう。

夜遅く、飛行機代の支払いをするとき、スカイコインに気が付いた。ANAのマイルを飛行機代に充てるのだ。この手続きで支払いは半額になった。よかった。

2025年1月27日(月曜日)曇りのち雨
午後`から雨予測だったので、朝一、お墓と神棚にシキミと榊をお供えした。旅程とホテルの確認をエクセルに一覧表にして、海外保険証を取り寄せ、息子と娘にメールした。

午後一はおゆげ様のお供えで近所の人たちが集まった。草は伸びてないが小さいのがあって皆んなが集まる前に刈っておいた。雨で登りは立てないことになって、明日の午後引き下げの作業もなく1時に終えた。

この一年農作業で着たものを全部広げてビニール袋に詰めた。下着と靴下は16泊分。シャツは7着。パンツは2着。これらは全て行先で捨てて来る。行きはカバンがいっぱいで、帰りはお土産でカバンがいっぱいという計算。お土産は自分用で、ナッシュビルでレコード、メトロポリタン美術館の書籍、スミソニアン博物館の書籍でいっぱいになるはず。近所の人には大阪でお土産を買うつもり。

今回は初めて数カ所を回るので、ホテルを自分で予約した。果たして上手くいくかどうか不明。まぁ都会のど真ん中なので、探せば他のホテルもあるだろうとたかを括っているが、上手く話せるかどうか。

それと、毎夜毎夜、かなり気持ちの良い音楽を堪能してから寝ている。それがなくなるのが心配。しばらく途絶えると耳が渇望しないかどうか?iPhoneに音楽は持ってゆくが、ここで聴くシンバルの「シャーン」は再現できない、このシャーンのために生きている様なものだから。

2025年1月26日(日曜日)晴れ
一転寒くなったが、今日は赤野の親類のナス収穫手伝い。7時半ビニールハウスの中は暖かく、日が登った8時半にはもう汗をかく状態、9時過ぎるとシャツが濡れてきて、トイレで外に出ると汗が冷えて寒いのなんの。11時まで収穫、久しぶりに長時間汗をかいた。
ナスは下から15cmくらいの所から、180cmの高さまで不均一に実っているので、しゃがんだり伸び上がったりの連続で結構な運動。
自分の身体はこの様な激しい運動に適していて、何もしないとどうも調子が悪い。いずれは老齢で動けなくなる、その時が寿命だろう。
早く終わったので、伝承館に行って、仲間が清掃をしているのを手伝う。あらかた終わっていたが顔を出すのが重要だと思った。

12時に帰ってきた。食事をしながら、「地図なき山」を読む。地図なく山に近づくのはそれだけリスクが高い。一面釣れる魚も大きく山に生かされているが、もし誤って転落すれば、今度は魚や動物の餌になり、生かし生かされしているのが山と向かい合うことだと言う。地図やスマホを持って登れば山との間は遠ざかり、命のリスクはないが山の真実は見えないとも言う。この人もやはり僕と同じく動けている間が華だ。

芸西村で元気な老人を見ていると、こんな生き方でも良いのではないか、そう考えている人は結構多いのではないかと。

今夜は仕事でアジアの国を回っている時買ったDVDを見ている。インドのダンスが好きでこのディスクは多いが、今夜は1本だけ、それからサンタナを観た。再生専用のBDプレーヤーはレコーダーとは音が違いディスクの真髄的な音が出る。LDとは違い中域音が太めでスピードがある。アンプもCDもスピーカーも違いメディアの比較にはならない気もするが。

トランプは同盟国のコロンビアに25%の関税をかけて、1週間後に50%すると脅している。むちゃくちゃ。世界を引っ掻き回している。サトウキビを食わないが齧り倒しているイノシシと同じ、「倒すのが面白いらしい」嵐が通り過ぎる4年間をじっと待つのが懸命な生き方だろう。

2025年1月25日(土曜日)晴れ
伝承館の仕事が終わりホッとしているのかだんだんと腰が重く日常をテキパキとこなしてない。こなさなくても生活は回ってゆくから。まぁ寒い間は緩慢に動いてもいいではないか。昨年行ったウィーンのアルベティーナ美術館で見た、アルビン・エッガー=リエンツ「老人」を描いた一枚は、素晴らしいものだった。年老いた男の生き方が顔や姿に滲み出ていい味を醸し出していた、老人とはこうでなくてはと思わせるものがある。そして自分がこの絵の主人公の年齢になっているに関わらず、僕には「醸す」物がない。今更どうにもなる物ではないが。

きまさごのサトウキビ枠修正は本日完了。つくね芋の整地にも着手したが、この畑は風が吹き抜けて寒い。ネジを外す工程のみで終了。伝承館へモノタロウで代理購入した品物の領収証を持ってゆき机に貼り付けた。明日は伝承館で清掃の日。僕は赤野でナスの応援で清掃には参加できない。

ショスタコービッチのSymphony8番/ヤンソン指揮ピッツバーグ交響楽団で聞く。すごくダイナミックな演奏をする、眠くなりかけた頭にガツンと活を入れるような演奏。先日タワーレコードのメールに反応してアンドリス・ネルソンズ指揮も注文した。どうやら今年はショスタコの年になりそうな気がする。

2025年1月24日(金曜日)晴れ
昨晩歯を磨いていると詰め物が取れた。歯医者から歯間の掃除に糸ようじを使う様指示され、その糸に詰め物が引っかかって取れた。イトオカシだ。
だが行きつけの歯科医は空きがない。電話で探しあてて今すぐ来てくれと相談に乗ってくれた。皮肉にも行きつけの歯科医のすぐ近くだった。旅行前には色々とあるのを覚悟しているが、思わぬところからやって来る。出かけたついでにブルーレイプレーヤーの修理完成の電話があったので安芸市のヤマダ電機に回収。26000円。BDドライブ交換。ピックアップの故障だが、モーターもトレイドライブも一式交換するようだ。車も多分この様にユニット交換で修理をするから高いはず。確実性とスピード重視かな。
この隙間を縫う様なアマチュア修理屋が現れもおかしくないがどうだろう。

そのBDプレーヤーCDの音が出ないなど色々設定を変えてあったので思い出すのが大変。でもきちんと設定して聴けば、先日まで聴き込んでいたLDとは又違った音色で楽しめる。主にクラシック方面に得意だ。BDディスクで2020年東京JAZZのライブ録画も見た。これはHD画質だったが、HDMIテレビ直結で結構鮮度の高い映像が見えて良かった。電源周りを固めればもっと良くなるはず。

地図なき山/角幡唯介を読む。日高山脈に地図を持たず登坂する厳しい話。自分の感だけが頼り。この好奇心は好感度が持てる、僕の生き方にも近い。アメリカ旅行も現地プランがないのも、自分の感が頼り。遭難は無いが言語の壁の登坂は高い。然も先日買った翻訳ソフトは誤変換が多い。当てになるのは五感だけ。爺さんには自然の中での冒険はできないが、それに近いものがある。翻って思うに、今度会う予定の友人も一種の冒険家だろう。どこに冒険を感じているか聞き出してみよう。

2025年1月23日(木曜日)晴れ
森林浴はフィトンチッドと呼ばれる殺菌作用を持つ揮発成分が存在し森の中にいるだけで健康に資するらしい。と日経新聞で読んだ。我が家はまさに森の中にあって、落ち葉が樋ににつまり往生している。生活が森林浴だ。その上毎日気持ちの良い音楽を聞く。こんに幸せなことはない。

音楽を聞くのは昔からの儀式だったが、定年まではデモに使う部分だけを聞くような聞き方だった。それでは音楽の真髄がわかるはずもなく、音楽は好き、と言う形だけで生きて来たかもしれない。アルバムの最初から最後まで聴くのは定年後テクニクスのショウルームに勤めてからだ。高知に戻っていた僕に東京行きを父はかなり残念がっていたが、最後の希望だと行かせてもらった。結局それが父の死期をを早めたことに繋がったが、今でもこれは間違ってなかったと思う。子供の学費を稼ぐ目的もあったが、音楽と過ごせた1年半は大きい。もしこれがなければ、その後、高知で1人で生きてゆくことはできなかっただろう。

音楽はなかなか体に馴染まないから繰り返し聞かないと真髄が分からない。繰り返し聞くには今のアルバムは枚数が多すぎるが。(アルバムを持っていることに幸せを感じる部分もある)
今回の旅は、ナッシュビルでカントリー・ミュージックを聞くつもり。土曜日放送のNHK-FMのピーター・バラカンの放送を録音して聞き始めている。この放送で流れるような音楽がナッシュビルにあるはずだと思っている。体系だって知識を得てないが、ニワカ・カントリー・ミュージックファンとして取り敢えず現場の空気を吸ってこようと思う。ファンになるには帰ってからその空気に会う音楽をじっくり見つけ聞くことだろう。ジャズとクラシックにカントリーが加わるはず。
現地での問題は、ライブハウスのある場所からホテルまで1.5kmの距離。昼間なら歩けるがライブのある夜はどうかな?ウーバー利用かな。

農作業だけでは有酸素運動はできないから、今日はプール。ほとんど人がいなかったのでゆっくりと2500m1時間半。昨晩よく寝たから今日は元気があって一気に泳ぎ切った。

自宅に帰って食事をしていると料理の先生が尋ねて来た。台所で冷蔵庫の置き場所がない相談だった。流し台とみずやと冷蔵庫。この3点のレイアウトが決まらない。大きな問題は冷蔵庫の奥行きが70cmある事だった。それで色々と動かして最適地を探るが、フラフラするのは台所の縦横の寸法をはっきりと記録してないことだった。結局は再度採寸後もう一度相談となった。まぁ老人には結構な難題でもあるが。


2025年1月22日(水曜日)晴れ
父と共に芸西村丸二園芸組合(現在のJA土佐安芸集荷場)を支えて来た名士が亡くなった。葬儀は大勢の人が礼拝するかと駐車場の心配をしてたが、それほどでもなかった。インフルとコロナの最盛期で外出を控えたかも知れない。享年91歳では友達の参列は厳しかったかも知れない。これで近所の「昭和」が絶えた。芸西村にいると死は身近な存在だ。救急車がやってくると飛んで行ってた婆さんも、頻繁な出動で興味を失ったようだし。

それで、きまさごの枠修正は少し早めに作業を終えたので、もう一日終わりが伸びた。併せて隣で造成している道は高度を上げて我が畑と同じ高さになった。もうすぐ右に曲がるところで売却済みの我が土地に進み、道路は畑よりも高くなる。先の亡くなった方の家はこの下流にあって、ダムができる事で一番恩恵を被る立地にある。春風が吹き気持ちのいい中での作業だった。

夕食が少し遅くなったので、それから何かをするには疲れていてFBI-Internationalを2巻見てこのドラマは終了した。

車検工場から連絡があって、車はオイルと水が少し漏れて入るが車検は通る程度。修理には10万円以上かかるのでやめた。との事。芸西村近辺を走るにはこれで良いのかな。冷房と暖房は効くので取り敢えず車の役割は果たせそう。

2025年1月21日(火曜日)晴れ
完璧な春の陽気。当初はプールの予定だったが勿体無いので農作業。蚊の攻撃激しく線香必須。サトウキビの枠撤去は後2日の工程となった。
息子と共同で乗っている軽ライトバンを車検に出した。もう古くて部品もない。壊れたら廃車。でも不急には必要なので大事に乗ることにした。息子が生まれる前から乗っている車なので手離したくない気もする。カメラの購入を控えたら車は買えるけど決断できない。

旅行のプランも立てなきゃならない。いつも行ってから決めるいい加減な旅行だが、候補のリストアップくらいは必要だろう。今回の旅行で決めたのは乗り継ぎはしない。それで、着陸した土地で1泊する。脚を伸ばしてベットで横になる。ビジネスクラスのフライトを使うよりはよっぽど安価。それで初日であるロサンジェルスはダウンタウンをぐる〜と一周して疲れたところで寝る事にしようと思う。ホテルはダウンタウンの真ん中でミヤコホテル。翌日はナッシュビルに向かって移動だ。多分これで体は現地時間に順応しているはずだが。老人の体はどうなるか不明ですが。

映画とトランプの関係が実現しそうだ。
いよいよ「バッドマン」の住む世界ゴッサム・シティが誕生しそうだ。権力が一箇所に集中して、異様な仕組みの中で生きざるを得ない。法の支配はとんでもない世界が誕生するかも。
「2001年宇宙の旅」も視野に入る。HALLコンピュータが世界を牛耳る。AIについては規制が野放しになる。大手は規律を保つだろうが、スピンアウト組みがとんでもない事(後戻りできない)をしでかすかも。誰もAIの怖さを知らないのが怖い。
もしくはNetflixで配信の「3体」の様に、人類は自身で問題解決できないから、地球外の優れた文明の生物に、この混沌を収めてくれと頼むかも。
この4年間に起きるのではなく、この4年間でねじれた現象がかなり近い未来に現実に起きるかも。

2025年1月20日(月曜日)晴れ
昨晩はよく降った。が、今日は一転晴天。きまさごでサトウキビの枠撤去するには暑くてシャツ一枚。3月の陽気。月末までには終えたいが、イノシシが来てサトウキビの株を掘り返しているので、この対策に時間を食われそう。

今夜は夜須のお惣菜で済ませた。自分の部屋に早く引き上げて、LDのジャズを聴く。これではビレッジバンガードに行ってジャズを聞かなくても十分満足できるレベル。それに終われば直ぐに眠れる。何よりジャズクラブよりも格段音が良い。ハプニングはないが、司会の英語は何度も聞くので分かる。今日は眠くて9時半に就寝。

2025年1月19日(日曜日)曇り後雨
6時起床、車に乗って赤野の喫茶店へモーニング。ここは5時から営業している。500円で量がある。単調な生活には、刺激という意味で、たまには良いかな。ネット回線がないので日経新聞やNYTはあらかじめダウンロードし、ここで読む。

帰って英会話の勉強。午後はきまさごでサトウキビ枠の撤去。今日は気温が高く蚊がいて首周りを刺され痒いの何の。寒ければ作業が厳しく、緩めばこれだ。温暖化は熱帯の病原菌を持った蚊を運んでくるかも知れない。

久しぶりに友人と会話をすれば「元気か?」と聞かれる。いつ落とし穴を踏みぬくか分からないから。もう先がないので同年代はお互いに気になる。誰かが逝けば自分でなくて良かったと安堵する。悪い気もするが本音。
余計な時間が無いのに、今日はFBIを4本見た。自墜落にはなりたく無いが、ただズルズルと行ってしまった。

インフルとコロナが跋扈しているから、芸西村から出ない方が良いか。娯楽もあって何とか回っているから、よく分からないがこれで良いのかな。

2025年1月18日(土曜日)晴れ
ここ3日間夜はLDでジャズを観ている。32型4Kモニターだが映像は4:3のVGAで色ノリもイマイチ。だが、DIGAでS端子信号をHDMI変換するためTBCが効き画像は揺れないし、アナログ出力音声でも、デジタル出力をデノンアンプ2500NEに接続しても、感動する音が出ている。この気持ち良さに浸ると、疲れでどうにもならない夜以外は電源を切る勇気が沸かない。
まぁこのプレーヤーの寿命も限界があるし、僕の寿命も同期しているかも知れないし行くところまで行くしかないかなぁ。もう30年以上前だがこんなに良い音が収録出来ているメディアがどうして簡単に消えてしまったのだろう。

パナのDVD戦略にハリウッドが押仕切られたかも知れない。DVDの音声はほぼドルビーでLDにはかなわない (BDになって巻き返したが)開発のパイオニアとしても必死にLDに心血を注ぎ流れに抵抗したのだろう、その結果がこの音だ。パイオニアはプラズマテレビと言い、結構真面目な製品を作ってきたが、これもパナの資本に飲み込まれてしまった、もしくはシャープの液晶戦略に。

今日はサトウキビ仲間から40kgの要請があって砂糖を融通した。その結果2月23日の日曜市で販売する砂糖しか残らず、別には細々と販売して行く白下糖のみとなった。今年の事例を「もしも」に置き直せば、さらに1000kg多くても売り切れたなぁ。と欲が出る。



2025年1月17日(金曜日)晴れ
出来るだけ加工されてない食材、加工されているなら大量に販売しているもの。食生活を財政面で守るなら一切の外食を排除して、これに頼るしかない。ましてや外食の飲酒などもっての外だ。年金生活者の日常生活は逼迫している。
だが呆然と過ごす事はない工夫の余地がある。時間がたっぷりあるのだ。安い材料で満足行く調理をすれば良い。11月〜12月は時間がなくて加工食品に頼ったが、基本に戻ろう。

午前中は生活ベースに戻った。昨年の行動と比べると昨年はもっと頑張っていた。英語の翻訳で10000語くらい遅れているし、ラジオ英会話は18回位機会が少ない。読書も4冊少ない。その上昨年は文旦も収穫している。酒も5日程多く飲んでいる。今年は12日までサトウキビに追われたとは言え、怠慢では無く能力が落ちている。いや、稼働時の能力はそんなに違わない。稼働時間が少ない。とにかく眠くて起きている時間が少ない。これに尽きる。

大津の友人から連絡があった。高校時代の友人だ。高知県は東西に長く、僕の住む安芸と友人の住む幡多とは距離があって、初めて会った時びっくりした。高知弁は1種だと思っていた。2種あった。僕はその時幡多弁は高知弁でないと友人を揶揄っていた。ただその友人は弁が立ち、いつも言い負かされていた。多分50年経過しても変わらないだろうから、負ける会話を楽しもうと思っている。

料理の先生の家が完成するので、電気製品の下見に付き合った。ヤマダ電機高知本店、売り場は倉庫面積を減らして広くなり、うち1フロアは住宅関連製品で占められていた。テレビはミニLED液晶テレビと有機ELテレビの画質差はよく分からなくなっていた。冷蔵庫は中段に野菜室があるのはパナのみで選択肢はない。洗濯機も幅の狭い8kgはパナのみ。そしてパナは値段指定商品で値引きはないと強気だった。その上店長はパナを熱心に押していた。親切で知識もあって信じられない対応だった。


2025年1月16日(木曜日)晴れ
ガソリンスタンドには値上げの看板。197円になる。これじゃ大変だと自転車のパンクの修理をすれば6200円。夕食の材料をダイレックスで買った。随分と安い。安いので満員だ。
高知でも裕福な人はサニーマートで買って、そうでない人は、ドラッグストアのコスモスやダイレックスのようなディスカウントショップで求める。このように高知でも2極化が進んでいるから、これは世界的な傾向かもしれない。

アメリカ政府はUSスティールの買収を拒否した。錆びたベルト地帯の復活を目論んでいるのだろう。とは真面目な見方。アメリカに製造業が復活する訳がない。政治家はブルーカラー労働者を守るんだと演出しているだけと見れば無理がない。見放された人々は益々困惑し底辺層に落ちてゆく。2極化だ。最近の新聞記事にそんな見方が多くなっている。第三次世界大戦は国の衝突だけで無く、内部から湧いてくる要素も加味しなきゃ、情勢を見落とすかもしれない。

戦争による破局が先か、温暖化が環境安全圏の分水嶺を超え取り返しのつかない状態に落ちてしまうのが先か。心配のネタはつかない。


午後はプール、プールにゆく前にラーメンショップでラーメン定食を食べた、1200円だった。少し前は880円だったのに。勿体無いからお汁まで飲み干した。今やラーメン店は高級レストランに格上げ。それが影響してか500mごとに泳ぐのを中断してトイレに駆け込んだ。2km泳げる体力を維持しているのに老体はそれを許さない。

2025年1月15日(水曜日)曇り
普段通り起きて食事、ウィーン旅行記、英会話と午前中の定番をこなす。昨晩は9時就寝だが、この朝の時間も眠く椅子でうたた寝。疲れている、過激な作業をしてないのに疲れている。若い頃と違って疲れの原因が不明。サトウキビ収穫時は過激な労働だったが疲れはその日で解消していたのに、なんて事だ。

友人から、かつて一緒に働いていたI氏が亡くなったと連絡が入った。同じ年齢との事。いつ地雷を踏み抜くかヒヤヒヤで生きていく年齢になった。夜は親類のおばさんから、入院しているおじさんの容態変化で電話があるかもしれないと酒は飲まずに寝ている。
単純だが、それで血管がつまらないように有酸素運動のプールに出かけたら途中で水着を持ってきてないことに気がつく、なんてこった。それで海岸の砂浜を走った。生憎と薄着だったので寒いの何の、走る発熱よりも寒風の冷却が強くて参った。夕暮れの海は美しくもう少し暖かくなれば走るプログラムを加味しても良いなぁ。

iPhoneのiOSを18.2.1にアップデイトした。SiriとチャットGTPが連動すると言う。早速試したら、日本語が英語に変換されて喋った。感動。でもSiriはこの機能を既に持っていたのではないか?それでiPhone13のiOS18.1.1でSiriを試すとやっぱり変換は可能だった。なんて事だ。今まで知らなかっただけだ。

2025年1月14日(火曜日)晴れ
午前中は英会話の勉強。だんだんと耳を慣らしてゆくしかない。アルマゲドンの翻訳は、この作家の表現がわかってきたので昔のような戸惑いはない。

テレビ用の4CFV同軸ケーブルでも大丈夫だろうとFMアンテナからの接続に使ったら全く信号が来なかった。それで5C2Vを注文した。もうVHF帯域の電波はFM以外ないからケーブルも種類が少なく価格も高い。セットするけど40dbがmaxだったのでノイズが乗っている。かくなる上は8素子にアップデートしなければならないかな?FM放送に固執する理由は、ジャズとクラシックには割と名盤紹介が多い。ジャズの雑誌「スイングジャーナル」とクラシックの雑誌「レコード芸術」が廃刊になって情報がなくなった。タワーレコードにメール配信を申し込んでいるが、作品の強弱が不明でなかなか名盤を見つけづらい。

その後、きまさごの枠撤去と補修。風呂を焚きながら庭の植木を切った。これからの夕刻は家の周りの木こりに専念する。風の強い夜風呂に入っていると、竹が風で擦れる音を聞く、人が唸っているようで不気味、そしてそれ以上に、擦れることによって発火しないか?の心配する。だから家の周りの枯れた竹や木は早急に切り倒す必要がある。

夜は12日NHKで放送されたショスタコ5番をアンドレス・オロスコ・エストラーダの指揮で聴く。最近ショスタコの演奏や新譜が多い。この演奏は良かった、強弱の付け方が上手で、ショスタコはこうでなければ退屈する。

2025年1月13日(月曜日)晴れ
朝起きるのが自由な時間とは何と幸せな事か。食事の後風呂に入ってゆっくりした。年賀状の返信を2本書き、大津の友人に再会の連絡の葉書発送した。ホームページをアップデートし、ウィーンの旅行記を3枚ほど追加すればもう昼の時間。ますます英語は遠ざかるけど、頭は急に切り替わらない。

午後はきまさごの枠撤去。だが南2列はもう芽が出ている。欲を出して、この畑の全面撤去は辞めて、2列以外を撤去することに変更、2列は補強しながらの作業で進捗は芳しくない。この畑で2000kgあったからそれを0にするのは妙に寂しいのもあった。

宮崎で地震が頻発している、インフルエンザはピークを迎えた。僕の旅行が危ぶまれる。何事も起こらないように祈るだけだ。
夕食後FBIを点けたが寝てしまい何が何だか?疲れが出ているようだ。布団に直行。寸刻を待たずに夢の中へ。

2025年1月12日(日曜日)晴れ
7時前に伝承館に着くと師匠は既に一釜絞っていたので5時過ぎからの作業だったのだろう。今年ほど他人様の砂糖を焚いた事はない、この期間は力が付いて色んなものを持つのも楽になったし、バタフライも25mこなせた(普段は腕と、腰から下の背骨が折れそうな負荷を感じる)。親類のおじさんも軽々と背負えた。

その上、釜の状態を見れば火加減がわかるようになって、薪をどの程度くべるのか判断が着く。薪の大きさ、長さ、薪の材料、それぞれ火力が違うのでちょうどの火加減は結構難しい。それと、我慢強さ、ここはこの火力で行こう、やや弱めとか、そして煮えてきたら強く同じ火力で焚くとか。このやや弱め強めの安定は中々出来ない。つい行き過ぎてしまう。これらを含めてやっと釜焚きが緒についたばかりだが、僕としては成長したなぁと思った。

午後2時最後の流し込みを終えて怒涛の2ヶ月が終わった。実ちゃんも寛いだと感想を述べた。これで絞るサトウキビはどこにも全くない。気が抜けた感じで自宅に帰り、脱力感で庭の駐車場でそのまま寝た。だが独り住まいはどんな時でも動かないと食べられないし汗も流せない。辛いところだが、気を抜けないところは老人にとっていいことかも知れないと思って体に鞭打つ。
風呂に入って食事の後、居間のテレビで0時迄FBIを見る。今夜は、夜更かしして朝寝坊してもしがらみがない。やっと力を抜けた。

2025年1月11日(土曜日)晴れ
実ちゃん最後のサトウキビ収穫。午前中で終了。帰ってかっぱ市場に砂糖出荷、その足でヤマダ電機安芸店でミキサーの歯の部品受け取り、BDプレーヤーの修理依頼。明日の昼食にMACでスパゲティ、のり弁。

のり弁は夕食に食った。ボリュームと言い味付けといい430円ではクラスを超える。これは注目株だ(誰が決めた)

明日は砂糖を焚く日、師匠も1釜焚く、僕らは8時出勤を決めたが師匠はもっと早くくると言う。それで僕も7時には着くようにしなければならない。幸いに寒さは緩む。我が家で氷が張ったのは10日のみ。だが、他の人は最近はもう連続で張っていると言う、芸西村は高知の中でも暖かいが、の西分はさらに暖かいのが実証された。所謂山懐になるからだろう。

2025年1月10日(金曜日)晴れ
寝ている時寒くて冷え込んできているのが分かった。朝起きると庭のカメに氷が張っていた。今シーズン最初だ。10時に予約していた歯科医、前歯の不快感は歯が中で折れているようだと診断。多分旅行中は大丈夫だろうとの事。薬を注入してもらった。
次はプール。11月以来久しぶりで1600mで終えた、しかしバタフライは連続25m行けるようになっていて、2本。息が切れるが腰には快感。重いサトウキビを持ち上げたのが功を奏したか。

帰りにスーパーに寄って鍋の材料購入。友人を呼んで懇親会。特に話題なし、老人ホームでウクレレ教室を開催できる運びになったが、インフルエンザで中止との事。

LDの再生画面が4:3なのに、PCモニターにS端子→HDMI変換アダプターを使えば横が引き伸ばされ比率おかしくなる。そこで、昔のDIGAを引っ張り出してS端子入力→HDMI出力し、アスペクトを16:9に変更すれば、PCモニターで4:3の画面で見られるようになった。最初55型で見たが画像が不鮮明で像を結ばなかったので色々と試した結果だった。「オペラ」の書籍を買った16,000円。これでオペラを紐解きながら、大量に買い込んだLDのオペラを観るのが目的だったので良かった。

2025年1月9日(木曜日)晴れ
朝の気温5度、未だ氷は張ってない。ゆっくりと朝食をとっておじさん宅。病院に連れてゆく日。もう立てなくなっていて、お寺さん、奥さん、僕の3人がかりで支えた。僕の父の場合はズボンのベルトを持って歩いた。おじさんはベルトのあるズボンを履くのは嫌だとトレーナー。持ちにくく滑る。何とか車に乗せて病院へ。

どうやらウイルスが血液の中にあり、即入院。3週間程。3週間といえば僕は旅行で迎えにゆくことはできない。院長先生も心配してくれた。でも奥さんもこれでゆっくり眠れるので一安心だと。おじさんは奥さんに甘えているので奥さんの負担が大きかったのだろう。
その点1人ものは全部が自分の責任で済まさなきゃならないから、自分に厳しく生きている。多分他の人も同じ感覚を持っていると思う。

帰って昨日買ったBDをセット。セットしていて気がついたらアンプは4K信号をHDMIでスルーするタイプではなかった。BDでHDMIセパレートタイプを買うべきだった。反省。

夕刻お惣菜やさんへ行き、昨日払えなかったお金を支払う。お詫びにお砂糖を渡す。野菜だけのお惣菜3点を購入。帰って風呂を焚く、寒くなってきたので多めの薪で焚く。明日の朝の分も含めて焚く。明日は歯医者で風呂の中で入念に磨くため。

2025年1月8日(水曜日)晴れ
今日は寒いと心構えしてた。伝承館に着くと先ずは3つの釜に火を入れて水を沸かした。程なくして温まってきて汗をかく程度になった。今日は寒くなかったのだ。サトウキビの汁は多く、炊きあげるのが難しいので、実ちゃんに相談し一部は白下糖にする事。灰が少ないと固まりにくいので灰を追加した、仕上げに火を詰める事など打ち合わせ。

白下糖はうまく行ったが、仕上げのブロック仕様は固まるのが早く、釜揚げ後直ぐ型枠に流したが、半分から後半は灯篭の中で固まり始め流し込むのに往生した。

師匠に相談、灰を少なく火を詰めるのか、灰を多く火を弱めるのか、どちらが良い?寒の影響もあってねばくなっているが。
師匠は灰を多く火を詰めない方法を指示。次回は1月12日でその方法で行くと決めた。師匠も85歳。何時迄も困った時相談できる訳には行かず早く技術を習得しなければと思った。色んな畑と日照時間、品種、夏の降雨によって火加減と灰加減は変化する。それを加味して焚くのは最低でも10年位の経験がいる。

睡眠不足で釜焚きの時居眠りした、釜の前にいると身体全体が暖かく天国にいるようだった。無事終えて夜須のお惣菜屋さんで買い物、財布を忘れてきて明日お金を持ってくる事にした。昭和だね。

明日おじさんを病院に連れて行く、ベルトの付いたズボンを履くようにお願いした。父の介護の経験で得た。10日は私の歯医者で、英語が遠ざかっている。deeplの翻訳ソフトを使わないと自由に動けないのが現実味を帯びてきた。出発までには未だ色んな事件が起き英語勉強に障害が出て来るだろうなぁ。


2025年1月7日(火曜日)晴れ
疲れていたけど、実ちゃんのサトウキビ収穫のお手伝い。今日中に200kg取り上げて明日焚く。強い寒さがやって来ない内に済ませたい。今日本は寒気に覆われている報道、弘前の知人にメールすれば「雪に殺される」とあった。「天からは昨年の腹いせ」だとも。だが芸西村はまだ氷が張らない寒さだ。それでも北風は冷たく凍えながらの収穫で午後1時に終えた時はホッとした。
途中で散歩するよしかずさんにあって元気な姿を拝見。「おらぁ死んでいた、40日も眠らされていた」と回想。元々体が強い人なので回生できたのだろう。

帰ってお砂糖を袋に包みかっぱ市場に出荷。安芸市に砂糖を包装する袋を購入に出かけ、ヤマダ電機で4KDIGAを購入。米を焚き、カレーをセット。今夕は早めに終えて、4Kを4Kのディスプレイで見ようと計画してたが、親類のおじさんが救急車で運ばれたと連絡、その後受け入れ先がなく救急車で帰ってきたと。明日の出勤の事もあったが、取り敢えずおじんさんの家に行った。解熱剤で少し安定してたみたいだった。緊急時の打ち合わせをし帰って寝たのが10時半。

2025年1月6日(月曜日)雨
7時から実ちゃんの砂糖絞り、併せて僕のも。僕も疲れているが実ちゃんも疲れているのだろう。今日は動きが一段と悪かった。師匠も一緒だから爺さん3人がトボトボと焚いている。それでも釜の熱は容赦なく気をぬくと焦げ付くので、体に鞭打って棒で混ぜる。

僕の砂糖は量が少ないので、昨年の蜜と混ぜ合わせて焚く。これで規定量になる。釜は規定の量を過ぎても、不足でも焚きにくく焦がしてしまう。それで少ない生産者は、僕らのサトウキビを混ぜて焚き、出来上がった砂糖を元の重量配分で分ける方法を取る。
出来上がりは蜜と白下糖に分けた。スプーンで掬える白下糖を12個作った。果たして売れるかどうか?

薪を運び終えたのが4時過ぎ、もうクタクタだった。赤岡のスーパーで買い物をし帰って風呂を焚く。もう薄暗く、薪を切る時釘を見つけるのが難しかった。
ご飯がなく、オートミルで代用(代用にならなかった)、それでもこれ以上調理するのがしんどくて空腹のまま寝ることに。村の9時の時報は夢の中で聞いたような、聞かなかったような感じ。



2025年1月5日(日曜日)晴れのち曇り
7時かっぱ市場に砂糖を出荷した。帰って息子の食事、食事の後高知にかえった。久しぶりにNYTを読み英語の感が随分と鈍っている事に愕然。まぁ物忘れの激しい年齢なのに、2ヶ月もご無沙汰すれば当然の報い。月末まで猛ダッシュだ。日経新聞はそこそこにしてNYTに専念しよう。午前中友人に手紙、カメラ雑誌をスキャン。空気が乾燥しているのでセンサーがゴミを拾い、画像に線が入るので、スキャンのやり直しが頻繁。

午後はサトウキビの未成長株を残しておいた(収穫時から1ヶ月ほど経過し、未成長株は少し成長した)、それを収穫。甘く見ていたが150kg近くあり夕刻ギリギリに終了。収量を累計すれば、2023年の最高記録を上回った(実際は人に渡した収量も含めた計算なので実入りは減)。その年は秋口〜年末に半値で処分したし、白下糖は夏場にカビを生やし廃棄した。それでも販売金額は最高だった。今年はカビを生やさないようにこの寒い間に真空処理を行うつもり。収入も最高を狙えるか?
2月23日は芸西村を代表して土佐の日曜市で砂糖を販売する予定。期待大。旅行から帰ってくると準備に専念だ。

収穫に思わず時間を食って、夕食は冷蔵庫の中の余り物で済ます。先日買った鳥のレモン焼きセットは、グリルで焼いたら、フライパンを使ったら飛ぶような味覚がそっくり残り、香ばしい味だったが、同時に強い味付けもそっくり残って塩辛かった。痛し痒しか。

ウィーン国立歌劇がやってきて「薔薇の騎士」「フィガロの結婚」が演じられる報道。観たいが、オーケストラの音が冴えないのは本場ウィーン国立歌劇場でも経験し、上野文化会館でも、ミラノ・スカラ座でも経験済み。階上の席でも、平場の席でも聴いたが満足しなかった。舞台の綺麗さと歌手の声音は評価出来るもののオケの音がベールを被っていて納得がいかない。一方ディスクはオーケストラの音は気持ちよく切れ込む。こちらを経験するとチケット購入に物凄く躊躇している。



2025年1月4日(土曜日)晴れ
実ちゃんのサトウキビを焚く。途中で師匠の応援があったが、実質僕一人で全てを賄うようなもの。仕方ない、仲間だから。それに大量のサトウキビ原木を安価で販売するのも可哀想(昨年はそうした)。だから収穫から製糖までお手伝いをする。もう僕の体力は寝て復活したので支障はない。2釜を上げたが結局後片付けもしなきゃならず、終えたのは午後5時だった。

それから息子が帰ってくるのでスーパーで買い物をし風呂を焚き夕食を整えて終わったのが午後8時。もうクタクタで寝るしかなかった。一日中奉仕の日だった。ゆっくりできる日は未だ来ない。

2025年1月3日(金曜日)晴れ
昨晩はよく寝たからかやっと疲れが取れた感じ。朝食後台所のPCでマーケット情報を入力。1ヶ月半ご無沙汰していた情報を一気に処理。キヌサヤエンドウの異様な価格高騰と、テスラの株価が業績に関係なく鰻登り。テスラは理由が鮮明だが、キヌサヤエンドウ(太田市場)は理由不明。

次にサトウキビの収入の計算、昨年比80%。まぁこれは収量に関係しているから納得の数字と言えばそうだが。ピーマンの仕事は辞め、文旦のお世話も辞めたが、忙しさは倍加した。にもかかわらず収入が減っているのが問題。同じ忙しさならサトウキビのお世話を放棄してでも、賃金の仕事をした方が実入りが多い。その上、今が体力の絶頂期だと思うが、収入減だったからガックリだ。

その後この2ヶ月溜め込んだレシートをエクセルシートに打ち込んだ。1年間の支出が集計できるが、未だ月毎のシートを連結してない。もうこれで夕刻。砂糖を詰めるビニール袋の購入と、親類のおばさん宅に砂糖を届けた。そしたらコロナに罹ったとの事、伝承館のメンバーが罹患したのと同じ時期。それでおじさんは外出しなくなって、妙にボケた事を言い出したらしい。90歳。

夜はタワレコで安売りしてたDVDを見た。55型ではやや厳しい画質。バレエ「白鳥の湖」。本物のバレエを見たのはウィーンの国立歌劇場で「ドンキホーテ」だった。バレエはオペラと違って出演者が美形。このDVDでも同じ。しかも脇役も含めて美形。踊りのキレと美形で楽しめる。ダンサーはキレがやや劣るがやはり大型の俳優がダイナミックで良い。脇役バレリーナが大変なのは踊りよりも、一時停止で動かない姿勢で長くいる事、どうしても指先が揺れる、脇役も大変だ。しかもたくさんの人が出演しているし、楽団もフルメンバーだ。コンサートの料金は格別高価ではなかったから。一人当たり単価の事を心配する。


2025年1月2日(木曜日)晴れ
息子は暗いうちから出かけて行った。四国一周の旅。車中泊みたいだ。自転車も載せていった。大体が僕のしたことと同じようなことをしている。僕が教えたわけじゃないが、似るものだ。
京都のk子と話した。仲間がうつ病になって、アルバイトからフルタイムに移行したとの事。愛媛のO氏とも話した、後継者難の問題を抱えていると。僕らも伝承館の後継者難にぶち当たっている。皆人材不足に直面している。かと言って日本の経済が好転している訳ではない。人材不足は生産性向上で解決できる部分が多いから、構造的なものではないはずだが。

午前中Google TVテレビ設営の続きを行い完了。HPに2025年をアップデートした。午後は実ちゃんのサトウキビ収穫のお手伝い。2釜400kg。1月4日、2人で400kg焚くのはしんどい。
遅くまで働いたので、買い物ができず冷蔵庫にある残り物で済ませた。満腹かなわず、水を飲んで誤魔化した。


2025年1月1日(水曜日)晴れ

6時には起きて部屋を温めながら、滞っていた日経のデーターを打ち込む。新聞記事は遡って読むには量が多く大変だが、世界と言うかアメリカの経済データーを追っていくとおおよその変化がわかるから時間の短縮に便利だ。
7時に夜須のお惣菜屋さんへ皿鉢料理を取りに行く、帰りにコンビニで新聞購入。西分の信号機で息子を見かけた。初日の出を拝みに行っていた。500人くらいの人出だったようだ。

新年の皿鉢料理は2人で黙々と頂いた。僕は土佐鶴の熱燗と、沖縄の泡盛を呑んだ。コップ一杯で十分酔った。僕は台所で新聞を読みながらうたた寝、息子は車を引き出し日光浴。その後息子は出かけ僕は年賀状を認めた。今年の年賀状は、これで年賀状を辞めるとの文言が目立った。自分を表現するのが苦痛なのかな?10くらいある候補から絞り込みを始め、キーワードで占められる事件を選択する。該当する写真を加工する。FBよりも手の込んだ編集を施し発信する。

午後は新しく買ったテレビの設置。グーグルTVは設定が大変だ。もう普通の電気屋さんで扱えるレベルではないし、グーグルのIDを持ってなければ出来ない。買ったテレビはシャミオ55型。パナの42型テレビと同じ外形寸法。テレビ台はそのまま使用。
LDプレーヤーをs端子→HDMI変換で出力したが、画面が大きすぎて見られたものじゃない。取り外し、32型PCモニターに接続した。
55型にPCを接続し、先に行ったウィーン旅行記を映し出したら、バッチリ美術館の絵画展が完成した。ドイツ語の解説文も日本語に変換してあり、個人美術館としては大規模なコレクションが出来つつある。他にも水族館や植物園などあって、楽しみが期待できる。
未編集が多く、どこまで制作できるか不明ですが。

夜はこれでFBIを観た。僕的には55型はデカすぎ。48型若しくは42型までサイズを落とす必要がある。シャミオのミニLEDテレビはくっきりで、とても7万円だとは思えない出来だった。